2012-01-01から1年間の記事一覧

ジークムント・フロイト「フロイト全集 第19巻」(2010)

今年最後になりますが、岩波書店のフロイト全集から、「制止、症状、不安」(1926)を読みます(p192を除く)。今回もジジェクの議論の考察をしますが、先に結論を言えば、この論文におけるフロイトの「不安」の捉え方から、ジジェクの主張の矛盾を指摘でき…

スラヴォイ・ジジェク「厄介なる主体」(1999)

(読書ノート1、訳書2005) p28-29 「すると、ハイデガーが囚われたイデオロギーの罠が見えてくる。つまり、ハイデガーがナチ運動にある真の「内なる偉大さ」を掲げてナチの人種差別を非難するとき、彼はイデオロギーに彩られたテクストに対して、一歩引い…

メラニー・クライン「メラニー・クライン著作集2、4」

今回は謎だと言っていたクラインです。クラインの著作集は1巻と2巻、4巻を読みましたが、2巻と4巻が彼女の精神分析の手法を理解する上で重要だと感じました。どちらかが欠けるとよくわからなくなるので、両方レビューの対象としました。(読書ノート2…

高橋由典「行為論的思考」(2007)

今回は、作田啓一の「溶解体験」議論の流れを汲んでいる、高橋由典の著書を取りあげます。(読書ノート) p4−5 「先ほどもふれたように、体験選択は意図的な選択ではない。この選択はふつうの意味での選択(行為選択)を行おうとするときには、いつでも「す…

ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」(1977=1996)

今回は、ジラール「地下室の批評家」で言及した、ウィリスの本を扱います。ページ数はちくま学芸文庫の訳書のものです。(読書ノート) p31 「ジョウイ ……教師はおれたちを処分できる。教師はおれたちよりもえらいんだ。やつらにはおれたちよりもでかい組織…

エリアス・カネッティ「群衆と権力」(1960=1971)

今回は、ジラールとドゥルーズを繋ぐ意味でエリアス・カネッティを取りあげます。もともと1971年に訳書がでましたが、2010年にも表紙が新しくなった新版が出ているようです。どちらともページ数表記は同じになっているようですが、私は上巻を1971年版、下巻…

ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」(1969)その2

今回はアンチ・オイディプスと意味の論理学の比較を行ってみたいと思います。比較といっても、徹底的な比較をするときりがないので、部分的な言葉と人物に注目しながら、考察してみたいと思います。○メラニー・クライン引用の比較…オイディプスの部分的支持…

ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」(1969)その1

今回もドゥルーズを読みます。 最初読んでいた際はノートがこれの3分の1程度だったのですが、もう一度読み返した所、現在の分量になり、更に増え続けそうだったので、今回については、途中でノート作り自体はあきらめています… また、今回はジラールとの比…

ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、宇野邦一訳「アンチ・オイディプス」(1972)

ようやくですが、ドゥルーズとガタリの考察に入ります。次回もドゥルーズの「意味の論理学」をレビューする形で考察は2回に分けます。訳書は河出文庫のものです。(読書ノート、上巻) p38-39 「分裂症者はひとつのコードから他のコードへと移行し、すばやい…

ルネ・ジラール「地下室の批評家」(1976=1984)

ジラールの2冊目です。「地下室の批評家」は4つの論文をまとめた著書になっています。核となる最初の論文がドストエフスキーの文学評論で、最後の論文が「アンチ・オイディプス」を批判したものです。この本をチョイスしたのは、この論文が入っていたから…

ルネ・ジラール「羨望の炎」(1990=1999)

今回と次回はジラールの著書を扱って、模倣論について考察をしてみたいと思います。 私自身もジラールの関連文献は去年から10冊くらい読んでますが、その中から2冊を取り上げてみます。この「羨望の炎」ですが、基本的にはシェイクスピアの文学評論という…

ジョージ・リッツア「無のグローバル化」(2004=2005)

今回はベックの代理でハイパー近代(後期近代)の議論をするということで、リッツアを取り上げます。 リッツアは「マクドナルド化する社会」で有名ですが、本書はその後に出た本になります。(読書ノート) vi ご当地キティやご当地ロゴ入りTシャツなどにつ…

ユルゲン・ハーバマス、長谷川宏訳「イデオロギーとしての技術と科学」(1968=2000)

前回、「専門性(科学)と政治」についての論点を保留していました。今回はハーバマスが似たようなテーマで書いた本も参考にしながらこの点を考察してみます。今回読んだのは、平凡社ライブラリーのものです。(読書ノート) p70−71 「技術的な規則や戦略の…

ウルリヒ・ベック「危険社会」(1986=1998)

ドイツの社会学者、ベックの1986年の著書です。ちょうどチェルノブイリの原発事故のあった年の本ですが、環境問題について広く扱っています。このためノート量が恐ろしいことになってしまいました… 私自身は大学の卒業論文で読んだのがきっかけです。当時は…

アントニオ・ネグリ「さらば、“近代民主主義”」(2006=2008)

(読書ノート) p30−31 ネグリは、ハイパー近代(現代という時代を常に近代の伝統との関係において考える、ベックなどの認識)ではなく、ポスト近代として(特に権力、労働、グローバリゼーションにおいて見られる)政治状況をとらえる。P76 「市場という考…

村上靖彦「治癒の現象学」(2011)

今回と次回はちょうど今読み終わった本を取り上げたいと思います。 まず、前回の「ポップ心理学」の流れを汲んでいる本を取り上げます。ナドーはポップ心理学についてはとにかく批判的に見ていました。が、もう少しポップ心理学がどのように機能しているのか…

ステファヌ・ナドー「アンチ・オイディプスの使用マニュアル」(2006=2010)

(読書ノート) P40 「ポップ心理学では、幸福はむしろ道徳的価値として理解される。「悪くなる」より「良くなる」のほう、ではもう関心事にはならない。「悪にしたがう」より「善にしたがう」のほう、これが関心事となるのである。」 p41 「ではなぜわたし…

ローレンス・レッシグ「CODE」(1999) その2

今回は、ひたすら考察であったため、時間がかかりましたね… 通常の読書ペースも決して早くないので、だいたいこれぐらいの更新ペースがよいのかもしれません。・(行為の)規制をめぐる諸相、再考 レッシグは規制を行う様式を4つ挙げている。法・規範・経済…

ローレンス・レッシグ「CODE」(1999) その1

すでに何度か言及していたレッシグですが、2回に分けて検討したいと思います。 当時読んでいたのは初版でしたが、今回は2006年(邦訳2007)に刊行されているVERSION.2.0の方を読み直してノート作ってます(このためすごく時間かかりました…)。(読書ノート…

作田啓一「生成の社会学をめざして」(1993)

今回も、欲望の議論に繋がるような本をレビューします。(読書ノート) p3 「しかし、マルクスの考えている無意識は制度が人間の中に作り出したものであり、フロイトの考えている無意識は人間の理性によってはとらえられない欲動(Trieb)に根ざしている、とさ…

黒石晋「欲望するシステム」(2009)

前回、アレントの議論で「欲求と欲望」に関することをコメントしてましたが、今回はこの差異について考察していた本をレビューします。 去年度読んだ本だったので、今回はほとんど当時の読書ノートのままで、一部用語の説明などを加えました。(読書ノート)…

ハンナ・アレント「人間の条件」(1958=1994)

東先生がアレントに言及していたので、昔に戻ってアレントを読み返します。 当時もまた新自由主義の話に関心はありました。ただ、問いの立て方は異なっており、「現代において、公共空間をいかに確保することが可能か」というものでした。訳書はちくま学芸文…

『マトリックス』を見直してみる

本以外のレビューということで、今の流れで『マトリックス』をレビューします。 『マトリックス』といえば、ビッグブラザー的世界観が先行しやすいようにも思えますが、今回は排除プログラムとしてのエージェント・スミスに注目したいと思います。というのも…

東浩紀「情報環境論集 東浩紀コレクションS」(2007)

前回に続いて、「統治」における規律訓練型権力・環境管理型権力の性質をとらえる一環で読んだ一冊です。「文学環境論集」などでも、この点が議論されています。が、今回改めて読み返してみてピックアップした点というのは、かなり今現在の関心に結びつけて…

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート「<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」(2000=2003)

中野論文を読んでからまず興味をもったのは、新自由主義的な「統治」の性質の問題でした。フーコーなども読んでましたが、「自発的」な主体がどのようにして従者として組み込まれていくのか、そのメカニズムを追った本をよく読んでいました。 その中でも最も…

中野敏男『大塚久雄と丸山眞男——動員、主体、戦争責任』(2001)

1冊目ですが、今の関心に結びついたきっかけになった本です。 昔は、記録と一緒に本の一部コピーとかもしていたのですが、何故か見当たらなかったため、極めて断片的な内容になりますが、私の読書記録の意図もわかりやすくなると思うので、掲載します。 ち…

読書記録を公開するにあたって

はじめまして。今回日記を書き始めるのは、今まで読んできた本の記録をまとめるためです。 私自身、大学1年の時から、自分の読んできた本のなかで印象に残った部分を記録として残すということを続けてきましたが(今年で9年目)、年を重ねるごとにこの記録…