さ行

菅原潤「「近代の超克」再考」(2011)

今回は前回の大塚久雄の議論や、日本人論とも関連してくる「近代の超克」をテーマとした著書を検討していく。 近代の超克をテーマとした著書は2000年代以降それなりの数のものがあるようである。背景としては、3.11という事件以降改めて近代に対する問いへの…

諏訪哲二「学校の終わり」(1993)

今回も前回に引き続き、「進歩的文化人」と「近代/欧米化」の議論との関連性について検討したい。諏訪も苅谷同様、進歩的な勢力に対し「欧米的な近代化」の主体であるとみなす議論を行っている。諏訪は高校教師として教鞭をふるっていたこともあり、現場感…

村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎「文明としてのイエ社会」(1979)

今回も日本人論として、大平政権にも影響を与えた著書としても知られる本書を取り上げる。 本書のポイントの一つである多系的発展論の歴史的説明がいかに正しいのかという点は私の能力を超えるため触れないが、欧米的な個人主義や近代化論について一定の批判…

榊達雄編「教育「正常化」政策と教育運動」(1980)

本書は70年代後半を中心にした、岐阜県における教育正常化運動に対する批判を行っている本である。今回本書を取り上げたのは、過去にレビューした無着成恭が在籍していた明星学園中学の教育論争と同じ基軸で、本書で支持される「恵那の教育」批判を行う動…

斎藤喜博「第二期斎藤喜博全集 第1巻」(1983)

今回は以前レビューしていた斎藤喜博を再度取り上げる。本書でメインになっているのは「授業論」であり、斎藤自身これまでそのような「授業論」が存在しなかったことを憂い、そのような「教授」に関する議論がもっと教師に読まれる必要性を感じて書いた内容…

杉本良夫/ロス・マオア「日本人は「日本的」か」(1982)

今回はすでに予告していた杉本・マオアのレビューである。 本書は「日本人論」の批判の著書である。本書の大きな主張点の一つは、『日本人論は単一な国民性論とみられており、その複数性を考えようとしない』という点である(p69)。ベネディクトの「菊と刀」…

「『親方日の丸』の研究」―新堀通也レビュー補論

今回は前回の補論として、新堀が使っていた「親方日の丸」の言説の妥当性検証の一環で、一般に流布していた「親方日の丸」言説を少し分析してみた。 今回確認したのは読売新聞・朝日新聞の記事データベースから、新堀の著書が書かれる直前である1986年頃まで…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その2

<読書ノート> p鄱-鄴「(※教育風土シリーズ発刊の目的の)第二は日本文化論など日本研究への寄与である。今日、日本の国際的地位の高まりから、諸外国では日本への関心が拡まり日本研究が盛んになっているし、国内では日本社会論、日本文化論、日本人論が流…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育…

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その2

<読書ノート> p21「しかし、能力と能力を担っている人格とを、それほど容易に区別できるものではない。能力を選別し差別することは、人格を選別し差別することにならざるをえない。こんにちの大企業の労務管理は、この点を意識的に利用して、能力の名にお…

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その1

今回は片岡徳雄のレビューの際に宿題としていた、全生研のベーシックな著書を読みときながら、「集団主義教育」についての考察を行っていきたい。 本書に加えて、全生研の主要な論者の一人である竹内常一「生活指導の理論」(1969)も合わせて読んだ。こちらの…

千石保「「普通の子」が壊れてゆく」(2000)

今回は河合隼雄同様、日本人論を経由しながら「日本人の子ども」を論じているが、河合よりも正直な所「ひどい」論調となっている千石保の議論を読み解きたい。本書に対する問題点はかなりの部分読書ノートにもまとめているので、本書の要点と読書ノートの補…

斎藤喜博「斎藤喜博全集 別巻2」(1971)

今回は50〜60年代において校長としての教育実践を行い、影響力のあった斎藤喜博を取り上げてみる。私自身読んだのは60年代後半から70年代初頭にかけて行われた対談集である本書と刊行10年足らずで5万部は売り上げていたという(「斎藤喜博全集 第4巻」1969,…

全生研常任委員会編「地域子ども学校と地域子ども組織」(1978)

本書は、全国生活指導研究協議会(全生研)が、1968年から取り組んでいった「ひまわり学校」の実践について書かれたものである。 これまで広田や遠山のレビューで、70年代以降学校サイドからの「教育の担い手」としての役割の撤退の傾向があるのではないのか…

芹沢俊介「現代〈子ども〉暴力論 増補版」(1989=1997)

今回は大久保のレビューでもとりあげられていた芹沢の著書である。本書は新版、増補版と2度構成の変更を行っているが、基本的な部分については1989年の出版の時点で確定した内容であったとみてよいだろう。内容に対する批判については読書ノートに多くコメ…

森田洋司/清水賢二「新訂版 いじめ」(1986=1994)

今回は前回の大久保のレビューで引用されていた、森田・清水の「いじめ」を取り上げる。読んだのは新訂版であったが、最初の部分のみが追加されているようであるため、本旨については、1986年の時点での議論であるとみなしてよいだろう。 まず最初に簡単に本…

坂本秀夫「校則裁判」(1993)

今回は前回予告していた中で、坂本秀夫の教育権論について検討する。取り上げたのは本書と「生徒懲戒の研究(1982)」「文部省の研究(共著、1992)」「増補新版 PTAの研究(1994)」「戦後民主主義と教育の再生(2007)」である。○「学校」と「家庭」の教育分業論…

作田啓一「個人主義の運命」(1981)

今回は、以前レビューした阿部謹也の「世間論」にみる個人観と本書の個人主義の議論を比較してみます。<読書ノート> p24 ジラール、欲望の現象学p9で内的媒介と外的媒介の距離について触れる ※「願望可能圏」という言い方をするが、これは心理的な問題。 p…

スラヴォイ・ジジェク「大義を忘れるな」(2008=2010)

<考察> 今回はジジェクの議論をまとめてみたい。 ジジェクの主体論は基本的に「大文字の<他者>」に依拠しようとする主体と、そのような主体に対する「幻想」を走査しようとする主体(これをラカン的主体とここでは呼びたい)の2つが対比されながら展開…

私立明星学園母親グループ「無着先生との12年戦争」(1983)

久しぶりにここに文章を書きます。表での活動が一段落したので、リハビリがてら印象が強かった本を先に記録として残しておこうと思います。 まず、この著書を執筆した無名の「母親(たち)」には感謝したいと思う。おそらくマスコミだったり、ルポライターだ…

スラヴォイ・ジジェク「厄介なる主体」(1999)

(読書ノート1、訳書2005) p28-29 「すると、ハイデガーが囚われたイデオロギーの罠が見えてくる。つまり、ハイデガーがナチ運動にある真の「内なる偉大さ」を掲げてナチの人種差別を非難するとき、彼はイデオロギーに彩られたテクストに対して、一歩引い…

ルネ・ジラール「地下室の批評家」(1976=1984)

ジラールの2冊目です。「地下室の批評家」は4つの論文をまとめた著書になっています。核となる最初の論文がドストエフスキーの文学評論で、最後の論文が「アンチ・オイディプス」を批判したものです。この本をチョイスしたのは、この論文が入っていたから…

ルネ・ジラール「羨望の炎」(1990=1999)

今回と次回はジラールの著書を扱って、模倣論について考察をしてみたいと思います。 私自身もジラールの関連文献は去年から10冊くらい読んでますが、その中から2冊を取り上げてみます。この「羨望の炎」ですが、基本的にはシェイクスピアの文学評論という…

作田啓一「生成の社会学をめざして」(1993)

今回も、欲望の議論に繋がるような本をレビューします。(読書ノート) p3 「しかし、マルクスの考えている無意識は制度が人間の中に作り出したものであり、フロイトの考えている無意識は人間の理性によってはとらえられない欲動(Trieb)に根ざしている、とさ…