2012

贈与論序説—高橋由典「行為論的思考」再訪

今回から何回か「贈与」をテーマにしたレビューを行いたいと思います。これまでも「模倣」と「贈与」の関係性については検討してきましたが、少し詰めた議論をしてみたいと思います。 まず、これまで私自身の用語としてまとめた「純粋模倣」について復習する…

ミシェル・フーコー「性の歴史1 知への意志」(1976=1986)

さて、今回はフーコーを読もうと思います。 随分と時間がかかってしまったのはフーコーのどの本をベースにするのかを選ぶのに時間がかかったのと、自分自身がフーコーの議論に袋小路にされてしまっていたのが理由です(汗)。まだ十分に議論を掴み切れていな…

アブラハム.H.マズロー、上田吉一訳「完全なる人間」(1962=1964)

今回から検討したいのは、「人間性(ヒューマニティ)」についてである。これまでも関連的な分野をレビューしてきたように思うが、だいぶ考えもまとまってきたので、考察の対象として加えていきたい。ちなみに訳書は1979年の新装版を読んでいます。(読書ノ…

柄谷行人「トランスクリティーク」(2004)

今回もまた資本主義批判の文献です。読書ノートは岩波現代文庫版(2010)のものです。(読書ノート) p27 「資本は、たえず、差異を見出し、差異を創出し続けなければならない。それが、産業資本における絶え間なき技術革新の原動力である。それはけっして人…

リチャード・ローティ「アメリカ 未完のプロジェクト」(1998=2000)

ローティの著書は「偶然性・アイロニー・連帯」を1・2度読んだことがありましたが、いまいち何を言いたいのかわからず、ローティ自体もよくわからない著者の部類に入れていました。今回この本を手に取ったのは、気まぐれで渡辺幹雄「リチャード・ローティ…

西田慎「ドイツ・エコロジー政党の誕生」(2009)

今回はこれまでの路線から脱線して、ゆるくいきたいと思います。最近本を読み込んで書いているので、このままだとなかなか更新できなくなりそうなので…。読書ノートも付けないで、読んでて思ったことなどだけ書く回をシリーズ化できればと思います。 さて、…

麻生武「身ぶりからことばへ」(1992)

今回は発達心理学の本を取りあげたいと思います。本書は著者自身の子どもの誕生後から1年間の観察記録を分析したものになっており、特に他の動物と人間との違いに注目した内容になっています。ノートは少なめ。(読書ノート) p10 「つまり、対象を指差した…

ジークムント・フロイト「フロイト全集 第19巻」(2010)

今年最後になりますが、岩波書店のフロイト全集から、「制止、症状、不安」(1926)を読みます(p192を除く)。今回もジジェクの議論の考察をしますが、先に結論を言えば、この論文におけるフロイトの「不安」の捉え方から、ジジェクの主張の矛盾を指摘でき…

スラヴォイ・ジジェク「厄介なる主体」(1999)

(読書ノート1、訳書2005) p28-29 「すると、ハイデガーが囚われたイデオロギーの罠が見えてくる。つまり、ハイデガーがナチ運動にある真の「内なる偉大さ」を掲げてナチの人種差別を非難するとき、彼はイデオロギーに彩られたテクストに対して、一歩引い…

メラニー・クライン「メラニー・クライン著作集2、4」

今回は謎だと言っていたクラインです。クラインの著作集は1巻と2巻、4巻を読みましたが、2巻と4巻が彼女の精神分析の手法を理解する上で重要だと感じました。どちらかが欠けるとよくわからなくなるので、両方レビューの対象としました。(読書ノート2…

高橋由典「行為論的思考」(2007)

今回は、作田啓一の「溶解体験」議論の流れを汲んでいる、高橋由典の著書を取りあげます。(読書ノート) p4−5 「先ほどもふれたように、体験選択は意図的な選択ではない。この選択はふつうの意味での選択(行為選択)を行おうとするときには、いつでも「す…

エリアス・カネッティ「群衆と権力」(1960=1971)

今回は、ジラールとドゥルーズを繋ぐ意味でエリアス・カネッティを取りあげます。もともと1971年に訳書がでましたが、2010年にも表紙が新しくなった新版が出ているようです。どちらともページ数表記は同じになっているようですが、私は上巻を1971年版、下巻…

ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」(1969)その2

今回はアンチ・オイディプスと意味の論理学の比較を行ってみたいと思います。比較といっても、徹底的な比較をするときりがないので、部分的な言葉と人物に注目しながら、考察してみたいと思います。○メラニー・クライン引用の比較…オイディプスの部分的支持…

ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」(1969)その1

今回もドゥルーズを読みます。 最初読んでいた際はノートがこれの3分の1程度だったのですが、もう一度読み返した所、現在の分量になり、更に増え続けそうだったので、今回については、途中でノート作り自体はあきらめています… また、今回はジラールとの比…

ルネ・ジラール「地下室の批評家」(1976=1984)

ジラールの2冊目です。「地下室の批評家」は4つの論文をまとめた著書になっています。核となる最初の論文がドストエフスキーの文学評論で、最後の論文が「アンチ・オイディプス」を批判したものです。この本をチョイスしたのは、この論文が入っていたから…

ユルゲン・ハーバマス、長谷川宏訳「イデオロギーとしての技術と科学」(1968=2000)

前回、「専門性(科学)と政治」についての論点を保留していました。今回はハーバマスが似たようなテーマで書いた本も参考にしながらこの点を考察してみます。今回読んだのは、平凡社ライブラリーのものです。(読書ノート) p70−71 「技術的な規則や戦略の…

アントニオ・ネグリ「さらば、“近代民主主義”」(2006=2008)

(読書ノート) p30−31 ネグリは、ハイパー近代(現代という時代を常に近代の伝統との関係において考える、ベックなどの認識)ではなく、ポスト近代として(特に権力、労働、グローバリゼーションにおいて見られる)政治状況をとらえる。P76 「市場という考…

村上靖彦「治癒の現象学」(2011)

今回と次回はちょうど今読み終わった本を取り上げたいと思います。 まず、前回の「ポップ心理学」の流れを汲んでいる本を取り上げます。ナドーはポップ心理学についてはとにかく批判的に見ていました。が、もう少しポップ心理学がどのように機能しているのか…

作田啓一「生成の社会学をめざして」(1993)

今回も、欲望の議論に繋がるような本をレビューします。(読書ノート) p3 「しかし、マルクスの考えている無意識は制度が人間の中に作り出したものであり、フロイトの考えている無意識は人間の理性によってはとらえられない欲動(Trieb)に根ざしている、とさ…