2022-01-01から1年間の記事一覧

富永健一「日本の近代化と社会変動」(1990)

今回は富永健一の標題著書を中心にして、『ヴェーバーの動機問題』について考えてみたい。 富永の近代化論については、パーソンズの系統として、つまりアメリカ社会学の系譜として語られるのが普通であろうし、私自身もこのことには賛同する。例えば、矢野善…

持田栄一の捉える「近代」と「現代」について

今回は、「進歩的文化人」の議論で「現代」の用法に言及した持田栄一を取り上げる(※1)。持田の議論は今から見れば独特の用法で「近代」について取り上げたと言える。これまで私が大塚久雄をはじめとして考察してきた近代化論(の言説分析)においては、「…

滝沢克己「日本人の精神構造」(1973)

今回は前々回から折原浩の議論を理解する上で取り上げるべき人物としていた滝沢克己の著書を取り上げたい。両者は年齢的にも大きな隔たりがあるが、大学紛争時代にはそれなりに深い交友関係があったようである(cf.折原浩「東京大学 近代知性の病像」1973,p4…

佐藤俊樹「社会科学と因果分析」(2019)

今回は、前回少し考察した『ヴェーバーの動機問題』、つまり「合理性についてシニカルな態度を取りながらもその合理性をめぐる議論についてヴェーバーがコミットしようとするのは何故か」という問いにおいて、この問題を回避する「3」の立場に立つ議論とし…

中野敏男「マックス・ヴェーバーと現代・増補版」(1983=2013)

今回はヴェーバーの近代化論に関連し、今後折原浩の著書における議論を検討するための前段として、中野の著書を取り上げる。 すでに折原については羽生辰郎との論争の考察の一環でその主張に関する検討を進めたが、そこでの最大の疑問点として提出したのは、…

日高六郎編「現代日本思想大系34 近代主義」(1964)

今回は、日高六郎の近代化論の指摘をもとに、これまでの大塚久雄を中心とした近代化論の議論を少し整理してみたい。というのも、本書における日高の指摘については、他の論ではなかなか見られないものがあり、かつそれが適切な指摘であるように思えるからで…