持田栄一の捉える「近代」と「現代」について

今回は、「進歩的文化人」の議論で「現代」の用法に言及した持田栄一を取り上げる(※1)。持田の議論は今から見れば独特の用法で「近代」について取り上げたと言える。これまで私が大塚久雄をはじめとして考察してきた近代化論(の言説分析)においては、「…

滝沢克己「日本人の精神構造」(1973)

今回は前々回から折原浩の議論を理解する上で取り上げるべき人物としていた滝沢克己の著書を取り上げたい。両者は年齢的にも大きな隔たりがあるが、大学紛争時代にはそれなりに深い交友関係があったようである(cf.折原浩「東京大学 近代知性の病像」1973,p4…

佐藤俊樹「社会科学と因果分析」(2019)

今回は、前回少し考察した『ヴェーバーの動機問題』、つまり「合理性についてシニカルな態度を取りながらもその合理性をめぐる議論についてヴェーバーがコミットしようとするのは何故か」という問いにおいて、この問題を回避する「3」の立場に立つ議論とし…

中野敏男「マックス・ヴェーバーと現代・増補版」(1983=2013)

今回はヴェーバーの近代化論に関連し、今後折原浩の著書における議論を検討するための前段として、中野の著書を取り上げる。 すでに折原については羽生辰郎との論争の考察の一環でその主張に関する検討を進めたが、そこでの最大の疑問点として提出したのは、…

日高六郎編「現代日本思想大系34 近代主義」(1964)

今回は、日高六郎の近代化論の指摘をもとに、これまでの大塚久雄を中心とした近代化論の議論を少し整理してみたい。というのも、本書における日高の指摘については、他の論ではなかなか見られないものがあり、かつそれが適切な指摘であるように思えるからで…

佐藤忠男「草の根の軍国主義」(2007)

今回は日本人論の議論の一環で佐藤忠男を取り上げたい。 本書の中心的な議論は日本人の心性における「忠臣蔵」の影響力についてである。これは「忠臣蔵-意地の系譜」(1976)という著書でも基本的に同じ議論をしているので、適宜そちらも取り上げながら佐藤…

藤田英典「市民社会と教育」(2000)

以前黒崎勲のレビューで藤田英典の議論に触れたが、今回はその続きである。本書と黒崎「学校選択と学校参加」(1994)を中心に検討していくが、この両書を読んでみていわゆる学校選択制をめぐる「藤田-黒崎論争」の見方も少し変わった所があった点があったた…

萩野富士夫「戦前文部省の治安機能」(2007)

今回は「国体の本義」をめぐる議論の補論として、荻野の著書を取り上げる。本書の主題は戦時期を中心にした文部省の「教学錬成」、「臣民」としての国民育成の機能についての議論を中心としているが、その中で「国体の本義」や「臣民の道」についても触れら…

ピーター・B・ハーイ「帝国の銀幕」(1995)

今回も「近代の超克」の議論に関連したレビューを行う。 本書は戦時中の映画についての分析を行ったものであるが、特にその映画の「大衆性」に注目し、そのことと戦時の統制的なイデオロギーとのズレについての描写を中心的に行っていることが特徴的である。…

文部省教学局「国体の本義・臣民の道」(2018)

今回は近代の超克の議論との関連で、呉PASS出版から発行された著書を手に取った。 前回までこの近代の超克の議論を考察してきたものの、「結局この近代の超克をめぐる当時の議論はどのようなものが優勢だったのか」については、これらを検討した著書から見出…

孫歌「竹内好という問い」(2005)

今回は竹内の著書を直接レビューするか、孫歌のレビューのどちらを行うか迷った所があるが、「近代の超克」及び人物「竹内好」解釈をめぐる議論について相対的な見方を重視するため、孫歌の方をレビューすることにした。 まず、私の竹内に対する評価を示して…

菅原潤「「近代の超克」再考」(2011)

今回は前回の大塚久雄の議論や、日本人論とも関連してくる「近代の超克」をテーマとした著書を検討していく。 近代の超克をテーマとした著書は2000年代以降それなりの数のものがあるようである。背景としては、3.11という事件以降改めて近代に対する問いへの…

大塚久雄の「近代」観に関する試論 その2

大塚のレビューについては続けないつもりでいたものの、せめて著作集の内容くらいは触れておこうと思い、著作集10巻以降の内容も踏まえ、改めて大塚久雄の「近代」観について考察を行ってみる。 前回、深草論文において大塚の議論の転換を70年代に見出せると…

「主体動員論批判」について―中野敏男「大塚久雄と丸山真男」再訪

前回、中野敏男に触れた。中野の著書は私のこの読書記録帳の1冊目のレビューで、当時課題についても提示していたこともあったので、このタイミングで私の回答を行っておきたいと思う。 中野の著書は、「ボランティア動員論」に対する批判を、その背景にある…

大塚久雄の「近代」観に関する試論

今回は大塚久雄の読解から、言説としての「近代」に対する見方について理解を深めていきたい。これまで行っていた進歩的文化人の議論においても谷沢永一(1996)をもってそのルーツであるとされ、中野敏男(1999)をもって市民社会論者の理論的系譜の祖とみなさ…

夏堀睦「創造性と学校」(2005)

今回は前々回デュークのレビューで取り上げた「創造性」の議論に関連して、夏堀の著書を取り上げる。 まず、本書が異色の書であることを押さえておきたい。それは「①ネオリベの立場から書かれた②実証的な著書」という点である。①②それぞれの立場から書かれた…

日本における「競争と選抜」の言説について―西尾幹二を起点にして―

今回は西尾幹二の教育論を検討するのに先立ち、その中心的論点の一つとなっている「競争と選抜」の関する議論を検討したい。この「競争と選抜」の議論は、日本人論が興隆した時期に並行して、70年代後半から80年代にかけて多くの言説が語られたように思える…

ベンジャミン・C・デューク「ジャパニーズ・スクール」(1986)

今回は、日本人論を意識している「外国人研究者から見た日本の教育」に関する著書を取り上げる。 〇「頑張り主義」と「競争」は両立するのか? まずもって本書において気になるのは、日本の教育において共有されていた「精神論」に対してかなり肯定的にとら…

諏訪哲二「学校の終わり」(1993)

今回も前回に引き続き、「進歩的文化人」と「近代/欧米化」の議論との関連性について検討したい。諏訪も苅谷同様、進歩的な勢力に対し「欧米的な近代化」の主体であるとみなす議論を行っている。諏訪は高校教師として教鞭をふるっていたこともあり、現場感…

「進歩的文化人」とは何なのか―竹内洋「革新幻想の戦後史」再訪

前回のレビューで苅谷の指摘した「進歩的知識人」というのは一体どのようなものを想定しているのか、竹内洋が「革新幻想の戦後史」などで述べていた「進歩的文化人」とは違うのではないのか、と指摘した。今回はこの「進歩的文化人」を「革新幻想の戦後史」…

苅谷剛彦「教育と平等」(2009)

前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育社会学の分野から、苅谷剛彦を取り上げる。本書は「大衆教育社会のゆくえ」(1995)に続き、戦後の日本の教育における「平等」観の形成について、主に知識社会…

角田忠信「日本人の脳」(1978)

今回は、日本人論の関連で、角田の著書を取り上げる。 角田の日本人論というのは、恐らくは「最強」の部類だと思われる。通常、日本人論として認められるものというのは、それが「一般的な日本人」について妥当であるかどうかの検証というのが難しく、それ自…

黒崎勲「教育の政治経済学」(2000)

今回から新しいテーマで継続的にレビューを行いたい。私自身が丁度学生時代に研究対象としていた分野にも関連するが、90年代から00年代の教育改革をめぐる議論を読み解いていく。 その中で特に注目していきたいのは、教員組織の自律性、『改善』の意志を持っ…

縫田清二「ユートピアの思想」(2000)

今回は日本人論の関連で、縫田のユートピア論を取り上げる。特に今後取り上げる予定の西尾幹二の議論とも関連するため、特に「理想」と「実態」に対する見方についてを中心に検討したい。 ○「大衆としての日本人」と「代表としての日本人」について(または…

「恵那の教育」中津川市の教育正常化運動の検証―中間考察

今回は前回に引き続き、中津川市の教育正常化運動の考察を行う。 ・小木曽尚寿「先生授業の手を抜かないで 続」(1985)について―丹羽実践の批判から まず、小木曽の自費出版本の2冊目の内容について、丹羽徳子の実践内容を含む恵那の子編集委員会の9冊の編…

「恵那の教育」中津川市の教育正常化運動の検証―中間報告

今回は70年代後半の「恵那の教育」の正常化の議論を検証していくにあたっての中間報告を行う。 この報告は中津川市を中心に私が行った資料収集の結果を、時系列で追う形でまず行う。具体的には映画「夜明けへの道」の発表のあった1976年6月から、当時の中津…

小木曽尚寿「先生、授業の手を抜かないで」(1980)

今回は「恵那の教育」についての検討を行いたい。本書は「坂本地区教育懇談会」の代表である著者が地元中津川の地方新聞「恵陽新聞」(現在は廃刊)に長期連載を行った文章を中心に収録されているようである。本書には1985年に出た続編もあるものの、どちら…

村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎「文明としてのイエ社会」(1979)

今回も日本人論として、大平政権にも影響を与えた著書としても知られる本書を取り上げる。 本書のポイントの一つである多系的発展論の歴史的説明がいかに正しいのかという点は私の能力を超えるため触れないが、欧米的な個人主義や近代化論について一定の批判…

勝野尚行編「教育実践と教育行政」(1972)

本書は、以前レビューした榊編(1980)と同様、名古屋大学の教育学部の関係者により書かれたものである。 前回、榊編でレビューした際に学校教育をめぐる議論においてなされる「専門性」について少し検討したが、本書はまさにその点を詳しく論じていたため、…

中野雅至「公務員バッシングの研究」(2013)

本書は「公務員バッシング」という「現象」について、その発生背景について論じた本らしい。「らしい」としたのは、私自身が本書を偶然図書館で見つけ、タイトル及び分量から期待していた内容とは全く違うものだったからである。もちろん私が期待したのは、…