苅谷剛彦「教育と平等」(2009)

 前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育社会学の分野から、苅谷剛彦を取り上げる。本書は「大衆教育社会のゆくえ」(1995)に続き、戦後の日本の教育における「平等」観の形成について、主に知識社会学的なアプローチから読みといたものである。

 ただ、前著との大きな違いは、本書における「面の平等」と呼ばれる平等観というのは、十分に「相対化」できているという印象を感じる点である。確かに前著においてもこの「相対化」がなかったわけではない。日本と欧米の教育観について、その視点は少なからず存在している。しかし、これまで私が考察してきた「日本人論」的なアプローチからすると、前著における「相対化」というのは、どうしても既存の日本人論の枠組みから十分離れたものとは言い難かった。例えば、<差別>といった言葉の日本と欧米における言語的な意味合いの比較(苅谷1995,p168)や、それに伴う日本の能力別学級編成について考え方への言及(同上,p181)というのは、出典や論拠となるデータが示されていない漠然とした、言ってしまえば「主観的」な比較の域を出ているとは言い難かったように見える。これは仮に裏付けがあろうとなかろうと、俗流の「日本人論」というのはこのような漠然とした議論の積み重ねの上にあることを考えれば、このような論述を避け、実際にどのように行われているか/語られていたのかといった比較のもとでなされなければ、既存の「日本人論」の枠組みから抜け出ることはできないのである。

 しかし、本書においては、この点にも十分配慮がいきわたっていると言えるだろう。一つは、日本の「面の平等」を検討することに先立ち、本書第2章でアメリカにおける「資源配分のテクノロジー」の検討を行った点にある。つまり、教育費をいかなる方法で配分するかの考え方について、アメリカの場合は20世紀に入ってから個性尊重を謳う進歩主義教育運動に平行するかのように教育費配分の考え方として個々の児童(生徒)に教える時間数をベースとした算定方法を行うようになった。これに対し日本の戦後の教育費の考え方というのは、児童・生徒単位ではなく「学級」単位での算定を行うものとして整備されていった。この「学級」を単位とした考え方に「面の平等」の成果の一つが現われていると本書は主張する。もう一つは、この「面の平等」という言葉を敢えて本書で独自に定義したことに含まれる多義的な意味合いについてである。まずもって、この言葉は通常よく使う「個の平等」という言葉に対して、その見えづらさも含めた平等観を示すために用いた言葉であること、そして、それが必ずしも「個」に着眼した平等観ではなかったことを示したものであるといえるだろう。そして、日本人論との関連でより重要なのは、p12-13にあるように「面の平等」というものは「文化論的回答」ではないということである。この意味合いというのは、すでにレビューしたダニエル・フットの言うような制度論的な影響を多分に含んだ擬制的なものだと言うことができるだろう。確かに「面の平等」という考え方において日本人論的な文化的な考え方の影響を受けていない訳ではない。これはp133で参照される文部省の政策担当者の政策意図にも、つまり「生徒時間に基づく算定方法は日本に馴染まない」という言い方にも現われている点である。しかし、無視すべきでないのは、この「学級」をベースにした考え方というのが、制度整備を行った当時の厳しい財政事情のもとで、既存の学校・学級をベースに考えざるを得なかった事情も含め作られたことである(p128)。ここには明らかに文化論的説明だけでは今の「面の平等」の制度設計がなされなかったことを意味するものである。

 本書における「面の平等」は、この教員配置(教育費)の考え方に加え、広域人事の考え方も例として挙げている。つまり、都道府県単位の教員人事異動の活性化も「面の平等」の一側面であると本書はみる。そして、このことの遠因として苅谷は学力テストの影響をみる。へき地をはじめとした学力格差というのは、へき地に対する教育資源の重点的配分(p172-173)だけでなく、教員間の人事異動も多く行うことで、農村で「何となく」教育活動を行う教員の固定化を防ぐような制度運用にも影響を与えたとみている。

 

○「面の平等」についてどう考えればよいか?―その評価について

 

 本書が捉えた「面の平等」というのは、ほとんど「思わざる結果」であったと苅谷はみる(cf.p177)。つまり、このような考え方というのは、決して明確に意識化されないまま、日本の教育資源配分の議論に影響を与え続けていたものと苅谷はみている。P176では中教審答申などで「個性の尊重」「学習の個人化」に向かう方向性が何度と出たが、「面の平等」の考え方に基づき展開していたものはこの「個」に重きを置く枠組みから逃れることができたと述べる。これは「面の平等」が「無意識的」な政策であったため生き残れたともいえるだろう。

 しかし、この状況は決して楽観できない。苅谷自身もP267で、2004年から導入された「総額裁量制」が「面の平等」の考え方を変える可能性について言及しているが、特に80年代以降、初等教育予算総額の伸びが停滞し(cf.p152)、「40人学級」の考え方が固定化し「35人学級」が達成されなくなったことの一因は、この「面の平等」に対する間接的な攻撃であったことを無視できないだろう。特に財務省財政制度等審議会)がこの「総額裁量制」導入の説明にあたり、「児童一人あたりの予算」がOECD諸国の中では決して下位に位置していないこと、それを根拠に教育資源投入の「量的拡大」に対して否定的な論調を強調していることは無視できない(cf.https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/report/zaiseia160517/zaiseia160517a.htm#hajime4)。つまり、「面の平等」を体現する現行の資源配分の制度とは別の論理から、別の制度提言を行うなどをすることを通じて、「個の平等」を強調する「児童一人あたり」という考え方が制度全体に与える影響を無視できないということである。この検証は別途行われなければならないものと思うが、私自身は本書が語るようなニュアンスよりはかなり悲観的に現状の「面の平等」の衰退の可能性を考えている(※1)。

 またもう一点「面の平等」の関連で気になるのは、教育改革の議論における「平等」をめぐる議論においては、この「面の平等」の側面は無視されていると苅谷が指摘することである。この面の平等は思想として取り出す場合、「均質的な空間と均質的な時間の創出を通じて、「平等」な資源配分の基盤とみな」すものである(p241)。より具体的には、柳治男の「<学級>の歴史学」(2005)を参照しながら、学級という集団単位が教育実践や教育活動において「自明視された空間」として位置づけられていた(p254)。

 しかし、このような「面の平等」の文化的側面(=日本人論的側面)というのは90年~00年代の教育改革をめぐる議論において、具体的に焦点化されていたかどうかは疑問である。むしろそれは苅谷の言うように、「結果の平等」という均一的な学校批判として捉えられ、それが学校選択など、市場原理に任せた教育制度への転換といった論調に傾いていた(p262)。この改革側の主張も元は「日本的なもの」の是正にあったはずだが、改革側の目線から、「面の平等」に対する改善要求という可能性も、本書による「意識化」を介してあってもよいのではないのかと素朴に思う。つまり、このような空間的均一性は「学級」に対する捉え方の問題であり、この学級に対する考え方を根本的に改善することが、日本的な問題の解決になりえる可能性になるのではないのか、という見方がありえるということである。このことについては、また今後別のレビューで取り上げたいと思う。

 

○革新勢力と教育改革の関係性についてどう考えるか?

 

 最後に、本書p271の言及について考えたい。画一的な教育批判、多様性や個性を尊重する教育というのは、戦後からの系譜である「進歩的知識人」の考え方と同じであるとする点である。私自身、この主張にはかなり違和感をもった。まずこの「進歩的知識人」というのは、竹内洋のレビューでも検討した「進歩的文化人」と同じものだとして考えよう。おそらく苅谷も竹内の「革新幻想の戦後史」などを念頭においた主張だったのではないかと思う。

 確かにこの「進歩的知識人」について、松下圭一をさすものであるなら正しいというしかない。すでに松下の言説については精査したところだが、松下の主張はネオリベ言説と奇妙な共犯関係をもち、ネオリベ言説を強化することに一役買っていたのは確かである。 

 しかし他方で私自身、松下圭一の位置付けというのはかなりイレギュラーなものだったのではないのかと考えている。松下自身は早い段階で(70年代に)革新勢力には見切りをつけ、ある意味独自路線の下で言説を展開した人物だと感じているからである。その意味で俗に言う「進歩的文化人」とは別の勢力の者だとも思うのである。竹内の議論からは確かに苅谷の言うのと似た結論(つまり、革新勢力の「エゴイズム」が衰退要因となったように、個の強調がなされていたという見方)は導けるが、私は竹内のこの主張にまず懐疑的であるし、苅谷も独自にこの問題について見解を持っているかは本書から読み取れないのであった。ただ、この点は「教育改革」について読み解く上では非常に重要な論点になりうる部分であると感じる。今後この点については検証していきたいと思う。

 

※1 本書は「大衆教育社会のゆくえ」と合わせて三部作にするという構想があるようだが(p286)、3作目はこのような「大衆教育社会の衰退」の局面について検証するような内容になるのではなかろうかと予想している。いずれにせよ3作目の内容には期待したい所である。

 

<読書ノート>

P10-11「一つは、なぜ、日本の教育論議が、二分法的・二項対立的な図式にはまりやすいのかという問題への解答である。詰め込み教育「対」ゆとり教育の論争や、中央集権「対」地方分権の議論、あるいは教育の国家統制「対」教育の国民権の論争を思い出すまでもなく、私たちが教育を論じるスタイルの典型として、「白か黒か」をめぐる議論がある。……どうしてそうなってしまうのかの分析を行なっていくのだが、本書を通じて副次的に明らかになることの一つは、こうした教育の論じ方の限界がなぜ生じたのかという問題である。」

P12「(※戦後の教育に含まれる両価性に)目が届かなくなる理由は、まさに神話にとらわれていて、「歴史を自然に移行させ」てしまっているからなのだが、そうなるまでの「歴史」を明らかにすることで、私たちは安易な二分方的発想が、なぜかくも教育論議を通じて繰り返されてきたのかを理解することができるようになるだろう。」

※藤田の文明論的ストーリーと同じ。

P12-13「こうした問題群に対して、本書では「個の平等」に対し「面の平等」という形で実現されていく戦後日本の平等のあり方・でき方を提示する。個と面という二分法を用いると、すぐさま、日本的な集団主義を思い浮かべ、そうした視点からのありきたりの答えが用意されると思われるかもしれない。しかし、本書が試みるのは、そのようによくある文化論的な解答ではない。その違いを際立たせるために少しだけ議論を先取りして言えば、個人間の差異を前提にした「個の平等」を求めながらも、結果的にはそうはならなかった歴史的な制約に目を向けるのである。」

 

P40-42「このように見ると、教育の標準化を進めた背景が明らかとなる。たしかに日教組が批判したように、そこには五五年体制のもとでの政治的対立の影響がなかったわけではない。しかし、こうした調査を通して明らかとなった教育の実態を目の前に置いたとき、はたして「白黒」はそれほどはっきりしていたと言えるのか。少なくともこうした調査が教育の実態をある程度反映していたと見るかぎり、「教育の機会均等の趣旨の実現のためにも、適切なへき地教育振興策の必要を痛感せられる」と指摘した報告書が、どれだけ「民主教育」からに逸脱や反動であったのか。この問題は、それほど自明なことではない。」

※「「白と黒」、「天と地」ほどの差異があると見なされた二つの指導要領の考え方の違いは、なるほど、戦後教育史の通説にしたがえば、鋭い対立をあらわにしたものだった。そして、五八年改訂の動きに対しては、「逆コース」、国家統制の強化、「新教育」から詰め込み教育への転換といわれ、否定的な評価が主流だった。」(p28)

P50「このように、政治における五五年体制の成立以前、左右対立の時代以前の段階では、教育の実態だけに限ってみれば、教育環境の劣悪さや、そのもとで理想主義的なアメリカ流の「新しい教育方法」を実施することの困難さの認識の点で、日教組も文部省も選ぶところはなかった。しかも、いずれの陣営も、経済力の差と結びついた教育条件の差異が学力の格差を生み出している重要な原因であるという問題設定においては共通していた。言い換えれば、教育条件の不整備という文脈の上に、教育課程や教育方法の問題点を位置づけてみると、両者の間には、一九五八年の学習指導要領の改訂時に見られたような大きな問題認識の差異はなかったのである。」

 

p81 「このように、州政府による教育補助を通じて、地域間の教育格差の是正を教育財政の配分によって行なう主張が二〇世紀初頭のアメリカに登場する。これらの主張はたんに政治的な意思表明として説かれたわけではなかった。戦後の日本でしばしば見られた、「あるべき教育」の理想を語りそこから現実を批判する「教育論」とは異なり、教育財政の実態を調査した上で、望ましい教育財政の在り方を主張するというスタンスが採られていた。」

p100 「州政府や連邦政府による補助を通じた教育費の平等化の議論が盛んになっていったにもかかわらず、アメリカには、その実現を拒む大きな力が働いてもいたからである。政府による教育の統制を忌避する地方自治の伝統である。」

※ある意味で戦後の国庫負担問題も同じような地方自治観を共有しているともいえないだろうか??

P102「州政府による教育への統制を嫌うという価値を上位におけば、公教育の費用負担は地域に任されたままである。その結果、著しい教育費の格差が生じ、それが教育の不平等をもたらす。統制の忌避=自由を優先させることで、平等が犠牲になる結果を招来するのは、教育費を誰が負担するのかという問題が、すぐれて価値選択の問題と結びついているからである。」

 

P134-135「さらにいえば、これは鶏と卵の関係に似て、どちらが先にあったか明確にいえないところだが、日本の場合には、「等量、等質の教育の提供」をもって「教育機会の均等」と見なす。一定の教育機会均等観がそこに反映していたという見方もできる。これは、第二章で見たアメリカの算定方式にならえば、個別学習を可能にする「生徒時間」の考え方と必ずしも同じものとはいえない。アメリカの算定方式にならえば、個別学習を可能にする「生徒時間」の考え方を背景においているから、極端に言えば、「非等量、非等質の教育の提供」こそが、それぞれ個々の生徒のニーズに応じて「教育の機会均等」を実現するための「財政的裏付け」=教員数の算出方法≒教育の人件費の算出方法となりうるのである。

アメリカでは「出席生徒数や教員の実員数といった単位から生徒時間へ」コストの考え方が変化した(p91)。これは「学習の個人化」の流れを汲んだものであった。

P126-127「しかし、他の先進国では、この当時も現在も、生徒時間のようなユニットコストをもとに算出された生徒一人あたりの費用を計算し、生徒数に応じて教育費を配分する仕組みが取られている。学級定員の上限を決め、そこからコストを計算する日本のやり方は例外的なのである。」

P127「「パーヘッドの世界」と「標準法の世界」とは、平等の考え方の根本において、大きく異なる原理に立つ。一方は「個人」を単位に資源配分の平等を考える原理に立ち、他方は、学級や地域といった集団的・空間的な集合体を単位に資源配分の平等を考える(=「面の平等」)。」

※ただし、この思想は「厳しい財政事情のもとで、現状追認的に、今ある学校数、学級数の数を考慮に入れて」教育費を算定した結果であったという(p128)。他方で、「わが国のように、学級を固定化し、しかも、同学年編成でなければならないという考え方にたつ限り、このような(※生徒時間に基づく)教員算定方法は馴染まない」と言う言明が当時の文部省の佐藤三樹太郎によりされている(p133)。

 

P152義務教育費の伸びについて経年比較

※一人当たりの教育費は増加しているが、全体は80年頃をピークに減少。

P156−157 「このことは、一九六五年以後、財政力の弱い県ほど、小学生一人あたりの教育費支出がしだいに増えていくという関係に転じ、しかもその傾向は強まっていったことを意味する。平たく言えば、財政力の弱い貧しい地域ほど、小学生の教育により多くのお金をかけるという、ある意味「累進的な」関係が強化されていったということである。」

P176-177「中央教育審議会の各種答申や学習指導要領の度重なる改訂を通じて、教育における個性の尊重や学習の個人化に向かう方向性が何度となく出されても、教育資源の配分の仕組み自体は、過去からの慣性から逃れることはなかった。しかも、こうした仕組みを暗黙裡に残したからこそ、大きな資源配分の構造を枠づけている慣性にしたがっていけば、逆進的な教育資源の配分の仕組みを、累進的な仕組みへと、スムーズに変えていくことができたのである。」

※しかし、これは正しいようで正しくない。結局改善されていたはずの「一学級あたりの定員」の減がストップしているからである。そしてその抑制の論理の一つとして財務省の主張そのものとなっているからである。

 

P214「いや、別の見方をすれば、教育の標準化が着々と進められていた時代を背景におけば、このような悉皆による全国学力調査を実施すること自体が、教育の標準化をもう一段推し進める教育施策だったということもできる。全国一斉学力調査が提供する学力の全国平均という尺度を与えられ、テストの得点と関連すると考えられた教育条件のいくつかが数量化になじむ形で提示される。これら標準化された基準を参照点にして、「教育条件」の改善や「学力の向上を図る」施策が、それぞれの地域や学校で始まることになるからである。」

P215-216「ここに示されているように、日教組に代表される反対派は、文部省が掲げた全国学力調査の目的(※学習指導の改善や、教育条件整備の資料とすること)は、調査の真のねらいを示したものではないと見ていた。本当のねらいは、「経済政策上の労働力配置のための、生徒のふるい分けの資料」にすることだというのである。」

※「学力テスト反対派の主張も、教育条件の改善が必要なことは認めていたが、それはこうした調査によらずとも可能になると見ていた。」(p216)

P220「日教組もまた、「文部省は整備改善の仕事をなまけている」と見ていたのであり、その改善を、教育の標準化を通じて行なうこと自体には、六〇、七〇年代を通じて学力テスト反対論ほどの激しい反対意見や反対運動があったわけではない。露骨にテスト得点の向上だけを目指すような教育に対してはともかく、それぞれの地域で、「教育条件」の改善や授業改善を通じて「学力の向上を図る」ことに反対論が唱えられたわけではないのである。

その結果、表面的には激しい対立や衝突があったにもかかわらず、その底流では、国=文部省が直接手を下さなくとも、教育の標準化のための枠組みと財源さえ準備すれば、それぞれの地域がそれぞれの範域内で面の平等を求めて行動するようになる環境をつくり出すことにつながった。前章でみた広域人事への取り組みはその一例である。」

※いくつか事例を示しつつ、「一九六〇年代を通じてそれぞれの県で、人事交流や広域人事の仕組みが整えられていった」とする(p198)。

 

P235「同じ指標と二〇〇七年の学力テストの平均正答率との相関関係を示したのが、表5-8である。先ほどの一九六二年の結果とは大きな違いが見られる。県の財政力や一人あたり県民所得と、テストの正答率との間には、ほとんど優位な相関関係が見られない。財政面や経済面で見た県の豊かさと学力テストとの関係がほとんど消えているのである。それに対し、生活保護世帯の比率は、〇七年でも同様に、負の相関関係を示している。つまり、県全体の豊かさと学力との関係はほとんどなくなったのだが、貧しい世帯比率の高い県ほどテストの得点が低くなるという傾向は四十数年を隔てて残っているのである。」

P239「標準法の世界が誕生したからといって、それですぐに教育条件の均質化が達成されたわけではない。教育費の配分が、累進劇な構造へと変わるのは、小学校の場合でも一九六五年以後であった。広域人事の仕組みが取り入れられるのも、六〇年代に入ってからである。」

※この累進的な構造というのは、一学級あたりの児童数の改善や複式学級に対する改善、加配職員の考え方の見直しなどの影響があると見ている(p170、具体的内容はp172-173)。

 

P248−249 「共通の尺度をあてはめることによって明らかとなる「劣悪な教育条件」を取り出す場合、あくまでも是正の対象となるのは、個人を取り巻く「面」としての教育条件であり、個人そのものへの介入ではなかった。言い換えれば、「面の平等」とは、個人の差異を際立たせないようにしつつ、あるいは、差異が表面化した場合でも極力それを前提とした「異なる処遇」を避けつつ、間接的に「劣悪な教育条件」のもとにある不利な個人を救済するという手段であった。」

P256「ただし、ここであまり村落共同体とのアナロジーを強調しすぎると、日本文化論的な説明に陥ってしまう。むしろ私たちが目を向けるべきは、すでに第二章や第四章で明らかにした、戦前期の日本の教育の貧弱なほどのインフラストラクチャーである。」

※苅谷の立場は安易に文化論によりかかるよりは、後発効果的な、「遅れて始まった「近代」に根ざした教育の伝統」とみる立場(p257)。

p261—262 「こうした標準化の試みは、「機会の平等」をめざす政策であった。本書が明らかにしてきたのは、まさにこの点である。しかし、処遇の均質化にまでそれが及び、画一的な教育をもたらしたことで、それは「(行き過ぎた)結果の平等」と誤読された。それゆえ、「結果の平等」を是正し、「機会の平等」を実現するためには、学校選択など、市場原理に任せた教育制度に転換しなければならないといった主張を生み出すに至った。その実、言葉の正しい意味での教育の結果の不平等は不問にされたまま、戦後日本の教育が機会の平等として推し進めてきた制度を大きく変えることが、「機会の平等」の実現だと誤解されたのである。」

 

P271「しかも、こうした教育批判は、自立した個人の形成を長年望んできた戦後知識人の願望とも共鳴するものであった。戦後日本において、教育界を含む「進歩的知識人」の多くは、日本社会の後進性や前近代性を憂い、西欧的な近代社会へと変えるためには、自立した個人の形成が必要だと考えた。それゆえ、教育の議論においても、自立した個人を育てることに価値が置かれた。それを反転したのが、教育への国家統制批判であり、画一教育批判であった。」

※一見この主張は、安易なネオリベ批判言説を踏まえると妥当ではないかのようにも見える。そのような言説はむしろ進歩的文化人にも批判的であったように思えるからだ。しかし、松下圭一のようなアクターの存在を想定した場合、確かに俗流ネオリベ勢力と、ここでいう「進歩的文化人」の類の論者の主張は共犯関係にある。「とりわけ、戦後の進歩的知識人にとって、日本の「後進性」や「前近代性」(さらにいえば、「敗戦」と窮乏化)というトラウマがあった。それらを背景に置くことによって、「近代」をつくり上げることへの憧れが、個人主義の礼賛を後押しした。」(p272)

P279「「個の抑圧」というネガティブな部分の見えやすさゆえに、日本社会論や日本人論でお定まりの批判的言説が、教育に振り向けられる。そうしてこの〈システム〉を変えようとする議論がたびたび登場することになるのだが、その批判が、因果関係の究明において、どれだけ正しい認識に立っているかはほとんど問われない。そこでターゲットとなる個性にしても、創造性にしても、個の自立にしても、分権化された教育にしても、同様である。」