文部省教学局「国体の本義・臣民の道」(2018)

 今回は近代の超克の議論との関連で、呉PASS出版から発行された著書を手に取った。

 前回までこの近代の超克の議論を考察してきたものの、「結局この近代の超克をめぐる当時の議論はどのようなものが優勢だったのか」については、これらを検討した著書から見出すことができず(それは結局文学界の『近代の超克』座談会の周辺の議論以上の何ものにもならない)、「近代」をめぐる問いについての受容がいかになされていたのかを検討してみたいと思った。そこで文部省から発行された、ある意味で「公式」の近代理解について如何なるものだったのかを読み解いてみた。

 このことに関する結論の一つ、は読書ノートを見てもらってもわかると思うが、「国体の本義」についてはこれに関連する引用が多く見出せるのに対して、「臣民の道」についてはほとんど見るべきものがなかった。先に主観的な印象を述べれば、「国体の本義」については、それなりに(思っていた以上に)近代について、それを日本的なものや、欧米との対比の中で細かく語っているのに対し、「臣民の道」はそのような視点が弱く、啓蒙主義的に反個人主義全体主義的は主体を鼓舞することに重点を置いているように見える。

 

○「国体の本義」(1937)と「臣民の道」(1941)の比較について

 さて、この主観的見解について、どのような具体的説明が可能か。

 まず、一つ指標となりそうなのが、両書における「引用」である。両書においては「古事記」や「日本書紀」以降の引用を通じて、過去の天皇や偉人がいかに語ったかについての引用を行いつつ、いかに日本が優れた国家なのかについて語る。両著書における引用数について調べた結果、「国体の本義」は全141ページ中81の引用(計205行)があり、「臣民の道」は全70ページ中50の引用(計111行)があった。「臣民の道」の著書としての分量はほぼ「国体の本義」の半分であるが、引用数はやはり比較的多い印象がある。正直な所、このような引用は「近代」観について直接語るような性質のものではなく、日本的であることを性質づけるための根拠として用いられるものでしかないため、それは近代に対する考察を深める手段にはならないのである。

 また、「臣民の道」は「国体の本義」と比べ、欧米諸国に対する対立構造をかなり明確に打ち出していることも特徴である。日独伊三国同盟は1940年に結ばれているが、同盟国と非同盟国の区別がこの前後で明確になったことの現れとみるのが自然だろう。合わせて、「国体の本義」では個人主義を中心に自由主義に対する批判を行っていたものの、「臣民の道」では、これに加え、功利主義・唯物主義も近代的なものに対する批判のキーワードとなっている。唯物主義批判の経緯をどう考えるのかはわからないが、功利主義批判については、やはり倹約に対する強化と無関係ということが難しいだろう。

 

○近代の超克論として読む「国体の本義」

 P132-133の引用で一箇所「超克」という言葉が用いられているが、やはり本書は「近代の超克」論の重要な系譜の一つに位置付けることができるだろう。その際に否定の対象とされたのは、p139-140にあるように、それを「個人主義」に帰着させ、個人主義的発想に立っている西洋文明であり、それに対峙できる日本の文明・ないし文化を色濃く描写しようとするのが本書の特徴である。

 とりわけ日本的な宗教観は対立的に描かれる西洋宗教とは異なり和が見られること(p49-50)、そして個人主義的な西洋思想は結局主従関係に議論が帰着せざるをえず、『適切な意味での没我』が達成できない、という指摘は興味深い(p90-91)。これは階級闘争的な関係性で社会批判を行ったマルクス主義への批判をも意味しているが、結局マルクス主義的な見方においても個人主義が支配的であるから、対立構造からしか社会を捉えることができないこと、そのこと自体に批判の目が向けられているのである。これに対して日本はこのような態度を超克するだけの「国体」があるとし、これこそ国際平和に寄与する思想であることを強調するのである。この「国体」が優れている根拠の一つとして、対外的な文化を積極的に取り入れ、それを醇化してきた事実が挙げられ、そのような多様な背景の文化を日本は包摂することができていること自体が西洋より優れた根拠として本書で主張されるのである。このようなレトリックが「国体の本義」で用いられていること自体にまず注目すべきである。

 

 しかし、本書において一点奇妙に感じるのが、「資本主義」に対する評価を全く与えていないことである。共産主義に対して否定的な見方を行っているにも関わらず、近代的なるものと密接に関わっているように思える「資本主義」という言葉自体が本書で一言も触れられていないという事実自体が奇妙であると考えるべきではないか。当時の文脈も踏まえつつ、何故「国体の本義」では資本主義について何も語られなかったのかを考察することはそれなりに有意義な議論になるように思う。これは同時に「個人主義」と「資本主義」をいかなる関係で考えるべきなのか、又はどのように考えられていたのかという点と、「資本主義」的であることについてどのような評価が与えられていたのかを問うということを意味する。意図的に「資本主義」について語ろうとしなかった(資本主義について語ることで不都合な問題が出てくる)結果なのか、それとも「資本主義」という枠組みで近代を考える思考が当時乏しかったからなのか…。

 

 また、本書を近代の超克論として考える場合、超克をめぐる主張(国体論)と実態とのズレについてどう考えるのかは、精査されねばならない点である。具体的・端的に言うならば、「武」に関する考え方(p48)は日本の西洋との違いとして実態を伴っていたのか、という問いである。これは特に本書が当為論的な議論を行っている性質を持っていることを踏まえると問題は深い。日本における西洋的な悪影響というのを現状除去できているという認識に少なくとも「国体の本義」では立てていないことを認めなければならない(p5)。このような状況下においては、仮に日本的な「武」が西洋的な「武」と異なっていることが真であったとしても、西洋的な悪影響を受けている実態があるために、日本的な「武」が遂行できている保証は何一つないのである。言い換えれば、いくら「近代の超克」について本書で日本の国体の正当性が語られていたとしても、そのことは実態がどうなっているかとは無関係というしかないのである。

 これを回避するためには、理想と実態とのズレは存在しないことを強調するほかないのである。そして、本書においても、上記のような致命的な矛盾を回避するため、本質的な「国体」をめぐる議論をやたらと強調し、実態を隠蔽し、あたかも現状においても理想とのズレがないかのように語ろうとする論調が併存することになる。「臣民の道」に関しては、よりこの矛盾を回避するために、西洋諸国との対立図式の方をことさら強調しているとさえ言えるのではなかろうか。実に典型的な「真の問題」を隠蔽するため別の「二項図式」を導入するというレトリックがここでは用いられているといえる。本書を読む価値があるのは、このような矛盾が露骨にそのまま表現されている所にあるといえるだろう。

 

○「日本人論」として読む「国体の本義」――「ユニークな日本人論」の聖典としての位置付けについて

 日本人論の議論の一つとして、「日本人は日本をユニークなものとして描こうとする」という言説が存在する。すでにレビューを行った杉本良夫とロス・マオア(1981)の際にもこの点を考察したが、改めて触れておきたい。少なくとも、この「ユニークな日本人論」は海外の日本の研究者にとってほとんど通説的な見解となっていると言えるだろう。いくつか引用しよう。

 

「すべての国はユニークだ。すべての個人がユニークなのと同じく、生まれたときは瓜二つの一卵性双生児でさえ、ちがう人生を歩み、それぞれがユニークな人間になる。

しかし、日本がユニークだという日本人自身の信念は、それ以上のことを主張する。国々の互いのちがい以上に日本はほかの国とちがっているーーつまり、ユニークさにかけてもまた一段とユニークだと言うのである。日本はみずからをアウトサイダーだと信じている。日本は、先ほど論じた大いなる国民の調和といったような、ほかのいかなる国にもない天恵を受けていると思っている。」(カレル・ヴァン・ウォルフェン「人間を幸福にしない日本というシステム」1994、p262)

 

 

「日本人が自らその社会をどう認識しているかを考える際、日本人には社会と自分たち自身をユニークだととらえる傾向が強いことに触れなければ、考察は不完全なものに終わる。最近数年間、いわゆる日本人論を扱った本や評論の出版は、家内工業が繁盛しているかのようである。次から次と出版されるものの多くは決して質の高いものではない。そのうち最も優れたものも、比較に関心を向ける者をいらだたせたり、激怒させたりするように仕掛けられている。日本的な「考え方」が特殊だとか、他の国民と程度を異にするというのではなく、むしろ、他の国民と全然異なっているということが論じられているからである。この視点が持つ性格を最も明確に要約するのは、日本人の合理性もしくは合理性の欠如に関する議論である。」(ロバート・スミス「日本社会」1983=1995、p158) 

 

「日本人は自分たちがユニークな国民であることを強調している。ときには「類のないほどユニーク」とさえ表現している。日本がユニークであるという発想には、長い歴史がある。アメリカ人と同じように、日本人も他の国の人々とはかけ離れた存在である。本書の巻末資料にも明らかなように、価値観と行動に関する調査結果では、日米は両極端にある。日本が最も集団志向型の社会であるとすると、アメリカは最も個人主義的な国である。」(シーモア・M・リプセット「アメリカ例外論」1996=1999、p32)

 

 私自身、杉本・マオアのレビューの際には、この通説に対し、否定的な見解を述べた。これは、戦後の日本人が語る「日本人論」においては、とてもそのような語りを行っているようには見えなかったからだ。だが、「国体の本義」を読んだあとだと、この通説を支持しなければならないという見方をせざるをえないと感じた。私がこれまで読んできた「日本人論」の中で、ここまで日本をユニークに語ろうとしていた著作には出会ったことはなかった。他方で、海外の日本人論研究というのが、このような戦中期における言説の延長線上で語られているという可能性にも目を向けることができるだろう。戦後の「日本人論」は、それ以前の「日本人論」にも影響を受けながら、そこに「海外の目線」が含まれることで複雑に関連していく。「国体の本義」はまさに没落的な西洋文明に対する解決策としての「日本」を描写する装置として機能している。それは西洋から見れば、どう考えても「ユニーク」なものの産物であり、そのような社会を目指そうとした日本人は、総じて「ユニークさを語る主体」としての地位を獲得するのである。これには本書が国民にとっての「聖典」としての位置付けが期待されているものと呼んで差支えない以上、反論の余地がないのである。

 

 また、この議論とは別に、「国体の本義」で描かれる現状の日本とあるべき日本論との距離感についても注目すべきだろう。このズレについて語るとき、現状に対する改善要求としてそれを語らなければならないが、それは当然のごとく実現するものであることが同時に語られなければならない所に、当時の国体論の特徴がある。通常の日本人論はここに差異を設けていないが、「国体の本義」ではこれを認めるところからはじめなければならないのである。この改善点を西洋的な「異分子=個人主義」に見出し、この除去を目指すことが強調される形で先述した実態の隠蔽がなされているという見方も可能であろう。

 

(2021年8月8日追記)

○「国体の本義」と座談会『近代の超克』との「近代観」に関する異同について

 さて、主題となるべき論点について触れるのを忘れていたため、追記しておく。前回まで検討を行ってきた座談会『近代の超克』と「国体の本義」における「近代の超克」観の違いについてである。

 まず、同じ問題意識として指摘できるのは、現状の日本に中途半端な西洋文明の弊害が存在しているという指摘である。しかし、問題なのは、この問題意識の程度である。座談会『近代の超克』においては、この影響力を相当強いものと捉えているが故に、「国体の本義」とのスタンスが致命的に異なることになっているのである。

 これは「京都学派」「文学界」のどちらの立場から見ても明らかである。まず、「京都学派」的な「近代の超克」とは、それ自体西欧的な近代の超克の問題とほとんど同じものであった。これは「国体の本義」で扱っていたような、「国体」自体から問題を捉えるという視点がそもそも有効でないという前提に立たないと適用される立場ではない。日本の問題が西洋の問題と同一視されるのは、結局、その西洋の問題こそが大きな問題なのであり、その解決を図ることこそが日本における「近代の超克」でもある、というのが基本的な論理となる。

 そして、「文学界」側からも、林房雄三好達治によって、具体名こそ挙げられていないものの、明らかに「国体の本義」等の官の立場から出された「近代の超克」論に対する批判がなされている。引用しよう。

 

「林 記紀、万葉その他の古文献の文部省的釈義によつて、日本人が出来るなどと思つてそんなことをやつてゐる連中に、お前らは苦労したかといいたい。万葉、記紀その他の古文献以外に、一体お前らは何を識つてゐるか、真剣に近代といふものを通つて来たかとさへ反問したいね。四十になつて初めて記紀、万葉その他の古文献が解る連中が沢山出来て来たといふそのことは、大きな将来に対する力だと思ふんです。

三好 それァ僕も希望的に考へるのだ、だから現在、その指導的枢要の位置にある当路の役所などから出てゐる出版物が、牽強付会だつたり独創力に欠けてゐたりするのは迷惑だと思ふのです。あれを一つ問題にしたいね。ああいふ書物は非常に科学的に詳しく論じてあるやうに見えて、実はちつとも科学的ではない。彼らが口癖のように雄大とか荘厳とかいつてゐることは、もつと違つた風に、僕らには美しくも又微妙にも考へられるのだが。僕らにはただ読者の側からしていふのだが、少くともあの人達が簡単に解釈してゐる程度では、とても納得が出来ないね。……

林 その古典が直ぐ諸学生に解るものでなくてもいい。又四十になつて古典を始める、さういふ国柄が本当の国家だと思ふ。日本はさういふ国柄だと思ふのです。

三好 僕はさういふ国柄でちつとも差支へないと思ふ。ただ現今の考へ方は、さういふ古典の中から日本精神を探し出して、さしづめこの時局に応用しようとする、さういう目の先の意図が非常に浅薄に見え透いてゐて、その爲に古典の読み方、解釈の仕方が甚だ軽率で、不十分で、また時には非合理的なんだ。さういふ点をやはり我々は指摘しなければならないと思ふのだ。

諸井 非常に賛成だな。」(河上徹太郎編「近代の超克-知的協力会議」1943,p293-295)

 

 ここで林は官僚批判の一種として官が出版する古典解釈についての批判を行っている。また、林は「日本には外国の影響を断固として受けない部分がある」ことこそ支持する態度を示すが(河上編1943,p292)、これもまた「国体の本義」に反する態度である。この座談会自体はすでに「臣民の道」発行後の議論であることも踏まえると、私としても「近代について真面目に考えようとしていない」という批判には賛同せざるをえないが、言い換えれば、『近代の超克』座談会と、官の側から示された「近代の超克」の態度が対話不可能なレベルで乖離していたことも意味するのである。

 ここまで乖離が大きいと最初の関心であった「公の立場からの出版物=一般的な解釈」という前提にも疑義を与えなければならないだろうか。

 

<読書ノート>

P2「即ち國體の本義は、動もすれば透徹せず、學問・教育・政治・經濟その他國民生活の各方面に幾多の抉陥を有し、伸びんとする力と混亂の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕を併せつつみ、ここに種々の困難な問題を生じている。今や我が國は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで發展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の眞相を把握し、據つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、

現今我が國の思想上・社會上に諸弊は、明治以降に餘りにも急激に多種多様な歐米の文物・制度・學術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨き、嚴正な批判を缺き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。」

P2-3「抑々我が國に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を缼いた合理主義であり、實證主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て國家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。從つてそこには歴史的全體より孤立して、抽象化せられた個々獨立の人間とその集合とが重視せられる。かかる世界觀・人生觀を基とする政治學説・社會學説・道徳學説・教育學説等が、一方に於て我が國の諸種の改革に貢獻すると共に、他方に於て深く廣くその影響を我が國本来の思想・文化に與えた。」

 

P3-4「かくて歐化主義と國粹保存主義との對立を來し、思想は混迷に陥り、國民は、内、傳統に從ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに明治二十三年「教育に關スル勅語」の渙發せられるに至つて、國民は皇祖皇宗の肇國樹徳の聖業とその履踐すべき大道とを覺り、ここに進むべき確たる方向を見出した。然るに歐米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この國體に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。」

※この流行が「國體に關する根本的自覺を喚起するに至つた」とする(p4)。

P4-5「抑々社会主義無政府主義共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その發現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする歐米に於ても、共産主義に對しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全體主義・國民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、歐米に於ても我が國に於ても、等しく思想上・社會上の混亂と轉換との時期を將來してゐるといふことは出來る。久しく個人主義の下にその社會・國家に關する限り、眞に我が國獨自に立場に還り、萬古不易の國體を闡明し、一切の追随を排して、よく本來の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々歐米文化の攝取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聰明にして宏量なる新日本を建設すべきである。」

P5「即ち今日我が國民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混亂は、我等國民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、眞に我が國體の本義を體得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、獨り我が國のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。ここに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「國體の本義」を編纂して、肇國の由來を詳かにし、その大精神を闡明すると共に、國體の國史に顯現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て國民の自覺と努力とを促す所以である。」

 

※以下旧字体をそのまま表記することを改めているのをご容赦願いたい。

P33-34「天皇と臣民の關係を、單に支配服従・權利義務の如き相對的關係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを對等な人格關係と見る合理主義的考へ方である。個人は、その發生の根本たる國家・歴史に連なる存在であつて、本來それと一體をなしてゐる。然るにこの一體より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に國家へ考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。

 我が國になつては、伊奘諾ノ尊・伊奘冉ノ尊二尊は自然と神々との祖神であり、天皇は二尊より生まれました皇祖の神裔であらせられる。皇祖と天皇とは御親子の関係であらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務関係よりも更に根本的な本質関係であつて、ここに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国の君臣の関係は、没人格的な関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした孝、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。我が君臣の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一に関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。」

P34-35「かくて敬神祟祖と忠の道とは全くその本を一にし、本来相離れぬ道である。かかる一致は独り我が国に於てのみ見られるのであつて、ここにも我が国体の尊き所以がある。」

 

P44-45「支那の如きも孝道を重んじて、孝は百行の本といひ、又引度に於ても父母の思を説いてゐるが、その孝道は、国に連なり、国を基とするものではない。孝は東洋道徳の特色であるが、それが更に忠と一つとなるところに、我が国の道徳の特色があり、世界にその類例を見ないものとなつてゐる。従つてその根本の要点を失つたものは、我が国の孝道ではあり得ない。」

※孝は次のように定義付けられる。「我が国に於ては、孝は極めて大切な道である。孝は家を地盤として発生するが、これを大にしては国を以てその根底とする。孝は、直接には親に対するものであるが、更に天皇に対し奉る関係において、忠のなかに成り立つ。」(p40)「我が国の孝は、人倫自然の関係を更に高めて、よく国体に合致するところに真の特色が存する。我が国は一大家族国家であつて、皇室は臣民の宗家にましまし、国家生活の中心であらせられる。」(p43)

P31「我等臣民は、西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる。君民の関係は、主と対立する人民とか、人民先づあつて、その人民の発展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き関係ではない。」

※ユニークな日本人論の一つの完成形ともいえる。

 

P47「個人主義に於いては、この矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存在しない。即ち個人主義の社会は万人の万人に対する闘争であり、歴史はすべて階級闘争の歴史ともならう。かかる社会における社会形態・政治組織及びその理論的表現たる社会学説・政治学説・国家学説等は、和を以て根本の道とする我が国のそれとは本質的に相違する。我が国の思想・学問が西洋諸国のそれと根本的に異なる所以は、実にここに存する。」

マルクス主義の影響が強い。

P48「又これ(※和)によつて、個性は称々伸長せられ、特質は美しきを致し、而も同時に全体の発展高昌を斉すのである。実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、溌刺としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。」

P48「我が国は尚武の国であつて、神社には荒魂を祀る神殿のあるのもある。……併し、この武は決して武そのもののためではなく、和のための武であつて、所謂神武である。我が武の精神は、殺人を目的とせずして活人を眼目としている。」

P49-50「更に我が国に於ては、神と人との和が見られる。これを西洋諸国の神人関係と比較する時は、そこに大なる差異を見出す。西洋の神話に現れた、神による追放、神による処罰、厳酷なる制裁の如きは、我が国の語事とは大いに相違するのであつて、ここに我が国の神と人との関係を、西洋諸国のそれとの間に大なる差異のあることを知る。」

※「我が国に於ては、神は恐ろしきものではなく、常に冥助を垂れ給ひ、敬愛感謝せられる神であつて、神と人との間は極めて親密である。」(p50)

P57「まことには、我があつてはならない。一切の私を捨てて言ひ、又行ふところにこそ、まことがあり、まことが輝く。」

 

P89-90「人が自己を中心とする場合には、没我献身の心は失われる。個人本位の世界に於ては、自然に我を主として他を従とし、利を先にして奉仕を後とする心が生ずる。西洋諸国の国民性・国家生活を形造る根本思想たる個人主義自由主義等と、我が国のそれとの相違は正にここに存する。」

※これは、資本主義に従属であると「化石化」するというレトリックと同一のもの。

P90「この異質の文化を輸入しながら、よく我が国独特のものを生むに至つたことは、全く我が国特殊の偉大なる力である。このことは、現代の西洋文化の摂取についても深く鑑みなければならぬ。

仰々没我に精神は、単なる自己の否定ではなく、小なる自己を否定することによつて、大なる真の自己に生きることである。元来個人は国家より独立したものではなく、国家の分として各々分担するところをもつ個人である。分なるが故に常に国家と帰一するをその本質とし、ここに没我の心を生ずる。」

 

P90-91「而してこれと同時に、分なるが故にその特性を重んじ、特性を通じて国家に奉仕する。この特質が没我の精神と合して他を同化する力を生ずる。没我・献身といふも、外国に於けるが如き、国家と個人とを相対的に見て、国家に対して個人を否定することではない。又包容・同化は他の特質を奪ひ、その個性を失はしむることではなく、よくその短を棄てて長を生かし、特性を特性として、採つて以て我を豊富ならしめることである。ここに我が国の大いなる力と、我が思想・文化の深さと広さとを見出すことか出来る。」

※存在しない文化と、それを語ることによる存在をめぐる議論。

P91「我が国に於ては、敬語は特に古くより組織的に発達して、よく恭敬の精神を表してゐるのであつて、敬語の発達につれて、主語を表さないことも多くなつて来た。」

 

P100「西洋の神話・伝説にも多くの神々が語られてゐるが、それは肇国の初よりつながる国家的な神ではなく、又国民・国土の生みの親、育ての親としての神ではない。我が国の神に対する祟敬は、肇国の精神に基づく国民的信仰であつて、天や天国や彼岸や理念の世界に於ける超越的な神の信仰ではなく、歴史的国民生活から流露する奉仕の心である。」

P107「我が国の文化は、肇国以来の大精神の顕現である。これを豊富にし発展せしめるために外来文化を摂取酵化して来た。……

 凡そまことの文化は国家・民族を離れた個人の抽象的理念の所産であるべきではない。我が国における一切の文化は国体の具現である。文化を抽象的理念の展開として考へる時、それは常に具体的な歴史から遊離し、国境を超越する抽象的・普遍的なものとならざるを得ない。然るに我が国の文化には、常に肇国の精神が厳存してをり、それが国史と一体をなしている。」

P112「我が国の教育は、明治天皇が「教育ニ関スル勅語」に訓へ給ふた如く、一に我が国体に則とり、肇国の御精神を奉体して、皇運を扶翼するをその精神とする。従つて個人主義教育学の唱へる自我の実現、人格の完成といふが如き、単なる個人の発展完成のみを目的とするものとは、全くその本質を異にする。即ち国家を離れた単なる個人的心意・性能の開発ではなく、我が国の道を具現するところの国民の育成である。個人の創造性の涵養、個性の開発等を事とする教育は、動もすれば個人に偏し個人の恣意に流れ、延いては自由放任の教育に陥り、我が国教育の本質に適はざるものとなり易い。」

 

P131「我が国に輸入せられた各種の外来思想は、支那・印度・欧米の民族性や歴史性に由来する点に於て、それらの国々に於ては当然のものであつたにしても、特殊な国体をもつ我が国に於ては、それが我が国体に適するか否かが先ず厳正に批判検討せられねばならぬ。即ちこの自覚とそれに伴ふ酵化によつて、始めて我が国として特色ある新文化の創造が期し得られる。」

P132-133「然るに、個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。ここに個人主義的・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。今や西洋諸国に於ては、この誤謬を自覚し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これらも畢竟個人の単なる集合を以て団体或は階級とするか、乃至は抽象的な国家の観念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬を以てするに止まり、決して真実の打開解決ではない。」

 

P135「明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亙つて種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。

 西洋文化の摂取醇化に当つては、先ず西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、国体の明徴は現実を離れた抽象的なものとなるであらう。西洋近代文化の顕著なる特色は、実証性を基とする自然科学及びその結果たる物質文化の華かな発達にある。……我が国は益々これらの諸学を輸入して、文化の向上、国家の発展を期さねばならぬ。」

P135-136「併しながらこれらの学的体系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より来る西洋独自の人生観・世界観によつて裏付けられてゐる。それ故に、我が国にこれを輸入するに際しては、十分この点に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。」

 

P137「西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。」

P138「西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌刺たる自由活動は著しく国富に増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。この傾向は貧富の懸隔の問題を発生せしめ、遂に階級的対立闘争の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、経済を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級闘争を通じてのみ理想的社会を実現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。利己主義や階級闘争が我が国体に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精神の下に、国民各々が進んで生業に競い励み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、国利と民福とは一如となつて、健全なる国民経済が進展し得るのである。」

P139-140「かくの如く、教育・学問・政治・経済等の処分やに亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。」

P141「世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、ただ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。」

※以上、「国体の本義」(1937)

 

P152「この独伊に於ける新しい民族主義全体主義の原理は、個人主義自由主義等の弊を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に対して多大の関心を示してゐることは、西洋文明の将来、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。」

P154「我が国は明治維新以来、開国進取の国是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて国運進展の根基に培い、営々として国力充実に満進して来たのである。……

 かかる我が国運の隆々たる発展伸長は、東亜の天地を併呑せんとする欧米諸国をして深く嫉視せしめ、その対策として彼等は、我が国に対して或ひは経済的圧迫を加へ、或ひは思想的撹乱を企て、或ひは外国的孤立を策し、以つて我が国力の伸長を挫かんとした。」

 

P198「近時物質文明が進歩し、著しく生活を向上せしめたが、これに伴なひ低俗安易ぞ欲望を唆る各種の施設も増加して、享楽的生活を求める風が漸く強く、ややもすれば制欲克己等は軽んぜられ、意志の鍛練を阻害することが甚だしくなつたことは、国民として大いに反省するところがなければならぬ。殊に体力の向上は我が国の当面せる重要ごとの一つである。」

P202「近時欧米の個人主義思想の影響を受け、家を尊重するの念が稀薄となり、殊に誤れる合理主義や唯物主義に禍せられて、国民精神の涵養上最も緊要る敬神祟祖の行事が軽視せられる風を生じ来たつたが、かかる傾向はよろしく刷新せらるべきである。」

P210「併しながら欧米文化の流入に伴なひ、個人主義自由主義功利主義・唯物主義等の影響を受け、職業は個人の利欲を満たし個人の物質的繁栄を招来するための手段であるかの如くに考へる傾向を生じ、ややもすれば我が国職業の根本義が忘却せられるに至つた。」

※以上、「臣民の道」(1941)。