2018-01-01から1年間の記事一覧

E.F.ボーゲル「日本の新中間階級」(1963=1968)

本書は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著書でも知られるエズラ・ヴォーゲルの60年代の著書で、日本のM町におけるフィールドワークをもとにした研究書である。特に日本の新中間階級の家族の状況に密着した研究として、とても貴重であり、特に家族生活…

妻鹿淳子「犯科帳のなかの女たち」(1995)

本書は江戸時代の岡山藩における「犯科帳」を史料にしながら、当時の社会(共同体)がどのようにあったかについて分析を行っているものである。 特にポイントとなるのは、p72-73にあるような記述である。ここでは過去の議論において江戸時代における農村部の…

杉本良夫/ロス・マオア「日本人は「日本的」か」(1982)

今回はすでに予告していた杉本・マオアのレビューである。 本書は「日本人論」の批判の著書である。本書の大きな主張点の一つは、『日本人論は単一な国民性論とみられており、その複数性を考えようとしない』という点である(p69)。ベネディクトの「菊と刀」…

土居健郎「「甘え」の構造」第三版(1971=1991)

今回、当初予定していなかった土居のレビューを行うことにした。杉本・マオア(1982)のレビューがなかなかまとまらないのもそうだが、日本人論の代表書の一冊と言われる本書を読んでみて、そもそも本書を日本人論の著書と位置付けるのが適切なのかどうかとい…

ポール・グッドマン、片岡徳雄監訳「不就学のすすめ」(1964=1979)

本書は「脱学校論」のはしりとも言われている著書であり、すでに議論している「アメリカの個人主義」について安直な議論を行う論に対する反論として、今回取り上げた。 河合隼雄は、日本の教育において「権威」というものが人を拘束するものとなっており、ア…

野村正實「知的熟練論批判」(2001)

今回は以前小池和男のレビュー後に小池批判を行う著書があるのを知り読んだ野村の著書である。野村はすでに一度小池の「知的熟練論」の理論面での批判を行っているが、私もレビューした遠藤(1999)の提示した人事評価における「仕事表」の捏造の可能性に触発…

「『親方日の丸』の研究」―新堀通也レビュー補論

今回は前回の補論として、新堀が使っていた「親方日の丸」の言説の妥当性検証の一環で、一般に流布していた「親方日の丸」言説を少し分析してみた。 今回確認したのは読売新聞・朝日新聞の記事データベースから、新堀の著書が書かれる直前である1986年頃まで…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その2

<読書ノート> p鄱-鄴「(※教育風土シリーズ発刊の目的の)第二は日本文化論など日本研究への寄与である。今日、日本の国際的地位の高まりから、諸外国では日本への関心が拡まり日本研究が盛んになっているし、国内では日本社会論、日本文化論、日本人論が流…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育…

ダニエル・H・フット「裁判と社会」(2006)

今回は日本人論の検討の一環で、法社会学的アプローチをとるダニエル・フットの著書のレビューである。 本書は、日本人論に対して一定の懐疑を持ちつつも、とりわけ『制度』の影響についての検討を、訴訟をめぐる分野から行っている。しかし、特に序盤で語ら…

小池和男「日本の熟練」(1981)

今回は、遠藤のレビューで取り上げた小池和男の著書である。小池が何故人事評価の制度をめぐって「誤解」をしたのか、それを日本人論に対する見方から説明することできるのではないのか、という点を課題としていた。今回は本書と「学歴社会の虚像」(1979、…

渡辺治「「豊かな社会」日本の構造」(1990)

本書は、日本の「社会民主主義」の分析を介して、その特殊性と、労働運動や政治における一種の脆弱さを指摘する内容である。 本書を読むきっかけとなったのは、渡辺が別の編書で(渡辺治編「日本の時代史27 高度成長と企業社会」2004)、75年頃からの官公へ…