ダニエル・H・フット「裁判と社会」(2006)

 今回は日本人論の検討の一環で、法社会学的アプローチをとるダニエル・フットの著書のレビューである。
 本書は、日本人論に対して一定の懐疑を持ちつつも、とりわけ『制度』の影響についての検討を、訴訟をめぐる分野から行っている。しかし、特に序盤で語られる日本人論の捉え方の問題指摘については、他の分野においても押さえておかなければならない論点が多く示されている(cf.p6,
ここでもまず議論の遡上に上がるのは川島武宜であり、「日本人の法意識」における議論は詳細に検討される。その際には実証的側面からの考察を第一にし、正しい指摘、誤った指摘の整理を行っている。特に問題なのは、やはり川島が「日米間の訴訟行動の違い」について専ら文化的差異を理由にしている点だろう(p23)。合わせて、アメリカにおいても裁判にまで発展した事件の割合はむしろ少ないという事実誤認(p36-37)も重要な指摘である。

 しかし他方で、フットは文化的影響が「ない」と言っている訳ではない。この態度が出てきた所在についてはいまいちはっきりしないが、肯定的に捉えるのであれば、分野によっては訴訟に発展する事例が日米であまりにも大きく違うような場合もあり、これを全て文化的要因以外の、制度等の要因で説明できると考えるのは現実的ではない、という意味合いからその可能性を認めているという節はある(cf.p86)。


○日本人論における「文化」と「制度」の影響の関係をどう考えるか?
 もっとも、厄介なのは、「文化」と「制度」について考える場合、これらが決して無関係ではないという点である。「文化」が「制度」を生んだのか、はたまた「制度」が「文化」を生んだのか、という議論の仕方がありえるからである。例えば、「終身雇用」の起源についてTaira(1970)は第一次大戦前後の産業の状況の影響を受けたため、「儒教観念」といった文化的影響とは別のルートを持ったものだ述べているそうだが(p110)、これもどれ位意味がある議論なのか、と問う必要があろう。P111でフットが指摘するように、起源論というよりはその定着において文化的影響を見ることも可能である。そして、これは「日本人論」を考える上で厄介な論点の一つである。
 この論点はすでに岩本由輝が「似非共同体論」を批判する際に前提にしていた共同体の捉え方にも現われていた。岩本においてもそれが「根源的」な意味での共同体を取り上げ、「似非共同体」はせいぜい江戸時代から活発に見られるようになった崩壊過程の共同体に過ぎない、と見ていた。ここで問題なのはそれが「根源的」である必要があったかどうかである。岩本はそれを共同体機能から見て、その共同体にいるだけで全てが充足できるという意味で「根源的」である必要があるし、そのような機能を持ったものしか「共同体」を語る資格はない、と見ていたのである。それでなければ、近代批判を行う「似非共同体論者」はその近代批判の意味を失ってしまうと見たのである。
 しかしこれはあくまで似非共同体者が近代批判をする場合にしか妥当にならない。言い直せば、近代批判として語らない共同体論というのは、別に根源的な部分のレベルの議論をする必要はないのではないか、というのが岩本のレビューにおける私の批判の論点であった。そして、これは日本人論についても同じように言えるのである。


 結局、日本人論の議論で素朴に想定しているのは、それが容易に変わらない性質を持つ点にあった。それは場合によっては脳科学の分野からほとんど遺伝子レベルで語られるようなケースもあった訳だが(角田忠信「日本人の脳」1978)、多くの場合は「文化」なり「社会」なりに規定された性質のものであるという点に特徴がある。そして、それが多くの場合、「ライジング・サン」がまさに典型であったように、伝統的なものとして引き継がれたものと考えられる。しかし、この日本人論を語る「目的」とは何か、を問われた場合にこそ、この伝統の意味合いも変わってくるのである。
 特に私が検討したい教育の分野に限れば、例えば河合隼雄の場合は日本の良いところは活かし、国際化の文脈で変えるべき所は変えようという意味で、(議論の正誤は置いておくにせよ)かなり良心的な日本人論となる。そしてこの場合の日本人論が示す伝統というのはほとんど重要な意味を持っていない。具体的にはそれがどの時期に発生したものなのかを問う必要はほとんどなく、あくまで現在の日本人を制約する要素であるという意味においてだけ重要なのである。つまり『その伝統がいつ発生したのか』、という論点はほとんど意味をなさないのである。私が思うに、大部分の日本人論はこのような素朴な伝統観により成り立っているのではないかと思う。だからこそ、Taira(1970)の言うような指摘はそれ自体としてはあまり重要であるとは言えないのである。

 しかし、問題なのは、この「日本人論」が文字通り一枚岩ではないという点である。私としては、これについて、日本人論を語る目的で分類を試みるのが有効ではないかと思うのだが、結局河合のような見方で日本人論を語る人間だけがいる訳ではない、ということである問題点である。日本人論の消費的側面を強調する論者もいるが(cf.ハルミ・ベフ「イデオロギーとしての日本文化論」1987=1997,P190)、そのように語られる日本人論はそれ自体で、つまり差異化の試みそのものを目的に持つ場合さえある。そしてそのような場合には「伝統」という側面が過去と連結される方が都合がよい。私がとりわけ疑念をもつのはこのような連結と、そのことによる日本人論の固定化の作業にある。
 このような状況においては、Tairaの議論なども無視され、容易に『伝統』という言葉だけで解釈されてしまう。そしてそのことは事実の捻じ曲げでしかない。ここで特に重要なのは、日本の状況を改善する、という場合に「伝統(ないし文化)」の改善と「制度」の改善では持っている意味が大きく異なるということである。「制度」は具体的に示された規則であるため、その制度を改めることはその分容易といえる。しかし、これを「伝統(ないし文化)」に還元しようという動きは、そのような改善自体の動きさえ阻害しかねないのである。


 フットが強調するのは、まさにこのような観点からの日本における「制度」の影響なのである。川島のような議論は文化的なものに日本的要素を還元しようとしている訳だが、それを批判し、そこに介在する「制度」の影響をフットは考察しているのである。やはり、そのような意味においても日本人論を語る上では、実証的な検証抜きに議論を行うべきではないということである。
 このような議論からフットの議論を読むのは、ごくごくわずかな見解しか得られないかもしれないが、しかし実証的研究という意味で非常に重要な指摘をいくつか行っていると言えるだろう。特に本書では「日本の裁判所が政策形成にあたり従属的な立場にある」という見方に対していくつか具体的な政策形成の効果(それは特に公法の分野ではなく、私法の分野において役割を果たしていること)を示している。


<読書ノート>
※邦書初出。
☆p6「「日本は」とか「日本人は」といったいわゆる「日本人論」は、「他の国と比べて、日本は特にこうである」という意味で通常使われるものである。もちろん、「他の国同様、日本は」や「他の国の国民同様、日本人は」、といったような議論も可能なのだが、通常の日本人論はそういう主張をめったにしない。日本と他の国との違いがないといった側面は、私にとって興味深くとも、一般読者にとってはちっとも面白くないらしく、ほとんどの場合、日本人論は、日本と他との相違点を強調する。こういった議論では、少なくとも暗黙の次元において、比較対象が当然に必要となる。しかし、その肝心な比較対象との関連で、多くの問題点が存在する。
第一の問題点として、必要であるはずの比較対象がそもそも存在しない場合が少なくない。それは、日本が特殊である、という潜在意識にとらわれて、他の国の現状を調べないで日本人論を唱える場合である。法の分野において、行政指導というテクニックは日本特有のものである、という「常識」はこの類型にあてはまるように思う。」
p12-13「すなわち、日本において、成文法のレベルまでだけを比較対象とすることは、比較研究の妥当な方法として法解釈学においては広く受け入れられているようである。それに対して合衆国の場合は、少なくとも判例のレベルまで調査しないと、比較法の研究として高く評価されないだろう。その違いは、法制度の基本的考え方に関連するようである。つまり、判例法の伝統の強い英米法の制度において、判例を調査するのは当然視されている。そして六〇年代以降、合衆国のロー・スクール教育において、法社会学、法と経済学、法と心理学等のような研究の台頭に代表されるように、法の実際の働きを重視する傾向が強くなったので、研究においてそのレベルまで目を向けるべきだと考えられるようになってきた。それに対して、大陸法の影響の強い日本では、成文法とそれに関する解説を中心とした研究であっても法律学としては十分評価されるのではないだろうか。」

p16「文化論への第三の反論は、制度的構造に焦点をあてる。この立場は、日本人の行動パターンが他国の人と異なる場合に、この差異が文化によるのだという短絡的な結論を導くのは必ずしも妥当ではなく、むしろ、それぞれの社会の制度的枠組みにまずは焦点をあてるべきだと論ずる。行動様式が異なる理由は、文化にではなく、こういった制度的、組織的側面に求められる場合もある。この制度の側からのアプローチの代表格としてしばしば挙げられるのが、日本法専門家でワシントン大学ロー・スクール教授のジョン・ヘイリーである。ヘイリーは、有名な論文「裁判嫌いの神話」の中で、日本の訴訟率の低さは、文化よりも、訴訟を起こすのにかかる費用や、裁判所による救済の貧弱さ、そして何よりも、弁護士や裁判所の数の少なさ、といった制度的要因からくるものだと論じた。これに続く研究は、ヘイリーの挙げた諸要因に加え、多くの法領域に影響を及ぼすさまざまな制度的側面に焦点をあてている。」
※邦訳として、「判例時報」902,907号に掲載されている。1978年。
P23「川島武宜が『日本人の法意識』一九六七年に著した直後から(あるいは、むしろ同様の主題を扱った一九六三年の英語の論文からか)、日本人の紛争行動をめぐっては論争が交わされてきた。日本においては、日本人が訴訟嫌いであり、その訴訟嫌いは他の国と比べても特有のもので、かつその訴訟嫌いが文化に根ざしており、それが和を重んじ対立を避ける日本人の性格の現れである、ということは「常識」とされてきた。しかし、この「常識」に対してはさまざまな反論が加えられ、一九七〇年代以降、大きな論争に発展してきた。」
P24「川島によれば、「わが国では一般に、私人間の紛争を訴訟によって解決することを、ためらい或いはきらうという傾向がある」(川島武宜『日本人の法意識』一二七頁)。川島は、日本人が訴訟を好まない理由として、弁護士費用が高くて、訴訟は時間がかかるということを挙げながら、そうした理由は「原因の一部であろうが、決して重要な決定的な要因(中略)とは考えられない」(同書一三七〜三八頁)とした。なぜなら、他の国でも同様にお金も時間もかかるにもかかわらず訴訟が多く、そして日本において、費用をさほど気にしないはずの大企業や公共団体でも訴訟を回避する傾向が強いからだという。」
※法曹人口の少なさにも川島は言及しているという(p25)

p29-30「しかし、訴訟率という限定された問題についていえば、日本の訴訟率は合衆国または西欧諸国に比べてはるかに低いという川島の結論は、その後の調査で正しいと証明されている。これまででもっとも厳密な訴訟関連統計の比較を行ったドイツの統計学者クリスチャン・ヴェールシュレーガーによれば、一九九〇年の段階で、日本の民事訴訟率は合衆国のアリゾナ州の一〇分の一に過ぎないとされる。興味深いことに、ヴェールシュレーガーは、イスラエル、ドイツ、スウェーデンといった国における訴訟率がさらに高いことを発見した。日本は、その反対の極に位置し、中国などと同じレベルにある。」
p32-33「合衆国の連邦議会は、一九二五年、仲裁法を制定し、仲裁に対する、裁判所による長年の否定的態度を克服しようとしたものの、その後も合衆国の裁判所は、仲裁合意に対する抵抗を続け、さまざまな根拠により仲裁事項の法的効力をしばしば否定した。しかし、一九七〇年代以降、合衆国の連邦最高裁判所は、それまでの仲裁に対する態度を大きく転換し、仲裁合意は、ごく限られた例外を除いて有効だとする立場を採用するようになった。これにともない、少なからぬ企業や組織の間で、契約雛形の中に仲裁事項をおくのが一般化してきた。」

p34「興味深いことに、日本のモデルーー川島が当初紹介したものであるーーは、合衆国のアプローチを転換させるにあたって一定の役割を果たした。一九七〇年代、ADR手続きを法廷するようになった際、日本での事例がかなり頻繁に参照された。日本の事例は、裁判所の負担を軽減し、より友好的に紛争解決を実現するといった、調停その他の非公式的な紛争解決手続きによって得られる効果の理想像として持ち上げられた。」
p36-37「訴訟として提起された事件の五〇%以上が和解で終結すると聞くと、多くの読者はこれを高いと感じることだろう。……しかし、川島が論文を世に問うた一九六〇年代でさえ、日本はこの点でことさらに変わった国だったわけではない。そして一九六〇年代以降の四〇年の間に状況はさらに変化し、今日、日本の和解率は合衆国に比べて高いどころか、むしろかなり低いのである。
……合衆国の連邦地方裁判所に提起された民事事件に関する統計によれば、一九六二年から一九六八年までの期間において、トライアルにまで至った事件はわずか一一〜一二%にとどまり、残りの大部分の事件は裁判所で和解に至るか、トライアル以前に取り下げられていた(日本と同様に、取り下げられた事件の多くは、裁判外で和解されたものと推定される)。さらに、トライアルに至った一一〜一二%のうちでも、かなりの数はトライアルの間に、判決を待たずに和解で終結していた。合衆国では連邦ではなくむしろ州の裁判所が大多数の国民の民事訴訟を扱い、州裁判所に関する包括的な統計は存在しない。州裁判所における和解率は、連邦裁判所におけるほど高くはなかったようだが、一九六〇年代においてさえ、七五%を超えていたと推定できる。」

p37「(※日本の2000年頃の)判決に至った事件の割合は、ちょうど五〇%前後である。これと対照的に、合衆国ではトライアルに至る民事事件の割合があまりに低下したので、ある著名な研究者はこれを「消えゆくトライアル」と呼んだ。二〇〇二年、合衆国の連邦地方裁判所に提起された民事訴訟のうち、トライアルに至ったのは、わずか一・八%に過ぎない。さらに、そのうちの一部は、トライアルの間に和解に至っている。州裁判所の統計は比較の対象としにくいが、トライアル率に関する統計を出している二二の州では、二〇〇二年に終結した民事事件の一五・八%しかトライアルに至っていない。」
p37-38「以上から考えられるひとつの解釈は、合衆国においては訴訟の提起が交渉過程でのひとつの段階に過ぎないのに対し、日本人は依然、人間関係の完全な破綻を意味する最終段階として訴訟を捉えている、ということである。しかし、先に示した和解率の統計は、その理由はともあれ、西洋においては訴訟が「all or nothing」あるいは「白黒をつける」といったイメージだとした川島の叙述と、真っ向から矛盾している。」

p39「一九七一年の統計(※日本文化会議「日本人の法意識」1971)は、やや訴訟を嫌う傾向を示しているが、著しい訴訟嫌いとまではいかない。ところが、一九七六年の統計では、違いはより鮮明になる。一九七六年には、「(※権利侵害のとき裁判所に訴えることを)すぐ考える」と選んだ回答者は一一・一%にとどまり、「たまに考えることもる」を選んだ二三・七%の回答者とあわせても、訴訟を考慮するだろうとした回答者はかろうじて三分の一を超えたに過ぎない。……したがって、一九七六年の調査結果は、日本人が訴訟嫌いだという見方を裏づけたといえる。」
※「これらの調査では、訴訟嫌いの原因が、主にこういった制度的な要因にあるのか、それとも協調を重んじ対立を避けようとする文化的背景によるのかは、明らかにならなかった。そして、これらの調査は日本だけに焦点をあてたため、日本人の訴訟に対する態度が日本独自ないし特有のものかという疑問にも答えは示されなかった。」(p40-41)
p43-45「つまり、これらの調査結果(※加藤雅信の3カ国比較調査)は、日本人は裁判所に訴えずに紛争を解決することを好むけれども、個人的に近しい関係にある人との紛争ではない限り、訴訟を嫌っているわけではないことを示している。このようにみてみると、日本人の「訴訟嫌い」というイメージは、これらの調査結果からは支持できないことになる。」
※これは裁判所に訴えるべきかどうかについて、望ましいと答えたものの方が大きいことを根拠にする(絶対的指標)であり、他国と比較する相対的な議論ではない。「しかしこういった中でひとつ一般化できるとすれば、三つの国いずれにおいても、回答者は全般的に、訴訟よりそれに代わる紛争処理の方が望ましいと答えていたことである。」(p45)

p48「この小説(※ジェーン・ハミルトン「マップ・オブ・ザ・ワールド」)はフィクションに過ぎないけれども、アメリカ人の読者の心に深く響いた。そしてそれは、訴訟は友人同士の争いを解決する手段としては適切ではない、という合衆国における根深い考え方——この考え方は、先に論じた調査結果からもうかがえるーーを的確に捉えている、と私は言いたい。こういった感覚は、住民同士が緊密な関係をもつ合衆国のある地域社会で行われた、有名な実証研究でも示されている。」
※実証研究はRobert C. Ellickson,order without law(1991)などを参照している。
P50「最近まで、合衆国の法制度において謝罪はほとんど肯定的評価を受けてこなかった。それどころか、不法行為および刑事法のいずれの分野でも、謝罪は責任を自ら認めたものとみなされることもあったのである。こういった理由で、弁護士はこれまで依頼人に対し、少なくとも責任問題が決着するまでは謝罪をするな、と助言してきた。そして保険会社も「事故の際には、こちらの落ち度を認めたり謝罪したりしてはならない」という文言の入った書面を配るのが常だった。」
※しかし、近年においては謝罪を含めた「修復的司法プログラム」が「いまだ一般的ではないにしても、合衆国において一定の進展をみせてきた」という(p50-51)。

P51-52「最近は、謝罪のもつ役割について、法律学者の間でも、合衆国のマスメディアでも、しばしば取り上げられるようになった。そういった文献には、日本が折に触れて登場する。これから分かるように、調停や和解と同様、謝罪に関しても、日本が合衆国の基準に近づいているのではなく、合衆国が日本に近づいているのである。」
P53「訴訟率に影響を与える重要な制度的要因として、ヘイリーは、訴訟制度の機能に関して、情報、裁判へのアクセス、救済の三大論点を挙げた上で、訴訟への代替手段の存在にも触れた。」
※出典は「裁判嫌いの神話」

p86「合衆国での事件数の詳細はどうであれ、日本の製造物責任訴訟の数は、比較にならないほど少ない。一九四五年から製造物責任法が施行された一九九五年までに、日本で提起された製造物責任事件は、合計二〇〇件にも過ぎないと伝えられている。同法の施行を受けて、事件数は増加したものの、微増にとどまっている。施行から一〇年の間で、約七〇件の訴訟が提起されている。つまり、一年あたり七件だけである。
日本の訴訟件数がこれほどまでの隔たりがある理由は、制度的要因だけでは説明がつかないかもしれない。しかし日本では数多く制度的要因が訴訟の阻害要因になっているのに対し、合衆国では複数の制度的要因により訴訟が促進されている。」
p87「合衆国での調査によれば、一九七〇年から八〇年代にかけて製造物責任訴訟の件数が急増したことの大きな原因は、一九六〇年代から七〇年代にかけて責任の認定基準が大きく拡張されたことにあるとされている。そこでは、過失原則は無過失原則へと転換され、設計上の欠陥や警告不備に対する賠償責任も認められた。また別の調査によれば、一九八〇年後半以降、製造物責任訴訟の要件がやや厳格に振れたのに伴い、製造物責任訴訟の件数がやや減少したとされる。こういった調査結果は驚くにあたらないだろう。日本では、一九九五年までの不法行為法のもとでは、原告が製造者側の過失を立証しなければならず、それが訴訟への大きな障害となっていた。一九九五年に施行された製造物責任法は、文言上は合衆国と同様に無過失責任を採用するかにみえたが、日本で採用された「無過失責任」は、消費者よりの合衆国と比べて、かなり制限的な基準だった。たとえば、日本の製造物責任法はいわゆる最高の技術水準の抗弁を認め、「製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、(中略)その欠陥があることを認識することができなかった」場合には、賠償責任を免除している。」

p90「このように、製造物責任の分野では、交通事故や公害の分野とは異なる制度的諸要素が作用しているものの、ここでもやはり、制度的要因が訴訟を阻害しているといえる。ここでもまた、こういった制度的要因が、究極的には日本的文化の反映に過ぎないのではないか、という疑問が生ずる。製造物責任の分野では、答えはかなり明らかなように思われる。法制度が制約的であるもっとも大きな理由は、消費者の利益を促進するような法制度の実現に対する製造業界の抵抗である。製造物責任法が提案されたのはかなり早く、一九七五年のことだったものの(注目すべきことに、法案の段階では広範な証拠収集手続が盛り込まれていた)、自民党が政権を維持している間は、製造業界の反対で法案は通らなかった。製造物責任法が現実のものとなったのは、細川護煕首相のもとで自民党の一党支配が揺らいだ一九九四年のことであった。
しかし産業界による製造物責任法への反対論は、制度と文化の両面からの議論で固められていた。産業界は、制度面の議論において、日本では製造業者への規制がより厳しいため、製造物の欠陥から生ずる危険が合衆国よりも少ない、とする立場をとった。文化面の議論において産業界は、合衆国は「非難の社会」であって、そこでは自分に降りかかった災難をすべて他人に責任転嫁する個人主義がまかり通っており、こういった欠点のために経済の競争力が損なわれていると主張した。」
※製造業界の反対とは、具体的に何なのか?参照文献もなく、根拠に乏しいように思えるが。なお、このような言い分はアメリカにあったといい、これには参照がある。なお、この分野で訴訟が少ない制度的要因として、クラス・アクションの制度と、懲罰的賠償の制度とみる(p94-95)。

P97-98「日本でも、雇用差別や性的嫌がらせに関する保護は拡大されているが、合衆国と比べると、これらの主張に対して認められる権利や救済はまだ限られている。しかし解雇の局面では、対照的に日本の従業員は合衆国と比べてずっと手厚い保護を受けてきた。にもかかわらず、日本における雇用関係の訴訟の数は、雇用差別のみならず解雇の事件でも、合衆国やその他の国と比べてずっと少ない。雇用の分野では、日本の訴訟率の低さは文化とは無関係だと言い切ることは難しいだろう。この分野ではむしろ、文化は訴訟に対する態度について重要な役割を担っている。しかしここでさえも、日本の法制度や雇用のありかたといった制度的要因の重要性を見過ごしてはならない。」
P100-101「このように、日本では合衆国に比べ、雇用差別や性的嫌がらせに対する権利は弱いものの、解雇に対する法的保護は概して手厚い。しかしこれだけ手厚い法的保護が与えられているにもかかわらず、日本の訴訟率は、雇用差別と不当雇用とを問わずかなり低い。事実、日本での雇用関連の訴訟は、合衆国のみならず、ドイツ、イギリス、フランスといった国と比べても低いのである。
読者は、少なくとも雇用の場面に関しては、日本の訴訟率が低いことの理由は文化にあると思うに違いない。なにしろ雇用は、日本人が特に訴訟を嫌がるはずの緊密な人間関係を伴うのだ。私も、雇用に関する紛争解決において、文化が重要な要因だということに異議を唱えるつもりはない。しかし、訴訟率が低いことの原因を文化だけに求めようとすれば、それは誤りだろう。ここでも、日本で訴訟は低い件数にとどまり、他の国で多くの訴訟が起こされている現実には、法制度といった制度的要因が直接的に作用している。さらに特記すべきことには、雇用の基本構造という制度的諸要因も、訴訟における費用対効果分析に大きな影響を与えるとともに、雇用関連の紛争に対する態度といった文化的前提を形成するにあたって、間接的ではあるが重要な役割を果たしている。」

p105-106「二〇〇一年に紛争処理制度が新設されて以来、個別労働紛争に関する問い合わせや、指導や調停の要請の件数は大きく増えたものの、同じ時期に訴訟件数はほとんど増えていない。川島の解釈に従えば、これは、インフォーマルな手続きを好み、訴訟を嫌がるという強い性向を示していることになろう。
近年の司法制度改革審議会と、これを受けた労働検討会では、個別労働関係紛争において訴訟の利用が少ないことに対し、川島とは別の解釈が示された。それは、訴訟の制度的障害である。……改革審は意見書の中で「ヨーロッパ諸国では、(中略)労働関係事件についていわゆる労働参審制を含む特別の紛争解決手続を採用しており、実際に相当の機能を果たしている」として、日本も労働関係紛争の解決にため諸外国の制度モデルを参照すべきことを示唆した。この示唆には、労働者による申立てを促進することも含まれているともいえるかもしれない。」
※制度の検討委員会が制度論的アプローチをとるのはあたりまえだが。
P107司法制度改革推進本部、労働検討会の検討課題…「このように民事紛争システムが、労働紛争処理において限定的役割しか果たしてこなかったのは、大部分の労働関係紛争が長期的雇用システムを基盤とする企業共同体の緊密な人間関係の中で非公式に防止・解決されてきたこと、(中略)労働基準監督署が(中略)行政指導によって事実上の解決を図ってきたこと、他方、裁判所は、弁護士の少なさ、手続きの厳格さ、審理期間の長さなどによって労働者からはアクセスが困難な紛争処理機関であったこと等によると考えられる。」

P110「日本の訴訟率の低さは、少なくともこの文脈(※緊密な人間関係のある職場を訴えること)では、文化的要因によると言いたくなるだろう。なんといっても、日本の長期的雇用制度—これはしばしば終身雇用制と呼ばれるーーは日本文化の産物で、日本の歴史や伝統に深く根ざしている、というのは一般に常識とされている。しかしここでも、文化と制度との関連性は意外と微妙である。長期的雇用制度の起源についての詳細な研究によれば、この制度は第一次世界大戦前後、高い転職率と企業への忠誠心の低さに対処すべく、産業界が意図的かつ戦略的に導入したものである。当時、鉄鋼や造船といった主要産業は、労働者がより多くの収入とよりよい労働条件を求めて転職していくため、毎年五〇%もの熟練労働力を失っていたこういった動きを封ずるため、産業界は、先任順に昇給を認めたり、長期間勤めた従業員に対し手厚い退職金を与えたりするなどのインセンティヴを与えるようになった。その後まもなく、経営者らは、長期の雇用関係を相互義務といった儒教観念と結びつけ、イデオロギー的に正当化するようになった。しかしこの「伝統」の出発点は、転職率の高い熟練職をターゲットにした斬新な戦略であり、雇用者側の経済的合理性に基づいた選択にほかならなかった。」
※「集団主義の産物」という見方ではない。Koji Taira,Economic Development and the Labor Market in Japan(1970)研究を指す。
P111「長期的雇用がすばやく広まり、広く受けいれられたのは、それが歴史的文化的ありようとうまく結び付けられたからかもしれない。そして、バブル経済崩壊以降の何年にもわたる深刻な経済的苦境ににもかかわらず、長期的雇用制度が強く生き残ったのは、この制度が深く日本文化に根ざしているという常識の強さを示す部分もあるかもしれない。実際、長期的雇用制度が文化的産物だとする一般的な見方は今日では実に根強く、労使間の相互義務という観念はもはや「日本文化」の一側面とみなすべきかもしれない。しかし、詳しく調べてみると、この文化の一側面でさえ、産業界のエリートがーーほぼ一世紀前にーー創りあげたものの上に成り立っているのである。起源がいかなるものであれ、長期的雇用制度が日本社会に深く根を下ろした以上、この労働構造は労働事件で訴訟を提起する際には、大きな制度的障害となっている。」
※文化論の根源論的解釈そのものに困難さがある…

p116「多くの人身損害事件において重要な意味合いをもつもうひとつの社会制度は、医療制度である。日本の国民皆保険制度は、ほとんどすべての人に安価な医療を提供することによって、合衆国であれば訴訟に発展するような人身損害事件の多くを、訴訟に至る前に終結させるのに役立っている。というのも、合衆国では、医療保険に加入していない人は人口の一五%を超え、大きな怪我までカバーする保険をかけていない人はさらに多いからである」
※この部分は、本文ではカッコ内表記。
☆P116-117「私は、文化的要素が重要でないと言おうとしているのではない。いうまでもなく、日本と合衆国の間には、大きな文化や伝統の違いがある。そして、こういった違いは法や訴訟に対する態度に影響を与える。ここまでの事例で注目した文化や伝統の違いの中には、たとえば、日本における平等な取り扱いの強調と、雇用の伝統の相違などがある。訴訟率にそれ自体直接関係するわけではないが、憲法訴訟や行政訴訟において大きな意味をもつ文化的差異として、権威に対する信頼度がある。日本では、公務員に比較的大きな信頼が寄せられているのに対し、合衆国には政府の権威に対するかなりの懐疑の精神がある。こういった態度の裏には、いずれの国においても、長い歴史と根強い伝統がある。
しかし、文化や伝統の違いは往々にしてしばしば大げさに喧伝され、とりわけ訴訟や法意識に及ぼす影響は、しばしば誇張されている。しばしば誇張される固定観念として、日本人が和を重視するという美徳、日本人が調停などの対立的でない紛争解決を好むということ、さらに日本文化における謝罪の重み、といったものがある。ここまでの議論から分かるように、こういった態度の違いは、日米において程度の差はあっても、決して日本特有というわけではない。」
※ただし、日本でも時系列でみれば悪化しているという見方もありえるか。

P123「むしろ行動様式の違いは、文化によるものではなく、制度的・構造的要因の影響によるところが大きい。さらに、訴訟の事例でみたように、合衆国でも、より緊密な地域社会の事例では、日本の常識ととてもよく似た側面が明らかになった。」
P124川島(1967)p98-99からの引用…「アメリカ人は法律、規則、約束をよく守り、またよくそれを利用する国民である。(中略)日本人が人の約束する場合には約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情がむしろ大切なのであ〔る。〕(中略)彼ら〔アメリカ人〕にとっては、約束と友情とははっきり別のものだ」
P135-136「少なくとも友人間の場合、「契約社会・合衆国」のイメージとは裏腹に、アメリカ人回答者のうちで、借用書を取るほうが望ましいとしたのは、半分を大きく下回り、一五%を超えるアメリカ人——何と日本人の五倍以上——が、絶対に受け取らないと回答している。私自身の経験では、こういった調査結果は、まったく驚くべきことではなく、実際の行動様式と大きく食い違うことはないように思われる。川島は合衆国社会を「約束と友情とははっきり別のものだ」とする社会だと表現したけれども、少なくとも友人関係では、アメリカ人は、借用証などの書面なしに、握手の信頼関係でお金の貸し借りをすることが多い。」
※出典は加藤雅信らの調査。

P167「合衆国の歴代最高裁判官一一〇人の中で、三九人は二〇年以上勤めたし、そのうち一四人は三〇年を超えている。そして一一〇人中、七四人——約七割——が一〇年以上勤めた。」
P168「さらに、連邦最高裁判所は毎年多数の上訴の申立て受けるが、ほぼ完全な裁量によってどの事件を審査するか選ぶことができる上に実際にも審査する事件を厳しく絞り込んでいる。二〇〇〇年から二〇〇四年の期間をとると、最高裁判所は毎年約九〇〇〇件の上訴の申立てを受けたけれども、実際に審査したのは一年あたり八〇から一〇〇件程度にすぎない。……
こういった制度上の特徴により、裁判官は一連の判決の中で判例法を発展させていく機会に恵まれる。」
※裁判官は9名だが大法廷・小法廷のような制度はないようである。」
p171「二〇〇六年現在、ブッシュ大統領はこれまでの五年半の任期の間に、拒否権は一度しか行使していないが、法律の明確な趣旨の一部ないし全部に応じないことを表明したサイニング・ステートメントを七五〇回以上付した、といわれる。もっとも顕著な例のひとつは、連邦政府の官吏が被収監人に対して残虐、非人道的または侮辱的な取扱いを禁じた法律改正に対し、ブッシュ大統領の付したサイニング・ステートメントである(大統領はその中で、軍の最高司令官たる大統領として、テロ攻撃を防止する必要があれば、この要件を放棄する可能性があると述べた)。」

p177-178「日本の裁判所はキャリアシステムをとっているため、裁判官は、司法行政に関する最高裁判所事務総局内のさまざまなポストを含め、幅広い職務を裁判所内で経験する。しかし、法務省などの政府機関に派遣される少数の裁判官を除けば、裁判所の外で幅広い政策形成に触れたり、直接政策形成に関与したりする裁判官は少ない。そして裁判所の外での多彩な経験が、合衆国の裁判所による政策形成を支えている要因のひとつである、という私の仮説が妥当ならば、逆に日本において、そうした経験の少なさが消極的な態度をとる制度的要因のひとつといえるであろう。」
p178-179「最高裁判所の一五人のポストのうち、約三分の一が裁判所から、もう三分の一が弁護士から、そして時期によって検察出身が一〜二人、官僚出身が一〜二人(多くは元外交官か内閣法制局長)、一人が学者、という内訳である。内訳が常に一定であるだけではなく、裁判官出身者が裁判官出身の最高裁判所裁判官を引き継ぎ、同様に弁護士出身者が弁護士出身を、検察が検察を、学者が学者を、というパターンが根付いていった。言葉を換えると、これらのポストは、それぞれの職にとってのいわば既得権とされていった。さらに法曹三者に関しては、名簿に登載される最高裁判所裁判官候補者の決定は、裁判官出身者については最高裁判所、検察出身については検察上層部、弁護士出身については弁護士会の執行部、とほぼ各職業団体に委ねられているようである。最終的な任命権限は、内閣総理大臣の代表する内閣にあるが、内閣総理大臣もたいていこれらの推薦に従っている。内閣が通常は法曹三者の決定を尊重してきたのは、ひとつには法曹三者が内閣にも受け容れられるような候補者を推薦してきたことにあるとはいえるだろう。それでも、アメリカ人の目からすると、驚くべきことは、裁判官選任過程に時折政治が関与することではなく、むしろ逆に、政治のもつ役割が限られていることにある。選任過程における政治的党派性の強い合衆国に比べれば、日本における選任過程は非政治的にみえる。」

p182「こういった知見に基づき、ラムザイヤーとラスムーセンは、精緻な理論枠組みを提示した。彼らの結論は、「日本の司法の独立性は、実質的に制約されている」というものだった。彼らの知見によれば、自民党既得権益に反する判決を下した裁判官は、昇進過程において不利益を受ける。したがって、裁判官が将来の出世を気にかけるならば、自民党の利益に従った判決を下すほうがよいことになる。
こういった動機づけの体制を敷きまた維持してきたのは、最高裁判所事務総局である、とラムザイヤーとラスムーセンは主張している。……しかしラムザイヤーとラスムーセンは、さらに本人—代理人理論に依拠して、この政治的色彩の濃い動機づけ体制を最終的に支配しているのは、さらに高いレベル、すなわち自民党そのものにある、と主張する。」
※「レヴァイヤサン」1998春号にて、邦訳もある。「日本における司法の独立を検証する」。「もっともラムザイヤーらの説明によれば、こういった自民党の支配は目につかない形で行われている。事務総局は、自民党の選好をよく理解するようになり、表立って指示されるまでもなくその利益を守るような行動をとっているのである、と結論づけている。」(p183)しかし、これにはジョン・ヘイリーが「何らかの政治家が直接ないし間接にも介入したという証拠を一切見つけていない」と反論しているという(p183)。
P184「ヘイリーは、下級裁判所の裁判官は、彼らの出した判決如何によっては、後の昇進に関して不利益を受ける場合があるというラムザイヤーらの説明を受け容れている。しかし、この不利益は、最高裁判所事務局の意思によるもので、政治家によるものではない。」

P185「ラムザイヤーらが分析した事件を個別の事例ごとに細かくみていくと、政治的信条により不利益が与えられているとどこまでいえるのか、それ自体に議論の余地がある。私に言わせると、ラムザイヤーらの調査で明確となったが、彼らが重点をおかなかった二つの要因、事件処理の効率性と判断の正確性、には注目する必要がある。」
P187「ラムザイヤーらが事件処理の効率性について得た知見は、効率性が強調されるあまりに、裁判官が事件を早く処理しなければならないという圧力にされされている、という根強い批判とまさに整合する。このような圧力が、裁判官によって画一的に事件を処理しようとする動機につながり、新たな法理論を試したり創造性を発揮したりするのを妨げるのだとされる。このような批判的見方からすると、事件を慎重に扱い、自らも事件や政策的側面を調査し、新たな法解釈を編み出したいと思う裁判官も、事件処理の効率性を求める圧力のために思うようにならないことになる。
法的判断の正確さが重視されることも、裁判所の政策形成への取り組みを阻害しかねない。もちろん、正しい判決を得ることが裁判の基本だということを争う人はいないだろう。しかし上級審で覆されることを恐れるあまり、裁判官がリスクをとるのを避けようとする危険性も伴う。つまり、裁判官が既存の先例に疑義を呈したり、制定法に対して新たな解釈を施そうとしなくなるおそれがある。その結果、服従や統一性を求める不当な圧力がかかる場合がある。」
※この点はアメリカではどうなのか。また、ここではキャリアを積むことの実際上のメリットについてもよく考察する必要があるだろう。ただし、ラムザイヤーらの言説が自己実現的予言となる可能性も当然認める(p188)。
P188「日本の最高裁判所裁判官の任期が短いことは、日本の裁判官にとって、判決の積み重ねを通じて徐々に判例法を形成する機会が、合衆国の最高裁判所ほど恵まれていないことを意味する。」
※これは妥当な主張と言えるか微妙。「日本の裁判官」という表現は極めて不適切。そのような関わりをする裁判官はありえてもわずかしかいない。なお、95-06年までに退職した裁判官26名の平均在任は5.7年(p189-190)。

P190「二〇〇〇年から二〇〇四年の間に、最高裁判所は一年あたり八〇〇〇件から一万件にも上る上告を受け付けた。……合衆国の最高裁判所は、審査する事件数を非常に厳しく制限し、審査しない大多数の事件については申立てに対しなおざりな扱いしかしない。これに対し日本の最高裁判所は、申立てのなされる事件のうちかなり多くのものに対し審査を続けている。このため、裁判官がひとつの事件に割くことのできる時間は、限られてしまう。」
※あまり客観的な根拠の提示はないが…
p205-206「江戸時代までさかのぼっても、日本の裁判機関は、私的秩序の形成について重要な役割を果たしてきた。しかし歴史的にみて、裁判所には支配者に対して判決を下す権限は与えられてこなかった。明治維新の時代にドイツの影響力が強かったことも、裁判所には一般に他の権力機関の判断を覆す権限がないという考え方を強めた。裁判所には違憲立法審査権は与えられず、行政事件も特別の行政裁判所しか扱えないとされた。このため占領当局の戦後の改革も、立法府や行政府の行為を審査する司法府の権限がきわめて限られていた伝統を背景に行われた。さらに、私人間の問題に関してもドイツのモデルは、裁判官は法を創造するのではなく法を適用するのだという哲学を基本としていた。この哲学は、法とは統一的で安定したものであり、裁判所は正しい法を見出して適用するのであって、これを改変するものではない、ましてや政策形成などしない、という考え方を強調するものだった。」
※これに続いて伊藤正己判例法主義を引用するが、判例は法と言い切ってよいものなのか?

P208「判例とは常に進化し変化にさらされるものだという考え方を強めていく合衆国の法学教育に対し、日本の法学教育は、先例とは統一的で安定したものだという考え方を育てている。つい最近まで、日本の法学教育でもっとも重視されていたのは、事件の事実関係よりも、法的ルールや理論だった。」
※法の解釈は結局これにある。
P209「しかし、私の考えるところでは、日本法に関するもっとも重大な誤解のひとつーーそして、私がこの本で扱おうとする最後の「誤った常識」であるがーーは、日本の裁判所が法を創ることはない、という考えである。均質性や安定性が強調され、法学教育では政策問題が回避されるにもかかわらず、日本の裁判所には、少なくとも私人間の秩序の形成に関しては、法理を創造してきた歴史がある。」

P217「(※再審の)第三の障害は、再審を受けるために必要とされる証拠の基準である。この基準を満たすには、二つの困難があった。第一に、実際に要求される証明の水準が高かった。一九五八年の最高裁判所判決は「『明らかな証拠』というのは証拠能力もあり、証明力も高度のものを指称すると解すべき」だとしていたし、そして、高等裁判所も「再審請求人の無罪を推測するに足る高度の蓋然性のあるものでなければならない」と判示していた。後者の文言には、「疑わしきは被告人の利益に」という基準が適用されないという証明水準をめぐる第二の争点が絡んでくる。最初の訴追ではこの基準が適用となり、検察側が合理的疑いを超えた有罪の証明をしなければならないが、再審はこれと異なり、再審請求者が無実を証する責任を負い、有罪であるとの合理的疑いがあるだけでは足りない、というのが裁判所の見解だった。」
P218「一九五九年、日本弁護士連合会は、この状況を緩和すべく立法による改革を求める運動を始めた。一九六一年には、再審を認める画期的判決が下され、しかし一九六二年には再審請求を棄却する判決がいくつか続いたため、この問題に対し世間の注目が集まった。これに応じて一九六二年、国会では衆議院法務委員会に小委員会が設置され、再審制度に対する調査が始まった。最終的には立法運動は失敗に終わったものの、日弁連、学者、再審申立人支援運動家たちは、注目を集めたいくつかの事件の中で改革を求める運動を継続した。そしてこの運動は一九七〇年代中頃にかけて高まりをみせていった。そこに、一九七五年、白鳥事件最高裁判所第一小法廷判決で、画期的な判決が下された。そこで最高裁判所は、再審を認める判断基準を大きく変更したのである。」

P226「冤罪事件は、日本の刑事司法制度のさまざまな側面に関わる議論にも影響を及ぼした。四人の無実の人が死刑になりかけたということで、日本国民の間に懸念が広がり、裁判官・検察・刑事被告人弁護人の間で自省・反省が公になされた。団藤(※重光)が最高裁判所を退官した後に積極的に活動したこともあり、これらの事件は死刑廃止運動を勢いづかせ、その動きは一九九〇年代前半にかけてさらに強まった(しかしこの動きは、地下鉄サリン事件によってしぼんでしまったといえる)。」
P231「一九五〇年代後半から一九六〇年代初頭にかけて、銀行などの企業で働く女性や、彼女たちを支援する弁護団は、雇用条件に関する性差別に対し訴訟活動を開始した。」
※具体的にどのような活動をしていたのかは書かれていない。
P236「合衆国では、一九七〇年代から性的嫌がらせの法理が発展してきたが、日本において性的嫌がらせは、法的現象としては一九八〇年代末までまったく知られていなかった。」
P236-237「しかし中でも、実質的にもっとも大きなインパクトがあったのは、一九八九年に「セクハラ」という新語打ち出したことだったかもしれない。」
※言葉自体はこれより前にあるようだが、運動で用いられるようになった、という意味だろう。

P239「理由がある場合には予告要件が免除されると二〇条に明記されていることに照らすと、雇用主は三〇日分の賃金さえ払えば理由のない場合にも労働者を解雇できる、との解釈は当然のように思われる。これは、当初の法学社の間では、一般的な見解であった。初期の判決例も、この条文を同様に解釈していた。いわゆる「解雇の自由」を支持する判決である。しかし一九五〇年代半ばまでに、下級裁判所においては、解雇の自由を制限する壮大な判例法体系ができあがっていた。」
P240「この引用(※1951年の判決文)からは、解雇に関する初期の議論における四つの主題を読み取ることができる。第一に、戦後の経済的荒廃が強調され、これによって裁判所が雇用の安定を重視する立場が前面に出てくる。第二に、雇用主の交渉力の優位が指摘される。さらに、ここで引用した判決文には、労働基準法二〇条の妥当な解釈に関して裁判官の間で戦わされたふたつのほうり、正当事由と権利濫用の両方が示されている(注目すべきことに、解雇の自由の立場は、考慮される法理ともみなされていない)。」
P242「このような(※東京地裁の一部の者の法理形成の)努力にもかかわらず、この説(※正当事由説)はまもなく廃れてしまった。その後五年間で、正当事由説を採用した判例は全部で五件した下されず、東京地方裁判所からは一件も出されなかった。そして一九五五年以降、この説は判例からはほとんど姿を消した。一九五一年以降、ほとんどすべての事件は権利濫用法理を採用している。」
※これのついては、正当事由説が制定法上の根拠を欠くから、というより、正当事由の法理に柔軟性がなく、事件ごとの調節がききづらかったことを挙げる(p242-243)。当時のレッドパージに対応するための権利濫用法理についての裁判官の発言の引用がある。

P247「一九七〇年代後半から一九八〇年代にかけて経済が右下がりになったころ、解雇に関する事件で下される判決には、伝統的な終身雇用制について、かなり詳細な叙述が表立ってなされるようになってきた。そして解雇に対する制約が厳しいのは、この制度の直接的な帰結であり、その裏返しにほかならない、と論じる学者が多かった。しかし、こういった議論は、解雇権濫用法理が発展する初期の段階で、「伝統的」「終身」雇用制度のもった意義を誇張しているように思われる。」
P248-249「このように、長期的雇用の伝統は、後の時代には解雇を制限する重要な理由となったが、裁判所が労働者への保護を拡充しつつあった当初の一九五〇年代初頭の判決では、労働者の経済的苦境への懸念がもっとも大きな理由であった。判決では、弱者である労働者の保護と、より強い立場の当事者が関係を終了させようとする場面で関係を維持する必要性とが一貫して強調された。こういった理由づけは、翻ってみると、日本の典型的な判決のパターンとぴったり符合する。すなわち、既存の人間関係と既存の秩序を維持することで弱者を保護しようとする判断様式である。」
P257「(※交通事故訴訟において)まず課題となったことのひとつが、事実認定手続きを簡素化することである。……事実認定を効率化するため、小川(※善吉)判事は自ら東京地方検察庁を訪れ、次席検事に対し、すべての交通事故に関して警察の実況見分書を提供する道を開くよう依頼した。検察庁法務省と協議した結果後、この要請を断った。しかし裁判官側はそれでも提供にこだわり、その後裁判所、検察、弁護士会三者会談を経たのち、警察の実況見分書を提供することで合意にこぎつけた。」

P267「日本では、第二七部の改革は裁判所が試みても不自然ではないという考え方が強かったようにみえる。裁判官のとった行動は、法曹専門家から大きな社会問題への待望の効果的対応策として受け入れられ、しばしば賞賛された。これに対して、合衆国で大規模不法行為訴訟の処理を合理化しようとする裁判所の努力は、ずっと冷ややかな受け止め方をされた。訴訟を効率的に処理しようと裁判所が創造性を発揮した事件は、しばしば上訴で覆された。その理由としては、裁判官の権限を逸脱し、立法府のすべき行為とした、あるいは、個々の事件相互の差異を軽視した、というものが挙げられた。」
アメリカの議論は参照あり。「こういった合衆国における批判は、「訴訟における個人主義的志向」に基づくところが大きい。その背景には、裁判所が事件を個別に判断するのではなく、一括して統一的に処理するのがどこまで許されるかについて、根本的な哲学論争がある。」(p268)
P267-268「第三章で論じたように、このように問題を立ててみると、制度の背後にあるさまざまな動機が明らかになってくる。その中には、裁判の効率性など、きわめて便宜主義的な動機もある。他方で、日本文化に深く根ざしたと思われる態度もみられる。その一例として、川島であれば、和解は和を保ち、形式的判決よりも優れたものだという考え方を示すだろう。」
※便宜主義的発想もまた、文化の産物だといえなくもないが…
p269「この(裁判の)個人主義的志向には、さらにさまざまな前提が控えている。ここではその中から三つの前提を指摘するにとどめよう。第一に、すべての事件はそれ自体独特のものであり、またすべての当事者は個別に判断を受ける権利があるという基本理念であるーーある学者は、これを「自然法」に基づく権利とまで言っている。第二は、損害賠償額の標準化が、とりわけ時間の経過とともに、実際上低い額にとどまってしまうのではないかという基本的な懸念である。これは日本でも指摘された点である。第三が、裁判所の複数の事件を一括して処理することによって、「侵されるべからざる(中略)弁護士—依頼人関係」を侵害することになる問題である。この点が、交通事故の分野における日米間の相違点につながる。」
※「単純化してしまうと、合衆国においては、弁護士の数が多いこともあり、人身損害事件の訴訟を少しでも簡素化しようと、多数の弁護士の生計を脅かしかねないものと受け取られる。」(p270)

p271「交通事件解決制度の運用の実態を超えて、その制度がいかに生まれ、また維持されてきたのかを探ると、そこには、ラムザイヤーと中里の言う「合理的選択」だけではなく、典型的日本人が調停を好み統一性を気にするという「文化的」要因とともに、少ない弁護士という「制度的」要因がみえてくる。文化と制度は分かちがたく関係しており、ともに合理的選択がいかに働くかに影響を与えるものである。」
p289-290「おそらく、ラムザイヤーとラムスーセンにおいた仮定のとおり、裁判所は自民党の利害に関わる問題に関与したいとは思わないだろう。しかし、それ以外の分野については、裁判所には政策判断をする用意があるといえよう。しかしここでも、公害や雇用差別、解雇、賃貸借契約といった問題をとると、昔から自民党に多額の政治献金を行ってきた大企業や大地主にとって大きな関心事であり、自民党の利益に関わってくると考えざるを得なくなる。」