E.F.ボーゲル「日本の新中間階級」(1963=1968)

 本書は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著書でも知られるエズラ・ヴォーゲルの60年代の著書で、日本のM町におけるフィールドワークをもとにした研究書である。特に日本の新中間階級の家族の状況に密着した研究として、とても貴重であり、特に家族生活における妻(母)の役割に対する分析というのは、とても細かい。P170-171にあるような男女の権力関係の話は、過去の日本の状況について考える上で非常に重要な話であるように思えるし、1960年前後の日本の町(これを都市と呼ぶべきかどうかは判断が難しいが)における家族の状況について、実証的に示している点で注目すべき内容ではあると思う。

 

 

 ただ、本書の大きな問題点として、ここで提示されている内容というのが、現場での観察によるものなのか、インタビューの結果聞き取った内容なのか、文献(ないし新聞等のメディア)に依るものなのか不明瞭であることが挙げられる。文献の引用・参照等は少なく、大部分は現地調査によるところが大きいのだろうと推測できるものの、その情報が正しく実態を反映したものなのか、また客観的な根拠に基づくものなのか、といった確認をとることができない。

 例えば、p48のような試験制度における「裏口入学」の仕組みについても、内容そのものは興味深い指摘であるが、これが正しい根拠のもと記述されているかどうかは、その記述の不統一さから言っても曖昧な部分を残している。そもそもこの裏口入学の話は、「無試験入学」(p47)の話として、いわば「コネ」の存在、ないし贈与慣行を介した入学許可の仕組みとして語られていたにも関わらず、途中から試験の点数の話を持ち出しており(p48)、具体的に何を指した話なのかがつかめないのである。

 また、p44のような学業に対する母親の関わりについても、私自身戦後の新聞記事で少し調べたことがあり言説としても見かけたことはあるものの、p218-219のような母親の主体的な関わりが語られるのを見たことがない。これも新聞記事で語られていることと、(ヴォーゲルが観察したような)実態が異なるから、と言ってしまえばそれまでであるが、本当に一般性が認められるのかどうかは疑問がある。

 

 この論点については、ヴォーゲル自身もp248で「解釈に飛躍が必要である場合があった」とし、そのような拡大解釈を行った場面があったことを認めている。しかし、それがどこの部分に該当するかはわからないし、p248で取り上げている「帰省時における田舎の親族からの頼みこみ」についても、一事例から一般則として拡大解釈している嫌いがある。私自身これは明らかに事実の捻じ曲げを生みかねないアプローチであると思うし、どこまで正しいことを言っているのかは、別途精査しなければならないだろうと感じた。

 

○「日本人論」に対するヴォーゲルの立ち位置

 上記の飛躍とも関連して私が気になったのは、p122にあるように、M町の人々の話を聞いた時に「一般人」と「私」の態度の違いであった。

 ヴォーゲルが本書で行う重要な指摘の一つに、「日本において体系だった規範がないにもかかわらず、それでも一般的に望ましいことの高度の合意があること」(cf.p122)が挙げられる。これは「日本人には個人主義のような明確な価値観がない」という日本人論的な意見への一種の批判となっている。しかし、その一方で「私」はその価値観に適合しているかと問われると「日本人の実際の見方とはかけ離れた言い方をする」のであるという(p122)。この態度(正確には「語り」方)の意味するところをヴォーゲルがどう解していたのかは明確にははっきりしない。ただ、考えられる見方は2つあるといえるだろう。

 

(1)この「日本人の価値観」はあくまでカッコ付きのものであるにすぎず、実際の個人を制約するようなものではない、という見方。

 これは私が今まで議論してきた「社会問題」のフレームで言えば、「社会問題の議論においては、社会問題に付随し問題とされる個々人の態度は一般論として各個人が持ち合わせているものだというものだとして語られる性質があったが、それが一般論とされるには実態を伴っていない」という見方とマッチするものである。新聞等のメディアを介して流布される人間像はゴシップ以上のものではなく、私の行動原理とは関連性をもたないという、M町の人々の発言を文字通り解釈した場合の見方である。

 

(2)発言としては「別物」という見方をしていても、それはタテマエに過ぎず、実際はその「価値観」に縛られているという見方。

 これは、M町の人々の発言と実態は異なるものだ、という結論となるものの、ヴォーゲルの議論をトータルで捉えれば、むしろこちらこそヴォーゲルの立場ではないか、と言うこともできるだろう。P123のような指摘の仕方はどのように語ろうとも、やはり日本人の価値観に制約を受けていることを前提にしないとできない。

 確かにヴォーゲル自身この「日本人の価値観」を日本の新中間階級が捉える際に、それがそのまま反映されている訳ではないことも強調している。P205にあるように日本の集団主義を規定する母子の依存性の議論について、これが絶対的なものではなく、むしろ変化しつつある、と言及する際には、明らかに一般的とされる価値観と、「私」は別物であることが実態として別のものであると認められている。これはむしろ(1)の考え方も存在していると言ってよいのではないだろうか。しかし、総じていえば、結論部にあたるp230-231にあるように「集団主義」という軸を捨てることは全くしておらず、日本人の価値観も一元的なものとして描かれている傾向が強いのである。読者の判断による部分もあるかもしれないが、私自身はこの一般化はむしろ新中間階級としての価値観を排除しているように感じた。

 

 しかしながら、このような態度が部分的なものであっても存在することで、既存の日本人論にはなかったような議論の厚みを与えていることも確かである。本書の中で興味深いと感じたのも、このような点にあった。

 

 

<読書ノート>

P3「〝サラリーマン″の発端は、古くさかのぼれば徳川時代にまで及ぶ。というのは一六〇〇年に日本が国内の統一をなし遂げて以来、武士の軍事的機能は消滅し、多くの武士は、事実上、政府のために働く行政官となった。明治初期に武士階級の特権を廃止するとともに、武士であった者の多くは政府官庁や政府の助成した産業界で、ホワイトカラー勤務者となった。行政官たる武士と、サラリーマンとが類似しているので、日本人はサラリーマンを現代のサムライといっている。……しかしサラリーマンは、武士とは違った社会的情況の産物である。武士という観念には戦う者という意味合いが含まれている。そして武士たる者の理想は、大胆で、勇気をもち、独立の行動ができるということである。しかしながら、サラリーマンは大官僚的組織の一員であるため、武士以上に複雑な経営的・技術的問題に関心をもち、独立した動きをする余地が少なく、より慎重で影響を受けやすい傾向にある。」

P14「町の人たちは、もし同じ資格をもった二人の青年が就職を希望しており、一人は父親があり、他の一人に父親がなかった場合、父親のある青年に仕事が与えられるであろうといっている。この差別的選抜のしかたは、入社試験をして社員を採用する大会社においてさえ、今日もなお行われている。何はともあれ、父親のない少年はちゃんとした規律や道徳的なしつけをうけてこなかったものと考えられるのである。何はともあれ、父親のない少年はちゃんとした規律や道徳的なしつけをうけてこなかったものと考えられるのである。たとえ、そうした訓練をうけていたとしても、会社は彼を父親のある子供よりも不正直になりがちだと考えるのである。」

※実証性がないが…

 

P19「事業家の妻はしばしば孤独を感じ、夫があまり家にいてくれないと不平をもらしている。……あきらかにそうだとは言わないが、妻はこれらのバーの特定の女性に夫が愛情をよせていることをねたむこともある。ふだん、妻は夫の余暇時間内の行動について詳しいことは少しも知らない。またそれを知ろうとつとめ、夫の女性を知る場合もあるが、夫が家庭のために必要な金や装備を与えてくれるのにことかかないかぎりそれを妨げようとしない。一般に、妻は満足しているのである。というのは、夫が自分や子供に安楽な生活を与えてくれているし、また、自分は地域では名誉と敬意ある扱い方をうけていると感じている。」

P27-28「このような恩恵はいつも普通のサラリーマンに与えられているわけではないが、一流会社は中小企業に比べてより多くの恩典を与えるという事実からも、サラリーマンが自分の会社に対していだく愛着を理解できよう。」

※そもそも本書におけるサラリーマンとは、「サラリーを受け取るすべての者をさすのではなく、企業や官庁の大官僚組織に働く月給とりだけを意味する」とし(p3)、「小企業の従業員」や中小事業主や地主といった「旧中間階級」も含まない(cf.p2-3)。

P33-34「大学の相互の地位だけでなく、その生活様式さえも、長年にわたって安定している。それは同種繁殖という慣行のためである。……会社は大学の名声を基礎に応募者を選ぶことによって、この安定を高める。」

 

P42「少なくとも、別の二つの社会組織、すなわち家族と学校は、この(※試験の)圧力のすべての力を理解するのに重要である。これら二つの組織の重要性は、人生を会社に託すことと同じく、日本の社会構造に浸透している顕著な特性の表現であろう。すなわちそれは与えられた集団内には高度の統合と連帯性があるということである。」

P44「母親と子供とは全く一体感をもっているので、子供の好成績と母親の好成績、さらには子供の勉強と母親の勉強を区別するのが時としてむずかしい場合がある。……先生にほめられるよいプロジェクトは、一部分、または完全に母親がやったものだというのは常識である。」

 

P47「もう一つの道は家族がその学業成績に関係なく、大組織体に直接息子を入れることである。たいていの学校には無試験入学制度が開かれている。そしてこれらの学生の選抜は、一般に学校の有力な地位にある人々からなる委員会でなされる。この委員会は両親が同窓生であるとか、学校に財政的に貢献したとか、学校の事情について有力な人を友人としてもっているとかいう、学校に対する特殊な縁故的つながりのある要求に基づいて少数の学生に入学を許可する。しかし、これらの門戸にもかなりの競争がある。……このようなコネを作る普通の方法は、このような有力者を知っている友人を得て、その人に助けてくれるようにたのみこむことである。ある中学校や高等学校の校長は、入学のあき定員一つに対して二、三回贈り物をもらう。」

※「試験の代わりになる真の道は非常に少ない」と断った上での発言。裏口入学的なものだろうか??

P48「非常に強力に力を発揮する有力な知人をもっている場合でも、試験の重要さから完全にのがれるわけにはゆかない。試験の点数が低ければ低いほど、有力者が自分の推薦する志望者を委員会の自分以外の人々に認めてもらうことは困難となる。また試験の点数ががあまりにも低いと紹介は役に立たない。」

※発言が曖昧である。無試験の話をしていたのではないのか??この事実はゴシップ以上のものから得たものなのか??

 

P51-52「しかし、開放的な競争の危険の一つは、お互いにはりあうことが集団をこわす危険をもつということである。

しかしながら、集団内では競争は注意深く抑制されるので、町の住民が属する集団内ではこの破壊作用は非常に限られている。子供がいったん学校に入学すると、学業成績はあまり重要でなくなる。生徒間の競争を抑止する働きをもつ集団の強い連帯感があるからである。一度会社に入ると、その人の成功は保証される。そして競争的ではない年功序列の優先と会社の成功に共通の関心をもつことによって、対立的競争は一定の限度に抑えられる。学校も会社も成績の低いものでも投げ出さないから、集団に生き残ることができるのは、誰かが集団から抜けてゆくことに基づくといった感じはもっていない。

入試をうける場合でも、彼は友人と競争するのではない。普通、彼は自分の集団の友達が全部合格者のなかにいてほしいと思う。」

P52「こうして、入試制度は友達と他人との区別をする働きをする。……一度入ると、競争は集団のなかでの忠誠と友好の下に統制される。このように入試という現象は、集団の結合をあまり脅かされないようにしながら、公平な普遍的基準を維持する働きをするのである。」

 

P72「多くの人々は、国内の経済的、あるいは政治的危機に面したとき、私利を考えない全国的指導者がより利己的な政治家たちの追従を得ようとして没我的愛国者としての非常な魅力をもって現われ、国を全体主義へ逆行させるのではないかということを、しかも、人々はそうした趨勢に対して無力であることをほんとうに恐れているのである。全体主義制度への逆行や下地を準備するような警察力の補強やその他の手段に対して、彼らをあのように強く反対させる理由のひとつは、この恐怖心なのである。M町に住んでいる一般の人々は、戦争を始めたことに対する共同責任に関して、多くのアメリカ人が原子爆弾を落としたことに対して感じている罪悪感と同じような罪意識はない。

M町の人々は、一方においては日本が戦争への道を強いられたと思いながら、他方においてそのような歩み方を決定したのは軍国主義者であって、彼ら自身が決めたのではないと思っているのである。しかしながら、人々は、日本が到底勝つ見込みのない戦争へ乗り出していったことは無法な誤ちであったち痛切に感じている。そして彼らは広島に対する感情は、アメリカが原子爆弾を使用したことに対して向けられている道徳的批難というより、惨害をこうむったことに対する憤りなのである。」

P74「M町に住む多くの人々は、日本にとって形式は様々なあれ、安全保障条約を受諾することは必要であり、また賢明であるとさえ思っていたのである。……しかし、日本が今なお従属的な役割を果たさなければならないことに対して憤慨するのである。これはアメリカの政策に対する批判といったものではなく、国の誇りが傷つけられたことになるのである。」

 

P80「多くのサラリーマンは若いころはかなり左翼的であったことを認めている。穏健な態度をもつようになったのは、むしろ次のような結果であると思われる。つまりサラリーマンは現在の立場に十分満足しており、これ以上、積極的に政治へ参加することによって得られるであろうことに関しては、全く悲観的であるように思われる。このようにしてサラリーマンは、それぞれ自分の地位を危険にさらすことをきらうのである。」

P88「しかし、妻と夫が一緒に外出するのを好まないのは経済的に云々とか、あるいは単なる慣習とかいうこと以上の強さをもっている。夫は同僚仲間の結束にはいかなる干渉をも許すことをきらい、妻に自分の同僚仲間にあまり接近されることもきらうのである。というのは、もしそうなれば妻は夫の職業上の役割について自由に評価することができるかもしれないし、それによって職場での夫の地位について今までもっていた印象を変えてしまうかもしれないからである。妻は妻でまた、自分の隣近所の仲間のなかで侵入してくるものは、いかなるものでもさけたいと願っている。」

※脚注でドーアの話を挙げている。

 

P105「女中と一家の主婦の関係は、サラリーマンとその上司との関係よりはるかに包括的なものである。けれども漸次労働力の供給が不足し賃金が値上るにつれて、女中の数は非常に少なくなった。そして成功して独立している専門従事者とか実業家と並んで、最も豊かなサラリーマンだけが今なおお手伝いを雇う余裕がある。それにもかかわらずM町では、たいていの家が最近までそのような女中を雇っていたし今なお若干の家では雇っている。最も一般的な女中の出所といえば田舎の女性であって、一六歳頃やってきて、上流家庭で働くことは今でも結婚準備のためによい訓練になると考えられている。」

P111「サラリーマンは、就職のことで頻繁に頼まれる実業家ほどには農村からの頼みごとで悩まされてはいない。それでもなおそれと同じような依頼をうけるサラリーマンもいる。特に、技術的な熟練を必要としない人たちに門戸を開いている会社などに勤めているサラリーマンの場合はそうである。M町の多くの家庭にとって、農村の親戚のものに就職口をみつけることは重大な問題を提出する。……

M町の人々のほとんどが、当然帰らなければならないはずの回数ほど農村に帰っていないといっていた。彼らは少なくとも一年に一度は、亡くなった家族をまつる昔からのお祭に帰らなければならないと思っていても、ほとんどのものが、ここ数年間というもの郷里の家へ帰ったことがないのである。彼らは帰郷しないことによって、親戚のものたちが子供を東京に就職させる時に助力してもらおうと、差し出す贈り物や好意を避けることができるのである。」

 

P121「共産主義諸国の国民は、そのすべての面を熱烈に受け入れるということはないにしても、マルキシズムはその国民の基本的目的観を表現し、その生活に意義を与えるような総合的体系を提供するものである。同じように西欧諸国の国民は、民主主義と個人主義をその生活様式を具現化する原理として示すことができる。M町の住民はその基礎的な信念を具現するような明晰な思想体系をもたない。……多くの日本の学者が気付いているように、ドイツ人は敗戦に際して、真面目に再検討することなく、戦前の価値観を再び主張したが、たいていの日本人の場合、敗戦に際して自分自身の生活観を疑い、苦痛のなかから再評価したが、いまだその苦しみから脱していない。」

P121「明確に体系づけられ、広く一般に受け入れられている価値体系がないので、伝統的な信念のうち最も基本となりうる面を疑ってみたり、疑うことに熱心になったり、また西欧の価値体系のうちのどの要素が採用に価するかを考えるような態度が生まれてきた。以前には疑問の余地なく受け入れていた権威をもっている人々の見解も疑問視されるようになっている。」

 

☆P122「人々は、伝統的価値と地位の関係を象徴するような儀礼とか、形式を重んずることの必要性を疑っているのである。……

これらの問題は、今でも論の的となっているが、戦争直後に比べてみると議論の場が限られてきている。そのおもな理由は、明確に公式化された価値を述べることはないけれども、町の住民の間には何が望ましいかについて高度の合意がある。価値の真髄を求めようという議論の大部分も、何が望ましいかについて共通の前提に立っている。そして価値の真髄を求めようとする努力というのも、これら広く是認されている前提を一層明確にし合理化するような価値体系を見出そうとする努力にすぎないことが多い。このように何が望ましいかについて、現に意見の一致があるために、明確に公式化された価値体系を欠いていることもそう重大な問題とはなっていない。」

P122「たいていの人は自分たちは特定の価値観をもたないし、自分の行動を律するものは確信とか価値ではなく、その場の情況とか慣習であると考える方を好む。慣習がパーソナリティのなかに内面化することがないようなつもりでいるのである。人生観というものは自分の確信とは何の関係ももたないかのように、人々は種々の人生観について議論するのが好きなのである。たとえば、古い日本では信念はこれこれであった、しかし新しい日本では違う――というのをよく耳にするし、アメリカの民主主義をヨーロッパの実存主義とか日本の伝統と比較する。しかし彼らが論ずる場合、それらは日本人の実際の見方とはかけ離れたような言い方をするのである。「日本人の考え方は……」「日本人は、伝統的にこう考えている……」または「新しい日本人はこう考える……」とは言うが「私たち(または私)はこう考えています……」とか、「私たちはこう信じています……」という言いまわしはほとんど聞くことがない。」

※R.P.ドーアが宗教について聞いた時も同じ状況だったという(p136)。

 

P123「親たちの多くは子供たちが道徳原理を教えられていないことを問題にしており、学校で伝統的な道徳教育を再開する運動を公然と支持している人々もいる。保守的でない親たちでさえ、今日の子供たちは自分たちが受けてきたような道徳指導、訓練やしつけを受けないので、子供たちがこれから先の困難に打ち克つことができないのではないかと心配している。多くの親たちは自分たちがこれまで自由を拘束されていながらも自己を維持できたのは厳格な道徳訓練のためであり、苦労をしたという経験は強い道徳的気骨を与えてくれたのだと考えている。しかし子供たちは道徳的基礎がないので、流行や虚構の風に流されてしまうのではないかと懸念しているのである。このような親の考え方のなかに、自分たちが苦しめられたきびしい訓練を合理化する気持が働いているとみる者もあるが、青少年は包括的に信念の体系がないため、その場その場の流行を受け入れやすいという論には多くの根拠があるようである。」

P131「成績はそれ自体として価値あるものとは考えられない。それは、集団のために高く評価される。というのは、個人の成績は当人ばかりではなく、職場の同輩にも影響を与えるからである。グループは緊密に結びついているので、一人のメンバーの成功や満足は、全グループの成功に依存するし、一人のなまけ者がいると、それが全成員の地位をそこなうこともある。仕事を遂行する場合、自分の最善の努力を尽くしただけではほめられない。集団のために、何か成果をあげなければならない。そうでない場合は、結果の責任は自分で負わなければならない。もし在学中の子供があやまちを犯したり法律にふれてつかまったりすると、その非行の子供を正しい方向に導くためにいかに努力したとしても、その担当教師に責任の一端があると考えられる。また修学旅行で子供がけがをすると、その事故の起こった情況が現実にはどうであっても、そのクラスにつきそった母親に責任の一部があると考えられる。個人の責任は、このように包括的であるので、たいていの活動はひとりの個人によってではなく、グループによって決定され遂行される。」

※このことについては「西欧の観察者を驚かす二つの一般的特色」の一つとして挙げられている(p124)。

 

P144「M町の多くの人たちは家に対して積極的な価値をおいていない。しかし先祖や家計に関心をもつことは拒否していない。人々は、家族制度、特に家長による気ままな支配や本家による分家の支配とか、家の伝統の強調を、封建的過去からの遺物であるからできるだけ早く捨て去るべきものと考えている。しかし因襲を忘れたいと望む声は、特に低い身分の出身で、現在では高い地位に立っている家からも出ている。長い歴史をもつ裕福な家は今でも尊敬されているが、親の代あたりから中流階級に入った家では、その卑しい出身を忘れたいと考えるのが普通である。そして尊敬の基礎には家計が重要な位置を占めていることを認めているようで、都市へ来住して経過した期間とか先祖の地位を誇りにすることが珍しくなく、また自分に親類にはこういった金持とか有名人が居るのだということを、他人に話したがっている。低い地位の家では、家系も短く、護持すべき家宝も少ないばかりではなく、誇りをもって示すべき家系などもない。そこでその多くが、先祖に対しては、ほとんど関心を払わないのも当然であろう。」

P144「本家の家長の責任の一つに、その家の構成員全部の福祉をはかるということがある。……

しかし家の力が弱まるにつれて、本家の家長が困っている構成員の資金の割り当てを統制することがむずかしくなってきた。都市へ移った分家が本家より豊かになるということで、特に本家の力が弱まった。田舎にある本家の家長が都会の裕福な分家から助けを求めることはむずかしくなる。と同時に、分家の方でも、困ったときに本家に援助をあおぐことも困難となってきた。」

 

P154「日本の漁村では、乗組員が男性に限られ女性が舟に乗るということは、考えるだけで嫌忌されるべきものとみなされ、この掟を破って罰せられたという話が、多くの神話や迷信に劇的に織り込まれている。多くの伝統的な日本人にとって、男性が家庭の仕事をすることは、考えるだけでも漁船に女性が乗組むのと同じように忌むべきことである。私自身、台所に立入った男性には恐ろしいものが待ちうけているという伝説があることは知らないが、そう年をとっていない人でもその父親が台所に居るのをみた記憶をもっているものは少ない。」

P155「妻が留守のとき、自分の食事の準備もできない夫はまだ多く、妻が出掛けているときに、お茶も飲まないでいるという夫もまだいる。妻は家の修繕さえ行なう。必要なときには石炭や木炭を処理したり庭仕事をやったりする。

たいていの夫婦は両性の平等を強く信じ、若い夫のなかには、結婚のときには妻を手助けしようと決心するものも多いし、また皇太子さえも食器洗いを手伝って範例を示している。また夫はたいてい夕方には家に居ることなどを考えてみると、分業が今でもこのように強く維持されているばかりではなく、主婦の側でも夫が家の中で手助けをすることを望んでいないということは驚くべきことである。」

P160「アメリカ人が、日本婦人の日常生活について、その生活が完全に家庭中 あることを聞き(※ママ)、日本の主婦は、その拘束されている生活に不満をもっていると思いがちである。これは、家庭に閉じこめられているアメリカの中流階級の女性の態度を正しく反映するものであろうが、M町の婦人の気持を反映するものではない。家庭と仕事、または家庭と個人的享楽との間に矛盾を感じている個人は、ほとんどいない。」

 

P160-161「若い男性もその両親も、まさにこの理由で、あまり広い経験をもたない娘を望むのである。共学で最もよい大学に通った、教育程度の高い男性でさえ、同じ大学に通ったり、または外国へ留学したことのある女性とは結婚したくないということが多い。それは、これらの女性は、母や主婦としての生活に不満を感ずるであろうからである。」

P161-162「しかし一般的な質問、たとえば、一世代または二世代前の若い妻の生活について尋ねると、例外なく、〝苦難に満ちた″というような紋切り型の話をしてくれる。たとえば、一家の者がいろりばたに坐わって食事をするときに、若い嫁は、煙の来る方向に座を占めるが、家族の者に給仕をしなければならないので、坐わるいとまさえなかった。若い嫁はひまを見つけて、急いでごはんを食べるとか、他の人たちが終わったあとで食事する。しかも、食事を終えるや否や、また仕事にとりかかる。後片づけをして、次の食事の準備をする。嫁は一番早く起き、寝るのは一番後であり常に家族のための仕事をしていた。嫁は男たちばかりではなく、姑や小姑にも仕えるであった。これをうまくできないことがわかったり、失敗したりした場合にいじめられた若い嫁の話には悲哀がこもっている。他人の家にいる新婚の妻で、長時間の労働に疲れはて、朝早くの朝食を準備する時間になったら起きなければならないと、床の中に横たわっていながらも眠りこまないように努力している姿というものは、今でも町の住人の心情をかき乱すものである。

現在話されている物語をそのまま基礎にして、昔はどれだけひどい状態にあったかを押しはかることはむずかしい、ただ、現に起こったことと、一般にロマンティックにされた紋切り型との間に食い違いがあるということ、少なくとも、紋切型は誇張されているということはいえよう。しかし、その話がほんとうかどうかは別として、町の主婦たちは過ぎし時代の恐怖の姿を、自分たちは幸福であると考える際に、現在の境遇と比較する基礎として思い出しているのである。」

 

P165「理論上も実際上でも、女性は他人の前では、自分の夫に絶対の尊敬をしめしはするが、家のなかでは、必ずしもそうではなかったのである。伝統的な日本の場合でさえも、夫というものは、家事の指図などはまったにしたことはなかったのである。もし妻が、だれかに指図されているとするならば、それは夫よりもむしろ姑によってであった。一世代前でさえ、絶対的な服従の美徳と、実際の行動との間には、相当に大きなひらきがあったわけである。」

P166「農民や小売店主や、あるいは独立した専門職従事者たちの生活のうえでは、家庭のことと仕事のこととは、はっきりと区別されていない。父親は家で商売をする。そして妻はその仕事の手伝いをするということから、妻はたえず夫の権力が集中されていくことに対して、不満が増大しつつある。

しかし、町のサラリーマンの家庭では、家のなかの権限は分割されている。つまり、妻は家庭の内部を受けもち、夫は自分の仕事と家庭のレクリエーションの場面を受けもっている。そして一般的にみて、このように権限を双方に分割するという原則は、夫婦の調和を維持し、両者の欲望をお互いに満足させるということにおおいに役立っている。」

P170「ふつう一般の夫たちは、こと自分の楽しみごととか、子供たちに対する妻の扱い方についてのこととなると、往々自分勝手な権利をふりまわすらしい。……また父親たちは、よく子供たちの躾だとか、友だちづきあいだとか、社会的な役目について、規則をつくる。すると母親は、子供にそれをやらさせなければならない。つまり、こうした問題だとか、またときには、関与しなくてもすむようなこまかい事柄にさえも、夫は、たとえ家の者たちからこぞって横暴だと批難されようとも、そんなことにはおかまいなく、父親としての権利を行使するのである。」

P170「夫の優越した権威というものは、いまや夫自身もそして多くの者たちも、ひとしく支持している民主主義の考え方のなかでは、成り立ちえないものとなっている。しかしそれにもかかわらず、妻たちが自分の夫に、あまりにも多くの威信と特権を与えているということは驚くべきことである。」

 

☆p170-171「だが夫の側に優勢な権利を与えるものは、マルクスエンゲルスによって力説されたように、女性が夫に経済的に依存するということのためだけではない。男性を女性に依存させるよりも、逆に女性を男性に依存させた原因は、女にとっては妻となる以外には社会的に是認されるような選択の道がなかったからなのである。だから、たとえ妻が、虐待とか離婚といった究極的な制裁の可能性を意識的に知らなかったにしても、この制裁は、夫に優越した権威を与えているという慣習を持続させていたのである。」

P172「しかし、M町の妻たちが、夫を喜ばせようとして働くしの働きぶりは、アメリカの秘書たちがそのボスに尽くすものの比ではない。妻たちは、自分の夫を、まるで長男のように扱っている。自分の子供を扱うときと同じように、夫たちもいつも幸福で満足な状態にしておこうと一生懸命につとめるのである。そうすれば、夫は自動的に妻の要望を叶えてくれるようになるのである。」

P175「M町には、姑と嫁とが一緒に住んでいる家はもうほとんどない。しかし、いま一緒に住んでいると仮定してみるなら、その二人の間には、必ずやむずかしい問題がもちあがり、そして家庭の事情がそれによって大きく左右されるようになるということが、明らかである。個人的な会話のなかや新聞のかこみ欄には、この姑と嫁の関係が、現代日本の家族が直面している最も重要な問題であるとして、いつも繰り返し取り上げられている。」

P177「「もし妻と母とが水に溺れているのを発見したら、夫はどちらをまず助けるべきでしょうか?」という、昔ながらの質問を夫になげかけるなら、昔ならたしかにその答えは、「それは母親です」ということであった。というのは、母親は夫にとってはかけがえのない人であるのに対して、妻は新たにもらい直すことができるという理由からであった。しかし、もはや今日では、夫は、妻か母か、どちらかをとってどちらかを捨てるということではなく、両者を同等の立場においているのである。つまり、そこに明瞭な解決がないまま、それで両者の張り合いがいつまでも続いているというのが現状なのである。」

※このような議論にも出典はない。

 

P195「夫たちが自分の勤めている会社へ尽くす忠誠は、自分の家庭へ尽くす忠誠と同程度に重要であると説くことも可能であろう。しかし、一般には、この二つの忠誠が矛盾するということはない。そして、たしかに、家の考に優先して君主の忠をおいた武士道に比べられるような、明確に至高の位置に立つ忠誠の対象が外部にはない。」

※「両親や子供のために犠牲になるということは、相変わらず最上の美徳とされている。」(p180)の脚注。

P186「夫が(※仕事の都合で長期間)家庭にいないということは、まれに家族に不適応の問題をひき起こしはするが、夫に対する情緒的な依存度は、アメリカの家庭の場合ほど強くはないために、そうした別居を可能にし、容易にそのような事態に耐えさせてもいるのである。だから、母と子は家に残り、父親は仕事仲間にすっかり依存したり、紅燈の巷へも出かけていけるのである。」

P187「母と子が結合することのもう一つの結果は、世代間のずれなり違いを、最小限度にくいとめる役割を果たしているという点にある。急激な社会変化を経験している多くの社会では、この世代間の違いなりずれは、とりわけ激しく、親と子の間に鋭い分裂を引き起こす。ちころが、家族の者たちと父親との間の分裂は、たいていの場合、逆に世代間の差をちぢめてゆくように作用するものである。というのは、そのために、子供と古い世代層に属している母親とが親密になり、子供たちは母親の忠告に耳をかたむけるようになるからである。M町の若者たちは、古い世代に不平をもらすようなことはあっても、母親に対してだけは、ほとんどが同情的である。たとえば、アメリカの都市の多くの移民の親子の間にも分裂があり、そこでは、世代間の離反という重大な問題となっているが、日本では、子供が母親と緊密に結びついていることから、このような離反に対して、それは、きわめて効果的な障壁となっている。」

※大学闘争などにも影響していると読める。

 

P190「M町の人たちの結婚生活において、性生活の果たす役割はきわめて小さく、そしてたいていの夫婦は、いったん少し眠ってから、ほんのちょっとの時間で性交渉をすませてしまうという事実は、夫婦間におけるプライバシーや、親密度に欠けるということと明らかに相関している。

おおかたの若い妻たちにとっては、結婚するまで、性的欲望は強く抑えつけられていたため、結婚してもすぐに性行為に満足感を味わうということは、むずかしい。現在の中年婦人の多くは、性については、結婚の当日に母親かあるいは、仲人から簡単に説明され、そしてその際、性行為を描いた二、三枚の絵をみせてくれるまでは、このことについてはなんにも知らなかったと語っている。」

※初潮・月経についてはどう説明していたのか…?性生活については、篠崎信夫「日本人の性生活についての報告」(1957)を参照している。しかし、性交の回数が極端に少ないともいえず、例えば20代前半ならアメリカは週2.5回、日本は2.2回とされる(p196)。また、前戯をアメリカ人の事例では全てが行なっているとするが、日本人は39.9%が行わないとしている(p197)。

P198「第二次世界大戦終結するまで、日本には貝原益軒の古典にみられるように、女性のとるべき正しい振舞についての基準となる手引があって、妻が夫に対して、また子供が両親に対して、守るべき道徳的本分がこと細かに明白に書かれてあった。しかし、その手本の作成を援助した政府の指導者たちや儒学者たちは、親の子供に対する取り扱い方については、何の助言もしていなかった。そのため、孝行についてのきびしい型があるのに対して、理想的な親としての行動を述べる正式の伝統というものはなかったのである。育児に関する教えは、年上の経験を積んだ婦人に委ねられ、それが若い婦人へ口伝えで教えられるものであった。そして、多くの地域社会に共通した育児法があったにもかかわらず、それは、標準化され得なかったし、合理化されるようなこともなかった。」

P200「サラリーマンの家庭は、多くの点で最も伝統からの離脱を示しているにもかかわらず、サラリーマンの妻は、家にいる時間も長く、かつ子供にかかりきりになっているために、他の職業の家庭の場合よりも、母と子の依存性が強くさえあるということが逆説的にいえる。M町のサラリーマンの家庭では、母も子も、母方の親類たちと離れているため、母親たちと子供との関係は、伝統的な農村の家庭の場合よりもきわめて強く、そして、外部から干渉を受けることも非常に少ない。」

※これはあくまで直接的には制度的な話だが、実質的には家父長的な議論に付随する結論となる。

 

P204「アメリカでは、母親が子供の後を追いかけて街を走る情景をよくみかけるのであるが、M町では反対に、子供が母親の後を追いかけてゆくのをよく見かける。母親が子供の少し前を走って、子供が急ぐように元気づけているのである。また、ここでは、子供を罰するために、外出を禁ずるという話は聞いたことがない。ここでよく見かけるのは、反対に、子供が家の外に出されて、自分のやった悪いことに対してあやまるまでは内に入ることが許されず、大声で泣きながら母親をよんでいると、いった情景である。」

P204-205「ほかの地域社会と同じように、M町でも、子供たちはどんどん独立的になってきてはいる。しかし、向上心は、アメリカでは子供自身のなかから生まれてくるのに対して、ここでは、母親から与えられている。M町の母親たちは、一方では、子供は依頼心ばかりで強くていけないといったような不安をもらし、ときにはひとりでやってゆけるようにつき放してやることもぜひ必要なのではないかと思っている。しかし、アメリカではこれとは全く反対で、母親たちは子供があまりに独立的であることに不満を感じながらも、独立をすばらしいことだとたとえ、独立を自然のことと承認しているので、子供は親に反抗し、早く独立しようと思っている。このようにして、無意識的に独立を助長しているのである。」

P205「しかしはっきりとはいえないが、一般的趨勢としては、依存性を少なくしようという新しい動きが芽ばえだしていることも事実である。アメリカの育児法の実際について、他人の話を聞く機会をたくさんもったり、私たちが調査している間に、アメリカの子供たちを観察する機会をなん回かもっている母親たちは、自分の子供たちはたしかに依存的であると感じとってもいた。しかし、私たちが、みんなの前でアメリカの子供の独立心はさらに強いという話を初めてしたときには、少なからず不興をかった。母親たちがそこに不愉快さを感じたということは、母親にとっては喜びであるが、子供にとっては独立を認めてやったほうがいいと心のなかで思っている証拠のようにうけとれた。近頃のマスコミにみられる多くの育児欄も、母親たちの自分本位の考え方から子供をいつまでも依存させておいてはいけないと励ましている。」

 

P218-219「母親たちは、入学試験の準備のために、まさに膨大な勉強を子供たちにさせなければならない。そこで、母親は、子供が小学校の頃は、いろいろと子供の補助教師の役目をしなければならず、夏休みにでもなれば、正規の先生そのものにもなりかわってしまうのである。子供が高校に入って学習内容が高度になると、母親が直接みてやれなくなってしまう。それでも、母親は子供に相当に長い時間、勉強をさせる責任をもちつづけなければならない。たとえ内容はわからなくても、母親は解答集を用意し、子供の勉強について質問したり、練習をさせたりするのである。」

※教育ママ言説においてもこのような語り口はほとんどないように思える。教育ママ言説においては、母親はここまで寄り添う形では熱心に関わらない。

P224「こうしたこれらのすべての変化があったにもかかわらず、M町のこの調査から得られたものは、日本の社会について他の研究から得られるものと同じように、割合に秩序正しく制御された生活の姿であった。……

……たしかにこうした急激な変化は、日本の個々人や各種団体に、かなりの緊張をもたらしたが、社会の分裂には一定の限度があり、近代社会への転換期を通じて、社会秩序が高度に維持されながら現在に至っている。都市的な産業社会へ移ろうとした時期においても、また高度な近代化をすでになし遂げた現在においても、その秩序を維持するに役立った日本の社会構造の特色について考察することは、極めて重要なことである。」

 

P230-231「育児とか人格構造にみられる特色というものに眼を向ければ、こうしたものも、たしかに整然と秩序を保ちながら変化をすすめたということにおおいに役立っている。すなわち、子供のしつけ方は、集団に依存させてゆくというものであった。そして、現代の都市社会においてさえ、家族からその成員を追放する勘当とか、あるいは村からその成員を追い出してしまう村八分という考え方は、なお強く人々の心のなかに残っており、そうしたところから、人々は自分の所属する集団のなかでは、後指をさされないような立場を保とうといつみ考えていたのである。個人はすべて集団依存的であり、集団の要求から離れまいとたえず気をつかっている。だから人々は、新しいほかの集団へ移ってゆくときでさえ、準備がすべて整えられ、そこに招かれて移ってゆくという「御膳立て」のほうを可としたのである。個人の集団への忠誠心を強調するという価値体系は、人々が集団へ基本的に忠誠を尽くすことを全面的に維持し、またそれが変化の過程を統制することについての集団の力を擁護する傾向をもったのである。」

 

P248「若干の問題については、解釈には飛躍が必要である場合があった。たとえば、町の人たちが自分たちの田舎へあまり帰ろうとしないことの最大の理由について、私は、彼らが帰郷したときに起こるもろもろの事柄や、そのときにうける面倒な依頼をどう処理してよいのか戸惑い、かつそのことを恐れたからであると判断した。しかし、M町には、このことをそれの理由としてあげる人は一人もいなかった。みんなは、もっとたびたび帰省すべきなもだがと言っていた。しかし、帰省しないという事実について理由は、別に述べもしなかったし、たとえ言ったにしても、それは仕事の休暇が短いとか、休暇をとれるような休日のときにはたいへんに交通が混雑するからであると説明するだけであった。このようなことはまさしく重要な理由である。しかし、私たちがM町の人たちと一緒に、二度にわたって、その人の田舎の親類のところへ行った体験からすれば、その二度ともたくさんの村びとたちが、上京したいのだがそのときには自分たちの住む家を見つけてくれとか、いろいろ手を貸してくれとかいって、贈り物をもって集まってきたのである。こういった観察によってM町の人たちが田舎の友人や親類筋の者たちから、いろいろと面倒な依頼をうけていることを私たちは初めて知ったのである。多くの人たちは、田舎へ帰らないことを申しわけないと思っておりながら、また同時に、田舎の知人からいろいろと依頼されることを懸念しているので、私たちは、たとえ実際はそうでないのかもしれないが、この私たちの観察した二つの事実を関係づけて理解することは、まちがいではないと考えたのである。」

※しかし、本書ではその飛躍をあえて行うというスタンスをとっている。そして当事者からの発言は結果として無視されている。確かに間違いではないかもしれないが、本書の語りは、やはり普遍化しているようにしか読めないし、それは当然間違いに転じる。