リー・マッキンタイア「「科学的に正しい」とは何か」(2019=2024)

 今回から3回程度かけて、「科学」に関する議論を行ってみたい。本書は所謂「自然科学」の議論をベースにしたものだが、私自身の興味自体は社会科学の方にあり、特に気になっていたマルクス主義的な「科学」観との対比を行うことを目的としながら考えてみたい。今回とりあげるのはマッキンタイアの「「科学的に正しい」とは何か」(2019=2024)だが、この後「エビデンスを嫌う人たち」(2021=2024)で似非科学に対する理解をより深めており、こちらについても適宜取り上げたい。

 

 本書でマッキンタイアも指摘するように「科学とは何か」という問いはそれ自体極めて重要な問いであり、それは科学的でないものとの闘争関係にある場合にはなおさら重要なものである。ただ、この「科学」の具体的定義の失敗は歴史的に証明されているものであるとマッキンタイアは語っている。

 「科学は経験的な観察によるべき」という論点は科学にとって重要なもののように思えるものの、例えば占星術との区別がつかず、またひも理論のような経験的に観察できていない思考実験そのものは科学とならないのかという問題も生む。このような議論を細かく行った上でマッキンタイアは「科学への問い」ではなく「科学的態度に対する問い」に応えることで科学の議論を整理しようとする。

 

 そして、この「科学的態度」の定義というのを、

(1)経験的根拠を大切にする。
(2)新たな根拠に照らして自分の理論を変える意思をもつ。

の2つの性質に見出すこととなる(2019=2024,p115)

 

 この主張に対しては多くの註釈が必要になるだろうが、まず押さえておきたいのは「科学が絶対的に正しい認識をもたらすものである」という前提に対し懐疑的であるべきだということを意味する。

 これはそのまま仮に科学的に行っていたはずの議論が誤りであったとしても「失敗が起こるのは科学者が間違っていた、あるいは無知だったときだけだという考え方は、心地よいが正しくない」とされる(2019=2024,p21)ことにも繋がる。

 この点詳しい議論は「エビデンスを嫌う人たち」(2021=2024)のフラットアーサーの態度の問題として捉えた方がいいだろう。フラットアーサーをはじめとした似非科学の支持者の特徴としては以下のことを指摘している。

 

・「フラットアーサーになる人は概して、権威に対して根深い不信感をもつ一方で、自分自身の感覚を通して得た経験に対しては全幅の信頼を寄せている。」(2021=2024,p30-31)間違いを指摘しても「彼らはそれ以上深追いせず、ただ話題を変えるのである。」(同上、p40

・相手と自分の仮説を何故か二項図式的に捉え、相手の主張が間違えならば自分の主張は正しいかのように振る舞う(同上、p46)。

・その主張は自らのアイデンティティとの結びつきが認められる(同上、p54)。「彼らにとっての証拠とは、自分の社会的アイデンティティを正当化する便利な手段にすぎない。」(同上、p54)言い換えれば、このような科学の正当性をめぐる議論は、アイデンティティの保障の問題と何故か関連付いてくる要素を持っているとも言えるだろう。更にフラットアーサーは過去にトラウマがあった者が多かったことが指摘される(同上、p108-109)。

 

陰謀論者が科学的な推論と相容れない理由は、もう察してもらえただろう。科学では、仮説と現実に照らし合わせて、自説に反する証拠をさがすことで検証をおこなう。そのとき、もし自説に沿う証拠しか見つからなければ、その仮説は正しいと考えられる。だが反対に、自説に反する証拠が一つでも見つかれば、その仮説には退席してもらうしほかない。

ところが陰謀論者は、否定的な証拠を前にしても意見を変えようとしない。彼らはそのかわりに、肯定的な証拠の欠如や否定的な証拠の存在を説明する方便として、陰謀そのものを利用しがちである。よって、陰謀論を支持する証拠が見つからないことは、部分的に陰謀そのものによって説明できることになり、つまり陰謀論者は、証拠があることもないことも自分に都合よく利用できる。

私の言葉を使えば、陰謀論者はほぼ例外なくカフェテリア方式の懐疑論者だ。陰謀論者は、自分たちは最高レベルの推論基準を採用していると言うが、そこに、一貫性は見られない。彼らは、証拠のダブルスタンダードで有名だ。つまり、自分の信じたくないことに関しては、不十分あるいは存在しない証拠すら受け入れる。」(2021=2024,p90)

 

 最後の主張は本書では次のように言い換えられている。

 

「この創造科学の誤りを、反証主義の考え方を使って見つけることはできるか。以前の占星術の例と同様に、できると考える人もいるだろう。神が宇宙とすべての生物を創り出したという創造科学の中心的な発想は、どんな根拠にも対応できてしまうからだ。…#…本物の科学では、理論が崩れる危険を冒してでも経験に照らしてテストするが、一方で創造科学は、矛盾する根拠を示されても理論を変えようとはしない。しかも創造科学は、自説を支持する前向きな根拠はほとんど提示できない。ゆえに、多くの人から疑似科学とみなされている。」(2019=2024,p46-47

 

 「科学的態度」との関連では、カール・ポパーの議論を踏まえ「自らの主張が誤りであると仮定して、一体何が示されれば自らの主張が誤りであると言えるのか」(cf.2021=2024,p55)という問いに答えられるかどうかを一つの似非科学者へのリトマス紙とした点は注目すべきだろう。フラットアーサーはこの問いに答えることができないか、仮にそれを提起できても実行しようとしない。「科学的態度」を持つ者ならこれを検証する意欲があるはずである。

 

〇科学と教育の関連性

 科学の位置付けの重要性は、教育の分野には致命的に重要な論点となりうる。詳しい議論は次回以降に持ち越すが、本書で語られている話をもとに少し考えてみたい。

 教育の分野において科学をどう扱うかという問題がどうしても残る。似非科学の側が繰り返すのは、「両方教えればよいではないか」という主張である。ここで有効なのは、「科学的根拠」を取り扱うという視点である(cf.2019=2024,p45-46)。

 一見すると「別に多様な議論の存在を教えること自体には問題がないのではないのか」と考えたくなる。しかし、「科学的態度」がない状態で「科学的」なものに触れた所で、それが科学的かどうかというのはそもそも判断ができないことに留意すべきである。その意味で「科学的態度」自体が教育を行う上で極めて重要なものとなりうるということになってくるのは明らかである。

 これはすなわち、具体的に何を教育で教えるか以前の問題として、教育されるべきものとして「科学」ないし「科学的態度」が選ばれる必要があるのではないのかということである。

 では何故「科学的態度」は教育される必要があると言えるのか。極めて単純に言えば、科学こそが人類の進歩に貢献するものとみなされているからである(※1)。もっとも科学的態度を教えるのは当然として、非科学が扱われるならば反面教師的に取り上げるものにしかならないし、基本的には科学が題材として扱われるべきということになる。この具体的な科学の取扱いというのは、その科学の発展を企図しているものと見て問題はない。ではそのような具体的題材は如何にして決めるべきなのか、誰が決めるものなのか。本書でもこの問いには答えており、「専門家集団」の役割を無視することはできないだろう。

 

〇研究者集団の位置付けの問題と「科学的態度」の問題

 研究者集団の問題は恐らく「科学的態度」をめぐる問題としても重要性があるはずだが、あまり本書では掘り起こされている感じがしない。私にはこれも本書における科学的態度をめぐる定義の限界によるものではないのかと思う。この研究者集団の議論は私もすでに羽入達郎のレビューの中で取り上げた。仮に研究者集団のようなものが機能しないのであれば、例えばヴェーバー論をめぐる羽入の要求のように論文中にある論点に関わるすべてのヴェーバーの引用がなければ「知的誠実性」が確保できないという突飛な主張もある意味で妥当となってくる。

 マッキンタイアはどちらかと言えば研究者集団の中で確立された方法論の方により目を向けているようである。これは結局「科学的態度」を抽象的なレベルに留めるのではなく、その指標を行為によってしか還元できないのではないか、という意味で一理ある主張である。

 

「ここで、科学的態度を備えた研究者の特徴を思い浮かべた人もいるだろう。優れた科学的態度をもった人物は、謙虚で、熱意があり、心が広く、知的に誠実で、好奇心が旺盛で、自分に対する批判的な視点をもっているはずだと。しかし、科学的態度を単に個人の精神性の問題と考えたり、そうした特徴をもっているか否かを個々人の判断に委ね#たりするのは危険だ。そのやり方では、たとえば否定論者や疑似科学の信奉者に対応しきれない。そうした連中は、まわりから見ればうそに決まっているのに、根拠を大切にしていると言うかもしれないからだ。そうした人は、単に我々にうそをついているだけかもしれないが、自分にもうそをついている可能性もある。科学的態度を、根拠を大事にしているかどうかの実感の問題にしてしまったら、経験に照らして自説をテストする方法を模索する真にひたみきな人間と、根拠重視の精神は自説を裏づける実例を都合よく集めるためにあると勘違いしたイデオロギー唱道者とを見分けるのは不可能になる。だから、科学的態度の有無は行動から判定できるものでなければならず、そしてその判断は個人ではなく、科学的態度という指針を共有する幅広い科学者のコミュニティによって行われるべきだ。つまり根拠を大事にするとは、十分な正当性をもった見解をもたらしてきたものだとして科学者集団に認められた、磨き抜かれた一連のやり方に従って行動することである。」(2019=2024,p117-118)

 

「科学とは単に「科学者の行うこと」だとは私には思えない。これは、たとえ科学がよ#い研究の進め方と実際に密接に結びついているとしてもだ。こうしたよい研究の進め方は、個々の科学者と、広い科学界の両方が共有する批判的な価値観から発展する。次章で見ていくように、科学的態度を構成する信念や規範、価値観、振る舞いを監視する実践的手段を生み出す過程では、科学者のコミュニティが重要な役割を担う。よい科学的研究の進め方を一連のルールとして明示するのは不可能だが、きっとそれは、科学者のコミュニティがたまたま信じていることには尽きないはずだ。」(同上、p177-178

 

「幸い、制度としての科学は個々の科学者より客観的だ。厳しい監視の目が、個々の科学者がもつバイアスへのチェック機能を果たしている。この章で取りあげたいくつかの実例では、個々の科学者の野心やちょっとした心の隙が問題の原因になっていたが、コミュニティによる厳しい監視がそれに対処できていた。……

疑似科学者が科学者より認知バイアスに影響されやすいわけではないし、科学者のほうが合理的だということですらない。重要なのはそういうことではなく、科学では分野全体の取り組みとして根拠に関する一連の基準が設定され、それを通じて人間の最悪の衝動をチェックし、修正を行いながら前進すること、そして#理論の提唱者以外の人々の手によって、科学理論が信じるに足る論拠を備えることだ。

科学は経験的テーマについて人為的な誤りを発見・修正することに最も長けた分野だが、それは科学者が飛び抜けて誠実だからでも、個々の科学者が科学的態度を守ろうとしているからでもない。それはむしろ、そのためのメカニズム(厳密な定量的方法、科学者仲間による吟味、根拠のもつ反駁のパワーへの信頼)が、コミュニティのレベルでの科学的態度に支えられているからなのである。」(同上、p253-254)

 

 マッキンタイアの基本的な発想は、科学界においてはこのような研究者集団によって科学的態度の(2)を担保しようということに他ならない。ただ、それほど科学者集団を信用してよいのかは疑問が残るし、マッキンタイア自身も「科学界はときに痛ましいほど非合理的な場合がある」ことを認めている(p489)。そしてこれは後述する社会科学においてはより顕著な傾向になることが想定される。

 結論から言えば私自身はマッキンタイアの(2)のような科学的基準よりも、

(3)自らが語る科学的主張に対する対話可能性を継続すること

のような基準を科学的態度に設けるべきではないかと思う。(2)のような観点は私には過剰な期待をもたらすような議論に繋がる主張であり、それはそのまま科学者集団への過剰な信頼といったものに繋がるものではないのかと思う。言い換えれば、「科学的態度」に善性を前提としない方がよいのではないかと思うのである。

 そして、(3)のような基準はこれを上回る(2)のような基準を求める必要性もないのではと思うのである。というのも、結局研究者集団はもともと「悪」の方向に規定されしてまっているのであれば、基本的に当然「悪」の方向を志向し続けるだろうし、それに対して誰が「改心」させるのか、という問題は科学的態度をめぐる議論としてあまり生産的ではないように思えるからである。

 

 それよりもむしろその悪性の「研究者集団」に対しては無効であっても、数十年のスパンでその議論の科学性に対して疑念を提出し、その問題を整理した上で、他の者や後代の者に伝えることの方が重要なのではないのか。そしてその際には適切に「研究者集団」の態度を明確化するような「対話(可能性)」が存在していることが大事なのではないのか。もちろん、このようなスタンスであっても状況は変わらないかもしれないが、他者の意思に直接的に介入できない以上はこのような議論で満足せねばならないのではないのかと思う。結局のところ、我々の科学的議論の正しさは(私ではない)他者に委ねられる他はないのであって、そのような他者に対するある種の信頼のようなものは、民主主義社会を考える上でもなければならないのではないのかと思う。(3)の発想は別にマッキンタイアが指摘していないという訳ではなく、その議論の中に当然の前提として押さえている内容であり、このようなことができない者はやはり似非科学の志向をしていることに変わりがないものである。

 

〇社会科学と自然科学を同一視してよいのか?

 マッキンタイアの主張でもう一点賛同できない点は、社会科学に対する考え方である。 

 

「社会科学の最大の問題は、推奨された手法に従えないことや、一定の科学的手順を尊重しないことではない。むしろ、研究の進め方の多くが集団のレベルでまた慣例化しておらず、そのため分野全体で科学的態度を守ろうという姿勢が見られない点だろう。概念のあいまいさや疑わしい因果関係の推定からくる過ちは、同僚がそれを見つけてくれると信頼できるなら大きな問題にはならない。しかしデータが共有されず、再現実験が当たり前ではない現状では、多くの場合、膨大な誤りが紛れ込んでしまう。」(2019=2024,p427)

 

「だから社会科学でも、自然科学とまったく同じように、根拠に対する科学的態度を尊重し、経験的なテーマにまつわる対立を解消する方法は経験的根拠しかないと理解する#必要がある。そして、意見や直観、理論、イデオロギーがあまりにも多いのを恥じるべきだ。」(同上、p427-428

 このような主張も「科学的態度」の善性を前提とし、また社会科学の歴史に対しても十分な配慮がなされていない結果なされるような主張ではないのかと思う。マッキンタイアは社会科学の問題を8つにまとめているが(同上、p424-426)、その中でも本質的には「概念の曖昧さ」と、「因果関係が疑わしい」とする点が致命的に問題含みである。社会科学においては、そもそもこのような点を自然科学的をモデルにした形で是正するということ自体が困難なのではなかろうか。これは社会とは人間の相互関係により成立するものであり、そこに関連付く因果関係自体が実験的環境になく、その意味で再現性もないからである。この点を極端に問題視すれば、イデオロギーの問題や意図的な選別を行うように見えてさえしてしまう。

 では、自然科学とは異なる性質があることで①社会科学は無用となるのだろうか。または②社会科学は科学的な議論が有効に行えないのか。①が無用となると、およそ人間科学の合理性については何も議論ができなくなるため、これを否定すべきではないのではないか。また②についても、その相互批判の中で何が問題であるのかで出来る限り明確にするよう「対話」が成立し、なおかつそこに政治的なものが科学的研究そのものは付随していないことを確認しながら、議論がされていくことを期待するしかないのではないのか。これは自然科学と異なる社会科学にも価値はありえるという前提を無視してはならないこと、その重要性をも意味するものだろう。そして残念ながら不都合な議論を排除しようとすることそれ自体が大きなリスクであると考えるべきだろう。ただしこれは「対話」を行おうとする態度自体が存在する限りで認めるべきものである。とすれば、この対話の継続意思というのが、本書で重要視される「科学的態度」の問題とも結びつくと言えるのではなかろうか。常に提起される、提起されうる疑念に対して、科学的態度を持つものは、それに応答する義務があるのである。マッキンタイアが本当にこのことを問題視しているのであればなおのこと、ここでいう「集団レベルで慣例化した方法論」なるものの存在は疑わしい。

 ただ、マッキンタイアのいうような次のような指摘は確かに無視することができないものである。

 

「わかりやすいのが、移民はアメリカ経済に「なんとか貢献している」か、それとも経済の「足手まとい」かというテーマだろう。わたしはこれは完全に経験的な疑問だと思っているが、そうであるなら起こらないことが社会科学では起こっている。つまり、移民はアメリカ経済にとって差し引きプラスだと示した研究を五つ引用し、同時に逆のことを示す別の研究を五つ引用して、さらにそれぞれの研究をどこの研究所の誰が行ったかを推理できてしまうのである。不正だとか疑似科学だと非難したいわけではない。評価の高い研究者らが行った、厳密な社会科学的研究とされるもののなかには、同じ事実を扱っているにもかかわらず、正反対の結果を示したものがあることが問題なのだ。物理学で許されないことが、社会学で許されていいはずがない。」(2019=2024,p422

 

 しかし、このような議論は何も社会科学の議論に限った話かと言われればそうでもないのではないか。例えば、ナオミ・オレスケスとエリック・Mコンウェイの「世界を騙しつづける科学者たち」(2010=2011)などを読んでも、科学的議論は産業界や国家の手によって事実を歪めようとする対抗的言説が形成され、それは時に集団的でもある。このような物量による、権力による圧力に対して「科学的態度」はどうすればよいのかと問う場合にも、やはり自分の態度を改めることを主眼にするよりも、そのような対立的な状況に対していかに対話を継続するのか、対立的な議論を炙りだすことが如何に可能となるのか、という点を重視した方が建設的であるように思えるのである。

 

 更にいえば、社会科学とは人間に関わる科学であり、「人間を科学しよう」とする意図である以上、常に法則性から外れようとする「人間性」が作用するものであるというのが私の基本的認識である。「人間性」という言説はこれまで常にそのような意味合いで用いられてきたきらいがあり、それはそのまま科学的法則そのものに「反発」するような性質を持っているものではないかと思う。だから、自然科学(物理学や化学などが想定されるが)のような基本的な法則性さえも社会科学において見出すのは不可能であるという風に考える方が自然なのではないのか、と思うのである。

 そして繰り返しになるが、このような解釈を行ったとしても、本質的には科学的価値が減じられることにはならないのである。これが減じるものと感じられるのは、似非科学が信奉されるように、それが絶対的な法則性を指し示しているという、宗教的な思想と変わらないものとして科学が語られる場合においてである。しかしそのような態度に「科学的態度」の立場からすれば耳を傾ける必要性はないのである。ところが、マルクス主義的階層論(教育運動論)というのはどうもそのように考えていないという節があるようである。このことを次回甘粕石介の「科学論」(1958)をベースにしながら検討してみたい。

 

※1 ただ、厳密に言えばこの整理は単純なものではない。例えば、ここにはどうしても「役に立つかどうか」という(人類にとっての)貢献と科学的な方法論の正確性の間にディレンマが起こることを避けられない。従って同じ科学においても、その有用性の差異によって何が教育されるべきかという問いが出て来るように思えてしまう。

 しかし、「有用性」に寄り掛かると、これはそのまま「科学的態度」が支持できるのかという疑問も出てきてしまうのではないのか。極端に方法論的正確性の議論に傾いてしまえば、有用性がないものとして科学が批判の対象にもなるということである。

 したがって、「有用性」とは異なる次元でこの科学的態度は擁護されるべきではないかとも思われる。そうすると科学の知恵そのものに対する価値を認め、これを教育することに意義を与えることとして考えなければならないということになる。

 このレベルの議論において有用性の議論は、絶対的に優先すべきものではなくなってくる。

マイケル・リプスキー「行政サービスのディレンマ」(1980=1986)

 今回は前回予定していたリプスキーを取り上げたい。リプスキーのストリートレベルの官僚制というのは、教科書的な議論としては極めてよく聞く名前であるが、元の著書を手に取って読んだことがある方は少ないのではないだろうか。私自身も前々から読みたいと思っていたが、なかなか読む機会が得られず、都内図書館の相互貸借で最近ようやく読むことができた。

 リプスキーを読む上で特に留意すべきは、前回も指摘したようにリプスキーは本論で確かにその裁量性に関連づけSLBを定義しているが、そのようなSLBの性質をそのまま支持している訳では決してないということである。リプスキーにとってSLB論は裁量性の必要性について強調するための議論というよりも行政組織における裁量性に強い職業というのが大きな比重を持っており、かつそれが財政的な依存をしているという点だろう。確かに<制度の関与者>を能動的に関与させることには肯定的ではない(p268)が、リプスキーの場合それがそのまま行為者の自律性だけを尊重するという立場に繋がっている訳ではない。この自律性はそれ自体SLBにとって過重な負担になることも、また自律的な振る舞いが独自性を強調するあまり必ずしも対象者に適切なサービスを提供することにならないこともリプスキーは前提にした議論をしている。

 

SLBとは誰か?――<制度としてのSLB>論としての問題提起

 今回中心的に問いたいのは、SLBとは一体誰であるかという点である。リプスキーもp19で具体的な職業を列挙して説明を行うが、実際誰がSLBで誰がSLBでないとみるべきであろうか。

 

 前回制度論について整理するにあたり、その役割の分類(決定者、行為者、対象者、関与者)を整理した。この整理から押さえておきたいのが「<制度の関与者>の存在により制度が成立することとみなされること」「<制度の決定者>と<制度の行為者>が別に存在すること」だろう。<制度の関与者>がいるということは、その制度が公的なものとして承認されている結果であり、関与者のいる範囲内で基本的には制度が運用されることを意味する。また、<行為者>はむしろ<決定者>とは異なっていても同じように決定に基づく行為を行うことが期待されており、この両者が異なるからこそ制度としての性質をより正しく機能させていることになる。これは基本的には<決定者>が自身で行為を行うことが困難であり、コントロール下にある<行為者>が多数の<対象者>に対して制度を機能させる(権力を行使する)必要性があることから分離されているとみることも可能であろう。

 

 従来的には、このような<行為者>に対して広く裁量権が与えられていることを以てSLBと呼ばれているものであった(p31)。これはリプスキーの言うように公共政策が現場から形成されていることに注目するための観点であることも押さえねばならない(p4)。実務的にはSLBは公的なものであれ私的なものであれ、その時々の必要性に応じて自然的に発生してきたものであるとみた方が妥当であるように思う。これは一定の手続きを踏むことを想定する制度論とは異なる見方であって、制度論としてみるのであれば、その捉え方も変化するものとなると考えられる。そこで、本論では制度論の枠組みで<制度の行為者>の役割を担うSLBのことを<制度としてのSLB>と定義し、その性質について検討をしてみたい。

 このような<制度としてのSLB>の要件を考えた場合に、次の6点を挙げられると思う。

 

<1>主体性をめぐる権力行為に対して<制度としてのSLB>の裁量性が発揮される

 SLB論を考えるのにあたり、まず何故SLBに裁量が与えられているのかを検討してみたい。これは素朴に考えれば、<対象者>に対して同じ行為をすること自体に不都合が生じるからと考えるべきだろう。では、ここで言う行為とは何か。これについては(1)行為の内容による裁量(2)個別性を捉える際の裁量(3)認知をめぐる裁量、の三つに分けて考えてみたい。

 

(1)行為の内容による裁量

リプスキーがSLBの職業の例として挙げている内容(p19)も参考にした場合に、SLBが行う行為の内容というのは、概ね次の3つに整理整理が可能かと思う。

①知識の伝達・ないしは行使(司書・弁護士)

 ある知の解明が目的であり、対象者が何を望むかに合わせて裁量があるもの

②主体の行為の制約(警察官)

 法などに違反する者の自由の制約が目的であり、特に制約を与えるべき対象者の特定に裁量があるもの

③主体化の促進(ソーシャルワーカー

 主体化自体が目的であり、対象者の現在の主体化の程度の評価、どの程度主体化させるべきかという点に裁量があるもの

 

 実際に対象者と対峙した際のSLBの役割としてこれら①②③というのが同時進行で担われることも少なくない。例えば、教師などは集団生活を児童・生徒に求めるなかでこれらの役割をその時々で担っているとみることができる。そして、<制度としてのSLB>を考えるのにあたっては、①の性質については意識的に除外したいと思う。例えば、司書に代表されるような①の担い方については、ネット文化の普及により<対象者>が望めばそれなりに自力で結論を導くことができるようになってきているからである。相対的に①の役割というのは、縮小していると見ることも可能なのである。このような役割はAIに限らず技術的に代替が可能となったりもするだろう。そして①を除けば、②③はシンプルな主体性をめぐる議論として整理することが可能となる。

 

(2)個別性を捉える際の裁量 

 また、主体性を捉える過程ごとに裁量が発揮される状況を考えてみた場合には、次のような形で整理できる。

①対象者であることの確認作業

 制度上の対象者資格があることを確認する作業が必要である。

②対象者に合わせた行為すべき内容(量)の決定

 同じ制度でも一人に対象者に与える行為量は裁量が与えられているか。これは制度上の制約によって一意的に定まったり本人状況によっていくつかに区分された形になっているような裁量の余地が狭い場合もあるが、対象者の状況に合わせ、最も主体化に効果的な行動の計画や方針を定めるような裁量が含まれることもある。後者のような場合は、自律化の問題は単一なあり方があるのではなく、個人の趣向や向き不向きがあることから、それを適切に捉えることで制度的働きかけは最小限にできる余地が出てくるために裁量性の存在が合理的となることもありえる。

③実際の行為の実行

 物・金銭の支給、特定の行為を代わりに行うことによる目的の達成、また主体化のための働きかけ(行為に対する相談・助言、もこれに含まれる。

 

 このうち、裁量が認められることが多いのは②である。従ってSLBの特性も②に関わる部分に関わることとなる。②と③は分離することも可能だが、③に関することはむしろその行為者の能力が問われることになる。また、SLBが②に内容の全てに関わっていない場合も多いだろう。③に直接関わらないSLBも、関与の仕方として②の判断の中で対象者には相応の関わりをもっている。

 ③については、「主体化」への関わり方如何によって大きく異なるだろう。主体化への働きかけは常に③が②と並行することになる。それは如何に「主体化」されたのかを常に評価する必要があるからである。その評価によって行うべき行動が常に変化する状況においてはその際限がなくなる。従って、その評価を「主体化」に求めないこと自体がルール付けになるのである。

 

(3)認知をめぐる裁量

 <対象者>の主体化をめぐる問題に裁量が発生するのは、対象者への認知そのものにも関わらずをえない。つまり「いかに現在の対象者を主体化するのか」というのは、①主体への評価のズレ、②主体が実際の行為をすることに対する評価のズレ、③行為に対する評価のズレ、の3つのズレが内包されたまま問われることとなる。

 ①は目標とされる主体化の程度と現に対象者が主体化されている程度(極端に言えば、非主体性)との落差の中において見出される。制度の必要性は、ここに落差が存在しているという確信と、制度としてこれを埋め合わせるためにSLBが働きかけを行うということが前提となってくる。

 ②は主体性と行為の落差の中にその裁量性を見出すものである。制度論的にはその具体的目標は主体が特定の行為を行うことを達成することに求められる。簡単な例(もしかすると唯一の例かもしれないが)は「必要最低限の生を自律的に行うことができる」点に求めるものである(※1)。つまり、個人が文字通り自立して日常生活を行うことを一つの目標にしているということである。このことは制度論的には具体的な目的を明確にし、そのことを基準にして対象者がそれに適合したかを評価することで制度の目的を達成したかを判断することとなるが、この両者には実態が理念を示しているのかどうかという形でズレが発生することを避けられない。

 ③は具体的な行為レベルでも、目標設定された行為と、実際の行為の適合性の判断にも認識上のズレが発生しうる。

 ②の問題については制度の問題として割り切ることで整理することが可能である。③についてもその基準を制度としてある程度整理することも可能であるが常に行為者の判断に委ねざるを得ない部分もある。そして、①に関しては、その「主体化」なるものがそもそも抽象性ゆえに対象者の関係の中で完全に行為者の裁量の中で解決されるべき問題とみなされることになる。

 

<2>対象者に対して直接的に関わることがSLBの要件である

 実際はほとんど<1>と同じ意味合いであるものの、一応重要な話なので指摘しておきたい。SLBは対象者と直接的に対峙し、そこから主体の状況を把握しようとすることからその裁量性を発揮することになる。逆に言えば、これがなければSLBとは言えない。例えば書類のやりとりのみを対象者と行ったり、伝聞で対象者のことについて聞き取る者などはSLBの協力者などとなりえても、SLBではないのである。

 

<3>対象者が極力負担を負わないことは、「制度」性を示すものとなる

 制度というのは、基本的には<関与者>が承認し、負担を行うことの上に成り立つものである。これは盛山のレビューで行った視点である。制度行使というのは最小限とされることが求められることになる。従って、何よりも対象者自身が受ける利益に対する負担を自らが行わないこと自体が望ましいということになる。

 これはリプスキー自身もSLB自体が財政支出を大きく必要としているとする議論(p20)と関連してくる。つまり制度論的視点というのがそれ自体で合理性要求の手段にもなりえるのである。これは、制度論に要求される専門性とも大きく関連し、制度論を徹底することが財政的な面で非合理的にもなりうることと逆説的な理解ができる。制度はSLBの必要性を議論するために有効だが、もし必要となる場合にはそれに割くリソースに重きを置かねばならなくなる。

 しかし、その利益を受ける者自身が独自に負担する場合でも制度からの受益を得ているという意味では「制度」と呼べるだろう。これは相対的な問題に過ぎないため、主観的判断によるところが大きいだろうが、ひとまず以後の議論では、受益者負担が半分未満であること(その制度を運用するにあたりトータルの利益を受ける者の負担が半分未満であること)を一つの基準にして考えてみたいと思う。

 

<4>対象者に対する目標が具体的であることも「制度」性の指標となる 

 制度にはそれ自体で具体的な目標(対象者の主体性との関わりで設定されるものとしての目標)がないと、制度としての役割を果たしていないのではないのか、という問題を抱えることになる。これに関連してノネとセルズニック「法と社会の変動理論」(訳書1981)にて取り上げている「応答的法」という概念も同じ問題意識を持っている。これまでの法の理念型としてそれが緻密な解釈によって(裁判の場で)「自律的法」は機能してきたが、このような議論は官僚制と同じように「権威の抑制を主たる関心事としているので、法の諸制度が各自の権限を狭く解し、政策的争点を敬遠し、中立性のヴェールのうしろに身をかくし、主導をとることを避けるようにし向ける」(同上、p127)ため、裁量自体が縮小してしまうことを問題視している。これに対し「応答的法」は目的を明確化することによって、それを達成するための能力を高めるために作用することが期待されることになる。

 

 「事実、すでに強調しておいたように、形式的な答責性は、制度を窒息させ、エネルギーを麻痺させ、問題解決を妨げ、その結果無能力を抑えるどことかかえって助長することがあるのである。

 応答的法の「中心理念」は、自律的法のそれと同じく、合法性である。その点で連続性は保たれている。しかし合法性の理念は、「法化」の随伴現象たる準則や手続的形式の繁殖と混同されてはならない。適正手続として、あるいは答責性(公式準則の遵守として理解された答責性)として通用している官僚制的なパターンは、応答的法には無縁である。合法性の理念をもっと一般化してとらえ、そしてそこから形式主義を取り除かねばならない。目的志向的なシステムにあっては、合法性とは、実定法とその運営とにおける恣意性を漸次縮減してゆくことである。恣意性を可能な最大限まで縮減してゆくことである。恣意性を可能な最大限まで縮減するよう迫ることは、形式的な整一性と手続的公正とを超えて実質的正義へと到達しうるような法システムを要求することである。そして、そのような達成のためには、正当であると同時に能力ある諸制度が必要となるのである。

 もしも応答的法に、その範型となる機能があるとすれば、それは、裁定ではなく規制である。規制とは、広く理解すれば、法の目的の実現のために必要とされる政策を細密化し修正する過程である。……「準則」を定立するということは、政策を細密化するための数多くのやり方の一つにすぎない。他のやり方としては、たとえば、「実績の評価基準」を設定すること、「実行目標」を規定すること、「指針」を定式化すること等があげられる。そして、行為を命ずることは、仕事を実行するための数多くのやり方のうちの一つにすぎない。他のやり方としては、たとえば、資源を割当てること、誘因を作り出すこと、施設を整えること、役務を提供すること等がある。」(ノネ/セルズニック1978=1981,p154-156

 ここで、行為を命ずること(つまり、SLBが対象者に対し行為をすること)以外に資源を割当てたり、施設を整えたりといったことは、それ以外の環境整備も含めた形での議論を想定したものであり、目的達成の指標がSLBに限らないということをも意味していることには留意せねばならない。しかし、この「応答的法」の志向が全体として楽観主義的な議論であることは否めず、潤沢に資源があるならともかく、限られた資源の中でどのように目的を達成しようとするのかという視点には弱い所がある。

 

 このような具体的目標に代わって明確な終了点が設定されることもありえる。しかしそもそも期間や回数によって利用できる制度が制限されているという状況というのは、制度の目的の達成と矛盾していることに留意しなければならないのである。

 このことを考える上で適当な例は「保育」という制度であろう。現在の日本では保育は就学前保育だけで足りるという認識ではなく、「学童保育」という形で保育が必要であるという認識が高まっている。これは「就学前保育」では目的を達成していない、ということになる。これも「必要最低限の生を自律的に行うことができる」ということが達成されない限り、保育が必要であるという関係性から議論されていることが明らかである。保育の目標としての「必要最小限の生」は学校教育や成人してから求められるものとはまた別のレベルのものであり、一時的な親の不在の間の子どもの主体性をめぐる問題として捉えることが可能である。「就学前保育」の場合、それが教育の役割を担っていることから議論が複雑であるかもしれないが、仮に学童保育における行為者が<制度としてのSLB>であるとみなすためには、その目標の達成のための働きかけを対象者である子どもに対して行っているかどうかという点で捉えることが可能になるだろう。

 ここでいう具体性とは何かが難しい所である。というのも、そもそも主体性をめぐる問いとしてこの議論を提起している以上、その目標もまた、主体性に関わってくることを避けることができないからである。この議論については後述したい。

 

<5>その「制度」が如何に公的な意味で周知されているか

 それが制度であるということは、適切に対象者に対してその制度が活用されることが期待されるものである。従って、その制度性に関連して、公的な周知というのがどの程度行われているかどうかというのも判断材料となりえるだろう。

 

 なお、この主体性の議論が関わることと関連して留意しなくてはならなくなってくるのが、「<対象者>=制度を積極的に利用しようと思う者」であるとは限らないということである。<対象者>の主体性が確立しているならば、そもそもその点に労力をかける必要がないが、実際は自らが制度にたどり着くのではなく、家族といった既存の関係性の強い者が主体化のために適した制度を探し、<対象者>を結び付けようとするといった性質が強いものである。

 

<6>決定者(または管理者)がどのようにして行為者をコントロールするか

 制度論の基本的な考え方として、決定者と行為者が別に設定され、決定者の決定に基づき行為者が行為するという枠組みが制度論の基本とみなした。当然、これとの関連で決定者=行為者とみなせるような場合は制度としてのSLBの要件を満たさないことになる。そして、やはり制度としてのSLBの議論として特に重要なポイントとなってくるのもこの関係性の問題である。

 

 また、リプスキーは決定者ではなく、「管理者」という役割の者に注目し、SLBの議論を行っている。この管理者というのは、あくまでも「決定者」と「行為者」の中間に属する、ある意味でそれらを繋ぐ者であるといえるだろう。また、管理者は常時SLBとして振る舞うことは予定されていないものの、より行為者に近い管理者というのはSLBとしての振る舞いを要求されるような場面もありえるだろう。これは組織的な意味での係長、課長、部長のような多重的な「管理者」がいるものと考えるべきところである。

 

 では、管理者にとって行為者がコントロールされているという状況をどう考えたらよいか。この点を考えるのにあたり、ボランティアをめぐる議論は参考になるだろう。中野敏男的な議論においては行政的政策によってボランティアの水路付けされることはボランティアの自立性が確保できたことにならないのではないのか、といった疑問も挙げられたが、ボランティアと労働者はどのように区別されるのだろうか。これは以下の記事に詳しい。

 

東京五輪ボランティアは「労働者」じゃないの? 「無償」は違法じゃないか考える - 弁護士ドットコム

 

 結局ここでの基準となってくるのは

(1)業務内容への細かな指示があること(事前制約)

(2)指示に反することによるぺナルティの存在(事後制約)

 の2つである。(2)については、厳密にいえば制度としてのSLB論として本線になるか疑問が残る。つまり既存の組織においても法律違反といったレベルの問題があれば当然ペナルティとして行政的介入が普通にありえるからである。また、ペナルティについても「指示(ルール)違反」ありきであり、(1)のようなそもそものルールがどうであるかという方がやはり重要な問題となってくる。

 

また、管理者と行為者との関係性を問うという意味で(3)行為した内容について記録が残っていることや、(4)ホウレンソウを行う体制についても重要となってくる。SLBは常に現場で常に対象者と対峙することとなるため、事前・事後の行動というものがいかにして管理者と共有されているかが重要となってくる。逆にこのような体制がないということは、SLBが自由に振る舞うことを可能としている状態となっており、<制度としてのSLB>としては欠陥がある状態であると言わねばならないだろう。

 また制度化の側面においては、第三者的視点をもった明文化や可視化が必要となってくるものである。

 このような状況においてはSLBが関わる対象者についての性質を明確にすることが予定されている。制度においては、これが明確になることが対象者となる案件でもあるからである。また、事前の共有というのは、厳密には対象者が特定されてからなされるものである。主体化をめぐる議論の中で、その対象者がいかなる主体性が必要とされることが明らかにされ、それに対して行為者がどう行動するのかが共有されることになる。管理者側はそれに対し、対象者の主体性把握、行為者の行動どちらに対しても評価することが求められる。その評価というのは、明文化された基準に基づきその適切性が行為者以外から判断されることとなる。

 

 以上の点も踏まえると、明文化、可視化におけるポイントは次のようにまとめられる。

・制度論的に考えれば明文化は組織内部だけでなく、外部に対しても共通した内容として示されていることが望ましいこと(組織内部の恣意的な運用への抑止のため)

・対象者抽出における明文化設定というのは、結局はSLB自身の主観的な問題を含んでしまうため、その主観的判断の妥当性を問うことも必要となりうること

・明文化されたルールはSLBの対象者への行為のルールに限らず、組織内における情報共有や判断にも関連付けられることが想定されること。

 

〇制度論は組織外の関係者を要求する

 しかし、上記のような<制度論としてのSLB>の整理を行っていった場合には、管理者と行為者が別の組織に属していても問題がないのではないかという論理が成立することにもなりえる。そもそも現行の警察官や教員という公務員においても、必ずしも管理者とSLBが同じ組織に属していると言ってよいのか疑問が残る所もあったと言える。警察官は国家公務員と地方公務員の境界の曖昧さとして、そして教員については市町村の組織に属するのか、都道府県の組織に属するのかというのが特に区分されないまま議論されているのである。また、90年代以降、公的な組織が官僚制批判という形で批判されている中で公の信頼が失われた結果、「小さな政府」「NPM」といった議論の関連から民間に委ねた方が妥当であるという主張が罷り通ることとなった。このような議論はリプスキーも指摘していたように(p20)、SLB自身が財源に大きな影響を与えるものであることと関係しており、その効率化に伴う財源圧縮が企図されたものであった。このような動きの中で実際に公的な役割を持っていた者が民間に委託されるという状況が促進され、管理する公的組織と現場を担う民間という図式が形成されるようになった。

 既存のSLB論はこのような状況に対して、SLBは行政職員であることを所与のものとしてみなすために、SLBそのものの必要性についての議論を適切に行えるのか疑問が残る所である。<制度としてのSLB>論は制度のコントロールについて志向するのと同時に、安易にSLBの存在を捨てないためにその位置付けを確立させ、行政組織に組み込む必要性も議論することができる。

 

 もっとも組織を別にする管理者とSLBがその組織の枠を超えて頻繁に関わる場合、それ自体が非合理的であるため、そのような関連性の必要性を議論することは非現実的である。また、SLBは日常的に対象者と接しているのであって、そもそもそのチェックを日常的に行うことは同じ組織に属していないと難しいだろう。したがって、別組織に属する管理者が行為者をコントロールする場合というのは、行為者そのものよりも、行為者の属する組織の日常的なコントロール体制についてのチェックというのが必須になってくることになる。これは、組織的に合意に至った主体性に対する判断の妥当性も問われるということである。これについては、その判断が明文化された状態になっていなければ判断できないため、その合意形成が非明文化されたものとなっている場合は組織間の管理関係は成立しなくなる。この意味で、制度論的にその明文化が要求されることになるが、その要求が十分に明文化されていれば(ある意味で明文化が制度論的に機能しているのであれば)、管理者と行為者が同一組織に属している必要性がなくなると言えるのである。

 

 ただ、行為者の主観性を排するための組織の枠組みを明文化するにあたり、明文化されることが合理的かという議論は常につきまとう。組織外の者が属することによって、また明文化のプロセスに則り、SLBが対象者に対して行為を行うにあたって、その確認プロセスに時間がかかるものとなるのであれば、それ自体で行為者との関係性においては非合理になることはありえる。しかし、この議論は先験的に自明な議論としてどちらが優位か説明できるものではない。あくまでも実態の議論としてその優劣について議論されるべきものである。また、ここでの確認の頻度というのも制度論的な意味で管理者と行為者の関係性を維持しているのかを決める重要なポイントとなってくる。これについては年に1回程度はその決定プロセスのチェックが機能すべきなのではないのかと思われる。これはちょうど行政組織においても独立した第三者的機関による監査制度が年1回行われるのと同じように(地方自治法第199条)、その適正さをチェックされることを考えれば最低限のラインとしては妥当であろう。

 従って、管理者と行為者が別の組織にあることは、基本的には現在の組織的連帯に基づく行為と比べればハードルが高いと見た方がよいだろう。しかしそもそも行政組織においてもその不健全性は非難の対象であったのであり、専門家集団としての性質を行政が担えないのであれば、明確なルール設定をした上で外部の者が担った方が却って効果的ともなりうる。ただ当然の帰結であるが、SLBとしての独善性の可能性がなくなる訳ではないため、コントロールの必要性がなくなる訳ではない。ここでとりうる選択肢としては対象者に選択の裁量を与え、このような制度の原則の例外を設けることもありえる。

 以上のようにある程度<制度としてのSLB>の条件について、その条件とされるであろう内容を6点取り上げ検討を行ってみた。上記の基準に基づき、どのような立場にある者が<制度としてのSLB>であるかということは判定可能である。他方で、必ずしも上記の基準に適合しないにも関わらず、<制度としてのSLB>であるべきSLBという議論もまたありえるかもしれない。というのも、上記のような基準により<制度としてのSLB>を判定し、そうでないとみなされる場合に、これをわざわざ制度論の枠組みで議論した当初の理由である、「制度としての必要性」についても合わせて議論しているからである。ここで<制度としてのSLB>とみなされなかった者は制度として不要なのではないのか、という議論を今度は行っていかなねばならないのである。この点については、今回は取り上げないが、また機会があれば検討してみたい。

 

〇「管理者」「行為者」の関係性と専門家集団との違いは何か?

 ここまでSLBと組織の議論を行ってきたが、ここでのSLBは、何かしらの他者からの関与を前提として、つまり管理者が行為者のコントロールを行っていることを前提に議論を進めてきた。しかし、そもそもSLBはそのような関与が必要なのかという反論は出てくるだろう。このような反論においては、SLBと専門性の関係が念頭にあり、SLBが発揮する専門性を生かすことこそが重要であって、その専門性が関与のプロセスの中で失われてはならないという形で重視されるものである。

 この議論に触れる前提として定義上「制度」と「専門性」は相反するものであることを確認しておく必要がある。制度には関与者の承認さえあればそれで足りると考えてしまえば、特に問題がない。この両立の問題はそれゆえ承認の問題としても考えられてしまうことがあるが、制度論の性質を考えればそのような発想が問題含みであることは明らかであろう。制度論は承認という主観の問題のみに留まるものであるとみなされるべきではない。盛山でそうであったように、このような性質(一次理論としての性質)は制度論上無視してはいけない論点であるものの、そのために直ちに二次理論が志向されることが否定される訳でもなかったのである。そして、かえって制度への関与への要求が否定されないためにも、二次理論はそのような関与への促進に寄与すべきものとして意義を持ってことを前回整理した。これを「制度」と「専門性」の関係性に戻すのであれば、客観性の追求と専門性の対峙というのは、個別の専門性という論点も細分化が予定されながらも同時に統合するような形でなされることが要求され、統合可能な尺度からの分析が志向されることになるのである。

 

 したがって、制度論的議論を行うのであれば、この関与を無視する形での専門性の議論を行うことは論点のすり替えにしかならない。この専門性をどう生かすかという問題はそれ自体重要な観点だが、そのことが制度論を否定する根拠にはならないと考える。

 

 両者の違いとしては階層性の違いということを挙げられるだろう。ただしこのことは制度論的には必ずしも正しくない。この階層性を強調することはそのまま主観的な・属人的な関係性を前提としてしまうからである。

 これに関連して、佐藤慶(1966)は官僚制で求められる経営的な専門性と、プロフェッショナルな専門性の性質の違いを整理しながらヴェーバーの議論を行っている点に注目したい(佐藤1966,p308-309)。ここでいう「経営的な専門性」とは特定の分野におけるそれというよりも、制度論で想定したような統一的な関与者、決定者の関係を想定したものであると考えることができる。そしてこの両者の違いというのは、通常の専門性(佐藤のいうプロフェッショナルな専門性)というのが、そのそれぞれのプロフェッショナルな分野ごとに独自のものを備えており、それらの専門性が政策的な意味で優劣を比較することが難しいということを意味する。「経営的な専門性」と呼んでいるものはそれらに共通した尺度で、その専門性の有用性も測定できるような尺度に基づき合理的・効率的な経営を行なうことを想定している。これは、これまで論じてきた<制度としてのSLB>という観点と合致していると言える。

 専門性というのは、それが特定の主体性のコントロールや制約であるとするならば、それらに対する目的達成のための技術全般を指すと言ってよいだろう。問題はこの専門性の志向性をどこに設定するのかということである。すでに確認したように、制度論として求められるのは、具体的に設定された目的達成のための合理性という観点である。これに対し、単に専門性が行使される場合には様々な状況が想定されることがわかる。第一に、主体性を発揮するための対象者を限定化した上でその専門性が行使される可能性がある。主体性が不足しているとみなされる理由にはいくつかの理由が考えられるが、その理由が特定された上で、それに対する対応を行うための専門性というものが想定される。ここでは制度との兼ね合いでは細分化との関連性で問題が出てくる可能性がある。但し、この違いは実際の官僚制的専門性と差別化があまりされないように思う。

 第二に、ある意味で第一のものの延長線上となるが、制度で設定している主体性の目標設定とは別のところに、ある種の高度な目標設定を行うことに伴う差別化が考えられる。これは特に目標設定が曖昧な場合には制度と専門性との整合性が取れなくなってくることが容易に想定される。

 第三に想定されるのは、制度論として求められる内容を無視した状態でその主体性への志向を自己目的的に行う場合である。これはすでにそもそも専門性の行使かどうか疑問も残るところであるが、実態としてはズレとして生じていることが大きい内容である。この問題として頻出するのは、制度として必要な説明責任の観点の放棄である。言い換えれば、管理者と行為者の関係性のそのものの無視を志向するというものである。

 

 他方で、「専門性」は主体性に働きかけるSLBにとって無視することができない、重要な要素であることに間違いない(もっともリプスキーはこのことを安易に支持しないが(p275))。したがって一方で専門性はその専門性が生かせるように高めていく必要がある。しかし、専門性は通常制度がそれぞれで機能することが想定される<制度組織>(決定者・行為者・対象者・関与者によって形成される制度としての組織的関係性)とは別の所で高められるものではないのか?これを高めることは<制度組織>にとっても意識されるべきだが、これは本来的な話ではない。むしろ専門性、資格制度や免許制度と結びつく形で国家共通のものとしてしばしば国のお墨付きを与え、専門家集団自身の中で形成されるべきものである。少なくとも、<制度組織>に求めるのは当然とするには問題があるだろう。

 また、これに関連し専門職と専門性という概念は分けて考えたい。これは既存の論者からも時折指摘される区別であるが、実際に存在する人々を想定する「専門職」と、その者に求められる能力観である「専門性」は、「存在と当為」の関係にあり、別物と考えるべきであるという考えに基づく。次のような指摘もこの考え方を踏襲する。

 

「「専門性」という用語が、ある職業やその仕事内容の専門的性格を指すものとすれば、「専門職性」とはその職業の専門的な性格が、社会の中でどのように捉えられ、認識され、確立するかというような、ことがらの〈社会的文脈性〉を指す言葉である。」(久富編「教師の専門職性とアイデンティティ2008p28

 しかし、実際ここでの落差が存在していることは、そのまま専門職が専門性を持ち合わせているかどうかは自明ではないことを示している。極端な事例としては、次のような指摘がある。

 

「フィリップ・テトロクは、300名近い一流とされる社会科学者に、15年間にわたりそれぞれの専門に関連する単純な未来予測の課題に回答を出させつづけ、その「成績」の説明を政治心理学の観点から試みている(Tetlock2005)。まず興味深いのは、全体として成績がふるわないことで、専門家の正答率は「チンパンジーにダーツを投げさせて決める」のと同じ位低かったのである。しかし、そのなかでも優劣に有意差がみられ、当事者のイデオロギーおよびその極端さの程度と、多様な要因を考慮に入れて考えようとするか特定の原理原則で判断するか、という、互いに影響する二つの要因から説明されている。

 ここで、未来予測の精度で専門家の能力が測られていることや、本来最も重要といえる、個々の主体の専門性の程度について何らの指標も立てられていないのは、大きな限界といえよう。しかし、この研究は往々にして自明視されてきた専門家の能力を検討の俎上に乗せたのに加えて、選好という、従来専門性と区別して扱われてきた変数が専門性のあり方に影響を及ぼしている可能性を提示した点で、本章の提示する専門性の捉え直しの必要性をよく示しているといえる。」(岡山裕「専門性研究の再構成」内山融他編『専門性の政治学2012,p45

 そもそも専門性というのは制度に内在する第三者性による解決を期待するというよりも、専門性がある者(=専門家)の存在をあらかじめ承認することで信頼性を付与するものである。従って、仮に非専門家に専門性があったとしても、専門家でないという理由だけで専門性はないものとみなされるという状況は往々にしてありえるのである。「制度」の発想というのはむしろこの専門性に対して一定の基準を設けることによって、その基準を満たすことで必要十分とみなすような態度をとるものである。そのような基準が明示されないような「専門家」の存在は「制度」という発想とは全く相容れないのである。

 このため、<制度組織>との関係でいえば、専門職集団の専門性は常に評価を行う対象である必要がある。その評価をもとにしてSLBを行為者として組み込む必要がある。これもまた「制度」よりも「専門性」に頼るということの限界を示しているものであると言える。更にSLBとの関連で言えば、「専門職の立場にあるとはとくに思われない公務員にさえも相当の裁量を持つことがある」(p32)と言われるように、SLB擬制的な専門職集団の形態をとることがありえるが、それが本当に専門性に根差しているのかという評価が働かないと、ただの利得権益を確保しようとする非効率的な集団にしかならなくなる可能性もある。<制度としてのSLB>論の観点からはこのような視点からも制度論として必要なSLBの検討を行っていく必要があろう。

 

〇「違法性の行政学」としてのSLB

 現場裁量による負担の大きさというのは過小評価されるべきではない。この<制度としてのSLB>という発想はその意味でSLBの業務を無限定的なものとすることを再考し、その役割を担うことを現実的にするための方策を考えることにも繋がると考えることができるのである。

 

 これは田尾雅夫が指摘するSLB論の開放性の議論とも無関係ではないと考えられる。本書p335で田尾はSLBの開放性を指摘するが、別の著書では基本的に行政組織そのものが開放的な性質をもったものであることを強調する。

 

「組織をシステムとして捉えることは、このように組織内部は、その外部と明確に区分されるような高度の相互依存関係があり、その関係を維持展開するために、外部から何らかの入力を受け、それに何らかの価値を加えて、それを必要とする外部に出力するという過程を繰り返すという分析パラダイムを受け入れることである。……

 自治体もシステムである。あるいはシステム的視点に最も適合する組織であるといってもよい。何故ならば、自治体は成り立ちそのものがオープンである。住民や関係団体が直接、または選挙を通して首長や議員を決定することによって、さまざまの機会を捉えて、組織に彼らのニーズを反映させようとする。……

 また、システム的視点によって新しい展開が開かれることもある。たとえば、組織の出力に対する入力の効用の是非や経営効率を問題にせざるを得なくなる。」(田尾「行政サービスの組織と管理」1990p26-27

地方自治体は、本質的に柔らかい組織である。表現にやや適切さを欠くが、いわば鉄の規律で全体を覆い尽くすことのできない組織であり、流動的な組織である。具体的には、住民や関係団体、首長や議員、府県、中央省庁と歩調を合わせなければならない組織である。民主主義の価値意識が、それを当然としている。」(同上,p138

 このような開放性の指摘は、確かに官僚制批判の議論として想起される閉鎖性のイメージの議論とは全く対立するものである。このような見方はある意味で当たり前のようにも思われるが、このような閉鎖性の議論は佐藤俊樹のレビューでも取り上げたように官僚制批判というよりは資本主義批判の議論において、専門性をめぐる議論として語られるものであり、基本的に官僚制のシステムの開閉そのものを取り上げていないことには留意されてもよいだろう。官僚制批判においては、それが閉鎖的なものであり、その意味で役割が固定的になる性質が批判の対象にされた。

 また、この議論は本書でも指摘されるSLBに求められる能力と、実際に行うことができることの有限性との間に差があるとみなされやすい点とも関連する。p53や、p33-34p209-210のような言明に見られるようにSLBは基本的に自らの能力以上のことを要求されている状態にさらされているものとみなされがちである。

 また、リプスキーが「SLBは完成品を作るのではない」(p114)と述べる意味も考えねばならない。これはそのまま主体性の問題解決が(少なくとも一人のSLBの専門性発揮によっては)難しいことということを示していると言える。これに関連して、畠山弘文「官僚制支配の日常構造」(1989)は、このような能力以上の要求がなされることに対しSLBが当初の理念に反した形で対応していることを少々極端な事例を介してではあるが実証的に示している。これはSLBが独自の「ルールの分化」を行い実務的慣行として定着しているものだと指摘する。

 

「即ち、第一線機関において行政ルールは公平さ追求への強い組織的関与の故に増加する本質的傾向をもつ。ルールの大量性は既述のように、官僚制の扱う事態へのより細分化されたサーヴィスに対応するといえるから、この文脈で膨大な行政ルールの存在は、官僚制としての「成熟」を測る一つの物差しになるといってもよい。しかし、成熟は一方で、ストリート・レベルにおけるルールの過剰を生む直接の原因でもあった。かくて、第一線機関にとって増大したルールは諸刃の剣であり、第一線職員にとっては端的に過剰性として存在することになる。」(畠山1989,p163

「さて、このような拘束的ルールが大量に創出されることによって、ストリート・レベルにおいては、ルールの「過剰」ともいうべき現象が、見られるように思われる。それは、第一線職員個人の有限な能力にとってはルールの総体的把握が著しく困難な状況を意味する。ここから派生するのが、「ルールの分化」である。即ち、ルールが第一線職員の実務的慣行において、ルール自体の要請にはよらない理由によってカテゴリー化されていくということである。」(同上、p152-153

 このような指摘は裁量性のあるSLBがそれ自身の裁量性の大きさの故に制度の意図せざる効果としての運用がなされうる可能性があるということを示す。このような状況が発生するのは、そもそもSLBには法令違反に対する認識が乏しいことが原因にあると考えられる。そのような一種の無知さが恣意的な権力行使を可能としているのである。これはSLBの独断性として(管理者による適切な統制、コントロールがなされなければならない、という形で)批判の対象とできる一方で、そもそもSLBの処遇のあり方としてそのような態度を取らせるような状況が如何なものか(制度運用において裁量性に依存することなくコントロールされるべきである)という疑問を提出することも可能である。

 また、このような違法性の行政学としてのSLB論というのは、そもそもそれを明らかにするための研究動機と、その解明のための条件整備のミスマッチを起こしていることにも留意せねばならない。つまり、違法性を暴露すること自体に行政側の抵抗が発生し、そのような側面から見るSLB論というのは、(違法行為を行う者の外部から議論しようとする)行政学として深化させること自体が難しいのである。特に実務的な観点に立った場合、その裁量性を尊重しながら(これはそのまま無制約であることによるSLBへの負担について検討しないことにも繋がる)批判を行うよりも、その裁量性をむしろ否定する中で適切な制度運用を行うという方向性でSLB論を捉えることの方が現実的には違法性を除去しうる方向に向かうものと思われる。そのような意味においても、<制度としてのSLB論>というのは制度に対する限界点を見据えつつ、その意義を認める余地がある。

 ところで何故SLB(行為者)は対象者に対して単独で行為することが素朴に想定されるのか。制度的ないし組織的視点からすればSLBは単独行動しない方がより望ましいのではと思われる。これに対する回答は恐らく常に専門性の議論から制度論的関わりがその専門性に対して干渉するものとみなされ続けてきたのが原因だったのではないのかと思う。

 行為論の系譜において、制度論の取扱いは常に相対的に低く評価され、専門性が重要視されてきたという歴史があると言ってよいかもしれない。ヴェーバーの行為論の議論がこの系譜を方向づけたといえる。佐藤慶幸の整理によれば、目的合理的行為とは「いかなる手段と条件とが最適であるかを、たえず考慮し行う行為」であり(佐藤1966,p78)、価値合理的行為とは「行為の結果を計算することなく、もっぱら純粋に固有の価値あると信じた目的にたいして」意識的の合理的に行う行為である(同上、p78-79)。目的合理的行為においては「その目的をもっとも適切な手段をもって達成するという考え方自体が、本来的に非合理的」であるとみなされるものであった(同上、p79)。また、「主体的な自己決定によらないで、もっぱら盲目的に信じて行う行為は、価値合理的ではない」(同上、p79)。いずれにしても、「ウェーバー社会学は、あくまでも個人の自発性を根底として」いるものであり(同上、p78)、制度論のようなルールありきの議論というのはそれ自体として忌避されるべきものであった。これはそのまま「専門性」論が支持されがちである。

 しかし、SLB論的な視点から言えば、これは盲目的な専門性支持にすぎないのではないのかという疑問も同時に出てくる。これは合理性の必然として専門分化が語られる一方で、その弊害として形式的な画一化が問題視されることにより主張されるものである(佐藤1966,p190-191)。ただ、問題はその先にある。では、このような合理的組織は否定されるべきなのか、あくまでその弊害を除害することを課題とすべきなのか。この議論は「官僚制」をめぐる批判とそれへの対応という言説群の中で繰り返し主張されてきたことである。

 

「前記した教育の自律・専門性論は、教育の権力支配を排除して、「教育の自由」の実現を説いてきた。すなわち、教育の自律専門性の原則と官僚制は相互に相容れないもの、要するに、教職の専門職体制は、教育組織における官治的行政支配制たる<官僚制>と対立するものであり、しかも前者の体制の強化は、後者の体制を排除していくものという前提がそこにはある。それは、教育の専門性を基礎とする学校体制の民主化を目的としており、近代公教育における教職組織体制が実は、その支配的論理をこの<教育の専門性>、あるいは<教育の自由>にもとめ、そこに基礎をおくものとして成り立ってきたということが、そこで本質的な意味で認識されていない。」(岡村達雄「教育労働論」1976,p141

「こうした「官僚制」と「民主制」の歴史的発展過程における矛盾は、社会組織・経営体内部における、経営体支配権への被支配者の能動的参与の拡大・増大としての民主化が、他面では、「もっぱら、官僚制的に組織された支配集団に対する被支配集団の水準化ということ」を帰結することを意味している。われわれは、教育組織理論、学校経営論における「支配・被支配」に不断に立ちあらわれ、経営体そのものの持続の活力でもあることを明記しておかねばならない。」(同上、p143

 ここで岡村がことさら民主化を強調するのは、ヴェーバーが指摘したような官僚制による頽落に対する対抗という意味合いだろう。このような場合においても「官僚制」が「形式化」しているものであることが批判されることで、真の専門的自律性が強調されている問える。

「公教育の現実をみるならば、<学校>を教育行政(権力)から自由なる領域、自立した組織とみることが、そもそも事実認識として誤りであることは、明らかなことである。すなわち、学校は教育機関としては教育行政(学校管理)機関と区別されるとしても、それ自体公教育としての法的・制度的規制をうけており、教育課程、人事、財務および事務管理などの領域において行政管理組織の末端として組織化されている。また、教育行政の機能作用における「経営」的視点からしても、合理性・能率性の経営組織の価値追求から自由ではありえていない。」(同上、p132-133

 このような指摘は佐藤によってもなされている(佐藤1966,p240)。理念的には合理的な組織理論があるものの、実体としては一部の支配的な立場の者が官僚制を行使することで、特にその組織下部の者をコントロールし、不自由にするというものだ(cf.佐藤1966,p254)。このような状況においては、合理的組織が本来的な機能を果たすことができないことが問題視され、これを適切に機能させることこそが課題となる。

 これに対して佐藤は結局官僚制による合理性は機能的に限定的なものとし、それと対比される「カリスマ的要素をどのようにポジティブに生かしていくかということ、そしてのそのための組織的条件をつくりだすこと」に求め、(同上、p313)、インフォーマルな組織のあり方に注目する。ただ、やはりこのインフォーマルな組織への期待というのは、結局は「主体性」への期待にほかならない。このため、形式的な合理性を確保しつつも、それを形式的なもので終えないための主体性(専門的自律性)を確保するというのは重要であると捉えるのである。

 ただ、この官僚制というのは、常に毛嫌いされ続けたものであると言うべきであり、むしろ官僚制の否定こそが、このような自主性に必要であるかのように語られ続けてきたのも事実だろう。次のような指摘は官僚制を取り込もうとすること自体を否定しているかのような内容と言うべきだろう。

「一人ひとりの教師は、学校組織の管理運営機構から見る限り、与えられた内容を与えられた手続きに従って遂行することを期待される一組織労働者である。教師のサラリーマン化ないしサラリーマンとしての教師像の背景にはこのような「生きた歯車」の歯の一こまとしての教師の労働形態が横たわっている。

 この文脈においては、教師の自由や創意は抑圧される。しかし他方、教師の仕事は冷たい官僚制組織の手続きとなじまないところがある。教師の職務は画一的形式的な規則では律することができず、一人ひとりの子どもが個性的であり、一回一回の教育活動が独自であって、教師の大幅な自律的主体的な行動を要求する。この面では、教師にとって自律性や自由ほど大切なものはない。」(池田秀男「新しい教師像」市川昭午編『教師=専門職論の再検討』1986p271

「官僚制は能率上優れた技術的長所をもつが、それは没人間的態度を要求し、人間を歯車化して人間疎外状況を生み出す。また権力の一部への集中は寡頭制化、一般の無関心を、専門分化はセクショナリズムや派閥を生み出す。」(日本教社会学会編「教育社会学の展開」1972p130

 

「以上のように、専門職はいくつかの根本的なディレンマを背負っており、常に緊張状態におかれている。専門職化とは、いってみればそうしたディレンマの克服過程でもある。そして、教職を考えたときにもっとも大きな障害となるのは、やはり官僚制支配の問題であろう。官僚制支配は教師の職業活動を断片化させ、その自律性を弱体化させ、職業倫理を追求する「自己反省」の余地をも奪いとってしまうからである。」(今津孝次郎「変動社会の教師教育」1996p51

「日本の学校においては、一方では、教育行政の側から教師の勤務評定、職階性、あるいは学習指導要領の拘束化などの官僚制支配がはたらく。そして他方では、受験体制のもとで、盛りだくさんの教科指導内容を効率よく消化しなければならないだけでなく、本来なら家庭教育や社会教育が扱うべき仕事をも学校が担当すべきだと考えられているために、学習指導のみならず生徒指導上の諸問題も抱え込んでいるから、こうした多くの仕事を能率よく処理していくために官僚制が求められる、という事情がある。規則や文書主義が強まり、管理主義的色彩が濃くなっていくのも、官僚制化の広がりと浸透の現れである。」(同上、p55

 上記に共通するのは自発性が抑圧されることと、漠然とした人間性の否定として合理性が語られることであった。このような官僚制観というのは、広く普及していたものであったと言ってよいように思う。管理者と行為者が分割され、専門性の独立の強調の最大の理由はここにある。

 一方で、次のような指摘は、「官僚制批判=専門性批判」の両方が成り立つ文脈で官僚制批判を行っているものである。

 

「ところで、1960年代に民衆からも支配層からも集中的に批判を浴びた都市教育委員会制度は、前章で考察したように、ウォード代表制教育委員会制度を廃止した1890年代以降の都市教育行政改革によって確立された市中央集権的教育委員会制度である。この時期の教育委員会制度の再編成は、まさしく新興小ブルジョアジーさらには独占資本による都市勤労市民からの教育統治・行政参加権限の強制的剥奪過程であった。続く1930年代の教育闘争は、こうした教育の企業支配を打ち破るべく展開された。この取り組みは結局、制度的民主化をかち取るにはいたらなかったけれども、参加民主主義を機軸に教育の人民統制理念を定着させ教育委員会制度を守った。こうして、教育委員会制度論は、幅広い民衆参加を能率と専門職論から否定する管理科学に依拠した市中央集権的教育委員会制度との間に、新たな矛盾を抱え込むこととなった。1940年代以降、この矛盾は徐々に深まっていった。すなわち、都市教育委員会は依然として中産・上層階層による参加と支配が続き、急激に増加しつつあった非白人住民の教育統治・行政への参加の機会は全く閉ざされていた。さらに、能率原理に基づく市中央集権的教育委員会制度は官僚制を著しく強め、民衆から遊離していたのである。」(坪井由美「アメリカ都市教育委員会制度の改革」1998p106-107

「第二に、1950年代までの能率優先の専門職主義のなかで、都市学区の教育統治は教育行政専門職中心の肥大化した官僚体制に支配され、大都市では多数派になりつつあった非白人父母住民の教育要求に対応できなくなっていた。しかも、人種的には教育委員はじめ教育長や校長は圧倒的に白人によって支配されていた。こうして、学区教育委員会は、教育行政専門職による官僚支配と白人委員による支配という二重の非民主的体質をもっていることが強く批判されることとなった。」(同上,p312

 坪井の指摘する官僚制はアメリ教育委員会制度の文脈の捻りが影響していると思われる。19世紀のアメリ教育委員会制度は各地域の代表者が教育委員として選ばれ運営されるものとして、ある意味で民主的なコントロ―ル下にあったものの、教育の専門家からはそれが専門職性の弱さとして捉えられ、1890年代以降、教育長を中心とした専門職主義への改変へと向かった。他方でこのような専門職主義は20世紀後半になり逆に批判の対象となっていくこととなった。ここで批判される能率主義、官僚制批判というのは、基本的に専門職主義と同義で語られるものとなったのである。このような坪井の指摘は制度論的認識に近いものである。結局このような議論においては、適切な住民による統治こそが重要なのであり、専門性についても適切なコントロールが行われることが期待されるからである。

 ただ、このような議論というのは、専門家集団も一つの利害集団であることも否定できない以上、例外的な話ではなく、一般的に成立する話である。やはり専門家集団は白紙委任する形で信頼することを前提にすべきではなく、その意味で専門性はアプリオリに肯定する態度には問題がある。

 例えば、医師についてもセカンド・オピニオンという言葉があることからもわかるように、単独の判断がそのまま支持されるとは限らないことからそう言えるし、実際にSLBが違法行為がそのままSLB本人のみの責任となる訳ではないということからも、組織の存在の重要性が理解できる。医療ミスなどで高額の損害賠償請求をするような場合は個別の医師の支払能力の問題もあることから、通常病院(法人)に対して賠償請求を行うことからも、一見個人的な振る舞いが行われていても、組織というのは、SLBを行使しているという立場にある以上常に共同で責任を負う(使用者責任)が問われうる。そのような実態を踏まえるならば、専門家といえども組織的(制度的)な圧力を受けずに振る舞うということがどれだけ法的に根拠のないことであり、そのコントロール下にある必要があるかが理解できる。

 

〇制度論的な目標の明示とその不一致について――目標は<対象者>のものか、<行為者>のものか?

 専門性と制度をめぐる議論は<制度としてのSLB>の条件<4>の目標の具体性の条件を考えるにあたり、一つ問題がある。制度の目標とは<行為者>に関するものなのか、<対象者>に対するものなのか、ということと実際に関係することになる。これは、一見すれば<対象者>に係るものであることが明確であるし、実際にそのように考えられる傾向は強くなっている。しかし、これが主体性をめぐる目標設定となる場合には状況が変わってくるとみるべきだと考える。これは、SLBから<制度としてのSLB>への定義付けの修正に関わり明確化される問題点であるといえる。

 先述のとおり、主体化に伴う目標設定を行う場合、SLBと対象者の関わりの起点というのは個々によって異なる。特に厄介なのは「過去の目標設定と現在の目標設定における行為者の関与の意味合いが変わる」という点である。留意すべきはこれは単純な全体的な良し悪しの問題だけではなく、偏差の問題でもある。主体化を特段必要とされる場合は、単に個別の主体の状況が問題となるが、そのような必要性を捉える背景要因は集合化されてしまうため、必ずしもそこに関連性が認められるとは限らないのである。この問題でよく「地域の教育力が低下した」という主張がされるが、これは地域の教育力の影響力は主体性全体の議論に対しては限定的であり、あまり原因として大きいものとして捉えても意味がないように思う。

 また、この自律性というのは、時代によって変化するものであると言わねばならない。何故なら、個人が自律的に生活可能となるための条件自体が、その時代の状況、国家の状況にそもそも依存するからである。SLB目線から対象者に自立を促す働きかけを行う具体的な状況について列挙するならば、

(1)自立(経済的な自律・肉体・精神的な自律を)することに対象者自身が同意するか

(2)どう生計を立てるか

(3)生計を立てるために何が必要か

(4)金銭(財)を適切に使用できるか

(5)どう負債を軽減するか

といった点を挙げられる。

 ここで時代の変化の影響を受けるのは、(2)(4)との関連である。「自律的な生」を考えるのであれば、(2)(4)の基準は生活保護の基準というのが想定される。しかし、家事の機械化はそもそも(3)までの範囲も含めて自律観を大きく変化させてきたと言える。また、金銭的な余裕があるならば、自律的な生活というのはそれだけで敷居で下げることが可能である(食事を外食等で済ませることができる)。従って、単に金額を基準とした場合であっても、それはその国の文明・文化の状況に大きく依存することとなる。

 そしてこれは、個人が持つ自立観にも影響を与え、多様な主体性にも開かれることにもなる。単純に言ってしまえば、金銭的余裕がある程度に労働が出来れば、家事等については自分でやらないという選択も出てくるため、どちらかを選択できるという主体にも開かれてくるのである。合わせて、画一的な主体を要求するということはそのことの阻害になるという問題を抱えることになるのである。

 

 また、(1)についてはSLBが対象者と関わる時点でそもそも対象者自身が主体化される対象としての認識を持っていないことが大きな障害となりうる。というのも、制度論の理念上対象者というのは、制度から利益を受ける者として位置付けたのであるが、それが本人の意思に基づいて利益を受けようとしている訳ではない場合もかなり多いのである。これは以前矢野智司のレビューの際に取り上げた「関係に入る」という論点、つまり教師と生徒の信頼関係というのは自明のものとされるべきではないという点と同じものである。むしろその関係性というのは、義務教育の場合であれば強制的な結びつきがまずあるものであり、<制度としてのSLB>論との兼ね合いで言えば、自立のための関係性が対象者以外の、対象者の関係者(家族といった者)からの結びつきにというのがまず最初にあると見るべきである。これは<制度としてのSLB>の条件<5>でも確認したように、制度自体が対象者との関係の中では、対象者の日常生活の外部に存在するものであり、これをその内部に組み込むだけでも相応の努力が必要なのである。対象者自身は日常生活の内部にあるだけで充足していると感じていれば、わざわざ外部を求めることはない。しかし、その内部に留まることが自立であると定義できない場合には、制度論的にはその組み替えが求められるのである。そしてこの組み替えには相応の労力をSLBに課すことにもなろう。

 

 丁度この議論は行政で近年話題となっている「アウトプット指標」か「アウトカム指標」かという問題と同じものであると言える。すでに行政計画においてはアウトカム指標が中心に据えられることが意図される。

 ところで、このアウトプットは如何にしてアウトカムとなるのだろうか。両者の関係性についてどう考えればよいか。実のところ、この両者の関係はアウトプットから直接制御できないものであるという整理がされている。

 他方、論文発表や特許権取得に代表される研究開発に係る「アウトプット」 は、国立研究開発法人としてマネジメントすることが可能なものであるが、研 究開発に係る「アウトカム」は、研究開発活動自体やその成果物(アウトプット)によってその受け手に研究開発活動実施者が意図する範囲でもたらされる 効果・効用のことであるため、アウトカムが生じるかどうかは、受け手や研究開発成果を受け手に繋ぐ者の状況等に依存する部分が大きく、国立研究開発法 人は提示されたアウトカム目標を自らのマネジメントだけで実現・達成することは事実上困難である 。

 そのため、アウトカム目標を国立研究開発法人自らのマネジメントにより「達成すべき目標」として提示することは必ずしも適当ではない場合も多く、むしろ、国や社会が期待するアウトカムに対して当該国立研究開発法人がどのような方向性を目指し、寄与・貢献していくべきかというような観点から目標を設定することが適切である。 (siryo3.pdf 内閣府のホー ムページから抜粋))

 ここに続くシナリオの一つは、「政策主体側からはアウトカムを直接制御できないが、その働きかけが周囲の環境に働きかけを行い、その環境内の相互作用によって長期的にアウトカム達成につなげていく」という発想である。これは多様な主体が環境としてアウトカムに関わっているのであって、その相互作用こそがアウトカムを形成する主体とみなせるという発想である。合わせてこの両者の関係性は因果関係が認められることが重要視され、強い関連性を持つアウトプットが要求されることになる。

 もう一つのシナリオは、前者の話も無関係ではないが、PDCAサイクルの発想をこれに組み込むことである。ただ、この案も実の所「アウトカム」の定義上、PDCAサイクルが如何に有効になったからと言って達成されることを保障するものでは全くない。また、PDCAサイクルの議論がなされる際、これが「アウトプット」に関連した議論なのか「アウトカム」に関連した議論なのかが曖昧にされたまま議論されることが多い。これはむしろ「アウトプット」「アウトカム」が一連のものとして評価の対象となっており、それらの流れ自体の見直しを求めるからであると考えられる(※2)。

 しかし重要なのは、まさにこのような見直しのあり方である。改めて<制度としてのSLB>論に引き付けてこの点を反芻すると次のように整理できるだろう。<対象者>だけではなく、<行為者>の目標設定を置くのは何故か。これは別に<対象者>の目標を軽視するためではない。むしろ、<行為者>の責任を明確化し、<行為者>が如何なる形で行為をすれば効果的に<対象者>の主体化に貢献できるのかを検討するためにある。<行為者>ができることは有限であって、<対象者>の目標に対して直接の責任を担うことはそもそもできない。これらの評価というのは、一体的に捉え、組織として是正していくべきである。そして、アウトカムに対するアウトプットとしてのあり方は全面的に<行為者>のみにあるという訳でもない。<制度としてのSLB>の前提にある主体化の議論におけるSLBの役割は大きいものとみなすことができるが、他の有効なアプローチの存在についても、多面的に検討がなされる必要がある。

 

 以上のような整理から、<制度としてのSLB>論を展開するにあたっても、<対象者>の目標設定というのは中心的に見据えるべきものであると位置付けながら、それを具体的に達成するための<行為者>を中心とした行為目標についても設定され、それが実現可能な形で行うことができるかどうかを検討していく必要があるといえる。

 

※1 補論:<制度としてのSLB>とロールアウト新自由主義

 <制度としてのSLB>の目標設定の基本として位置付けられるであろう「自立」というワードについては、久保田貢「ロールアウト新自由主義下の主体形成」(2024)において批判的な議論が展開されている。このような議論は<制度としてのSLB>論の存立の根底を問うている意味で無視できない議論である。久保田の著書は中西新太郎などの「自立」をめぐる政策批判についても触れつつ、この「自立」とは新自由主義的な局面において「個」を強要するようなものであると断じている。

新自由主義的「自立」とは何か。政策言語としての自立を述べている吉崎祥司の研究から、以下のように要約することができよう。すなわち、①人間存在の共同性・関係性から切断した「個としての自立」、②経済的自立へ収斂された「自立」、③「自立」の自己責任化、④他者に他律を強要する「自立」、⑤強い個人の「孤立的自己」、といった特徴である。つまり、「ロールバック新自由主義」で福祉国家からの撤退をすすめるにあたり、社会に頼らない主体の形成が望まれる。新自由主義「自立」とは、それに適合的な主体の必要十分条件であり、その育成こそが「ロールアウト新自由主義」の特質である。」  (久保田2024,p48

 また、ロールアウト新自由主義の局面において市民社会組織なども活用しつつ「自律的能力を発揮できないと見なされる人びとへの父権主義的・強制的な措置があり、新たな排除をもたらす」とする(同上、p22)。 久保田の認識のとおり、少なくとも「自立」という言葉を使うことによって、「自立できる者」と「自立できない者」という区別が発生するのは紛れもない事実である。しかし、そもそもこの「自立」という言葉が、「自立していない者」の自立を達成するために示される標語であるとすればどうなのか。またこのような標語は我々(少なくとも)日本国民に等しく要求されているものであることという事実についてこの手の議論が配慮しているのか。そもそも本論で議論してきた制度において、それがSLBとの兼ね合いで中心的になるのが主体性の問題であり、それが「自立」、つまり「必要最低限の生を(対象者自身が)自律的に行うことができる」ための手段でもあることに対してどのように考えているのか。「自立」という標語の否定というのは、これら日本国民の自立することそのものの否定を意味しているのか。恐らくそうではなく、結局「自立」を政策標語として掲げ、強要しようということに対する批判であろう。つまり、このような前提に立てば、我々はそのような政策を受けずとも「自立」することは可能であるとみなされているということである。しかし少なくとも私はこのことは正しいこととは思えない。このような政策の否定は恐らく問題の放置にしかならないのである。

 そして、久保田のような視点は制度論的な目標の意味合いを、<対象者>の目標と同一視しながら、これに対する<行為者>の視点が欠落していることを当然の結果であるとみなしている。このような<行為者>視点の無視こそ<対象者>への具体的支援の欠落を意味するが、<制度としてのSLB>論における「自立」の標語はこのような見方が全く馴染まない。新自由主義的な政策はまさに<対象者>のような支援者を排除する政策であるかのように語られるのであるが、実際に(特に政府支出が削減の局面にあった20002007年頃を中心とした時期において)そのような役割を担う者の排除自体がなされたのかも新自由主義言説批判という議論の中からは出てくることがない。また、<制度としてのSLB論>として選別すべきSLBも特定の目的に合わせた形での、主体化に関わるSLBをめぐる問題であるため、一方的な削減という議論には全くならない。このような言説批判というのは確かに「よくない問題が発生することに対する危惧」として有効性を認めたとしても、「危惧される問題が発生している状況」が長く続いている中で実際にそのような危惧が発生しているのかどうかという検証を欠いたままそのような批判を10年も20年も続けること自体に問題があるように思える。むしろ必要なのはそのような検証による批判であろう。

※2 ここでの議論は内閣府EBPMガイドブックの内容(guidebook1.0_221107.pdf)の他、内閣府における議論を参考にした。

 

<読書ノート>

P4「公共政策は議会や行政管理のトップの意向のままに動いているのではなく、混雑したオフィスやストリート・レベルの官僚たちの毎日から内実化されることを論じたい。政策をめぐる葛藤は、利害集団間の争いだけではなく、個々の官僚と、彼らのやり方に逆らったり服従したりする対象者との間にも生じることに留意したい。」

P9「ストリート・レベルの官僚は公的な支出の最大の関係者であり、地方のレベルでは公共的な活動の主要部分を彼らが占めている。市民は彼らを通して行政を体験し、重要なところでは、彼らの行為そのものが政府や自治体によって供給される政策そのものであるということである。」

P19ストリートレベル官僚として紹介される職業…教師、福祉従事者と警官。ソーシャルワーカーや心理学者、図書館司書、保健所職員、弁護士、裁判所職員

※規模の大きさが強調されている

P20「公共部門の雇用のなかでストリート・レベルの官僚がもつ意義の大きさを示すもう一つの尺度に、彼らの給与にあてる公共財源の量がある。1973年の地方自治体の人件費のうち、半分以上は公教育にあてられた。そのうちほぼ80%は教員の給与である。警官の給与は、教育関係者以外の地方公務員給与の約六分の一にあたる。」

※この議論は財政圧縮の議論と密接にリンクする。

 

P25「電話会社や自動車車輌局、その他の政府機関で、要求者や申請者の個人的環境など全く知らない係員に、無視されたような、また判で押したような扱いしか受けられないのと、直接話しができ、少なくとも心を開いて共感を持って話をきいてくれると期待していた人が。十把一束に扱われ、(悪い意味で)「官僚的に」対処されるのとでは、大いに相違しているのである。相違がなければストリート・レベルの官僚の仕事は、意思決定に際して非人間的で冷淡であるというイメージ通りの官僚制とほとんど変りはない。しかし、これとは逆に、ストリート・レベルの官僚の重大な決定の対象は〈人間〉であって、それは決定の結果、現に変化しうるものなのである。」

P31「他の多くの組織の下級職員と違い、ストリート・レベルの官僚は、彼らの所属する組織が供給する便益と制裁の性格を明らかにし、量や質を決定するための裁量が委ねられている。」

P32「これはストリート・レベルで働いている人たちが、規則や規定、上司からの指示、あるいは職業集団の内部的な規範や慣習に制約されないという意味ではない。むしろ逆に、公共政策の主たる領域――たとえば公益のレベルや受益適格性、規則や規定、サービスの性質などーーは、政策エリートや、政治的・行政的官公吏の手で形成される。」

P32「ストリート・レベルの官僚が専門職化するのに伴って、彼らが相当程度の裁量を行使したいという主張も明確になる。彼らは通常、自らの専門領域では敬意が払われ、上司の監視を受けることも少なく、対象者から細々と詮索されることもない。しかし、専門職の立場にあるとはとくに思われない公務員にさえも相当の裁量を持つことがある。公式的には、彼らの決定は規則や比較的綿密な監視によって制限されているはずであるが。」

 

P33-34「彼らが関与している職務は、規則や要綱、通達などを入念に作っても、選択肢を絞りこむことができないほど複雑なものである。理由として少なくとも三つを挙げることができるが、この場合はそのうちの一つに該当するようである。

第一の理由は、ストリート・レベルの官僚の職務の状況は複雑すぎて、きちんと整序された手続きや手順に従って行動できないという点である。たとえば警官は、とくに敵意を抱いていそうな市民と出くわしそうな時には市民との関わり方の一般的な指示に逐一従うわけにはいかない。実際、そういう指示に従わなければならないとすれば、彼らはおそらく街のなかに出ていかないか、危険のありそうなところへの出勤を拒否することになるであろう。#同様に、最近の教育に対する考え方も、何をどのように教えるかを詳細に教師に支持しない方向にある。これは、ある程度までは、一人一人の子供に対して、その子供の個人的な事情に見合った対応が必要であるといった哲学が広くゆき渡ってきたためである。

第二に、ストリート・レベルの官僚は、状況のなかの人間性に関わる問題に対応しなければならないことがしばしばである。……確かに、法規通りの判決を下すこと刑事裁判の制度上の不公平は無くなるかもしれない。しかし個々の違反や犯罪のそれぞれの個別的な背景を配慮したような法の適用を一方では求めているのである。また、子供たちの一人一人に固有の潜在能力に気を配るような教師を求めている。要するに、社会は公的な組織や公平さだけを求めているのではなく、特異な環境や背景に対する同情や、そうした環境に関わる柔軟さも、ある程度は必要としているのである。

裁量が制限されそうにもない第三の理由は、職務の性質よりもむしろ、市民と相互作用する彼ら官僚の機能と関係がある。ストリート・レベルにおける裁量は、官僚たちの自尊の気持を高揚し、また対象者に対しては彼らの幸福の鍵を握っているのは自分たちストリート・レベルの官僚ではないが、彼らに裁量をもたせることは、彼ら自身にとっても対象者にとっても福祉国家の正当性を確かなものにするために大きく貢献していることは明らかである。」

※この論点の意味は大きい。裁量を与えることの正当性は結局状況依存的である。

 

P43-44「ある環境のもとでは、それぞれの個人的な事情にあわせた受理基準を用いた方が適切といえる場合がある。ストリート・レベルの官僚が裁量を行いうる一つの理由は、社会がコンピューター的な行政サービスや厳格な基準の適#用の個別の状況への即応性を犠牲にしてまで、してほしくないと考えているからである。」

P53「官僚制における意思決定は、時間的にも情報的にも制約されている。意思決定の当事者たちは、持てる資源に対し情報菟集にかかる相対的費用、情報を入手するのに必要な能力、そして情報そのものの少なさなどの制約をうけるのが普通である。しかしストリート・レベルの官僚の場合、彼らは更に相当程度の不確実性を相手にしなければならない。というのは、彼らは複雑極まりない対象を扱い、しかも繰り返し迅速に決定しなければならないことが多いからである。信頼しうる情報に高い費用がかかり、入手するのが難しいというだけではなく、いつも多くの条件をかかえ、入手するのが難しいというだけではなく、いつも多くの案件をかかえ、突発的事件に出遇い、次々に決定事項に追われて忙がしいので、もっと多くの情報を入手するために手間をかけた方が得かどうかを考えることすらできないでいる。対照的に、ストリート・レベル以外の官僚たちの場合は、今よりもう少し努力を払って情報量を増やす方がよいかどうかを検討してみるゆとりぐらいは持っているものである。実際資源の稀少さに悩むことが全くないような組織さえあるのである。」

※この議論にどの程度の根拠があるか全く不明確であるが。

 

P113-114「更にストリート・レベルの官僚は、対象者#から少なくとも四つの点で疎外されている。(1)彼らは自らの生産物(つまり対象者)の部分にのみ関わろうとする傾向がある。(2)彼らは自らの職務の成果を統制していない。(3)彼らは自らの職務に必要な原材料を統制していない。そして、(4)彼らは自らの労働の速度を統制していない。」

※「ストリート・レベルの官僚は完成品をつくるのではな」い(p114)!「教育者は、数学、国語、芸術やダンスなど専門分化した教師に分かれている。」(p115)

P118「とくにストリート・レベルの官僚制における行政サービスは、次第に官僚制化されつつある。市民その他に対するサービスの発展は、それに従事する官僚の補充をより普遍主義的にしている。この発展は彼らの対象者に対する援助や彼らの努力の成果の検討にも影響を及ぼすようになった。というのは、対象者に対する処遇の方法もまたより普遍主義的になってきたからである。官僚と対象者それぞれの社会的背景が以前ほど一致しなくなり、それだけに両者を合意を必要とする普遍主義的な手続きが発達するようになった。過去においてはソーシャル・ワーカーや学校の教師の作り話ともいえる温情主義は、不平等とえこひいきにもとづいているとしても、ストリート・レベルの官僚に責任感を与えたり、結果と報酬を結びつけるように機能してきた。行政サービスの官僚制化は、普遍主義的になることで彼らの疎外を大きくしてきたのである。

ストリート・レベルの官僚が自分たちの職務から疎外されるのに伴って、彼らは進んで組織の体制化を受け入れるようになり、対象者の利害や彼らとの関係の維持に関心をもたなくなる。彼らとの関係が希薄になればなるほど、その関係は官僚自身にとってどうでもよいものになる。」

P122「彼らはまた、職務の業績達成度を測定したり評価する際の難しさから生ずる付加的な不確実性に直面することにもなる。彼らの職務を特徴づける決定的な条件は、彼らが日常的に相互作用し合う人々、つまり対象者は彼らの準集拠団(※ママ)のなかにいないということである。」

 

P145-146「定型的なサービスの割り当てには二つの方法がある。第一に、規定や責任、公平さを保証するための手続き一式は官僚たちを対象者のつきあげから護るような働きをしている。手続きにこだわることで、眼前にある状況から距離をおくことができ、人間の問題に深く立ち入らなくても済ませられるのである。幸か不幸か、彼らが従うべき手続きを作り出すことで、このようなことになるところもある。たとえば弁護士や裁判官はきままな来談者や被告たちの言い分に引きづられないために裁判所手続きにこだわるのである。#……

ソーシャル・ワーカーが来談者のために時間を費やすよりも、むしろ文書事務に無限の時間を費さなければならないことは不幸なことである。しかし幸か不幸か、定型化によって、彼らが来談者の欲求を抑えこんでいることは事実である。定型的な手続きに執着することで、まずサービスを供給するのが彼ら官僚の義務であるのに、それを怠っているのではないかという批判を免れている。……

第二に、定型化は、柔軟に対応できないための言い訳になる。……

定型化は予測可能性を高めるので、対象者の信頼を得ることになる。」

P187「しかし、対象者の福利に貢献するとしても、他方では彼らの特殊な欲望を満たすというよりも資源の乏しい組織の過重な負担を少なくするためのたらいまわしもなくはない。ストリート・レベルの官僚は、サービスを供給するための最も費用のかからない方法の一つとして、たらいまわしを行うのである。これによって組織は、対象者を追い払うことなく、有用性とサービスについての恵み深いイメージを維持することができるのである。

たらいまわしは、供給に比べて資源に対する需要が通常でない場合に行われる。」

※本当だろうか?

 

P209-210「自由裁量を否定することは、責任を制限するためにはとくみられるやり方である。官僚は彼らが影響力をもっていることや、自由に意思決定できること、他にもサービスを提供できることなどを務めて否定している。規則に厳密に固執することや例外がでても仕方のない時でも例外をみとめないなどの態度は、対象者が望む以上のこともでき得るという可能性を官僚自身がみせないということである。「仕方のないことです」とか「それがきまりですから」などは、対象者からの圧力から身を守ることに役立っているだけではなく、行政サービスの当事者としては自身にも不足な点があることをおおい隠すことでもある。時には、このような言い方は対象者の要求を曲るための#方略になることもある。しかし、多くの場合、部分的には、このような言い方は対象者の期待と、官僚の能力の間にギャップがあるからであり、またそれを理由にして何もしなかったり、逆に彼ら自身が困ることもなるのである。」

P210「組織が、彼ら官僚の役割緊張を解消するためのもう一つの方法として、公務上の手続きの明細を明らかした(※ママ)規則を公表することである。役割緊張を解消するという視点からは、ストリート・レベルの官僚は、実情に合わせて職務の概念のほころびを修繕するための権威づけに利用する以上に規則に従う必要はさらさらない。規則は指示・命令のためだけではなく、官僚の役割概念を整理するためにも役立っているのである。

前の章で、対象者の処遇や官僚自身の責任を果す際の定型化について考察を行った。これらの定型化は、しばしば能率のための単なる手段以上のものである。彼らは実行様式に強い愛着を示している。彼らは自身の職務が定型的でなければならないとも感じているようである。」

※ここでは教員と異なるように見えてしまう。

 

P236「生産性の規定要因のうち、サービスの量と質/費用という公式について考えたい。生産性の規定要因のうち、サービスの質と費用の二つは容易に測定できる。しかし第三の、サービスの質は、実質的には測定不可能である。生産性向上の圧力下にある管理者が、人員を削減したり現存人員からより多くの達成量を得ようとしがちなのは、これらが前述の公式の項の中でも管理者に容易に操作でき容易に測定できるものだからである。こうして人員が削減されて骨と皮だけになったとしても、責任が軽くなるわけではない。」

P259「彼らのディレンマの本質は、彼らは専門職だが同時に官僚でもあるということにある。」

P268「サービス供給に対する何らかの支配力を組織し獲得しようとする対象者の奮闘は、尊重し奨励すべきである。サービス組織の管理に対象者が関与することは、ストリート・レベルの官僚が自分たちの役割を明確にする過程に対象者の貢献を確実なものにすることである。サービス供給は、ある程度分権化されるべきである。そうすれば、地域の人たちが、それぞれの工夫を生かすことによってサービスをよくすることができるようになるであろう。

1960年代に、いくつかの地域社会では、学校や地域の保健センター、公共住宅、その他の公共サービスの管理に実験的に対象者を参加させた。これらの経験から、市民に受け入れる体制が備わっているかどうかを調べもせずに市民をサービス供給の統制に関与させることは愚かであると考えられた。1960年代の実験は、財政的に実行できない政策に対象者を関与させたり、対象者や市民委員会の範囲や権限をせまく限定したりして、市民の参加を信用できないものと決めつけてしまうような不適切なことがしばしばあった。財政上不健全な公共事業に地域社会の活動家を新委員として選出することや申し訳だけの参加の問題を避けながら、サービス官僚制に対象者を関与させることは、官僚制を対象者によりよく対応させるために、潜在的にかつ決定的に重要であることに変りはない。」

 

P269「大体において、社会はストリート・レベルでの裁量をあまり制限しようとしない。しかし、これを制限することが、現に望ましい状況もありうるのである。」

P271-272「もし彼らの裁量が制限されているのであれば、ストリート・レベルの官僚は、不確実性に対処するための定型的な業務や簡略化は必要でなくなるであろう。もし目標がもっとはっきりしていれば、官僚は矛盾する感情をもたずに、精力のすべてをそれに向けることができよう。もし適切な業績達成の尺度があれば、ストリート・レベルの官僚は#自分の行動に対してもっと責任を負うことができるようになるであろう。

このように考えることは、制限付きでおそらく正しいであろうし、時には行動の根拠を形成することもあるだろう。しかし、いくつかの理由から、それらは窮極的にはきわめて制約を受けるように思える。」

P272-273「ストリート・レベルの官僚制の資源を増大させたり改善したりすることの望ましさも、批判の内に暗黙に述べられているように思われる。しかし第3章で述べられたように、ストリート・レベルの官僚制の問題の解決のために資本の増加を提言することについてはきわめて懐疑的である。資源の増加は、大量な規模でのサービスの質の問題を惹き起こすように思える。……更に、もしサービス組織が何らかの理由から、資源を現場で維持するのに加えて、追加の資源を得たとしても、それがただちにストリート・レベルの官僚制をしてサービス#の向上に向かわせることにはならない。」

※それでもなお、財政的援助は必要とする(p279)

 

P275「サービスのディレンマを解消するために専門職の育成に傾注することは魅力的である。すでに論じたように、専門職は理論的には、サービスそのものに価値をおいている。専門職には絶えず、こうした理想を現実のものとすることが委ねられるべく新人が入ってくる。専門職は理論上のサービスの理想を実現するだけでなく、この理論を実践に移す可能性を信じる人たちも、サービスと犠牲的行為の理想にかなった地位を得ようとして専門職に入ってくるのである。

ストリート・レベルにおける責任のディレンマを解消しようとする時の、「専門職の苦境」は、理論上の専門職のサービスと、実際の専門職によるサービスの現実との間のギャップにある。医療や法的サービス組織などの主要な専門職はその基準にまでまだ達していない。その基準とは、サービスを必要とする人々にこれを供給し、専門職の要求や好みよりも対象者を優先させ、更に、サービスを専門職が独占していることを考慮して、地域社会の必要を満たすように職務を工夫することが専門家には必要であることを認識するように求めるものである。」

P276「近年、専門職のサービスそのものに価値をおくような方向づけを蝕んでいる領域が、少なくとも三つある。

第一に、専門職はその定義上、同僚に対してのみ責任を負う。このような同僚の間の関係を重視することは、専門職としての訓練を受けていない、経験のない部外者の批判から自らを保護するのに役立っているが、同時に対象者や、対象者のために発言する人々の批判に対して耳をふさぐことになっている。」

P277「第二に、ストリート・レベルの官僚制のモデルとしての専門職主義における主要な問題は、専門職が個々に孤立して職務を遂行しがちであるという点にある。」

P278「要約すると、実際的にも理論的にも専門職育成はストリート・レベルの官僚の業績達成を向上させる方法であるが、専門職に関するこれまでの記述を検討すれば、彼らによって実際にもたらされてきたものは対象者に対する人間的な暖かみを必ずしも増進させるものではないことを示唆している。」

※これは専門職論批判の基本的な評価である。

 

P283「官僚が、職務の状況に対して効果的かつ責任ある統制を行うのに役立つ考えが三つあり、それらはストリート・レベルの官僚制の変革を削減や縮小なしに確かなものにすることに役立つであろう。

第一に、サービスを受ける対象者は、ストリート・レベルの官僚の準拠集団の中で、影響力を持たなければならない。下級官僚の行動を、可視的で理解可能なものとする方法を見出さなければならない。そうして官僚の影響を受ける可能性のある対象者を、職務の適否判断に一層関与させなければならない。……たとえ対象者が、専門職一流の小細工や美辞麗句にごまかされ、細分化した意思決定の手続きを理解するのに限界があるとしても、意思決定の状況を対象者に見せることで、ストリート・レベルの官僚制を対象者中心に再構成することは是非試みられるべきである。更に、ストリート・レベルの官僚は、対象者がサービスについてより的確な判断や評価ができるように教育する方法を開発するような役割を担うべきである。」

P283-284「もしストリート・レベルの官僚が個々に事例負担を抱え込み、対象者に対する責任を一括して引き受けるよりも、集団的に責任を負うようにすれば、対象者の関与は有意義なものになるであろう。多くのストリート・レベルの官僚制における官僚の孤立や圧力は彼らがそれぞれ個別的に対象者に対する全責任を負っており、援助や忠告を互いに求めあうことができず、自分の負担を最小限にするために他の同僚と利権を争わなければならないことから生じている。ストリート・レベルの官僚が、対象者に対するサービスに対して#自分の部局の責任を個々に負っている限り、仲間の官僚や対象者との協力的・援助的関係を発展させることに対しては防衛的になりがちである。専門分化による効率のよさや個々の事例負担によって生じる最小限の責任を捨て去らなくても、対象者を、個々の官僚ではなく担当部局の責任にするような、集団的な事務負担、あるいはオフィスを単位として事例を負担するといった概念を育てることは可能である。」

P284「新しいストリート・レベルの官僚制を支えるために必要な第二の条件は、新しい方向づけに関わる人々も熱意とリーダーシップである。改革は自己成就的に実現することはない。人々が行政サービスに献身し、対象者の集団や同僚の官僚、地域社会から支持を受けるような状況においてのみ改革は実現しうるのである。」

P286「近年ストリート・レベルの官僚制を改革することに伴う利害に関しては三つの陣営が互いにすくみあった状況にあるといってもよい。つまり管理的手段によって、有効性と効率性を高めようとする管理者。労働条件の改善を求めるが、危篤の便益を守らざるを得ない官僚たちの組合。サービスの向上を求めはするが、政策の場では正当性に欠ける対象者および対象者の関係者の以上三者である。」

 

P335「行政サービスのための組織は、すべて開放的なシステムモデルとして把握することができ、本書でいうストリート・レベルの官僚制は、まさしくこのような組織である。しかも、ここでの官僚は、外部環境との相互作用、つまり境界関係の当事者である。」

※田尾の議論。これに対してヴェーバーの議論を閉鎖的と呼んでいる(p335)

盛山和夫「制度論の構図」(1995)

 少し外での仕事が忙しくなり、ずいぶんと間が空いてしまった。とりあえず直近の関心に合わせて、「制度」をテーマに考えを整理してみたい。

 ここで特に注目したいのは、「制度」と呼ばれるものがいかにして存立しているのかということである。少なくとも一般的に言われる「制度」というのは、明文化を伴うとは限らない。社会的な意味での慣習というのは、これが明文化されていないとしてもその社会(共同体)の成員の中で共有されているものとして機能している。また、この「制度」という枠組みは時にその規範的な単一性に対するアンチテーゼとして議論されることもありえる。本書にもその節があるが、慣習法の研究分野において、少なくとも川島武宜にとっては、既存の成文法の解釈の問題について、それが単一的な解釈のもと裁判において解釈されがちなものであるものを、既存の地域慣習の中で形成された「慣習法」の論理の理解と、それを如何に認めていくのかという問題であったといえる。

 

「元来、慣習法に関する理論は、実用法学上の法源論の問題として発生したものでした。すなわち、成文法主義をとるべきかどうか、或はまた成文法主義のもとにおいて、制定された法律以外の・社会の慣行の中に現実に妥当している規範を、はたして、またどの程度で、国家法の平面で法律(裁判所の裁判の規準)として承認することができるか、また承認すべきであるか、という実践的課題の解決に関連して発生したものでした。そうして、学者は、社会の中に現に法として妥当しているところの「慣習法」が存在することを明らかにすることによって、右の実践的課題に答えようとしたのでした。」(川島武宜法社会学上」1958,p43-44

 

 これに関連して、教育の分野の議論の中ではこのような慣習法に対する理解はあるべき多様性を認める「制度」の理解として、一義的に解釈される「法」に対する批判として、「制度」を「法」とは別のものであるという前提を持って議論されることがあった。例えば、仲新は次のように「制度」そのもののありようを「教育の本来あるべき多様化」との関連でその多様化を保障するものでなければならないと主張する。

 

「制度化するということは、規則を定めて一定の教育を行なうことであると一般には考えられ易いのであるが、このような制度化は制度によってかえって教育の本来あるべき多様化を阻止し、教育を固定化する危険がある。従って多様化のための制度は、むしろ教育の本来あるべき多様化を妨げている条件をとり除き、正しい意味の多様化を実現するための可能性を保障するものでなければならない。」(仲新、持田栄一編「教育学叢書第6巻 学校制度」1967p10

 

 このような「制度」を二重に捉える考え方はそれほど珍しいものではない。一方で制度は単純な2者の関係性を、その主観的な解釈や恣意的な権力性によって規定されることを回避し、そこに第三者の視点を加えるものである。社会の成員がそのルールに主観的判断を排して従うべきであるという、ある意味で一義的な規範を要求するでもある。他方で、「制度」自体がここでいう「法」同様に一義的な解釈がなされるものであるということを以て批判の対象とされる場合もある。例えば、これは藤田英典のいう「制度疲労」という言葉で形容されることもあったものである。

 

「先に、校内暴力やいじめや不登校といった「病理的現象」が今回の教育改革の必要性と緊急性を道義的に根拠付けてきたことを指摘した。この道義的関心によって充電された改革エネルギーは、一連の「病理的現象」と日本の教育システムの特徴を因果論的に結びつけ、後者の改革が前者の改善に通じるとする短絡的な見方を流布し、一連の制度改革を推し進める原動力となってきた。その問題認知の仕方と制度改革の方向を正当化する際にしばしば用いられてきた言葉が、「制度疲労」や「学校のスリム化」であり、最近では「アカウンタビリティ」である。これらの言葉は、問題の因果関係や改革プログラムの有効性を問うことなく、それを正当化する力をもっている。

たとえば「スリム化」という言葉は現代日本では、「肥満・肥大=活力低下・機能低下」という対極イメージを想起させ、身体であれ企業組織でれ行政機構であれ、スリム化して活動力を高めることは良いことだと思いこませる力をもっている。「制度疲労」も同様で、半世紀も前に作られた制度が激しく変化する時代に適合しなくなるのは当然だとして、その実質的な点検を省略し、とにかく新しいものに取り替えることを正当化する力をもっている。近年の制度改革はそうした言葉の魔力に支えられて進められてきたことは確かであろう。

とはいえ、「制度疲労」や「スリム化」といった言葉が改革推進勢力を勢いづけてきたことは確かであろうが、その影響力はたぶんにムード的なものであり、必ずしも改革の持続的な推進力になるというものではない。」(藤田英典・志水宏吉編「変動社会のなかの教育・知識・権力」2000p244

 

 藤田においてこのような「制度疲労」はそれが語られるように実態を伴っているかどうかが疑問に付された。ここでは制度が「規制」を伴うものであり、その妥当性が問われる訳だが、藤田はこの問題認識自体に対し否定的である。所謂新自由主義的な規制緩和の議論というのは、70年代以降一貫してこのような制度の問題を提起してきたものであるとして捉えることができる(※2)。

 上記の仲新の主張に関連する以下の持田栄一の主張などは、このような流れとの関連性についても考えるべきである一方で、あるべき教育、ないし社会体制の実現のためには制度が固定化されて捉えられることへの批判として提起されるものであった。

 

「以上のようにみてくるならば、現在におけるわれわれの課題は相互に関連するつぎの二つの点にもとめられよう。第一は、現行教育基本法体制とくにそこにおける「改良」的部分の限界を勤労大衆の教育要求と教育科学の法則に即して明らかにし、教育を「上から」の計画化のプログラム――総資本の教育要求にもとづく教育の社会化構想に代置される「下から」の批判教育計画——労働者階級のヘゲモニーによる教育の社会化の構想を具体的に明らかにする点、そして、第二は、総資本の教育要求を基礎として編成され、再構成されている近代公教育——教育基本法体制を変革していくための「主体」を形成していく課題、すなわち基本的にいうならば教育を「国家」を主体として、したがって、法制化された制度をとおして社会化していくのでなく、人間自らの社会的力を主体としていくための「主体」(自己権力)を形成していくことである。」(持田栄一「学校の理論」1972,p246-247

 

 持田のこの問題意識は黒崎勲にも継承されている。「法制化された制度」は黒崎にとって官僚化の弊害として描かれることになる。

 

「公立学校制度は、すべての子どもに対して、専門家の手によって、ひとしく、最善の教育を行うことを規範としている。教職は教育学に裏付けられた専門職とされ、教育行政は、個々の教職員スタッフの恣意的な行為を規制するガイドラインを設定し、合理性と効率性を内実とする科学的管理の体系として組織され、教育機関の正系として公立学校制度が整備されてきた。これらを通して、公立学校制度は、その細部まで法規範によって規定される、誰に対しても平等に、標準的なサービスを配分する大規模な社会制度として発達してきた。義務教育の年限の延長、進学率の上昇、専門職としての教職資格要件の高度化などが、教育の進歩を語る指標となってきた。しかし、今日、公立学校のこうした諸特徴は、公立学校を官僚化させ、学校教育活動を画一的なものとさせる原因であると批判されることになった。」(黒崎勲「増補版 教育の政治経済学」2000=2006p123

 

 今回以降このような形で議論されうる「制度」観について、SLBStreet-level bureaucracy、ストリートレベルの官僚制)論を経由しながら検討を加えてみたいと思う。SLB論とはリプスキーを中心に議論された、制度行使の末端に位置付けられる官僚がその行使を如何に行うのかに注目しながら、特にその多様性を強調しながら(※1)その役割の意義について主張されるものである。類似の議論としてワイク(K.E.Weick)のルース・カップリング論が挙げられる。もっとも今回取り上げる盛山はこの系譜には結びつかず、むしろその前提となる「制度」観についての議論を行うものであり、まずその前提から整理していくために導入としてこのことを考えてみたいと思う。

・盛山の制度観と制度に関わる者の役割について

 本書における盛山の問題意識は制度を客観的に捉えようとする態度そのものに向いていると言える。まずもってルールそのものの定義付けに関する不可能性を宣言し(p163)、その上でルールという現象の「理念的実在」としての性質を強調する(p164)。また、このようなルールが定められるということによって「社会的現実を秩序あるものにし、秩序あるものとしてみることを可能にするような理念的実在」だとする(p169)。

 その上で「一次理論」と「二次理論」を区別する。一次理論とはシュルツによって述べられている「行為者自身が自らをとりまく世界について抱いている了解の内容」を指す(p179)。これに対し二次理論とは「社会科学という探求の立場が確立しようと志向している理論」(p179)、「社会的世界を一次理論が構成している仕組みを対象として探求するもの」である(p195)。本書全体の主張はp213で述べるように一次理論を超えるような形で、二次理論を前提にしてその客観性を議論しようとすることが問題であることを指摘することに集中している。これは95年当時にはそれなりに意味のある議論であった可能性はあるが、現在ではそれほど珍しい主張にも見えない。

 

 私が本書の主張で一番問題があると思うのは、一次理論において主体性が付随することを前提としている点である(cf.p212)。この前提において、制度を規定する主体の認識が問われることになるが、本書のスタンスも踏まえるとこれを単純に考えること自体が危ういようにも思える。我々が一次理論として制度を認識するプロセスにおいてある種の客観性を確信する必要があるとされるが(p263)、この客観性自体が一次理論によって支えられているとは限らないのである。これは本書で指摘してきた二次理論の弊害というのが、そのまま一次理論の形成に影響を与えている可能性を意味するのである。つまり、制度認識自体は一次理論的であるとしても、これを正当化するものが一次理論であるという保障は実はない。「主体がそう考えている」という想定で十分であり、それが実体を伴っていることはあまり重要でない。従って、この一次理論に主体性が必要であるということを強調しすぎることが制度認識の曲解を誘導しているように見えてしまう。

 このような議論は組織認識もその境界づけは一次理論以外の何ものでもないとする(p219)点にも同じことが言える。まず、単純にある制度が存在しているという認識を一般的な人々が持っていない場合、そこに「制度」はあるのかという問いが立てられる。しかし、実際には一般人が「制度」を認識しなくても、「制度」は存在しているのである。制度の存在自体は一次理論として制度を認識する主体が存在することと、それが制度としての体裁を整えているものと言えることが確認されれば十分である。このような状況によって、何らかの意味で「制度」に関連づけられている場合(被投性がある状況)でも、「制度」を認識していないために「制度」と関わらないという状況が発生する。これをひとまず<投企なき被投性>と呼ぼう(※3)。

 このような<投企なき被投性>は、明らかに一つの矛盾であると私は考える。何故なら本来的には「制度を認識していないこと」は一つの主体の判断である(少なくとも、<了解>されたものである)とみなしうるからである。

 では、「制度」に関わっている者とは誰とみなすべきか?まず、その制度を制定した者はこれに該当する(A.制度の制定者)。そしてこの制度によって何らかの権力行使を行う者も当然これに関わる(B.制度の行為者)。その権力行使を受ける対象もまた制度に関わっている(C.制度の対象者)。最後にこの制度に直接関わらないものの、制度を制度として成立させるための成員としての、ある共同体に所属する者がいる(D.制度の関与者)。この関与者とは、基本的には制度の主体となっている「共同体」に所属する者とイコールであるとひとまず言ってよい。例えば一つの自治体に関する制度というのは、それが独自のものであれば基本的にその効力の範囲があらかじめ「市民」に限定され、ここでいう関与者は市民が該当する。もちろん例外がある。例えば、自治体の図書館にある本を借りるためには、必ずしもその自治体に住む市民である必要はない。そこに勤務する場合でもよいし、近隣に住んでいる者でもよい。。極端な場合は住所を問わない自治体もある。ただ、この場合、その貸借可能性のある自治体の者全てが「D.制度の関与者」なのではなく、あくまで当該自治体の者だけがそうであり、「C.制度の対象者」の範囲が一自治体に留まらず広がっているに過ぎないとみるべきだろう。そのような対象の範囲を決定するのは行政ないし議会も含めた自治体なのであり、これを「追認」する形で「D.制度の関与者」は存在することになる。

 さて、先述した<投企なき被投性>に陥うるのはこの「D.制度の関与者」である。関与者は本来的には制度の関与者として、文字通り関わっているはずなのだが、あたかもこれに関わっていないのと同じように行為することや、意識することが可能である。

 この関連で「制度」は何のためにあるのかが強く問われることになる。私自身の理解では、制度とは主観的・恣意的な影響を基本的には明確に否定した形で何らかの権力行使を多かれ少なかれ与えることを可能にするものである。制度の運用においては、「B.制度の行為者」は期待された通りの行為を行うことを要求されることになる。この要求される行為の目的、いわば制度の目的にはその裁量の与え方に差異もある。あまり細部へのルール付けがなくても制度というのは、一定の目的のために機能することが期待されるものであるが、どちらかと言えばそれはその目的意識がむしろ明確になっていないことからくるものであるように思われる。つまり、「制度」自体が制度であることの認識が乏しいまま機能している場合、そこには裁量も多分に含まれることになる。

 制度においてはそれぞれで目的があり、それぞれの制度において本来「D.制度の関与者」がいかなる意味で、いかなる程度関与するものなのかも異なるし、その持つ意味にも個人差があることが想定される。制度運用の上で関与者が関わるものとして非常にわかりやすいのは「金銭負担」や「労務負担」だろう。このような負担がない制度がありえるのかどうか、あるとすればどのような性質のものか。ここで重要なのは、この制度においてはそれを成立させるための、それ自体で意志表明可能とみなされる共同体が必要であるということである。これは平たく<制度組織>と呼ぼう。制度と呼ばれるものはその成員間にルールを課すことによって、一定の役割を相互に与えることで制度の目的を達成しようとする。そして仮に制度達成のために何らかの負担を成員間に負わせる場合は、一定の方法で負担を負わせることになる。これはもちろん「C.制度の対象者」に全て負担を負わせることも考えられる。特にそれが成員間の安泰を脅かすような、懲罰的なものであればそのような図式にもなるが、逆に特定の利益を与えるためのものであれば、それは特定の利益を与える必要があるようなことを可能にするために、相対的な負担を他者に課すことになる。このように関与者は共同体の意図に反する行動をとらない限り全く負担を負わない制度もあれば、程度によって大きな負担となる制度を抱える可能性もある。しかし、この過重負担自体も制度の持続のためにはあまり望ましいことでもなく、その共同体が正しく機能しているのであればなおのこと、この制度に伴う関与者の負担も軽減されることが志向されているものとひとまず想定してよい(もちろん例外も大いにありえるが)。

 

 このように捉えた場合の制度の厄介な所は、我々人間にとっては、先代によって決定され、運用される制度である限り、そのまま追随するよう強制されることになる。この制度が新たに生成される局面においては、その共同体の成員間で共同的な決定をおこなったというタテマエをとることもありえなくない。それが民主主義的なタテマエでもある。しかし実際の制度生成においては、そのような共同的決定というのは形式的なもので終わるか、その後に共同体の成員になった者にとってはその制度は関与されることがあらかじめ強制される構造をとることになる。このような状況において我々は「D.制度の関与者」であることが当たり前のこととなり、あえてそのように関与しているという意識もないまま生活を送ることもありえる。もっと単純に制度を認識しないまま、制度の存在を知らないまま制度の関与者として振る舞うことが要求される。様々な制度が張り巡らされている状況下においては、ある意味で何人もそのような状況に晒されているといっても過言ではない。このような前提において、「主体」として行為を要求されている市民は果たして「主体」として行為できるのだろうか?一般的な意味での制度と対峙した場合、これは<投企なき被投性>に陥っていると理解した方が正しいように思える。尤も、個別の制度の議論となれば話は別である。同じように<投企なき被投性>に陥っている関与者もいるが、そうでない者もいる。これは「C.制度の利用者」というのがその制度に意識的に関わる者として確実に現れるからである。

 

 以上の状況から我々は制度により生まれる負担について あたかも負担がないかのようにふるまうことが可能となり、それはそのまま「制度」に関わっていないかのように振る舞うことも可能にする。制度の関与者は制度に対し如何に振る舞うべきか。盛山の議論を踏まえれば、一次理論が共同性に支えられている以上、これに対し無関心であることはむしろ「制度」そのものの正当性に対する疑義にもなりうるのではないのか。そのように考えれば、制度の役割は無視されるべきではなく、制度の関与者は制度に対し関わりをもつことを要請されるのである。

 また、この議論の厄介な所は仮に関与者の負担があるとしても、その負担感というのは極めて主観的にしか判断されないということである。そしてこの点を厄介にしているのが<制度の重層性>とでも言うべきものが介在しているということである。「D.制度の関与者」という考え方は負担の対象を特定するものであるが、厳密には一意的に定まる訳ではなく、誰が制度の決定を追随しているかどうかをタテマエ上規定したものである。ところが実態としてはこれが誰にあたるのか簡単には特定できない。自治体の制度の場合においても、単純に「B.制度の行為者」が存在し、かつその行為者がその制度に係る行為を行うコストは一体どこから来るかと問うた場合にも、タテマエ上自治体に属するものでありながら、実際は国や他の広域自治体の補助等を受けて運用されていることがほとんどであり、その意味で自治体における制度というのは国家の影響を受けざるをえないとも言うことができてしまう。これは直接的な国家権力が作用しているという可能性だけではなく、「D.制度の関与者」という意味でも無視できない問題となってくる(※4)。

 

・「制度の分析者」について

 このこととの関連で考えたいのが「制度」に対する研究者の関与の仕方である。本書においても二次理論の不可能性を強調しつつも制度研究の必要性は否定しておらず、研究者は「制度」に対し何らかの寄与を行うことができることが前提となっている。では、研究者はどのようにある「制度」に位置付いているか。広義にはDの関与者として関わることになるが、関与者としての組織のタテマエを強調する意味で敢えて別の考え方として「E.制度の分析者」を定義しておきたい。分析者はタテマエ上制度との関連性を持っていないが、その制度に主体的に関わろうとする存在を指す。わかりやすい例が「自分は住んでいない自治体の首長の評価を云々言う」状況である。実際他の自治体制度の根幹に関わる者の振る舞いは制度としては自分自身が関わる制度とは関連性をもたないと考えるべきだろう。にも拘わらずそのような批判を行うのはどのような動機によるものなのか。ここには単に目の前にいる人物が憎く排除したいといった感情が先行しているだけと考えてよいのか。それはそれでよいのかもしれないが、事はそう単純でもないと思う。研究者の視点も同じであろうが、結局このような現象が起こり「分析者」とカテゴリーが制度論の中で生まれるのは、『「制度」に内包される、「制度」そのものに対する信頼を崩すようなことは、それが自らと関連性を持たない制度を運用する者に対しても等しく与えられるべきである』という前提があるからでないかと私は考える。もちろん、分析者が関与する理由は<制度の重層性>が起因しているとみなすことができなくないが、共通性をもつ特定の制度への信頼や(制度の運用としては特定の<制度組織>に限定されるものの、基本的に同じ内容の制度を別の<制度組織>が持っている場合、無関係となると言い難いことから問われる相互の信頼)、枠組みとしての制度そのものの信頼(主観的判断を排するべきとする<制度>そのものが有効な考え方であることを認めるための信頼)を存在させる意味でも「制度の分析者」ないし分析者的態度で制度を捉えることは無視できないものとなるだろう。

・制度と慣習の違い

 慣習はこれまで説明してきた制度の形式をとることがありえる。エスカレーター問題(エスカレーターを歩く人は右を歩くか左を歩くか)を例にとると、これは効率的な移動を可能にするため、ゲーム理論的な利害一致の均衡としてある種の制度化されたものであるとみなせる。慣習と制度の違いはその役割の明確化にある。制度は目的の達成のために合理的な解決を志向することになる。エスカレーター問題の場合、制度の制定者・行為者・対象者・関与者の区別はほとんどないといってよい。これは、エスカレーター問題が盛山の言うような一次理論により制度が成り立つ状況を比較的忠実に示すケースだからである。制度の制定者=関与者となっていることに加え、行為者=対象者の図式も成り立っている(エスカレーターを歩こうとする者と立ち止まる者との間で相互に関係性が成立している)。もちろん制定者=行為者ともなる。

 慣習と呼ばれるものはここまで同一性が担保されていないにせよ、<制度組織>における役割分担は明確になされる訳ではない。簡単に言えば属人的な所がありえる。繰り返すが、それが制度として確立するためには、このような恣意的な、主観的な判断は排されるものでなければならないのである。これはある意味でゲーム理論的な予定調和を害する可能性がある者を排する役割を制度がもつことを意味する。合わせて、制度自体がその存立根拠であったはずの「制度の関与者」の影響も除外したとしても制度として機能することを志向するようになるのである。慣習と呼ばれるものは関与者による下支えが大きい。

・制度と法の違い

 また、法と呼ばれるものと制度の違いにも触れておこう。法と制度では、適用範囲は法の方が大きい。また、規範としての法を想定した場合、「関与者」という概念については否定的に考えられがちである。いわば法は直接にその共同体の個々の成員を等しく制約しようとするものとみなされる。これに対し制度は、これが前提とされる一方で、直接制約を与えているかといわれれば微妙である。行為者・対象者・関与者の違いを法は考慮しない。結局制度においては具体的な権力作用が問われ、その関係性の中で分析がなされることが前提とされるのに対して、法は法と人(集団)との関係が問題となる。これは盛山の議論からすれば当然の帰結である。制度は解釈あってのことであるから、それを行使するものと受ける者がいれば、相互の解釈こそ問題の争点となりうる。

 法が単一的なものを志向していることによって、多様性が否定されるという批判は冒頭で指摘したように「法」に対する批判としてはよく見かける一方、法社会学の性質をどう考えるかという問題が残る。私自身近年の法社会学の分野における動きは把握できていないが、2、30年前までの法社会学の議論を踏まえれば次のように整理すべきかと思う。法社会学により議論される際の規範というのは、国家により一元的に定められる法とは別にありえる法の多様性であったのに対し、本書の議論も踏まえた制度というのは、あくまで個人の認識の集積としてその多様性が現れるという意味で違いがある。制度論を強調する側からは「法」の単一性が批判されることがあるがこれは正確ではない理解である。正確には本書で指摘するように、その批判は単一的な「規範」認識に対する批判なのである。制度というのは実際に権力が行使される場面においてそれを行使する者とされる者との関係性の中で、その認識の合致(より正しくは、利用者の一次理論の認識)によってなされるものとみなされる。

 分析者はこの状況下で分析を行うことになるが、合わせて制度を固定的に捉えることが可能であるという信仰とも対峙しなければならない。

・「制度の行為者」の裁量性について

 以上のような形で慣習や法との比較で「制度」と呼ばれるものの特徴を捉える場合、その役割の区別というのが重要となってくる。決定者と関与者、行為者と対象者がペアの関係となり、<制度の重層性>を踏まえた分析者が決定者と関与者に関わる。そしてこの中で特に行為者は制度理解を常に正しく要求されればされるほどこれに専心することが求められるようになる。それが慣習的なものではなく、近代的合理化が要求されるものとしてそのような特殊な行為者が求められることとなる。

 「制度」においては行為者は決定者との関連性が定義されることとなる。これは制度の決定には行為者をいかにコントロールするかが問われるからである。正確に言えば決定者にも必要となるが、決定者にとって特に重要なのは、制度の設定する目的が十分に達成されるかどうかであり、その具体的な方法までは正確性が問われない。というかこのような具体性は常に現実においては規定可能なほど事前に想定できるものと言い難いように思う。制度に規定されていなければ目的を達成することを止めてしまってよいならともかく、制度はそもそも何らかの目的を達成するためのものなら通常それはやめることができないなら、そこに行為者の裁量が発生することは避けられないことである。

 ただこのことはそのまま行為者が行使可能な権力の暴走にもなりかねない。これをコントロールする必要性が生じるが、その行為者としての正しい制度理解を維持しつつ、恣意的な判断を避けるために、制度自体に自らの合理化を徹底するための集団性をもった自律性が必要となる。これは例えば法制度の運用に特に高い能力を持つ者を割り当てる根拠にもなっていると言える。この点は法と制度で同じだが、法はその目的との整合性を考えれば、そこで与えられる裁量については異なるかもしれない。法制度については、裁量の逸脱はそのままその法の変更を要求することになるが、制度の場合これがそのまま変更を要求することなく、裁量を行使し続けることもありえるように思える。この点は次回改めて検討してみたい。

 

※1 もっともリプスキー自身は必ずしもその多様性を支持していた訳ではない(リプスキー訳書1998p283-284等を参照)。リプスキーの著書は近日中にレビューしたいと思う。

 

※2 このような文脈で指摘されるようになったのは、法や政治といった民主的決定とは別の次元に属する「政策」研究の議論であろう。例えば 佐野亘は次のように政策研究の意義を語るが、これはここで指摘する「制度」の文脈にも適合的である。

 

「しかしいずれにせよ、さしあたってここで重要なことは、いずれの提案も、「政治」と「法」から自立してしまった「行政」という「すきま」を、旧来の「法/政治モデル」の理念によって閉じ込めることを意図している点にある。ところが現実には、このような試みによって「すきま」が完全に埋められることはなかったし、今後もそのような見込みは薄いといわざるをえない。

その理由は、第一に、政治が行政を完全にコントロールすることは実際には不可能であるばかりか、おそらく好ましいことでもないからである。……同様に、住民参加や住民投票を通じて行政上の決定を市民にゆだねることにも大きな限界がある。原発設置の是非といった単純な二者択一的なケースは別として、行政が日々おこなっている決定を住民投票にゆだねても、住民はかえって困惑するばかりだろう。また、技術的な知識を必要とする判断を、何の工夫もなく多数決にゆだねることは、結果として住民自身にも望ましくない結果を招きかねない。」(佐野2005「類型としての問題解決型思考」足立幸男編『政策学的思考とは何か』p90-91

 

「だとすれば、あらためてわれわれがここで確認しておかなければならないのは、われわれは行政の自立化という事態から目をそむけることなく、正面からこの困難に立ち向かう必要があるということである。……この事態の深刻さがじゅうぶんに受け止められてこなかったからこそ、これまでのところ、(政策ではなく)もっぱら政治と法に関わる議論がなされてきたのではないだろうか。実のところ、行政の自立という事態を深刻に受け止め、素朴なリベラル・デモクラシーの限界を指摘する論者にしても、そのほとんどは必要悪としてやむをえず認めるという態度であった。だが、実際には、あらためて指摘するまでもなく、行政は、政治にも法にも還元できない独自の領域をすでに形成してしまっているように思われる。……だとすれば、その役割を積極的に認め、位置づける作業が必要ではないだろうか。」(同上、p92

 

※3 この用語自体はハイデガーを意識しているものだが、同時に問題があることも理解した上で用いている。そもそもハイデガーにおいては<投企なき被投性>というのは想定されていないと思う。これは実存主義的な現象学がこのようなものを対象としていないと言える可能性もある。このような議論は通常、我々は被投性の中にありながら、投企しなければならないし、現に投企しているという説明がなされるだろう。私自身の理解ではハイデガーの用語としての<了解>という言葉も同じような状況で用いられている。我々が通常用いる意味での「了解」というのは、辞書的な意味としても、恐らく我々(日本人の)一般的認識としても、「理解」していることを前提に用いる言葉である。しかし<了解>においてはこのような「理解」が必要なく、ほとんど無意識的な外的働きかけを受けるような場合においても我々はこれを<了解>したものと考える。これは結局、我々の周囲の状況がどのような状況下にあったとしても、特定の認識のもと行為しなければならないから、このように擁護されているものと私は理解している。問題はこれが主体にとって完全に意識されていないものに対しても<了解>することになるのか、という点である。ハイデガー自身の議論がこのことを想定していたかは私は把握していないが、これもまた<了解>したものとみなす考えの方が自然に思える。しかし、このことを前提としてしまうと、本論における「制度」の関与者の範囲もまた全体化しなければならなくなる。そのような議論は生産的でないという仮定のもと、本論では後述するタテマエ上の制度の関与者を限定したのと同じように、これを限定的に捉えるための概念として<投企なき被投性>という用語を用いることにする。なお、同じ用語を使っている論文として渡名喜庸哲「被投性か繁殖性か」(2016)ハイデガー・フォーラム第10号も参照されたい。(URL:tonaki.pdf) 問題意識はこの論文における文脈と少なくとも部分的には合致していると思う。

 

※4 このような理解はそのまま<投企なき被投性>という発想も否定するものとなりうる。

 

<読書ノート>

piv「ただし、制度が人為的だということは決してそれが自覚的に設計されたものであることを意味してはいない。ここで人為的だというのは、それが人々の主観的な世界認識に、そしてそれのみに基盤を持つということをだけ意味している。しかしこれは、これまで客観的であろうとしてきた社会科学の方法論的前提と真正面から対立する前提である。そうした社会科学は人々の主観を超えたところに社会的世界の客観的把握の根拠を設定してきたが、本稿はそれを否定し、人々の主観的世界に最終的な根拠を置く。」

 

p5「こうした短い素描からだけだと、制度という存在の「理念的」な性質と「拘束的」な性質とが晶かであるが、これらはともに行動様式説とは不適合である。なぜなら、行動様式とは現実に経験的に存在するはずのものだからである。たしかにいくつかの通俗的な議論は拘束性と行動様式とを結びつけるのに困難を感じていない。一つは「強制」であり、もう一つは「内面化」である。しかし、強制という契機が制度の理念的な性質を捉えるのに失敗しているのと同様に、内面化という契機も反射的行動の慣習化とか盲目的な随順とかのイメージから完全には自由ではなく、制度を支える人々の意味世界への照準が不十分だと言わざるをえない。

 本書において明らかにされる制度の本質と対比されると、「確立された行動様式」としての制度の概念には二重の誤りが存在している。第一に、制度は「行動」のように純粋に経験的で顕在的overtな実在ではなく「理念的」な存在である。第二に、制度は人々の行動や行為によって構成されているのではなく、人々やその行動やさまざまなモノの意味的に関係づけられた秩序として存在している。」

p7「行動様式と構想力とは対照的な概念である。行動様式は経験的に現にそこに在るものであるのに対して、構想力は理念的にのみ想定されるのであって、具体的に現にそこにあるものとして指し示すようなことはできない。行動様式には経験的なものという強みがある。つまり制度を経験的な実在に対応させて概念化しうる、という見通しを与えてくれる。実証的で経験的な社会科学にとって、このような性質は何にもまして第一義的に重要な出発点であるかのように思われてきた。それに対して構想力のような概念は、少なくとも経験的な志向を持った研究者にとっては、具体的に乏しく観念的で実質のないもののように思われても仕方のない面があることは否定できない。しかし、もしかすると制度とは実際に純粋には経験的な実在ではなく、何か理念的で観念的な性質のものかも知れないのである。そして、もしそうだとすると、これまでの制度に関する社会学および社会科学の理論的貧困は、理念的な存在を経験科学的に語り考察する概念図式と用語系とを発展させるのに失敗してきたことに基づくのではないかと考えられる。」

 

p8-9「もともと、取引コストの理論は、ある特異な基本前提を出発点としている。それは、「始めに市場ありき」という前提であり、組織とか制度とかのいまだ存在しない市場のみの状態から出発し#て、いかにして組織や制度が出現してくるのか、という問題構成をとっていることである。……このような問いの地平の特異性は、利点とともに限界を伴っている。利点というのは、この問いに答えるのにそれが出発点とした人工的な市場モデルという装置に頼ることができるという点である。……他方、限界もまた明らかである。それは、結局のところ、「本来であれば市場だけであるはずだ」という前提をもっともらしくみせるメタ前提から一歩も外に出ることはできないのである。」

p10「「始めに市場ありき」という前提に対しては、すでにFC・v・N・フーリーがポイントを突いた批判を加えている。批判の要点は二つあり、一つは、市場は生産しないという事実からして、市場は本来的に生産する人々ないし組織を前提としなければ成り立たない概念だ、ということである。もう一つは、市場から出発して創発的な現象として企業を捉えようとすると、企業と市場との原理的な相違が見失われることになる、ということである。実際、コースにしてもウィリアムソンにしても、企業は単に「長期的な契約の連鎖系列」としか概念化されていないが、フーリーはこれでは市場との本質的な違いが明確ではないと批判する。」

 

p23「組織目標。組織には目標があるというのが、多くの組織論者の暗黙の了解である。しかし、もしも組織に目標があるのなら、それぞれの組織についてその目標が何であるのかを述べることが研究者にとっても可能でなければならないが、組織の目標を経験的に同定することを可能にする方法を明らかにした研究はこれまで一つもない。」

p41「規範は基本的に理念的な存在物であって、それ自体が直接に観測しうる通常の意味での経験的実在ではありえない。」

P46「ただし、対象世界における秩序がどのようなものであるかは、前もって人間に知られているわけではない。われわれはそれを認識を通じて発見するのであり、その結果、認識像における秩序としてのみわれわれに知られるのである。認識の進歩とは、それまでは知られていなかった対象世界の新しい発見である。対象世界にどのような秩序が存在するのかということを、われわれは前もって知ることはできないのであるから、秩序のある事象と秩序のない事象というような区分がそもそもありうるのかということは、永遠に知りようがない。なぜなら、われわれの既存の認識枠組からみて秩序あるものとはみなしえない現象においても、それまで知られていなかった秩序が新しく発見される可能性を否定することはできないからである。」

 

p144「(※ハートの)ルールとしての法という概念化には、正しいと思われる次のような重要な発見が含まれている。法はルールとして、それを策定した個人や集団をも拘束する。法はルールとして、その外的な現われとしてではなく、人々の内的な視点によって支えられている。法は、一次ルールと二次ルールとの重層的な構造を有しており、法実証主義的に実定的な法制定手続きには還元されないものである。」

p147「ハートの議論の仕方では、法が法として受け入れられるのは二次ルールである認知のルールによってだけとなり、認知のルールのみが、何が法であって、何が法でないのかを決定することになる。認知のルールにこのような重い機能を託すことは恐らくハートの真意ではなかっただろうと思われるが、法の法としての特性を一次ルールの中に書き込まなかったのだから、このような含意を生じてもしかたがない。ハートとしては、法が主権者の命令や裁判所の行為とは異なるものとしてのルールであるという自らの主張がいったん受け入れられれば、ルールがそもそもいかなるものであるかについては論ずる必要は特になく、後はルールの中でも法と法でないものとを区別する基準を明確にすればよいと考えていたのかもしれない。」

p150「まず第一に、ハートの法の概念はケルゼンの法実証主義やオースティンの命令説と対立しており、法の妥当性が制定手続きに還元されるとは考えないという意味のおいて、法の妥当性の無根拠性を主張しているといえる。内的視点に立った場合、すでに法は受け入れられているのであって、その根拠は問われない、というよりむしろ問う必要がない。他方また、外的視点に立ったとたんに、われわれはもはや法を適切に概念化することはできない。法的な諸概念を人々の外的な行為の予測や記述で説明しようとすることは、それらを根拠づけることにはならないのである。したがって、どちらの視点においても、法を根拠づけるということは不可能である。

 第二に、内的視点と外的視点という区別は、法をその外部から対象化して取り出すことの本来的な不可能性を主張しているように見える。外的視点に立ったとたんに、法はもはや法ではなくなる。なぜなら、それは内的な妥当性をもった存在であることをやめ、単に人々の外的な行為やふるまいでしかなくなるからである。

 しかしこうした一見してみられる共通性にもかかわらず、ハートの理論を言語ゲーム論として解釈することは、根本的に間違っているだろう。最も重要なことは言語ゲーム論がゲームの秩序や規則について徹底した対象化不可能性の立場を貫こうとするのに対して、ハートはそうした一種のイデオロギー的ともいえる方法論的こだわりにはまったく拘束されていない、ということである。ルールについて、内的視点と外的視点という区分を語っているハート自身の視点は、両者を超えた「理論家の視点」であるのであって、内的視点にあるのではない。」

 

p158「明らかにクリプキ懐疑論およびクリプキ自身が要求しているルールに従うという概念がみたすべき条件はきわめて厳しいものである。それは単なる行動の規則性とかルール随順的行為といった外在的なふるまいでもなければ、生理的ないし心理的な内的事実でもないものでなければならない。これらの条件をみたすような「ルールに従うこと」の積極的な概念はほとんど考えられない。積極的であれ消極的であれいかなる内面的な過程として概念化することも許されないばかりではなく、外的なふるまいとして積極的に概念化することも閉ざされている以上、唯一残された可能性は外的ふるまいとして消極的に概念化する道だけである。それが、他者ないし共同体によって「ルールに従っていない」こととして概念化されるというクリプキの解決である。

この強いられた転進には、しかしながら、新たな大きな可能性が開かれていないわけではない。何よりも、外的なふるまいとは、公共的なものでありうる。しかし、一挙に「公共的」と言ってしまうとクリプキと同じ過ちを犯すことになりかねない。」

P158「一人一人に他者がある行為者の行為を見ていることから、「共同体」が「彼はこのルールに従っていない」という消極的な形であれ、何らかの判断を有意味に下すことができる、ということを導くためには、乗り越えなければならない次のような障碍がある。

  1. そこにいる複数の他者は、少なくともルールに関して、同一の観念を抱いていなければならない。そのことはいかにして保証されるのか。

  2. さらに、他者の共通の判断が、単に、他者のそれぞれの「私的言語」ではなく、共同体としての判断でありうるのはいかにしてか、ということが説明されなければならない。」

 

P161「一般的な知覚問題については、事実は実在に対応させられることが出来る。……

これに対して、「ルールに従うということ」にそのような自明性がない。「ある人が「+」という記号でプラスという加法ルールに従っている」というときその「従っている」とはどういうことなのか、ということがまさに問われるのである。従っていることを正当化できるかどうかではなく、まさに「従っているということ」をどのように概念化することができるのか、というのが問題である。」

※これは、例えば、「専門性に基づいているかどうか」という議論を行う上でも避けることができない。そして、このことへの遵守が専門家には要請されている。黒崎が行おうとした専門家集団の制度化はこのような性質が含まれざるをえない。もちろん、国民の教育権論における専門家集団の議論においてもこのことが基本的に問われることはない。これを否定したければ、まずもって「専門性」なるものを何らか求心性のあるもの(何かに従うこと)を否定したものとして定義づける他ない。

P161-162「むしろ彼は「これまでの有限回の私の「+」の使用において、私がクワスではなくプラスを「意味」していたことは、いかにして確実であるのか」と問うているのである。つまり、単に私の「+」を用いた行為がプラスによって指示されることと等しいかどうかではなく、「プラスを意味していること」、いいかえれば「そもそもプラスとはいかなる存在であるのか」と問うているのである。

これはすなわち、「プラス」とか「数」とかの人間の構成物の事実性、その存在様式に対する問いである。したがって問題なのは、「ルールに従っていること」ではなくて「ルール」そのものなのである。ルールの事実性が明らかでない限り、真の意味でルールに従っていることの事実性は明らかではないのである。」

 

P163「一見すると、大きくわけたこれらの三つのやり方、すなわち、外的な現れと見るか、心理的過程と見るか、もしくは言語ゲーム的遂行と見るか、の三つが、ルールを概念化しうるすべての可能性を尽しており、これらの他にはどんな可能性も残されていないかのようにみえる。しかし、それは真実ではない。

ここでわれわれが行おうとしていることは、ルールの定義を与えることではない。定義を与えることはルールに限らず経験世界に存在するすべての存在物にとっては、本来的に不可能なことだと考えるからである。」

P164「たとえば、「ルールに従っていると思う」ということは、実際にルールに従っているかどうかとは無関係に、ある人の意識として真実でありうる。すでに述べたように概念化が難しいのは、むしろ〈実際にルールに従っている〉かどうか、ということの方である。

われわれは、ルールという現象が、以上のようなタイプの実在とは異なるタイプの実在であることを認めなければならないだろう。以上のようなタイプの実在を「行動的実在」と呼ぶことにすれば、われわれは新しく、それらとは異なるタイプのものとして「理念的実在」という世界が存在することを認定しなければならない。

「理念的実在」という用語は一見すると語義矛盾を抱えている。……しかし、理念的実在の最も代表的な住人として、数とその体系を挙げることができる。」

 

P166-167「社会的なルールは、数学のルールのような数理的必然性や自然的実在のような因果的必然性はもちえない。それは、ある観点から見て、効果的であったり、内的に整合的であったりなかったりするけれども、これらは社会的ルールのあり方を決定する十分な基準ではありえない。

第二の重要なちがいは、社会的ルールに対しては、それに従わない諸行為や状態もそれ自体として社会的実在であり、社会的な意味を持ちうるのに対して、数学的ルールの場合、それに従わないことは単純に「誤り」であって、それ以上の意味を持たない。……これは恐らく、社会的ルールがルール自身から独立した存在であるところの行動的実在やその所産と相互作用しうる可能性をもっているのに対して、数学的世界は、数学的諸概念や諸ルールだけで閉ざされていて、人間の具体的な行為による何らの有意義なフィードバックも受けることがないという性質に関係している。」

p167「さて、理念的実在世界に属すルールとは、一体いかなる存在なのだろうか。まず注意しなければならないことは、ルールは決して「正しい行為」を定めた行為規範的ルールには、限定されないということである。ハートの「責務のルール」はそれのみに焦点を合わせているが、それは正当なことではない。……

 しかも、責務のルールないし行為規範を「一次ルール」だとすることも当をえたものとは言えない。たとえば、家族とそれをとりまく諸ルールとは、成文法の体系が発達する以前に人類社会に存在していたと考えられるが、そこにおいてさえ、存在するルールは単に責務のルールだけに帰着できるものではない。」

 

P168「このように、ルールとは決して行為を禁止したり、許可したりするだけのものではない。とすれば、ルールとは一体何なのか。一言でいおうとすれば、それは、社会的な諸事物を、それらに名前を与えたり定義したりして創り出したり再定義し、それらの間の規範的な関係あるいはそれらが従うべき規範的な行為や状態を定めているものである。ただしここで「規範的」という用語は、最も広義に、権利、義務、許可、禁止、正当、不当、資格、権能などの諸要素を一般的にさすものとして用いられる。

 ルールはそれ自体理念的実在であるが、自らにとって、新しくさまざまな理念的な実在を創造する。家族、婚姻、父、相続権者、等々はルールによって創られる。」

p169「経験的な現象が、ルールによる理念的実在に対応づけられることによって、具体的な諸個人と彼らの諸行為に「意味」が与えられ、相互に有意味に関連づけられるようになる。ある一人の人間が単に一個の思考する動物としてだけではなく、他の人間にとっての「子」、「夫」、あるいは「父」として意味づけられ、それぞれの具体的な諸行為が単に行動主義的な刺激―反応としてではなく、意味を媒介にした相互作用を形成し、連結されるようになる。

 このようにして、ルールとは、社会的現実を秩序あるものにし、秩序あるものとしてみることを可能にするような理念的実在なのである。」

 

p181-182「シュルツの場合、社会科学者と日常的生活者とは実体的に分離されている。社会科学者の知識と彼らにとっての意味世界は「客観的」であり、それらに対して日常生活者のそれは主観的である。一次的構成概念はどの観点から見ても一次的であり、二次的概念構成はどの視点から見ても二次的である。さらにシュルツにおいては、社会科学者の知識と日常生活者のそれとの相互作用的な関係については、後者が前者の「対象」であるとしか考えられていない。社会科学的「知識」がそれ自体社会的現実に作用する可能性について、まったく検討がなされていない。

 このようなシュルツの社会科学―日常知の絶対的区分観は、科学―非科学の絶対的区分観にも似て、今日到底受け入れられるものではない。」

p184-185「多くの人にとって、科学のモデルとしての自然科学とは、次のような特徴を有してい#るように見えた。それは、経験主義、要素還元主義、および論理性の三つである。経験主義というのは、第二章で見たように、素朴には、科学的知識というものは、観測しうる事象のみに関する、観測しうる事象に関する用語を用いた諸命題である、とする立場として理解されてきた。……要素還元主義は「説明」という営みの最も正統的なやり方と見なされる傾向があった。……これは、何かを説明するということは、それを構成している諸要素に分解し、そうした諸要素間の関係としてそれを説明することだという考えである。」

 

p195「しかし深刻な問題は、異なる社会間で、あるいはある社会について他の社会の住人が持つ知識の性質である。ウィンチとハイエクに従えば、内属する視点しかあり得ないのだから、Bの社会の住人は、Aに内属する視点をとらない限り、A社会についての知識を持ちえないことになる。もしそれさえもできないとしたら、他の社会を理解することは不可能になる……本稿としては、いったんAに内属する視点をとった上で、そこでの社会理解をAに内属しない視点で語ると言うことは本当に可能だとまでは断言することはできないし、その必要もないと考える。しかし、それが可能であるような視点をかりに仮想したときに、その視点において立てられるような社会認識をここでは「二次理論」と呼ぶのである。二次理論とは、社会的世界を一次理論が構成している仕組みを対象として探求するものであり、それが究極的に位置する視点は仮想の視点であるが、それは仮想するに価する視点だと思われるのである。」

p211「これまで、「社会の側が意味づける」とか「社会的意味が賦与される」とかという言い方をしてきたけれども、そこにおける「社会」とは、決して実体的に捉えられた社会ではない。実際のところ、意味づけているのは、個々の行為者にすぎない。しかし、個々の行為者は、あたかも社会という個々人を超えた実在が意味する源泉であるかのような構図の中で、実は自分において現象を意味づけているのである。……

 重要なことは、私にとって、こうした理論的な諸概念とそれを用いた解釈とは、決して私だけのものではなく、私以外の個人にも共有された社会的なものだと思われている、ということである。否、むしろ、思ってさえもいなくて、自明の事柄として前提され切っているのである。」

※言語というもの自体の性質を考えれば当たり前のことである。

p212「この事情を思い切って単純化していえば次のようになる。私たちは行為者として現象を社会的に意味づける一次理論をそれぞれ有している。それぞれの一次理論は各人にとっては「自分のもの」ではなく「社会的なもの」である。一次理論を通じて私に見えている社会的世界は私だけに特異にそのように見えているのではなく、誰にとっても共通のものであると暗黙のうちに前提されている。」

p212-213「このような、いわば客観的世界の主観的意味構成とでもいうべき機制を、これまでの社会理論は完全に見落としている。そのために種々の解決しがたい「問題」をかかえこんできた。たとえば一つは、「他者問題」であり、もう一つは「コミュニケーション問題」である。これらの「難問」が、今示したような構図によって、どのように解かれるかは別稿で論じた方がよいと思われるが、どの場合でも、問題が#「難問」となるのは、行為者が属しているところの社会的世界の「客観性」の大部分が実は一次理論の内部でのそれにすぎないにもかかわらず、それを二次理論のレベルにおいても「客観的」だと前提してしまうところに原因がある。」

p213「社会的なルールとは常に人々によって一次理論的に仮想されたものである。「ここは駐車禁止だ」と信じている人々にとっては、そこに「駐車禁止」というルールが存在する。それは、誰もそれに従わなかったり何も明示するしるしがなかったとしてもそうである。社会科学者や哲学者がそのようにしか存在しないものをあたかも人々の一次理論を越えた実在だとみなして、それをその実在のレベルで概念化しようとしたり説明しようとしたのは、彼ら自身が自らの社会の住人として受け入れている一次理論を誤って二次理論だとみなしたためである。ルールが一次理論のものである以上、ルールに従うこともまた一次理論的な了解の中にのみ存在する。」

 

p234「文字の出現とともに、それは制度を記述する用具として絶対な機能を発揮したに相違ない。ハートの「一次ルール」「二次ルール」という法の特徴づけは、基本的に書かれた法を念頭に置いてのものであり、書かれざる慣習法のようなものには、実際、二次ルールというメタ的な存在はない。」

P236「少なくとも文書に関してだけは〈合意〉が存在することは、経験的にしたがって公共的に明らかなのである。

にもかかわらず、文章化されたもの、あるいは文章そのものが制度なのだという理解は、ある種の物神化以外の何ものでもない。ただし、正確には次のように言わなければならないだろう。何が制度であるかは第一義的には人々の一次理論に依存しているのであるから、彼らが文章を物神化しそれを制度だとみなして行為する限りにおいて、文書そのものが制度でありうる。……したがって、二次理論的に見れば、文書そのものが制度だということはありえない。ただ、文書そのものを制度だとみなす制度的な態度が存在しうるだけである。」

※「本書では、シュルツによってこのように述べられている、行為者自身が自らをとりまく世界について抱いている了解の内容を一般的に「一次理論」と呼ぶことにしたい。」(p179)

P219「組織がその外部と境界づけられるのは、その境界づけを意味あるものとみなしている人々の一次理論によってであり、それ以外の根拠は究極的には何もないのである。」

※「二次理論レベルだけで定義しうる概念ではない」(p219)。従って、「専門職」というカテゴリーもまたこのような性質を持ち合わせる。

P244「組織とは、そうした制度体のなかでも、(1)制度体としての「共同決定」をなすルールとその決定を遂行するルールとを具備しており、(2)成員と非成員とのかなり明確な区別と成員補充手続きをもち、(3)そのようなルールと成員から構成された超個人的で本来的に永続的な一個の「行為主体」として概念化されている。共同社会とはそうした特性を必ずしも有しないものとして概念化される。

家族や共同体が組織とはみなされないのは、それは通常は必ずしも共同決定に関する明示的なルールをもたないと考えられるからである。」

※本書では「組織」や家族、共同体などの「共同社会」も「制度体」として制度とみなされる(p243-244)

 

p258「共同主観性の問題とは、このように、一次理論的な自明視において現れてくる世界を、二次理論的な事実として前提し、その成立根拠を論証しようとする問題である。現実には事実ではないものを事実とし、それを説明しようとする企てであり、本来的に成功するはずのないものである。……

 では、共同主観性が成立しないにかかわらず、いかにして制度は可能なのか。この答えはすでに与えられている。一次理論的な自明視こそが、それを可能にするのである。」

p262「したがって、何が制度であるかに関する人々の理解の食い違いとは、超越的権能を持っても人々を拘束しうるような集合的実在とは何であるか、に関する知識の食い違いである。……

 では人々が、制度に関して異なる内容の知識を持ちながら、なおかつそこに単一の制度が了解できているのはなぜか。この問いは、厳密には、「なぜそのようなことがしばしば起こるのか」という問いでなければならない。」

※この理由として、「(1)制度という存在が、先に述べたその本質(超越的普遍性)にしたがって、本来的に誰にとっても同一のものだ、という前提が存在し、(2)その前提は、それと明白に矛盾する眼に見える出来事が起こらない限り、維持されるからである。」と述べる(p263)。

P269「では、制度の研究とはいかにあるべきか。それは、制度が人々の意味世界をもとに成立していることからすれば、結局はその意味世界を解明しつつ、それと行為とモノの外形との関係を二次理論的に探求していくことに他ならないだろう。」

マックス・ヴェーバー「政治論集1・2」(訳書1982)

 今回はこれまで検討してきた『ヴェーバーの動機問題』に関連して、政治論集における近代観を簡単に整理していきたい。合わせて、ヴェーバーが本書で語る「官僚制」の性質についても取り上げつつ、その性格の特徴等も押さえておきたいと思う。

 本書においても「官僚制」については、ドイツの内外を問わず、批判の対象にされていることが読み取れるが、特に注目すべきなのは、官僚制自体は近代的な産物であって、それは不可避的であると述べられる点であろう(p361)。これは、中野敏男のレビューの際にも取り上げたヴェーバーの宗教社会学論集の中間考察等における「文化」に対する捉え方と基本的に同じ見方をしている。つまり、合理的官僚制はそれ自体で完結した制度下に置かれると、堕落する宿命にある、と。部分的にはp364のような物言いがその典型であり、これはどちらかと言えば、「強大な官僚制化によって、個人主義的な活動の自由はほとんど救い出すことがほとんど不可能な状況である」ことを指摘しているものと見てよいであろう。ヴェーバーは官僚制そのものを否定する訳ではない。それは技術や専門性を発揮する際には優れているものであるとみなしており(p101、p384)、近代官僚制そのものはそれ自体で合理的に機能するものとみなされる。しかし他方でこれを推し進めるのではなく、どう対抗させるのか考えることの重要性を説く(p102-103)。この主張には若干の含みはあるものの、差し当たり官僚が政治的な立場にあるような状況や、君主が支配することにより行政が監督できない状況下において、官僚制は堕落化してしまうため、その合理性が機能しなくなってしまうものと考えておこう。
 恐らくこの堕落化を防ぐための有効な対応策は本書から2点取り上げることができる(※1)。一つは私的な法律家が官僚よりも合理的な観点から抑制を行いうる関係にある場合には正常に作動しうると言えるだろう(p362-363)。官僚によって法律家はより徹底した合理的存在であり、自らの合理的な活動の非合理性を許さない法律家は厄介者と考えられている(p293)。ただ、この指摘はあまり本書では重要な位置を占めているとは言い難く、後述する矛盾も抱えることになる。むしろより重要なもう一つの方法は、十分に官僚を監督する政治家が存在することにあるとヴェーバーは主張する。つまり、政治家が議会の場を通じて適切に行政活動に対して体系的な訊問がなされる状況下に置いてこれが適切になされうるものとみなされる(p385)。官吏は議会に服従せねばならないとも述べられる(p642)。この政治家の優れた性質というのは、官僚と性質の異なる存在であるからであるとみなされていると言ってよいだろう。つまり、政治家は官僚と異なりあらかじめ専門教育を受けた者ではなく、「議員生活の経歴を重ねるなかで、不断の厳しい活動を通じてのみ、達成される」ものであり(p388)、「近代の政治家にとっては議会での闘争が、政党にとっては国のなかでの闘争が、与えられた道場である」(p379-380)。また、このような政治家は責任の持ち方が官僚と明確に異なる。p366にあるように、官僚は統一的な理念のもとにいかに独自性を出せるかが重要である一方、政治家は自らの理念をいかに貫くか、それが貫けないのであれば政治家としての地位を辞する覚悟があるかが重要であるとみなされる(※3)。
 では、このことは「投票行動」の重要性の指摘(p287)とどう関連するか。ここには、ニーチェ的な認識が介在しているように私には思われる(※2)。p311-312で語られるように、常に「国家」と対峙しながら民主制を貫くことが必要と語られる。p286では「生産者利益の組織」に対抗する住民の需要にこたえるように管理することができるほど十分強力な権力が必要であると説かれる。ここでも対抗勢力として大衆が取り扱われることになる。そしてその対抗性を十分に備えていることこそ重要であるとみなされるのであるが、このような民衆の立場と「政治家」のありようとどう関連しうるかは、私にはよくわからなかった。

 

 以上がヴェーバーの官僚制に対する対抗原理、言い換えれば『ヴェーバーの動機問題』におけるヴェーバー自身の回答であるともいえるだろうが、このような議論において前提とされている内容についてはいくつか疑問もある。
 一つは官僚の性質についてである。ヴェーバーにとって官僚は主に「法律」をあらかじめ学んだ者が想定されていること、この点にその特殊性を与えている。この点は今なお有効であるように見える反面、2つの方向で現在の視点においては理解に苦しむ部分もある。一方で官僚の優位性は法律だけではなく、多様な「専門性」に支えられている部分もあるのではないのかという点である。これはp385を素直に読めばヴェーバーも同じことを考えていたと読むこともできなくはないが、本書を読む限り、官僚に対抗できる者を法律家に求めていることはこの専門性を一面的に捉えすぎている結果ではないのかと思う。このことは、官僚をコントロールすることにおける「法律家」の比重が弱まっていることを意味するし、そのコントロール可能性は多様な分野の専門家に広がりを持っていることを意味する。もう一方の方向においては、p385で語られる「官職の装置という手段を通じて官僚のみが入手しうる知識」の希少性が実際はかなり高いのではないのかという疑問である。
 もう一つの疑問は政治家の役割に関してである。ヴェーバーの議論からはどうしても政治家の役割は合理的にふるまう官僚をコントロールすることが重視されてしまい、政治家がなさんとすることに対する政策に対する配慮が弱いように思う。というか、この点はかなり大きく後者に傾いており、果たして政治家が官僚をコントロールするべきだという点を求めることが適切なのか、当時のドイツの文脈からもそれが妥当だったのかは理解に苦しむ。これに関連して、官僚の議論を明らかにするフィールドは、単に議会にあるものと考えてしまってよいのかという疑問もある。議会は大衆にも明らかにされる場による官僚の統制手段であるが、現在の日本に当てはめれば、各省庁のトップに政治家を据えて、そのトップとその下で使える官僚との間で、一般大衆の目から必ずしも明らかにならない場でなされたとしても問題ないのではなかろうか。
 また、この点に関連して、ヴェーバーアメリカにおける猟官制には否定的な態度を取っているように見える(p567)。ヴェーバーはむしろ猟官制が衰退することが不可避な動きであると捉えようとする。つまり、官僚制度としての猟官制は非合理的なものであって、これが別のものにとって代わることは避けられなかったということである。ここでは専門的官吏自体は、政治家の意向によって変化するものではなく、固有のものとして捉えられるべきであるとみなしているということである。ところが、この点は、官僚組織の外部に優れた「専門家」がいる可能性についてあらかじめ排除した考え方であり、ヴェーバーの主張の矛盾した点であると言うことも可能ではないのか。

 

 総じて言えば、ヴェーバーは基本的には「少数者からなる指導的グループのもつ卓越した政治的機動力」(p380-381)により官僚をコントロールし、大衆はこのような優れたコントロールを行う政治家を選び、それこそが優れた政治家を生み出すためのシステムとなることを望んでいるということになろう。

 

※1 本書ではもう一点、官僚の倫理の議論を行っており(p567)、このような倫理の持ちようで一見官僚制の腐敗を解決できそうであるように見えなくもない。しかし、ヴェーバーにとっては官僚が政治に手を出し、権力を持った場合には、官僚制の腐敗は宿命付けられたものとして位置付くこととなる。あくまで(官僚とは明確に異なった)政治家による「カエサル主義的」政治的支配というのが、ヴェーバーにとって官僚制に対抗するための回答となる。

(2023年8月9日追記)
※2 ここでニーチェ的と表現したものの、相違する点があることも注意しなければならない。「権力への意志」のレビューで考察したように、ニーチェにおいては強者と弱者を区別し、それぞれに対する処方を出していた。この点はヴェーバーもp311-312で極めて良く似た発想で、2つの選択肢を用意しており類似性が認められる。片方は「弱者は弱者なりの生き方をせよ」と説くものであり、もう一つは弱者の発想に対する「抵抗」として強者の生き方を提示するという方法である。ニーチェについては精読していないので明言できる立場にはないことを前提に言えば、ニーチェにおいてはこの強者と弱者は極めて固定的なものとして描かれている(女性を弱者と同一視している態度が典型である)。しかし、ヴェーバーはこれを選択肢として、強者にも弱者にもなりえるものとして価値判断を保留している点が大きな違いであると言うことができるだろう。ニーチェにおいては貴族主義的発想で強者の資格を定めていたものの、ヴェーバーにおいてはこれが間接的にであれ、大衆の手においても関連付くことが指摘されているのである。

(2023年12月3日追記)

※3 このような政治家像を「カリスマ」というカテゴリーで呼びたくなるかもしれない。そのように解する余地もあるかと思うが、本書においてはカリスマ概念との関連性に全く言及されていなかったため、差し当たりそれとは別の可能性もあるものとして、その特徴を整理した。

 

<読書ノート>

P101「官僚制のメカニズムが技術の面ですぐれていることは、動かしようもない事実であります。」 
P102「もともとドイツ人は杓子定規のやりかたがいちばん馴染んでいる国民ですが、官僚制化へのこの情熱の意味するものは、ちょうど杓子定規のやりかただけが政治を牛耳ることを許される、といったようなことです。」 
P102-103「ですから肝心かなめの問いは、どうやってわれわれはこの発展をなお一層おし進め、そのテンポを早めるか、ではなく、なにをわれわれはこの機構に対抗させることができるか、であります。わずかに残る人間性を、魂のこの分割状態から、官僚制的生活理想のこの独裁から守るために、なにを対抗させることができるか、であります。」 


P273「正常な市民的=資本主義的エートスがこのように解体し、その影響が消え去るまでには数世代はかかる。――では、それは新しい経済倫理の基礎となるだろうか。われわれはなによりもまず、かつての経済倫理の水準に再度到達するよう努力しなければならない!だがこうしたことは、すべて副次的問題にすぎない。」 
P286「そんなことにでもなれば、カルテルによって代表されるあの資本主義的な生産者の利害関心と収益の利害関心だけが国家を支配するだろう。生産者利益を統制し、住民の需要にこたえるように管理することができるほど十分強力な権力が、生産者利益の組織に対置されるのでなければ、きっとそうなるだろう。」 
P287「だから、近い将来生産者利益の組織が経済を動かすときには、それが機能しはじめる前に、したがって今すぐに財生産の職種にしたがって選ばれた機会ではなく、大衆需要の代表の原理にしたがって選ばれた議会――平等選挙権の議会――が最高の権力を担って対置されることがどうしても必要である。この議会は、従来よりも本質的にはるかに強力な権力をもたなければならない。」 
P287「結局は、投票用紙がこの支配に対抗する唯一の権力手段である。」 

P293「官僚層は、言うまでもなく弁護士のことを厄介な仲介者とか苦情屋として憎んでいる。彼の収益チャンスにたいする妬みからも憎んでいる。議会と内閣が弁護士だけで統治されるのは、たしかに望ましいことではない。だが優秀な弁護士層をしっかりとかかえこむとしたら、現代のいずれの議会にとっても望ましいであろう。――ともかく「貴族」は、いまやイギリスにおいてすら、もはや弁護士層のなかに形成されない。それは市民の勤労階層、もちろん政治的にゆとりのある階層のなかに形成されているのである。」 
P303「このドイツの因習は、その内的本質からして決して紳士的でもなければ「貴族的」でもない。徹頭徹尾平民的である。それにもかかわらず、否むしろそれだからこそこの因習は民主化されないのである。ロマン民族の名誉律は広範な民主化がかのうであった。まったく別種のアングロサクソン民族の名誉律も同様であった。これにたいし「決闘申込みに応じる能力」という特殊なドイツ的概念は、どう考えても民主化することができない。ところが、この概念は大きな政治的影響力をもっている。」 

P309「「真の」民主主義は、議員のなかの弁護士層が官吏の実際の仕事を妨げることができないようなばあいに、また妨げることができないようなところで、もっとも純粋に具体化されるだろう。」 
☆p309「いわゆる直接民主主義の制度は、小さな州でのみ技術的に可能であるにすぎない。大衆国家ならどこでも、民主主義は官僚制的行政をもたらす。しかも議会主義化が行なわれなければ、民主主義は純然たる官僚支配に導く。」 
P309-310「議員が素人であるように、現代の君主はいつも素人さらざるをえない。したがって行政を監督することができない。両者の相違はつぎの点にある。1、議員は政党の闘争のなかで言葉の影響力を考慮することを学ぶことができるが、君主は闘争から遠ざかっている。2、議会は調査権をもつから、議会は宣誓にもとづく反対訊問を行なうことによって実情を知ることができ、したがって官吏の行動を監督することができる。君主はこれをいかにして実行することができるだろうか。議会なき民主主義はこれをいかにして実行することができるだろうか。」 

P310-311「だが、やや複雑な法律を制定したり、文化の内容にかんして規制を行なったりするばあいには、大衆国家におけるレファレンダムの意味は、あらゆる進歩を強力に機械的に阻止することにあった。」 
P311-312「官僚国家による身分構成の平準化という意味での「民主化」は、事実である。だから、つぎのいずれかの選択があるだけである。見かけだけ議会主義の官僚主義的「官憲国家」のなかで、国家市民大衆は権利もなく自由もなく家畜の群のように「管理」されるか、――さもなくば、国家市民大衆は国家の共同の主人としてこの国家のなかに編入されるかのいずれかである。だが王者の民族――そしてそのような民族だけが「世界政策」を行なうことができるし、行なってもよいーーはこの点にかんしていかなる選択の余地もない。民主化はおそらく(当面は)失敗するかも知れない。なぜなら強力な利害、偏見、さらに臆病が一緒になって民主化に反対しているからである。しかしこうした反対がドイツの全未来を犠牲にするものだということは、やがてはっきりするだろう。そのときには大衆は、全力を尽して、彼らが単なる対象にすぎず参加者でもない国家に対抗して闘うだろう。」 
※ここにも強力なニーチェ臭が。そしてここではやはり国家は対立軸とみなされてしまう。大衆が国家を体現してしまった場合にはこの図式は崩れてしまう。 

 

P350「近代国家において支配が現実に力を発揮するのは、議会の演説でもなければ、君主の宣言でもない。日常生活における行政の執行が現実の力なのであるから、この支配は、不可避的に文武の官僚の掌握するところとならざるをえない。」
p351「現代の私的大経営についても、なんら事情に変わりはない。とくに大規模経営になればなるほど、いっそう官僚主義の前進が起こっている。」
P353「だが、このように非常に古いかたちでの資本家的営業と対比したとき、近代資本主義の特質は何であるか。合理的技術を基盤とする厳密に合理的な労働組織がこれであるが、こうした特質は、かように非合理な構成の国家制度のもとではこれまでどこにも成立しなかったし、またけっして成立しえなかった。なぜというに、こうした特質が成立するためには、固定資本と精確な計算によって営まれる近代的経営形態は、法律と行政の非合理性をあまりにも耐え難く感ずるからである。したがって、近代的経営形態は、つぎのようなところでのみ成立することができた。すなわち、イギリスにおけるように、法律の実際的形成が事実上弁護士の手中にあり、しかも弁護士が資本家的利害関係人の依頼に応じて適当な営業形態を考案し、さらにこれらの弁護士のなかから「判例」という計算可能な範式を厳守する裁判官が輩出したところ、これがひとつ、もしくは、合理的法律をもった官僚制的国家におけるように、裁判官が程度の差こそあれ法律条項の自動販売機になっていて、上から費用と手数料を添えて訴訟記録を投げ入れれば、下から多少とも根拠のある理由付きの判決が出てくるところ、それゆえ裁判官の機能がともかく一般に計算可能なところ、これがひとつ、この二つのうちいずれかの場合に、近代的経営形態が成立したのである。」

P359「この最後の場合、すなわち、名望家または利害関係人代表が官僚を上にいただくという場合は、とくに自治体行政にみられるところである。この現象は、実際問題としてはたしかに重要なことがらであるが、しかしここではわれわれの問題からはずれている。なぜなら、大衆団体の行政においては、専門教育を受けた常勤の官僚層がつねに機構の中核を形成すること、そしてこの官僚層の「規律」が成果を生み出す絶対的な前提条件をなしていること、ここではそれだけが問題となるからである。」
P361「官僚制は、官僚制以外に近代的・合理的な生活秩序を歴史的に支えているものと比べれば、それらよりはるかにいっそう深刻な不可避性を有している点に特徴がある。……けれどもこれら過去の官僚制は、比較的にまだすこぶる非合理な形態なもの、すなわち「家産制的官僚制」であった。これらの過去の事例と比べて、近代的官僚制のきわだっている点はどこにあるかというと、その不可避性を本質的な点で決定的に根拠づけている特性、つまり、合理的専門的な特殊化と訓練という点にある。……近代の官吏は、近代的生活の……近代の官吏は、近代的生活の合理的技術に対応して、不断に、また不可避的に、ますます専門的に教育され、特殊化されてきている。地上のすべての官僚制はこの道を歩んでいる。」
※これがある意味官僚を無意味に批判しない理由にもなっているのだろう。

P361-362「例えば、政党の官職授与権によって職についた昔のアメリカの官吏は、選挙戦場と自分のたずさわっている「実務」について、専門的「玄人」であることに間違いなかったが、どうみても専門的な教育を受けた専門家ではなかった。ここにアメリカにおける腐敗の原因があったのであって、わが国の文筆家が公言しているように、民主主義そのものに腐敗の原因があったわけではない。もっとも、いまようやくアメリカにも定着してきた「公教育制度」の、大学教育を受けた専門的官吏にとっては、同じく近代イギリスの官僚制のなかで、いまやますます名望家による自治にとってかわりつつある専門的官吏にとっては、あの腐敗が無縁のものになってきている。」
☆p362-363「国家の官僚制は、私的資本主義が除去されたあかつきには、独裁的に威力をふるうだろう。今日では私的制と公的官僚制とは、並行して、少なくとも可能としては対抗して、活動しているから、とにかくある程度たがいに抑制しあっている。しかしもしそのようなことになったならば、この二つの官僚制はただ一つの階層的秩序のなかに溶けこんでしまうであろう。それは古代エジプトの再現のごとくであるが、ただ古代エジプトの場合とはくらべものにならぬほど合理的なかたちで、そして合理的なるがゆえに逃れられぬかたちで、再現することだろう。」
※「もしも純技術的にすぐれた、すなわち合理的な、官僚による行政と事務処理とが、人間にとって、懸案諸問題の解決方法を決定するさいの、唯一究極の価値であるとするならば、人間はたぶんいつの日か、古代エジプト国家の土民のように、力なくあの隷従に順応せざるをえなくなろう。」(p363)。ではどうするのか。

P364「この官僚制化の強大な傾向に直面して、なんらかの意味で「個人主義的な」活動の僅かに残った自由をすこしでも救い出すことは、そもそもどうすればまだ可能であるか。」
※しかし「いまわれわれの関心はこの問題にない」とする(p364)。
P365「これよりもはるかに目立つ相違は、大臣にたいして、まさに大臣にたいしてのみ、他の官吏にたいしなされるような専門教育の資格証明の必要がなんら規定されていないという事実である。このことは、大臣が、まさしくその地位のもつ意味からして、私経済内部の企業家や総支配人とどこか類似した相違を、他の官吏にたいしてもっていることを暗示している。いや、大臣は他の官吏とはなにか別物であるべきことを暗示している、こう言ったほうが正確であろう。実際そのとおりなのである。」
※官吏が大臣になってしまえば役に立たないとする。
P365-366「相違はそうしたところにあるのではなくて、両者の責任のとりかたの違いにある。この違いから、両者の特性にたいして提出される要求の種類も、もとより広範囲に規定されてくる。」
※官僚は上級職との信念が相違する場合、その理念を受けながらも自らの本来の信念を遂行することが「名誉」でさえある。しかし政治的指導者がそのようなことをすれば軽蔑に値する。そうではなく、それを通すか辞職するかであるべきとする。官僚なら超党派態度をとるべきである。自己の権力のための闘争と、獲得した権力から生じてくる自己の課題にたいする固有の責任、これが政治家としての、また企業家としての生命の素なのである。(以上p366要約)

P369「君主は、政党の闘争や外交活動のなかで訓練された政治家ではけっしてない。」
※このようにしてドイツ君主制を批判する。
P379「文筆家は……自分自身を官僚として、また官僚の父として自負している」
P379-380「あらゆる政治の本質は、のちにもしばしば強調することだが、闘争であり、同志と自発的追随者を徴募する活動である。……ビスマルクにとっては、周知のとおり、フランクフルト連邦議会が自己訓練の場であった。軍隊において訓練は戦闘のための訓練なのであるから、この訓練は軍事的指導者を輩出しうる。近代の政治家にとっては議会での闘争が、政党にとっては国のなかでの闘争が、与えられた道場である。この道場は、他の何物によっても置き換えることができない価値をもっている。」
☆p380-381「代議士の大群は、すべて特定の「リーダー」または内閣を構成する少数の「リーダー」の追随者としてのみ働くのであって、「リーダー」が成功を収めるかぎり、盲目的に「リーダー」に服従する。そうでなければならない。「少数の原則」、すなわち少数者からなる指導的グループのもつ卓越した政治的機動力が、つねに政治的行為を支配する。この「カエサル主義的」な特徴は、(大衆国家では)根絶し難いものである。
 この「カエサル主義的」な特徴だけが、多頭統治を行なう集会内部では雲散霧消してしまう公共にたいする責任を、特定の数人に帰しめることもまた保証するのである。まさに本来の民主制において、この事実が明らかになる。」

P381「アメリカにおいては大統領の任命する裁判官は、国民に選ばれた裁判官よりも、能力と廉潔の点ではるかにすぐれていた。理由は、裁判官を任命する指導者が官吏の素質にたいしてつねに責任をもつ地位についていたこと、そして、もしこの点で大きな失策があったときには、与党は、のちになってこの失策を痛感しなければならなかったこと、これである。」
P384「官僚の行政にたいする有効な不断の監督という単純な〔議会の〕使命の達成を阻んでいるのも、このものである。このような監督の仕事は、はたして余計なお節介だろうか。
 官僚層は、明確に限定された専門的なことがらに属する職務上の課題について、自己の義務感、不偏性および組織上の諸問題を裁量する能力を示さねばならぬ場合には、いつもすばらしい真価を発揮した。」
☆P385「すべての官僚の権力地位の根拠となっているのは、行政の分業的技術そのもののほかに知識である。この知識には二種類ある。第一が、専門教育によって獲得される広い意味での「技術的な」専門知識である。それが議会においても代弁されているか、あるいは代議士が個々の場合ごとに専門家から私的に情報を蒐集しうるか、ということは、偶然的事象であり個人的問題である。このようなことは、行政の監督の代替物にはけっしてなりえない。行政の監督は、あくまでも議会委員会の席上、関係部門の官僚召喚のもとに、消息通が行なう体系的な訊問によってのみ保障されるのであり、多方面にわたる質問も、この訊問方式によってのみ保障される。」

P385「しかし、専門知識だけが官僚の権力の基礎となっているのではない。第二は、官職の装置という手段を通じて官僚のみが入手しうる知識であって、官僚の行動の規準となる具体的な事実にかんする知識、すなわち職務上の知識である。この事実にかんする知識を官僚の行為に頼らずに入手できる人だけが、個々の場合に行政を有効に監督することができる。事情によって異なるが、このためには、書類閲覧、実地検証、さらに極端な場合には、議会委員会の席上、証人として出頭する関係者に宣誓させて訊問することが考えられる。帝国議会はこの権利もまた持っていない。」
※議会による適切な監督の必要性を説いている。
P387「実際わが国では、官僚が自分の仕事として取り組まねばならない問題が明るみに出ることは皆無である。官僚の業績が理解され、評価されることはけっして起こりえない。……専門教育というものは、近代の諸事情のもとになっては、政治目標達成のための技術的手段を知るうえに、欠くことのできない前提なのであるから。しかしながら、政治目標を設定することはけっして専門事項ではなく、専門官僚は、専門官僚であるかぎりは政治を規定すべきではないのである。」
P388「政治家の政治的訓練は、議会の本会議における見せかけだけのお飾り用の演説によっては、もちろん達成されない。それは、議員生活の経歴を重ねるなかで、不断の厳しい活動を通じてのみ、達成されるのだ。イギリスの議会指導者の重鎮と目される人びとは、かならず委員会活動の訓練を受け、またそこから出発してしばしば全行政部門を一巡して手ほどきを受けたのち、はじめて高位につく。……そういう選抜の場として、イギリス議会は今日まで他国の追随を許さない。」

P423「ドイツの政党内部の社会的構造はいかにもさまざまではあるが、官僚制化と合理的な財政運営が民主化の随伴現象であることは、ドイツでもどこでも同じである。」
P480「そのうえこの国民は、似非非君主制的空語にまどわされて、統制されない官僚支配に甘んじる。こんな国民はけっして王者の民族ではない。こんな国民は、虚栄心から世界の運命に心を砕くようなまねはやめて、日々の仕事にいそしむがよかろう。」
※どう考えてもニーチェの影響を受けた物言い。
P507「まさしくこの組織の国家社会主義的要素は、企業家なしにはまったく存立することができなかったのである。その大規模な経済組織の構想と業績は、ほとんど例外なく実業家によって生み出されたのであって、官僚によってではない。純粋な官吏経済が、結局は適してもいないし慣れてもいないこうした(※戦時経済下の)組織の仕事を遂行しようとしたところでは、大量の消耗と一部では腐敗が横行した。」

P526-527「官吏の国民選挙は、官職規律をことごとく破壊する。そしてこのことは、とくに厳格な社会化にとって決定的に重要である。国民選挙の官吏は、みんながお互いに知り合いである地域集団に、したがって小さな地方自治体にむいている。大きな地方自治体でも、アメリカの経験によれば、市長の選挙はーーただし市長が上級官吏を任命する独裁的権限を握っているばあいーー強力な改革の手段でありうる。これにたいし選挙人大衆は、専門官吏をその資質にもとづいて審査することができない。」
※ある意味で素人批判。
P558「ここでとりわけわれわれの興味を惹くのは、三つの型中の第二のもの、すなわち支配が「指導者」の純粋に個人的な「カリスマ」に対する服従者の帰依に基づいている場合である。「天職」という考え方が最も鮮明な形で根を下ろしているのが、この第二の型だからである。預言者、戦争指導者、教会や議会での傑出したデマゴーグがもつカリスマに対する帰依とは、とりもなおさずその個人が、内面的な意味で人々の指導者たる「天職を与えられている」と考えられ、人々が習俗や法規によってではなく、指導者個人に対する信仰のゆえに、これに服従するという意味である。指導者個人は、彼が矮小で空疎な一時的な成り上がり者でない以上、自分の仕事に生き、「自分の偉業をめざす」であろう。しかし彼に従う者……の帰依の対象は、彼の人柄であり、その人の資質に向けられている。」
※以下「職業としての政治」から。ここで仕事(ザッへ)に生きるという物言いは、決して肯定的な意味合いで取られている訳ではないだろう。むしろそれは当然なされるべきことを行う、というニュアンスであり、それ以上でもそれ以下でもないのでは。

P567「長期間にわたる準備教育によってエキスパートとして専門的に鍛えられ、高度の精神労働者になった近代的な官吏は、他方で、みずからの廉直の証として培われた高い身分的な誇りをもっている。もし彼らの誇りがなかったら、恐るべき腐敗と鼻もちならぬ俗物根性という危険が、運命としてのわれわれの頭上にのしかかり、それによって、国家機構の純技術的な能率性までが脅かされることのなろう。アメリカ合州国では、猟官政治家による素人行政によって、下は郵便配達夫にいたるまで数十万の官吏が大統領選挙の結果如何で替えられてしまい、終身の専門官吏も存在しなかったが、このような状態は公務員制度改正によってかなり前から通用しなくなっている。こうした発展は、純技術的な行政に対する不可避的な要請によるものである。」
P596-597「政治にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質がとくに重要であるといえよう。ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、つまり「事柄(※ザッへ)」への情熱的献身、その事柄を司っている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである。……情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力――これは政治家の決定的な心理的資質であるーーが必要である。すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。……しかし、距離への情熱――あらゆる意味での――がなければ、情熱的な政治家を特徴づけ、しかも彼を「不毛な興奮に酔った」単なるディレッタントから区別する、あの強靭な魂の抑制も不可能となる。」

P612-613「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。」
※以上職業としての政治。
P642「官吏は議会に服従していなければならない。完全に。官吏は技術者なのです。……わが国では官吏は不遜にも「政治」に手を出している。」

上原善広「差別と教育と私」(2014)

 今回は上原の著書を介して「八鹿高校事件」について取り上げたい。上原の著書自体は八鹿高校事件に限らず、部落差別に関わるテーマを実際に自らが取材した上で考察している内容で、「当事者」としての視点がなければ行えないであろう内容も取り扱っており、非常に読み応えのある本である。

 ある意味で断片的に取り上げている「八鹿高校事件」について本書を基軸に検討するのは、この事件をめぐっては政治的二項対立図式として語られがちで、「中立」に近い立場で語られているか疑義が多いことが挙げられる。上原もp111で述べるように「解放同盟で活動した経験をもつ者のほとんどは「八鹿事件は共産党のデマだ」と教えられてきた」という状況も(近年はわからないが)長く続いており、「何が事実だったか」の認定をめぐってさえ当事者間では相違が多くある。私などは東上高志「ドキュメント 八鹿高校事件」(1975)もかなり事実に近いものではないのかと思っているものの、東上が明確に共産党系の人物であるため、しばしば解放同盟側の人物から批判の対象とされている(高杉晋吾「部落差別と八鹿高校」1975)。特に本事件についても共産党機関紙「赤旗」で積極的に取り上げられており、この事件への関与について共産党が直接関わったとする資料があるとする見解もある。上記の事情から、事実認定の議論については、本書と裁判判例による事実認定を基軸に考え(※1)、それ以上について立ち入らないことにしたい。幸いなことに、この事件の議論というのは当事者の並々ならぬ努力による豊富な資料があり、Wikipediaでもかなりその内容が整理されているため、事件の詳細についてはそちらに譲りたい。

 

○「暴力」の正当性について――「法治国家」の限界をどう考えるか?

 八鹿高校事件を考える上で「暴力」が行使されることが正当化されるのかどうか、という論点はその「暴力」の定義も含め極めて重要であるように思える。

 上原も思う所のあった南但地区で出会った男性の差別発言(p88)の持っている意味は非常に重いものである。このような者がいるという事実のもとでは、丸尾の物言いについても極めて「正当」である部分がある。なぜならば、「部落の者が対等に扱われているか」という基準のもとでは、これが全く達成されておらず、今なお、根強い「差別」があると言うことができるからである。そして、それは今までの差別是正の方法が甘かったからだったのではという疑念まで出てくる。

 かつてこのような状態を是正するために部落闘争で用いられたのが「確認会」の場であり、それを認めるための「糾弾権」の憲法上の保障の獲得というのは部落解放において重要なものとされていた。この確認会の場も理想的な形態としては、中立な行政職員等の介在の中、被差別者の問題点を明らかにした上で、そのような行為を今後行わないことを書面で証する場とみなされている。しかし、このような場が設けられること自体、法治国家的にはかなりイレギュラーであることは明らかであろう。特に他の社会問題、ないしは教育問題と比較してしまうと、そのような疑念はより明確なものになる。「いじめ」を受けた子どもの加害者にこのような「確認会」を行うことは、必要なことかもしれないが、部落闘争における「確認会」と同じような手続で行われることは不可能に近いし、そもそも「確認会」に類する行為自体が行われないことだって多々あるのではないのか。その場合にいじめの被害者側の人権擁護はどうなってしまっているのか、と問うたとしても、社会・国家の側からは何の応答もなく、そのまま放置されてしまう。このような状況にあるのであれば、部落闘争において行われていることは「特権的」になりはしないか?(※2)

 これは合わせて、部落民が「実際の差別にあうこと」がどれほどありえるのかという論点にも繋がる。この論点提起においては個別事例があまり意味を持たない。本書において上原は部落闘争で言われるような差別を受けた経験がないことから部落闘争にも違和感を感じている(p243)。もっともこのような話も一事例に過ぎず、「そのような人物は何らかの優れたものを持っていたから排除を実感できないのであって、一般的にはそうでない」という反論も十分可能だ。いずれにせよ実証的には不十分である。

 このような状況下において、かつ法治国家という形式をとっている日本の状況を考慮すれば、基本的には法により人権が確保されるべきであり、それを脅かすものがあるならば、法によって罰せされるべき内容である。このように考えていった場合には、上記南但地区男性の差別発言は法治国家としては何らかの問題があったものと認めることが難しい。しかし、何らかの具体的実害が出ている状況もないという意味では、このような発言まで「確認会」のようなものをもって糾弾しようとすること自体が問題だという整理をするしかないのだろう。厄介なのは、教育の場において、具体的実害が出ないにせよ、これを助長するようなことがなされるのは如何か、という問題である。第三者が介入すべきかという論点は置いておくとしても、当事者においては教育の場における是正の機会は必要であるように思える。

 その意味でこの事件の悲劇の一つはp112-113にあるように、当事者であった生徒たちの声が届かなかったということである。ここで「暴力的」に対して問い返されるのが「民主的」どうかという基準での議論である。「民主的」かどうかでは解決しないからこそ「暴力的」なものに傾いたものと解釈することもできるが、「民主的」であることを否定することこそ何よりの問題なのではないか、という合意がこの事件を含む部落解放運動で調達できていなかったように思えてならない(※3)。

 

 そしてこれに関連して問題となるのが、丸尾自身は自らの行為が正しいものであったとしている点である。言い換えれば、司法判断というものに対して正しいものであると認めていないということである。実際、本事件について司法で認めた事実関係を認めようとしない立場はある。これは八鹿高校事件に限らず、他の部落闘争との兼ね合いの中から「司法」というものが位置付けられている側面も無視することができない。例えば、狭山闘争を指揮していた西岡智などの司法に対する見方は「国家権力の手先」のようなものであり、中立性を決して認めていない(cf.西岡智「荊冠の志操」2007、p124)(※4)。これは悪く言ってしまえば、「自分に対して都合の悪いことを言っている者は皆でつるんでいる」という見方をしているということにもあるが、このような闘争観は確実に部落闘争の系譜として存在していたものであるといえる。50年代後半から部落解放同盟の議論で出てくる「朝田理論」に基づく認識においては、「部落においてつねにおこるいっさいの部落民に不利益なことは、差別として考えなければならない」とされたり(部落問題研究所「戦後部落問題論集 第一巻」1998、p34)、「今日独占資本主義の段階では独占資本の超過利潤追求の手段として部落民を主要な生産関係の生産過程から除外」するものとされ(同上、p39-40)、極めて階級論に依拠した議論がなされていた。「独占資本の支配」という場合その対象が極めて抽象的であり、言い換えれば曖昧さもある中で、司法に対してもこのような「支配層」に位置付けられることは容易になされる環境にあるものと考えられるのである。しかし、このような階級闘争観は実態を単純に、かつ「自らの主観的尺度により」二項図式化する傾向があるため、それだけで実態をとらえ損ねることにもつながりかねないのである。

 

○行政の機能不全について

 ある意味この事件で最も問題であるとして捉えるべきは「行政の中立性」が全く機能していないといえることだろう。1967年の「同和対策事業特別措置法」が成立して以降、各自治体には部落解放同盟の地域支部との「窓口一本化」が進められ、闘争の資金調達を容易なものとしていた。合わせて「朝田理論」に基づく「差別」認定を各自治体に要求し、部落解放同盟自治体が逆らうことができない状況というのが生まれてしまった。これは八鹿高校事件における警察の動きが著しく悪かったこと(上原2014,p112-113)や、事件後に周辺自治体の長名で事件について中立性が疑われる文書が出されたこと(東上1975,p113-114)など行政側の動きが鈍かったことようであることが語られる。この点、警察の問題については、Wikipediaにもまとめられているように明確化しているが、行政側の問題については、国会答弁を調べればわかるが「特に問題が報告されていない」とされ続けていたことなどもあって警察と比べれば明確化されていると言い難い。

 

 行政側の問題として表面化している例として挙げられるのは、公金支出の不当性が問われた裁判判決(神戸地方裁判所 昭和50年(行ウ)15号 判決)で、解放同盟に「窓口一本化」し補助金を支出することが公的支出であったかという点が問われた。「窓口一本化」については、その理念としては「適切に部落の要望を行政に伝えていく手段」として正当化されていたのであるが、実際は部落全体の公益性に反するような形で部落解放同盟の言うことを聞かないといけない部落出身者が一定数いたとされる(東上1975,p47)。実際、上記判例でも次のように公平性を欠いたものだったと説明される。

 

「この点に関し、被告ら(※八鹿町長)は、高等学校において部落解放問題について本質的に取り組み研究するために解放研が設置され、兵庫県教育委員会もその設置を進める方針であつたのに、八鹿高校教師団は、管理職及び生徒の意思に反し、断固これを拒否し、話し合いにも応じず、ハンガースト中の生徒を放置したまま下校するなどの教育者として許されない行動に出たため、八鹿高校の教育正常化を求めた部落完全解放のための闘争であり、右共闘会議には地域団体を始め広範囲の団体を通じて絶対多数の住民が参加していて右共闘会議への補助はこれら住民の要望であり、右共闘会議に苦しい生活環境の中から積極的に多数参加していた解放同盟員に対する費用弁償的補助は同和行政の責務であつたと主張する。しかし、八鹿高校では、従前においても生徒のクラブ活動として部落問題研究会が存在して活動を続けており部落解放問題が無視されていた訳ではないし、解放研の設置の否定がただちに部落完全解放の否定に結びつくものでもないし、右共闘会議への補助が住民の要望であつたとの点についても、〈証拠〉によると、南但一〇町の行政関係者は、八鹿高校教育正常化共闘会議の段階で事態を正確に理解しないままこれに参加していたこと、A町長のもとで昭和五〇年二月まで八鹿町の助役をしていた森木正三ですら八鹿高校闘争は解放同盟の行き過ぎであるとの意識を当時から有していたことなどが認められ、右事実によると、右共闘会議に絶対多数の住民が正確な認識のもとに参加し右共闘会議への補助を要望していたものとは、たやすく認定できないものがあるし、解放同盟員に対してのみ費用弁償することは公平を欠くものであるから、被告らの右主張はたやすく採用し難い。」(神戸地方裁判所 昭和50年(行ウ)15号 判決)

 

 判例から推察するに、行政側も「確認会」等を通じて強制的に解放同盟側の主張を受け容れざるを得ない状況があり、更に言えばこれは兵庫県から市町村への圧力の存在があったものとしても解釈しうる内容であると思われる。まさに解放同盟の運動性が行政側の「権力者」に直接働きかけ、そこからトップダウン式に従属させていく過程だったことの一端がわかる内容である。そのようなトップダウン式だったからこそ「南但一〇町の行政関係者は、八鹿高校教育正常化共闘会議の段階で事態を正確に理解しないままこれに参加していた」のではないのか。

 また、これに関連して行政側から特殊な利益を得ていた事例として、建設業界の根深い癒着関係はよく語られる(西岡2007,p255; 野中広務辛淑玉「差別と日本人」2009,p4-5)。本事件から学べる教訓は、「行政」自体が中立性を装いながらも意外と脆く、特定の利害関係者と容易に結びつきうるということだろう(※5)。であれば、行政が行っていることが(情報公開として)可視化され、問題を指摘しうる状況を作りだすことということも行政の中立性の確保のためには重要だということになるだろう。

 

○部落差別問題をめぐる「政治性」への還元について

 最後にこの事件がp111でも触れられているような「政治性」の問題に、特に共産党絡みの議論として語られることに言及しておきたい。これについては高杉晋吾が八鹿高校事件に関連して共産党が八鹿高校に直接関与するよう指示する文書があるという指摘をしたり(高杉1975,p35)、部落研を民青養成機関であると指摘したり(同上、p53)する始末である。恐らく多かれ少なかれ共産党が政治的に絡んだこと自体は事実であるとしても、それが過大評価され事件の事実・問題点が曲解される傾向があることもまた事実と言うべきだろう。

 ここで気になるのは何故そのような執着をしたのかである。これに関連して西岡が少々興味深い指摘をしている。

 

「もちろん、解放運動の側も自己批判が必要だ。「あることないこと」といったが、一部は「あった」し、内部で批判や闘争があった。それを公然とし難かったのは「日共に利用される。事実であっても不当な文脈の中で曲げられる」という思いが多くの人にあったからだ。さらには組織内部の会議等でも隠そうとされることもあった。」(西岡2007,p259)

 

 管見の限り、このような指摘はまだ他に見かけたことがない。これは言い換えると、「政治的」に攻撃を行ってきた共産党勢力に対して同じように「政治的」に対抗しなければ自らの運動が潰されると感じたから、ということが可能だろう。これは部分的に正しい可能性がある一方で、当時の運動全般の動きとして二項図式に基づく「政治的」問題への還元が日常的に行われていたことの弊害があることも否定できないように思えてならない。この点については今後も検討が必要だろう。

 

※1 もっとも、現在でも判例の事実認定を無視した言説が再生産され続けていることも事実である。この理由の一端として本書でも確認できるように、丸尾自身この事件の裁判所の判決を不当であると考え続けており、ある意味で裁判所の事実認定も認めないような姿勢があることも念頭に入れねばならないだろう。このような姿勢については「法治国家としての体裁を放棄したいのか?」という批判をせざるをえない。

 

※2 このような議論を考えるにあたり、例えばいじめの問題が80年代中頃からの社会問題であることや、現在に至るまでのマイノリティの権利保障の議論も考えると、まだ70年代という時代はこのような強硬的な手段に対して寛容たりえたのかもしれない。

 

※3 泉幸夫「「糾弾権」はいま」(1987)では、全国水平社の理念に立ち返りこの問題に言及する。上原の著書でも水平社の主張を否定的に捉える節があるが(p57)泉によれば、このような水平社の理念は曲解であり、むしろ「フランス革命のスローガンで、自由・平等とともにかかげられた友愛のよびかけにまでさかのぼるもの」と捉える(泉1987,p76)。これに対し確認会をはじめとして解放運動が「一方的」なものであったことが批判されている。同書において八鹿高校事件後の八鹿高校生徒の意見として次のようなものがある。なお、地裁判決(神戸地方裁判所 昭和49年(わ)768号 判決)では、八鹿高校の解放研設置については「教える者と教えられる者との間に良好な教育的秩序の維持が必要な学校教育において、その全てを根底から破壊しかねない重大な危険性を帯有している」などとし、その意義を否定している。

 

「十一月十八日から職員室前に座りこみをはじめました。その原因は解放研の生徒が、〝話し合い〟をやりたいと先生方に申し込んだそうですが、先生方はそれ以前に但馬文教府でおこなわれた一泊研修会の話し合いでは、話し合いというものの相手側には発言権がないような一方的な話し合いでした。そこで先生方はそんな話し合いになるのではないかと恐れて話し合いの内容、時間他などについて質問されたが回答がなく、職員会議としては話し合いはできないと決められました。しかし、三人の先生が話し合いをしなくてはいけないと思われて、解放研の生徒と話し合われた。でも話し合いは外部の団体(他校の解放研他)がまわりにいたりして、解放研の生徒は全員立ち大声で訴えていたそうです。先生方を『差別者』としてしかみず訴えていたのです。相手の言うことも聞かないのは話し合いでしょうか?。」(泉1987,p18-19)

 

※4 この西岡の視点に関連して、黒田伊彦はより直接的に「司法権の独立なんていうのは嘘っぱちで、権力支配そのものだといえますね」と発言している(西岡2007,p120)。

 

※5 これに関連して泉幸夫は次のようにして逆説的に行政を批判しているが、このような批判もある意味で妥当ということになるだろう。

 

「しかし、それを知りつつも町、県当局、マスコミ、警察等は『部落』だからという理由で彼らを特別扱いにし、悪事を放置し、彼らを助長させてきたのだ。そのような人々こそ真の『差別者』と言われるべきである。

 はっきり言って解放同盟、町、県当局、マスコミ、警察、校長、教頭等は部落解放どころか、逆に部落差別を助長しているのだ。従って今度の事件によって受けた被害は先生達はもちろんだが、切実に『部落解放』を望んでいる人々はそれ以上の苦しみを味わったはずである。だから解放同盟と彼らをのさばらせた人々と、彼らが自分達の犯した罪の大きさに気づき、深い反省といっしょに正しい解放運動を進めていくまで許す訳にはいかないのだ。」(泉1987,p84)

 

<読書ノート>

P11「しかし、そんなことを知らなかった幼い私には、いずれも楽しみなお祭り騒ぎでしかなく、寸劇やゼッケン登校が楽しみで仕方なかった。

 隣にある堺市の一般地区から路地へと嫁いできた母は、こうした活動に批判的で、私が楽しそうにはしゃいでいるのを複雑な顔で見ていた。

しかし同和改良住宅と呼ばれる団地に住んでいる者にとって、この種の解放同盟の活動への動員に応じるのは必須条件であった。解放同盟などの活動によって一九六九年に成立した同和対策事業特別措置法により、私の父も、住居や税金などの面で恩恵を受けていたからだ。」

P44「私は間違いなく、解放教育の実践によって立ち直ることができた。しかし一方で姉のように反発し、また兄のように犯罪者にまで堕ちた者もいる。そのような個人差を考えても詮無いことだが、妹尾教諭の一言は決定的だった。私の中で解放教育は、生きる希望と虚しさと、そして疑問を同時にもたらしていた。

 そもそも解放教育は、同和教育から生まれた〝異端児〟だったという。

 そんな解放教育の「牙城」と呼ばれた松原第三中学は、私の幼馴染のいる望郷の象徴であり、同時に人権派教師たち憧れの〝聖地〟でもあったという。しかし、その当の三中から赴任してきた解放教育派の妹尾教諭は三中どころか、更池まで疑問視するようになっていた。

 彼女の中で、いったい何があったのだろう。そもそも彼女のいた三中での解放教育とは一体、どのようなものだったのか。」

※「おそらく同和、解放教育が正義であり権勢をふるっていたあの頃、自由なことが言えない風潮に対する反発だったのだろう。また同和・解放教育が作りだした〝差別のない理想郷〟の中で、路地の生徒たちを一種の過保護状態で育てることに対する反発だったのかもしれない。しかし彼女が亡くなった今、それを確かめることはできない。」と回答する(p255-256)。

 

P57「この融和主義に対抗して大正一一年に結成されたのが、全国組織の水平社だ。水平社は差別に対して徹底抗戦、実力行使の糾弾闘争を旨とし、融和主義を「ただの差別主義だ」と批判していた。矢野たちは左翼思想と水平社の理念に則って行動していたため、教頭以上の管理職を、基本的に全て差別者と決めつけていた。」

P66「実は、合宿はこれが初めてではない。それまでにも解放教育派の教師たちが共同で、荒れた生徒たちを連れて高野山や奈良の古寺で二泊三日の合宿を行っていたのだが、あまり効果がなかった。そのため「今度は徹底的にやろう」ということに決まり、一カ月以上もの合宿が計画された。

 これは夏休みを利用したものでもない。強豪校の運動部でもないのに、非行生徒のため平日に公立中学校が合宿を張るのは、他に例をみない取り組みだった。」

P68-69「当時、路地では極道になる者が多かった。それは貧しかったという事情もあるが、仕事につくにしても差別され、学歴もないため、厳しい肉体労働しかなかった。それを疎んじ、差別を力でねじ伏せようとした者は、だいたい極道になった。逆にいえば、肉体労働以外で生きようと思えば、それしかなかったのである。」

※女性の選択肢が絶望的にないのでは。

 

P73-74「その一方で矢野は市教委の人事権を握り、解放教育派の教師ばかりを三中はじめ小学校、高校にも集めていたので批判も少なくなかった。良くも悪くも、これが「松原共和国」と揶揄されることになる。

 何しろ子供会を担当する市の職員から、果ては学校の事務職まで路地の者や元活動家で固めているのだから、「勝手し放題、独立国なみや」と周囲から批判されたのも無理はなかった。

 後に松原方式の解放教育は、全国的にも知られるようになり、とうとう国会でも取り上げられ「偏向教育だ」と批判される。しかし矢野はもちろん、体制側にいた北山も一切構うことはなかった。

 何より三中が市内でも一、二を争うほど荒れた学校であったのは事実であり、その矯正に解放教育の「しんどい子を中心に据える」という手法が成功していたのも、また事実だったからだ。」

P75「北山は、現在の教育についても憂慮する。

「イジメは当事者はもちろんやけど、実はそれを見てる子が一番問題なんです。『ぼくは関係ない』『かかわったら面倒や』『自分の成績が大事』と傍観してる子。この子たちを指導し切らないと、イジメなんかなくなりません。今の日本を作ってきたのは偏差値教育、それは確かです。しかし日本をつぶすのも偏差値教育なんです。平気で仲間を蹴落としていく。最近は先生も冷たい。今は離婚する家庭も増えたから『母子家庭やからこんな子になるんや』なんて平気で言いよる。先生がその子の生活の実態を見てない」

※結局、傍観者も偏差値教育の産物と見ていると言うしかない。民主主義的には正しいのかもしれないが、法治国家的な発想からはかけ離れているようにも見える。

 

P85「兵庫県警警備部などの調べによると、同校ではこれまでに生徒のクラブ活動として「部落問題研究会」があったが今年七月、他の生徒が新たに部落解放同盟系の「部落解放研究会」を結成、正式なクラブ活動として認め先生に指導してほしい、と学校側に要求していた。しかし、同校の職員会議は「解放研は外部団体の指導によってつくられたものであり、正式なサークル活動としては認められない」との方針を決めた。」

P88「しかし「そうは言っても、若い人で結婚する人もいるでしょう」そう私が話を向けると、彼は真剣な顔でこう返答した。

「上原さんね、これは教育ですよ。幼い頃からエッタと付き合っていかんと言うておくんです。エッタには美人が多いですからな。私の小さい頃はエッタに美人がおったので好きになったこともありますけど、やっぱり怖いし、親にも注意されていたので諦めたことがあります」

 路地に「美人が多い」というのは、昔から言われていた俗信だ。一般地区の者と、路地の女との恋愛は必然的に「禁断の恋」となるので、より美人に見えるのかもしれない。または一般地区における〝逆説的な戒め〟なのかもしれない。

 それにしても、私は今まで面と向かって「エッタ」だの「ヨツ」だのと言われたことがなかったし、ことさら何度も繰り返されるものだからこれには堪えた。哀しいというよりも、まず呆気にとられ、時間がたつにつれて胸やけしたように気分が悪くなった。

 「ヨツ」というのは、路地の者たちが四足の牛や馬を解体していたからとも、「四足の畜生なみの存在」だとされたことからともいわれる差別語だが、この話でわかったことは、事件の舞台となった南但地域は、今も路地への差別が根深い地域だということだ。この背景は、事件にも深く関わってくる。」

※八鹿高校卒の67歳男性の発言から。

 

P92「こうして一九七〇年に解放同盟から共産系が脱退、彼らは別に全解連を結成した。自民党系は、一九六〇年に全日本同和会をすでに結成している。

こうして反原水爆運動と同じく、解放運動も目的を一つにしているにも関わらず、三つの団体に分かれることになったのである。……

この解放同盟による窓口一本化は、一九八〇年代まで一〇年ほど続き、地方によって多少のバラつきはあるものの、それ以後も解放同盟が主体となって行政との交渉を行うようになる。共産系が以後「同和問題は解決済みだ」という方針を打ち出すようになるのは、窓口一本化反対という経緯も含まれてのことだ。

この同和対策事業の解放同盟窓口一本化により、各地方自治体との交渉窓口が必要となったため、解放同盟は同盟員を急激に増やして、地方支部を次々と創設するようになる。」

P93「一九七三年一〇月、八鹿を含めた南但地域に、解放同盟南但支部青年部が結成される。彼らは三〇代以下の若者たちが中心で、学生運動や組合運動を経験した血気盛んな世代だ。

八鹿高校事件が起こったのは翌七四年だが、その年の一月頃から、八鹿町の周辺で大きな差別事件が相次いで起こっている。

これらの事件は、解放同盟の支部が結成される前には、おそらく住民たちにとって「ごく普通の日常的なこと」だったのだろう。しかし支部や青年部の結成によって、その「日常的なこと」が、次々と公にされ事件化していった。」

※非日常化によって改善が図られたと言えるのかどうか。

 

P95「七〇年に解放同盟と共産党が分裂すると、大阪府の各学校では「部落解放研究部」が活発に活動を始めるようになる。国法を後ろ盾にした解放同盟は、教育委員会や校長など管理職に「差別問題を解消するため『解放研』を設置せよ」と迫った。そして大阪の松原をはじめとして、生徒たちが教師を「差別者だ」と糾弾する教育運動が起こる。」

P96-97「ところが七四年六月、相次ぐ差別事件を機に、解放同盟が支援する『部落解放に立ち上がる高校生の宿泊研修会』八鹿高の校長と教頭が参加、そこで校長らは解放研の設置を約束させられる。

 このとき教職員の大半は「解放研」設置に反対していたため、校長ら管理職も反対の意向だったが、インディアン方式と呼ばれる糾弾により解放研の設置を了承させられたと言われている。インディアン方式とは当時おこなわれていた糾弾の手法で、当事者を七、八人に囲んで口々に批判する方法だ。……

 その是非はともかく、校長らが解放研設置の了承に至ったのはこうした激しい解放運動だけが理由ではない。やはり六九年に施行された同対法の影響により、八鹿町教育委員会は、解放同盟の指示に従うよう校長らに指示していたのである。

 当時、普通科一年生で解放研のメンバーだった女性は、当時を振り返ってこう語る。

「七四年の夏休み明けくらいから、解放研をつくろうとなりました。解放研も三分の一くらいは一般地区の生徒です。それまでの同和教育って、部落史の資料を読んだり、結婚差別で自殺した人のエピソードを聞いたり、岡林信康フォークソング『手紙』を紹介するだけ。活動も一学期に一、二回しかなくて『可哀想だから差別するのはやめよう』という感じでした。だけどそれだけだと、自殺した人のことしか印象に残らない。部落出身という自分のことは、これからもずっと隠していかなくてはいけない。そのことに違和感があったんです。そんな中で、部落の子だけがなぜ余所の子よりも乱暴な子が多いのか、それは差別の結果だということを、わかりやすく教えてくれたのが解放運動でした」」

 

P98-99「解放同盟系のクラブは「解放研」と呼ばれるのだが、歴史の古い学校では解放同盟系であっても「部落研」という名称を使うことも少なくない。この「部落研」は、多くの場合は解放同盟と共産系が分裂する以前からあったためだ。分裂以後、大体は共産系教師が指導するクラブを意味するようになったが、解放同盟が主導権を握った「部落研」は、そのまま「部落研」という名称で活動することもあった。……

 しかし八高は、日教組を母体とする共産党系の教師が強かったので、「部落研」もその流れを汲んで融和教育に力を入れていたのである。

 そこへ解放同盟の指導をうけた一部の生徒たちの「解放研」結成の動きに、八高の教師のうち共産系はもちろん、保守系も猛反発する。共産系の教師は路線対立を背景にもっていたが、保守系の教師は「中立であるはずの教育現場に、そこまで運動団体が露骨に介入していいのか」を理由に反対していた。

 地元住民の多くも、七三年から突如として起こった南但支部の激しい糾弾闘争に強く反発していた。そのため保守系教師も解放研の結成要請に対し、共産系教師と共に強く反対を唱えていたのである。」

 

P105「現在も「八鹿事件」というと、共産系教師と解放同盟が学校内で衝突したと思われているが、事実は共産党はあまり関係なく、〝八高教師と解放同盟〟の闘いだったと、元八高教師たちは語る。」

※解放同盟側のプロパガンダが強く働いていたともいえる。

P108-109「事件後、ほとんどの教師は転勤したが、K教諭は地元出身ということもあり、事件後も八高に勤めることになった。

「私は赴任してきたばかりだということもあり、事件後も残っていました。解放研の生徒とは、向こうも話しかけづらいだろうし、こっちも話しかけにくい。あれから解放研は結成されたけど、結局は二、三年でなくなりました。事件の時に一年生だった生徒が卒業したら自然消滅したのです」

 以前からあった部落研も、事件から五年後の七九年に自然消滅。結局、「同和問題を学んで差別をなくす」はずだったクラブは、数年のうちに八高では全て廃部してしまうことになる。」

P111「私も含め、解放同盟で活動した経験をもつ者のほとんどは「八鹿事件は共産党のデマだ」と教えられてきた。しかし今、できるだけ先入観を排し、こうして事件を丹念に追ってみると、暴力行為があったのは事実だと確信した。

 ただし、丸尾の言う通り「そんな時代だった」ことも否めない。

 当時の学生運動をはじめとして、暴力をともなう実力行使の激しい社会運動と激しい差別は、当時の社会情勢の特徴だ。路地への差別も社会運動も、現在では考えられないくらい過激だった。」

 

P112-113「丸尾の暴力行為は許されるものではないが、かといって片山ら教師たちが目指していた「同和教育」が、生徒たちに、路地への差別を無くすきっかけになっていたとは思えない。丸尾らの暴力行為だけをただ批判する片山らの言い分も、元々の原因を考えると、いま一つ釈然としないものを感じる。暴力の有無もさることながら、こうして外部から見ていると、ただ思想信条の違いだけで大人同士が意固地になって張り合っているようにしか見えないのだ。

 しかし、この事件では、何かが忘れられている。

 それは事件の最大の被害者であり、事件の本当の主人公である「八鹿高校の生徒たち」である。

 体育館で糾弾会が行われていた当初、休校を知らされた八高生たちは下校することなく教室で自習していたが、教師たちに暴力行為が行われていることを知り、普通科の生徒のほぼ全員、約千人が河原に集合していた。

 警察に訴えても取り合ってもらえないため、生徒たちは警察署でデモの許可をとってデモ行進しようとした。しかしデモを許可した当の警察によって、河原から出ることを阻止されてしまう。八高生たちは警察と押し問答を繰り返した後、夕方には大人しく解散したが、後に残ったのは大人たちへの不信感であった。」

※おそらくこの視点だけは正しいものだろう。「〝正義〟というものに挟まれた、当時の八高生たちのこと思うと、私は何ともいいようのない虚しさに襲われるのだった。」(p117)

 

P189-190「三中では生徒会長には必ず路地の生徒がなり、路地の生徒は自動的に全員、部落問題研究部に所属させられた。ゼッケン登校した日は、授業中でもゼッケンをつけていなければならず、外していいのは水泳の授業だけだ。学校内は「路地の生徒は特別」という風で、路地の生徒の方が、一般地区の生徒よりも偉そうにしていたという。

当の路地の生徒たちも、この風潮には批判的だった。」

P189-190「「オレらくらいの世代(生まれが七〇年代半ば以降)では、解放教育はかえって押しつけになってました。オレも小学校から三中、松原高校と地元集中で行ってましたけど、純粋培養されていただけというか、世間が狭くなるだけで、社会に出たら通用しない。一般社会に出たら、差別も多少あるけど、結局は自分で対処していかなあかんわけです」

 私が「解放教育って結局、何だったのかな」と訊ねると、彼はこう答えた。

「トラウマですかね。ムラ(路地)の子の立場からすると、今もやっていたとしたら可哀想だと思います」

 こうして一般地区の生徒だけでなく、当の路地の生徒までもが、解放教育に批判的になっていた。

 さらには同対法の期限切れを前に教師たちはもちろん教頭や校長、そして教育委員会も、以前のような熱心さで同和教育に取り組もうとはしなくなっていた。九〇年代にはすでに生徒たちの意識も変わり、大阪で北山や矢野らが行なっていた指導方法は通用しなくなっていたのだ。

 もはや時代は、同和・解放教育でなくなりつつあった。

 そして二〇〇二年、ついに同対法が期限切れとなり、同和問題の解決は国策ではなくなった。二一世紀になると同和教育は時代遅れとなり、同和教育は「人権教育」と名を変えた。また解放教育は過去の「過激な教育実践」として、急速に忘れ去られようとしていた。」

 

p195「同和教育実態調査とは、八〇年代後半から九〇年代にかけて各県や市で行われた調査のことで、福岡では県教委が行っている。

 この結果、父母の学歴が一般地区より低いのはもちろん、路地の子供たちは一般地区と比べて、だいたい一〇パーセントほど学力が劣っていることがわかった。

 また路地の子供は家庭で裕福でも貧しくても、享楽傾向にあることなどが共通していた。享楽傾向とは、例えば「テレビを一日中見ている」といったことを指す。この調査結果から、路地の住民たちの教育への無関心と、今までの同和教育では学力がついていないことが明らかになったのである。

「部落解放のための教育なのか、学力向上のための教育なのか、教育現場でかなり議論がありました。共産党系の先生方は、調査そのものに激しく反対していましたしね」」

※流れの変化とは「とにかく地区の子の学力向上に力を入れていくことになった」ことを指す(p196)。偏差値教育批判が消滅していったこととも関連しているだろう。しかし、共産党が調査を嫌ったのは何故なのか。

P215-216「西日本に限られていたとはいえ、同和教育は八〇年代までは旧文部省も支援した大きな教育運動だった。

 しかし路地の住民の中流化、一般的な差別の希薄化にともない、路地の子供だけを〝特別扱い〟することに、路地の中からも疑問が呈されるようになっていく。そのため国旗国歌問題や法律切れをきっかけに、同和教育の屋台骨が揺らぐと、現場教師は「これからどうやって同和教育をしていくべきか」と迷い始めた。」

 

P243「そもそも生まれてこのかた、私自身は差別されたことが一度もなかった。私の差別体験はすべて、昔の話や人からの伝聞であった。結婚差別はよく聞いており、実際に糾弾会に出たことはあったが、高校生の時点では正直、実感すら湧かない。

 だから人権劇で飲んだくれの親父をうまく演じられても、差別されたことがないのだから、差別だと言われても、どうもよくわからないのだった。」

P257「私は思うのだが、それがどのようなものであれ、教育は確かに切実なものである。しかし、やがて少年が成長するにつれ一人でそれを乗り越え、切り拓いていくところに、教育の本当の意味があるのではないだろうか。」

富永健一「日本の近代化と社会変動」(1990)

 今回は富永健一の標題著書を中心にして、『ヴェーバーの動機問題』について考えてみたい。

 富永の近代化論については、パーソンズの系統として、つまりアメリ社会学の系譜として語られるのが普通であろうし、私自身もこのことには賛同する。例えば、矢野善郎はヴェーバー読解において4つの類型を提示する。この類型のうち、西洋文明・文化特有のものとして「合理化」「合理主義」をみなし、他の文明文化は非合理的なものとするベンディクス・大塚久雄を挙げ、これに加え、進化論的な変動法則を伴ったものとして捉えたのがパーソンズ富永健一の立場であるとする(矢野善郎「方法論的合理主義の可能性」橋本努等編『マックス・ヴェーバーの新世紀』2000、p283-285)。

 アメリカの近代化論については、大塚久雄も自身の近代化論とは異なる系統であるとして否定的であった。

 

「つまり、資本主義以前の社会的諸形態のどれか一つから、資本主義だけでなく、社会主義への移行をも含めるようなものだったのである。ところが、この点が、私の説明不足もあって、多くの誤解を惹き起こす一因となったことは周知のとおりである。が、さらに運わるくいま一つの混乱が追加された。それはその後、主として低開発国問題への関心からアメリカの社会科学者たちによって提起された、〝modernization〟論のばあいの〝modernization〟が「近代化」と邦訳されて、わが国でも私の用語法など以上に広く流通しはじめ、その結果、そうした「近代化」の用語法としばしば混同されてしまうようになったことであった。」(大塚久雄大塚久雄著作集 第八巻」1969、p616-617)

 

 この言及については、大塚のレビューで述べたように、大塚はアメリカ的な近代化の用法について「低開発国の近代化問題」としてのアメリカ的近代化論は単線的であるのに対して、自身の近代化論はそのような単線的なものではない(上記引用の表現だけを引っ張ってくれば「社会主義への移行」の可能性もある)ものと主張するものであった。

 また、もう一点アメリ社会学における近代化論で無視してはならないのは、1960年の「箱根会議」における日本とアメリカの社会学者の仲違いについてである。アメリカ側は近代の度合いについて測量することを志向することに「どれだけ近代化しているのか」について研究しようとする姿勢があった。これが大塚のいう「低開発国」をいかに開発するのかという議論に繋がっていく。しかし、日本の社会学者側はこのような議論(結局は単線的な近代化論)を批判した。

 これについて苅谷剛彦は次のように述べている。

 

「ホールが示した「修正一覧表」に照らすことで、どれだけ日本が近代化しているように見えても、あるいはそれを統計資料として計量的に示すことができても、量的な把握が困難な民主化や民主主義といった「価値」を規準とした近代の理解には及ばない。もはや常識的な知識ともいえる、近代日本の後進性や前近代性、歪みや欠如といった偏差の認識が、近代化論を手放しでは受け入れることのできない知識の基盤にあった。アメリカ流近代化論への最も基底的な反応=反発として、民主化や民主主義といった、敗戦後にアメリカの占領政策が最重点とした「価値」からの偏差の問題が、根底にあったのだ。政治性や価値の問題をあえて含めないことで、一見中立的・客観的な社会「科学的」な議論を目指した、箱根会議でのアメリカ流の近代化論は、日本側の政治性へのこだわりというフィルターを通じて受容・理解された。中立性、客観性を一つの政治性と見たのである。」(苅谷「追いついた近代 消えた近代」2019、p15)

 

「ここに示された両者の距離には、「民主化」として要約された価値に照らして、日本近代化の遅れや歪みを問題視し続けた日本側の近代理解の特徴が示されていた。このような距離を前提にすれば、近代化論は、たとえアメリカ側が普遍的で一般的な社会変動の理論として提示しようと、近代日本やそこに至る過程を理解する助けとはみなされなかった。」(同上、p14)

 

 言ってしまえば、一元的な測量が可能であったとみたアメリカ側に対し、日本では従来から「民主化」という指標が近代化論に与えている影響が大きかった。以前レビューした日高六郎の言葉を借りれば、日本では「産業化的近代化論」に加え、「民主化的近代化論」という層があったということを意味する。

 

「かくして第三局面の近代化理論においては、産業化・近代化の歴史的過程それ自体を創始したのは先進諸国であるにしても、近代化の概念はもはやテンニェスやヴェーバーのようにヨーロッパのみのものとして考えられることなく、すべての社会に適用可能な普遍的概念として立てられるようになった。しかしもちろん、現実に存在している多くの非西洋・発展途上諸社会において産業化・近代化が現実に起り得るか否かは、開かれた問題である。そこで近代化理論の課題は、それらの非西洋・発展途上諸社会に産業化・近代化が起り得るための条件を明らかにし、またそれが起った場合に生ずる社会変動の性質について示唆を与えることである、と考えられるようになった。」(富永1990,p76-77)

 

 さて、このような発想から先ほどの箱根会議での仲違いを見た場合、何故両者が仲違いしたのか一見するとよくわからなくなる。少なくとも富永のいうパーソンズを土台にすれば、日本に近代化の独自事情があるのはむしろ自然なことでありえ、その条件について分析することこそアメリ社会学的な近代化論であるということができるからである(※1)。

この相違の詳細についてどう考えるべきかについては今回回答を与えられないが、少なくとも矢野善郎の指摘が的外れになっていることがわかるだろう。富永はここで西洋のみ合理化するという発想が正しいと考えている訳ではない。むしろ富永はそのように指摘したのがヴェーバーであり、自分はパーソンズと共にそのような立場を支持しないことを明言している。この議論のズレは次のように言い換えることができる。矢野は「ヴェーバー読解」について分類を行っていたはずだが、「富永のヴェーバー読解」と「富永の主張」を混同しているため上記のような曲解を行うのに至ったと考えられるのである。

 

 「かくして問題は、西洋社会の諸事例からひき出された一般化が、どの程度まで非西洋社会にまで拡張適用可能であるか」(富永1990,p81)を議論する中で、「近代化の帰結はしだいに収斂に向かうとしても、近代化に向かう途上で直面する諸問題の性質は、西洋先進国と非西洋後発国とではちがうのではないか」という見解を示す(同上、p95)。かくして課題は「非西洋後発社会の近代化が成功し得るための条件を定式化するという問題設定に向けて、独自の道を進まねばならない」とする(同上、p105)。ここにおいてほとんど産業社会論などにおける「日本人論」に近接する。

 

 さて、ここで検討せねばならないのは、

(1)「近代化」そのものが単一的か

(2)「近代化」へ至る道は単一的か

の違いについてである。そして、仮に(1)で真であるとみなした場合には、

(1´)「近代化」の単一性は「欧米の近代化」そのものではない

についても考慮すべきである。以上を『近代化問題(1)(2)(1´)』とそれぞれ定義する。

 

 これについて私はこれまで「単線的近代化」「複線的近代化」という形で分類してきた。しかし、特に日本を対象にした形で語られる場合にこの区分を用いる場合、決まってそこで含意される「近代化」というのは、産業的・経済発展的な意味での「近代化」を指していた(つまり、「民主的近代化」という論点は脇に置かれる)。もう少しソフトな表現とするなら、「豊かな社会」になるための条件が、欧米と同一的である必要があるのかどうか、という側面からみた場合の議論をしているのであって、逆に言えば「豊かさ=時代の要請」を大前提にした視点が「近代化」であることをも意味する。ここでまず「果たして近代化が全てなのか?」という問いは脇に置きたい。そうした場合においてここで重要視される「近代化」とは一体何を意味している(より正確には、何を到達点としている)のだろうか?よく考えると、実はここに「到達点」を設定することと「近代化が複数あるかどうか」という問いはほとんど同じことを言っているのではないのか、という疑問が出てきてしまわないだろうか?「複数的近代化」論者は差し当たっては間違いなくこの「到達点」の設定を行うことを前提にその議論を行っている。しかし、逆にこの「到達点」を設定しないと考えた場合には、あまりこの「複数性」を検討すること自体が意味のないものになってしまわないだろうか?私自身は富永自身の見解と富永読解の曲解の理由は、どうもこの論点の存在に集約されているように思うのである。

 

 富永の主張は私自身もどちらかと言えば「単線的近代化論」の論述のように見えてしまう。実はこれは前回レビューした持田栄一にも同じことが言える。富永にせよ、持田にせよ、ひとまず議論の方向性は上述の『近代化問題(2)』のことを言っているように見えてしまう。「近代化」はどうしても達成せねばならない問題であるが、その課題というのは欧米と非欧米では異なる。だからその課題を抽出するために測量化したり歴史的な分析をしたりし、課題に基づいた問題解決を行う。そのように富永・持田の議論は読めるのである。

 ここで確実に明言できるのは、「欧米的近代化」について批判を行っていないがために、富永・持田の議論が『近代化問題(2)』に見える、ということである。すでにレビューしたように持田のこの問題に対する対処法は「欧米的近代化」を直接批判することなく「現代化」を対置させ、この達成を強調することで実質的には『近代化問題(1´)』を疑似的に問うことができたとも言える。

 一方で大塚久雄はどうだったか。大塚の場合はもう少し複雑である。少なくとも『近代化問題(2)』については明確に議論していたと言えるが、『近代化問題(1´)』についても肉薄していた。これは『近代化問題(2)』においてその達成方法が明確に異なったエートスによって達成可能であるとみなしていた限りにおいて、当然その帰結にも複数性を与えていたから、ということができるだろう。もっとも70年代の大塚はこの複数性の前提を崩したこともすでにレビューした通りである。

 このような観点から言えば富永はどうであったか。ここで掛け金の一つとなるのは近代化を「尺度」として見た場合の欧米の立ち位置である。これを尺度からみて不十分な要素があるとして見た場合は当然「非欧米」的な「近代」の可能性が残されているが、専ら低開発国向けの議論に終始している場合においてはこれを「欧米的近代」を志向していると言うしかないだろう。もっと言えばこのような態度を理念型的な欧米を「聖化」することにもなりかねない。ここで富永のヴェーバー観は一つポイントとなる。富永のヴェーバー評価は『近代化問題(2)』について、「ただ西洋においてテーゼ」を根拠に単線的な評価をしていたとみなしている(富永1990,p73)。したがって、非西欧諸国は西欧諸国のような「近代化」ができないと結論付けたとする(※2)。しかし、「非西欧諸国においても近代化の可能性は開けている」としてこれが正しくないことを富永は強調する。この文脈で日本の分析が強調される。

 ところが、この結果何を富永が語っているのかも重要である。長い日本の歴史的考察を行ったあと富永は「非西洋後発諸国では、そのような内発的な精神革命は準備されなかった」としその近代化は「西洋からの文化伝播によるほかなかった」と結論付け、日本は経済的近代化を達成したものの、政治的・社会的・文化的近代化は経験することのなかった「跛行的近代化」となったとする(富永1990,p413-414)。そしてやはり他の非西欧諸国も「経済的近代化が他のサブシステムに先行している」とするが(同上、p416)、それ以上のことを述べることはない。

 

 もう少し「経済的近代化」を詳述しよう。これは経済活動が自律性をもった効率性の高い組織によって担われるものである(同上、p30)。「産業化は近代化の技術ならびに経済的側面にかかわるが、技術的側面は、近代科学の応用として普遍性が高いために、しかるべき学習手順を踏めば誰にとっても習得可能であるし、また経済的側面も、資本調達や企業経営や金融財政などのように技術的ならびに制度的なメカニズムにかかわるものであって普遍性が高いので、客観的な態度で習得され得る」(同上、p59)。コンフリクトという点でも「経済的近代化」が最も小さいと考えられる(同上、p64)のである。つまり富永からヴェーバーを見た場合、ヴェーバーの近代化論はあまりにその「近代」観が粗削りであったのであり、そのため非西欧諸国の近代化を説明できなかった。本来「近代化」とは多層的(パーソンズー富永的には4つの層に分かれたもの)であり、それぞれの近代化についてその伝搬性には差異があり、「経済的近代化」というのは最も普遍性の高い型である。日本などの非西欧諸国が達成できたのはまさにこの「経済的近代化」であり、他の近代化の要素を達成は後発的になる、と。

 以上の点からも富永が「西欧諸国」を批判的なものとして尺度化した訳ではないことが明確になる。ここでいう尺度というのは、測量的なものではなく、要素的な分割しか行っていないものであるがゆえ、西欧の近代化はそれ自体がすでに達成されているという前提を疑うことが全くないのである。いや、むしろ見方によってはそのような見方をより強固なものにしようとしているようにさえ見える。

 ただ、ここで再度はっきりさせねばならないのは、やはり矢野の指摘というのが「富永の指摘」としてしか妥当でなく、「富永のヴェーバー読解」とは異なるということである。「富永のヴェーバー読解」は徹頭徹尾矢野が指摘した所のペンディクス・大塚の理解と同じということになる。

 また、富永的発想によると、やはり「近代化問題(2)」しか語っていないことがはっきりしてくるし、「近代化問題(1)」については、やはり単線的なものしか想定していないということになる。このような結論に至るのは単に欧米的近代を批判しているからという訳ではなく、実際の所は非西欧の「多数の道」が日本と同じような形に収斂した形で語られてしまっていることからもそう言えてしまうのである。このような見方をしてしまっては単線的なものを想定していると言われても反論のしようがない。

 

 以上のような検討を経た場合、箱根会議で批判されたような「アメリカ的近代化論」と「日本的近代化論」をどう考えることができるか。日本側の論理は「普遍性」そのものへの忌避でしかなく、アレルギー反応のような形でそれを拒否しているように見えなくもない。ここでいう「普遍性」というのは、すでに述べたように「近代化問題(1)」及び「近代化問題(2)」という位相の分け方が可能である。果たしてアメリカ側の主張がどちらに寄っていたのか(どちらの問題により関心があるのか)というのは評価しかねる所がある。また、富永的発想をそのままアメリカの主張という形で見た場合においても、これをそのまま「近代化問題(1)」に安易に収斂させるべきでもないように思う。少なくとも苅谷の認識だけに基づけば、日本側の論者は近代化における「数量化」そのものや、アメリカ的価値そのものの追随に対する批判というよりは、ほとんど富永の主張と同じような問題意識を持っていたようにさえ解釈できるからである。しかしこれは同時に「近代化問題(1)」を回避した議論になっていない可能性があり、大塚が指摘したようなアメリカ的〝modernization〟論の領域から日本の論者における議論も抜け出していない、ということも意味してしまっていることになる。この奇妙な矛盾について、どの前提設定が誤っているのか、あるいはどこに議論の掛け違いがあるのかについては今後のレビューでも検討していきたい所である。

 

 

 最後に富永は『ヴェーバーの動機問題』についてどう考えていたと言えるかをまとめたい。富永(1990)及び富永(1998)では「職業としての学問」に触れられておらず、このような問い自体に焦点化されていないというべきであるように思えるが、強いて分類するのであれば、私には中野敏男と同じように第二の立場にあたる『二重の専門性論』を前提にしていたように思えるのである。すでに確認したように、富永はヴェーバー自身は西欧しか近代化できないとし、非西欧は近代化ができないとみなしていた。

 他方で、しばしば取り上げられるプロ倫における「精神のない専門人」「心情のない享楽人」に対しては、その分析自体を批判的に取り扱っている(富永「マックス・ヴェーバータルコット・パーソンズ橋本努等編『マックス・ヴェーバーの新世紀』2000,p35)。富永はこの指摘について、ヴェーバーアメリカ訪問を行った20世紀初頭においても「実際には」禁欲的精神で仕事を行う者が数多くいたはずであるにも関わらずこの評価を行うことは「理由なきペニシズム」でしかなく、そもそも官僚制に高い意義を見出した支配社会学の観点からも矛盾するものとし、アメリカ的世俗化とされるものについても宗教性が失われる訳ではないというパーソンズヴェーバー批判と合わせて議論している(富永2000,p34-35)。この見解は『一見無意味に見えてしまう専門性への専心』か、『二重の専門性』かを議論する『ヴェーバーの動機問題』から言い換えてしまえば、富永自身がそもそもそのような二重性そのものの存在を認めようとせず、この問いに取り組もうとしていないことを意味する(基本的には第三の立場にあるというべきである)。だが、敢えて分類するとすれば、ヴェーバーアメリカの官僚制について「精神のない専門人」などと言うのであれば、それは自己矛盾であって、第二の立場である『二重の専門性論』に寄る可能性があることを批判していると考えていると見ていると言ってよい。少なくとも第一の立場でヴェーバーが議論していると考える余地はないのである。このような評価を行った場合には、基本的に第二の立場というのはこれまでヴェーバーの議論をそのまま支持する論者によって成り立っていることを前提とした点について、更に視点を広げることになるという意味もあろう。

 

※1 これはどちらかといえば大塚久雄についても同じように関心がもたれていたことではなかったかとも思う。しかし大塚久雄においても、箱根会議における日本側の社会学者についても、何故か「アメリ社会学」に独特の忌避をもち、それが一種の曲解に基づいていた可能性についてよく把握しておくべきだろう。

 

※2 ヴェーバーが日本の評価を行ったことについてはどう整理できるのか?これについて、富永1990では触れられていない。この点富永健一マックス・ヴェーバーとアジアの近代化」(1998)では日本を「比較的容易に資本主義を外からの完成品として受け取ることができた」としたヴェーバーの見解を参照している(富永1998,p33)。しかしこれは「制度としての資本主義」とされ「精神としての資本主義」とは区別される(同上、p34)。気になるのは、日本が「資本主義を外からの完成品として受け取る」ことが「近代化の受容」を行ったものとみなさないのは何故なのか、という点である。富永は明らかに自らの理論をヴェーバーから構築しているとするものの、ヴェーバー自身はアジアの近代化はやはり否定的であり(同上、p49)、「精神としての資本主義」をもてないと「近代化」がなされたとは言えないとみなしていた、という風に解釈していたとみるしかないだろう。パーソンズAGIL図式のような視点がヴェーバーになかった点も含めて、ヴェーバーの「近代化」に関する視点はそれほど明確でなかったという風に捉えているともいえる(cf.同上、p27)この不明確さがヴェーバーの問題点であり、その洗練化こそ富永の功績ということなのだろう。

 

<読書ノート>

P8-9「しかしその頃(※1960年代)、近代化論といわれるものが、日本で一部の人びとにイデオロギー的偏見をもたらしているらしい、ということが私には気がかりであった。私にはその偏見の正体はよくつかめなかったのであるが、察するに、近代化というのは資本主義化であって、つまりブルジョワ化を意味し、日本が近代化に成功したなどと強調することは「ブルジョワ的」でよくない、ということではなかったかと思う。すなわちそれは、資本主義化を主題とする「ブルジョワ的」な近代化理論から、その次に来るべき社会主義化を主題とする「プロレタリア的」な視点にすすむのでなければならない、と主張していたのであろうと思う。しかし、本書の考え方の枠組みからするならば、資本主義というのは近代(モダン)であり、社会主義というのはその近代のつぎにくるより高度の発展段階(ポストモダン)であるという固定観念は、誤っていたのである。」

※ここでの社会主義批判が「実態」をもとにしていることを肝に命ずるべきである。

P27「しかしながら、現代日本の現実を直視すれば、われわれにとっては近代化はすでに問題ではないとか、近代化をわれわれはすでに卒業したとか、そういうことはけっして言えないことが分かってくるはずである。とくに問題なのは、ポストモダン論が、「ポストモダン」の名のもとに、じつは「プリモダン」の価値の残存を肯定し、あるいは近代化は必ずしも伝統をこわすことなしに進行し得るとして伝統的要素の残存を擁護する傾向があることである。そのような傾向にたいしては、私は、そういう傾向が出てくること自体、近代化の課題がまだけっして終わっていないことを物語るものである、ということを強調したいと思う。」

 

P36-37「ハバーマスがそうしたように、西洋の近代化を合理化としてとらえるヴェーバーの視点を「普遍史的」立場に立っていると解するならば、彼の「ただ西洋においてのみテーゼ」は、合理化が西洋においてのみ起る「特殊西洋的」文化の産物として主張しているのではなく、やがて非西洋も近代化が進むとともにこれらの文化項目を共有するようになると彼は考えていた、ということになろう。しかし、ではそれはいかにしてそうなのか。そう問題を建てるとき、だれしもは思いつく答えは、非西洋諸国は単に西洋の真似をしてそれらのものを持つようになるのである、とすることであろう。近代化とは西洋化である、とのテーゼがここから引き出される。これを「西洋化テーゼ」と呼んでおくことにしよう。」

※注でハーバマスもヴェーバーは普遍主義的に解釈していた訳ではない、としている(p422)。

☆p38-39「では「西洋化テーゼ」のほうは、どうか。これもまた、現在の時点に立って考える時、それら非西洋諸国において現実になされてきたことを正しく説明するものとはいえない。なぜなら、ヴェーバーのあげたような個々の文化項目が西洋人にとって創始されたものであったことは事実であるが、それらを伝播をつうじて学びとった非西洋諸国は、それ以前にけっして文化的に真空であったわけではなかったからである。伝播をつうじての近代化というのは、けっして単にほんらい無であったところに西洋近代がはいってきたといった単純なものではなかった。すなわちそれは、けっして単に模倣すればすむといったものではなくて、西洋文化に接しながら自国の伝統文化について深く考え、西洋文化を拒否するのではなく、さりとて伝統文化を単に棄てるのでもなくて、両者をいわば掛け合わせて、自国の伝統文化をつくりかえていこうとする運動であった。これはそれ自体すでに一つの創造的な行為である。しかも後述するように、この掛け合わせの過程は、その途上で両者のあいだに多くの深刻なコンフリクトを発生させやすく、それらにコンフリクトを解決することなしには成功しがたい。

 約言すれば、非西洋諸国が近代化に成功するとは、彼等が自分たちの伝統的文化を西洋文化と比較し、そのすぐれている点を選択的に学びとり、その学びとったものを自分たちの伝統文化と掛け合わせてこれをつくりかえるとともに、両者のあいだに生じたコンフリクトを処理していくという、創造的な行為である。日本の近代化は、まさにそのようなものの一つであったし、現在アジアNICs諸社会において進行しつつある近代化もまた、そのようなものであると考えられよう。

 かくして本書においては、非西洋諸国の近代化は、西洋近代からの文化伝播に始まる、自国の伝統文化のつくりかえの過程として、とらえられる。」

 

P40近代化の諸領域を「経済的近代化・政治的近代化・社会的近代化・文化的近代化」と捉える

パーソンズAGIL図式の発想である。

☆p55「資本主義の経済システムの中核は、市場と組織とにもとめられる。社会主義(共産主義)は、市場システムを否定することによって資本主義を超える価値理念をつくりだそうとしたが、戦後世界の現実のなかで、ついに真に経済的近代化を実現することができず、資本主義との競争に敗退してしまった。これからの社会主義は、市場経済をとりいれたものとなっていくほかないであろうから、資本主義と社会主義との関係は連続的なものとなり、両者の区別はカテゴリカルなものではなくなっていくであろう。そこで、資本主義の精神のほかに社会主義の精神を対置する必要はもはやない、とここでは考えておきたい。すなわち、ここでいう資本主義の精神は、経済的近代化を追求するものであるかぎりでの社会主義の精神をも、包含するものである。」

※他方で、ここでいう社会主義的思考は資本主義との批判的対比のなかでつねに想像される可能性が与えられている点は留意すべきである。

 

P72-73「テンニェスとちがってマックス・ヴェーバーは、西ヨーロッパ以外の社会についてたえず注意を払い、東洋学者の研究業績をとりこんで『儒教道教』や『ヒンドゥー教と仏教』を書いた。これらの著作がその一部をなすヴェーバーの膨大な『宗教社会学論文集』は、「行為の実践的機動力」をあたえるものとしての宗教倫理が人間の社会的行為、とりわけその一形態としての経済的行為をどのように規定しているかという問題を主題としていた。そしてその経済的行為の最も合理化された形態が資本主義であり、また資本主義は合理化された法、合理化された支配の様式すなわち近代官僚制、合理化された知識すなわち科学・技術、合理化された芸術等々とともに、近代化された社会の構成諸要素をなしているということが彼の着眼であったことを考えれば、ヴェーバーの宗教社会学や経済社会学法社会学や支配の社会学などの全体が、やはり第二局面における「近代化理論」の中に位置づけられると考えることは自然であろう。そしてこのように考えた場合の「近代化理論」の中味は、ヴェーバーにおいてはテンニェスのそれよりもはるかに広汎なものになることはいうまでもない。また上述のように西洋社会との対比においてたえず東洋社会に目をむけていたヴェーバーは、彼が西洋社会の歴史的事実から引き出した社会のさまざまな側面での合理化の進行に関する諸命題を、西洋とは初期条件を異にする対象である東洋社会に適用するという試みを、くりかえし行なっていたのであった。けれども、そのような試みから得られたヴェーバーの結論というのは結局、前章において言及した一連の「ただ西洋においてのみ」命題に帰着するのであった。すなわち、ヴェーバーにとって、近代化テーゼは非西洋社会にまで一般化することのできない、西洋においてのみ固有のものだったのである。そしてじっさい、ヴェーバーが述べたように、西洋社会以外の社会で近代の科学技術や専門人や資本主義や官僚制的組織を自主的に生み出した国はなく、またそれらを自主的にではないが文化伝播をつうじて土着化させることに成功した日本は、ヴェーバーの時代にはまだ産業化のほんの初期段階にあったにすぎなかった。」

※この言明はどう捉えるべきか。この前段でポパーのテンニース理解を引き合いに出し、ここでの近代化は「理論」としての確からしさを確認する行為として位置づけている(p72)。とすればやはり普遍則としての近代化を議論したものとして位置づけていると言えるか。対してテンニースは近代ヨーロッパで起こった記述に留まっていたという批判がされる。しかし、ヴェーバーはこの普遍化が適用不可であることを示しているとする。

 

P75「戦後における日本の近代化のやり直しの過程のなかで、大塚久雄丸山真男川島武宜は、のちに近代化論と一般に総称されるようになった諸論考によって、広範な読者を得た。」

※大塚は「近代化の人間的基礎」、丸山は「超国家主義の論理と心理」、川島は日本社会の家族的構成」が紹介される。

P76-77アメリカ60年代の近代化論は「普遍的概念」として近代化論を考え、それがいかにあてはめられるかに関心が寄せられた

※ただ説明は雑である。ヴェーバーアメリカの近代化に関心がなかったことを前提に議論している節がある(p80)。近代化は西ヨーロッパ固有のものと捉えられていたとしている。そして後発の近代化論を含めて「西洋諸社会と非西洋諸社会とでは、近代化の途上において直面する問題の性質が異なるという点への、適切な配慮を欠いていた」とする(p104)。この中で非西洋後発諸社会の近代化成功の事実としての日本が注目され、その原因究明に関心を向ける(p105)。「日本の近代化の歴史過程を近代化理論のなかにくり入れるという試みは、日本人自身がやらなければならない課題」とさえ言う(p107)。合わせて、この動きは「日本的特殊性テーゼ」も批判している(p108)。

 

P167-168「民主主義は百パーセント西洋起源の概念である。この語は、東洋には、近代以降に西洋からの文化伝播によってそれが輸入されるまで、概念自体として存在していなかった。したがって当然、日本の伝統社会の中にもそのような概念はなく、しかもそれが西洋から輸入されてからも、第二次世界大戦終結以前には、その訳語さえもまだ一定していなかったほど、この概念の伝播は遅かった。」

☆p169「資本主義と同じく、民主主義が近代に固有のものであるということは、上記のようにここでの中心論点である。」

P172「日本における歴史の事実の経過を見ると、政治的行為の領域における近代的価値は、経済的行為の領域における近代的価値に比して伝播可能性が低く、またそれを受け入れようとする動機づけも強くなかった、という事実に気づく。それゆえ、非西洋後発社会においては、経済的行為の領域における近代的価値すなわち産業主義にくらべて、政治的行為の領域における近代的価値すなわち民主主義は受容されにくい、という仮説命題が立てられ得るように思われる。」

※理由として「上からの民主化」はそもそも原則としてありえないこと、政治行為の領域は経済的行為の領域と比べ狭義の文化にかかわり伝統に拘束され抵抗を生みやすい、成果指標が難しいことを挙げる(p173)

 

P205-206「すなわち、福沢は象山の「東洋の道徳」とはまさに反対に、「西洋の道徳」に着目したのである。福沢の見るところによれば、日本人は象山のように西洋人が物質面の豊かさを実現した側面、すなわち洋服や鉄橋や器械等々にばかり目を奪われ、西洋文明の重要な特性は智徳の水準を高めたことにこそある、という側面に気づかない。前者は文明の外形にすぎず、重要なのは後者すなわち文明の精神である。文明の進歩とは、この精神、すなわち福沢の言葉を用いれば「智徳」の水準を高めることであり、西洋の文明はまさにそれを実現したのである。」

※この西洋理解は象山よりはるかに深いとし評価する(p206)。

P225-226「伝統主義の価値体系が敗戦とともに崩壊したので、経済的領域のみならず、政治的領域でも、社会的―文化的領域でも、西洋的価値のストレートな伝播を妨げるものは何もなくなった。そこで、明治初期の「欧化熱」に匹敵するような「アメリカニゼーション熱」が広まった。これには行き過ぎもあったとはいえ、戦争に敗れた日本の文化に比して、戦争に勝った西洋先進諸国、とりわけアメリカの文化の優越性は明らかであったから、これは当面必要なことであると国民の大部分は感じていた。……それどころか、アメリカの経済力と並んで、アメリカの民主主義とアメリカ的な自由・平等と合理主義こそが、正当化の中心を形成した。すべての領域において、日本の伝統的価値はすでに正当性を奪われていたから、アメリカ的価値の受容がそれらとコンフリクトを生ずる可能性はもはやなかった。こうして、西洋先進諸国からの価値体系の伝播に関して、その伝播可能性、それを受容しようとする動機づけ、およびその受容にともなう国内的コンフリクトの克服可能性は、いずれも高まった。」

※実際のところ、「西洋的価値のストレートな伝播」とは何だったのか?また、富永も単線的近代化論を支持していないように思えるが、どういう立場なのか?そもそも、「日本の伝統的価値はすでに正当性を奪われていた」という見方は正しくない。むしろそのような価値も包摂的なアメリカ的価値が支持されたのではないのか?

 

P233「もう一つの重要な変化は、日本人の価値体系の中における経済の位置づけという観点から見るとき、高度経済成長を契機として、経済的価値が政治的価値や社会的―文化的価値よりも上位に躍り出たと思われることである。すなわち戦後の日本人は、経済的欲望がとほうもなく肥大しただけでなく、企業および企業家の社会的地位が上がって、人材が経済的領域に集中するようになった。……一九七〇年代には、日本人のことを「エコノミック・アニマル」と呼ぶことが世界的に流行した。」

※これは海外での流行だったのか?

P233-234「このような経済的利益第一主義――この場合の経済的利益は生産者の利益であって消費者の利益でないということが重要であるーーの価値は、かつての日本人の伝統的価値と、整合的に接合し得るとは思われない。日本人の価値基準は、変化したのである。」

※これは「日本人論=大衆論」を大前提としている点で問題であるように思える。

 

☆p253-254「これらのうち、家の解体や自然村の解体はモダンであるが、「新中間大衆時代」の到来はすでにモダンをとおりこしてポストモダンであるといってもよい。しかし、それらの新中間大衆の内部には、なお「日本的経営」――しだいに解体しつつあるあるとはいえーーにおける集団主義や、その他流通機構の非近代性や、旧中間層の分解を阻止しようとする「大規模小売店舗法」規制など、多くのプリモダンの要素の残存がある。だからわれわれは、日本の戦後社会の社会構造のなかにもまた、経済的領域および政治的領域におけると同様に、プリモダンとモダンとポストモダンの三重構造が存在している、といい得るであろう。」

※ここでいうポストモダンは、あくまでも家制度崩壊「のあと」を指し、モダンはその過程として捉えられている。しかし、この理解は正しくない。ポストモダンについて富永の理解を列挙すれば、「支持政党なし」層の増加(p245)、日本経済(p236)、近年の流行(p338)という指摘にとどまる。もっと言えば、三重構造という理解についても正しくない。この指摘はただ「理念型は実態ではない」という事実の言い換え以上の価値が与えられているように見えない。これに価値が与えられる条件とは、ヴェーバー的議論を「実態」として捉えていること、「近代=西洋の実態」であることを確信している場合か、「近代=普遍的規範」であるとされる場合である。

 

P265「日本の家ゲマインシャフトを何か非常に特殊なもののように考え、そして日本社会は未来永劫にわたって「家社会」でありつづけるかのように考えることは、誤りである。西洋との比較において、日本社会に「家」的要素の残存があるのは事実であるが、それは先に社会的近代化が進んだ西洋と、遅れて近代化に出発しただけでなく、社会的近代化が他の諸領域よりもとりわけ遅れている日本とを、ただ平面的に並べて見た結果であるにすぎず、歴史的な立体性をもった見方であるとはいえない。」

※ここでいう立体化の先にあるのは普遍的文明観であることは間違いない。しかし、すべての変化を収斂するものと考えるのもまた明らかにおかしいだろう。

持田栄一の捉える「近代」と「現代」について

 今回は、「進歩的文化人」の議論で「現代」の用法に言及した持田栄一を取り上げる(※1)。持田の議論は今から見れば独特の用法で「近代」について取り上げたと言える。これまで私が大塚久雄をはじめとして考察してきた近代化論(の言説分析)においては、「近代」がどのような性質を持っているのか(単線的/複線的かといった見方やそれが生産に寄与するものなのか)という分析を行ってきた。そしてそこで語られる「近代」とは、「近代的であるべき」という規範性を含みつつも、その近代の意味合いについては単線的なものではないとみてきた。

 では、何故単線的な近代観でなかったのか?この原因として考えられるものの一つとして、戦中期の大塚の言説と戦後の言説の連続性に見られるような「欧米的近代」を忌避しようとする志向、より正確には「現在の欧米ではなく、過去の欧米」のエートスに学ぼうとする姿勢が日本における「近代的主体」に求められていたということを私は指摘した。これは当然の如く「現在の欧米」と同一化する結果を招かないようにすることを前提とし議論されていたものであった。規範的なものとして「近代」を見る大塚の議論において、いわば複線的近代観の中に「正しい」近代を期待ともいえる。

 一方、持田が志向すべきとするのは「現代」である。彼の言う「近代」とは教育を「私事」として捉える考え方だとする(持田1973,p25)。「「近代」における「制度としての教育」が教育についての指摘分業と責任体制を「国家」権力によって「理念」的に「上から」共同化し社会化したもの」(持田編1973,p58-59)、端的に「近代公教育は、「国家権力」を媒体として教育を市民個人の「私事」として保障する体制」(持田編1973,p64)とする。そして、このような「近代」の志向だけでは足りないことを主張する。この批判はまず親の私事化がエゴイズムを助長し、教育ママが出現する一方親としての責任放棄を生むという主張に向かう(持田1973,p11-13)。これは当時においてはありきたりな主張であったが、これに加え持田は「近代」志向では足りないとする理由として主に①部分性②形式性③矛盾の存在の否定を挙げている。

 

①部分性

「この意味で、教育を社会的に規制し計画化していくことは、自由主義教育理論がいうように、けっして非人間的・非教育的なことではなく、むしろ人間の存在と教育の本質そのものに根ざす本来的なものというべきである。にもかかわらず、近代教育の現実においては、近代公教育と呼ばれる一九世紀後半以降の教育体制をふくめてそこには教育の「私事性」と「私的自治」の原則が前提とされるから、教育はかぎられた形でしか計画化され社会化されず、その基本的部分は自然成長するままに、放置され無政府状態におかれている。しかも、その計画化され社会化されている部分も「国家」を主体としているから、それはことば本来の意味で教育を「計画化」し、「社会化」するものとはいいがたい。」(持田1972,p208)

②形式性

「市民革命と、その所産として構築された市民社会が、もともと絶対君主に抗して闘った市民や農民、勤労者階級の力に支えられてきずきあげられたものにもかかわらず、それが具体化される段階においてはもっぱら市民階級を主体として現実化されたということから、市民社会においては「形式」と「実質」に矛盾がみられるのである。そして、このような矛盾は「近代的」意味における「教育権」の自覚、それを前提とした「近代公教育」にもみられるのである。そして、このような矛盾は「近代的」意味における「教育権」の自覚、それを前提とした「近代公教育」にもみられるのである。すなわち、「近代教育」においては、「形式」としては教育を国民の権利としてとらえ、すべての国民に彼らの生活の必要に即した教育を与えることを機会均等に保障することが課題とされながらも、資本主義公教育としてのその現実においては、それは一部市民層の教育機会を保障するにとどまっているという矛盾をふくんでいる。」(持田1965,p65)

③矛盾の存在の否定

「以上の所説(※アメリカ由来の近代化を指標とみる立場)は以上のことからもすでにうかがわれるように、近代教育を矛盾なき一枚岩のものとして肯定する立場に立っている。だから、その延長線上に現代の教育を展望している。そこにおいては教育の近代化の進行が不徹底であることが、前近代的な教育体制をとりのこしていると考えられているのである。……

 上記所説がいうように、工業化の進行、科学とテクノロジーの発展が国民の生活をたかめ、国民の教育機会を拡大したことは事実であるにしても、科学とテクノロジーの国民生活や教育機会の規定性は、資本主義社会においては資本主義的生産関係を通して具体化されるのであり、上記の図式は、現実には資本が要求する経済合理性と利潤追求の枠に合致したかぎりで具体化されるものに外ならない。この意味において、現在、マルクス主義教育学の一部でみられる「教育の近代化」は「教育の資本主義化」であり、それは「教育の反動化」だとする見解は、近代教育の現実においてみられる以上の点を指摘したものとして正当な一面をもっているといえるのである。そして、近代教育において以上のような一面がみられることそのことが、現在なお前近代的な教育体制がとりのこされる基本原因と考えられるのである。」(持田1965,p194)

 

 このうち、③に関してはかなり微妙な論点も含むように思う。というのも③については持田も認めるように「マルクス主義教育学の一部」はこの矛盾について適切に指摘しているからである。この点について結局持田は「「現代」資本主義社会における現実の分析を欠いてすすめられる場合、それは非現実的な抽象的なものとなる」ものとして批判を行うように(持田1965,p126-127)、実態を適切に捉えないまま理念だけで(「近代」の目線で)物事を語ることに安住することに対して批判を行っているとみてよいだろう。次のような主張にも「美化」して近代的価値観が語られることに対する疑義が示される。

 

「このような近代市民社会ーー資本主義経済社会の現実においては、本来社会共同の仕事であるべきはずの教育が市民各人の「私事」とされ、人間の教育がマンパウワー=労働力商品の形成として現存する。かくて、教育は、生活的実践のなかでの自主的集団的自己形成を助長し子どもの能力を未来に向って全面的に開花させる営みというよりは、マンパウワー=労働力商品たるに必要な一面の能力を形成するために一定量の知識と技術と道徳を効率的に伝授し習得させることとして立ちあらわれることとなる。

 このような現実においては、「親」たるの存在も矛盾したものとならざるを得ない。「親の教育権」といわれるものも、近代市民社会におけるそれは世の中で考えられるほどバラ色のものではないのである。」(持田1973,p28-29)

 

 また合わせて持田は日本の「近代」性に対する立ち位置について注目し、アメリカ・イギリス的な「下から」の民主化過程により制度が成立しているのとは異なり、ドイツと同様「上から」の民主化過程がなされたことによる遺構が残ったものとしてこれを捉える(※2)。これについては持田の前提である「リアールに物事を捉える」ことからすると当然両者の文化的背景の違いはそのまま対処すべき方策についても異なるものであるという主張がなされる。

 

○持田の戦略的な「現代」の用法について

 さて、それでは持田は「現代」をどのように捉えているのか。特徴的といえるのは、通常の近代化論者が「近代」を「分析的なもの」として捉えていたのに対し、これを積極的に「規範的なもの」として捉えているかのように語る点である。まず次のような典型的な「現代」理解の記述を読み解きたい。

 

「現在におけるわれわれの課題は、以上のような「現代」からの呼びかけにこたえて近代公教育の基本体制を他再編し変革することにあるが、周知のようにそこには二つの道すじがある。

 第一は、近代公教育体制を前提とし、その枠のなかで「改良」と「修正」をこころみる「再編」の道であり、第二は近代公教育の体制そのものの止揚と否定を志向する「変革」の道である。いわゆる「社会国家(福祉国家)」の教育構想は前者の立場に立ち、教育の社会主義化への道は後者をいう。

 いうまでもなく、マルクスが提起した課題は後者の立場に立つものであるが、それは「現代」においては社会主義国家が成立発展し、資本主義国家内部においても労働者運動が抬頭し階級闘争が激化するなかで、単なる理念としてではなく世界の各地に現実的に具体化され、その力はいよいよ発展してくる。しかし、現在、先進資本主義国家と呼ばれる国々においては、日本をふくめて学制改革は前者すなわち社会国家(福祉国家)の教育構想を基礎としてすすめられている。

 それは「現代」の教育課題を非社会主義化の方向において解決しようとするもので、この意味で、マルクスが提起した課題は先進資本主義国家においては現在なお解決されないままにのこされているというべきである。

 いわゆる社会国家(福祉国家)教育構想はさきにものべたような近代公教育——教育の社会化を国家を主体としてすすめる体制の枠のなかで教育の社会化を最高度にすすめようとするもので、そこにおいては近代公教育の本質は基本的に変わっていない。」(持田1972,p142)

 

 この引用では「現代」が3箇所出てくる。中段の議論は一応「分析的」であると捉えているとしても、最初と最後の「現代」の用法は「変革」や「解決」といった言葉と結びつき「現代」はそもそも変動的な時代であることが強調されている。この「現代」の変動性は持田の「分析的」な「現代」言説の主たるものと言えるだろう。

 

「「現代」という時代をどのようにとらえ、そこにおける教育をどのように特徴づけるか、周知のようにこの問題はきわめて論争的な問題である。しかし、もしかりに社会主義国家が単なる空想や理念としてではなく、現実にこの世界の一角に成立し、また、いわゆる社会国家の構想が実定憲法のなかに明文化されるようになった第一次世界戦争後の世界を称して「現代」と呼ぶことが許されるならば、「現代」はまさしく変動と移行の時期であり、近代社会に伝統のさまざまの体制が再編と変革を余儀なくされている。社会主義国家の成立、とくに第二次世界大戦後におけるその前進と飛躍、植民地従属国における民族独立運動、それにともなう国際政治場裡における東西の対立と両者の力の関係の変化、これらはすべて「現代」を特徴づける示標である。そして、このような「現代」的情況がすすむなかで、資本主義体制のなかでも、労働者階級の力がつよまり、これに対応して国民福祉の保障が政策の課題としてクローズ・アップされるようになっている。」(持田1972,p136)

 他方、次のような主張がなされる時、「現代」が極めて規範的なものとして語れている。

 

「ところで、「現代」において教育の本質のあり方を保障していくためには近代公教育体制を変革していくことが基本課題となる。……近代公教育の変革という「現代」における課題は、以上のようにみてくるならば、教育=自己教育を勤労人民の立場に立って「共同化」することを基礎として、幻想教育共同体としての近代公教育の限界と矛盾を明らかに、これ変革し超克していくこと、いい方をかえれば、近代公教育の基幹である教育の「私事性」原則と「私」的分業(責任)の体制を止揚し、教育を真に「社会共同の事業」として確立していくことによって果される。」(持田編1973,p64)

「以上のようにみてくるからば、さきにあげた所論においてみられるように、近代教育を矛盾なきものとして想定し、近代教育の延長線上に現代の教育を展望する考え方は、ことがらの全体を正しく指摘したものとはいえない。また、以上のようにみてくるならば、現在における教育の「近代化」は近代をのりこえること、すなわち近代教育の矛盾を解消する実践と運動とのかかわりにおいて想起されなければならないといえる。もしかりに近代教育の矛盾を解消することを称して教育の「現代化」と呼ぶならば、現在における教育の「近代化」は、「現代化」とのかかわりにおいて提起されなければならないといえる。」(持田1965,p195)

 

 持田の「現代」を変動的なものに捉える見方自体は70年代後半以降における「改善要求を行う日本人論」にも頻出した視点であった。しかし、持田においてはこれを「組織化」という言葉で語ることでその共同的性質を強調し、その方向性を「共同」の方向に持っていくべきものであることを強調する。その際に「私事」を「近代」と同一のものとして語ることでこれを批判の源泉とするのである。このような共同化の追求が持田理論の大きな特徴であるといってよいだろう。

 

○「現代」の戦略性と持田の議論における「矛盾」について

 このような「現代」性の強調は「公教育」を考えるにあたっては非常に重要な観点であるように思う。持田が変革の対象とすべきものとするのは「制度としての教育」である。

 

「ところで、このように、教育=自己教育を社会的にとらえようとする場合、教育変革の主軸は「制度としての教育」を変革していくことにもとめられる。

 教育=自己教育は社会共同の事業として「制度」として存在し、しかも、その「制度としての教育」が教育の本質的あり方を疎外しているからである。この意味において、教育制度の理論こそが教育理論の主軸として追求されなければならないのである。そして、「近代」における「制度としての教育」の現存を解明していくためには、以上のべて来たこととかかわって、「教育権」について言及し、また、「教育の条件整備」といわれることがらについて検討を加え、それを教育理論のなかに位置づけておくことが必要となる。」(持田編1973,p36)

 

 このように実際の「制度」に着目するというのは、当然どのように変革を行うのか、という点においても「具体的」なものであるはずであった。これは、持田が批判する「国民の教育権論」者のスタンスこそ「現実から切断されて、観念論的に認識された」ものであったこと(持田編1973,p39-40)や「教育行政論への具体的プログラムの提示を欠くか、あるいは教育行政論を制限することを主題として提示される」ものであったこと(持田1965,p141)からすれば当然であるように思える。

 

「もう少し具体的にいうならば、それは「教育の自由」と「平等」を「国民の教育権論」が語るように理念的に謳うのではなく、所与の教育関係を変革していくこととして具体的に宣言するものでなければならない。」(持田編1973,p42)

 

 ところが、持田は別の著書では次のように主張し、「行政の法制化」を否定する。

 

「以上のようにみてくるならば、現在におけるわれわれの課題は相互に関連するつぎの二つの点にもとめられよう。第一は、現行教育基本法体制とくにそこにおける「改良」的部分の限界を勤労大衆の教育要求と教育科学の法則に即して明らかにし、教育を「上から」の計画化のプログラム――総資本の教育要求にもとづく教育の社会化構想に代置される「下から」の批判教育計画——労働者階級のヘゲモニーによる教育の社会化の構想を具体的に明らかにする点、そして、第二は、総資本の教育要求を基礎として編成され、再構成されている近代公教育——教育基本法体制を変革していくための「主体」を形成していく課題、すなわち基本的にいうならば教育を「国家」を主体として、したがって、法制化された制度をとおして社会化していくのでなく、人間自らの社会的力を主体としていくための「主体」(自己権力)を形成していくことである。」(持田1972,p246-247)

 

 素朴に考えるのであれば、「法制化」というのは「制度化」のより具体的な側面であるとみなすことができる訳だが、そうであるならば、持田自身は「制度化」をここで否定していることになる。「制度」を見つめる必要はあるが、その改善はあたかも「国民の教育権論」者と同様に観念論的なものに陥ってしまう可能性を内包しているということができるように思える。

 このことに関連して指摘しておくべき点が2点ある。一つは持田の理論はあくまでもマルクス主義的立場にあるということである。持田がマルクス主義的立場にあったことは通説であるが(例えば、桜井智恵子「市民社会の家庭教育」2005,p181、佐藤晋平「教育行政学をめぐる環境変動と理論転換」2008)、先述の引用のとおり(持田1972,p142)、持田は「社会国家(福祉国家)」における「再編」ではなく、「近代公教育の体制そのものの止揚と否定を志向する「変革」の道」を目指す。これは「いわゆる社会国家の構想は、このような課題をマルクスとは異なった立場と方法、すなわち、非社会主義化——「総資本」の要請を基礎に「国家」を主体として解決しようとするものである。」という指摘のとおり(持田1972,p144)、徹頭徹尾「社会主義国家」の形成のための批判である。このような批判の形態において、持田が批判した「一部のマルクス主義者」においてみられた「非現実的で抽象的な」状況(持田1965,126-127)と何が異なるのか理解に苦しむことになる。「再編」は批判(正しくは否定)の対象だが、持田のとる実際の行動が「再編」なのか「変革」なのか一見するとよくわからないのである。整合性をとるなら、やはり「再編」を否定しており、この「再編」を避けた時点で「非現実的で抽象的」な世界にすでに入ってしまっているようにしか私には思えない。そしてこの解釈においては、持田の「近代」批判も有効性を失っているように思える。持田自身「資本主義が排除」されなければ「変革」はありえないと明言しているが(持田編1969,p69)持田がマルクス主義者としての態度をとっている以上この矛盾が解消されることはないのである。

 もう一つは持田が「専門性」に対して全面的に否定的な立場にあること、つまり「専門性」の改良を志向する立場にはあるとはとても言えない点である。ここで「専門性」の対義語として用いられるのはおなじみの「人間性」である。まずもって「専門職」としての教師は近代におけるものとし(持田1972,p272、持田1976,p270)、「専門職」に留まる以上「資本主義社会の価値法則から完全に自由であることや独立することは不可能」なことであり(持田1976,p210)、「真に人間的な教師」となるために専門職たることから脱皮すべきであるとする(持田1976,p213)。また、このように「人間的」となることで親の話に耳をかたむけることに重要な意味を見出すようになり(持田1973,p121)、「子ども・親とともに学び育つ」ことができ(持田1976,p213)、「子どもの生活に即してつねに改善発展させられ」ることのできる「生活者」たることができるとする(持田1976,p268)。

 

 ところが、持田はこの「専門性」について必ずしも否定的でない主張を行っているのも事実である。

 

「教員養成大学で教わった知識や技術ですべてが解決されるわけではなく、日常の生きた教育実践のなかでこそほんものの知識が習得され、技術がみがかれる。また幅ひろい総合的視野もひらかれる。……

 このようにして、「専門職」教師が「専門馬鹿」にならないで、真に「人間」的なものとして成長すればするほど、親の話に耳をかたむけることに重要な意味を見出すようになり、PとTの話し合いに積極的に参加することになろう。」(持田1973,p121)

 

 別の著書でも、「現代」的に機構を構成するためには、「「教職」の一人一人の教育力を組織し、その「学校」の基本機能「教授=学習過程」が、ことば本来の意味において、より効率的に展開されるような形に「校務運営」を「専門化」することが必要である」としていたり(持田1972,p444)、端的に「教師が「専門職」たることもつねに問いかえされなければならない」(持田1976,p268)とされる時、必ずしも「専門性」が否定されていないことがわかる。次のような主張までいくと、もはや専門性は実質的には肯定され、その残存が期待されている。

 

「しかし、といって、いまさら与える教育のいっさいを否定し、学校を解体してしまうことはできない。それはなぜかというと、もともと学校の教育が家庭や社会の教育から分化し成立したのは、与える教育を中心とした専門的施設を設けなければ、これを次の世代に伝達できないほどに文化遺産が高度化したためであった。とくに近代における学校は、科学技術の進歩と発展とにかかわって成長し発展したものである。だから、現在、学校を解体してしまうことは、過去の文化遺産とくに科学技術と断絶することを意味し、社会進歩を願うものにとって容易に肯定しがたいところである。

 それではこの問題をわれわれはどのように考えるべきであるのか。結論は明白である。現在、われわれの周囲において現存している学校、そこにおける与える教育を、学校内外における子どもの生活的諸実践、そこにおける自主的集団的自己形成作用と再結合させ、学校教育のなかに人間と生活を復元させることが現在におけるわれわれの課題として真面目に追求さるべきである。」(持田編1972,p71)

 

 これに関連して、持田は「権力」の行使についても決して否定的ではない。確かに1960年頃の持田は「非権力」という言葉を用いており(持田1980a、p10-11)、一見権力に対して否定であるかのように見えるもののその趣旨は「物理的強制強要するのではなく」「教育に内包される教育法則——にもとづいてなされること」(持田1980a,p10-11)、「教育行政を矮小化しその意味を否定するのでなく、否定するのはその権力的性格」であった(持田1980b,p127-128)。このような趣旨での権力行使については、持田理論の中で一貫している。結局、このような「擁護」を持田が行うことの趣旨は、近代の公教育制度形成過程における法律・制度についてそれが「教育権」に対し果たした一定の役割を認め、評価すること、このことをなくしてその「変革」を行うことに重きを置いていたからである。

 

「親と教師が共同して子どもの教育にあたるといっても、国家その他の公権力が存在するかぎり、それは国家や地方自治体を介して行なわれるものであるから、親や教師は共同して子どもの教育にあたるためにも国家や地方自治体の行政に介入参与して、それが親や教師の直接的コントロールのもとにすすめられるように努力すべきである。」(持田1973,p123)

「教育の内的事項をふくめて、教育への国家権力の介入のいっさいが近代公教育において否定さるべきでなく、当然のことながら教育への法律介入は許容さるべきである。」(持田1965,p208)

「一方、近代公教育の成立をまって教育が人民自身の手によって運営されるようになったことは、画期的なことであり、このような体制は教育基本法体制にもうけつがれており、この点が同体制の近代的特質となっている。しかし、そこにおいてみられる人民による教育支配の現実は、さきにものべたように、ブルジョアジーによる教育独裁のそれであり、ここに、近代公教育の限界がみられる。しかし、そのようなものであっても、教育の国家支配が確立したことは、同時に、労使の力の関係の変転がみられるならば、勤労大衆が教育を一元的に統括する可能性がつくり出されたことでもある。」(持田1979,p364)

 

○持田に「転換」はあったのか?—-通説に対する疑問について

 上記の議論に関連して、持田の議論が学生闘争以後変化したのではないのか、という主張が通説として持田栄一論者からなされる。例えば、持田栄一著作集のあとがきにおいて清原正義は次のように指摘する。

 

「ここではかつてのように「上から」の政策による改良的措置が「教育をうける権利」を保障する側面、共通利害保障的側面を拡充することが強調されるのではなく、むしろ「近代公教育の、そこにおける国民福祉をはかるための『改良』的措置は計画的組織的に拡大され、それが労働者階級を体制化しているのである」というように公教育制度にかかわる改良的措置自体が新たな階級的支配の様式だと指摘している。この叙述を先の『教育管理の基本問題』のそれと比較すれば、持田理論の転換を読み取ることが可能である。

 七〇年代持田理論の基調となった上記の公教育制度観は、状況的には大学闘争の影響を産み出したものであるが、理論的にはかつての構造改革論的発想に対する「自己批判」を経ることによって先生が到達されたところであった。」(持田1980a,p231)

 

 また、吉田直哉は佐藤(2008)も同様の指摘を行っていること踏まえ、次のように指摘する。

 

「前者については、持田が1968年以降激化した「東大紛争」を主導したグループと真剣な対話を繰り広げることによって、近代教育が存在論的に孕み持つ権力性に対して、彼が極めて否定的になったということが言える(佐藤[2008])。彼は、1960年代の自身の論考を、「構造改革派」の系列に属するものであったと位置づけ、それが、不十分な近代批判しか呈示しえなかったという点を、「自己批判」している。」(吉田直哉「持田栄一の「幼保一元化」批判論における公共性認識」2011,p58)

 

 しかし、遺稿となった著書を読んでみた場合に、次のような主張が近代教育を極めて否定的に考えていたものと読めるのだろうか。むしろ、このような主張は近代性の擁護を行っているようにしか見えない。

 

「われわれは、「現代」的情況のなかで、教育の「近代化」と「近代公教育」の矛盾と限界を批判し、止揚する課題としなければならなくなっているが、このことは、教育の「近代化」と「近代公教育」が、人類の教育の歴史においてもっている意味を過小に評価したり、否定したりすることであってはならない。しかし、一方において、近代教育原則を自然法的立場から絶対化し、超歴史的なものとして、価値化することも戒めなければならない。」(持田1979,p147)

 また、逆に、1965年の時点において次のような主張になされている状況は近代公教育に対して極めて否定的(正確には、現状の全面的否定)であるように読めないだろうか。

「ここに、「現代公教育」の特徴がある。また、「人材開発」論という形で提起されているさまざまの計画の実益があるが、しかし、右のような動向はそれ自体のパラドクシカルなものというほかない。そこでは資本の利潤追求をより効率化するために、資本主義が生み出した「近代公教育」を再編・変革するという矛盾した論理で支えられている。「人材開発」をめぐって展開されている「現代」における「公教育」動向については、以上のべたように一方において、「近代公教育」の再編と変革が課題とされながらも、そこにはそれが「資本主義公教育」であるかぎり、そのような課題の実践を拒むような一面が依然堅持されているのである。」(持田1965,P121-122)

 

 私は上記のような持田の思想転換、ないし精緻化のような状況があったという主張は、相対的な議論としては(つまり、「有効」と言える範囲で何らかの「向上」があったとは)認めがたいと考える。持田自身の主張は、私の過去のレビューで同じく70年前後に転換を行ったと分析した遠山啓や大塚久雄などと比べたらはるかに一貫したものであって、そこに区別をつけることはできないものと主張したい。これは、持田自身がしばしば自己批判的に過去の自己の主張を内省したと主張していることに反しているのは百も承知である。しかし、止揚というのはそもそも埋まらないものであってこれを仮にこれを精緻化したものと捉えた所で矛盾し続けていることには変わりないし、持田の場合は一定の評価を与えられるほどの精緻化もされていたと言い難い。むしろ持田の主張はつねに分裂した形でなされていたものであったと言うべきである。一方で、マルクス主義の立場を強調することで、共同化を志向し、そのために私事化を組織化・共同化することで止揚せんとした持田がいる。他方で、現実を過度に評価することで、一見実態に即した改善を促しているように見える持田がいる。しかし、後者の持田において問い返さなければならないのはむしろ持田が議論を続けていた20年少々の間における「現代」の時代の流れにおいて、何が評価されるべき事項で何が批判されるべき事項なのか、(少なくともタテマエ上は)分別が不可能である点である。つまり、持田は批判する際においては物事を全て否定するし、これを肯定する場合には何を肯定しているかわからないが故に実質的に全て肯定しているかのうように評することもできてしまうように思えてならないのである。持田はこれを「近代」と「現代」という言葉で片付けようとする中で無理やり「部分肯定」「部分否定」を含めようとするが、これを判別することはできない(※5)。

 

 これにあまり関連する訳ではないが、井深雄二が持田栄一の批判する際において、やはり「転換」を行った論者として紹介している(※3)。

 

「黒崎勲も指摘しているように、持田理論は、大学紛争を画期として一つの転換が行なわれ、一九六〇年代における持田の「現代教育の論理」の理解と一九七〇年代のそれとは様相を異にしている。すなわち、一九六〇年代においては、近代公教育が教育の私事性を内包しているという点で、私教育との連続性を持つものとしてその限界が指摘される一方、現代公教育には「正しく国民の共同利益・共同事業として組織し運営」されることを期待されている。そして、教育基本法第一〇条も、子どもの教育を受ける権利を保障するという見地から、価値中立的・技術的な単なる「条件整備としての教育行政」ではなく、「教授=学習過程」の「中核にくい入って」くる「福祉行政としての教育行政」の規定として理解すべきことが主張される。これに対して、一九七〇年代においては、現代公教育は近代公教育の「再編」にすぎないものとして教育の私事性は止揚され得ないとされ、したがって教育基本法体制は「変革」の対象とされる。いずれにしろ、持田にあっては、教育の私事性は教育の共同性(公共性)と相容れない。」(井深雄二「戦後日本の教育学」2016,p226)

「ところで、「五五年体制」下における教育の私事化は一方で国家的公共性の下で起きており、他方で私事の組織化を通して市民的公共性に至る経路が遮断されたところで起きている。換言すれば、教育の私事化は公共性の解体として起きている。しかし、教育の私事性を教育の共同性一般の敵対的対立物として措定する持田理論においては、この点を分析的に追求することができない。それ故、教育基本法体制は、教育の私事化を克服する持田の展望においては変革の対象とされたのである。」(同上、p225)

 

 ここで注目したいのは、井深の議論の真偽ではなく、そのロジックである。確かに持田の主張は「教育の私事性を教育の共同性一般の敵対的対立物として措定する」ように見えてしまう側面がある。ただ厳密に言えば正しくなく、このように対立的に捉えたとしても「止揚」は可能であると持田はみなしていたのである。しかし、これはあくまでも「持田の主張をそのまま支持した場合」についてそう言えるだけであり、「分析的な追求」を持田は行っていると言い難いのは井深の言う通りである。これは単純に「私事性を単純に共同化することはできず、常に何らかの排除があって初めて共同化は実現する」という命題は真というべきであろうということである。しかし持田は恐らくこれを真と考えていないことこそが問題なのである。井深の批判はこの持田の無自覚を了解していないため、持田の意図をとらえ損ねている。持田のいう「変革」とは、資本主義が生き延びるための福祉国家・社会国家への「再編」とははっきり異なる文脈で捉えられ、あくまでも止揚のための手段なのである。井深は持田(1979)を取り上げこのことを指摘しているものの、持田(1979)では真逆のことが言われているのである。 井深の誤認も含め、持田の転換言説というのは通説となっているように思えるが、これについては強い疑義が存在すると言わざるを得ない。

 

「近代理論家、あるいは、近代主義的立場に立つ理論家たちは、市民社会と政治的国家を対置的にとらえる。このようなところから、彼らの間では、市民社会における「私事」としての教育の秩序が実は教育の国家支配の下部機構であることを理解せず、前者に依拠して後者を撃つことがこころみられている。しかし、このような認識が誤りであることは、以上のべてきたことからも具体的に明らかである。そうであってみればわれわれは、市民社会における「私事」としての教育の秩序を変革し、超克していくことと、「教育の国家支配」を止揚していくことを統一して理解し、追求していくべきであろう。

 そして、このような観点に立った場合、現在、われわれの周囲においてみられる「上から」の「教育の国家支配」に対する「下から」の教育運動という図式、そして「国家教育」対「国民教育」という発想も、あらためて再検討されなければならなくなるのである。」(持田1979,p62)

 

 思うに、持田のこのような無自覚な状況というのは、むしろ持田自身が積極的にそのように「無自覚」たらんとしているような傾向があることにも注意する必要があると思う。ここで例として挙げたいのは、持田が日本の「後進性」を決して認めないという点である。正直な所、持田の議論は「講座派」特有の「日本の後進性」を指摘していることは明らかであるように思えるのだが、持田は決してそのことを認めようとしない。このような態度に「無自覚」へと繋がる要素があるように思えてならない。

 

「現在、われわれの周囲においては、近代主義の立場に立った公教育観が通説化しており、近代市民社会における「私事」としての教育の秩序が肯定的に理解されるとともに、このような「私事」としての教育の秩序が、教育の「国家統轄」と表裏するものであることは見落とされ、両者は対置的に理解されている。このようなところから、近代公教育のパターンは、イギリスやアメリカに求められ、その結果、ドイツや日本の近代公教育はつねに後進的なものとされ、その理由として、そこにおいては教育の国家支配は強力な形でみられることがあげられる。」(持田1976,p146)

 

 まずもって、ドイツ的近代とアメリカ的近代について持田は「直線的」なものとして捉えている。つまり60年代までの大塚と同様、ドイツ的近代、アメリカ的近代を突きぬけた近代の先に「現代」があることは当然のものとされている。両者の違いとして語られるのは「上からの」国家支配による近代化と「下からの」(市民・教育)運動による近代化であり、持田が強調するのは日本の「下から」の教育運動の必要性である(持田1972,p246-247;持田1979,p92-93など)。そして、その問題解決(組織化・共同化の達成)というのは、両者の型の実態の形態が多様としながらも「基本構造は同じ」であるとするのである(持田1980a,p25)。事実としてアメリカの手前におり、かつ向かう先が同じなのであれば、それに対しどうこう語ってみたところで「後ろにいる(後進である)」ことを否定したことになっていないのである。持田が上記の引用で「後進性」を否定しようとする理由は割と明確であり、「後進的である」という価値判断自体が現状を考える上であまり意味をもたないことを強調しており(cf.持田1976,p146)、「「私事」としての教育の秩序が、教育の「国家統轄」と表裏するものであることは見落とされ」とするのもやはり実態を適切に捉えることが「後進的である」という価値判断を行うことにより阻害されることを問題視してのことであるといえる。ここで天秤にかけられているのは「価値判断」と「実態分析」であり、持田は執拗に「実態分析」の重要性を説いているのである。しかし、この主張を行うことでかえって持田流の「無自覚さ」を生んでいると言うことはできないだろうか。つまり、『持田は共同化の不可能性について了解しているものの、それが価値判断になることを避けるためにこれを否定し「変革・止揚」に固執している』のではないか。私自身は分裂した持田像の読解についてこのような視点で読むのが最もしっくりくると感じるのである。そして、このような固執を行ってしまうことでやはり持田も「実態」を捉えることができていないとみなされてしまうのではなかろうか。

 

 以上述べてきたように持田の立場は「実質的」に変化がなかったというべきであるが、通説が指摘するような変化は「形式的」なレベルで行われていたということができることも指摘せねばならない。具体的引用は割愛するが、これは特に以下のような用語の整理というレベルにおいて相違が認められる点である(※4)。

 

①60年代の持田は「近代化」と「現代化」を同時に達成すべきだとしていた(持田1963,p113-114;持田1965p195以降)が、70年代は「近代化」を積極的に否定しようとしたこと(cf.持田1973,p39;持田1979,p17など)。

②60年代の持田は「近代公教育」と「近代私教育」という言葉を使いわけ、前者の肯定と後者の否定を行おうとしたが(持田1963,p128;持田1965,p196-197;持田1980a,p14)、70年代にはこの違いは意味のないものとされたこと(cf.持田1979,p57)。

③60年代の持田は「変革」という言葉を「再編」「改良」といった言葉とあまり相違のない意味で(正確には並列して)用いていたが(持田1965,p121-122)、70年代には「変革」のみを志向し「再編」「改良」は明確に否定したこと(cf.持田1972,p142;持田1979,p92-93)。

④60年代の持田は「専門性」を肯定的に捉えていたものの(cf.持田1963,p224;持田1965,p424-425)、70年代には積極的に否定しようとしたこと(持田1972,p272;持田1976,p213)。

 

 ここで気になるのは、このような態度変更が何故なされたのかという点である。単に「マルクス主義」の徹底として説明するには持田の70年代の議論はあまりにもお粗末であり、ある意味でそのお粗末さがこの徹底とは反対する意見にも繋がっているものと言える嫌いがある。この態度変更の理由が明確でないことこそこれまでの論者の議論が二分される理由にもなってしまっているように思う。であればどう考えるべきか。私から指摘できるのは持田の60年代の言説と70年代の言説で明確な相違が認められる「高校全入」を例にすると理解が深まるかもしれない、という点である。これはほぼ④の論点を踏襲したものであるが、結局この60年代における「高校全入」言説が持田自身の主張の失敗として捉えることが可能であるという意味でこの言説に注目すべきと考える。

 

 60年代の持田は「近代」「専門性」について肯定的である結果、高校入試制度の批判において、学力選抜(能力主義・選別の問題)に対する批判を適切に行えていると言い難かった。確かに全くそのような批判がなかったとは言い難いものの、それ以上に高校全入運動における高校数の「量的拡大」について積極的に議論することで選抜傾向も除去しようとしていたと言うことができる。結果としてあくまで「入学試験の緩和」が指摘されるに留まったり(持田1963,p140)、高校全入運動における量と質(資本主義的「選別」と「能力主義」の原理への批判)の問題は「統一してとらえるべきであろう」といった物言い(持田1965,p316-317)に留まることで不十分なものとなっていると見ることもできた。

 しかし、70年代に入り教育荒廃と選抜とそれに伴う序列の問題が大衆化してくると、序列に寄与する学力選抜そのものが否定されなければ高校入試をめぐる問題が解決しないことが次第に明らかになってきた。そしてこれに対し自己批判を行った場合、かつての「量的拡大」志向がそもそも不徹底であったという風に映るのは明白である。根本的に批判すべきは「学力選抜」であったはずなのに、そのような選抜が生き永らえたどころか、更に過酷になったものとして持田に映った可能性がある。

 

「しかし、このようなせっかくの教育の自由化と個性化のこころみも、近代公教育における能力主義的秩序を前提として具体化するかぎり、差別と選別を拡大するばかりであろう。われわれは、近代公教育における能力的秩序を問いかえし、教育を共同化することを志向するなかで、教育を自由化し個性化することを考えるべきであろう。」(持田1976,p245)

「われわれは、教育における選別そのものをなくしていくことを基本課題としなければならない。そのため、さしずめ、少なくとも後期中等教育が終了するまでは、選別の体制をひきのばすことが課題となる。」(持田1976,p247)

 

 そうすると学力選抜が否定されねばならないが、これと関連して当然「専門性」の価値観にも目を向けねばならない。「専門性」というのはいわば「過去の人類の叡智の遺産」であり、特に近代化の結果生じた産物であった。60年代の持田はこの遺産を生かしつつ、これを「再編・変革」しようとし、このような遺産に見向きもしようとしない勢力を批判する立場をとったのである。しかし70年代にはこの前提は持田の中で明確にではないにせよ崩れ落ちたのではないのか。この一種の絶望感が「専門性」を否定し、更には「近代化」への否定にも繋がっているように私には思えてならないのである。ここに残ったのが「近代化」の「再編・改良」を否定しつつ、これを「変革」し、その止揚を図ろうとするという、70年代の持田の態度なのであったのではないのか。しかし、持田の特殊性というのは、あくまで「リアール」な態度を取るためにはこの「過去の人類の叡智の遺産」についても適切に捉えるべきであると態度にあり、やはりこれを継承することについて積極的に否定せんとしても全否定できていないという点である。持田の「転換」を支えたのがこの間にある「対応の甘さ」であったはずなのだが、持田はこれを決して克服できなかったのである。そして、私は持田の「無自覚」はこの矛盾の中に現れているように思うのである。

 

○持田は「リアール」に問題を捉えていたと言えるか?――持田的「実践」の限界について

 上記の矛盾した態度と関連して持田の教育の現代化論において問題となりうるのは、「私事の組織化」をいかに行うかということである。最も気になる点は「私事の組織化」は「私事」そのものに対する自由の制約を伴うかという点である。厳密に言うならばこれは自由の制約となることが避けられない問題であるように思えるが、この点について持田は正面から問題に取り組もうとしなかった。結果としてここに矛盾が生じざるをえない。特に70年代の持田はこのような矛盾構造を強化していくことになった。

 これが露骨に現れている著書が「教育における親の復権」(1973)である。本書における持田の「私事の組織化」の実践における矛盾は2点述べることができる。1点は前述した自由制約の問題であり、子どものプール学習について、学校で行うことができるのはその基本的な部分に留まり、それを超える部分は「親の責任」にて社会教育施設で補えと主張する点においてこれが見られる。

 

「一概に水泳指導といっても、学校教育として行なうものには、自ら一定の限界がある。……さらに、「能力あるものには高い教育を。そして逆に能力の低い者には低い教育を」という能力主義原理が教育の本質とかかわって批判さるべきものであるならば、わたしの子どもの小学校が行なって来た水泳指導の実践は正当であるといわなければならない。」(持田1973,p163)

「ひとりひとりの子どもの能力をのばす指導は親の責任において社会教育の施設を利用してすすめるべきである。……親の要求のなかには利己的なものもあり、親自身考えなおすべき余地がある。」(持田1973,p164)

 

 ここでの能力主義批判の言説は厳密に言えば「専門性論」の延長線上にある議論であるが、これに対しては発達と教育が本来社会的であることからアトム化した「能力」なるものが虚構にすぎないとし批判される(持田1976,p194)。このような批判が提起される際、明らかに「反専門性」を持田は志向している訳だが、これは持田の実際の認識とは矛盾した主張となっている。「能力主義」という言葉を一度棚に上げ、「教育の共同化」を志向する立場からしてみれば、よりレベルの高い水泳を学校教育において行うことも否定されるべきではないのではないだろうか。しかしここで持田は自らのリアールな認識から、そこに「限界」を設定することで批判を行っているのである。

 

 もう一点は持田が「親と教師」の共同化を図る組織としてPTAという組織以外のものを全く想定していない点である。これは既存のPTA批判論に対する持田の再反論としてPTAを擁護しようとする際に露骨に出てくるものである。

 

「わたしも、多くのPTA無用論・解体論の批判者と同様、それにくみする者ではない。

 理由は簡単であり、明白である。PTAを解体したところで、「PTA」の現実を変革し、親と教師が現在かかえている矛盾を止揚していくことにはならないからだ。矛盾を止揚することにならないばかりか、無責任で機械的な解体論は、それをいよいよ固定化し、矛盾をより鋭くするのに役立つばかりだからである。

 しかし、さりとて、多くの「PTA民主化」論者がいっているように、真に人間的に協同し得ないような形で結合させられている「近代」における「親」と「教師」の現存をリアールにみつめ、それを問いかえすことをしないままに、親と教師を理念的に価値化し、両者が提携し連帯することの必要性と可能性を観念的に説いたところで、PTAの現実を変革することにならないことは明らかである。」(持田1973,p104-105)

 

 先ほどは能力主義のアンチテーゼを提示する際に矛盾を生じていたが、今度は「PTA無用論」へのアンチテーゼの提出を適切に対処していない。ここでも持田は暗に「リアールなPTA」を捉え、「それを生かす」ことを念頭に入れてしまうために、「PTA以外の組織」による親と教師の連帯、及び子どもの教育権の保障を高めるという可能性について閉ざしてしまっている。もっとも、別の著書では持田も「親と教師の関係を共同化し、親が教育にかかわる社会共同の場は「PTA」だけにかぎられるべきでなく」その外のさまざまな場でも設定される必要があるとするものの(持田1976,p265)、本書においてかなり具体的に教育を変革することを論ずるにあたって一種の曲解を生みだしてしまっているのである。

 

 この持田の2つの矛盾において共通する要素ははっきりしている。どちらも「現状」をベースにした議論を行っているという点である。①プールの事例においては実際のプール指導の指導者の問題などの現実的な教育的リソース(資源)を公教育内で確保することの限界から自由の制約が正当化されることになる。また、②PTAに対する擁護というのは、「私事の組織化」を適切に図るためには既存の組織の有効活用が何よりも大事であり、その要件を日本において満たすのがまさにPTAしかないため、PTAを基盤にしてその共同化の取り組みがなされなければならないことが持田理論の中では自明のことであったからであると読み取れる。PTA批判論は国民の教育権論と同様に理念的な批判を行い、かつPTAが不要であるとさえ論じるものであったため、到底持田には受け入れられなかったのだろう。

 ただ、この両者の議論はそのまま70年代の持田の議論の限界を示しているともいえるだろう。①については有限な資源の問題との兼ね合いであるが、「私事の組織化」を行うにあたり例えば「お金を払ってでも」よりリソースを高める取り組みを行うことが許されるのであれば、これを公教育内で行うべきものとして認めてよいのではないのかという議論が出てきてもよいように思う。もちろん、複数の学校の取り組みを共同化することによってリソースを高めることも可能性としてはある。そのような議論について持田はあらかじめ否定してしまっていることになる。実際の所、これを公教育の枠内でいかに行うことができるかという問題は残ろうが、現状不可能な取り組みであるとも言い難いものである。

 ②については現在では学校運営協議会や学校支援地域本部などの枠組みでPTAそのものとは異なる組織で共同化の枠組みを設定する可能性に開けていることは明らかになってきている。これについても「現状(の日本)」を基軸にしてしまうと、組織の可能性に閉ざしたものと捉えることができる。

 以上のようなことから「リアールに捉える」ということの一端も理解できる。ここで指摘せねばならないのは「リアールに捉える」ことは持田の考えるような「現在の日本の状況を基軸にする」ことに固執する必要性がないということである。もちろん、現状とその文脈の理解というのは、それなりの合理性を持って成立しており配慮すべき内容ではあるが、その前提は常に突き崩される可能性がなければならない。そしてその可能性のヒントというのは、過去の日本を参照することでもよければ、(過去・現在の)世界の事例をもって取り組んでもよいし、実在しないものを参照することが必ずしも問題となる訳ではない。持田の議論において重要なのは、あくまで既存の組織・法制度の重要性をよく理解し、そのことを生かすことはそれを殺すよりも既存の教育の自由を確保できる可能性があるという点である。これは制度改善の上で決して無視してはいけない論点である。

 

 持田独特の文脈依存性の問題というのは、「自己教育」の重要性を強調するときにも歪んだ形で現れている。持田は、「自己教育」を「与える教育」との対比で語り、前者を子ども主体で学ぶ対象を見つけていくこと、後者を教師等が与える教育として規定する。そして、両者の関係は次のように語られ、「与える教育」は自己目的化してはならないとする。

 

「教育の実践において教育主体がすすめる教育的働きかけが重要な意味をもつことは論をまたないところであるが、そのような「与える教育」は、「自己教育」――学習主体が生活実践のなかで、自主的共同的にすすめる自己形成を発展させる媒体として位置づけられるべきである。「与える教育」は「自己教育」をたかめるための媒体であって、それ自体が目的化されてはならないのである。しかし、現在、われわれの周囲において「与える教育」は、以上のようなものとしてはとらえられてはいない。」(持田1972,p372)

 

 ところが、「近代」においては、「与える教育」が「自己教育」から切り離されることとなったとし、この例として「幼保二元化」の議論も取り上げることとなる。

 

「しかし、そこにおいては、「近代」においては、なぜ教育が「与える」教育に矮小化されるのか、について掘り下げて検討し、そのような「与える」教育の体制そのものを変革しようとする問題意識は見られないから、せっかくの「自己教育」への着眼、教育の「生活化」への問題提起が観念的なものとなり、「与える」教育を変革することにならないばかりか、これを「補完」することになっているのである。」(持田1976,p65)

「第二、「与える教育」が「自己教育」からきりはなされて展開し、教育の焦点がここにもとめられるとき、教育を与える者の思惑によって「与える教育」の内実は多様化される。すなわち、本来一体のものとして運営されるべき「生活」と「あそび」と「学習」は分解され、そのどれかが強調されることとなる。」(持田1976,p240)

「幼保が二元化され、多様化され、幼・保それぞれの施設の間にもさまざまの格差がみられるのは、近代教育の本質とかかわってそれなりの必然性があるのだから、「幼保一元化」の構想は、近代における教育の本質観と体制を転換し変革することとかかわってとらえなければならない。それは近代における幼児教育の実践と体制を支配していた原理を全面的に変革し、止揚することとして理解されなければならない。」(持田編1972,p11)

 

 しかし、「近代」原理が果たして「教育」のみに目を向けていたと捉えてよいかはどうにも疑問が残る。私には本田和子などが述べる「子ども論」特有の「遊び」への着目や、「子どもの世界」の存在への信仰については「近代」原理特有の性質が与えられているように思えるし、これを「現代」的原理というのには非常に違和感がある。「遊び」の共同化・組織化志向は確かに「現代的」と言われるべきだろうが、「遊び」のみへの着目はむしろ「近代」原理なのではなかろうか?

 また、持田においては、この「自己教育」はそのまま「組織化」されるべきものとされる。しかし、ここには当然「子ども主体」であることと「組織化」に伴う排除の原理が付与される可能性があるという、先述した持田(1973)におけるのと同様の問題が生じることとなるが、持田はこの問題点を検討しようとしているように見えない。これは「止揚」により解決するものとして片付けてしまっているか、「自己教育」は「教育」の本質であり、教育は本質的に共同的なものであるからこのような問題は生じないかのように捉えているように思う。次の主張は少々奇妙なものだが、この矛盾が露呈したものと言うこともできるのではないか。

 

「ところで、このように、教育=自己教育を社会的にとらえようとする場合、教育変革の主軸は「制度としての教育」を変革していくことにもとめられる。

 教育=自己教育は社会共同の事業として「制度」として存在し、しかも、その「制度としての教育」が教育の本質的あり方を疎外しているからである。この意味において、教育制度の理論こそが教育理論の主軸として追求されなければならないのである。そして、「近代」における「制度としての教育」の現存を解明していくためには、以上のべて来たこととかかわって、「教育権」について言及し、また、「教育の条件整備」といわれることがらについて検討を加え、それを教育理論のなかに位置づけておくことが必要となる。」(持田編1973,p36、再掲)

 

 ここでは「教育=自己教育」の用語が実態のものか、本質的=共同的なものか整理できていないために読解が難しい部分である。『そもそも「教育=自己教育」とは「制度化」可能なものなのか?現状においてそれは「不十分」なものだが、きっと「制度化」することは可能である』という前提のもと書かれている主張であるが、その主張の真偽は定かであると言い難い。

 そしてもう一点指摘しておきたいのは、このように持田が「与える教育」と「自己教育」を二項図式的に区別しようとするとき、明らかに実態も二項図式的であるかのように語ろうとしている点である。私には実態は(特にその「近代」性を語るのであれば)そのような二項図式を取っている訳ではなく、明言できるのは両者が分断されているということ程度ではなかろうか。持田はこれについて戦略的に(悪く言うならば不当に)分断を図ろうとしているように見えてしまうのである。

 

○結局持田の近代論から何を読み取れるか?

 持田の近代論は実態としての「近代」ではなく、規範性をもった「現代」との対比から実態としての「近代」を捉えようとする視点があると指摘した。持田の議論は本質的に「組織化・共同化」を志向するものであり、それを教育そのものであると捉えた。しかし、この議論の致命的な疑問点は「教育=共同化」とした場合に果たして「教育を受ける利益」が「私的なものであること」を理由に排除されるのではないのか、という点であり、現に持田がそのような排除を行う傾向があったということであった。

 では、持田理論を持田の意図に反して『改良』し、この「教育=共同化」図式を「公教育=共同化」として読み替えてみたらどうだろうか?「公教育」という分野においては公的な資源(税金)を使って教育を営むことになる以上、そこに一定の共通項・ないしミニマムなスタンダードを設定することを回避することは不可能と言ってよい。その制約要因が何によるかにも目を向ける必要があるものの、公教育を運用するにあたっては常に何等かの制約に縛られることになる。そのような条件の中で如何に「共同化」を志向するのかという問いはそれこそリアールに追求されるべき課題であると考えられる。持田理論はこのような公教育における「べき論」を考える際の枠組みとしては現在もなお有効であるように思える。

 もっともここで注意すべきこともある。最も重大な論点となるのは、「公教育」の「公」が何を指すのかという答えを提示していない点である。これは「国」を指すのか、「地方自治体」を指すのか、それとも前提となる公的な資源との関連では漠然と語られがちな「地域」「学区」「学校」なのか。この点持田はどう考えていたかというと、やはり二重性を感じる部分がある。一方で持田は「先導的試行」を行う自治体に対して一定の評価をしつつも、その問題点を次のように指摘した。

 

「しかし「先導的試行」の方式が以上のような課題を正しく果たしていくためには、それが政府文部省によって専有され、一方的に運営されてはならない。いわゆる「先導的試行」のこころみは、現在、中教審や文部当局が考えている構想に批判的な見解まで含めて試行の対象としなければならない。そうでないかぎり、せっかくの「先導的試行」も中教審や文部省の学制改革構想の「先導」にすぎず、それは科学的でもなければ国民各層の批判と合意を確保することも不可能である。」(持田1979,p324)

「一方、「先導的試行」をさきにのべたような形で学制改革に対する一つの自主的実験として実施していくためには、教育課程についての国家基準をフレックシブルのものとする必要がある。しかし、中教審答申は一方において「先導的試行」の必要性を説くとともに、他方、教育課程についての「国家基準」をゆるめるどころか、一段と強化すべきことを提案している。」(持田1979,p325)

 

 持田はこれと合わせ私学支援に対しても、「標準化・画一化」されることを批判していること(持田1979,p354-355)、また国主導で行う「先導的試行」が国の意図に沿ったものであることも批判がされ、それが「複数民主主義」に基づくものであるべきだとしている(持田1979,p323)。しかし、このような「複数民主主義」を尊重せんとしても、個々の意志(理念)のみでどうにかなる訳ではない。ここには、複数民主主義を成立させるための(これは当然主体間の、複数性のある主体の中でも利害が一致ないし近似する者同士による「組織化・共同化」の過程を内包するものである)条件整備が必要であり、持田の言う制度に対する「リア―ルな認識」が必要になってくる部分である。これを持田のように制度の文脈依存性にとらわれず、分析的に捉えることが求められるということである。そしてこれが組織化・共同化を志向するものである以上、常にそこから排除される側への配慮も必要となる。この救済は持田の言い方でいえばまさに60年代に志向されていた「現代化」と「近代化」の両方を達成することでならなければならないということであろう。

 

※1 以下、持田文献については以下の内容を参照している。なお、持田1980a,持田1980bは1960年頃の持田の論文を取り扱ったものである。

持田1963「学校づくり」

持田1965「教育管理の基本問題」

持田編1969「講座マルクス主義6 教育」

持田1972「学校の理論」

持田編1972「幼保一元化」

持田1973「教育における親の復権

持田編1973「教育変革への視座」

持田1976「「生涯教育論」批判」

持田1979「持田栄一著作集6 教育行政学序説」

持田1980a「持田栄一著作集1 教育管理(上)」

持田1980b「持田栄一著作集2 教育管理(下)」

 

※2 後述するが、これまでの「近代論」の枠組みで言えば持田はタテマエとしては「複線的近代論」をとっており、物事をリアールに捉えるためにもその前提は明確である。しかし、問題解決(現代化の志向)を考えた場合には結果的に単線的に見ている傾向もある。

 

※3 ここでの批判というのは、実は吉田や佐藤が指摘する転換の方向性とは逆に作用していることにも注目したい。すなわち、吉田・佐藤の場合、マルクス主義的立場はむしろ徹底化されたものと捉えられる訳だが、井深はその逆で「徹底化しても無駄だからあきらめた」としているのである。なお、井深が指摘する黒崎勲「教育行政学」(1999)における黒崎の指摘も「構造改革路線と呼ばれたマルクス主義の戦略にしたがったものであった」ものが大学紛争以降「戦略展望は姿を消す」ものとされていた(黒崎1999,p13)という点では井深のような指摘を行っているものの、それに続いて黒崎は「教育を2つの過程の交錯のなかで把握する方法意識はそれ以後の持田の教育行政理論の別名である批判教育計画論にも一貫して受け継がれるものである。」とする(黒崎1999,p13)。これは要するに「近代」と「現代」を対比的に捉える中で「変革」を行っていこうとする持田の態度を言っているのであり、井深の指摘とは逆に持田の態度はむしろ一貫したものだったとする点で異なる。更に言えば、「マルクス主義的な戦略展望が姿を消した」というのは言葉通りの意味で捉えるべきだと私には思えない。持田が用いる「現代」の用語の規範性の強さは70年代においても十分にあり、これはある意味で明確な戦略性であると捉えることも可能である。

 

<2022年12月11日追記>

※4 以下で指摘する「60年代」「70年代」という区分は少々荒いので補足する。ここで念頭においているのは、持田自身が持田編1969における論文にてこの論文を持田1963及び持田1965の反省として書いたものであるとしている点にある。よって正しくはこの境目はひとまず1969年以降ということであるし、持田論者による転換理論もこの持田自身の言及に依拠しているとみてよい。

 しかしここで当然疑問となるのは、1965年から1969年まで4年の間が空いている部分についてどう考えるかである。結論としては、1969年を境にすべきという風に見るべきではなかろうかと思う。この間に書かれた二つの論文を転換前と転換後の枠組みで捉えると、以下のようにまとめることができるだろう。

 

・「教育権保障と公教育の組織化」『教育学研究』第34巻第2号(1967)

 本論ではすでに近代私教育と近代公教育は一体化したものとして語られている(持田1967,p100-101)。福祉国家の思想が「非社会主義的」であることについても言及しているが(同上、p101)、これに対して賛同するか反対するかは明言されていない。しかし、福祉国家的であるドイツについて「複数民主主義」が機能していることを指摘している(同上、p108)ことからすると、肯定的に捉えているとみるべきであると思われる。よって『転換』していると言い難い。

 

・「現代幼年期教育学制の展望」『教育学研究』第35巻第3号 (1968)

 本論では福祉国家と理念と実態のズレが強調され(持田1968,p237)、これについて「現在において、幼児の権利を保障し、かれ等の福祉をたかめていくためには、いわゆる福祉国家の幼年期教育の構想を建前どおりのものとして具体化し実質化していくことが必要である。このことは、あるいは福祉国家の幼年期教育構想そのものを止揚し、それに代る新しい幼年期教育体制をつくり出していくことであるかも知れない。しかし、このことを吟味することは暫くおく」(同上、p239)としており、態度が曖昧である。しかし、幼年期教育の「専門性」の必要性を強調している(同上、p241)から『転換』していると言い難い。

 

<2023年2月5日追記>

※5 広瀬裕子編「カリキュラム・学校・統治の理論」(2021)における広瀬論文「近代公教育の統治形態を論じる論理枠の構築について」において、持田栄一が取り上げられていたので、私の主張との相違等を見ながら問題点等を取り上げてみたい。

 

 まずもって、広瀬論文のタイトルそのものが持田理論との関連性でそもそも不可解さがあるという点である。「持田理論の特徴は、教育行政を近代公教育行政であると捉えたことにある」という指摘(広瀬2021,p221)は正しい。しかし、持田が「われわれの考えるべき教育を近代公教育、すなわち「私事」としての教育の国家保障と把握した」とすること(同上、p229)は9割方誤りである。正しいのは持田が志向したのが教育の国家保障であったことである点だが、「近代公教育」を「再編」することなく「変革」しようとする持田の課題はあくまでも「私事の組織化」であって、この「私事の組織化」という問いにおいて「私事性」が担保されるかという問いを持田は放棄していたこと、そして「私事の組織化」を具体的に持田が議論しようとした際には私事性が排除される形で組織化を志向することとなっていたことであり、これが持田理論として私事を排除するのはほとんど不可避的であることを私は立証しようとしたのである。このような誤りが発生するのは、広瀬は持田が繰り返し強調していた「現代」という言葉に内包されていた「近代」との距離感について全く言及しないことに起因するものである。仮に持田の志向していたものが「近代公教育」であると断ずることができるのであれば、私が評価した持田の議論と、広瀬が重要視する持田の議論はほとんど同じであるとみることも可能だ。しかし、70年代の持田の議論は理論上ここで擁護しようとする「近代公教育」を殺すことになるという点が私の批判点なのであり、だからこそ60年代のような「近代」と「現代」の同時的達成を志向する持田の理論こそ健全であると指摘したのであった。

 この点に関連して、広瀬論文は黒崎の持田理論の取り込みが60年代の持田の議論をベースにしていることに疑義を投げかけることから持田の議論を考察するが、70年代の持田の議論が優れている点として、「国家権力の警戒モードが最大化していること」を見出している(cf,同上、p227以降)。また、60年代から70年代に展開した持田自身の内省をそのまま評価することを重視すべきであるとし、黒崎の議論は70年代の持田の議論を検証しないまま、60年代の(理論途上の)持田理論を支持することを問題視している。しかし、結果的に私が70年代の持田ではなく、60年代の持田を支持する理由は十分にあることを指摘し、そもそも転換論を主張する持田論者が持田の理論を「精密化」されたものと評価すること自体が問題であるとした点はそのまま広瀬論文にも適用可能であったと言える。端的に言えば、広瀬論文においては、マルクス主義の立場をとる持田が主張する「止揚」という言葉の運用について肯定的に捉えすぎているのではないかと思う。私自身はこれまでも繰り返しているように「止揚」という言葉は無責任に物事を抽象化し、あたかも「否定の否定」が「肯定」になるかのように見えてしまうまやかしでしかない(その否定は方向性を反転させてしまう)、そしてそのような無責任の言説が過去に存在していたこととその系譜を明らかにしていこうとしているという立場で一貫している。広瀬は「この時期、持田は、国家権力、行政権力への警戒感を最大化させながら同時に制度を積極的に構想するという二律背反をかろうじて統御しうる方途を確保した格好である」(同上,p227)と持田を擁護するが、これを支持することはできないのである。