2016-01-01から1年間の記事一覧

江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せね…

河合隼雄「河合隼雄著作集7 子どもと教育」(1995)

今回は、河合隼雄の「父性原理・母性原理」について考察するにあたり、その特徴をまとめてみたい。河合の著書は「母性社会日本の病理」(1976)をはじめ、教育にも関連する数冊を読んだが、これらの本からまとめると、6点にまとめることができるだろう。1…

河合隼雄・加藤雅信編「人間の心と法」(2003)

今回はいわゆる「日本人論」関連のレビューをしていきたい。 本書は川島武宣的な日本(東洋)/西洋の対比として用いられていた法意識の議論(p39)に対して、二種類の大規模な海外比較の調査の結果を用いつつ、その検証も含めた法意識の分析を行っている。本…

加藤美帆「不登校のポリティクス」(2012)

本書は、学校ぎらい・登校拒否・不登校といった学校に通わない子どもをめぐる議論の変遷を追う中で、そこに内在する政治性について述べた本、のようである。 私は以前松下圭一のレビューの中で、一般的な「ネオリベ批判」の言説に対して、否定的に捉えている…

竹内洋「革新幻想の戦後史」(2011)

本書は、進歩的文化人を中心にした「革新」の思想周辺の戦後の変遷を追ったものである。 全体としては多分に実証的な議論に基づいており、「進歩的文化人」の異端さを浮き彫りにするのに一役買っているといえるだろう。以前、大久保のレビューで紹介した「旭…

松下圭一「シビル・ミニマムの思想」(1971)

今回は、「社会教育の終焉」をレビューした際に出てきた議論をもう少し踏み込んで考察してみる。これにあたり、松下の議論を本書とこの直後に出ている「都市政策を考える」(1971、以下、松下1971bとする)、岩波講座「現代都市政策5」に収録されている「シビ…

本多二朗「共通一次試験を追って」(1980)

今回は前回少し予告していた、大学入試制度の議論を取り上げてみる。 本書は、一新聞記者による共通一次試験制度への移行に伴う様々な動きについての報告である。私が本書を読んだのは大学院時代であったが、大学院時代に読んだ本の中でも読んでおいてよかっ…

小尾乕雄「教育の新しい姿勢」(1967)

今回は、「地域子ども学校と地域子ども組織」のレビューで少し取り上げた小尾の著書を取り上げる。本書は小尾乕雄自身が東京都教育長時代に書いたものとして、当時の競争的試験制度是正通達であった「小尾通達」の背景を押さえるのには重要な内容であるよう…

タルコット・パーソンズ、武田良三監訳「社会構造とパーソナリティ」(1964=1973)

前回、父母の役割について意図せずとも、その役割の再生産過程に加担してしまうとみなさねばならないケースについて少し検討した。今回はパーソンズの著書を確認しながらもう少し踏み込んだ議論をしてみたい。本書はパーソンズの論文集という形式をとってお…

山村賢明「日本人と母」(1971)

本書は日本人の「母のコンセプションズ」、つまり個々人の具体的な母親を越えた、一定の社会の一般的な母親像を捉えようとした研究成果を示したものである。 本書において特筆すべきはその分析方法だろう。テレビドラマ「おかあさん」の台本及びモニターアン…

松下圭一「社会教育の終焉」(1986)

本書は、タイトルの通り「社会教育は時代にそぐわず、滅ぶべきである」と宣言する一冊である。しかし、ノートでも述べた通り、固定観念をもって「社会教育」の領域をとらえる中で、「公民館」までもそのような「社会教育」の観念にしか縛られないものと思い…

ミシェル・フーコー「フーコーコレクション5 性・真理」(2006)

今回は永らくレビューを続けてきたフーコーの議論について一区切りをつけたい。本書はフーコーの単行本以外での掲載論文・インタビュー等について時系列でまとめた「ミシェル・フーコー思考集成」(全10巻)をテーマ別に6巻に再構成したものの5巻目にあた…

竹田青嗣「現象学は〈思考の原理〉である」(2004)

今回はこれまでレビューしてきたフーコー、デリダの議論を相対化してみる意味で、竹田の著書(本書と「現象学入門」1989、「エロスの現象学」1996)を参照してみたい。竹田はフーコーらの議論をポストモダニズムの議論として一括りでまとめているが、私自身…

片岡徳雄編「教育名著選集1 集団主義教育の批判」(1975=1998)

○本書の時代的な位置付けについて 本書は、全生研を中心にした集団主義教育の批判を「研究を通して」行ったものとしては「最初でしかも唯一のものとなった」ものとされる(pii)。この認識があながち間違えた認識といえないのかもしれない。特にいくつかの実…

斎藤喜博「斎藤喜博全集 別巻2」(1971)

今回は50〜60年代において校長としての教育実践を行い、影響力のあった斎藤喜博を取り上げてみる。私自身読んだのは60年代後半から70年代初頭にかけて行われた対談集である本書と刊行10年足らずで5万部は売り上げていたという(「斎藤喜博全集 第4巻」1969,…

全生研常任委員会編「地域子ども学校と地域子ども組織」(1978)

本書は、全国生活指導研究協議会(全生研)が、1968年から取り組んでいった「ひまわり学校」の実践について書かれたものである。 これまで広田や遠山のレビューで、70年代以降学校サイドからの「教育の担い手」としての役割の撤退の傾向があるのではないのか…

小川太郎「教育と陶冶の理論」(1963)

今回は比較的古い文献を読んだ訳だが、これまで読んできた「社会問題」との関連性、その歴史的な議論における位置づけについてはなかなか捉えづらい内容のものであった。一方で「支配的な教育」という形で右寄りの議論の批判を行うものの、他方で日教組的な…

OECD教育調査団「日本の教育政策」(1976)

本書は1971年に発表されたOECDによる報告書の内容の一部を翻訳したものである。 報告書が出された当時から、この報告書はかなり頻繁に教育をめぐる議論で参照されてきている印象があり、恐らくは一定の影響力を持った内容とみなしてよいのではなかろうかと思…

遠山啓「数学と社会の教育」(1971)

今回は再度遠山啓の文献をレビューしつつ、前回の遠山の議論の補足を行っていきたい。本書もまたバラバラの論文集という形態をとっており、前回の「遠山啓エッセンス」と重複しているものもある。また、論文の初出はほとんどが1968年以後の内容となっており…

見田宗介「まなざしの地獄」(2008)

本書は、1973年発表の「まなざしの地獄」、1965年発表の「新しい望郷の歌」が収録されている。おそらく、メインは「まなざしの地獄」であり、その内容を多少補う形で「新しい望郷の歌」が位置付けられているとみてよいかと思う。 「まなざしの地獄」では、一…