江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

 今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。
 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せねばならない。P111-112にて農耕文化的側面が日本の社会を「母性的」たらしめていることや、p147における「超越神」と「自然神」といった比較がなされているあたりが比較的明確に議論している部分といえるだろうが、河合が網羅的にその特徴を押さえて議論していたのとはほとんど対照的に、漠然とした形でその性質を述べているに過ぎない。したがって、私の解釈で議論をしなければならない。
 その私の解釈とは、基本的に阿部謹也の世間論において日本と対比された、キリスト教的な神との対峙に典型的な父性原理を見出すという発想である。「贈与慣行があった時代には人々は個人としての位置をもっていなかった。」(阿部「近代化と世間」p23)しかし、個人が神との対峙.により「世間」は「切断」され、そこから個人が解放されるというのが阿部の論旨であった。このような説明は江藤においても、「天」という表現などで「母性」的なものと区別をはかっていることから類似性が見出せる。もちろん、江藤は必ずしも抽象的な「神」との対峙が必要であると言っている訳ではない。それは本書で実際の母をなくす可能性を認識する、といった事件によってもありえるものとみなしている(cf.p223)。江藤も明らかに「絶対的他者」との対峙に個の現出を見出している。そして、それが恐らくは「父」と結びついているものと思われるのである。

 さて、ここまでであればさほど大きく河合の議論と異なるとまではいえないないだろう。そこで、注目してみたいのが、江藤のいう父性原理における「権威」というものである。河合はアメリカにおけるauthorityというのは拘束性とは別の考え方であることを強調しつつ、父性原理に基づく教育というのは、「押しつけ」ではないと強調する。

「日本では権威が権力と混同されていやがられるが、アメリカではauthorityは何かのことについて他から卓越した知識や技術を身につけていることで、すぐ連想するのは「信頼できる」ということである。ところが、日本であれば、「権威」というと連想するのは、「拘束される」ということではなかろうか。それによって自分の自由が奪われる。これはどうしてだろうか。
 ここにも、最初から個性をのばしてゆく西洋流の教育における権威と、易行型の日本の権威との差が出ている。易行型教育では、型は絶対である。それが絶対だという意味において、教師は個性ぬきの絶対的権威をもつことができる。それにしたがう者がその方法をまったく肯定している場合は問題がなく、すべて安泰である。しかし、それにしたがう者が、少しでも「個性」などということに目を向け出すとどうなるだろう。その場合の「権威」などというのは、個性の破壊者としか考えられないであろう。」(河合「臨床教育学入門」1995,p80-81)

「しかし、これを父性原理に基づく教育から見ると、まったくナンセンスである。個々の生徒の個性を尊重すべきであるし、「権威」をもちたい教師は、生徒に信頼をえるだけの知識と技術をそなえた個性ある人間として、成長するように努力しなくてはならない。教師は自分を鍛える努力をしなければならない。教師は自分を鍛える努力をしなくてはならない。これに比べると、「型」にはめる方は、自分の権威を安易に守り、生徒の方にそれを押しつける姿勢が目立つ、そこで、教師の「個性」を見極めたいと思う生徒たちから猛反撃をくらうことになる。」(同上、p81)
 この言い分に対しては、二重の意味で批判せねばならないだろう。まずもって、「アメリカの教育に押しつけがない」という言い分は、特に60-70年代にアメリカで議論されていた学校教育批判と噛み合わない。脱学校論の系譜もそれに該当するが、アメリカにおいても、学校教育は「押しつけ」の代名詞として批判の対象になっているという事実を完全に無視していることになる。

「いま教育は、人々の主体的な行動、生き方の敵対者になっている。すくなくとも、強制的で威圧的で、アメとムチの原理によって運営されている学校教育は、諸個人の主体性を完全に踏みにじっているのである。これまで人々が持っていた教育への幻想を否定し、主体的な生き方をするためには、何が必要かを探るのが、この本の目的である。」(ジョン・ホルト「21世紀の教育よこんにちは」1976=1980、p1)

 また、第二に、もっと広い意味で父性社会そのものが権威的な押しつけがないのかという点について。これについては大いに語弊を生むように思える。本書の議論においてはこの点についてほとんど論点となっていないようにもみえる。父性原理の社会においては、「絶対的他者」が機能し、p221に見られるように、そのような「絶対的他者=父」が罰する者として、主体の視線に現れることになる。問題はこれが河合が言うような「押しつけ」とどう関連しうるのかということである。
 これが押しつけでないと言うためには、それが文字通り「絶対的」なものとして機能していること、つまり、周囲の具体的他者から完全に離れた状況のもとで主体に働きかけるものである必要がある。そして、江藤の前提をもとにすれば、このような状況の前段において「怯えの現存、あるいは偏在」することが必要となるだろう。
 このことの詳しい状況については、江藤がアメリカに滞在していた時の体験記となっている「アメリカと私」を参照すると、見えてくる部分であると思う。少なくともアメリカへの移住民にとっては、アメリカ文化の受容(≒父性原理の社会の受容)は一種の強制に他ならないものであったと江藤は述べている。

「米国にやって来た移民は、まず英語の習得からはじめ、無限に自分をアングロ・サクソン化しようとする努力をつづける。そして「アメリカ」社会は、先に来たものが新参者をいじめるというかたちで作用する社会的圧力を通じて、絶えず「お前は本当に米国人になっているか」――つまりどれだけアングロ・サクソン化したか――と問いつづける。
 この間断ない忠誠調査によって、合衆国は「多をもって一となす」ことに成功し、「アメリカ」社会を統一する忠誠心のにかわをつくりあげた。つまりこの社会は間断なく模倣を強制する。そして組織化された模倣の奨励が「教育」というものだとすれば、つねに「教育」を強制する。したがって、この社会は、「よき米国市民」という優等生がたえず劣等生をむち打っている巨大な教室のようなものだともいえる。これほどダイナミックな国家と個人の関係はほとんど残酷といっていいであろう。この残酷さからのがれる道は、自分が優等生になる――つまりあらゆる意味で「成功」することしかない。
 なぜこれほどの強制力が必要か。いうまでもなくこの国を解体させてしまう分化力が、つねに強く同化力の裏側に作用しているからである。」(江藤「アメリカと私」1965=1991、p184-185)

 当然、このような社会に溶け込み、内なる絶対的他者を獲得した者であれば、このことを「圧力」などと感じることもなくなるのだろう。しかし、移住民も含めて、その社会に適応する過程においては、これは「圧力」に他ならないものであるといえる。社会への適応という課題を捉えるのであれば、江藤のような見方はむしろあたりまえであるといえる。
 これは、河合の父性原理・母性原理の考え方からみても同じであるはずである。それは日本のような母性社会における人間を「永遠の少年」(河合1976,p30)と表現していることからも明らかである。つまり、母性原理と父性原理は厳密な意味で二者択一の形式をとっているとは言い難い。むしろ生得的な意味では個々人が母系社会を好む傾向があるということを河合自身認めているのである。これは江藤のp185でみる立場と同じである。西洋の子どもは父性社会で生きるべく、それ相応の教育を受け、父性社会で生きていくための個性を獲得することを方向付けられている、ということになる。

 では、これは本当に「権威による押しつけ」ではないのか?私にはどうしてもこれは押しつけにしか見えない。結局これに適応できなかった弱者が逸脱行動をする、そしてそれは日本よりも大きい、という河合の立場からしてもそれは明らかであるように思う。確かにその圧力の性質は異なると言えるかもしれない。日本は平等性の押しつけとして、アメリカでは強い「個」が勝るという原理の押しつけによってなされているという見方はありえるのかもしれない。しかし、それはいずれも「押しつけ」であることに変わらず、日本の学校教育に限って「権威的押しつけ」がなされているとみなす河合の見方は誤りだと考えられるのである。


○日本の教育病理は日本独自のものなのか?
 このような問題点は、そのまま河合の提示した父性原理・母性原理の問題に関連してくる。河合は、日本の教育問題について、それを母性社会日本への父性原理の流入によるアノミー状態であると、その独自性を強調していた。しかし、これについても、実証性に極めて乏しく、むしろ検証なしに批判を行ってしまっている。
 確かにいじめにおける暴力性の問題などは日本が比較的非暴力的であると、国立教育政策研究所などが国際比較しているが、いじめの原因論として、河合のいう母性原理・父性原理が関連しているかどうかは別問題であり、実際の関連性があるかどうか微妙な所もある。また、暴力性をことさら河合が取り上げたいのであれば、それは父性原理と暴力性≒権威的押しつけを結びつける議論となってしまい、河合の論旨と矛盾してしまうのである。
 また、タテマエとホンネの議論もこれに付随して日本的特徴とみなされる訳だが、日本がアメリカと比べこの区別が強いという根拠も極めて乏しい。アメリカにおいても制度上表面化しているタテマエと、実際の個々人の行動がずれることは「人間の心と法」における国際比較調査からも遵法意識の議論などから垣間見れた部分であり、現在のアメリカの政治情勢を見ても、それが「タテマエとホンネの乖離」を示しているようにも見えてしまう。これも結局「父性原理・母性原理」という二項対立からは出てくる結論といい難い。

 また、不登校の問題に関していっても、「登校拒否」、さらには「スクールフォビア(学校恐怖症)」まで遡れば当初は欧米の考え方を取り入れながら議論されていたものであったという側面を認めねばならない。また、不登校の割合だけ見るならば、むしろアメリカの方が多いという論者もいる(千石保「普通の子が壊れてゆく」2000,p76)。議論はそこまで単純なものとはいえず、だからこそ「父性原理・母性原理」という立場から、いかなる差異が見出せるのかといった観点に基づく実証的議論が必要であるといえるのである。

 更に言えば、河合はこのようなアノミー問題を単純に欧米文化の受容の産物と捉えていた。それは日本において「父性原理」が欠落しているということから指摘されたことであった。しかし、江藤の議論というのはこれを否定しうる。江藤のいう「天」の発想というのは、明治期などにはそれが断片的にであれ日本に存在していたとしているし、むしろそのようなものの復活の流れを介して「父性原理」のアノミー問題が生じている可能性も同様に指摘できるのではないか?また、広い意味で父性原理が「絶対的他者」と関連付く問題であるとするならば、西欧文化を介さずとも、それに到達する可能性もまたあるのではないか、と考える方が自然であるように思う。河合の議論は日本と欧米の対比に固執しすぎているように見えるのである。
 河合のいう「父性原理」は個人主義という言い方で言い換えても語弊がなかったのに対し、江藤のいう「父性原理」は、ある意味で個人主義という表現に適さないという言い方も可能であろう。これについては、江藤の他の著書から見れば別の結論が出てきてしまうのかもしれない。しかし、本書のみに限れば、江藤のいう「父性原理」は、阿部謹也の議論などで用いてきた「純粋贈与」というのが必然化しているとは言い難い。「純粋贈与」とは厳密な意味で神との対峙がなされた場合に、厳密な意味で「個人主義」が機能する条件として見出しうる、返礼なき贈与であった。そして、この「純粋贈与」については、その成立した状態について、何度が私自身疑念を与えてきた。江藤の議論を断片的に読んだ限り、この「純粋贈与」の成立は明示されない。それは可能性の議論にとどまっている。
 しかし、河合のいう父性原理はそれとは異なり、この「純粋贈与」が成立した上での個人主義をすでに語ってしまっているのである。河合の議論の批判を厳密な意味で行うのであれば、この点にあるのではないかと考える。


○理念型の運用についてどう考えるか?
 もっとも、「理念型」の話に立ち返って物事を考えてみると、ある意味で、河合のような父性原理の性格付けというのは、理にかなっていると言えるのである。一見すれば、河合はこの「父性原理・母性原理」について価値中立であることを繰り返し明言しており、なおかつ、このような区分というのは「大雑把」なものであることを認めている。

「今回はあまり論じる機会はないが、他のアジアの国は日本よりももっと母性原理優位ではないかと思われる。日本は後にも述べるように父性原理をアジアの諸国よりは取り入れているところがある。と言っても、大まかな比較をする限り母性原理による社会と言っていいだろう。
もちろん、これはきわめて大雑把な比較である。そして、ある文化や社会がひとつの原理のみで成立するはずがないので、片方が優位の場合でも他の原理による補償が行われるように、うまく工夫されているのが実状である。ここで認識しておかねばならないのは、この二つの原理を論理的に矛盾しない一つの原理に統合することは不可能なことである。そして、この原理のどちらがよいなどということはできず、まさに一長一短である。」(河合「臨床教育学入門」1995,p63)

 この大雑把さというのは、理念型と実態との関連の議論でいうならば、それが十分位置付けできていない、という意味で用いられていると言ってよいかと思う。これ自体はその性質の整理という意味では、厳密さに欠けていようとも論じることに大きな問題はない(もちろん、誤配という領域においては問題になり続けるが)。
 しかし、これが何らかの批判や、改善を求める言説と結びつく場合は話が異なってくる場合がある。そのような批判等を行うために河合のような理念型の運用を行う場合、すでに理念型はその仮説的位置付けを超え、自明の理として性質付けられることになる。何故なら、そのような位置付けがなされない限り、現状の批判そのものが機能しなくなるからである。
 明らかに河合は日本の学校教育、そして母性原理社会であるとされる日本に対して批判的な立場から議論を行っている。この批判性は当然母性原理そのものの批判ではないが、現状改善の必然性を強く訴える論調である。そうすれば当然「大雑把」な分類をしていたはずの「母性原理・父性原理」は、その大雑把さを失う。そして、江藤においては議論されえた領域の議論が排除されてしまうのである。結局、河合は自らの態度に矛盾を抱えてしまっているという解釈をするほかなくなってしまう。
 このような矛盾的な態度というのは、河合の場合むしろタテマエ的に理念型を捉えてしまっていることに起因しているという印象を強く持ってしまう。「理念型は実態と一致しない」「理念型は善悪をそれ自体示さない」というのは理念型の大原則である訳だが、それを河合がタテマエとして確認しているだけなのではないのか、つまりそれは形式的に述べられているに過ぎず、その実質的な意味合いにまで吟味せずに述べてしまっているからこそ、矛盾した態度を取ってしまうのでないのか、という疑念をどうしてももってしまうのである。

 一応付言しておくが、江藤の議論もまた十分に客観的な実態に基づいて分析をおこなっている訳ではない。江藤のいうアメリカも断片的でしかない。しかし、たとえそれが「偏見」であるにせよ、江藤のような見方で「父性原理」を捉える余地は大いにある訳であり、その可能性の議論を否定した上で、河合の言うような二項対立的な「父性原理」は語られるべきであるということである。


<読書ノート>
p70「そして「父」である「国家」は、それ自体がヨーロッパという「父」に対して反抗し、独立したという「子」のイメイジを内包しており、カウボーイは容易に自分をこの「父」と一致させることができる。つまり彼は父性的な文化のなかで育てられた人間である。」
p72「もし息子が「父」のイメイジを自分に一致させようとすれば、それは「進歩」否定として社会心理上の制裁を受けなければならない。この社会で「進歩」がほとんど無条件にプラスの価値と考えられているのは、「進歩」が「西洋」=「近代」に対する接近の同義語だからである。もともと「父」を「恥じる」感覚の底に、「他人」の眼に対してという比較の衝動が潜んでいることはつけ加えるまでもない。ここでいう「他人」が西洋人であることはいうまでもないであろう。
注目すべきことは、この「進歩」の過程で社会が急激に崩壊して行くということである。いいかえれば、「父」によって代表されていた倫理的な社会が、次第に「母」と「子」の肉感的な結合に支えられた自然状態にとりかこまれて腐蝕して行く。」

p97「なぜならすでに述べたように、近代日本の社会で人は「他人」のためにも「自分」のためにも生きられないように存在しているからである。「他人」のために生きて「責任」をとったり「救おう」としたりすればかならず「とまどわ」なければならず、「自分」のためにもまた「他人」のためにも生きられず、そこに「社会化された私」などというものは成立しない。」
p111-112「エリクソンは、あらゆる女性的な不安のなかでもっとも根源的なものは、この「置き去りにされる」不安だといっている。それが女性が幼児期に経験する、もっとも深い性徴の自覚と結びついているからというのである。だが、それにしてもいったいなぜこの女性的な不安が、ほかならぬ昭和三十年代の日本人の心をあれほど強くとらえたのだろうか。
いうまでもなく、それはもともと日本の社会の根底をしめているのが女性的、あるいは母性的な農耕文化だったからにちがいない。それに加えて敗戦とそれにつづいた占領が「アメリカ」の代表とする近代産業社会と日本の農耕社会との落差を、誰の眼にも明らかなものとした。」
※模倣的なのもまた母性社会だったから、ということになる。

P146-147「近代日本の社会が、「父」のイメイジを稀弱化し、敗戦がさらに支配原理そのものを否定したことについても、前に触れてある。彼には「母」もなければ、「父」もない。ただ「家」だけがあり、その中を治める手がかりを俊介はどこにも見出せない。」
P147「それは作者が俊介と同様に、「母」の文化のなかで育って来た人だからにちがいない。つまり作者が「父」の背後にいる超越神よりは、「母」の背後にひそむ自然神に対して宗教感情を感じるような人だからにほかならない。」
P148漱石儒教の超越的・父性原理「天」の基軸を作品に内在させていた

P174「私は十六・七世紀の日本に在来のどんな強力な父性原理があったかよく知らない。しかしそのとき「天主教」は、主として母性原理によって成立していた日本の農耕社会に強力な父性原理を注入しようとした。それはいうまでもなく農耕社会に侵入してきた遊牧民族の原理である。この「天」の思想が、やがてもうひとつの「天」の思想である儒教と角逐して追われたのは自然である。」
P185「果して「父」を抹殺してしまった世界で、人は生きられたか。「父」への信頼を喪った者同士が、どうして結びつくことができたか。いったい父性原理の欠けた秩序がありえたか。……
……人が喪失した「母」の回復にのみ救済を見ようとするかぎり、回復されるのは幼少期の投射であって決して秩序でも社会でもあり得ない。なぜならあらゆる父性原理は、おそらく「喪失された幼年期」意識の上に、それが決して回復され得ないという断念の上に築かれるもののはずだからである。」

p221「しかし「彼」がなにに熱中していたとしても、おそらく彼は映画に出て来るイタリア移民の石工とはちがって、「自分を罰し」なければならないようなことをしているとは感じていなかったにちがいない。つまり「彼」には、「罰する」ことのできる「父」の視線を感じとる感覚が欠けていたからである。」
p223「だが妻の自殺未遂に直面させられたとき、「彼」のなかでは「母」とともにこの素朴存在論の世界全体が崩壊する。そのとき「彼」ははじめて「個人」というものになり、その前で妻は不可解な「他者」というものになった。この「他者」は眼の前にいながら、同時に無限の彼方にいて、触れあうことができない。」
p224「ここで『夕べの雲』の主人公が、「天に対して全身をさらしている」と感じているのは、注目に値する。「母」が崩壊したときはじめて「天」が、つまり「罰する者」としての「父」が求められているからである。この「天」は、いうまでもなくあの怯えの現存、または偏在を前提としなければ出現し得ない。」

p245-246「彼の内にある「母」が崩壊していったように、彼の周囲の「自然」破壊され、一切は「もうこの世には無いもの」のように見える。大浦は実はそういう、「幻」の世界に向って立っている「治者」なら、彼はあたかも世界が実在するかのように、そして秩序がそこに実現されるかのように、しかもそのいずれをも少しも保障されずに生きているのではないであろうか。
これはいうまでもなくきわめて意志的な生きかたである。大浦にこういう生きかたを選ばせているのは、あの怯えにほかならない。彼はその怯えを内に隠して、あたかも「天」によってその権威に支えられた「父」であるかのように生活している。しかしこの沈着な家長は、いつどこからこの「父」のイメイジをあたえられたのだろうか。ここにはおそらく『夕べの雲』の核心に触れる秘密が隠されている。現実の「天」は大浦を畏怖させるものであっても彼を権威づけるものではなく、「不寝番」を引きうける彼の孤独な努力を意味づける価値は、実はこの小説のどの部分にも出現しないのである。」

p254「アメリカと私」の説明…「敢えていえば、それは、人はこの国(アメリカ)では孤独であることが許されている、とでもいうような感覚である。これは個人主義などというイデオロギーとは何の関係もない感覚であり、況んや自由とか民主主義とかいうお題目とは、似ても似つかないような感覚である。むしろ、個人主義や自由や民主主義は、単にこの感覚を包んでいる風呂敷のようなものに過ぎず、実際にアメリカで生活していると、個人主義や自由や民主主義ではなくて、この感覚だけが骨身に沁みついて来るのである。」