ミシェル・フーコー「フーコーコレクション5 性・真理」(2006)

 今回は永らくレビューを続けてきたフーコーの議論について一区切りをつけたい。本書はフーコーの単行本以外での掲載論文・インタビュー等について時系列でまとめた「ミシェル・フーコー思考集成」(全10巻)をテーマ別に6巻に再構成したものの5巻目にあたる。「パレーシア」の議論の関連は概ね本書を中心に語られており(思考集成では9、10となる)、本書のノートを掲載した。

 2年以上も前に宿題にしていた「主体の解釈学」のレビューにおける三つの論点について今回は考察していく。


 まず、「1.自己の実践と他者の対話の関係性について」である。これについては真理そのものは他者を介在させない限り、ありえないものとフーコーはとらえながらも(「真理の勇気」p429)、それに対する自己の実践というのはいかなる位置付けがなされるのか、という論点であった。「ソクラテスのパレーシア」においては、他者との実践の中で私自身が無知であると言うことを理解しつつ、「魂の専心」を続けることで、真理を見出すということ、また「キュニコス派のパレーシア」においては、私自身が他者であることを提示しつつ、他人との関わりの中でその違いを認識していきながら、「人間の普遍性への配慮を行えている」という意味での真理を目指すものとされていた。そして、何よりもここで語られている「真理」というものの性質自体が、いわば未完成のものとして、「キリスト教のパレーシア」で語られていたような「約束された未来」を告げるような性質の「真理」ではないものとして捉えられていた。
 私自身、「主体の解釈学」のレビューの時点では、真理の実践は私に重きが置かれるのか、他者との対話を重視するのかという形で問題を提起していたのであるが、フーコーの答えは「私の実践が重要なのはあたりまえであり、他者の実践が重要なのもあたりまえ」であるという、一見つまらないものといえるだろう。しかし、見方を変えてみれば、ソクラテスのパレーシアは他者との対話を通じて、キュニコス派のパレーシアは自らの実践を説明しながら行われたことをそれぞれ主軸に置きながらも、結局はどちらも等しく真理の実践といえると述べ、どちらにも優劣をつけることなく議論を行ったのであった(※1)。これはある意味で真理が単一でない性質をもっていることを述べているようにも思えます。ここでどちらがよいかを選択するのは、「真理」の不可能性に照らし合わせれば、ナンセンスだと感じたのかもしれません。そしてそれはそれ程外れた考え方でもないように思える。


 次に「2.自己への配慮と他者への配慮の違いについて」。これはソクラテスの実践(=「自己への配慮をせよ!」と他者に働きかけるという「他者への配慮」を行うこと)を行うことと自己への配慮の実践の関係性をどう考えればよいのか、という論点であった。この問いにはおそらくフーコーは正面から答えているようには見えない。というのも、フーコーはむしろソクラテスのみについての議論を行っているといえるからである。
 この伝道師としてのソクラテスは「神」からその使命を預けられたものされるのである。

ソクラテスはパレーシアステースです。しかし思い出してみてください。彼はいったい誰から、そのパレーシアステースという役目、人々を呼び止めに行って袖をつかみ自分自身に専心せよと彼らに語るという使命を授けられたのでしょうか。彼はそれを、デルポイの神から、そしてその決定を言い渡した預言の審級から授けられたのでした。」(「真理の勇気」p35)

 最高の知者はソクラテスであるという神の預言に基づき、自らを最高の知者であるはずがないと考えたソクラテスは、むしろ無知であるという自覚が「最高の知者」である所以なのだと解釈することで、自分自身への専心の必要性を説く確信に至ったという解釈をフーコーはしています(※3)。つまり、ソクラテス自身については、「自己への配慮」がなされていることは自明のことなのである。
 もっとも、自己への配慮の実践を師を介して行うような場合において、基本的には師が「無知」でない限り、「対話」によるパレーシアの実践自体が成立しないということは正しいように思う。私が「主体の解釈学」で行った際の議論においては、師と弟子の議論が「平行線をだどる」可能性について述べた。しかしある意味で、平行線をたどってしまうのは、「自己への配慮をせよ」という意味合いが弟子に対して正当性をもたない場合であるといえる。そしてその正当性の問題については、「無知の知」という観点から見れば、恐らく「無知の知」を実践できる師においては、弟子の「無知」を指摘することにより、その主張の正当性をあたえることができるように思われる。結局、このソクラテスのパレーシアの実践の有効性は、師の力量次第ということになると思われる。私の論点提出は、ソクラテスの事例にも少し疑問を持っていたが、概ね問題になるとは言い難いものといえるだろう。


 最後に「3.政治と倫理の関係性」について。これについては理念型の議論等でもほかの論者の場合の考察を進めてきていた訳であったが、フーコーについてはどう捉えるべきであるか?前回指摘した部分を再度引用しておこう。

「私たちが試みなかえればいけないのは、個人が自然で基本的な人権を持っていることに価値を与えることよりもむしろ、関係に関する新しい法律、あらゆるタイプの関係を可能とし、関係が制度からの妨害、障害、抹消を受けて貧困化されないような法律を考え創造することなのです。」(「ミシェル・フーコー思考集成9」2001、p120)

 少なくとも、コレージュ・ド・フランスの講義におけるフーコーは明らかにこの分離を徹底し、政治性を排除した形でパレーシアの系譜学を議論していたといえるだろう。しかし、フーコーの議論の範囲を全体にまで広げた場合には、最後まで曖昧な態度を取っていると読める部分があったことを否定することはできなかった。

 確かに竹田のレビューでも述べた通り、フーコーは指示的な態度、つまり人々の価値判断に直接結びつく「価値」を提示するという意味での分析を行おうとすることを徹底的に拒否しようとしていたことは随所で述べられている。

「もしあなたが「倫理」という語を、私たちがいかなる仕方で行動すべきかを語るコードであると理解なさっているなら、むろん『性の歴史』は倫理の書ではありません。しかし、あなたが「倫理」という語を、個人が行動する際に自分自身に対して持つ関係であると理解なさるのなら、そのとき、そうした自分自身への関係は一つの倫理であることになる、あるいは少なくとも、そうした関係が性的振舞いの倫理とはどのようなものでありうるかを示すことになる、と私は言いたい。それは、私たちの性生活の現実を規定する深遠な真理の問題によっては支配されないような倫理、ということになるでしょう。」(「ミシェル・フーコー思考集成9」2001、p440)

「私は十九世紀初頭までの精神医学の歴史を書いただけです。いったいなぜ、こんなにもたくさんの人々が――そこには精神科医も含まれています――私を反精神医学者とみなすのでしょうか。彼らが自らの制度の真の歴史を受け容れることができない、という単純な理由から明白なのは、精神医学が疑似科学であるという徴しです。真の科学は、その始まりのちょっとした不名誉な歴史さえも受け容れることができるのです。
したがって、どのような点で予言者を求める声が強いかおわかりでしょう。それは何か、私たちが振り払わねばならないものなのだと思います。人々は、歴史的分析、社会学的分析、あるいは私たちが提示できるその他のあらゆる分析を出発点に取ることで、自分自身の倫理を練り上げねばなりません。真理を見抜こうとする人々が、同じ書物や同じ分析を通じて倫理的原則あるいは実践的助言を示さねばならない、とは私は思いません。掟のこと網目全体は人々自身によって練り上げられ、変貌されねばならないのです。」(同上、p441)

 しかし、である。少なくとも翻訳されたもののレベルにおいては、本書のp331において「支配の諸効果を避ける」という言葉が用いられている。ここでの問いの立て方というのは、極めて具体的に「避けるにはどうすればよいのか」となっており、当然このような問には答えが用意されなければならない、ということになるだろう。では、それは誰が答えるべき問いなのであろうか??もちろん、フーコーフーコー自身でその答えは述べないと考えるだろう。しかし、このような言明は、現状を否定し、変えるべきであると考えていることは明らかなのである。
 そこでフーコーの議論を再度読んでみると、結局このような主張に行き着くことになるように思われる。

「じつを言えば、私がとりわけ欲したことは、政治に対して問いを投げかけることであり、市民権をもっていない問いを、政治の場において、歴史的かつ哲学的な糾問として出現させることでした。私が立てようとしている問いは、あらかじめ存在するこれこれの政治的構想によって規定されるものでも、きまった政治的企図の実現へと向かうものでもありません。」(「ミシェル・フーコー思考集成10」2002、p37-38)

 ここで語られるフーコーが避けようとしてきたことは、「あらかじめ」存在する政治思想への加担である、とここでは述べている。しかし、このこと自体は政治的発言であることそのものを否定している訳ではないのである。ヴェーバーの議論ですでに議論したとおり、これを政治的なものと結びつけるかどうかというのは、各個人の解釈問題を超えるものでは決してない。したがって、このような「市民権を持っていない問い」を明らかにすること自体も政治性を帯びているという余地はあるのである。そして、ヴェーバーも認めた通り、現在の政治の問題を提起する場合には、それは確実に政治性を帯びることを回避することはできないのである。これを極力回避する方法こそが「絶えざる問題の再構成」であるとフーコーは考えていた言うことはできるだろう。

 しかし、フーコーがそのような態度を徹底していたのか、と問われると、私はノーと言うしかない。フーコーが繰り返す自身の系譜学の分析の「弁明」は、やはり大いに誤解される恐れがある。そしてそのような誤解がジジェクや竹田が行ったフーコー批判にそのままつながっていくものなのである。

 では、どのような状態が政治と学問の分離の「態度の徹底」と呼べるのか?特に思考集成・フーコーコレクションにおけるフーコーの議論は自らの研究に対する意義を問われる側面がある意味でメタ的であることを回避できない。メタ的であるということは、具体的な議論からは距離を置いているということである。つまり、系譜学においては「いかにして」なされたかといった具体的な物語が語られることになるが、メタ的な議論においてはその物語から離れるということである。そして、問われるのは、「なぜ」その物語を語るのかになる。この何故の問いは、結局その議論の価値についての言明であるということになる。
 すでに支配的になっている価値観に対して対抗的な価値観を対立させない限り、その価値観について変化させることは基本的に難しいという前提のもとでは、このようなメタな問いについても正当化されうる。しかし、本当にそうなのか?実際のところ、支配的な価値観そのものがいかに我々にとって不自由でありうるか、を問うだけでは足りないのか?


 竹田の議論との兼ね合いで言えば、価値の創造、多様性を共有するためのルールの創造こそが大事であると述べられていたが(竹田2004、p69)、結局このルールを設けるのは誰なのかという問題を内包している。恐らく、竹田の議論においては、これが「学者」によっても積極的に行われるべき性質のものとしているといえる(※2)。これに対して、フーコーの立場はかなりあいまいである。フーコーも完全な政治の領域と学問の領域の分断を行っている訳ではない。しかし、「政治」の領域を「既存の価値観に加担するかどうか」で判断することによって、両者の区別を試みているものとも言える。しかし、この解釈もフーコーの議論を説明し尽せていない。結局フーコーは自分の発言に対して一般人から「答え」を求められること自体を否定していたからである。フーコーの意図が「価値への『加担』」ではなく「価値の『可能性』の提示」に向けられているのは確かである。しかし、フーコーの発言群から見れば、それを誤読する可能性が大いにあるため、その責任がフーコーにあるのではないかという見方を否定できないということである。


※1 もっともキュニコス派のパレーシアに加担したいような様子があるのは事実であるが、これは恐らく現在の状況における状況を考えるにあたり、示唆的な内容をより含んでいるとフーコーが考えていたことの裏返しなのではないか、とも思える。

※2 竹田のポストモダニズム批判においても、この前提による影響が大きいのではないかと思う。竹田は学者がそのようなルール作りを積極的に行うべきだとするからこそ、フーコーのように「個々の判断でルールを決めよ」と述べ、学者としては何ら答えを提示しようとしない態度を批判しているのではないかと思う。しかしこれは結局学者としての立場についてどう考えるのか、という問題を支持するかどうかが、竹田の議論を支持するかどうかの答えであるということではないだろうか。

※3 もっとも、この論法もソクラテス自身が神に対する絶対的信仰がなかったならば、成立しなかったことを考えると、それは「自己への配慮」という論点から考えるとありなのか?という疑問は出てくる。つまり、ソクラテスの「無知の知」という発想自体が、「自己への配慮」を全く欠いたような(絶対的な)他者への依存を前提にして成立しているのではないかという疑問である。そして、それはそのままやはりソクラテスは「自己への配慮」の実践者として妥当だったのかという問題を引き起こす。
 「無知の知」の実践において、師の力量が結局ものをいうという解決の仕方は、ソクラテスの質そのものを曖昧にしてしまう。もちろんフーコーはその質の高さは頂点にあることを疑ってもいなければ、このような論点の存在すら自覚していないと言えるため、この議論が質の問題であるとも捉えてはいない(としか読めない)。見方を変えてしまうと、「無知の知」のゆるぎない実践を支えているのは絶対的な信仰心でしかなかったということにもなる。もしくは、ソクラテスが最高の知者であると(絶対的な)他者から命令されているにも関わらず、絶対的な否定をもっていたからこそ、「無知の知」の優れた実践者としてありえたという考え方もできる。しかし、ここでの命令自体がそもそも「神」、ないしその使者からのものであり、実体性があったのかにも疑問を付すことができる。結局ここでいう「神」は自分の内面として反映された存在としても、対外的な他者として服従する存在とも読み取れるのである。
 いずれにしても、条件としての「無知の知」の実践は自己自身に対する訓練を必要としているという点については変わらない。ただ、「神」をどう置くかによって、ソクラテスに対する評価は変わりうるということである。

(5月27日追記)
 忘れていましたが、「性の歴史1」のレビューをした際に残していた課題にこたえておきましょう。
 ここで提出していた課題は、フーコーの権力観とも関係しますが、フーコーの行う系譜学的分析がこの権力観に対していかに関連付くか、というものでした。

このレビューの中でドゥルーズを引き合いに出して権力観についてまとめましたが、結局、ドゥルーズフーコー読解はフーコーを正確に捉えているとは言えず、フーコー自身の取り組みをメタな議論として(まさにポストモダニズム的な解釈として)捉え返してしまていると断言してよいのではないでしょうか。そもそも「性の歴史1」で分類したクロノス的権力観とアイオーン的権力観というのは、やはりフーコーにおいては二分化されることが決してありません。
 この二つの権力観の分断はある意味で「戦略性」を帯びたものだったと言えます。クロノス的権力観では補足できないものをアイオーン的権力観を捉えよう、という意図がそれです。確かにフーコーの権力観(もとい、真理をめぐる議論)において、「新しい関係性」を「構築」しようとすれば、そのような態度を取っているのでは見られるのは当然でしょう。しかし、実際の所、フーコーはそのような「構築」まで行おうとしていたのかは疑問もあります。結局ここでいう「構築」とは、フーコー自身の関心ごとでしかない(他者にとっては「構築」をしているように見せようとしていない)というのが一つの理由、そしてもう一つは実際70年代後半からのフーコーの系譜学の分析の中からはこのような「構築」めいたことは結局一つも行われることがなかったこと、こちらが非常に重要な論点ですが、この意味で、2つの権力観による戦略性というのは、フーコーの議論の中では、少なくとも主たる対象となっていなかったと私は捉えています。
 もっとも、この議論は系譜学(歴史分析)の議論においては、権力観として考えられがちなクロノス的権力観からの脱却というのは一つの課題であったといえるだろう(cf.「性の歴史1」1986、p117)。それは、「権力」が決して「上から下へ」強要されるものであるものだけではなくて、「下から」の要請に対してもいくために用意されているものであって、その関係性について捉えるには一面的であってはいけないからであった。ここでもフーコーの意図はあくまで学術的な意味での、政治性とは切り離した形での「分析学」の確立のためにあったのであって、新しい権力観の「構築」を行おうという意図があったといえるかは微妙といえる。

 しかし、やはりフーコーの語りを読んでいくと、これが疑わしく見えてくるところが複数個所確認できるのである。まず、「性の歴史1」から引用してみる。

「私が抑圧の仮説に対置させようと思う疑いの目的は、この仮説が誤っていることを示すというよりは、そのような仮説を、十七世紀以来の近代社会の内部における性に関する言説の全般的生産・管理構造の中に置き直してみることだ。……要するに問題は、人間の性現象についての言説を我々において支えている<権力=知=快楽>という体制を、その機能と存在理由において決定することである。」(「性の歴史」訳書1986、p19−20)
「そこからまた、重要な点は、次のようなことを知ることにあるだろう、すなわち、どのような形のもとに、どのような水路を辿り、どのような言説に沿って、権力というものが、最も細かくかつ最も個人的な行動の水脈にまで忍び込んでくるものか、……要するに「権力の多形的な技術」ということだ。そこから更に言えば、重要なのは、これらの言説的産物やこれら権力の作用が、性について真実の表現へと導くのか、それとも反対に真実を隠蔽する虚偽の表現へと向かうのかを決定することにあるのではなく、これら言説的産物にとって支えであると同時に道具ともなっている「知への意思」を、はっきりと取り出してみることなのだ。」(同上、p20)

「欲望がどういうものであれ、いずれにせよ人は相変わらず欲望というものを、常に法律的で言説的な権力との関係で、つまり法の言表作用のなかに中心点を見出すような権力との関係で考えるのだ。人は<法である権力>、<主権である権力>という一つのイメージに相変わらず固執しているのだが、そのようなイメージは、法律的権利の理論家と王政制度が描き出していたものだ。そしてまさに脱却しなければならないのは、このようなイメージだからである、つまり法と主権の理論的な特権というものがあって、権力の分析をその技法の具体的かつ歴史的な働き=ゲームの中で行おうとするなら、それは是非とも必要である。もはや法律的権利をモデルとも基準とも見なさないような権力の分析学を打ち立てねばならないのだ。」(同上、p117)
これらの引用をみていくと、フーコーの議論の方向性は二重に見えてきてしまう。まずもって支配的かつ一方的な権力観であったり、法定されたものイコール権力として見るような発想は、確かにそのような権力観ではないもの(ミクロな権力観)を隠蔽するのに寄与している。しかし、そこでそうではない権力観を考察しようとすると二つの方向性が出現するのである。1つは「学術的」な側面からそのように捉えるという考え方、もう1つは「啓蒙的」、いわば「政治的」にこのようなミクロな権力観についての認識を一般的なものとしていこうとする考え方である。フーコーが本書を書くに至ったのは、p19-20にみるように、そのような見方をする権力論(研究手法)を採用することへの懐疑であったのは確かであるが、しかし同時にフーコーはp117で述べているように、一般的な人々の認識と密接に関わっているかのように描いて見せ、それを改めるべきだとしているように読むことが可能である。これらの二重性は、ヴェーバーの理念型をどう考えるかでも議論した点だったが、フーコーにおいても同じように論点でありうるのである。

フーコーのいう「戦略性」とは結局何なのか?
 また、このような「学術性」と「政治性」の議論の曖昧さは「戦略性」という言葉にも見られる。私自身もこの言葉の用法についてはずっと疑問に持ち続けていたし、フーコーの議論を追ってみて、フーコーの真意としてそれはないと今では断言しますが、やはり語弊のある言い方をしているという印象は今でも持ち続けている。誤解されやすい「戦略性」の2つの文脈を引用で比較してみよう。

「国家なる抽象的なものが強制する兵役といった制度がこれほど陰微にしてかつ暴力的に堅持され続けてきたのは、それを強制する力が、さまざまな個体的で局部的な「権力」関係の内部に根をおろし、それを戦略的に利用してきたからです。「権力」ということばで明らかにしたかったのは、こうした関係です。」
(「フーコー・コレクション4」2006、p420-421。なおこの文章は1977年のもの。)

「精神病院や警察に関して、また性のフィールドにおいて、私はいくつかの経験をしました。これらすべての状況で私は闘おうとしましたけれども、あらゆる点における人類の苦悩に抗する普遍的闘士を自称したりはしません。いくつもの闘いの形態に参加しましたが、そうした闘いの形態に対して自分の自由を失わずにいたいと私は望みます。一貫性は戦略的な性質のものであると言いたいと思います。あの点やこの点について私はたたかいますが、それは実際のところ私にとってその闘争が私の主体性において大切だからなのです。
しかし、主体的な経験から出発して画定されるそうした選択を越えて、真の一貫性を発展させるような違った局面に到達することもあるのです。ここで言っているのは、人間の一般理論に根拠を置かないひとつの合理的図式あるいは出発点です。」
(「ミシェル・フーコー思考集成10」2002、P152)

 ここで前者は非常にイメージのしやすい、しかしフーコー読解においては誤解も孕む「政治的な戦略性」の文脈、そして後者はフーコーがそこから逆らおうとして語られる「学術的な戦略性」です。実際の所、「戦略性」という言葉自体は、前者の文脈の方が多く語られていることは問題かと思われます。しかし、後者においてはフーコーは政治的な加担を自身が行っていることを否定します。結局それは自身にとっての一貫性でしかない、そしてそれこそが「戦略性」の文脈として位置付けられていることがわかります。フーコーはこの直後の部分で「最終的には、私はどのような形であれ一貫性を展開するためのいささかの努力もしていない、とお答えしておきましょう。」(同上、p152)と述べているのも、「一貫性」という文脈自体が私のものでしかないことを強調するために用いていると言うことができるでしょう。
 結局、フーコーはここでも「政治的なもの」と「学術的なもの」との間で彷徨っている。この部分では自らの生き方について定義づけられてしまうことへの抵抗として述べられている「非一貫性」と、それでも自らは一種の「一貫性」を持っているという態度の態度が見て取れる。確かにフーコーはここで「一貫性」を持っているとは語っている訳ではない。しかし、恐らくフーコーは「でたらめをやっている」とは語ることはできないはずなのである。何故なら、それは「何でもあり」を認めることと同じになるからである。仮に世間的に見て「でたらめ」であったとしても、それが「生の形式」として、一つの型として成り立たせなければ、末期に行ったパレーシアをめぐる議論自体も全く無意味なものとなるように思える。「何でもあり」でただ「戦略的」な抵抗を試みるのであれば、わざわざ古代ギリシャの話などを持ち出す必要性など全くなくなるということである。また、「何でもあり」の態度を認めることが「真理」とみなすならば、わざわざ「真理」に対する型の分析など不要となるはずである。ヴェーバーのレビューでこのような二分法は結局「受け手」の問題にしかならないことは確認したが、フーコーは少々これを認めようとせず、「自己」の領域に固執しているように見えるのは確かである。そしてそれがかえって誤解を招くもとにもなるように思う。


最後にもう一点、誤解を招く議論のされ方がなされている部分について引用しておこう。

「実のところ、「囚われている」という言葉が適切だとは思いません。闘争が問題になっているのですが、私が言いたいのは、権力関係を語る時、私たち全てが戦略的位置にあるものだということです。例えば、私たちは同性愛者であるが故に、政府と闘争関係にあり、政府も私たちと闘争関係にあるのです。私たちが政府と関わる時、その闘争はもちろん対称的なものではなく、力関係も同じものではありませんが、私たちも政府もどちらも闘争に参加しているのです。私たちの一方が他方に勝利を収め、その状況が続くことで次の行動を決定され、行動すること、あるいは行動しないことが影響されるのです。それ故、私たちは囚われているのではないのです。ところで、私たちは常にこの種の状況にある、つまり、私たちには状況を変える可能性があり、この可能性は常に存在するということです。私たちはこの状況の「外」に身を置くことは出来ませんし、この関係から自由になることは決して出来ないのです。」(「ミシェル・フーコー思考集成10」2002、P261-262)
 この最後の一文が誤解が生じえる部分である。ここでは「自由になることが決してできない」と述べられており、これはしばしばミクロな権力関係から逃れることができない、という意味の解釈としてフーコー読解をされるような部分といえる。しかし、そのような解釈は誤解が含まれていると思われる。直前の一文に示されているように、人間関係の中で、権力関係が発生する「可能性」は確かに常にあるということ、そして我々が特に「国家」という枠組みの中で生きている以上、そのような関係性に対して「自由」になることはできない、と述べているにすぎないように思えます。結局、「外」に身を置くことができないのは、そのような関係性のない状況というのを思考すること=その「可能性」を否定してしまうことがナンセンスであるということなのだと思います。そして、この「可能性」を否定するとするならば、やはり既存の関係性について捉えつつ、その関係性を「解除」するために権力関係を見直さなければならない、ということでしょう。これを「自由」と呼ぶかどうかは議論の余地があります。もっとも、フーコーがここで国家権力による働きかけを自明視していることについては批判が可能でしょう。
 結局我々が権力関係の「外」にあることが想定できないという言い方は、そのような関係性を設けようとするような要素があらかじめ存在しているからに他ならない。そしてそれは基本的に「国家」という枠組みにおいて、我々が国家と契約的関係を結んでいることと関係している限りにおいて妥当しているといえるだろう。この場合、「外」に身を置く可能性を否定することは、あらかじめ「国家」という枠組みを解体することや、「国家」との契約的関係の在り方そのものを見直すことを否定してしまう発言をフーコーがしてしまっていると読める点で批判可能である。フーコーは我々が自由に生きるために問題の再構成化をしなければいけないと言っていたにも関わらず、あらかじめそれを否定しまっている発言をしているとみなすことができるのである。

 以上のようないくつかの議論を踏まえると、フーコーの意図がやはり最後までよくわからない部分があるとみることもできるし、批判の余地はあります。しかし繰り返しますが、このことは竹田がフーコーを批判したような態度を、フーコー自身とっていたとは必ずしも言えないだけの十分な根拠があるのも事実なのである。



<読書ノート>
p19「私が求めたものは、いかにして権力の諸関係が、主体の表象に媒介される必要すらなくして、肉体的に、身体の厚みそのもののなかを通過できるのか、それを明らかにすることでした。権力が身体に達するのは、まえもって人びとの意識のなかに権力が内面化されるからではありません。ある、バイオ・パワーの網目、すなわち身体権力の網目が存在するのです。つまり、しの網目を通して歴史的、文化的現象としてのセクシュアリテが生まれ、またその網目のなかでわれわれが自己を認識し、しかも自己を見失ってしまうような、そういう身体権力の網目が存在しているのです。」

p31「虚構の問題についていいますと、これは私にとって非常に大切な問題です。私はこれまでに虚構以外のものはいっさい書いたことはありません。はっきりとそう自覚しております。が、だからといってそれが真理の外にある、というつもりはない。虚構を真理のなかで働かせ、虚構の言説をもって真理の効果をもたらす可能性はあると思っています。いまだ存在しない何ものかを真理の言説が誘発し、つくりあげ、したがって「虚構をつくりだす」、そういう可能性はあると思う。歴史に真理をあたえる政治的現実から出発して歴史を「つくりだし」、歴史的真理から出発して、いまだ存在しないひとつの政治を「つくりだす」のです。」
※虚構の文脈は明確でないようにみえる。そのような政治や歴史の産出は無規定的な性格のものでよいのだろうか??

P69吉本隆明によれば三つの幻想領域論は「マルクスヘーゲルを始末しなかったところを生かす」ためのものらしい。
※始末しなかったところとは、「ヘーゲルの試みた全意志論の体系をそのままの残した」こと(p69)である。これについては註で「ある思想的な概念の〈以前〉ということと、その概念の〈以外〉ということに、わたしたちの分担すべき領域が存在するはずだ」(p110)と述べているが、これと関連するのか??とするなら、「国家」と「自由」の関連性についての枠組みとして幻想論が用いられていると言えるか(cf.p110)。
p72-73「ところが今日、われわれの政治的イマジネーションの涸渇ぶりはどうか。その貧困ぶりには全く驚嘆せざるをえません。その意味でわれわれは十八世紀や十九世紀の人びとの対極にいるのです。……肝腎なのは、マルクス主義が、政治的イマジネーションの貧困化に貢献してしまったし、いまも貢献しつつあるというのが出発点となっているのです。」
※「つまりマルクス主義とは、いわば権力的諸関係の総体というか、権力のメカニズムと権力の力学の総体なのです。」(p74-75)

p82 「さきほども申しましたとおり、人間のさまざまな行動と意志との関係を語るにあたって西欧は、いままで二つの方法しか持ってはいませんでした。つまり方法においても、概念においても、あの伝統的な自然—力という形か、それから法—善悪という形でしか問題が提起されていなかったわけですが、奇妙なことに、意志を思考するにあたって、人はこれまで軍事的な戦略にその方法を借りることはなかったのです。私としては、いわゆる意志の問題を闘争といいますか、あるいはさまざまな抗争関係が展開されてゆく場合の、その葛藤を分析する戦略的視点といった形で提起され得るのではないかと考えています。

p105 「私は今年、国家の形成をめぐって講義を行なっており、その講義の中で、西欧の十六世紀から十七世紀にいたる一時期の国家目的の実現手段の基盤といいますか、いわゆる国是というものが、どのようにでき上がってくるかという過程を分析しておりますが、それには、単に経済的な諸関係だの、制度的な諸関係だの、また文化的諸関係といったようなものの、そうしたものの分析だけでは、どうしても考えられないような、ある謎の部分につきあたってしまいました。そこにはぜひとも国家というものに向かわずにはいられぬような巨大な渇望というものが存在していて、まあこれは国家への欲望といいますか、それをいま問題となった言葉を使っていい直しますと、国家への意思と言い替えたほうがいいかもしれませんが、明らかにそういうようなものが問題とされざるをえないのです。
 国家の成立に関しては、それは決して専制君主のような人物や、上位の階級にある人間が、裏からそれをあやつったとかいうことではなく、どうにもわからない大きな愛というか意志みたいなものがあったとしかいいようがないのです。」

p123「キリスト教において、自己は、一つの錯覚として発見されるのではありません。そうではなくて、自己の発見は、終わりのない任務に場をゆずることになります。……自己自身の真理を発見すればするほど、自己自身を放棄しなければならない。そして、自己自身を放棄したいと思えば思うほど、自分自身の現実を明るみに出すことが必要になる。真理の表明と現実の放棄とのこの螺旋、これこそが、キリスト教によって実践される自己の技術の核心にあるのです。」

p229「自己を培うことがキリスト教によって継承されたときじゃら、それはエピメレイア・ベアウトウが本質的にエピメレイア・トン・アロンーー他者への配慮——となった限りにおいて、牧人=司牧型の権力の修練に役立つようになったのです。これは牧人=司祭の仕事でした。しかし、個人の救済はーー少なくともある程度まではーー魂の配慮を目的とする牧人=司祭型の制度によって導かれているのだから、自己への配慮の古典的な姿は消え去った、つまりそれは統合されて、それが持っていた自律性の大部分を失ったのです。
興味深いのは、ルネサンスのあいだに、一連の宗教的グループがこの牧人=司祭型権力に抵抗し、彼ら自身の身分を確立する権利を要求するのが見られることです。そうしたグループによれば、個人は教会制度と修道会と無関係に自己自身の救済を引き受けなければならないことです。」

p231-232「ヨーロッパ文化のなかには、十六世紀に至るまで、「真理に近づくことができ、また真理に近づくにふさわしいものになるために、自分自身に対して行うべき仕事とは何なのか」という問いが存続しています。すなわち、他の言い方で言えば、真理はつねに支払われるものである。禁欲でなければ真理に近づくことはできない、ということです。十六世紀まで、禁欲主義と真理への接近は、西欧文化においては、多かれ少なかれひっそりとしたかたちでつねに結びついているのです。
わたしはこれを打ち破ったのがデカルトだと思います。」
p232「自己への関係と他者への関係、つまり世界への関係とのあいだの接続点において、明証性が禁欲と取り替えられたのです。自己への関係は、真理に見合ったものであるためにももはや禁欲的である必要がないのです。その真理を決定的に把握するためには、今わたしが見ているものの明証性な真理を自己への関係がわたしに対して明らかにするだけで十分なのです。」


p290−291 「自己に対する関係の諸形態それ自体についてより適切な分析を行うため、私は最初に定めていたよりもさらに古く年代を遡ることになった。それは、諸々の知の効果がより少なく、諸々の規範的体系の複雑さがより小さいような時代を扱うためであり、そして可能ならば、性現象の経験を特徴づけるものとは異なるような自己との関係の諸形態を明らかにするためであった。」
p293-294「主体と真理のゲームの関係という問題について、これまで私は、強制のための諸実践と理論的あるいは学問的なゲームの諸形態、という二つの方向から考察してきました。……それにたいしてコレージュ・ド・フランスの講義では、自己の実践と呼びうるものをとおして、主体と真理のゲームの関係を理解しようとしてきたのです。」
※これを位置の移動であるとフーコー自身認める(p294)では、なぜそれが必要だったのか?

P295「私はずっと解放という一般的な主題には疑いの目を向けてきました。この主題を論じるさいには、じゅうぶんに用心を重ね、ある限界を設けたうえででないと、なにか人間の本性や根底のようなものがある、という考え方に陥りかねないからです。さまざまな歴史的・経済的・社会的な過程をとおして、人間の本性や根底なるものが、抑圧のメカニズムによって、そのメカニズムのなかに隠蔽されたり、疎外されたり、閉じこめられてしまったのだと、というような考え方です。……私の考えでは、検証もなしにこんなふうに解放の主題をみとめることはできません。解放は存在しない、ある具体的な解放が存在しない、などと言うつもりはありません。」
※社会問題の議論においても、抑圧と解放の議論が安易に語られがちである。
P296「しかし、よくご存知のとおり、こうした限定的な例のばあいにも、解放の実践だけでは、自由の諸実践をじゅうぶんに定めることはできません。しかし、解放の後でその民族、その社会、その個人が必要とすることになるのは、この自由の諸実践なのです。それによってこそ、彼らが受け入れ、容認することができるような生活形態や政治的な社会形態をみずから明らかにすることができるのです。」

P298「しかしながら、こうした解放がおこなわれたからといって、主体がそこで完全で満足すべき関係に到達できるような、セクシュアリテの幸福で満ち足りた存在は現れてきてくれませんでした。解放は新たな権力関係のための場を開くだけで、それを自由の諸実践によってコントロールしなければならないのです。」
※法律の問題をフーコーはどう考えているか、という答えはこの議論から次のように導けるか。それは結局、その法律により排除され、自由を求めるもの自身がいかなる実践を行っていくか、そしてその実践のなかにそのような法律の問題を位置付けていくべきではないのかという点である。いずれにせよ、フーコーはこのような実践を行っていくための倫理的な「理論」の構築を行っていこうとした、という文脈でパレーシアの実践を考察したという見方が可能となる。
P300「反対に現代社会では、ある時期からーーそれがいつからなのかを決定するのはたいへん難しいのですがーー自己への配慮はなにやら疑わしいものになってしまいました。自己に気を配るということは、ある時期から、自己愛の一形式、エゴイズムや個人的な関心の一形式として、糾弾されるようになってしまったのです。それは他者にたいして、必要な自己犠牲とともに向けられるべき関心とは矛盾するものになってしまった。それはキリスト教の時期に起きたのですが、たんにキリスト教のせいだと言うつもりはありません。問題ははるかに複雑です。」

P302「認識することなく自己に気を配ることはできません。自己への配慮はもちろん自己認識でもありますーーこれがソクラテスプラトン的な側面です。」
P305「ギリシャ人にとって自由とは、非奴隷状態——いずれにせよこの自由の定義は、現代人のとはずいぶん違うものですがーーを意味していたわけですから、すでに問題は完全に政治的なものであると思います。……自由であることは、おのれやおのれの欲望の奴隷ではないことを意味しています。」

p308−309 「――自己への配慮が他者への配慮から解放されてしまうと、それは「絶対化」するおそれがないでしょうか。自己への配慮の絶対化が、他者にたいする権力の行使の一形態になり、他者の支配へと向かってしまうのではないでしょうか。
――いいえ、そんな危険はありません。なぜなら、他者を支配して専制的な権力を行使してしまう危険があるのは、ひとが自分に気を配らず、おのれの欲望の奴隷となってしまったときだけなのですから。それにたいして、あなたが立派に自己を配慮するならば、つまりあなたが何であるのかを存在論的に知り、自分が何をできるのかを知り、ポリスの市民であり家の主人であるということはあなたにとって何を意味するのかを知り、おそれるべきこととおそれるべきではないことをわきまえ、希望を持つべきことと完全に無関心であるべきことをわきまえ、そして最後に、死をおそれるべきではないことを知るならば、そのときには他者にたいする権力を濫用することなどありえません。だから危険はないのです。」

P310-311「それにたいしてギリシャ人やローマ人はおのれ自身の生命において自己に気を配ります。彼らにとって死後に残るだろう評判だけが気にすべき唯一の彼岸なのですから、自己への配慮は自分自身に、自分の行いに、他者のなかで自分がしめる位置などに完全に向けられるのです。自己への配慮はーー後期ストア派においてあきらかになることですがーー死を受け入れることに完全に向けられており、さらにある程度までは、ほとんど死を願うことにすらなっているのです。」
※このような見方は過剰評価であるようにも見えるが…これは「死をおそれることがなければ、他者への権力を濫用することもないでしょう。この有限性という問題はきわめて重要だと思われます。」(p310)と述べる質問者への応答。
P311「キリスト教徒は死に救済を待ち望みます。ストア派においては、目の前にはもはや死の可能性しか残っていないような地点まで、自分の人生を早める運動のようなものがあるのです。」
※さて、有限性の問題を、統治の技術の変化からのみで説明できるのであろうか?この両者にはなお大きな隔たりがあるように思えるが……

p313 「私がしりぞけていたのは、――たとえば現象学実存主義がしがちなように――主体の理論があらかじめ前提にしてしまうことなのです。そして、この主体の理論から出発してたとえば、ある形式の認識がどのように可能なのかという問題をたててしまうのです。私があきらかにしようとしたことは、主体はどのようにして、ある限定された形式において、狂った主体ないしは健全な主体、非行者の主体ないしは非行者ではない主体として自分自身を構成するのか、ということなのです。そして主体は、真理のゲームや権力の実践などのいくつかの実践をとおして、そのような主体としてみずからを構成する。だから私は,ある種のアプリオリな理論をしりぞけなければならなかった。それは、主体の構成つまりさまざまな形式の主体と、真理のゲームや権力の実践などのあいだにありうる諸関係を分析できるようにするためなのです。」
※このような分析手法を自己への配慮に用いることの問題。

p320-321「自己への配慮の問題系は、新たな政治思想の核、今日考えられているのとは異なった政治の核になりうるものでしょうか。」という問いに対して…「とにかく、私はまだ全然検討していないような質問に答えたくはありませんね。古代文化を通して接したこうした問題を、あらためて捉え返すことができたらよいとは思っていますが。」
p329-330「しかし、いつも私が問題だと思ってしまうことがあります。ハーバーマスは、コミュニケーションの関係にきわめて大きな地位、いわば「ユートピア的な」機能を与えてしまうということです。真理のゲームが障碍も束縛もなく、強制的な効果もまったく受けることなく循環できるようなコミュニケーションの状態がありうる、というような考え方は、私にはユートピアの次元に属する考えだと思われます。権力の諸関係は、そこから解放されなければならないような、それ自体で悪いものではない、ということをわかっていない。権力の諸関係とは、個人が他者の振る舞いを導き、決定するためのさまざまな戦略のことだとするならば、権力の諸関係なき社会はありえないと思います。だから問題は、権力の諸関係を完全に透明なコミュニケーションというユートピアに解消してしまうことにあるのではなく、さまざまな法の規則や管理の技術、道徳やエートス、自己の諸実践などをみずからに与えることによって、権力のゲームのなかで、支配をできるだけ最小限におさえて活動することなのです。」
※理想的発話状態を指す。もっとも、教育もパターナリズムという権力を内包している以上、ハーバマスではなくフーコーのような考え方を支持しないと意味をもたない。

P331「問題はむしろ、こうした実践においてーーそこでは権力は働かないではいることはできず、それ自体では悪いものではありませんがーー、子供が教師の勝手で無益な権威に従わせられたり、学生が権威主義的な教授の言いなりにさせられたりするような、支配の諸効果を避けるにはどうしたらよいのか、ということなのです。私の考えでは、法の諸規範、統治とエートスの合理的な技術、自己の実践や自由といった用語で問題を立てなければならないのです。」
※このような物言いはやはりダブルスタンダードであるように思う。この問いは、自由の諸実践と関係あるのか?
P333「自己の自己への関係が、——まさに支配状態として理解されたーー政治権力に対する唯一可能な抵抗点だとは思いません。私が言いたいのは、統治性は自己の自己への関係を含意するということです。……自由な諸個人こそが、他者の自由をコントロールし、決定し、限定するのであり、そのために諸個人は他者を統治するための道具を使うのです。」

P343−344 フーコーの議論には主体がないと考えられていることに対して…「――区別することが必要です。第一に、たしかに私は、主権をもった創設的な主体、偏在する主体という普遍的形式は存在しないと考えています。私は、主体のこうした考え方に対してはとても懐疑的ではっきりと反対です。私は逆に、主体は従属化の諸実践を通じて構成されるものであり、あるいは、より自律的な仕方としては、古代におけるように、解放の諸実践、自由の諸実践を通じて構成されるものだと考えています。もちろんそれといえども、文化的環境において見いだされる一定数の規則、様式、慣用を通じておこなわれるわけですが。」
P352「マックス・ウェーバーが提起した問いはこうであった。人が真理の原理に関係づけて合理的な行動を採用し自身の行為を規制したいならば、自己のいかなる部分を断念するべきか。理性はどのような禁欲を代償として支払うべきか。どのようなタイプの禁欲に服すべきか。私の側としては、反対の問いを提起した。つまり、あるタイプの禁止にとって、どのようにして、あるタイプの自己についての知が、支払われるべき代償となったのか。断念を受け容れるためには、自己についての何を認識しなければならないのか。」