松下圭一「社会教育の終焉」(1986)

 本書は、タイトルの通り「社会教育は時代にそぐわず、滅ぶべきである」と宣言する一冊である。しかし、ノートでも述べた通り、固定観念をもって「社会教育」の領域をとらえる中で、「公民館」までもそのような「社会教育」の観念にしか縛られないものと思い込み、コミュニティ・センター及び行政の政策にも市民が関われるような「研究所」(p189)といったものを設けることで充分であると断じている。

 本書において擁護されうる点があるとすれば、公民館等の社会教育施設については、市民の自由な文化活動についてあらかじめ制約をかけているかのような印象を受ける点である。これは一方で本書で述べられている利得権益云々という議論もあるだろう。社会教育法で認められた社会教育関係団体への補助金の実態というのは本書では具体的に述べられることもないまま批判が加えられている点については腑に落ちないものの、そのような性質はあったのかもしれない。これについては別途検討してみたいと思う。
 またもう一点、公共空間として受け入れる「文化」をあらかじめ定義してしまうことにより、その定義から外れるような「文化」を生み、それを排除してしまうのではないか、という見方については、正しい面もある。実際に公民館は学習施設であるということから「学習的性質」を持ち合わせていないものについて認められない可能性もあろう(もっとも、これについても実態がどうかは別途考えるべきだが)。また、現在自治体で定められている「社会教育計画」の類を見てみても、(そもそもこれが存立しているのが田舎の自治体だからから、という議論もあるのかもしれないが)ほとんど共通してその計画に記載される「文化」については、「伝統文化」や日常に深く根差した「生活文化」のみを対象にしているかのような書き方になっているのを見出すことができる。
 このような影響から、認識レベルでも行政だけでなく市民の側にも「自由に使うことができる場ではない」という認識を与えることにより広い意味での「文化活動」促進の阻害要因になるのではないか、そして、そのような状況であるのならば、その制約を解除した、コミュニティ・センターのような場の提供をすべきではないのか、という松下の指摘はあながち間違えであるともいえないだろう。

○「社会教育」に対する認識の問題について
 しかし、上記の後者側の論点(貸部屋としての公民館の使いづらさ)は本書ではあまり重要な位置付けがされているとは言い難い。むしろ本書では、「公民館」の「貸部屋」の議論は無視され、講座等による公民館の「指導・援助」の側面に向けられる。そして、それを「社会教育」として批判することになる。
 日本の社会教育が明治以降、「近代化」へ対応するための手段として位置付けられてきたという認識は通説的な説明でもなされるとおりである。しかし本書のポイントは、出版時(1986年)時点においてもなお、社会教育行政理論はこの昔からの発想を続けようとしている点にある(p63,88)。


しかしここでまず確認しなければならない問いが2つ出てくる。
1.「指導・援助」とは「教え込み」を意味しているのか?
2.「自己教育」には、「教える」プロセスが含まれているのか?

 松下の答えは1.2.共に「教え込み」の論理であるとしているのは明らかである。「自己教育」の矛盾(p83)が成立するのは、そもそも教える性質がない限りできないからである。つまり、社会教育における「指導・援助」とは、教育対象(教えられる対象)であることが自明とされている。合わせて、P3の問題意識やp28の公民館の性質の説明、またp44のコミセンとの2分法的な説明からもそう解するほかない。
 更に松下はこのような捉え方は「社会教育行政理論」のものであると断じている(p63,120-121,131,178,188)。そのような議論が不要な「社会教育」を生き永らえさせているとみなしているのである。しかし、この認識は誤りであると言わなければならない。念のため、本書でも引用されている文献を2冊ほどあたってみたが、どちらもそのような捉え方はなされていない。むしろ「近代化」に貢献していた「教育」に対する見方自体を改めるべきであり、学習者の主体性に基づく「自己教育」をベースにしなければならないことは再三述べられているのである。

「生涯教育の理念を正しく理解するには、まず、そこでいう教育というのは従来の教育とは異なるという認識から出発しなければならない。さもないと、生涯教育は、ゆりかごから墓場までの教育の生涯管理とか、「人材開発政策に伴う体制側のストラテジー」として切り捨てられることになりかねない。」(森隆夫「生涯教育の課題」1979,p40 「ジュエリスト」NO.689)
「先ほどの天城さんのお話にもあったように、日本では昔から教育というと学校教育というイメージしかなかった。しかも佐藤さんからも出たように学校教育だけを考えているものですから、管理されるという概念が当然に結び付いてくる。しかし、私は教育というのは本来自己教育なので、自分がモチベートされたときにその目標に向かって何かを学び取っていくものだと考えています。」(「ジュエリスト」NO.689,p18、沢木敬郎の発言)

「第三は、主体の側に教育意思がなく、客体の側に学習意思がある場合である。人間は学び求める心がある限り、何物からでも学びとっていく。相手側に教育の意思があろうとなかろうとそこから学びとることができるのである。それだけにこのケースは非常に多いと見なければならない。ところが、この場合は教育する側に教育する意思がないというので、大体教育といわないのが通例である。広義の教育の中には認めるにしても、普通いう教育の中にはこれを入れない。私見としては、学習する者の学習意思を重視してこの場合も教育であると考えたいのだが、それは無理なようなので、第一のところで述べたように、主体の側の教育意思をできるだけ広く解し、教育が成立する範囲の拡大を試みたのである。なお、学習する側がグループをつくって学習するならば、学習する者同士がそれぞれ教育意思とをあわせ持つこととなるので、社会教育の特色である相互教育が成立し、主体の側に教育意思がなくても、教育として認められる。」(福原匡彦「社会教育法解説」1976、p17)

 このような議論を松下は(読んでいるはずなのだが)無視し、「自己教育」についても語義矛盾であり、言葉遊びであるとして一蹴している。残念ながら松下はここで「教育」という言葉の意味を一義的に解釈することをやめないため、これが語義矛盾しているようにしか捉えることができないのである。
 私自身は確かに松下と同じように「教育」という言葉の用法を、「既存の価値観および知識を、教える側が(意図的に)選別し、それを学ぶ側へ伝達すること」という状況に限定すべきで、学習主体が教え手を抜きにして価値・知識を学びとる「学習」という発想と区別しなければ、その概念が混乱するものとなるから、混同されるべきではないと考える立場にある。しかし、実際に「教育」という言葉は、そのような解釈で捉えるべきではないと考える者も少なからずいる。上述の福原の引用においてもそれが見出せるが、他にも最近読んだ中では新堀通也が同じような観点で「教育」を捉えていた。

「教育を教育者と被教育者との間の行為と考えたことが、教育学をして極めて狭い領域に跼蹐せしめたのである。教育を被教育者の自己形成的行為と考えるならば、教育は従来教育学が取扱って来た領域より遥かに広い地盤の上に立って考えられなくてはならない。而もこの広い領域に於ける行為は教育学のみが取り扱い得る行為なのである。教育学を措いては行為学はないからである。教育学のみが行為を行為として動的に捉えるのである。」(新堀通也「教育愛の構造」1971、p5)

 ここではむしろ「教育」をこのように広義に捉えなければ教育学はその「自己形成」の理論を確立することはできないだろう、という観点から「教育」の概念を拡張しなくてはならないとし、人間以外の自然、社会、書物によっても教育されると述べるのである(同上、p5)(※1)。
 ところが松下はこのような「教育」の考え方を許容する態度が欠落しているため、「教育」を狭く捉え、それを他者が用いている「教育」の概念にも、そのまま無理やり適用させ、あろうことかその勝手な解釈に基づき他者(社会教育行政理論の論者たち)の批判を行っているのである。このような押しつけは片岡徳雄のレビューでみた「集団主義」の定義付けが勝手な自己解釈によるものである点と同じ過ちであるといえる。

○「脱学校論」との親和性について…「成熟した市民」とは何か?
 私が本書を読んでいて連想した議論が2つあったので関連付けてみたい。
 一つは「脱学校論」である。脱学校論においては、学校は価値の押しつけを行うことで、子供の学習を阻害し、学びの意欲を減退を生むために、そのような押しつけのない状態の方が子どもはよく学べること、これはもっと言えば、子どもにはそもそもそのような学びの態度を持ち合わせているものだということを前提としている議論である。いくつか引用しよう。

「私は、子供が学ぶということは、子供なりに周囲の世界を探究していく作業だと思っている。その作業が、子供の自由にゆだねられるとき、子供は最も早く成長していく。人権の面からみても、この子供の自由な探究作業を規制すべきではない。」(ジョン・ホルト「21世紀の教育よこんにちは」訳書1980、p71 )

「われわれが知っていることの大部分は、われわれが学校の外で学習したものである。生徒は、教師がいなくても、否、しばしば教師がいるときでさえも、大部分の学習を独力で行なうのである。大変悲劇的なことは、大多数の人々は、全然学校に通わないのに、やはり学校によってあることを教えられることになるのである。」(イヴァン・イリッチ「脱学校の社会」訳書1977、p64)

「現在の<よき教育>をめざすさまざまな動きは、それを塾とよぼうと学習センターとよぼうとネットワークやフリー・スクールとよぼうと、この二つの傾向の間を、産みの苦しみのようにいったりきたりするドメインからぬけでていません。そこでは、「教える実践的有効性」が大前提にすえられ、しかも子どもたちのために、なんとか何かをしてあげなければならないという、他律性が前提になっているからです。この「有効性」や「他律性」の合体であるかぎり、<教育>はぎりぎりの壁までつきつめられながらも、保存されていくでしょう。」(山本哲士「学校の幻想 幻想の学校」1985、p230)
「学校=教育の社会は、過剰に教育化された人間が、<学ぶ=遊ぶ>力に麻痺している生活様式に立脚している社会なのです。子どもが自律的に<学び=遊び>うるようになっているときこそはじめて、親も教師も解放されているといえるのではないでしょうか。」(同上、p7)
 このような議論と比較して、松下は確かに子どもの教育は必要であると考え、シビル・ミニマムの教育を終えた大人は、再度そのような押しつけを行う必要はないという立場をとっているように見えたのである。
 しかし、まず確認しなければならないのは、この教育のシビル・ミニマムの基準について、松下は何も語っていないことである。このことは学校教育で十分に学ぶことができなかった者の処遇や、成人した後に日本に来た外国人の取扱い、また、仮にシビル・ミニマムなるものが時代ごとに変化するような性質のものであるなら、その変化したものについて大人はどう学ぶべきなのかといった問をすべて不問に付す(排除する)態度を取っているのと同じである。学校で学ぶ「シビル・ミニマム」について漠然と考えながら(むしろ松下自身はこのことを考える気さえないように見えるのだが)「学び方」について成熟した「市民」を大人とみなし、そのようなものに対してはわざわざ「教育」する必要がないのだと説くのである。

 しかし、例えば森隆夫が述べるようなこの観点はどう考えればよいのだろうか。

「生涯教育とは生涯学校教育ではないから、大人の学習は自己学習や独学にまつところが多い。しかし、独学にはロスがあるとはゲーテも指摘するところであるから、ときどき学校に戻って、学習の軌道修正をすることが要請される、それが大人の学校であり、学習のリズムを調整する心臓なのであるが、そうした大人の学校は今日のところまだ実現していないようである。」(森隆夫、前掲書p38)

 私もノートで同じ点を指摘したが、たとえ学び方について理解し教えられることなく主体的に学べる者がいるにしても、何故効率的な学びをするための助言者がいてはならないのか、という点について松下の理論では何も説明ができないように思える。
 また、この議論はフーコーが議論していた「ソクラテスのパレーシア」において見られたような師と弟子の教育関係によっても疑問を呈することができる。まさにソクラテスのパレーシアは生涯に渡って行われるべき実践として描かれていた訳であるが(何よりソクラテスについても全く同じよう学ぶべき存在として語っていた!)、なぜそのような教育関係を否定せねばならないのか、やはり松下は頭から大人の教育など不要であるから、というしかないように思われる。そもそも松下は「教えたがる」傾向を「近代化」を図ろうとした日本の社会教育の名残として捉えていた訳だが、ここにp4などで述べられるような「日本的」と形容すべきような要素はどこにもないことがわかるだろう。松下は明らかに「日本的」という文脈を欧米と異なる成長を遂げてきたことの弊害として捉えようとしているのだが、そのような捉え方もまた、松下の一人相撲なのである。そもそも「成熟した」市民という発想自体が自明であることを疑うことが何故否定されなければならないのだろうか?松下はシビル・ミニマムという言葉に安泰しているだけのように見えてしまう。「成熟した」という発想自体がそもそも恣意的な解釈である訳であり、松下は結局それを漠然と年齢(就学年齢)で区切ったにすぎないのである。

 もっと言えば、松下の議論というのは、シビル・ミニマムとしての学校論を無視しているために、学校で学ばなければならないか価値観自体が拡大しているという見方に対しても無視してしまっているのである。
 例えば、60年代の文脈で言えば「交通事故」が社会問題になったのを受けて、学校でも交通安全教育がさかんになった。しかし、これに対して金沢嘉市はそもそもそれを学校でやるべきことなのか、疑問を呈していた。

「交通安全の有名校、そういう学校は学校の中の教育はどうやっているのかな。ぼくは今こそ何もかも学校がかかえこむのではなく、学校のやる分野、社会のやる分野、家庭のやる分野というものを明確にはっきりさせることが一つ。それからもう一つは、趣旨がいいことを実行にうつすことを別に考えること。教師は人がよくて趣旨がいいからひとつやってくださいなんて言われて、ついやってしまうことが多いですね。趣旨のいいことと、実行のできる限界を考えなくてはいけません。趣旨はいいですね、しかしそこまでのことはできませんからお断りいたしますということがもっとあってもいいのです。給食にしても交通安全にしても、その辺のけじめをつけていく必要がある、少しけじめがだらけているんじゃないでしょうかね。」(樋口澄雄・金沢嘉市「人間教師は苦悶する」1969、p206)

 この手の議論は山ほどある。以前も紹介した1970年の日教組の時短方針においては、部活動や、林間・臨海学校などの取り組みについて、社会教育の領域に移行すべきだという論調がされていたし、遠山啓にいたっては進路指導さえ不要であると説いていた。このような議論は結局学校側でカバーできるものに限界があることが常に提起され続けて、その外部に担い手を求めてきたという動きといえるだろう。70年代には特にそのような議論がさかんであったのではないのか、というのが私の見方である。
 それにも関わらず、松下はこのような議論を少しも考えようとせず、結果として皆等しく学校でされるものが「シビル・ミニマム」であると解釈するしかない態度を取り、公民館のような学校外の教育施設の可能性まで否定しようとするのであった。

○「新自由主義的教育政策」との親和性について
 このような切り捨ての態度から連想されたものの2つ目は「新自由主義ネオリベ)的教育観」による弊害の議論であった。私自身、基本的にネオリベ的教育政策論批判は的外れな論点も多いと感じており、賛同はしていないものの、教育による対する国の投資の弱体化や、教職員定数の基準(1学級あたりの児童・生徒数)の法改正の下げ止まりは、いずれも80年代以降見られる現象であることは確かであり、実害的な観点も含みうる論点であるという意味では無視できないと考えている。
 松下の議論というのも、このまま真に受けるのならば、明らかにネオリベ的教育論の排除の論理をそのまま体現しているものと考えることができるだろう。松下のいう「多様化した価値観の中から行政がそれを客観的に必要なものを選択することはできないから、補助はやめるべき」「学校教育を通過すれば市民は成熟するのだから、それ以上の教育は行政が与える必要がない」といった論理展開は、ネオリベ的教育政策批判をただ「政治的決定により教育が害されている」といった理由で行うような議論に慣れていた私にとっては、非常に合点のいく「ネオリベ的教育論」なのであった。
 ネオリベ的教育論の批判というのは、むしろこのような議論から実際に何が欠落しているのかを読み取り、それの必要性を説いていくことから始めるべきではないかと考えていた身としては、非常に参考になった一冊であったように思う。また、このような排除の論理というのが、「脱学校論」とも少なからず親和性を持ち合わせている可能性、学校教育以外の社会教育という観点からも十分にできる可能性があるということがわかった点で、今後もこのような切り口で議論をする可能性を模索してみたいと感じた次第である。
 もちろん、もとをただせば、結局松下の議論は何に行政投資をすべきかという「程度問題」を、公民館などの社会教育は不要であるとして「絶対的」なものとし、論点をすり替えてしまっていることに最大の問題がある。「程度問題」として「ネオリベ的教育論」を考えることは非常に厄介であることも確かであり(結局それは教育の分野だけでなく、インフラ整備、企業支援、福祉等、自治体が行うべき他の政策群との関連性の中で語られなければならないものである)、むしろそちらの方を松下は前面に出すべきだったのではないかと思う。

※1 一応補足しておくが、このような「教育」の定義付けをせずとも、広く「学習理論」を教育学が捕捉すればそれで事足りるため、別にこのような「教育」概念の拡張は必要ないというのが私の立場である。


(読書ノート)
p3「教育とは教え育てる、つまり未成年への文化同化としての基礎教育を意味するとみなければならない。今日の日本ではこれは高等学校水準であろう。
ここから決定的な問題がでてくる。なぜ、日本で、〈社会教育〉の何によって、成人市民が行政による教育の対象となるのか、という問題である。国民主権の主体である成人市民が、国民主権による「信託」をうけているにすぎない道具としての政府ないし行政によって、なぜ「オシエ・ソダテ」られなければならないのだろうか。」
※何をもって社会教育は「教育」であるとするのか。
P4「日本の文脈で、政府ないし行政によって、国民が永遠に教育されるということは、日本の国民ないし成人市民が永遠に政治主体として未熟であることが想定されているからではないだろうか。「生涯教育」という言葉が急速に日本でひろがり、政府の施策への期待がふくらんでいったのも、国民を未熟とみなす発想が背景にあるからにほかならない。」
※確かに社会教育を「全体化」すればこのような批判は妥当である。しかし、生涯教育の目的は、あきらかにこのような「未熟さ」に設定できない。むしろ学校教育だけでは基礎を完了させることが非現実的であり(授業理解の「七五三」体制)、その機能を補うために生涯教育が期待されていたからである。そもそも前提が共有できていない。

P4「日本の国民が政治主体たる市民として「成熟」しつつあるとするならば、今度は逆に社会教育行政が、日本型文脈で生涯教育行政へと改称されても、「死滅」しなければならないことになる。事態はすでにこのように進行しているのである。社会教育行政は国民の市民性の未熟のうえにのみなりたつにすぎない。」
※どのような分野に対して不必要と考えているのか。
P5「成人市民の自己教育・相互教育はむしろ「教育なき学習」というべきであろう。誰が、誰に、何を、成人市民に「教育」するのだろうか。社会教育行政ないし社会教育行政職員がこれを決定しうるはずがない。そこには、市民の自由な「学習」があるだけではないか。この学習も、成人市民の〈模索・たのしみ・創造〉つまり〈市民文化活動〉の「模索」の一契機にとどまる。学習は自己目的たりえないのである。」

P12「だが、社会教育行政の危機の叫ばれる今日なお、社会教育行政理論は、いわゆる保・革を問わず、教育概念の再編というこの中核問題にせまろうとしているようにはみえない。それゆえ、本書では、社会教育行政の実態だけでなく、社会教育行政理論の体質をもとりあげた。」
※認識不足は明らかに松下の側にある。生涯教育論はそもそもが既存の教育に対する概念変更への問いだったはずである。ただ、成人教育に対してどう考えるのかという論点が問題である。
P25「戦後の発足以来、地域における小型市民施設の「独占」ないし「中心施設」という自負をもっていた公民館からすれば、コミュニティ・センターとの対比で公民館の問題点を顕在化させることにもなった。公民館の危機としてうけとめられることにならざるをえなかったのである。それゆえ、所管官庁のナワバリとか、先発・後発のあらそいというだけではないことがはっきりしよう。」

P28「公民館は、社会教育行政の「事業」をおこなう事業施設とみなされる。たんなる集会施設つまり「貸部屋」ではないというのである。そのうえ、この事業とは「教育」とみなされる。」
※ここで、事業=教育とみなされている。
P29「問題は、コミュニティ・センターが、法制による画一の規制をうけている公民館と異なり、地域の実情ないし市民の文化水準に応じて既成の町内会・部落会などによる直接の運営・管理から自発的な市民の自由な運営・管理まで、多様な運営・管理方式をもちうることにある。」

P34「もちろん、ずでにすすめられているが、職員人件費の削減のみを目的とした公民館のコミュニティ・センター方式への移行は安易におこなわれてはならない。各市区町村は、本書にのべるような公民館とコミュニティ・センター双方の問題点を市民に提起し、時間をかけながら自治体計画との関連で選択すべきである。」
※結局住民判断なのか?
P44「とすると、公民館対コミセンの対立は、実際には、いずれも日本の地域政治のムラ構造や館治型制度に制約されているのだが、可能性のレベルとして、「職員必置による教育」か、「市民自治による文化」かという対立になっていく。」
※松下は公民館の理念型を事業施設と位置付けるが、それはあくまで相対的な指標でしかない。

P51-52「だが問題は、社会教育行政理論がかたちづくる公民館の理想と公民館のげんじつとのあいだにあるはなはだしいズレである。コミュニティ・センターについては、地域の文化水準を直接反映しながら地域の人々のふれあいのチャンスを拡大し、市民の明日の可能性を期待するという理論設定にとどまるのにたいして、公民館は専門・選任職員による「社会教育行政」によって地域の文化・生活の中心施設をめざすという理論設定のために、ズレがめだってくるのである。」
※理論に対する問題なのか??
P52「たとえば、社会教育行政理論家たちは、公民館職員にプランナー、コンサルタント、コーディネーターあるいはコミュニティ・ワーカーであることをもとめている。だが市民の文化水準の上昇をみ、さらに問題関心の専門分化がはげしいーーつまり市民文化活動の多様化・高度化のいちじるしい今日、公民館職員にこのようなあり方を求めることじたい、今日なお農村型社会でのムラを想定しているか、それとも社会教育行政をふくめて自治体職員全般に不可能であるばかりではなく、本来ありえない全能性を要求しているにすぎないといわざるをえない。」
※この批判は先ほどの教える論理とは別の論点からの公民館制度批判である。職員万能論などというが、むしろ相談業務においては、相談者であること自体が重要であって、多元的な能力を必要としているとは考えづらい。この文脈にカルチャーセンター論を結びつけているが、民間対応可能なカルチャーセンター論とは別の問題として捉えるべき論点である。

P63「市民文化活動への「指導・援助」という社会教育行政理論の理論構成は今日もつづいている。しかし、市民の生活から政治までの学習をふくめた文化活動が多様化・高度化していくとき、どうして社会教育行政職員がこれに追いつけるのかという「行政の限界」をめぐる問いが社会教育行政関係者ないし理論からは決してでてこない。社会教育行政職員は「専門」についての訓練ないし研修をかさねれば、市民よりつねに一歩「たかい」ところにいることができるという空論ないし「安易な職員主義」にとどまっている。今日、市民の文化水準は行政の文化水準をこえつつあることは一般認識となってきているではないか。」
※これへの反論は簡単にできるように思う。結局最大値の議論をする必要性が必ずしもないからではないか。松下の方が「できる」市民の事例を取り上げているだけではないか、という疑問は出せる。

P88「この二重の矛盾に気づかれているからこそ、社会教育行政理論でも、社会教育とは市民みずからによる「自己教育」を補助する「指導・援助」と定義されることになるのである。だが「自己教育」という言葉自体が、すでにみたように教育主体と教育対象の同一となって言葉遊戯にとどまるのである。」
※結局成熟した主体には教育はありえない、の一点張りである。しかし、この発想自体が「神」でないとありえない状態なのである。この成熟性とは、自己自身で問題に取り組める主体を指すことになるが、これ自体は「より効率的な」取り組みを行うことができる主体であることはできない。何をどう学べば目的に達するのかに対して成熟した主体は最適解を選ぶことができない。この限りで自己教育は矛盾した概念でありえない。松下は言葉の意味にこだわりすぎている。
P83「社会教育=自己教育というとき、自己教育が自己対話にとどまらずに、行政による教育⇔学習の関係におかれるとき、社会教育=自己教育は自己分裂をおこしてしまう。社会教育行政理論みずから自己偽瞞におちいっているのである。社会教育=自己教育は「公理」たりえない。」

P89「社会教育行政でなくても、〈市民文化活動〉は自立して展開している。事実、日常の家庭・地域・ストリートでのおしゃべりから職業、消費、趣味、スポーツ、グルメ、それに地域づくりから国際交流あるいは芸術創作、研究開発にいたるまで、成人市民の活動が〈模索・たのしみ・創造〉の連続であり、これが文化の推進力となっている。」
P91-92「社会教育行政はここに直面しているのである。女性のあり方だけでなく、争点すべてをめぐって、もはや研究者・専門家をふくめて誰も〈知ったかぶり〉はできないのである。というよりも、争点ごとに考え方が「複数」成立し、もはや「唯一」の真理はありえないという自覚が不可欠なのである。」
P92「これと関連して、教育↔学習という関係における講師型施策の講師層の消失という事態にも着目しなければならない。誰が講師たりうるかという問題である。あらゆる領域で模範解答はなくなったことをみたが、またひろく社会科学、具体的には法律学から政治学、経済学、社会学はもちろん、福祉学、教育学をふくめ、すべてが再編期にはいっている。ひろく自然科学あるいは技術システムも同様である。一九六〇年代にまでみられたような「科学」への信仰はもはやありえない。」

P107「また自治体レベルの「行政の文化化」ないし「文化行政」の提起とあいまって、市町村、県いずれも、首長部局にいわゆる文化室あるいは文化課がおかれるようになった。これは、既成の企画課にたいする第二企画といった意味あいをもっている。これは、その自治体独自の「文化戦略」の推進はもちろんだが、それだけでなく各自治体の施策全体の文化水準の上昇、つまり「行政の文化化」をおしすすめているという課題をになっている。

P118-119「私はこの生涯学習論を、一九六〇年代、七〇年代にかけてみられた世界規模での高成長期の理論として位置づけたい。生涯教育論には、急速な成長ないし変化にともなう情報の陳腐化への対応能力の育成という問題意識が、その基本にあったからである。そこに想定されたのは、情報の変化という車にのる白ネズミのような人間像である。情報に永遠の飢餓感をもつ人間像といってもよい。これでは生涯教育とは、かえって、教育という名の「生涯管理」となって「現代型疎外」そのものとなる。
生涯教育という問題設定そのものが逆立ちしていたといえる。それは、「生涯学習」といいなおしても同じである。すなわち、今後ますます情報が質量ともに加速化されて変化するが、これに対応するためには、逆に基礎教育の充実とくに時代とともに変化しない基礎価値の教育こそが重要になるからである。」
※論旨が理解できない。「情報の陳腐化への対応能力」とは、まさに新時代の「基礎教育」にほかならないのではないのか??これを教育の管理として批判するなら、そのような能力を身につける必要はないといっているのと同じである。結局成熟の定義を松下は誤っているのである。成熟した人間は将来的に出てくるであろう問題に対しても「自主的、積極的」に取り組むから、そのような教育は不要とされるのである。しかし、これが不要なのは必ずしも真といえるのだろうか?おそらく、ここでいう基礎教育の充実とは、学校で解決してしまうものと考えているのではないか?しかし、それは成人に対して何も与えられないのではなかろうか??

P119「市民文化活動への基礎づくりとして、未成年を中心とした基礎教育のあり方こそが、生涯教育にかかわって議論されるべきだったのである。そのうえで、市民の文化活動の自由が、職業活動、政治活動の自由とともに強調されるべきだったのである。」
※こんなもの当時もすでに大いに議論されている。80年代はまさに学校不信とそれに伴う学校改革が切望されていた時期ではなかったのか?
P120-121「生涯教育論は、行政施策としての新機軸あるいは既成施策の大胆な再編をうちだせないまま、スローガンにとどまるだろう。それは「社会教育行政」への期待を更新させたにもかかわらず、実質としてはかえって教育概念の〈拡散〉となってしまった。教育概念の拡散でなければ、それこそ教育概念による社会の〈管理〉となろう。」
※管理教育論に毒されすぎている。まぜ拡散が批判されるのかといえば、この議論が「全体化されている」のを前提とするからである。それが選択肢の提供と解釈されずに、強要されるものと解釈されるからである。このような議論は生涯教育が「いつでもどこでもすべての人の必要に応じて教育援助すること」(伊藤編「日本の社会教育第二八集」p193。松下はこれをp121で引用し、教育全能論として批判する)を曲解し、全体化していると解釈しているからにほかならないが、これは誤読も大いに含んでいる。ジュリストno.689森隆夫の論考における「有限の人生で無限の教育に挑むのが生涯教育である。」(p41)という一文を引用し「ここに日本型文脈での教育発想ないし社会教育行政理論の結末をみることができる。」とするが、これはそもそも「社会教育『行政』理論」と呼ぶに値するのか、一文のみを引用することで文脈を無視した誤読ではないか、これが本当に日本的なのか、多くの疑問が出てくる。

P131「〈民〉を「補助」つまり「指導・補助」するために〈官〉が出勤するという論法である。保・革系ともに同型の論法となっている。この「官治性」から、社会教育行政は、市民文化活動の多様性をつつみこむような「包括性」を追求してこまごまとした施策を「無謬性」という前提でおこなっていく。市民文化活動への個別施策による「指導・援助」つまり介入がこれである。」
※ここでは福原匡彦「社会教育法概説」p25などを引用している。
P131「しかも、社会教育行政は、この二段構えによって、社会教育行政から自立しているはずの市民文化活動を「選別」しながら、施策の網をかけようとする。これが、社会教育行政役職や社会教育関係団体の制度化、あるいは市民団体ないし市民活動の認定・補助による介入である。」
※これは基礎教育しか必要ないと見ている論者からすればあたりまえの観点。しかもあらかじめ松下はここで社会教育の領域を社会教育行政役職、社会教育関係団体、市民団体、市民活動に限定してしまっている点が大いに問題である。

P132-133「施設としての「公民館」も自由な「集会施設」であってはならず、職員による「事業施設」として、施策にもとづく指導・援助をしなければならないという。「貸部屋」であってはいけないのである。」
※??
P142-143「社会教育行政の実態ないし体質が、以上のようであるとすれば、市民文化活動の「条件整備」「環境醸成」については、社会教育行政を廃止し、自治体計画にもとづいて市民文化活動が自由に使えるような市民施設のシビル・ミニマムの整備から出発しなおすことをあらためて強調しなければならなくなる。」
※やはり教育のための市民施設は廃止しなければならないという前提に立っているように見える。そしてここでは最終的な市民決定の議論は無視される。

P146「(※社会教育指導員に)学校教育系教員出身がおおくなれば、日本の実情では、日本型教育発想とあいまって、社会教育と学校教育の交流というよりも社会教育行政における市民の生徒視、成年の未成年視が制度化される。未成年の教育・学習と成年の市民文化活動は、構造的に異なっていることはすでに強調しておいた。」
※1982年頃の文部省調べの指導員の割合(p147)では、過半数が前職校長、教頭、教員であるという。しかし、よく考えると、これまで松下の社会教育観はそもそもが校教育における教育と同じものであると断じてきたのであり、ここでの論旨はそれと噛み合っていないことになる。
P146-147「社会教育委員制度の役割は、『社会教育法』第一七条による教育委員会からの諮問ないし計画立案というよりも、同法第一五条(社会教育委員の構成)に、
1 学校長
2 社会教育関係団体の代表者
3 学識経験者
のうちから委嘱するとあるように、地域権力者のとりこみを中心に、とくに?との関連で代表をとおして社会教育関係団体との間にベルトをつくり、社会教育関係団体という文部省系列の圧力・外郭団体の組織化にあるとみたい。」

P150-151「社会教育行政系団体とは、自立した市民文化団体というよりも、社会教育行政によって「選別」された社会教育行政の圧力・外郭団体とみたほうがよい。……その結果、社会教育行政系団体はヒヨワであるだけでなく、市民文化団体として自立しえない団体さえふくまれていることは知られている。」
P161「子ども会も、地域婦人会も、PTAも以前のような活発な活動は見えなくなってきた。
社会教育関係団体の問題は、いまにはじまったことではないが、古くて新しい課題として真剣に考え、取り組む必要があろう。団体の崩壊とか、不振、弱体化、再生等、さまざまな紆余曲折をたどっている。」
赤池英至「社会教育関係団体に力を」社会教育1984年10月号より引用部分。ここではじめて社会教育関係団体の具体的定義がされるが、松下自身からは述べられることがない。

P175「現在、社会教育行政の理論的基礎づけとして、市民の「学習権」の保障という考え方がひろがっている。あるいは「権利としての社会教育」という考え方もみられる。社会教育行政の具体的課題がうしなわれた今日、このような形式定義にたよらざるをえないのかもしれない。
だがはたしてそうだろうか。私たち市民は社会教育行政と関係なく、自由な文化活動をくりひろげている。この市民文化活動は、くりかえすが社会教育行政とは直接関係はないのである。社会教育行政が、市民文化活動に寄与しているとしても、行政の文化施策のうちでもまたそのわずかな部分にすぎないことはすでに第2章でみた。」
※2章はp65-122。
☆P176「では、「学習権」とはなにか。いわゆる学習権は、国民生活ないし文化水準に即応しうる文化同化としての〈基礎教育〉をめぐってのみ設定しうる。今日の日本では小中学校の義務教育はもちろん準義務教育となっている高校水準まで基礎教育レベル限定されるべきなのである。それ以上は市民の自由な文化活動である。
「学習権」は、この意味で、成人まで基礎教育ないし成人として不可欠の基礎教育についてのみ設定されうる。基礎教育をおえた成人の市民文化活動には学習権はあてはまらない。成人が基礎教育をうけていないときはじめて、この基礎教育をめぐる成人の「学習権」がなりたつ。」
※ここには、全体化された社会教育論の批判を行っているようにも読める余地のあった松下の議論が、明らかに「成熟した市民」を全体化しているものとして見て取れる。しかし、「基礎教育をうけていない成人」とは何を想定しているのか??

P177「第一に、基礎教育を終えている成人市民には自由な市民文化活動があるのみである。……基礎教育をこえる大学入学についての「学習権」が論じられてこないのもこのためである。」
※これは明らかに曲解。高校進学の議論が、十分性をもっているのは学習権の問題との関連とは言い難いし、論じられないという認識も誤りではないか。
P178「社会教育行政理論は、すべての市民が「学習権」をもつという前提にたつため、それこそ「包括」的に社会教育行政による「すべて」の市民の学習、さらに最近では「生涯」にわたる学習という考え方にとらわれてしまう。」

P188「いずれにせよ、既成の社会教育行政理論では、市民文化活動が活発になればなるほど、これに正比例して、社会教育行政の課題はますます重要となるというのである。なぜなら、多様化・高度化する市民文化活動を「官治」的に「無謬」の行政が「包括」しなければならないからである。」
P189「私は、ここで、社会教育行政を廃止して、それにかわって、市民参加を土台に、「自治体政策研究」のための研究所を各自治体が首長部局に設置することを提案したい。つまり、行政が市民を〈教育〉するのではなく、市民が行政の制度・政策を〈革新〉するのである。」
P191「教育委員会の所管は、高校までの学校を中心とする未成年・成年の基礎教育に限定する。」

P213「だがこの「教育」ないし「指導・援助」があればあるほど、行政への市民の依頼心もふかまっていく。社会教育行政の成果とは何かを問いなおしたい。これでは悪循環である。市民文化活動をめぐっては、行政は市民自治を基体としてミニマムの条件整備をするだけでよいのである。」
P241「本書は、基礎教育レベルについては、学校での市民教育のあり方をのぞいて、一切ふれていない。基礎教育においては、またおのずから、その〈市民型〉への再編を基軸に、(1)学歴の平準化と学校の序列化、(2)教育の民主化と学校の官僚化という社会形態学的矛盾をもふくめて、別の論考を必要とするからである。」
※しかし、この論点については松下自身が行っているような論考が存在するのかどうか?