松下圭一「シビル・ミニマムの思想」(1971)

 今回は、「社会教育の終焉」をレビューした際に出てきた議論をもう少し踏み込んで考察してみる。これにあたり、松下の議論を本書とこの直後に出ている「都市政策を考える」(1971、以下、松下1971bとする)、岩波講座「現代都市政策5」に収録されている「シビル・ミニマムと都市政策」(1973)及び「市民文化は可能か」(1985)を読んでみた。


○松下の70年代と80年代の言説の変化…シビル・ミニマム論とは結局何だったのか?
 本書では、「シビル・ミニマムの設定は現代における生活基準の公的保障を意図しているが、それはなによりも現代における人間の自由時間を形成する物質基盤の充足である。」と述べられる(p224-225)。他方で問題意識としてはp301-302のような形で、国家の枠組みを固定することによるその外部(国家の外)への閉鎖ではなく、地域の自治をもとにした国、そして世界へのミニマム論の展開という意識が、シビル・ミニマムの必要性を述べる一因となっている。

「今日、平和問題、都市問題、南北問題が現代政治の戦略課題になっているが、このシビル・ミニマムはさしあたって都市問題をめぐって想起される政策公準であるとしても、この意味で平和問題、南北問題をもその理論展望におさめうる。すなわちシビル・ミニマムの設定は、必然的にナショナル・ミニマム、インターナショナル・ミニマムの設定を促していき、政策科学からみても平和問題、都市問題、南北問題という今日の戦略課題に対応する統一的方法を構成することになるからである。」(松下1971b、p223-224)

 他方で、日本の農村型生活様式についての問題意識も同時に持っていた以下のような議論がされていた(p189)。これの対応策については、1971年の2つの著書ではあくまでシビル・ミニマムと地方自治をセットにし「自由の王国」をめざすことで解消されるものという意識が強かったように思う(p224-225)。つまり、新しい市民文化はシビル・ミニマムを介して形成され、それが伝統的なものを解消するという見方が強かったようにみえる。

 しかし、1985年の著書においては、次のような形でシビル・ミニマムの必要性が議論されているのが見受けられる。

「シビル・ミニマムとは〈都市型社会〉における「市民生活基準」をいう。このシビル・ミニマムは、一九六〇年代以降の高度成長にともなう都市化の巨大な大波の内部で、
(1) 産業中心から生活中心への国富の再配分
(2) バラマキ型施策を克服するため、政策形成の計画型ルール化
(3) 自治体の政策イニシァティヴの確立
をめざして提起されたものである。」(松下1985、p83)

 ここで注目しなければならないのは(2)の観点である。ここでいうバラマキという表現は、結局自治体という「オカミ」からむやみに「与えられる」ことに対することへの批判として現れているものである。もちろん、「社会教育の終焉」においても、この観点にどっぷり漬かった議論を展開していた。
 しかし、1971年の2つの著書においては、あくまで保守団体と革新団体の対立(p258)として語られたり、日本の歴史的性格から「このように日本の都市はヨーロッパと異なった性格をもっている。したがって日本の都市の主流をなす城下町的都市構造が、中央集権的明治国家へとつらなり、これが東京を中心とする都市の階層制をつくりあげていった。」(松下1971b、p13)といった言及はされても、それ以上に「オカミ」意識問題について触れられることはなかった。

「しかも現実に自治体機構や既成の地域的職業的勢力、それに国の行政機構とむすびついたセクショナリズムにおちいり、その結果自治体機構が地域ボスや各級議員の世話役活動を媒体とした圧力の束になりさがっているならば、大きな声をだした方が勝ちとなって、市民要求はまた裸の「圧力」として噴騰せざるをえないではないか。
 それゆえ今日の緊急課題は、従来のオカミ中心の統制型の政治イメージを逆転させ、市民運動こそ市民自治の可能性をきりひらくという共和理念による参加型の政治イメージからの出発である。事実、従来の自治体政策は、国の政策の下請政策にとどまっており、市民自治的性格を欠如していたといってよい。それを制度的に強制したのが補助金と通達であった。」(松下1973、p22)

 しかし、ここでも松下はその補助金を廃止せよ、という形で議論を行っている訳ではないのである。それが「廃止せよ」となっているのが80年代中頃の松下の議論であったといえるのである。
つまり、松下の言説は以下のような変化があるということである。当初は問題の解決をシビル・ミニマムの確立とそれによる「住民自治」の成立に求めていたが、そうではなくて、次第に問題が発生する要因そのものの除去によって、問題を解決しようという姿勢に変化してきているということである。これは結局「主体」として振舞う「市民」について、70年代においては批判の目が向けられていたとは言い難かったにもかかわらず、80年代にはそれが批判の矛先として向けられるようになったということである。典型的な議論な以下のような批判である。

「ついで、日本の政治成熟には、「市民要求を結集」して、オカミにオネガイシマスあるいはオカミとタタカウゾでは、いずれも同型の政治小児病にすぎないことを強調しておきたい。<私>にオネガイしたり、タタカウゾだったりでは、<公>はオカミにすぎない。そこでは<私>の自治・共和たる新しい<公>の創出はできないのである。」(松下1985,p202)

 確かに松下は具体的な団体組織を挙げた上で批判をすることはないが、このような形で「善い市民性」と「悪い市民性」を区別するような議論を行っているのである。
 これが70年代であればそうはならなかったのではないか。例えば、松下1971bでは労働組合の例が挙げられているが、以下のような語られ方がなされている。

「第一に、この賃金水準の上昇は、企業労働組合の圧力によるとはいえ、管理価格を前提とした企業内の利潤分配という性格をもつため、老齢年金、健康保険、あるいは住宅などが企業福祉制度にくみこまれていることとあいまって、社会の底辺に膨大な低所得者を滞留させることになる。したがって賃金上昇は企業を横断した国民生活構造の改革とは直接結びつかない。第二に、賃金水準の上昇は、たとえば持家の増加による都市スプロールの誘発、自動車の増加による交通問題・公害問題の加重、それに生活水準の上昇にともなう都市廃棄物の大量化・多様化などの都市問題の激化要因をもつくりだすという悪循環をうみだしている。ここでも賃金上昇は国民生活構造の改革と直接には結びつかない。
ここに、従来の農業社会的貧困を前提として賃上げを革命理論と直結し、労働者階級=労働組合=職場闘争という理論図式を構成した日本の革新運動が規定もしなかった事態が発生した。しかも、そこに、日本の労働組合が、企業依存の賃金上昇を追求するのみにとどまるならば、すでに公害にするどくみられるように国民的責任をにないえなくなったという現実すらも露呈したのである。」(松下1971b、p105-106)

 まずもって、労働組合については、直接の批判を受けていないことに注目しよう。一方で労働組合が自身の組織のことしか考えず、例えば公害問題に対して大企業が何もできていなかったという議論と合わせて1970年ころまでにはすでに労働組合も批判の対象として語られることも見られるようになっていた。
 しかし、松下は一歩労組を擁護する立場に立っているものと見える。ここにはこれまでの労働組合の理論では想定していなかったものとして都市問題(公害問題も含まれる)が現われ、「今後は」対処しなければならないという論法によって、擁護をしていることがわかるのである。

 これはあくまでも仮説の域をでないが、60年代に頻出していたアノミー論などにも共通した主体の「未来志向」をみてとることができるのではないだろうか。アノミー論においても社会問題が「未来のための秩序形成の途上に現れた問題」として位置付けることによって、現状の問題の解決は現在の主体の強化に向けられていたといえるのである。71年現在の松下もこの傾向が強いと言ってしまってよいのではないかと思うのである。

 またもう一点、これに関連するが、未来志向の主体に対峙するような形で保守勢力について語ること、もしくは「他者」として支配層による統治について語るという方法によって、「われわれ=市民」が正当化されえたということもできるのではないだろうか?以下の記述はそのような雰囲気を語っているのではないか?

「とくに日本では、戦後改革による名望家層の地域支配の後退、地方自治法の制定にもかかわらず、保守永続政府のもとで、中央政府自治体機構ならびに保守政党それに大企業・財界をふくむ体制的一体化が進行したことに注目しなければならない。とくにその構造的基盤として名望家層より一段下層の旧中間層を背景とした地元有力者層と、自治体との癒着を想起すべきだろう。巨大都市東京の杉並区の自治体関係委員・団体は〔v-1〕のごとくであるが、このようなネット・ワークは実質的に地元有力者層にになわれており、今日、全国津々浦々を掩っているのである。革新自治体といえどもこれを再編するにはながい時間を必要としている。これを地域民主主義にたいして地域保守主義と名付けることができよう。高度成長はこの戦後型の地域保守主義をあらためて掘りかえし、その過程であたらしく地域民主主義をめざす市民運動の擡頭がみられるにもかかわらず、いまだ市民運動はこの地域保守主義の網の目の中で孤立している。そこでは自治体レベルにおける革新運動の脆弱性ことに地域民主主義の未熟とあいまって、地域保守主義を基盤に自治体の下請機構化がすすみ、中央集権的な広域行政、大企業優先の地域開発がたえず自治体危機を誘発している。
 では今日、このような危機状況のもとで、私たち市民は自治体をどのように位置づけるべきであろうか。」(松下1971b,p158-159)

 ここでは、町内会・自治会を正面から批判することなく、むしろそのような保守的な・旧来的な勢力を打破するためにも、我々は市民として主体化されなければならない、と主張されているのである。
 しかし、これは1985年にはこのような語り口へと変わっていることに注視せねばならないだろう。

「いうまでもなく町内会・部落会を下請につかわなくても行政は可能である。……そこにおける市民の生活気分は爽快である。町内会・部落会がなければ市民の生活ができないと考えるのは、都市型社会に対応できていないドグマである。そのうえ、町内会・部落会を下請としてつかうことによって決して行政も効率的ではない。かえって町内会・部落会関係のコストもかかり、そのうえあらゆる施策がその連合会によって制約されることになる。
 市町村レベルで、もしそれぞれの自治体が、町内会・部落会を行政の下請にいっさいつかわなかったならば、町内会・部落会は自然消滅するか、行政と関係のないそれこそ自由な参加の自治会へと再生する。」(松下1985,p212)

 ここでは71年の議論とは真逆の論理によって、新しい市民性を目指そうとしている傾向があると言えないだろうか?もちろん、このような議論のされ方は71年の時点では全くなかったのである。ここでは、「他者を叩くことで問題を解決しようとする」態度が明確であったが、71年の松下はこのような論理ではなく、「他者に対峙した我々が変革することで問題を解決する」という態度を取っていたのである。これは言ってしまえば「他者」という認識については一貫しているものの、70年代においては他者は相手にするべきではないものとみなせると考えており、自分だけでの問題解決をはかれるという期待があった(逆に80年代はそれがなくなった)ということの現われではないかと解釈できるということである。

 これは実は「社会教育の終焉」でも出てきたような、80年代の松下の議論の傲慢さが見え隠れする部分であると言ってもいいのかもしれない。一方で松下は結局行政施策はその自治体の市民によって決定されることをタテマエ上否定していない。しかし、それができていない現状があるからこそ、「わざわざ」松下自身がその必要性の判断についてジャッジし、このような類の批判を始めてしまっていること、それはある意味で70年代にはまだ期待ができていた「未来志向」的主体論の崩壊を了解しているからこそなされる議論なのではないか、という仮説を考えることはできないだろうか?このような行政叩きは松下自身がするものではなく、市民がやるべきものとして位置付いていたのが71年時点の松下だったことが十分推測できる内容だということなのである。

○シビル・ミニマム論の弱体化要因について
 更に、このような「未来志向」を下支えしているのがシビル・ミニマム論であったといえるだろうが、80年代にはかなりの部分、このシビル・ミニマムが達成されたという松下自身の認識もこの言説の変化に影響を与えているといえると思う。これはシビル・ミニマムの量から質への転換という形で80年代に語られている。

「たしかに、このシビル・ミニマムは、量の整備の見通しをもったとはいえ、質をみれば、いまだにコンクリート兵舎のような学校建築、緑化デザインを無視してアスファルトをはりつけただけの道路、あるいは破れた金網の公園や遊び場、地域ぐるみの老人クラブや官僚的運営の福祉施設高齢化社会への政策対応の未熟、国の補助金を批判する自治体自体の補助金バラマキなど、あまりにも国や自治体の施策の質、つまり文化水準が低い。ここからは風格のある美しい地域・都市はうまれない。」(松下1985,p84)
「この地域レベルにおけるシビル・ミニマムの量整備は、当然、市町村、県さらに国の施策を転換させていくことになる。小中学校・高校の新築の予算ないし補助金は、特定の人口急増地区を除いては不必要になり、のこるのは補修あるいは改築だけとなっていく。この事態は行政の各領域におきている。施策の量整備の終了つまり施策の「飽和」の結果、予算・機構のスクラップ・アンド・ビルド、それに職員の配置転換が、市町村、県、国の各レベルへと連動しながら、日程にのぼることになってきた。」(松下1985,p89)

 これらの引用から押さえておきたい論点が二つある。一つはシビル・ミニマムは量においては一定の達成をみることができたということであり、その達成から新たな課題としての質の問題をとり出しているということである。これは10年前の問題関心からすると自己批判的な性質を大きく持ったものと解釈することも可能なのである。10年前にはシビル・ミニマムの達成が民主主義の達成につながるなどと言っていたのであるが、民主主義には何一つ貢献していなかったかのように今度はその質の問題を取り上げ、問題解決につなげていこうとする松下の態度がはっきりとみてとることができるのである。「未来志向」的な市民社会論がある意味で崩壊しているのである。

 もう一点注目すべきは、「社会教育の終焉」で指摘してきた、学校教育のシビル・ミニマムの議論についてである。これは松下のシビル・ミニマム論については全般として言える点であるとほぼ断言できるのであるが、松下のいう「シビル・ミニマム」とは、一貫してインフラの整備と同義なのである。つまり、建物を建てること、道路を作ること、緑を整えることなど、あくまでその領域は狭義の「まちづくり」しか指していないのである。前回議論すべきだと述べておいた「教育の内容」などという発想はシビル・ミニマムの議論には欠落していること、これは「社会教育の終焉」を語る上でも無視してはいけない前提である。にもかかわらず、松下は子どもの教育の領域を暗黙の前提として置いていたのであった。私などは、やはり松下の論理は「盲目的な脱学校論」とでもいうべき性質であると思う。つまり、子どもを教育することを想定していながら、その内実が空っぽであるがために、教育する必要がないという発想(=脱学校論の基本的な考え方)と一致してしまっているということである。

 そして、このようなインフラ整備としてのシビル・ミニマム論というのは、社会問題の解決策としても極めて期待されていたような議論であった。

「それゆえ市民による現代的生活様式の創造はまた空間構造の再編成を必要とする。ようやく現在、都市問題の進化を背景に、都市構造としての生活空間の再構成が日本でも私たちの課題として自覚されはじめた。とくに子供の遊び場の確保、通勤地獄、公害防止をはじめ、都市における貧困あるいは街頭のレジャーの肥大や青少年問題、老人問題などをめぐって、都市の物理構造の改革という都市計画が問われはじめている。それらはいずれも今日の都市空間構造と関連しているからである。」(松下1971b、p88-89)

 このような認識自体もおそらく80年代には変化してきているのではないかと思われる。少年非行とその活動環境という問題は確かに無視ができないような問題であるということができるだろう。しかし、そもそもそのような青少年問題の質自体が70年代を通じて変化しつつあり、時には親の問題として、時には学校内部の問題(学校化の影響)として認識されるようにもなったとき、このような主張は説得力をもたなくなってくるのである。そう考えれば、このようなインフラ整備への期待、すなわちシビル・ミニマムによる社会問題の解決という見方についても、弱体化を免れることができないのである。
 以上のような弱体化要因は、恐らくシビル・ミニマム論の言説への変化を生んでいる要因とみることができるだろう。

○市民は「成熟」しているのか?
 松下の「社会教育の終焉」議論を読み解くポイントの一つとして、市民社会の成熟と社会教育の不要化というものが挙げられていたのはすでに述べた通りである。しかし、松下の議論を読んでいると、70年代、80年代の著書を通じてこの市民が「成熟」しているのかどうかという観点で問をたてると、全く答えを見出せない程、考え方が二極化していることが確認できる。一見支離滅裂なのではと言いたくなるような状況なのである。

 まず、本書においては以前の日本が農村的生活様式であったことを現在の国民も引き継いでいることが述べられる(p189,190)また、「余暇」の使い方についても主体的に捉えられていないという見方(p217)からも、日本の市民社会の未熟さが指摘されている部分であるといえる。他方で、革新自治体の誕生にというのは「戦後的都市市民層の形成を背景とする」ものとみなされている(p194)。ここだけであれば断片的に市民社会が生まれ始めているという解釈が可能であるものの、p316にみられるような「国民の文化水準の上昇」はむしろこの市民社会がすでに全体化しているかのような印象も受ける。
 問題はむしろ80年代の松下の議論である。「社会教育の終焉」においてはむしろ市民が成熟しているのは自明であるかのような議論のされ方であった(松下1986,p4)。だからこそ社会教育不要論であったはずなのだが、他方で1971年の議論と変わらないような市民社会の未熟さは複数の部分で指摘されていることがみてとれるのである。

「今日も都市づくりに有効な制度システムいまだつくられていない。市民、それに市町村は都市づくり法制の不備とあいまって都市づくりに習熟していないというのが実状である。日本の都市化は都市法制の不備のままスプロール型でほとんど終ってしまった。日本の農村型社会から都市型社会へという都市化は、法制不備のままとりかえしのつかない大失敗をしたといってよい。
この都市の現実をはっきりみつめよう。これは日本における市民文化の未熟ないし政治・行政の文化水準の低さの結末なのである。ここからもたらされた劣悪で応急の都市構造を補修・修景ないし改造しようというのが今日の文化行政ないし行政の文化化の課題といってもいいすぎではない。」(松下1985,p191-192)
「日本では、〈私〉は、共和への連帯をつくりえなかった。どこまでも〈私〉どまりであった。〈公〉はオカミとして〈私〉に対立しただけである。……
これでは、〈公〉のストックとしての都市づくりができず、そのための思考訓練もつみあげられるはずはない。〈私〉文化構造は、東洋専制における農村型社会でうまれたものであるが、都市型社会の成熟とともに破綻する。これが日本において、かつて福祉・都市・環境問題が激化した理由であり、今日の都市のみずぼらしさの背景である。」(松下1985、p204)

 にも関わらず、松下は都市型社会については成熟したことを断言している。

「都市型社会の成熟をみた今日、このような岐路に、日本の市民はたっているのである。市民文化の成熟への出発のためには、シビル・ミニマムの量整備を終えつつある今日、シビル・ミニマムの質をめざして、緑その裏返しの再開発がその戦略とならざるをえない。緑ゆたかな風格美のある都市が〈公〉なのである。」(松下1985,p205)

 厳密にいえば、このことは自己矛盾を抱えている。ハードの面では都市化したが、ソフトの面は都市化できていないというシンプルな解釈はできるだろうが、松下はそうではなく量について成熟し、質については未熟であるという解釈をとっている。そもそもシビル・ミニマム論自体がハードの議論であったために、あくまでハードの側面から「シビル・ミニマムの質」を語るしかないのである。

「なぜ、日本の都市は、都市の個性、都市の誇りをもたないのだろうか。たしかにみせ場としての美しい街角がいくらかつくられはじめてはいる。だが、なぜ、住宅地区は乱雑、商店街は画一で、街並みとしての風格はなく、道路はコンクリートアスファルトをはるだけ、学校は兵舎のようで、公園のフェンスですらも金網になるのか。なぜ、駅前は看板と騒音のチマタとなるのか。
市民運動は、シビル・ミニマムの量の整備から質の整備へと発想のレベルを一段飛躍させ、行政ないし施策のみずぼらしい文化水準を問うようになった。いわば、日本の地域ないし自治体の戦略課題は、シビル・ミニマムの量をめぐる第一段階から質をめぐる第二段階へとはいりはじめたのである。逆にいえば、これまで、自治体、国の行政あるいは保・革の政党の文化水準は低いため、シビル・ミニマムの質を考えることなく、量のみが追求されたのである。」(松下1985,p7)

 正直な所70年代の議論、80年代の議論共に松下が市民の成熟性についてどう考えているかについて、私には判断をすることができなかった。しかし、確かなのはこのような状況において、80年代の市民社会が社会教育が不要となるほど成熟していたのかを問うとかなり疑問であるということである。そして、そもそも社会教育自体がこのような市民社会の未熟さに焦点をあて、それにテコ入れをする意図も持ち合わせながら行われてきた側面があるにも関わらず、松下はそれを全否定したのであった。このような状況によって社会教育が否定される筋合いはないのではないか、という見方しか私にはできなかったというのが正直な所であった。


 以上のように松下の議論を読めば読むほど、社会教育を批判するだけの根拠はないのではないかとしか読めなかった反面、おそらく70年代から80年代の社会問題の議論の捉えられ方の変化を読み解く事例としては、恐らく適役の一人なのではないかとも思ったという感想である。
 今回見出した見解は松下の言説の変遷として読み解くには、遠山啓の時と異なり、断片的な文献参照という意味で、厳密性が欠ける分析をしてしまった。私自身は他の論者の議論を今後読みながらこの動きを捉えたいとは思うものの(※1)、厳密な意味での松下圭一の言説変遷を読み解いた論文があるのならば、ぜひ読んでみたいものである。

(2019年2月9日追記)
2019年2月7日の日記で、精読した松下の市民論をレビューを行っています。
見解について若干の修正点もあるのでご参照ください。


<読書ノート>
p34「最近のティーン・エイジャー問題もここから惹起する。もちろん、太陽族月光族カリプソ族、ロカビリー族などつぎつぎ銘うたれてマスコミに登場するようなかたちのティーン・エイジャーは、数字としてはわずか囮商品にすぎない。彼らは身分的安定性をもっていた旧「家族」の崩壊、政治的経済的矛盾の激化、さらに大衆社会状況の露呈にともなって、賎民化したものにすぎない。しかしそれが「例外」としてではなく、「尖端」として、マスコミにのって社会的に拡大再生産されているところに、現代の問題が伏在している。」
※いや、そもそも旧家族とはそれ程安定したものといえたのか??
P35「たしかに五島(※勉)氏のいうように(※青年の巨大な新鮮なエネルギーをせきとめる)壁が問題である。しかし彼らのエネルギーの空虚さは、現在なお資本主義的かつ封建的規制にそのエネルギーを閉じこめられている二重構造の下層の青年たちとの連関においてこそ提起されるべきであろう。
というのは、資本主義的矛盾と封建的過剰重圧のもとに「うちひしがれていく青春」が、徒花のごとく「浪費されていく青春」の裏に日本の構造的必然として存在しているからである。」

p190「都市再開発にあたって、欧米では各ブロックが単一所有者によって所有されているから、ブロック単位の再開発ができるが、日本では各ブロックに多くの零細土地所有者がいるため、ブロック単位の再開発はこれまで不可能にちかかった。ブロックの再開発は、欧米の大地主には有利となるが、日本においては零細地主間の利害の対立をうみだしてしまうからである。ここから、欧米では公共的に住宅政策を確立しないかぎり住宅供給がふえず、したがって持たざるものの急進化を導出するが、日本では個人貯蓄による個人住宅の建設が主流となり、土地の値上りはこの個人の潜在的財産価値の増大、したがってまた持てるものの意識を拡散し、ますます公共的な住宅政策の無視をうみだすのである。その結果、ここでも日本の都市は交通機関ぞいの無限スプロールとなり、水道、ガス、下水道などの都市基盤の欠如となるのである。」
※この再開発とはいつ頃の話をしているのか…
p190「日本の工業化にともなう都市人口の拡大は、こうした風土的背景のもとに進行する。ここでは都市的生活様式の未確立、別の言葉でいえばシビル・ミニマムの欠如となり、農業社会的生活感覚が滞留することになったのである。生産力世界第三位をほこる今日の日本の都市的生活水準の低劣性はたんにアジア的貧困の継続とみなすことはできない。むしろ風土的条件からきた国民自身の生活欲求水準の低さ、すなわち都市的生活様式の未成熟からきているといわなければならない。これを前提としてはじめて、明治以来、中央政府の生産資本優位、社会資本無視の経済成長政策が可能になったのである。政府を批判することはやさしい。しかし国民自身ないし都市人口自体がいまだ農村的生活感覚から脱却しえていないことをより強く問題としなければならないだろう。」

p189「だが日本では都市と農村が連続し、農村からの都市の自立、したがって都市的な生活様式の自立がみられなかったといってよい。日本でも今日、工業の産物としての鉄とセメントによるコンクリート建築が登場しはじめ、ヨーロッパと材質的には異ならないようになってきたが、いまだこの都市の自立性したがって都市的生活様式の自立性という理念は未熟なのである。こうして日本では交通機関ぞいの無限の都市スプロールとなり、逆に農村的生活様式が都市に浸透する。」
※更には石を基盤にした家屋と木製の家屋の違いに触れ、 日本のような木造では「富の蓄積は無理だろう」と断じる(p189)。
P194-195「この革新自治体行政の樹立によって、日本の都市ははじめて中央政府の下請機構から市民の自治体に転化しはじめ、政策の公共性についで計画性が新しく日程にのぼったのである。
この意味でようやく、計画性・公共性・自治性という都市の理念が日本にも息吹きはじめた。たしかに日本の都市は、大企業中心すなわち資本中心の強蓄積の犠牲となって都市問題を激化させており、物理構造からみれば崩壊に瀕しているといっても過言ではないであろう。だが、戦後的都市市民層の形成を背景とする革新自治体の叢生によって、日本ではじめての都市改革ないし都市デザインの主体が現実的な政治課題となった。そこから大企業中心の国土計画や都市計画を、市民自体が自治体を制度的前提として再編する展望がきりひたかれたのである。それゆえにこそ革新自治体もまた社会保障中心主義から脱却して都市改革ないし都市デザイン――新しい生活空間の創造においてこそ、革新的たらねばならなくなったといわなければならない。」
※あまりにも楽観的…

p203(A)社会保障——健康保険、養老年金、雇用対策など
(B)社会資本(1)生活基盤——住宅、交通、情報、水道・光熱、学校、公園など
(2)生産基盤——工業・農業用地、工業・農業用水、産業道路、港湾など
(C)社会保健——公衆衛生、公害など

p213「最後に強調されるべきことは、この都市の可能性は市民の可能性と連関していることである。都市が現代の生活様式したがってまた社会形態を意味するかぎり、都市自体の改革は人間の改革となって市民的エートスの成熟をもたらしうるであろう。この意味で都市改革はユートピアの挑戦といわなければならない。たしかに農業社会から工業社会への過渡期にある現代都市は、崩壊と再生という緊張の過程にある。都市の機能増大と規模拡大にともなう都市問題の激化、そこにおける急激な農業人口の都市化に加速されている政治緊張の爆発がそこにみられる。その解決にあたっては政治民主主義によるシビル・ミニマムの確立という政策展望を必至とし、そこから資本主義・社会主義という体制選択の問題が提起されている。
というのは都市改革にあたっては膨大な資本の計画的投下を必要としているため、社会主義への展望をもたなければならないからである。社会主義は、生産の社会化によって惹起される生活の社会化によって現代における必然的選択となっている。もちろん公共資本と民間資本の役割分担は社会主義体制でも考慮する必要がある。……この体制選択は、それゆえ、たんに「搾取」ないし「生産手段の私有」の止揚という一九世紀的次元だけでなく、現代では具体的な「公共計画」の可能性という次元をとらえなければならないことを意味している。」

p217「日本の余暇は、今日、「レジャー」という形態をとっていると思われる。いわゆるレジャー産業によって利潤追求の対象あるいは企業による労務管理の対象となり、操作されたレジャーとなっているからである。日本の余暇が、管理された余暇としての「レジャー」という疎外形態をとっているかぎり、主体的な余暇としての「自由時間」をあらためて問いなおす必要がある。この「レジャー」と「自由時間」との分極化の緊張のなかに、今日の余暇問題の中心論点が存在しているともいえよう。」
p215-216「この都市のユートピア性の提起は人間の自由の<証し>である。ユートピアはまさに生活様式の自由なデザインを意味する。むしろデザインがつねにユートピアへの志向をもつということが、人間の自由の証しなのである。かつて文明の起源となった都市はユートピアを志向する王の自由なデザインの産物であった。とすれば万人が王である今日、都市は市民の自由なデザインの産物でなければならない。
 くわえてデザインとは生活様式の計画的決定である……現代においてデザインがことに強調されるのは、工業生産力の増大ことに技術の進歩にともなう、大量生産技術の発達と新しい素材の登場によって、デザインの伝統的手法をこえた新しい手法が模索されているためである。したがって今日のデザインの背景には、人類が今日開発した工業の発達にともなう伝統的生活様式の崩壊、したがってまた現代的生活様式の創造というユートピアへの指向が横たわっている。工業社会の成熟にともなう生活様式の転換、それゆえ新しい生活様式の設計という文脈のなかで、今日デザインの課題を位置づけなければならない。」

p224-225「自由時間を制度として保障するには、まず何よりも、①社会保障、②社会資本、③社会保健の各領域における都市生活基準、すなわちシビル・ミニマムの充足がなければならない。シビル・ミニマムの設定は現代における生活基準の公的保障を意図しているが、それはなによりも現代における人間の自由時間を形成する物質基盤の充足である。そのためには、国の行財政構造の改革と、都市における生産空間・居住空間・公共空間の計画的な充実と配置を必要としている。これが今日の政治の第一義的課題である。
しかしシビル・ミニマムの設定は、それだけの意義にとどまるものではない。一定の基準による社会保障・社会資本・社会保健の保障は、また自由時間を享受する生活ルールの形成を指向している。かつての伝統的な生活ルールを保障した共同体の崩壊が今日社会の底辺にまで浸透したが、しかし、いまだ都市における生活ルールの形成は十分はない。公共空間の整備を中心とする都市空間の設計は、いわばこの生活ルールの形成の条件をなすものである。すべての人間に保障されるシビル・ミニマムという発想は、新しい市民的連帯の条件となるからである。
 現代における自由時間の中核である個人自由、したがって市民的自発性の成熟には、このシビル・ミニマムの整備を必要とする。シビル・ミニマムは「必要の王国」を整備することによって、「自由の王国」すなわち新しい市民文化への可能性を政治的にひらくものである。」
※ここでは一言も市民文化や市民的連帯が可能となるとは言っていない。

P256「だが他方、保守自治体共闘がつねに保守自治体の基盤となってきたことを見逃してはならない。保守自治体においては、保守政党、中央官僚に支援されながら、町内会(部落会)連合会をはじめ商工会議所、商店会、業種団体、農協、防犯協会、防火協会、清掃協力会、交通安全協会社会福祉協議会、PTA連合会、青少年保護団体など多様な保守大衆団体のネット・ワーク――共闘が日常的にくまれているのである。いなこの共闘こそが日本の保守支配の構造的基盤となっている。革新自治体共闘は、汚職摘発、コンビナート反対、高校増設などの「カンパニア」的形態においてそれぞれ成果をみてきたとはいえ、いまだ保守自治体共闘におけるような「日常」的形態においては、十分根におろしていないといっても過言ではない。こうして革新自治体活動においては、大胆な政策提起を軸として、民主的地域組織多様な形態において育成しながら、保守的地域組織を民主化し、さらに自治体共闘のルールを成熟させていくことを不可欠としているといえよう。」

P275-276「都市生活水準の上昇のためには、いうまでもなく都市勤労者層の賃金の上昇が必要である。しかしそこで留意すべきは、第一に、この賃金上昇が、労働組合を中心に大企業の利潤分配としておこなわれ、しかも養老年金、健康保険それに住宅建設なども企業福祉政策にくみこまれるため、すべての市民あるいは国民に保障されるシビル・ミニマム、ナショナル・ミニマムの直接の保障にはならないことである。第二には、賃金上昇の結果、たとえば民間の住宅建設はかえって都市のスプロール現象を誘発し、あるいは自動車の増加が交通問題、公害問題に拍車をくわえて生活環境を悪化させていることである。それゆえシビル・ミニマムないしナショナル・ミニマムの設定による国民生活構造の改革と賃金の上昇とが直接むすびつかない。ここに従来の日本の革新理論が想定もしなかったような意味で、日本の企業労働組合が国民的責任をにないえなくなっているという問題がでているのである。」

P276-277「それゆえ工業社会が成熟し、都市化した今日、
A 社会保障(養老年金、健康保険、失業保険、困窮者保護など)
B 社会資本(住宅、交通通信、電気ガス、上下水道廃棄物処理、公園、学校など)
C 社会保健(公衆衛生、食品衛生、公害規制など)
が公共的に拡充されなければならないのである。」

p279「しかしこのシビル・ミニマムの提起は、決して、今日よく論じられるような意味で、国民生活か経済成長か、という俗流選択肢を提起しているのではない。むしろまず第一に、経済成長の人間的規準の提起を意味している。経済成長が、今日の経済計算方法が提起するGNPの量的増大にすぎないならば、たとえば公害の増大は公害産業の発達をうながすため、経済成長にとってはプラス要因であるという悪循環をたえず内包することになることは、すでに先駆的なエコノミストが指摘するとおりである。こうして経済成長自体の政策的再編がここから提起されてくる。さらにまた第二に、経済成長の目標設定の問題がある。経済成長が企業利潤の肥大さらには軍事進出の前提となるのではなく、市民的自由の経済条件の拡大を準備しなければならないかぎり、ここでもまた経済成長自体の目標の再編が日程にのぼるであろう。」
p280「ここであらためて日本の国家目標は、シビル・ミニマムの設定ないしシビル・ミニマムの充足によるナショナル・ミニマムの設定、さらにその基準上昇でなくてはならないことを提起したい。」
p288「たとえば、一九六八年の東京都の例でいえば、保育所は一二万人分必要とし、その一〇〇%充足がシビル・ミニマムであるけれども、現在の充足率は六一・九%、三年後には八三・七%に拡充する、あるいは下水道は一〇〇%の普及率をシビル・ミニマムとして必要とするが、現在の面積上の普及率は区部で三七%、三年後にはそれを五〇%に拡充する、——というかたちでシビル・ミニマムを具体的に理解することができるであろう。」
※結局数値化できるものが重点化される。

☆P301-302「このシビル・ミニマム、ナショナルミニマムの設定にたいしては、ケインズ福祉国家論にたいするような批判が可能であろう。ケインズ福祉国家論は、管理通貨制度を前提に一国社会福祉を意図する封鎖福祉国家であり、南北問題の現実にふれた途端、破産する労働者ぐるみの先進国エゴイズム理論であるという位置づけがこれである。たしかに超国民経済的な経済構造が胎動しつつあるとはいえ、今日の経済の発展段階では、資本主義・社会主義を問わず、いまだ国民経済のワク組を突破することができていないことも現実である。世界革命論が挫折せざるをえないのはこのためである。……
それゆえ社会科学にとって緊急なことは、今日の戦略課題である、(1)平和問題、(2)都市問題、(3)南北問題をめぐる政策科学を統一的展望・方法をもって構成することにあるといってよい。この三政策課題の追求は、ことに先進国の政府機構ないし国民経済、ことに行財政構造ならびに民間資本誘導構造の改革との関連で、有効な政策的統一性をもちうるからである。今日の専門知識をインターデシプリナリに結集していく政策科学の戦略課題はここにあるといってよいであろう。
シビル・ミニマムというかたちで提起した本章のテーマは、さしあたっては、この政策課題の第二の都市問題にたいするアプローチである。だがシビル・ミニマムの提起は、第一の平和問題におけるパンと大砲の矛盾をめぐるナショナル・ミニマムの設定、第三の南北問題におけるインターナショナル・ミニマムの設定と深くかかわっている。たとえばアメリカにおいては、国内南北問題として都市で激発した黒人問題への対処にあたって、世界の憲兵的地位の放棄による国内開発への方向の模索は、批判派を中心に志向されていることをここで指摘したい。平和問題も南北問題も、都市問題を尖端とする国内の改革なくしては展望をもちえないのである。」
※結局何がいいたいのか??ここで批判されているのは「大きな政府論」という話ではないのは確かである。だが、シビル・ミニマム論が「市民(シビル)でないもの」の排除的政策ではないというのはどういう意味なのか。あるいは、癒着といったものに対する否定の理論であることからくる非搾取の発想が共有できると考えたのだろうか。しかし、それはあくまで搾取の禁止であって、実際の不平等解消のための積極的施策と結びつくと言い難い。ここで松下が搾取がなければ平等になるなどという楽観論を前提にしていると厄介。ここでの論理は社会教育批判と全く同じようになっており、妥当な話と考えるべきではないだろう。

P316「ようやく現在の大学問題の激化の過程で大学教師の身分権威も崩壊しはじめた。これは、国民の文化水準ないし民主感覚が上昇した結果であり歓迎すべきことである。……すでに大学教師については、専門バカという言葉がつくられているが、大学教師が専門家であっても、その市民意識において、国民の平均的な文化水準以下におちこまないという保証はないのである。
こうして、日本でも国民の文化水準の上昇がはじめて官僚主義の基盤をほりくずしはじめたといえよう。このことはまさに、国民それぞれの日常行動範囲において、自主管理の可能性がうまれはじめたことを意味している。」
※ここで大学闘争を介して民度があがったことを明らかにし、かつそれを評価していることがわかる。