日本における「競争と選抜」の言説について―西尾幹二を起点にして―

 今回は西尾幹二の教育論を検討するのに先立ち、その中心的論点の一つとなっている「競争と選抜」の関する議論を検討したい。この「競争と選抜」の議論は、日本人論が興隆した時期に並行して、70年代後半から80年代にかけて多くの言説が語られたように思える。西尾の「競争」観もこの日本人論の興隆時期の言説と適合的である一方で、多くの論点を排除しながら90年の中教審答申における「競争」観に反映されていることが確認できたため、今回はそのことについて集中的に考察してみたい(※1)。

 

〇西尾の「競争」観について

 西尾の議論する「競争」観についての特徴をまとめると、次のようなものがある。

 

  • 日本においては、大人の社会における「競争」を避けており、それが野蛮なものとさえ見られている(西尾2013,p44)、その競争が18歳時の「選抜」に集中しており、これが学歴社会を生む決定的要因となっているとする。
  • 大人の社会では「競争」は適切に行われていない(西尾2013、P251、p254)。
  • この「競争回避」は日本人の心性に基づく(西尾2013,p699)。具体的には、日本の近代社会は江戸中期農民の村落共同体の上にあり(西尾2013,p193)、これについて「村落的メンタリティ」(西尾2013,p230-231)だとか「同族的メンタリティ」(西尾2000,p175)という言葉で表現している。
  • 日本型合意社会は個性やロマン的情熱をじわじわと吸い取って、人間を小型化し、勇気を阻喪させる独特な効率化社会でもある(西尾1992,p23)、このような社会からは日本人が率先して世界に寄与できる新しい原理や、真の創意というのは生まれてこない(西尾2013,p261)

 

 以上のような形で語られている「競争」というのは、どう考えても見かけ上の「競い合い」を意味しているのではなく、その「競い合い」によって導かれる「能力の向上」に対して目が向けられているのは明らかであるように思える。このため本論における「競争」は、この「能力の向上の枠組みとして機能する競争」を前提とし、そのような『競争=能力向上』というのがこれまでの言説の中で如何に語られていたのかを考察する。

 また、上記の議論を一見する限りは、大人の社会では「競争」が行われていないかのような印象も受ける。このため、検討の対象については、企業における競争に特に注目して行いたい。

 

〇「競争」の概念整理、及び教育社会学における「競争」について

 さて、この「競争」という言葉に含まれる意味も多義的であることも留意すべきである。まずこの「競争」は(ア)「個人」の能力向上に寄与するプロセスとして捉えられる。今回の考察の中心となる論点はこの意味における「競争」である。しかし、まず「競争」は(イ)学歴獲得ないし地位獲得プロセスとして語られているに過ぎず、あくまで「学歴」「地位」そのものを指しているにすぎない、という可能性もある。これは「競争」と呼んでいたものが実質的に競争として機能していない場合に起こる。次に、特に職場を対象にした「競争」の場合、(ウ)競争というのは「個人」を対象にしたものではなく、「企業間」の競争を行っているに過ぎない可能性もある。これは成果指標を「企業」の生産性向上として捉えている場合、生じうる論点である。特に集団主義的な組織が語られる際、その組織が優れているという見方をする場合はこの「競争」の用法が用いられている可能性がある。最後にこの「競争」が(エ)「能力」の向上ではなく、「生産性」の向上を指している場合である。この「能力」と「生産性」の違いというのは、そこに「時間(労働時間)」の概念を含むか含まないかという点と密接に関わる。管見の限り、この観点から日本の「競争」の優位を語っている文献はあまりないように思える(※2)が、端的に言えば日本が競争力があったというのは、長時間労働を強いられてきた結果なのではないのか、という見方である。この論点は「競争」を語る上で無視してはいけない論点ではなかろうかと思う。以上を簡単にまとめると、(ア)の定義を中心とした場合それぞれの関係性は、

 

「競争(ア)」は、競争が機能し、個人の競争を指し、かつ能力向上を志向したものであること

「競争(イ)」は「競争(ア)」の定義から競争が機能していないもの

「競争(ウ)」は「競争(ア)」の定義から競争の個人的側面が無視されたもの

「競争(エ)」は「競争(ア)」の定義から競争による能力向上を否定し生産性向上のみから捉えるもの

 

と整理することができる。

 

 この「競争」の議論がなされていたフィールドの一つとして教育社会学の分野が挙げられるだろう。教育社会学における「競争」の議論というのは特に学歴論、ないし「メリトクラシー」の議論としてとして集中的に行われていた。中村高康はこの「メリトクラシー=業績が社会的成功の指標となる」傾向が進展するとする「メリトクラシー進展論」と、業績よりもむしろ特定の社会的階層に社会的成功は制約されているとする「メリトクラシー幻想論」の2つの系譜の存在を指摘する(中村「大衆化とメリトクラシー」2011,p34-35)。

 ここでいう「メリトクラシー進展論」はおおむね「競争(ア)」を支持する論とみてよいが(ただし、「競争(エ)」の議論を行っている可能性も否定できない)、「メリトクラシー幻想論」は基本的に「競争(イ)」を支持している論とみることもできるように見える。しかし、厳密にいえばこの指摘は正しいと言い難い。というのも「競争(ア)」と「競争(イ)」というのは、定義として「絶対的」な指標から差異を語るものであるが、メリトクラシーの2つの立場からされる「競争」の議論における「業績」の有効性というのは、あくまで「相対的」なものにすぎないのである。結局、「メリトクラシー幻想論」についても、競争が能力向上に寄与するということまで否定している訳ではなく、それ以上に階層等の影響を強く受けるということを実証的に示していた系譜にすぎないのである。本論の趣旨からいえば、むしろ「メリトクラシー幻想論」もまた「競争(ア)」の枠組みに入れるべき論であるということである。

 このような性質を踏まえると、教育社会学の分野からは概ね総意として「競争(ア)」が正しいかのような結論を導きかねないことに注意が必要である。実際、このような収束の可能性について、教育社会学ではしばしば「再帰性」の概念をもって、つまり、「誰が見ても納得できる基準が用いられているのではなく、そもそもオールマイティな基準など設定するのが不可能である以上、メリトクラシーは常に「本当か?」と反省的に振り返って問い直される性質を本来的に持っている」(中村2011,p19)ことをもって、メリトクラシーを検討しているのである。

 但しこの検討というのは、「競争(イ)」の焦点となる競争の機能の有無を検討するというよりも、「競争(ア)」の観点から「どれだけ競争が機能するのか」を問うものである。これは、教育社会学自体が「階層問題」といった不平等をめぐる問題について焦点を当てるため、それを回避するための平等な制度設計を目指す立場にあるからこそ、「競争(ア)」への収束を結果的に行おうとしてしまうのである。言い換えれば、教育社会学にとって「競争(ア)」か、「競争(イ)」かという論点はそれ自体が直接の対象になっていないのである。

 

 結果として、この「競争」をテーマとした議論というのは、教育社会学ではなく、労働研究が中心的な地位を占めるといってよいだろう。

 

〇西尾の「競争」観の構築と参照著書の見解について

 さて、まず西尾の「競争」観に影響を与えたと思われる、西尾が参照している文献にあたってみよう。西尾の「競争」観が確立したのは「日本の教育 ドイツの教育」(1982)においてであり、本論であたるのは基本的に1982年以前の文献となる。

 

・脇山俊「社会の出世競争」(1978)

 ある意味で西尾のいう「競争」観というのに最も適合的なのが、脇山の著書で語られる「競争」観である。

 まず、脇山は「日本=チームとしての組織」「アメリカ=個人の能力を最大限に生かす組織」と捉え、「日本でも従来のチーム制は、人件費が安く労働力が豊富であった時代の産物」だったとする(脇山1978,p47)。このような「競争(ウ)」や「競争(エ)」として日本の競争力があったという見方は決して脇山に限らず、堺屋太一などが述べていた、低賃金体系が日本の高度経済成長を支えたといった言説ともマッチする(堺屋太一「「中年」日本の憂愁」1978,『文芸春秋1978年7月号』)。

 また脇山は、日本の「競争」は陰性とするのに対し、アメリカの競争は陽性であるとして、アメリカの競争の方が優れているものと述べている。

 

「つまり、アメリカのように、堂々と正面から競争を挑むという陽性的なところに欠けている。陽性の競争と陰性の競争と、どちらが「激しい」競争であるかといえば、矢張りカルテル協定の制限的効果は何者にも増して大きく、日本の方が、激しさは少ないと言わざるをえない。

 一発勝負という余りにも激しいゲームのルールを設定してしまったがために、競争そのものはお互いに尻込みしてしまっているわけである。岩田氏は、単に、ゲームのルールという前提条件が厳しいことをもって、競争そのものが厳しいことの理由にしているようであるが、そこに論理の飛躍があると考えざるをえない。」(脇山1978,p66)

 

 そして、このような優劣関係の根源となるのは、アメリカは「何度でも競争できる」環境にあることであると脇山は考えているようである。

 

「このようにアメリカは、大学でも企業でも敗者復活戦を何回か戦うチャンスが与えられる社会である。チャンスは何回か与えるかわりに、一つ一つの勝負は厳しく純粋に勝負として割切っていくという考え方である。日本のような「泣き」や、温情の入り込む余地はない。日本では、大学も企業も、すべて一発勝負である。一発勝負だから、アメリカよりも厳しい血みどろの戦いとなってもよさそうなものだが、実際には、そうではなくて、お互いに、ギリギリの勝負を避けて、馴れ合いの八百長試合をやったり「泣き」を入れて同情を買っているような中途半端なところがある。

 一発勝負であるために、お互いに勝負に徹し切れないのである。」(脇山1978,p67)

 

 後述するが結論から言えば、このアメリカ的なイデオロギーを含む「競争」観が正しいかどうかは大いに疑問に付すべき点である(※3)。しかし、西尾幹二の「競争」観は完全にこの見方を支持しており、これの改善するために執拗なまでに大学入試改革を主張するようになるのである。

 またもう一点、本書と西尾に議論の共通点として挙げられるのは、「日本の制度疲労」とでも言うべき状況に時代が差し掛かっている、という見方である。

 

「経済的要因と非経済的要因とがもはや両立せず、両者が矛盾するようになるのである。企業の業績は伸び悩み、経済的には、従来のような日本的経営をそのまま踏襲して行くことは不可能となる。また、年功序列などを始めとする日本的経営の要素をすべて維持していくことは不可能となり、日本人に適しない経営方針をも、敢えて採用しなければならないという、不整合な選択を強いられることになる。あるいは、試行錯誤を経て、新しい形の整合性が実現されるのかもしれないが、それには、多分、長い時間がかかるのだろう。」(脇山1978,p191)

 

 この背景的要因の一つとしては「競争(エ)」の観点から、つまり効率の良い生産性という観点が挙げられる訳だが、それ以上に日本人論的には、先進的となった国として、他国を追随する時代は終わっただとか、他国をリードする創造的なものの産出こそ重要だ、といった言説が影響力を与えていると言えるだろう。

 

・麻生誠、潮木守一編「ヨーロッパ・アメリカ・日本の教育風土」(1978)

 本書も西尾の「競争」観の基礎を支える一冊といえる。まず、本書はアメリカの競争社会性については次のような認識に立っている。

 

「このように自由と平等と、それにもとづく幸福の追求、つまり成功を重視するアメリカ社会における教育の機能様式の基本的な性格を、社会学者のターナーは「競争移動」という理念型を使って、あざやかに描き出している。

 「競争移動とは、多くの人間が、公認されたわずかな賞を目指して競う、競技会のようなものである。競技会はすべての参加者が公平な立場で競い合う場合にだけ、公平だと評価される。勝利はただ自分の力だけで獲得しなければならない」。これが理念型化されたアメリカ社会であることは、いうまでもない。」(麻生・潮木編1978,p54-55)

 

 「競争」の観点から言えば、「このように、アメリカの大学の門戸は、日本と違って大きく開かれている。しかし競争は入学時ではなく入学後にはじまる。」(麻生・潮木編1978,p62)といった指摘は西尾もそのまま語る。しかし、他方で西尾の主張と異なる主張を本書では行っていることも無視してはならないだろう。例えば、初等・中等教育段階における「競争」についてである。西尾は欧米の競争は18歳未満の子供には適用されていないと断じる。

 

「ヨーロッパの教育でもアメリカの教育でも、共通しているのは、競争は十八歳から始まるということだ。十八歳未満の子供は齷齪した勉強から解放され、本当に好きなことをいろいろ暢やかにやる。その結果、一見、同じ年齢の子供の算数などの成績は日本の方がずっといいということになるやもしれないが、明日利益を生まないものに賭けてみる貴族主義的精神や、遊びの中の冒険の精神――それがなければパラダイムを転換する力は育たない――が生まれるのは、子供の頃の独創的生活があるか否かにかかっている。」(西尾1992,p287-288)

 

 しかし本書で語られている「競争」観というのは、アメリカの競争は万能であり、18歳未満の子どもも当然競争にさらされているというものであった。

 

「競争の平等の問題は、小学校から始まる。学齢に達した子どもは、コミュニティの小学校に通学する。そこでは子どもたちは、出身階層や経済条件だけでなく、人種や国籍についても、完全に平等に扱われる。家族連れで渡米する日本人が、まず驚かされるのはこの点である。ほとんどの日本人の子どもはアルファベットも十分に知らない。しかし入学を申し出れば、実にあっさりとむずかしい手続きもなしに、その日からクラスに加えてもらえる。移民の国ということもあるかも知れない。しかしそれ以上に教育の普遍性と機会の平等の理念が、そこには働いているとみていいだろう。

 しかし日本人の子どもは、やがてその機会の平等が、競争の自由と表裏の関係にあることを知らされる。たとえかれが日本の小学校の三年生で、アメリカでも三年生のクラスに入ったとしよう。先生はすぐにかれの算数の学力がケタはずれに高いことに気づく。そしてかれは、四年生あるいは五年生のテキストを与えられる。しかし国語となると、これはとても授業にいていけない。その時間になると、かれは一年生か幼稚園のクラスに送られたり、特別の授業をうけることになる。それは一般のアメリカの子どもの場合にも同様である。同じ三年生のクラスに所属していても、学ぶ内容や水準は、子どもによって同じではない。ターナーのいう「競技会」は、すでに小学校の段階から始まっている。」(麻生・潮木編1978,p55-56)

 

 また、西尾の主張として、「欧米人は進学に対して自分の能力を弁える」というものがある。これは本書からの影響も確実にある点である。

 

「以上イギリス、フランス、ドイツのいずれにおいても、日本にみられるような無差別な学歴信仰は存在しない。国民は自らの分際を守り、自分の置かれた身分や階級や役割の差を越えようとはしない。ましてや教育によって、この差を越えようとは考えていないし、越えられるとも思っていない。」(西尾2013,p39)

「どこの学校を出たかという「学歴」が問題にならない理由のひとつとして、「学外試験」や「国家試験」制度の効果があることも指摘のとおりであるが、だからといって、分をわきまえずに「アカデミック」なものを志向する愚かさはイギリスの人には縁遠いようである。」(麻生・潮木編1978,p38)

 

 しかし、この議論は必ずしも「国民性」の話で片付けてしまってよいものか検討の余地があるように思う。西ドイツの事例においては、次のような「大学に出ることの難しさ」自体が進学するメリットの阻害要因になっていることを示唆する。

 

「話がやや横道に入ったが、いずれにしても、西ドイツの場合には、いったん大学教育を受けるとなると、かなりの長期間の学習生活が必要で、最終的な資格をもらえるのが二〇歳台(※ママ)後半になるのが、ごく一般的なケースである。このように、義務教育終了とともに職業生活に入れば、二〇歳代前半には一応経済的に自立できるようになるのに、いったん大学教育を受けるとなると、かなり長期間、場合によっては三〇歳ぐらいになるまで、経済的自立はむずかしい。こうした事情がひとつ、西ドイツで大学進学熱があまり高まらない原因になっているものと考えられる。」(麻生・潮木編1978,p126-127)

 

 西尾の教育論も比較対象としては西ドイツが中心であったが、このような観点から「進学しないこと」が語られたことはなく、「国民性」の問題、又は競争が活発であることの説明としてのみ扱われ(※4)、配慮されることはないのである。

 余談であるが、「競争」をめぐる言説が日本人論とあまりに密接となっていたことはこの当時の「競争」をめぐる言説をみれば明らかである。「タテ社会原理」(麻生・潮木編1978,p200) 「甘え学歴社会の構造」(麻生・潮木編1978,p179) 「「恥の文化」の超克」(占部1978,p92)、「甘えの意識構造」(占部1978,p133)など、この時期の日本人論で語られていた用語がそのまま議論の背景の説明として目立って用いられている。これはある意味で小池和男のかの病的なまでの「日本論」批判にもこの系譜の存在が如実に表れていたのでないのか、ある意味で小池の言説もその一点に限り擁護の余地があるのではないのか、という見方はあながち間違いでないように思えてしまう程である。

 

・岩田龍子「改訂増補版 学歴主義の発展構造」(1981=1988)

 岩田の議論においてまず重要なのは、日本と欧米の能力観の違いについての指摘である。

 

「すなわち、著者の知るかぎり、アメリカの社会において、ある人間のもつ能力が問題となるとき、人びとは〝潜在的な可能性〟としての「能力」よりも、圧倒的に「実力」すなわち訓練と経験によって彼が現実に到達しえた能力のレヴェルに関心をしめすもののように思われる。このことは、たとえばアメリカの人事慣行、なかでも採用のやり方に明瞭にあらわれている。と同時に、それはまた、アメリカにおける経営組織の構造とも密接な関係をもっている。すなわち、しばしば指摘されるように、アメリカの経営組織は、一人の人間によって担当しうるような、明確に規定された職務を積みあげて、全体として組織目標を達成できるように構成されている。このような型の組織が要求する人材は個々の職務を遂行するにたる「実力」をもつ人びとであり、また一部の幹部候補をべつとすれば、遠い将来大成する可能性よりも、現在空白のポストを埋めるにふさわしい人物、その職務をこなすにたる人物である。

 このような傾向は、しかし、経営体の人事採用においてばかりではなく、その他の分野、たとえば大学入学者の選択や大学における受験科目の決定などにもかなり明瞭にあらわれているように思われる。……

 これに対して、日本の社会においては、人びとは潜在的可能性としての「能力」にたいしてよりつよい関心をしめす傾向がみられる。このように、日本の社会には、能力の一般的性格についての、あるぬきがたい信仰のようなものが存在しているために、すぐれた「能力」をもつ人、すなわち「できる人」はなにをやらせてもできるのであり、逆に「駄目な奴」はなにをやらせても駄目なのだと考えられやすい。」(岩田1981=1988,p121-122) 

 

 ここで「潜在的」「顕在的」とでもいうべき区分けで能力観を規定し、なおかつ日本の社会における評価はアメリカと対比されながら、「能力評価の基準がとかく一元化するような傾向、および能力評価が人間評価につながりやすいという傾向がみられる。」とされる(岩田1981=1988,p126)。この全人格的な評価がされるという傾向については、幅広く「競争」論者に支持された言説であり、西尾もその例外ではない。

 

「言い換えれば、ヨーロッパには純粋に知識を知識として愛するという伝統がある反面、知識は局部的にしか人格に関わっては来ない。知識は人間的価値の一部にすぎないという観念が根強く存在する。結果を問わない知識愛、すなわち自己目的以外のいかなる目的も持たない認識へのパッションが、やがては近代科学を生み出して行くのだが、それは全人格的な行為ではなく、人格からいったん切離された真理探究心に支えられている。行き過ぎれば不毛な、破滅的な認識欲になりかねない。

これに反し日本人は、知識と人格とを分けて意識することができない。知識を人間的価値の一部にすぎないとはどうしても割り切ることができない。これはある意味で日本人の強さでもある。現代でも日本の会社員は、スペシャリストとしての知識を会社に切り売りするのではなく、全人格的に会社に奉仕し、私生活をも顧みない。」(西尾2013,p240)

 

 しかし、本書は前掲2書と比べ「競争」の語り口が異なる。前掲2書が概ね日本の「競争」に対しては否定的・批判的な見方をしていた、つまり「競争(ア)」の観点が日本に乏しかったとするのに対し、本書は比較的肯定的な立場をとっており、絶対的とは断じていないものの、就職後もなお「競争」は激しいものとして捉えるのである。

 

「さて、しかし、すでに「学歴決定論」批判において検討したように、この能力の証明がその後の出世コースを決定してしまうわけではもちろんない。この点で、「学歴決定論者」は決定的な誤りを犯しているといってよい。

逆に、このような誤った見解への反動として、現実の企業が能力主義を採用していることを理由に、学歴社会の存在を否定ないし軽視する見解も、前者とは逆の誤りに陥ったものということができよう。実態は、いくつかの節目をもつ、ハンディキャップ競争とみるのが正しい」(岩田1981=1988,p165) 

「第三の機会は、経営体に参加したのちにおこなわれる昇進競争においてめぐっている。そこでは、勝敗は第一・第二の挑戦の結果賦与されたハンディキャップを負いながらも、基本的には本人の能力に大きく左右される。また、この機会は、第一・第二の機会にみられるような一発勝負ではなく、停年時(※ママ)までつづく、長くて苦しい競争の過程であたえられる。この競争過程は、その大筋においては、本人の能力に・貢献度に規定される、一種の能力主義的な過程であると考えられる。しかし、岩内亮一氏のすぐれた分析によれば、学歴のいかんは、この過程にもなお微妙にからんでいる。ここでも、人びとはなんらかのハンディキャップを負って競争しているのである。しかし、そのハンディキャップは、克服困難なほどのものではないことも、また事実であるように思われる。」(岩田1981=1988,p166-167)

 

 そして、この主張の背景として語られるのが実際の「昇進」と「学歴」の関係であった。週刊ダイヤモンド1981年3月11日号で公表された東証一部二部上場企業の重役の出身大学調査を用いながら、次のように指摘する。

 

「このような有名大学卒の地盤沈下を指摘したうえで、同調査は「なにも有名大学へ入るために大きな苦労を積まなくても、企業社会に入ってから十分に努力し、実力を発揮すれば、重役への道は開かれるということだ」とむすんでいる。

 学歴主義問題の重点は、第二章において検討したように、社会的上昇の問題から、しだいに「能力アイデンティティ」の問題などにみられるような、誇りと自信の問題へと移行しつつあるように思われる。こんにち、学歴主義の最大の問題は、入試に失敗した若者たちの劣等感と意欲の喪失にあるとみるのはゆきすぎだろうか。いずれにしても、学歴主義の問題を、処遇の面からのみとらえるのは片手落ちではないかと思われる。」(岩田1981=1988、P194)

 

 これらの議論で述べられているのは、「企業内昇進」と「競争」との関連性である。西尾も含めた「学歴決定論」の立場からは、学歴が企業内での「競争」を阻害する要因として決定的であり、大人は競争を避けるものと捉えていた。しかし、昇進をめぐる実証的な調査からは学歴が企業内の昇進に決定的影響を与えているという見方は基本的にされていない。実態はかなり広範囲な競争がなされているものとして捉えられている。この議論を総括的にまとめているのが、後述する竹内洋メリトクラシー論である。

 ただし、ここで注意しなければならない点がある。それは実証的に示されているのが「企業内昇進」と「学歴」との関連性という、教育社会学的関心に留まっている点である。すでに指摘したようにこの議論は「競争(ア)」と「競争(イ)」の違いを説明することができていないのである。言い換えれば企業内昇進という「競争」は、それが能力向上として寄与しているものとして担保されていることまで実証されていないのである。

 
小池和男「日本の熟練」(1981)

 本書はすでにレビューしたため、内容については割愛する。しかし、本書が競争観の系譜において重要なのは、先述した企業内の「競争」が能力向上に寄与していることを実証的に示すため、「知的熟練論」なるものを「日本的な特性」として小池が展開していったという点である。更に言えばそのような実証的作業というのが、遠藤公嗣や野村正實により「虚偽」として告発されているにも関わらず、学問的に反省がなされている状況とはいい難い点である。

 つまり、小池の主張が正しければ、実証的にも「競争(ア)」が日本において正しく機能していることを示すものとなる。この点において、小池の主張というのは、それまでの労働社会学からすれば極めて「斬新」なものとなるはずだった。しかし、これは実証的観点を全く欠いたものであった(※5)。

 

・占部都美「日本的経営を考える」(1978)

 最後に占部の著書である。本書の立ち位置は少し理解し難い。というのも一方で日本的なものを批判しておきながら、「そうでない」状況というものについて十分な説明が与えられていないからである。

 

「日本的経営の特質を本質的に探り出そうとするかぎり、日本に伝統的な社会や文化あるいは日本人に固有の心理特性にそのよりどころを求めるのは、当然といえば当然といえるかもしれない。とくに、研究者が社会学者や文化人類学者であるばあいには、そうなるのが当然であろう。しかし、その結果は、過去の時代には通用したが、これからの未来には通用しない日本的経営の特質しかとらえられないという欠陥をもたらしている。」(占部1978,p15-16)

 

 「未来には通用しない日本的経営」という言葉に端的に表れているが、これはすでに過去のレビューにおいて指摘した80年代以降の「改善言説」としての日本人論という、矛盾したテーマが含んでいるにもかかわらず、なお本書の態度は日本人論へのこだわりがあるように見える。このことが話を厄介にしているように思える。

 このような態度をとる際、やはり歴史的な観点からの議論が出てくる.「過去の日本の方法は近代化に貢献しえたが、今はそうではない」という論法である。占部も欧米の弊害としての「同族経営」について指摘する。

 

「どこの国でも、企業は家族経営から始まり、同族経営をへて大企業になるものである。そして、欧米では、大企業になっても、同族経営の性格を多く温存しているのである。

 これに引きかえて、日本の会社は経営者人材の養成に学歴主義を早くから採用したために、同族経営の弊風を早くから排除することに成功している。

 同族経営の下では、経営者は世襲制である。いく代もの間に、必ず無能な経営者が出てきて、会社をつぶすのである。」(占部1978,p51)

 

 このような世襲制に抗うことに「学歴主義」は貢献し、それにすがる日本はある意味で欧米より優れていたものの、そのままでいると「制度疲労」を起こす。そしてこの論法はそのまま西尾の学歴主義観とも一致する。

 

「有名大学を入社した人間ほど、歪められたエリート意識をもちやすい。人一倍に昇進への野心は強いが、学歴を既得権とみなし、レッテルの上にあぐらをかき、入社してから学習を怠るという一部の傾向がある。他人の意見に耳を貸さず、独善的となり、新しい知識の追求も怠るのである。……

 学歴主義が陳腐化すると、会社の内部に学閥を生ずるという危険をもってくる。同じ大学の出身者は、先輩と後輩あるいは同級生という関係で結ばれ、インフォーマルなコミュニケーションは効率的であり、意見の対立もなく、協調性が保たれるであろう。しかし、反面では、競争的な刺激がなく、意見の対立がないところでは、革新は行なわれない。」(占部1978,p59)

 

 もう一点注目すべきは「先任権」制度についてである。労使関係研究において頻出する「先任権」の議論であるが、この制度はむしろ欧米の「競争」を阻害するものとして語られていた(占部1978,p72-73)。

 そして更に無視できないのは、70年代末頃の労使関係論では、未だに欧米では先任権制度が主力であったかのように語っている点であった。

 

「日本の企業の終身雇用制のもとでは、技術革新や合理化はただちに労働者の失業に結びつかないために、生産性や能率にたいして労使双方が共通の価値観をもつことができるという特色がある。

 前述したように、イギリス的労使関係のもとでは、産業別・職種別組合であるために、特定の職種の仕事を不必要とする技術革新や合理化は、その組合の組合員の失業を招き、組合にとってつねに脅威としてうけとられる。したがって、労働節約的な技術革新や生産性の向上は、企業の競争上必要であるが、それは労働者には失業や労働強化をもたらすものとして、労使の利害対立的な問題としてうけとられる。」(占部1978,p237-238)

「イギリスやアメリカに比べて、日本の労働者の組合加入率は一般に低い。一九四九年のピーク時に、組合加入率は五五%に達したが、一九五三年には三六%に減少し、一九六〇年代以降において、三五―六%の水準を維持している。

 イギリスの労働者の組合加入率が約四五%であるのにたいして、日本の組合加入率は低いといえる。しかし、それは英米労働組合は横断的であり、中小企業の労働者をも、大企業に労働者と同じように、包摂するからである。……

 このように、日本では、大企業労働者の組合加入率が英米に比べて高いのは、企業別組合の形態をとっているからである。」(占部1978,p243-244)

 

 つまり、労使関係研究においては、「組合加入率」をエビデンスとして、「競争」との兼ね合いで日本の方が「競争的」であると指摘していたとみることが可能である。

 もっともここで厄介となるのは、「そもそも労使関係研究が労働関係全体に与えている影響について適切に捉えられていたのか」という観点である。欧米においては先任権が適用される企業とそうでなかった企業の乖離が著しかったと見るべきであろう。この点、石田・樋口「人事制度の日米比較」(2009)では、ブルーカラーとホワイトカラーにおける賃金制度を比較することで、この差異の大きさについて指摘する(石田・樋口2009,p55-56)。つまり、完全な勤続年数に応じた賃金上昇のある企業はブルーカラー系に集中しているのであり、先任権的制約もまたブルーカラー=工場労働者に集中しているのではないのか、という論点が提起されているのである。また、更に言えば、労働組合の加入率自体が過半に満たないのは、70年代当時の欧米でもおおむね共通する事項といえるのであり、その意味では労使関係に注目する立場からの主張は、欧米の企業全般の傾向として不適切ではないのかという疑義が当然出せるのである。

 

 最後に先述の小池の議論とも関連する占部が用いる「年功」という概念を考えたい。私自身は「年功」は「勤務年数」と同義のものとつかわれているものと感じていたが、占部はそう考えず、職場での熟練度がそこに影響しているものとして位置付けている。

 

「しかし、年功と年齢ないし勤続年数とは、かならずしも同義語ではない。特定の会社に勤続年数を重ねることによって、その人の職務上の熟練が増し、職務知識は豊かになり、所属する集団の人間関係にも十分適応してくる。さらに、その人は技術的な技能を身につけるだけでなくて、人間の機微を理解する能力をもち、人間関係をうまく処理する「社会的技能」をも身につけてくる。」(占部1978,p70-71)

「年功とは、たんなる年齢や勤続年数を意味するのではなく、勤続年数とともにそれにともなう熟練、職務知識、人間関係能力、リーダーシップ能力、忠誠心や責任感などの成熟度を仮定しているのである。さらに、長い勤続年数の間には、なんらかの業績が示されたのであろう。年功制には、過去の業績に報いるという意味も含まれている。

 いずれにしても、年功と年齢とは、決して同義語ではない。したがって、年功昇進制とは、年齢や勤続年数とともに、機械的に昇進することを意味するものではない。」(占部1978,p71)

 

 ここで注意すべきことの一つは、このような熟練が成立する要件として「人間性」を重視しているように見える点であり、これは岩田の議論(日本の全人的な評価傾向)とも関連する点である。また、この熟練が成立するかのような印象を与える背景として終身雇用の慣行があることも無視できない(占部1978,p26)。

 そしてこの議論の最大の争点となりうるのは、賃金構造に関する内容である。「年功制」の肝であるこの議論で占部はドーアの調査を引用し、イギリスの企業は年功賃金制ではなく、日本の企業(日立)は年功賃金制だという。しかも、日立は「旧式」の年功賃金制ではなく、「能力主義賃金」をとることで30歳をすぎると「基本給には約五割に相当する賃金格差を生じている」などという(占部1978,p129-130)。直接の言明こそないが、ここではあたかも「年功制」が能力向上の結果=競争(ア)の結果として作用している制度であるかのように表現しているのである。実際のところ、小池和男の知的熟練論というのも、このような占部の言説の延長線上にあり、かつ「あたかも実証的かのように言い張った」議論であるようにも思える。

 

 さて、西尾は占部の年功制の議論について参照したと言いながら、次のような主張をしている。

 

「日本的集団の神経症的「平等」配慮が企業の年功人事にも反映していることが、私の単なる憶測ではなく、経営学者の観察によっていわば専門的に裏書きされたといっていい。」(西尾2013,p256)

 

 ここまで語ってきた占部の議論からすると、西尾のこの主張は誤りにも見えるが、西尾は占部のp77-79の部分を次のように引用している。

 

「日本の会社では、各人の職務遂行能力や業績を短期間にフィードバックして、抜擢を行うような昇進政策をあまりとろうとしない。長期的な評価に時間をかけることによって、上司一個人の主観的判断を避けて、集団全体の評価が固まるのを待って、選択を行なう。さらには、職務の遂行能力や業績だけでなくて、その人の人間関係の能力や会社への忠誠心などのソフトな要素をも考慮する。……

 上司としては、各自に屈辱感を与えないように気を配る……。人間関係能力や会社にたいする忠誠心などのソフトな評価要素は、客観的な尺度がないために、上司の主観的な思いやりによって左右される。……

 かくて、年功主義による昇進は、選択的であるが、人事考課はお座なりになり、選択は、結局、学歴と勤続年数という、本人も、同僚も文句をつけられない形式的な基準に頼るのが、年功昇進制の実態をなしてくる。

 《恥の文化》に育てられた日本の従業員に屈辱感を与えまいとすれば、学歴と勤続年数という形式的な基準によって一律に昇進を決定し、評価による選択的責任を回避することが、もっとも無難である。」(西尾2013,p255-256)

 

 確かに占部はこのような指摘することで年功制の批判を行う。それでは西尾の言うように欧米的な個人主義志向をもっていたかというとそれも正しくない。何より占部は年功制そのものを否定していない。むしろ否定しているのは、その「実態」である。

 

「このように、年功主義は、それを形成する文化的要因としては、日本に特有の「恥の文化」に根ざしており、それは、長所をもつと同時に、実態としては、重要な弱点をもつことに注意しなくてはならない。」(占部1978,p79) 

 

 この実態はある種の日本的特性によるものと考えていたが、他方でそれを取り除く(占部的には「超克」すること、占部1978,p98)ことで年功制でもよいと考えているのである。これは西尾が考える欧米の企業観を占部が持っていなかったこと、つまり「先任権」に見られるように、そもそも欧米では「能力主義」的な競争的の企業の存在についてそもそも懐疑的であったことが大きな理由であるように思える。

 

 西尾がこのような観点から「専門家」の議論を無視しているのは明らかであるが、他方で、占部の主張にもいくつもの問題があるのもまた事実である。まず、「約五割の賃金格差」についてであるが、あくまで「基本給」以外の「業績給」「職能給」として支払われている賃金が全職員で平均として5割であるという事実でしかなく、「業績給」や「職能給」という名目のものが「競争(ア)」の結果差がつくものであるとする根拠は何一つない。

 また、もう一点無視できないのが占部の捉える「年功賃金制」の根拠である「年齢を重ねるごとに賃金が上がっていく構造」について、これをそのまま熟練と結びつける点である。このような「賃金の上がり方」へ着目すること自体の問題を遠藤公嗣「賃金の決め方」(2005)では指摘されている。遠藤は「賃金の上がり方」研究に終始したことの原因を小池和男に見出し、このことが実際に賃金(の上がり方)の決め方をどうしているのかの検討を無視することとなったとみる。遠藤のいう「賃金の決め方」の議論は「競争」の議論とも関連する「査定」の議論を主に指すものの、年収の年齢別推移に見られるような「賃金の上がり方」をもって年功制を占部も語っているという点で、競争(ア)の観点が含まれているかどうかの検証作業は全く含まれていないことが明らかであろう。

 遠藤(2005)はこの点について日本における労働研究には観念的社会科学観と呼ぶ「ストーリーありきで実証性を伴わない」議論が支配的であることを強く批判している(遠藤2005,p50)。言い換えれば労働研究における「競争」の概念も全く同じように実証的観点に欠いていた可能性があるということであり、過去の「競争」の議論の正しさというのは精査されなければならないものだということも(小池の事例をみれば)明らかであるように思う。したがって、「競争」の系譜というのは、このような根拠に乏しいもののなかで形成されてきたものなのである。西尾が引用してきた「競争」の系譜はこのように極めて危い論点を含んでいるのである。

 

 以上、70年代後半から80年代前半にかけての「競争」をめぐる議論をみてきたが、西尾はこのような「競争」の議論の系譜について、その論点について受容するものがある一方で、完全に無視された論点、更に西尾によって無根拠に否定された論点が提出されていることが明らかとなった。この無視された論点の存在は、西尾が恣意的に論点を抽出し、自身に都合のいい論点のみを取り上げていることの証拠である。本来であれば、西尾の主張と反する論点というのは、十分な反証材料を提供した上で「過去の文献ではこのように言っているが、反証材料からすれば誤っている」ことを主張したうえで、自らの主張を行うべきなのである。西尾が「評論家」などという学術的に中途半端な立場にいるのであれば、なおのこと無視してはいけない立論のプロセスのはずであるが、西尾にはそれを行う態度はない。これは次回レビューする西尾の教育論にも影響を与える見方である。

 

竹内洋メリトクラシー論における「競争」観

 ここでは基本的に西尾の競争論後となるものの、「競争」の系譜として無視できない竹内のメリトクラシー論を取り上げたい。

 西尾の「競争」論以後、大きなインパクトを与えたのはローゼンバウムの「トーナメント移動」の議論であった。ローゼンバウムの研究の重要性は、R.H.ターナー的なアメリカの「競争社会」の理念を否定してみせたことであった。つまり、アメリカの学校内・企業内のトラッキング構造というのは、それぞれの競争段階における敗者が「再チャレンジ」せず、常に競争的であるという環境が成立していないというものであったのである。

 

「ローゼンバウムの研究は、アメリカ社会が敗者復活の機会に満ちているという競争移動は幻想であり、現実にはトーナメント型の移動であるという意外な知見をもたらした。しかしそれだけではない。ローゼンバウムのトーナメント移動の発見には次のような重大な含みがある。近代社会のメリトクラシーが階級文化などの属性要因を選抜過程に密輸しているというのが葛藤理論が暴く疑惑であるが、こうした葛藤理論からは死角になってしまうメリトクラシーのもうひとつの疑惑に目をむけさせたことである。メリトクラシーが継続的な選抜システムとして自己展開することによって立ち挙げる増幅効果という疑惑である。」(竹内1995,p58)

 

 また、合わせて竹内は企業における競争性について「採用」段階、「昇進」段階ともに一定の競争性があることを認めている。

 

「日本のホワイトカラーをみていて、不思議なのは、長期間にわたって、ほぼ全員に競争意欲があることだ。平等処遇が長いといってもある時点から昇級差がつけられる。だから、三〇代後半から四〇代になれば、定年までのおおよその自己の昇進予測ができる。ところがノン・エリート・ホワイトカラーも降りてしまって、「オアシスに憩う」というわけでもない。ノン・エリートにもかなりの競争意欲があり、頑張るのが特徴である。……

 たしかにノン・エリートは、エリート競争は諦めてはいる。しかし、これまでみてきたような選抜システムは、課長になるかならないかの競争ではない。一年刻みあるいは半年刻みの昇進スピード競争だから、ノン・エリートも長期間にわたって細かな網の目のなかで差異化される。ノン・エリートとして鎮められるのではなく、却って焚きつけられるのである。日本企業の選抜システムはノン・エリートへの煽りの構造でもある。」(竹内1995,p180)

「表―12をみるとわかるように、現代人の学歴偏重意識は、高学歴が出世や昇進に「決定的」に有利と考えているわけではないのだ。昇進の機会は「決定的」学歴による、と考えている人は少ない。むろん「学歴」(二三%)を有力な要因とみているが、「能力」(二二%)や「実績」(一三%)もかなり重要な要因とみられている(だから小池和男・渡辺行郎両氏に代表される学歴社会虚像論の最大の問題点は、日本が学歴社会という人々の「思い込み」のついての論者の「思い込み」であるように思われる。)このことは重要である。現代の学歴偏重意識が学歴万能論であれば、それが虚像であることを容易に示すことができる。しかし、それが学歴有意観といったものであれば、実態との乖離を指摘することが困難になる。」(竹内「競争の社会学」1981、p124-125,参照された調査は「月刊世論調査1980年9月号」による)

 

 もっとも竹内のとらえる企業内の競争は単純な競争ではない。相対的には競争的だが、日本の選抜もトーナメント移動が作用していることを認め、一律的処遇をする「平等」的取り扱いから次第に競争的になるようなイメージをもっているようである。

 

「このような競争型は、上位にいけばいくほど職位の数が少なくなるようなピラミッド組織で、かつ個人の過去の情報がたえず選抜のために利用され易い組織に生じる、と述べているが、この調査も、日本の企業の昇進競争が「トーナメント」型に近いことを示唆する。

 その点で、日本の企業の昇進システムは長期間をかけた選抜に特徴がある、とする近年流行の日本的人事の通説に、いささかの疑問が生じるのである。」(竹内「選抜社会」1988,p104)

「とすると、日本の企業の昇進システムに特徴は「長期間をかけた選抜」にあるとみるよりも、昇進競争が時間によって平等からふり落とし競争に転調することにある、とみるほうが正確である。

 そして、このパタンは不思議なほど日本の教育の選抜パタンと似ている。中学校までは一部の者を例外としてはほとんど公立学校に通い、差の少ない平等な教育をうける。しかし高校からは競争が厳しくなり、有名大学への進学は有名高校生の間でのふり落とし競争となる。……また、キャリア組官僚の昇進パタンもこれに似ている。一定期間はほぼ同じ昇進をするが、しだいに同期の間に競争が激しくなる。徐々に肩たたきがおこなわれ、間引きされていく。学校と官庁、企業の選抜をめぐるこのような一致・対応は偶然ではないだろう。日本人の選抜、競争観を反映した構造的類似性ではないだろうか。」(竹内1988,p107)

 

 また、竹内は日本的な「競争」作用について、日本人論的な解釈を強くもっており、次のような言及もしている。

 

「こうした日本社会の能力観を考えるときに、徳岡秀雄のいう日本人の「矯正可能」説が示唆的である。徳岡はモルデカイ・ローテンバーグのカルヴィニズム的人間観に依拠しながら、西洋の人間観をつぎのようにいう。カルヴィニズムに代表されるように、生来的に神に選ばれた民と呪われた民という厳密な二分法がある。これは運営のレッテルを貼られた人に対しても、人間は立直ることができるという見方によってレッテル効果を無効化する傾向があることを摘出する。それが「適正可能」的人間観である。」(竹内1995,p175)

 

 竹内の「競争」論で注目すべきは、採用段階において「学歴主義」が働くことをあまりにも素朴に想定していた議論に対して批判を行っている点である。先述の意識調査における昇進機会の要因についての結果もそうだが、更に竹内は踏み込んで企業の実際の採用方法について調査をしている。この背景として、先述した労働研究における「賃金の上がり方」の議論同様、結果にのみ着目した調査をもって価値判断をすることで、そのプロセスに対する検討を無視することの弊害を強く意識しての調査であったといえる(※6)。

 

「しかしこういう説明には重大な欠陥が含まれている。大企業就職率の統計的結果が偏差値上位大学優位となっているのだから、当然採用は偏差値という物差しでおこなわれているはぅだという論理構成であるが、それは「結果」を「意図」によって説明しているにすぎない。結果や関連の指摘それ自体はなんら因果的説明ではない。」(竹内1995,p125)

 

 企業の採用プロセスの調査により竹内が見出したのは、一定の合理性のもと「多様な大学(一流大学に限らない!)」からの採用がなされている事例であった。

 

「なおA社の一九八七年度採用において当初の採用目標大学にリストされていなかった大学からの採用はまったくない。目標と実績があまりにも整合的である。採用目標校はあくまでも内部の枠だから、採用目標校以外の大学からの応募もあるはずである。そして、面接をするとかなりよい人材とおもわれる学生がいることも考えられる。このような可能性について、A社の採用担当者は否定しなかった。ではどうしてそのような大学から採用しないのかというわれわれの質問に対しての採用担当者の説明を要約し、解釈すれば次のようになる。もし採用目標校以外の大学からの採用をすれば、当初の計画を変更して最初の目標校からの採用を減らさなければならない。また目標校ではないのだから、採用担当者は上司とも通常以上の交渉をしなければならない。……ここには採用が合理的選抜理論を前提とする能力主義だけを基準として動いているわけではないことの一端が露呈している。」(竹内1995,p133)

「そこで、われわれは面接で人事担当者に少し挑戦的な質問もおこなった。「営業であれば、業績は数字ではっきりでるが、いったい今年の採用が良かったとかわるかったというのは、どういうことで反省したり評価したりするのか」と。こういうわれわれの質問に対して、「今年は去年よりもいろいろな大学から採用できたというのが重要な評価基準である」と説明している。入試難易度の高い大学の代替としてその他大学から採用するというのではなく、採用大学数を増やそうとするのは積極的意図である。」(竹内1995,p139)

「われわれが事例調査したA社の属する業種では学校歴による分断的選抜が一般的であるが、あらゆる企業がA社にみられるような分断的選抜をおこなっているわけではない。A社とは別にわれわれは異なった業種のB社についても採用担当者の面接調査をしたが、B社では採用数の多い三つの大学についてのみ事前に人数を決めている。ただし、残りの大学については採用大学や人数の事前決定はおこなわれていないが、一つの大学から採用が多くならないこと、大学数をできるだけ増やすことは配慮されている。特定の大学に人数が偏らない採用を意図しているところに分断的選抜をみることは可能である。」(竹内1995,p147)

 

 竹内の以上の指摘は西尾の競争観から真っ向から対立するといえる。竹内は日本的な競争システム自体の永続性自体には疑問も持っているものの、日本の競争システムの優位性を見出している点については、西尾が言うような「大人は競争したがらない」という主張に対し、事実は真逆でもありうるという状況を見出すことができるだろう。

                                       

〇西尾の企業における「競争」性の肯定について

 最後に改めて西尾の企業における「競争」観について考察したい。問うべきは西尾の企業における競争は「競争(ア)」と「競争(ウ)」のどちらかという点である。この点、西尾がより関心を示していた大学に関して言えば、個人の競争、大学間の競争どちらとも競争がされていないことが批判されており、そのような状況の改善こそ西尾が望んでいたものであった。では、企業についてはどうだろうか。

 この点、「日本人論」に依拠した西尾の論は、結局「競争」をめぐる問題を単一的に捉えがちであると言わざるを得ないだろう。組織としての大学が問題でなければ、企業もまた問題でないはずがないのである。

 実際、西尾の82年の著書では企業が競争的であることは、少なくとも肯定的には捉えていなかった。「「学歴社会」を問題とするからには、日本の教育の抱えた諸相をもっとトータルに考察の範囲の中に入れて取り掛るべきだろう。そうすれば、企業は成功し日本は繁栄しているかもしれないが、同時に何処かにその結果としての犠牲を出している可能性があることに対し、想像力が及ぶに違いない」 (西尾2013,p235)という主張には若干の含みがあるが、「競争」という用語を用いていないこと、また、競争しているとしても、今後同じような競争は出来なくことを暗示するかのような言い方をしている。

 

 しかし、西尾の企業における「競争」の見方はその後徐々に「競争的」であると認めるようになる。まず、1985年の論文では次のように語られる。

 

「欧米の労働者は企業体に縛られずに、「個人」の資格の免許や技術を基本に労働する関係で、職能組合に依存し、企業単位の組合を作らない。日本の企業内労働組合がこの点でまったく異質な結社の型を作り出したことも、これまで度々指摘されてきた。この点を逆の面から言えば、日本の企業と企業との間の競争は確かにすさまじいかもしれないが、企業内の「個人」の競争は、欧米に比べれば、はるかに激しさを欠き、抑制されているといえる。」(西尾2013,p366)

 

 ここでは「競争(ア)」と「競争(ウ)」の明確な分化をはかろうとする反面、企業間競争が激しいという解釈を西尾はまだ全面的には認めていないようである。このことを全面的に認めるのは、管見の限り91年になってからであったようである。

 

「一方企業社会を見ると、これも激しく厳しい競争社会である。ところが、大学だけは競争していない。」(西尾2013,p730)

「周知のとおり、今の日本で、高校と高校生は激しく競争している。企業と企業人も同じく激しく競争している。しかし、大学と大学人だけがほとんど競争していない。競争しないで済む背景があるからである。」(西尾2013,p469)

 

 ここで後段の引用に注目したい。この内容は「企業人」までも競争的であると認めており(「競争(ア)は成立している!」、今までの西尾自身の主張を全面的に否定したものであるとさえ言える。もっとも、92年の著書では更に少し語られ方が異なったことを言っている。

 

「それはよく言われるとおり、他人との協調を大切にする日本型合意社会では、他人より著しくぬきんでることではなく、他人と同じである人並意識を何よりも尊重し、その許される範囲の中で競争し合う暗黙の合意が成り立っている事情に由来すると思われる。つまり競争回避心理の上に、初めて一定の節度ある競争が可能となる。それが日本の成人社会のいわば黙約である。したがって、日本の企業と企業との間の競争は確かにすさまじいかもしれないが、企業内の「個人」の競争は、欧米に比べれば、はるかに激しさを欠き、抑制されていると言える。言い換えれば、大学生以上の大人の社会の全体が赤裸々な個人競争を避けるために、人生の競争の儀式を、十八歳と十五歳の子どもたちに押し付けている。しかも最近では十二歳へと段々年齢的に下の層へ押し付ける圧力を強めていることが憂慮すべき問題なのである。

 言い換えれば、大人の社会が競争を避ける分だけ、子どもの世界が競争を肩代わりして、それが今日の日本の教育の病理のもう一つの様態を示している。」(西尾2013,p699、西尾1992所収部分)

 

 ここでは改めて「競争(ア)」と「競争(ウ)」の違いについて触れることで、あくまで企業の競争は「個人」間の競争がなされていない、という見方として修正を行っているのである。確かにこれまでの「同族的メンタリズム」が支えた競争回避というのは、個人間の競争だったと解釈する余地はあるかもしれないが、先述の「企業と企業人も同じく激しく競争している」という主張を聞いてしまうと、やはり西尾自身の議論に混乱が大きいように見えてしまうのである。結局「日本人論」的論理からは、企業内個人の競争性が乏しいから、大学だけでなく、企業そのものも競争も乏しいものとみなされていたはずである。何より重要なのは、西尾は大学に関していては最後まで個人・組織どちらも競争的でないという風に認めているのは明らかであり、何故企業組織と事情が異なってしまったのかを日本人論からはもはや説明できなくなってしまったのである。

 この代わりになるものであり、かつ以前から語っていたものとして「日本の大学は制度的に序列が固定化している」という言説があった。そしてこれを固定化しようとする制度そのものが問題であるというような主張が、少なくとも論理としては次第に主流となったはずである。しかし、西尾は90年代に入ってもなお「日本人論」的に日本の教育を批判する態度をやめようとしなかったのであった。ここに西尾自身の混乱の原因が見出せるのではなかろうか。ここで「混乱」が見受けられるということは西尾自身が自身の主張に(特に日本人との関連において)自覚的でないことと関係しているように思える。このような日本人論の位置付け方については、次回の西尾の教育論の本論でも再度触れていきたい。

 

 

※1 今回取り上げる西尾の著書は「教育と自由」(1992)「西尾幹二の思想と行動3 論争の精神」(2000)及び「西尾幹二全集第8巻 教育文明論」(2013)の3冊である。西尾(2013)の中に西尾(1992)が収録されている関係で一部「教育と自由」の内容も西尾(2013)として引用する場合がある。

 

※2 確かに労働問題として労働時間の長さが指摘されることはあるが、日本の競争力が優れている理由として労働時間が長いことが直接挙げることはないということである。

 

※3 もっとも、脇山の指摘からは日本が学ぶべき点もあることは事実である。業務上作成されるメモの取り扱い(作成者の名前を入れ、それが作成者の功績とそのままなる)といったものからは、確かに個人を評価し、かつ個人の意欲をかきたてるだけの要素が含まれている。その意味で「競争」的であることが否定される筋合いはないだろう。

 しかし問題なのは、アメリカの企業一般について脇山が務めていた世界銀行の事例をイコールとしてもよいのだろうか、という点である。後述するように、この一般性自体が欧米の労働研究において大きな争点となりうるものである。

 

※4 次のような言及などを見ていると、やはり西尾は日本の現状批判(一定期間大学に帰属するだけで資格が与えられること)ありきであり、ドイツがそうなっていない実態についての意味をあまり深く考えているようには思えない。

「大学は在籍していただけでは特別の資格を与えない。つまり、ドイツには、自分の責任で資格を取得する試験はあっても、なにかの組織に一定期間帰属して修業したという証明が独自の価値を生むことはないのだ。どちらかというとアメリカに似て、個人的な免許を個人の努力で次々と獲得していく生涯競争のシステムに近い。すべてが個人の責任に任されている。」(西尾2013,p115)

 

※5 遠藤(2005)は、小池和男が職務給の採用過程について、小池自身が「実証的な議論を行った」と言っているにもかかわらず、実際は全く実証的な議論が存在しないことを批判しているが(遠藤2005,p10-11)、これは知的熟練論に関連する内容についても全く同じであり、このような基本態度を小池が取ったことによる関連議論全体に与えた混乱というのは精査されねばならないだろう。この点について言及を行ったものとして上井・野村編「日本企業 理論と現実」(2001)があるが、本書は少々小池和男を諸悪の根源とする傾向が強すぎており、小池の知的熟練論の前史である(ないしは根拠の背景としていた)労使関係論への着目といったものについては乏しい。

 

※6 このような着眼点はこれまでなかった訳でもないようである。例えば渡辺行郎は企業の採用において大学別採用者は重層的であり、かつ偏差値の高い大学を重視している企業に特段高い生産性が認められているわけではないとする(渡辺行郎「学校歴による人材選別の経済効果」1987、市川昭午編『教育の効果』p42-61)。