村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎「文明としてのイエ社会」(1979)

今回も日本人論として、大平政権にも影響を与えた著書としても知られる本書を取り上げる。 本書のポイントの一つである多系的発展論の歴史的説明がいかに正しいのかという点は私の能力を超えるため触れないが、欧米的な個人主義や近代化論について一定の批判…

勝野尚行編「教育実践と教育行政」(1972)

本書は、以前レビューした榊編(1980)と同様、名古屋大学の教育学部の関係者により書かれたものである。 前回、榊編でレビューした際に学校教育をめぐる議論においてなされる「専門性」について少し検討したが、本書はまさにその点を詳しく論じていたため、…

中野雅至「公務員バッシングの研究」(2013)

本書は「公務員バッシング」という「現象」について、その発生背景について論じた本らしい。「らしい」としたのは、私自身が本書を偶然図書館で見つけ、タイトル及び分量から期待していた内容とは全く違うものだったからである。もちろん私が期待したのは、…

日比野登「財政戦争の検証」(1987)

本書は1960年~70年代の美濃部東京都政に対する評価をめぐる議論に関連して、革新自治体に対する批判に加担した政府・自治省を強く批判した本である。美濃部都政の評価に関する議論は今後もできる限り検証していきたいが、今回も論点整理の一環でレビューし…

榊達雄編「教育「正常化」政策と教育運動」(1980)

本書は70年代後半を中心にした、岐阜県における教育正常化運動に対する批判を行っている本である。今回本書を取り上げたのは、過去にレビューした無着成恭が在籍していた明星学園中学の教育論争と同じ基軸で、本書で支持される「恵那の教育」批判を行う動…

マイケル・ブレーカー、池井優訳「根まわし かきまわし あとまわし」(1976)

本書は日本の外交交渉(バーゲニング)の分析を通じて日本人論を展開する本である。ただし、p227やp228に見られるように、既存の日本人論に対して一定の批判的な視点があること、そして本書を通して語られる日本人論は、かなり複雑な印象がある。 少なくとも…

田中一彦「忘れられた人類学者」(2017)

本書は、1937年に日本の農村を中心にしたフィールドワークをもとに著した『須恵村』で知られるジョン・エンブリーと『女たち』の著書で知られるエラ・エンブリー夫妻がみた須恵村などについて記した本である。 本書の考察をする前に、まず本書を読む前の段階…

斎藤喜博「第二期斎藤喜博全集 第1巻」(1983)

今回は以前レビューしていた斎藤喜博を再度取り上げる。本書でメインになっているのは「授業論」であり、斎藤自身これまでそのような「授業論」が存在しなかったことを憂い、そのような「教授」に関する議論がもっと教師に読まれる必要性を感じて書いた内容…

板倉章「黄禍論と日本人」(2013)

今回は、西尾のレビューで取り上げた「黄禍論」についての本である。 本書は19世紀から20世紀にかけて、中国人・日本人の海外への進出について、特に「人の多さ」をもって支配されるのではないのか、という議論にはじまる「黄禍論」について、諷刺画を中心に…

牧久「昭和解体」(2017)

「国鉄の分割・民営化は、二五兆円を超える累積債務(これに鉄建公団の債務、年金負担の積立金不足などを加えると三七兆円)を処理し、人員を整理して経営改善を図ることがオモテ向きの目的であったが、そのウラでは、戦後GHQの民主化政策のもとで生まれた労働…

サミュエル・ハンチントン「分断されるアメリカ」(2004=2004)

本書は「文明の衝突」で知られるサミュエル・ハンチントンの著書である。 世間的には近年のアメリカの動向を予見していた著書としても評価されているようであるが、私自身の関心から言えば、これまで「日本人論」に対してあまり語られないのではないかと指摘…

西尾幹二「西尾幹二全集 第一巻 ヨーロッパの個人主義」(2012)

今回も日本人論を取り上げる。 西尾については最初に「教育と自由 中教審報告から大学改革へ」(1992)を読み、レビューする予定だったが、背景として西尾の考える日本人論について押さえておく必要があると感じたため、本書を読んだ。 その考え方についてはこ…

E.H.キンモンス、広田照幸ら訳「立身出世の社会史」(1981=1995)

今回も「日本人論」として「社会問題」を扱った著書のレビューを行いたい。 本書は、明治から昭和初期にかけてのエリート層の青年(高等学校進学者)向けの雑誌の言説分析を中心にして、「立身出世」の意味合いの変化について捉える中で、現在の「日本人論」…

ジョン・W・ダワー「人種偏見」(1986=1987)

本書は第二次大戦前後の「日本人論」を分析したものである。 杉本・マオアのレビューの際にも「日本人論」には「日本人から見たもの」と「欧米人から見たもの」の2つがありえることを指摘したが、本書はその両方の議論について当時の言説からその異同につい…

松下圭一の日本人論(補論)

今回は前回の補論も兼ねる形で、松下の「日本人論」を考察してしたい(※1)。思えば、松下の「社会教育の終焉」のレビューにおいて、「日本的」であることの文脈の捉え方に違和感を覚えたことが、その後の私の日本人論の検討にも大きな影響を与えたように思…

松下圭一の市民論再考(2/2)

○松下にとっての「教育」とは何だったのか? さて、2つ目の問いである。この「市民」に対する意味合いについても過去の言説から分析してみたい。ただ、これに答えるためにはまず、松下における「教育する主体」についての議論をしなければならないだろう。 …

松下圭一の市民論再考(1/2)

今回、改めて松下圭一を読むことにした。 前回の「シビル・ミニマムの思想」のレビュー時点では松下の精読について興味深いとしたものの、それ程重要性について感じていなかったため、読むのをやめてしまったのであったが、最近90年代の日本人論、つまり日本…

E.F.ボーゲル「日本の新中間階級」(1963=1968)

本書は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著書でも知られるエズラ・ヴォーゲルの60年代の著書で、日本のM町におけるフィールドワークをもとにした研究書である。特に日本の新中間階級の家族の状況に密着した研究として、とても貴重であり、特に家族生活…

妻鹿淳子「犯科帳のなかの女たち」(1995)

本書は江戸時代の岡山藩における「犯科帳」を史料にしながら、当時の社会(共同体)がどのようにあったかについて分析を行っているものである。 特にポイントとなるのは、p72-73にあるような記述である。ここでは過去の議論において江戸時代における農村部の…

杉本良夫/ロス・マオア「日本人は「日本的」か」(1982)

今回はすでに予告していた杉本・マオアのレビューである。 本書は「日本人論」の批判の著書である。本書の大きな主張点の一つは、『日本人論は単一な国民性論とみられており、その複数性を考えようとしない』という点である(p69)。ベネディクトの「菊と刀」…

土居健郎「「甘え」の構造」第三版(1971=1991)

今回、当初予定していなかった土居のレビューを行うことにした。杉本・マオア(1982)のレビューがなかなかまとまらないのもそうだが、日本人論の代表書の一冊と言われる本書を読んでみて、そもそも本書を日本人論の著書と位置付けるのが適切なのかどうかとい…

ポール・グッドマン、片岡徳雄監訳「不就学のすすめ」(1964=1979)

本書は「脱学校論」のはしりとも言われている著書であり、すでに議論している「アメリカの個人主義」について安直な議論を行う論に対する反論として、今回取り上げた。 河合隼雄は、日本の教育において「権威」というものが人を拘束するものとなっており、ア…

野村正實「知的熟練論批判」(2001)

今回は以前小池和男のレビュー後に小池批判を行う著書があるのを知り読んだ野村の著書である。野村はすでに一度小池の「知的熟練論」の理論面での批判を行っているが、私もレビューした遠藤(1999)の提示した人事評価における「仕事表」の捏造の可能性に触発…

「『親方日の丸』の研究」―新堀通也レビュー補論

今回は前回の補論として、新堀が使っていた「親方日の丸」の言説の妥当性検証の一環で、一般に流布していた「親方日の丸」言説を少し分析してみた。 今回確認したのは読売新聞・朝日新聞の記事データベースから、新堀の著書が書かれる直前である1986年頃まで…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その2

<読書ノート> p鄱-鄴「(※教育風土シリーズ発刊の目的の)第二は日本文化論など日本研究への寄与である。今日、日本の国際的地位の高まりから、諸外国では日本への関心が拡まり日本研究が盛んになっているし、国内では日本社会論、日本文化論、日本人論が流…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育…

ダニエル・H・フット「裁判と社会」(2006)

今回は日本人論の検討の一環で、法社会学的アプローチをとるダニエル・フットの著書のレビューである。 本書は、日本人論に対して一定の懐疑を持ちつつも、とりわけ『制度』の影響についての検討を、訴訟をめぐる分野から行っている。しかし、特に序盤で語ら…

小池和男「日本の熟練」(1981)

今回は、遠藤のレビューで取り上げた小池和男の著書である。小池が何故人事評価の制度をめぐって「誤解」をしたのか、それを日本人論に対する見方から説明することできるのではないのか、という点を課題としていた。今回は本書と「学歴社会の虚像」(1979、…

渡辺治「「豊かな社会」日本の構造」(1990)

本書は、日本の「社会民主主義」の分析を介して、その特殊性と、労働運動や政治における一種の脆弱さを指摘する内容である。 本書を読むきっかけとなったのは、渡辺が別の編書で(渡辺治編「日本の時代史27 高度成長と企業社会」2004)、75年頃からの官公へ…

岩本由輝「柳田國男の共同体論」(1978)

今回は共同体論関連のレビューである。本書で批判を行う共同体論というのは、祭事やより素朴な連帯意識による「共同体」が形成されるべきである、という主張を行うものである。今回はこの主張を岩本の価値観に合わせて「似非共同体論」と仮称して議論してい…