村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎「文明としてのイエ社会」(1979)

 今回も日本人論として、大平政権にも影響を与えた著書としても知られる本書を取り上げる。

 本書のポイントの一つである多系的発展論の歴史的説明がいかに正しいのかという点は私の能力を超えるため触れないが、欧米的な個人主義や近代化論について一定の批判を加えつつ、更に既存の日本人論とも一定の距離を取ろうとしている傾向が認められる。ただ、「欧米文明」との対比を意識していると述べるものの、本書は一貫して「ヨーロッパ」との対比を想定して日本を論じているといわざるを得ない。近代化論、そして日本人論を語るのに際しアメリカとの対比を無視することはできないはずだが、本書が目指す視点から近代国家アメリカをどう語ることができるのかが全く見えてこなかった。まあ、本書のスタンスとしては将来的な発展が個人主義的になるのか、集団主義的になるのかは明言していないという点からすると、過去の「文化的遺伝情報」(p461)なるものというのはむしろ限定的な影響しか与えないということ解釈をしていることを踏まえれば、あまりアメリカの歴史的連続性について考えなくてもよいのかもしれない。しかし、「近代化論」としてはやはり本書が歴史的連続性を強調している以上、触れて欲しかった論点であるように思う。

 

○欧米の近代化論者は「二項図式的」なのか?――テンニースの事例から

 

 本書ではテンニース、マッキーバーパーソンズという具体名を挙げ、「欧米的近代化の中で育まれてきた社会学的分析においては、個々人を基本的な主体として考える原子論的ないし還元主義的傾向が強い」と述べ(p33)、その二項図式的な近代化の分析に対する批判と、それに応える意味で日本の歴史的発展におけるウジ集団とイエ集団の分析を行う。ここでは、テンニースの著書「ゲマインシャフトゲゼルシャフト」をもとに、この点について検証してみたい。

 この検証を行うにあたり、まずこの二項図式を考える上で、すでに羽入辰郎のレビューで検討したヴェーバーの「理念型」についての基本的理解を前提にする必要がある。理念型というのは、それが社会の実態を捉える上で「分析的」なものとして機能させるためには、むしろ極概念として明確な二項図式として提示した上で、それがどの程度実態にあてはまるのかをみていくためには、ある意味で「還元主義」に基づき定義される必要があった。そのような極概念により、より実態が「対象化」可能なものとして分析できるのである。これをここでは「分析概念としての二項図式(二項図式A)」と呼ぼう。一方で、実態についてある一定の法則性を見出せることが実証できたのであれば、それは一定の事実として二項図式的に示すことが可能となる。これを「実態としての二項図式(二項図式B)」と呼ぶことにする。差し当たり前提として押さえておきたいのは、この二つが混同されてはいけないということである。つまり、本書で二項図式を否定する際には、二項図式Bが否定される筋合いはあるが、二項図式Aの否定は、社会分析にとって自殺行為になるということである。もっとも、本書は流石に二項図式Bこそが批判されるべき「欧米的社会学分析」だとみなしているだろう。

 しかし、更に注意しなければならないことは、この両者の混同というのは、デリダ的な意味での「誤配」に極めて陥りやすい性質を持っているものであると言ってよいように思う。つまり、社会学者(作者)側の意図とは別に読者の側が二項図式A・Bを混同し、特に二項図式A(理論的仮説)をあたかも二項図式B(実態そのもの)であるかのように読まれるということである。結論から言えば、少なくとも本書のテンニース理解というのは、この誤解に陥っていると言わなければならない。

 

 さて、本書における欧米的社会学分析の批判は単に二項図式的であるという主張とは別に、p42のように「前近代的集団」と「近代的集団」の捉え方もまた問題であるという風に主張される。ただし、この点については、「限定的/無限定的」であることと「人為的/自然的」であることについては異論がないようであり、「即自的か手段的か」という点に論点が絞られている。これはテンニースの著書においては、「本質意志」と「選択意志」の違いであるといってほぼ間違いないだろう。テンニースがいう二つの意志に関する定義付けを一言でまとめるのは難しいが、次のような言い方で語られている。

 

「本質意志という概念を正確に把握するためには、外界の事物の自立的な存在からまったく眼を転じて、それに関する感情または体験をその主観的実在においてのみ理解しなければならないであろう。そこで、ここにはただ精神的な実在と精神的な因果関係だけしか存在しない。換言すれば、ただ存在感情・衝動感情・活動感情の同時的存在と連続的継起だけが存在するのであって、これらの感情は、同時に全体として存在している場合でも、継起的な連関において存在している場合でも、かの個性的存在の原初的な萌芽状態から生じてきたものと考えることができよう。……――選択意志はそれが関連する活動に先行しており、活動の外にとどまっている。選択意志そのものは自己の存在をただ思惟のうちにのみ有しているのに対し、活動は選択意志の実現である。両者(選択意思とその実現としての活動)の主体が、身体を外部的な衝動によって運動に導くのである。この主体は一つの抽象物である。それは他の一切の性質をぬぎすてて本質的に思惟する作用だけを営むものと考えられる人間的な「自我」である。」(テンニエスゲマインシャフトゲゼルシャフト上」1887=1957、p166)

 

 

 確かにテンニースの著書においてはあたかもゲマインシャフト=本質意志、ゲゼルシャフト=選択意志が成立しているようにも見える。テンニース自身もこれを対比的に描くし、訳者の解説においても、これを対比的に語っている(同上下巻、p226)。しかし、テンニースがこの二分法を絶対的なものとして取り入れているわけではないことはテンニースの著書を読めば明らかである。

 そもそもこの点の検証においては、テンニースがゲマインシャフトゲゼルシャフトを非対称的なものとして捉えていること、言い換えれば明確な形で対比的なものとして捉えていないことを押さえなければならない。

 そのポイントは2点ある。一つはゲゼルシャフトと商業との関係性が語られる部分である。完全な形での(理想形としての)ゲゼルシャフトとは、個々人が財の交換を行うことで自己の満足度を高めること、より正しくは相互の満足度を高めることができるように財の交換が自由にでき、それのみで完結可能な社会を指す。テンニースの議論にはマルクスの影響も強く受けていると確認でき、ここでのポイントは「個人が独立していること」と「財の交換の実施」にある。そしてゲゼルシャフト的人間の代表格として商人を挙げている点も特徴的である。

 

「一般にあらゆるゲゼルシャフト的関係は、可能的な給付と提供された給付との比較にもとづいて成立するものであるから、明らかに、この関係においては眼に見える物質的な対象との関係が先行し、単なる活動や言葉はただ副次的にこのゲゼルシャフト的関係の基礎をなしうるにすぎない。これに反して、「血」の結合体としてのゲマインシャフトは、まず第一に肉体の関係であり、したがって行為と言葉で表現されるものである。そしてここでは、対象との共同の関係は二次的性質のものであって、これらの対象は交換されるというよりは、むしろ共同で所有され享楽されるのである。」(同上上巻、p115-116)

「各地方は、このような商業地域に発展しうるが、しかし、領域が広くなればなるほど、それはますますゲゼルシャフト的地域として完全なものとなる。なぜなら、それだけますます交換取引が普遍的に自由に行われうるようになり、交換取引の純粋法則が妥当する蓋然性がますます大となり、人物や物品が相互関連的にもっている非商業的な諸性質がますます大となり、人間や物品の領域は最後には一つの主要市場に、すなわち究極においては世界市場に集中し、他の一切の市場がこの世界市場に依存するに至るのである。」(同上上巻、p117)

「そして、貨幣を集めるということが、商人の目ざしている唯一のことがらなのである。商人は、商品の媒介によるとはいえ、貨幣をもって貨幣を買うのである。それどころか、金貨業の場合にはこの媒介すら存在しない。もし同じ量だけの貨幣しか手に入らないとすれば、かれらの行為や活動はゲゼルシャフト的な意味においてはまったく無意味なものであろう。」(同上上巻、p124)

 

 そしてもう一つ重要なのは、「ゲゼルシャフトがないゲマインシャフトのみの世界」は過去に存在したが、「ゲマインシャフトなきゲゼルシャフトはありえない」ことをテンニースが確認している点である。前者は段階論的な語りで次のように述べられる。

 

「事実としても名称としても、ゲマインシャフトは古く、ゲゼルシャフトは新らしい。」(同上上巻、p36)

「したがって、ゲマインシャフト的な民族生活の最高度に発展せるものとして現われるゲゼルシャフトの発展過程も、この経済的領域にかぎって考察するならば、それは、家経済が一般的である段階から商業経済が一般的である段階への移行として現われ、またこれと密接に連関しているが、農業の支配的な段階から工業の支配的な段階への推移として現われる。この発展は、あたかも計画的に推し進められているかのように考えられる。」(同上上巻、p116)

 

 また、後者については、ゲマインシャフトは実在する物的なものを基盤にし、ゲゼルシャフトは観念的なものを基盤に成立しているため、物的なものへの依存からは抜け出せないという形で語られる。

 

「――ところが、ローマ法と並んで、その系統をひけるものとして、近世の哲学的・合理主義的自然法がある。この自然法は、もっとも重要な己れの活動の場所が一部受け継げるローマ法により、一部は因果律によって占められているのを最初から発見した。この自然法固有の活動領域は、公法の構成とされた。かくて自然法は、ローマ法学の歴史的見解がこれに与えようと考えた致命的打撃にもかかわらず、この領域を(ひそかにではあるが)己れの勢力範囲として維持したのである。……近代自然法は、支配者階級自身の発展のために働いた後、今度は被抑圧階級の綱領として展開されるのである。……このような闘争のもっとも一般的な、最も直接的な対象は、土地の自由にして絶対的な私有ということであった。なぜなら、土地所有権の濫用が――「地代」として――もっとも明瞭に人々の眼に映じたからであり、「われわれと共に生まれた」ゲマインシャフト的法の記憶が、ミイラの中の穀粒のように、活動を停止しているがなお発展の力を保持しながら、庶民大衆の心の奥に蔵されているからである。なぜなら、自然法は正義の理念として、人間の精神の永遠なる、売却不可能な所有物であると解せられるから。」(同上下巻、p152-153)

「しかし、その名の示す通り、大都市内部には町が存在しているが――これと同様に一般にゲゼルシャフト生活様式の内部には、たとえ萎縮し、さらには死滅せんとしているにしても、ゲマインシャフト生活様式が唯一の実在的なものとして存続している。」(同上下巻、p199)

 

 しかしここで問うべきは、ゲゼルシャフトゲマインシャフトの後の社会だというのであれば、「ゲゼルシャフトの誕生はいつなのか?」という点である。これについてテンニースは明言しない。上記のローマ法との関連で言えば、かなり古い時代からあった(中世頃にはすでに登場していた)ように読めそうであるものの、「協約」という言葉にも現われているように、基本的にゲゼルシャフトは資本主義的な、近代的主体による交換を行うことで初めて成立するものであるという見方をしており、18世紀か早くても17世紀あたりを想定しているイメージが強い印象である(これは私の印象も多分に含んでいるが)。例えば、テンニースはこの関連で大都市におけるゲゼルシャフトの成立について言及したりもするものの(同上下巻、p208)、商人の存在については、ギルドといったものに対しゲマインシャフト的組織と断じていることもあり(同上下巻、p126)、ここで述べられる大都市とは、何らかの地理的な意味での(単純な都市の規模を述べている意味での)大都市ではなく、シンボルとしての大都市として、例示的に示しているべきではないかと思われる(これは、ゲゼルシャフトがそのような土地といった物的なものから解放された状態であることを意味しているという意味での、機能的な意味で用いていると解釈すべき所である)。

 

 以上の議論を踏まえ、本書で述べられていた「手段的・即自的」の二項図式について考えると、ゲマインシャフトが即自的なものと一致していると考えるのはむしろ不自然であり、手段的要素も含まれていたと考える方が自然である。テンニースは単なる交換行為についてはそれだけでゲゼルシャフト的であるとは述べていないし、より直接的にゲマインシャフトでも手段的でありうる(=選択意志が働く)ことは明言されているのである。

 

ゲマインシャフト的団結体も――その指導者を介して――その意志を選択意志として表現することができる。しかし、分離せる選択意志領域を有する個々の人格以外にはいかなるものも前提としない団結体としては、ゲゼルシャフト的団結体がその唯一の可能な種類である。ゲゼルシャフト的団結体は、次の点で明確に区別される。すなわち、この団結体がその成員の意志に合致した、したがって合法的なものであるためには、この団結体の一切の活動は、一定の目的ならびにその目的を達するための一定の手段に向って局限されなければならない、という点で明確に区別される。(これに反して、生命と同様に普遍的であり、自己の外部にではなく自己の内部に力を有しているということが、ゲマインシャフト的団結体の本質的性格である。)」(同上下巻、p130-131)

 

 また、テンニースの議論が西欧近代化論特有の還元主義的な立場に立っているというのも誤りである。そもそも本書においては、「現在」の社会がゲマインシャフト的かゲゼルシャフト的かという点について明確な判断をしていない。明らかにゲゼルシャフト的になってきているものの、ゲマインシャフトが消失する訳でもないし、どの程度ゲゼルシャフト化しているのもよくわからない。ただただゲゼルシャフト化する社会に対して警鐘を告げるだけである。この点からも先述した「二項図式B」としてゲマインシャフトゲゼルシャフトをテンニースは論じていると言い難いのである。したがって本書がテンニースの解釈を誤っているのは、羽入辰郎ヴェーバー研究者に対して行った批判と同様、テンニースらをそのように解釈した(誤配が作用し理解された)過去の「社会学者」に対してそのように言っている可能性しか残らないのである。しかし、本書ではこのような論者について具体的なものは何も出てこないため、この可能性も「あまりにも素朴に」想定しているにすぎないということにしかならないのである。欧米人の日本人論が二項図式的であるという可能性はまだ否定しないが、少なくともテンニースに対してはこれは全く成り立たないと言わなければならないだろう。

 

○「単系的であること」と「多系的であること」の違いはどれ程重要なのか?

 

 

 本書は多系的発展論を採用し、日本のイエ社会の経営体としての性質を捉えることの重要性を説いた訳だが、このような見方は本当に「単系的発展論」と比べ優れていると言えるのか。すでに本書が前提としていた「単系的」であることの意味合いはずれていることを確認した訳だが、例えば、過去にレビューしたジョージ・リッツアの「グロースバル化」といった概念は、このような多系的発展論的な理解に一定の距離を置き、むしろ単系的であるもの(一般則・普遍則として支持されやすいもの)の地域文化への影響を指摘したものであったように、一定の多様性を許容した上で、近代化を単系的なものとして議論する方法も大いにありえるものであるということはまず押さえねばならない。本書の前提からは、このような議論の可能性を「二項図式論」に還元し否定しまっているのである。

 本書が日本人論全体に与えたインパクトというのは、大著であることや政治的影響の強さがうかがえるにも関わらず、管見の限りはかなり限定的であったように思う。これ以前のアベグレン・ライシャワーヴォーゲルや中根・土居などの日本人論者の引用の頻繁さから比べると、ほとんど引用されていないに近いといってもよいレベルかもしれない。本書が強調する「間柄」の話も本書が出る以前にすでに多くが語られており、あまり真新しさがないこと、また本書が歴史的考察を行っているにも関わらず、現在(将来)の日本人論については、これをあたかも断絶的でありうるかのように捉えていることなどから、参照しづらさの方が大きいからではないかとも思う。

 本書についての批判は河村望「日本文化論の周辺」(1982)や関曠野「野蛮としてのイエ社会」(1987)で紹介されている。河村の場合は少々極端であるが、両者とも批判の主旨は類似しており、単系的であることに対する軽視を行っているものと述べられる。

 

「著者たちは(※文明としてのイエ社会の)、「決定論的歴史主義」や「単系的発展論」に反対するあまり、「よりいっそうの近代化・産業化の進展を人類史の必然的方向とみることにも、大きな問題がある」として、「近代化」概念の混乱を利用して、社会発展の法則性ないし傾向性までも否定するのである。」(河村1982,p250)

 

 また、関の場合はもっとシンプルに、イエ社会における「服従」の側面を強調し、これに倣う形で文化継承される可能性を肯定的に捉えること自体が問題であると述べる。

 

「ところで、イエ集団のおいて血縁の絆は、集団形成のための最も基本的な定礎でありつづけた。しかしこのことは、日本のイエが中国の伝統的な家族制度のように、抑圧的要素と温和で人道的な要素を合わせもつ存在だったことを意味しない。反対にここでは武家としてのイエ文化の勝利と共に、主君と家来の主従関係がますます血縁関係の擬制下で抑圧的、専制的なものとなっていった一方、婚姻関係や血縁関係の中に「社縁」の要素が浸透していったように思われる。主従関係が血縁のそれに擬されることは、たとえ外見上は家族的な親愛感のヴェールをかぶることがあろうとも、現実にはイエ内部の家内奴隷制的支配を正当化するために血縁関係のイメージを不当な、倒錯した形で転用することである。だからこそ本書の著者たちも指摘するように、日本における他人との血縁的な擬制は常に親―子の擬制となり、中国のような義兄弟という形をとることがなかったのである。そしてイエ内部および大イエと小イエの親―子関係に擬された主従関係は、西欧的な結社の原則とは対照的に、無制約的で無期限の全人格的な主君と集団への服従を生み出す。」(関1987,p65-66)

「従って日本における女性の地位の低さ、女性の社会的な威信と影響力の弱さは、儒教や仏教のイデオロギー的影響力に帰されてはならないものである。たとえ儒教や仏教がイデオロギー的粉飾のために使われたとしても、その原因はやはり所有と蓄積の抽象的な単位としてのイエに女性が家族を介して従属していることにある。大イエと小イエや準イエの間の支配と従属の関係は、個々のイエ内部の主従関係に反映される。こうした日本のイエ内部の主人とその妻子の間の主従関係は、中国の家における儒教的な長幼の序などとは区別さるべきものである。」(同上、p68)

 

 もっとも、本書の立場は今後の日本についてのあり方について「中立的」であることを宣言することで、現在における日本の状況についても言及を回避しているため、このような疑念もあくまで「過去のものにすぎない。未来はこれとは別様でありうる」と反論があるかもしれない。しかし、ここでいう「中立的」というのは、あくまで将来的な状況がどうなるかについて回避しているにすぎず、本書が「シナリオⅠ(個人主義傾向への志向)」と「シナリオⅡ(間柄・集団主義への志向)」のどちらがより望ましいかと考えているかは明らかである。個人主義については、p175にあるように(土居健郎個人主義を批判するのと同じように)その「不可能性」から棄却される。一方、集団主義についても、過去と同じような形でそれが用いられることは現実的でないとするものの(p175)、それが改良された形での運用がなされることについては特段否定しているといい難く、その意味で本書はシナリオⅡの方が優れているという価値判断を行っているのは明らかであり、個人主義的価値観の軽視をしている傾向は否定し難い。土居のレビューで指摘したように、個人主義がその信念を貫くことはある意味不毛であるのは確かだが、プロセスの中で与えてきた良い側面まで否定される筋合いはないのである。

 

 正直な所、私としては単系的発展論をとるか、多系的発展論をとるかという問いにあまり意味があるとは考えていない。どちらの理論でも多様性は十分に捉える余地がある。むしろ重要なのは、このどちらかを選んだ際にどのような視点を失うか、そしてそれは実態を踏まえ許容可能なものなのか、といった点であり、それらの問いを深めていった方がよほど有意義であると思う。

 

<読書ノート>

 

P12-13「しかし近代化・産業化のためには、欧米型の「近代的個人」の誕生が不可欠であるという意見は、欧米ではもとよりのこと、非欧米の国々ですら今なお強く、集団主義は一律に批判される傾きがある。たとえば日本でも、少なくとも知識人の間では、日本固有の集団主義型文化が近代化を遅らせたり歪めたりしたという理解が久しく多数意見であった。さらに、単に近代化・産業化への適合性というばかりでなく、歴史の流れとして、集団主義個人主義によって必然的に克服さるべきものだとする、より強い考え方も少なくなかった。既にふれたように、欧米思想の主流は、単系的発展論への反省が強まった今日でも、基本的にはなお個人主義的であるといって過言ではない。

しかし人類史の全体からみれば、個人主義的文化の時代はむしろ例外である。たしかに近代化・産業化の始動にあたって、個人主義的な欧米の文化が決定的な役割を果し、最近数百年の人類史の主要な発展枝となったことは事実である。しかし「つぎの先進段階はそれまでのものとは別の系統からはじまる」とすれば、今後の発展枝の可能性を探るにあたって、欧米型の個人主義的な文化にとらわれることなく、さまざまの他の可能性をも考慮しなければならない。近代化・産業化に限って考えても、以下で日本という特定の事例について示すように、ある種の集団主義は産業化に十分適合する。」

※しかし「単純に集団主義を主張し、擁護するものではない」「われわれの主張するのは、個人主義集団主義とを同じ相対性の光の中におくことであ」るとする(p13)。一方でこのような集団主義批判はいつの話をしているのかわからない。

P16「個々の人間の発達過程を例にとれば、乳幼児の心理では、自分と他人(主として親)とが十分に分離されずある程度融合している。しかし生きることを学習する過程で、親が「他者」であることを徐々に発見し、それにつれて子はその分だけ「自己」を発見していく。つまり「他者」と対置されるとき初めて、自他己前の間柄の中から、「自己」を外在化ないし対象化されるのである。そのようにして、子供は、生物的個体であることを自覚する程度にまで「自己」を発見して、成人となっていく。たしかに、生物的個体であることの習得は、生物としての人間にとって基本的な事実である。しかし人間は生物的存在である以上に社会的存在である。生物的個体としての自立は、必ずしも社会的文脈で「個人」であることをそのまま意味するものではない。」

発達心理学の影響を無視できない。

 

P17「しかし個々の人が、生物的個体として、あるいは集団の構成単位として、さらにあるいは宗教での救済単位としての自覚をもったとしても、彼はただちに完全な意味での「自己」となり、「個人」となったわけではない。個々の平均人は自己完結しえず、つねに他者との交流を必要とする。しかも、他者との交流の作り出す間柄に入ることによって、人はそれぞれ交流以前とは多少とも異なったものに変質し、その意味では間柄は個々の人に刻印を押す。このようにして間柄は個々の人を作り上げていくが、間柄を作り出し維持するものが個々の人であることも間違いのない事実である。また、間柄の性質自体もどんな人がそれに入ってくるかによって、多少とも影響をこうみる。間柄と個々の人のいずれが先でいずれが後かという問題は、果てしもない問いかけにすぎない。間柄と個々の人とを切り離すことは、それぞれを対象物として把えようとする知的作業として可能であるにすぎず、そのときどきの直接的事実としては、間柄と個々の人とは共に在るとしか言いようがないのである。」

※これが前提で、普遍的なものとみる。では、個人主義とはなんなのか?

P19「そもそも他者とは自己と交流可能なものでなければならず、その意味で単なるモノであってはならない。だが、完全な他者とは、交流可能でありながら自己とは完全に異質であり断絶していなければならない。しかしそのような他者は現実の人間としてはありえない。したがって、第三章で改めて取り上げるように、人類史上最も徹底した「自己の対象化」あるいは「個人」概念の確立は、ユダヤキリスト教におけるような絶対的他者としての人格神の概念を経て、初めて実現したのである。そのような絶対的他者は、すべての現実の「他者」を含んでしかもそれらを超えるものであるーー「もろもろの関係の延長線は永遠の汝(神)において交わる(マルチン・ブーバー)」。かくてすべての現実の間柄は、神と人の間柄の不完全な仮象にすぎないものとみなされる。このようにして、個人の概念化がその極に達したのは、宗教改革を経て西方型有史宗教(キリスト教)が徹底化したときのことであった。」

P20「たとえば日本では一千年近くにわたって、一定類型の自立的集団――われわれは後にそれを「イエ集団」と呼ぶーーが存続した。かくて日本では、「間柄」がそれ自体として意識される度合が強かったように思われる。」

※歴史的因果関係の説明部。

 

P30「ほとんどすべての神話的・呪術的要素と協会による媒介とが取り払われたとき、ユダヤキリスト教的価値観は、現世的進歩の思想と個人主義的社会の発展を支える力となった。欧米型社会の発展は、その脱宗教的外観にもかかわらず、依然として「神の栄光を増大させて」きたともいえよう。」

P31「そこからえられる一つのヒントは、個人主義集団主義という対比が十分に適切ではないということであろう。歴史上のほとんどの社会は、個人主義集団主義の何らかの組合せに基いて作られており、その組合せがさまざまの形をとるにすぎない。ただ例外として、欧米型近代社会は、個人主義のみを原則とする社会システム作りの大胆な試みだと理解できる。そしてこの社会の掲げた「近代的観点」からみるとき、他のすべての社会は集団主義的ともみえるであろう。しかしそれは一つの極点からみたとき、他のすべてのあり方が一様にみえたという以上のことではないかもしれない。非欧米的あるいは非近代的諸社会は、より複雑で多様な事例を与えている。」

P32「「主体」はもちろん相対的な概念であって、現実には、十分な主体は存在せず、またまったく主体性のない個人も存在しない。しかしかりにある特定の社会をとって観察すれば、その社会ではある種の集団の方が個人よりも主体と呼ばれるに相応しいことはありうるだろうし、またその反対の場合ももとよりありうるだろう。このようにして、社会の中には、個人という非複合主体もありうるし、また集団という複合主体もありうる。」

※これは立派な価値判断であるが、それに自覚的であると言い難い。

P33「しかしながら、欧米型近代化の中で育まれてきた社会学的分析においては、個々人を基本的な主体として考える原子論的ないし還元主義的傾向が強い。たとえば、集団類型についての有名な議論の例をあげると、テンニスの「共同社会」と「利益社会」の二分法、マキーバーの「共同体」と「結社体」二分法、パーソンズの「ゲマインシャフト」と「オーガニゼーション」の二分法などがある。これらの有名な集団分類には、欧米の個人主義的近代化の経験に基いて、前近代社会と近代社会とを対比させようというねらいが一貫している。このような分類は、少なくとも今後の産業社会のあり方を考えるにあたっては十分に一般的ではないおそれがある。」

※二分法はむしろ欧米に好まれる、という根拠である一方、「分析的」であるためには二分法にしなければならないという矛盾。ただ、ここでの指摘では前者に偏っている。

 

P39「個人主義的観点からすれば、各個人は個性的であるべきであって、彼らの生活全般にわたる姿勢は当然ながらそれぞれ異質であり、そのような彼らの共有しうる集合目標は限定的たらざるをえない。他方、集団主義の観点からして、個々の人々の生存の根拠を集団に求めるとすれば、集団の目標はまさしく成員の生活の全般を牽引するものであることが要求される。ある集団が集団主義的性格をもつか個人主義的性格をもつかの判定は、その集合目標が無限定的か否かの規準によることが最も適当であろうと思われる。」

P42「テンニス、マキーバー、パーソンズその他の多くの有名な集団分類は、近代と前近代との対比を浮き上らせてきた。……つまり、近代的集団が手段的・限定的・人為的であるのに対して、前近代的集団は即自的・無限定的・自然的であるかのように思われてきた。しかし、そのような前近代の理解は、近代についてのおそらくは不当な自負と、前近代への根拠なき憧れとの奇妙な混合物に過ぎない。」

※ここでの争点は絶対的か相対的であるかの議論ではないのか。また、立証の状況を見ると、「無限定的かつ自然的な集団を「共同体」ないしむしろ「原共同体」と呼ぶことはおそらく適切である」といい(p44)、即自的か手段的かという軸に否定的であること(p42)にある。

 

P87-88「このようにして、中世ヨーロッパの封建社会は、少なくとも発生起源においては、異質な二層なら成る。戦士集団としての家士制のシステムが社会の上層を形成し、各々は孤立した(農民の)村落共同体が下層を形成した。そして戦士集団側の領主権が事実上次第に確定するにつれて、高位の領主は下位の家士に封土を授ける慣行が成立し、各々の家士が村落共同体ないしそれらの集まりの領主になることによって、上層と下層のシステムが結合された。……

それに対して、東国日本のイエは同質性を基本理念とし、家長から所従下人にいたるまでの成員が軍事要員であると共に農作業に参加し、彼らの生活様式も程度の差はあるにせよ基本的には同質的であった。戦士と農民とは決定的には分離されず、家長から下人にいたるまでの階統は連続的であり、同質のもの、一体のものとして統合されていた。したがって、イエの内部では契約関係はありうべからざるものであった。そしてイエに属する武士にとって、土地は祖先が自ら汗して開発したものであって、経済的なものというよりもイエ型集団の結合を支える拠り所であり、まさに「名字の地、一所懸命の地」であった。……すなわち日本では、武士がイエの長であり領主であることは、論理的には、鎌倉殿の御家人であり家士であることに先行している。したがって、まったく逆説的なことであるが、人的結合としてのイエの一体感が持続するかぎり、経済的資源としての土地はむしろ二義的な意味をもつにとどまる。かくて後に述べるように、日本のイエ型集団は、ヨーロッパの農村共同体よりもむしろ脱地縁的性格を示しやすいのである。」

※この理解はアメリカについてどう考えるかという論点を曖昧にする。

 

P111-112「そもそも東方型有史宗教と西方型有史宗教の間には基本的なちがいがあった。既に述べたように、東方型有史宗教を支えているのは、宇宙原理理解のための知的(霊知的)作業における緊張である。知的訓練をうけず知的作業の余裕のない一般大衆が、僧侶階層の媒介なしに知的構成をもった救済論を体得することは非常に難しい。……このことは、主知的宗教としての仏教における直接的救済論の試みが、大衆レベルでは緊張なき現世肯定主義につながり易く、宗教的エネルギーを持続し難いことを示唆しているように思われる。

これに対して西方型有史宗教の基礎は、唯一の人格神との主意的関係における緊張にあった。神は最も身近なものであると共に最も畏るべきものであった。そのような神と罪の観念は、宗教改革期の一般のヨーロッパ人たちにとって最も具体的な事実の一つであり、俗人大衆の一人一人にとって自ら対処すべき問題であった。……神と罪の重荷を担った主意的緊張は、当時の俗人大衆にとっての実感であり、彼らをかり立てて勤勉と節約の世俗内的禁欲主義に向わせる力をまさしくもっていた。主意的宗教としての西方型有史宗教は、大衆型の直接的救済を生み出し易い性格をもっているように思われる。」

※宗教と大衆との付き合い方も自ずと異らざるをえないのではないか。

P120「ただし以上の議論は、西方型有史宗教がより優れた宗教であり、能動主義の思想や個人主義の思想がより優れた思想であることを意味するものではない。……いずれにせよわれわれがここでいいうるのは、宇宙論――受動主義・集団主義――的構成をとる東方型有史宗教と、人格神――能動主義・個人主義――的構成をとる西方型有史宗教とが、優劣を離れて相並ぶ二つの途であるという以上のことではない。」

 

P126近代化の定義としての「近代化=産業化」「近代化=欧米化」

P127「以下で述べるように、われわれは「近代化=産業化」という前者の方向をとることにしたいと考えている。……しかしかりに欧米型近代化発展枝が事実上唯一の発展枝であって、他の発展枝はそれに合体しあるいはそれ自体としては枯死するものだとすれば、近代化=欧米化(=産業化)が唯一の意味のある定義となるだろう。要するに、近代化=産業化という定義をあえてとることの意味は、欧米型近代化以外の発展枝の可能性を発見できるか否かにかかってくる。以下の議論はそのような「それ以外の発展枝」は可能であるという考え方に基づいている。」

※同じであるとはどういう状況を指すのかわからない。

☆p128-129「(※産業化により近代化が)十分(※条件)であるという議論に対しては少なくとも二つの基本的な反対論がありうるだろう。第一には、近代化にはそれを支える文化的・思想的な主要動因があり、産業化はその現われの一つにすぎないという考え方がある。そのような思想的動因としてあげられてきたのは、キリスト教、近代科学、進歩の観念、合理主義、個人主義自由主義などの欧米型近代の諸思想であった。……

第二には、近代化とは人類社会のやることのない分化・複雑化の最新局面であり、産業化もその一つの現われにすぎないという考え方がある。……しかし既に第二章でふれたように、人類史は一定方向にだけ分化し複雑化してきたわけではない。分化にはそのときどきでいくつかの発展枝があり、あるものは挫折しあるものは発展する。したがって欧米的経験にみられる機能的分化の傾向が挫折するものか発展するものかは、改めて検討する必要があるだろう。

※理念型として「概ね妥当」という議論がある以上、この批判も近代化=産業化の図式を否定するものと必ずしも言えないのでは。何をもって「概ね妥当」なのかは理念型からは判断ができない。一方で、「この定義は、「近代化=欧米化」という定義を避けることによって、日本を始めとする非ヨーロッパ系社会や、ソ連・東欧型の社会主義社会を含む広い範囲を近代的社会として認定する。」(p129)という消極的言い分もある。

 

P129近代化の定義…「近代化とは産業社会の形成過程をさす。すなわち、産業化それ自体の進展、およびそれを支えるに足る価値観と、それを支えるに不可欠な社会システムの成立も当然近代化に含まれる。」

P132産業化の帰結…「(1)個別化。産業化と共に生産と消費は分化し、生活の全般にわたって帰属すべき集団は、消滅する。それと共に、消費と教育の水準は平均として上昇し、個人行動の選択の範囲が拡大して、個人はあたかも自立的であるかのように意識し行動するようになる。われわれはこれを、信念としての「個人主義」と区別する意味で「個別化」と呼ぶ。大衆消費と大衆教育の水準が一段と上昇し生存に関する脅威が消滅した「豊かな社会」の段階では、個別化も一段と顕著になる。」

※これは産業化に必要な価値観として「個人主義」を必要としていない点(p131)とリンク。

P132「(3)即自化。産業化と共に、手段的行動と即自的行動とが分裂する傾向が生じ、特に前者の価値が優勢となるが、生存に関する脅威がついに消失しいわゆる「豊かな社会」の段階に達すると、長期的・絶対的な生活目標が見失われ、結果として手段的行動・手段的価値の相対的地位がついには低下する。われわれはこれを「即自化」と呼ぶ。」

※近代化=産業化なのに、なぜp42で即自化は否定されたのか?これは、前近代の認識の誤りがあるとp42で指摘していることになるか?だが少なくとも相対的な指標としては了解していることになるような。

 

P158「「個別化」とは、人々が自分自身の事情のみを引照して行動することをさす。つまり、行動上の個人主義化あるいが現象的な個人主義化であり、自己における究極の価値を信じる「個人主義」そのものとは区別される。」

P169-170「ただし産業化、とりわけ個人主義的産業化の下では、バランスのあり方が特異な形をとっていた。生産と消費の分化、職場と家庭の分離の結果として、職場は手段的行為の場となり、家庭は即自的行為の場となるという分裂が生じていた。二つの行為型を結びつけバランスするという社会的課題が、二つの場の間を「通勤」する個々の働き手の内心の問題として処理された。平均的な働き手は、手段的行為への献身と即自的行為の追及の間でーー比喩的にいえばモーレツ社員主義とマイホーム主義の間でーーしばしば内心の動揺を味わう。その不安定の状況に、既に述べた「私化」の傾向が重なる。「私化」は「即自化」によって強化され、「即自化」は「私化」によって強化されて、個々の働き手の「即自化プラス私化」の傾向は急激な変化として現われる可能性が生れる。そしてそのとき、手段的価値の世界と即自的価値の世界は相互に疎外しあう。

しかし、産業化が続く以上、手段的行為が不可欠であることに変りはない。」

※「手段的行為の美徳化はその意味で産業化にとって本質的なものであり、即自化は産業化の基盤を掘りくずす可能性をもっている。」(p170)基本的には、「大多数の人間の即自化を容認するとすれば、分業化のシステムはあちこちで綻びをみせ、自発的な一般の投資意欲は低まり、技術革新の情熱は一般には盛り上らないだろう。」と述べる(p172)。更にエリートと大衆の対立としてこれを語る(p173-174)。かくて手段性の即時性の再統合についての可能性が語られるが、これを個人主義的なアプローチから行うことは、個人主義の信念の不可能性として否定的に見られる(p175)。残るはこれを集団主義的に捉えるものだが、完全な融合までは現実的でないとする(p175)。ただ、だましだましであっても最も可能性として否定していないのは、この集団主義性に対してであるということは可能だろう。

 

P212「かくてイエという言葉は転じて、単なる住居ではなく、生活を共同に行なう経営体を意味するようになる。……われわれは、「イエ」という言葉を、生活を共同する経営体のある種の独特の類型をさすために用いる。

したがって、「イエ」は家族ではなく、それを原型とするものでもない。」

※「しかしイエを家族の何らかの複合的派生体と考える発想は本末を転倒しているとわれわれは考えたい。」(p213)

P418-419「参勤交代は、人間と情報の全国的ネットワークを創出したばかりでなく、各藩財政における藩領外での貨幣支出を増大させ、市場を拡大させた。各藩は年貢米や特産物を中央市場で大量に売却せざるをえず、藩財政とひいては領国経済は中央市場を通じて相互に密接な結びつきをもつにいたっていた。」

 

P458「学歴と年功とを基準とする階層性、終身雇用制、新卒者の採用、企業内教育、企業内福祉制度等を特徴とするこの「日本的経営」は、経営体の系譜性や強固な統合力・分裂増殖力を保存しつつも、メンバー間の結びつきを機縁としての血縁性を大幅に払拭し、イエ原則を機能的に純化したものであり、徳川期の(準)大イエ型経営体を産業化に適合的な方向に組織革新したものとみなすことができる。それは、従業員に強い帰属感を与え、彼らの忠誠心と自発性とを調達することに成功した。とくに稟議制的意思決定方式の採用は、下位者の積極性を開発するとともに、企業内の情報流通を促進し、イエ型企業を活性化する上で大きな意味を持っていた。」

P461「しかし、イエ型主体はともかくとして、徳川日本に支配的であったイエ型の主体組織原則そのものまでが、幕藩体制の消滅とともに一掃されたわけではない。イエ型諸組織の解体後も、イエ原則は、暗黙ながら自明の組織原理として、つまり一種の文化的遺伝情報として、人々の行動様式を事実上規定していた。」

※そしてイエ原則は制度として「動員」されるものでもあった(p462)。

P465「イエ型組織原則が個々の日本人の心の中に一種の文化的遺伝情報として蓄積され、さまざまな個々の局面でそれが再確認され再利用されるということは事実であったにせよ、システムとしてそれが有効に構成されえたかはある一定のレベルに限られていた。」

※この言い方があまり適切であるとは思えない。個々の記憶の中にあるというよりも、その外部に存在し、再導入される類の情報だろう。また、「どれほど機能していたか」の議論を始めてしまうと、過去のイエ制度の民衆への機能についても議論せねばアンフェアだが、支配制度としてはありえても大衆的レベルでの機能を検証している訳でもない。

 

P532「産業化の原則とイエ社会の原則はつねに干渉し合い、時には対立し、時には共鳴しつつ、既に百年の経験を経てきた。」

P533「思想的絶縁状況は(※現在では)いかなる意味でも不可能になっている。」

※このため日本独特の思想や哲学が今後生まれたとしても「徳川期のように作為的な自閉状況の下で醸成されるのではなくて、世界のさまざまな思想配置の中で自らの位置を明らかにするという形をとる以外にない。」(p533-534)

P536「日本社会はあまりにも無批判に欧米文明を受容したとよくいわれる。……しかし、近代化に費やした百年の経験を公平に眺めるとき、日本社会の近代化は、欧米文明と固有の文化とのあいだの激しい闘争と習合の歴史であったといえるだろう。」

※これも絶対的尺度と相対的尺度の問題を抱えている。

P538「このような問題を考えるにあたって避けなければならないのは、欧米的社会分析特有の先入観である。すなわち、適度に分権的で非専制的な社会は、個人主義的文化の下でのみ成立するという考え方である。裏返していえば、集団主義的文化においては、極度に集権的で専制的な社会が必然的に生れるという先入観であり、明治以降の日本人学者の多くがその考え方に大きく影響されてきた。しかし、このような先入観は、集団主義(間柄主義)についての分析の不足に基いている。」

 

P547「このようにして、戦後の日本は、国家のレベルにおいて、欧米型民主主義との習合を果しつつ、イエ型集団を成員とするムラ型社会として運営されてきたといってよいだろう。国家レベルにおける意思決定は、多数決というよりも(多数決の暴力!)満場一致という形(村八分的存在としてのある時期までの共産党を除く)で行なわれるべきものであった。ムラ型社会には本来――たとえばイエ型集団に比べてーー利害の分離を調整する能力が狭くかつ弱く、停滞的になり易いという問題点がある。しかし戦後日本においては、追いつき型産業社会の合意が悲願といえるほどに強化することがなかった。かくて戦後の大連合政治はかつてなく強固で安定的であった。ムラ型民主主義の欠点は一九七〇年代の始めまでは露呈することがなかったのである。」

※「ムラの理念はまさしく平等主義であり、その理念を崩さない暗黙の指導力がムラの政治を支えるのである。」(p547)

P548「しかし現在の形のムラ型民主主義は今後においては欠陥を示す可能性が大きい。日本社会は、これまでの合意目標を失うと共に、しかも依然として国際的な経済競争で落伍することなく、さらに国際関係の中で受け身の立場から脱皮していかなければならない。そのためには、国内のムラ的な平等主義を守って一視同仁の停滞状況に浸っていることは難しい。ある種の産業やある種の利害は整理されなければならないが、それは平和時のムラの原則を乗り越えることを意味している。さらにまた、アメリカというお上を失ったムラ集団日本は、軍事や外交の自主的な意思決定を余儀なくされる。ムラ型民主主義のシステムを温存しようとすれば、これらの課題に機動的に答えることはできないだろう。」

P549「日本での個別化・即自化は欧米におけるほど進行しないかもしれないが、他方、日本人のムラビト的感覚は、お上に抵抗するにもかかわらず自らはお上に代わって決定の責任を負おうとはしないという形で残っている。」

※個々人の問題であるよりも、制度的に無責任である問題を議論すべき。

 

P552-553「このような複合型に進むにあたって、日本社会は欧米諸社会よりもあるいは有利な立場にあるかもしれない。つまり過去百年にわたって、とりわけ戦後四半世紀以上にわたって、日本社会は、制度と運営の二重性、タテマエとホンネの二重性に慣熟した一種の複合型社会だからである。しかし問題の難しさは、これまでのような複合型が、今後において望ましい複合型とは必ずしも一致しないというところにあるだろう。」

※これは対立的な要素の調整という意味で有利という解釈。

P557「一方の解釈をとれば、「保守への回帰」と呼ばれている現象は、政治面でいえば、新野党の形成が新中間層の期待に一歩遅れているところに生じている一時的な現象にすぎない。……

だがここでもまた、もう一つの解釈が可能である。すなわち、新中間層は、石油ショック以降の環境条件の悪化によって、伝統的な間柄への回帰・参入志向を急激に強めつつある。」

※「一方の極には、新中間層の形成は不可避的な現象であり、個別化・即自化の傾向はさらに進んで、以前の方向への復帰はいずれにせよ不可能であるとする見方がありうる。他方の極には、新中間層の形成は、環境条件に恵まれた昭和四〇年代に一時的に生じえた現象にすぎず、環境条件の変化によってたちまち消滅してしまうようなものにすぎないという見方がありうる。」

P559「前章でもふれたように、わが国の新中間層に属する人々は、たしかに何らかの意味で個別化しているとはいえ、欧米と同じような意味で個人主義者となることはないだろう。個人の意味が相対的に高まったり(あるいは低まったり)する可能性は十分に考えられるが、それが欧米におけるほど絶対的な意味を獲得することはおそらくありえない。この点については、有史宗教以来の文化型の差が決定的な力をもつと考えられる。」

※過去の制約から逃れるのは端的に不可能だという立場。しかしそれは本当なのか??

P562「けっきょく、われわれは、何らの政策的奨励策をとるまでもなく、一種の日本的家族の再建が起る傾向にあると予測する。」