日比野登「財政戦争の検証」(1987)

 本書は1960年~70年代の美濃部東京都政に対する評価をめぐる議論に関連して、革新自治体に対する批判に加担した政府・自治省を強く批判した本である。美濃部都政の評価に関する議論は今後もできる限り検証していきたいが、今回も論点整理の一環でレビューしていきたい。

 

○本書が指摘する政府・自治省の「世論操作」はどこまで正しいのか?

 

 本書で繰り返し述べられているのは、p76-77にあるように田原総一朗のレポートにあったような、政府および自治省の革新自治体に対する圧力によって、「財政難」が意図的に露呈され、革新勢力の政治的退行を促進させた工作が展開されたことが、美濃部都政の世論批判を生んだという主張である。この田原レポートは、特に「バラマキ福祉」と「水ぶくれ都庁(都職員数の急増)」が批判の的になっていたことについて、他主要自治体の比較から実証的に問題の所在が東京都固有のものではなかったことを示しているし(※1)、複数の筋から意図的な政治的介入があったことを聞き取っている。しかし、それでもなお本書がこの「T.O.K.Y.O作戦」を過大評価していると言わなければならないと考える。

 

 本書から政府・自治省から受けた「圧力」についていくつか取り上げると、

(1)マスコミを利用した世論操作(マイナスイメージの付与)(p80)

(2)地方交付税交付金の操作(p185)

(3)ベースアップ対策債の不許可(p120)

(4)超過課税に対する妨害工作(p131,p132)

(5)予算過大見積の影響による財政悪化の地方への責任転嫁(p111,p111-112)

の5つ程度を主たるものとして挙げることができるだろう。このうち、(5)の判断の正しさについては当時の予算算定段階の経済情勢等に対する状況を把握する必要があり、(本書ではその点について何の言及もないが)これを誤りとするのはその検証が必要であるため取り上げないが、他のものについてそれぞれ検討していきたい。

 

 まず(1)についてである。これについては、少なくとも部分的には正しいという他ないだろう。自らの反対勢力に対して排除し自らを優位にしようとすることは、それ自体は自然である。ただこのような世論操作は以前レビューした国鉄の「反マル生」の動きなどにもマスコミの同調は顕著に現われているように、別に政府側の専売特許ではない。また、その影響力についても本書p78で言うような政府と広くマスコミが癒着関係をもってなされていたとは考え難い(※2)。

 これは当時の新聞の論調そのものを読めばある程度ハッキリする。本書p80でも述べられている通りだが、本当にマスコミが癒着しているのであれば、そもそも政府側の非難をすること自体が不自然である。例えば、次のような主張がなされている。

 

 「地方公務員の賃金引上げをめぐる自治省自治労の人件費論争が、地方自治体の理事者側も巻きこんで再燃する情勢である。

 地方財政の危機が深まるにつれて、人事院勧告なみの地方公務員賃金の引き上げに反対する自治省の姿勢は一段と厳しさを増している。財政硬直化から脱出するためにも、高すぎる地方公務員の賃金水準を、せめて国家公務員に抑制すべきだというのである。

 もっとも、赤字財政の責任は、あげて肥大化した人件費にある、といわんばかりの自治省の主張には、いささかの無理があろう。自治体よりも国に大きなウエートを置いた財源配分、実勢価格を下回る補助金などの国庫支出と、それに伴う超過負担など、地方財政を圧迫する要因は、ほかにいくらもある。

 また、国と違って、警察、消防、教育、清掃など多くの現業部門を抱えている自治体にあって、人件費は事業費そのものといった一面を持つ。国に比べて自治体の人件費率が高く、それが投資的経費を上回ったからといって、一概に非難することはできない。

 しかし、一般に地方公務員の賃金水準が、国家公務員をかなり上回っていることは事実だろう。自治省が比較の手段とするラスパイレス指数に絶対の信を置くものではないが、「県市役所の職員賃金は国家公務員賃金を一〇%上回る」という自治省の再三の指摘に対し、自治体側から説得力ある反論がなされなかったことも確かである。

 もちろん、地方公務員の賃金が国家公務員を上回ってはならない、といったきまりがあるわけではない。組合がいうように、地方公務員の賃金の高いか低いかは、自治体の住民が判断すべきことで、自治省などが口をはさむ筋合いのものではないかもしれない。

 ただ問題は、自治省の人件費攻撃に強い共感を示した住民が、決して少なくなかった点にある。高成長下、財政に余裕のあるのをよいことに、自治体労使がなれ合いで賃金を引き上げてきたのではないか。そうでなければ、民間準拠の人事院勧告にそって引き上げられてきた地方公務員の賃金水準が、いつの間にか、国家公務員ばかりか民間をも上回りかねない状況など生まれるはずもない。

 こんな不信感に拍車をかけるような事例も少なくない。昨年、赤字再建団体に指定された福岡県・豊前市では、職員の六〇%までが課長級以上の賃金を支給されていた。昨年の賃金改正に際しては、自治体の課長補佐と民間の課長を比較して、やっと民間の賃金格差をひねり出した自治体もあったという。

 さらに、ヒラ職員を係長にというように上級職の等級に格づけして昇給させる「わたり」、勤務成績の特に良好なものにのみ適用される特別昇給を、全職員に一律に適用する「一斉昇短」、一定の号俸に達した職員全員に適用する「運用昇短」などは、ほとんどの自治体で、それこそ公然と行われている。まさにお手盛り昇給というほかはない。

 論争を仕掛けた自治省の意図はどうあれ、地方公務員賃金に抜本的改善の要があることは争う余地はない。まずたださるべきは、こうした「わたり」などのあしき慣行であろう。地方自治の今後のためにも、自治省の指導や介入を待つまでもなく、自治体自らが改善のメスを入れねばなるまい。それには、住民のより深い関心と、より厳しい監視が必要なことはいうまでもなかろう。」(1976年8月25日読売新聞社説「再検討の要ある地方公務員賃金」)

 

 この社説記事はこの(1)の問題に対するマスコミの姿勢の一部、及び「世論」を代弁し、問題の全体像をうまくまとめているように私は思う。まずもってこの記事では自治省の主張に一定の無理があり、自治労自治体)側にも正しさがあることを了解している。しかし、それにも関わらず、自治体側でも問題を抱える賃金問題について一定の解決を図る努力をしなければ、住民はそれを許さないだろうという言い方もされるのである。また、もう一点注目すべきは、この社説が都単独の批判を行っている訳でも、革新自治体について批判している訳でもないという点である。単体で革新自治体について批判している記事があるかどうかまでは確認しなかったが(※3)、少なくとも、そのような文脈で批判される中に東京都政が含まれていたということである。

 確かに日比野は財政健全化の議論をしているが、その議論はp103にあるように増税の議論に集中し、この社説で語られるような賃金是正については何一つ触れることがなく、むしろp120にあるような根拠でもって、全く避けようのないものとして語り、その中身については触れようとしないのである。しかし、当然美濃部都知事時代においても、このような賃金問題が存在していたのは事実である。

 

「しかし、労働組合は、特別昇給制度を生活給の一部とみなし、そうである以上、特定の人だけを昇給させず、公平に順番にみんなが昇給できるようにせよ、と職場交渉で局長や部長に迫った。だれが抜擢昇給されたか、それも明らかにされた。こうなると「アメ」のはずが「アメ」でなくなる。仕事ぶりに関係なく、職員のだれもが、五年に一回は三短の、十年に一回は六短のチャンスにめぐまれるのだ。その結果、都に入って実際には十年にしかならない人でも、ほとんどが十三年勤続ぐらいの給料をもらえるようになったのである。組合の力が強いところでは、今度はだれも特別昇給されるかまで、組合との話し合いによって決められる。」(内藤国夫美濃部都政の素顔」1975、p262)

 

 また、特に有能な人材の抜擢を図るために行ったとされる昇任もなかった訳ではないが、管理職の乱立が指摘されており、このような点も人件費上昇に加担していたこと、合わせて効率的な人材配置がそれぞれの部署でできていたのか、といった疑問は当然出てくる批判だろう。

 

「そのいずれもが、知事の「ツルの一声」とその後の強引なリーダーシップで誕生したものだ。そうする必要があるから作ったのだろうが、八年間をまとめてみると、作りすぎだなあ、という感なきにしもあらず。部局の新設は、必然的に莫大な経費増を伴うものだし、役所というところは、新たな需要に応じて部局を新設することには熱心だが、需要のなくなった古い部局を廃止することは、まず、絶対にしないからである。「親方日の丸意識」が身についているのだ。

知事がつくりすぎたのは、こういう部局などの機構整備だけではない。人事に関する第三の基本原則、若手の抜擢につとめるあまり、後輩に追いぬかれた先輩を処遇するための、「次長」とか「技監」、「理事」、「主幹」、「参事」などを、それは気前よく乱造したものだ。」(同上、p61)

「まず、局長級。美濃部知事が就任した四十二年には四十一人だったのが、いま九十五人。八年で二・三倍の増えようである。ついで部長級。四百九十七人から、いま倍近い九百七十三人に。課長職二千六百四十人から一・五倍の三千九百八十三人に。管理職合計で五千五十一人にふくらんだ。そして一般の職員総数は、警視庁、消防庁、教員、区職員を除いても、九万九千八百人から一・一八倍の十一万七千五百余人へ。

この間、都民は、千百八万人から千百六十一万人に。わずか一・〇倍という微増である。都民の数はふえていなくても、都民が要求する都のやるべき仕事が激増した、という言い訳もできよう。現にそういう面も否定はできない。

しかし、それにしても人口増に比べ、職員増、とりわけ部長職や局長職など幹部の増えようは、異常である。」(同上、p65-66)

 

 このような論調をみても、やはり大手マスコミが本書が言うような陰謀論に加担したものとは思えない。それなりに東京都は改善すべき問題を抱えており、それに応えようとしてきているように「世論」から評価されていなかったこと、それが概して「ムダの排除」であったことはそれなりに「世論」側にも正当性がある話であり、これを単なる政府・自治省の「世論操作」という次元で批判すべきではないだろう。

 この観点から唯一批判的議論の可能性があるとすれば、このような「ムダの排除」という態度形成を行おうとする(そして本書で言うような「増税」といった対応を必ずしも積極的に良しとしなかったといえる)日本の「世論」自体が持っているエピステーメーへの批判だろう。そして、この批判にあたりポイントになってくると思われるのは新堀通也のレビューで取り上げた「親方日の丸」言説の用法である。つまり、「親方日の丸」という形で官が批判される時、そこには「民間」が対比されており、「『民間』と同じ手法が使えるものは使うべき」という形でなされる批判が、いわば当たり前となっている状況があるということである(※4)。ただ、この考察こそ、その「日本の『世論』」を対象化し、比較可能にするまでの材料が用意されねばならない所である。

 

 次に(2)についてだが、これは端的に前提がおかしい議論を行っていると言ってよい。そもそも地方交付税交付金の主旨は地方交付税法第1条にある通り、地方間の格差是正のために支払われるためのものであり、「不交付団体」が理論上発生していないと格差是正にならない性質のものなのである。都議会でまで議論されていた「操作」の議論というのは、むしろ行われて当然の話であり、議論すべきであるとすれば「他都道府県の方が東京都よりも不交付団体として妥当である」ことの立証であったはずである。あくまで焦点は自主財源に関連する(4)の議論であり、(2)を批判すること自体が論点ずらし、更には国から金をもらうべきであるという「タカリ」に近いものであると言われても不思議ではない。本書はそれなりに実証的な議論を行っているようにも見えるが、同時に論点がずれた議論も行っている印象がこの例に限らず見受けられるといえる。

 

○財源調達と「国と自治体の役割分担」についてどう考えるか?

 

 恐らく政府・自治省の革新自治体潰しが最も妥当性を持つとすれば、(3)の対策債の起債許可をしなかったことにあるだろう。確かに新聞の論調に言われているように、自治体側の努力を行わない状況においては、追加で借金をすることについて許されるべきなのかという論点はあるものの、当時の財政難は本書が指摘する通り国レベルでも見受けられたものであるし、一時的な景気悪化に伴う起債許可は行われるべきだったのではないのか、という疑問は素朴にあるし、本書の主張も説得力がある。

 ただし、これについても実際どのような議論の上で不許可に至ったかは双方の言い分を聞かねばならないだろう。実際、次のような話は1969年の時点ですでにあったのであり、そこからの「改善」に対する評価なども無視できない点である。自治省による都の人件費に対する批判というのは、かなり前からあったものであると言ってよく、その対応等についての経過は押さえておかねばならない所である。

 

「政府・自治省は「都だけに〝治外法権〟は認められない。法を尊重せよ」と、きびしく、クレームをつけた。それでなくても、都職員の給与水準は国家公務員より平均二五パーセントも高く、高卒・勤続十五年で年間三十万円もの差が出ている、そんなにカネが余っているなら、都民サービスに回すべきだ、という論理である。ほかの自治体に広がることも恐れた。自治省の細郷道一事務次官は都の近藤龍一副知事を招いて「絶対に認められない」との「口上書」を手渡した。もし、それでも強行するようなら都債の許可を取り消し、都の財政実態調査に乗り出す、と警告した。」(内藤1975,p183)

 

 最後に(4)についてであるが、この論点はむしろ「自治体の役割」についても考える必要があるだろう。つまり、自主的に課税を行おうとすること(財源を増やすこと)自体の必要性が国と対比される「自治体の役割」から見てあるのかどうか、という観点である。この点について、本書の記述から少なくとも国(自治省)はそのような必要性を感じていなかったと解釈するほかないし、日比野自身もこのような役割のあり方自体には特に触れることなく、財源調達ありきの議論になってしまっているように思える。仮に地方自治体に必要な役割が部分的であり、国が行うべき役割が大きいと考えるのであれば、そもそもより課税可能な地方税制を整備する必要がそもそもなく、そのような要求はむしろ「ムダ使い」に直結しかねないということである。

 この必要性については高度な議論が必要であるが、一方でこの国の態度の取り方自体が与えた影響については評価する必要も別途あるようにも思える。つまり、地方財政は平等性の強い課税の考え方を強制してきた歴史があることと、中央集権的な日本の制度化は少なからぬ影響があったのではないのかという点、言い換えれば、この時期に東京都が累進課税を課さなかったことは、東京都の繁栄にとっては非常に都合が良かった可能性と、転じて他の(地方の)自治体にとっては不都合な結果になったことを国は促進したことになるのではないのか、という疑問である。

 この問題に対する70年代的解決法は田中角栄の「日本列島改造論」的発想による地方の振興だったのかもしれないが、このような地方分権を促進するインフラ整備を行ってもなおそれが十分でなかったという場合に、この平等的な地方税制自体が悪影響を与えていたのではないのか、と考えることもできるということである。本書ではこのことは「不利益」と評価しているが、将来的な観点から言えばかえって東京は「利益」を得て、巨大都市として繁栄を続けることができた、という可能性もあるのである。そして、そのことはそのような集権的な制度を推し進めていった国側の評価として検討することが可能なのである。

 

※1 但し、田原レポートは後述するように、地方自治体が全体としてマスコミで批判の対象となっていたことについて特段検討しておらず、あくまで東京都のみに批判をなされていた点についてだけ反論しているにすぎない。また、日比野のように美濃部都政についての問題点を無視している訳ではなく、特に緊縮財政に対して対応の遅さが問題であったと認めている(田原1979,p243-244)。

 

※2 この点、田原レポートでも政府・自治省以外の者が具体的にどう関わっていたのかについて明らかにしていない。ただ一点、このT.O.K.Y.O作戦に関わり、その作戦について説明した人物として、「ある大手広告代理店の社員」がいたという話があるだけである(田原1979,p230)。少なくとも、「マスコミ各社」という表現は、日比野が初出である。雑誌まで含めれば、確かに明確な協力関係にあったマスコミはあったかもしれないが、今回引用した読売新聞、そして本書で引用されている朝日新聞などは、直接的に関わっているとは考え難い。

 

※3 今回調べたのは、今後レビュー予定の本の関係で、1970年以降「公務員」という言葉が社説タイトルにつく読売新聞の記事のみである。ただ、その記事に限れば、下記のような例示はあっても、「東京都」「革新自治体」に限定した批判は行っておらず、「地方自治体」そのものが批判の対象として語られている。

 

「地方公務員の給与水準は、国家公務員のそれより平均一〇%高い。しかし、東京、大阪など大都市圏の都市になると三〇―四〇%高というところは軒並みである。例えば東京都下の府中市は五〇%、立川市は四〇%、大阪府守口市、牧方市は四〇%といった状態である。

 これが、こんど、さらに三〇%以上引き上げられるのだから、一般財源に占める給与費の比率は大きなものとなってくる。おそらく五〇%ぐらいになろう。こうなると財源の半分は公務員の給与に支出されてしまうわけだ。住民向けの行政費は、その分だけ食われてしまうことになる。これは地方行財政にとって重大な事態である。」(読売新聞1974年8月7日社説「地方公務員の給与体系是正を」)

 

※4 例えば、次のような形で民間との比較がなされていることが新聞記事からも確認できる。

「しかし、今回のベアに限ってみれば、公務員は民間にくらべて恵まれすぎているといった感じを抱かせる。なぜなら、総需要抑制下で民間企業が行っているような企業努力を、中央官庁、地方公共団体が実行しているとはみえないからである。」(読売新聞1974年10月25日社説「公務員ベアには行政合理化を」)

 

<読書ノート>

※筆者は都職員。

P6「先日急逝された法政大学の小島昭教授は、その著書『自治体の予算編成』で、予算編成における担当部局を中心とする行政過程や政治過程について、実権を持った実務担当者たちが、政府各省、とくに自治省の権力を後盾に、自治体内部の事業部局はもちろん、議会の各派議員やときには首長をも従わせる力を発揮する実態をよく描いている。そしてこの予算担当者たちが、自治体内部の地域住民からもっとも遠い奥の院にあって、自治体がその住民のために政策をどう進めるかというよりは、現行制度のワクの中で、国家財政に依存する財源と税など各種の財源をどうやりくりするかということが、彼らの行動論理になっていることも指摘されている。これは地域住民の存在は後回しにして、中央政府の意向に添うことを優先する予算編成ということになる。そしてこれは、何も予算編成だけとは限らず、税務行政を含めすべての財政運営に共通すると考えられる。これは財政運営担当者の責任というよりは、そのように担当者を機能させるシステム、すなわち地域住民不在のシステムが問題である。このシステムのもとでは、自治体の財政運営は、地域住民どころか、自治体内部の担当者以外のものにわからなくできているのである。」

P27「東都政から引き継いだマイナス面では、一般会計の赤字よりも大変だったのは、当時1日2000万円増えるといわれた都営交通事業の赤字とその財政再建であった。東都政のその再建案は、料金値上げと都電撤去や職員の給与抑制などであり、既述の多党化都議会で、社会・共産両党に公明党も加わった反対により、3回も提案しながら実現できなかった。ところが美濃部知事は、就任早々の都議会にこれとほぼ同じ内容の再建案を提案し、結局社会党自民党の賛成で可決された。ただこれに反対する学生が都庁に乱入して、委員会審議が混乱し、ついには警官隊が導入された。これは保守勢力への譲歩であったが、社共両党だけの少数与党の都議会と自民党政府の下で、革新都政を進める前途の困難を考慮した決断であった。」

※65年からの都議会は社会党が第1党のはずだが。

 

P37昭和47年2月都議会の所信表明より、新財源構想の関連…「ここでいう新しい財源とは、東京の集積の利益をうけているところに求めるというのが基本的発想であります。これによって東京への過度集中抑制や分散の効果もあわせて期待できるでありましょう。またこの新財源は、従来の国と地方の間の財源配分ばかりでなく、そのワクをこえて新しく求めようとするものであります。」

※これを東京都の裁量でやってよいのかは議論が分かれる所。

P44「政府は、48年を「福祉元年」と言って、この福祉拡大を国民に誇示したが、この看板は、その後2年にして、政府自らが、先進自治体の先行福祉批判キャンペーンをやって、あっさり下ろすことになるのである。」

P46「問題は新財源研の報告書のいうように、資本金の一定額以上を大企業として、その大企業だけに税率引き上げ=超過課税をし、それ以外の中小企業は税率を据え置くようなやり方が、地方税法の規定する不均一課税として法的に許されるか否かである。自治省は、この国会論議で、終始そのような大企業だけの超過課税は賛成できないと答弁した。租税法律主義という憲法の原則を持ちだして、都のやろうとしていることは、地方税法に定めている税率構造を変えるものだということも述べた。しかし自治省は、都のやろうとしていることは違法だと言うことはできなかった。そして最後には、参議院地方行政委員会で、社会党の和田静夫議員の質問に対する内閣法制局部長の答弁で、これは法解釈の是非の問題でなく、自治体の政策判断の問題ということになり、報告書の主張のとおりになった。かくて法解釈問題の難関は突破したのである。」

※出典はないが、昭和48年4月25日の答弁による。不均一課税そのものは認めるが、都構想の資本金5000万円以上は認められないというのは、この委員会でも総務大臣は一貫した主張。和田議員は態度が明解でない点を批判し続けているが、ここまですっきりした議論はしていると言い難い。

 

P67「しかし財政戦争となるとどうか。戦争というショッキングな言葉によって、複雑で理解の難しい財政問題を都民=地域住民の生活感覚に持ち込み、その制度の不合理、欠陥が都民の生活を苦しめることを訴える、すなわち都民=地域住民の被害者意識をかきたてようというアイデアはよい。それは従来の自治体の中央集権的財政制度改革についての、いわゆる三割自治論的な批判が、地域住民=国民にとって抽象的で、縁の薄い行政内部のものにとどまっていたところから抜け出し、地域住民=国民の土俵に持ちだそうという狙いが込められている。しかしその面で〝財政戦争〟の言葉を都民や国民の間に広げるには、〝交通戦争〟や〝ゴミ戦争〟のように具体的なものがないだけに、提唱者たる都側にそれなりの努力が工夫が必要であった。しかしそのような努力も工夫もなされなかった。それどころかほとんどの都庁幹部は、初めから財政戦争という言葉を嫌って、知事がいくら財政戦争を唱えても、口にすることはなかったのである。」

 

P76-77「それは美濃部都政終了後1年すこしたった『中央公論』9月号に載った田原総一郎氏のレポート「T.O.K.Y.O作戦の尖兵 鈴木俊一知事」によれば、1974年、田中内閣当時に企画され、期間としては5年ほどをかけ、とくにこの5首長のなかでトップの位置にある美濃部東京都知事を追い落とすことに力が入れられたという。当時の記者仲間にはかなり知られたことのようだが、マスコミが一役買ったものであるだけに、今もってよく明らかにはなっていない。」

P78「このタカ派キャンペーンは、自民党首脳部と自治省の現役およびOB幹部に大手広告社が加わって企画され、マスコミ各社が参加して行われたものと思われる。キャンペーンは、全国の自治体について、その財政運営における乱費の数々を指摘し、それが地方財政危機の原因であるというものであった。この槍玉に上がった自治体のなかで、美濃部都政を筆頭に革新自治体がとくにマークされていた。」

P80「国に責任があることも述べてはおり、美濃部知事がそのため財政戦争を宣言したことにも理解を示してはいるが、この社説は何の論証もなしに、都の人件費や先取り福祉が財政難の原因と断じ、いかにも唐突、性急の感をまぬがれない。私は、この社説の裏に、T.O.K.Y.O作戦の戦機を狙っていた自治省幹部の工作を感じる。」

※キャンペーンの一環なら、何故国の責任を追及するような内容の社説が書かれるのか。なお、社説は朝日新聞1975年1月22日のもの。

P82「このキャンペーンに、マスコミがこれほど大々的、組織的に協力した原因の一つとして、地方選挙と同じ4月に行われる春闘で、労働側の賃金要求を抑え込むことが、経済危機脱出の道を探る政府と不況・インフレで沈滞する財界・資本側に共通する切実な課題であったことがあげられる。」

※そもそも何故マスコミが労働者の敵になったのか考えるべきである。

 

P85-86「昭和50年度の全国自治体の地方税収入は、歳入全体の31.3%であった。これが三割自治の実態である。そして人件費の歳出全体に対する割合は36.9%であったから、平均的な自治体では、税収入よりも人件費が多いのである。税収入から人件費を払うことができる団体は少ないのであって、人件費が税収入の70%以下ですむ東京都のような団体は、その限りでは財政的に良好な団体である。」

※ただし、これは国基準により設置すべきとされ(※国庫負担金等から支出されていた)学校教員等の人件費も含めた数字であり、単純な比較に何の意味があるのかは別途検討されなければならない。

P99「問題は赤字の一定限度というその赤字限度額、いわゆる赤字ラインで、この法律(※地方財政再建促進特別措置法)の施行令で、標準財政規模に対し、道府県は5%、市町村は20%と定められている。どうして道府県と市町村の数字のこんな開きがあるのかが問題であるが、東京都の場合は、市の性格もあるので、この割合が5%よりやや高くなる。」

P99「まだ都に対してベースアップ対策債を不許可にした時点では顕在化していなかったが、その後、国家財政への大打撃が明らかとなり、政府は、50年度の補正予算で歳入規模の20%台の大量国債の発行、すなわち大借金に踏み切った。その後、この借金依存率はますます膨れ上がり、30%台に乗って、40%台寸前に達する。こういう事態の下で、20年前の古い物差しをそのまま持ちだして、自治体だけは、赤字が5%を超えたら破産だと脅かすのであるから、まったく地方自治は無視されていると言わなければならない。」

P103「しかしこの法人都民税と法人事業税の超過課税は、その後も悪化の進む都財政の収入増として寄与した。第2表のとおり、50年度の法人都民税の超過課税収入は63億円に過ぎないが、51年度にはこれが370億円となり、これに法人事業税の超過課税分を加えて671億円となり、一般会計歳出額の3.3%になった。その後の割合は表にみるとおり、鈴木都政になって増大し、いまでは毎年1000億円を超える増収をもたらしている。……これらの数字は、美濃部都政が、都財政を破綻させただけで、都財政の健全化の努力をなにも払わなかったと思っている人びとによくみてもらいたい。」

※第2表を見る限りは、鈴木都政になって一般会計歳出額が圧縮されたようには見えない。

 

P106「ただ美濃部知事が言っていることは、第1図でもわかるように、民生費が増えたといっても、都財政にしめるウエイトはいかにも小さく、これが都財政を危機に陥れたとは到底考えられない。また昭和40年度の都の民生費の歳出総額にしめる3.8%という割合は、同年度の都道府県合計の同じ割合の4.4%に比べても低かった。また53年度の都の民生費の8.3%という割合は全都道府県の同じ割合の6.0%に比べて高い。この割合の差2.3%が、都の民生費の支出水準の他の道府県に比べた高さを示しているといってよい。」

※塵も積もれば…の可能性はまだある。

P108 1975年の東京都による調査で、都の財政難の理由として、「物価高と不況のため 63.4%」「都の人件費が高すぎるため 50.1%」「節約をするなど、都の努力が足りないため 34.0%」

※これをもって「選挙を機会に行なわれた自治体攻撃、美濃部攻撃がかなり都民に浸透してきたことがわかる。」としている(p109)。まず、東京都の世論調査にも「節約」という言葉が登場しだしたことには注目せねばならない。そして、オイルショックに伴うこの「節約」志向が、統一地方選があった1975年と結びつくのかも要検討(これはそのままTOKYO作戦と関連付く)。

P111「すなわち政府は、50年度の地方税を前年度比23.5%、1兆6,893億円増の8兆8,850億円と見積もっていたが、法人関係税を中心に1兆0,632億円の減収が明らかとなり、この穴埋めと、政府の不況対策による公共事業費の追加などを合わせ、地方債1兆2,112億円を増発することになった。地方債は、当初の政府の抑制方針とは逆に倍増することになったわけである。

政府はこの事態について、オイル・ショックによる世界貿易の停滞・縮小が世界不況をもたらしているためであり、日本の経済だけが落ち込んでいるわけでない、これを脱するにはしばらく時間を必要とするなどと説明した。それを否定することはできないが、この不況と併存しているインフレによる物価上昇は、日本ではオイル・ショック以前からの政府のインフレ政策によって、狂乱物価といわれるほどの高騰となり、欧米諸国を上回るものになったのであった。50年度の26.0%増という大型国家予算は、この狂乱物価の後追い対策を強いられたものといってよい。ところがその財源のほうは、政府自らが世界不況と言っている経済情勢なのに、また49年度の税収入の落ち込みがすでにわかっていたにもかかわらず、この歳出の伸びに応ずる大幅な税収入を見込んだのである。これは大蔵省の見積もりの誤りというよりは、地方選挙を前にしての政府自民党の意図的な水増し見積もりであったといってよい。」

※根拠を示していないことを言い過ぎでは。

 

P111-112「この水増し税収で、政府は国家財政の危機を隠し、地方財政の危機だけをクローズアップさせて、その原因が自治体の人件費の使いすぎや、福祉のやりすぎだと、異例の大キャンペーンをやったわけである。とくに不交付団体である東京都や大阪府については、1,000億円足らずのベースアップ財源の不足につけこみ、都財政が破綻したと非難したり、都は財政再建団体になるより仕方がないと脅かしたりした。東京都はなんでも国の10分の1と言われる。ところがこの東京都の財源不足700〜800億円と比べて、国の歳入欠陥は50倍以上である。また財政規模の5%の赤字で再建団体だと脅かす政府が一ぺんに26%以上の倍金をすることになったのである。また東京都や大阪府のベースアップ対策債を不許可にした政府は、国債だけを財源とするこの補正予算で、平気で国家公務員50年度のベースアップを払うことにした。」

P117-118「さて50年度の都の一般会計の赤字は、3,000億円を超え、どうやりくりしても1,000億円の赤字とさかんに財政危機が叫ばれていたが、最終的にはそれほどでもなかった。その決算では、まず都税は、当初予算に対し、1,500億円といっていた減収が、1,096億円にとどまり、約400億円が浮いた。これは49年度の決算に比べ1.3%の減で、国税の同8.5%、1兆2,800億円の減と比べて、この不況による打撃は、都より国の方がはるかに大きかったことがわかる。したがって、当初予算編成の段階で、すでに述べたととおり、都税の13.5%に対し、国税26.0%とはるかに高い見積もりをした政府の責任は問われてよい。」

P120「オイル・ショックによる財政危機が、この4団体でひどかったもう一つの理由は、都道府県の場合、一般の職員の人件費のほか義務教育教職員の給料を支払うことになっており、第7表にあるとおり、市町村に比べて、歳出にしめる人件費のウエイトがずっと高い。当時あの狂乱物価のため国家公務員も地方も30%近いベースアップが決まっていたのであり、税収が伸びないなかで人件費の高騰が財政の重圧となったが、それは地方交付税の交付を受けないこの4都府県にとくにきびしくのしかかったのである。ここに49年度のベースアップ対策債を政府が許可すべき理由もあったのであるが、東京都と大阪府は許可されなかったわけである。しかし許可された神奈川県と愛知県もこれで十分なわけではなかった。かくて50年度に神奈川県、ついで51年度は愛知県、52年度は大阪府地方交付税の交付を受けるようになったのである。」

※もう一つの理由は法人税収入の減。都道府県税は1割減とするが、実際の減額幅(法人税歳入額)は示されていない。単純計算では都税一割は1000億を超え、予算上赤字は賄える計算。しかし、決算ベースでのデータが何故かない。

 

P131「この大牟田市の超過課税は、残念ながら1976年3月の市議会で否決され、実施できなかった。これを見届けて自治省は、同年5月、「固定資産税における不均一な課税について」という通達をわざわざ出し、すべての資産につき一様に税率を上げるのでなく、資産の所有者、種類、用途などを区別して、不均一な課税をすることは、法の予定するところではないとしたのである。……しかし自治省がこの時期にこの通達を特別に出したのは、もはや他にそのような動きもないところから、明らかに都の固定資産税の不均一超過課税阻止に狙いを定めていたのであった。」

P132「都に狙いを定めて出された自治省の通達は、同局のこの姿勢をいっそう頑なにした。同局の消極的な姿勢の理由は、一つはこれから述べる法人二税とは異なる固定資産税の課税技術上の問題であるが、もう一つは美濃部都政をめぐり自治省と都との関係が、法人事業税の超過課税を実施したときとこのときとでは、わずか数年の間に大きく変化していたことであった。ということは、政局はふたたび自民党の党内抗争で混乱していたが、かの大キャンペーンの成功以後自治省の力は強くなり、都庁幹部は、財政戦争の緒戦のとき以上に、知事よりも自治省の意向をより強く考慮するようになっていたのである。」

※技術上の問題に関連して、「ただ土地については、すでに述べたとおり地方税法によって、事業用と住宅用とを区別した課税が行われていたのであり、その実績に立ってやる気があれば、課税技術上の困難は克服できないものではなかった」(p133-134)とする。確かに戸単位だとビルなどは判断が難しい。しかし、一定の基準に従えば、零細企業は住宅用地扱いできたのが地方税法施行令の考え方であった(cf.p145)。もっともこの地方税の問題と固定資産税の議論を一律で見てよいのかはよくわからないが。なお、この議論には職員労働組合も住宅用と事業用を区別することを面倒と感じたとして反対に回ったとする(p134)。

 

P151「この時、『東京新聞』の行った世論調査によると、第1図のように、美濃部知事に対する都民の支持率は、49年度の59.5%から39.1%へと急下降していた。また不支持率は30.5%と支持率に迫っていた。そしてこの不支持の理由のトップが、「財政難をまねくなど行政能力にとぼしいから」で、不支持者の42.6%を占めて、他を圧倒していた。これは2年前の知事選のときの大キャンペーンが今もって都民の心をとらえていること、さらにその後の都財政の危機の対策として、財政戦争の再挑戦は失敗となり、機構改革をはじめとする内部勢力もそれほど評価されていないことを示したものであろう。」

※昭和52年4月25日の調査での推移によると、70年代前半は安定して支持率60%前後だった(p150)。

P157「また同党(※新自由クラブ)は、選挙公約で、地方分権の強化や起債の自由化を主張していたのであって、起債訴訟を支持するのが当然であった。同党がこれを支持すれば、起債訴訟案件は可決されたはずであった。同党が反対した理由として、都議会の新自由クラブの代表であった小杉隆氏が、「都からの働きかけがなかった」と述べたことは、おかしな弁解であった。これについてさきの田原レポートは、同氏に取材し、同氏が、この訴訟案に賛否いずれの態度をとるか悩んで、自治省の石原審議官に何度も会いに行った末、「つまり、美濃部の体質は非常に危険である、と。都庁は、肥大化し、人件費も高いしね……。だから訴訟案に反対した」と述べたことを紹介している。いかにも歯切れの悪い理由である。新自由クラブが、自治官僚の強い工作によって従来の主張を変えたことがわかる。

このとき都議会の自民党新自由クラブは、自治省へ行って、起債許可について、従来の一件一件審査する方式を、一定のワクを決めて、そのワク内では自由に起債ができる方式に改める〝確約〟をとりつけた、といわれたが、ここにも、都の起債訴訟を抑えるための自治省の工作が感じられた。」

※交換条件と見ているようである。

 

☆p159-160「結論的に言うと、当時の都財政の危機は、政府、とくに自治省によってつくられたものであり、美濃部知事に責任があるとすれば、この危機突破策について、同知事の意向でなく、自治省の意向を優先した都庁幹部、都庁官僚たちに対する指導力を失い、彼らの意見に従うほかなかったことにあると考える。」

※結局これが日比野の主論。しかし、根本的に疑問なのは、なぜ自治省に対する批判が結局利害関係者の誰からも出てこないのかである。日比野はなんだかんだで交換条件を出し、自治省が利害関係者を黙らせたと考えているが、それこそ美濃部知事などが語れなかったのかはわからないし、日比野自身の体験談として自治省からの圧力が語られることもまたない。

P167-168「この形式収支の赤字は53年度も続くが、52年度は、都道府県では、大阪府も形式収支が赤字で、その赤字額は71億円と都(※54億円)を上回った。また大都市では、大阪市の形式収支が赤字で、同市では1963年以来、15年連続形式収支が赤字であり、都政で初めてとしても、地方財政としては驚くにあたらない。とくにこの程度の少額の赤字は、決算の段階の操作で黒字にしようと思えば、それも可能という程度の赤字であり、都庁幹部が、都財政の赤字の深刻さを強調するために操作したと思えるのである。」

P176「知事の任期は余すところ1年たらすになったのであるが、5月に実施された『読売新聞』の世論調査で、支持率38.1%、不支持率42.9%と、美濃部知事不支持の都民が支持の都民を上回った。」

 

P185「まずこの報告(※新財源研の最終報告)は、地方交付税について、自治省があらかじめ東京都を地方交付税の交付団体にしないと決めたうえで、その算定を操作していることを明らかにしたのである。そしてそのような恣意的な操作がなければ、都に2,000億円から4,000億円の交付税が交付されることになるという計算を示した。そうなれば都は起債制限団体=財政再建団体に転落するどころか、実質収支でさえ黒字になってしまう。美濃部知事がさんざん苦しんだ都財政の危機はなかったということになるのである。」

P186「自治体側は、総額を増やすために、交付税率の大幅引き上げを要求したが、大蔵省側は国税が不足で、国債大量発行で穴埋めしているのだからこれを認めない。結局この地方財源不足額の約半分は国が資金運用部から借金し、後の半分は、地方債の増額で穴を埋めるという一時凌ぎが毎年のこととなったこともすでに述べた。」

※国が地方に金を出すのは当たり前という感覚のせいか、国債発行批判の議論と矛盾した話をしている。また、これまでの批判の矛先は自治省であったはずが、大蔵省が登場している。地方債の発行権限は自治省のみが絡む話だったのか?

P187「地方交付税はくれなくてもよいが、富裕団体論にもとづくこの不公平な扱いだけはやめてくれというのは、都の長年の要望で、昭和50年度以降の事態でも、都の財政当局の姿勢は変わらなかったのである。」

※この主張も、超過課税の恩恵を受けようとした態度とは矛盾するはずである。

P187-188「問題は、補正係数だけは、国会の議決を経ず、自治省の省令で改定されることである。ということは自治官僚が、国会や自治体、もちろん国民を閉ざした密室の作業で、この数値を操作できるということなのである。」

 

☆p188-189「私たちの調査によって、それは普通態様補正など、この補正係数を切り下げることによってなされていたことが明らかになった。この調査をもとに、新財源研の最終報告は、「各費目について、すべて44年度の補正係数をとって再計算しても、53年度の都の地方交付税は、2,932億円に達する」と分析し、「国は、都を地方交付税の交付団体にしないときめたうえで、需要算定を操作している疑いがある。」という断定を裏付けたのである。」

※これは50年度基準で53年度の算定をしても赤字を埋め合わせるものだという(p189)。都議会予算特別委員会昭和54年2月19日における資料も提示する(p188)。

P189「ではなぜ政府・自治省は、都に対して、このような意図的な算定をしたのか。その第一は政治的理由である。

 政府・自民党は、かの大キャンペーンによって「美濃部都政は、放漫財政のために、都財政を破綻させた」と初めに断定したのである。この断定を正当化するためには、東京都に地方交付税を交付してはならないのである。なぜなら昭和20年代以来、政府官僚は不交付団体=富裕団体として、都などを扱ってきた。ここで都の財政危機状況について正しく評価して地方交付税を交付すれば、都が富裕団体でなくなったことを認めることになり、さきの断定はくつがえるのである。」

※しかし、本書では放漫財政自体を否定する議論はしていない。また、今でもなお不交付団体であることをどう考えるかという問題もある。