榊達雄編「教育「正常化」政策と教育運動」(1980)

 本書は70年代後半を中心にした、岐阜県における教育正常化運動に対する批判を行っている本である。今回本書を取り上げたのは、過去にレビューした無着成恭が在籍していた明星学園中学の教育論争と同じ基軸で、本書で支持される「恵那の教育」批判を行う動きがあったこと、無着がその動きに対しては公にはほとんど沈黙を保っていた一方で、本書で取り上げられる「恵那の教育」と「教育正常化」の対立は広く市民・世論に問われ、その双方の主張が比較的明らかにされているという点で非常に興味深いと感じたからである。今後もこの「恵那の教育」の議論は深く追ってみたいと思うが、まず、正常化反対側であった本書の立場と想定される問題点を明確にしていきたい。

 

○正常化反対勢力と「保護者」との関係についてどうみるべきか?

 

 本書を評価する観点から極めて重要となってくるのは、「保護者」の位置付けである。本書の立場はp53及びその注として示したp68に明確にうたわれるように、教育労働運動観に支えられている。教育権の保障をするためには、当然保護者の教育権にも応じることが前提になされる必要があり、だからこそ教師と保護者は団結して運動に取り組まなければ、その結果は見込めない性質のものである。一方で、本書で語られる「第二次教育正常化運動」というのは単純な体制の問題でなく、協同されるべき保護者、はたまた一部の教員によってもなされている点に大きな特徴があり、それは正常化反対側にも明確に認識されている。(p30,p86)

 したがって、この正常化への反対というのは、常に本来団結すべき保護者とも対立してしまっているという問題を抱え込んでいるのである。これに対して本書の立場はかなり単純明快な見解を示しているといえる。つまり、大雑把にいえば、「正常化に賛同してしまっている保護者は、体制側の論理に染まりきっている」という見解である。これは確かに直接的に語られている訳ではないが、本書の立場を説明するためには、この結論を導くほかなのではないのかというのが正直な所である。

 

 本書の「正常化に賛同する保護者側」の代表である小木曽尚寿ら「坂本地区教育懇談会」の主張として何よりも押さえなければならないのは、かの明星学園母親グループの述べたのと全く同じ「わが子に将来社会人となったときの必要最小限の基礎学力を身につけさせてやりたい」という点である(p86-87)。ここには「学力一辺倒」の要求とは全く別のささやかな学力要求があると見て取れるのである。しかし、結局この主張は本書をみればわかるように全面的に否定されてしまっている。何故なら、このことを全否定しない限り、「体制順応」してしまうからであり、体制順応を否定した教育の自由こそ、本書が必要とするものだからである(cf.p96,p96-97)。

 

 また、ここでもう一点押さえておきたいのは、これらの主張が「教育法学」という「理念=理論」をタテにして展開している点である。そこにはほとんど実態に対する内省的過程というのは無視されている。少なくとも、本書から「恵那の教育」の実践についていかになされ、それについてどう評価しているのかということ、それが「学力」にどう結びつくかという議論は皆無である。これは竹内洋などのレビューでも議論した「旭丘中学」をめぐる議論において、特に反対勢力に都合のいい実態は語られることがないことと同じである。

 更に、この「正常化批判」側が実態に問題があるという認識が全くないという事実は、転じて本書の言う教育権の保障の議論の正しささえも疑問に付すことにも繋げることができる。つまり、この正常化反対側には内部で十分な批判と、それに伴う「自浄作用」が働く類の「自律性」を持っていないのではないのかという疑問が提起できるということであり、だからこそその改善を行おうとする「正常化」側の主張も正当化され、支持を受けることになったのではないのか、という疑念が晴れないのである。このような疑念を与えないためにも、本書は実態については特に言及せずとも、全面的に「正しい」とするほかなく、それが「正しくない」というような「正常化」に賛同する勢力を全て体制に組み込まれたものと主張するのではないのか。正直な所、このような一方的な態度しか取れない立場の者に、p94で言うような「相互理解」を行う余地があったとは考えにくいように思える。以上のような理由から、本書の立場は社会で生きるために必要と親が考えるささやかな「学力」も、排除されるべきものとして目の敵にするのである。

 

○本書が言うような「教育権」はそもそも必要なものなのか?

 

 また、保護者との関係性を考える上で見落とせないのは、本書のいうような「教育権」をそもそも保護者が望むのかという点である。読書ノートのp53にも書いたような問題を本書のいう「教育権」は抱え込まなくてはならないのである。この「教育権」が抽象的なものの極限にある概念であるがゆえに、何らかの具体的な専門性を求めるような性質を持ち合わせていないこと、そしてそのような専門性を欠いた状態で「保護者が求める教育」に応えること自体に無理があるのではないのだろうか。

 確かに、義務教育段階においてはここで言うような「専門性」は必要ないと考える方がむしろ自然かもしれない。しかしそうするとなおさら保護者は、義務教育に「多くを求める」態度になることなどなく、高尚な「教育権」など必要に感じないのではないだろうか。

 

 本書のような反正常化側は、このような態度を保護者がとること自体を認めることが理論上できない。むしろ保護者には「教育権」を求めるよう欲望してもらわないといけないと考える立場にある。そうでないと「教育権」を手に入れられないからである。ここでも致命的な点で本書の立場と、素朴な保護者の要望は対立要素を持っている。

 そして、言ってみれば「体制批判」という語りはこの潜在的な対立要素をまるで避けるかのように語られている節さえあるように感じる。この体制批判の論点は本来、保護者にとっては第一の争点になりえないが、結果的に「教育権」の争点を避けなければ、「教育権」という論点で保護者との団結というのは不可能という見方さえ可能なのである。

 

 

 今後のレビューの中で、この恵那の教育の議論において「保護者」は本書の立場と正常化の立場、どちらに与していったといえるかは丁寧に検証していこうと思うが、正直な所、ささやかな学力保障も考えようとしていないように見える本書の立場に一般的な保護者が支持していたとは考え難い、というのが私の正直な感想である。確かに本書で取り上げている「正常化決議」というのは政治的であり、思想の強要という側面がない訳ではないが、それ以上に、本書の立場を支持する理由もなかったのではないか、ということである。

 

 

○教師の「専門性」について

 

 最後に一点、本書の中で注目できるものとして、教師の「専門性」について取り上げてみたい。体制側が支持する「専門性」と区別し、本書のいう「専門性」が対比されており、その違いがp205にあるように「専門職の自律性」の有無にあるとする。もっともこの自律性は、あくまで「不当な支配」に服さない、という意味でタテマエ上語られるが、実質的には、「支配」は全て不当であるという前提に立った形で主張される自律性であるといえるだろう。

 さて、他の教育に関わる著書においてこの「専門性」がいかに語られているかを少し整理してみたい。

 

(1)「専門性」を無条件に肯定する形で述べられる場合

 

 基本的な傾向として、この「専門性」は楽観的にかつ素朴に語られ、その実質的な意味について特に定めている訳ではないということが言える。例えば次のような語り方である。 

 

 

「以上三つの方法には見てきた通り大きな問題があり真の解決からはほど遠いが、それではいったい妙手があるのと反問されると返答に窮するにちがいない。しかし私見によれば手の負えぬ子をどう指導するかというテクニックではなく、彼らをどう受けとめるかという哲学や姿勢こそが重要である。いやしくも教師が教育に専門家であり、学校が教育の専門機関である以上、手の負えない子どもこそ、その専門性を実証する最も大事なクライエントである。素人の「手」に負えないからこそ、病人は病院を訪れる。平凡な医師の「手」に負えない病人を治すのが名医たるゆえんである。手の負えない子が出現し増加し、素人が手を焼いている時代こそ、教育の専門家たる教師の力量を発揮する出番だといってよい。その意味から、この子どもたちは恐怖や敬遠や抑圧どころか、感謝のまとにされて然るべきである。」(新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」1987=1996、p65)

 

 教師に専門性があるのは「あたりまえ」であるという前提に立っているが、いかなる意味の「専門性」がある(べき)なのかについては語られていないのである。この専門性についてさかんに語られることになった要因の一つとして、ILOユネスコの1966年の「教員の地位に関する勧告」が挙げられる。この勧告においても教職は専門職と認められているが、そこにどのような専門性が含まれるかは明確でない。このため市川昭午などはこの勧告について、「政治的妥協の産物の常として玉虫色の性格を有しており、多様な解釈を許容するものであった。しかし、そうあればこそ、立場や見解を異にする諸団体や諸勢力が、これに同調することができたのである。したがって、教職は専門職である、あるいは専門職たるべきだき主張する点は等しくても、その意味するところは必ずしも同じではなく、少なくとも強調点を異にしている。」(市川昭午「教師=専門職論の再検討」1986、p6)と指摘しているのである。

 

(2)教師集団の強調と「不当な支配」への批判

 

 本書の立場もそうだが、特に教育法学を中心にした「専門性」観というのは、もっぱら研究集団としての教師による専門性の向上を志向するものであった。そしてその中で時に「不当な支配」というものは否定すべきものとして語られている。

 

「このように子どもの発達にかかわる「教育的真理」を見きわめるところの教師の専門的力量(教育的専門性)を保有するには、何といっても広汎な教師・研究者の実践や研究の交換ないし相互批判が不可欠であり、それなしには教育内容や授業過程の創造は確保され得ないであろう。そして教師が、これら教育的専門性を自ら獲得するための実践や研究の過程においては、いかなる恣意的あるいは権力的な干渉も許すことはできない。そうでなければ教師(集団)の実践や研究の過程を通してのみ保障され得る子どもの能力の形成は阻害され、結局において子どもの学習権(発達権)は形骸化してしまうからである。

 そこで以上のような指摘からいえることは、まず教師は自らの研究、実践の過程において、科学的真実と芸術的価値に基礎づけられる教育的認識以外いかなる権力的拘束もうけないという自由、および教師の研究・実践のための教師集団・研究者集団の組織・体制を自ら自主的に組織しうる権利が保障されるべきであろう。」(佐藤司「学校の自治」兼子・永井・平原編『教育行政と教育法の理論』1974、p200)

 

「しかし、さきにも述べたように、教育労働は高度の専門性を有し、自主的な労働である。したがって、教育はまさに専門職である教育労働者が自主性にもとづいて展開さるべきものである。それ故に、教育の方法と内容は専門的知識をもち子どもと直接に接触をもつ教育労働者および教育者集団のみが決定すべき事柄であると考えられる。教育行政はそれに干渉してはならないものと考えられる。さらにそれとかかわりをもつ教育政策の立案、決定、教育行政の実施に対して、その教育労働者および教育者集団=教職員組合が参加することは教育労働者および教育労働者集団の権利であり、義務でもあると考えられる。すなわち、そのことが教育の自主性で守り、子どもの教育権を守り、教育を奉公をあやまらしめないための担保となるはずだからである。」(日本教育法学会編「講座教育法1 教育法学の課題と方法」1980、p201-202)

 

 ただ、このような議論が体制批判を含んでいる以上、持田栄一が言うように、その専門性が「止揚と超克」の対象となることは避けられないように思える。

 

「第三。さらに、もともと、教職の専門性原則は、教育における教職の組織原理であり、教師専門職論が労働の「熟練度分類」、精神労働と身体的労働の分裂といった資本主義社会に特有の労働の奇型化の過程を基礎として成立した「高級」労働力として教職を位置づけようとするものであるから、それは基本的にいって労働者階級、おしなべていって近代教育の全面的変革を志向する者にとっては止揚と超克の対象といわなければならない。最近では、「教師は専門職労働者だ」と理解することが一般化しているが、そこでいう教職「専門職」論は基本的には否定と止揚の対象としてとらえるべきである。

 しかし、そうはいっても、現行教育法制において、教師はわれわれを肯定する、しないにもかかわらず「専門職」として規定されている。したがって、当然、教育労働者運動は実践的であろうとすればするほど、「専門職としての教師」のあり方をとらえかえし、それに新しい意味を与えることから出発しなければならない。とくに、現在「上から」構想されている教師専門職論が、教師聖職論へとつよい傾斜をもったものであってみれば、教育労働者運動が現段階におけるさしづめの要求を教師専門職=労働者という形で提示し、「上から」の教職「専門職」論とは異なった形で「専門職」としての教職のあり方を保障していくことは首肯されるところである。

 このような情況を考えると批判教育計画においても、教職を「専門職」としてのあり方を少しでも「改良」することが当面の課題となる。」(持田栄一「学校の理論」1972、p273) 

 

 このような止揚の発想は基本的に新たな意味を求めると同時に古い意味を否定することになる。しかし、このような議論も「本当に具体的な新しい意味を求めているのか」という疑問を提出した場合には、先述のようにその意味が明確に定義されることなく漠然とした形になる傾向がそもそも強いとも言えるのである。

 

(3-1)「専門性」そのものへの懐疑と否定

 

 しかし、このような専門性の議論は80年代以降、強く批判の対象となっていくことになる。その方向性はいくつかの理論的帰結に対応したものになっている。

 まず一つ目は、専門性そのものを否定する立場である。これは脱学校論的発想にも繋がるものであり、「学校に専門性などいらない」とするか「学校などいらない」という形で、教育の専門性を廃棄しようとするような動きであったといえる。

 

「教師たちは「教育的配慮」とか「教育的専門性」という話を、自らの禁句とすべきなのだ。一人ひとりの子どもたちよりも、学校教育制度のほうが大事にされる体制のなかで、自らの行為を自己チェックできるために、これが必要な最小限のよりどころだろう。そして、教育の専門家支配を崩し、しろうと支配に道を開けることを受け入れるべきではないか。学校の運営はもちろん、教員免許を持たない生活者たちを〈教師〉として一定の比率で迎えに入れるとよい。」(太田垣幾也、長谷川孝「学校から「教育」を追放しよう」1981、P123)

 

 ただし管見の限り、この動きは80年代に少し見られた程度で90年代以降はまじめに議論されていたとは言い難いマイナーな部類にあたると思われる。

 

(3-2)体制側の専門性として再構成をはかる議論

 

 2つ目に(2)の動きを理解しつつ、その批判を行う中で体制側の「専門性」の重要性を説く立場である。

 

「ところが、教員たちが、自分たちは専門職であるとして、それにふさわしく遇されることを求め、彼らにとっては未だ不十分であるにしても、その要求が順次実現されてくるにつれて、従前のような口実は次第に通用しなくなってきた。世間は教員たちの弁明をかつてのように同情的に聞き入れなくなり、処遇に応ずるだけのアカウンタビリティを追求するように変わってきた。権限に見合うだけの責任が、自律性に見合うだけの職業倫理が、そして給与に見合うだけの働きが求められるようになったのである。」(市川昭午編「教師=専門職論の再検討」1986、p17)

 

「すでにこれまでの論述によって明らかだと思うが、今日、教育改革のキーワードとして学校の自律性が強調されるのは、これまでの教育行政批判の理論が主張してきたような専門家教職員の自律性への信頼と尊重を説くためではない。むしろ逆に、それは、専門家教職員の自律性が実際には学校の閉鎖性に帰結していることを批判し、さらに学校をめぐる問題を教職員の専門家としての職務遂行における責任として、これを厳しく問うというものに他ならない。こうしたことは、学校の自律性を強調する教育改革の具体的なプランが、学校管理責任の明確化であり、校長の役割の強調であることに、明瞭に現れている。

 では、学校の自律性は、学校の管理体制を強化するための口実として強調されているに過ぎないのであろうか。そうした見方もまた、一面的であるように思われる。なぜなら、こうした理解は、かつて教育権論の生成において、教育の荒廃が国家権力の政策の結果と把握されたのと同様に、依然として政府による教育政策が教育の全体を支配し、統制しているとの前提に立っており、それは教育の問題を「国家権力の政策の結果」としてみるという思考態度によっているからである。」(黒崎勲「増補版 教育の政治経済学」2000=2006、p207)

 

 黒崎については、「教職員の自由な活動が、無責任な活動として、むしろ教育問題の原因であるとする意識が広がっていると言っても言い過ぎにはならないような状況である。」(同上、p207-208)という風にも述べるが、既存の教師(正しくは教育法学的な意味での専門性を強調する「教師集団」)の主張が不十分であり、そのような立場からは「責任」を引き受けることができないという点から「専門性」の必要性が語られることになるのである。これは80年代以降の「専門性」論の基本線だったのではないかと思われるが、やはり前提にある「専門性」については漠然としていることに変わりはない。

 このため、この曖昧な「専門性」の議論は実態と理念の乖離の問題と混同されやすくなり、常に批判にさらされることにも繋がり、それが転じて体制側云々が関係なく「新たな専門性」を求める動きという主張と共に議論され続けることになることが避けられなくなる。

 

「ここで教師の責任とは何なのかを考えてみる必要がある。教師である以上、学習指導要領で定められ、必要だと思う学習内容を、子どもたちにしっかり身につけさせなければならない。それが自分たちの専門性であって、それを全うするのが自分たちの責任の第一だと考えている教師が多い。だからこそ発達生涯の子どもに対しては「責任がもてません」と言う。しかし学校は子どもたちに将来必要となる力や知識を身につけさせるだけの場ではなく、その力や知識を使って誰もが「ともに生きる場所」だとすれば、学校のはたすべき責任はまったく違ったかたちで意識されてくる。……

 親が自分の子に障害があるとわかったとき、「私は専門じゃないので、この子の子育てには責任がもてません」などとは、もちろん言わない。家庭はそれこそ親と子が生活する場所だからである。病気にかかれば医者に診てもらうように、そこでも「専門」が求められることはある。しかしそれはあくまで、ともに生きていくために利用する「専門」であって、外にお任せして排除する「専門」ではない。」(浜田寿美男「子ども学序説」2009、p161)

 

 

(3-3)学校における専門性を限定化する議論

 

 最後に教師の専門性について限定的に捉えようとする立場である。この立場の批判は(2)の直接的な批判というよりも、無条件に専門性を定義する性質に対する批判として、その弊害を指摘しながら専門性が語られることになる。

 

 

「今まで見てきたところでは、校則や懲戒についての学校・教師の裁量権は極めて広く、ほとんど自由裁量に近い。それは一つには学校・教師の教育専門性を裁判官が信用したからであるといえる。つまり、教師の専門性が高いからという理由で裁判官は生徒の人権制限を承認する。あたかも教師の教育専門性が高ければ生徒の人権制限は問題にならない、といわんばかりである。」(坂本秀夫「校則裁判」1993、p194)

 

「教師の教育専門性といっても教師の教育活動のすべてに高い専門性が発揮されるわけではない。教科教育の専門性と生活指導の専門性は全く異なる。とりわけ、ここで問題になっているのは校則決定、指導の専門性である。本来、校則は生徒を恒常的に規制する生活規則である以上、当然、生徒の人権・権利を守り調整するためにある。そのためには生徒参加が、規則の内容に応じて構想されなければならないし、生徒に助言するために教師の専門的知識、人権・権利意識の高さ、組織指導力がフルに発揮され、教師の専門性は、生徒・親の人権・権利保障に役立つはずである。」(同上、p194-195)

 

 

 この立場に立った場合は、専門分化という形で学校教育を捉えることとなり、教育の役割も学校だけではなく、家庭や地域にも分散する形で議論が展開されることになる。本書の「教育権」に支えられる専門性というのはまさにその無尽蔵さから「教育にかかわるものは全て教師に委ねることが正しい」という選択肢しか結局見いだせないようにさえ見えるものであるが、このような前提そのものは否定されるということである。特に90年代以降においては(2)の枠組みは消失し、(3-2)及び(3-3)の枠組みで教師の専門性について語られている傾向を見て取れるように思う。

 

<読書ノート>

 

P5「いま一つは、岐阜県西濃地域での教職員の実践・運動である。この地域の大部分の教員は岐学組に加入しているが、この岐学組の執行部が展開している運動は言葉の厳密な意味での運動とはいえない。というのは、その運動の目標が「教育『正常化』の完遂」に置かれているからである。それは、「学校運営への父母・住民に対する、ひいては一般の教職員に対する、学校運営の閉鎖主義・秘密主義を一段とつよめようとする行政施策に手をかす「運動」にほかならないからである。そのために。この地域では、県議会によって「正常化」決議があげられたことが、教職員・父母・住民のあいだで話題となることもなかった。」

 

P18「「付知町教育正常化町民会議」が結成されるのは、1974年9月K小学校の理科屋外学習中に、1年生の子どもが水死するという事故を契機としていた。「正常化町民会議」によって、教育に対する攻撃は組織的・計画的に行われるようになった。K小学校の一部の父母によって、水死事故は生活綴り方教育に原因があるとして、学校の教育方針の変更を求める署名活動が行なわれている。そのほか、地域子ども会、町教育研究会に対しても批判が繰り返され、また子どもの手紙という形をとって、県教委に投書が行なわれている。」

※一見関係性がわからないが、これは結局p93にあるような前提があれば納得のいくところである。

P19「そして「地肌の教育」を支える大きな力は、「民主主義を守る会」であった。すなわち、「地肌の教育」は父母・地域住民によって支えられているのである。1960年代の教育政策の矛盾が集積し、1970年代に入り、ますます進行する教育荒廃の状況は、恵那地域にも現われる。」

※「全国的な教育政策・行政の動向がある。1970年以降ますます深刻の度を深めている地方財政の危機は、教育行政の中央集権化を強化し、教育の荒廃をもたらす物的基礎となっている。」(p19)

P19-20「教育については、1960年代に打ち出された人材開発政策の一翼を担ったのが、全国一斉学力テストであり、学力テスト体制であった。それらの理論的根拠として能力主義が主張され、能力主義の制度化として高校多様化政策が進められた。しかもこうした差別・選別体制は、受験戦争と結びついて強力なものとなるのである。他方、学習指導要領の法的拘束力の主張が文部当局によって行なわれ、教科書の検定・広域採択化が強化され、教育の国家統制は実質的に進められた。そして1968年版学習指導要領は、内容の詰め込みすぎ等のため、「落ちこぼれ」の原因の一つになったといわれる。」

 

P21「このように、第1項目から第3項目までは教育内容・方法の問題であり、決議の書き出しが、教基法1条がほぼそのまま書き写されていることと裏腹に、教基法10条の精神からいって県議会がかかる決議をすること自体が不当なのである。決議がそのとおり現実化すれば、知事および教委が抜本的改善策を講ずることになるから、知事および教委が「不当な支配」の主体として立ち現われることになる。また、決議が学校・教師の教育活動を事実上拘束するとすれば、それは「不当な支配」にあたる。」

※このことを極端に言えば、教育内容・方法について「教師の勝手」がまかり通ってもよいという風にも読める。

P30「恵那市教委のこのような態度の変化は、逆に県教委も当初は、「正常化」に必ずしも積極的ではなかったことをうかがわせるものである。いずれにしても、1978年2月には県教委・市町村教委とも、「正常化」政策の積極的推進の主体になっていたのである。県PTAには、県の方から君が代・日の丸推進の要請があったが、県PTAとしてそれに積極的に応える動きはしなかったといわれる。しかし、恵那市では、当時ある小学校PTA会長によれば、市の連合PTAでは君が代は当然であり、そのような方向でやっていこう、と申し合わせをしやとのことであり、またあるPTA役員によれば、そのPTA以外に君が代・日の丸導入の強制に反対したPTAはなかったとのことである。地域組織については、「正常化」決議の背景にあって、その契機の役割を果たしたのが、前章で述べた「坂本地区教育懇談会」であり、その先駆けとして「付知町教育正常化町民会議」があった。このように、住民のなかから「正常化」推進団体が起こっていることは、第二次の場合の特徴である。ただ、それらの組織において、中心的役割を果たしている人たちが、住民のなかのどのような層を代表しているかは問題である。」

※これに対して、60年代前半の正常化運動では、「県教委事務局・地方事務局が中心になり」(p29)、地域によっては「PTA幹部、地域有力者等が加わっている」とされる(p29)。

 

P34-35「業者テストによる教育批判は、それが現に果たしている役割、すなわち受験準備教育を過熱化し、差別と選別の体制を客観的合理的にみせるためには、教育内容の標準化・規格化が不可避となる。その標準化のための基準となるのは、学習指導要領なのである。したがって、業者テストによる教育批判は、それが現に果たしている役割、すなわち受験準備教育を過熱化し、差別と選別の体制を客観的合理的にみせるためには、教育内容の標準化・規格化が不可避となる。その標準化のための基準となるのは、学習指導要領なのである。したがって、業者テストによる教育批判は学習指導要領による教育内容統制、すなわち教育内容の国家統制につながっていくわけである。実際に当該批判者たちは、学習指導要領に基づく教育をするよう主張しているのである。また、以上のことは父母・地域住民の要求に応える地域に根ざした教育、学校そして教師の教育課程の自主編成を否定することになる。教師の教育権を否定し、教職員と父母・地域住民との結びつきを切断するわけである。教職員相互による自主規制は、このことをよりいっそう進めることになる。「正常化」は一部「住民」の要求に応えるかのようにみせながら、実は父母・地域住民の教育権を否定し、教育における住民自治を否認するものである。」

※この自主編成そのものが問題視されているので当然対立する。そして注目すべきは業者テストと学習指導要領がイコールになってしまっている点である。これは学力と呼ばれるものそのものを等しく考え、かつそれを否定しようとする態度と読み取れる。

P37「振り返るに、今回の攻撃がなぜされたかは、それなりの必然性がある。……いま1つは、逆に、東濃の生活綴方教育を軸にした「地域に根ざし生活を変革する教育」が各地に影響力をもちはじめてきており、これが父母・地域住民との連携を深めてきたことに対する、当局側のあせりであり危機感である。つまりは、「教育の住民自治」への恐怖感でもある。」

 

P53「教職員労働者が職場や地域において教育権・職務権限をうち立てていくのは、そうすることなしには、子どもの学習権・発達権を保障していくことも、父母・住民の教育請求権にもとづく教育要求にこたえていくことも、不可能となるからである。とりわけて、第一次的・本源的な教育権者たる父母の教育負託にこたえることが不可能となるからである。そうだとすれば、教育闘争は、教育労働者の独自的闘争としてではなく、教職員労働者団結を核とする住民的団結の闘争として、教職員労働者と父母・住民との共同闘争として、組織され展開されなくてはならないと、こういうことになる。」

※これはいかなる意味で正しいのか?なぜ逆は真ではなくなるのか?これについて次にように説明がなされる。「もともと経済闘争(労働基本権の行使)は賃労働者人間が自己の人権(=生存権)を確保していくための闘争である。それに比して、専門職賃労働者が自分の直接責任で他者の人権(=教育を受ける権利)を保障していかなくてはならないという、その専門職的職責に由来するものである。教育権の確立を専門職賃労働者に要求するものはまず他者である。教育権の確立は専門職賃労働者自身の要求でもある。とすれば、教育闘争には、他者たる依頼人・負託者と専門職賃労働者自身とが共同し団結して取り組んで当然ということになる。」(p68)

言ってしまえば、この教育権論者たちの前提には、このような論理構成によって教育権が「保障」されることが前提になってしまっている点が致命的に誤りである。これはここでいう「専門性」とは何かという問いにも問題が含まれているが、そもそもそのような「教育権の保障」が「全ての教員に等しく存在する」ものと考えるような平等思想こそ問題なのである。そのような包括的な観点を教員に等しく求めようとすること自体が誤りであるということであり、それを求める運動もまた問題である(その運動の存在意義がないという点で問題である)ということである。端的にそれは「不可能」であると呼ぶしかなく、学校教育において親が求めているものもそのような性質のものと考えづらいということである。スポーツのスペシャリストであるコーチのような者に期待するならともかく、どこまでも「一般化」し「具体性のない」教師に何を「他者」は期待するのだろうか。

 

P55「一方で、「教師=専門職」論を採用し展開しながら、他方で、その専門職者教員の労働内容・労働条件・教育条件・研修内容などについて管理経営権者が自由に決定できるといっているからである。いったい、その労働内容・研修内容についてまで「職務上の上司」が自由に決定できる、そのような管理経営体制下に置かれた「専門職」が「聖職」「専門技能職」以外の職業でありうるとでもいうのであるか。どのような「校務」でも「職務」として分掌させることができるし、その「職務」処理の仕方についてもどのような指示をも行うことができる、このような労働管理下でもまお教員は「専門職」であるというなら、専門職はもはや雑役職=単純労働職以外では断じてありえない。」

P59「しかし、そのような行政批判の行動=運動を起こすことは、親たちが「子どもの問題で話し合うことをしなくなった」状況下で、著しく困難となっておる。親たちは、学校に向けて積極的に教育要求をだすことをためらうようになり、むしろ学校側からの要請に従順にしたがい、「わが子の問題はわが家で解決する」ようになっている。親たちの学校観そのものが変質し、「教育を父母・住民の手で」創造する実践・運動からますます疎遠な存在となっている。」

※違うのか??また、時短方針など、責任所在を回避する行動は日教組からも出ていたはずである。最大の問題はこれを体制側の策略として責任転嫁している点。これもまた「自分たちが何をやってきたのか」を顧みようとしない態度の現れ。

P59「というのは、父母・住民の教育人権意識は、一般に、教職員労働者の「助け」をまってはじめて成長するものであり、教職員労働者の権利意識が衰弱していけば、そのような「助け」はできないからである。」

※教師はどこまで偉いのか。

 

P81「「正常化」推進側は、教育内容・方法にかかわることを市議会で問題にし、教育長に質問書を出し、教育行政に自分たちの都合のよい教育内容・方法にするよう要求しているわけである。親たちのほうから、教育行政に教育の内的事項に介入する「不当な支配」の主体として、立ち現われることを要求しているのである。このことは、親の教育権意識によるかのようにみえて、そうではなく、親の教育権の放棄であるといわなければならない。」

※このような主張は親の主体性を決して認めようとしない態度の現れでは、仮に体制側に従わなくとも、p59にあるように教師により親は主体化されるものとされる。そして、教育権とは何かという問いもたてなばならない部分である。

P81-82「中津川市教委・学力充実推進委員会・教育研究所による調査報告の小冊子『中津川市小・中学生の学力実態』(1978年3月)において、全国水準と比較して市の小・中学生の学力が低くないという結果が示されていることに対して、業者テストの内容が、公平であり客観的であるという考えを前提にして、示された結果も業者テストによるものでないから信用できないと批判しているのである。」

※この批判の出典は坂本地区教育懇談会の1978年6月18日のビラによる。

P82-83「こうした考え方の根底には、人間の「人格はまず学力(知識)で推し量られる」という人格観があることがうかがわれる。また「遊び」や「労働」が子どもの成長に必要なことは認めるが、それらは「家庭」の守備範囲であり、それらと教育を結びつける「地域活動」等に力を入れすぎるから、「学力」に不安を抱くことになるという。……そして、こうした非常に一面的な学力観によって人格を見るのである。かかる一面的な学力観に基づく人間観が、いかに多くの子ども・青年の心を傷つけ、あるいは非行、あるいは家庭内暴力、あるいは自殺を生み出してきたかをまったく理解していないといわざるを得ない。」

※小木曽が参照されている。

 

P86「1963年をピークとした「第一次正常化」のときとは異なり、今回の「正常化」は、それを推進することを求める一部の教職員、親の運動を基盤としているところに、特徴がある。たとえば、県議会において「正常化決議」が採択される以前に、すでに1976年12月の中津川市議会においては、「坂本地区教育懇談会」の問題提起に基づいて、いわゆる「恵那の教育」の是非について議論がなされている。「決議」はそうした東濃における教育論争の延長線上にあった。」

P86-87「それによれば、坂本地区の小学校における授業時間の実態を子どもを通して調査した結果、そこでは「地域重点の教育活動」が、時間割りをまったく無視した形で展開され、そのために「学校本来の使命である授業や、学級としてのまとまりが軽視され」ている。教師の努力の大半は、地域重点の教育活動にむけられ、「専門職としてに教科や研究に向けられていない」。また、岐阜県下で実施された高校進学模擬テストの成績をみると、5教科総合で全県平均よりも中津川の平均点は35.8点も低く、それだけに「小学校における基礎学力の重さをひしひしと感じない親はいない」。「今までPTAの懇談会で基礎学力向上を望む多くの父兄の切実な要望が出されて来」たが、「それらはいつも少数意見として無視され親の願いは生かされず、年を重ねる毎に地域重点の教育はますますそのウエイトを増して来」た。そこで、「わが子に将来社会人となったときの必要最小限の基礎学力を身につけさせてやりたい」という親の願いを学校教育に反映させるために、「同じような考えの人たちの参加を得て、その連帯意識のもとに」懇談会を結成することになった、ということである。「懇談会」の具体的な目的は、坂本地区の、ひいては中津川・恵那地域における小学校の教育を、「地域重点」から「基礎学力」重点に「改善」することを、「実際の行動」によって求めていこうとするものであった。」

 

P88「6月には、「みんなで考えよう 中津川市の子ども達の学力は本当に高いのだろうか」という新聞折り込みビラを中津川市全域に配布した。これは、中津川市教育委員会・教育研究所・学力充実推進委員会が発行したパンフレット「全国水準と比較してみた中津川市小・中学生の学力の実態」に中津川市の小・中学生の学力は全国水準と比較した場合、必ずしも低くはないとされているのを批判し、改めて中津川の教育に対する「懇談会」の見解を市全域に紹介し、坂本という一地区の問題としてではなく、全市的なものとしてその活動を広げていこうとするものであった。

このような「懇談会」の活動は、当然マスコミからも注目され、さまざまに取りあげられていった。「懇談会」設立は、11月10日いち早く報道され、「正常化決議」以後、東濃の教育に関する論調が活発になるなかで、従来の教育のあり方に見直しを迫る意見を代表する団体として、盛んにマスコミに登場することになる。ここにその一例をあげれば、1977年8月に8回にわたって連載された「問われる教師像――中津川市からーー」(毎日)、記事「正常化決議に揺れる岐阜県の教育界」(1977.10.14.朝日)、雑誌『教育の森』1977.10,11月号、N・H・K総合テレビ「揺れる恵那の教育」(1977.10.27)、同教育テレビ「まがりかどに立つ人間教育」(1977.12.21)、雑誌「世論時報」1977.10月号、などがある。さらに「懇談会」の代表者である小木曽尚寿氏は、岐阜県における「教育正常化」の推進を基本的運動方針としてかかげている岐阜県学校職員組合の上部組織である日本教職員連盟の機関紙『教育・創造』に、「親から見た恵那の生活綴り方教育」(第3号、1978.12)、「学校教育へ親からの切なる願い」(第4号、1979.6)という文章を寄稿している。」

 

P89「このような一般的な要求は、親だけではなく教師のものでもあり、多くの良心的な教師は、この要求に応えるための実践に日夜取り組んでいる。東濃の教師たちは、そうした教育実践の先頭に立ってきた。」

※教育実践の狙いとして石田和男の説明を引用している。

P93懇談会パンフレット1977.5.20から…「あるクラスにおいては正規の授業以外の特別活動が60%を越え、そのほとんどが生活綴り方や、地域子ども会の関連行事で、いわゆる基礎学力とは直接関係のない時間に費やされている。その結果、当然のことながら小学校において最低限どうしても理解させておかなければならない国語や算数に関する基礎学力は確保されず、それが中学校へ進学した場合の大きなハンディになっているのではないか」

※特にこの指摘に対する否定はない。また、「相互の理解を深めることを避け、自分たちの見解を絶対的なものとしながら、市議会や県議会、教育委員会や校長に働きかけて権力的・政治的にこの問題を処理しようとしたのであった」とするが(p94)、そもそも話を聞く耳がなかった可能性には言及がない。

☆p96「「懇談会」の代表者小木曽氏は、はっきりと次のように述べている。「会社にしても官庁にしても、新しく人を採用するとき人格をこそ大切にする。その人格はまず学力(知識)で推し量られる。このことはもう何十年も続いているしこれからもそうであろう。ということは例外もあったが、そういうことで選んでも大きな間違いがないということを立証している」。

果たしてそうだろうか。人間人格を一片のペーパーテストの結果によって判定することは、確かに戦後日本社会の支配的潮流として存在してきたし、現在も存在している。しかし、これまで続いてきたという理由で、それは是認されなければならないことなのだろうか。」

※この批判は極めて重要な掛け金となる部分。そもそも社会の追随を正常化批判派は認めていないのである。

 

P96-97「結局、「懇談会」の主張は、現実がそのようなものである以上、学校教育が何よりもまず果たさなければならない基本的課題は、そうした受験競争に勝ち抜くだけの「学力」を子どもにつけてやることである。教師はそのための具体的手だてを実践でもって示せ、ということであった。

このような観点に立つ「学力重視」の要求は、中津川の教師たちにとっては受け入れられるものではなかった。彼らが追求してきた「真の学力」のための教育は、まさに、そうした現実の教育体制のひずみから、子どもたちを解放しようとするところから出発しているからである。」

※「学力重視」などというが、実質的には「学力は無視しろ」という結論しか導き出せないのではないのか。懇談会の言う「最低限の学力」さえ認めようとしていると考え難い態度に読める。

P97「今日の子どもたちの、具体的な状況から出発しようとするとき、多くの親や教師は、今日の支配的な教育体制のもとでは、一度失われてしまったらとり返しのつかないような、子どもの成長にとって欠かすことのできない大切なものが失われつつあるのではないか、という危惧を抱いている。すなわち、本来人間として当然養われなくてはならない感覚、感性、創造力や表現力、想像力、論理的思考力や抽象力、自主的判断力、あるいは学習に対する積極的意欲や学習することに伴う喜びの体験などが喪失しているのではないか、という心配である。」

※具体性こそ、否定の対象!

 

P100「結局「懇談会」は、公教育における教育課程の機械的・画一的解釈のために、教育課程編成にかかわる教師集団の、そしてそれを支える父母の積極的役割を、否定することになったということができよう。」

※やはり常に当為論的な議論しかしない。

P111「「学校事務に教育的判断が必要か」という設問をたて、「学校事務の教育性認識」を調査した。その結果は全県で93%が「必要である」と答えた。」

※が、この教育性については何の意味も言及されていない。

P120「恵那の事務職員が地域子ども会・分団会へも参加していることについては、先にふれた。その際には、彼らは、学校からそれぞれの町内ごとの子ども会へ出かけるのである。子どもをとりまくすべての問題状況に対する鋭い洞察力と子どもに対する学校職員としての責任の自覚とが、彼らをして地域子ども会へ向かわせるのである。そこでは、地域での仲間づくりを中心にすえながら、キャンプ、ソフトボール大会等の地域行事に参加する。」

P143「他方、国家独占の教育政策が「高度経済成長」を支える教育投資としての「人的能力開発」政策をすすめ、第三の教育改革と称する中教審路線を設定し、子ども・教師・親をあげて国際経済競争の要因に教化・管理・訓育しはじめるのも、また40年代である。」

P144岐教組の主張…「平和と真理、真実を求める民主教育の実践とそれを地域に根づかせ、父母とともにおし広げていく教育運動は、支配の側にとって大きな恐怖であり、この民主教育をおしつぶし、父母と教師を分離・離反させようというのが、『教育正常化』決議の本質であります」

P145「弱さ・あせりの反映という点では、次の事柄も見逃せない。つまり、学力の低下、非行の多発にせよ、これは、逆に、第一次「正常化」と中教審路線のなせるわざであり、実は、県当局自身に課せられる責任であるということである。だからこそ、その自己責任を他者=教組・教職員に転嫁せざるを得ない矛盾につき当たって、なりふりかわまず攻撃する破目に陥っていることである。」

 

P166「今日の退廃現象をもたらしたものが、戦後の民主教育の理念をことあるごとに否定し、経済優先・大企業の利益優先を基軸にした差別・選別の教育行政にあったことは、いまやあらゆる面から解明されているところである。」

P167「決議は、教育基本法の「つまみぐい」をすることによって、あたかも教育基本法を尊重しているように見せているが、教育基本法の禁止する「不当な支配」を強行することによって「人格の完成」をめざす教育を、ひいては教育基本法そのものを、台無しにしようとするものである。」

※実態の棚上げここに極まれり。

P167-168「生きることと結びついた学習こそ、真の学ぶ意欲を呼びさますものであり、生活の実感に根づくものの見方・考え方が子どもの人間的成長にとって欠かすことのできない条件であることは、幾多の事例をあげていまは説かれるところである。ここにこそ、真の学力とそれに結びつく非行克服の展望が存在するのである。」

※なぜ学力をここまで貶めることができるのか…?

 

P204「日教連の運動方針のなかで直接に「専門職」概念に論及した文章であるが、これと同趣旨の文章が過去3年間の方針のなかにくりかえしでてくる。「専門職」概念と関係して強調されているのは、「給与・勤務条件の改善」と「資質の向上」の2つであり、これだけである。」

※「もっとも、「これだけである」というのは少しばかり語弊があるかもしれない。というのは別の箇所では、「法律が保障する諸権利を十分に行使し、勤務条件を改善して、専門職にふさわしい自主的かつ創造的な活気あふれる教育現場を築く」ということもいわれているからである。教育現場における、あるいは教職員の、自主性・創造性ということも、「専門職」概念とかかわっていわれているからである。しかし、この自主性・創造性ということは、政策=行政との対抗関係のなかで、あるいはその対抗関係を意識しながら、いわれたものでは少しもない。」(p204-205)「教育「正常化」の推進団体が、言葉の本来の意味における「専門職にふさわしい自主的かつ創造的な活気あふれる教育現場を築く」などということが、すでに論理的に矛盾しているからである。」(p205)と茶化すが、「論理的」な次元を問題にし「実態」に何も配慮がない時点で如何なものかと思う。

P205「専門職労働の本質的特徴は、すでにくりかえしのべてきているように、法律的・行政的な「不当な支配」に服することなく、子どもの学習権・発達権の保障に直接に責任を負ってすすめられるというところであり、それゆえに教育専門職者(集団)にとっても対国家的・対行政的な関係において「専門職の自律性」の確立を運動課題として提起することをせず、その反対に、「われわれの運動は、あくまで関係する諸法により、合法的である」「専門職観に立って法を遵守し中正不偏の教育を推進する」とまでいうものであるとすれば、それは、本来的に自主的・創造的であるべき教育労働を、法律的・行政的な支配に服する従属労働に変えてしまおうとする「理論」だといわなくてはならない。反専門職理論であり、まさに教育「正常化」推進に有益なものだといわなくてはならない。それは自主労働者を従属労働者に変えるための「理論」である。

したがって、日教連の「専門職」論は、もはや専門技能職論と、ひいては聖職論と、本質的に同一の内容のものとなる。だから、「資質の向上」といっても、その資質は、専門職的資質とは異質対立的な中身の、専門技能職的資質を、ひいては聖職的資質を、指すことになる。」

※主従理論を二項図式としてしか見れない論者の末路。理論だけだと水掛け論で終わる。では実態はどうか?批判がかけらもないということはよほど自分が支持する理論実践派への支持が厚いのだろう。ではその実践に問題があるとすれば?そこに自浄を行うような土壌がないというほかないのではなかろうか。

P210「論文は、まず、「無定量の勤務」や「労基法の関係条項の適用除外」を無限定に肯認することによって聖職論に傾斜していく。加えて、論文は、「高い倫理性」を云々することによって、教師労働者論と決定的に訣別し、ついに「教師=聖職」論にくみするまでに至っている。」

※聖職論に対する見方がさっぱりわからないが、字義通りに解釈しているとも読めるか。

 

P233「本来、「教育専門職制の確立」が課題となるのは、教育をうけることを通して子ども一人ひとりが人間的に成長し発達していくことを、すべての子どもの基本的人権として認めるからであり、この人権の保障にはそれにふさわしい制度が必要であるのに、その制度がつくりあげられていないからである。その制度は、もちろん、法律的・行政的な支配という形での、国家や地方公共団体による教育統制の制度ではありえない。」

※何かに従属的である時点で、もはやその議論には批判しかしないことだろう。これは、本書で批判する国旗掲揚君が代斉唱強制に対しても、そのような文脈による批判であることを示すものである。

P234「すでに示唆的に述べたように、教育「正常化」政策がめざすものは、人権保障の教育などではなく、「国民」形成の教育である。」

P244「このようにみてくると、恵那の先進性は、その教育原理=集団主義教育、教育方法=生活綴り方教育、手段=労働と生活の教育、父母との集団組織性にある。これらは、たて系としての教員集団の組織性の高さが、そのすべての核となっている。」

※本書の語りからいえば、この集団主義教育には、全生研的なものを全く感じない。ただ、全く実態に触れようとしない結果だからかもしれないが。