サミュエル・ハンチントン「分断されるアメリカ」(2004=2004)

 本書は「文明の衝突」で知られるサミュエル・ハンチントンの著書である。

 世間的には近年のアメリカの動向を予見していた著書としても評価されているようであるが、私自身の関心から言えば、これまで「日本人論」に対してあまり語られないのではないかと指摘していた「アメリカ人論」と位置付けることができる著書として重要であるように思えた。データによる裏付けも極めて緻密に行っており、近年のアメリカの動向を理解するのに必読の書であるという意見も確かにその通りだと思える。

 

アメリカの「市民宗教」について

 本書の中心的なテーマは「アメリカの市民宗教」である。これはアメリカの入植者の文化の中にも根強かったものであるが(cf.p124)、特に1970年代以降、宗教右派の影響も受けながら、政治における宗教の重要性も高まってきているようである。特にp130-131にあるように、「無神論に対する排他的態度にも如実に現われているといえる(※1)

 この「市民宗教」においては神が存在することになっているが、具体的な名前を挙げることは本来的には避けられているものである。具体的な名を挙げ「特定の宗教」に加担することは、政教分離の原則からも好ましくなく、また語られない他の宗教にも排他的になりうるからである。しかし、ハンチントンはこの原則が現在のアメリカにおいて崩れる可能性について、積極的に検討を行っている。何よりp155-156にあるように、今日のアメリカの市民宗教は「キリスト教なきキリスト教」という状況であることは否定し難い事実とみている。もちろん、実際の国民の宗派も圧倒的多数がキリスト教である(p122-123)。いかにタテマエとして市民宗教が具体的な神を求めず、そこに多様性を求めていようとも、水面下では具体的な宗教と市民宗教を結び付けようとする者が存在している。その上、政治の場において道徳的荒廃を背景に信心深さを求める風潮も強くなっている(p485)。このような背景の中にハンチントンは市民宗教のバランスが崩れる恐れについて、特にキリスト教としての市民宗教を打ち出すことが他の宗派の排除を強めていく恐れについて注意を向けているのである。

 

アファーマティブ・アクションに対する受容と「差別」について

 教育という切り口で言えば、本書は大学入学優遇措置である「アファーマティブ・アクション」の受け入れについてもかなり詳しく論じている。特に1960年代に人種間の不平等の解消策として取り入れられたものであった政策であったものが、本書の記述を読む限り、そもそも60年代当初から本来この政策で利益を得るはずの黒人層からも広く支持されていたかどうか怪しい傾向をみてとることができる(cf.p217-218、少なくとも77年のギャラップ調査からはあまり肯定的な意見は出ていないように見える)。確かに白人と比べれば支持的であるのだが、「黒人一般」として見た場合には支持していないのである。本書では何故マファーマティブ・アクションが黒人に支持されていないのか明確には述べられていない。しかし恐らくは、このような政策を行うことが人種差別を助長するものでしかない、という見方が一般的に支持されているからという傾向が読み取れるように思える。

 教育社会学の分野では、これに関連して、コールマン・レポートやクリストファー・ジェンクス「不平等」(1972=1978)といった著書から、黒人(または有色人種)と白人の人種による学力格差問題が提起され、それが簡単に解消されるようなものでないものとして、アファーマティブ・アクションの政策も支持する根拠を与えていたように思える。これは転じればむしろそのような優遇政策がないとかえって社会的成功のチャンスの機会を確保されていないことになり不自由となるという議論も成り立つように思えてしまう。しかし少なくとも一般大衆はこのことを支持していないことになる。このような実証的議論を踏まえ、なおアファーマティブ・アクションの効果がないとみているのか、それとも相対的な議論として他のデメリットである差別助長という要素が大きくそう判断されているのかといったことは見えてこない。

 またこれに合わせて、アファーマティブ・アクションを支持する「エリート層」とは誰なのかという問題も出てくる。ハンチントンは大衆からは支持されていないこの政策は一部エリートによる強い支持によって堅持されているものと捉えている。本書ではそれが誰なのか明言されていると言い難いが、p239-240等の記述を読む限り、本書全体としては「差別を肯定する者」が、このエリート層であるかのような印象を与える傾向がある。要は差別を維持するためにも差別政策は残って当然であるとエリートは考えているということである。確かにこれも事実であるように思えるが、このような文脈からはアカデミックな分野で実証的に示されてきた不平等の問題についてどのように解消するのか、といった議論を排除してしまうことにもなりかねないように思えるのである(少なくともこの立場からは差別を助長することまで肯定する意図はないはずだからである)。

 

○「(市民宗教による)信仰」と「(意識調査における)自己肯定感」との関係について

 もう一点教育との関連で言えば、本書で示される信心深さの傾向の強化が教育に関連する意識調査に与える影響についても気になった。P503にあるように、少なくとも意識調査のレベルでは信仰の深さは愛国心の強さとも関連性が認められているが、以前千石保のレビューで示しておいた意識調査におけるバイアスの影響も無視できないように思える。つまり、信仰心の強さが意識調査における「ポジティブ」な回答を積極的に選ばせるというバイアスである。

 このことは結果として、日本がネガティブな回答の強いことに対する批判とも直結するし(千石の批判がまさにその典型であったといえる)、アメリカにおける意識調査と実態のズレを大きくすることにも貢献しうることになるだろう。確かにこの点は実証的に示されている訳ではないが、千石のレビューでも指摘した「生徒自身の成績にたいする評価」についての意識が、アメリカの場合極度に肯定的に捉えられているのも、私などは肯定的な宗教的価値観の影響を無視できないレベルで影響を与えているように思えてしまうのである(もちろん、違いの全てを説明できるものとは思っていないが)。

 

※1 他の著書においても、次のように無神論者が他のカテゴリーと比べて否定的に捉えられていることをしている。

「最も信頼できる世論調査によると、アメリカ人が大統領に望むことは、宗教的な感情を言葉に表わし、ある程度の道徳的な権威をもって語りかけ、大統領として果たすべき市民宗教の義務を遂行することである。例えば、一九八七年の「宗教および公的生活に関するウィリアムバーグ憲章調査」によれば、七〇パーセントのアメリカ人は、大統領が強い宗教的信念を持つことは重要だと答え、しかも、六二パーセントは無神論者の大統領候補には票を投じないと答えている。その反面、二一パーセントは、教会の牧師を経験したことのある候補者には投票しないとし、より具体的な項目では、四三パーセントの回答者は、「不倫関係にある」大統領候補には票を入れないと答えたのに対して、同じく四三パーセントは、不倫関係は投票に影響を与えないと答えた。」(リチャード・V・ピラード、ロバート・D・リンダー「アメリカの市民宗教と大統領」19882003p338)

 

<読書ノート>

P18-19「とはいえ、おそらく過去には同時多発テロの直後ほどあちこちに国旗が掲揚されたことはなかった。どこでも国旗が目についた。家庭でも会社でも、車や衣服、家具や窓、店舗の正面、街頭や電柱など、まさにいたるところで。十月の初め、アメリカ人の八〇パーセントは国旗を掲げていると答え、そのうち六三パーセントは家庭で、二九パーセントは衣服に、二八パーセントは車にだった。……国旗の需要は湾岸戦争のときの一〇倍になり、国旗をつくる会社は残業して二倍、三倍、あるいは四倍に生産量を増やしたという。

国旗はアメリカ人にとってナショナル・アイデンティティの顕著性が、その他のアイデンティティとくらべて急激に高まったことをあらわす物理的な証拠だった。」

☆p21「一九九八年二月に開催されたゴールドカップサッカーゲームのメキシコ対アメリカ戦では、九万一二五五人のファンは「赤と白と緑に染め分けられたおびただしい数の旗」で埋めつくされた。観客はアメリカ国家『星条旗』が演奏されると非難のブーイングをした。アメリカの選手に「水かビールあるいは得体の知れぬものが入った紙コップとごみ」を投げつけ、アメリカ国旗を掲げようとした少数のファンを「果物とビールの紙コップ」で攻撃した。この試合の開催地はメキシコシティではなくロサンゼルスだったのだが。」

P24「一九九〇年代には、レイチェル・ニューマンをはじめとする多くのアメリカ人は、「あなたはどういう人ですか?」という質問に、ウォード・コナーリーほど積極的にナショナル・アイデンティティを肯定した答えを返さなかっただろう。多くの人はむしろ『ニューヨーク・タイムズ』の記者が明らかに予想していたように、サブナショナルな人種、民族、あるいはジェンダーアイデンティティを主張していただろう。」

 

P65「入植者と移民は根本的に異なっている。入植者は、一般に集団で既存の社会を離れ、たいていは遠くの新しい土地に、新しい共同体を、「山の上の町」をつくりだす。彼らは集団としての目的意識を吹きこまれているのだ。入植者は、彼らが築く共同体の基礎を、母国にたいする集団としての関係を規定する契約または特許状に事実上もしくは正式に署名する。一方、移民は新しい社会を築くわけではない。彼らは秘湯の社会から別の社会に移動するのだ。移住は一般に個人や家族にかかわる個人的な行為であり、彼らは祖国と新しい国との関係を個人的に定義づけている。」

アメリカ住民は移民によるのではなく、むしろ入植者によるものだとする(p65)。

P66「のちに移民がやってきたのは、入植者が築いた社会に加わりたかったからだ。入植者とは異なり、移民とその子孫は、自分たちがもちこんだ文化とはおおむね相容れない文化を吸収しようと試みるなかで「カルチャー・ショック」を味わった。移民がアメリカにくるためには、その前に入植者たちがアメリカを築いていなければならなかったのである。

一般に、アメリカ人は一七七〇年代から八〇年代に独立を勝ち取り、憲法を制定した人びとを「建国の父」と呼ぶ。だが、建国の父たちが存在する前に、建国の入植者たちが存在したのだ。」

P67「アメリカの中核にある文化はこれまでも、また現在もなお、主としてアメリカの社会を築いた十七世紀および十八世紀の入植者たちの文化である。その文化の中心的な要素はさまざまな方法で定義できるが、そこにはキリスト教の信仰、プロテスタントの価値観と道徳主義、労働倫理、英語、イギリスの法の伝統、司法、政府権力の制限、およびヨーロッパの芸術、文学、哲学と音楽の遺産が含まれる。

この文化をもとに、初期の入植者はアメリカの信条を築きあげ、そこに自由、平等、個人主義、人権、代議政体、そして私有財産の原則を盛り込んだ。その後にやってきた移民は何世代にもわたってこの建国の入植者の文化に同化し、それに貢献し、手を加えていった。だが、その信条を根本的に変えることはなかった。」

※このことからアメリカは植民地社会であるという(p67)。

 

P74「実際には、一八二〇年から二〇〇〇年のあいだに外国生まれの国民がアメリカの人口に占めた割合は、平均で一〇パーセントをやや上回る程度でしかなかった。アメリカを「移民の国」と呼ぶのは、部分的な真実を拡大して誤解を招く誤りに変えることであり、アメリカが入植者の社会として始まったという中心的な事実に目をふさいでいるのである。」

※1990年の人口の49%が1790年当時にいた入植者と黒人の流れをくみ、51%はその後の移民という(p73)。

P76「アメリカを信条のイデオロギーと結びつけたことにより、他国の民族や民族文化的アイデンティティとは対照的に、アメリカ人には「市民的」なナショナル・アイデンティティがあるのだと主張できるようになった。アメリカは種族によって定義された社会よりも自由で、原則にもとづき、文明的なのだと言われる。信条による定義は、アメリカ人が自分たちの国を「例外的」だと考えるのを可能にした。他の国とは異なり、アイデンティティが属性ではなく原則によって定義されているからだ。それは同時に、アメリカの原則がすべての人間社会に適応できるがゆえに、アメリカは「普遍的」なのだという主張にもつながった。信条は「アメリカニズム」を社会主義共産主義に匹敵する政治的なイデオロギーとして、あるいは一連の教義として語れるものにした。同じような意味で、フレンチズムやブリティシズムやジャーマニズムが語られることはないだろう。」

 

P106「アメリカのプロテスタンティズムには一般に、善と悪、正と邪が根本的に対立するという信念がある。カナダ人やヨーロッパ人や日本人とくらべて、アメリカ人は、「どんな状況にも」当てはまる「善と悪に関する絶対的に明らかなガイドラインがある」と信じる人がはるかに多い。そんな指針など存在しないし、善か悪かは状況によるとは考えないのである。そのため、アメリカ人は個人の行動と社会の本質を支配する絶対的な基準と、自分たちおよび社会がそうした基準と合致しない場合の格差を、つねに突きつけられている。」

P112「この労働倫理はもちろん、アメリカの雇用と福祉に関する政策にも大きな影響をおよぼしてきた。「政府の施し」とよく呼ばれるものに頼ることは、他の民主主義工業国とは比較にならない不名誉となる。一九九〇年代末に、イギリスとドイツでは失業手当が五年間支払われ、フランスでは二年間、日本では一年間だったが、アメリカではわずか半年だった。一九九〇年代のアメリカに見られた福祉計画を削減し、できれば中止しようとする動きは、労働の道徳的価値への信念に根ざしたものだった。」

 

P122「忠誠の誓い」にある「神のもとに」という文言が政教分離に反するという判決が出たことに対し、「『ニューズウィーク』誌の世論調査では、一般大衆の八七パーセントがこの文言を含めることに賛成であり、反対は九パーセントだった。八四パーセントの人は、「特定の宗教」を明示しないかぎり、学校と官公庁の建物内を含め、公共の場で神について言及することを認めると回答した。」

P122-123「しかし、『ニューヨーク・タイムズ』によると、今回の裁判で原告のマイケル・ニュードー博士は「日常生活における宗教の悪用をすべて追放する」計画だった。「なぜ私がよそ者みたいに、あんな思いをさせられる必要があるんですか?」と彼は尋ねた。裁判所は「神のもとに」の文言は「無信仰の人に、あなた方はよそ者であり、政治的共同体の正規の会員ではないというメッセージ」を送っていると認定した。

ニュードー博士と多数意見の裁判官の理解は正しかった。無神論者はアメリカの社会では「よそ者」なのだ。無信仰の人間として、彼らは忠誠の誓いを復唱しなくてもよいし、宗教色の強い慣例を認めないのであれば、それにかかわらなくてもよい。しかし、彼らとしても、その無神論をすべてのアメリカ人に押しつける権利はない。これらの人びとが現在および歴史的に抱懐してきた信仰が、アメリカを宗教的な国家として定義づけているのである。

アメリカはキリスト教国でもあるのだろうか?

統計からすればそのとおりだ。通常、アメリカ人の八〇パーセントから八五パーセントは、自分をキリスト教徒だと信じている。」

※例として公共の土地にあった十字架が暗黙のうちに認められていることを挙げる(p123)。

また、「十七世紀の入植者がアメリカに共同体を築いたのは、これまで見てきたように、主に宗教的な理由からだった。」(p124)そして、過去の「憲法の制定者は自分たちがつくろうとしている共和国政府を存続させるには、それが道徳と宗教に深く根ざしたものでなければならないと堅く信じていた」という(p125)。また、「ヨーロッパ人は、アメリカ人の宗教への関心が自国民にくらべて高いことについて、たびたび意見を述べてきた。」(p127)

 

P129「一九九六年には、アメリカ人の三九パーセントが聖書は神の実際の言葉であり、文字どおりに受けとめるべきだと思うと回答した。四六パーセントの人は、聖書は神の言葉だと思うが、すべてのことを書かれているとおりに解釈するべきではないと答えた。神の言葉ではないとしたのは一三パーセントだった。」

☆P130-131「一九九二年には、アメリカ人の六八パーセントは、神への信仰が真のアメリカ人であるためにとても重要またはきわめて重要だと答え、こうした見解は白人よりも黒人やヒスパニックのほうに強く根づいていた。アメリカ人は無神論者を、その他多くのマイノリティ以上に好ましくないと見ている。一九七三年に実施された世論調査でこんな質問がなされた。

「大学で社会主義者無神論者が教鞭をとるとしたら?」

調査の対象になった地域社会の指導者は、どちらが教えてもかまわないと答えた。アメリカの大衆全体としては、社会主義者が教えることには賛成だった(賛成が五二パーセント、反対が三九パーセント)が、無神論者が大学の教員になるという考えには明らかに反対だった(賛成三八パーセント、反対五七パーセント)。一九三〇年代以降、マイノリティから出馬する大統領候補に投票しようとするアメリカ人の数は劇的に増えた。一九九九年に調査の対象となった人びとの九〇パーセント以上は、黒人、ユダヤ教徒、あるいは女性の大統領に投票すると回答し、同性愛者の候補に投票すると答えた人は五九パーセントだった。ところが、無神論者を大統領に選ぶと回答した人は四九パーセントでしかなかった。

二〇〇一年には、アメリカ人の六六パーセントが無神論者を好ましくないと考えていたが、イスラム教徒にたいして同じように感じる人は三五パーセントだった。同様に、アメリカ人全体の六九パーセントは、家族の一員が無神論者と結婚するのは不快である、または受け入れられないと言い、一方、白人のアメリカ人のうち四五パーセントは、家族の誰かが黒人と結婚することに関して同じ意見をもっていた。アメリカ人は、共和国政府には宗教的な基盤が必要だとする建国の父たちの見解に同意しているようだ。だからこそ、神と宗教をあからさまに否定する意見を受け入れるのは難しいと考えるのである。」

※もちろん、意識調査にすぎないというバイアスはありえる。

 

P149「しかし、彼らは本当にキリスト教徒としての信仰をもち、その教えを実践しているのだろうか?かつての信心深さは時代とともに薄れ、消滅さえし、反宗教的とまでは言わずとも、まったく世俗的で非宗教的な文化に取って代わられたのではないか? 世俗的、非宗教的といった言葉は、アメリカの知識人や学識者およびメディアのエリート層には当てはまる。しかし、これまで見てきたように、それらはアメリカの一般大衆をあらわすものではない。アメリカ人の信心深さは絶対的な尺度からすればいまでも高く、似たような社会とくらべても高いだろうが、時代とともに宗教にたいするアメリカ人の関心が衰えていけば、世俗化という論点もまた有効になるだろう。

しかし、歴史的にも、二十世紀末にも、そのような衰退の徴候はほとんど見られない。唯一、生じたと思われる重要な変化は、一九六〇年代と七〇年代にカトリック教徒の宗教への関心が急激に減ったことだった。」

P155-156「アメリカの市民宗教は特定の宗派にはこだわらない国教であり、明確な表現のなかでは、あからさまにキリスト教とはされてはない。しかし、その起源、内容、前提、および気質において、それはまぎれもなくキリスト教なのだ。アメリカ人がその貨幣において信ずるという神は、キリスト教の神を暗示している。ただし、市民宗教の声明や儀式のなかに二つの言葉はでてくることはない。それは、「イエス・キリスト」である。アメリカの信条が神抜きのプロテスタンティズムであるように、アメリカの市民宗教はキリスト抜きのキリスト教なのである。」

 

P198「ナショナル・アイデンティティの重要性の衰えは、一九九〇年代に多くの専門家によって指摘された。一九九四年にアメリカの歴史と政治学を専門とする十九人の学者が、一九三〇年、一九五〇年、一九七〇年および一九九〇年のアメリカ人の統合レベルを評価するよう依頼された。一が最高の統合レベルをあらわすものとして、一から五までの尺度を使ってこれらのパネリストが評価したところ、一九三〇年は一・七一、一九五〇年は一・四六、一九七〇年は二・六五、そして一九九〇年は二・六〇だった。」

 

P217-218「一連の調査では、八一パーセントから八四パーセントの人がテストにもとづいた能力を選び、一〇パーセントから一一パーセントが優遇措置を選んだ。」

※リプセットによる指摘で、一九七七〜八九年までのギャラップ調査の結果から。

P218「「黒人などマイノリティの地位を向上させるために、できるかぎり努力すべきである。それが彼らに優遇措置を与えることを意味したとしても、そうすべきだ」

この二度の調査(※ギャラップの87、90年の調査)では、世論の七一パーセントおよび七二パーセントはこの提案に反対し、二四パーセントが賛成した。黒人では六六パーセントが反対で、三二パーセントが賛成だった。同様に、一九九五年の世論調査で、「雇用と昇進および大学の入学許可は、人種や民族性ではなく、厳密に優秀さと資格にもとづくべきかどうか」と質問すると、白人の八六パーセント、ヒスパニックの七八パーセント、アジア系の七四パーセント、黒人の六八パーセントはそれに賛成した。……ジャック・シトリンは一九九六年に証拠を再吟味して、こう結論した。

「要するに、集団としての平等と個人の能力とのあいだの選択として問題を位置づけると、アファーマティブ・アクションに勝ち目はない。アメリカ人の大多数は、どのグループを援助しようとするものであっても、あからさまな優遇措置は拒否するのである」」

※1980年代末に優遇措置に対する幅広い反対(白人による訴訟を含む)が起こったという(p219)。

 

P221-222「二〇〇三年にブッシュ政権は、ミシガン大学の学部とロースクールへの入学許可から人種という要素を排除すべきだと主張し、人種の多様性という目的は別の手段によって追求すべきだとした。六対三の票差で、最高裁はマイノリティの入学志願者に自動的に二〇点(一五〇点満点で)を加える措置を無効とした。だが、一九七八年のバッキ事件以来、人種と高等教育に関する最も重要な決定に関して、最高裁ロースクールの入学については人種を考慮すべきだと認めた。バッキ判決におけるルイス・F・パウエル・ジュニア判事の論拠を支持した、五対四の票差による判決だった。

オコーナー判事はこう主張した。すなわち、ロースクールに入るための手続きは「狭き門の典型であり」、また「大学が多様な学生で構成されていることは国益として必要不可欠であり、したがって大学の入試に人種を考慮することは正当化しうる」。……

全体として、その判決は、『ニューヨーク・タイムズ』の社説が歓迎したように、「アファーマティブ・アクションの勝利」と見なされた。それは、アメリカの支配者層にとっての勝利でもあった。」

P223「二〇〇一年に、ヒスパニックの八八パーセント、黒人の八六パーセントを含む一般大衆の九二パーセントは、大学の入学者選抜や就職にさいして人種を利用し、マイノリティにより多くの機会を与える要素とすべきではないと述べた。最高裁の判決がでる数ヶ月前に、マイノリティの五六パーセントを含めて一般大衆の六八パーセントが黒人への優遇措置に反対し、その他のマイノリティにたいする措置には、さらに多くの人が反対した。結果として、五人の裁判官が支配者層の側につき、四人はブッシュ政権と大衆の側についた。

ミシガン大学の訴訟がくりひろげられるなかでアメリカ人は、国として人種を差別すべきでないのか、人種を意識すべきか、すべての人の平等な権利を基準に組織すべきか、それとも人種、民族および文化グループごとの特別な権利にもとづくべきかをめぐって、深く対立したままだった。この問題の重要性を評価しすぎることはまずないだろう。」

※なぜエリート層がアファーマティブ・アクションを支持するのか。

 

P239-240「二〇年以上にわたり、英語を支持する、あるいは二言語教育に反対する議案が一般投票で可決されなかった例は、二〇〇二年にコロラド州で二言語教育を停止するイニシアティブが五六パーセント対四四パーセントで却下されたときだけだった。このような結果になったのは、二言語教育支持の資産家が土壇場で多額の資金を注ぎこんだためだった。これらの資金はコロラド有権者の反ヒスパニック感情をあおるために使われ、二言語教育を打ち切れば「教室で大混乱」が起こり、「知識不足の移民の子供たちが大挙して普通学級になだれこめば、悲惨な状況」になると警告したのである。こうした事態を予測してコロラド州有権者は、教育の場でのアパルトヘイトを承認することにしたのである。」

P246「ある総合的な研究で、シャーロット・アイアムズは一九〇〇年から一九七〇年までの読本の内容を分析し、それを「国についての言及なし」から「中間的」、「愛国的」、「ナショナリズム的」、「狂信的な愛国主義的」までの五段階で評価した。一九〇〇年から一九四〇年までは、中学校の読本の内容は愛国的からナショナリスティックなものにまたがっており、一方、小学校の読本には愛国的な内容は皆無に近い状態だった。ところが、「一九五〇年代から六〇年代になると、ほとんどの教科書は小学校、中学校のいずれでも中間的からやや愛国的な内容になった」。この変化は「子供たちに共通の歴史と共通の政治観を与えるために意図された戦争関連の話が徐々に減ってきたこと」かが明らかにわかった。」

 

P258-259「この功績は過去のいかなる社会にも類を見ないようなものだが、その根底には暗黙のうちに交わされた契約があり、ピーター・サランはそれを「アメリカ式の同化」と名づけた。この暗黙の了解によると、移民がアメリカ社会に受け入れられるのは、英語を国語として受容し、アメリカ人としてのアイデンティティに誇りをもち、アメリカの信条の原則を信じ、「プロテスタントの倫理(自力本願で、勤勉、かつ道徳的に正しいこと)にしたがって生きていればこそだった、とサランは主張する。この「契約」の具体的な表現については、人は意見を異にするかもしれないが、その原則は一九六〇年代にいたるまで何百万もの移民をアメリカ化するなかで現実化したものの核心を突いている。

同化の最も重要な第一段階は、移民とその子孫がアメリカ社会の文化と価値観を受け入れることだった。」

P286「アメリカの教育はときとして生徒を無国籍化させる効果もあった。一九九〇年代初めにサンディエゴの高校生を調査したある研究によれば、高校で三年間を過ごしたのち、自分を「アメリカ人」だと考える生徒の割合は五〇パーセント減少し、アメリカに帰化した人間だと考える生徒の割合も三〇パーセント減って、他国の国民性をもつ人間(圧倒的にメキシコが多い)だと考える割合は五二パーセント上昇した。」

※謎のパーセント増での指摘。

 

P381「アメリカ人がもつ国への帰属意識は、二十世紀末にかけて強まったようだ。「何にも増して」帰属している領土的存在は、地元または町、州または地方、国全体、北アメリカ大陸、世界全体のうちのどれかと聞かれ、アメリカ全体を選んだアメリカ人の割合は一九八一年から八二年は一六・四パーセントだったが、一九九〇年から九一年には二九・六パーセントになり、一九九五年から九七年には三九・三パーセントになった。国を一番に選んだアメリカ人の二二・九パーセント増という数字は、世界各国のナショナル・アイデンティティの平均的な増加である五・六パーセントや、先進国の三・四パーセントをはるかに上回っている。アメリカの財界や知識人のエリートのあいだでは、自分が帰属するのは世界全体だと考え、自らを「地球市民」と定義づける人が増えていたものの、アメリカ人全体はますます国にたいして献身的になっていたのである。」

 

P435-436「白人のエリートはアメリカの主だった組織をすべて支配しているが、エリート以外の数百万の白人は、エリートとまったく異なった考えをもっている。彼らには自信も安心感もなく、人種間の競争では、エリートによって優遇され、政府の政策の援助を受けた他のグループに負けはじめていると考えている。そうした損害は現実にこうむっていなくてもかまわない。ただ彼らの心のなかに存在し、新興勢力にたいする恐れと憎しみをかきたててくればいいのだ。

たとえば、一九九七年に白人を対象として行なわれた全国調査では、黒人はアメリカ人の四〇パーセント以上を占めると考えている人が一五パーセントおり、三一パーセントから四〇パーセントのあいだと答えた人は二〇パーセント、二一パーセントから三〇パーセントのあいだと回答した人が二五パーセントいた。つまり、白人の六〇パーセントが、黒人はアメリカ人の二〇パーセント以上だと考えていたのだ。実際には、当時、黒人は一二・八パーセントを占めるだけだったのだが。」

※これは解釈が難しい。実際に五人に一人の黒人と接しているアメリカ人も相当数いることが想定されるから。統計上の割合と住地域における割合も加味すべき議論。

 

P459-460「エリートと大衆の違い、大衆の希望と法律化された政策とのあいだの差異を大きくした。多岐にわたる問題に関して、世論の変化が公共政策における同様の変化となって現われたかどうかを調査したある研究では、一九七〇年代には世論と政府の政策に七五パーセントの一致が見られたが、それ以降着実に低下して一九八四年から八七年には六七パーセントに、一九八九年から九二年には四〇パーセントに、一九九三年から九四年には三七パーセントになった。この調査報告の執筆者はこう結論した。「総合的に見ると、一九八〇年から持続的なパターンが見られることがわかる。世論の反映度は一般に低く、ときとしてそれがさらに低下し、クリントン政権の最初の二年間には特に低かった」。したがって、クリントンをはじめとする政治指導者が「大衆に迎合していた」と考える根拠は何もない、と執筆者は言った。」

※別の類似調査におけるアナリストの見解は、「一般のアメリカ人が、国際問題においてアメリカがはたすべき正当な役割だと考えるものと、外交政策の立案を担当する指導者の見解とのあいだに、懸念すべき差異が広がっている」

P462政治に対する大衆の信頼度はベトナム戦争後顕著に減少している

 

P476-477「一九八七年から九七年のあいだに、アンドリュー・コートらが示したところによると、神が存在するのは間違いないという考えに「強く賛成する」アメリカ人の割合は一〇パーセント以上増えた。さらに、最後の審判の日には必然的に自分の罪を償わなければならず、神は今日の世界に奇蹟を起こしたもうたのであり、祈りは日々の生活の重要な一部であり、善悪を区別する明確な指針はどこでも誰にたいしても当てはまるという考えに、彼らは賛同する。こうした賛同者の増加はすべての主要な宗派において見られた。福音派、主流派、黒人のプロテスタントカトリック、そして非宗教的な人のあいだですら、そのように考える人が増えた。アメリカが攻撃されたあと、二〇〇二年にはアメリカ人の五九パーセントが、黙示録の終末論的な預言は現実に起こると信じていた。」

P478「一九九〇年代には、アメリカ人は宗教がアメリカの社会生活においてより大きな役割をはたすことを圧倒的に支持していた。一九九一年のある調査では、子供が学校内で祈り、任意の聖書の授業にでて、任意のキリスト教徒会の会合を開くのを許可することに、回答者の七八パーセントが賛成だった。六七パーセントほどの人は、公共施設内でキリスト降誕に場面やユダヤ教の大燭台を展示することに賛成だった。七三パーセントはスポーツの試合の前にお祈りの時間を設けることを認めていた。七四パーセントは公職の就任宣誓で神についての言及を禁じることに反対だった。」

P479「一九六〇年代には、アメリカ人の五三パーセントが教会は政治に関与すべきでないと考えており、四〇パーセントがそれを容認していた。一九九〇年代半ばになると、その比率は逆転した。五四パーセントの人が教会は政治および社会問題で自由に発言すべきだと考えており、四三パーセントがそうすべきでないとしていた。」

P481「ジョゼフ・コビルカ研究をもとにした、ケネス・ウォールドの入念な分析によれば、一九四三年から八〇年のあいだに、政教分離問題に関連して最高裁で争われた二三の裁判のうち、一三件は分離を支持する結果となり、八件は政教融和的なものに、そして二件は中間的なものとなった。一九八一年から九五年のあいだには、そのバランスは劇的に変化した。合計で三三回の判決のうち、一二回は分離的、二〇回は融和的、そして中間的な判決が一回となった。」

 

P485「第二に、一九九〇年代末は好景気であり、外国からの深刻な脅威がなかったため、道徳問題が政治的な駆け引きにおいて中心的な役割をはたすことが可能になり、その状態が選挙までつづいた。一九九八年三月の調査で、一般大衆の四九パーセントがアメリカは道徳的な危機に直面していると答え、さらに四一パーセントの人が道徳の荒廃は深刻な問題だと述べた。一九九九年二月に、この国が直面している問題として、道徳問題と経済問題のいずれをより危惧しているかを尋ねたところ、アメリカ人の五八パーセントは道徳問題を選び、経済問題を選択した人は三八パーセントだった。

二〇〇〇年には有権者の一四パーセントは妊娠中絶を最大の問題とし、学校での祈り、信仰にもとづく慈善への政府支援、および同性愛者の権利もやはり重要事項となっていた。ある評者はこう述べた。一九九二年とは異なり、「もう経済ではないんだ、ばか者」。道徳への懸念は宗教に関心を集めた。選挙直後に実施された世論調査で、アメリカ人の六九パーセントは「アメリカ国内で家族の価値と道徳的行動を促進する最善の方法は、宗教をもっと取り入れることだ」と答え、七〇パーセントの人はアメリカ国内で宗教の影響力が高まることを望んでいた。」

P486「要するに、民主党の活動家は一貫して宗教的活動と献身度のレベルが低く、一方、共和党の活動家の宗教とのかかわりは二〇年のあいだにいちじるしく増大した。宗教をめぐる新たな「大きな溝」が出現したのだ。」

P503国への誇りと神の重要性について、国別の相関

※神の重要性が高いほど、国を誇りに思う人も増える相関が見られる。