全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その1

 今回は片岡徳雄のレビューの際に宿題としていた、全生研のベーシックな著書を読みときながら、「集団主義教育」についての考察を行っていきたい。
 本書に加えて、全生研の主要な論者の一人である竹内常一「生活指導の理論」(1969)も合わせて読んだ。こちらの内容も理論書としては力作であり、本書の議論と力点が異なる所もあったため、両者を比較しながら、集団主義教育の特徴を5点ほどにまとめて押さえていきたい。なお、文章の分量の問題で、読書ノートは別記事で掲載する。

1.「集団主義教育」が「集団のちから」を介した主体論の必要性を説く点について
 本書ではP50−52あたりで指摘されている。竹内も同じ認識で集団のちからについて言及する。

「(※大西忠治による)香川報告書のこの視点(※集団成員の間に矛盾があり、たえず、討議とその結果による相互規制が行われることを集団主義教育の原則に据えたこと)からの集団把握は、宮坂(※哲文)の心情主義的な集団把握とも、エヒメ集研の機械論的な集団把握とも異なっていた。香川報告書の学級集団づくりのイメージは、「個人の矛盾をかきたて、人間評価が常に行なわれるために、「個人にたいする集団の批判会——つるしあげに似たもの」ということばが示すように、集団と集団、集団と個人、個人と個人との対比を激化させるなかで、集団のちからを確立しそのちからの多様な表現と行使を教えていくことが学級づくりの訓練的内容であるとしたのであった。だから、香川報告書はエヒメ集研に欠落していた集団の発展段階を集団のちからの発展段階ととらえ、それを仲間づくりの心理的人間関係の発展段階に対置していったのである。」(竹内1969,p91)
「宮坂は、最後まで、香川生活指導研究会の提案した「討議づくり」を拒絶した。すなわち、集団を物質的存在とみなし、集団のちからを物理的、精神的なちからとみなし、討議をとおしてそのちからを集団の内と外に発揮することによって子どもたちに集団のちからについての自覚を教育しようとする「討議づくり」の構想に反対した。」(同上、p91)

 簡単に説明してしまえば、「集団のちから」とは、「純粋な否定の態度を示す相互行為」に対して与えられた言葉であるといってよいのではないかと思う。ここには「集団のちから」を介さないような、むしろそれを押さえつけるような教育への批判が前提に近い形で存在している(本書p21)。

「子どもは教師またはカウンセラーの援助をえて、欲望抑圧の自我をすて、欲望肯定の自我を組みたてるように導かれる。カウンセリングやヒューマン・リレーションズは、このことによって子どものなかに現状肯定的なものの見方・考え方・感じ方を育て、体制への順応をうながすのである。
事実、カウンセリングやヒューマン・リレーションズによって健全なパーソナリティーがつくられると、子どもは外的世界にたいして肯定的見解をいちじるしく示し、外的世界にたいする批判的精神や抵抗的態度を喪失するようになることは、今日では広く認められている事実である。」(竹内1969,p356)

 「集団のちから」を生かすために教師の役割として期待されるのは、まさしくこのようなちからを積極的に産出していくことにある。素朴な状態にあっては現われてこないような子ども間・集団間の対立関係を表出させながら、自己主張を展開していけるような主体形成を期待している。これは時には旭丘中学校のケースのように、わざと教師から理不尽な要求を突き付け、それに抵抗させることによってもなされるようなものであるといえる(cf.竹内洋「革新幻想の戦後史」p235)。
 このような教師の役割については、過去にレビューしたルネ・ジラールの模倣論を介した学校教育論として読むことと基本的には同じかと思われる。「地下室の批評家」のレビューですでに述べたが、一見するとジラールのいう「悪い模倣」の欲望を積極的に引き出し、主体間で闘争状態を引き起こすのである。ジラールの「悪い模倣」の場合は、これが無秩序状態に繋がり殺戮といった悲劇を引き起こすものと位置付けられていた訳だが、全生研の取り組みはこのような模倣論を積極的に取り入れ、なおかつ「教師」がこの闘争状態を適切にコントロールしながら、子どもの主体化を促進していくのである(※1)。

2.教科指導と生活指導の原理は分けて考えなければならないと主張される点について。
 これも全生研、竹内両方の主張点として一致している。本書ではP200⁻202あたりで主張されている。竹内は次のように述べている。

「生活集団、というよりは自治集団(訓練的集団)のばあいは、生徒集団は教師の指導をのりこえて集団の自己指導をつくりながら、集団のちからと自覚を集団の内外に表現していくことが中心のテーマであった。ところが、学習集団の自己指導は、科学的な教科内容を伝達・教授する教師の指導をのりこえて前にすすむことはふつうできない。同様に、学習集団による自主管理もまた教師の管理をこえて展開されるべきではない。なぜなら、学習集団の自主管理を全面的に認め、教師の管理のいっさいをこれにかえしてしまうとすれば、まず第一に学習集団の管理権の発動と教師の教科内容の指導とがいたるところで衝突しあい、教授=学習の過程が系統的、計画的に展開されず、いたるところで分断されることになるからであり、第二に、自主管理のしごとをしている生徒が学習に全力をあげてとりくむことができなくなるからである。」(竹内1969,p472-473)
このような議論の正当性は、まずもって「教授学的教科指導のための学習集団は、ちょうど科学と芸術が生活のなかからうみだされながらも生活現実そのものではないのと同じく、また、科学的主体・芸術的主体は社会的実践主体からうみだされながらも社会的実践主体の痕跡をのこしているにすぎないのと同じように、生活集団からうみだされながらも、生活集団の痕跡しかもたぬ特殊的に組織された集団だというのである。」(竹内1969,p470)のような関係性から導かれているように見える。また「学習集団の自己指導と自主管理とは、教師の学習集団にたいする指導と管理を最後まで基礎とし、最後までそれと並行してはたらくのだということになる。」(竹内1969,p473)という含みで「学習集団の自己指導と自己管理を認めないということではない。」と言う。要は生活集団による主体性が確保できていれば問題ない、ということである。

 また、この教科指導と生活指導という棲み分けの必要性を議論する際に、この両者が混同されることによる弊害について議論している点も無視できない。つまり、本書p199にあるように、「教科内容を宗教的、道徳的、政治的イデオロギーによって歪曲され」る修身教育体制や、「「生活」教育体制においても、教科指導は、その根拠である教科の体系を生活経験、生活問題のうちに解体させられる」ような、経験主義教育の弊害について指摘するなかで、教科指導の「科学・芸術」性について主張されているという点である。

「これをいいかえれば、自己理解をすすめ、自己実現を展開していけば、その自己実現はそのまま客観的世界の法則を現成していくものであるということになる。つまり、おこないすませば、客観的真理を体現しうるのである。だから、学習指導が生活指導を媒介にしたとき、はじめて真の学習指導になるというのは、それが生活指導を媒介にしてはじめて客観的真理を体得させうるからである。これが真の学習指導の意味であった。宮坂にとっては、教科指導は生活指導をへなければ、客観的真理を体得させることはできないのである。客観的真理への道は学習指導によってではなく、生活指導によって保障されるのである。なんと宮坂の学習指導論が科学から遠く離れていたことか。」(竹内1969,p58-59)
「道徳と知識、人格と知性とが未分化なまま混同されている日本の教育のなかにあって、それを批判することなしに生活指導——人格の指導の側から教科指導との統一を求めることは、両者の混同をいっそう拡大することになるだけである。」(竹内1969,p482)

 全生研の著書においても、ここまで明確な記載はなかったように思うが、概ねこのような竹内の言い分を支持している節があるとみなしてよいように思う。結局、「道徳と知識」が未分化であることと、本書p199でいう「知育としての性格の喪失し訓育化して」いることは同じ状況と言ってよいのではないか。P209にあるように、生活指導と同じような自治的集団の想定をしてしまえば、学習に集中できない、という言い分は、まさに「科学・芸術」の阻害要因として道徳・管理を挙げているからである。全生研の著書では資本主義批判の文脈でこの指摘がされ、竹内の著書ではより純粋な指導論の中から指摘がされていると違いはあれど、教科指導の正当化の論理は同一であるように思える。

 ところが、教科の正当性として語られる「科学・芸術」というのが真の意味で妥当なのかどうか、といった議論は全くなされていない(※2)。これはそのままこれらの言葉で教科教育を正当化することができるのかという疑念に繋がる。それは結局訓育的指導とは異なるものとして位置付けなければならないという「否定の論理」ありきの、内容のない議論に見えてしまうし、更には素朴に必要であると考えられている教科指導に対して、それが子どもたちの議論を経ることなく教えられなければならないという結論ありきの、一種の暴力的な議論にさえ見えてしまう。これは結局「集団のちから」が否定の論理に基づいているちからであるため、教科指導のような教えられるべき知識に対してまで「否定」させてはならない、という要請でしかない。しかし、その「教えられるべき知識」とは何かが全く見えてこないというのは、合わせて「学習指導要領」批判に対する問題点も含みうる。結局学習指導要領批判の要点は、その固定的性質が実際の子どもに教える現場レベルでは学習指導の阻害要因になる、という点に尽きるかと思うが、ここでいう「固定的」なものとは何かを深く問わないということ、逆に言えば、「教えられるべき知識」に対する蓄積が不在なのではないか、という点である。「科学」という言葉は明らかに普遍性を含み、その体系性の強調も一義的な教育内容を想定した言葉である。本来であればそのような議論も含めて教科指導について語られなければならないように思うが、本書及び竹内の議論では、生活指導中心の議論をしているため、そもそも教科指導が付随的な位置付けとなっているためかもしれないが、あまり語られることがないのである。

3.「管理主義」に対する両義的な捉え方について
2.で述べた資本主義批判と生活指導批判が「教科指導」の正当性擁護という論点において奇妙に類似していることにも関連するだろうが、本書及び竹内が議論する「管理主義」というのは、見方によっては明らかに矛盾した捉えられ方をしている。これも重要な集団主義教育の性質だろう。本書p199に見られるように、管理主義教育に対して否定的であることは明らかである。しかしp71⁻72に見られるように、子どもたちの集団づくりの一環の中で、教師の管理から子どもたち自身による管理へ、という段階論が、全生研の集団主義教育にははっきり位置付けられている。ここでは、段階論による説明、及びその管理の性質自体が子ども自身が納得し引き受ける限りにおいて正当化されている事実を押さえねばならない。

 しかし、まず確認せねばならないのは(そして恐ろしくさえ思えるのは)、竹内が結局望ましい生活指導とは、管理主義教育と同じ押しつけでしかないのではないか、という疑念に対しても否定し、むしろそのような考え方自体が排除されなければならないかのような言い方をしている点である。これは、竹内自身の論法が主観的でしかないという可能性についてあらかじめ否定してしまう論法にほかならず、何ら生産性を見出せないのではないか。

「教師は、子どもの生活現実を知っていくなかで、子どもの生活現実についての自分のとらえ方を子どものそれに対置し、そのことによってどちらのとらえ方の方がより現実的であり、より価値的であるかを争うのである。教師は、このことによって、子どもの生活認識、生活感情をくみかえ、子どもの行為を変革していくのである。教師は、このことによって、子どものなかに指導を入れ、子どもの自主的判断をきたえ、自主的行為を高めていくのである。
このようにいうと、そのような指導は教師のおしつけではないかと考えるひとがいないでもない。しかし、そのように考えるひとこそ、じつは子どもの自主性を認めていないのではないか。現実の子どもは教師の指導が正しいと信ずるまでは、絶対にその指導に服さないものである。だから、教師は、子どもたちと現実変革の可能性について、子どもたちの力量について争うのである。この争いのなかで、教師が論理的にも、感情的にも子どもを説得しえたとき、教師の指導ははじめて子どもの内部にはいることができるのである。」(竹内1969,p351-352)
「このようにのべてくると、そのような考えかたこそ、指導と被指導との関係を支配と被支配の関係にしてしまうものではないか、という反論がかならず提出される。しかもその反論はもっともヒューマニスティックなひとから出されることが多い。たしかに、要求としての「指導」は断固として要求を提出し、その要求を貫きとおし、集団を説得しつくそうとするものである。いやそうするほかにすべのない指導である。そのために、要求としての「指導」は集団を支配するかのようにみえる。しかし、そうではない。要求としての「指導」は要求を貫きとおし、集団をある意味で支配しえたとき、指導と被指導の関係を民主的関係に発展させる。少なくとも指導が集団の要求を先どりしえたばあいにはそうなる。いや、そればかりか集団はその時点の指導をのりこえて前進する。そのことによって指導もまたその個人的性格をのりこえるのである。そのとき、指導は指導と被指導にまとわりつきがちな支配的性格を払拭できるのである。」(竹内1969,P392)

 更に言えば、ここで正当化されようとしている「子どもの自主性」を語るにあたって、それまで批判していた「管理主義」批判の論点さえもずらしてしまっていることに自覚が浅い。ここでの引用(及び全生研の主張)では、結局「子どもが自発的に従えば」その管理性は正当化されるという主張がなされている訳だが、そもそも「管理主義」批判にあたりはじめに述べられていたのは、それがあくまで「教育する側から一方的に与えられる」ものであることに対して向けられていたはずであり、教育の受け手(子ども)の態度がその指導に対してどうなろうが批判の対象だったはずなのである。
 このような歪みの原因はもちろん言及されないが、ほとんどはっきりしているように思える。結局「資本主義批判」等にはっきり示されるように、体制側の教育は必然的に悪であることと、自らが正当化しようとする教育の善悪についての基準が、ダブルスタンダードであることに(少なくとも言説上は)気付くことができていないことに起因していると言ってよい。見方を変えれば、絶対的に批判されるべき資本主義体制というのは、その問題点となりうるものを解除しながら維持することに何の問題もないと(少なくとも本書での主張に限れば)みなせるにも関わらず、それを排除してしまっているということである。
 これはある意味苦肉の策だという見方も可能であり、そう考える方が自然だろう。つまり、「管理主義」はやはり悪であるが、それは子どもを正しい方向へ導くための「臨時的」なものとしては採用されなければ、「望ましい」自治的集団を育成することは不可能であるということをよく理解しているからこそ、正当化されるのである。このような見方は本書のp61に示されるような問題意識により成立する。竹内は次のように指摘している。

「つまり、香川報告書は、仲間づくりの集団の発展段階を逆立ちさせ、仲間づくり論が最初の段階とした解放の集団づくりの最終段階に位置づけたのであった。なぜなら、香川報告書の集団観にしたがえば、現実の集団は対立し矛盾する二つ以上の集団なちからから成っているからである。仲間づくり論はこの現実の集団の力関係を捨象し、心理的、人為的に情緒的許容の雰囲気をつくっているにすぎないというのであろう。むしろ、解放の段階は、これらの矛盾する集団のちからの対立・抗争を発展させることをとおしてはじめてかちとられるものであるというのであろう。」(竹内1969, p91-92)

 集団主義教育は自然に成立するものではなく、何より教師の指導、そしてそれに基づく管理が必要なものと捉えられていた。ここでいう「解放」というのはそのような管理の段階を経て成り立つものとみなされていた。
しかし、このような見方が二重の意味で問題含みであることを深く自覚しない限りは、このような展開に意義を見出せないのではないかと思う。つまり、「臨時的」な性質について、生活指導の段階論を唱えることで正当化するが、その段階がどのような状況において進めてよいものなのかの基準が主観的なレベルにとどまっていることと、「望ましい」自治的集団についても、後述するように無自覚的な部分を本書では明らかに含んでいることに向けられる点である。この基準こそが、まさに彼らが批判の対象とする「資本主義批判」との区別たらしめるものである。それが「実際の状況として」区別できるものとなっている場合に、初めて批判が批判として有効に機能していくのである(※3)。大久保正廣(2010)が実証的側面でこの問題を捉えようとしたのも、まさにこのような「望ましい」状況が機能していない状況にあった訳だが、そもそもそのような状況すらあまり吟味されていない可能性も合わせて問題点として指摘できるのではないだろうか。

4.竹内常一の「個人主義」観における極端な態度について
 しかし、何故このような態度を取ってしまうのか、という問いも考えなければならないように思う。結局集団主義教育論者というのは、外部からの管理について悪であるとみなしながらも、そうせざるを得ないという状況の下で議論しているとみなすことができた。ここで押さえておきたいのが、竹内常一の「個人主義」観についてである。竹内の個人主義観は、本書のp78などで用いられる個人中心の捉えかた、という議論と同じであるといってよい。

「しかし、これらの解放理論はあくまでも個人主義的、自由主義的立場にもとづいていたために、これらの解放はひとりひとりの子どもの個人的生活態度の形成のためのたんなる前提条件、外的条件としてのみ要求されているだけであるといわれる。だから、これらの解放のあとで展開されるものは、個人的生活態度の形成のみで、集団的生活態度の形成はまったく問題にされないという。」(竹内1969,p132)
個人主義的発想にたつと、集団の弊は個人の自由意志に還元されるのだから、集団の弊をとりのぞくために個人攻撃をおこなうことになり、個人の人格非難をも辞さないということになる。」(竹内1969,p260)

 文字通り、「個人主義」とは、「個人」の態度に還元されるものであると解釈し、そこには「集団」に対する視点が欠落している、という一見わかりやすい解釈をもって個人主義を批判していることがわかる。そしてここから個人主義教育では社会的存在としての子どもを育てていくことができない、という結論を導いているかのように、集団主義教育の重要性を訴える。

「これにたいして訓練論的生活指導は、子どもを社会的存在とみなす。それは子どもが社会生活のなかで社会と緊張関係をはらんだ社会的実践主体として自立していき、社会的実践主体として社会生活の客観的必然性そのものを推進させるようになっていくことを子どもの成長発達とみなす。そして、それは子どもが社会的存在として確立していくときはじめてまた個人としても自立していくのだととらえる。だから、それは、子どもの自由意志や人間的欲求はそれ自体として絶対的な価値をもつものとは考えない。」(竹内1969,p288-289)

 このような個人主義観自体がいかに教育や社会問題を語る上で存立しているのかにも今後注意を向ける必要があるだろうが、差し当たり竹内のいう「個人主義」というのは、「個人が第一であり、それ以外の要素は排除される」性質のものと捉えられているといって間違いない。このような個人主義観は「私的所有の承認」をめぐる議論に留まるのであれば正しいといえるかもしれないが、「個性の尊重」を含むものとして捉えるものであるとすれば、このような批判は成立の余地がないようにさえ思える。
 ここで議論されるべきは個人主義における排他性である。これは特に竹内p260にあるような「利己主義」的解釈を行うような場合においてみられるものと、竹内p132に見られるような個人のみに目がいくことによる社会への批判や集団性の意義を無視してしまうという態度を形成してしまうという問題の2点が問題点となりうる。

 まず、利己主義への疑念についてだが、これは個人主義に対する見方の問題も大いに関係する。竹内が想定するような個人主義観からは、個々人が争い、自らの正当性のみを取り扱い、その強弱によって強い個人が勝利し、弱い個人が敗れる、という二者択一の態度をとることになる。しかし、このような態度からは、個人の尊厳を尊重するという観点を見出すことはできない。
 ここで取り上げるべきは、フーコーの「パレーシア」の議論だろう。フーコーはパレーシアを次のように、捉えていた。

「したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p18)

 このような自己にとっての「真理」の言明は、自己への配慮、自己に専心し、そこから語る必要のあるものであったという意味で、極めて個人主義的な発想に基づいたものであったといっていいだろう。しかし、このパレーシアの議論においては、全生研的な利己的な個人主義観は存立しえず、むしろそのように利己的に捉えようとすること自体が、ギリシャ・ローマ時代から見出されたパレーシアの概念がキリスト教の影響を受け、変化したことに一因があるとフーコーは指摘している。

「反対に現代社会では、ある時期から――それがいつからなのかを決定するのはたいへん難しいのですが――自己への配慮はなにやら疑わしいものになってしまいました。自己に気を配るということは、ある時期から、自己愛の一形式、エゴイズムや個人的な関心の一形式として、糾弾されるようになってしまったのです。それは他者にたいして、必要な自己犠牲とともに向けられるべき関心とは矛盾するものになってしまった。それはキリスト教の時期に起きたのですが、たんにキリスト教のせいだと言うつもりはありません。問題ははるかに複雑です。」(フーコーフーコーコレクション5」2006,p300)

「――自己への配慮が他者への配慮から解放されてしまうと、それは「絶対化」するおそれがないでしょうか。自己への配慮の絶対化が、他者にたいする権力の行使の一形態になり、他者の支配へと向かってしまうのではないでしょうか。
――いいえ、そんな危険はありません。なぜなら、他者を支配して専制的な権力を行使してしまう危険があるのは、ひとが自分に気を配らず、おのれの欲望の奴隷となってしまったときだけなのですから。それにたいして、あなたが立派に自己を配慮するならば、つまりあなたが何であるのかを存在論的に知り、自分が何をできるのかを知り、ポリスの市民であり家の主人であるということはあなたにとって何を意味するのかを知り、おそれるべきこととおそれるべきではないことをわきまえ、希望を持つべきことと完全に無関心であるべきことをわきまえ、そして最後に、死をおそれるべきではないことを知るならば、そのときには他者にたいする権力を濫用することなどありえません。だから危険はないのです。」(同上、p308-309)

 では、なぜこのような利己性がないものであると言えるのか。

「――ギリシャ人にとって、自己への配慮が倫理的であるのはそれが他者への配慮であるからではありません。自己への配慮はそれ自体で倫理的である。しかしそれはきわめて複雑な他者との関係を含んでいます。自由のエートスなるものは、他者に気を配る方法でもあるからです。だからこそ、立派に振る舞う自由人にとって、妻や子や家を統治できることはだいじなことなのです。それは統治の術でもあるのです。第二に、自己への配慮によって、ポリスや共同体や個人間の関係において、――執政官の権利を行使するとか、友人関係をつくるなどといった――しかるべき地位をしめることができる、という意味においても、エートスは他者との関係を含んでいます。そして最後に、自己に正しく気を配るには、師の教えを聞かなくてはならないという意味においても、自己への配慮は他者関係を含みます。」(同上,p305-306)
ギリシャ人にとって自由とは、非奴隷状態——いずれにせよこの自由の定義は、現代人のとはずいぶん違うものですが――を意味していたわけですから、すでに問題は完全に政治的なものであると思います。他者にたいする非奴隷状態はひとつの条件でもあり、奴隷は倫理を持たなかったのですから、問題は政治的なのです。……自由であることは、おのれやおのれの欲望の奴隷ではないことを意味しています。」(同上,p305)

「自己嫌悪し、起こるかもしれない出来事をたえず心配する場合にも、また反対に自己を愛し、快楽に執着してしまう場合にも、自分自身だけと過ごすことはけっしてできません。なぜ自分自身だけと過ごすことができないかといえば、それは自分自身に対して完全で適当で十分な関係を持つことができないからです。このような関係を持つことができれば、何ものにも依存することはありません。不幸のおそれにも、まわりで出会ったり手に入れたりする快楽にも依存することはないのです。自己嫌悪や過剰な自己執着によって、自分自身だけと過ごすことができないという不十分さにこそ、追従者はつけこみ、追従の危険が生じるのです。この非孤独、すなわち自己と完全で適当で十分な関係を打ち立てることができない状態に、<他者>は介入し、いわばこの欠如を埋め、この不適合を言説で置き換え、言説で埋めてしまうのです。この場合言説とは、真理の言説ではありません。真理の言説は、自己に対して行使する支配権を打ち立て、それによって自己を閉じたり塞いだりしてくれるものです。」(フーコー「主体の解釈学」2004,p428)
 これらの引用からわかることは、まずもって自己への配慮というのが「奴隷」にならないという自由行使の問題と繋がっているということであり、それが自他に共通して言えることであり、そもそも「奴隷」であるかないかというのが極めて対人的な関係性に基づいているということだといえる。このようなミクロな権力の作用についてはフーコーが永らくテーマにしてきたものであったが、「社会」のような枠組みの中ではそのような権力の作用がまさにあらゆる対人関係の中に作用しているのであり、そのような関係性の中において「自己への配慮」がいかに行えるかという問題をフーコーギリシャ・ローマといった古い時代の取り組みから捉えようとしていた、と見ることが可能である。この考えをそのまま適用するならば、そもそも、社会や国家といった枠組みにおいて「個人主義」を主張する場合、当然その『個人』の重要性はその社会・国家の成員全てに適用されるべきなのであり、個人間の搾取・排除が個人主義に含まれるという発想自体がすでに矛盾している、という見方も大いに可能であるはずである。全生研の立場からすれば、このような議論の可能性を最初から閉ざしているのである。

 さて、次に個人への着目が結局社会への批判や集団の意義を損ねるという論点についてである。これはこれまでのレビューでもフーコージジェクの主体論において、最終的に個人に主張点が還元されていたことについて、その主張が一個人の主張でしかない限り社会に対してそれを反映させるようなことは非現実的ではないのか、という問題点を挙げていた。この点は確かに理に適っており、フーコーもまたパレーシアの議論において、このことを捉えられていた。

「民主制において、パレーシアとは、一人ひとりが自分の意見を語り、自分の個人的な意思に適うことを語り、自分の関心ないし自分の情念を満足させることを語る気ままさのことです。したがって、民主制は、パレーシアが特権であると同時に義務であるようなものとして行使される場所ではありません。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p46-47)
「民主制における真なる言説の無力さは、もちろん、真なる言説に帰すべきものでも、言説が真であるという事実に帰すべきものでもありません。その無力さは、民主制の構造そのものに帰すべきものなのです。ではなぜ、民主制は、真なる言説と偽なる言説との分割を可能にしないのでしょうか。それは、民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができないからです。」(同上,p52)
「民主制のケースにおいて、パレーシアが受け入れられることも開かれることもなく、たとえパレーシアを用いる勇気を持つ者がいたとしてもその者は敬われるよりもむしろ除去されていたのは、まさしく、民主制の構造が、倫理的差異化を認めてそれに場を与えることを許さなかったからでした。民主制において真理が場を持たず、真理に対して耳が傾けられえないのは、民主制においてはエートスのための場が不在であるからです。反対に、〔専制的〕統治のケースにおいてパレーシアが可能であり有用であるのは、民主のエートスが君主による原則であり母型であるからです。」(同上、P79⁻80)

 ここでの民主制とは都市国家ポリスにおける政治を想定していたものであるが、民主制におけるパレーシアの問題とは「勇気」との関連でフーコーは捉えている。これは当然現在の国家枠組みの下でも同じことが言えるのであり、それは「自己への配慮」の実践が適切に政治に反映しない可能性があるということを示しているともいえるだろう。
 しかし、これも「個人主義」というのがそもそも社会により承認された考え方であるという前提のもとには状況が異なる場合もありえる。要するに、「法」によってそのような「個人主義=個の尊厳」が保障されているような場合には、その侵害は法により裁かれうるということである。「集団主義」の発想にはこのような観点が存在しない。集団主義は結局「集団のちから」なしには、個人を救うことはできないという大前提に立った見方を行っている。しかし、これは「法」が人権の保護を行う側面を持っている以上、全面的には正しくない。個人は法に基づきそれを個人として訴えることが制度上可能でありうる。それが機能していないのは、法が保護していないか、法が保護できないような何らかの力関係が働くような場合である。このような作用については、それこそフーコーのような権力観に立つ分析も必要だろうし、そのような検討の上でなければ、「集団性なしに政治はありえない」などとはいえない。

5.実例をもとにした集団主義の議論が「実態」を捉えていないことについて
これについては竹内の議論と全生研の議論は極めて異なったアプローチをとる。竹内においては、無着成恭の山びこ学校や旭丘中学校の実践を端的によい例として捉えているが、実態についてまじめに捉えようとしていないために、竹内の理論を都合よくあてはめ肯定的に解釈しているにすぎないものとなっている。また全生研においては、このような過去の有名な教育実践例についての言及はないものの、日常的にありえるような例を取り上げ、集団主義教育の実践の必要性とその進め方を指南する。

まず、竹内の取り上げ方を見てみると、次のように旭丘中学における集団主義教育を称える。

「たとえば、旭丘中学校のばあいもその出発は、これらの指導方針であった。生徒たちの自主性や要求によって生徒会活動が運営されるように、教師集団は生徒たちの自主的活動をこわすような管理主義的なものをいっさい排除していく方向をとった。こうしたなかで旭丘中学校生徒会は冬の教室内でのオーバー・手袋着用の許可を学校に求めたり、運動会、文化祭、図書館の自主運営を決定したり、教室にストーブをすえつけることを要求してその自治活動を進めてきた。……どんなに啓蒙開明的な学校運営であっても生徒の自治活動は、その枠内にはまりきらない。生徒の自治活動はその枠内に押し込められると、むしろその枠自体を拒絶し、地下に潜みかくれようとする。こうした事態に直面するなかで旭丘中学校教師集団は啓蒙主義的な生徒自治観と学校運営という枠を克服しはじめる。たとえば、教師集団は図書館の自主管理を逆に禁止することによって自己の啓蒙主義自治観をたち切ると同時に生徒集団の自己指導、自主管理の力量を高めようとした。また、教師集団は生徒会解散要求を生徒会全体の討議の対象にすえることによって、自己の啓蒙主義自治観を改め、生徒集団の力量によってこの提案を否定させようとしていった。」(竹内1969,p331)
「この人権問題(※旭丘中学生にたいする警官の不当な取り調べ)に教師がとりくんでいくなかでいわゆる旭丘中学校事件なるものが起こり、教師集団、生徒集団、父母集団が統一して自分たちの基本的人権を守るたたかいを展開していったのである。」(同上、p332)

 しかし、竹内が言うように旭丘中学校の集団主義教育が本当に成功していたのか、教師集団、生徒集団、父母集団が『統一して』闘争を行っていたかは、大久保正廣や竹内洋のレビューでみたように極めて微妙である。竹内常一集団主義教育において、特に「否定」のちからを引き出そうをしていた旭丘中教師の取り組み(生徒にとって理不尽な状況を無理やりにでもつくり出し、生徒たちにそれを否定させようとした実践)を評価していた点は明らかである。しかしそれが有効に機能していたかは別問題である。進歩的文化人と揶揄されるような人々が旭丘中の取り組みの実態を曲解し肯定的に捉えたのと同じように竹内常一はその実践を評価している。しかし、これは『実態を捉えていない』と言うべき語られ方である。そして、このような『実態を捉えていない』態度というのは、そのまま彼らが批判しているようなものにも当てはまりうる。竹内常一で言えば「個人主義批判」もその実態的側面からみて批判に値するのか、という論点を欠落させている可能性を考えたくなる、ということである。
 このような『実態を捉えていない』態度は違った形ではあるがそのまま全生研にも言える。これは集団主義教育の実践として班競争を捉える場合に致命的な問題を抱えた形で現われてくる。p106-107に注目すると、学級における「しごと」が列挙されている。

 ここで問題なのは二点である。一点目は「ここで挙げられている『しごと』なるものが本当に民主主義的観点や学習権的観点からみて適切な関連性が認められるのか?」である。まずもってその妥当性については本書で議論の対象とされていないし、美化活動といった取り組みを本当に児童が実践することで「民主的」教育に寄与するのか(それは清掃職員といった他者がやっていけないのは何故なのか)について議論しないことは、かえって児童を教師のいいなりにさせることにしかならないのではないのかという点である。ここで議論されているのは寄り合い的段階における取組であり、特に教師の管理が正当化されている段階にある訳だが、「児童にとって『やりがい』のあること」は「民主的であるかどうか」とはやはり無関係ではないのか?このような態度からやりがいがあれば何でもあり、といった態度にもなりかねないし、「学級でやらなければならないこと」はあくまで受動的に、その環境によって設定されるものでしかなく、その意義について不問に付されかねない。
 また、二点目として「仮に『しごと』が生徒にとって不要であるとして、この集団主義的実践によってその『しごと』を否定する余地はあるのか?」という点である。私にはこれをNOとしか見ることができない。何故なら、すでに班競争を行っている状況においては、児童はそのしごとにおいて「必要」であるから競争を行うのであって、その競争自体は「しごと」の必要性を強化することにしか寄与しない、としか私には思えないからである。可能性としては「しごと」においてビリ班となった児童がその「しごと」を嫌になる場合などがあるだろうが、これについても基本的には「民主主義的」観点からではなく「妬み」によるものでしかないし、その妬みを適切な実践に変えるような議論も本書では具体的に行っていない。確かに抽象的に言えばこの「妬み」も「否定」の力であり、それはそのまま「集団のちから」であるから理論的には実践への転換がありえるものの、本書においては「実態」のレベルにおいて、この道すじが全く議論されていないために、そのような転換の芽も摘んでしまうように思えてしまうのである。少なくとも本書における「しごと」の捉え方はそのような観点を排除するだけの素朴な議論しかしていない。結局本書が素朴な教育の実践現場しか想定していないために、「実態」のレベルを捉え損ねているのである。そのような「実態」のレベルを捉えることなしに、有益な実践は発展するように思えない。
 

 以上、本書と竹内常一の著書から集団主義教育の議論を捉えてみたが、総じて彼らが批判するような「個人主義」や「資本主義」が正当化されるだけの議論を行わないまま、集団主義教育を擁護しているという点は批判しなければならない点であろう。最も、このような集団主義教育自体が否定されるべき性質のものかと言われると必ずしも正しくない。「集団のちから」はそれ自体有効な主体形成の理論としての性格を持っているといってよい。問題なのは「問題を解決するのは集団のちからでしかない」という態度であり、そのような態度により排除されてしまう議論が存在することである。


 最後に本書を読むきっかけになった片岡徳雄編(1975=1998)のレビューで保留した集団主義教育批判との関連について述べておきたい。片岡編のレビューでは、特に片岡の捉える「集団主義教育」と全生研のいう「集団主義教育」が異なる可能性について言及していた。
 まず日本の集団主義教育の問題の根源をスターリン主義と断じていた点について。これについては本書及び竹内常一の著書で関連性が一切語られておらず、論理が飛躍していると言うべきだが、「問題を解決するのは集団のちからしかない」という態度などはそれを連想させたり、陰謀論的解釈としてそのように言いたくなるのはわからなくもない。しかし全生研の著書やその周辺からその関連性について立論できていない以上、飛躍と呼ぶしかない。
 また、集団主義教育が単一的価値観しか持っていないという点もやはり誤りである。これは班競争の性質を見れば明らかである。班競争はあくまで「集団のちから」を形成するための手段にすぎず、班競争の評価が単一的な評価価値であることはむしろその競争結果の固定化に繋がるため望ましいものとはいえない(cf.p115)。また、日直が独自の評価基準をもって点検を行うことが望ましいとされている点からも、単一的価値観ではなく、その場その場で評価基準が異なっていることが望ましいと考えられているのは明らかである(p162)。


※1 もっともこれを「悪い模倣」とみなしてよいのかという論点は存在する。というのも、ここでいう「悪い模倣」の発想というのは、捉え方によっては、ポール・ウィリスが肯定的に捉えた「野郎ども」と、従属的な「耳穴っ子」の二項対立図式と同じ問題を含んでいるからである。ウィリスはいわゆる「良い模倣」により育てられた「耳穴っ子」を無批判な人間と捉えた訳だが、必ずしも従属的な人間になるとは言い切れない、という論点と同じである。模倣論的に解釈するなら、むしろ主体は欲望を駆り立てられているのであり、ここでいう「良い」と「悪い」の違いは「位階の尊重の有無」であった。教師が見えない集団内では確かに「悪い模倣」が展開されているといえるが、教師が模倣の「媒体」として介在している状況があり、かつそこへ従属するような状況にあるのであれば、それはむしろ「良い模倣」でさえありうる。そして後述するように、集団主義教育の実践は教師による管理をベースにしている点において、「良い模倣」と呼んだ方が適切であるといえる。
 しかし、他方で体制批判を行う際には、ウィリスがそうであったように、「良い模倣」を固定的な、化石化したものとして捉えてしまっている。ここには二重の「良い模倣」像が存在し、別々のものとして語っていることがわかるが、これは後述するように、教育する側の論理と教育される側の論理を混同して語ってしまっている結果ではないかと思う。
 
※2 余談であるが、経験主義教育の批判とこの教科指導の科学・芸術性の強調というのは、60年代までの遠山啓の議論とも共通している部分がある(もっとも、遠山は科学と芸術を別のものと考えたが、全生研及び竹内は並列に同じ意味でしか語っていない)。遠山においても60年代まではこの科学性が一種の「確信」でしかなく、それが70年代になって遠山自身がそのことを疑いはじめたのではないか、という仮説を以前のレビューで提起した訳だが、仮にそのような見方が正しいのだとすれば、教科教育を生活指導と分別して議論している全生研の主張の正当性も失われることになるといえるかもしれない。

※3 本書p202のような議論についても、結局一般化してしまっているのが何よりの問題である。このような言い分からは「学習指導要領」と呼ばれるものは全て批判されるべきである、という結論しか見いだせない。ここで議論されるべきは、実際に学習指導要領で個別に取り上げられている内容について、その徳目主義的性質の問題の所在、非体系性を批判し、「そうでない」ような具体的な体系についての議論を述べ、改善の糸口を示すことではないのだろうか?

高橋勝・下山田裕彦編「子どもの〈暮らし〉の社会史」(1995)

今回は「子ども論」関連の著書を取り上げる。
 これまで私が見てきた子どもに対する「地域の教育力の弱体化」論というのは、そもそもいかなる意味で「教育力」が作用していたのか、実証的側面において乏しく、更にはそのような「地域の教育力」の存在そのものが見方によっては疑わしいものであるものがほとんどだった。これについては中教審答申などにおいても頻繁に取り上げられ自明の「常套句」になってからしまったことも原因なのではないかとも思うが、まずもってその弱体化論が想定している弱体化以前の状況(理想的状況)がいつ頃の話であるのか述べられておらず、一見すると過去を脚色し、事実を曲解したものになっている、ということである(※1)。

 そのような点を踏まえれば、本書はそれとは若干異なり、具体的な議論に踏み込んでいるといえる。戦後から高度経済成長期に差しかかるにあたり、それまで家族や地域で「共同生活者」として暮らしてきた子どもではなくなり、学校における「生徒」として囲い込まれ、生活が剥奪され、その結果として消費社会への従属者となったり(cf.p100)、虚構と現実の区別がつかない状況が発生する(p125)という批判がなされている。

 ここでしなければならない論点は、
1. 過去の子どもの<暮らし>に対する見解が妥当かどうか
2. 仮にそのような<暮らし>が成立していたのならば、いつ存在していたとみなされているのか
 という2点である。

 まず、2.について見ていきたい。本書の内容をまとめれば、そのような暮らしがはっきりあったと言えるのは「戦後直後」(p28)から1950年代中頃まで(cf.p76)と位置付けられるだろう。本書で大きなポイントになっているのは「高度経済成長」であり、1960年代にはすでに子どもの<暮らし>は失われているように描かれているといえる(cf.p76,p86)。
 もっとも、60年代の位置付け方については微妙な所もある。P114の指摘はまだ60年代はそのような<暮らし>が残存しえたと読む余地がない訳ではない。これは「落ちこぼれ」という言葉が(国会図書館のデータベース等を見る限り)70年代初頭に生まれ、70年代後半に一般に言説が流通したこと、また本書でいう非行・校内暴力問題も70年代中〜後半に社会問題化したものを指していると思われること(p86)から言えることだが、一般的に「高度経済成長」はオイルショックのあった1973年までの期間を指すものとみなされることや、p76、p86を素直に読めばやはり60年代はかなりの部分子どもの<暮らし>は失われたものと見るのが妥当ではなかろうかと思う。
 もっとも、このような喪失の見方に過剰な解釈があると言える部分もある。P122などの指摘は明らかに事実と異なったことを指摘し、ことさら1973年時点の子どもが「室内遊び」に集中していることを強調しようとする。これも事実の曲解以上に、子どもの遊び自体が家の中で行うことができる空間があったのかという点からも、「外で遊ぶことが健全である」という価値ありきの議論をしているように思う。


○「ガキ大将」をどう見るか
 「戦後直後」というのも40年代はまだ終戦後の混乱が大いにあっただろうとみれば、やはり1950年代の状況が子どもの<暮らし>が確保できていた時期と言うことに、本書からは矛盾がないように思える。では、それを踏まえ1.の論点を考えてみたい。
 今回は仲間集団の議論でなされる「ガキ大将」についてみてみたい。つまり、1950年代における「ガキ大将」が本書で言われるような見方で捉えられていたのかということである。結論から言えば、決してYESとは言えない。
 国会図書館で「ガキ大将」について書かれた当時の言説を読んでみると、まずよく見かけるのは「偉人」の伝記において年少時代に「ガキ大将」であったことを指摘するものである。これはかなり好意的に読んでいるものであり、あまりマイナスイメージはなく、「リーダー」としての振舞いが示されている。これについては、本書で示されるガキ大将のイメージとも矛盾しない。
 しかし、他方でこのガキ大将を問題視している内容のものも多い。それらは総じてガキ大将の「リーダー」としての性質について全否定まではしている訳ではない。しかし、その暴力性について特に批判の的となる。

「がき大将は、人間の本来持っている「権力への意志」「力への意志」の発現である力の原理を、他の子どもに強く働かせ、力で支配しようとする傾向が特に強い子である。また、小学校の子どもたちには、目的はどうでも、力関係で自然に結合する機会も多く、それによって結ばれた集団は、連帯性が強い。いわゆるギャンググループができ上る。このように、自然に作られる仲間の間では、友だちへの思いやりや利益や全体の幸福などを考える民主的指導者よりも、自分の優越性を誇示し、首領としての権威を振りまわし、弱者に対しては、力をもって屈服させることのできる暴君的・独裁的な指導者が生れる率が多い。
このように、自然にできる集団から生れる指導者は、「げんこつ権」を振りまわし、がき大将と呼ばれ、親分・親方・頭目・棟領・首領・顔役・ワンマン・大将さらに他の個所で述べているボスの子の意味にも通じる。また、女の子は、女王・あねごと呼ばれる。」(鈴木清他編「明治図書講座・問題をもつ子の指導法2 性格と行動」1957、p63)

「がき大将は、親や教師や地域社会の人たちにとっては、かんとくや指導上から欠点が目につきやすい。また、被害をうけた印象から判断しやすい。ところが、彼には、まず、指導力・統率力・仲間の信頼感など、長たりうる能力をもち、活動力・実行力・決断力・意志力・好奇心・探索的精神・独立の精神をも持っている。このような面は、学級や学校の集団、部落の集団では、じゅうぶん発揮できる機会がある。」(同上、p64)

 また、先述した「偉人」のガキ大将像の議論も関連するようなイメージ像について次のような指摘もされている。

「私たち大人はこのガキ大将について、二通りの考え方をする。
 一つは、見失われたヒロイズムの幻影を、おおかれすくなかれこの言葉に見いだす場合である。「子どもの時にはね……」と大人たちがままにならない現実から逃避をして、オールマイティであった「ガキ大将」の時代を考える時、今を忘れて「限りない期待」をこのガキ大将という言葉によせるのである。
 それが、ガキ大将という言葉にある種の期待を感じる大きな理由である。
 ところが、もう一つの場合、自分の子供たちが小学校に入る年頃になり、外で仲間と遊ぶようになると、現実の問題としてガキ大将が現われて来る。
 かあいげのない、憎々しげなガキ大将の傘下に、どんなにいじめられ、どんなばかばかしい無理な命令を下されても、子供たちは喜んで集つていき、時には崇拝すらしているように見えるのである。
 「あれが悪いばつかしに……」「なぜあんな子と遊ぶんだろう……」困つた奴だかわい気のない困り者、これもまた、大人のみたガキ大将の一面なのである。」(辰見敏夫「私の名はガキ大将」『カリキュラム』53号、1953、p70)


 以上のように、ガキ大将の議論は両価的な価値観が与えられていながら非民主的であるという点において、「指導」を行い、そのよい部分を取り出していこう、というのがガキ大将問題に対する「教育」側のアプローチであるといえる。もっとも、ここでいう「教育」側のアプローチというのは、本書で批判されていたような「学校の論理」による議論でしかなく、<暮らし>というアプローチからすれば正当化される、という見方もできるかもしれない。
 では、ガキ大将の問題が非民主的であるという以外にどう問題とされていたのか。


「もう一つの問題は、仲間における児童の性格形成の問題であつて、ガキ大将があまりにも「げんこつ権」を主張し、そのため、これに逆らうものを仲間はづれにするということになると、仲間はづれされた者は他の子供たちとは口をきいて貰えないことになる。この年令の子供たちの仲間に参加をしたいという要求は非常に強いものであるから、仲間はづれにされた子供は無論のこと、それを見ている子供たちも、ガキ大将の弾圧のもとにその人格に歪を生じて、不安な、おどおどした子供になつたり、ただ追従をするような卑屈な子供になつたりする。」(同上、p72)

 強いリーダーのもとに集団が成立する以上は、集団規範が働くと言ってよいが、その規範自体が正しいものかどうかとは別問題であるし、ここでいうように、そこから外れてしまうという問題もありえるだろう。もっといえば、集団は一つであるとは限らず、複数の集団(複数のガキ大将の集団)がありえる訳であり、両者の闘争に巻き込まれるという問題もありえるように思える。この点については少年非行などの分析を更に行う必要があろうが、少なくとも、本書で語られている「ガキ大将」の議論というのは、このような排除性、闘争性による悪影響というものについて無視され、規範性という良い側面だけを取り上げ、肯定しているという風に言えるだろう。

○<暮らし>の論理の問題とは?
 また、<暮らし>に密着していること自体が必ずしも望ましくなかったと本書で述べられていることには注目せねばならないだろう(p84)。本書は明らかに過去の<暮らし>に密着していた方が良かったと判断しているように読むほかないと思うが、どのような比較に基づいてそれが判断されているのかほとんどわからない。つまり、p84でいう「デメリット」と高度経済成長によってもたらされたとされる「デメリット」のどちらが問題なのかの検討が全く見えてこないのである。この比較が示されていないにも関わらず、子どもの<暮らし>の型を失ったことを問題にするならば、もはや水掛け論にしかならず、生産性がない議論なのである。この比較については本書をこえて検討していくほかない。差し当たり今後1950年代の「差別」や「貧困」に関する著書をレビューしていきながら、この点について検討をしていきたい。


※1 もしくは、(本書ももしかするとそうなのかもしれないが)現状の批判を行うことだけに満足してしまい、過去の「状況」とされるものについて無意味に取り上げているという状況があたりまえになってしまっている可能性もありうる。これは竹田青嗣のいうような「ポストモダニズム相対主義」の議論とも無関係ではないように思える。まずもって両者を比較するのであれば、どのような点について評価の対象としているのか、そしてそれが評価に値するという見方が妥当なのか、の議論は必要なのではないだろうか。そのような論点に乏しいからこそ、比較の観点を考慮しようとせずに「脚色」がなされるのではなかろうか。


(読書ノート)
p4-5「こうして、子どもは、親とともに共同して営む〈暮らし〉から徐々に排除されることで、幼稚園や学校などの子どもたちだけの制度化された空間にしだいに取り込まれるようになった。おとなと子どもが、それぞれ別世界に生きるようになったということ、それは、子どもにとっては〈暮らし〉そのものを見失うことを意味していた。……おとなが、ますます生産と機能の世界に囲い込まれていったとするならば、子どもは、ますます消費と「勉強」だけの世界に追い込まれていったのではないか。産業社会に登りつめる過程で、おとなも子どももともに、〈暮らし〉という言葉の含む人間生活の相互性や豊かな全体性を喪失してきたのではないだろうか。」
※ここでの排除の議論は、結局そのような生活現実をどう評価するのか、そして、将来的な視点から見ても同じように善であるといえるのかという論点に尽きる。また、排除と学校の取り込みの因果関係もこの指摘の通り定かとは限らず、逆の関係も当然あり得る。なお、ここでいう「生産と機能の世界に囲い込み」というのは、まさに人間性の喪失という言葉で言い換えられるものだろう。なお、子どもが労働から解放されたのではなく、排除されたとみるのは、「産業の重工業化と機械化」により、子どもの労働の場所がなくなったからだとする(p4)。また、〈暮らし〉は生活世界や日常性などの言葉に含意されるものだとし、まさに高度経済成長がその解体をしたとみる(p5)。

P6「戦後史の大きな流れの中で、子どもが、しだいに「共同生活者」としての体臭を失い、無機的で従順な「生徒」として、見えざる制度のなかに囲い込まれるようになった過程を、子どもの生活世界の側から、できるだけイメージ豊かに描き出してみたいと思う。それが、本書のねらいである。」
※この前提だと、やはり大きな変化は60年代に見ていることになる。つまり、50年代は聖域とみなされている。
P11「このころ(※高度経済成長期に突入する以前)は、子ども組や若者組、娘宿などの行政組織以前のインフォーマルな通過儀礼の集団が、まだ残存していた。」
※出典は宮本常一「家郷の訓」「忘れられた日本人」。合わせて「青年」というモラトリアムな存在もなく、通過儀礼を介した「一人前」の人間はすでにおとなであり、その自覚を強く抱いたという(p11-12)。

P16「子どもは、この時期から、経済成長を担うための「人的資源」としてとらえられ、学校を中心とした能力開発の世界に囲い込まれていく。つまり、子どもは「生活者」としてではなく、もっぱら「児童」や「生徒」として扱われるようになる。そして、この時期から、子どもの「教育」とは、「人的能力」や「無限の可能性」の「開発」であり、それは、学校において教師という専門家集団が担うものである、という観念が私たちの間にひろく浸透してゆくのである。子どもは、親や地域の人びとと共に暮らす「共同生活者」ではなくなり、教師という職業集団の前に並び立つ「未熟な学習者」、「生徒」に変わってゆく。」
※どれだけの議論を断片的に取り上げているのだろう。これは天皇崇拝を強要した戦中までの学校とどう違うのか?
P20「ハーバマスのこの指摘は、ドイツにおいてばかりでなく、むしろそれ以上に、「消費集団化」の著しい日本の家族にこそあてはまる。家族の機能が、医療、福祉、教育などさまざまに社会的に分化し、家族が他の組織体に依存する度合いが強まるにしたがって、そこに内包されていた全体的な人間形成の機能は、ますます衰弱化していかざるをえない。そして、ゆき着くところ、家庭は、性的な結合と休養という完全な「消費の場」になれ果てるのである。」
※出典は「公共性の構造転換」p211-212。さて、これの何が問題だというのか。

P28「こういった子どもの暮らしが一九四三年〜四五年の極端な戦時体制下にあって押しひしがれたにもかかわらず、それは敗戦を契機に戦争直後に復活した。全員とは言えなかったが、子どもは家庭生活に復帰し、地域の共同生活は活気をおび、戦前の遊びもまた少しずつ形を変えながらもとりもどされた。戦争によって文化社会が抑圧されたとはいえ、しかし人間らしい暮らしかたの根っこは残っていたのである。」
※「子どもたちは、しばしの時をみつけて、メンコやコマで遊び、原っぱで追いかけっこをし、川に笹舟を浮かべて歌声をあげた。」にかかる。

P72大正十五年の調査で女子がならたいものは偉い人に次ぎ、「先生」。
※東京都民生局の1949年の調査で比較対象されたものだが、出典不明。民生局調査は服部克己「児童の環境調査」(1950)から。
P76「五八年には子どもの身体的早熟すら指摘されるようになる。石炭産業から石油産業にきり替わってゆくなかで、炭鉱の子どもたちの置かれた状況が社会問題化されてゆく。また日常生活のなかに石油製品が浸透してゆき、子どもたちの日用品、遊ぶ道具やその素材も、木や竹、紙、ゴム、セルロイドに代わって既成の合成樹脂商品が増えていった。子どもたちの手作りの遊びが乏しくなってゆく一方、五七〜八年には、農山村にあった農繁休暇が廃止された。春や秋に学校は一週間ほど休みになって子どもたちは田植えや養蚕、その他の手伝いをして労働に参加してきたが、この廃止は子どもたちが生産や労働の場からきり離されていく変化を象徴している。」

P81「このように、子どもたちが生きていくうえで不可欠なものが収奪され、どうでもよいものが彼らに害を及ぼすまで過剰に供給されていくところに、〈暮らし〉の型を見失った。」
※馬場宏二の「教育危機の経済学」が参照されている。
P82「ところで、高度経済成長期の直前までは、農山漁村部の子どもたちは、地域の共同体のなかで日常的に生産労働の担い手として特定の役割を担っていた。そして、都市部の企業経営者や高所得労働者など一部の富裕な階層の子弟を除くと、都市部の子どもたちもまた、職能集団のなかで自営業者や労働者の子弟として家業や家事の手伝いを担っていた。そして、子どもたちが労働し、生活する拠点としての地域共同体という空間は、地縁や血縁で結ばれた多様な人間関係のネットワークから構成されており、そこには、人と人との具体的で濃密な関係からおのずと生まれる社交的感情と相互承認に満ちあふれていた。共同体に生まれた子どもは、ごく短い乳幼児期を過ぎるとすぐさま、この多様な人間関係の網の目のなかに投げ込まれ、その結び目の一つを構成することになった。」

P84「しかしながら、「一人前」の教育として表現される、共同体での子どもたちの労働や生活は、彼らにとってかならずしも恵まれた側面ばかりではなかった。むしろ現在の第三世界に生きる子どもたちを思わせるような悲惨な側面も少なくなかった。とりわけ、貧しい農山漁村部では、子どもたちは生活の大半を労働過程のうちに組み込まれ、大人並みの激しい労働を課せられていたり、日常の生活でも前近代的な偏見や差別と貧困に苦しめられていた。」
※あまり具体的な話がない?参照もなし。
P86「ただ、学校そのものを抜本的に産業的な生産様式へと適合させる契機となったのは、一九六二年、企業と国家の連携のもとに出された経済審議会の「人的能力開発政策」、いわゆる「人づくり計画」に求められる。……それ以後、教育目標・内容レベルにおいて地域と学校との乖離は急速に大きくなっていった。大量の“落ちこぼれ”が発生し、非行や校内暴力が多発したのはこの頃である。」
※後半の教育問題はいずれも70年代後半の議論であり、時期の認識が正しいかどうか微妙。

P91「しかもそれは、親の管理下にある家の手伝いやしつけから逃げ出していくところの「アジール」——権力や管理の及ばない自由な空間、または「無縁」場所——でもあった。従来より、親は子どもにきびしいしつけを行っていたが、それが可能であった理由は、子どもによって自由空間がしつけの心理的クッション、まさに「アジール」の機能を果たしてきたことに求められる。」
※この出典は松田道雄「わが生活わが思想」p16-17。
P92-93「しかも、注目すべきなのは、仲間集団内部での小さな子どもたちに対する配慮である。兄や姉にひき連れられて集団に加わった彼らは「みそっかす」とよばれて、例えば鬼ごっこでは鬼を免除されるとか、メンコで一回負けても札を取られないとかいうぐあいに特別な配慮と待遇を受けた。子どもたちがそうしたのは、弱者はいたわられるべきであるという博愛精神を大人たちから教えられたからではなく、むしろ、そうでもしなければ遊びが続けられないし、また面白くなかったからである。
さらに、この組織のなかで、ガキ大将の果たす役割は重要であった。ガキ大将になるためには、ただからだが大きく、腕力が強いだけでは不十分であり、それに加えて、集団をとりまとめていく能力、ケンカを処理する能力、小さな子どもをいたわる能力などが必要であった。……この仲間集団には、ガキ大将をはじめ、年長の子どもが含まれていることで、遊びにともなう事故から年少の子どもを守ることができたのである。」
※出典なし?

p94「ところが、地域社会の崩壊後、「柿の実ドロボウ」は、認められるどころか、場合によっては「非行」とみなされ、家庭や学校が持ち主から訴えられるというケースも出現した。「柿の実ドロボウ」が消失した時期は、いたるところで異年齢の子どもたちが群れて遊ぶ姿が見られなくなった時期とほぼ符合する。」
※出典はない。
P100「ところが、経済の高度成長のもと、社会全体の富裕化にともなって、子どもたちは物質的豊かさと大衆娯楽型情報を過剰なまでに与えられ、その結果、ローカルな子ども文化は、衰退していったのである。」
※この辺りの議論は斎藤次郎「子どもたちの現在」に準拠しているらしい。

P114「一九六〇年代の子どもたちにとって、家業を手伝ったり新聞配達をしたりという社会的労働は日常的な活動であり、当時までの子どもは、地域社会で重要な労働力として認められていた。ところが、七〇年代以降は社会的労働だけでなく家事さえもまったくしない子どもが全体の六割を占めるようになっていった。この頃から子どもたちは、「仕事のない生活」のなかで暮らしていくことになる。」
※統一感のない議論。
P122「表2は、一九七三年に大阪市阿倍野小学校の四年生一七〇名とその親一九一名を対象に行なわれた調査の結果であるが、父親も母親も小学生時代の遊びは戸外で行なうものが上位を占めている。……
他方、子どものよくやる遊びの大半は室内遊びであり、男子は、ゲーム、本読み(マンガを含む)、テレビ、模型遊び、女子は、トランプ、本読み、ゲーム、手芸などがそれに当たる。このような遊びに使う道具は、商品化された物ばかりであり、とくに、ゲーム、トランプ、プラモデルなどは、当時テレビのコマーシャルなどでさかんに宣伝されていた流行の玩具である。」
※p123に結果が示されているが、どう見ても子どもも外遊びの方が多数である。男子は野球関連だけで67%もいるし、女子も上位のゴムとび、なわとびだけで58%もある。ここには、室内遊びが行えるだけの環境が当時の家にあったのかどうかといった議論は無視されていないか?都市部であればそのような論点はありえるはずだが。当然、このような商品化されたものは「子どもの自由な発想をひき出す可能性が小さい」と断じる(p122-123)。なお、出典は藤本浩之輔「子どもの遊び空間」

p125「以上のような状況のなかで、子どもの長時間視聴が生まれたが、その結果、さまざまな問題が発生した。なかでも深刻な事態は、テレビに描かれた虚構と自分が生活している現実の場との区別がつかなくなることである。その結果、遊びの中でテレビ番組の真似をしたために、子どもが命を落とす例もある。」
p143「戸塚は、親や社会は変わらないとして無視し、子どもだけを隔離して徹底的に関わろうとする。竹井(※孝)は逆に、子どもを徹底的に突き放すことで子どもの自覚を促そうとしている。戸塚は子ども本人にだけ非行や家庭内暴力の付けを払わせようとしているようにみえる。竹井はどうか。竹井は家庭という器で、つまり夫婦や親子の関係のなかで、問題を考えている。しかし社会のついては、「親と子の愛情は社会のルールとは別のことであることを、子どもは体で覚えさせ」ることにとどまっている。
家庭内暴力や非行の責任はもちろん本人や家庭にもあるであろう。しかし、学歴社会と受験教育、きびしい選抜制度と競争社会、拝金主義、つまり、学校化された社会のひずみの犠牲者としての子ども、このような視点が戸塚にも竹井にも鮮明ではない。この視点を欠いたがゆえに、両社の教育は成功したとはいえない結果に終わったのだと考えられる。」
※システム批判の布石。「社会、もっといえば、学校化社会の病理の問題としては捉えられていなかった」が問題とされる(p144)

p177「教育とは、本来、目的ではなく、人間形成のための手段なのである。子どもはつくり出される客体ではなく、教育によって援助され、みずから個的人格をつくり出していく主体なのである。それゆえ、教育とはプロセスにほかならないのである。それが、今日の教育においては、このプロセスを非効率的なものとして捨て去っているのである。」
※しかし、これは全人性に向いているというよりも、個性の尊重に偏っている議論である。サマーヒルの算数がまったくできない子どもの許容(p185)がそれを根拠づける。

遠藤公嗣「日本の人事査定」(1999)

 本書はアメリカの人事制度と日本の人事査定制度の比較を試みながら、現在の日本の人事制度が戦前のアメリカの制度の影響を大いに受けたといえるものの、現在のアメリカの制度とは大きく異なること、また、小池和男青木昌彦により流布している人事制度理解の通説的見解が事実の検証に乏しいまま主張されていることについての批判を行っている。
 人事査定制度を主題としているものの、本書は私がこれまで議論していた日本の教育制度や、日本人論の議論にも非常に示唆的な論点を提示しているように思えた。

 その最たるものは、戦後の不当な査定問題の起源を、教員の査定差別の議論に結びつけている点である。企業の査定差別による訴訟は60年代以降の動きの中で見られるようになってきているが、50年代の特に愛媛県における教員の査定差別の問題に触れつつ、ここで議論された「組合労働者」及び「女性」の雇用者を査定差別するための系譜を、本書は描こうとしているのである。
 もっとも、その関連性については明確となっている訳ではない。なぜ教員の業界で査定差別問題が先立って見受けられるようになったのかという点については、本書で十分な検討を行っていない。私自身も愛媛を中心にした当時の教員査定の実態については色々と調べている所であるが、その範囲でわずかな仮説を提起するのであれば、次のようなものだろうか。日本の女性教員は戦前からひどく差別的な取り扱いがされてきていたのは女性問題を取り扱った文献では出てくるが、第二次大戦頃になると、義務教育段階の教員は、男性教員の割合が段々と減少し、終戦頃にはこの女性教員の方が多かったという統計がある(望月宗明「日本の婦人教師」1968,p45)。戦後愛媛で差別的待遇が問題となったのは、教員の人員整理の必要性から、特に人員が多いにも関わらず、評価が低かった女性に対して実質的な退職勧告を突きつける一環でなされたものと理解することができる。もちろん、ここには組合の力による反対の動きも影響力をもっていた。このような差別的処遇の必要性と、それへの抵抗勢力の存在というのが、先駆的に社会問題化へ繋がった要因と位置付けることは可能だろう。
 もちろん、この先駆的な差別的慣行は「公」の立場からなされたものであり、その手法を「私」側でも容易に利用することができたからこそ、企業でも行われるようになったという見方もできよう。ただ、この見方には根拠がなく、もう少し検証が必要になってくると思われる。50年代から不当な査定がなかった訳ではなく、あくまで私企業ではそれは問題化されるに至らなかっただけだった、とは簡単には言い難いからである。

 もう一点、小池和男の批判に関する議論について。なぜ小池がこのような曲解をしたのか、という問いに対して遠藤は不明としているが、私は(最近の読書傾向から)どうしても当時の日本人論の影響力を感じずにはいられなかった。小池は結局日本の雇用制度が優れていることを示すための議論をしていた訳だが、そこに何らかの「日本観」が先入観として介入したことによって、「アメリカ観」は具体的検証を欠いたされたまま議論されることになった(もしくは著しく軽視される結果になった)ことは、河合や千石の議論にも同じように見られた観点だったことからも、類推したくなる。小池がもし同じような過ちをしているのであれば、どのような「日本観」に基づいていたのかという論点は重要であるように思う。小池の著書も現在少し読み始めているので、また取り上げてみたい。


<読書ノート>
p11「(※労使関係論研究が労働組合による労働条件の規制に注目するあまり)査定制度を重視しなかったことについては、この時期の前2/3期が高度経済成長期であったことは重要であろう。研究関心の欠落が、高度経済成長期における実態としての経済と労使関係によって、いわば隠蔽されていたからである。企業の持続的拡大と毎年の春闘による賃金のベースアップは、昇進昇格と昇給における従業員間の処遇格差を目立たなくした。」
p18「小池(※1981)は査定制度が優れていて、従業員が高度な熟練を形成できたからこそ、日本企業は高生産性と好業績を上げることができたと示唆したのである。」
※もっともこれには独断と偏見、全くの憶測という条件を付している。しかし、小池(1986)からこれがあたかも実証された議論であるかのように扱われるようになったという(p19)。

P68「しかし1990年代の日本では、米国の人事査定制度について、著しく不正確な記述が一部の経済学者の間で通例とすらなっている。その極致の一つは青木昌彦・奥野正寛編(1996:133-134)であろう。そこでは、日本の制度の「客観的で公正な査定基準を作る努力」が強調された後に、「逆にアメリカなどでは綿密な評価基準はあまり作られておらず、人事面での決定は各上司に任される傾向が強い」とされる。」
※しかしアメリカの方がむしろ評価要素は客観的とする(p82)。それは情意的評価や、主観的な側面がある評価要素が用いられる傾向が強いことから示される(p86-87)。
P89米国では分布制限が少ないが、日本では多い

P102「小池が見た「査定の用紙」に「従業員の署名欄」があったとすれば、「ほとんどそういう表向きの文書はだれも見ない。結局は感じとか、主観でやるよりしょうがない。」という小池の認識は「お粗末」としか評価できない。」
P109「日本では、1957年の愛媛県教員の勤務評定をおそらく最初のケースとして、査定制度が差別の道具に意図的に使用されはじめた。日教組(1958:393)によれば、この最初のケースの被差別者は「婦人教師」と「組合活動家」が多かったが、女性と(左派)組合員はその後も査定制度による差別を受け続けたから、最初のケースで誰が主要な被差別者であったかの指摘は、示唆的である。」
※この議論は60年代以降の民間の査定差別に広く見られたことからも関連性を見出しうる(p110)。出典は日教組十年史。

P119「これらの特徴が、現代日本の査定制度の特徴に類似することは、明らかである。あらかじめ指摘しておけば、これらの特徴が戦前の日本に導入され、ほぼそのまま現代まで維持された結果が、現代日本の査定制度の特徴の一つとなったのである。」
※これらの特徴とは、査定が「生産労働者」を対象者としたこと(組合労働者の例外がないという意味?)、コミュニケーション手段という用途がない、主観的評価、正規分布への準拠、査定結果の通知がないこと、の5点である(p118-119)。これらの特徴はアメリカの戦後査定制度では弱まったが、日本では残存しているものであるといえる。
☆p159「勤務評定制度を雇用差別の道具として容易に使用できた理由は、日本の査定制度の特徴にあろう。日本の査定制度は、たとえば、評価要素の主観性が強いにもかかわらず、査定結果は被査定者に通知されず、したがって、査定結果の不満や苦情を処理する機関もなければ、法的な雇用差別救済制度も不十分であるという特徴がある。このような特徴の査定制度は、ひとたぶ査定者が差別意図をもつと、それを雇用差別の道具として使用することは、きわめて容易なのである。」

p217「この点は、米国大企業における学歴別雇入管理の意味と、日本大企業における学歴別雇入管理の意味が異なることを示す。日本大企業では、大学卒と高卒者は別々に雇入を管理する。……ところが米国大企業は、前述のように理解するから、高卒を必要学歴とする職務に大卒者がそのまま雇入されるのである。」
※これも暗に小池の批判である。Exemptの職務=大学卒と考えているから。
P275「日本の労働者が孤立した個として存在し、クラフトユニオンの伝統を欠いていたという指摘は、日本の労働者が、自分が所属する自立した集団内部で、自分たちの間の利害を調整し規律するルールを自主的に作った経験が乏しかったということと、ほぼ同義であると私は思う。もしそうであるとすれば、もたらされた第二次世界大戦後の状況の中で、日本の労働者は、一方では、労働組合を組織し使用者を相手に激しく要求の実現を迫ったとしても、他方では、労働者間の利害を調整し規律するルールを自主的に作ることは、その経験の乏しさから、容易なことではなかったはずである。」
※二村一夫(1984,1987)の出典あり。

P287「企業側は対立的なHUAGA労働組合を嫌悪し、1970年代にはいると、組合員にHUAGA労働組合を脱退するよう圧力をかけるようになった。その結果、1973年10月から、全社的に多数の組合員がHUAGA労働組合を脱退しはじめた。」
P305「実のところは、企業側が自覚しないで偏見を持つことは、企業側によって地労委の審問の場で証言されている。地労委の審問で、K支店の人事管理を担当する課長は「女性従業員に大きな期待はできない」と証言し、女性従業員の「査定分」総額が小さいこと、そして、女性従業員を係長に昇進させないことを、正当化したのである。」
P308「とするならば、彼ら(※小池、青木)が日本の査定制度の公正さを実証もなく主張し、日本の雇用差別事件を無視する理由は何なのだろうか。彼らの研究姿勢、研究方法、あるいは研究理論のどこかに欠陥があるのだろうか。私にはよくわからない。」

千石保「「普通の子」が壊れてゆく」(2000)

 今回は河合隼雄同様、日本人論を経由しながら「日本人の子ども」を論じているが、河合よりも正直な所「ひどい」論調となっている千石保の議論を読み解きたい。本書に対する問題点はかなりの部分読書ノートにもまとめているので、本書の要点と読書ノートの補足をしていきたい。

 まず注目せねばならないのは、千石の社会観である。P66に見られるように、日本は集団依存主義の社会であるという。これは日本では個人が主体性を確立すること(が十分で)なく「ポストモダン」期に差しかかっているという認識であると言ってよいのだろう。ただでさえ規範性が乏しいにも関わらず(p72)、ただただ逃走型の人間を志向する社会となってしまい、それは勝手気ままを奨励するだけなのである(p73)と考えられている。
 当然、ここには河合と同じ「個人主義」のない日本人論の前提が共有されている(cf.p72-73)。もっとも、河合の場合はこのことについて一方的に問題であるとは少なくとも「形式的」には主張していなかった。ところが、千石は明らかにこれを「悪」と断ずる形で「日本人の子ども」論を展開する。その極め付けがp59のような発言である。
 確かにこの「荒れ」が学級崩壊という意味ならば正しいかもしれない。学級崩壊が特段日本で問題となっている原因については別途議論せねばならない所だろうが、偏見を覚悟で私独自の見解を述べるならば、基本的には規範を維持する仕組みが制度上確保できていないことに依拠する部分も大きいのではないかと考える。これまでも教師論の議論(特に斎藤喜博)では繰り返し「教師がしっかりしなければならない」と述べられることで、非行などの問題に対しても学校が(家庭の協力も求めながら)解決しなければならないものと捉え、安易な児童・生徒の排除は教師として問題であるという認識が強かった。いじめの問題にしても、加害者保護の観点が強く、フランソワ・ベゴドーのレビューでみたフランスの学校のように、規範に反する生徒を安易に排除するという発想が、日本の(少なくとも公立学校では)極めて乏しいのがこれまでの状況なのではないのか?
 これは同時に警察との関係性についても同じことが言える。つまり、排除の論理に基づけば、刑法に触れる問題は警察にそのまま預けるのが妥当となるはずだが、何故か千石はp63で警察に安易に預けることは問題であり、むしろこれまでの日本と同じように規範意識に乏しい主体を問題にしているのである(p73-74)。つまり、ここでは「学級崩壊」単体が問題なのではなく、広義的な教育病理という「荒れ」を問題にしているのである。P59の「荒れ」はそのように解釈しなければならなくなるだろう。そして、その教育の理想型というのは、p194のような制服廃止運動といった形での規範の意識化なのである。
 しかし、刑法に触れる・触れないのレベルでアメリカよりもひどくなったというのはどう考えても無理がある。何よりアメリカの学校にはその場で逮捕をすることが可能な保安職員がいるケースも少なくないようである(cf.ゲイル・D・ピッチャー、スコット・ポランド「学校の危機介入」1992=2000、p106)。これはそのような問題が日常的に起こりうることを想定した対応であると言うしかないだろう。また、少年犯罪の件数をネットで調べても、アメリカの方が犯罪が少ないという資料を見出すのは難しい(少し調べたが私は見つけられなかった)。

○日本の子どもはアメリカよりも規範意識に乏しいのか?
 また、日本の子どもの方が規範意識が乏しいという指摘については、一般論として根拠に乏しいと言わなければならないように思うし、悪意のある意識操作まで行っている傾向が認められる。しかも、このことは、千石が関わった日本青少年研究所の調査結果から見出せる論点である。まずもって、「日米を比較すると全体的に日本の中学生の方が規範意識が強いことがうかがえるが、アルコールと公共物に対する態度に関しては、アメリカの学生の方が規範意識が強い。」(日本青少年研究所「中学生の生活調査」1993、p40)としている調査結果があるのである。
 千石は例えば保護者や教師への反抗について「個人の自由」でよいこと(p115)や、性規範に関連するものについても「個人の自由」でよい(p118)と答えている高校生が多いことを根拠に規範の乏しさを強調する傾向があると認められる。
 前者においては確かに規範欠如という意味合いでは正しいが、アメリカが殊更愛国心、そしてそれに関連する家庭の尊重を極めて強く打ち出していることの表れであることも無視できないだろう。どのような規範問題に力を入れているのかについては当然各国傾向があるだろうし、この事実だけでは規範論一般を語れないだろう。
 また、後者については、読書ノートで指摘した調査方法の問題の影響が大きく、日本青少年研究所で行った別の調査結果からは(「高校生の生活と意識に関する調査報告書」2004)、売春などについて、肯定的に捉えた意見がアメリカが多かったという結果が出ている。千石の指摘するp118の調査では、「してはならない」と「本人の自由でよい」の二択で回答していたが、2004年の調査ではこれらに加え、「悪いことではない」「よいこと」の4件法が採用されている。また、アメリカの調査票でも、「Up to the individual」という表現で統一された質問がされるようになった影響もあり、日本が「本人の自由」と回答する割合が比較的大きくても、アメリカは「してはならない」「してもよい」が両方多くなっているという結果となっている。これは千石のp72のような問題意識からすれば、アメリカについても規範性に乏しいという結論をだすほかないだろう。
 更に後者に関連して、日本人は「自己コントロールできない」という傾向を見出しているが(p117)、これも別の調査では日本は85%程、アメリカは90%程が「自分でコントロールできる」と答えている(「21世紀の夢に関する調査」1999)。この99年の調査結果に千石が触れていないのはなぜ説明がされていないのか疑問である。

 そもそも論をしてしまえば、意識調査によって、規範意識の差を問うこと自体が問題になりうるということを千石は全く考えていない。P91のような教師評価と教師の力量の同一視もそうであるが、意識調査はあくまで主観的な価値判断が含まれているのであり、それを客観的に比較することができるかどうかは別途考えられなければならない問題なのではないのか。これについては特に「学校の成績は上中下のどれか」という質問に如実に現れる。日本の中高生はこれに対して大きく外れた回答はしていないのだが、アメリカでは、「中の下」以下の成績であると答えた生徒が1.5%しかいないのである(「21世紀の夢に関する調査」日本ではこの割合が33%あった)。このような結果は日本青少年研究所の調査だけではなく、他の調査でも見られる傾向であるが、この違いの意味についてはもっと検討されてもいいのではないのか?もちろん、そもそもアメリカでは正規分布的な評価体制をとっていないため、「成績が悪い」という概念自体がないという可能性がある訳だが、それが教師や学校への評価に影響を与えている可能性、更には「悪い」という価値観に対して思考しないような、アメリカ人の「心性」が存在している可能性について検討が加えられてもよいのではないのか??千石の議論はそのような点に何一つ触れられることなく、極めて単純な「意識」調査の結果比較に基づいた「実態」の批判に終始しているのである。

 千石の主張には自分の都合の悪い内容については、実態を捉えることを回避してしまうような傾向が本書からどうしても見えてしまうのである。そしてそれは、自身の(日本青少年研究所の)調査の引用の選択にも影響しているのである。「結婚観」についても日米比較の前提がそもそもおかしいのではとノートで示唆しておいたが(p99-100)、これについても別の調査(日本青少年研究所「高校生と家族に関する調査」(1994))で独身時代を長く過ごしたいと考える日本の高校生は2割なのに対し、アメリカは6割であること(p29)など、私の疑念を裏付けるデータが千石の調査そのものから見出されているのに、その事実を無視してそれを家族規範の崩壊と結びつけてしまうのである。千石の本書での議論は結論ありきであり、データは都合よいものだけを引用しているのにすぎないという批判に反論の余地はないように思える(※1)。

<2023年1月3日追記>
※1 高橋征仁「規範意識は低下したのか」(海野道郎・片瀬一男『<失われた時代>の高校生の意識」2008,p59-92)では千石に直接言及がないものの、本書の中心的論拠となる「ポケベル等通信媒体調査」の解釈の問題について詳しく取り上げつつ、その要点を、
①特定の規範だけを恣意的に取り上げる
②発達的変化や文化的相違などを時代的変化と混同する
③規範の非同調を示す回答をそのまま規範意識の低さと解釈する
とまとめている(高橋2008,p61)。

(読書ノート)
p29「「家出」も普通のことでいきなり型になった。ひと昔前までは、家出はある決心のうえでの行動だった。」
p29-30「家出少年、少女の数は、統計上は減少している。けれども、親が「家出した」と訴えるケースが減少しているだけで、親のもとを離れ、家族にも所在がわからない子どもはむしろ増えている。つまり、子どもが家を離れることに親も子も異常を感じなくなり、家出が普通になったのだ。」
※他の内容でいいだけ実態調査を用いているのに、なぜこのことについては実態調査を用いていないのか。

P47日本青少年研究所「ポケベル等通信媒体調査」の結果
※本人の自由でよいという回答が米中と比べて圧倒的に大きい。また売春、性問題の質問自体はアメリカで禁止されたという(p46)「近代的自我の育っていない日本の子どもには、特に命令、禁止が必要だ」という(p48)
p59「ジャパン・アズ・ナンバーワンから四分の一世紀。どうやら学校の「荒れ」においても、日本はアメリカ並みになった。いや、もうアメリカと逆転しているのかもしれない。」
※これもなぜ実態調査を踏まえないのか。学校内に警察権を行使できる人間を置いているアメリカ並みという感覚が理解できない。

P63「こう考えてくると、子どもたちに理解させるべき問題が二つある。一つは、たとえば警察へ引き渡すことのような、「罪に対する懲罰」をはっきりさせることである。そして、なぜ罰せられるのかという論理的基盤を明示することだ。
二つ目は、「ババア」「殴るなら殴ってみろ」という傍若無人な言動は、「ルール違反」なのだとわからせることである。」
p66「(※千石を批判した)彼の言う「モダン」とは、自我が確立された自立した個人が存在する近代社会のことである。この批判は今でも当てはまる。日本では現象だけはポストモダンだが、本質は集団依存主義である。フランスのドゥルーズガタリがいうことは、日本のことではなく、もう少し自我のある人間たちの社会を前提にしているのかもしれない。」

p71「「学校限界論」はアメリカの教師のスタンダードな姿勢だ。限界の守り方は極端に忠実である。たとえば自分の生徒がスーパーで万引きしているのを見ても、教師は口を出さない。それは学校外でのこと、止めさせるのは親権を持つものの役割だからだ。うっかり言うと、親権侵害で当の親から訴えられかねない。極端ではあるが、子どもに対する責任のもち方は日本とはまるっきり異質だ。」
※出典は当然ない。
P72「日本青少年研究所の「ポケベル等通信媒体調査」によると、だいたい日本の子どもは、「悪いことか」「悪くないことか」はその人その人が決めることだと考えている。いわば善悪の相対化がみられるのだ。これは大変な問題である。
社会の規範では悪いものは悪い。軽い悪さでも悪は悪だ。しかし彼らは何が悪かを自分の欲求との接点で決めている。そして親も、「盗ってくれとばかりに店側が物を並べているじゃないか」「金さえあればいいんでしょう」と開き直ったりする、規範意識の低さをいわれる状況があるわけだ。」
※p47の話をしているとなると、少々言い過ぎでは。しかも親も??

P72-73「フランスやアメリカでは、犯罪を犯したら責任をしっかり取れという論理がある。たぶん、キリスト教の影響だろう。インディビジュアリズム(個人主義)には、悪いことをしたらツケはちゃんと払わねばならない、という価値意識がある。」
※結局この話が千石に刷り込まれているように見える。しかも、個人主義の特徴として悪いことの代償が刷り込まれているのであれば、なぜそれは欧米で機能しないのか、まったく説明できない。
P73「この主張(※スキゾ型人間の奨励)を日本人にそのまま当てはめるのは危険だ。自我意識を欠いた無責任の主体に向かって「逃走しよう」と呼びかけても、勝手気ままを奨励するだけになる。」

P73-74「しかしそこから出てきた教師の知恵は、子どもの人格部分まで全部引き受けないで、手に余ることは然るべき機関に任せる、ということだった。偏執蓄積型教育の問題点をずらしているのだ。が、蓄積型社会の本質は、わが国の教育システムの根幹においてしっかり守られていることも事実だ。」
P74「学習指導要領の達成目標削減が二〇〇二年から実現されようとしている。これには反論も多い。学力低下が問題だ、わが国の生産性が落ちる、大学教育が成り立たないといったもろもろの声がある。
だがこういう考え方こそ偏執蓄積型だ。思うに国民全部をエリートにする必要はない。職人になるのに算数は重要でないというドイツの考え方もあるし、足し算がやっとというアメリカ人が多いことも事実だ。みんな平等にする必要はない。逃走分散型のアメリカは世界一の国、豊かな国ではないか。」
ナショナルミニマムの議論が本書の出た後に先進国中で盛んに議論されていることを考えると、このような見方は事実誤認であり、それはエリート教育とは何ら関係のないものである。エリート教育はむしろそれの否定がされていることに問題視されるべき論点があるのでは?

P76-77「不登校児が全小学生中では〇・三%、中学生では二・三%という数字は世界的にみると少ないのかもしれない。アメリカの一〇%、二〇%という数字に比べると極めて低い数字だ。また、アメリカの中学では貧しさゆえに不登校する子どもが今でもかなり多いといわれる。
不登校をめぐる研究は、個人の病理だけでなく、クラスなど集団の病理や家庭の病理に向けられ、だんだん社会システムの病理として扱われるようになった。」
※これも出典無し。そして日本の不登校を「偏執蓄積型社会からの逃走」という、河合に似た議論を展開する。

P91「科目についての知識はアメリカの教師より高く、教科教育には適しているしすぐれている。学校教育は本来的には社会成員としての基礎を作ることにあるわけだから、この専門性は高く評価されるべきだろう。
しかし、「理解度に応じた教育」ではアメリカよりもはるかに劣る。ここに日本の画一教育の弊害が出ている。一人ひとりの子どもに基礎基本を教え込むのではなく、学習指導要領に定められた目標を達成する、という詰め込み主義教育がみられるのではないか。
このため、「生徒一人ひとりに強い関心をもつ」「生徒とうちとける」「個性を伸ばす」「やる気を出させる」という教育の大切な側面が欠落してしまう。一人ひとりの能力に応じて教育するのではなく、達成すべき目標がひとり歩きして詰め込み主義教育を形成している。」
※この結果はそもそも教師に対する価値観の影響を無視している。むしろそちらを問題視するならわかるが。また、科目に関する知識も、結局は日米ともに大多数は満足していない内容になっている。出典は日本青少年研究所「高校教育〜日米比較」(1993)また、この前提を容認すると、現在の日本の教師と60年代頃までの教師を比較すれば、昔の方が教師の指導力があり、今はなくなっているという評価になるが、それは本当に正しいのか?

P99「一九九三年、日本青少年研究所では「日米高校生ライフスタイル調査」を行ったが、それによると日本の高校生が偏執家庭から逃走したがっている意識が的確に示されている。
晩婚化の傾向は、アメリカと比べるとより明確になる。晩婚・少子は家族のもつ拘束性、子どもを中心とした豊かさの積み上げという偏執蓄積型家族からの逃走を意味している。」
※偏執蓄積型家族とは??それは日本にどう根付いていたと言うのか?
P99-100「特に重要なのは、「家族それぞれ自分のしたいことをする」に賛成した若者がアメリカでは四割なのに対し、日本は六割を超えることだろう。「子どもを持ちたくない」は八・三%の数ではあるが、「結婚するとしても三〇歳前後にしたい」という晩婚化への賛成は半数になろうとしている。事の本質は、結婚し子どもを持った家族になっても、「自分のしたいことをする」にが六割という数字にある。たとえ結婚し子どもを持っても、「自分のしたいこと」のため家族はバラバラでよいという意味だ。しかしバラバラに好きなことをするというのは、人間の集まりとしての家族とはいい難い。」
アメリカの結婚観がそもそも30歳前後に結婚しようかどうか考えているかどうかを無視して自己解釈してしまっている!!また、自分のしたいことも支持も、家族規範を尊重すべきとされるアメリカと相対的な比較をするなら、これが大きな差であるとみなす理由にならないように思える。

P102「これを見るとアメリカの家庭は日本の家庭とは大いに違っていることがわかる。日本の家庭は「父」を越える、というメッセージが強い。いうなれば偏執家庭である。
対して欧米の家族では、子どもは父と母の間に割って入り、母子一体とはならない。父と子どもの葛藤よりは、最初から個々の存在として自立すべき子どもを前提している。
日本の子どもにとって、家族は温かいというより、抑圧者として機能し、偏執的な追いつけ追い越せのプレッシャーをかけられている。」
※どうしてそうなる。むしろ無関心が問題にされたりしてないか?
P102-103「その悲劇(※1977-88年までの親殺しの事件3件を挙げている)は家族内で起きているのが最大の特色である。それは偏執人間を生み出す機能が家族にあったからにほかならない。
しかし家族の機能は批判されず、むしろ家族のしつけが批判されている。」

p106「こういった若い世代の親に育てられた小学生は、「がまんの心」「孤独に耐える心」が足りなくなっている可能性がある。また「人助けの心」「礼儀正しさ」「責任感」も乏しく育てられている可能性がある。もしかすると、小学生低学年の授業中の立ち歩き、おしゃべり、集中のなさなど、ここのところ問題となっている「荒れ」をこの世代の母親を代表する社会的意識が引き起こしているのかもしれない。しかし短絡的に若い世代の親を責めるわけにはいかない。その前に、背景にある消費社会の価値意識を問い、なぜ彼らがそのような価値観をもつに至ったかを考えなくてはならないだろう。」
※よく考えると欧米でもあり得る事象を全て日本的な親の無規範さという「実態」の原因とし、それを更にはシステム論的に消費社会の問題としている。ここにはすでに実態把握のレベルで飛躍しているのだが、どうしても千石にその自覚はない。欧米にも同じような実態があると思われるのにそれを無視し、更に結果としてそれは日本と異なるのかどうかという検証を排除している。そのような形で形成される日本論など意味がないのは明らかだと思うが。

P112「外国人が日本へ来るといろいろなことに驚くようだが、そのうちの一つが信号を待つ日本人だ。朝早くジョギングしたある外国人は、まったく見通しのよい場所で、赤信号が青信号に変わるまでじっと待っている日本人を見て驚いたという。多くの外国人が信号をじっと待っている日本人に驚いている。秩序を守るすぐれた民族なのか、盲目的な自立のない民族なのかわからないという。
赤信号をじっと待っているのは、単に権力に従っているだけと映るらしい。もともと、信号は安全のために存在する。安全のための道具だとすれば、安全が確認できれば、赤でも渡っていい理屈になる。」
※これも実証性に欠ける。相対的な議論として正しいかもしれないが、それを持って日本と欧米の価値観の違いが議論できるかどうかは別問題。しかもこれは規範遵守意識の問題に関連するはずなのに、それについても触れられない。赤信号は「進んではいけない」という禁止規範であり、これはアメリカでも同じはずである。であれば、これは個人の判断で善悪を決めているのと同じでは?なぜ日本は善悪の判断を個人で決めてしまっているなどと千石は言うのか。

P114「実はこの質問の仕方に隠れた仕掛けを作った。質問の選択肢を「してはならない」と「本人の自由でよい」の二通りとしたのだ。正確にいえば正しくない表現である。「してはならない」の反対は「してもよい」である。しかしこれまでの調査経験を踏まえて考えると、日本人は「してもよい」とは答えたがらない。……「本人の自由」という答えはいかにも日本的である。なぜなら自分の判断、自分の意見を言わないで逃げているからである。
アメリカの共同研究者たちと、「本人の自由」と「してはならない」という矛盾を英語でどうかいけつすべきか、という問題になった。アメリカでも同じ質問をして比較する計画だからである。アメリカ側の意見は、acceptableで、「してはならない」には、notを頭にかぶせることでどうか、ということだった。日本と非常に近い表現である。」
※この本人の自由でよいという答えは「そのままアメリカと比較するには問題がある」ことを認めてしまっている(p114)。しかも、「本人の自由」というのも、選択肢で言わせてしまえばそれは本人の意思の有無を問える性質のものではなくなるのに、ここでもアメリカの「実態」は無視される。

P115「もう一つは、親や教師の権威のなさだ。「両親や教師に反抗すること」について「本人の自由でよい」との答えが多い。これは伝統的な権威が大きく揺らいでいることを示唆している。学級崩壊や家庭崩壊を十分裏付ける数値といえよう。そして、これはとりもなおさず偏差値偏執社会からの逃走であるといえる。しかも「本人の自由」という名の無抵抗の逃走であり、赤信号を渡る自主性はない。」
P117「そういうなかで「自己コントロール」についての質問に、アメリカの若者よりかなり少ない回答が寄せられたのであった。この結果は、日本の高校生は耐える、がまんすることより解放をとったことを意味している。蓄積してきた知識や材を後生大事に背負いながら、それによって競争相手を出し抜こうと血眼になっている社会にあって、そこへ参加するための自己コントロールよりは、自分の欲望を解放し、自分に忠実になろうとしたのだろう。
自分をコントロールしないというのは、ここでいう偏執蓄積型人間でいることをやめて、逃走分散型人間になることを公言したともいえる。日本の若者は、アメリカの若者より社会からの逃走型が実に多いのである。」
※出典は日本青少年研究所「ライフスタイル調査」(1993)。「自分の欲望をコントロールする」という回答が日本は約六割なのに対し、アメリカは約九割五分であったという(p116)。しかし、公言は言い過ぎあろう。それであれば純粋な「本人の自由」回答に依存すればよい。

P118「「セックスは自分で決める」も「タバコをやめる」も、日本の子どもたちのなかでは賞讃の対象にはなっていない。この辺に自我意識というか個人主義における責任のあり方の違いがある。
日本の高校では、「セックスの自己決定」「タバコをやめる」より、他人と同じであること、援交仲間やタバコ仲間として親近感をもたれることが価値として機能している。」
※規範価値としてみるべきかどうかは議論の余地があるのでは。それを間接的に規定するような性質のものはあるのかもしれないが。
P124「考えることをしないのは、自我が貧しいからだ。アメリカの学校では、授業中質問が次々と続き、授業が先に進まないのは日常的だ。日本では考えられない光景だ。」
P125「同じ行為の繰り返しの上にため込み主義の社会が築かれていた。子どもたちはこういう社会から逃走しようとして、考えもなく、やせるためにスピードという覚せい剤を使い、ブランド品欲しさに援助交際をし、がまんや忍耐のない自由な世界で浮遊したくなったのである。」
※規範不適応ならアメリカの方が強いのでは?

P129「「今をエンジョイし、先のことは考えない」というのは、考えてみると歴史上かつてなかった現象である。将来のことを心配しなくてもなんとかなるという豊かさの心理が、思考を停止させ自我の貧弱さをあらわにしたのである。このような現象は一種のアノミー状態といえる。アノミーとは、これまでの社会規範が社会の変化によって動揺・弛緩・崩壊し、人間の欲求や社会的な行為の空白状態ということである。」
※しかしここでいうアノミーは二項対立的なアノミー論ではない。
P136-137日本青少年研究所「21世紀の夢に関する調査」(1999)の結果
※「人生の目標については、喪失感がより明確に表れている。」(p135)「進歩、向上に背き、社会への関心も極めて低い。」(p138)とされる。後者は「社会に貢献する」意欲がない結果というが、実際の結果比較は明示されていない。しかもp166の「大学生の職業に関する調査」結果を踏まえると、働く目的として「自分の生活」や「能力を生かす」といった項目が日中ともに多く、社会貢献に関する項目をみると両者に優劣は確認できない。

P138「これは明らかにアノミー社会、目標喪失社会を示唆している。もうみんな偏執蓄積型社会から逃走した結果、このアノミー社会に「まったり」身を委ねて、自力で抜け出そうとはない。本当に「生きる力」が求められているのである。」
P142「「TIME」にメッセージを寄せた外国人のなかには、日本のファッションを、日本の古い文化に対する「反抗」だと位置づけている記述もある。しかしそれは誤りだろう。カウンターカルチャーはもう少し理由があった。大学紛争に象徴されるヒッピーカルチャーは、内実の伴わない「権威」と称するものを拒否した。十年一日のごとく同じことを講義している大学教師に「ノー」を突きつけた。理由ある反抗だったのである。」
※時代錯誤的にヒッピーカルチャーと比較しようとすること自体がおかしいように思えるが。

P148「大沢真幸氏はここでいう「他者」は権威をもった者でなければならないし、この権威を「第三者の審級」という。次々に崩れる秩序を前にしたとき、権威ある他者の存在は極めて重要だ。具体的には「第三者の審級」は人間の欲望の「拘束」といえるだろう。しかし近代から現代へと進むにしたがい、欲望は解放につぐ解放で今やほぼ完全ともいえる解放状態となった。欲望の「拘束」は文明と文化の過剰な進化に伴って、溶けるようになくなった。」
※大澤の議論を持ち出すのは結構だが(ドゥルーズ=ガタリもそうだが)、それが日本でしか採用されないのかについて説明がつかない。一応ここでは「身体の比較社会学」が参照されている。

P152「偉くなることを拒否する若者が増えた。責任ばかり重くなって、自分の自由を失うというのである。」
※しかしこれも、単純に国際比較できるような問題ではない可能性もある。そもそも社会がブラックの傾向があるのに、そのような社会で偉くなりたいなどと思うのは健全だというのか?
P164「挑戦的でもなければ技術能力が高くもなく、ただ「おもしろい」「自分の才能が生かせる」仕事を望むのは、「甘えている」ということだ。そのいいかげんさには幼稚性を感じるが、このいい加減さこそ、積み重ねの偏執蓄積主義に対するはっきりした拒否であり、そこからの逃走の姿といえよう。」
※出典は日本青少年研究所「大学生の職業に関する調査」(1999)だが、何故かアメリカが対象となっておらず、日中比較をしている。しかも、中国の大学進学率は1999年ごろは10%に満たない状況でありエリートとの比較をしてしまっている。

P166-167「中国と比較してみると日本の姿がかなりはっきりと捉えられる。日本では「生活のため」にやむなく働くのであり、偏執蓄積型社会からの逃走が色濃く表れている。と同時に、中国と比較して「自我意識」が弱い。中国の大学生は自分の職業生活での目的意識がはっきりしており、慢然と「生活のため」という消極的姿勢はない。」
※この結果も優劣があるかどうか判断できるかどうか疑問。そもそも回答方法が異なるにもかかわらず安易に優劣をつけることを前提で比較したがる。しかも、中国の場合、何故か「無回答」が17%もあるが(日本は0.3%!)、この理由についてなんら述べられていない。これは解釈のしようによっては中国の学生の仕事への無関心を表す、といった解釈だってできるのである。もっとも、実際は質問方法に問題があった可能性が最も高い。

P168「つまり日本の大学生の「やる気」は、多分にお題目にすぎない。「おもしろい」「能力発揮」とは口先だけで内容がない。どうやって生き生きするかを見失っている社会で、ポスト構造主義と同じ袋小路にたたずんでいる。と同時に、日本の大学生には近代的な自我意識がないことも見せつけられた。
この情けない結果を前にして、われわれはポスト構造主義以後の新しい理念を立ち上げる必要がある。でないと、学校からも逃走し、この社会からも逃走して、どこへ行こうとしているのか目標がわからない若者たちは、不透明な社会に漂い続けるのみである。」
※ここでは先ほど中国の大学生を高評価するために用いていた「能力発揮」というワードを「口先だけ」などと断じている。そもそもアンケート自体が口先だけでしか判断しないものであるように思うが、そのような批判の仕方に意味はあるのか。思い込みが激しいと言わないでどう千石の態度を評価できるのか。
P169「しかし、その趣味が一つの能力となり、社会とがっちり結びついた。ほんの一つの例だが、自分の能力の発揮、個性を開発するのに、力を注ぎ頑張って、そして社会と結びつくのはすばらしいことではないか。その充実感を、逃走する若者にも知ってもらいたい。」
※こういうものの評価、量的調査をすべきなのでは??なぜたった一つの事例でこのような態度が優れているなどど断言してしまうのか。

P194「学校の規範から逃走しようとする若者現象が多く見られるようになった。上衣の胸元を少し開ける。ダボダボのズボンにする。髪に天然パーマといえる程度にパーマをかける。校門を出たとたんにルーズソックスにはき替える。こういった逃走児はだんだんと多くなった。生徒指導の先生の多くは服装の乱れは心の乱れにつながるという。非行はここから始まるというのである。
そのうち、制服廃止運動があちこちで起き始めた。生徒会のリーダーが積極的に働いたケースが多い。リーダーは生徒会の決議として制服廃止を決定し、これを職員室に持っていく。すんなり受け入れてくれる生徒指導教師はいない。長い長い話し合いという闘争が始まる。学校側からはいろいろな条件が出され、リーダーは持ち帰って生徒会に諮る。こういう経過は、結果的に生徒たちの「自由化後の責任」を明確にする仕掛けだったといえる。」
※まずもって、この制服廃止運動がいつ頃の話なのかがつかめない。校則廃止の動きはむしろ文部省が動かなければ大きな波及がされなかったものだったのでは?千石のいう解決策はほとんど妄言に近いのではとも読めてしまう。
P195「こうして条件つきではあったが、制服廃止運動は成功を収める。この成功の経過は偏執蓄積型社会からの逃走の許可という性質をもつ。運動に成功をもたらした経過は社会化への歩みでもあった。」

江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

 今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。
 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せねばならない。P111-112にて農耕文化的側面が日本の社会を「母性的」たらしめていることや、p147における「超越神」と「自然神」といった比較がなされているあたりが比較的明確に議論している部分といえるだろうが、河合が網羅的にその特徴を押さえて議論していたのとはほとんど対照的に、漠然とした形でその性質を述べているに過ぎない。したがって、私の解釈で議論をしなければならない。
 その私の解釈とは、基本的に阿部謹也の世間論において日本と対比された、キリスト教的な神との対峙に典型的な父性原理を見出すという発想である。「贈与慣行があった時代には人々は個人としての位置をもっていなかった。」(阿部「近代化と世間」p23)しかし、個人が神との対峙.により「世間」は「切断」され、そこから個人が解放されるというのが阿部の論旨であった。このような説明は江藤においても、「天」という表現などで「母性」的なものと区別をはかっていることから類似性が見出せる。もちろん、江藤は必ずしも抽象的な「神」との対峙が必要であると言っている訳ではない。それは本書で実際の母をなくす可能性を認識する、といった事件によってもありえるものとみなしている(cf.p223)。江藤も明らかに「絶対的他者」との対峙に個の現出を見出している。そして、それが恐らくは「父」と結びついているものと思われるのである。

 さて、ここまでであればさほど大きく河合の議論と異なるとまではいえないないだろう。そこで、注目してみたいのが、江藤のいう父性原理における「権威」というものである。河合はアメリカにおけるauthorityというのは拘束性とは別の考え方であることを強調しつつ、父性原理に基づく教育というのは、「押しつけ」ではないと強調する。

「日本では権威が権力と混同されていやがられるが、アメリカではauthorityは何かのことについて他から卓越した知識や技術を身につけていることで、すぐ連想するのは「信頼できる」ということである。ところが、日本であれば、「権威」というと連想するのは、「拘束される」ということではなかろうか。それによって自分の自由が奪われる。これはどうしてだろうか。
 ここにも、最初から個性をのばしてゆく西洋流の教育における権威と、易行型の日本の権威との差が出ている。易行型教育では、型は絶対である。それが絶対だという意味において、教師は個性ぬきの絶対的権威をもつことができる。それにしたがう者がその方法をまったく肯定している場合は問題がなく、すべて安泰である。しかし、それにしたがう者が、少しでも「個性」などということに目を向け出すとどうなるだろう。その場合の「権威」などというのは、個性の破壊者としか考えられないであろう。」(河合「臨床教育学入門」1995,p80-81)

「しかし、これを父性原理に基づく教育から見ると、まったくナンセンスである。個々の生徒の個性を尊重すべきであるし、「権威」をもちたい教師は、生徒に信頼をえるだけの知識と技術をそなえた個性ある人間として、成長するように努力しなくてはならない。教師は自分を鍛える努力をしなければならない。教師は自分を鍛える努力をしなくてはならない。これに比べると、「型」にはめる方は、自分の権威を安易に守り、生徒の方にそれを押しつける姿勢が目立つ、そこで、教師の「個性」を見極めたいと思う生徒たちから猛反撃をくらうことになる。」(同上、p81)
 この言い分に対しては、二重の意味で批判せねばならないだろう。まずもって、「アメリカの教育に押しつけがない」という言い分は、特に60-70年代にアメリカで議論されていた学校教育批判と噛み合わない。脱学校論の系譜もそれに該当するが、アメリカにおいても、学校教育は「押しつけ」の代名詞として批判の対象になっているという事実を完全に無視していることになる。

「いま教育は、人々の主体的な行動、生き方の敵対者になっている。すくなくとも、強制的で威圧的で、アメとムチの原理によって運営されている学校教育は、諸個人の主体性を完全に踏みにじっているのである。これまで人々が持っていた教育への幻想を否定し、主体的な生き方をするためには、何が必要かを探るのが、この本の目的である。」(ジョン・ホルト「21世紀の教育よこんにちは」1976=1980、p1)

 また、第二に、もっと広い意味で父性社会そのものが権威的な押しつけがないのかという点について。これについては大いに語弊を生むように思える。本書の議論においてはこの点についてほとんど論点となっていないようにもみえる。父性原理の社会においては、「絶対的他者」が機能し、p221に見られるように、そのような「絶対的他者=父」が罰する者として、主体の視線に現れることになる。問題はこれが河合が言うような「押しつけ」とどう関連しうるのかということである。
 これが押しつけでないと言うためには、それが文字通り「絶対的」なものとして機能していること、つまり、周囲の具体的他者から完全に離れた状況のもとで主体に働きかけるものである必要がある。そして、江藤の前提をもとにすれば、このような状況の前段において「怯えの現存、あるいは偏在」することが必要となるだろう。
 このことの詳しい状況については、江藤がアメリカに滞在していた時の体験記となっている「アメリカと私」を参照すると、見えてくる部分であると思う。少なくともアメリカへの移住民にとっては、アメリカ文化の受容(≒父性原理の社会の受容)は一種の強制に他ならないものであったと江藤は述べている。

「米国にやって来た移民は、まず英語の習得からはじめ、無限に自分をアングロ・サクソン化しようとする努力をつづける。そして「アメリカ」社会は、先に来たものが新参者をいじめるというかたちで作用する社会的圧力を通じて、絶えず「お前は本当に米国人になっているか」――つまりどれだけアングロ・サクソン化したか――と問いつづける。
 この間断ない忠誠調査によって、合衆国は「多をもって一となす」ことに成功し、「アメリカ」社会を統一する忠誠心のにかわをつくりあげた。つまりこの社会は間断なく模倣を強制する。そして組織化された模倣の奨励が「教育」というものだとすれば、つねに「教育」を強制する。したがって、この社会は、「よき米国市民」という優等生がたえず劣等生をむち打っている巨大な教室のようなものだともいえる。これほどダイナミックな国家と個人の関係はほとんど残酷といっていいであろう。この残酷さからのがれる道は、自分が優等生になる――つまりあらゆる意味で「成功」することしかない。
 なぜこれほどの強制力が必要か。いうまでもなくこの国を解体させてしまう分化力が、つねに強く同化力の裏側に作用しているからである。」(江藤「アメリカと私」1965=1991、p184-185)

 当然、このような社会に溶け込み、内なる絶対的他者を獲得した者であれば、このことを「圧力」などと感じることもなくなるのだろう。しかし、移住民も含めて、その社会に適応する過程においては、これは「圧力」に他ならないものであるといえる。社会への適応という課題を捉えるのであれば、江藤のような見方はむしろあたりまえであるといえる。
 これは、河合の父性原理・母性原理の考え方からみても同じであるはずである。それは日本のような母性社会における人間を「永遠の少年」(河合1976,p30)と表現していることからも明らかである。つまり、母性原理と父性原理は厳密な意味で二者択一の形式をとっているとは言い難い。むしろ生得的な意味では個々人が母系社会を好む傾向があるということを河合自身認めているのである。これは江藤のp185でみる立場と同じである。西洋の子どもは父性社会で生きるべく、それ相応の教育を受け、父性社会で生きていくための個性を獲得することを方向付けられている、ということになる。

 では、これは本当に「権威による押しつけ」ではないのか?私にはどうしてもこれは押しつけにしか見えない。結局これに適応できなかった弱者が逸脱行動をする、そしてそれは日本よりも大きい、という河合の立場からしてもそれは明らかであるように思う。確かにその圧力の性質は異なると言えるかもしれない。日本は平等性の押しつけとして、アメリカでは強い「個」が勝るという原理の押しつけによってなされているという見方はありえるのかもしれない。しかし、それはいずれも「押しつけ」であることに変わらず、日本の学校教育に限って「権威的押しつけ」がなされているとみなす河合の見方は誤りだと考えられるのである。


○日本の教育病理は日本独自のものなのか?
 このような問題点は、そのまま河合の提示した父性原理・母性原理の問題に関連してくる。河合は、日本の教育問題について、それを母性社会日本への父性原理の流入によるアノミー状態であると、その独自性を強調していた。しかし、これについても、実証性に極めて乏しく、むしろ検証なしに批判を行ってしまっている。
 確かにいじめにおける暴力性の問題などは日本が比較的非暴力的であると、国立教育政策研究所などが国際比較しているが、いじめの原因論として、河合のいう母性原理・父性原理が関連しているかどうかは別問題であり、実際の関連性があるかどうか微妙な所もある。また、暴力性をことさら河合が取り上げたいのであれば、それは父性原理と暴力性≒権威的押しつけを結びつける議論となってしまい、河合の論旨と矛盾してしまうのである。
 また、タテマエとホンネの議論もこれに付随して日本的特徴とみなされる訳だが、日本がアメリカと比べこの区別が強いという根拠も極めて乏しい。アメリカにおいても制度上表面化しているタテマエと、実際の個々人の行動がずれることは「人間の心と法」における国際比較調査からも遵法意識の議論などから垣間見れた部分であり、現在のアメリカの政治情勢を見ても、それが「タテマエとホンネの乖離」を示しているようにも見えてしまう。これも結局「父性原理・母性原理」という二項対立からは出てくる結論といい難い。

 また、不登校の問題に関していっても、「登校拒否」、さらには「スクールフォビア(学校恐怖症)」まで遡れば当初は欧米の考え方を取り入れながら議論されていたものであったという側面を認めねばならない。また、不登校の割合だけ見るならば、むしろアメリカの方が多いという論者もいる(千石保「普通の子が壊れてゆく」2000,p76)。議論はそこまで単純なものとはいえず、だからこそ「父性原理・母性原理」という立場から、いかなる差異が見出せるのかといった観点に基づく実証的議論が必要であるといえるのである。

 更に言えば、河合はこのようなアノミー問題を単純に欧米文化の受容の産物と捉えていた。それは日本において「父性原理」が欠落しているということから指摘されたことであった。しかし、江藤の議論というのはこれを否定しうる。江藤のいう「天」の発想というのは、明治期などにはそれが断片的にであれ日本に存在していたとしているし、むしろそのようなものの復活の流れを介して「父性原理」のアノミー問題が生じている可能性も同様に指摘できるのではないか?また、広い意味で父性原理が「絶対的他者」と関連付く問題であるとするならば、西欧文化を介さずとも、それに到達する可能性もまたあるのではないか、と考える方が自然であるように思う。河合の議論は日本と欧米の対比に固執しすぎているように見えるのである。
 河合のいう「父性原理」は個人主義という言い方で言い換えても語弊がなかったのに対し、江藤のいう「父性原理」は、ある意味で個人主義という表現に適さないという言い方も可能であろう。これについては、江藤の他の著書から見れば別の結論が出てきてしまうのかもしれない。しかし、本書のみに限れば、江藤のいう「父性原理」は、阿部謹也の議論などで用いてきた「純粋贈与」というのが必然化しているとは言い難い。「純粋贈与」とは厳密な意味で神との対峙がなされた場合に、厳密な意味で「個人主義」が機能する条件として見出しうる、返礼なき贈与であった。そして、この「純粋贈与」については、その成立した状態について、何度が私自身疑念を与えてきた。江藤の議論を断片的に読んだ限り、この「純粋贈与」の成立は明示されない。それは可能性の議論にとどまっている。
 しかし、河合のいう父性原理はそれとは異なり、この「純粋贈与」が成立した上での個人主義をすでに語ってしまっているのである。河合の議論の批判を厳密な意味で行うのであれば、この点にあるのではないかと考える。


○理念型の運用についてどう考えるか?
 もっとも、「理念型」の話に立ち返って物事を考えてみると、ある意味で、河合のような父性原理の性格付けというのは、理にかなっていると言えるのである。一見すれば、河合はこの「父性原理・母性原理」について価値中立であることを繰り返し明言しており、なおかつ、このような区分というのは「大雑把」なものであることを認めている。

「今回はあまり論じる機会はないが、他のアジアの国は日本よりももっと母性原理優位ではないかと思われる。日本は後にも述べるように父性原理をアジアの諸国よりは取り入れているところがある。と言っても、大まかな比較をする限り母性原理による社会と言っていいだろう。
もちろん、これはきわめて大雑把な比較である。そして、ある文化や社会がひとつの原理のみで成立するはずがないので、片方が優位の場合でも他の原理による補償が行われるように、うまく工夫されているのが実状である。ここで認識しておかねばならないのは、この二つの原理を論理的に矛盾しない一つの原理に統合することは不可能なことである。そして、この原理のどちらがよいなどということはできず、まさに一長一短である。」(河合「臨床教育学入門」1995,p63)

 この大雑把さというのは、理念型と実態との関連の議論でいうならば、それが十分位置付けできていない、という意味で用いられていると言ってよいかと思う。これ自体はその性質の整理という意味では、厳密さに欠けていようとも論じることに大きな問題はない(もちろん、誤配という領域においては問題になり続けるが)。
 しかし、これが何らかの批判や、改善を求める言説と結びつく場合は話が異なってくる場合がある。そのような批判等を行うために河合のような理念型の運用を行う場合、すでに理念型はその仮説的位置付けを超え、自明の理として性質付けられることになる。何故なら、そのような位置付けがなされない限り、現状の批判そのものが機能しなくなるからである。
 明らかに河合は日本の学校教育、そして母性原理社会であるとされる日本に対して批判的な立場から議論を行っている。この批判性は当然母性原理そのものの批判ではないが、現状改善の必然性を強く訴える論調である。そうすれば当然「大雑把」な分類をしていたはずの「母性原理・父性原理」は、その大雑把さを失う。そして、江藤においては議論されえた領域の議論が排除されてしまうのである。結局、河合は自らの態度に矛盾を抱えてしまっているという解釈をするほかなくなってしまう。
 このような矛盾的な態度というのは、河合の場合むしろタテマエ的に理念型を捉えてしまっていることに起因しているという印象を強く持ってしまう。「理念型は実態と一致しない」「理念型は善悪をそれ自体示さない」というのは理念型の大原則である訳だが、それを河合がタテマエとして確認しているだけなのではないのか、つまりそれは形式的に述べられているに過ぎず、その実質的な意味合いにまで吟味せずに述べてしまっているからこそ、矛盾した態度を取ってしまうのでないのか、という疑念をどうしてももってしまうのである。

 一応付言しておくが、江藤の議論もまた十分に客観的な実態に基づいて分析をおこなっている訳ではない。江藤のいうアメリカも断片的でしかない。しかし、たとえそれが「偏見」であるにせよ、江藤のような見方で「父性原理」を捉える余地は大いにある訳であり、その可能性の議論を否定した上で、河合の言うような二項対立的な「父性原理」は語られるべきであるということである。


<読書ノート>
p70「そして「父」である「国家」は、それ自体がヨーロッパという「父」に対して反抗し、独立したという「子」のイメイジを内包しており、カウボーイは容易に自分をこの「父」と一致させることができる。つまり彼は父性的な文化のなかで育てられた人間である。」
p72「もし息子が「父」のイメイジを自分に一致させようとすれば、それは「進歩」否定として社会心理上の制裁を受けなければならない。この社会で「進歩」がほとんど無条件にプラスの価値と考えられているのは、「進歩」が「西洋」=「近代」に対する接近の同義語だからである。もともと「父」を「恥じる」感覚の底に、「他人」の眼に対してという比較の衝動が潜んでいることはつけ加えるまでもない。ここでいう「他人」が西洋人であることはいうまでもないであろう。
注目すべきことは、この「進歩」の過程で社会が急激に崩壊して行くということである。いいかえれば、「父」によって代表されていた倫理的な社会が、次第に「母」と「子」の肉感的な結合に支えられた自然状態にとりかこまれて腐蝕して行く。」

p97「なぜならすでに述べたように、近代日本の社会で人は「他人」のためにも「自分」のためにも生きられないように存在しているからである。「他人」のために生きて「責任」をとったり「救おう」としたりすればかならず「とまどわ」なければならず、「自分」のためにもまた「他人」のためにも生きられず、そこに「社会化された私」などというものは成立しない。」
p111-112「エリクソンは、あらゆる女性的な不安のなかでもっとも根源的なものは、この「置き去りにされる」不安だといっている。それが女性が幼児期に経験する、もっとも深い性徴の自覚と結びついているからというのである。だが、それにしてもいったいなぜこの女性的な不安が、ほかならぬ昭和三十年代の日本人の心をあれほど強くとらえたのだろうか。
いうまでもなく、それはもともと日本の社会の根底をしめているのが女性的、あるいは母性的な農耕文化だったからにちがいない。それに加えて敗戦とそれにつづいた占領が「アメリカ」の代表とする近代産業社会と日本の農耕社会との落差を、誰の眼にも明らかなものとした。」
※模倣的なのもまた母性社会だったから、ということになる。

P146-147「近代日本の社会が、「父」のイメイジを稀弱化し、敗戦がさらに支配原理そのものを否定したことについても、前に触れてある。彼には「母」もなければ、「父」もない。ただ「家」だけがあり、その中を治める手がかりを俊介はどこにも見出せない。」
P147「それは作者が俊介と同様に、「母」の文化のなかで育って来た人だからにちがいない。つまり作者が「父」の背後にいる超越神よりは、「母」の背後にひそむ自然神に対して宗教感情を感じるような人だからにほかならない。」
P148漱石儒教の超越的・父性原理「天」の基軸を作品に内在させていた

P174「私は十六・七世紀の日本に在来のどんな強力な父性原理があったかよく知らない。しかしそのとき「天主教」は、主として母性原理によって成立していた日本の農耕社会に強力な父性原理を注入しようとした。それはいうまでもなく農耕社会に侵入してきた遊牧民族の原理である。この「天」の思想が、やがてもうひとつの「天」の思想である儒教と角逐して追われたのは自然である。」
P185「果して「父」を抹殺してしまった世界で、人は生きられたか。「父」への信頼を喪った者同士が、どうして結びつくことができたか。いったい父性原理の欠けた秩序がありえたか。……
……人が喪失した「母」の回復にのみ救済を見ようとするかぎり、回復されるのは幼少期の投射であって決して秩序でも社会でもあり得ない。なぜならあらゆる父性原理は、おそらく「喪失された幼年期」意識の上に、それが決して回復され得ないという断念の上に築かれるもののはずだからである。」

p221「しかし「彼」がなにに熱中していたとしても、おそらく彼は映画に出て来るイタリア移民の石工とはちがって、「自分を罰し」なければならないようなことをしているとは感じていなかったにちがいない。つまり「彼」には、「罰する」ことのできる「父」の視線を感じとる感覚が欠けていたからである。」
p223「だが妻の自殺未遂に直面させられたとき、「彼」のなかでは「母」とともにこの素朴存在論の世界全体が崩壊する。そのとき「彼」ははじめて「個人」というものになり、その前で妻は不可解な「他者」というものになった。この「他者」は眼の前にいながら、同時に無限の彼方にいて、触れあうことができない。」
p224「ここで『夕べの雲』の主人公が、「天に対して全身をさらしている」と感じているのは、注目に値する。「母」が崩壊したときはじめて「天」が、つまり「罰する者」としての「父」が求められているからである。この「天」は、いうまでもなくあの怯えの現存、または偏在を前提としなければ出現し得ない。」

p245-246「彼の内にある「母」が崩壊していったように、彼の周囲の「自然」破壊され、一切は「もうこの世には無いもの」のように見える。大浦は実はそういう、「幻」の世界に向って立っている「治者」なら、彼はあたかも世界が実在するかのように、そして秩序がそこに実現されるかのように、しかもそのいずれをも少しも保障されずに生きているのではないであろうか。
これはいうまでもなくきわめて意志的な生きかたである。大浦にこういう生きかたを選ばせているのは、あの怯えにほかならない。彼はその怯えを内に隠して、あたかも「天」によってその権威に支えられた「父」であるかのように生活している。しかしこの沈着な家長は、いつどこからこの「父」のイメイジをあたえられたのだろうか。ここにはおそらく『夕べの雲』の核心に触れる秘密が隠されている。現実の「天」は大浦を畏怖させるものであっても彼を権威づけるものではなく、「不寝番」を引きうける彼の孤独な努力を意味づける価値は、実はこの小説のどの部分にも出現しないのである。」

p254「アメリカと私」の説明…「敢えていえば、それは、人はこの国(アメリカ)では孤独であることが許されている、とでもいうような感覚である。これは個人主義などというイデオロギーとは何の関係もない感覚であり、況んや自由とか民主主義とかいうお題目とは、似ても似つかないような感覚である。むしろ、個人主義や自由や民主主義は、単にこの感覚を包んでいる風呂敷のようなものに過ぎず、実際にアメリカで生活していると、個人主義や自由や民主主義ではなくて、この感覚だけが骨身に沁みついて来るのである。」

河合隼雄「河合隼雄著作集7 子どもと教育」(1995)

 今回は、河合隼雄の「父性原理・母性原理」について考察するにあたり、その特徴をまとめてみたい。河合の著書は「母性社会日本の病理」(1976)をはじめ、教育にも関連する数冊を読んだが、これらの本からまとめると、6点にまとめることができるだろう。

1.一点目として、その性質は本書のp17に書かれているような「切断」と「包摂」という二項図式によりまずもって定義されている。この態度は過去の著作から一貫しているといえるだろう。

「これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子供をその能力や個性に応じて類別する。極端な表現をすれば、母性が「わが子はすべてよい子」という標語によって、すべての子を育てようとするのに対して、父性は「よい子だけがわが子」という規範によって、子供を鍛えようとするのである。父性原理は、このように強いものをつくりあげてゆく建設的な面と、逆に切断の力が強すぎて破壊に到る面と、両面をそなえている。」(河合「母性社会日本の病理」1976,p10)
「母性原理に基づく倫理観は、母の膝という場の中に存在する子供たちの絶対的平等に価値をおくものである。それは換言すれば、与えられた「場」の平衡状態の維持に最も高い倫理性を与えるべきものである。これを「場の倫理」とでも名づけるならば、父性原理に基づくものは「個の倫理」と呼ぶべきであろう。それは、個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与えるものである。」(同上、p13)

 そして前回も触れたが、これに関連して本書では表で「父性原理」と「母性原理」の特徴をp18でまとめている。これらの特徴の説明は逐一河合は行っていないが、特にR.ベネディクト以降盛んに議論されていると言える「日本人論」における特徴をまとめたものだ、と言われればあながちこのように理解されているといえなくもない(もっとも、そのようなまとめ方を河合は述べていないが)。


2. そして、これはそれぞれが西洋の原理、そして日本の原理として対比した形で語られることになる。かつ、合わせてそれらは相互に参照されるべき価値観であること、つまり母性原理で成り立つ日本には父性原理を、父性原理で成り立つ西洋には逆に母性原理を取り込む必要性を繰り返し述べる。

アメリカは今まであまりにも切り棄ててきた母性をいかに取り戻すかという点で、大きい問題をもっているのに対して、日本では今まであまりにも接触を持ちつづけてきた母性といかに分離するかの問題に悩んでいると考えられる。この点についての詳論は避けるとして、アメリカの状況からみて、あまりに母から切れた自我の危険性も十分に感じられるのである。この点、永遠の少年について述べたとき、日本の社会は父性原理と母性原理の中間的存在ではないかと指摘しておいたが、それを「永遠の少年」などと呼んだのも、西洋的な観点に立ったからであり、そのためにむしろ否定的な把握の仕方をしたが、ここで観点をまったく変えれば、柔軟性のある、バランスのとれた構造と考えられはしないだろうか。」(同上、p30)

「このように述べてくると、筆者の感じているジレンマ、父性的な自我の確立に伴う功罪の問題は、次のように結論づけられることになろう。つまり、日本人の自我における父性原理の弱さは、今後の国際交流の必要度の強さから考えても、やはり問題とすべきであろう。そして、現在のわが国の社会的な混乱も、このような観点を導入することによって、より問題が整理され、無用な誤解や争いも減少するであろう。
 ここで、われわれは父性原理の確立にもっと努力すべきではあるが、それは単純に西洋のモデルを良しとするわけではない。父性原理を確立しつつ、なおかつ母性とのかかわりを失ってしまわないことも大切ではなかろうかと思われる。この点、日本の神話のもつユニークな構造は、第三の道を拓くものとして、案外興味深い示唆を日本人に対してのみならず、世界に対しても与えるものではなかろうか。」(同上、p32-33)
 河合は父性原理と母性原理のどちらが優れているのか明言していない、という意味で価値中立的な立場から、双方の性質の理解とその適切な採り入れについての必要性を述べているといえるだろう。


3. これに関連するが、河合は現在の日本の状況として、すでに父性原理を取り入れ始めている過程にあるものとして位置付けている。本書のp100-103あたりの記述もそうであるが、部分的に父性原理によって行為しようとしている日本人がいることを想定しつつ、母性原理の支配的な状況に挟まれ、アノミー状態になっているかのような見方をしているといえる。そして、それは「西洋化の影響」として語られている。

「日本は母性社会ではあるが、欧米の文化の影響を受けて、父性原理のよさを知りそれを取り入れようとしている。そこにいろいろな混乱も生じているが、欧米と比較すると母性社会の特徴を保持していることで、利点をもっていることも事実である。たとえば常に全体を包みこむ姿勢があるので、わが国の全体的な教育水準の高さは世界に誇れるものである。また、よく言われることだが、日本の都市の安全性の高さ、非行少年の数も少なく凶悪な者が少ないことなどは、その反映である。このような利点が多くあることは決して忘れてはならないが、母性社会特有の圧力が個人に、特にその人が父性原理を好む場合は、強くのしかかっていることも忘れてはならない。」(「河合隼雄著作集14 流動する家族関係」1994,p159)


4. 更にこれに関連して、河合の教育問題に対する議論というのは、母性原理と父性原理の衝突の結果として、いわば日本独特の問題として語られることになる。本書では不登校の問題がそのように語られているが(p100)、いじめの問題についても、西欧とは違った日本的な問題としてそれが現われているものだとみているのである。

「まず、日本において青少年の暴力事件が極端に少ない事実であるが、これは欧米に比較して、日本は暴力に対する一般的抑制力が強いことを示している。……
ところが何でも一長一短で、絶対平等感に基づく一様序列性などが、個人を圧迫してくる。したがって、それぞれの個人が何とも言えぬ被害感をもっているところで、成績が悪いなどと言われるとますます腹が立ってきて「うっぷんばらし」をしたくなってくる。そのとき標的としては、何らかの意味で全体とは異なるところのある者が選ばれやすい。欧米のように弱い者、嫌な者にむかってストレートに暴力に向かうのとは異なる形態をとる。日本では「皆と同じ」でないことは、非常に危険である。
日本ではしたがって、個性的に生きようとする者が「いじめ」の対象となることがある。「生意気」とか「統制を乱す」などと表現されることがあって、このような「いじめ」は日本の職場の各所に生じている。そんな点では大人も子どもも同じだが、すでに述べたように、思春期においてはその程度があまりにもひどくなる点で問題である。」(「臨床教育学入門」1995,p178-179)


5. 次にそもそも「父性原理」と「母性原理」という用語が父・母という言葉を用いていることについて。これについてしっかりと明言している部分はあまりないが、本書のp57で「男性の目」と「女性の目」という表現を「実際の」男性・女性の傾向として捉えて使用していること、また、下記の引用の中でも、自立/依存という区別が「実際の」男性・女性の性質としてみなされていることから、基本的に父・母それぞれが担っている傾向があるものとみなしているといってよいだろう。

「人間は他の動物と異なり、だんだんと男性が力をもつようになる。人類の特徴としての「意識」、「自意識」ということに男性が強くかかわってくる。そして、自立ということに魅力を感じはじめる。自立も結構だが、単純に考えると、自立と依存とを完全な対立概念として捉え、依存を拒否すればするほど自立的である、というスローガンができあがる。これはスローガンとしては論理的で強力だが、およそ実態と合わない。何にも依存せずにいる人間などいない。空気や土や太陽に依存せずに生きることができるだろうか。この基本的依存の形に、人間関係として、もっとも近いのが母・娘関係である。
 人間が自立するということは、自分が何にどの程度依存しているかはっきりと認識し、それを踏まえて自分のできる限りにいて自立的に生きることである。しかし、「自立」ということが先にスローガン的に意識されると、依存はすべて拒否したくなる。」(「河合隼雄著作集 第2期 臨床教育学入門」2002、p108)

 しかし、他方で河合のこの二つの区分はパーソンズのレビューで取り上げた「<シンボル>としての父母」というのも(素朴にであると思うが)想定した議論となっている。必ずしも父性原理を男性に担わせるという意図があるという訳ではないのは、以下のような役割論の語りから見て取れるだろう。

「母親と子どもの結びつきは、このように極めて大変であるが、その母親を支える父親の力が弱いときは、親子関係の在り方が歪んでくるのである。父親の家庭での態度が弱いと、母親はそれを感じとって、知らず知らずのうちに、母親が父親役を演じるようになってくる。そのために、それを補償しようとして父親が母親役をとるようになると、もっぱら母親の役となり、父親は子どもに同情してかばってみたり、妙に甘やかしたりするようになる。このようなパターンは、わが国においては生じやすいように思われる。
 もちろん、父親と母親はテニスの前衛と後衛のようなものであり、時により、状況に応じてその役割が入れ代ることも必要である。あまりにも固定した観念に縛られていては、動きがとれなくなってしまう。しかし、父親と母親の役割がまったく逆転してしまうのは、やはり問題のようである。時には、一人で父親と母親の両方の役割をやり抜くような例外のあることも事実であるが。」(「河合隼雄著作集14 流動する家族関係」1994,p196)

6. もう一点河合の議論の特徴として、彼の議論する「父性原理」論が、日本で議論されている「父性の復権」論と混同されることに対して繰り返し批判をしていることが挙げられる。本書ではp20やp226などがそうだが、他の著書では次のような語りをしている。

「ここで少し困ったのは、原理としての「父性」「母性」ということを誤解する人がでてきたことである。もともとこのような命名は欧米人に日本文化のことを話すときに思いついたことで、よく理解されたのだが、日本人やアジアの国々の人にとっては、「父性原理」の強さというのが昔の権力的な父親像と結びついて、「昔の父は強くてよかった」というように誤解されることがままあることに気がついた。
 原理としての「父性」は、ものごとを明確に区別判断する機能に関係しており、昔の日本の父親は個人としてものごとを判断するよりは、「世間」の考えに従って、それを子どもに押しつけるときは家父長としての権力をもってした。それは一見「強い」ように見えるが、「父性原理」はむしろ弱いのであるこのことを明確にしておかないと、日本の母性原理の強さを反省して、「父権の復興」などということを言いたてることになる。日本においては「復興」などではなく、「父性」の強さを新しくつくり出す努力をしなくてはならないのである。」(「河合隼雄著作集 第2期 臨床教育学入門」2002、pix)


 以上のような特徴を持つといえる河合の「父性原理・母性原理」の議論であるが、まず疑問にせねばならないのは、パーソンズのレビューの際に述べた通り、「理念型」として言語を定義するにせよ、誤解を招く・ないし安易に「<シンボル>としての父母」を「実際の父母」と同一視しないためにも、「父・母」の性質の再生産に加担するような用語を避け、単に「切断」・「包摂」といった用語を使うべきだと思う。
 もっとも、河合は明言していないものの、「個人主義」と「集団主義」といった対比で説明するのを避けるために、あえてそれとは異なる形で用いているという風に解釈する余地はあると思う。個人主義という言葉もまたかなり様々な用法で用いられるものであり、それだけ語弊も生じやすいといえる。
 基本的に河合が「父性原理・母性原理」に限らず、学校教育の議論をする際にも、画一的・集団主義的な学校教育を批判しつつ、個性的・個人主義的な子どもを育てていかなければいけないという前提に立った議論をしている。

「ここでひとつの非常に大きい問題は、クラブの集団がほとんどの場合、日本的集団であることが多く、しかもその程度が強い場合が多いことである。ここに日本的と呼んだことは、筆者の表現を用いると母性原理が優位であることを意味する。全体がひとつに包まれていることが大切で、その集団の個々の成員の個性が時により、その集団のために無視されたり、潰されたりすることがある。そして母性的集団においては「長幼列あり」つまり古参の者が新参者に対して絶対的優位に立つという特徴をもつ。母性的集団では個人差を認めず本来的には全員が平等であるが、序列をつけるとするならば、個人の能力差を認めないので古い者から順番ということになる。」(「河合隼雄著作集 第2期9 多層化するライフサイクル」2002、p118)

「その本人が「好きなこと」は、個性と大いにかかわっている。したがって、ともかく「好きなこと」を尊重することは大変重要である。筆者は「好きなこと」をするためには、相当な犠牲を払ってもいいのではないかと考えている。しかし、以前は「好きなこと」よりも「するべきこと」をするのがいいと考えがちであった。おそらく教師という人は、同様に考える人が多いのではなかろうか。そんな好き勝手なことをする前に、するべきことが多くあるはずだ。各人が好きなことばかりやっていたのでは、全体の秩序が保てない。あるいは、非常に片寄った人間になってしまう。このような考えももっともである。しかし、そちらを強調しすぎて、個性を殺すようなことになっていなかったかと反省するのである。」(「河合隼雄著作集 第2期 臨床教育学入門」2002、p190-191)

「子どもたちに自由を許すと、そこから出てくるものは時に大人をおびやかすものもある。それらと正面から対決することによってこそ、新しい道が見えてくる。子どもが提出してくるいろいろな問題は、新しい発見へのきっかけをつくるものである。個性の尊重ということは、一人一人の責任と課題を重くする。制度の改変は必要であるが、それによって個人が楽になるのではない。日本の成人は各人が自分の意識の変革と取り組む覚悟をもたねばならない。」(
同上、p300)

 このような語りからは、河合が個性の尊重を行うべきである、という意味で、母性原理を批判しているのは明らかといえる。しかし、注目せねばならないのは、だからといって、父性原理の優位を語っていないという両義的な態度を河合がとっている点である。どちらの原理においても問題が出てくるのである。しかし、これでは何故父性原理に近づけることが善いことなのかが説明できない。
 少しこの点について整理してみよう。まず、河合の母性原理を批判する理由として、ネガティブなものとしては、それが子どもの抑圧になっていること、そして本書のp226のように、従属的態度をとることはかつて戦争に加担する態度になったという反戦的態度から見出すことができる。また、ポジティブな意味では「国際交流」という観点から、母性社会に閉じこもらずに父性社会へも適応できる態度を養わなければならないという見方をしている。
 そして、父性原理を批判する理由としては、その「切断」という性質そのものに対する批判を加えているきらいがある。実際問題となっている「アメリカの状況」については詳しく述べられている部分は先程引用した「母性社会日本の病理」のp30と下記のような部分が挙げられる程度である(しかし、ほとんど触れられているとはいえない)。

「筆者としてはここで日本の教育を否定して、アメリカをモデルにしろという気はない。アメリカの高校内の暴力や、麻薬の害を知ると、アメリカの教育が「成功」しているとは言い難い。」(「臨床教育学入門」1995,p82)

 したがってアメリカの父性原理が批判されるべきものであるという理由は、日本の教育水準の高さや都市の安定、非行少年の数が少ないといった、母性社会の性質(河合1994,p159)との対比として読むしかないように思われる。つまり、父性社会は個性を育むのには望ましいが、同時にその「排除」的側面により、少年非行といった社会問題の原因になっているという見方をしている、ということである。
 そして、河合は日本の現状について、父性社会を取り入れつつある状況であると述べていた。本書においても不登校問題をまさにそのような目線から批判しているのは明白であった。実際の所、河合は不登校問題をこのように捉えることで、日本特有の問題として位置付けているとみなすほかないだろう。


 しかし、このようにまとめるとすると、いくつか問題が生じる。
 まず何よりも、母性原理・父性原理批判に対する妥当性そのものについての問題である。先述したように、河合が父性原理・母性原理を厳密な意味でどちらがよいか判断していないとすると、何故それについて批判する価値があるかさえ問えなくなる。結局河合の言い分はどちらの原理にも善し悪しがあるのであるから、両者の性質を押さえた上でその良いところは活かし、悪いところは改善する、という両原理の「部分的」な改善の提起をしたいのだと思われる。
 しかし、そのような態度自体、やはり父性原理・母性原理という言葉を理念型として位置付け議論するという意味ではあまり有意義と思えない。改善すべきは父性原理・母性原理そのものではないのだから、それらを持ち出す必要性を感じないからである。先述のように河合の述べる父性原理・母性原理自体が、素朴な要素の集まりから成っている。そしてそれを裏付けているのは、おそらく古くからある日本人論といった議論を参照にした産物であると思われる。改善の対象とされた要素については焦点があてられるものの、そうでないものについては結局その性質を定義しただけで、特段その性質が「日本的」と呼ぶにふさわしいかの検討を行うことがない。今後このような日本人論については検証できる限りで考察してみたいが、実際にそれらのまとめられた日本人論の疑問符が付けられるのなら、それについては吟味していかなければならないだろう。

 もっと言ってしまえば、河合の「父性原理・母性原理」という言葉は彼のオリジナルではない。私が確認した限りでは、これ以前にすでに江藤淳が「成熟と喪失」(1967)にて同じ言葉を多少異なった文脈で語っている。具体的な問題点については、江藤の論と比較しながら次回行ってみたいと思う。


<読書ノート>
pxii「臨床心理学の仕事から出発して、教育の分野に実際的にかかわることが深くなるにつれて、私は「臨床教育学」という新しい学問領域を確立する必要を痛感するようになった。これまでは現場の教育と教育学者の間にギャップがあり過ぎたのではなかろうか。それに対して、「臨床教育学」では、何と言っても現場と直接かかわり、現場の教師にとっても意味のある研究をすることが使命となっている。しかし、それは単に個別的な事柄をどう処理してゆくか、ということを目標にしているのではなく、個々の具体例を通して、人間の心理について、教育について、できる限り普遍的な原理や方法を見出そうとする努力によって裏づけられていなければならない。」
※ある意味でそれだけ距離ができてしまった、と見ることもできるだろう。そしてこのような発言自体が、過去の教育についての理解の欠落によって成り立っている可能性の示唆にもなる。

P5「教育の「実状」を考えてみると、日本人すべてが、「勉強のできる子はえらい」という、一様な価値観に染まってしまっている、と言えないだろうか。親は子どもの点数のみ、序列のみを評価の対象にする。少しでもよい点をとってきて、少しでも上位にする子は「よい子」なのである。教師も親ほどではないにしても、それに近いであろう。」
※どこに根拠が?どう実状を見たのだろう。

P16「人間のことを考えるのには、いろいろな原理がある。ひとつの原理によって説明することは、単純でわかりやすいが、それはともすると実状に合わなくなるのではなかろうか。一党独裁が危険であることは、最近の世界の情勢がよく知らせてくれたことである。すでに述べたように、生と死、健康と病気、仕事と遊び、などの対極的な見方の、どちらか一方に片寄らず、ものごとを見てゆくことは、教育にとって大切である。
ここにもうひとつ特に取りあげたいのは、私が父性原理、母性原理と呼んでいる、対立するものの考え方である。この呼び名はわが国では、ときに誤解されるのだが、欧米の人たちに言うとよく通じるようだ。それは、ここに言う父性原理は、後でも言うように西洋に発達してきたものなので、そもそも日本人にはわかりにくいのである。これらの原理ではどちらが正しいとか誤りである、というのではなく、まさに一長一短であると私は考えている。ともかく、それがどのようなことかを次に述べる。」
※理念型αは無視し、価値の問題だけを取り出してしまっている。
P17「父性原理、母性原理と私が呼んでいるものは、端的に言うと、父性は「切る」、母性は「包む」機能を主としている。父性は善と悪、できる者とできない者、固いものと柔かいもの、何でも明確に区別してゆく。それに対して、母性はすべてを全体として包みこんでゆく。この原理のどちらが正しいというのではないが、片方の原理が正しいと思うと相手を攻撃したくなってくる。」
※この父と母という言葉はどこから持ってきたのか?

P17「割り切って言えば、日本は欧米に対して母性原理が強い国であったが、国際交流が活発で、かつ欧米の文化を輸入している間に、父性原理の方もだいぶ輸入しつつある。そして、頭で考えるときはーー特にインテリはーー父性原理に近いのだが、実際行動や感情的な面では、まだまだ母性原理によって生きている、というところである。」
※母性原理が強い国とはどういう意味か?社会的なものの議論であるようにも読めるが、後半の話はあきらかに国民の心性ありきの言い方である。
P18父性原理と母性原理のまとめ
※個人の確立/場への所属(おまかせ)、契約関係/一体感(共生感)、言語的/非言語的、個人差(能力差)の肯定/絶対的平等感、進歩による変化/再生による変化、個人の責任/場の責任、しまいには時間の捉え方について「直線的/円環的」という対比までしている。
P20「論を先にすすめる前に、父性原理についてもう少しつけ加えたい。この点について誤解する人が多いからである。わが国において、父性が弱いという認識がだんだんとできてきたのはいいが、「父性原理」などと唱える人がでてきて、軍国主義時代の父親をさも強い父性をそなえた人物であるかのように誤解して、それを押しすすめようとする。これはここに述べた父性原理をまったく誤解している。」
※そもそも河合の父性原理を参照する気があるかどうかから疑問だが。スパルタ教育論などを父性論とするなら、河合の方が後発した父性論者であり、喧嘩をふっているのも河合の方である。

P20「このことがわかっていないと、父性復権のつもりで、生徒に細かい校則を押しつけ、そのためには暴力をも使用する、などということになる。日本には父性原理の復活などということはない。それはもともとなかったものなのだから、もしそれを必要と感じるならば、父性の新たなる獲得として意識されねばならないのである。原理の弱さ腕力でカバーするのは、まったく馬鹿げたことである。」
※言葉遊びのようにしか聞こえないが。河合の批判する父性論者はそもそも父性原理を支持しているわけではない。それをわざと混同させようとし、日本的父性論を弱体化させようとしているのが河合である。これはただの価値のぶつけ合い、イデオロギー闘争でしかない。

P42「一昔前は経済的な条件のため、自宅から通える範囲内の大学にしか行けない人も多かったので、優秀な学生がある程度分散されたが、現在はそのような傾向も少なくなって、日本全体としての大学のランクづけが著しくすすみ、現状のように問題点が大きくなってきたのである。日本人のこのような傾向がもう少し変化しない限り、制度の改変によって大学受験の受験地獄を緩和することはきわめて困難であると思われる。」
※いつの話をしているのか。戦後であるのは間違いないが。そしてこれはいかにすれば実証できる話なのだろう??官僚の出身大学比較?それはむしろ昔の方が一極化していたのでは?
P44「おそらく、自我意識のあり方がどうであれ、日本人は日本人アメリカ人はアメリカ人なりに、個性的であることや、創造的であることは難しいのであろう。このことを教育との関連で言えば、集団の一般的傾向と異なる生き方をすることは、どこの社会でもなかなか難しいことで、教育者が、被教育者の個性的表現を許容したり、促進したりする態度をもつことがいかに難しいか、ということになるだろう。
このように考えてくると、試験の問題に対して、「正しい」答をできる限り早く見出すことを訓練することは、それが「正しい」ことであっても、個性の発展を妨害することがあることに気づくのである。問題を解く際に、いろいろと模索し、間違ってみることのなかに、案外個性の発芽が認められるかもしれない。せっかちに正答を見つけるのではなく、そのような誤答のなかに価値を見出すことも必要である。」
※何故かここでは日米比較をやめ、個性の問題を強調した語り方をする。結局のところこれが問題となるのは正しさを強要する場合だけではないのか?それを取り除いた場合に、ここで述べられている個性とは何を意味するのか?

P45「自然科学の発展の基礎となるような近代自我を、子どものときに確立することが、日本人のなかではどんなに困難であるかは、先に示した帰国子女の例が示している。この点に注目する人は、日本人で創造性の高い人は海外に流出してゆく、と主張する。実際に、日本の「学会」というものが日本的集団構造を強くもっているときは、そのなかで若い人が自由に発言できない、あるいは、能力のある人の足をひっぱる人が多い、などの現象が生じる。
わが国では、すでに述べたように、母性原理による絶対平等感が強いので、特定の能力のある人が、たとえそれにふさわしいだけの待遇を受けていたとしても、それは「民主的でない」ということばで表現される、日本固有の論理によって反対されてしまったりする。このために、創造的な個人がのびのびと活躍する場が奪われてしまうのである。このことは、今後、日本の教育や研究のあり方を考えてゆくうえで、大いに反省しなくてはならない点であろう。」
※前半についてはやはり、心性の問題と社会性の問題を混同した結果、子どもの頃から心性が育たないという結論をしている。創造性の高い人の海外流出は成人してからの話のはずである。それを子どもの話まで素朴に拡張してしまっている。これでは何を反省すべきかわからないという問題にもなりかねない。後半についても、アファーマティブ・アクションといった絶対的平等論とどう馴染むのか。

P57「そこで、私は思いきった表現で、現象を見る目に、「男性の目」と「女性の目」とがある、と考えてみたい。ここに、あえて「男性」、「女性」という表現を用いたのは、これまでの人間の精神史を考えてみると、やはり、男性がより得意としたものの見方と、女性が得意としたものの見方とがある、と考えるためである。したがって、個々の男性や女性をとって考えてみると、必ずしもどちらが得意かは一義的に言えないと考える。
「男性の目」は対象を自分と切り離し、客観的に見る。それは全体よりも、ある部分を切り取り、その部分を明確に認識する。「女性の目」は、自他の未分化な状態のまま、主観の世界を尊重しつつ、ものを見る。それは明確さを犠牲にしても全体を把握しようとする。実のところ、われわれは現象を見る際に、この両方の目を必要とするのであろう。しかし、いわゆる自然科学は、この「男性の目」の方を強調することによって成立してきたことを否めない。そして、それは普遍的な知識を供給してくれるものとして、きわめて有力なものであった。
人間が人間に対するときは、すでに示したように、「女性の目」を必要とする。「女性の目」で見たとき、それは自と他とのかかわりを含むものとなるので、いったい自分がこの子に何ができるのか、この際に何をすべきかがわかりやすい。」
※ここでも価値に限った中立性の主張をしてしまっている。このような素朴な男女の議論は、そのまま父性、母性という言葉にもつながっているとみてよいだろう。問題は「必ずしも当てはまらない」がいかなる意味を持っているのかに尽きるのだが、それについては語っていない。自然科学と男性の目が無関係ではないのは事実である。しかし、これが自然科学と男性の関係としてみる可能性に簡単に繋がることに問題があるのである。結局のところ何を立証したいのかがポイントであり、ここではおそらく自然科学と人間の話に重点があるはずである。であるとすれば、別に男性か女性かの議論をくっつけることを許すような理念型の言葉選びをする必要性などどこにもない。

P58「このように述べている私の専攻する臨床心理学も、「女性の目」を相当に必要とする学問であると考えられる。したがって、それは始まりは精神医学という、比較的「男性の目」を優位とする学問を借りて来なければならなかった。あるいは、「男性の目」を優位とする心理学を借りて来る必要があった。」
P69-70「子どもを育てる、子供が育つ、ということを教育の中心に据えることは実に難しいことである。それはなぜだろうか。その要因のひとつは、教師は「教える」側にまわっているかぎり、楽であり、安全でもあるからだ。「これをしては駄目」、「もうちょっちこのようにしては」と子どものなかを走りまわっている先生の方が、いかにも先生らしく見えるのではなかろうか。熱心な先生だと言われるかもしれない。
これに対して、私が理想としてあげたような、「子どもが育つ」場を提供する教師は、極端な場合は「何もせずに怠けている」とさえ思われないだろうか。こんなところもあって、教師の「教えたがり根性」はなかなか治らないのである。」

p73「日本では教師と生徒の関係は、母と子の関係を基本としている。よい面を言えば、教師は生徒一人ひとりに気を配り、暖かく接する。クラス全体が「家庭的」な雰囲気の一体感をもつ。しかし、悪い面では、教師が生徒を「かかえこもう」としすぎて、無意識のうちに、生徒の自立性を奪ってしまう。教師は生徒がすべて自分の懐のなかにいることを期待して、自由を許さない。」

p93「繰り返しになるようだが、不登校にはいろいろな種類があるのでそれに対処する画一的な方法がない、ということは非常に大切である。叱りつけたら登校したとか、そっとして放っておいたら登校したとか、という場合があるのが事実であるが、それを誰にでも適用しようとするのは間違っている。」
☆p93-94「この子たちの一般的特徴として、なぜ学校へ行けないか、と問いつめると、先生が怖いとか、成績がよくないとか、友人とうまくゆかないとか、いろいろな理由を言うが、それは本当の理由ではなく、実は本人も理由がわかっていないのである。登校しようとして前日には準備までするが、朝になると、どうしても起きられなかったり、足がすくんでしまったり、発熱、嘔吐が生じたりして登校できない。このような子たちは、決して怠けているのではなく、本人も学校へ行きたいのに行けずにいることを、まず理解してやらねばならない。」

p100「本章の第一章に、父性原理と母性原理について述べたところを参考にして考えてみよう。日本は欧米に比して、母性原理の強いところであった。しかし、そこに父性原理を少しずつ取り入れようとしているのが現状である。原理の衝突による摩擦が、そのためにあちこちに生じるのであるが、不登校というのもそのひとつとも考えられる。」
※どうも不登校アノミーの問題らしい。
P100「不登校の事例について、カウンセラーや教師たちが話し合いをする。「母親が家庭内で一番力をもち、子どもの足を無意識のうちに引っぱっている」、「子どもが自立するためのモデルとしての父親のイメージが弱すぎる」などと言っていたが、そのうちに、誰もが自分の家庭も似たようなものだ、と感じはじめ、「明日はわが身ですねー」と誰かが言ったので、「いやいや、今日はわが身です」と私が言って一同爆笑したことがあった。不登校の問題は、現代のわが国も社会全体の問題でもあるのだ。」
※問題を飛躍させすぎでは?

P101「あるいは、言い方をかえると、以前よりも父性原理を取り入れようとする傾向が生じているなかで、その尖兵として戦っているのが不登校の子どもたちである、ということになる。事実、不登校の子どもを抱えて家族が苦闘しているうちに、子どもはもちろん、父親も母親も以前よりは自立的になった。つまり、父性原理を少し取り入れるようになった、と思われる例が多くあるのである。そのような意味で、不登校の子どもたちは、社会の病い、文化の病い、を病んでいるとも言えるのである。」
※ある意味でアノミー的性質の問題であることは間違いないだろうが、それが父性原理の取り入れによる、という説明で成り立つ話かどうかは議論の余地がある。特に個人に期待される役割が増大しているのはp102-103で河合も認めるところだが、それは西洋からの影響という意味での父性原理というよりも、むしろ西洋も同じように要求されているような、社会の自立要求としての父性原理なのではなかろうか?このような見方からするならば、現状の西洋も十分に父性原理に支配されているとは言えない、という可能性も出てくる。
P101「不登校の子どもについて、何が「原因」か、と考える人が多い。そして、よく母親が、そして父親が「原因」にされる。そのような考えが効果を発揮することもある。しかし、どの場合も同じように考えるのもどうかと思う。そのうえ、不登校などという「悪い」ことが起こるのは、親か教師か誰かが「悪い」からだ、と考えて「悪者探し」をするのはナンセンスなことが多い。」

P102-103「社会が変わるにつれて、人々の生き方も変わる。そのためには、それぞれの人が自分の生き方を変えるための努力をしなくてはならない。私たちの父親は、ともかく働いて妻子を食べさせる、というだけで、父親としての役割を果したことになっていた。しかし、今では家庭内における父親の役割はもっと重くなっている。すでに第一章に述べたような、西欧型の父性をもった父親を、子どもたちは期待しはじめている。
子どもが学校へ行かなくなり、父親に対決を迫ってきてはじめてあわてふためいて頑張るよりは、それまでに父親としての生き方を少し変えるように努力した方が、問題を未然に防げることになるだろう。……
エネルギーの出し惜しみをする親は、自分の努力を棚あげして、「風の子学園」のようなところに子どもをあずけようとする。お金を出して、子どものために何かをやっているように見えて、これは一種の「棄子」ではなかろうか。」
※まずもって河合は不登校問題において親の役割が重要であることを否定することはない。そしてその役割は子どももまた期待していると前提にしている。しかし、そもそも子どものその期待もまた、社会的に規定されたものに過ぎないとしか(少なくとも河合の前提からは)言えない。ここでなぜそのような規定そのものを見直そうという議論に向かわせようとせず、親の役割論の議論に終始してしまうのか。もっとも、河合は処方箋を出すという態度を明言しているため、このような議論で終わっても良いという見方もできるが。

P189「もちろん、この二つの原理は相補性を有するものとして、われわれ人間が生きてゆく上で、どちらか一方のみに頼ってゆくことは不可能であり、両者のバランスの上に立っているのではあるが、ある文化がどちらか一方をより優勢とすることは大いにあり得ることである。そして、以前から主張してきているように、わが国の文化が母性原理に基づいていることは明らかなのであって、このことが、これから論じてゆくように、わが国の教育において重要な問題を生ぜしめているのである。」

P226「人は、よく昔のお父さんは強かった、怖かったと言いますが、そんなもには、ひとつも強くない。本当に強かったのならば、戦争に反対すべきですよ。反対もできないで、戦争へ行って死んだだけですから、あんなのは、弱かったんです。つまり、突撃する時にだけ強いんです。誰かが命令すれば、後は死のもの狂いになって頑張るけれども、命令に反抗する強さは全然持っていないというのが、日本の男なんです。つまり、個人として戦うということを、日本人はしないんです。みんな一緒にやりましょうということでやっていくのが、日本人の考え方で、それが悪いとは言っていません。ただ、日本は、そういうふうにやってきた国ですが、これだけ西洋と付き合うようになったなかで、個としての強さを、日本人の心の中に求めようとする気持が、今の若い人の中から出てきていると思うんです。」
※厳父論に対する批判も実証性に乏しい。ここにはそもそも厳父がいかに存在したかとか、そのような厳父的心性がいかに戦争に追随したかという問いの立て方が無視されている。河合のもっともらしさは中途半端に事実に基づいているが、因果関係について正しく考察していないのである。そして、そのような不明虜な議論を、そのまま自らの母性原理の議論の論拠としていることもわかる。また、事実の問題を隠蔽して価値論の議論をしてしまっているのもやはり問題。

P240「昔と違って、先生が生徒に与える教材やテストの問題なども画一化されてしまっている。先生たちは雑用が増えて忙しいかも知れない。しかし、自分の個性によって教育するという点においては、昔よりも相当少なくなっているのではなかろうか。このように考えると、一対一で教師と生徒が個性と個性のぶつかりを体験する教育相談の場は、今日的意義を大いに持っていると言わねばならない。」
※これも根拠がないし、おそらく誤りで、むしろ先生はかつてはもっと子どもの個性を無視することができたのである。それでも学校が機能していたのである。学校化がそれを許さなくなったから問題視されるようになったに過ぎないのではないか。ここでも雑用が増えたという事実らしきことを書いているが、因果の曲解をしている。

P309-310「日本人の言語表現における大きい問題に、タテマエとホンネということがある。公的な場や多数の前ではタテマエのほうを話し、ホンネのほうは隠しておく。ホンネは私的な場や、ごく親しい人にのみ話す。このような傾向を日本人の大人たちは持っているが、小学生の子どももすでにそのような傾向を持っていることが、授業を見ていても感じられる。
日本には欧米で発達した個人主義というのが理解されていない。個人としての自我を明確に確立するという方向ではなく、その場における全体のバランスの上に立って、自分の存在をそこに入れこもうとする。このことは、単純にどちらがよい悪いと割り切ってしまえることではなく、個人と全体とをどのように調和させるかに人間はいつも苦労している、と言っていいわけで、個人主義だから全体のことを考えないとか、日本人は全体のことだけ考えて、自分のことや自分の利益を考えないとかいうことはない。ただ発想の根本姿勢が異なっているのである。
タテマエの意見は、意見としては通りがいいので、ある程度の勢いを持つと全員が賛成する。しかし、そのときも各自がそれぞれホンネをもっており、時にはホンネがタテマエと反対の場合もあることは暗黙の了解事項となっている。したがって、満場一致で可決されたことに、後で従わない者がでてきたりする。これは西洋の論理で言えばおかしいことだが、日本では現実によく生じることである。つまり、日本人は欧米の考え方とは異なる考え方に従って生きているのである。」
※西洋の論理としてはおかしいのかもしれないが、それはひとまず西洋人の心性とは別物と考えるべきでは?これを混同すべきではない。

河合隼雄・加藤雅信編「人間の心と法」(2003)

 今回はいわゆる「日本人論」関連のレビューをしていきたい。
 本書は川島武宣的な日本(東洋)/西洋の対比として用いられていた法意識の議論(p39)に対して、二種類の大規模な海外比較の調査の結果を用いつつ、その検証も含めた法意識の分析を行っている。本書で特に目立った論点は「契約順守意識」についてと、「調停制度の利用」、「裁判所へ訴えること」の3点であるように思う。
 確かに外見上は明らかにアメリカの方が訴訟の受付件数が多く、その意味で川島的な発想を支持するようにも見える。しかし、本書ではそのような外見上の現象とは別に、アメリカ人が裁判を好んで行う「心性」を持っているという見方に対して「そうであるとも限らない」ということを提示している。

 まず「契約順守意識」については、p69の通りである。法治的であれば当然契約についても順守し、そうでなければ順守意識も弱体化することが予想されるが、必ずしもそうでないと示されている。これについては、実際のデータの提示(22ヶ国の比較調査の結果)がないものの、概ね正しいと読んでよいように思う。

 次に「調停制度の利用」については裁判所に訴える訳ではないが、それとは異なる調停の制度活用についての望ましさを聞いたものである。日米中3カ国調査では、「友人が貸した金銭を返そうとしない」「電気器具の不良品の取り換えに店が応じない」「交通事故の賠償金を加害者が支払わない」の3ケースについてどのような対応が望ましいかを聞いている質問がある。これについてはp134のように、どの国についても調整制度の利用は大半が望ましいとしている。

 最後に「裁判所に訴える」ことについては、確かに望ましいと回答するのは米国が日本より多いが、中国の方が更に多く(p39)、また、単純に裁判に訴えるということ自体が訴訟自体が裁判を好む、好まないだけという性向の要素だけで行われる訳ではないことを示している(p96-97)。更に日本人は訴訟が嫌いであるというよりも裁判制度との関わり自体が疎遠であり、むしろ無関心に近いこと(p137-138)が述べられている。
 これについては、先ほどの「調停制度の活用」と比較するとなおわかりやすい。米国の場合「望ましい」「どちらかといえば望ましい」と回答しているのは、「金銭貸借」「電気器具取替」のケースについては、調停制度の方が割合としてかなり高く、「交通事故」の場合についても、割合は拮抗している(調停制度が望ましいとするのは約79%であるのに対し、裁判所に訴えるのが望ましいとしているのは約83%)。

○価値の「絶対性」と「相対性」について
 本書ではこれらをもって川島的二項対立論は支持できない方向性をもって議論している。私自身も仮に川島の議論が本書で示されているような内容であるなら、概ねこのことについては同意するところであるが、他方で特に裁判所への訴えに対する議論は、まだ解釈の取り方によっては議論の余地が残されているように思う。
 特にここで考察したのは、価値の「絶対性」と「相対性」についてである。これはこれまでのレビューのなかで取り上げてきた社会問題について、そしてすでに贈与論の関連で阿部謹也を取り上げた際に合わせて議論していた日本人論などでも大きな論点となってくるものである。
 基本的に両者は理念型としても整理可能である。まずもってそれを理念型として設定する場合は、絶対的な指標として定義されることが理想とされるが、それが現実にどの程度あてはまるかどうかを問う際にはむしろ相対的なものとして取り上げられることが多かった。そして、理念型の議論で注意すべきだったのは、そのような理念型と現実のあてはまりの程度をみていく理念型αの問題と、その理念型が語る因果関係の妥当性についてみていく理念型βとの違いと、たとえ理念型βが重要であるとしても理念型αの問題は無視されるべき性質のものではないということだった。基本的に価値の「絶対性」と「相対性」の問題もこれらの論点で問題をまとめられるだろう。つまり、
1.まずもって両者は違いが意識されることなく、混同されてしまう可能性があること
2.特にそれが相対的な問題としてしか捉えることができない場合は、取り上げられている事象の差異が本当に問題と呼ぶに値するものなのか、という点である。
 

 まず、1.についていえば、本書における川島の法意識論の検証は、それを否定する場合は統計的な指標から述べられている傾向が強い。特にこれが該当するのはp134の主張である。しかし、これについては、絶対的な観点からそう述べられているに過ぎず、相対的な観点からすれば正しい主張とは言えない。つまり、日本、アメリカ、中国の3カ国はどの国も多数の者が調停制度を活用すべきと答えているものの、逆にこれを望ましくないと答えている者は「電気器具取替」「交通事故」のケースで日本が明らかに少ない。相対的観点で見れば、アメリカは日本のような調停制度を好まないという主張も間違えではなくなるのである。
 また、「裁判に訴える」ケースについても考え方次第である。確かにそもそも日本人は裁判制度に対する認識が薄いため、裁判所に訴えることが望ましいかどうか「わからない」と言ってよいだろう。そして日本人も裁判所に訴えるとしている割合は、「電気器具取替」「交通事故」について言えば、それを否定する者と比べれば多い結果になっている。しかし、相対的に言えば、やはりアメリカの方が訴える者の割合は日本よりやはり多い。この事実を素直に読めば、「日本人が裁判嫌い」であるという風には言えないが、「アメリカ人が裁判好きである」というのは相対的に見れば正しいという余地があるのである。

 日本人論の多くは統計調査による比較という形よりも、見聞やそもそものイメージの比較といったものからこれを主張する訳だが、この主張のされ方自体が(両者の違いについて言及しない限り)そもそも絶対的か相対的か判断できないといえるものであるし、また多くの場合、相対的なものを絶対視する場合が多い。これは本来絶対的指標であるべきとされる理念型を実際と比較する場合にもそのような議論の還元に陥りやすいものであることから、当然の傾向といえるかもしれない。
 このような議論において悪い意味で阻害要因になっているのが「社会」というカテゴリーであると言ってもよいのかもしれない。そもそも「社会」の傾向というものについては、それが各個人の傾向とずれている可能性については当然許容される。「社会」はある集団なり地理的分類に基づき、その傾向を述べる場合はそれらの集団・地理的なカテゴリーをもって定義付けられるからである。しかし、このような「社会」はいかに実態を捉えるのかが、それ自体で大きく議論になるようなものである。
 本書における川島の議論は相対的な議論に限定する場合、東洋/西洋という区分による比較が有効でないことについてはその通りであるが、肝心の日本/アメリカの比較に限れば、十分に川島の法意識論を批判したことにならないと言う余地はまだ残しているのである。法をアメリカが重視するのは正しいが、よりソフトな「契約順守意識」の問題については、2つの調査では決定的な議論ができないのである。日米中3カ国調査においては、契約順守の問題は、法の議論と結びつけて議論してしまっている。そもそも法に対する信頼というのは、その法の設立経緯などの要素を多分に含んでいることは本書も認めているところであり、純粋な1対1の契約関係について議論しているのはむしろもう一つの22ヶ国の比較調査による指摘である。確かにこの結果によれば、契約順守の意識は日米でほぼ差はない。しかし、この調査は大学生、しかも2つの学部(しかも法学・経営商学という、ある意味契約順守の立場に近い者が集まると想定される学部)の学生に限定したものであり、これを国民性の議論として展開すること自体に無理があるだろう。
 また、合わせてp69の引用にあるような川島の「日本人の人情問題」について直接的に検証した訳でもない。確かに3カ国調査の「金銭貸借」のケースは友人関係の影響を受け、日本よりもむしろアメリカの方が争いを行おうとしない傾向があると言えるだろう。しかし、これで人情の優劣を測るというのは、あまり適切だとは言えないだろう。
 結果として、少なくとも安易に想定されやすい「日本人の法意識」のいくつかについては反証できているが、少なくとも川島の著作である「日本人の法意識」の引用部分に見合った批判が十分展開されていない側面もあることは押さえておくべきだろう。

 さて、2.についてである。基本的に相対的な価値比較しかできないケースが非常に多いものだと私は思うが、この論点はその差異が問題とされるのはいかなる場合か、ということである。これまでも「社会問題」が問題であるとはどういうことか、といった問いや、古いレビューだとウルリヒ・ベックのレビューで述べたリスク・コミュニケーションの議論でも想定してきた論点である。基本的にこれらを「問題」としてとらえる立場にある者は、その外部の問題系であったり、逆にその「問題」となるような状況が生み出してきたメリットについて無視して問題への批判を行う場合が多いように思う。これはその論者が支持する価値観に反することだから、考慮されることがないという単純な理由であることも多いと思うが、そのような簡略化はそう簡単に行ってしまってよいものだろうか?特にその差異が相対的であるならば、その良し悪しの判断はその時点での「状況」にも多いに依存しうるものといえるのである。そして特に「社会問題」という議論は、その問題を拡大化し、問題解決の必要性を訴えがちである。その問題の事実の有無の確認は当然重要だが、「ある」とする場合には、社会に占める程度、及びその影響力の両者を考慮する姿勢がなければ、その問題は一人歩きしかしないのである。私自身が「社会問題」を歴史的に捉えようとする試みをしているのも、このことを測定していくことが重要と考えているからに他ならないのである。

河合隼雄の日本人論の是非は?
 さて、最後に指摘しておきたいのは、本書において河合隼雄が編者・執筆者におり、自身の「父性原理」「母性原理」論を展開している点である。日米の法意識について懐疑的な議論がなされている中で、河合の理論の中には「父性原理」は契約関係として人間関係を捉え、「母性原理」は一体感(共生感)によって人間関係を捉えるとまとめられている(p12)。繰り返し河合は父性原理を西洋の論理、母性原理を日本の論理として紹介してきたのであるが、本書の主張を通すのであれば、河合の議論についても批判的検討が必要だったのではなかったのか、という疑問がどうしても出てくるのである。
 河合は2つの原理の特徴を人間関係に限らず、いくつかの性質からその違いを指摘している。まさに日本人論の厄介な議論の仕方の典型であるように思うのだが、もっともらしい性質を並べ立てて議論しているため、ある意味で契約関係について批判できても、その他の性質については、批判されないため、その2つの原理が欧米的か、日本的かという区別について十分に批判に晒されることなく、正当性が与えられかねない。

 河合の父性原理・母性原理論ついては、日を改めて検証を加えていきたい。


(読書ノート)
p15「ここに詳しくは論じないが、筆者はどちらの原理も一長一短であり、どちらが正しいとは言えない、と考えている。しかし、ヨーロッパ近代において、非常に強い父性原理による文化が、洗練されて強力となり、それは現代につながる、近代科学や個人主義的な考えを生み出して、それが今では全世界を席捲する状況になっていることは、よく認識しておく必要がある。
日本の現状については後にもう少し詳しく論じるが、欧米に比べると、日本は母性原理優位の文化であることは、前述したところからも、推測されることであろう。」
※by河合隼雄
P16「その(※近代の人間に対する反省の)なかのひとつとして、「自然との共存」ということが注目されるテーマとして浮かびあがってきた。言うなれば、父性原理によって、人と自然を切り離すことを反省し、母性原理による、人が自然に「包まれ」て生きる生き方に、価値を見出そうとする人が、現代人のなかに生じてきたのである。」

P39「川島的な理解の背景には、法治の西洋、法なくしても社会が律せられる桃源郷ユートピアの東洋、というイメージがあるように思われる。それがまた、訴訟社会アメリカと訴訟嫌いの東洋というイメージを生んでいるのであろう。このようなイメージどおりの違いがはたして本当に存在しているか否かは、法意識調査からある程度明らかにできるであろう。……この3カ国調査の結果、桃源郷的法イメージは、日本の一部にはみられるものの、現代中国には存在していない。それどころか、法の不可欠性の評価は、中国のほうがアメリカ以上に高いという結果が判明したのである。」

P59川島の「日本人の法意識」p98以下の引用…「アメリカ人は法律、規則、約束をよく守り、またよくそれを利用する国民である。日本人はそれらに対する観念が十分明りょうではなく、情状、義理、人情、友情、真心などを重んじ、それらに頼る。……彼ら〔アメリカ人〕が日本人よりもよく約束を守ることは周知の事実であろう。……日本人が人と約束する場合には約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情が大切なのであって、こういう真心さえ持ち続けていれば、約束そのものは必ずしも言葉どおり非常に政策に行わなくても差支えない。……彼ら〔アメリカ人〕にとっては、約束と友情とははっきり別のものだ。」

P69「また、西洋諸国についても、契約遵守意識はさまざまであり、アメリカの契約遵守意識も多くの質問項目では日本人の場合とそれほど変わりがなく、違いがある質問のなかにも、契約遵守意識がアメリカ人の方が高い質問も、日本人の方が高い質問も存在した。この調査をみるかぎり、日本対アメリカないし日本対西洋という川島的な契約意識の差異にかんする図式は成立していない。」
P75「この点で、自国か外国かにかんし回答者が非常に公平な態度を示し、排外的な要素がほとんどみられなかったのが、(※調査対象の22カ国のうち、)日本、イスラエル、ドイツの3カ国であった。……
ただ、これとは対照的に、わが国の近隣諸国には、フィリピン、韓国、中国等、排外的感覚が強い国が多かった。」
※実施は2000年前後と思われる。

P96-97「小括すれば、アメリカが、友人に対しては、法的手段を控える傾向がみてとれた。ビジネスとプライベートは別というアメリカ人のタイプは実際に存在しそうである。また、日本人が借用書をとることが多いのは、日本のほうが、法的手段を好むというより、いわゆる一筆とっておくのであって、必ずしも訴訟に使おうというわけではないと解釈すべきであろう。友人ということは、長期的かつ広範なつきあいなのであるから、別の件で何か頼めることもあるかもしれないあるいは、再び借りにきたときに断る手段にするといったような関係とみるべきであろう。中国が、借用書を取らないのは、借用書の有効な使い方が乏しいからと考えられる。いずれにせよ、3国間で友人の意味するところが大きく異なっていることに十分な留意が必要である。」

P134「以上のように日米中の3国において、友人間金銭貸借トラブルでの「調停制度の利用」はどちらかといえば望ましいとされ、電気店修理トラブルおよび交通事故では「調停制度の利用」が望ましいとされている。逆に言えば、「調停制度の利用」を望ましいとする傾向は特殊日本的でも特殊アジア的でもなく、3カ国に共通の傾向であることが分かる。」
※なお、金銭貸借トラブルについては、日本は「わからない」の回答が最多。また、交通事故における調停制度の活用を否定した割合でいえば、日本は3.2%に対して、アメリカ、中国10%を超えている。また、電気修理事件についても望ましくないの回答は、日本、中国は3%程度、アメリカは8.6%である。
P137-138「以上のように質問16友人間金銭貸借事件におけるアメリカ人と日本人場合以外では、日米中3国において「裁判所に訴えること」はどちらかといえば望ましいないし望ましいとされている。こうしてみると、日本人は訴訟嫌いであるという主張は事実に即さないと言わざるを得ないと思われる。「わからない」と回答する者が非常に多いことから言えることは、日本人にとって裁判が「遠い存在」であり、よくわからないとせいぜい言えるだけだ、ということなのではなかろうか。」
※「望ましい」が日本が少ないのも事実だが、「望ましくない」もまた日本は少ない。

P161「若者に最も必要とされることは、きちんとした規律、ゆるがぬ決意、そして家族と国のために働き、また戦おうとする心である。」と回答した割合、賛成がアメリカ9割、中国78%に対し、日本は36%。どちらともいえないが41%。
P277「韓国では長く軍事力を背景にした、いわゆる権威主義的体制が続いていた。そして、歴代の統治者たちは、そうした体制を維持するための道具としれ法を利用してきた。従って、国民からすれば、法は政治体制を維持するための権力者の道具であって、国民の権利を守ってくれる道具とは到底思えなかったようである。」