全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その1

 今回は片岡徳雄のレビューの際に宿題としていた、全生研のベーシックな著書を読みときながら、「集団主義教育」についての考察を行っていきたい。
 本書に加えて、全生研の主要な論者の一人である竹内常一「生活指導の理論」(1969)も合わせて読んだ。こちらの内容も理論書としては力作であり、本書の議論と力点が異なる所もあったため、両者を比較しながら、集団主義教育の特徴を5点ほどにまとめて押さえていきたい。なお、文章の分量の問題で、読書ノートは別記事で掲載する。

1.「集団主義教育」が「集団のちから」を介した主体論の必要性を説く点について
 本書ではP50−52あたりで指摘されている。竹内も同じ認識で集団のちからについて言及する。

「(※大西忠治による)香川報告書のこの視点(※集団成員の間に矛盾があり、たえず、討議とその結果による相互規制が行われることを集団主義教育の原則に据えたこと)からの集団把握は、宮坂(※哲文)の心情主義的な集団把握とも、エヒメ集研の機械論的な集団把握とも異なっていた。香川報告書の学級集団づくりのイメージは、「個人の矛盾をかきたて、人間評価が常に行なわれるために、「個人にたいする集団の批判会——つるしあげに似たもの」ということばが示すように、集団と集団、集団と個人、個人と個人との対比を激化させるなかで、集団のちからを確立しそのちからの多様な表現と行使を教えていくことが学級づくりの訓練的内容であるとしたのであった。だから、香川報告書はエヒメ集研に欠落していた集団の発展段階を集団のちからの発展段階ととらえ、それを仲間づくりの心理的人間関係の発展段階に対置していったのである。」(竹内1969,p91)
「宮坂は、最後まで、香川生活指導研究会の提案した「討議づくり」を拒絶した。すなわち、集団を物質的存在とみなし、集団のちからを物理的、精神的なちからとみなし、討議をとおしてそのちからを集団の内と外に発揮することによって子どもたちに集団のちからについての自覚を教育しようとする「討議づくり」の構想に反対した。」(同上、p91)

 簡単に説明してしまえば、「集団のちから」とは、「純粋な否定の態度を示す相互行為」に対して与えられた言葉であるといってよいのではないかと思う。ここには「集団のちから」を介さないような、むしろそれを押さえつけるような教育への批判が前提に近い形で存在している(本書p21)。

「子どもは教師またはカウンセラーの援助をえて、欲望抑圧の自我をすて、欲望肯定の自我を組みたてるように導かれる。カウンセリングやヒューマン・リレーションズは、このことによって子どものなかに現状肯定的なものの見方・考え方・感じ方を育て、体制への順応をうながすのである。
事実、カウンセリングやヒューマン・リレーションズによって健全なパーソナリティーがつくられると、子どもは外的世界にたいして肯定的見解をいちじるしく示し、外的世界にたいする批判的精神や抵抗的態度を喪失するようになることは、今日では広く認められている事実である。」(竹内1969,p356)

 「集団のちから」を生かすために教師の役割として期待されるのは、まさしくこのようなちからを積極的に産出していくことにある。素朴な状態にあっては現われてこないような子ども間・集団間の対立関係を表出させながら、自己主張を展開していけるような主体形成を期待している。これは時には旭丘中学校のケースのように、わざと教師から理不尽な要求を突き付け、それに抵抗させることによってもなされるようなものであるといえる(cf.竹内洋「革新幻想の戦後史」p235)。
 このような教師の役割については、過去にレビューしたルネ・ジラールの模倣論を介した学校教育論として読むことと基本的には同じかと思われる。「地下室の批評家」のレビューですでに述べたが、一見するとジラールのいう「悪い模倣」の欲望を積極的に引き出し、主体間で闘争状態を引き起こすのである。ジラールの「悪い模倣」の場合は、これが無秩序状態に繋がり殺戮といった悲劇を引き起こすものと位置付けられていた訳だが、全生研の取り組みはこのような模倣論を積極的に取り入れ、なおかつ「教師」がこの闘争状態を適切にコントロールしながら、子どもの主体化を促進していくのである(※1)。

2.教科指導と生活指導の原理は分けて考えなければならないと主張される点について。
 これも全生研、竹内両方の主張点として一致している。本書ではP200⁻202あたりで主張されている。竹内は次のように述べている。

「生活集団、というよりは自治集団(訓練的集団)のばあいは、生徒集団は教師の指導をのりこえて集団の自己指導をつくりながら、集団のちからと自覚を集団の内外に表現していくことが中心のテーマであった。ところが、学習集団の自己指導は、科学的な教科内容を伝達・教授する教師の指導をのりこえて前にすすむことはふつうできない。同様に、学習集団による自主管理もまた教師の管理をこえて展開されるべきではない。なぜなら、学習集団の自主管理を全面的に認め、教師の管理のいっさいをこれにかえしてしまうとすれば、まず第一に学習集団の管理権の発動と教師の教科内容の指導とがいたるところで衝突しあい、教授=学習の過程が系統的、計画的に展開されず、いたるところで分断されることになるからであり、第二に、自主管理のしごとをしている生徒が学習に全力をあげてとりくむことができなくなるからである。」(竹内1969,p472-473)
このような議論の正当性は、まずもって「教授学的教科指導のための学習集団は、ちょうど科学と芸術が生活のなかからうみだされながらも生活現実そのものではないのと同じく、また、科学的主体・芸術的主体は社会的実践主体からうみだされながらも社会的実践主体の痕跡をのこしているにすぎないのと同じように、生活集団からうみだされながらも、生活集団の痕跡しかもたぬ特殊的に組織された集団だというのである。」(竹内1969,p470)のような関係性から導かれているように見える。また「学習集団の自己指導と自主管理とは、教師の学習集団にたいする指導と管理を最後まで基礎とし、最後までそれと並行してはたらくのだということになる。」(竹内1969,p473)という含みで「学習集団の自己指導と自己管理を認めないということではない。」と言う。要は生活集団による主体性が確保できていれば問題ない、ということである。

 また、この教科指導と生活指導という棲み分けの必要性を議論する際に、この両者が混同されることによる弊害について議論している点も無視できない。つまり、本書p199にあるように、「教科内容を宗教的、道徳的、政治的イデオロギーによって歪曲され」る修身教育体制や、「「生活」教育体制においても、教科指導は、その根拠である教科の体系を生活経験、生活問題のうちに解体させられる」ような、経験主義教育の弊害について指摘するなかで、教科指導の「科学・芸術」性について主張されているという点である。

「これをいいかえれば、自己理解をすすめ、自己実現を展開していけば、その自己実現はそのまま客観的世界の法則を現成していくものであるということになる。つまり、おこないすませば、客観的真理を体現しうるのである。だから、学習指導が生活指導を媒介にしたとき、はじめて真の学習指導になるというのは、それが生活指導を媒介にしてはじめて客観的真理を体得させうるからである。これが真の学習指導の意味であった。宮坂にとっては、教科指導は生活指導をへなければ、客観的真理を体得させることはできないのである。客観的真理への道は学習指導によってではなく、生活指導によって保障されるのである。なんと宮坂の学習指導論が科学から遠く離れていたことか。」(竹内1969,p58-59)
「道徳と知識、人格と知性とが未分化なまま混同されている日本の教育のなかにあって、それを批判することなしに生活指導——人格の指導の側から教科指導との統一を求めることは、両者の混同をいっそう拡大することになるだけである。」(竹内1969,p482)

 全生研の著書においても、ここまで明確な記載はなかったように思うが、概ねこのような竹内の言い分を支持している節があるとみなしてよいように思う。結局、「道徳と知識」が未分化であることと、本書p199でいう「知育としての性格の喪失し訓育化して」いることは同じ状況と言ってよいのではないか。P209にあるように、生活指導と同じような自治的集団の想定をしてしまえば、学習に集中できない、という言い分は、まさに「科学・芸術」の阻害要因として道徳・管理を挙げているからである。全生研の著書では資本主義批判の文脈でこの指摘がされ、竹内の著書ではより純粋な指導論の中から指摘がされていると違いはあれど、教科指導の正当化の論理は同一であるように思える。

 ところが、教科の正当性として語られる「科学・芸術」というのが真の意味で妥当なのかどうか、といった議論は全くなされていない(※2)。これはそのままこれらの言葉で教科教育を正当化することができるのかという疑念に繋がる。それは結局訓育的指導とは異なるものとして位置付けなければならないという「否定の論理」ありきの、内容のない議論に見えてしまうし、更には素朴に必要であると考えられている教科指導に対して、それが子どもたちの議論を経ることなく教えられなければならないという結論ありきの、一種の暴力的な議論にさえ見えてしまう。これは結局「集団のちから」が否定の論理に基づいているちからであるため、教科指導のような教えられるべき知識に対してまで「否定」させてはならない、という要請でしかない。しかし、その「教えられるべき知識」とは何かが全く見えてこないというのは、合わせて「学習指導要領」批判に対する問題点も含みうる。結局学習指導要領批判の要点は、その固定的性質が実際の子どもに教える現場レベルでは学習指導の阻害要因になる、という点に尽きるかと思うが、ここでいう「固定的」なものとは何かを深く問わないということ、逆に言えば、「教えられるべき知識」に対する蓄積が不在なのではないか、という点である。「科学」という言葉は明らかに普遍性を含み、その体系性の強調も一義的な教育内容を想定した言葉である。本来であればそのような議論も含めて教科指導について語られなければならないように思うが、本書及び竹内の議論では、生活指導中心の議論をしているため、そもそも教科指導が付随的な位置付けとなっているためかもしれないが、あまり語られることがないのである。

3.「管理主義」に対する両義的な捉え方について
2.で述べた資本主義批判と生活指導批判が「教科指導」の正当性擁護という論点において奇妙に類似していることにも関連するだろうが、本書及び竹内が議論する「管理主義」というのは、見方によっては明らかに矛盾した捉えられ方をしている。これも重要な集団主義教育の性質だろう。本書p199に見られるように、管理主義教育に対して否定的であることは明らかである。しかしp71⁻72に見られるように、子どもたちの集団づくりの一環の中で、教師の管理から子どもたち自身による管理へ、という段階論が、全生研の集団主義教育にははっきり位置付けられている。ここでは、段階論による説明、及びその管理の性質自体が子ども自身が納得し引き受ける限りにおいて正当化されている事実を押さえねばならない。

 しかし、まず確認せねばならないのは(そして恐ろしくさえ思えるのは)、竹内が結局望ましい生活指導とは、管理主義教育と同じ押しつけでしかないのではないか、という疑念に対しても否定し、むしろそのような考え方自体が排除されなければならないかのような言い方をしている点である。これは、竹内自身の論法が主観的でしかないという可能性についてあらかじめ否定してしまう論法にほかならず、何ら生産性を見出せないのではないか。

「教師は、子どもの生活現実を知っていくなかで、子どもの生活現実についての自分のとらえ方を子どものそれに対置し、そのことによってどちらのとらえ方の方がより現実的であり、より価値的であるかを争うのである。教師は、このことによって、子どもの生活認識、生活感情をくみかえ、子どもの行為を変革していくのである。教師は、このことによって、子どものなかに指導を入れ、子どもの自主的判断をきたえ、自主的行為を高めていくのである。
このようにいうと、そのような指導は教師のおしつけではないかと考えるひとがいないでもない。しかし、そのように考えるひとこそ、じつは子どもの自主性を認めていないのではないか。現実の子どもは教師の指導が正しいと信ずるまでは、絶対にその指導に服さないものである。だから、教師は、子どもたちと現実変革の可能性について、子どもたちの力量について争うのである。この争いのなかで、教師が論理的にも、感情的にも子どもを説得しえたとき、教師の指導ははじめて子どもの内部にはいることができるのである。」(竹内1969,p351-352)
「このようにのべてくると、そのような考えかたこそ、指導と被指導との関係を支配と被支配の関係にしてしまうものではないか、という反論がかならず提出される。しかもその反論はもっともヒューマニスティックなひとから出されることが多い。たしかに、要求としての「指導」は断固として要求を提出し、その要求を貫きとおし、集団を説得しつくそうとするものである。いやそうするほかにすべのない指導である。そのために、要求としての「指導」は集団を支配するかのようにみえる。しかし、そうではない。要求としての「指導」は要求を貫きとおし、集団をある意味で支配しえたとき、指導と被指導の関係を民主的関係に発展させる。少なくとも指導が集団の要求を先どりしえたばあいにはそうなる。いや、そればかりか集団はその時点の指導をのりこえて前進する。そのことによって指導もまたその個人的性格をのりこえるのである。そのとき、指導は指導と被指導にまとわりつきがちな支配的性格を払拭できるのである。」(竹内1969,P392)

 更に言えば、ここで正当化されようとしている「子どもの自主性」を語るにあたって、それまで批判していた「管理主義」批判の論点さえもずらしてしまっていることに自覚が浅い。ここでの引用(及び全生研の主張)では、結局「子どもが自発的に従えば」その管理性は正当化されるという主張がなされている訳だが、そもそも「管理主義」批判にあたりはじめに述べられていたのは、それがあくまで「教育する側から一方的に与えられる」ものであることに対して向けられていたはずであり、教育の受け手(子ども)の態度がその指導に対してどうなろうが批判の対象だったはずなのである。
 このような歪みの原因はもちろん言及されないが、ほとんどはっきりしているように思える。結局「資本主義批判」等にはっきり示されるように、体制側の教育は必然的に悪であることと、自らが正当化しようとする教育の善悪についての基準が、ダブルスタンダードであることに(少なくとも言説上は)気付くことができていないことに起因していると言ってよい。見方を変えれば、絶対的に批判されるべき資本主義体制というのは、その問題点となりうるものを解除しながら維持することに何の問題もないと(少なくとも本書での主張に限れば)みなせるにも関わらず、それを排除してしまっているということである。
 これはある意味苦肉の策だという見方も可能であり、そう考える方が自然だろう。つまり、「管理主義」はやはり悪であるが、それは子どもを正しい方向へ導くための「臨時的」なものとしては採用されなければ、「望ましい」自治的集団を育成することは不可能であるということをよく理解しているからこそ、正当化されるのである。このような見方は本書のp61に示されるような問題意識により成立する。竹内は次のように指摘している。

「つまり、香川報告書は、仲間づくりの集団の発展段階を逆立ちさせ、仲間づくり論が最初の段階とした解放の集団づくりの最終段階に位置づけたのであった。なぜなら、香川報告書の集団観にしたがえば、現実の集団は対立し矛盾する二つ以上の集団なちからから成っているからである。仲間づくり論はこの現実の集団の力関係を捨象し、心理的、人為的に情緒的許容の雰囲気をつくっているにすぎないというのであろう。むしろ、解放の段階は、これらの矛盾する集団のちからの対立・抗争を発展させることをとおしてはじめてかちとられるものであるというのであろう。」(竹内1969, p91-92)

 集団主義教育は自然に成立するものではなく、何より教師の指導、そしてそれに基づく管理が必要なものと捉えられていた。ここでいう「解放」というのはそのような管理の段階を経て成り立つものとみなされていた。
しかし、このような見方が二重の意味で問題含みであることを深く自覚しない限りは、このような展開に意義を見出せないのではないかと思う。つまり、「臨時的」な性質について、生活指導の段階論を唱えることで正当化するが、その段階がどのような状況において進めてよいものなのかの基準が主観的なレベルにとどまっていることと、「望ましい」自治的集団についても、後述するように無自覚的な部分を本書では明らかに含んでいることに向けられる点である。この基準こそが、まさに彼らが批判の対象とする「資本主義批判」との区別たらしめるものである。それが「実際の状況として」区別できるものとなっている場合に、初めて批判が批判として有効に機能していくのである(※3)。大久保正廣(2010)が実証的側面でこの問題を捉えようとしたのも、まさにこのような「望ましい」状況が機能していない状況にあった訳だが、そもそもそのような状況すらあまり吟味されていない可能性も合わせて問題点として指摘できるのではないだろうか。

4.竹内常一の「個人主義」観における極端な態度について
 しかし、何故このような態度を取ってしまうのか、という問いも考えなければならないように思う。結局集団主義教育論者というのは、外部からの管理について悪であるとみなしながらも、そうせざるを得ないという状況の下で議論しているとみなすことができた。ここで押さえておきたいのが、竹内常一の「個人主義」観についてである。竹内の個人主義観は、本書のp78などで用いられる個人中心の捉えかた、という議論と同じであるといってよい。

「しかし、これらの解放理論はあくまでも個人主義的、自由主義的立場にもとづいていたために、これらの解放はひとりひとりの子どもの個人的生活態度の形成のためのたんなる前提条件、外的条件としてのみ要求されているだけであるといわれる。だから、これらの解放のあとで展開されるものは、個人的生活態度の形成のみで、集団的生活態度の形成はまったく問題にされないという。」(竹内1969,p132)
個人主義的発想にたつと、集団の弊は個人の自由意志に還元されるのだから、集団の弊をとりのぞくために個人攻撃をおこなうことになり、個人の人格非難をも辞さないということになる。」(竹内1969,p260)

 文字通り、「個人主義」とは、「個人」の態度に還元されるものであると解釈し、そこには「集団」に対する視点が欠落している、という一見わかりやすい解釈をもって個人主義を批判していることがわかる。そしてここから個人主義教育では社会的存在としての子どもを育てていくことができない、という結論を導いているかのように、集団主義教育の重要性を訴える。

「これにたいして訓練論的生活指導は、子どもを社会的存在とみなす。それは子どもが社会生活のなかで社会と緊張関係をはらんだ社会的実践主体として自立していき、社会的実践主体として社会生活の客観的必然性そのものを推進させるようになっていくことを子どもの成長発達とみなす。そして、それは子どもが社会的存在として確立していくときはじめてまた個人としても自立していくのだととらえる。だから、それは、子どもの自由意志や人間的欲求はそれ自体として絶対的な価値をもつものとは考えない。」(竹内1969,p288-289)

 このような個人主義観自体がいかに教育や社会問題を語る上で存立しているのかにも今後注意を向ける必要があるだろうが、差し当たり竹内のいう「個人主義」というのは、「個人が第一であり、それ以外の要素は排除される」性質のものと捉えられているといって間違いない。このような個人主義観は「私的所有の承認」をめぐる議論に留まるのであれば正しいといえるかもしれないが、「個性の尊重」を含むものとして捉えるものであるとすれば、このような批判は成立の余地がないようにさえ思える。
 ここで議論されるべきは個人主義における排他性である。これは特に竹内p260にあるような「利己主義」的解釈を行うような場合においてみられるものと、竹内p132に見られるような個人のみに目がいくことによる社会への批判や集団性の意義を無視してしまうという態度を形成してしまうという問題の2点が問題点となりうる。

 まず、利己主義への疑念についてだが、これは個人主義に対する見方の問題も大いに関係する。竹内が想定するような個人主義観からは、個々人が争い、自らの正当性のみを取り扱い、その強弱によって強い個人が勝利し、弱い個人が敗れる、という二者択一の態度をとることになる。しかし、このような態度からは、個人の尊厳を尊重するという観点を見出すことはできない。
 ここで取り上げるべきは、フーコーの「パレーシア」の議論だろう。フーコーはパレーシアを次のように、捉えていた。

「したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p18)

 このような自己にとっての「真理」の言明は、自己への配慮、自己に専心し、そこから語る必要のあるものであったという意味で、極めて個人主義的な発想に基づいたものであったといっていいだろう。しかし、このパレーシアの議論においては、全生研的な利己的な個人主義観は存立しえず、むしろそのように利己的に捉えようとすること自体が、ギリシャ・ローマ時代から見出されたパレーシアの概念がキリスト教の影響を受け、変化したことに一因があるとフーコーは指摘している。

「反対に現代社会では、ある時期から――それがいつからなのかを決定するのはたいへん難しいのですが――自己への配慮はなにやら疑わしいものになってしまいました。自己に気を配るということは、ある時期から、自己愛の一形式、エゴイズムや個人的な関心の一形式として、糾弾されるようになってしまったのです。それは他者にたいして、必要な自己犠牲とともに向けられるべき関心とは矛盾するものになってしまった。それはキリスト教の時期に起きたのですが、たんにキリスト教のせいだと言うつもりはありません。問題ははるかに複雑です。」(フーコーフーコーコレクション5」2006,p300)

「――自己への配慮が他者への配慮から解放されてしまうと、それは「絶対化」するおそれがないでしょうか。自己への配慮の絶対化が、他者にたいする権力の行使の一形態になり、他者の支配へと向かってしまうのではないでしょうか。
――いいえ、そんな危険はありません。なぜなら、他者を支配して専制的な権力を行使してしまう危険があるのは、ひとが自分に気を配らず、おのれの欲望の奴隷となってしまったときだけなのですから。それにたいして、あなたが立派に自己を配慮するならば、つまりあなたが何であるのかを存在論的に知り、自分が何をできるのかを知り、ポリスの市民であり家の主人であるということはあなたにとって何を意味するのかを知り、おそれるべきこととおそれるべきではないことをわきまえ、希望を持つべきことと完全に無関心であるべきことをわきまえ、そして最後に、死をおそれるべきではないことを知るならば、そのときには他者にたいする権力を濫用することなどありえません。だから危険はないのです。」(同上、p308-309)

 では、なぜこのような利己性がないものであると言えるのか。

「――ギリシャ人にとって、自己への配慮が倫理的であるのはそれが他者への配慮であるからではありません。自己への配慮はそれ自体で倫理的である。しかしそれはきわめて複雑な他者との関係を含んでいます。自由のエートスなるものは、他者に気を配る方法でもあるからです。だからこそ、立派に振る舞う自由人にとって、妻や子や家を統治できることはだいじなことなのです。それは統治の術でもあるのです。第二に、自己への配慮によって、ポリスや共同体や個人間の関係において、――執政官の権利を行使するとか、友人関係をつくるなどといった――しかるべき地位をしめることができる、という意味においても、エートスは他者との関係を含んでいます。そして最後に、自己に正しく気を配るには、師の教えを聞かなくてはならないという意味においても、自己への配慮は他者関係を含みます。」(同上,p305-306)
ギリシャ人にとって自由とは、非奴隷状態——いずれにせよこの自由の定義は、現代人のとはずいぶん違うものですが――を意味していたわけですから、すでに問題は完全に政治的なものであると思います。他者にたいする非奴隷状態はひとつの条件でもあり、奴隷は倫理を持たなかったのですから、問題は政治的なのです。……自由であることは、おのれやおのれの欲望の奴隷ではないことを意味しています。」(同上,p305)

「自己嫌悪し、起こるかもしれない出来事をたえず心配する場合にも、また反対に自己を愛し、快楽に執着してしまう場合にも、自分自身だけと過ごすことはけっしてできません。なぜ自分自身だけと過ごすことができないかといえば、それは自分自身に対して完全で適当で十分な関係を持つことができないからです。このような関係を持つことができれば、何ものにも依存することはありません。不幸のおそれにも、まわりで出会ったり手に入れたりする快楽にも依存することはないのです。自己嫌悪や過剰な自己執着によって、自分自身だけと過ごすことができないという不十分さにこそ、追従者はつけこみ、追従の危険が生じるのです。この非孤独、すなわち自己と完全で適当で十分な関係を打ち立てることができない状態に、<他者>は介入し、いわばこの欠如を埋め、この不適合を言説で置き換え、言説で埋めてしまうのです。この場合言説とは、真理の言説ではありません。真理の言説は、自己に対して行使する支配権を打ち立て、それによって自己を閉じたり塞いだりしてくれるものです。」(フーコー「主体の解釈学」2004,p428)
 これらの引用からわかることは、まずもって自己への配慮というのが「奴隷」にならないという自由行使の問題と繋がっているということであり、それが自他に共通して言えることであり、そもそも「奴隷」であるかないかというのが極めて対人的な関係性に基づいているということだといえる。このようなミクロな権力の作用についてはフーコーが永らくテーマにしてきたものであったが、「社会」のような枠組みの中ではそのような権力の作用がまさにあらゆる対人関係の中に作用しているのであり、そのような関係性の中において「自己への配慮」がいかに行えるかという問題をフーコーギリシャ・ローマといった古い時代の取り組みから捉えようとしていた、と見ることが可能である。この考えをそのまま適用するならば、そもそも、社会や国家といった枠組みにおいて「個人主義」を主張する場合、当然その『個人』の重要性はその社会・国家の成員全てに適用されるべきなのであり、個人間の搾取・排除が個人主義に含まれるという発想自体がすでに矛盾している、という見方も大いに可能であるはずである。全生研の立場からすれば、このような議論の可能性を最初から閉ざしているのである。

 さて、次に個人への着目が結局社会への批判や集団の意義を損ねるという論点についてである。これはこれまでのレビューでもフーコージジェクの主体論において、最終的に個人に主張点が還元されていたことについて、その主張が一個人の主張でしかない限り社会に対してそれを反映させるようなことは非現実的ではないのか、という問題点を挙げていた。この点は確かに理に適っており、フーコーもまたパレーシアの議論において、このことを捉えられていた。

「民主制において、パレーシアとは、一人ひとりが自分の意見を語り、自分の個人的な意思に適うことを語り、自分の関心ないし自分の情念を満足させることを語る気ままさのことです。したがって、民主制は、パレーシアが特権であると同時に義務であるようなものとして行使される場所ではありません。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p46-47)
「民主制における真なる言説の無力さは、もちろん、真なる言説に帰すべきものでも、言説が真であるという事実に帰すべきものでもありません。その無力さは、民主制の構造そのものに帰すべきものなのです。ではなぜ、民主制は、真なる言説と偽なる言説との分割を可能にしないのでしょうか。それは、民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができないからです。」(同上,p52)
「民主制のケースにおいて、パレーシアが受け入れられることも開かれることもなく、たとえパレーシアを用いる勇気を持つ者がいたとしてもその者は敬われるよりもむしろ除去されていたのは、まさしく、民主制の構造が、倫理的差異化を認めてそれに場を与えることを許さなかったからでした。民主制において真理が場を持たず、真理に対して耳が傾けられえないのは、民主制においてはエートスのための場が不在であるからです。反対に、〔専制的〕統治のケースにおいてパレーシアが可能であり有用であるのは、民主のエートスが君主による原則であり母型であるからです。」(同上、P79⁻80)

 ここでの民主制とは都市国家ポリスにおける政治を想定していたものであるが、民主制におけるパレーシアの問題とは「勇気」との関連でフーコーは捉えている。これは当然現在の国家枠組みの下でも同じことが言えるのであり、それは「自己への配慮」の実践が適切に政治に反映しない可能性があるということを示しているともいえるだろう。
 しかし、これも「個人主義」というのがそもそも社会により承認された考え方であるという前提のもとには状況が異なる場合もありえる。要するに、「法」によってそのような「個人主義=個の尊厳」が保障されているような場合には、その侵害は法により裁かれうるということである。「集団主義」の発想にはこのような観点が存在しない。集団主義は結局「集団のちから」なしには、個人を救うことはできないという大前提に立った見方を行っている。しかし、これは「法」が人権の保護を行う側面を持っている以上、全面的には正しくない。個人は法に基づきそれを個人として訴えることが制度上可能でありうる。それが機能していないのは、法が保護していないか、法が保護できないような何らかの力関係が働くような場合である。このような作用については、それこそフーコーのような権力観に立つ分析も必要だろうし、そのような検討の上でなければ、「集団性なしに政治はありえない」などとはいえない。

5.実例をもとにした集団主義の議論が「実態」を捉えていないことについて
これについては竹内の議論と全生研の議論は極めて異なったアプローチをとる。竹内においては、無着成恭の山びこ学校や旭丘中学校の実践を端的によい例として捉えているが、実態についてまじめに捉えようとしていないために、竹内の理論を都合よくあてはめ肯定的に解釈しているにすぎないものとなっている。また全生研においては、このような過去の有名な教育実践例についての言及はないものの、日常的にありえるような例を取り上げ、集団主義教育の実践の必要性とその進め方を指南する。

まず、竹内の取り上げ方を見てみると、次のように旭丘中学における集団主義教育を称える。

「たとえば、旭丘中学校のばあいもその出発は、これらの指導方針であった。生徒たちの自主性や要求によって生徒会活動が運営されるように、教師集団は生徒たちの自主的活動をこわすような管理主義的なものをいっさい排除していく方向をとった。こうしたなかで旭丘中学校生徒会は冬の教室内でのオーバー・手袋着用の許可を学校に求めたり、運動会、文化祭、図書館の自主運営を決定したり、教室にストーブをすえつけることを要求してその自治活動を進めてきた。……どんなに啓蒙開明的な学校運営であっても生徒の自治活動は、その枠内にはまりきらない。生徒の自治活動はその枠内に押し込められると、むしろその枠自体を拒絶し、地下に潜みかくれようとする。こうした事態に直面するなかで旭丘中学校教師集団は啓蒙主義的な生徒自治観と学校運営という枠を克服しはじめる。たとえば、教師集団は図書館の自主管理を逆に禁止することによって自己の啓蒙主義自治観をたち切ると同時に生徒集団の自己指導、自主管理の力量を高めようとした。また、教師集団は生徒会解散要求を生徒会全体の討議の対象にすえることによって、自己の啓蒙主義自治観を改め、生徒集団の力量によってこの提案を否定させようとしていった。」(竹内1969,p331)
「この人権問題(※旭丘中学生にたいする警官の不当な取り調べ)に教師がとりくんでいくなかでいわゆる旭丘中学校事件なるものが起こり、教師集団、生徒集団、父母集団が統一して自分たちの基本的人権を守るたたかいを展開していったのである。」(同上、p332)

 しかし、竹内が言うように旭丘中学校の集団主義教育が本当に成功していたのか、教師集団、生徒集団、父母集団が『統一して』闘争を行っていたかは、大久保正廣や竹内洋のレビューでみたように極めて微妙である。竹内常一集団主義教育において、特に「否定」のちからを引き出そうをしていた旭丘中教師の取り組み(生徒にとって理不尽な状況を無理やりにでもつくり出し、生徒たちにそれを否定させようとした実践)を評価していた点は明らかである。しかしそれが有効に機能していたかは別問題である。進歩的文化人と揶揄されるような人々が旭丘中の取り組みの実態を曲解し肯定的に捉えたのと同じように竹内常一はその実践を評価している。しかし、これは『実態を捉えていない』と言うべき語られ方である。そして、このような『実態を捉えていない』態度というのは、そのまま彼らが批判しているようなものにも当てはまりうる。竹内常一で言えば「個人主義批判」もその実態的側面からみて批判に値するのか、という論点を欠落させている可能性を考えたくなる、ということである。
 このような『実態を捉えていない』態度は違った形ではあるがそのまま全生研にも言える。これは集団主義教育の実践として班競争を捉える場合に致命的な問題を抱えた形で現われてくる。p106-107に注目すると、学級における「しごと」が列挙されている。

 ここで問題なのは二点である。一点目は「ここで挙げられている『しごと』なるものが本当に民主主義的観点や学習権的観点からみて適切な関連性が認められるのか?」である。まずもってその妥当性については本書で議論の対象とされていないし、美化活動といった取り組みを本当に児童が実践することで「民主的」教育に寄与するのか(それは清掃職員といった他者がやっていけないのは何故なのか)について議論しないことは、かえって児童を教師のいいなりにさせることにしかならないのではないのかという点である。ここで議論されているのは寄り合い的段階における取組であり、特に教師の管理が正当化されている段階にある訳だが、「児童にとって『やりがい』のあること」は「民主的であるかどうか」とはやはり無関係ではないのか?このような態度からやりがいがあれば何でもあり、といった態度にもなりかねないし、「学級でやらなければならないこと」はあくまで受動的に、その環境によって設定されるものでしかなく、その意義について不問に付されかねない。
 また、二点目として「仮に『しごと』が生徒にとって不要であるとして、この集団主義的実践によってその『しごと』を否定する余地はあるのか?」という点である。私にはこれをNOとしか見ることができない。何故なら、すでに班競争を行っている状況においては、児童はそのしごとにおいて「必要」であるから競争を行うのであって、その競争自体は「しごと」の必要性を強化することにしか寄与しない、としか私には思えないからである。可能性としては「しごと」においてビリ班となった児童がその「しごと」を嫌になる場合などがあるだろうが、これについても基本的には「民主主義的」観点からではなく「妬み」によるものでしかないし、その妬みを適切な実践に変えるような議論も本書では具体的に行っていない。確かに抽象的に言えばこの「妬み」も「否定」の力であり、それはそのまま「集団のちから」であるから理論的には実践への転換がありえるものの、本書においては「実態」のレベルにおいて、この道すじが全く議論されていないために、そのような転換の芽も摘んでしまうように思えてしまうのである。少なくとも本書における「しごと」の捉え方はそのような観点を排除するだけの素朴な議論しかしていない。結局本書が素朴な教育の実践現場しか想定していないために、「実態」のレベルを捉え損ねているのである。そのような「実態」のレベルを捉えることなしに、有益な実践は発展するように思えない。
 

 以上、本書と竹内常一の著書から集団主義教育の議論を捉えてみたが、総じて彼らが批判するような「個人主義」や「資本主義」が正当化されるだけの議論を行わないまま、集団主義教育を擁護しているという点は批判しなければならない点であろう。最も、このような集団主義教育自体が否定されるべき性質のものかと言われると必ずしも正しくない。「集団のちから」はそれ自体有効な主体形成の理論としての性格を持っているといってよい。問題なのは「問題を解決するのは集団のちからでしかない」という態度であり、そのような態度により排除されてしまう議論が存在することである。


 最後に本書を読むきっかけになった片岡徳雄編(1975=1998)のレビューで保留した集団主義教育批判との関連について述べておきたい。片岡編のレビューでは、特に片岡の捉える「集団主義教育」と全生研のいう「集団主義教育」が異なる可能性について言及していた。
 まず日本の集団主義教育の問題の根源をスターリン主義と断じていた点について。これについては本書及び竹内常一の著書で関連性が一切語られておらず、論理が飛躍していると言うべきだが、「問題を解決するのは集団のちからしかない」という態度などはそれを連想させたり、陰謀論的解釈としてそのように言いたくなるのはわからなくもない。しかし全生研の著書やその周辺からその関連性について立論できていない以上、飛躍と呼ぶしかない。
 また、集団主義教育が単一的価値観しか持っていないという点もやはり誤りである。これは班競争の性質を見れば明らかである。班競争はあくまで「集団のちから」を形成するための手段にすぎず、班競争の評価が単一的な評価価値であることはむしろその競争結果の固定化に繋がるため望ましいものとはいえない(cf.p115)。また、日直が独自の評価基準をもって点検を行うことが望ましいとされている点からも、単一的価値観ではなく、その場その場で評価基準が異なっていることが望ましいと考えられているのは明らかである(p162)。


※1 もっともこれを「悪い模倣」とみなしてよいのかという論点は存在する。というのも、ここでいう「悪い模倣」の発想というのは、捉え方によっては、ポール・ウィリスが肯定的に捉えた「野郎ども」と、従属的な「耳穴っ子」の二項対立図式と同じ問題を含んでいるからである。ウィリスはいわゆる「良い模倣」により育てられた「耳穴っ子」を無批判な人間と捉えた訳だが、必ずしも従属的な人間になるとは言い切れない、という論点と同じである。模倣論的に解釈するなら、むしろ主体は欲望を駆り立てられているのであり、ここでいう「良い」と「悪い」の違いは「位階の尊重の有無」であった。教師が見えない集団内では確かに「悪い模倣」が展開されているといえるが、教師が模倣の「媒体」として介在している状況があり、かつそこへ従属するような状況にあるのであれば、それはむしろ「良い模倣」でさえありうる。そして後述するように、集団主義教育の実践は教師による管理をベースにしている点において、「良い模倣」と呼んだ方が適切であるといえる。
 しかし、他方で体制批判を行う際には、ウィリスがそうであったように、「良い模倣」を固定的な、化石化したものとして捉えてしまっている。ここには二重の「良い模倣」像が存在し、別々のものとして語っていることがわかるが、これは後述するように、教育する側の論理と教育される側の論理を混同して語ってしまっている結果ではないかと思う。
 
※2 余談であるが、経験主義教育の批判とこの教科指導の科学・芸術性の強調というのは、60年代までの遠山啓の議論とも共通している部分がある(もっとも、遠山は科学と芸術を別のものと考えたが、全生研及び竹内は並列に同じ意味でしか語っていない)。遠山においても60年代まではこの科学性が一種の「確信」でしかなく、それが70年代になって遠山自身がそのことを疑いはじめたのではないか、という仮説を以前のレビューで提起した訳だが、仮にそのような見方が正しいのだとすれば、教科教育を生活指導と分別して議論している全生研の主張の正当性も失われることになるといえるかもしれない。

※3 本書p202のような議論についても、結局一般化してしまっているのが何よりの問題である。このような言い分からは「学習指導要領」と呼ばれるものは全て批判されるべきである、という結論しか見いだせない。ここで議論されるべきは、実際に学習指導要領で個別に取り上げられている内容について、その徳目主義的性質の問題の所在、非体系性を批判し、「そうでない」ような具体的な体系についての議論を述べ、改善の糸口を示すことではないのだろうか?