ポール・グッドマン、片岡徳雄監訳「不就学のすすめ」(1964=1979)

 本書は「脱学校論」のはしりとも言われている著書であり、すでに議論している「アメリカの個人主義」について安直な議論を行う論に対する反論として、今回取り上げた。

 河合隼雄は、日本の教育において「権威」というものが人を拘束するものとなっており、アメリカにおけるauthorityとは異なるものとして考えられているという。アメリカにおいてはそれが個性を尊重するものであるかのように捉えている反面、日本ではそれが理解されていないこともあり、押しつけになるのだという(cf.河合隼雄「臨床心理学入門」1995,p80-81、「河合隼雄著作集7 子どもと教育」1995,p309-310)。更に千石保に至っては、はっきりとフランスやアメリカには、個人主義に内包された規範意識があると述べている(千石保「「普通の子」が壊れてゆく」2000,p72-73)。

 両者のレビューですでに述べたように、このような主張はアメリカの脱学校論の文脈を無視した言説である。本書においてアメリカの教育は個性を無視した画一的な人間を作ろうとしているとして何度も批判を行っている(cf.p77,p92,p164)。特に注目すべきは、それが義務教育だけに限らず、大学においてさえも同じだとしている点である。P173-174の成績点原則廃止の提案も、(学校教育の中でも相対的に自由であるはずの)大学における議論であり、「そこで教師は、成績点で彼らをあおったり、脅したりする」のである。河合隼雄が日本の教育を批判しているのと一体何が違うというのだろう。日本人論を展開するのであれば、このような議論に対しても取り上げつつ、相違点について明確にすべき所であろう。そのような議論のない論というのは、肯定する価値が乏しい。

○グッドマンの学校の歴史認識は正しいのか?
 但し、河合や千石の議論と同様、本書の議論(「アメリカの学校教育は抑圧的である」という議論)についてもどこまで信用してよいのか、という疑問は付されてよいと思う。というのも「過去の学校教育」及び「学校教育ではない分野」に対して過度の評価をしているという傾向が強いからである。

 前者についてはすでに新堀通也のレビューで見たとおりの話である。特に本書も「社会問題」の影響を強く受けつつ、教育を批判するスタンスをとっているため、(たとえ著者が多くの学校を観察していると言っても)検証作業自体が軽視されている気がしてならない。特に過去の教育の実態について参照しているのはp27-28で示された小説のみであり、それ以外の部分は学校教育設立初期の「理念(実態ではない)」との比較によって、当時の学校批判を行っている傾向が強いのである。
 グッドマンの言い分は見方によってはp27-28のように、「過去の社会では『語られなかった』が今の社会では『語られている』 」ということを根拠に、現状の問題を指摘しているように思えてしまう。これはかなりアンフェアな議論であるように思える。そもそもそのような「社会問題」について議論するだけのジャーナルの世界も当時と過去では量が違うようにも思うし、仮に過去の教育が問題があったとしても、「ごく一部人間を対象にした問題であるから」という理由で「社会問題」とみなされていない可能性もある。過去の教育の実態に対する言及が極めてわずかなことからも、この点に関する検証を行おうとしていたとはとても思えないのである。

○学校教育不要論についてどう考えるか?
 また、後者の評価についても、現状の学校教育の過小評価の上に成り立っている可能性を否定し難いように思う。グッドマンは「読む必要のない社会」の方が楽だと断じている(p33)。また、p44も実質的に義務教育の不要の主張であり、学校制度がなくても「うまくやっていける」というのが、グッドマンの主張である。

 この議論は二つの方向性で考える必要がある。一つは「読む必要がなくても仕事をしていくことができる」という主張と、もう一つは「学校で行うのは仕事につくためだけの教育だけではない」という点である。

 前者の議論は、結局p123のような主張がどこまで正しいのかという議論に行き着くだろう。簡易な職場訓練で成り立つのであれば、確かに学校教育はいらないだろう。ただ、この論点は非常に厄介であり、今の私では検討ができない。今後の課題である。ただ一つ言えるのは、それでは何故企業というのは、高学歴の人間に限定して採用したがるのか、という点である。これは別に国や学校から企業が圧力を受けて判断している訳ではなく、企業自身の判断で行っているはずなのである。この事実はやはり高学歴の方が何らかの点で即戦力になるという判断があるからと考えるべきではないのか?ところがグッドマンはこのことについて恐らく「迷信」として片づけてしまっている節がある(cf.p188)。このようなことが「思い込み」によって普遍的に解釈されていると結論付けてよいのだろうか?これもまた実態の検討なしに「思い込み」で片づけているのはあまりにも安易であるように思えてしまうのである。

 また、常識的なレベルで「我々が物事について思考する際に、文字を用いながら考えた場合(=文字に記録しながら思考する場合)と、それを用いずに思考した場合(脳内だけで考える場合)のどちらがより深い思考を行えるか」を考えた場合、どう考えても文字を用いながら行った方が議論を深めることができるだろう。これは、文字自体が思考の記憶をする一助になることからも、その整理のための一助となることからも、明らかであるように思える。
 もちろん、これには例外がある。絵画や音楽といった芸術の分野や、文字通り「為すことによって学ぶ」工芸品などの職人の世界というのは、上記のような思考を深める必要性はないと考えられているといってよい。これらの分野は別の方法においてその能力を深めるためのプロセスを持っているといえるため、この限りにおいてはグッドマンの言い分も正しい。しかし、この分野というのはあくまで限定的であることが想定されるのであり、グッドマンの言い分も限定的なものであると述べるべきではないだろうか(※1)。


 一方、後者の議論ついては、まず、既に学校教育批判として「学校は職業教育やその能力を育成するような偏った教育だけでなく、全人的教育(もしくは、人格の完成を目指すための教育)を行うための場である」とする立場もあり、特に「民主主義的教育」の必要性を唱える立場から、子どもにとって学校が「必要」である理由として主張される議論と対立するだろう。
 これは一方で全生研のような集団主義的教育からアプローチする場合もあるだろうし、私のようにより素朴に(仕事以外に)社会に生きるために必用リテラシー教育が必要であると考える立場もあるだろう。

 また、共通言語を読む作業はグッドマンに言わせれば劣等感・非行を生む要因となり(p33)かつ読みの能力は「情報を仕入れる手段」であるがゆえに支配の道具になる(cf.p34)という陰謀論じみたものにもなるようだが、逆にこのような共通言語が不在となる場合に、「問題解決を暴力(もしくは恣意的な力関係による解決)でしか行うことができなくなる」という見方はできないのだろうか。この点についても実証できる材料を持ち合わせていないが、少し気になる内容を宮本常一の話から見出すことができた。引用内容は戦前の生まれで学校に通っていなかったことから識字ができなった農村部の人の話である。

「三人とも字を知らなかった。文字のない世界には共通したこのような間のぬけたようなものがあった。左近翁も若い時はこうした噂の中にだけ生きてきた。そしてそういう中にあっては人を疑っては生きて行けぬものであった。疑うときりのないものであった。だから一度だまされると今度は何もかも信用できなくなるという。文字のない世界はそれだけにまた人間の間のぬけたような気らくさと正直さがあったが、見知らぬ世間の人はできるだけ信用しないようにした。」(宮本常一宮本常一著作集 第10巻 忘れられた日本人」1971, P191)

 ここでは「非識字の世界に生きると『信頼』のあり方が変化する」ということが示されている。このような主体に対する理解をどう考えればいいのかは判断しかねるが、少なくとも信頼関係を結べない、対立関係が生まれた場合の対応は基本的に相互の断絶であり、ひどい場合は闘争しか生まない状況になるのではないか、という推測も可能である(もちろん、これは仮説の域を出ない議論である)。グッドマンの議論は、このような点から言っても、学校批判に対し過剰であり、「学校がないこと」に対して楽観的な見方をしすぎているのではないのか、という印象を受けざるをえなかった。

※Ⅰ 但し、ここでの私の批判は、「そもそも能力を深めるような場面自体が必要でない」かのように語るグッドマンの側面は拾い切れていない。特に海外の対抗文化に関する著書を読むと、このような能力観をそもそも認めないような議論に出くわすこともある。この点については現状コメントできないが、これについても考えねばならない論点だろう。


<読書ノート>
p6「こうして、学歴の拡張と就学人口の拡大によって、学校は、一般訓練機関や子守り役や固め屋になるだけで、学校が、とうぜんもっていた美しい学問的機能や共同社会的機能を失いつつある。」
p22「にもかかわらず、私は疑う。現在のものであろうと、現在の教育行政のもとで望みうるどんな改革であろうと、そもそも学校へ行くことが大多数の若者のその時期最高の過ごし方であるか、と。」
p23-24「たとえば、一九〇〇年には、一七歳年齢人口の六%が中等教育を受け、〇・五%が大学に進学したのに対し、一九六三年では、六五%が中等教育を受け、三五%が大学とよばれる機関へ進学している。同じように、農場生活や細々とした職の多い都市生活に挿入される束の間の学校教育と、子どもにとって唯一の「真剣な」職でもありしばしばおとなへの唯一の接触ともなるふつうの学校教育、との間にはかなりの相違がある。こうして、おそらく今や流行遅れになった制度が、子どもの成長上許されるほとんど唯一の途となった。そしてこうした先取りとともに、一つの狭い経験をますます強化する傾向が生まれている。」
p25-26「ジェファーソンやマディソンらが義務教育を構想した時には、そうした(※国家の要請と個人の発達の)両立不可能性は考えられもしなかっただろう。彼らは啓蒙主義の風潮に浴しており組合協会(町民会)的な思想に強く影響され、しかも当然のことながら革命の担い手でもあった。彼らにとって「市民」とは、社会をつくり上げる人であって、社会に「参加」したり「適応」したりする人ではなかった。明らかに、彼らは自分自身や友人を市民としていわば肌で感じていた。社会をつくるということは、彼らの生活の息吹きであった。しかしいうまでもなく、そのような考えは今日の政治的現実からはるかに遠く、それに正面切って対立する世界である。われわれの場合には、基本的なルールやしばしば得点までもあらかじめ決められている。」
※これは理念でしかないのでは?これをもって「かつての学校はよかった」(p25)といっている節がある。

☆P27-28「すなわち、小学校では読み書きと算術が求められ、大学では経済拡張に寄与する専門技術技能が求められた。しかしここでも、「個人の発達」と「国家の要請」とが両立しないなどと話す者はだれもいなかったであろう。当時はまだまだ、機会に恵まれた開かれた社会である、と考えられていたからである。それを典型的に示すのがホレイショウ・アルジャ二世の描く小説である。そこでは、学校教育というものは、人に先んじるに欠かすことのできないものであると同時に、道徳的にも優れたものである、とみなされている。……一九〇〇年当時、九四%の者が中等教育を終えなかったが、彼らには、成功の機会が他にあった。……しかし、地位にそれに至るルートはますます階層化され、硬直化し、区分され、ひからびてしまっている。……生き残ってゆくことの必要条件は、まぎれもなく学問的なものであり、学校とか大学でのみ達成されるものである。しかしそれとひきかえに、そのような学校教育は、主導性や道徳性の意味あいを失いつつある。」
p29-30「教育の哲学的目的は、自分の所属する階級から個々人を解放し、人類という唯一のものに引き入れてやることでなければならぬ。慎重と責任感は中産階級の価値ではなく、人間の価値である。また自然らしさや性的関心を示すことは、無学の人の能力ではなく、人間的健全さがもたらす能力である。今日の社会心理学者たちは、人間的な共同社会に目を向けず、強迫観念が衝動を処理してくれるであろうような未来社会を頭に描いている、そんな印象を与えている!」

p32「たとえば人生とは、所詮きまりきっていて、非人格化され、金で格づけされるものだとか、規則に従って黙っているのが一番よいとか、自発性や解放的な性や自由の精神の発揮できる場など全然ないとか、こういった事柄を、あらゆる階級の現代市民の大多数が学ぶのはどこか。それは、家庭や友人からというよりもむしろ学校の中であり、マス・メディアからである。学校の中で訓練されたあと、彼らは学校と同じ性質の職業や文化や政治の中へ進んでゆく。これこそ、教育、非教育であり、国家的規範への社会化であり、国家的「要請」への組み込みである。」
※これは国家にとって生産的であるか、という問いはどこでなされているのか?
P33「読みを習得していない子どもたちという悩みがあり、読みの教授方法を熱心に防御する論議もある。じっさい、読むことができないということは、勉強を積み重ねてゆくうえでは障害に等しく、その結果、劣等感という苦痛感、ずる休み、それに脱落者が生まれることになる。」
※本書の最初の一文から「学校からの脱落者」の問題が語られる(p20)。
P34「おそらく現行の管理体制のもとでは、多くの人びとが読めなくてもいっこうにかまわないようになれば、われわれの社会生活は楽になるだろう。もし人びとが十分に「情報を仕入れて」いなければ、彼らを体制に組み入れるのは、ずっと困難になるだろうから。つまり、ノーバート・ウイナーがいつも指摘していたように、決まり文句をただ繰り返すだけでは、雑音を増やし、コミュニケーションを妨げることにしかならないからである。読み書き能力が低下すれば、それだけ民衆文化が育つであろう。もし若者たちがたぶんいりもしない規準に応じる必要がなければ、劣等感にひどく苦しめられることもなくなるだろう。」
リテラシー、文字通り批判能力と創造するための能力は話し言葉では限界がある可能性がないか?その意味でこの主張は読めないことの過大評価たりうる。

P43「全米の随所で七〇の大学を訪ねてみたのだが、その際私がぞっとしたのは、各学科が正しい学問精神で、その学科の真理と美のため、しかも人間的な世界文化の一環として学ばれることのいかに少ないか、ということであった。学生たちは、免許状と給料とを目当てにしたせせこましい体験、つまり「熟達」を与えられたり追求したりしている。彼らは、国家的スケールでの思考停止を教え込まれ、愛国主義的であることさえやめてしまった。」
※しかし言い換えれば、ここまで言っても学歴社会という枠組みは変わらなかった。
P44「強制的な学校システムは、すべての人にかけられたワナになってしまっており、少しもよいことはない。貧困階級も中産階級も含めてかなり多くの若者は、もしそのシステムがあっさりなくなったとしても、うまくやってゆくだろう。」
P46「先と同じ考え方だが、校舎の内外にかかわらず、若者をおとなの世界へ導くにふさわしい教育者として、免許状を所有していない共同社会の中の適当な成人——薬剤師、店の主人、機械工——を利用せよ。こうすることによって、われわれは現代都市生活にまことに特有な、おとなの世界からの若者の隔離を生じさせることもなく、専門的な学校人たちの持ち合わせている何でもござれの権威をなくそうとするきともできる。確かにそれは、おとなたちにとってみ、有益でしかも生々しい体験となろう。」
P46-47「A・S・ニールのサマーヒル方式に従って、クラスへの出席を強制しないようにせよ。もし教師がすぐれていれば欠席はなくなるであろう。もし教師が駄目なら、教師自らにそのことを知らせてやればよい。」
※教育があくまで関係性の問題であることを考えれば、この発想はアンフェアである。これを強要するということは、当然教師側が「従者」となる可能性もある。関係性であることを前提にすれば、そこに「支配者」であることを強要することは正当性がない。明らかにここでは「支配者」となることを強要している。

P51「教育学を実際に必要とする際立った問題というのは、子どもたちの声が封じられていることである。このことは十分すぎるほど明らかであった。子どもたちはしょげ返った姿勢で坐っていたし、声を発することもできなかった。それは姿勢からして無理だった。精神治療学的にみてもまた、その場合の子どもたちは、問題となっている事柄に対して、またそれを把握し理解することに対して、積極的態度を十分とることができなかった。」
P61「というのは、目的が部外者によってあらかじめ決められ、目的が創造的な仕事をせねばならない当事者——それが若者であってもーーによって批判・変更されえないような時は、どんな創造的な仕事もやれるものではないからである。」
※これも創造的であるとは何かを定義しないと意味がない。制限された環境には制限された環境なりの創造性をいくらでも作ろうと思えば作れる。
P70-71「一九六四年二月二四日に行なわれた全米銀行協会の講演で、労働長官は義務教育期間を一八歳まで延長することを提案した。ところがちょうど同じ頃、ニューヨーク州のキングカントリーのある大陪審は、義務教育期間を一五歳までに引き下げ、しかも手に負えない生徒を退学させることができる権限を教育長に与えることを提案している。地方の多くの学校は、学校にいたくない生徒たちを閉じ込めておくため、警察官を配置している。しかも、一九六三年の退学者たちの大多数は、いいふくめられて復学はしたものの、すぐふたたび退学している。教育の目的や方法やカリキュラムについて、本質的な改革が何一つなされていなかったからである。彼らはただ、だまされたときによって新たな屈辱を味わったにすぎない。さらにーーこれ以上いう必要はないがーー年長の生徒たちは、いっそう悪くなり、物騒な凶器を使うようになる。」

P77「現在、ほとんどの州で、すべての若者が、一〇年ないし一三年間、一日の大部分をいやいや教室に坐らされている。そこはほとんどいつもすしづめで、前を向かされ、州都の遠い行政部であらかじめ決めた学課をやっている。その学課は、生徒自身のもつ知的・社会的あるいは動物的な興味とは関係ないし、まして彼の経済的な興味とも関係ない。生徒が多すぎるために、個性や自発性が除外され、若者はふちょうで教えられ、先生はやかまし屋になる。もし若者が自分の好みに従おうとすれば、妨害されるし、ついには牢屋へ入れられもする。」
※このような教育において、どこに「個人主義」が見出されるのだろう?
P77-78「長官はその講演で、一八五〇年から、そう、一九三〇年までに目をみはるほどの拡張をとげた無償教育についてふれている。しかし、これは今日の状況に関していえば、まったく誤解を招くものである。繰り返していえば、このような機会開放は自由経済の中に起こった。自由経済には、技術や教養学習を必要とする広大な市場がある。若者は、自分自身の意志でその機会を利用した。だから、そこには黒板ジャングルもなければ、しつけの風土病的問題もない。教師は学習したい人びとを教える。だから、成績点がとくに強調されることもない。ところが、現在の状況はどうか。テストと成績点のきちがいじみた競争は、技術や学習を必要とする市場が開放されていない、つまりすきまがない、ということを意味している。高得点者を求める雇用者はあまりいないし、高得点者が独立の企業主になるわけでもない。要するに、二、三の大企業だけが巨大な淘汰作用と選択作用の利益をえている。」
※実態と理想、そして誇張との区別ができていないと、このような議論には意味がない。そして、なぜ学歴を持ったものの採用にこだわりを持つ必要性は雇用主に全くないのに、なぜそれを求めているのか、という説明も全くできない。問いに答えられない限りはやはり学歴のある者を求めている、と考える方がはるかに自然である。自然でない回答をするなら(これも立証あって然りだが)、その立証をすべきである。

P89「家族を別にすれば、子どもは学校教師以外のおとなとほとんど話をかわさない。しかし、生徒が大勢になりしかもスケジュールが盛りだくさんな学校では、人間的な接触を教師ともつ機会も時間もほとんどなくなる。また、大学と同じくそれ以下の学校でも、だんだん教師専門家養成や学校運営にうき身をやつし、人間的な役割を棄てるようになった。その結果、生徒がうちあけ話をしてガイダンスを受けるのは特別な場合に限られるようになった。もし人間としてとり扱われたいなら「逸脱」しなくてはならないのである。」
人間性と逸脱が結びついている、という点も注目してよいか。いや、もしくは訳の綾か。
P91「子どもの段階から以上のような様ざまなものが加えられ、洗脳されることになる。この洗脳ということの中には、①ある共通の世界観を与える、②別の方向に育つかもしれぬ芽をなくす、③自分自身の経験と自分自身の感情を適切かどうかわからなくしてしまう。④慢性的な不安をつくる、といったことが含まれている。その結果、安全性のみを求めて一つの世界観に人はしがみつく。これがまさに洗脳である。」
P92「だから、現代の過剰ともいえる技術や、現代の市民的平和(?)や、あまりにも多い教育機会や文化機会にもかかわらず、アメリカの子どもが、独立心を養い、自らのアイデンティティを確立し、好奇心や主導性を維持し、科学的態度や学問的習慣や生産的な冒険心や詩的な話し方を身につける、といったことは困難なのである。」
※個性の育成は困難!!

P120「同時に一方では、自発的な主導性ということが妨害されたり、不適当と考えられたり、「大事な」勉強にさしつかえると不安がられたり、さらには恥をかかせ拘置したりまでして罰せられている。しかもそのうえ、このような熱狂的な条件づけのコースを身に施された後、若い男も女も卒業しさえすれば様ざまな重要問題に主導性をとつぜん発揮しだすと仮定されている。すなわち、競争市場の中で自力で仕事をみつけたり、長期の生活設計をたてたり、独創的な芸術や科学の計画を企てたり、結婚して親になったり、選挙のために投票したりする、と仮定されている。しかし、彼らの行動は、うまく型どられすぎている。こうして不可避的にたいていの者が、組織人として、あるいは流れ作業のうえで、割りあてられた仕事を型通りやってゆくことになるだろう。」
※この認識について事実認定及び価値判断をどう考えるかは重要。
☆P121「行動分析やプログラム学習が学習と教授法の十分な分析であるにしても、政治的理性を無視しているために、それは自由な市民の教育にとって本当に適当かどうか、なお疑わしい。」
※例え学習として完成していたとしてもだめらしい。
☆p123「高度に自動化された技術社会では、ふつうの仕事は、二、三週間も現職訓練を受ければよく、学校教育などまったく要求されない。われわれが希望にあふれて期待する人間を大切にする雇用および余暇のためには、プログラム学習とはまったく違った教育や習慣をわれわれは要求する。」
※機械へのこの認識は致命的な問題か。
P124「現代の技術進歩には悲哀感がつきまとっている。プログラム学習がよくそれを例示している。プログラム学習の大部分は、生物を機械で操作できるようにするために、動物と人間を不当に低く評価しているところになり立っている。一方では、この学習法を生んだ社会的背景は、多くの人びとを見捨てられ者にし、事実彼らを人間的に弱め、人間を無責任にもする、そんな傾向もある。」

P128「しかし、今や別の危険が起こってきた。それは、全米科学協会の構成に深くかかわるものである。つまり、彼らが考慮している人と考慮に入れていない人とが、はっきり分かれている点だ。報告された改善計画や改善方法さらに提供されたテレビフィルムなどのいくつかを見ればよい。カリキュラムの改革委員は、大学院の教授ではないか、また、博士号を生産するための科学教育以外のものを結局は考えていないのではないか、という印象をぬぐいきれない。」
※「協会のめざした目的は、道理にかなったもので不純なものはない」と前置きがある(p127)。
P131「発見学習といってみたところで、それは、博士号がすでに出ている既知の解答に向けられたものにすぎない。創造性に必要な迷いやあきらめこそ重要な意味をもつというなら、こういった悪ふざけの提案に対しては、若者としては洞察するのではなく、禅教育の場合のように、嫌気がさしたり怒ったりするほうが正しい反応ということになるかもしれない。」
※禅教育とは?また、発見学習に対しては、「たとえば、それはマサチューセッツ工科大学の博士論文によってあらかじめ図示されたコースの中でなされる発見である。そうした過程は、威勢がよいどころか、まことに失望させられるものに違いない。私の推察では、この「発見」は、歓呼ではなく、冷笑をもって迎えられるだろう。発見の興奮は、謎ときの動画におとしめられる。このような謎ときは確かに多くの博士論文がやっていることではあるが、それにしてもその謎ときにどんな創造的思考がからんでいるか、私には疑問である。」(p62)と述べ、結局は「偽り」の真理の発見については全く無価値であると決め込んでいる。これについては、模倣行為への過小評価、および発見に至る思考プロセスの重要性の過小評価が含まれているように思える。

P135「理解困難な機械部門のためだけでなく、専門家仲間でしかその価値を予測できないようなスポンサーつきの研究に対しても何億ドルの予算を出すべきかの決定をしたり、さらに名誉ある失敗とにせのごまかしとをどのように見分けるか。これらはすねて民主主義のまったく新しい問題を提起している。迷信——「科学」の迷信を含むーーを打ち破り、人びとをもっと技術に慣れさせ、科学研究費や科学研究の階級制度に関する経済学や社会学を教えることで、その矛盾状態を緩和することができる。おそらく、正しい質問に答えたり、解答の中身ではないにしてもその確実性を判断したりすることは学習できよう。そうすれば少なくとも、輸送対策のような問題や外部援助のための技術輸出といった問題に関して、知識人が専門家を勇気を出して批判しようとする時、よりよい決定ができることになるだろう。」
P152「(1)われわれが伝えたいと思っている文化は、これらの青年にとってもはや文化ではない。文化をつなぐ糸が切れてしまった。
(2)これらの青年は、自分自身に対してまじめではない。これは、彼らのもっている文化の特性である。
(3)下級の学校と同じく、大学自身にみられる前兆や方法や目的は、先例のない現在と予見できる将来とによってすばらしい教育とは、少しいいがたいものである。」
※ただし、ここでいう文化とは西洋的な極めて伝統的な文化、ギリシャ人の話、聖書の話、騎士道の話などを指すようである(p152-153)。
P154「このような構造の欠如については、おおかたの学生も感じており、若い多くの教師たちも明確に述べている、と私は思う。彼らは私をほんとうの気狂いとまでは思わなくても、まさに時代遅れ、場所違いとして、郷愁の念で私をながめるーー事実、私は、うらやましがられさえする。というのは、かりに伝統的価値が欺瞞であるとしても、人びとがそれらを信じそれらを行なおうとすれば、それらの価値はこぎれいに自分を正当化することができるからである。」

P164「問題点を繰り返しておこう。幼児期から若者は、学校外の要求に対してしだいしだいにきゅうくつにさし向けられた、密集行進法というやり方に慣らされている。個人のペース、個人のリズム、個人の選択にはなんの注意も払われていない。しかも、アイデンティティの発見にも知的目的への献身にも、これといったものは何もない。適性テストと学力テスト、それに高得点を取るための過酷な競争などは、学校産業を含む実業界で高給取りへの梯子を登るレースである。」
P166-167「この提案(※大学入学前の社会経験を積ませること)の目的は、二つ。一つは、大学のレベルで、とくに社会科学や人文科学で教育されやすい十分な生活経験をもった学生が得られること、もう一つは、成績めあてに割り当てられた学業を一二年間しゃにむにやってきた密集行進法を打ち壊すこと、である。そうすれば、学生は、少しは内面的な動機づけで大学の勉強に取り組むことができるし、その結果、自分を変化させるかもしれない何ものかにおそらく同化するだろう。……
このプランのもたらす副次的な利点は、道徳問題を気狂いじみた親心で取り扱うという運命的なしかも偽善的な努力から、大学を救済することになる点である。若い人びとが、生計維持のために働いたり、外国へ旅へ出かけたり、軍隊に入ったりすれば、彼らは自分のことは自分で処置することができる、と大学は仮定してよい。」
P173-174「多くの教師は怠惰である。そこで教師は、成績点で彼らをあおったり、脅したりする。結局、このやり方は、よい結果を招くより、いっそう害を与えるにちがいない。怠惰は性格の防衛である。それは、自分がすでに完全であるといううぬぼれを守るため、学習を避ける方法であるかもしれない。怠惰は、まさに失敗したり、格下げされたりする危険を避ける方法であるかもしれない。それは時には、「私はその気がない」と丁重にいう方法でもある。しかし、そのような態度をまず最初に生み出したのは権威主義的な成人の要求であるのに、なぜ、彼らに与えた外傷を繰り返すのか?」

P188「この本で議論していることは、こうだ。すべての子どもは、できるだけ教育されねばならない。しかも、社会にとって有用であるように。しかも自分の力を最大に実現できるように育てられねばならない、と。現代の社会では、このことは、共同体の必要として、ほとんど公費でなされねばならぬ。確かにアメリカ人は、貪欲や消費や機械類や高速道路にあれだけのむだ使いをしているならその代わりに、現に彼らが支出している以上の金を教育に費やすべきである。しかし、このことから、大多数の若者を教育する方法は彼らを青年期や成人前期の間ずっと学校に閉じ込めておくことだ、ということにはならない。それはたんに、一つの迷信であり、公的な迷信であり、しかも大衆的な迷信である、にすぎない。」
P196「賢くて活発な人もおおくいるが、彼らのほとんどは、実はどこか別のところに行きたいと思い、トラブルを起こしはじめた。学問的なカリキュラムは必然的につまらぬものになった。学校の重要な機能は子守りと補導になりはじめた。子守りは、騒がしい大学にも引き継がれた。」
P198「そのようにして、わが子が「よく適応する」ということをかつて望んだ母親たちは、いまやIQと偏差値の狂信者である。気楽で民主的で楽しいところであった学校は、いまではおそろしく競争的である。」
※教育ママか?
P204-205「まことに興味あることに、労働省法務省の再訓練と社会復帰計画には、直接の学校援助法案よりも、学校教育をも含むいっそうすばらしい教育的理念が含まれている。連邦政府の教育への多額の援助は、教区学校問題によって妨害されているので、その金の何がしかは、学校というシステムを通さずに配分される方がようであろう!
実験室の科学訓練を多く含む職業訓練は、関連企業内部での技術実習として処理されるべきである。」

野村正實「知的熟練論批判」(2001)

 今回は以前小池和男のレビュー後に小池批判を行う著書があるのを知り読んだ野村の著書である。野村はすでに一度小池の「知的熟練論」の理論面での批判を行っているが、私もレビューした遠藤(1999)の提示した人事評価における「仕事表」の捏造の可能性に触発され、理論だけでなく実証面も含めて批判を行い直した、という著書が本書である。


 実際の所、本書のような著書が存在すること自体が憂うべき状況だろう。小池の議論がいかにおかしな事実認識、曲解した解釈をもっているか、そしてそれを支持してしまっている小池周辺の論者に対しても一定の批判を行う内容となっている。本当ならば本書よりも強烈に小池を批判するだけの材料があるように思うが、野村自身、その点はかなり意図的に押さえて論述していることが見て取れる。

 前回小池のレビューで述べた、日本の労働者の熟練を示す指標とされた「多様な職場の経験」を本書では77年から展開していた「キャリア熟練論」の一環と捉えている。確かに多様な職場を日本の労働者が他国の労働者より多く経験するということは実証的に示されている。しかし、このことが能力的な「熟練」に繋がるのか、疑問の呈していたのが熊沢誠であったと野村は述べる。たしかに「日本の熟練」においてもその熟練は間接的にしか提示されていなかったものであり、それを実証するものでは全くなかった。野村はこの壁を超えるために用いられたのが「知的熟練論」であるという。そしてその熟練度を客観的に示す指標として提示されたのが「仕事表」と小池が呼んだものであった。

 この「仕事表」はある企業(日産自動車)のものを想定したとされているが、この仕事表は著書ごとに内容が変わっているという(英訳にされたものさえも改変されている)。抽象化といった目的で改善しているといった理由があるならまだわからなくもないが、そのような意図が読み取れず、「論理的にも、倫理的にも、感覚的にも、私の理解力をはるかに超えている」と野村は言う(p38)。
 また、この「仕事表」の考え方は少なくとももとの日産自動車の評価制度とも大きく異なるとする(p90、中西・稲葉1995「日本・日産自動車の「給与明細書」」に実際の評価制度が示されており、それが小池の仕事表の位置付けと大きく乖離していることを示している)。「仕事表」の活用の性質については、以前小池がこだわっているとみた「二項図式」の考え方が色濃く反映されており、「仕事表を活用しないと熟練は形成されない」とする。

「仕事表が存在しないとすれば、どのような事態になるであろうか。仕事表が存在しないと、「だれも異常や変化に対処しようとしなくなる」し、「知的熟練は形成されず、異常はみのがされてしまう」。また査定において査定者の恣意性を少なくすることができず、「よく働いてもたかく評価されるとは限らず、だれも努めて働こうとしないであろう」。すなわち、熟練が形成されないだけでなく、勤労意欲も消滅してしまう。知的熟練論によれば、仕事表は職場の労働関係の中核である。」(p24、引用は今井・小宮編「日本の企業」1992、p330-332からのもの)

 また、興味深いのは、遠藤(1999)の著書発表後に展開された知的熟練論(本書では刷新版知的熟練論)における「仕事表」の取り扱いである。小池の極端な二項図式論に基づけば、次のような推論はほとんど妥当であるように思えるが、「仕事表はほとんどの大企業が査定の重要な参考資料として用いている」のであった。

「小池は直接明言しているわけではないが、ほとんどの大企業に仕事表が存在しているはずである。というのは、小池は、「大企業ではほとんどが統合方式」であると指摘している。すなわちほとんどの大企業に知的熟練が存在している。したがって、知的熟練を形成する重要な手段である仕事表も、ほとんどの大企業に存在しているはずである。そして、仕事表が査定の「重要な参考資料」である以上、ある会社の中において、仕事表を用いている生産職場もあれば用いていない生産職場もあるということであるならば、ある生産職場では仕事表を「査定の重要な参考資料」とし、別の生産職場では仕事表なしで査定をおこなうことになる。これでは、全社的な査定の公平さが存在しないことになる。」(p216)

 しかし、刷新版知的熟練論段階における小池は、遠藤の指摘を受けることで「2枚一組、定期的改訂、査定の重要な資料としての仕事表が実在することへの信頼性回復は、具体的な仕事表を提示すること以外にあり得なくなった」(p278)。しかし、実際にそれが実在する訳ではないので、妥協する形で「仕事表」が示されることになったのだが、「真の(※経験の)はばをみるには、仕事表だけに頼ってはあぶない」(小池ほか「もの造りの技能」2001,p29)と述べ、野村によれば「具体的にどのような判定プロセスをへて小池は上述の技術評価に至ったのか、フォローすることはできない」(p275)と述べる方法で技能評価を小池は行っているのであった(小池ほか2001,p35)。野村は述べるのを避けているが、これは小池の主観的判断で述べていることにしかならないだろう。そして、あろうことか小池は自らが固執していた「仕事表」への態度を変え、その価値を事実上否定してしまったのである。


○「事実認識問題」についてどう考えるか?
 新堀のレビューの際に取り上げた「社会問題」の捉え損ねの議論の中で、現われている事実自体の誤認と呼んだ論点については触れるのを避けたが、小池の事例はまさにこれに該当するものといえるだろう。この論点を非常に厄介としたのは、この論点は「観察者」の主観に依存しなければいけないようなデータ(事例)の取り扱いをすべき点というのがどうしても出てきてしまうからである。
 この論点については野村の大きな問題と見ており、唯一の解決策として「専門家集団」を取り上げている。

「私は、このようなモラルハザードを防ぐ唯一の方法は専門研究者集団による厳しいチェックである、と考えている。調査報告書が専門研究者集団によって厳しくチェックされると思えば、資料の創作や、恣意的な資料の改変をおこなう気持ちは生じないであろう。したがって問題は、専門研究者集団が調査報告書の信頼性を検証できるかどうかにかかっている。……
もはや、実態調査研究者は発見した事実を歪めることなく報告している、という素朴な性善説を前提とすることはできない。モラルハザードは起こる、と考えなければならない。モラルハザードを起こさせないためには何が必要か、資料の創作にもとづく報告書が公刊されてしまった場合、どのようにしてそれを判別するのかという問題を、実態調査に関係するすべての研究者が考えなければならない。」(p292)

 このような専門家集団であれば、確かに社会調査に対しては事実を歪めずに議論する余地はある。しかし、これでもデータ収集の段階で改変することについては、個人に依存してしまえば防ぐことは難しく限界がある。
 これに代わってデータ採取にあたり「追試可能」な条件を明示していることというのは、科学的には重要であるといえるだろう。その意味では匿名性というのはできる限り避けなければならない。特に社会問題や日本人が素朴に語られる場合はこの匿名性が結果的に強くなり、追試できないことも多いというのが問題である。
 もう一点可能性としてだけあるのは、「全体的な著者の主張をみて、矛盾がないかどうかを検証する」という論点である。小池のケースの場合はデータの虚偽性というのが相当明確なケースであるため、この論点でもそれがほとんど明確になるし、実際野村もこのアプローチで小池の「仕事表」の虚偽性を間接的に示すことができたといえる。

 例えば、小池は言葉の選択する時に、極めて一貫性が欠けており、野村は「同じパラグラフに「保全専門労働者」、「保全の人」、「保全専門者」という3種類の表現が使われていること自体、小池が言葉をいかにルースに使用するかを表現している。」(p124)と評している。新堀のレビューでも「理念型」の場合として述べたが、キーになる用語の概念が定まっていないような議論というのは、曲解に繋がる。たとえ小池にその自覚がなくても、読者がそれを誤解する可能性を減らすというのは分析者にとっては当然必要な点であり、小池はこのような曲解を「仕事表」の提示の中でも繰り返し続けたのである。
 また、虚偽である「仕事表」の89年の登場は、それまでの小池の理論を体現したものとして出現していることを、小池の論述の経過を見ることで確認している。言いかえれば、「仕事表」を実在化させるだけの条件を89年以前にすでに整えており、突然「理論」だけのものであったものが「現実化」したのである。

「ここにおいても(※85年の論文だけでなく、87年の論文においても)小池は、「ふだんの作業」と「ふだんとちがった作業」という概念を「用意した」のは自分であると主張している。そうだとすると、「生産労働者」の作業を「ふだんの作業」と「ふだんとちがった作業」に区分しているのは小池自身である。
 ところが、完成版知的熟練論の時期以後(1989年以後)、「ふだんの作業」と「ふだんとちがった作業」という概念は、小池がオリジナルに考え出した概念ではなくなってしまった。……小池の功績は、会社がおこなっていることを紹介したにすぎなくなった。」(p118-119)

 このように本書で述べられている小池の態度を見ていくと、私が小池のレビューの最後に引用した内容(青木・小池・中谷1986,p34)自体も海外の職場の事例を曲解して示された虚偽なのではないかという仮説も現実味を帯びてくることになる。ただし、小池のケースは特殊であり、ある意味で簡単に議論のおかしさに気付くことができる内容である。小池自身に悪意がある可能性も低いのかもしれない。しかし、これが「悪意」を持ったケースなのであれば、その虚偽を見出すことは困難になりかねない。論者の主張を信頼して性善説的態度をとることは簡単だろうが、野村のとったようなアプローチによって虚偽の可能性を述べるような方法は難しいようにも思う。

「『親方日の丸』の研究」―新堀通也レビュー補論

 今回は前回の補論として、新堀が使っていた「親方日の丸」の言説の妥当性検証の一環で、一般に流布していた「親方日の丸」言説を少し分析してみた。
 今回確認したのは読売新聞・朝日新聞の記事データベースから、新堀の著書が書かれる直前である1986年頃までの新聞記事と、国会図書館デジタルコレクションにおける雑誌記事の内容である。


○公営事業体・自治体と「親方日の丸」言説
 まず、国鉄を中心にした国が出資していた事業体への批判である。国鉄赤字経営をはじめた60年代からそれを批判する形で頻出するようになった「親方日の丸」言説であるが、国鉄に限らず、日本航空やNHKなど、同じく経営の問題が露呈したものに対して、批判的言説を行う一貫で「親方日の丸」が用いられている。このような用法が大部分を占める(※1)。

「最後に、浅井委員が宮本氏に「日航製の重役は天下り役人が大勢いる。そんな体質が〝日の丸商法″を生んだ。あなたは十六億円もの血税を無為に使ったこと認めるか」といったのに対し、宮本氏はこれを認め「申しわけない。反省している」と頭をたれ、声を低くしてわびていた。」(1970年12月11日読売夕刊「〝親方日の丸″YS−11の商法」)

「志賀氏は、こうした巨大化の一途をたどるNHKについてこう説明する。……電波の割り当ても含めてこれ以上マンモス化させるのは危険だ。といっていまの郵政省ではできないだろう――とNHKの国営機関的な〝頭越し外交″の強さを指摘する。
確かに小野NHK副会長は元郵政事務次官、同氏を含め三人の元郵政官僚がNHK天下りしている現状では郵政省の〝弱み″も大きい。」(1972年3月18日読売夕刊「親方日の丸NHK赤字論争」)

 上記の記事では、特に官僚の天下りの問題もセットで議論されているものの、これは公営事業体の経営が悪いことの理由として語られる理由の一つに過ぎない。これは例えば民間との比較という形で述べられていることもある。

「深刻な不況下にあって、民間企業がぎりぎりの経営合理化、経費節約に血のでるような努力を重ねている時である。「親方日の丸」の意識を役所、公社、公団などから一掃しなければならない時代であることをとくに強調したい。」(1975年12月12日朝日朝刊社説)

「四十九年度は、たまたま、日本経済が戦後はじめて、マイナス成長に落ち込んだ年であり、民間企業では、血のにじむような合理化努力が強いられていた。そういう状況下で、役所やそれに準じた機関が、依然として、高度成長期の惰性になれ、親方日の丸的な運営を続けているのは、到底許されることではない。」(1975年12月13日読売朝刊社説)

 両方共に1974年度の会計監査院の会計監査結果を受けた記事であるが、民間では「合理的」な運営を行うことを前提にし、そのような努力を怠る者として公営企業体や自治体という組織を位置づけ批判していることが、はっきり見える。
また、上記の引用にも見られるが、公営企業体だけでなく、政府や自治体に対する批判言説の中で「親方日の丸」体質が批判されることも一定数存在する。

「いまの計画だと、半官半民的な機関をつくってそこに発行を委託し、これを政府が全部買いあげて官庁や市町村、公民館、学校に無料配布するというが、これでは公務員相手のPRだけに終わりそうだ。費用は国民の血税でまかなわれるわけだが、一般国民の目にふれない新聞では、なんのための発行かわけがわからぬ。
 いつか総評が「新週刊」なる雑誌を出した。組織の力でベスト・セラーにすると息まいたが、結果は総スカンをくった。あげくの果てが、五億円近い借金を背負い、いまだに屋台骨をゆずる材料になっている。日ごろの〝親方日の丸″的発想が、大衆の意思の甘くみた誤算であった。こんどの場合(※政府による週刊新聞の発行)も「親方日の丸新聞」として、同じ懸念が多分にある。」(1968年4月19日読売夕刊)

「ところで選挙の粛正、浄化が叫ばれるたびに選挙の「公営」強化論が出るが、今度の選挙で、一体国はどのくらい候補者にサービスしているかをしらべてみた。……
こんな不まじめな候補者はもはや税金泥棒だ。国民もたまにはタックスぺイヤーとして、税金の行方というアングルから選挙をみつめてみると、関心がわくかもしれない。〝親方日の丸″の感覚は古い。自治省も「選挙公営」ときれいごとばかりいわないで〝ケチな根性″からの選挙PRを考えてもよいのではないか。」(1968年6月28日読売夕刊)

「職員の協力を得て行財政改革を推進し、成果をあげている自治体にとっては迷惑な話である。まじめに働く職員も多いが、たとえ一部であっても、〝親方日の丸″的な意識の上にあぐらをかく市町村がある限り、自治体不信の声はなくならないだろう。」(1984年7月6日読売朝刊社説)

「民間企業は、二千万、三千万円もの退職金はとても支払えないから、早くから手をうち、組合も協力してきた。これが労使とも〝親方日の丸″の役所と違うところだ。
自治体側は、先見性、経営努力などの面で、民間に大きく立ち遅れていることを反省すべきだ。それが地方行革の出発であることを改めて強調しておく。」(1985年4月8日読売朝刊社説)

 ここの記事においても組織のムダ、贅沢な待遇、そして取り組みへの意欲の弱さというのが批判される形で用いられていることがわかる。
 しかし、先述したような「民間との比較」が明確に示される形で批判がされている場合というのがはっきりしていないというのも特徴的なことといえるかもしれない。これは恐らく話の起点が赤字経営や非効率を理由とする事故といったものをむしろ想定し、それの理由を議論する中で用いられているからだと言えるかもしれない。見方を変えて述べれば、政府や自治体という組織自体は民間企業のような組織と比較されるにせよ、厳密に言えば「民間の代替が不可能」と呼ぶべき性質の組織であるから、明確な比較対象たりえないのである。

 このように責任論としての「親方日の丸」批判は、時に焦点がボケており、本当にその問題の所在が正当に述べられているのか微妙なものとして、語られていることがある。たとえば、次のような議論である。

「しかしこの事故についての第三者の批判にも奇異なものが目についた。たとえば五反田駅の寝すごし事故に関してある人は、駅には目ざまし時計すら備えつけられていなかったと批判していた。しかし定められた時期に起きて駅の入り口の扉をあけるのは、勤務するものの責任ではないか。……第三者までが親方日の丸式の考え方をしているというのは、一体どうしたことなのであろう。こうした風潮が国鉄を毒しているのではないか。」
(1968年10月7日読売夕刊、浦松佐美太郎の論)

 ここでは、最初国鉄の責任問題を問うていたのだが、それが転じて国鉄批判を行う者も論点がおかしく、その前提に「親方日の丸」的発想があること、責任の議論のベースはむしろ個々人のレベルにあるのではないかという見方で批判を行っている。
 また、民間企業ではなく官公庁に就職する若者に対して「親方日の丸」的体質があるとして批判するような議論も存在する。

「「不景気の年は、お役人志願が多くなる」という相関関係は、以前からあった。景気が悪くなると、民間が採用を手控えることや、学生が不安定さをきらって〝親方日の丸″の官公庁へ走るからだ。……
この底流はなにか。……横浜市役所が今春採用した三百六十四人を対象にアンケート調査したところ、民間に比べた地方公務員の魅力は「職場の安定性」「老後の保障」「ノルマに追われない」のパーセントが高い。……もう〝お上″という権力意識や使命感は、地方公務員にかぎっては残っていないのだろう。
……ノンビリズムのお役人ばかりになっては、納税者がたまらない。人材は、じっくり吟味してほしい。」(1974年6月22日読売朝刊)

「こうした今年の〝事情″に加えて、就職戦線の明暗と関係なしに、公務員や先生志願の学生がふくらんできた。いうなら若者たちの〝親方日の丸志向″である。」(1976年7月11日読売朝刊)

 ここでのポイントはやはり「責任」が若者に付与されている点である。しかし、もともと不景気である所から発した議論においてこのような「責任論」を唱えることが適切なのかと言われると、少々疑問もあるし、このような傾向を非難すべきであるのかというのも考慮の余地のあることなのではないのか。いわば「親方日の丸」という言葉は「殺し文句」の如く作用し、無制限的に責任を付与することを正当化している言葉ではなかろうかとさえ思えてくるのである。このような態度の延長戦上に、新堀の義務教育段階の公立学校も「親方日の丸」であるとして批判する態度があるのではないかと思ってしまうのである。


○学校と「親方日の丸」言説
 さて、新堀が対象にしていた「学校」は実際どのように「親方日の丸」と結びついていたのか。すでに述べたように、「親方日の丸」は基本的には行政組織を批判対象としていた。確かに教育の分野も行政の要素が含まれるが、やはり別の分野であり、自治体の議論の中にも学校教員が見えてくるのはほとんどない。
 しかし、教育分野における「親方日の丸」言説は全くない訳ではなかった。まずは国立大学批判を行う際に見られたものが挙げられる。

「大学法をめぐって文部省と国大協の意見が平行線をたどっているが、私は奥田学長のいう「大学自身に原動力がある」という主張には同意しがたい。奥田学長は、おそらく紛争終結のタイム・リミットを考えに入れていないのではないか。同時に、紛争が収拾のメドもつかず混乱しているのは、国立大当局者の考え方に一番大きな原因があると思う。
今日の国立大当局者の考え方は親方日の丸的で、自らの力で紛争を解決しなければ難破してしまう私立大のような緊迫感もない。学園の中に経済的合理性を持ち込むのは当を得ないかもしれないが、国民の血税でまかなわれている以上、全く無視していいものではあるまい。」(1969年8月13日読売朝刊、読者投稿)

ただ、これは読者の声欄に寄せられたもので、正面切って新聞記事で取り上げられた訳ではないことは押さえておくべきだろう。またこの論点は、雑誌においても同様の趣旨のものが確認できた。

「私学で学び、私学の教員をズッと続けてきているわたくしは、学会などで東大教師をみかけるが、「おれは東大の教授なんだ」といわんばかりの尊大で、トッツキにくい権威主義的な体臭を強く感じさせられ、偏向的な思想傾向のみならず人格的偏向に対しても軽蔑の念をいだかざるを余儀なくせしめられている。
この権威主義は、東京帝国大学以来の伝統と官僚主義機構によってのみならず、地方国立大学や私学に職を奉じている東大出身教員による教祖視や、戦後最大の権力者であるマスコミや出版社の一部偏向分子との権力追求と商業ベースによる結託などによっても支えられている。」
「これに反して、東大の場合、授業料に値しないものを授業料と称し、尨大な国家予算の下に、私学に比してはるかに高い公務員給与にもとづいた多数の教員・助手・技術員・職員を擁し、しかも教員は担当授業時間数はきわめて少なく研究講義準備の時間に非常に恵まれている。学生指導の時間も、その気になれば、私学よりも相当時間がある筈だ。学生もあらゆる面でまことに恵まれた環境にある。
そこで、今度のような紛争がおこり、長期にわたってなお解決しえないということは、常識では考えられない。権力批判を呼号しながら、その実は東大総グルミで「親方日の丸」、すなわち前述のような国家権力と国家予算の上に安住したジキル・ハイド的な姿が、東大の真相であるといえよう。まさに繁栄の中での亡国の相である。とくにいけないのは、教員——とりわけ〝進歩的″教員——であるといいたい。」(大谷恵教「〝親方日の丸・東大″どこへ行く」政策研究フォーラム編「改革者」105号1968,p11-13)

 いずれのケースについても私立大学と国立大学(特に東京大学)の大学紛争の対応が比較され、東京大学の対応の遅さが批判されている。やはり組織的な問題・責任論として語られている。
 次に高校における議論であるが、これも投書で公立高校の批判の議論として用いられているものがあった。

「まず非行をなくすためには、落ちこぼれをなくさなくてはならない。そのためにはわかる授業を、能力別指導を、教師集団のあり方をーというように、手さぐりの教育を執拗に追いつめ、最後まで生徒にくいついていった真摯な態度には、なんといっても頭のさがるところである。
いわゆる〝親方日の丸″式な官立校の学校では夢にも考えられない学校教育の考え方である。こうした考え方が、官公立の学校教育にも取り入れられない限り、明治以来の立身出世主義の教育を脱皮することはできないと思う。」(1978年8月9日読売朝刊、元教員読者投稿、私立学校「篠ノ井旭高校」との対比として)

 大学のケースと同様に、私立学校を比較対象として、公立高校の(恐らくはエリート主義的性質を)批判しているものである。ちょうどこの時期が「落ちこぼれ」言説のピークであり、その流れに乗った形で、「親方日の丸」と合わせて用いられているケースであるといえるだろう。
 そして、義務教育に関する「親方日の丸」言説は、何と文部大臣とのインタビューの中に見出すことができた。

「(※松永光)文相 義務教育についても、しかり。公立の教師より、塾の先生の方が教え方がうまくて熱意がある、というのは、嘆かわしいことですよ。なぜそうなるかというと、結局、親方日の丸だから。教育を受ける側、つまり父母が、公立学校の教育を評価の対象として、学校がその評価に耐えられる努力をする――そういう刺激を与えるためだと考えると、((※義務教育の)自由化論は)意味のある発言だと思う。」(1985年7月6日、読売朝刊、臨教審第一次答申に対する文部相インタビュー)

 まずこの議論は臨教審答申との関連で述べられていること、そして比較対象が私立学校ではなく塾に向けられているという点は注目すべき点だろう。85年の記事であるため、すでに新堀の影響を受けた言説である可能性もあるが、かなり新堀と近い形での文脈を含んだ内容であるように思える。
 しかし、基本的な傾向は何一つ変わらない。比較の対象として素朴に「民間」を想定しながら、公は動きが悪い、効率が悪いということを批判し改善を要求するという言説として用いられていることがわかった。


○日本人論は「他者」を想定しているのか?
 ここまで「親方日の丸」の議論を追ってきて、一つはっきりしていることは、この言説自体は「日本人論」のカテゴリーには入っているとは全く読み取れないという点である。
 実際の所、この議論は組織論に対する批判であり、日本人論としてカテゴライズされていると言ってよいであろう「護送船団方式」とも呼ばれた経営論にも密接に結び付きそうな話であったが、私が読んだ限りの記事では(※2)見つけることができなかった。これは、端的に「親方日の丸」という言葉が想定しているのが「海外」ではなく、はっきりと「民間」側にあったからである。
 ところが、新堀は「親方日の丸」言説をタテマエ・ホンネの話で説明してしまっており、「特に公立は」という表現でその性質を説明しているのである(新堀1987=1996,p226-227)。これは明らかに既存の「親方日の丸」言説を逸脱したものであり、日本人論と結びつけて説明してしまっている点なのである。

 このような論法を展開することで結局仮想されていた「民間」というのがかなりボケてしまい、かといって明確に「海外」との対比を行っているのかどうかさえよくわからない(比較の説明をしていない)。もともと「親方日の丸」言説はこのような対象がボケてしまうという性質を持ち合わせていたものだったとは言えるが、新堀はそれを更に「日本人論」と結びつけたことで不明瞭にしてしまうことに一役買ってしまっているのである。

 結果として、無限定的にこの「親方日の丸」言説が新堀の著書の中では用いられることとなっているのである。確かにそれは批判言説であるのだが、比較対象となるものがほとんど存在しないといえる状況にある。このような状況で困るのは、結局これを改善したい場合にも、何をもって改善されたのか説明することさえできなくなることである。このような批判論法には議論を行う価値が存在しないのである。次回、杉本・マオアの「日本人は『日本的』か」(1982)をレビューする予定だが、このような態度の取り方は日本人論に頻出する傾向であるらしい(杉本・マオア1982:p181-182など)。

 しかし、ここで更に一つ問わねばならないことがある。それは「日本人は〜である」という時、直ちにアメリカ・欧米といった「他者」を想定していると言えるのかどうか、という問いである。杉本・マオアもそうであったが、日本人論を批判する著書においては、ほとんどこれが自明のごとく「他者」を想定したものであると断言しているのである。
 「親方日の丸」言説を分析してみてわかったことは、この言説が「民営」を想定しがちであったにも関わらず、そのような「他者」を想定することなく単に公的なものを批判し、その改善を強く要求するために用いられていることもあるという点であった。そして、その際のキーワードは「責任問題」であった。
 つまり、このような責任問題を問われる場面においては、そのこと自体が目的となり、比較想定されうる「他者」というのはいないものとみなしても、十分言説として機能しているという点を確認できたのではないかと思う。

 しかし、厄介なのは、このような言説は確かに「他者」なしに言説として機能するものの、実際に「他者」の存在について問われた時にそれを否定するのが難しいという点である。
 一例として、「資本主義の批判」というのも有効だろう。確かに「資本主義の批判=共産主義の支持」とはならないということは、特にドゥルーズ=ガタリやポール・ウィリスの議論をレビューしていた際の内容を読めば明らかであるように思える。しかし、批判の仕方によっては、これを否定することが難しくなるというのも事実なのである。

 例えば、教育の議論の関連で言えば、「総合技術教育」という議論にそれを見出すことができそうである。総合技術教育は、ソ連の教育方式とされ労働実践等で独自のものであるが、そこから学べる点があるとして理論・実践の考察がされていたものである。

「「ところで、われわれは、わが国における一九七〇年代の総合技術教育に対する関心の高まりが、ソビエトにおける一九六七年の労働教育の新教授細目の直接的反映としてではなく、一九六六年の中央教育審議会答申「後期中等教育の拡充整備について」を起点とする中教審路線の差別・選別の教育政策に対する民主主義的教育要求すなわち「すべての青少年が主権者として平和的、民主的な社会を形成し健康で文化的な生活をいとなむのに必要な能力——自然や社会についての科学的知識の基本、技術の基本、文化的諸分野の基礎的諸要素を身につけ、健全な身体を発達させる」ことをねがう国民の教育要求を実現していく民主主義的教育運動に役立たせるというよう現実的な実践課題からきていることに注目しなければならないと思います。
総合技術教育の課題は、社会主義体制でなければ十分には果しえないといってよいでしょうが、独占資本主義の段階にあるわが国の政治体制のなかでは、それへの一歩の試みも全く不可能であると割切ってしまうのも間違いであると考えています。いまわれわれは総合技術教育の思想を学び、社会主義国における総合技術教育の実際を学ぶとともに、独占資本主義のわが国の政治体制のなかで、その一歩をどう現実化するかという非常にむつかしい問題に直面しています。」(技術教育研究会「総合技術教育と現代日本の民主教育」1974,p10)

 ここでは素朴に社会主義国とは異なった形で「総合技術教育」の実践は可能であるという見方がなされている。しかし、本書において「総合技術教育は共産主義を目指すものでしかないのではないのか?」という問いが立てられた際、矢川徳光は次のように答えている。

「それらを私は総合技術教育といっていいのか、総合技術教育主義といっていいのか、ロシア語をそのまま便法的に使わしてもらいますとポリテフニズムといったようなことがらとしてとらえてみたい。そうするとそれは共産主義教育全般のことがらと同じでないかということになりますが、私は同じように思います。そうすると概念がどこでそういうふうにこんがらがってきたのかということを追求しなければいけないわけなんで、私の理解のしかたの概念がどこでそうこんがらがってきたのか、その出どころはどこにあるのかということをもっと追求しなければならないと思っています。それはマルクスが提唱したような時期のことがらといま、私たちが生活している状況とは少しちがって技術の発展、社会生活の複雑化、低福祉の諸問題、こういうものが加わってきている中で教育を考える場合に、広い意味での全一的システムとして総合技術教育を考える。これを、別のことばでいえば私も共産主義教育というものとまったく同じようなものなのか、どこでちょっとだけズレるのか、わからないけれども、重なって考えられるというふうになってくるわけです。」(技術教育研究会「総合技術教育と現代日本の民主教育」1974,p120)

 恐らく、ここで議論されているものも「親方日の丸」と同じような点なのではないかと思ってしまう。独占資本は非難されるべき対象であり、その改善が必要であることが求められているという状況においてそれが言えるだろう。しかし、その改善としてここで持ち出される「総合技術教育」の到達点いうのはどこなのだろうか?それを問うた際に矢川は共産主義教育全般のことを為すことによってしか解決しないだろう、とここで解釈したのではないかと私は思うのである。

 日本人論や資本主義批判という論点においては、このような状況に出くわすことが以外とある印象である。この一見矛盾した論点について、結果として「日本人論を『他者』なしに議論することは問題」と見るのか、それともこのような論法が正当であり、正当性を与える条件をどのように設定できるのか、レビューの折に検討していきたい。


※1 但し、今回は国鉄の批判における記事は記録しなかったので、引用も割愛している。

※2 ※1と同様、今回は国鉄の記事については読んでいない状況にあり、それ以外の用法で用いられていた記事を分析した。その限りでは日本人論との結びつきはあるとはとても言えなかった。

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その2

<読書ノート>
p鄱-鄴「(※教育風土シリーズ発刊の目的の)第二は日本文化論など日本研究への寄与である。今日、日本の国際的地位の高まりから、諸外国では日本への関心が拡まり日本研究が盛んになっているし、国内では日本社会論、日本文化論、日本人論が流行している。
そのさい当然のことながら、教育は一つの有力な資料、材料となり得る。日本の教育には上に述べたような日本全体の風土が影響しているが、同時に日本の教育には独自の風土がある。教育は一方では社会によって大きく条件付けられている。教育、中でも学校教育はタテマエ支配の傾向が強いので、教育を取り囲み、教育をその一部とする一般社会のタテマエ的風土が教育に最も典型的に表れているはずである。その意味で教育を通して日本社会の風土を明らかにすることができる。例えば「日本的」平等主義の風土は、教育の中に集約的に表れているはずだ。
半面、教育は社会から遊離、遅滞しがちであり、わるくいえば閉鎖的、よくいえば自律的である。教師は「世間知らず」であり、学校での常識は世間では非常識とされることも多い。教育には教育固有の風土があるにちがいない。
こうしてわれわれは教育を手がかりにして「日本的」風土に加えて、「日本的」教育とは何かを明らかにしたいと考えている。諸外国との差異を強調するより、類似性、共通性に着目することが、日本研究で盛んになりつつあるが、われわれはなお「日本的」なるもの、現代日本の教育の特徴を重点的に取り上げて指摘したいと思っている。中でも往々にして見逃されている現象の中にかくされた「日本的」なるものに着目したい。」
※本書は教育風土シリーズと銘打ったが、続いた著書はなかった。

P3「日本全体の社会的風土だとは思うが、特に教育の場で「見て見ぬふり」の傾向が著しい。」
P4「「見れどもいわず」の心理的原因は、見れどもいわざる側に勇気や責任感が欠如していること、自己保身や利己主義が働いていることであり、制度的原因はいったところで何の効果もないこと、いわれる側に制度的な身分保障が与えられていることである。
「見て見ぬふり」の中で育つ子どもは善悪適否の判断がつかなくなる。その結果、「指示待ち族」といわれる青年が出来上がる。「見て見ぬふり」の理論的根拠の一つは、おとなが子どもに口うるさく干渉し指示していては、子供の自主性や判断力が育たないから、おとなはできるだけ子どもの自由を尊重すべきだという点にあるが、奇妙なことに「見て見ぬふり」を実行した結果、かえっておとなの指示を仰がなくては何もできない人間が生まれてしまった。」
※制度的原因は「何の効果もない」などと言ってしまってよいものなのか??
P6「子どもだけでなく、教師にも一斉主義が確立している。「親方日の丸」のもとで、教師はいったん採用されると、その能力や努力とは関係なく年をとるとともにいっせいに昇級していく。」
P7「世の中には数多くの教育的迷信がある。例えば「無限の可能性」とは教師が好んで使うコトバだが、有限な人間に無限の可能性はあり得ない。」

P8「学校でどんな教育が行われているかは、親といえどもわが子の報告から推測するだけで、その他に年数回の授業参観や教師との懇談会があるにすぎない。わが子を「人質」にとられた親はどうしても教師に遠慮して「見れどもいわず」という気持ちになるが、そもそもその前に学校側、教師側が「見れども見せず」で自らの実態や欠陥はできるだけかくそうとするのだ。中でも職員室、職員会議でどんな光景がくり拡げられているかは誰も知らない。」
※これは大学も「象牙の塔」として批判されている(p8)。
P13「かつては親が子どもに命令し、子どもが親を恐れたが、今や子どもが親に命令し、親が子どもを恐れる。「民主的」で「理解ある」おとなほど「見て見ぬふり」をする傾向がある。子どもの「自我」や「自主性」を尊重し、子どもの「自由」や「権利」を擁護し、子どもを「欲求不満」に陥れないためという口実がそこに用意されているが、半面そこにはおとなの保身、エゴが働いている。
おとながいいたいこと、いうべきことは、子どもにとっては苦言、忠言、直言に他ならない。おとな自身にとってもそうだが、苦言より甘言、忠言より阿諛、直言より弁護の方が耳に快く響くのは日常の常である。そこで苦言、忠言、直言を呈するには、相手から嫌われた煙たがれることを覚悟しなくてはならぬ。「勇気ある発言」というが、苦言、忠言、直言には勇気が要る。
こうして気の弱いおとな、嫌われまいとするおとな、わが身大事なおとなは、子どもに「ものいわぬ」ようになり、ものをいう場合にも子どもの気に入るようなことをいっておく。もの分かりのよい、子どもの「味方」を装うおとなが増える。子どもをたしなめたり、叱ったりすれば、「分からず屋」「変わり者」「うるさ型」「時代おくれ」というう評判を得、場合によっては子どもから復讐を受けねばならないので、器用で賢明なおとなはそんな愚かしいことを引き受けない。また敢えてそれをすれば、飽食の時代、ゆたかな社会、甘やかしの風潮の中で育ち、カッとなって何を仕出すか分からない。」
※もちろんここには過去の状況そのものがよかったかどうかの検証はなく、にもかかわらず現在を批判している。
P14「かつて教師は信頼と尊敬のまとであった。教師に対してわが子を「人質」にとられた親が告訴したり、学校に抗議を申し込んだりするなど、ほとんど考えられないことであった。かつて教師は地域における最高の学歴をもった知識人であり、学校は唯一の教育機関であった。教師はよかれあしかれ「師表」として言動をつつしんだ。今は親も含めて住民の中に教師と同等あるいは教師以上の高学歴者があるし、学習塾、教育放送、カルチャーセンターなど、学校以外に数多くの有能な教育機関が出現している。親も世間もマスコミも、各種各様、相互に対立する要求や期待を教師に投げかけるので、そのすべてを満足させるわけにはいかない。いじめその他、多くの病理現象が明らかになるにつれ、それを適切に解決できない教師への不満が高まる。今や教師に対しては「外」から遠慮会釈なく非難、攻撃、批判が浴びせられるようになった。」
※ただこの尊敬の議論と戦後までの天皇崇拝体制の話が同じ論理である可能性もある。

P40「学校はその教育的な愛情と信念から、どんな子どもにも「無限の可能性」があり、どんな生徒も切り捨ててはならないと考える。学校や教師には教育と子どもに対するオプティミズムが存在している。また制度的にも義務化し、準義務化した学校ではどんな子どもも受け入れなくてはならず、どんな子どもも退学させたり落第させたりすることはまず不可能である。「きびしい」世の中に対して、学校は「温室」であり、それはとりも直さず学校が生徒に対する統制力を欠くことを意味する。」
P41-42「その一方、過保護、飽食、ゆたかさの中で育ったので耐性に欠け、ちょっとしたことにもすぐにカッとなったり、自殺したりする。」
P43-44「ところが学校はこうした統制力を失うようになった。一つには先に述べた通り学校が義務化、準義務化するにつれて、落第、不合格、退学などというムチを失ったためである。そうした段階の学校、中でも公立の学校ではどんな子どもも拒否することは許されない。校区内の子ども全員を一定期間、受け入れなくてはならない。どんな子どもも落第させたりすることはできない。子どもの方からいえば、どんな成績をとったところで一年経てば全員が進級し、六年経てば全員が進学できる。いわゆるいっせい進級、全員入学の制度がそれである。
こうして制度的に学校から報賞体系が失われ、信賞必罰の実行が困難になっただけではない。もっとそれを困難にしたのは理念的、世論的な背景である。人権尊重、学習権の保障、教育機会の均等などの原理からいっても、教育の論理からいっても、また入試地獄、偏差値体制、輪切り、知育偏重、学歴偏重などの現実的弊害からいっても、「教育」の場である学校がテストや成績で子どもをしめつけ、全人的発達や仲間との協同や連帯を阻害することは許さるべきではない。こうした理念や世論は教師も強く支持するところだから、できる限り学校から賞罰、成績、序列、試験などを追放し、すべての子どもを平等に扱い、のびのびとさせなくてはならないとされる。」
※このような指摘は日本の枠組みでしか教育を見ていないとしか言えないのではないか。捉えられるべきは、そのような権利問題と罰則の対峙においていかなる先進諸外国で差異がありえるか、ではないのか?
P45-46「ところがここでも理論的にも理念的にも世論的にも規則による統制は学校にあってはならないものとされ、ますます不評になっている。細々とした規則を作らなくてはならなくなったというのは、まさに学校が生徒を管理しにくくなったためなのだが、それは学校が「管理主義」「シメツケ」に走っていると生徒からも世間からも総攻撃を受けつつある。校則は生徒の人権無視だとその総点検が弁護士会や教員組合によって行われるし、制服への反対キャンペーンが大新聞の投書欄に繰り拡げられる。校則違反が英雄的行為であるかの如く扱われる。」
※この議論は二重の系譜を経ているように思う。一つは日教組的な管理主義批判として現れたものであり、もう一つはそれとは別のどこから出たであろう校則批判の系譜である。もっともこのような解釈を世間がしていたかどうかから疑問である。新堀の捉える「社会」なり「世間」とは何なのか。

P54「おとな不信の教えを説くおとな自らが認めているように、おとなは貪欲、虚栄、悪知恵、権力欲、物欲、陰謀、残酷、裏切り、嫉妬などを数限りない悪徳をもっている。聖人君子ぶった人間、「えらい」人間ほど、ひと皮むけば醜悪な偽善者だし、世の中には天人ともに許し難く度し難い悪人もいる。子どもにえらそうに説教する親や教師自身、自らを省みて一点のやましさもないと断言できないにちがいない。このおとなは放っておけば何を仕出かすか分からない。そのため法律や世論がこの「性悪」なおとなが悪に走らないよう、いろいろ歯止めを設けている。
ところが同じ人間でありながら、子どもだけは例外とされる。すべての子どもは本来、無邪気で天使のような存在だ。生まれたばかりの赤ん坊のあの愛くるしい姿を見よ。天真爛漫、純真無垢のあどけない幼児を見よ。こうした子どもを「性悪」だなどと考えることは、それこそ子どもへの冒涜だ。世の中には「わるい」おとなはいても「わるい」子は一人もいない。
子ども「性善説」には特に親や教師の信念である。」
p55-56「逆に「性善」であった子どもが「性悪」なおとなになったのは、おとなの行った教育が誤っていたためである(※と子ども「性善説」は考える)。こうして子ども「性善説」に立つと、子どもの非や悪はすべて、おとなに起因するので、おとなは子どもを責めるべきではなく、子どもに謝らなくてはならない。子どもの「落ちこぼれ」は教師の「落ちこぼし」のためであり、子どもが万引きをするなら、それは万引きがしやすいように商品を並べてあるためである。こうして許容社会はさらに進んで弁護社会、謝罪社会となる。子どもは何をしても何をしなくても許されるどころか、何か仕出かしてもおとなが弁護し謝罪し懺悔してくれる。これでは子どもに自己反省も努力も責任感も育つはずがない。
子ども「性善説」にはいくつかの事実誤認と問題がある。その一つは一見、無邪気と思われる幼児の間にも、残酷、悪知恵、嫉妬などが見られることである。人間は完全に独立自足し得る存在ではないから、最初から業とでもいえる悪への傾向性を秘めている。おとな性悪、子ども性善と割り切ることはできない。どんなおとなも見方によっては美しいし、人間万歳を唱えることもできる。
その上、子どもとおとなを画然と分けることはできないのに、子ども「性善説」はその誤りを犯している。学校に在学する限り、子ども「性善説」に固執するが、学校を出たとたんにおとな扱いする。しかし子どもからおとなへの移行は漸進的であり、中学や高校ともなると「性悪」なおとな同様に成長して、甘い「性善説」では扱い切れない子どもが現れるのが現実である。
ところがおとな、特に教師はこの事実を知りつくしながらも認めようとしないので、学校は公約を乱発し、責任過剰、負担過剰に陥り結局は公約不履行に至って教育不信を増大してしまうのである。」
※実際の所、おとなに対する新堀の態度は曖昧である。ここでは悪い大人は仮定であるが、p54の書き方は大人が性悪であると断じているように読めてしまう。仮定の話として語っていないのである。また、三ない運動などの取り組みはむしろ学校外での出来事も学校で受け持つ姿勢から出たものであるし、そのことが批判もされている内容である。

P58「なぜこのような(※病理症状、問題行動をもつ)子どもが増えたのか。原因として大きく二つの条件が考えられる。一つは制度的条件であり、もう一つは社会的条件である。制度的条件とは学校教育の義務化、準義務化をいう。義務化すればするほど、学校には子どもを選抜したり拒否したりする権利はなくなる。以前なら、学校の「手に負えない」ことがあらかじめはっきりしている子ども、つまり学校の当事者能力を越えた子どもは、学校の方でご遠慮願い、お引き取り願うことができた。今でも私立学校とか大学では志願者を何らかの形で吟味し選抜することができる。入学させた後でも、学校が自らの手に負えないことが分かれば、学生生徒を退学させる。また学生生徒の方でも自分の手に負えそうな学校を選び志願するし、手に負えなくなれば自ら退学しても差し支えない。ところが義務化した学校、中でも公立の学校はそうはいかない。」
※正しい義務化の把握といえない。留年の考え方や学校の包摂と義務化は本来全く別問題である。
P58-60「義務教育では子どもを選抜したり拒否したりすることができないので、同一の学校の中に多種多様な子どもが入っている。以前であれば「手に負えない子ども」の一部は就学免除されたり、彼らだけを専門に収容する学校に入ったりしたし、また最初から学校に入ろうとさえしない場合もあった。ところが今や逆である。「手に負えない子」も、「手のかからぬ子」といっしょに入学してくる。
しかもそうした種々様々な子どもが各学級に平均にばらまかれるよう配慮される。学級間の格差が出来ないようにするためである。義務教育では子どもは学校を選択することができないから、学校間格差をなくすという平等の原則が政策公準となり、全国共通の基準に則った教育が行われる。ある学校にはすぐれた教師や生徒ばかりが集まり、他の学校には「問題的」な教師や生徒ばかりが集まるというのでは不公平、不平等である。この平等の原則が各学校内にも適用されるため、どの学級も似たりよったりの編成がなされる。
そこでは学校間格差や学級間格差はなるほど縮少するが、逆に学校内格差や学級内格差増大する。その結果、教育が困難になることは目に見えている。「手のかかる子」にばかり手をかけるなら、「手のかからぬ子」への手が抜かれるという別の不平等、不公平が生まれる。「手のかからぬ子」は扱いやすく、効果も上がりやすいと言うんで、「手に負えぬ子」が無視されるなら、これまた大きな不平等、不公平である。「手のかかる子」や「手に負えぬ子」に対してはどんなに手をかけても際限がないはずだが、彼らだけを相手にするわけにはいかない。彼らだけを例えば一対一で個別指導することはできないので、その指導も中途半端に終わってしまい、それが「手に負えぬ」程度をいっそう大きくする。一対一なら救い得た子どもまで、「手に負えぬ子」になってしまう。こうした制度的条件のため、「手に負えぬ子」が増えるのである。」
※このような発想から学校選択制の議論が出ても不思議ではない。しかもここでの制度的条件は「制度」を曲解しているために、曲解された結論として教育問題を語ってしまっている。
P60「あらゆる人間には平等な人格があり、この人格を最大限に尊重することは、民主主義的な人間尊重の精神から自明当然の要請である。義務教育という制度は、今日誰ひとり否定し得ないこうした原則の上に成立している。」
※この原則こそ、新堀が「社会的条件」と呼んでいるもの。

P64「第一の道が教師の責任放棄だとすれば、第二の道は教師の責任転嫁である。お手上げとなった教師は子どもから手を引いて、他の手に子どもを委ねる。警察に子どもを引き渡し、他校への転校をすすめる。家庭が悪い、社会が悪い、下の学校のやり方が悪いなど、いくらでも責任を転嫁して他を非難する。同一の学校の内部さえ、学級担任の責任だ、生徒指導部の責任だ、校長の責任だなどと、責任のタライ回しをして、その子どもの指導を引き受けようとしない。こうした切り捨て、タライ回しは教師にとって安易だが、当の子どもにとっては、はなはだ迷惑であろう。一人の教師、一つの学校から見離されても、他の教師、他の学校が受け入れてくれるならまだ救いはあるが、転々として預けられるどの教師、どの学校も次つぎに自分を見離し、新しい預け手を探そうとするのだから、子どもの怨みはいっそう深まるにちがいない。特に先に述べたような社会的風潮のもとで、自分にはいっさい責任がないと考え、自己反省の態度を失うようになってしまった子どもにとって、ババ抜きのババ抜扱いされることは自尊心に決定的な傷を与えられるだろう。」
※新堀の中には明らかに教師の教育の責任とは何かが明確にあるから、このような言い方しかできないのだろう。その責任は本当はもっと流動的たり得るのではないか?本当に教師に責任付与すべき問題なのか?そのような問いを不問にしている状況こそ「日本」、正確には「世間」の枠を超えない教育論の致命的な問題点である。なお、ここでいう社会的条件とは平等原則を拡大解釈し、子どもを「王様」扱いすることを指す(p61)。
P65「しかし外的な規則だけで学校が満足するなら大きな見当ちがいである。手に負えない行動はなくなっても、手に負えない心がなくなるとは限らない。行動を改めさせるだけではなく、心を改めさせることこそ教育である。面従腹背の態度を植えつけてしまったのでは、教育は失敗したといわねばならない。」
※これは正しいかもしれないが、結局制度軽視の傾向を生む結果にしかなっていないように思える。結局制度依存の程度を推し量ることができていないのである。

☆P65「以上三つの方法には見てきた通り大きな問題があり真の解決からはほど遠いが、それではいったい妙手があるのと反問されると返答に窮するにちがいない。しかし私見によれば手の負えぬ子をどう指導するかというテクニックではなく、彼らをどう受けとめるかという哲学や姿勢こそが重要である。いやしくも教師が教育に専門家であり、学校が教育の専門機関である以上、手の負えない子どもこそ、その専門性を実証する最も大事なクライエントである。素人の「手」に負えないからこそ、病人は病院を訪れる。平凡な医師の「手」に負えない病人を治すのが名医たるいえんである。手の負えない子が出現し増加し、素人が手を焼いている時代こそ、教育の専門家たる教師の力量を発揮する出番だといってよい。その意味から、この子どもたちは恐怖や敬遠や抑圧どころか、感謝のまとにされて然るべきである。」
※そして結果が教師の「専門性」とは何かを全く問わない形で、教師を専門家として位置付ける発想である。ここにおける専門性は全く際限がないし、本当に専門的なのかどうか、はたはた専門的であるべきなのか、といった問いを不問にしてしまう。制度的観点を無視してしまう精神論に支えられた「教育」論の帰結である。
また、医師との対比も三重の意味で妥当とはいえない。一つは病気は直るべき性質のものであるが、教育行為がそのアナロジーとして適切であるかは大いに議論がある点、二つは医師と一言で言っても多様な分野における「治療のスペシャリスト」がいるのであって、ここで素朴に想定しているような学校内における教師がその多様性に全て応えることさえも要求している点(ある意味で医師よりも高度なものを実際は要求している点)、そして三つは医師と教師では身分保障(給与等)に大きな格差がある点である。このような還元的発想も、「教育」言説固有の「病理」的な精神論の所産と読めなくない。

P68「こうして法律によって自らの立場や主張を正当化し、自らの権利や利益を擁護しようとし、最終的な決着を裁判所に仰ごうとする人びとが増える。何かというと法規をふりかざし裁判に訴える風潮が起きるが、この風潮は教育界の中にも入り込み、学校に対しても向けられる。かつて親が学校を告訴するなど考えられもしなかったが、今や事あるごとに親は裁判に訴えて学校の管理責任を追及し、損害賠償を要求する。教育裁判に至っては学テ訴訟、教科書裁判など枚挙にいとまがなく、法廷闘争は教員組合の最も重視する戦術である。
学校を支配する法律第一主義、最後の決着を裁判所に仰ごうとするこの傾向は今後ますます顕著になると予想されるが、そこにはいろいろな問題が含まれている。」
※根本的に新堀には教育界における法運用に対する不信があるといえる。それこそ日本的である可能性についてはどう考えるのか。また、本当に学校を訴えないという動きが過去の普遍的現象だったと言っていいのか?例えばこの様な過去の記述をどう考えるのか?
 「けれども中には随分困つた代物もないではない。学校長や教員をまるで自分の家の雇傭人同様に、月給を拂つて使つてゐる位に考へてゐる、市町村理事者や父兄、有志の一言一句に左右せられることが多い、時には非常な無理難題を持掛けられて学校長を進退極まる苦境に立たせる事も珍しくはない。」(水木梢「校長学」1922,p136-137)
また、学校に通わせる事自体を潔しとしない農村の父兄の多さがったことも忘れてはならない。新堀の言説もまた当時の「過去を忘却した」教育言説の追随に過ぎない。

P69「国家悪、権力悪を支持する理論や事実はいくらでもあるし、わが国には判官びいき、自虐精神が強いので、敗れた側が「弱者」である場合は、マスコミをはじめ多くの人びとがいっせいに同情し声援する。政府、裁判所、総理など「強者」に対する批判や嘲笑は公然と行われ歓迎されるが、もともと「弱者」である者が裁判で敗れるなら、彼らは「弱者」の上に「敗者」となるのだから、いっそうの同情と声援を受け、悲劇のヒーロー扱いさえされる。」
※「わが国」の特徴の根拠は??
P70「法律優先のもとでの告発頻発風潮がもたすづ第二の問題は人間不信だ。この風潮が強い米国では子どもが親を訴え、教師が生徒を告発する例もまれではない。最も人格的な相互関係をもっているはずの親子師弟の間でさえ、いつ訴えられるか分からないとなると、人びとは安心してつき合うわけにはいかなくなる。
事あるごとに裁判沙汰になる米国では、弁護士は最も繁昌する職業であり、依頼主の弁護に失敗した弁護士を依頼主が契約違反のかどで訴えるので、弁護士の弁護を専門にする弁護士もいるし、弁護の不成功の損害賠償請求をそなえて保険をかけねばならないという。」
※意識調査では信頼関係はアメリカの方が強いという結果がある。しかし他方でこれは確実に法の遵守を強化する方向に作用しているのは事実だろう。
P72「法律第一主義、告発頻発がもたらす以上のような影響について、教育関係者は真剣に考えてみる必要があろう。」
※結局いいだけ批判しておいて結論はこのような精神論しか唱えないのである!!

P94「今日、教育環境が悪化しつつあるのは、誰ひとり否定し得ない世論である。またその世論を裏付ける事実はいくらでもあり、それを立証する調査や統計のたぐいも枚挙にいとまがない。……
環境は大きく自然環境と社会環境とに分けられるが、自然環境でいえばその破壊や汚染が著しく、子どもは自然を観察し自然と交流し、自然の中でのびのびと身心を鍛えるなどということができなくなった。社会環境はといえば、都市部では過密、公害、騒音、危険、誘惑が充満し、子どもが安心して遊べる場所一つない。人間だけは多いが、人びとは孤独で多忙で、自分のことを考えるだけで精一杯だ。住民の連帯意識、地域の教育的統制力は失われてしまった。農村部では逆に過疎に悩み、子どもの数は少ない。モーラリゼーション、マスコミの発達、経済水準の向上は都市的なものの考え方、自分中心主義、物質主義、享楽主義などを農村にも持ち込み、子どもは伝承文化、手づくりの遊びを失っている。」
p95-96「今日の子どもに落ちこぼれ、非行、いじめ、学校ぎらい、勉強ぎらいなど多くの病理現象が生まれていること、それでなくても一般に耐性、バイタリティ、創造性、自主性、社会性、責任感、体力の低下など、これまた数え上げればきりがないほどの欠陥が生まれつつあることは、一致した世論となっているが、それは一にかかって広狭両義の教育環境が悪化したためだと解釈される。
※これは是非とも検証してもらいたい。これに対しては「こうした考え方(※環境悪化論と呼んでいる)が果たして完全に正しいかどうかには疑問がある」とする(p96)。

P97「環境は一方的に子どもに影響するわけではなく、子どもは環境に対して働きかけ環境を内から改善する力をもっているはずなのである。環境と子どもとのこうした相互作用の存在、子どもを環境の構成要素と考えることを、今日の環境決定論は忘れている。」
※実はここでは環境悪化論を否定しているのではなく、環境悪化に子どもが直接影響を受けるという環境決定論のみが批判されている。つまり社会的事実の方は否定していないのである。
P98「子どもといえども環境に対して全く無力、受身であるわけではない。逆境にせよ順境にせよ、これをどう生かすかは子ども次第だといってよい。
それは客観的な環境より主観的な環境——つまり環境を主体がいかに眺めるか、が重要だということを意味する。今日、学問の世界で現象学や解釈学が盛んだが、その理論を環境に当てはめれば、環境の主観的解釈、環境のもつ意味、環境との関係を重視することを主張している。……この心のもちよう、環境の見方、眺め方を作り出すのが教育だとすれば、教育の受け手である子どもは環境に対して無力ではない。環境がよくならない限り、子どもはよくならないというのでは、教育や子どもに独自の力はないことになってしまう。」
※「教育」という名の精神論が色濃く反映されている。
P98「今日の教育環境が悪化しつつあるのは確かだが、それがどうしようもないほど悪化一色と見ることは適当ではない。たとえ客観的に悪化しているにせよ、その悪環境をプラスに解釈し転化することは今述べた通り可能である。」
P99「何よりもまず、教育環境が悪化しているという認識、すなわち環境悪化論が広く行われて、この悪化を防ぎ環境を改善しなくてはならぬと広く考えられている。そのこと自体、今日の教育環境が完全にわるくはない証拠だ。環境が悪化しつつあるにもかかわらず、それに気づかず、それを放置している時こそ、環境は悪化の極にある。
自然環境の破壊、自然との接触の不足が問題とされて、環境庁が設置され、自然保護団体が生まれる。子どものためには少年自然の家、野外活動センター、子ども広場が設けられる。社会環境の悪化に対しては子どもを守る運動、子ども会活動、校外補導などが活発となる。
環境悪化に対する対策だけではない。以前と比べて諸外国と比べても、恵まれていると考えられる環境が数多く指摘できる。勉強したくても学校に行けなかった時代を考えれば、今日の子どもがいかに恵まれた教育環境にあるかは明らかだ。教科書、黒板、鉛筆にもこと欠く途上国の学校とくらべるなら、今日の日本の学校環境ははるかに恵まれている。環境悪化論だけでは律し切れない。悪化に気づかずこれを改めようとしないことが問題であるのと同じように、恵まれた環境に気づかずこれに感謝し、これを活用しない教育にも問題がある。」
※教育悪化論はそのものが褒められたものではないと思うが…ここではどちらかといえば賛美している。そして教育悪化論が本当に改善を図った議論なのかも極めて微妙である。そして、新たな活動はそれ自体相対的に見れば良いと言っている訳でもない。事実の検討ではなく、価値のぶつかり合いの問題にしてしまっているのである。

P105-106「例えば、社会や環境の側には学歴主義、入試制度、遊び場の不足、俗悪なテレビ番組といった数多くの問題状況が存在して、教育や子どもに悪影響を与えていることは客観的事実である。」
※ここでの問題は過去の事実に全く目を向けない点、これに尽きる。比較されるのはあくまで現在の事実(と思われているもの)の良い点と悪い点の比較である。

P117「さらに第三の問題は義務教育がいわゆる「親方日の丸」的体質をもつということである。義務教育は無償の原則からいっても平等の原則からいっても、その圧倒的部分を公立の学校が担っている。すべての国民に平等に教育の機会を保障することが国家の義務になれば、義務教育は国家がある限り永続する。ところがこの「親方日の丸」的性格のため義務教育には危機意識、競争原理、サービス精神、自助努力などが希薄となり、マンネリズムや甘えが成長する。こうした状況が循環的に義務教育への反発を増幅するのである。」
※親方日の丸言説をここで使うのは適切なのかどうか。全く関係ないのではなかろうか?

P122「産業構造の転換、競争の激化は働く人びとにも能力の開発や意識の改革などを要求する。ありきたりの慣行や上からの命令に従っておけば終身雇用、年功序列で生涯安泰だといった状況は消え失せ、創造性、研究心、積極性が求められ、次つぎに導入される技術を習得し、刻々と変化増大する情報を判断し処理する能力が求められる。転職、転業、配転、海外勤務なども頻繁となるにちがいない。こうしたきびしい状況が要求し、またそれに適応するために必要となるのが、生涯学習なのである。」
P123-124「このきびしさの中ではハードな生涯学習が必要不可欠となるが、きびしさの認識は自己へのきびしさを要求する。ところがゆたかさに馴れ甘やかされつづけた人びとはこの要求を回避しようとし、きびしさを認めたがらない。今までは何とかなってきたのだから、これからも何とかなるだろう、自分がやらなくても、他人や国が何とかしてくれるだろうという、一種の無責任な楽天主義にしがみつこうとする。そのため生涯学習といっても自己へのきびしさを基礎とするハードな生涯学習という視点は歓迎されない。きびしさへの対応を誤るなら、ゆたかさも失われ、ゆたかさの中でのソフトな生涯学習など、のん気なことはいっていられなくなる。」
※「もっと真剣でせっぱつまった、かたいハードな生涯学習」(p122)という表現もあるが、要は「ゆたかさの中での、のんびりムードに包まれた、いわば柔らかい、ソフトな生涯学習」(p122)の反対を言いたいだけである。

P127「生涯教育の名のもとに学校外の教育が重視され発達するにつれて、学校による教育の独占はくずれ、学校教師は学校外の教育指導者と比較されるようになる。早い話、学校教師は子供から塾の先生やスポーツ教室のリーダーやテレビの出演者と比較され、その力量を評価されるようになっている。
このように、生涯教育は、教育の責任と権威の分散や拡散をもたらすので、生涯学習体系の実現は決して容易ではない。同時にそれは教育専門家に対する大いなる挑戦でもある。」
※この関係性は明らかに擬似的であり、むしろ逆の関係性である。むしろ教育不信から生涯教育の考えが推されたとみるべきでは。
P132「人間評価という日本語は外国語でどう訳せばよいか。人間評価の定義は何か。ここには日本の教育に顕著な一種の情緒主義、感傷主義とでもいったものが潜在しているように思われる。恐らく人間評価とは一方では、能力、学力、成績その他、人間の部分的な評価ではなく、全体としての人間、全人、人格、人物の評価を意味するし、他方では人間的、あるいは人情的な評価を意味するのであろう。そしてそこには、人間は部分によってひょうかされるべきではなく、数量化、序列化、比較が不可能かつ不適当な存在であること、したがって特に人間を低く評価するなど、人間評価にあるべからざることだ、という暗黙の合意がある。
もっと極端にいえば、人間評価という概念は一種の自己矛盾を含んでいる。人間の部分的評価は可能かもしれないが不当であり、人間の全体的評価は適当かもしれないが不可能である。いや全体的評価にしても、すべての人間が平等な価値をもっている以上、上下優劣の評価をすることは非人間的である。評価基準の適用を許さない評価はあり得ないから、人間評価自体が不可能となる。」
※前段は極めて疑わしい。学生運動の激しさなどは日本は海外の比ではないように思えるが。そして人間評価などという単語自体ほとんど日本語としても使われていないだろう…後段はその通りだろう。
P133「日本人は一方では評価を愛用するが、他方では評価を拒否する。ホンネやウラでは評価が横行するが、タテマエやオモテでは評価は拒否され否定される。仲間うちでの公然たる評価はもちつ、もたれつ、甘えと和を特徴とする日本では歓迎されない。……日本特有の集団主義や平等主義が評価拒否の風土を生む。
ところが他方、日本人は評価、中でも序列付けを好む。後発国として「追いつき追いこせ」をスローガンに出発した日本は、モデルでありライバルであった先進国からの評価をたえず気にしてきた。国内でも人口過密で生存競争の激しい日本、周囲の評判、世間の目を気にし、かげ口、うわさ話の好きな日本人は、自分が他からどう評価されているか、他人は自分より上か下かなどということに極めて神経過激である。自分の属する国、組織、地域、職業などの評価や順位が気になって仕方がない。公然たる評価は拒否しながら、カゲやホンネでは広く評価が行われる。」

p139「学歴による人間評価の特徴としては、上に述べたように個人の一部の属性たる学歴によって当人の全体を評価するという領域的拡散性、人生の一時期に獲得された学歴が生涯を通じて評価基準になるという時間的拡散性に加えて、学歴が個人の評価基準だけでなく、その属する集団や組織の評価基準になるという社会的拡散性が指摘できる。これは集団主義的な日本において顕著である。」
p140「「真の」学力、能力、実力、人物、将来性まですべてを判定できるようなテストが生まれたとするなら、そしてそのテストにすべての人が平等に参加できるようになるなら、そのテストによって低く判定された者には希望も自信もなくなってしまうであろう。学歴による人間評価は不完全であり不合理であるからこそ、人びとに絶望を与えずに済むのだといえるのかもしれない。」
※マイケルヤングを想起したのだろうが、さてこの言い分に何の意味が?結局学歴否定じゃないのか?
P143「事実、一方ではあらゆる差別を否定する平等主義が、他方では個人間、企業間、国家間の激烈な競争を要請する実力主義が、学歴による差別的な給与体系や地位昇進体系を崩壊させつつあるから、顕在的、制度的な学歴主義の衰退を証明することは容易である。公然たるビジブルな学歴主義の衰退にもかかわらず、証拠もつかみにくく攻撃もしにくいインビジブルな学歴主義は依然として(いや、かえってますます)健在であるかもしれない。学歴社会の虚像が主張され、学歴主義への批判が盛んであるにもかかわらず、学歴信仰が広範な人びとの内なる意識に根を張っているのはそのためであろう。」
P144「以上のような学歴の潜在的機能、ウラの学歴主義の強力さは日本的特徴と考えられるが、学歴研究に当たってはこうした日本的特徴に着目することが必要かつ有効であろう。……しかし(※後発効果、官僚制が近代の特徴とするにせよ)例えば家族自体が一つのミニ学歴社会になっているという現象は恐らく日本に特有である。子どもの学歴はその子ども個人の問題というより家族全体の問題であり、家族は子どもの学歴のためにすべてを犠牲にし、受験生たる子どもは一家の主人公となる。……家族とはプライベートな社会だから、それだけウラの学歴主義や学歴意識のホンネをさぐるのに便利であろう。」
※「親の子への犠牲心は日本よりアメリカの方が強い」ことをどう見るか。

P144-145「客観的には同じ日本の社会が、見方や立場によって、全く相反するように解釈され、認識されていることになる。つまり学歴社会のついての、パーセプション・ギャップ(認識のずれ)が存在する。だが、学歴社会論がこれだけ盛んだという事実自体、学歴が日本人の間に、強く意識されていることの証拠であり、その意味で日本は少なくとも意識の面で、学歴社会だといってよい。」
P145「エリートは、企業や政府などのトップを占め、公的な責任をもつと同時に、広い監視の目にさらされているので、だれからも非難されないタテマエや、大衆の支持を受けやすいコトバを口にせざるを得ないが、それには学歴社会など実際には存在しないといっておくのが無難である。」
※学歴社会論は、学歴の不当利益と見る立場とそうでない立場で主張が異なるように思う。
P147「また同じキー・ポジション(※トップの中のトップ)といっても、生存競争が激しい経済界や政界と、「親方日の丸」的な官界や学会とでは、学歴の効果は異なる。しかしいずれの場合も、不利な学歴をもった者は一般に教養の低さ、友人の少なさなどのため、「成り上がり者」的、「なぐり込み」式のあくどいやり方に訴えなければ、キー・ポジションに到達することが難しい。」
P151「以上は学歴研究の今後の課題の若干である。それは今後の課題であるから、ほとんど実証的な研究もないし証明されてもおらず、単なる仮説の提示にとどまる。しかし以上、三つの視点が学歴研究に新しい分野を開くように思う。」
※p141-151までの内容を総括した内容であるが、実際のところ何が課題で何が定めた事項なのか、定かではない。それは日本人論にまで及ぶのだろうか?恐らく、新堀はそうは考えていないように思う。この曖昧さは「理念型」という言葉で逃げを決め込もうとする論者全てに問われる論点である。

P155「ある人びとは、いじめは昔から存在した現象であり、なぜ、いじめが突然急に取り上げられ、注目されるようになったかといえば、いじめが原因で自殺や家出などのショッキングな出来事が起きたからだという。そうだとすれば、いじめもっと前から注目され、論じられ、対策を立てておくべきものであったのに、ショッキングな事件が起きるまでいじめを放置し、注意しなかった教師や教育研究者の怠慢や無能が責められてしかるべきである。」
※なぜ問題を解決しないのかだけでなく、なぜ解決できないのかという問いも必要である。新堀は決まって専門職批判をする。
P156「同じように、いじめは以前にも今と同様に存在したが、いじめとは認められず、単なるいたずらやけんかとして軽く扱われていたのかもしれない。多くの現象がいじめと認められるようになったので、いじめが増えたかのごとき観を呈するのかもしれない。ちょっとした体の不調も病気と認定され、すぐに病院に駆け込む患者が増えるように、いじめ論の隆盛のためにいじめが増える。……それは、病人が増えるから医学が発達するのではなく、医学が発達するから病人が増えるのと同じである。」
P157-158「(※教育論議として)論じられている間は、あたかもそれが唯一最大の問題であるかの如くだが、実はそれ以外にも重大な問題が数多く存在し、潜在することに気づかれていない。
こうしていじめ論の流行は、人びとの目をいじめだけに向けさせる恐れがある。」
※「気づかれていない」とは誰のことを想定しているのだろう。新堀はそれを教育専門家に向けたいようだが…いじめ以外の問題に目を向けようとしない現場などが一体どこにあるというのか?そのこと自体は実証的に語られることはない。結局、「社会問題」というフレームで語られていることにしか目を向けていない。それを超えて想像されるものがあるにせよその範囲はご都合主義的である。

P159「子どものいっさいの言動を知りつくし、いじめ事件を未然に防止しなければ、管理責任を追及されるのだから、学校も教師も一刻の油断もできない。子どもは授業中はもちろん、休み時間も放課後も教師の監視下に置かれる。こうして教師は、子どもの間にいじめが起きないか、「いじめ事件」を親やマスコミから摘発されないかと戦々恐々となるし、子どもは教師からたえず監視され、注意されつづけるので、教師も子どもも息のつまりそうな生活を送ることになる。のびのびとした雰囲気がかえって失われ、びくびく、おどおどした「いじけ」が支配する。
子をもつ親の心配は、さらに大きい。これだけいじめの多発と深刻化を報道するニュースが溢れると、どんな親も、わが子がいじめられるのではないか、いじめっ子になるのではないかと、片時も安心してはいられない。……こうしたニュースに接しつづける親にしてみれば、安心して子どもが学校にやるわけにはいかない。親もまた神経過敏になって、わが子の言動を細かく見守り、ちょっとしたことでも、いじめではないかと疑うようになる。わが子の友達も学校の先生も信用できず、すぐに友達の親や受けもちの教師に抗議を申し込む。」
※これを「一種の管理主義」と揶揄するのだが(p158)、ならどうしろというのか?ここでも教師の専門性の問いが出てくるはずだが…ただただ「萎縮、遠慮」「子どもの生活や学校から生気や活力を奪い去る恐れがある」などというだけである(p160)。
P160-161「教師(あるいは、その背後にある学校や教育のシステム)から子どもへのいじめとして、例えば体罰、校則、テスト、成績、管理主義、偏差値体制などが取り上げられるのである。
その議論に従えば、こうした教師個人の行動や評価、あるいは学校や社会の仕組みが子どもをいじめているのであり、その重圧や抑圧に耐え切れない子どもが、その劣等感や屈辱感のはけ口を、もっと弱い仲間へのいじめに求め、見出しているということになる。」
※いじめ論の定義については加害者と被害者が存在することを想定するのみである(p160)。言い換えれば、教育の場で加害者と被害者と呼べるものはすべて「いじめ」とここではカテゴライズしている。もっとも、この立場はすでに存在する説と位置付けているが(cf.p161)。
p162-163「たった一人の教師が数十人の子どもを静かにさせ、話を聞かせるだけでも、どんなに困難かは明らかだ。それは、子どもから教師へのいじめだといってよいが、教師はメンツにかけても子どもからいじめられたとは公言しようとしない。
かつて子どもにとって学校は、年少労働から解放してくれるところ、好学心を満たしてくれるところ、世の中で活躍するための実力を与えてくれるところであり、野心と能力のある青少年はおやにたのみこみ、苦学をしながら学校に行った。彼らにとって、学校は有難いところであり、教師は尊敬の対象であった。学校が義務化、準義務化されていなかった時代、勉強についていけなければ、容赦なく退学や落第が待ち受けていた。」
※退学の話は何を想定しているのか??

P164「教師から教師へのこのいじめは、二重の意味で、子どものいじめの解消を妨げる。第一に、いじめに限らず、子どもの指導、特に生活指導にとって重要なのは、教師集団の一致協力だが、教師相互の間にいじめが存在することは、この一致協力が欠けていることを証明する。」
※また価値観の押し付けをしている。
P165「いじめはオモテではなくウラで行われるから、オモテにおける「強者」がウラにおいては「弱者」となる可能性がある。オモテで「弱者」扱いされた者が、その仕返し、ふくしゅうとして、オモテでも「強者」をウラでいじめることがあるし、「強者」を「弱者」の水準にまで引きずりおろして、集団の統一をはかろうとすることがある。
この種のいじめにが、「出る杭を打ち」「人の足を引っぱり」「下へならえ」を強要する日本的集団主義や平等主義がその底流にあるように思われる。」
p166「唐突な例だが、日本はその勤勉や貯蓄、質の高い製品によって黒字国になった。われわれ日本人からすれば、「どこが悪い」と反駁したくなるが、その日本が世界から袋だたきに遭って非難され、攻撃され、何かと世界からいじめられつづけている。……いじめには主観や解釈のくいちがいがあるだけに、その定義は困難である。いじめる側がいじめること自体に快感を見出し、いじめられる側に出口や解決がないことが、恐らくいじめの本質であろう。」
※なぜ困難なのか?新堀の定義はあまりにも素朴であるのに、その定義が採用されないのはなぜなのだろうか?
P167「けんかやがき大将といった子どもの世界に特有な現象が最近、めっきり見られなくなった。それだけ子どもから子どもらしさがなくなり、子どもがませた小型のおとななったといえるかもしれない。」
※そして子ども論が持ち出される。
P168「かつて家庭には兄弟が多かったため、けんかのたびに親が出ていかなくても、弟たちのけんかの度が過ぎれば絶対的な力をもつ兄は審判官や仲裁者の役を買って出たり、姉がけんかに負けて泣き出した妹を慰めたりして、けんかを丸く収めた。いや、そもそも同じ兄弟同士、同じ家に住む家族同士なのだから、共通の心の結びつきがあり、けんかをしたところで、すぐけろっと仲直りして遊び合った。取っ組み合いの中に泣き笑いのスキンシップがあった。
今やこうした光景は消え失せた。一人か二人のわが子に「教育ママ」がたえず目を光らせ、兄弟げんかが起こる気配でもあるとすぐにかけつけて止めさせる。ほしがるものは何でも買ってやるし、おやつは山ほど与えるので、おもちゃや食べものの取り合いなどといった兄弟げんかきっかけも少ない。」
※典型的な懐古厨。

P168-169「こうして家庭から兄弟げんかが消失したが、地域社会や近隣社会での子ども同士のけんかもなくなった。かつて路地裏や野原は子どものけんかの舞台、がき大将の活躍の場だったが、今や子どもがのびのびと行動できるそうした空間はなくなった。いや第一、今日の子どもは家庭と学校(およびその代用としての塾)を往復するだけで、地域社会や近隣社会での生活を欠いているのだ。」
※ガキ大将の美化言説。
P169-171「だが実は、けんかといじめとは基本的に異なる。第一にけんかは勝敗を争うので、相手が降参したり泣いたりして勝敗がはっきりするけんかは終結する。勝負がつかずに引分けとなったり、仲裁が入ったりして終結することもある。いずれにしてもけんかは短時間の現象で後くされがなく、けんかが終わると仲直りする。これに対していじめは勝敗という結果ではなく、残忍な過程そのものを目指している。いじめに伴う残忍、相手の苦痛自体が快をもたらすので終わりがない。
それとも関係するが、第二にけんかは勝敗を争うのだから、最初から勝敗優劣が自他ともに明白な場合には起こらないのに対し、いじめはむしろ勝敗が明白な場合に起きる。弱い者を相手にけんかをしても始まらないし、弱い者はもともと強い者にむかってけんかをしようともしないが、いじめは抵抗不能と分かっていている者を相手にする。けんかは原則として一人対一人の形で行われるのに対し、いじめが多数対一人の形で起きるのもそのためだ。……
第三にけんかには一種のけじめ、ルールがあるのに対し、いじめにはそれがない。卑怯なことはしない、降参すれば許してやる、飛び道具などは使わない、などというルールがそれだ。生存競争下にある動物は自らの縄張りを侵した外敵を力で排除しようとし、獲物を独占してけんかするが、相手が尻尾を巻いて立ち去れば、それ以上深追いしない。そこには相手に対する一種の思いやりがある。同じことが子どものけんかにも当てはまる。
第四にけんかは堂々、公然と行われ陽性だが、いじめは陰でねちねちと行われ陰湿である。家庭や学校でおとなの全面的監視下に置かれ、子どもだけの世界や生活を公認されなくなったため、公然たるけんかが追放された結果、それに代わっておとなの目の届かぬ陰の世界にいじめが出現したのだと解することができる。おとなの基準で勝敗優劣をすべて決められる子どもの悲痛な叫びがいじめになって表れている。」
※何と先程述べていたいじめの話からすでに逸脱している!!本書が別々の論考によるものだからと言ってしまえばそれまでだが、それ程言葉も用法を意識していない、というのは紛れもない事実。そして、これが先の「いじめの定義が難しい」ことと関連しているとすればどうだろう?結局定義をしようとする者さえも定義から簡単に逸脱するような議論を展開している可能性がある、ということ。
また全体的にけんかの方を過大評価している点も懐古厨らしい態度である。ルールなどないからかつてはけんかを理由に子どもが死んでいるが、それをどう説明するのか(cf.「少年犯罪データベース」)。更に「けんかからいじめへ」の物語もそう簡単な議論にはならないだろう。これはけんかの賛美が誤りであることから導き出せる結論。

P173「ものはあり余るほど増えたが、それに反比例して、心はますます貧しくなった。経済的なゆとりの増大とうらはらに、精神的なゆとりが失P173「ものはあり余るほど増えたが、それに反比例して、心はますます貧しくなった。経済的なゆとりの増大とうらはらに、精神的なゆとりが失われた。経済の高度成長に伴って、公害、自然破壊、環境汚染などのひずみだけではなく、人びとがかつてもっていた人情、勤勉、自己犠牲、責任感などの徳の喪失がもたらされた。失われたものに対する郷愁念は、特に古い時代に育ったおとなに大きい。
……彼らには先の例でいえば人情、勤勉、自己犠牲、責任感などの徳を信奉して、それを成し遂げたのだという自信と自負がある。その自信と自負を基礎にして「今どきの若い者」を見ると、そうした徳を全く忘れて自分中心主義、享楽主義、物質万能主義に走ってしまっている。慨嘆に耐えないとともに、若い者を叱りつけたい気持ちが湧いてくる。
ところが、「若い者をこんな状態にしたのは誰か」と古い世代がその得意とする責任感や人情を働かせて反省してみると、その責任は自分たちにあると考えざるを得ない。身を粉にし、わき目もふらずに働いて、日本をここまで繁栄させてきたために、こんな若い者をつくり上げてしまったのだ。」
p175「今の子どもの「ないないづくし」のリストを作ろうとすれば、それこそ際限がない。自立心がない、耐性がない、社会性がない、思いやりがない、勉強しない、本をよまない、創造力がない、個性がない、体力がない、学力がない、等々。そして、このリストの重要な一項目として「遊ばない」が加わる。
実際、今の子どもは遊ばないというのは、ほとんど一致した世論であり実感であろう。一昔前、特に人口の都市集中や進学率の上昇が顕著になった昭和三十五年あたり以前と比べれば、子どもたちが日の暮れるのも忘れ、泥んこになって遊ぶといった光景は、全く見られなくなった。」
p175-176「子どもは遊びを通して創造力や耐性や自立心や体力や社会性を養う。例えば縄跳びをやる前に、新しい遊び方を工夫するし、順番を守ったり役割を分担したりという社会生活のルールを学ぶ。体力も鍛えられるだろうし、失敗を乗り越えて努力する態度も養われるだろう。何より大事なのは、遊びは自発的な活動だから、子どもの自発性や個性や積極性を養うのに適しているということである。子どもは、遊びながら、遊びを通して、このように最も重要な能力や態度を学びとっている。その子どもから遊びを奪い、子どもが遊ばなくなっているとすれば、ゆゆしき問題だといわねばならない。
このようにおとなは、遊ばない今の子どもを眺めて、あるいは郷愁から、あるいは教育的見地から慨嘆する。その一方、この遊ばない子どもをつくり上げたのは他ならぬ自分たちおとなだと反省し、子どもは遊ばないのではなく、遊べないのだと自責する。」
※「このため子どもは遊ぶよう、遊べるよう、手厚く保護され奨励される。」「その結果、子どもの遊びの不在と奨励とが現代の特徴となる。」ことで遊びが自発性を失い、遊びが自然性を失う矛盾があるという(p176)。遊びにおいてまで「おとなに依存し管理される」ことで「遊びの教育的意義の大半は失われてしまう」(p177)。

☆p181-182「第二に、今の子どもは遊ばないとか遊べないといっても、すでに述べた通り、おとなが勝手に立てた基準、特に郷愁に基づいて判断していることが多い。例えばパソコンゲームなどは、小さい子どもの間にまで大流行しており、ゲームのソフトを考え出して大もうけした中学生もいるという。おとなは機械オンチ、コンピュータぎらいも多く、そんな子どもを見ると、羨望と同時に脅威を覚える。そして、もっと「子どもらしい」遊びの方が大事だと主張する。
恐らく今のおとなが望ましいと考える遊びとは、個人遊びではなく集団遊び、機械を使っての遊びではなく手作りの遊び、きれいな遊びではなく泥んこ遊び、ナウい遊びではなく伝承的な遊び、頭を使う遊びではなく体を使う遊び、室内での遊びではなく戸外の遊びである。それぞれの対のうち、後者が大事なことはいうまでもないが、それだからといって、前者が望ましくないと決めつけることはできない。パソコンゲームは前者の代表だが、これからの社会ではコンピュータ・リテラシーが大事な資質となる。今の子どもはパソコンゲームを通してコンピュータを学び、コンピュータ社会で生きていく力を得ている。全人教育というが、遊びについても、あれかこれかと考えるのではなく、あれもこれもと考えることが望ましい。」
※一見不可解な主張にも見えるが、結局「子どもが遊ばない」という「事実」に対しては新堀は前提として認めており、そこからどうするかという際のおとなの「価値観」に対して批判をしているということであろう。しかし、その「郷愁」が「事実」にまで侵食する可能性をなぜ考えないのか。また、最後の主張もこれまでの新堀の批判をなかったことにしかねない論点がある。それこそこの再批判はパソコンに対して受動的でしかないという批判しか生まないように思えるし、そうでないとするなら、新堀のいう「主体性」とはなんのことを言っているのか掘り下げねば、その批判の意味が無意味になる。このような擁護の仕方になる理由もまた不可解である。この態度こそが「社会問題に毒されすぎて」いるために社会問題として批判が挙がることに対しても根拠なき再批判を加える態度になっていないか、と思ってしまう点である。
P182「第三に遊びの禁止についていうと、子どもの発達段階、年齢区分による差があまりに激しすぎるという問題がある。この傾向は先に述べた教育ママ的な家庭に顕著だが、学校をも含んで一般に広く認められるものである。
学校での成績、勉強、進学などが気になり出すまでは(一般的にいえば小学校低学年まで)十分遊ばせるが、上級学校入試が近づき、受験準備に没頭しなければならぬと考えられるようになると(一般的には小学校低学年高学年から中学・高校まで)、勉強が強制され、遊びは目の敵とされて追放、禁止の憂き目に遭う。そしていったん、大学に入学し、受験勉強から解放されると、再び一転して遊びが精一杯許容される。」
※新堀はそういう話をしていたのではないと思うが…そもそも昔の子どもは小学校は四年までしか義務となってなかった訳で、それ以後は労働の世界にいたはず。義務教育段階以後の子どもは遊ぶ権利があったかどうか議論すべきところではないのか。

P187「ある人びとは今日の子どもには忍耐心がない、犠牲的精神、公共心、服従心が欠けていると嘆く。たしかにその通りだが、それだからといって、あらゆる不正や不合理を耐え忍び、「公共」「公益」のためといわれればどんな命令にも服従すべきだと考える心を育ててはならない。寛容の心、思いやりの気持ち、助け合いの精神もたしかに美しい。だがそれが一面的に解されて、何でも許し、救いの手を差し伸べて仲間の自助や自立の芽を刈りとってしまうなら、かえって仲間のためにもならない。」
※バランスをとろうとしているのだろうが、新堀の言説そのものにそのバランスが取れているとは言い難い。
P188「逆に普通望ましからぬとされて不人気な心にも、見直されるべき価値が潜在する場合がある。例えば野心や立身出世主義、猜疑心や復讐心。今日、入試競争の激化に伴って子どもの目が血走り、心のゆとりやゆたかさが失われたため、競争心、成功欲はすべて悪であるとされ、特に成績のよい子どもはすべて野心や立身出世主義のかたまりであるかの如く見なされる傾向がある。彼らはエリート主義を奉じ、エリートの卵だとされて肩身の狭い思いを抱かされる場合さえある。
しかし野心や立身出世主義自体を悪だと決めつけるのは早急であろう。他人や社会を踏み台にして自己の野心を実現し立身出世しようとする利己的な気持ちが伴う場合とか、成功という目的のためには手段を選ばず、人格的にいびつな人間になってしまう場合とかに、野心や立身出世主義は否定さるべきであって、よい成績をとり希望する学校に入ろうとすること自体が悪いわけではない。その証拠に、教師は学力の低い子ども対し、もっと高い学力を身につけ進学したいという野心を抱かせようと努力する。実際、今日の子どもに欠けているのは崇高な野心(これを理想という)である。多くの凡人は野心をもつことによって張り切った生活を送り生きがいと努力をかんじる。それなのに今日、本来、理想主義的であるはずの青少年に、その日暮らしの刹那主義やニヒルシニシズムが支配している。向上心が野心や立身出世主義から成長することはまれではない。猜疑心は批判的精神や探究心と紙一重であり、復讐心は失敗にめげず困難に再挑戦するたくましい心に連なる場合がある。」
※具体的に好転させるための方法についての言及はあるのかと言われれば、この後の精神論の言及しかない。
P190「心を育てる教育にとっては、心に訴える教育、心を動かす教育、心と心の交流が極めて有効である。規則、マンネリズム形式主義、事なかれ主義が支配するところでは、人間的な心は育たない。今日の教育や授業には感動や感激といった場面が乏しい。……子どもの心を育てようと思えば、教師や親もまず自分の心を育てなくてはならない。
失われた心を回復するための教育そのもの、教育を行う教師自身の心に欠けているものがある。……よそよそしい表面的なつき合いの中で、子どもの「心理」は分かっても子どもの「心」は分からない。〈心の教育〉より前に〈教育の心〉が失われているのだ。」
※「いくら全人教育や人間尊重を口先で説き、いくら情操教育や道徳教育の時間を増やし、いくらカウンセリングや生徒指導の組織を拡充したときろで、子どもの心に訴えかけ、子どもの心をゆり動かすことに失敗するなら「仏作って魂入れず」である。実際、今日の学校はしうした感動の重要性を忘れ、感動の教育をおろそかにしているのではないか。」(p191)結局精神論である。

P192-193「社会教育でも講演会への「動員」「駆り出し」はあるべからざる邪道とされているが、半強制的に出席させられた人たちが講演をきいてから、「来てよかった」「心が洗われた」などの感想をもつことが少なくない。いやいやながらやり始めた仕事が、やっている間に面白くなってくるという現象を「動機の機能的自律」と称するが、受動から能動へ、強制から自発へというメカニズムを考えるなら、受け身の学習を頭から否定するわけにはいかない。
もう一つ、感動の教育にとって大事なのは、孤独な学習の復活だ。社会性、助け合いなどが強調されるあまり、集団作業や集団学習だけが先行し、それが孤独や無限に耐える力を失わせてしまった。目が外に向くばかりで、内省、思索、沈潜など、自らを見つめる態度が育たない。
これでは人と人との関係さえ表面的、外面的なお祭りごっこ、仲よしごっこになってしまって、心から信頼でき話し合える仲間同士の人間関係から生まれる感動は得られない。」
p193「感動の教育にとって第三の視点は、「等身大の教育」「人間の顔をした教育」とでもいえるももの必要性だ。それは中でも社会科や道徳教育などに当てはまる。
教育課程があまりにも「科学的」「論理的」「体系的」になり過ぎて、社会の仕組みや概念は出てくるが、生きた個人が登場しない。……共感、尊敬、興奮などの感情は、固有名詞をもった人物や劇的な物語を知ることによって生まれるのが、特に子どもの場合、普通である。ところが、このような感動を呼び起こすに有利な教材はなくなって、抽象的な概念や無味乾燥な年号の羅列ばかりになるのだから、子どもは、これを敬遠するようになってしまうのだ。」
※「学習指導要領」とは結局何なのか、という問いに対する重要な見方。体系が整っていないとみるか、そもそもそのような「体系」など不要とみるのかで全然異なる結論となるはずだが、批判はそのどちらかも大いにある。

P200「個を通して普遍を語り、体験によって本質に迫るという、以上のような教育古典に共通の特徴自体に学ぶべき真実が秘められている。芸術は一般に具体的な個を通して普遍的な本質を実現し理解させる。個別的な人物や事件を通して、人間、人生、愛などの何たるやを明らかにする。ひとは往々にして抽象的な一般化に頼る哲学や美学の書物より、文学や音楽の作品に接することによってこそ、世界や美の本質を直感する。人生観、価値観、世界観などを形成し、心の奥深く訴えかけ反省や省察を迫り、生きる意志や喜びを生み出してくれるのは、難解でひからびた概念や灰色の理論ではなく、生きた個々の素材をもってあるがままの真実を鮮やかに描き出す芸術である。
教育が相手にするのはまさに個々の生きた人間であり、教育の基底にあるには個としての人間に対する愛であり関心である。教育とは、規格化と逆の営みである。工場での品質管理は規格通りの製品を作り出し選び出すことを目標とするが、教育は規格通りの人間をつくることではなく、個性を尊重し実現することを目指している。規格に合わない子どもこそ教師にとっては大事である。
自然科学は一般的、普遍的に妥当する法則を見出すことを目指しているが、教育は逆に個を理解し、個に妥当する働きかけを要求する。教育の本質を明らかにし、教育ヘの情熱を湧き立たせてくれる古典が、一般化された抽象的な理論書ではなく、教育小説や実践記録など、科学より芸術に近い形をとっていることは偶然ではない。」
※さて、これを行うのは教師なのか?もっと言ってしまえば、それが「生きたもの」になるかどうかはどこまでも主観論でしかないように思える。
P206「以上のような事実は、教育者とは永遠の理想、「青い鳥」を求めて遍歴する理想主義者、浪漫主義者であることを物語るのかもしれないし、人を教えるなどという大それた仕事を手がける自信は良心的な人間にはなかなか生まれないことを示しているのかもしれない。しかし人間の問題にせよ社会の問題にせよ、理想を求め解決を求めるなら最後に教育による他ないという真理を、彼らはその経歴により理論によって教えているのである。」
※ここで引き合いに出されるのは「過去の偉大な教育学者」と呼ばれる人々に他ならない。
P215「勤務評定の難しさもあり、平等の原則への要求もあり、「親方日の丸」の体質もあり、教師には年功序列制度、身分保障制度が徹底しており、どんな教師も勤務年数に対応して一律に昇給していく。」

P222「臨教審の自由化論議をまつまでもなく、今日、公立学校の「親方日の丸」的体質に対する批判や非難の声が高い。いや、それはむしろ公営事業一般に対する評価の一環だという方が正確であろう。独善、横柄、非能率、税金の無駄づかい、怠惰、マンネリ、お役所仕事などは、学校に限らず「親方日の丸」に与えられるもの世評である。」
※p215のテニュア制度ならわかるが、ここでの議論は親方日の丸的性質批判という言葉、「日本的性質」が批判されているという見方が正しいかは微妙。「「親方日の丸」的な体質や意識を打破すること、これが恐らく公立校の管理職の大きな課題であろう。」(p224)
P223「競争原理、創意工夫、自助努力などを欠いた「殿様商法」となって人びとの反感、反発を招くのも無理はない。「親方日の丸」の国鉄は私鉄に客を奪われ、郵便局は宅配便との競争に敗れた。こうして最近では電信電話、タバコ、国鉄などが民営に移管された。」
P226-227「教育のタテマエ支配と「親方日の丸」のタテマエ支配とがいっしょになるのが、公立の学校である。つまり学校の中でも公立の学校は特にタテマエ支配の傾向が強い。また公立の学校、中でも義務教育段階の小中では、子どもや親は学校や教師を選択するわけにはいかないので、多様な要求や期待が学校に投げかけられるし、公立であるため広い世間からの監視の目が注がれる。そのためにも学校は誰からもオモテ向き非難されないタテマエを掲げざるを得ない。」
※これが日本的というのはあまりにも誤りだろう。それに私立にはこれがあてはまらないことを前提にしている。
P227「タテマエのもとに私利が追求される「親方日の丸」の公立学校では、ホンネを出し合って教師と教師、校長と教員、教師の鬼、教師と生徒とがぶつかり合うという雰囲気が乏しい。一種のよそよそしさと同時に偽善が生まれやすい。思い切ったことを互いにいいにくいかと思うと、タテマエを掲げて有無をいわせぬ要求が出される。」
P228-229「公立学校は私学のように独立採算制をとった自立的組織ではない。人事にせよ予算にせよ、すべては教育委員会に握られており、その点ではまことに弱い立場にある。……自分の学校で個性的、独自な教育を行おうとしても教育委員会におうかがいを立てねばならないが、教育委員会はいっそう広範な監視の目にさらされており、法規や慣例に従っておけば安全という事なかれ主義を奉じがちである。こうして公立学校の自由裁量権は制限され、学校は教員を自由に選ぶことさえできない。」
※あたかも教育委員会があるから不自由、といわんばかりだが、具体的に考えれば必ずしもそうならないこともあるし、そのような観点で考察をしないと意味がない。新堀が行うのは「俗流」のぼんやりした教育批判をそのまま反映しているにすぎない。
P230「学校とは本来、明るく活力に満ちた場であるはずのものである。学校で多数派を占めるのは、若さにはちきれている子どもであり若者である。彼らは無限の将来をもち、希望に目を輝かせているはずである。その成長はおとなとは比べものにならないほど早く、一日一日と新しいことを学びとるのだから、生き生きとその生命を謳歌しているはずである。」
※その本来性はどこから?にもかかわらず「以上のようなことは今さら改めて説くまでもない自明当然のことである」と言い切る(p231)。

P236「学校はもっと新しいことに取り組み、個性的な教育を行うようにと日ごろ主張する世間もマスコミも一転して学校を攻撃する。こうした現実を自ら経験したり観察したりする学校、中でもその最終の責任者たる校長が保身のため消極的となる傾向が強くなる。いやこの傾向が学校といわず一般に官僚的組織、中でもお役所に見られることは、多くの研究が示しているところである。」
※具体的にその研究とは誰のものなのか教えて欲しいものである。「学術研究」として存在するかはかなり怪しい。
P245「戦前の師範教育が視野の狭い閉鎖的な教師をつくったという反省のもとに、戦後の教員育成はいわゆる開放制を採用して今日に至っている。ただその開放制のもとでも依然として視野の狭い、ひとりよがりの閉鎖的な教師が生まれているように思われる。いや開放制のもとで、教職を単なる生活の資と眺めるサラリーマン的教師が増え、教育一筋、使命感、責任感、教育愛に燃えた教師が減ったのではないか。師範学校の教育を貫いたのはまさにそうした教育者的な精神であったのに、戦後の開放制のもとでは、この精神に貫かれた教員養成がどこにも見当たらなくなった。」
※戦前の教育のよいところだけしか見ず、「悪かった所をどう取り除くか」という問いを立てることはないままに戦前の教育を支持する。これでは「意味がない」。なぜサラリーマン教師が悪いのか。熱意がないから。ではなぜ教師に熱意が求められるか?それ教育にとって必要だから。しかしそれは教師「のみ」が行わなければいけないものなのか??そして師範学校の「暴力性」について新堀はなぜ考察しないのか??
P245「自分の利益や権利しか考えず、自分の考えだけを絶対的に正しいとする独善的な人間とは、自分のカラの中に閉じこもって他からの批判や外への責任を忘れた人間であり、視野の狭い閉鎖的な人間に他ならない。自己反省を行うためにはそうした閉鎖性を打破することが必要である。」
※現状認識からそもそも誤りであろうが、サラリーマン教師のどこが問題なのか。なぜこうも教師聖職論にすがるのか。新堀がすがる理由の説明は簡単で、結局過去の教育論を聖典にしているからに他ならない。
P246「しかし教師はよほど自戒し自省しなければ、閉鎖的な職場での生活が閉鎖的な精神を生み出し、しかもそのことになかなか気づかない。」

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

 本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育論に溶け込んでいる本もあまりないと思う(もっとも、最近になってこのような読み方をするようになったからかもしれないが)。
 新堀の本書の態度について一言で述べれば「社会問題に毒された著書」とでもいうべきだろう。このような著書であるからこそ、新堀自身がどのような観点から問題を捉えているのかを分析してみることは意義のあることだと思い、今回レビュー対象とした。
 なお、頁数は新装版にあたる1996年のものとなるが、基本的にバラバラの論文によって構成された著書であり、全て80年代までのものが掲載されている。また、読書ノートについて分量オーバーのため別途掲載とする。


○「社会問題」を捉え損ねるとはいかなる意味なのか?
 新堀の考察を行う前に、まず『「社会問題」を捉え損ねる』とはいかなる意味を持って呼ぶことができるかについて考えてみたい。「日本人論」もまた「社会問題」の一つと位置付けることが可能であるため、合わせて検討していくことになるが、『「社会問題」を捉え損ねる』とは、「問題となっている事実と異なる解釈を行っている」場合に対してそう呼ぶことにする。例えば、社会問題の議論は特に社会病理を取り扱うことになるが、このような病理はごく一部の人や現象にしか当てはまらないにも関わらず、「普遍性」をもって語ろうとすること、つまり過剰解釈を行うことなどは、この『「社会問題」を捉え損ねる』ことに該当する。

 具体的に『「社会問題」を捉え損ねる』場合についてパターン分けをしてみた場合、次のような分け方が可能であるように思う。

1.現われている事実自体への誤認・所在の不明慮さ
2.因果関係について、関連性自体が認められない
3.「代表性」を満たしていない
4.「歴史性」を満たしていない

 まず1.についてだが、ここでいう社会問題を論じる者の「事実誤認」そのものについては厄介な論点もあるため今回は取り上げない。一方、「事実の所在の不明慮さ」とは、問題とされていることの出典がいつ・どこで示されたものなのかという点について示されていない場合を指すが、本書においてもほぼ一貫してその事実がどこで議論されたのか示されていないのである。
 これはまずもって「学術書」と呼ばれるものと「一般人向けの本」の違いとして指摘されうるものである。明示されない理由についてはやはり議論がわかりにくく(煩雑に)なるからであろうか。しかし、基本的にはこのような出典がない場合の「社会問題」の記述は読者が「ああ、あれのことか」と読者の経験に結びつきやすくなるように語られていると言ってよい。その結びやすさこそ『わかりやすさ』である。
 しかし、このような『わかりやすさ』を優先させることで実際の事実の誤認を行う場合や、2.に関連して因果関係を無視した議論を行うといったことが起きやすくなる。また、3.の代表性も侵食した議論を展開することになる。これについては後程例を挙げる。
 日本人による日本人論にはこの手の出典の不明慮さが特に目立つことを杉本良夫とロス・マオアが指摘している(「日本人は「日本的」か」1982)。杉本らは中根千枝(1967)、土居健郎(1971)、ヴォーゲル(1979)、ライシャワー(1979)の4冊の著名な日本人論を分析し、「四著に提示された命題の大部分は、証拠やデータによって裏づけられることなく書き並べられている。このことは、因果関係や相関関係を示す理論的命題に関して、特に顕著である。」(杉本・マオア1982;p161)とする。実際に数字を示し、過半数の命題についてそれがないと述べている。また、実際に論証される場合においても、日本人二者の論述においては実例があってないというべきような「自分の権威に依存した主張」として述べられていることも一定数あるという(同上:p162)(※1)。「権威に依存した主張」というのは、いかにも学者特権とでもいうべき議論の簡略化だろうが、こと日本人論が絡むとなると、これがほとんど根拠なしの結果になることも多いのではなかろうかと思う。


 次に2.についてである。これはすでに羽入辰郎のレビューでヴェーバーを取り上げた際に議論し理念型の話が大きく関わる。「類的理念型」としての理念型αと「歴史的個性体」としての理念型βの議論において押さえておくべきは、因果関係を説明する理念型βというのは、2つの理念型αの検証と理念型βの検証、3点の検証を要するという点である。これは状況をかなりシンプルにした例であるが、実際の運用については、更に考慮しなければいけない点がある。
 まずもって大前提にあるのは理念型の運用そのものを変更しないということ、言い換えれば「言葉の定義の操作」を行わないことが必要になってくる。ここには言説を語る者の中で概念がズレる場合もあるし、言説を語る者とその言説を解釈する者のズレというのも当然ありえる。「日本人論」というカテゴリーの仕方はそもそもとしてこのような前提のズレが当たり前のように生じてしまっているのである。
 これはすでに片岡徳雄のレビューで「集団主義」を勝手に定義付けていたり、岩本由輝の「共同体」という言葉の議論の中で問題提起してきた点である。本書において例を挙げれば「親方日の丸」という言葉の議論が該当するだろう。親方日の丸は国鉄といった官製企業や大学についても議論された言葉のようだが(※2)、新堀の場合はそれを公立の義務教育段階の学校にまで広げて議論を行っている。確かに「親方日の丸」論は広く公への批判に展開しやすいような点があったといえるかもしれないが、「公的なものは全て悪」といった論点に波及しかねない点で問題であるようにも思える。実際新堀の場合、p6やp227のような「親方日の丸」の使い方は、一見「日本人論」には整合性がとれても一般的な「親方日の丸」の定義と整合性がとれているかかなり怪しい。新堀のオリジナルの用法と見みる方が正しいように思える(この点については後日検証を行う)。

 また、理念型βの議論を行うにあたり、因果関係を連鎖的にとらえるような場合には、複数の理念型βから別の理念型β´を語るような場合もありえるだろう。このような場合には、検証すべき内容というのは3つに留まらないことになる。「日本人論」においては、この観点を飛ばしてしまい、結論を明白なものとして語るという性質が強い。この検証を飛ばす作業は1.の論点の軽視を生んでいることにも繋がる。
 

次に3.の代表性についてである。この最たる例は統計学において適切なサンプルを十分な数だけ集めた場合に一般的な性質について言及されうる、というものであるが、日本人論においては単に「制度」や「言語」においてそう規定されているからそれが大多数の総意である、と結論付けられることが多い。これはすでに坂本秀夫が海外と比較する際に「海外の制度のみに注目して日本の実態を批判する」という論法を採用していたことをレビューで批判した点である。これは「制度」に依拠した日本の批判である。
 ここでは「言語」の面について少しふれておきたい。言語の問題を考える上で極めて貴重なデータがあるので紹介する。

「ポイントカードはお持ちでないですか?って聞かれて持っていないとき、みなさんどう答えていますか?」
引用元:https://twitter.com/Keita_Saiki_/status/779267011385753600 佐伯恵太氏のツイートから

 この文については、日本語の文法的では当然「はい」と答えることが正しいとされている。しかし、実際ここで行ったアンケートの回答では「はい」と答えるのは64%にすぎないのである(n=238)。私自身もそうであるが、やはり「はい」という答え方自体に違和感を感じ、「いいえ」と答えている人が少なからずいるのである。
 日本人論においては、文法が全てであることを前提に議論されることが全てといってよく、この場合は「はい」というのが日本の文化であり、「いいえ」と答えるのがアメリカの文化であるとされる。しかし、実際にはそこまで明確な二分法的な違いが存在しないのである。結局言語も生ものであり、「文法」通りに一義的に解釈される訳でもなく、「大多数が間違える日本語」という形で紹介されるようなマイノリティの正しい言語もあり得るのである。
 結局これも日本人論において陥りがちな、「日本的性質が語られること=日本人の大多数はそのルールに従う」という暗黙のルールを採用している結果起きる捻れである。実際は一部の「権威」「強者」によって言語のルールも含めた「制度」が定められる可能性も大いにあるにもかかわらず、そして社会問題に引き付ければごく一部の問題を大きく語っているだけであるにもかかわらず、それが大多数の日本人に共通のものとして語ってしまうのである。そして、これも1.の論点に繋がり、検証作業がなされていないか、出典が曖昧にされることで一目正しいのかは判断できないのが「普通のこと」となってしまっているのである。


 最後に4.の「歴史性」と呼んだものである。これもなかなか厄介な問題点である。
 仮に日本人にある性質があることを見出し、それに根拠があるとしても、その根拠は「いつ」見いだされたかによってすでに「今」の観点からは根拠にならない状態がありえることがある、というのがこの「歴史性」の問題である。
 すでに述べた「言語」の話についてもこれはありえる。言語自体が共通項となるものを繰り返し用いることで言語として流通される性質を持っているため、その言葉が「今」とマッチしていない可能性もあるし、古い文献等に依拠したものについても、その性質が今も同じことがいえるのかは確実な保証がない。
 日本人論を語る際に拗れるのは、このことを逆手に読んで「今」の日本人はそうでなかったが、「過去」の日本人はそうであったという論法として語られることがある点である。例えば、「日本人は集団主義的である」という論一つにしても、現在までそれが有効であるかのように語る場合もありえれば、「昔は集団主義的であったが、イエの概念が崩壊し徐々にそうではなくなってきた」と語られる場合が(多数派ではないにせよ)存在する。
 更に言えば、この「現在」と「過去」の議論はやはり比較であり、それぞれの根拠が必要になるのであるが、やはり1.の論点に戻って根拠が欠けている場合がほとんどである。どちらかといえばほとんどが「過去」の観点において根拠に乏しい状態にあるといえる。これは社会問題を語る場合においても全く同じで、論点として強調されるのは「現在」の問題にあるため、「過去」の部分は軽視されながらも強力な比較対象として語られてしまうのである。
 そして合わせて指摘しておきたいのは過去の議論における賛美の態度である。この点については新堀においてもp173で「失われたものに対する郷愁念は、特に古い時代に育ったおとなに大きい」と批判を加えている所であるが、新堀自身もその域を出ているとは全く思えない、という奇妙さがある。

 師範学校に対する見方を例にとろう。P245では確かに「師範教育が視野の狭い閉鎖的な教師を作った」が、他方で「教育一筋、使命感、責任感、教育愛に燃えた教師が減った」と嘆き、「師範教育を貫いたのはまさにそうした教育者的な精神であった」とする。この2つの価値をどう評価するか、まさにこの点が致命的に重要な論点なのである。正直な所、新堀がこの点についてどう考えているのか測りかねる。しかし、素直に文面を読み取ってしまうと、この2つの価値は別のものであって、「師範教育の(よい)精神」というのは独立したものとして掬い出せるかの如く語っているのである。このような態度は日本人論においても、社会問題においても、過去を評価しようとする人間に共通して見られる観点である。
 しかし、果たしてこの2つの価値は分化可能なのだろうか?この点については実際何も示されていないし、いかに悪い価値の部分を取り除くのか(取り除くことができるのか)について何も語られていないのである。これが更に悪くなると、両価性そのものが忘却される可能性だってあるのである。高橋・下山田編のレビューで私が「ガキ大将」について触れたのも、まさにガキ大将の「両価性」が無視され良い面だけしか語られていない状況に対する批判なのであった。
 他の著書から師範学校における寮生活の話を少し引用しておく。


師範学校令に盛りこまれた「順良、信愛、厳重」の“三気質”育成のために、正規の学科としての兵式体操と生活訓練の場としての寄宿舎教育が重視された。寄宿舎には下士官出身の舎監を配する師範学校も生まれ、舎内では、下級生は上級生にたいして絶対の服従を強いられ、物品の管理場所までが定められるというように、陸軍の内務班に模した規律訓練が実施された。この寄宿舎の訓育が、さきの服務義務制とあいまって、いわゆる「師範タイプ」といわれる気質をもつ卒業生を教育界に送りだす大きな要素となった。」(仲新監修「日本近代教育史」1973,p100)

 このような寄宿舎生活での実態については、斎藤喜博も自身の経験から述べている。

「こういう「級会」は、一年生とか二年生というように学年単位に全体が呼び出され、そのなかで四年生ににらまれたものが氏名をあげていわれたのだが、それとは別に特定のものが一人ずつ呼び出されてリンチを受けることもあった。これもいつも夜なかに行なわれ、四年生のなかの少数のものがやっていた。
その晩になると、四年生が目的の人間の室にいって呼び起こし、オルガンの練習室へつれていった。まっくらなオルガン練習室の入口までいくと、そこに待ちかまえていた一人が、いきなり柔道で坂の間の上にたたきつけた。そしてみんながそのめぐりへ集まり、その人間の悪いところを指摘し怒号した。そして皮のスリッパだの皮のバンドなどでめった打ちをしたのだった。こういうリンチを受けるのはいつもきまった人間が多かったが、リンチを受けたあとは、何日も動くこともできないものが多かった。」(「斎藤喜博全集 第12巻」1971、p93-94)

 「教師の視野が狭い」というのは本書でも批判されている点である。これも他の職業についている者とどう違うのか考える必要が一方ではあるが、このような寄宿舎における「制約」はまさしくわざわざその視野を広げる可能性を閉じているものであり、そのことで「順良、信愛、厳重」の気質育成がなされていたと解釈されているのである。これら2つの価値は密接に関わっているものとして位置付けられているのだ。しかし、新堀はこの片面を半ばわざと削り落とし、良いところだけしか見ようとしないのである。そしてそれが達成可能なものなのか検証もせずに達成できるもの(正確には過去には達成できていたもの)として賛美しているのである。


○新堀の「見方」とは?―「無限の可能性」の解釈のされ方について
 さて、本書を「社会問題に毒された著書」と呼んだ訳だが、具体的にどのようにして「社会問題」について捉えているか分析してみた所、いくつかの傾向がわかった。
 まず、「社会問題」とされている事実自体について「全面的に肯定している」ことがわかった。言いかえてしまえれば、この事実とされていることについては「検証」が全くされていない。世間で流れている社会問題自体は事実であると言っている。合わせて拡大解釈されている「事実」についても事実と認定している。
 そして他方で事実ではなく「価値観」については賛成・反対両方の態度を取っている。反対の立場をとっているものとして、「無限の可能性」言説に対しては、p40で子どもの性善説に見る見方が強く現われたため出てきた俗論であり問題であると述べている。ちょっとここで「無限の可能性」言説について、これまで私が読んできた本でいかに語られてきたのかをみてみたい。

 まず、この言説自体が教育業界で広まった大きなファクターとして斎藤喜博を挙げることは間違いではないと思われる。

「教育とは、それとは別に、無限の可能性を子どものなかから引き出すことに本質がある。どの子どもが、持っている力を、十分に伸ばし発展させるとともに、子どものなかにないものをもつくり出させ、引き出してやることこそが、教育における本質的な作業である。」(斎藤喜博斎藤喜博全集 第4巻」1969、p269)
1970年代に出された教育の解説本といえる著書においても、このように「無限の可能性」が語られている。

「すぐれた実践は、そういう既成の観念を実践のなかでうちこわし、○男や×子についての見方を修正し、それを通して子どもというものの見方をつくり直していくものである。しかし、それ自体が次の実践に対しては既成観念であり、また新しい実践のなかで修正をせまられる。その無限の連続が教育実践なのだとさえいえる。……
それは、子どもの可能性を無限に見出していくことになる。子どもの能力の限界性はだれにでもよくみえるものなのだ。無限の可能性を一般論ではなく、具体的な子どもに即して発見し続けることこそが、教育実践のキーポイントである。」(中内敏夫・堀尾輝久・吉田章宏編「現代教育学の基礎知識(1)」1976、p85)
斎藤喜博も、子どもは無限の可能性をもっているものであり、それを文化遺産である教材を使って無限に引き出し拡大するところに教師の仕事がある、という見解をうちだしている。」(同上、p209)

 ここでの議論を読めば、単純に「子ども性善説」を肯定しているかのように語っているようにも思える。しかし、実際の「無限の可能性」言説はそう単純な議論によって成り立っているとはいい難い。社会問題の議論においてはよく出てくるのであるが、社会問題の批判的議論の一環として「子ども性善説」が語られていると読み取れる場合も少なくないのである。引用しよう(※3)。


「(※発足当時)白黒であったとはいえ、それまでは映画館に行かなければ映画がみられなかったのに、家のなかで茶の間でみれるようになりました。子どもがテレビの前にはりついてしまったのです。そしてマンガも多く出まわりました。テレビやマンガをみることでほとんどの時間をすごしてしまい、外でかけまわったり、友だちをたくさんつくって集団であそぶことがなくなってしまいました。学校から帰ってきても同じクラスの子どもとしかあそばないのです。このような状況のなかでは、子どもたちは夢をもてなくなるのではないか、無限に可能性を秘めた子どもたちに与えられるものがすべて規格品で、子どもたちが受身だけになってしまうのではないか、そんな不安がいっぱいでした。」(青木妙伊子「文化 人間を創る」1983,p15-16)

「そして今日の子どもたちの非行です。退廃です。子どもたち自身が人の生命を、いえ自分自身の生命をもなんと安手に考えていることでしょう。そんな事実を日々目撃しないですごすわけにはいかないほどに事態は深刻です。
人間にとって何よりも大切なのは人間です。この地上において、無限の可能性をつくり出すもの、それが人間です。だからこそ、子どもたちのその精神を含めた豊かな発達こそは人類の財産だと考えるのです。」(高比良正司「夢中を生きるー子ども劇場と歩んで28年—」1994,p260)

 高比良の著書は抽象的な記述となっているが、2冊とも共通して語られるのは現在の「疎外」された環境であり、その中で子どもは「無限の可能性」を否定されてしまっているという論調となっている点である。単純な肯定を行っている訳ではなく、否定に支えられた肯定なのである。これは子どもに言及されないが、ほとんど同じものと見なしてよい「遊び」に対する観点でも同じような見方がされることがある。

「もちろん遊びは個々の問題であって、余暇時間をどうして過ごそうかという問題は、誰も介入できない部分である。しかし、供与者側としては、対策であれば、その場の遊びはあそぶがわの自由であることはいうまでもなく、管理となればそれはもう前にも述べたように遊ばされているのであって、本来無限の可能性を持った余暇活動にはなりえないのである。」(佐野豪「余暇時代の生涯教育」1979,p84)

 一方で、新堀と同じように子どもの無限の可能性について、それが都合よく語られているに過ぎないという立場から議論しているものとして、レビューも行った高橋・下山田の指摘がある。

「子どもは、この時期から、経済成長を担うための「人的資源」としてとらえられ、学校を中心とした能力開発の世界に囲い込まれていく。つまり、子どもは「生活者」としてではなく、もっぱら「児童」や「生徒」として扱われるようになる。そして、この時期から、子どもの「教育」とは、「人的能力」や「無限の可能性」の「開発」であり、それは、学校において教師という専門家集団が担うものである、という観念が私たちの間にひろく浸透してゆくのである。子どもは、親や地域の人びとと共に暮らす「共同生活者」ではなくなり、教師という職業集団の前に並び立つ「未熟な学習者」、「生徒」に変わってゆく。」(高橋勝・下山田裕彦編「子どもの〈暮らし〉の社会史」1995,p16)

 最後に、日高六郎が述べている部分であるが、これは本人の意図とは違うように解釈する意図での引用をする。ここでは子どもの無限の可能性について素朴に語っているように思えるが、見方を変えてしまうと、「熱心」な教師たちの手によって「子どもの無限の可能性」という言説自体がとても魅力的なものであり、そのような教師のやる気を引き出すという目的で言説が用いられうるということ、子どもの無限の可能性が目的ではなく手段となってしまっているのではないかと読み取れるものである。

「子どもたちのなかにひそむ無限の可能性、子どもたちが胸にいだくゆたかな願望。子どもたちが胸にいだくゆたかな願望。子どもたちのことを語ることがたのしく、そのことで時間を忘れる教師が教研活動の中心であったし、またいまでも中心であると思う。子どもをめぐる問題を、いまここですべて書きならべることはできない。それはあまりに豊富すぎる。」(日高六郎・山住正己解説「歴史と教育の創造 日教組教育研究集会記念講演集」1972,p15)

 さて、結局私がここで問いたいのは「社会問題の捉え損ね」の2番目の議論で語った、因果関係の議論である。新堀はp54-56で特に強調されているように、子どもの無限の可能性の言説は、「大人が悪い」という世間一般の価値観の裏返しとして現れているという論理でこれを捉えていた。しかし、このような子どもの無限の可能性の言説は、私が参照した文献からは全く見いだせていない。引用されたものから「責任」問題を引き出すのであれば、おそらく「環境」であったり「教育制度」にあったはずである。そして、子どもはそれらから制約を受けているからこそ「無限の可能性」を否定されている、という論理で無限の可能性言説が語られているのである。新堀の言うような大人の性悪説的価値観の反対のまなざしとして子ども性善説を唱えている訳ではない。
 ここで新堀の犯している誤りとは因果関係の飛躍である。確かに「環境」も「教育制度」も大人が作りだしたという主張は事実と呼ぶほかない。しかし、大人『全体』の責任として語られる訳では決してないのである。そう思っているのは新堀の個人的解釈にすぎないのである。いわずもがなそこに検証プロセスもない。
 しかし私が恐ろしいと思うのは、新堀の主張は一見とてももっともらしく見えてしまっている点なのである。部分的には「社会問題」の事実が正しいという所から因果関係まで事実であるかのように見えてしまうというのは、社会問題を語るにせよ、日本人論を語るにせよ共通して犯してしまっている問題点である。ここでは根拠のない解釈が積み重なりそれが一人歩きを始めているのである。そして新堀は確実にそのプロセスに加担してしまっているのである。これこそが最初に述べた『わかりやすさ』の弊害なのである。


○新堀の「見方」とは?―社会問題に対する捻れた視点について 新堀が無限の可能性の議論において採用していたのは「子ども=性善説」「大人=性悪説」という二項図式に対する批判であった。結局世間がそのような認識のもとで議論を行っていることに対して矛盾していたり、結局大人が無責任な態度をとっているとしか言えないという形で批判を行っていたのである。
 しかし、すでに「懐古主義」を批判しているのにも関わらず、新堀が懐古的なのではないかという論点と同じように、ここでも「二項対立図式」を批判しているにも関わらず、新堀は二項図式にあまりにもこだわっているとしかいえない。これは本書における肯定的な価値観について見てみればすぐわかる。結局これは「懐古主義」と同じ視点になるのだが、本書で述べられている二項図式を捉えてみると、次のようなものがある。

・「今や教師に対しては「外」から遠慮会釈なく非難、攻撃、批判が浴びせられるようになった」(p14)
→「かつて教師は信頼と尊敬のまとであった。」(p14)

・「学校がテストや成績で子どもをしめつけ」る(p43-44)、「今日の子どもに落ちこぼれ、非行、いじめ、学校ぎらい、勉強ぎらいなど多くの病理現象が生まれている」(p95-96)
→「かつて子どもにとって学校は、年少労働から解放してくれるところ、好学心を満たしてくれるところ、世の中で活躍するための実力を与えてくれるところ」(p162-163)「「学校とは本来、明るく活力に満ちた場であるはずのものである。」(p230)

・「けんかやがき大将といった子どもの世界に特有な現象が最近、めっきり見られなくなった。」(p167) 「地域社会や近隣社会での子ども同士のけんかもなくなった。」(p168-169)
→「かつて路地裏や野原は子どものけんかの舞台、がき大将の活躍の場だった」(p168-169)

・「経済的なゆとりの増大とうらはらに、精神的なゆとりが失われた。」(p173)
→「人びとがかつてもっていた人情、勤勉、自己犠牲、責任感」(p173)

 このような「現在」と「過去」の対比を行う論法自体が常套句になってしまっていたこと自体が「過去」の議論が正しいかどうかという検証プロセスを無視させてしまったのではないのかという疑念が晴れないが、ここでは全て二分法的に物事を解釈しようとする新堀の見方が強く現われている。そして「かつて」の観点は恐らく根拠がないし、正しいとも言い難い点を十分に持っていることは読書ノートのコメントにも残しておいた。

 しかし他方で同時に二分法に懐疑的な新堀の姿も散見されるのである。
 例えばp95以降の「遊び」に対する見方についてである。環境が悪化したとしてもそれがそのまま子どもの「自主性」を阻害すると決めつけるべきではない。子どもには自ら環境に働きかける力を持っているとされ、まさに世間での「解釈」が批判の対象になっている。
 しかし、この点について、実際どうすればよいのか、という観点になると、「恵まれた環境に気づかずこれに感謝し、これを活用しない教育にも問題がある」(p99)と述べる程度である。この見方は環境が悪化しているという社会問題で語られる事実について否定はしないし、かつてはむしろ恵まれた環境があったと考えるが、それでも「最悪」ではないだろう、という相対的な解釈を行う形で擁護を行っている。そしてここで子どもの「主体」の問題が重要であるとするのである(p98)

 また、更に論点がぼけて語られるのがp187のような記述である。これもまた世間が「犠牲的精神、公共心、服従心が欠けていると嘆く」ことに対する批判である。この部分だけだと論点がぼけるが、それに続いて過去の「立身出世主義・エリート主義」を取り出し、「向上心・野心」などを評価する。

 そして更に二分法的解釈への批判に対する再批判の観点というのがp155に出てきていることも無視できない。ここでは「いじめとけんか」の二分法を行うことに対して世間が批判するのに対して再批判として「教師や教育研究者」の態度を批判しているのである。


○新堀の「見方」とは?―精神論への帰着
 このように社会問題で議論されている点について、捻れた観点で批判を行うような場合があるが、その際に決まって返答されるのが「子どもの意欲」と「責任論」を通じた議論である。

 この点について、前者の観点はp190-193やp200における議論へと帰着する。ここで語られているのは「大人の心の教育」「内省」「個への着眼」である。共通して言えることは、一つは「生きた」教育が欠落しているということと、もう一つは「根性を養おうとする視点が足りない」という点である。過去の教育への賛美をしている新堀の見方には、どうしても精神論的解釈が根強く、「ハードな生涯学習」(cf.p122-124)や「弱者擁護」への批判(p69)が極めて色濃く現われている。これは「豊かな社会が貧弱な心を生む」という社会問題論の視点をそのまま採用している影響がまずあり、根拠に乏しい過去の教育の賛美がそれを支えて現われる。しかし、この問題点はすでに述べた通りで、ここでの過去の賛美には見落とされている論点が存在すると考えるべきなのである。

 また後者の「責任論」についても新堀はかなり強い立場から語っている。本書の主題である「見て見ぬふり」というのもこの責任論が中心的論点であることを示している。そして、この責任論から教師の「専門性」について強く必要性を述べる場面もある(cf.p64-65)。しかし、これは千石保のレビューで述べたのとほぼ同じ問題点を持っている。千石は日本人論的に学校教育を批判する際、「学校での対応」という可能性でしか教育を語ろうとせず、それが「他の機関からの助力を求めることも甘え」であるかのような語りをしていた。しかし、ここでいう教育の「専門性」とは間違いなく無尽蔵に役割が拡大するものであり、そもそも「専門性」という言葉で語ってしまってよいものかも疑問である。私などはこの「教育の専門性」という言葉で教師をスケープゴートしているようにさえ思える。この専門性という言葉はこのような論法以外では、教育労働運動の議論において語られることもあるが、どちらの場合においても具体的にその定義付けがされることがなく、「専門性」を語っているようで何も語っていない状況になっている。むしろ必要なのは広田照幸のレビューを端に議論してきた「教育の担い手の力関係」の議論の中から、その役割のあり方を考えていることではなかろうかと思う。


○「空気」のような日本人論について

 「見て見ぬふり」という言葉の用法は当然新堀のオリジナルであり、日本人論と結びつけた体で語っている。しかし、この無責任体制は「タテマエとホンネ」論に依拠するところが大きく、これが支持できるかどうかは極めて怪しい。これはそのままそのような無責任体制が日本人論的なのかという点にそのまま結びつく。
 本書全体はバラバラの論考を集めたものに過ぎず、基本的には「日本人論」というカテゴリーで語ることには違和感がある。むしろ「社会問題」を語る教育論と解釈すべきであろう。しかし問題なのは、本書の書き下ろしである冒頭部分において明確に「日本人論」との結びつきを明記してしまっている点である。このために本書全体がかなりふわふわした感じで日本人論を語っているように見えてくる内容となってしまっているのである。
 しかし、新堀自身がふわふわしたものと捉えていたかどうかは怪しい。むしろこのような論述自体が「自然」なものとして、「日本人論」というカテゴリーでも問題ないというある程度の確信をもって本書を出版している可能性が高い。本書に「教育風土シリーズ」というシリーズ名をつけているのがまさに証拠である。
 私自身、15年近く教育関連の著書を読み続けていたにも関わらず、本書を読んでみた感想として教育論において「日本人論」がここまで容易に介入しているものなのかと驚いてしまったのであるが、新堀の価値観を肯定的に捉えるのであれば、「空気」のように日本人論が語られることが教育論においても認められているかもしれないと考えると少々恐ろしくさえ思えた。当然今後このような観点からも教育論を考察しなければならないだろう。


※1 この事実をもってして直ちに「日本の学者は根拠なく議論を行う」という結論に至るのも同じく「悪い日本人論」の論法をそのまま受けてしまっている結論でしかない。ここには、邦訳本が学術書を邦訳したものであるから、という留保は付けられるかもしれない。しかし、日本で著名な日本人論が「一般人向けの本」から生まれてきていることを否定することは難しい事実として捉えることができるだろうし、所在の不明慮さはそのような論の性質から当然生まれてくるということはできるだろう。

※2 私の読んだ本の中では、次のような形で親方日の丸が語られていた。基本的に「責任」の問題や効率が悪いといった観点が「私営」のものと比較されながら議論される所に特徴がある。

「さてこのように高く評価される公企業も、現実にはプロローグで述べたように、全く国民からは冷たい目でしか見られていないのである。「親方日の丸」とかあるいは能率が悪いとか、あるいは天下りが多いとか、といったように、公企業に対しては人びとの反対は非常に強いものがある。そして経営者も公企業といったものは、経済発展の活力を失わせるものであると主張する人が多いようである。」(加藤寛「日本の公社・公団 “親方日の丸”の再検討」1970、p141)

「このように、公共企業体は政治の影響を受けやすい経営形態です。したがって、お客さまへの貢献や収支改善以前に、国会対策が経営上の最重要事項となってしまい、労使ともに国会対策に精力を傾けるようになりました。言いかえれば、国会の決議さえあれば赤字をいくら出しても、資金の不足分は国が貸してくれるということになり、経営難のみならず労働組合にも、親方日の丸意識を植え付けることになりました。」(石井・上山編「自治体DNA革命」2001、p100)

※3 完全に余談となるが、新堀自身も本書以外の所で「無限」という言葉を使っている。しかしここではむしろ「教育」という行為の完了が不可能なものとして、その行為は無限に繰り返しする必要があるものとして用いている。「無限全身的形成作用」というのは部分的に「無限の可能性」とも重なるが、確かに別物といえば別物である。

「教育者は価値の実現が人間にとって無限の課題であることを知っている。教育が無限の全身的形成作用であることを知っている。価値の実現、人格の形成に終りがないことを知っている。この無限の課題の前に於いては教育者と被教育者とのいささかの水準差の如き、殆んど無に等しいことが知られている以上、教育者が尊大になり得ることはないのである。従って教育愛は根柢に於いては価値の実現ということに関係するが故にエロス的、価値愛的な性格を有すると共に、非選択的であり、ナツハアイナンダー的とトポロギーの上に成立し、万人が本質的に平等であることを認めるという点に於いてはアガペー的、宗教愛的であり、而も価値可能性の意識という一点を除けば価値の前に教育者と被教育者とが同一の水準にたっているという点に於いてはフィリア的、人格愛的である。教育愛は実に之等三愛の総合形態として理解されねばならぬ。」(新堀通也「教育愛の構造」1971,p181)

ダニエル・H・フット「裁判と社会」(2006)

 今回は日本人論の検討の一環で、法社会学的アプローチをとるダニエル・フットの著書のレビューである。
 本書は、日本人論に対して一定の懐疑を持ちつつも、とりわけ『制度』の影響についての検討を、訴訟をめぐる分野から行っている。しかし、特に序盤で語られる日本人論の捉え方の問題指摘については、他の分野においても押さえておかなければならない論点が多く示されている(cf.p6,
ここでもまず議論の遡上に上がるのは川島武宜であり、「日本人の法意識」における議論は詳細に検討される。その際には実証的側面からの考察を第一にし、正しい指摘、誤った指摘の整理を行っている。特に問題なのは、やはり川島が「日米間の訴訟行動の違い」について専ら文化的差異を理由にしている点だろう(p23)。合わせて、アメリカにおいても裁判にまで発展した事件の割合はむしろ少ないという事実誤認(p36-37)も重要な指摘である。

 しかし他方で、フットは文化的影響が「ない」と言っている訳ではない。この態度が出てきた所在についてはいまいちはっきりしないが、肯定的に捉えるのであれば、分野によっては訴訟に発展する事例が日米であまりにも大きく違うような場合もあり、これを全て文化的要因以外の、制度等の要因で説明できると考えるのは現実的ではない、という意味合いからその可能性を認めているという節はある(cf.p86)。


○日本人論における「文化」と「制度」の影響の関係をどう考えるか?
 もっとも、厄介なのは、「文化」と「制度」について考える場合、これらが決して無関係ではないという点である。「文化」が「制度」を生んだのか、はたまた「制度」が「文化」を生んだのか、という議論の仕方がありえるからである。例えば、「終身雇用」の起源についてTaira(1970)は第一次大戦前後の産業の状況の影響を受けたため、「儒教観念」といった文化的影響とは別のルートを持ったものだ述べているそうだが(p110)、これもどれ位意味がある議論なのか、と問う必要があろう。P111でフットが指摘するように、起源論というよりはその定着において文化的影響を見ることも可能である。そして、これは「日本人論」を考える上で厄介な論点の一つである。
 この論点はすでに岩本由輝が「似非共同体論」を批判する際に前提にしていた共同体の捉え方にも現われていた。岩本においてもそれが「根源的」な意味での共同体を取り上げ、「似非共同体」はせいぜい江戸時代から活発に見られるようになった崩壊過程の共同体に過ぎない、と見ていた。ここで問題なのはそれが「根源的」である必要があったかどうかである。岩本はそれを共同体機能から見て、その共同体にいるだけで全てが充足できるという意味で「根源的」である必要があるし、そのような機能を持ったものしか「共同体」を語る資格はない、と見ていたのである。それでなければ、近代批判を行う「似非共同体論者」はその近代批判の意味を失ってしまうと見たのである。
 しかしこれはあくまで似非共同体者が近代批判をする場合にしか妥当にならない。言い直せば、近代批判として語らない共同体論というのは、別に根源的な部分のレベルの議論をする必要はないのではないか、というのが岩本のレビューにおける私の批判の論点であった。そして、これは日本人論についても同じように言えるのである。


 結局、日本人論の議論で素朴に想定しているのは、それが容易に変わらない性質を持つ点にあった。それは場合によっては脳科学の分野からほとんど遺伝子レベルで語られるようなケースもあった訳だが(角田忠信「日本人の脳」1978)、多くの場合は「文化」なり「社会」なりに規定された性質のものであるという点に特徴がある。そして、それが多くの場合、「ライジング・サン」がまさに典型であったように、伝統的なものとして引き継がれたものと考えられる。しかし、この日本人論を語る「目的」とは何か、を問われた場合にこそ、この伝統の意味合いも変わってくるのである。
 特に私が検討したい教育の分野に限れば、例えば河合隼雄の場合は日本の良いところは活かし、国際化の文脈で変えるべき所は変えようという意味で、(議論の正誤は置いておくにせよ)かなり良心的な日本人論となる。そしてこの場合の日本人論が示す伝統というのはほとんど重要な意味を持っていない。具体的にはそれがどの時期に発生したものなのかを問う必要はほとんどなく、あくまで現在の日本人を制約する要素であるという意味においてだけ重要なのである。つまり『その伝統がいつ発生したのか』、という論点はほとんど意味をなさないのである。私が思うに、大部分の日本人論はこのような素朴な伝統観により成り立っているのではないかと思う。だからこそ、Taira(1970)の言うような指摘はそれ自体としてはあまり重要であるとは言えないのである。

 しかし、問題なのは、この「日本人論」が文字通り一枚岩ではないという点である。私としては、これについて、日本人論を語る目的で分類を試みるのが有効ではないかと思うのだが、結局河合のような見方で日本人論を語る人間だけがいる訳ではない、ということである問題点である。日本人論の消費的側面を強調する論者もいるが(cf.ハルミ・ベフ「イデオロギーとしての日本文化論」1987=1997,P190)、そのように語られる日本人論はそれ自体で、つまり差異化の試みそのものを目的に持つ場合さえある。そしてそのような場合には「伝統」という側面が過去と連結される方が都合がよい。私がとりわけ疑念をもつのはこのような連結と、そのことによる日本人論の固定化の作業にある。
 このような状況においては、Tairaの議論なども無視され、容易に『伝統』という言葉だけで解釈されてしまう。そしてそのことは事実の捻じ曲げでしかない。ここで特に重要なのは、日本の状況を改善する、という場合に「伝統(ないし文化)」の改善と「制度」の改善では持っている意味が大きく異なるということである。「制度」は具体的に示された規則であるため、その制度を改めることはその分容易といえる。しかし、これを「伝統(ないし文化)」に還元しようという動きは、そのような改善自体の動きさえ阻害しかねないのである。


 フットが強調するのは、まさにこのような観点からの日本における「制度」の影響なのである。川島のような議論は文化的なものに日本的要素を還元しようとしている訳だが、それを批判し、そこに介在する「制度」の影響をフットは考察しているのである。やはり、そのような意味においても日本人論を語る上では、実証的な検証抜きに議論を行うべきではないということである。
 このような議論からフットの議論を読むのは、ごくごくわずかな見解しか得られないかもしれないが、しかし実証的研究という意味で非常に重要な指摘をいくつか行っていると言えるだろう。特に本書では「日本の裁判所が政策形成にあたり従属的な立場にある」という見方に対していくつか具体的な政策形成の効果(それは特に公法の分野ではなく、私法の分野において役割を果たしていること)を示している。


<読書ノート>
※邦書初出。
☆p6「「日本は」とか「日本人は」といったいわゆる「日本人論」は、「他の国と比べて、日本は特にこうである」という意味で通常使われるものである。もちろん、「他の国同様、日本は」や「他の国の国民同様、日本人は」、といったような議論も可能なのだが、通常の日本人論はそういう主張をめったにしない。日本と他の国との違いがないといった側面は、私にとって興味深くとも、一般読者にとってはちっとも面白くないらしく、ほとんどの場合、日本人論は、日本と他との相違点を強調する。こういった議論では、少なくとも暗黙の次元において、比較対象が当然に必要となる。しかし、その肝心な比較対象との関連で、多くの問題点が存在する。
第一の問題点として、必要であるはずの比較対象がそもそも存在しない場合が少なくない。それは、日本が特殊である、という潜在意識にとらわれて、他の国の現状を調べないで日本人論を唱える場合である。法の分野において、行政指導というテクニックは日本特有のものである、という「常識」はこの類型にあてはまるように思う。」
p12-13「すなわち、日本において、成文法のレベルまでだけを比較対象とすることは、比較研究の妥当な方法として法解釈学においては広く受け入れられているようである。それに対して合衆国の場合は、少なくとも判例のレベルまで調査しないと、比較法の研究として高く評価されないだろう。その違いは、法制度の基本的考え方に関連するようである。つまり、判例法の伝統の強い英米法の制度において、判例を調査するのは当然視されている。そして六〇年代以降、合衆国のロー・スクール教育において、法社会学、法と経済学、法と心理学等のような研究の台頭に代表されるように、法の実際の働きを重視する傾向が強くなったので、研究においてそのレベルまで目を向けるべきだと考えられるようになってきた。それに対して、大陸法の影響の強い日本では、成文法とそれに関する解説を中心とした研究であっても法律学としては十分評価されるのではないだろうか。」

p16「文化論への第三の反論は、制度的構造に焦点をあてる。この立場は、日本人の行動パターンが他国の人と異なる場合に、この差異が文化によるのだという短絡的な結論を導くのは必ずしも妥当ではなく、むしろ、それぞれの社会の制度的枠組みにまずは焦点をあてるべきだと論ずる。行動様式が異なる理由は、文化にではなく、こういった制度的、組織的側面に求められる場合もある。この制度の側からのアプローチの代表格としてしばしば挙げられるのが、日本法専門家でワシントン大学ロー・スクール教授のジョン・ヘイリーである。ヘイリーは、有名な論文「裁判嫌いの神話」の中で、日本の訴訟率の低さは、文化よりも、訴訟を起こすのにかかる費用や、裁判所による救済の貧弱さ、そして何よりも、弁護士や裁判所の数の少なさ、といった制度的要因からくるものだと論じた。これに続く研究は、ヘイリーの挙げた諸要因に加え、多くの法領域に影響を及ぼすさまざまな制度的側面に焦点をあてている。」
※邦訳として、「判例時報」902,907号に掲載されている。1978年。
P23「川島武宜が『日本人の法意識』一九六七年に著した直後から(あるいは、むしろ同様の主題を扱った一九六三年の英語の論文からか)、日本人の紛争行動をめぐっては論争が交わされてきた。日本においては、日本人が訴訟嫌いであり、その訴訟嫌いは他の国と比べても特有のもので、かつその訴訟嫌いが文化に根ざしており、それが和を重んじ対立を避ける日本人の性格の現れである、ということは「常識」とされてきた。しかし、この「常識」に対してはさまざまな反論が加えられ、一九七〇年代以降、大きな論争に発展してきた。」
P24「川島によれば、「わが国では一般に、私人間の紛争を訴訟によって解決することを、ためらい或いはきらうという傾向がある」(川島武宜『日本人の法意識』一二七頁)。川島は、日本人が訴訟を好まない理由として、弁護士費用が高くて、訴訟は時間がかかるということを挙げながら、そうした理由は「原因の一部であろうが、決して重要な決定的な要因(中略)とは考えられない」(同書一三七〜三八頁)とした。なぜなら、他の国でも同様にお金も時間もかかるにもかかわらず訴訟が多く、そして日本において、費用をさほど気にしないはずの大企業や公共団体でも訴訟を回避する傾向が強いからだという。」
※法曹人口の少なさにも川島は言及しているという(p25)

p29-30「しかし、訴訟率という限定された問題についていえば、日本の訴訟率は合衆国または西欧諸国に比べてはるかに低いという川島の結論は、その後の調査で正しいと証明されている。これまででもっとも厳密な訴訟関連統計の比較を行ったドイツの統計学者クリスチャン・ヴェールシュレーガーによれば、一九九〇年の段階で、日本の民事訴訟率は合衆国のアリゾナ州の一〇分の一に過ぎないとされる。興味深いことに、ヴェールシュレーガーは、イスラエル、ドイツ、スウェーデンといった国における訴訟率がさらに高いことを発見した。日本は、その反対の極に位置し、中国などと同じレベルにある。」
p32-33「合衆国の連邦議会は、一九二五年、仲裁法を制定し、仲裁に対する、裁判所による長年の否定的態度を克服しようとしたものの、その後も合衆国の裁判所は、仲裁合意に対する抵抗を続け、さまざまな根拠により仲裁事項の法的効力をしばしば否定した。しかし、一九七〇年代以降、合衆国の連邦最高裁判所は、それまでの仲裁に対する態度を大きく転換し、仲裁合意は、ごく限られた例外を除いて有効だとする立場を採用するようになった。これにともない、少なからぬ企業や組織の間で、契約雛形の中に仲裁事項をおくのが一般化してきた。」

p34「興味深いことに、日本のモデルーー川島が当初紹介したものであるーーは、合衆国のアプローチを転換させるにあたって一定の役割を果たした。一九七〇年代、ADR手続きを法廷するようになった際、日本での事例がかなり頻繁に参照された。日本の事例は、裁判所の負担を軽減し、より友好的に紛争解決を実現するといった、調停その他の非公式的な紛争解決手続きによって得られる効果の理想像として持ち上げられた。」
p36-37「訴訟として提起された事件の五〇%以上が和解で終結すると聞くと、多くの読者はこれを高いと感じることだろう。……しかし、川島が論文を世に問うた一九六〇年代でさえ、日本はこの点でことさらに変わった国だったわけではない。そして一九六〇年代以降の四〇年の間に状況はさらに変化し、今日、日本の和解率は合衆国に比べて高いどころか、むしろかなり低いのである。
……合衆国の連邦地方裁判所に提起された民事事件に関する統計によれば、一九六二年から一九六八年までの期間において、トライアルにまで至った事件はわずか一一〜一二%にとどまり、残りの大部分の事件は裁判所で和解に至るか、トライアル以前に取り下げられていた(日本と同様に、取り下げられた事件の多くは、裁判外で和解されたものと推定される)。さらに、トライアルに至った一一〜一二%のうちでも、かなりの数はトライアルの間に、判決を待たずに和解で終結していた。合衆国では連邦ではなくむしろ州の裁判所が大多数の国民の民事訴訟を扱い、州裁判所に関する包括的な統計は存在しない。州裁判所における和解率は、連邦裁判所におけるほど高くはなかったようだが、一九六〇年代においてさえ、七五%を超えていたと推定できる。」

p37「(※日本の2000年頃の)判決に至った事件の割合は、ちょうど五〇%前後である。これと対照的に、合衆国ではトライアルに至る民事事件の割合があまりに低下したので、ある著名な研究者はこれを「消えゆくトライアル」と呼んだ。二〇〇二年、合衆国の連邦地方裁判所に提起された民事訴訟のうち、トライアルに至ったのは、わずか一・八%に過ぎない。さらに、そのうちの一部は、トライアルの間に和解に至っている。州裁判所の統計は比較の対象としにくいが、トライアル率に関する統計を出している二二の州では、二〇〇二年に終結した民事事件の一五・八%しかトライアルに至っていない。」
p37-38「以上から考えられるひとつの解釈は、合衆国においては訴訟の提起が交渉過程でのひとつの段階に過ぎないのに対し、日本人は依然、人間関係の完全な破綻を意味する最終段階として訴訟を捉えている、ということである。しかし、先に示した和解率の統計は、その理由はともあれ、西洋においては訴訟が「all or nothing」あるいは「白黒をつける」といったイメージだとした川島の叙述と、真っ向から矛盾している。」

p39「一九七一年の統計(※日本文化会議「日本人の法意識」1971)は、やや訴訟を嫌う傾向を示しているが、著しい訴訟嫌いとまではいかない。ところが、一九七六年の統計では、違いはより鮮明になる。一九七六年には、「(※権利侵害のとき裁判所に訴えることを)すぐ考える」と選んだ回答者は一一・一%にとどまり、「たまに考えることもる」を選んだ二三・七%の回答者とあわせても、訴訟を考慮するだろうとした回答者はかろうじて三分の一を超えたに過ぎない。……したがって、一九七六年の調査結果は、日本人が訴訟嫌いだという見方を裏づけたといえる。」
※「これらの調査では、訴訟嫌いの原因が、主にこういった制度的な要因にあるのか、それとも協調を重んじ対立を避けようとする文化的背景によるのかは、明らかにならなかった。そして、これらの調査は日本だけに焦点をあてたため、日本人の訴訟に対する態度が日本独自ないし特有のものかという疑問にも答えは示されなかった。」(p40-41)
p43-45「つまり、これらの調査結果(※加藤雅信の3カ国比較調査)は、日本人は裁判所に訴えずに紛争を解決することを好むけれども、個人的に近しい関係にある人との紛争ではない限り、訴訟を嫌っているわけではないことを示している。このようにみてみると、日本人の「訴訟嫌い」というイメージは、これらの調査結果からは支持できないことになる。」
※これは裁判所に訴えるべきかどうかについて、望ましいと答えたものの方が大きいことを根拠にする(絶対的指標)であり、他国と比較する相対的な議論ではない。「しかしこういった中でひとつ一般化できるとすれば、三つの国いずれにおいても、回答者は全般的に、訴訟よりそれに代わる紛争処理の方が望ましいと答えていたことである。」(p45)

p48「この小説(※ジェーン・ハミルトン「マップ・オブ・ザ・ワールド」)はフィクションに過ぎないけれども、アメリカ人の読者の心に深く響いた。そしてそれは、訴訟は友人同士の争いを解決する手段としては適切ではない、という合衆国における根深い考え方——この考え方は、先に論じた調査結果からもうかがえるーーを的確に捉えている、と私は言いたい。こういった感覚は、住民同士が緊密な関係をもつ合衆国のある地域社会で行われた、有名な実証研究でも示されている。」
※実証研究はRobert C. Ellickson,order without law(1991)などを参照している。
P50「最近まで、合衆国の法制度において謝罪はほとんど肯定的評価を受けてこなかった。それどころか、不法行為および刑事法のいずれの分野でも、謝罪は責任を自ら認めたものとみなされることもあったのである。こういった理由で、弁護士はこれまで依頼人に対し、少なくとも責任問題が決着するまでは謝罪をするな、と助言してきた。そして保険会社も「事故の際には、こちらの落ち度を認めたり謝罪したりしてはならない」という文言の入った書面を配るのが常だった。」
※しかし、近年においては謝罪を含めた「修復的司法プログラム」が「いまだ一般的ではないにしても、合衆国において一定の進展をみせてきた」という(p50-51)。

P51-52「最近は、謝罪のもつ役割について、法律学者の間でも、合衆国のマスメディアでも、しばしば取り上げられるようになった。そういった文献には、日本が折に触れて登場する。これから分かるように、調停や和解と同様、謝罪に関しても、日本が合衆国の基準に近づいているのではなく、合衆国が日本に近づいているのである。」
P53「訴訟率に影響を与える重要な制度的要因として、ヘイリーは、訴訟制度の機能に関して、情報、裁判へのアクセス、救済の三大論点を挙げた上で、訴訟への代替手段の存在にも触れた。」
※出典は「裁判嫌いの神話」

p86「合衆国での事件数の詳細はどうであれ、日本の製造物責任訴訟の数は、比較にならないほど少ない。一九四五年から製造物責任法が施行された一九九五年までに、日本で提起された製造物責任事件は、合計二〇〇件にも過ぎないと伝えられている。同法の施行を受けて、事件数は増加したものの、微増にとどまっている。施行から一〇年の間で、約七〇件の訴訟が提起されている。つまり、一年あたり七件だけである。
日本の訴訟件数がこれほどまでの隔たりがある理由は、制度的要因だけでは説明がつかないかもしれない。しかし日本では数多く制度的要因が訴訟の阻害要因になっているのに対し、合衆国では複数の制度的要因により訴訟が促進されている。」
p87「合衆国での調査によれば、一九七〇年から八〇年代にかけて製造物責任訴訟の件数が急増したことの大きな原因は、一九六〇年代から七〇年代にかけて責任の認定基準が大きく拡張されたことにあるとされている。そこでは、過失原則は無過失原則へと転換され、設計上の欠陥や警告不備に対する賠償責任も認められた。また別の調査によれば、一九八〇年後半以降、製造物責任訴訟の要件がやや厳格に振れたのに伴い、製造物責任訴訟の件数がやや減少したとされる。こういった調査結果は驚くにあたらないだろう。日本では、一九九五年までの不法行為法のもとでは、原告が製造者側の過失を立証しなければならず、それが訴訟への大きな障害となっていた。一九九五年に施行された製造物責任法は、文言上は合衆国と同様に無過失責任を採用するかにみえたが、日本で採用された「無過失責任」は、消費者よりの合衆国と比べて、かなり制限的な基準だった。たとえば、日本の製造物責任法はいわゆる最高の技術水準の抗弁を認め、「製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、(中略)その欠陥があることを認識することができなかった」場合には、賠償責任を免除している。」

p90「このように、製造物責任の分野では、交通事故や公害の分野とは異なる制度的諸要素が作用しているものの、ここでもやはり、制度的要因が訴訟を阻害しているといえる。ここでもまた、こういった制度的要因が、究極的には日本的文化の反映に過ぎないのではないか、という疑問が生ずる。製造物責任の分野では、答えはかなり明らかなように思われる。法制度が制約的であるもっとも大きな理由は、消費者の利益を促進するような法制度の実現に対する製造業界の抵抗である。製造物責任法が提案されたのはかなり早く、一九七五年のことだったものの(注目すべきことに、法案の段階では広範な証拠収集手続が盛り込まれていた)、自民党が政権を維持している間は、製造業界の反対で法案は通らなかった。製造物責任法が現実のものとなったのは、細川護煕首相のもとで自民党の一党支配が揺らいだ一九九四年のことであった。
しかし産業界による製造物責任法への反対論は、制度と文化の両面からの議論で固められていた。産業界は、制度面の議論において、日本では製造業者への規制がより厳しいため、製造物の欠陥から生ずる危険が合衆国よりも少ない、とする立場をとった。文化面の議論において産業界は、合衆国は「非難の社会」であって、そこでは自分に降りかかった災難をすべて他人に責任転嫁する個人主義がまかり通っており、こういった欠点のために経済の競争力が損なわれていると主張した。」
※製造業界の反対とは、具体的に何なのか?参照文献もなく、根拠に乏しいように思えるが。なお、このような言い分はアメリカにあったといい、これには参照がある。なお、この分野で訴訟が少ない制度的要因として、クラス・アクションの制度と、懲罰的賠償の制度とみる(p94-95)。

P97-98「日本でも、雇用差別や性的嫌がらせに関する保護は拡大されているが、合衆国と比べると、これらの主張に対して認められる権利や救済はまだ限られている。しかし解雇の局面では、対照的に日本の従業員は合衆国と比べてずっと手厚い保護を受けてきた。にもかかわらず、日本における雇用関係の訴訟の数は、雇用差別のみならず解雇の事件でも、合衆国やその他の国と比べてずっと少ない。雇用の分野では、日本の訴訟率の低さは文化とは無関係だと言い切ることは難しいだろう。この分野ではむしろ、文化は訴訟に対する態度について重要な役割を担っている。しかしここでさえも、日本の法制度や雇用のありかたといった制度的要因の重要性を見過ごしてはならない。」
P100-101「このように、日本では合衆国に比べ、雇用差別や性的嫌がらせに対する権利は弱いものの、解雇に対する法的保護は概して手厚い。しかしこれだけ手厚い法的保護が与えられているにもかかわらず、日本の訴訟率は、雇用差別と不当雇用とを問わずかなり低い。事実、日本での雇用関連の訴訟は、合衆国のみならず、ドイツ、イギリス、フランスといった国と比べても低いのである。
読者は、少なくとも雇用の場面に関しては、日本の訴訟率が低いことの理由は文化にあると思うに違いない。なにしろ雇用は、日本人が特に訴訟を嫌がるはずの緊密な人間関係を伴うのだ。私も、雇用に関する紛争解決において、文化が重要な要因だということに異議を唱えるつもりはない。しかし、訴訟率が低いことの原因を文化だけに求めようとすれば、それは誤りだろう。ここでも、日本で訴訟は低い件数にとどまり、他の国で多くの訴訟が起こされている現実には、法制度といった制度的要因が直接的に作用している。さらに特記すべきことには、雇用の基本構造という制度的諸要因も、訴訟における費用対効果分析に大きな影響を与えるとともに、雇用関連の紛争に対する態度といった文化的前提を形成するにあたって、間接的ではあるが重要な役割を果たしている。」

p105-106「二〇〇一年に紛争処理制度が新設されて以来、個別労働紛争に関する問い合わせや、指導や調停の要請の件数は大きく増えたものの、同じ時期に訴訟件数はほとんど増えていない。川島の解釈に従えば、これは、インフォーマルな手続きを好み、訴訟を嫌がるという強い性向を示していることになろう。
近年の司法制度改革審議会と、これを受けた労働検討会では、個別労働関係紛争において訴訟の利用が少ないことに対し、川島とは別の解釈が示された。それは、訴訟の制度的障害である。……改革審は意見書の中で「ヨーロッパ諸国では、(中略)労働関係事件についていわゆる労働参審制を含む特別の紛争解決手続を採用しており、実際に相当の機能を果たしている」として、日本も労働関係紛争の解決にため諸外国の制度モデルを参照すべきことを示唆した。この示唆には、労働者による申立てを促進することも含まれているともいえるかもしれない。」
※制度の検討委員会が制度論的アプローチをとるのはあたりまえだが。
P107司法制度改革推進本部、労働検討会の検討課題…「このように民事紛争システムが、労働紛争処理において限定的役割しか果たしてこなかったのは、大部分の労働関係紛争が長期的雇用システムを基盤とする企業共同体の緊密な人間関係の中で非公式に防止・解決されてきたこと、(中略)労働基準監督署が(中略)行政指導によって事実上の解決を図ってきたこと、他方、裁判所は、弁護士の少なさ、手続きの厳格さ、審理期間の長さなどによって労働者からはアクセスが困難な紛争処理機関であったこと等によると考えられる。」

P110「日本の訴訟率の低さは、少なくともこの文脈(※緊密な人間関係のある職場を訴えること)では、文化的要因によると言いたくなるだろう。なんといっても、日本の長期的雇用制度—これはしばしば終身雇用制と呼ばれるーーは日本文化の産物で、日本の歴史や伝統に深く根ざしている、というのは一般に常識とされている。しかしここでも、文化と制度との関連性は意外と微妙である。長期的雇用制度の起源についての詳細な研究によれば、この制度は第一次世界大戦前後、高い転職率と企業への忠誠心の低さに対処すべく、産業界が意図的かつ戦略的に導入したものである。当時、鉄鋼や造船といった主要産業は、労働者がより多くの収入とよりよい労働条件を求めて転職していくため、毎年五〇%もの熟練労働力を失っていたこういった動きを封ずるため、産業界は、先任順に昇給を認めたり、長期間勤めた従業員に対し手厚い退職金を与えたりするなどのインセンティヴを与えるようになった。その後まもなく、経営者らは、長期の雇用関係を相互義務といった儒教観念と結びつけ、イデオロギー的に正当化するようになった。しかしこの「伝統」の出発点は、転職率の高い熟練職をターゲットにした斬新な戦略であり、雇用者側の経済的合理性に基づいた選択にほかならなかった。」
※「集団主義の産物」という見方ではない。Koji Taira,Economic Development and the Labor Market in Japan(1970)研究を指す。
P111「長期的雇用がすばやく広まり、広く受けいれられたのは、それが歴史的文化的ありようとうまく結び付けられたからかもしれない。そして、バブル経済崩壊以降の何年にもわたる深刻な経済的苦境ににもかかわらず、長期的雇用制度が強く生き残ったのは、この制度が深く日本文化に根ざしているという常識の強さを示す部分もあるかもしれない。実際、長期的雇用制度が文化的産物だとする一般的な見方は今日では実に根強く、労使間の相互義務という観念はもはや「日本文化」の一側面とみなすべきかもしれない。しかし、詳しく調べてみると、この文化の一側面でさえ、産業界のエリートがーーほぼ一世紀前にーー創りあげたものの上に成り立っているのである。起源がいかなるものであれ、長期的雇用制度が日本社会に深く根を下ろした以上、この労働構造は労働事件で訴訟を提起する際には、大きな制度的障害となっている。」
※文化論の根源論的解釈そのものに困難さがある…

p116「多くの人身損害事件において重要な意味合いをもつもうひとつの社会制度は、医療制度である。日本の国民皆保険制度は、ほとんどすべての人に安価な医療を提供することによって、合衆国であれば訴訟に発展するような人身損害事件の多くを、訴訟に至る前に終結させるのに役立っている。というのも、合衆国では、医療保険に加入していない人は人口の一五%を超え、大きな怪我までカバーする保険をかけていない人はさらに多いからである」
※この部分は、本文ではカッコ内表記。
☆P116-117「私は、文化的要素が重要でないと言おうとしているのではない。いうまでもなく、日本と合衆国の間には、大きな文化や伝統の違いがある。そして、こういった違いは法や訴訟に対する態度に影響を与える。ここまでの事例で注目した文化や伝統の違いの中には、たとえば、日本における平等な取り扱いの強調と、雇用の伝統の相違などがある。訴訟率にそれ自体直接関係するわけではないが、憲法訴訟や行政訴訟において大きな意味をもつ文化的差異として、権威に対する信頼度がある。日本では、公務員に比較的大きな信頼が寄せられているのに対し、合衆国には政府の権威に対するかなりの懐疑の精神がある。こういった態度の裏には、いずれの国においても、長い歴史と根強い伝統がある。
しかし、文化や伝統の違いは往々にしてしばしば大げさに喧伝され、とりわけ訴訟や法意識に及ぼす影響は、しばしば誇張されている。しばしば誇張される固定観念として、日本人が和を重視するという美徳、日本人が調停などの対立的でない紛争解決を好むということ、さらに日本文化における謝罪の重み、といったものがある。ここまでの議論から分かるように、こういった態度の違いは、日米において程度の差はあっても、決して日本特有というわけではない。」
※ただし、日本でも時系列でみれば悪化しているという見方もありえるか。

P123「むしろ行動様式の違いは、文化によるものではなく、制度的・構造的要因の影響によるところが大きい。さらに、訴訟の事例でみたように、合衆国でも、より緊密な地域社会の事例では、日本の常識ととてもよく似た側面が明らかになった。」
P124川島(1967)p98-99からの引用…「アメリカ人は法律、規則、約束をよく守り、またよくそれを利用する国民である。(中略)日本人が人の約束する場合には約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情がむしろ大切なのであ〔る。〕(中略)彼ら〔アメリカ人〕にとっては、約束と友情とははっきり別のものだ」
P135-136「少なくとも友人間の場合、「契約社会・合衆国」のイメージとは裏腹に、アメリカ人回答者のうちで、借用書を取るほうが望ましいとしたのは、半分を大きく下回り、一五%を超えるアメリカ人——何と日本人の五倍以上——が、絶対に受け取らないと回答している。私自身の経験では、こういった調査結果は、まったく驚くべきことではなく、実際の行動様式と大きく食い違うことはないように思われる。川島は合衆国社会を「約束と友情とははっきり別のものだ」とする社会だと表現したけれども、少なくとも友人関係では、アメリカ人は、借用証などの書面なしに、握手の信頼関係でお金の貸し借りをすることが多い。」
※出典は加藤雅信らの調査。

P167「合衆国の歴代最高裁判官一一〇人の中で、三九人は二〇年以上勤めたし、そのうち一四人は三〇年を超えている。そして一一〇人中、七四人——約七割——が一〇年以上勤めた。」
P168「さらに、連邦最高裁判所は毎年多数の上訴の申立て受けるが、ほぼ完全な裁量によってどの事件を審査するか選ぶことができる上に実際にも審査する事件を厳しく絞り込んでいる。二〇〇〇年から二〇〇四年の期間をとると、最高裁判所は毎年約九〇〇〇件の上訴の申立てを受けたけれども、実際に審査したのは一年あたり八〇から一〇〇件程度にすぎない。……
こういった制度上の特徴により、裁判官は一連の判決の中で判例法を発展させていく機会に恵まれる。」
※裁判官は9名だが大法廷・小法廷のような制度はないようである。」
p171「二〇〇六年現在、ブッシュ大統領はこれまでの五年半の任期の間に、拒否権は一度しか行使していないが、法律の明確な趣旨の一部ないし全部に応じないことを表明したサイニング・ステートメントを七五〇回以上付した、といわれる。もっとも顕著な例のひとつは、連邦政府の官吏が被収監人に対して残虐、非人道的または侮辱的な取扱いを禁じた法律改正に対し、ブッシュ大統領の付したサイニング・ステートメントである(大統領はその中で、軍の最高司令官たる大統領として、テロ攻撃を防止する必要があれば、この要件を放棄する可能性があると述べた)。」

p177-178「日本の裁判所はキャリアシステムをとっているため、裁判官は、司法行政に関する最高裁判所事務総局内のさまざまなポストを含め、幅広い職務を裁判所内で経験する。しかし、法務省などの政府機関に派遣される少数の裁判官を除けば、裁判所の外で幅広い政策形成に触れたり、直接政策形成に関与したりする裁判官は少ない。そして裁判所の外での多彩な経験が、合衆国の裁判所による政策形成を支えている要因のひとつである、という私の仮説が妥当ならば、逆に日本において、そうした経験の少なさが消極的な態度をとる制度的要因のひとつといえるであろう。」
p178-179「最高裁判所の一五人のポストのうち、約三分の一が裁判所から、もう三分の一が弁護士から、そして時期によって検察出身が一〜二人、官僚出身が一〜二人(多くは元外交官か内閣法制局長)、一人が学者、という内訳である。内訳が常に一定であるだけではなく、裁判官出身者が裁判官出身の最高裁判所裁判官を引き継ぎ、同様に弁護士出身者が弁護士出身を、検察が検察を、学者が学者を、というパターンが根付いていった。言葉を換えると、これらのポストは、それぞれの職にとってのいわば既得権とされていった。さらに法曹三者に関しては、名簿に登載される最高裁判所裁判官候補者の決定は、裁判官出身者については最高裁判所、検察出身については検察上層部、弁護士出身については弁護士会の執行部、とほぼ各職業団体に委ねられているようである。最終的な任命権限は、内閣総理大臣の代表する内閣にあるが、内閣総理大臣もたいていこれらの推薦に従っている。内閣が通常は法曹三者の決定を尊重してきたのは、ひとつには法曹三者が内閣にも受け容れられるような候補者を推薦してきたことにあるとはいえるだろう。それでも、アメリカ人の目からすると、驚くべきことは、裁判官選任過程に時折政治が関与することではなく、むしろ逆に、政治のもつ役割が限られていることにある。選任過程における政治的党派性の強い合衆国に比べれば、日本における選任過程は非政治的にみえる。」

p182「こういった知見に基づき、ラムザイヤーとラスムーセンは、精緻な理論枠組みを提示した。彼らの結論は、「日本の司法の独立性は、実質的に制約されている」というものだった。彼らの知見によれば、自民党既得権益に反する判決を下した裁判官は、昇進過程において不利益を受ける。したがって、裁判官が将来の出世を気にかけるならば、自民党の利益に従った判決を下すほうがよいことになる。
こういった動機づけの体制を敷きまた維持してきたのは、最高裁判所事務総局である、とラムザイヤーとラスムーセンは主張している。……しかしラムザイヤーとラスムーセンは、さらに本人—代理人理論に依拠して、この政治的色彩の濃い動機づけ体制を最終的に支配しているのは、さらに高いレベル、すなわち自民党そのものにある、と主張する。」
※「レヴァイヤサン」1998春号にて、邦訳もある。「日本における司法の独立を検証する」。「もっともラムザイヤーらの説明によれば、こういった自民党の支配は目につかない形で行われている。事務総局は、自民党の選好をよく理解するようになり、表立って指示されるまでもなくその利益を守るような行動をとっているのである、と結論づけている。」(p183)しかし、これにはジョン・ヘイリーが「何らかの政治家が直接ないし間接にも介入したという証拠を一切見つけていない」と反論しているという(p183)。
P184「ヘイリーは、下級裁判所の裁判官は、彼らの出した判決如何によっては、後の昇進に関して不利益を受ける場合があるというラムザイヤーらの説明を受け容れている。しかし、この不利益は、最高裁判所事務局の意思によるもので、政治家によるものではない。」

P185「ラムザイヤーらが分析した事件を個別の事例ごとに細かくみていくと、政治的信条により不利益が与えられているとどこまでいえるのか、それ自体に議論の余地がある。私に言わせると、ラムザイヤーらの調査で明確となったが、彼らが重点をおかなかった二つの要因、事件処理の効率性と判断の正確性、には注目する必要がある。」
P187「ラムザイヤーらが事件処理の効率性について得た知見は、効率性が強調されるあまりに、裁判官が事件を早く処理しなければならないという圧力にされされている、という根強い批判とまさに整合する。このような圧力が、裁判官によって画一的に事件を処理しようとする動機につながり、新たな法理論を試したり創造性を発揮したりするのを妨げるのだとされる。このような批判的見方からすると、事件を慎重に扱い、自らも事件や政策的側面を調査し、新たな法解釈を編み出したいと思う裁判官も、事件処理の効率性を求める圧力のために思うようにならないことになる。
法的判断の正確さが重視されることも、裁判所の政策形成への取り組みを阻害しかねない。もちろん、正しい判決を得ることが裁判の基本だということを争う人はいないだろう。しかし上級審で覆されることを恐れるあまり、裁判官がリスクをとるのを避けようとする危険性も伴う。つまり、裁判官が既存の先例に疑義を呈したり、制定法に対して新たな解釈を施そうとしなくなるおそれがある。その結果、服従や統一性を求める不当な圧力がかかる場合がある。」
※この点はアメリカではどうなのか。また、ここではキャリアを積むことの実際上のメリットについてもよく考察する必要があるだろう。ただし、ラムザイヤーらの言説が自己実現的予言となる可能性も当然認める(p188)。
P188「日本の最高裁判所裁判官の任期が短いことは、日本の裁判官にとって、判決の積み重ねを通じて徐々に判例法を形成する機会が、合衆国の最高裁判所ほど恵まれていないことを意味する。」
※これは妥当な主張と言えるか微妙。「日本の裁判官」という表現は極めて不適切。そのような関わりをする裁判官はありえてもわずかしかいない。なお、95-06年までに退職した裁判官26名の平均在任は5.7年(p189-190)。

P190「二〇〇〇年から二〇〇四年の間に、最高裁判所は一年あたり八〇〇〇件から一万件にも上る上告を受け付けた。……合衆国の最高裁判所は、審査する事件数を非常に厳しく制限し、審査しない大多数の事件については申立てに対しなおざりな扱いしかしない。これに対し日本の最高裁判所は、申立てのなされる事件のうちかなり多くのものに対し審査を続けている。このため、裁判官がひとつの事件に割くことのできる時間は、限られてしまう。」
※あまり客観的な根拠の提示はないが…
p205-206「江戸時代までさかのぼっても、日本の裁判機関は、私的秩序の形成について重要な役割を果たしてきた。しかし歴史的にみて、裁判所には支配者に対して判決を下す権限は与えられてこなかった。明治維新の時代にドイツの影響力が強かったことも、裁判所には一般に他の権力機関の判断を覆す権限がないという考え方を強めた。裁判所には違憲立法審査権は与えられず、行政事件も特別の行政裁判所しか扱えないとされた。このため占領当局の戦後の改革も、立法府や行政府の行為を審査する司法府の権限がきわめて限られていた伝統を背景に行われた。さらに、私人間の問題に関してもドイツのモデルは、裁判官は法を創造するのではなく法を適用するのだという哲学を基本としていた。この哲学は、法とは統一的で安定したものであり、裁判所は正しい法を見出して適用するのであって、これを改変するものではない、ましてや政策形成などしない、という考え方を強調するものだった。」
※これに続いて伊藤正己判例法主義を引用するが、判例は法と言い切ってよいものなのか?

P208「判例とは常に進化し変化にさらされるものだという考え方を強めていく合衆国の法学教育に対し、日本の法学教育は、先例とは統一的で安定したものだという考え方を育てている。つい最近まで、日本の法学教育でもっとも重視されていたのは、事件の事実関係よりも、法的ルールや理論だった。」
※法の解釈は結局これにある。
P209「しかし、私の考えるところでは、日本法に関するもっとも重大な誤解のひとつーーそして、私がこの本で扱おうとする最後の「誤った常識」であるがーーは、日本の裁判所が法を創ることはない、という考えである。均質性や安定性が強調され、法学教育では政策問題が回避されるにもかかわらず、日本の裁判所には、少なくとも私人間の秩序の形成に関しては、法理を創造してきた歴史がある。」

P217「(※再審の)第三の障害は、再審を受けるために必要とされる証拠の基準である。この基準を満たすには、二つの困難があった。第一に、実際に要求される証明の水準が高かった。一九五八年の最高裁判所判決は「『明らかな証拠』というのは証拠能力もあり、証明力も高度のものを指称すると解すべき」だとしていたし、そして、高等裁判所も「再審請求人の無罪を推測するに足る高度の蓋然性のあるものでなければならない」と判示していた。後者の文言には、「疑わしきは被告人の利益に」という基準が適用されないという証明水準をめぐる第二の争点が絡んでくる。最初の訴追ではこの基準が適用となり、検察側が合理的疑いを超えた有罪の証明をしなければならないが、再審はこれと異なり、再審請求者が無実を証する責任を負い、有罪であるとの合理的疑いがあるだけでは足りない、というのが裁判所の見解だった。」
P218「一九五九年、日本弁護士連合会は、この状況を緩和すべく立法による改革を求める運動を始めた。一九六一年には、再審を認める画期的判決が下され、しかし一九六二年には再審請求を棄却する判決がいくつか続いたため、この問題に対し世間の注目が集まった。これに応じて一九六二年、国会では衆議院法務委員会に小委員会が設置され、再審制度に対する調査が始まった。最終的には立法運動は失敗に終わったものの、日弁連、学者、再審申立人支援運動家たちは、注目を集めたいくつかの事件の中で改革を求める運動を継続した。そしてこの運動は一九七〇年代中頃にかけて高まりをみせていった。そこに、一九七五年、白鳥事件最高裁判所第一小法廷判決で、画期的な判決が下された。そこで最高裁判所は、再審を認める判断基準を大きく変更したのである。」

P226「冤罪事件は、日本の刑事司法制度のさまざまな側面に関わる議論にも影響を及ぼした。四人の無実の人が死刑になりかけたということで、日本国民の間に懸念が広がり、裁判官・検察・刑事被告人弁護人の間で自省・反省が公になされた。団藤(※重光)が最高裁判所を退官した後に積極的に活動したこともあり、これらの事件は死刑廃止運動を勢いづかせ、その動きは一九九〇年代前半にかけてさらに強まった(しかしこの動きは、地下鉄サリン事件によってしぼんでしまったといえる)。」
P231「一九五〇年代後半から一九六〇年代初頭にかけて、銀行などの企業で働く女性や、彼女たちを支援する弁護団は、雇用条件に関する性差別に対し訴訟活動を開始した。」
※具体的にどのような活動をしていたのかは書かれていない。
P236「合衆国では、一九七〇年代から性的嫌がらせの法理が発展してきたが、日本において性的嫌がらせは、法的現象としては一九八〇年代末までまったく知られていなかった。」
P236-237「しかし中でも、実質的にもっとも大きなインパクトがあったのは、一九八九年に「セクハラ」という新語打ち出したことだったかもしれない。」
※言葉自体はこれより前にあるようだが、運動で用いられるようになった、という意味だろう。

P239「理由がある場合には予告要件が免除されると二〇条に明記されていることに照らすと、雇用主は三〇日分の賃金さえ払えば理由のない場合にも労働者を解雇できる、との解釈は当然のように思われる。これは、当初の法学社の間では、一般的な見解であった。初期の判決例も、この条文を同様に解釈していた。いわゆる「解雇の自由」を支持する判決である。しかし一九五〇年代半ばまでに、下級裁判所においては、解雇の自由を制限する壮大な判例法体系ができあがっていた。」
P240「この引用(※1951年の判決文)からは、解雇に関する初期の議論における四つの主題を読み取ることができる。第一に、戦後の経済的荒廃が強調され、これによって裁判所が雇用の安定を重視する立場が前面に出てくる。第二に、雇用主の交渉力の優位が指摘される。さらに、ここで引用した判決文には、労働基準法二〇条の妥当な解釈に関して裁判官の間で戦わされたふたつのほうり、正当事由と権利濫用の両方が示されている(注目すべきことに、解雇の自由の立場は、考慮される法理ともみなされていない)。」
P242「このような(※東京地裁の一部の者の法理形成の)努力にもかかわらず、この説(※正当事由説)はまもなく廃れてしまった。その後五年間で、正当事由説を採用した判例は全部で五件した下されず、東京地方裁判所からは一件も出されなかった。そして一九五五年以降、この説は判例からはほとんど姿を消した。一九五一年以降、ほとんどすべての事件は権利濫用法理を採用している。」
※これのついては、正当事由説が制定法上の根拠を欠くから、というより、正当事由の法理に柔軟性がなく、事件ごとの調節がききづらかったことを挙げる(p242-243)。当時のレッドパージに対応するための権利濫用法理についての裁判官の発言の引用がある。

P247「一九七〇年代後半から一九八〇年代にかけて経済が右下がりになったころ、解雇に関する事件で下される判決には、伝統的な終身雇用制について、かなり詳細な叙述が表立ってなされるようになってきた。そして解雇に対する制約が厳しいのは、この制度の直接的な帰結であり、その裏返しにほかならない、と論じる学者が多かった。しかし、こういった議論は、解雇権濫用法理が発展する初期の段階で、「伝統的」「終身」雇用制度のもった意義を誇張しているように思われる。」
P248-249「このように、長期的雇用の伝統は、後の時代には解雇を制限する重要な理由となったが、裁判所が労働者への保護を拡充しつつあった当初の一九五〇年代初頭の判決では、労働者の経済的苦境への懸念がもっとも大きな理由であった。判決では、弱者である労働者の保護と、より強い立場の当事者が関係を終了させようとする場面で関係を維持する必要性とが一貫して強調された。こういった理由づけは、翻ってみると、日本の典型的な判決のパターンとぴったり符合する。すなわち、既存の人間関係と既存の秩序を維持することで弱者を保護しようとする判断様式である。」
P257「(※交通事故訴訟において)まず課題となったことのひとつが、事実認定手続きを簡素化することである。……事実認定を効率化するため、小川(※善吉)判事は自ら東京地方検察庁を訪れ、次席検事に対し、すべての交通事故に関して警察の実況見分書を提供する道を開くよう依頼した。検察庁法務省と協議した結果後、この要請を断った。しかし裁判官側はそれでも提供にこだわり、その後裁判所、検察、弁護士会三者会談を経たのち、警察の実況見分書を提供することで合意にこぎつけた。」

P267「日本では、第二七部の改革は裁判所が試みても不自然ではないという考え方が強かったようにみえる。裁判官のとった行動は、法曹専門家から大きな社会問題への待望の効果的対応策として受け入れられ、しばしば賞賛された。これに対して、合衆国で大規模不法行為訴訟の処理を合理化しようとする裁判所の努力は、ずっと冷ややかな受け止め方をされた。訴訟を効率的に処理しようと裁判所が創造性を発揮した事件は、しばしば上訴で覆された。その理由としては、裁判官の権限を逸脱し、立法府のすべき行為とした、あるいは、個々の事件相互の差異を軽視した、というものが挙げられた。」
アメリカの議論は参照あり。「こういった合衆国における批判は、「訴訟における個人主義的志向」に基づくところが大きい。その背景には、裁判所が事件を個別に判断するのではなく、一括して統一的に処理するのがどこまで許されるかについて、根本的な哲学論争がある。」(p268)
P267-268「第三章で論じたように、このように問題を立ててみると、制度の背後にあるさまざまな動機が明らかになってくる。その中には、裁判の効率性など、きわめて便宜主義的な動機もある。他方で、日本文化に深く根ざしたと思われる態度もみられる。その一例として、川島であれば、和解は和を保ち、形式的判決よりも優れたものだという考え方を示すだろう。」
※便宜主義的発想もまた、文化の産物だといえなくもないが…
p269「この(裁判の)個人主義的志向には、さらにさまざまな前提が控えている。ここではその中から三つの前提を指摘するにとどめよう。第一に、すべての事件はそれ自体独特のものであり、またすべての当事者は個別に判断を受ける権利があるという基本理念であるーーある学者は、これを「自然法」に基づく権利とまで言っている。第二は、損害賠償額の標準化が、とりわけ時間の経過とともに、実際上低い額にとどまってしまうのではないかという基本的な懸念である。これは日本でも指摘された点である。第三が、裁判所の複数の事件を一括して処理することによって、「侵されるべからざる(中略)弁護士—依頼人関係」を侵害することになる問題である。この点が、交通事故の分野における日米間の相違点につながる。」
※「単純化してしまうと、合衆国においては、弁護士の数が多いこともあり、人身損害事件の訴訟を少しでも簡素化しようと、多数の弁護士の生計を脅かしかねないものと受け取られる。」(p270)

p271「交通事件解決制度の運用の実態を超えて、その制度がいかに生まれ、また維持されてきたのかを探ると、そこには、ラムザイヤーと中里の言う「合理的選択」だけではなく、典型的日本人が調停を好み統一性を気にするという「文化的」要因とともに、少ない弁護士という「制度的」要因がみえてくる。文化と制度は分かちがたく関係しており、ともに合理的選択がいかに働くかに影響を与えるものである。」
p289-290「おそらく、ラムザイヤーとラムスーセンにおいた仮定のとおり、裁判所は自民党の利害に関わる問題に関与したいとは思わないだろう。しかし、それ以外の分野については、裁判所には政策判断をする用意があるといえよう。しかしここでも、公害や雇用差別、解雇、賃貸借契約といった問題をとると、昔から自民党に多額の政治献金を行ってきた大企業や大地主にとって大きな関心事であり、自民党の利益に関わってくると考えざるを得なくなる。」

小池和男「日本の熟練」(1981)

 今回は、遠藤のレビューで取り上げた小池和男の著書である。小池が何故人事評価の制度をめぐって「誤解」をしたのか、それを日本人論に対する見方から説明することできるのではないのか、という点を課題としていた。今回は本書と「学歴社会の虚像」(1979、渡辺行郎との共著)及び「日本企業の経済学」(1986、青木昌彦中谷巌との共著)の最初の小池執筆部分のみを読んだ上でのレビューとなる。
 結論から言えば、日本人論の影響も強く受けているが、そもそも「日本の熟練」においても、ほとんどの場合で根拠に基づいた議論を行う際に、それがあまり正当性のある根拠でないにも関わらず、自らの仮説が正しいことを確信し、用いているということができる。遠藤は「日本の熟練」においては、まだ仮説的態度を取っており、「日本企業の経済学」では確信的態度を取っていると評したが、この見解は妥当であると言い難いと思う。

 確かに小池自身「常識」的に語られる日本人論が「無根拠」であることについて強く批判をしており、そのような議論が特に教育の分野に見られることを指摘している。これは無視できない前提である。

「あまりにも事を調べずに「常識」が横行している、というおそれがあった。社会問題のどの領域にも、誤解や調べもしない言説は存在する。なにも教育だけの特徴ではない。だが、こと教育に関しては、それがとりわけ多すぎるという印象をぬぐい去ることはできなかった。「学歴社会」は当然の事実として、すべての論議の前提とされ、どの学校をでたかで昇進がきまるかのごとく思いこまれ、学歴による所得差が大きいと信じられる。
とりわけ我慢がならないのは「日本蔑視」の主張であった。「欧米」は学歴社会でないかのごとき言説であった。社会現象はこみ入っているから、ある国の特徴をいうには、どうしても他の国々と比較しなければつかみ難い。……それでも丹念に追い求めれば、せめて一部分は比較できるのだ。たとえば学歴別賃金格差がそうである。それすら行わず、日本を「学歴社会」ときめつけ、欧米を非学歴社会というのは、経験科学のルール違反ではなかろうか。」(小池・渡辺1979, P182)


 ここでのポイントは、「根拠」の提示のされ方だろう。小池が批判をするのは、まさに「無根拠」の日本人論に対する批判であり、そのためにその批判材料を集めるという作業を行っている。しかしながら、

(1) その根拠というのは、あまり精度の高いとは言い難いものによって示されていることも多く、
(2) 「日本の悪い点」を除去することが優先された形での立論を行うが故に「無根拠」が持ち込まれる部分がありうる

と言える部分があるということを指摘しておきたい。


○「曖昧な根拠」をどのように用いればよいか?
(1) については、学術的な議論を行うという意味では、それ自体で決して悪いものと言い難い。特に小池がいうように「実証性」が乏しい状況における議論というのは、それ自体で貴重でさえありうる。そして、小池にもこのような自覚があるようで、本書p23-24のような主張はまさにその現われである。しかし、このことと「仮説を真として断定」することは全く意味が異なるのである。特に本書p11のような「断言」を行う根拠として、p2で語られている順位「のみ」で語ってしまってよいものか?

 P2-3で語られている業績というのは「学歴社会の虚像」が出典で、渡辺が分析したものである。渡辺は昭和10年から12年生まれの「会社職員録」のデータベースから上場企業の課長職の出身大学の人数を分子とし、各大学の『卒業者』を分母にした形で「課長率」なる指標を作成した。そして3年間分の大学別課長率のランキングを作成したのである。
まず、小池は、「銘柄大学」について、何故か東京大学京都大学に限定してしまっているが、これは分析者の渡辺の見解と異なっている。渡辺はこの結果について次のように傾向を指摘している。

「(1)いわゆる銘柄校がほとんど上位にランクされている。やはりこれらへの指向が強くなるはずである。
(2)それにしても東大、ことに京大の値が意外に小さい。実業界に関する限り、これら二校の優位はそれほどでもないのではないか。
(3)南山をはじめとする、戦後派の非特定銘柄校が上位にあるのが見逃せない。本人の実力さえあれば、少なくとも課長クラスまでは学校銘柄による差別が無視できるのではないか。
(4)総数の順位では低い、滋賀、群馬、福島などの地方大学が浮上している。地方大学はもっと見直されるべきでないか。」(小池・渡辺1979,p129)

 渡辺の分析結果では、3年間のランキングで「慶応」「一橋」は安定した上位校であり、南山大や地方大学もランクしている内容となっており、確かに偏差値による序列がされている通りの順位にはなっていない。しかし、銘柄校(一流校)がどの大学なのかは大きく解釈が異なるものであるし、渡辺の作成したランキングをどう読むかというのは、3年間の結果で順位の変動もある程度認められるが故にかなり困難である。さしあたり渡辺は銘柄校はやはり上位に来たとみたにもかかわらず、小池にはそう映らないらしい。これは「銘柄大学」を東大・京大の「二強」と思われる大学としか解釈せず、それらの大学は順位が低いから、「学歴社会」は成立していない、と言っているのである。ここでは、「学歴社会」の意味さえも極めて狭く解釈しなければならないにも関わらず、小池は拡大解釈、あろうことが普遍的解釈を試みている(いや、断言している)のである。

 続いて、小池は各大学の「卒業者数」が渡辺の調査課長率の分母と言い切っているが、これは誤りである。実際は「就職者数はもちろん、卒業者の数も知ることはできない」ため(小池・渡辺1979,p127)、文部省「全国大学一覧」から入学想定年度の各大学の入学定員に若干の補正をかけた上で(※1)、これを疑似的に「卒業者数」として推定したに過ぎない。このあたりの状況についても小池はなんら言及していないため、あたかも「卒業者数」が確定できたかのように語っている。これについては脚注をつけるべき内容だろう(※2)。


○「無根拠」の導入と「二分法的世界観」が関連する可能性について
 更に、小池はこの議論から極めてきびしい「競争社会」が成り立っている、と述べている点も無視できない。ここでの趣旨は『「学歴社会」が成立している状況では、競争原理ではなく「学歴」が評価指標として作用している故に競争が作用しない』という暗黙の前提のもと、『学歴社会でなければ競争社会である』と言っている点である。これらの想定はその前提自体がおかしい。学歴社会が機能する是非と競争社会が機能する是非が関連性をもつことについて何も根拠を示していないのである。小池は学歴社会が成立していない状況においては、競争社会が成り立つことを確信しているようである。それはまさに「学歴」というバイアスがないからであるから、と見ているようだが、消極的な理由提示でしかない。

 このあたりから(2)の議論が関連してくる。まず、この「競争社会」の意味合いについての確認が必要になる。小池は恐らく「企業内において切磋琢磨する気風がある状況」についてそう読んでいる節がある。というのも、この競争社会の状況がそのまま本書の「日本の熟練」につながる部分にもなっているからである。この「熟練」については、日本の雇用期間が長いということが大きな理由であるようにも思われるが、単に雇用期間が長いだけでは、「熟練」しているかはわからないのである。そこで小池が用いているのは「ブルーカラーが多様な職場を経験する」ことや「評価される場面が職場の数だけ多様である」こともそうだが、「競争を阻害する障壁が少ない」ことも要因としている節がある(cf.p27-28)。本書自体がバラバラの論文をまとめたものであるため、関連性を直接言及している部分はないものの、「健全な競争性は豊かな熟練を生む」という前提も小池は持っているように思えるし、「学歴社会批判」もその文脈に含まれていると思われるのである。

 「規制なき所に競争あり」という前提は小池自身が経済学部教授といった世界にいる人間だからこその発想ではないかとも思うが、いずれにせよこれについては(※5)根拠を提示していない。あれほど「無根拠」を批判しているのに、である。小池の批判は自分自身にはあてはまっていないようである。
 そしてこの理由は、「思い込み」と言ってしまえば簡単だが、より正しくは「二分法的世界観」に捕らわれすぎている、というべきではないかと思う。このような世界観においては、

(ア) 概念の整理ができていないままにキーワードを用いてしまうこと(半ば無理やり二分法に還元してしまっていること)
(イ) AとBを完全な対立概念とみなすことで、「非A」を「B」と取り違えること

が大きな問題となる。小池の場合は「競争社会」と「学歴社会」という二分法的理解がそうであるし(※3)、更に言えば、「能力」と「資格」についても同じような解釈故の誤読が多く見受けられる(※4)。そして、(2)の議論というのは、(イ)を前提にすることにより発生してきている問題なのである。

 また、このような論法を導入を可能にしているのが「日本人論」として位置付けることのできる「学歴社会論」なのであった。小池自身は決して日本の絶対優位の説明を行うために「能力ではなく、学歴で人物評価される」という意味での学歴社会論として「否定的な日本人論」を批判している訳ではない。特に「日本企業の経済学」では雇用の議論を逆に読み、「中長期的な生産減少の状況においては、アメリカのような短期雇用者の解雇ではなく、長期雇用者の解雇となるため、その影響が大きくなる」としていたりする(cf.青木・小池・中谷1986,p37)点からも、状況によっては日本の制度も危うい点を持っていることを認めているのである。しかし、当時の日本の企業制度が注目されているとみている点(cf.p27)からも、小池の中には海外と比べ一定の優れた制度であるという確信はあったと解してよいように思う。だからこそ、誤解されうる日本人論は排除しなければならない。そのような態度がありきで議論していることが種々の議論の曲解につながっているという疑念はどうにも晴れない。


 最後に遠藤の小池批判の妥当性についての話をしておきたい。遠藤が用いた本書の引用部(p30-31)は、小池を過大評価したものと思えるが、同じように、1986年の著書の引用についても小池の言い分を字義通りに受け取っていいのかどうか疑問が出てくる。渡辺の議論を曲解したように、聞き取り調査の内容についても何らかの曲解をもって下記の「査定の用紙」「文書はだれも見ない」という言葉が選ばれている可能性があるのではないか。遠藤の主旨はこのような「査定」が客観的になされており、日本のそれとは明らかに異なること、「査定用紙」は査定される本人も確認するような制度があるため「誰も見ない」などということはありえない、ということだったが、小池のこの主張は主張以前の問題を孕んでいたのかもしれない。本書を読む限り、そのような可能性を否定できないのである。

「私がヨーロッパやアメリカで二十社前後の大企業を短時間のききとりで見たかぎりでは、まず内部昇進優先でないところを見たことがない。内部昇進する場合、つまり課長のポストがあいたら次にだれを上げるかというときに、通常はその下の係長になるわけですが、その際も結局、直接上司の「査定」によるという点ではまったく同じです。査定の用紙というのを見せられましたが、これはどの国でも似たようなものであって、だいたい翻訳しあっているのではないかと思いますが、ほとんどそういう表向きの文書はだれも見ない。結局は感じとか、主観でやるよりしようがない。これも共通のように思われます。」(青木・小池・中谷1986,p34)



※1 正確に言えば、「該当年生まれの課長が大学に入学した年度の当該大学の入学定員を母集団にして計算したものである。ただし、医学部、教育学部はすべて除外し、理学部と文学部は卒業数(入学定員)の四〇%を加えている」(竹内洋「競争の社会学」1981,p101)。つまり、上場企業であることを鑑み、企業就職をしない学部の人数は除外し、企業就職を想定しづらい学部については母数を減にしているのである。このウェイト付けについては、何らかの調査で想定数を決めるべきではなかったかとも思うが、それ自体で悪いとも言い難い。これが仮説的議論であるならば、これをもとに議論を深めていけばよいだけであり、それなりに意味のある内容であったように思う(実際に竹内がこれを追試したように)。むしろ問題なのは、小池のようにこのような不確定な内容をもって、あたかも確定した内容であるかのように結果を取り扱う態度の取り方である。

※2 そもそも論をしてしまえば、渡辺行郎のランキング作成自体に欠陥が存在することについては、竹内洋(「競争の社会学」1981)の指摘がある。分母の数字は大学の入学定員によって算出しているが、私立で想定されやすい水増し入学を取り扱っておらず、更に、非上場企業の課長は含まれていないことも影響があるという(cf.竹内「競争の社会学」1981;p100-103)。これらのバイアスをクリアするため、大学別入社人数を把握できる「会社就職案内」の数字を母数にして比較を行ったところ、就職年や事務・技術職の差が多少あるものの、概ね銘柄大学が有意で高い課長率になることを示している(竹内1981;p104⁻114)。なお、竹内のいう銘柄大学の範囲は旧帝大レベルの国立大と早稲田・慶応あたりに設定している。

※3 実際の所、「学歴社会」という言葉を用いるとき、この「中学・高校・大学」という学校種の格差の議論と、学校別の格差の問題というのがあまり区別されずに議論されていることが多く、まさに小池の主張もそのような節があるということだろう。小池の議論において「中・高・大」の格差が欧米よりも日本が小さいのではないか、としている部分はそれなりに他の論者も肯定しているように思う(有名なものとして、石田浩「学歴取得と学歴効用の国際比較」1999『日本労働研究雑誌』第41巻第10号、p46-68 URL: http://db.jil.go.jp/db/ronbun/2001/F2001050123.html)。しかし、学校別の格差はそうとも限らない。このようなズレがあるからこそ、「なんとなく」用いられている言葉でも、分析する側まで「なんとなく」用いるのは問題がある。

※4 確かに小池の言う「能力観」は部分的には説明が行なわれている(p32,37,38)。しかし、「幅広い経験」が何故他企業での転職によって失われるような性質のものなのかについては何一つ説明を行っていない。結局「一企業に一つの熟練」があることを言いながら、その「熟練される能力とは何か」問うことがなければ、無根拠に「年数を重ねれば熟練度は増す」ことも前提にしてしまっているのである。これも「能力」と「資格」を対比し、「資格」を否定すれば「能力」が保障されると考えているからこそなせる業である。

(5月20日追記)
※5 この二項図式についての見方は、小池個人に極めて強いこだわりがあるということが明らかになったので、消去しておく。


(読書ノート)
p2-3「上場会社の全課長の出身校をしらべた貴重な業績がある。その人数を出身大学関係学部の当時の卒業者数でわった。大学別の課長昇進率をくらべたのである。「学歴社会」なら東大や京大が群をぬいて多いはずなのに、結果は大ちがいで、東大は一〇位に近く、京大にいたっては二〇位あたりにある。……
ここから示唆されるのは、わが国の企業が実にきびしい競争社会だ、ということであろう。「学歴社会」という思い込みとのくいちがいがはなはだしい。雇用問題をとりあつかうのに、「学歴社会」にふれたのは、この甚しいくいちがい――わが国産業社会の「文化」への誤解が、雇用問題を一層悪化させていると思われてならないからである。わが国は「敬老の精神」にみち、役職も年功に応じ、中高年は篤く保護されてきた、という理解。だから、その「過保護」を少しくずしてやや競争的にすることは悪いことではあるまい、という考えが根強い。だが、そうしたわが国産業社会の「文化」への理解は、はたして実態に合っているのだろうか。「学歴社会」が思い込みでしかなかったと同じく、中高年への過保護が誤解でしかないとしたら、いや、わが国がむしろ「超先進的」な競争社会だとしたら、中高年に競争を導入させよとの考え方は、中高年を激しすぎる競争の犠牲にしたうえに、若者を極度に尊重することになりかねない。年来わたくしはこの思いを禁じえない。」
※出典は「学歴社会の虚像」(1979)。この事実が直ちに競争主義に結びつくことは断じてない。むしろ学閥の方がもっともらしいのでは。しかも、過去に学歴社会が根強かったということ自体は事実である(官僚の登用と、それに従属した民間の採用は、戦前期について竹内洋が実証済みである)のに、それをなきものにしようとするような言い分はいかがなものか。

P8「図のしめすものは一目瞭然である。わが国の学歴格差はアメリカよりはるかに少ない。総じて、わが国企業社会の、他国に先んじた平等化傾向、したがって競争性が示唆されよう。」
※出典はアメリカは1960年の国勢調査、日本は1971年の「賃金構造基本統計調査」。なぜアメリカの調査は1960年のものなのかが納得できないが…
P11「わが国の企業社会が競争的であるのは、なにも報酬の面だけではない。昇進にも認められる。この文章のはじめに、学校歴と昇進の関係にふれたのは、まさにこの点を強調したかったからだ。常識に反し、銘柄大学をでていれば、昇進にいちじるしく有利だ、という状況は存在しない。仕事をめぐる激しい昇進競争が示唆される。」
※結論を急ぎすぎていないか?

P11-12「まず、定年直前、最も役職につく割合の高い五十代前半をみよう。旧(※制)大卒でなんらかの役職についている人々は八〇%、旧高専卒八五%、他方、旧中卒の六七%が役職についている。たしかに部長につく割合は旧大卒五〇%、旧高専卒三〇%、旧中卒一〇%弱。しかし、一方旧大卒の六分の一ほどが平職員にとどまっているのに対し、旧中卒の三分の二が役職(※係長以上)につき、課長次長クラスが四二%にものぼる。学歴による差はあるが、決定的なものとはいえまい。
※昭和51年賃金構造基本統計調査が出典。これを根拠に「おそらく学歴をこえた昇進競争がくりひろげられているのであろう。」とする(p12)。学歴社会論が決定論的解釈に基づいていると確信しているようだが、その根拠もない。また、ここでの状況は海外比較がない。また、旧制については初等教育卒の割合がなぜかない。

p16「図?-7をみると、まず常識どおり、勤続一年未満の比重がアメリカできわめて高い。わが国の九%に対し、アメリカは二三%と、実に四分の一近くに達する。その大軍がたえず動いているというイメージがえられよう。だが、これをもってアメリカが流動的と即断してはならない。勤続十五年以上層もまたアメリカがわが国を上回る。わが国の一八%弱に対し、アメリカは二三%近くに達する。
要するに、アメリカには極度に流動的な層が大量に存在する一方、わが国以上の長勤続層がある。定年がわが国より遅いから、これをもってすぐさまわが国より定着的とはいえまいが、長勤続層は明らかにわが国より厚い。」
※同じデータはp118に表でもある。
P20「しかしとにかくも法律の規定があり、なにもない場合よりも保護があることになる。それがさきの勤続構成にあらわれている。その勤続構成からみて、わが国長勤続層は最も競争にさらされているとみるほかない。」
※これは欧米では勤続年数が短い層もいる反面、長い層もいることの説明として、法や制度上の保障を得ているから、という説明である。しかし、日本にはそれがあてはまらないため競争社会だといいたいらしい。

P23「結局くらしの必要から、異質の仕事で出なおせば、長い間つちかった熟練は無駄になる。中高年の職業転換は、本人にとってのみならず、国民経済からみても大きな損失になる。他方、若者の職業転換能力はどうみても高く、したがって失業期間は短くてすむ。なによりも無駄にすべき経験ははるかに少ない。
 にもかかわらず、今日の議論は、政労使ほぼ一致して「受け皿論議」に集中する。中高年の排出やむなしとして、その再就職先の開発に注目する。」
p23-24「わが国は「終身雇用」「年功制」で中高年をあまりにも保護してきた。それを少しくずして競争的にするのは悪いことではない、と。だが、その『大義名分』がいかにわが国産業社会の「文化」の誤解にもとづくかを、よみにくいまでに数字をあげてわたくしは説いてきた。わが国企業はむしろ超先進的な競争社会で、すでに中高年を激しい競争にまきこみ、大きな損失を余儀なくされている。わが国の「超先進国」を「おくれ」と誤解する常識のもたらした傷ましい被害のひとつである。」
※役職別の平等観、学歴別の平等観、勤続年数の誤解などを指摘しているものの、それは競争の激しさの程度を何一つ説明していない。競争の激しさは能力指標がまず明らかにされ、それに基づいて能力による差のある評価がされているかどうかで確認することができるが、日本がこれにおいて主観に基づいていることはむしろ小池が気付けなかった部分であり、逆に日本が客観的だと小池自身が結論づけてしまった部分でもある。

P25「わが国の企業社会は、多くの問題をはらみながら、しかし調べれば調べるほど、すぐれた性質や芽ばえが発見できる。……すぐれた芽をたしかめのばすことが、われわれのくらしにとって大切だと考える。」
☆P27-28「このごろの日本の企業社会は大いにもてはやされるようになった。……同時に、その良さが保てるかどうかという心配も広がってきた。この上なく確実に、また世界に比をみない速さで押しよせる高齢化の影響への心配であり、高学歴化への心配もつけ加わる。
 さしあたり、その心配ももっとも至極であって、評価した理由そのものが、高齢化や高学歴化とぶつかってしまう。普通の説明によれば、おそらく賃金や役職への昇進が「年功的」にきまっており、それによってくらしも仕事もほぼ保障される。その保障によって心安んじて働く、というめざましさがあった。ところがまことに簡単な算術によって、高齢化、高学歴化がこの保障をくずしてしまう。心安んじて働くことがかなわず、日本経済の「活力」が失われるのではないか、という心配である。
 だが、わが国企業社会の持ち味ははたしてそのようなものであろうか。右の通念は、衣食足って礼節を知るという古典的アフォリズムに、あまりにも寄りかかりすぎていないか。衣食足ったが故に礼節を欠くようになったのが、先進国一般の通弊とみる議論さえある。さまざまな国で手厚い保護があれば、欠勤者の著増や、いわゆる先進国病の症候が蔓延するかにみえる。なぜわが国はそうでないらしいのか。
 わたくしは、わが国の企業にはめざましい人材育成の方式があったと考える。それ故に日本経済に「活力」があったし、いまもある、と思う。たんに「心安んじる」だけで、どうして人はよく働き、「活力」をきずき上げえようか。それがあまりにも豊かであったために、空気のようにその大切さに気づかず、結果的におそろしく蔑視してきたのではなかろうか。八〇年代の企業社会を考えるとき、このおそろしく蔑視されてきたものを、改めて確かめる必要がある。さもないと、いたずらに杞憂し、真の問題を見のがすおそれがある。」

P30-31「ある評価評価者がある人を低くDと評価したとしよう。つぎの時期の評価者がその人をAやBと高く評価し、さらにその次も高く評価すれば、さきDと評価した人の目が問われる。こうした過程で一種の相場ができやすい。
全くの憶測だが、この点で欧米の企業とちがいはしないか、そこでは直接上司の評価が決定的で、それ故抜擢もできようが、評価に相場性がやや少なくなり、直接上司との結びつきもかえってつよくなるのではなかろうか。」

P32「情報はひとりでに集まるものではなく、組織内の上下左右の人のつながりを通じてよくなされる。すなわち情報収取能力はすぐれて「人柄」の問題でもある。さらにこれらを結びつけ、人をひきつけるプランを考えだす企画力が必要である。そしてなによりも、その企画を実現している力が大切である。いわゆる根回しがこれに相当しよう。……根回しとは上下左右を見、そこを動かしていくことにほかならず、誰にまずあたりをつければよいかなど、すぐれて組織の内実の察知洞察に属する。総じて、めざましい作戦力・戦闘力をいうのであって、いわば全人格を投入した能力の発現とみるべきであろう。これをよくアンケート調査などにみられる「協調性」や「人柄」といったことばの通常のひびきに解消してしまうのでは、重大なことが見のがされてしまう。他面、これほど全人格的な投入であるが故に、「人柄」としか現わせないともいえる。」
※この指摘は別の著書のこの部分と密接に関連する。
「さて、こうした実力について、企業の側はどのように評価しているかを知る手がかりとして、しばしば引用される日本リクルート・センターの調査を、ここでも利用しよう。それは従業員一〇〇〇人〜四九九九人の三三七社の人事部長に対するアンケート調査である。それによれば、専門性、基礎学力という、前記(イ)にもとづく実力というのは、大卒者が十分に備えていると評価する者はきわめて少なく、逆に、不満を示す回答が四割以上に上るという結果がでている。評価する企業の多いのは、社交性、協調性であって、六割弱を数えている。一般常識にいたっては、評価する企業が五%強にすぎない、という惨めさである。
結局、大学での講義などを通じて育成され、またその育成こそが大学の主要な任務のはずの実力に対しては、多くの企業が低い評価しか与えていない。ただし、この社交性については、多少の注釈を必要としよう。それは、ふつう考えるつき合い上手とか、人をそらさないとかいった能力であることはたしかである。けれども、一流企業のホワイトカラーの間では、企業に蓄積され、また生みだされるいろいろな情報に通じつつ、それらをバランスよく消化し、また、情況に適応していくことをも意味するようである。」(小池・渡辺「学歴社会の虚像」1979,p23-25。なお、この部分は渡辺執筆部分。)

p32-33「もし目先の売上げだけに目を奪われた仕事しか評価されないなら、国家百年の計とはいわないまでも、長期の目くばりを誰がするのだろう。たとえ少数でも、企業内で長期のことを考える人材が再生産されているかどうかは、産業社会にしめる大企業の実際の役割が大きいだけに、由々しい大事である。どうやらその点でもわが国大企業の選抜方式は目をくばっているようだ。
要するに、将棋の駒の肩の地点まで多数が一線で昇進していく。これを「年功制」などと称するのは、およそその内実に目をふさいだ言ではなかろうか。」

P37「わが国大企業のブルーカラーが幅広く経験するとは、このキャリアが広いことをいう。ただし、よく誤解されることがある。幅広くと動くといっても、全く無原則にいろいろな仕事につくのでは決してない。あくまで関連の深い仕事群のなかでの移動である。」
P38「第二に、やや間接的な影響だが、広い視野がこの幅広い経験から導きだされる。よくわが国の労働者は自分の会社にとじこもり、社会的視野に欠けている、といわれる。だが、広い社会的視野を充分にもつのはなかなか難しく、ヨーロッパなら自分の職業しかみないということになりかねない。比較してどちらがやや広い視野をもつかが大切であろう。企業内に幅広いキャリアをもてば、関連する部門をよりよく知る。」

p48「しかし、(※日本的労働慣行は)あくまで前提にすぎず、少なくともわたくしの知るかぎり、確かな資料によって裏づけられたことはない。いや、この前提に疑いをもつ人々こそ、丹念に統計資料をさぐりつづけてきた。」
※批判もまた根拠に基づいている、ということはそのまま受け入れることができない。
P66「企業福祉について、ささやかな国際比較を行ないたい。そこには全く相反する二つの思い込みが存在しているからである。そのひとつは、いうまでもなくわが国に長く君臨してきた考えである。かつて(あるいはいまも?)企業福祉は企業家族主義をあらわし、日本特有と思い込まれてきた。企業福祉の存在そのものが。ときには日本の特徴と考えられさえした。のみならず「自由な市民」を創出するために、暮らしへの企業の手厚い配慮、労働者の企業依存を壊さねばならぬ、という主張が強かった。その暗黙の前提は「自由な市民」からなる西欧では、企業福祉などがあるはずがない、という思い込みであったろう。この思い込みから引き出されるのはつぎの予測であった。わが国が企業福祉に手厚いのは、社会保障が未発達だからで、社会保障が深まっていけば、企業福祉はしだいにその座を社会保障に譲っていくだろう。たとえば、老齢年金十分なものになれば、退職金は少なくなっていくだろう、という予測であった。」

P181-182「よく、わが国の労使関係は家父長制的だ、といわれる。ドア(※ロナルド・ドーア)はこの説明を否定する。……(※パターナリズムを示す)第二のモノサシは、仕事以外のことも重視するか、それとも仕事中心かである。わが国は前者で、企業がくらしの面倒をよくみている。だが、この仕事以外をも重視する点は、パターナリズムとはちがう。パターナリズムのもとでは、くらしの面倒は温情である。ところがわが国のは、制度化され、契約化されていて、パターナリズムの温情とはちがう。第三に、企業への献身がみられるが、それは創立者などの個人への献身ではなく、企業という組織への献身である。パターナリズムとはいえない、とみる。そして、これらの特徴は、イギリスの組織の一部にもみられる。軍隊、公務員、警察である。これらをパターナリズムといわないかぎり、日本のしくみもそうよべない、とドアは主張する。」
※なお、第一のモノサシは世襲の有無。この主張がなぜ正しいのかよくわからない。ドーアがそう言ったようだが。ドーアの出典は「イギリスの工場・日本の工場」。
P192「なぜくどくどと日本男子高年労働力率のめざましい高さを説いてきたか。かかって昨今大いに論議されている六〇歳定年制の意味をはっきりさせたいからである。鉄鋼や私鉄の交渉があり、六〇歳定年制は注目を集めている。だが、それは六〇歳まで働くかどうかという問題では全くない。定年が六〇歳に延長されようがされまいが、人々はもっと高年まではたらいてきたし、いまも働いている。先にみた五五〜六四歳層の、高くそして低下しなかった労働力率が、それをありありとしめす。」
国勢調査のデータからは、1955-1975年の3回の調査で、65歳以上の労働力率は5割を超え、60-64歳も概ね8割を超えているとされるのと全く噛み合っていないという議論。そしてこれはヨーロッパ、アメリカの調査よりも大きい(cf.p190-191)。

P194-195「七八年現在、大企業でもざっと四割の企業が六〇歳までの雇用継続をすでに行なっている。「定年」が六〇歳に及ぶのは二割にすぎないが、再雇用や勤務延長で四割になる。とはいえ、六〇歳をこえるものは少なく、まして六五歳までとなるとわずか一%にすぎない。他方、小企業では、ざっと三分の二近くがすでに六〇歳ないしそれをこえる雇用継続を行なっている。しかも六五歳に及ぶのは、「定年なし」を含め三分の一近くに達する。この数値は企業規模三〇人以上のものであり、もっと小さな企業も多く、実際にはさらに高くなるだろう。」
P208「大企業では周知のように、五七歳前後を定年としている。すでにその後も働きつづける以上、定年制とは、労働市場からの引退ではもちろんなく、大企業からの強制離職、中小企業への強制移動にほかならない。なぜわざわざ強制移動を行わねばならないのだろうか。」
P209-210「高年者であれば、おそらく長年つちかった技能があろう、それを無駄にしているなら、国民経済にとっても無駄となる。」
※このことは何一つ立証されていない。

P219「とりわけ、長年の経験が主に企業内でいろいろな仕事をこなすことによって形成されてきた以上、そこになんらかの企業的特性がのこるのは、むしろ当然の結果であろう。それを充分発揮するには、つとめ先を変更してはむずかしい。それ故にこそ、「同一又は類似」の大半がつとめ先をかえずにすんだ人々なのである。われわれが注目すべき六〇代前半層では、それが一二%ていどにすぎないことが、重ねて注目されねばならない。長年つきかわれた技能のほんの一部しか活用されていない。高年者本人にとってのみならず、国民経済的にももったいないといわざるをえない。」
P238-239日本の1970年調査、ECの1973年調査を見る限り、日本の女子労働力率が低いとはいえず、むしろ「最も高い国のひとつといわねばなるまい。」
※これがEC77年調査になると急激に労働力率があがっており、日本が出遅れる(p245)。これはアメリカも同じ傾向(p247)。
P265府県間の賃金格差は64年から78年の間で大きく縮小している
※これをもって小池は「地方」が貧しいという偏見を打開しようとしている嫌いがあるが、割合のみで見ている問題であることや、事実やはり東京、大阪の収入が大きいという事実からも、相対的に貧しいという見方は可能である。これに対しては生活コストの問題を提示するが、主観の域を超えているのは何故か病床数の比較だけである(p266-267)。