D.W.プラース「日本人の生き方」(1980=1985)

 本書はライフヒストリーの手法を用いて、日本人の生き方、特に成人し年を重ねていく中で、どのような人生を送ってきたか(送ろうとしてきたか)に着目した研究である。
 まずもって、ライフヒストリーの手法という意味では一種の模範となる一冊ではなかろうかと思う。記述についてもそうだが、4人の日本人へのインタビュー事例に加え、それぞれに関連性をもつ日本の小説を引用しながらそれぞれの人物の生き方を捉えていく方法も興味深い。

 本書でこのような手法を取り入れたのは、私のレビューでも取り上げてきている「日本人論」への一種の批判的理解と、二項対立的に捉えられがちな日本人論に対して、そこに回収されないような議論の重要性を感じ、その理論化に向けて示唆を与えるためである。その作業が本書でどこまでできたかには議論の余地があるが、少なくとも「日本人が同調主義・集団主義的だ」という言葉で片づけられないような選択を行っていることを、その個々人の生き方を描くことで示すことができているのではないかと思う。事例の一つとして「嫁と姑」に着目した章があったが、この両者の関係性として、まず嫁は姑に従い、自らを殺さねばならないという意味で極めて同調的に振舞わねばならないとされているが、そのような関係性は永続的ではなく、姑が老いていくにつれていずれは嫁がその独自の役割を担わなければならないという意味で自律的でなければならなくなる、といった説明には説得力を感じた。

 もっとも、日本人と西洋人を比較するという意味ではどうしても片手落ちである部分がある。本書では「個人主義」についての西洋におけるステレオタイプ的見方を述べている(p315-316など)ものの、それが実際の認識として正しいのかどうかは別問題であり、実証性には乏しい。また、日本人への理解についても、特にp317のような捉え方には極めて違和感を感じる。やはり本書全体としてアメリカ人に対する内省を促す意味合いが強いことを否定できず、西洋との比較という意味での「日本人論」として本書を捉えることには問題点も大いにあると言わねばならないだろう。


<読書ノート>
pvii-viii「本書は日本論ではなくて人間論なのだといえば、いささかおこがましい誇称となってしまうであろうが、少なくとも一種の現代文化論であるとはいえると思う。たまたま日本が舞台となっているが、本書のほんとうの主題は、今日のすべての高度産業社会に共通に見られる「文化の貧困」問題なのである。」
pviii-ix「アメリカにおける「文化の貧困」は、成人が社会的人間としてどのように成長していくかに関する適切な場の理論を欠くというところにある。この点に関しては、私たちアメリカ人は、いくつかの弱々しい温室育ちの理論しかもっていない。
そこで、アメリカの読者には、日本人の人生を知ることによって、対人関係のなかでの相互的な成長としての成熟をとらえる見方を理解してもらいたいと思う。そして、そういうふうに成熟を理解することが、個人主義イデオロギーによって著しく妨げられてきたということを、はっきりと認識してもらいたい。」

pix-x「日本の問題は、おそらく、人間的成熟を個性化としてとらえる新しいビジョンをつくりだすという点にあろう。そしてここでもまた、その課題への答えは、国際貿易によってえられるものではなく、日本の内部から生みだされるものでなければならない。個人主義という輸入イデオロギーは、政治的参加の権利をめぐる諸問題の解決にはいくらか役立つかもしれないが、長期にわたる人間的なかかわりという、より大きな文化的問題に関しては、たいして役に立ちそうもない。」
px「表向きのイデオロギーは、もっぱら、日本には独特の集団主義エートスがあるという信念を鼓吹しているからである。しかし、本書でとりあげた日本人の身の上話を検討してみれば、日本の人びとが、社会的人間としてだけでなく個人として自分自身が成長を続けることにも深い関心を抱いていることがわかる。また、たとえば柳田国男のような人の著作に目を向ければ、人びとの個性化ということや個性をいかに涵養するかということに関して、日本の民衆の間に、豊かな思想の伝統がたしかに存在していることもわかる。
 この伝統を甦らせ、そこから新しい日本製の個性のビジョンをつくっていくことは、むろん、日本人の仕事であり、日本人でなければ果たせない使命である。」

p8「というのも、日本人に対してよく使われる表現を用いて、自我を社会のなかに「埋没」させた「依存的」な人間、「エゴの境界が弱くて容易に外からの浸透を許す」ような人間として日本人をとらえるならば、それは西洋人の基準からみて未成熟な人間ということになるからである。……日本人についてのこうした紋切り型のイメージは、自我と世界についての認識の伸展、他者の身になって心を配る能力の深化、自分の個人的経験を広く応用する能力の増大、といった点を無視している。しかし、これらの点こそ、どこの社会でもそうであるように、日本においても、成熟した人間のしるしなのである。
成熟した人間のもつこうした特性がどのようにあらわれてくるかを、個々の日本人の生活史の展開に即して示すことができれば、私たちはたぶん、誤解を招きやすい前記のイメージの修正に向かって歩みだすことができるだろう。」

p78-79「男も女もほぼ同じことを教えこまれたのだが、女性の場合、純粋な行為への道筋は、公的な役割ではなく、私的な役割に結びついていた。女性が自分の純粋な誠意を形にあらわす最善の道は「良妻賢母」になることであった。……だが、戦争が最悪の状態におちいったときでさえ、女性を兵隊にとるということを本気で考えた日本の指導者はいなかった。西洋では女性も軍隊に入って補助的な役割につくことができたが、日本ではそれさえ考えられなかった。女性の入隊を認めるという方策が問題になるとき、いつも返ってくるお決まりの反論は、もしそんなことをすれば、この戦争によって守ろうとしている理想そのものを放棄してしまうことになる、というものであった。」
※一応日本研究者の参照となっている。

p172「だから、メディアのつくるイメージのなかでは、昭和ひとけたタイプはどこかちょっと普通でない人びととしてあらわれる。彼らは、人なみに青春を楽しむということがなかった。戦時の混乱期にぶつかって、青春を奪われてしまったのである。……
見田は、あらゆる年齢層にわたる成人を対象として、日本の近代史のなかから最良の時代と最悪の時代を選ばせるという調査を行なった。最悪の時代に関しては、年齢および性別に関係なく、ほとんどすべての回答者が、戦時中および戦後直後の時期を選んだ。(一パーセント以下ではあったが、戦時中こそ日本にとって最良の時期であったと答えた人びとがおり、その大部分は、戦時期に戦闘年齢にあった男性であった)。しかし、最良の時代に関しては、明白な世代差があらわれている。全世代を通じて現在(1955年以降)が日本の近代史のなかで最良の時代だという人が最も多い。だが、二番目によい時代、つまり最良の時代への票が二番目に多かった時代をみると、各世代とも自分たちの青年期に当たる時代を選んでいる――ただし、昭和ひとけた世代だけは例外である。」

p275「しかし、父は教育パパでした。私をいい大学に入れる方法をいつも考えていました。父は私を学区外の中学校に越境入学させました。でも、これは私にはよくなかったようです。友だちをつくるのに、これまで以上に苦労せねばならなかったからです。父は、書類上、私がその学区に住む親類の家に同居していることにして届けを出しました。」
※昭和22年くらいの話か。

P314「民族誌学の公式に則って、私は、私たち西洋人の抱いている基本観念——成人期の成長と円熟が年をとるにつれてゆがんでしまう性質をもっているということに関する基本観念——を再考してみる必要があるということを実例に即して述べてきた。とりわけ、自我についての考え方や、他者との親密な関係についての考え方に関しては、大いに再検討の必要があろう。」
P315「成熟についてのどんな説明も、孤立的な単子としての個人という観念に基づく程度が高くなればなるほど、社会的人間を無視する方向へと、それていってしまう。ところが、東洋の考え方の伝統は社会的人間という仮定から、西洋での考え方の伝統は単子的個人という仮定から、それぞれ出発しており、この対立が成熟についての東西の対話のむずかしさを助長している。互いに相手側の「成長に関する原型的な考え方」について誤解を抱きがちで、結局、対話はすれちがいに終ってしまうのである。」

P315-316「西洋流の考え方によれば、人間の個性は神によって与えられるものである。のちに発現することになる個性の種子は、すでに受胎のときに播かれている。……そして、動物的な弱さと実際上の必要から、やむなく社会のなかに入っていく。しかし社会への参加は、 人間の価値を減じるものでしかない。最も高度の自己実現は、人間の凡庸な社会の外へ連れ出す頂上体験のなかで達成される。私たち西洋人の文化的悪夢は、社会への卑屈な同調のなかで個人の成長の鼓動が完全にとだえてしまうことである。生涯にわたって、個人的なものを集合的なものから守る努力が続けられ、それが人生の闘いの中心となる。」
P316「個人としての日本人は、「エゴの境界が弱く、外からの浸透を受けやすい」とか、自我意識が社会のなかに「埋没している」とかいわれ、さらには、そもそも「真の」自我意識をもっていない、などとさえいわれている。これを近代化という歴史的な観点からみると、日本はたしかにテクノロジーと制度上の民主化という点では近代化していると認められるが、個人としての日本人が「心理的に近代化」されていない以上、日本の「近代の移行」はまだ「不完全」であるとされる。」

P317「日本流の考え方によれば、人間が他者との関係のなかに入っていくのは、動物的な弱さからではなく、人間的な強さを獲得するためである。……個人の特質は、そうした能力と独特の仕方で「もつ」ことにあるのではなく、それらの能力を用いて何を「する」かということにある。他者に対する自由濶達な感応性を減退させることなく他者に対する責任を果たすこと――これが、生涯にわたる努力の中心となる。」
※一応、ここでの主張については、「私の論点をはっきりさせるため」に「東西の相違を大幅に誇張して述べて」いると断りを入れている(p315)。
P320-321「日本人についての戦後のイメージ、つまり同調主義と「集団に埋没した自我」というイメージのまずい点は、このイメージに頼る限り、日本人の文化的適応性がますます高まり、人びとが平均化して互いに似かよってくるという側面しか説明できないという点にある。他方においての日本の成人は、日本文化の伝統をうまく使いこなせるようになるにつれて、ますます個性化していく面もあるのだが、そのことを説明するうえではこのイメージは何の役にも立たない。そしてこの個性化の側面こそ、私が本書で明らかにしようと努力してきた面なのである。同調主義のテーゼは「人格」と個性とを混同し、また個性と個人主義とを混同している。このテーゼは、日本人の人間観についてよりも、むしろ官僚制化した世界における個人主義の運命に関する西洋人の憂慮のついて、多くのことを物語っているのではないだろうか。」

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その2

<読書ノート>
p21「しかし、能力と能力を担っている人格とを、それほど容易に区別できるものではない。能力を選別し差別することは、人格を選別し差別することにならざるをえない。こんにちの大企業の労務管理は、この点を意識的に利用して、能力の名において政治的・思想的・身分的差別を行なっている。つまり、能力の名において労働者個人を丸ごと差別し、そのことによって全人格を企業に捧げる人間を作り出そうとするのである。ヒューマンリレーションズやガイダンスなどの心理的技術は、この差別の政策を補強しつつ、労働者の人格を丸ごとの支配に貢献させられているのである。」
※「青少年を人格として見ているものではな」いことを批判する(p21)。しかし、能力の有無と、主体化の有無はあまり関係ないだろう。これが機能するのは安易な淘汰が機能する場合であるが、そう簡単に淘汰されるものでもないのでは。

P22「「奉仕の精神」・「根性」・「モーレツ人間」の讃美は、人格丸ごとの支配を簡明に表現したものであり、動物的な性や暴力の讃美は、同じことの裏側である。」
※この言明は、選別の教育と直結している。しかし、この認識自体の正しさが疑わしい。
P23「実際問題として、優秀社員や英才少年が、突如として、じさつしたり、家出したりする。加工されればされるほど、人格破壊が進むからである。差別された青少年の絶望もまた、ちまたに溢れている。こうして、自己をも他人をも傷つけてやまぬ人間蔑視と頽廃とが、暴力や戦争の讃美をともないながら、進行している。生活指導運動は、人間の尊厳を擁護し、人格の自己形成の権利の実現につとめ、能力主義的・軍国主義的人格観と、いよいよ、その対決を強めざるをえない。」
※象徴的事件をどこに見出しているのか。

P26「権力が国民に思想や行動を強要することは、タテマエとホンネを区別する分裂した人格をつくることができても、真の人格をつくることができない。民主的社会・民主的集団のみが、人格を人格として形成することを保障するのである。」
P26「民主的社会・民主的集団は、成員のひとりひとりが主人としての地位をもつ。したがって、民主的人格とは「主人としての人格」であるともいえる。
非民主的社会・集団では、その社会・集団を管理・運営する権限と能力とは特定の一握りのひとびとによって独占される。また独占することによって支配者としての地位を維持するのである。「英才」教育とは一握りのひとびとと、その高級使用人のための教育にほかならない。これに対して、民主的社会・集団では、管理・運営に参加する権限はすべての成員に属し、そのための基礎的諸能力=基礎的統治能力の獲得は、成員のすべてに保障される。」

p35「日本の文教当局者に伝統的な考え方によれば、処罰をしたり、取締りを強化したりして、特定の行動を権力的・暴力的に強制することが指導なのである。そしてその行動に特定の徳目(勤勉・礼節・愛国心など)や特定の感情(汗のよろこび・頭のさがる思い・民族の偉大さなど)を結びつけることが道徳指導なのである。しかし、明らかにしなければならないことは、行動を強制することと行動を指導することとがちがうということである。なるほど、子どもはその強制のなかで、ある種の行動能力を身につけるであろう。犬や猫が芸を身につけるのと同じように。しかし、その過程で子どもの思想・精神・人格がどのように形成されるかは、まったく別のことなのである。」
※定義の仕方によっては全生研的生活指導も、「処罰」を含む。

P46「発達した資本主義国における民主主義は、つねに空洞化されたり、ファシズム化されたりする危険をはらんでいる。民主主義を擁護し、これをさらに発展させていくためには、労働者階級をはじめとする勤労者諸階級の民主主義への要求と彼らのもつ行動能力・行動スタイルを現代の民主主義の内容としてとりこんでいかなければならない。なかでも、労働者階級が発展させつつある連帯と団結を基礎とする行動のしかたと社会的関係のあり方とは、現代の民主主義がその空洞化をさけ、民主主義として存在していくための基本的内容とならなければならない。そして、労働者階級の連帯と団結に立つ民主主義を、「集団主義的」と呼ぶとするなら、そのような、限定された意味で、現代の民主主義教育は集団主義的教育、もしくは集団主義教育という方向性をもっているといってよい。」
※なお、集団主義・集団教育は「ほんらい、社会主義社会での人民による統治の性質」とみなされ(p45)、資本主義社会にあっては「集団主義的教育は存在しえても、集団主義教育そのものは、全面的には存在しえない」とする(p46)。しかし、労働者階級の議論と集団主義教育の関連性はよくわからない。
P45「たとえば、「要求を組織する」ということは、労働運動上の重要な経験であり、子どもの教育にとっても重要な教訓を与えるものである。しかし、現実には「要求を組織する」と称する教育実践には、労働運動上の経験を未整理のまま、手法だけを輸入しているものが、少なくない。……要求=必要は、子どもの主観の外に存在する客観的必然の反映である。従って、主観への反映は、子どもたちの民主的ちからの結集度と行動力とに応じて深化されるものであって、まず要求を組織してから、そのつぎに行動へというような平板な形式図式に従うものではないのである。」
※最後の一文はどのような意味を持っているのか?

☆P50-51「集団とは物質的なものであり、それは物理的なちからとしての存在であるとわれわれは考える。集団はひとつちからになりきらなければ、社会的諸関係をきりひらいていき、変更していくことは不可能である。まして、非民主的な力に対抗していくためには、集団はみずからを民主的なちからに高めるほかないのである。」
憲法上、民主主義が肯定されていれば、このような集団性は不要、という可能性はないのか?
P51「このような集団のちからは、集団がその意志を明確にし、行動をもって相手に立ち向かってくるとき最もよく見てとることができる。たとえば、何者かが集団に対して不利益を与えようとするとき、集団はこれに反発し、対抗しようとする。そこにはなにかしら威圧的なちから、一種の物質的なちからすら感じられる。それが集団のちからーー集団の本質なのである。」
※基本的にこのちからとは「否定」をすることである、と押さえて良いのでは。

P52「われわれがこの集団のちからを教育の問題として重視するのは、こうしたちからの高揚のなかにこそ最も純粋な精神の高揚があり、そして、そこでこそモラルの情熱的な把握が可能になると考えるからである。さまざまな精神的な価値、精神的なちからは、この集団のちからに転化しうるか否かによって検証される。個人主義的な価値は否定され、集団主義的な価値がこの集団的なちからの行使のなかから創造されていく。」
P54「ところで、このような集団(※素朴な学級集団)は、なんらかの意図的な、あるいは法則的なはたらきかけ(指導)の加えられないかぎり、そのちからを気まぐれに、あるいは分散的にしか発揮することはできない。」
※指導が行われることは、リスクの処理ではなく、必然的なものとして語る。
P56「たしかに規律は、集団の内部に対してはきびしい要求となり、批判となり、強制となって現われはするが、それはたんに内部にのみ集中しようとするちからではない。むしろその集中したちからを、集団の外に向かって表現し、発揮するためにこそ求められるものなのである。」
※この規律については、民主的集団の性質として挙げられている。

☆P61「つまり、子どもたちは、いまかれらの必要としているところの力量を、その危機自体のなかでしか学ぶことができない。これが集団の自然発生的な自己運動のつくりだす混乱の原因となっている。したがって、集団は自己を越えた外からの指導を是非とも必要としているのである。教師の指導は、集団のこうした必要を先取りしているがゆえに指導として自己を貫徹しうるのである。その意味では、指導は集団が必要としているものを注入することである。(集団が必要としないものを注入するのが「押しつけ」である。)
また、子どもたちはとかく問題の解消をするだけで満足しがちである。たとえば、学級に暴力がなくなりさえすればいいと考えがちである。それがたんに教師の圧力によって暴力グループが鳴りをひそめたというだけのものでも、満足しようとする。だが、これでは一種の物取り主義的な解決であって、真に問題を解決したことにならない。解決とはその問題にみずからとりくむことによって、集団自身のちからの高揚を導き出すようなものでなければならない。」
※ここで「押しつけ」を定義しているが、このような定義付けが問題。結局その必要性の判断は集団にあるといっておきながら、実際はそうでないからこそ、「押しつけ」がされる状況を批判するときは、集団の状況をなんら考慮しないのである。それが「真に問題を解決したことにならない」からといって、集団の主体性を否定してしまっている。

P62-63「ところで、このような指導は、指導者が集団自体のなかに埋没していては成立しない。その意味では、指導は経験主義とは無縁である。指導は、集団を社会的諸関連のなかで客体としてとらえ、それを認識と工作の対象とするものであるから、指導者が集団の一員であるとないとにかかわらず、それは集団を越えたものとして、集団の外側のものとして成立してこなければならない。いや、指導は、本来、集団を越えたもの、集団の外側のものなのである。」
P63「けれども、教師は集団の外部の者であるがゆえに集団から離れやすく、集団もまた教師の指導を受け入れようとしないという傾向が生じやすい。このことは、集団は普通みずから動くことよりも、むしろ引き回されることの方を好むという傾向と結びついていて、それが管理主義、官僚主義を生み出す原因ともなっている。したがって、教師はその指導が集団の内部に真に定着するために、集団の危機的状況を指摘しつつ指導への要求をひきだし、指導の有効性を証明しつつそれの内部への浸透を図る努力をつねに続けなければならない。」
※逆に教師が集団の内部にいると「指導性を確立することがむずかしくなるという危険性を伴っている」と述べる(p63)。

P64-65「そのため(※指導の持続のため)には、まず第一に、教師こそ自分の実践を自己分析し、総括し、理論化するちからがなければならない。教師自身が徹底した自己批判の精神をもつ必要がある。この自己批判は、たんなる誤りの暴露や、主観的な反省にとどまってはならない。事実関係を徹底的に明らかにしたうえで、その誤りを克服すべき具体的な実践形態をひき出し、指導を回復するものでなければならない。
もちろん、このような教師の力量は教師個人によって獲得されるものではない。教師はこのような力量を教師集団やサークルの実践分析検討会のなかでみんなに批判されて身につけていくのであり、さらに組合活動やその他の民主的運動に参加するなかで獲得していくのである。」
※精神論。ここに教師の環境などについての言及はない。しかし指導については、「組合活動やその他の民主的運動」が大きな要素たりうるものとして位置付いている意味でそれらの動きを捉えれば何が指導を意味するのかも見えてくるかもしれない。

P68「この点についてはあとでもう一度触れるとして、ともかく、指導が管理の強制力を借りなければ浸透しないという事実があるとすれば、それは指導としても自己をまっとうしえないでいることを意味している。つまり、指導は初めは管理のちからを借りなければ指導として成立しえないと同時に、指導は管理のちからに依存するかぎりで自己を確立しえないという困難さがここにはあるのである。」
☆p69「しかしながら、教師による管理、ひろく、集団の外部のものによる管理というものは、たとえ一時的な成功を得ることがあっても、それは決して完成しないものである。集団の外部からなされる管理は、集団にとっては強制的なものであり、権力的なものであるために、集団はかならずこれにたいする反抗や批判を組織する。さらに、集団の外部からの管理はどんなに公平さを装っても、それは絶対に公平なものにはならず、恣意的なものになるほかないものであるために、集団はかならずそれから離反し、それにたてつくようになる。こうした集団の反応をおさえてかかろうとして教師はさらに管理とりしまりをくわえていくとき、教師は必然的に管理そのものを完成することのない管理主義の泥沼、その悪循環のなかにおちこんでいくのである。」
※これはそれ自体正しいといえるかもしれないが、そのような不可能性があるならなおさらのことp21やp35のような批判の仕方が無意味化されないだろうか?さらにはこれに対する反抗も用意されるとなると、独占資本の圧力にも当然のごとく反抗が用意されるだろう。竹内の場合、この差異の説明には「いかなる圧力が与えられているか」という点への徹底的な自覚の促進の有無を加えていたが、本書にはそのような論述はないように思える。ここには主体化のさせ方の違いが認められる。竹内の場合は主体化の根拠が明示されるのに対して、本書では主体化は純粋な対立の力、「集団のちから」にのみ依拠した形が実施されることになる。

P71-72「そのため(※集団による自主管理のため)には、教師はまず第一に、管理に支えられてその指導を貫徹していくことによって、集団をひとつの意志、ひとつのちからに組織し、その決定を集団自身のちからによって実行させていく必要がある。集団がみずから決定したこと、みずからの利益になることを守らなければ、また守るちからを持たなければ、決定は無意味なものとなり、集団はいちじるしい不利益をこうむることになることを具体的に教えつつ、集団内部のなかに集団決定を守りぬいて集団的行動を統制する自主管理を確立していかねばならない。
第二に、教師は、教師の管理、外部からの管理に必然的にともなう不公平さ、権力主義的性格にたいする集団の批判や抵抗を組織しつつ、このような集団のちからに教師の管理権を奪いとらせていくようにして、管理権を集団にかえしていく必要がある。そのとき教師は、集団が外部のものによって管理されることは、集団の自主性、自立性の喪失であり、それは集団の死を意味するものであること、集団が自主管理の力量を確立しえないちきは、集団外部の権力主義的な力がかならず集団の管理権を奪いとって集団を支配しにかかるにちがいないことを教える必要もある。」
※第二の論点については、なぜ「かならず」と述べるのかが問題。

P76「たしかに、これらの(※自然発生的な)グループの間にはなんらからの対立やせめぎあいがあるにはあるが、なにか特別なことでもなければ、おたがいに積極的にかかわりあうことを避けているのが普通である。つまり、子どもたちは学級という集団の一員でありながら、集団内に発生するさまざまな事実・事態を自己の主体にかかわるものとしてとらえようとはしないのである。ただせいぜい自分の仲間うち数人に関わることがらについてだけ、必ずしも他人事でないものを感ずることができるに過ぎない。
しかし、この仲間としてのつながりの意識は、集団的な連帯感というのはあまりにももろい、情緒的・心理的な一種の親近感でしかない。」
p76-77「とはいえ、このような自然発生的なグループは、個人の不安や不満に対する情緒的な保障物としての性格が強く、外に対しては閉鎖的であり、内にあっては許容性・同調性を中心としているために、そこに内面的な規範を確立することは困難である。」

☆p78「いわゆる小集団指導においては、個人の社会的適応ということが主眼とされ、おたがいの特性を理解しあい、認めあい、個人や集団に対する好ましい態度を養うという態度主義が基調になっている。だから、ここでは今日の社会の支配的な政治形態や行動様式などへの同調が重んぜられ、社会的な諸矛盾の解決というような問題は意図的に遠ざけられ、集団における協調主義的な生活技術の習得がその主題となる。その結果集団の性格は情緒的許容性・心理的同調性が中心になり、その指導は技術主義・能率主義・心理主義の傾向が強くなるのは当然であろう。」
※「小集団指導はいわゆる意識操作に重点を置いている」とする(p79)。
P82-83「とりわけ最初は、集団で決定することの重みを徹底して教える必要がある。すなわち、守れないこと、あるいは守ろうともしないことを決定させてはならない。一旦決定したことは厳密に、そして正確に遂行させなければならない。そうしてこそ集団ははじめて決定の主人公として、集団自身のちからをはっきりと自覚することができるのである。」
※このような決定について、修正される可能性は持ち合わせているといえようか?

P97「また、教師が班をつくろうとするとき、班についてのなにがしかの経験、特に誤った経験を持つ子どもたちの間から、「班はいやだ」「班はいらない」というような声の起こることがある。けれども、班についての正しい経験を持たない子どもたちに、それが必要か必要でないかなどわかるはずがない。なによりも最初に班を必要とするのは、子どもたちではなくて教師自身なのだということを、教師の側としてははっきりさせておかなければならない。」
P98「ただし、いずれの(※班編成の)場合も、男女混合で、人数は七人から九人前後まで、そして班長は男女それぞれ一名ずつ藩内で子どもたち自身が互選するというのが原則である。また、班は子どもたち自身のものであるから、いまの班で自分が不利益だと思ったら、いつでも学級の過半数の賛成を得て編成がえをしてよいことも教えておく。」
※記述に矛盾がある。班のつくりかたは「教師が指導的力量と学級の集団状況とのかねあいのうえで、自分が最も指導しやすいように編成するというのが原則である」(p97)としているのに、何故「班は子どもたち自身のもの」と言い切れるのか。「?の場合には、……班内や班相互の対立矛盾を弱くし、さらに子どもの側からは、班は自分たちがつくったものではないために、?の場合以上に教師への寄りかかりや責任転嫁が発生しやすい。」(p99)というような状況でも、自由な班変更がありえるとは思えない場合があるのは当然視されていないか?

P101「わたしたちの直面する学級には、さまざまな矛盾や対立、分裂、抗争がうずまいている。しかも、それらは集団の利益をふみにじり、ひとりひとりを疎外していく力としてはたらいている。そして、こうした矛盾対立のなかで、一般に最もきわだっているのが男女の対立である。
わたしたちが集団づくりをとおして、民主的な思想と行動とを子どもたちのなかに育てようとするとき、この男女の対立の問題を避けて通ることはできない。この問題は、集団づくりの最初からその基底にすえられ、これの克服がめざされなければならない。」
※随分と漠然とした物言いである。そして、実践の取り組みのなかでこれがどれ位取り上げられていたのか?

P104「とにかく最初は、教師の原案に基づいて討議し、決定し、そしてすべての班がいっせいにとりくんでいるという状態が子どもたちの目にはっきり見えるようにしておく必要がある。そして、その原案は、比較的短い期間で、みんながちからを合わせれば少しの努力で達成でき、しかも、そのことの喜びがなるべくわかりやすいものを選んで課題とすべきである。」
※このような原案について否定する論理は存立しえないし、なおかつ将来的な否定も存立しえるように見えないように思える。
P105「このような総会決定の系列からくる課題のほかに、特によりあい的段階では、学級に必要なしごとならなんでも、随時班に与えていくことがたいせつである。無論そこには教師の見とおしに基づいて、しごとの選択とそれをどの班に与えるかという考慮は必要だが、たとえば、「教室のあっちこっちにあるらくがきを紙やすりで落としたいんだけど、一班やってくれますか」とか、「今週のうちに絵をはりかえたいんだが、立候補する班はありませんか」といった具合にやるのである。これらのしごとは、班の全員でやること、とにかく積極的にからだを動かせば達成できること、そしてあまり長期間にわたらないことなどが条件である。」
※これが何故必要なのか、という説明は全く加えられなければ、民主的集団形成との関連性も不明瞭。

P106「これらのしごとのあるものは班単位の当番活動として、あるいは係活動として定着させる必要の生ずる場合がある。この当番活動と係活動とは班の重要なしごととして位置づけなければならない。また、班の活動として忘れてはならないは「集団遊び」に参加することである。」
☆p106-107「学級が集団生活を営むために必要なしごとは、大別すると、管理的、あるいは実務的な性格の強いしごと、より多くの創造性と同時に集団に対する指導性をも要求されるしごとの二つがあると考えられる。
前者に属するものとしては、そうじ、窓の開閉、黒板ふき、備品の整理整頓などのような清掃美化に関するしごと、あるいは、給食など毎日行なう作業的なしごとがある。また、日誌、出欠統計、会計、保健、備品管理などのような事務的なしごともある。
後者に属するものとしては、図書、新聞、飼育、栽培、レクリェーション、掲示などのしごとがある。これらはレクリェーションを除くと、実務的な側面をかなり持っているために、しばしば実務の処理だけに終始しがちである。しかし、図書のしごとなら、全員により多くのすぐれた本を読ませるくふうが必要である。……掲示についても、たんなる実用と美化の観点からだけでなく、学級世論の形成にまでかかわっていこうとするとき、そこにはさまざまな創造的なくふうをとおして集団にアピールしていこうとする指導性が要求されるようになる。……してみると、この図書、新聞、掲示などは、学級におけるプロパガンダアジテーションの役目をになうものとして多くの共通性を持っていることがわかる。」
※問題は、ここでいう「しごと」の性格である。ここでは素朴な学校運営ありきで、その必要性については議論の俎上にあがらず、恣意的な判断となっているように見える。「仕事」の差別化をはかろうとしている意図があるのはあきらかだが…

p107「たとえば、右の当番の場合、最も必要なものは「やる気」である。したがって、たんに請負的なしごとを果たしただけではいけない。その「やる気」をどう導き出すかということが指導の重点になっているわけである。」
p110「わたしたちが係活動においても班競争を重視するのは、それをとおして、しごとのたんなる実務的な処理だけではなく、集団生活に必要なしごとを果たすことの意味、しごとの内容、性質に応じての集団的な行動の組みかた、集団内の指導・被指導の関係や相互援助の方法などを教え、さらに専門的な能力を持った者やそれらのグループを育成することを重要なねらいをしているからである。」
※やはりここでもしごとは、その内容な暗黙のうちに設定され、かつそれが当然必要なものという前提をもってしまっている。

P111「よりあい的段階における班づくりで実践的に最も重要なのが班競争である。言うまでもなく、この競争は、たんに学級の目標やしごとを効率的に速く達成するという結果を重視するからではない。そのかていにおいて、班内の矛盾対立を顕在化させ、これを班と班との対立矛盾に結びつけ、子どもたちん目を学級集団そのものに向けさせていくことのほうを重視しているのである。」
※しごととの関連でいえば、ここでいう対立の性質も重要な問題をはらむ。基本的にここでは「集団に対する認識を高めていくため」という言い方をしている(p111)。
P112「第一に、一見なんの事件もなくおだやかさのなかにあぐらをかこうとしがちな集団に揺さぶりをかけ、ことさらにごたごたをひきおこす。それを班内のごたごただけでなく、班と班との対立、ぶつかりあいとして導き出すのである。そのために、相手にけちをつけ、いがみあい、やっつけあうといった、いわばえげつない争いの方を実践的にたいせつにする。そのわけは、このことのよって、子どもたちはいやおうなく他の班の存在を問題にせざるをえず、班のちからを班の外に向けて相手にいどみかかろうとする、そして、そのためにこそ班の成員のちからを内部に結集し、団結しようとする。」
※ここではやはりしごとそのものに対しては目線がいっていない。この班競争の契機として「ビリ班」「ボロ班」を挙げ、「その班の子どもたちは感情的にいらだ」つことを期待する(p112)。「ほんとうはもっと静かで論理的な説得、自主性を豊かにたたえた指導・被指導関係をつくり出さねばならぬ」が、「最初は情動的な立ち上がりの方をたいせつにする」(p112)。

P114「第三は、競争の結果獲得したものの集団的な利益が、なるべくわかりやすいものでなければならない、ということである。それが利益とわかるかわからないかは、その集団の質にも関係することだが、とにかくその段階でなるべく理解できるものであることが必要である。」
P115「ビリ班一つだけを明らかにすることは、当面最も問題にしなければならない班はどれかをめいかくにし、教師じしんがまずこれにとりくみ、この班をビリ班でなくす課題をもつと同時に、これに対する全集団の直接・間接の指導・援助を要請するのである。万一ビリ班が固定するようなことがあると、他の班はビリ班でない多数のなかに安住することにもなり、集団の発展はそこで停止しかねない。だから、自分の班は今日はビリではなかったが、このつぎにはいつビリ班になるかわからないという危機感がつねになくてはならない。そのために、ビリ班という評価は、決してビリを二度続けさせないという指導の保障がなければならないのである。それでなければ、ビリなどという酷薄な評価は許されない。」
※ビリ班であることに安住する場合も、班を「原則として解体しなければならない。」という(p116)。

P116なぜ優秀班の評価ではだめなのかについて…「第一に、優秀班は固定しやすい。だからいくら努力しても優秀班になれない班は、競争をあきらめるよりほかならないからである。それよりもっと重要な理由は、優秀班が他の班の前進目標になるということは、すでにその学級は、優秀班をめざして努力しうるだけの意欲や力量を持っているということである。それならば、ビリ班などという評価は最初から必要ないことになる。つまり、ビリ班一つだけを明らかにするという評価の形式は、あくまでよりあい的段階の、しかも比較的初期のものなのである。」
※論理的な破綻では。なぜビリ班が固定されないで、優秀班が固定してしまうのか、説明できると思えない。そして、このようなビリ班的見方が実際によりあい的段階に限るものとみなされていたかは議論の余地がある。これは実践例の中でそのようなビリ班が不要だと判断し、優秀班の評価に移行したという例がないのではという問いとして現れる。そもそも、この判断をどう行うのかについては、曖昧では。本書ではp85-90でよりあい的段階から後期的段階までの「すじみち」を示す。しかしそこに示されるのはあくまでもルール、学級づくりの取り決めであり、「自主性」の程度が大きなキーワードになる気配はあっても、それがどの程度か、という点は見えてこない。当然学年別で区切るようなものでもない。「どの班も先進的班を目標として努力する意欲と、そこから確かに学ぶことのできる力量とを持ってくるにつれて、徐々に採用していくのである。」(p117)とはいうが、これは最初からは本当にやれないことなのか?さらに言えば、このようにして形成される班競争というのは、その評価設定を教師が行っている以上、それに強力な縛りを与え、その評価基準自体の否定に至る議論はやはり行えないように見える。彼らが批判するような能力主義言説以上によく訓練され、その基準を肯定する人物像しか出てこないのでは?

P117集団の評価における「管理的評価」と「指導的評価」…「しかし、やがて管理的評価はほとんど必要がなくなり、指導的評価こそ評価の中心になる段階がくる。」
P126「たとえば、ボス的なちからはしばしば気まぐれに、しかも私的な利益のためにのみ発揮されることが多い。しかし、ボスはその指揮力、支配力によってなかまをつよく結集し、かれらをひとつのちから、ひとつの意思に強引に組織して、かれらを行動にたちあがらせることができる。だから、もしも教師がこのボス的なちからをたとえ部分的にでも集団的な目標の実現に結びつけることができるとしたら、それはきわめて強力な肯定的なちからに転化することになる。ボス的なちからは集団を目的的な行動に結集するちからとして働くなかで、みずからを改造してそのちからをリーダー的なちからとして発揮していく可能性をもっているのである。また逆に、リーダー的なちからに転化しないボス的なちからは集団のたたかいの対象として位置づけられることにもなるのである。」
※「ガキ大将への教育」言説と同じ捉え方。

P134「個別的接近とは、集団に対する指導の一部として行なうものであるが、たんに集団から切り離して個別的に指導するという意味ではない。これを個別的指導と呼ばず、あえて個別的接近と呼ぶのは、教育する者という関係よりも、生身の、あるいははだかの人間同志としての接触という点を重視するからである。……愛情を媒介にしてはいるが、相手の人格に直裁に切りこみ、かれの意識に垂直的に迫ることによって、かれを全人格的に奮い立たせるーーこれが個別的接近なのである。」
P140男女二名班長制は前期的段階の一期までで、一名班長制への移行を想定
P142「〈ちから〉を教育の問題として積極的にとりくむことこそ、真の民主的教育を復活させる道だといわねばなるまい。」

P151-152「けれども、万場一致制の成立は原理的には、決定事項に対して集団内部に基本的な利害や意見の対立が存在しないことを前提条件としている。さらに、個人的利益と集団的利益とを統一し、集団決定には自主的に服従するという個人としての主体的条件と、それを保障する集団としての組織的条件がなければ、万場一致制は実質的には成立しえない。言うまでもなくよりあい的段階ではこのような条件は成熟していない。それにもかかわらず、この段階で班一票・万場一致制を採用するのは、そこから班多数決制(前期的段階一期)—個人多数決制(同上三期)—全員一致制(後期的段階)というように、集団のからの発展にみあい、総会が集団における最高の決議機関であることの実質を築き出しつつ、真の全員一致制を導き出すためなのである。」
※竹内が述べていたような論点(※多数者の暴力性)が欠けており、随分と形式化しているように思える。ここでの万場一致制とは、班の万場一致を指す。
P159「学級目標として、たとえば「服装を正しくしよう」とか「授業をまじめに受けよう」などというのがある。これらの目標は、「団結」「友情」などのように、具体的になにをどうしてよいかわからないものに比べれば、当面の目標としてはるかに分節化されており、具体化されてはいるが、それでもつぎのような問題点を含んでいる。第一に、「服装を正しく」などは、教師の管理主義的発想にもとづく場合が多く、子どもにとってそうすることの利益がわかりにくい。第二に、特に「授業を正しく受けよう」などは依然としてまだ具体性に乏しく、その達成度(努力の結果)を明らかにしにくい。したがって、第三の問題点として、その達成状況を具体的に把握し、それにもとづいて集団を評価することが困難である。」
※ここでの「服装を正しく」することを管理主義批判として位置付ける態度は、限りなく恣意的な態度である。そして管理目標の条件として「目標を守ることによって、集団が利益をうけていることがよくわかり、それを実感できるものであること。」などを挙げるあたりは(p159)、子どもの利益になる目標を選んでやることが正しい方法であり、そうでないものが「管理主義」だ、といわんとしているようにも読める。しかしそれこそ恣意的な判断の下にそれを行っているとしか思えない。このような班競争における「否定」の考え方自体が適切と言い難いとも言い換えられるか。

P161「チャイムで着席する」「始業前に教科書を机上に出しておく」ことは管理目標となりうる
P161-162「すでにお気づきのこととは思うが、管理的評価は数量のような客観的規準によって、ほとんど自動的・機械的に結果を出すもので、もしもこれを採用することに指導的な観点が加わらなかったとしたら、厳密には評価とは言えないと思う。」
※「評価」とは静的なものでは意味をなすと考えられておらず、あくまで「指導」の結果に測られるべきものとみなされる。
☆p162「機械的な評価しかしない場合は、日直はいわば点検の機械にしかすぎない。これでは日直の権威を高めることはできない。日直がそこにある種の主観的な、つまり指導的な観点に立つ判断と評価を入れてはじめて、その権威を高めることができるのである。言うまでもなく、このような評価は、集団をじゅうぶんに納得させるだけの根拠に立って行なわれなければならない。」

p164「日直班は日直を続けようと思ったら、総会での支持をとりつけねばならない。そのためには、日直勤務は正確できびしくなければならない。ところが、日直がきびしさを増すと、報復的に逆点検もきびしくなり、こうして日直制をとおして、集団における管理の重大さと、集団をみずから管理するちからとを、恒常的に鍛えあげていくことができるのである。」
p167「そのために、とくによりあい的段階では、無計画な追求を許してはならない。誤解を恐れず言うなら、それは事前に仕組んだものでなければならない。無論その場での随時の指導も必要であるが、それよりも、核の指導によって、集団の怒りはしだいに結集され、集団の中の最も弱い者こそが追求の先頭に立つことができるよう導いていかなければならない。」
p174班競争の糸口になるもの…学習の質として「学習態度・家庭学習・班学習・宿題・学習の計画化」、作業の能率として「時刻・時間の問題の観念・清掃・作業」

p198「これにたいして、人格の教育は、教科指導にあっては、体系的な知識の習得をとおしての科学的・人間的な世界観の形成、法的認識にもとづく自然や社会の改造への意志形成というすじみちをとるのにたいして、他方、生活指導のなかにあっては、それは集団のちからの行使をとおしての民主的な行動能力と目的自覚性の教育、民主的主権者としての統治能力の形成というすじみちをとるのである。」
p199「修身教育体制のもとでは、教科指導は、その根拠である体系と教科内容を宗教的、道徳的、政治的イデオロギーによって歪曲されていたために、教科指導はいうまでもなく「知育」としての性格をもつことができなかった。ここでは、教科指導は徳目主義的な教科内容の注入主義的な「教授」となったが、徳目や規範や規則の教授はすでに「教授」とはいえない。それは「教化」であり、「訓辞」「訓論」に近いものである。教科外においても、訓辞・訓練的方法による徳目の注入がおこなわれ、その遵守が管理主義的なとりしまりによって強制されることになる。このように、ここでは、教授は知育としての性格を喪失して訓育化しており、訓育は訓育独自の方法をもたずに教授的方法に依存しきっている。
また、「生活」教育体制においても、教科指導は、その根拠である教科の体系を生活経験、生活問題のうちに解体させられるために、教科指導はここでも知育としての性格を与えられない。」
※教科指導に対する見方は一見歪だが、この点が特に強調されていると理解すればある程度納得できる。教科指導の科学性など当たり前に思えるが、すでにイデオロギーの介在によりそれができていないという認識があるといえる。しかし、これは受験競争的な学力問題として教科教育を考える際には論点になりえないといえる。

P200-201「教科指導は、教科課程にもとづいて教師と子どもが交渉しあい、教科課程のうちに凝集されている人類と民族の文化遺産を子どもの学力として定着していくことを直接の目的としている。したがって、教科指導にとっては、教科課程をどのように編成するのか、どのような教科内容をどのような教材によって子どものものにしていくのかが決定的に重要な問題となる。……したがって、教科課程の編成は、研究・教育の原則にしたがっておこなわれるべきであるのにもかかわらず、国家権力は法的根拠をもつと称する学習指導要領よよび教科書検定でもって学習課程を政治的野心のもとにおこうとしているのである。」
※なぜ学習指導要領はだめなのか。「国家権力」だからである。
P201「このように、教授=学習活動は教科課程にもとづく教授活動によってリードされるものではあるにしても、それは教授活動によって一方的に学習活動を統制するような過程ではない。教授の過程と学習の過程とは相対的に独立し、相互に統制しあい、移行しあい、統一していく複雑な家庭である。教授活動は教科研究に根拠をもって展開されるのにたいして、学習活動は子どもの内側からつき動かす内的矛盾にその源泉をもっている。」
※言っていることが不可解。不可解たるのは弁証法なるレトリックのせい。

P202「ところが、現在の教材のなかにはその教材独自の教科内容が明確でないものがある。教材によっては、ある経験をさせ、ある態度をならわせればそれでよしとするようなものがある。学習指導要領にみられるような「……ものの見かたを養う」とか「……態度を育てる」といったしろものである。ここでは、教材がストレートに教科目的に癒着させられていて、教材、教材内容、教科内容の系統、教科目的といった区別がつけられていないのである。このようになるのは、その教材が態度主義的、徳目主義的に歪曲されているからである。」
※ここでの問題は、正当な系統なるものに対する説明、その系統なるものはおそらく普遍性を持っているはずなのだが、その普遍性に少しでも言及するような、具体的な議論、これまでの「研究」の成果としての議論が全くない点にある。そのような蓄積なき系統など、系統とはもはや呼ばず、ただの恣意的主観と呼ぶべきではないのか。
P203「このような教材は、実は、教科の系統から遊離した教材であり、教科の系統につながる教科内容を欠いた教材である。教材がこうなるのは経験主義的教材観のためである。」
※色濃い経験主義批判。

P204「教師は学習集団内におけるこのような対立や分裂をきわだたせることによって、ひとりひとりの子どもの学習にたいする主体性をひきだしつつ、彼の個人的思考を活発にしていくと同時に、この分裂と対立をとおして学習集団がより正確に科学的真理の習得をおしすすめ、科学的真理のもとに学習集団の連帯と統一とを回復していく集団過程がそこに展開されるのである。」
※ここでいう「対立や分裂」として挙げられているのは、教材を理解できるか、できないかといったものから、目的を持って学習できるかどうか、科学的真理のもとに生活的偏見を克服できるかどうか、といった子ども間の分裂を意味している(p204)。端的に言えばできる子とできない子の分裂である。この対立の収束は、当然「できる」ことへ向かうのであって、「できない」方へは向かう可能性すら考えないような性質を持っている。その意味で、生活指導とは異なる分裂・対立である。生活指導においては、タテマエ上のみでしかない可能性が大いにあるものの、子どもありきであるという態度をとっている。また、このような主体性の問題は、教科指導の系統性という論点とは全く関係なくと考えても差し支えないように見える。
P204-205「このように集団過程に裏づけられなければ、学習集団はできるものとできないもの、わかるものとわからないもの、学習意欲のあるものとないものに分裂すると同時に科学的認識をもつものと非科学的認識にとどまるものとに分裂し、学級集団はやがて差別的構造を体制とし、解体にひんすることになる。」
※この言い分は何を根拠にしているのか理解できない。ここで失敗していることがあるとすれば分裂の問題ではなく、対立の不適切な形成の問題であろう。あくまで対立の明確化と主体性の引き出し、「科学的真理の習得」が重要とされるのである。ただし、すでに述べたように科学的真理の議論は内容が空疎化している。

P205「どのような集団学習の形態をとるかは、当の学習集団の自己指導力によって決定されるものであって、自己指導力がたかまればあえて集団学習、グループ学習をとる必要はないのである。」
※このような平等感はすでに歪んでいるように思える。ここで議論されているのは体系化された教科学習の議論である以上、常に自己の興味と不一致する可能性を持ち合わせている。この自己指導力なるものがすべての教科(※この教科は既存の教科枠組みでない可能性さえある!)で機能すると考えること自体が歪んでいると見るべきではないのか。当然、この自己指導力は自らが興味を持ち続けるものである限りにおいては正しいだろうが、そこから外れれば自己指導力自体が弱体化するのは必至ではないのか。ここでは「助けあい学習や発表学習やバス学習」の形態の批判として述べている論点だが、このような批判自体が問題含みであるということにもなる。
P207「第二に、それ(※授業における訓育)は授業における集団過程のうえに構築される。とりわけ、それはさきにのべたような学習集団の分裂、対立から再統一の過程のうえに構築される。子どもたちは、まず、自他の学習権を擁護し、行使する学習集団としての規律をわがものにしていく。そして、学習集団の分裂や対立が差別的構造として定着することのないように、これらを目的意識的にとりくむちからを身につけていく。」
※ここでは明らかに学習権=生存権的解釈に基づいた議論を展開する。それは「学習することはあたりまえである」ものか「学習することが注入されねばならない」という価値観をもとにした主張である。あくまでも「授業における訓育は、……教授=学習過程のうえに構築されるのであって、特別に徳目主義的、態度主義的な教育内容を授業のなかにもちこんだり、また、学習態度について特別の説教や訓諭をもちこんだりすることによって果されるのではないのである。」とされるが(p206)、それは班競争において見られたようなあまりにも素朴な規範の押し付けを含み混んでいる議論であるという批判に再批判できないのでは。

P209「これ(※自治的集団)にたいして、学習集団のばあい、学習集団の自己指導は一般に教師の学習集団にたいする指導をのりこえてすすむことはありえないし、そのようなことが目的とされるわけでもない。教師による学習集団の指導は、教科内容の指導に規定され、かつそれと並行して展開されるものであるが、このような教師のイニシアティブをのりこえて学習集団の自己指導が前へ進むことは、授業においては許されない。」
P209「なぜならば、学習集団に自治的集団と同じような自主管理を認めれば、学習集団の管理権は教師の教科内容の指導や学習集団の指導のいたるところで衝突しあい、教授=学習過程がいたるところで分断されるからである。また、当の管理権を委託されたものの、いわゆる学習日直は、管理のために力をそがれて学習に全力をあげてとりくむことができないからである。」
P211「それはそれぞれの教科のそれぞれの教材に応じてその一サイクルの過程をなしており、しいていえば、学習集団の分裂・形成・確立のサイクルは授業の一時間ごとにも対応しているのである。」

P215-216「しかし、教師は学級集団が前期的段階に入っていないときでも、学級集団の形成から確立の問題にとりくまねばならないし、学習内容の形成から確立の問題にとりくまねばならないし、学習内容と学習形態をじしんのものとしてとらえ、それにたいして目的自覚的に、かつ組織的にとりくむような学習集団をつくりあげなければならない。したがって、教師は当面のところ、教科内容の指導を妨げたり、誤まらせない程度において、授業のなかに学級集団づくりの方法をもちこんで、学級集団の指導を展開せざるをえない。つまり、教師は当面のところ学級手段の班を授業内の小集団として、班長を学習集団のリーダーとして活用し、授業内での特殊な指導と被指導の関係、討論の二重方式、班内の学習問題にたいするとりくみかたを教える必要がある。」
※これは矛盾であるかもしれないと認めるが、「教科的力量を第一条件とする学級集団のリーダーは、このような自治的集団をバックとしないかぎり、小集団のなかにも、小集団相互間にも教科的なコミュニケーションを組織することができないのである。」とする(p216)これは当然である。だからこそ、p207のような言い方は誤りである。P207では、教科指導の内容のみによって、対立形成や差別構造の除去ができるかのような語りをしている。見方を変えてしまえば、教科指導のやり方は、対立、差別構造除去の方法を内包していないと言い切ることもできるのではないか??この点は竹内の方が素直である。

P223-224「ところが、こんにち、学習集団の形成をはばむ異常な教育体制が学校を支配しつつある。そのひとつは、学校経営の近代化の一環をなす教育課程管理の「近代化」の動向である。それは、学校教育の目標を測定可能な目標に分解し、その目標にもとづいて教授=学習過程を評定、管理し、その結果をまたテストによって同じく評定、管理しようとするのである。具体的には、教科主任が中心になって画一的な教材解釈、学習指導案をつくりだし、画一的な授業態度、授業展開をおこない、それを学年共通のテストによって評定するものである。このために教授=学習過程のすみずみまで管理、統制がおこなわれ、その結果、教師集団の教材の自主的研究、自主編成の方向が閉ざされ、教師じしんがそれぞれの学習集団に応じた指導を授業内で展開できないという事態がひろがっているということである。」
※ここでいう「近代化」の持つ意味はなんなのか?これに加え、能力別編成は「学習集団を差別的に編成していく方向」であり「学習手段としての統一や連帯を追究していくという課題に置きざりにされる」とし、更に「諸階級、諸階層出身の子どもをひとつの集団に組織し、かれらの生活経験、生活認識を交流させつつ、かれらを科学的真理や芸術的真理のもとに統一させ、かれらをひとつの国民にまで育てていくという近代教育の学級理念にまさに反するもの」と批判する(p224)。

P246「つまり、学校教育は、子どもの教育を受ける権利にもとづいて、子どもの集団に自治権を保障するのであり、その自治権の行使を指導するのである。」
P247「自治権を承認するのは、まず第一に、すでにみたように子どもの教育を受ける権利、すなわち、民主主義的人間に発達する権利を充足するためにあり、また、憲法教育基本法の民主的な政治教育の目的を実現していくためである。……あえてこのようなことをいうのは、われわれの実践の内部に児童中心主義的な発想から急進主義的、主観主義的な自治的活動をゆるし、そのために子どもの人間的発達を逆にゆがめている実践的傾向がないわけではないからである。」
※しかし、実際には自治権の剥奪という発想は、当為論一辺倒の状況の中では想定さえされない。
P248「第Ⅰ章で指摘したように、現代日本の国家権力は、(1)憲法国民主権理念を議会主義、多数決主義、法治主義に歪曲することによって、国民主権の全政治的過程への進出をチェックし、かつ、(2)それによって国民の主権行使と主権者意識をねむりこませようとしている。そればかりか、国家権力は、(3)これらの民主主義に関する幻想的な政治的シンボルによって国民をそのファッショ的、軍国主義的路線に従順ならしめ、(4)さらには、その路線に積極的に翼賛奉仕するような忠誠を国民に仕たてあげようとしている。」
※あまりにも説明が足りない。詳細についてはⅠ章でも指摘されていない。P27では「発達した集団にあっては、管理・運営のある部分を代表に委ねたり、専門家に委ねたりする。このことが民主的におこなわれるためには、すべての成員が委ねたことについての基礎的知識と基礎的能力をもっており、これらによって委ねたことを監督し評価することができなければならない。さらに、必要に応じてはいつでも彼と交替する能力をもっていることが必要である。」などというが、これこそ歪んだ能力観と言うべきではなかろうか?専門家をおいているのに等しい能力を国民全てに要求するという状況において、何のために分業しているというのか?ここで想定されているのはほとんど日本の国家権力なるものが「集団のちから」を要請しないような教育を行うことに対する批判「しか」想定していないようにも思える。

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その1

 今回は片岡徳雄のレビューの際に宿題としていた、全生研のベーシックな著書を読みときながら、「集団主義教育」についての考察を行っていきたい。
 本書に加えて、全生研の主要な論者の一人である竹内常一「生活指導の理論」(1969)も合わせて読んだ。こちらの内容も理論書としては力作であり、本書の議論と力点が異なる所もあったため、両者を比較しながら、集団主義教育の特徴を5点ほどにまとめて押さえていきたい。なお、文章の分量の問題で、読書ノートは別記事で掲載する。

1.「集団主義教育」が「集団のちから」を介した主体論の必要性を説く点について
 本書ではP50−52あたりで指摘されている。竹内も同じ認識で集団のちからについて言及する。

「(※大西忠治による)香川報告書のこの視点(※集団成員の間に矛盾があり、たえず、討議とその結果による相互規制が行われることを集団主義教育の原則に据えたこと)からの集団把握は、宮坂(※哲文)の心情主義的な集団把握とも、エヒメ集研の機械論的な集団把握とも異なっていた。香川報告書の学級集団づくりのイメージは、「個人の矛盾をかきたて、人間評価が常に行なわれるために、「個人にたいする集団の批判会——つるしあげに似たもの」ということばが示すように、集団と集団、集団と個人、個人と個人との対比を激化させるなかで、集団のちからを確立しそのちからの多様な表現と行使を教えていくことが学級づくりの訓練的内容であるとしたのであった。だから、香川報告書はエヒメ集研に欠落していた集団の発展段階を集団のちからの発展段階ととらえ、それを仲間づくりの心理的人間関係の発展段階に対置していったのである。」(竹内1969,p91)
「宮坂は、最後まで、香川生活指導研究会の提案した「討議づくり」を拒絶した。すなわち、集団を物質的存在とみなし、集団のちからを物理的、精神的なちからとみなし、討議をとおしてそのちからを集団の内と外に発揮することによって子どもたちに集団のちからについての自覚を教育しようとする「討議づくり」の構想に反対した。」(同上、p91)

 簡単に説明してしまえば、「集団のちから」とは、「純粋な否定の態度を示す相互行為」に対して与えられた言葉であるといってよいのではないかと思う。ここには「集団のちから」を介さないような、むしろそれを押さえつけるような教育への批判が前提に近い形で存在している(本書p21)。

「子どもは教師またはカウンセラーの援助をえて、欲望抑圧の自我をすて、欲望肯定の自我を組みたてるように導かれる。カウンセリングやヒューマン・リレーションズは、このことによって子どものなかに現状肯定的なものの見方・考え方・感じ方を育て、体制への順応をうながすのである。
事実、カウンセリングやヒューマン・リレーションズによって健全なパーソナリティーがつくられると、子どもは外的世界にたいして肯定的見解をいちじるしく示し、外的世界にたいする批判的精神や抵抗的態度を喪失するようになることは、今日では広く認められている事実である。」(竹内1969,p356)

 「集団のちから」を生かすために教師の役割として期待されるのは、まさしくこのようなちからを積極的に産出していくことにある。素朴な状態にあっては現われてこないような子ども間・集団間の対立関係を表出させながら、自己主張を展開していけるような主体形成を期待している。これは時には旭丘中学校のケースのように、わざと教師から理不尽な要求を突き付け、それに抵抗させることによってもなされるようなものであるといえる(cf.竹内洋「革新幻想の戦後史」p235)。
 このような教師の役割については、過去にレビューしたルネ・ジラールの模倣論を介した学校教育論として読むことと基本的には同じかと思われる。「地下室の批評家」のレビューですでに述べたが、一見するとジラールのいう「悪い模倣」の欲望を積極的に引き出し、主体間で闘争状態を引き起こすのである。ジラールの「悪い模倣」の場合は、これが無秩序状態に繋がり殺戮といった悲劇を引き起こすものと位置付けられていた訳だが、全生研の取り組みはこのような模倣論を積極的に取り入れ、なおかつ「教師」がこの闘争状態を適切にコントロールしながら、子どもの主体化を促進していくのである(※1)。

2.教科指導と生活指導の原理は分けて考えなければならないと主張される点について。
 これも全生研、竹内両方の主張点として一致している。本書ではP200⁻202あたりで主張されている。竹内は次のように述べている。

「生活集団、というよりは自治集団(訓練的集団)のばあいは、生徒集団は教師の指導をのりこえて集団の自己指導をつくりながら、集団のちからと自覚を集団の内外に表現していくことが中心のテーマであった。ところが、学習集団の自己指導は、科学的な教科内容を伝達・教授する教師の指導をのりこえて前にすすむことはふつうできない。同様に、学習集団による自主管理もまた教師の管理をこえて展開されるべきではない。なぜなら、学習集団の自主管理を全面的に認め、教師の管理のいっさいをこれにかえしてしまうとすれば、まず第一に学習集団の管理権の発動と教師の教科内容の指導とがいたるところで衝突しあい、教授=学習の過程が系統的、計画的に展開されず、いたるところで分断されることになるからであり、第二に、自主管理のしごとをしている生徒が学習に全力をあげてとりくむことができなくなるからである。」(竹内1969,p472-473)
このような議論の正当性は、まずもって「教授学的教科指導のための学習集団は、ちょうど科学と芸術が生活のなかからうみだされながらも生活現実そのものではないのと同じく、また、科学的主体・芸術的主体は社会的実践主体からうみだされながらも社会的実践主体の痕跡をのこしているにすぎないのと同じように、生活集団からうみだされながらも、生活集団の痕跡しかもたぬ特殊的に組織された集団だというのである。」(竹内1969,p470)のような関係性から導かれているように見える。また「学習集団の自己指導と自主管理とは、教師の学習集団にたいする指導と管理を最後まで基礎とし、最後までそれと並行してはたらくのだということになる。」(竹内1969,p473)という含みで「学習集団の自己指導と自己管理を認めないということではない。」と言う。要は生活集団による主体性が確保できていれば問題ない、ということである。

 また、この教科指導と生活指導という棲み分けの必要性を議論する際に、この両者が混同されることによる弊害について議論している点も無視できない。つまり、本書p199にあるように、「教科内容を宗教的、道徳的、政治的イデオロギーによって歪曲され」る修身教育体制や、「「生活」教育体制においても、教科指導は、その根拠である教科の体系を生活経験、生活問題のうちに解体させられる」ような、経験主義教育の弊害について指摘するなかで、教科指導の「科学・芸術」性について主張されているという点である。

「これをいいかえれば、自己理解をすすめ、自己実現を展開していけば、その自己実現はそのまま客観的世界の法則を現成していくものであるということになる。つまり、おこないすませば、客観的真理を体現しうるのである。だから、学習指導が生活指導を媒介にしたとき、はじめて真の学習指導になるというのは、それが生活指導を媒介にしてはじめて客観的真理を体得させうるからである。これが真の学習指導の意味であった。宮坂にとっては、教科指導は生活指導をへなければ、客観的真理を体得させることはできないのである。客観的真理への道は学習指導によってではなく、生活指導によって保障されるのである。なんと宮坂の学習指導論が科学から遠く離れていたことか。」(竹内1969,p58-59)
「道徳と知識、人格と知性とが未分化なまま混同されている日本の教育のなかにあって、それを批判することなしに生活指導——人格の指導の側から教科指導との統一を求めることは、両者の混同をいっそう拡大することになるだけである。」(竹内1969,p482)

 全生研の著書においても、ここまで明確な記載はなかったように思うが、概ねこのような竹内の言い分を支持している節があるとみなしてよいように思う。結局、「道徳と知識」が未分化であることと、本書p199でいう「知育としての性格の喪失し訓育化して」いることは同じ状況と言ってよいのではないか。P209にあるように、生活指導と同じような自治的集団の想定をしてしまえば、学習に集中できない、という言い分は、まさに「科学・芸術」の阻害要因として道徳・管理を挙げているからである。全生研の著書では資本主義批判の文脈でこの指摘がされ、竹内の著書ではより純粋な指導論の中から指摘がされていると違いはあれど、教科指導の正当化の論理は同一であるように思える。

 ところが、教科の正当性として語られる「科学・芸術」というのが真の意味で妥当なのかどうか、といった議論は全くなされていない(※2)。これはそのままこれらの言葉で教科教育を正当化することができるのかという疑念に繋がる。それは結局訓育的指導とは異なるものとして位置付けなければならないという「否定の論理」ありきの、内容のない議論に見えてしまうし、更には素朴に必要であると考えられている教科指導に対して、それが子どもたちの議論を経ることなく教えられなければならないという結論ありきの、一種の暴力的な議論にさえ見えてしまう。これは結局「集団のちから」が否定の論理に基づいているちからであるため、教科指導のような教えられるべき知識に対してまで「否定」させてはならない、という要請でしかない。しかし、その「教えられるべき知識」とは何かが全く見えてこないというのは、合わせて「学習指導要領」批判に対する問題点も含みうる。結局学習指導要領批判の要点は、その固定的性質が実際の子どもに教える現場レベルでは学習指導の阻害要因になる、という点に尽きるかと思うが、ここでいう「固定的」なものとは何かを深く問わないということ、逆に言えば、「教えられるべき知識」に対する蓄積が不在なのではないか、という点である。「科学」という言葉は明らかに普遍性を含み、その体系性の強調も一義的な教育内容を想定した言葉である。本来であればそのような議論も含めて教科指導について語られなければならないように思うが、本書及び竹内の議論では、生活指導中心の議論をしているため、そもそも教科指導が付随的な位置付けとなっているためかもしれないが、あまり語られることがないのである。

3.「管理主義」に対する両義的な捉え方について
2.で述べた資本主義批判と生活指導批判が「教科指導」の正当性擁護という論点において奇妙に類似していることにも関連するだろうが、本書及び竹内が議論する「管理主義」というのは、見方によっては明らかに矛盾した捉えられ方をしている。これも重要な集団主義教育の性質だろう。本書p199に見られるように、管理主義教育に対して否定的であることは明らかである。しかしp71⁻72に見られるように、子どもたちの集団づくりの一環の中で、教師の管理から子どもたち自身による管理へ、という段階論が、全生研の集団主義教育にははっきり位置付けられている。ここでは、段階論による説明、及びその管理の性質自体が子ども自身が納得し引き受ける限りにおいて正当化されている事実を押さえねばならない。

 しかし、まず確認せねばならないのは(そして恐ろしくさえ思えるのは)、竹内が結局望ましい生活指導とは、管理主義教育と同じ押しつけでしかないのではないか、という疑念に対しても否定し、むしろそのような考え方自体が排除されなければならないかのような言い方をしている点である。これは、竹内自身の論法が主観的でしかないという可能性についてあらかじめ否定してしまう論法にほかならず、何ら生産性を見出せないのではないか。

「教師は、子どもの生活現実を知っていくなかで、子どもの生活現実についての自分のとらえ方を子どものそれに対置し、そのことによってどちらのとらえ方の方がより現実的であり、より価値的であるかを争うのである。教師は、このことによって、子どもの生活認識、生活感情をくみかえ、子どもの行為を変革していくのである。教師は、このことによって、子どものなかに指導を入れ、子どもの自主的判断をきたえ、自主的行為を高めていくのである。
このようにいうと、そのような指導は教師のおしつけではないかと考えるひとがいないでもない。しかし、そのように考えるひとこそ、じつは子どもの自主性を認めていないのではないか。現実の子どもは教師の指導が正しいと信ずるまでは、絶対にその指導に服さないものである。だから、教師は、子どもたちと現実変革の可能性について、子どもたちの力量について争うのである。この争いのなかで、教師が論理的にも、感情的にも子どもを説得しえたとき、教師の指導ははじめて子どもの内部にはいることができるのである。」(竹内1969,p351-352)
「このようにのべてくると、そのような考えかたこそ、指導と被指導との関係を支配と被支配の関係にしてしまうものではないか、という反論がかならず提出される。しかもその反論はもっともヒューマニスティックなひとから出されることが多い。たしかに、要求としての「指導」は断固として要求を提出し、その要求を貫きとおし、集団を説得しつくそうとするものである。いやそうするほかにすべのない指導である。そのために、要求としての「指導」は集団を支配するかのようにみえる。しかし、そうではない。要求としての「指導」は要求を貫きとおし、集団をある意味で支配しえたとき、指導と被指導の関係を民主的関係に発展させる。少なくとも指導が集団の要求を先どりしえたばあいにはそうなる。いや、そればかりか集団はその時点の指導をのりこえて前進する。そのことによって指導もまたその個人的性格をのりこえるのである。そのとき、指導は指導と被指導にまとわりつきがちな支配的性格を払拭できるのである。」(竹内1969,P392)

 更に言えば、ここで正当化されようとしている「子どもの自主性」を語るにあたって、それまで批判していた「管理主義」批判の論点さえもずらしてしまっていることに自覚が浅い。ここでの引用(及び全生研の主張)では、結局「子どもが自発的に従えば」その管理性は正当化されるという主張がなされている訳だが、そもそも「管理主義」批判にあたりはじめに述べられていたのは、それがあくまで「教育する側から一方的に与えられる」ものであることに対して向けられていたはずであり、教育の受け手(子ども)の態度がその指導に対してどうなろうが批判の対象だったはずなのである。
 このような歪みの原因はもちろん言及されないが、ほとんどはっきりしているように思える。結局「資本主義批判」等にはっきり示されるように、体制側の教育は必然的に悪であることと、自らが正当化しようとする教育の善悪についての基準が、ダブルスタンダードであることに(少なくとも言説上は)気付くことができていないことに起因していると言ってよい。見方を変えれば、絶対的に批判されるべき資本主義体制というのは、その問題点となりうるものを解除しながら維持することに何の問題もないと(少なくとも本書での主張に限れば)みなせるにも関わらず、それを排除してしまっているということである。
 これはある意味苦肉の策だという見方も可能であり、そう考える方が自然だろう。つまり、「管理主義」はやはり悪であるが、それは子どもを正しい方向へ導くための「臨時的」なものとしては採用されなければ、「望ましい」自治的集団を育成することは不可能であるということをよく理解しているからこそ、正当化されるのである。このような見方は本書のp61に示されるような問題意識により成立する。竹内は次のように指摘している。

「つまり、香川報告書は、仲間づくりの集団の発展段階を逆立ちさせ、仲間づくり論が最初の段階とした解放の集団づくりの最終段階に位置づけたのであった。なぜなら、香川報告書の集団観にしたがえば、現実の集団は対立し矛盾する二つ以上の集団なちからから成っているからである。仲間づくり論はこの現実の集団の力関係を捨象し、心理的、人為的に情緒的許容の雰囲気をつくっているにすぎないというのであろう。むしろ、解放の段階は、これらの矛盾する集団のちからの対立・抗争を発展させることをとおしてはじめてかちとられるものであるというのであろう。」(竹内1969, p91-92)

 集団主義教育は自然に成立するものではなく、何より教師の指導、そしてそれに基づく管理が必要なものと捉えられていた。ここでいう「解放」というのはそのような管理の段階を経て成り立つものとみなされていた。
しかし、このような見方が二重の意味で問題含みであることを深く自覚しない限りは、このような展開に意義を見出せないのではないかと思う。つまり、「臨時的」な性質について、生活指導の段階論を唱えることで正当化するが、その段階がどのような状況において進めてよいものなのかの基準が主観的なレベルにとどまっていることと、「望ましい」自治的集団についても、後述するように無自覚的な部分を本書では明らかに含んでいることに向けられる点である。この基準こそが、まさに彼らが批判の対象とする「資本主義批判」との区別たらしめるものである。それが「実際の状況として」区別できるものとなっている場合に、初めて批判が批判として有効に機能していくのである(※3)。大久保正廣(2010)が実証的側面でこの問題を捉えようとしたのも、まさにこのような「望ましい」状況が機能していない状況にあった訳だが、そもそもそのような状況すらあまり吟味されていない可能性も合わせて問題点として指摘できるのではないだろうか。

4.竹内常一の「個人主義」観における極端な態度について
 しかし、何故このような態度を取ってしまうのか、という問いも考えなければならないように思う。結局集団主義教育論者というのは、外部からの管理について悪であるとみなしながらも、そうせざるを得ないという状況の下で議論しているとみなすことができた。ここで押さえておきたいのが、竹内常一の「個人主義」観についてである。竹内の個人主義観は、本書のp78などで用いられる個人中心の捉えかた、という議論と同じであるといってよい。

「しかし、これらの解放理論はあくまでも個人主義的、自由主義的立場にもとづいていたために、これらの解放はひとりひとりの子どもの個人的生活態度の形成のためのたんなる前提条件、外的条件としてのみ要求されているだけであるといわれる。だから、これらの解放のあとで展開されるものは、個人的生活態度の形成のみで、集団的生活態度の形成はまったく問題にされないという。」(竹内1969,p132)
個人主義的発想にたつと、集団の弊は個人の自由意志に還元されるのだから、集団の弊をとりのぞくために個人攻撃をおこなうことになり、個人の人格非難をも辞さないということになる。」(竹内1969,p260)

 文字通り、「個人主義」とは、「個人」の態度に還元されるものであると解釈し、そこには「集団」に対する視点が欠落している、という一見わかりやすい解釈をもって個人主義を批判していることがわかる。そしてここから個人主義教育では社会的存在としての子どもを育てていくことができない、という結論を導いているかのように、集団主義教育の重要性を訴える。

「これにたいして訓練論的生活指導は、子どもを社会的存在とみなす。それは子どもが社会生活のなかで社会と緊張関係をはらんだ社会的実践主体として自立していき、社会的実践主体として社会生活の客観的必然性そのものを推進させるようになっていくことを子どもの成長発達とみなす。そして、それは子どもが社会的存在として確立していくときはじめてまた個人としても自立していくのだととらえる。だから、それは、子どもの自由意志や人間的欲求はそれ自体として絶対的な価値をもつものとは考えない。」(竹内1969,p288-289)

 このような個人主義観自体がいかに教育や社会問題を語る上で存立しているのかにも今後注意を向ける必要があるだろうが、差し当たり竹内のいう「個人主義」というのは、「個人が第一であり、それ以外の要素は排除される」性質のものと捉えられているといって間違いない。このような個人主義観は「私的所有の承認」をめぐる議論に留まるのであれば正しいといえるかもしれないが、「個性の尊重」を含むものとして捉えるものであるとすれば、このような批判は成立の余地がないようにさえ思える。
 ここで議論されるべきは個人主義における排他性である。これは特に竹内p260にあるような「利己主義」的解釈を行うような場合においてみられるものと、竹内p132に見られるような個人のみに目がいくことによる社会への批判や集団性の意義を無視してしまうという態度を形成してしまうという問題の2点が問題点となりうる。

 まず、利己主義への疑念についてだが、これは個人主義に対する見方の問題も大いに関係する。竹内が想定するような個人主義観からは、個々人が争い、自らの正当性のみを取り扱い、その強弱によって強い個人が勝利し、弱い個人が敗れる、という二者択一の態度をとることになる。しかし、このような態度からは、個人の尊厳を尊重するという観点を見出すことはできない。
 ここで取り上げるべきは、フーコーの「パレーシア」の議論だろう。フーコーはパレーシアを次のように、捉えていた。

「したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p18)

 このような自己にとっての「真理」の言明は、自己への配慮、自己に専心し、そこから語る必要のあるものであったという意味で、極めて個人主義的な発想に基づいたものであったといっていいだろう。しかし、このパレーシアの議論においては、全生研的な利己的な個人主義観は存立しえず、むしろそのように利己的に捉えようとすること自体が、ギリシャ・ローマ時代から見出されたパレーシアの概念がキリスト教の影響を受け、変化したことに一因があるとフーコーは指摘している。

「反対に現代社会では、ある時期から――それがいつからなのかを決定するのはたいへん難しいのですが――自己への配慮はなにやら疑わしいものになってしまいました。自己に気を配るということは、ある時期から、自己愛の一形式、エゴイズムや個人的な関心の一形式として、糾弾されるようになってしまったのです。それは他者にたいして、必要な自己犠牲とともに向けられるべき関心とは矛盾するものになってしまった。それはキリスト教の時期に起きたのですが、たんにキリスト教のせいだと言うつもりはありません。問題ははるかに複雑です。」(フーコーフーコーコレクション5」2006,p300)

「――自己への配慮が他者への配慮から解放されてしまうと、それは「絶対化」するおそれがないでしょうか。自己への配慮の絶対化が、他者にたいする権力の行使の一形態になり、他者の支配へと向かってしまうのではないでしょうか。
――いいえ、そんな危険はありません。なぜなら、他者を支配して専制的な権力を行使してしまう危険があるのは、ひとが自分に気を配らず、おのれの欲望の奴隷となってしまったときだけなのですから。それにたいして、あなたが立派に自己を配慮するならば、つまりあなたが何であるのかを存在論的に知り、自分が何をできるのかを知り、ポリスの市民であり家の主人であるということはあなたにとって何を意味するのかを知り、おそれるべきこととおそれるべきではないことをわきまえ、希望を持つべきことと完全に無関心であるべきことをわきまえ、そして最後に、死をおそれるべきではないことを知るならば、そのときには他者にたいする権力を濫用することなどありえません。だから危険はないのです。」(同上、p308-309)

 では、なぜこのような利己性がないものであると言えるのか。

「――ギリシャ人にとって、自己への配慮が倫理的であるのはそれが他者への配慮であるからではありません。自己への配慮はそれ自体で倫理的である。しかしそれはきわめて複雑な他者との関係を含んでいます。自由のエートスなるものは、他者に気を配る方法でもあるからです。だからこそ、立派に振る舞う自由人にとって、妻や子や家を統治できることはだいじなことなのです。それは統治の術でもあるのです。第二に、自己への配慮によって、ポリスや共同体や個人間の関係において、――執政官の権利を行使するとか、友人関係をつくるなどといった――しかるべき地位をしめることができる、という意味においても、エートスは他者との関係を含んでいます。そして最後に、自己に正しく気を配るには、師の教えを聞かなくてはならないという意味においても、自己への配慮は他者関係を含みます。」(同上,p305-306)
ギリシャ人にとって自由とは、非奴隷状態——いずれにせよこの自由の定義は、現代人のとはずいぶん違うものですが――を意味していたわけですから、すでに問題は完全に政治的なものであると思います。他者にたいする非奴隷状態はひとつの条件でもあり、奴隷は倫理を持たなかったのですから、問題は政治的なのです。……自由であることは、おのれやおのれの欲望の奴隷ではないことを意味しています。」(同上,p305)

「自己嫌悪し、起こるかもしれない出来事をたえず心配する場合にも、また反対に自己を愛し、快楽に執着してしまう場合にも、自分自身だけと過ごすことはけっしてできません。なぜ自分自身だけと過ごすことができないかといえば、それは自分自身に対して完全で適当で十分な関係を持つことができないからです。このような関係を持つことができれば、何ものにも依存することはありません。不幸のおそれにも、まわりで出会ったり手に入れたりする快楽にも依存することはないのです。自己嫌悪や過剰な自己執着によって、自分自身だけと過ごすことができないという不十分さにこそ、追従者はつけこみ、追従の危険が生じるのです。この非孤独、すなわち自己と完全で適当で十分な関係を打ち立てることができない状態に、<他者>は介入し、いわばこの欠如を埋め、この不適合を言説で置き換え、言説で埋めてしまうのです。この場合言説とは、真理の言説ではありません。真理の言説は、自己に対して行使する支配権を打ち立て、それによって自己を閉じたり塞いだりしてくれるものです。」(フーコー「主体の解釈学」2004,p428)
 これらの引用からわかることは、まずもって自己への配慮というのが「奴隷」にならないという自由行使の問題と繋がっているということであり、それが自他に共通して言えることであり、そもそも「奴隷」であるかないかというのが極めて対人的な関係性に基づいているということだといえる。このようなミクロな権力の作用についてはフーコーが永らくテーマにしてきたものであったが、「社会」のような枠組みの中ではそのような権力の作用がまさにあらゆる対人関係の中に作用しているのであり、そのような関係性の中において「自己への配慮」がいかに行えるかという問題をフーコーギリシャ・ローマといった古い時代の取り組みから捉えようとしていた、と見ることが可能である。この考えをそのまま適用するならば、そもそも、社会や国家といった枠組みにおいて「個人主義」を主張する場合、当然その『個人』の重要性はその社会・国家の成員全てに適用されるべきなのであり、個人間の搾取・排除が個人主義に含まれるという発想自体がすでに矛盾している、という見方も大いに可能であるはずである。全生研の立場からすれば、このような議論の可能性を最初から閉ざしているのである。

 さて、次に個人への着目が結局社会への批判や集団の意義を損ねるという論点についてである。これはこれまでのレビューでもフーコージジェクの主体論において、最終的に個人に主張点が還元されていたことについて、その主張が一個人の主張でしかない限り社会に対してそれを反映させるようなことは非現実的ではないのか、という問題点を挙げていた。この点は確かに理に適っており、フーコーもまたパレーシアの議論において、このことを捉えられていた。

「民主制において、パレーシアとは、一人ひとりが自分の意見を語り、自分の個人的な意思に適うことを語り、自分の関心ないし自分の情念を満足させることを語る気ままさのことです。したがって、民主制は、パレーシアが特権であると同時に義務であるようなものとして行使される場所ではありません。」(フーコー「真理の勇気」訳書2012,p46-47)
「民主制における真なる言説の無力さは、もちろん、真なる言説に帰すべきものでも、言説が真であるという事実に帰すべきものでもありません。その無力さは、民主制の構造そのものに帰すべきものなのです。ではなぜ、民主制は、真なる言説と偽なる言説との分割を可能にしないのでしょうか。それは、民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができないからです。」(同上,p52)
「民主制のケースにおいて、パレーシアが受け入れられることも開かれることもなく、たとえパレーシアを用いる勇気を持つ者がいたとしてもその者は敬われるよりもむしろ除去されていたのは、まさしく、民主制の構造が、倫理的差異化を認めてそれに場を与えることを許さなかったからでした。民主制において真理が場を持たず、真理に対して耳が傾けられえないのは、民主制においてはエートスのための場が不在であるからです。反対に、〔専制的〕統治のケースにおいてパレーシアが可能であり有用であるのは、民主のエートスが君主による原則であり母型であるからです。」(同上、P79⁻80)

 ここでの民主制とは都市国家ポリスにおける政治を想定していたものであるが、民主制におけるパレーシアの問題とは「勇気」との関連でフーコーは捉えている。これは当然現在の国家枠組みの下でも同じことが言えるのであり、それは「自己への配慮」の実践が適切に政治に反映しない可能性があるということを示しているともいえるだろう。
 しかし、これも「個人主義」というのがそもそも社会により承認された考え方であるという前提のもとには状況が異なる場合もありえる。要するに、「法」によってそのような「個人主義=個の尊厳」が保障されているような場合には、その侵害は法により裁かれうるということである。「集団主義」の発想にはこのような観点が存在しない。集団主義は結局「集団のちから」なしには、個人を救うことはできないという大前提に立った見方を行っている。しかし、これは「法」が人権の保護を行う側面を持っている以上、全面的には正しくない。個人は法に基づきそれを個人として訴えることが制度上可能でありうる。それが機能していないのは、法が保護していないか、法が保護できないような何らかの力関係が働くような場合である。このような作用については、それこそフーコーのような権力観に立つ分析も必要だろうし、そのような検討の上でなければ、「集団性なしに政治はありえない」などとはいえない。

5.実例をもとにした集団主義の議論が「実態」を捉えていないことについて
これについては竹内の議論と全生研の議論は極めて異なったアプローチをとる。竹内においては、無着成恭の山びこ学校や旭丘中学校の実践を端的によい例として捉えているが、実態についてまじめに捉えようとしていないために、竹内の理論を都合よくあてはめ肯定的に解釈しているにすぎないものとなっている。また全生研においては、このような過去の有名な教育実践例についての言及はないものの、日常的にありえるような例を取り上げ、集団主義教育の実践の必要性とその進め方を指南する。

まず、竹内の取り上げ方を見てみると、次のように旭丘中学における集団主義教育を称える。

「たとえば、旭丘中学校のばあいもその出発は、これらの指導方針であった。生徒たちの自主性や要求によって生徒会活動が運営されるように、教師集団は生徒たちの自主的活動をこわすような管理主義的なものをいっさい排除していく方向をとった。こうしたなかで旭丘中学校生徒会は冬の教室内でのオーバー・手袋着用の許可を学校に求めたり、運動会、文化祭、図書館の自主運営を決定したり、教室にストーブをすえつけることを要求してその自治活動を進めてきた。……どんなに啓蒙開明的な学校運営であっても生徒の自治活動は、その枠内にはまりきらない。生徒の自治活動はその枠内に押し込められると、むしろその枠自体を拒絶し、地下に潜みかくれようとする。こうした事態に直面するなかで旭丘中学校教師集団は啓蒙主義的な生徒自治観と学校運営という枠を克服しはじめる。たとえば、教師集団は図書館の自主管理を逆に禁止することによって自己の啓蒙主義自治観をたち切ると同時に生徒集団の自己指導、自主管理の力量を高めようとした。また、教師集団は生徒会解散要求を生徒会全体の討議の対象にすえることによって、自己の啓蒙主義自治観を改め、生徒集団の力量によってこの提案を否定させようとしていった。」(竹内1969,p331)
「この人権問題(※旭丘中学生にたいする警官の不当な取り調べ)に教師がとりくんでいくなかでいわゆる旭丘中学校事件なるものが起こり、教師集団、生徒集団、父母集団が統一して自分たちの基本的人権を守るたたかいを展開していったのである。」(同上、p332)

 しかし、竹内が言うように旭丘中学校の集団主義教育が本当に成功していたのか、教師集団、生徒集団、父母集団が『統一して』闘争を行っていたかは、大久保正廣や竹内洋のレビューでみたように極めて微妙である。竹内常一集団主義教育において、特に「否定」のちからを引き出そうをしていた旭丘中教師の取り組み(生徒にとって理不尽な状況を無理やりにでもつくり出し、生徒たちにそれを否定させようとした実践)を評価していた点は明らかである。しかしそれが有効に機能していたかは別問題である。進歩的文化人と揶揄されるような人々が旭丘中の取り組みの実態を曲解し肯定的に捉えたのと同じように竹内常一はその実践を評価している。しかし、これは『実態を捉えていない』と言うべき語られ方である。そして、このような『実態を捉えていない』態度というのは、そのまま彼らが批判しているようなものにも当てはまりうる。竹内常一で言えば「個人主義批判」もその実態的側面からみて批判に値するのか、という論点を欠落させている可能性を考えたくなる、ということである。
 このような『実態を捉えていない』態度は違った形ではあるがそのまま全生研にも言える。これは集団主義教育の実践として班競争を捉える場合に致命的な問題を抱えた形で現われてくる。p106-107に注目すると、学級における「しごと」が列挙されている。

 ここで問題なのは二点である。一点目は「ここで挙げられている『しごと』なるものが本当に民主主義的観点や学習権的観点からみて適切な関連性が認められるのか?」である。まずもってその妥当性については本書で議論の対象とされていないし、美化活動といった取り組みを本当に児童が実践することで「民主的」教育に寄与するのか(それは清掃職員といった他者がやっていけないのは何故なのか)について議論しないことは、かえって児童を教師のいいなりにさせることにしかならないのではないのかという点である。ここで議論されているのは寄り合い的段階における取組であり、特に教師の管理が正当化されている段階にある訳だが、「児童にとって『やりがい』のあること」は「民主的であるかどうか」とはやはり無関係ではないのか?このような態度からやりがいがあれば何でもあり、といった態度にもなりかねないし、「学級でやらなければならないこと」はあくまで受動的に、その環境によって設定されるものでしかなく、その意義について不問に付されかねない。
 また、二点目として「仮に『しごと』が生徒にとって不要であるとして、この集団主義的実践によってその『しごと』を否定する余地はあるのか?」という点である。私にはこれをNOとしか見ることができない。何故なら、すでに班競争を行っている状況においては、児童はそのしごとにおいて「必要」であるから競争を行うのであって、その競争自体は「しごと」の必要性を強化することにしか寄与しない、としか私には思えないからである。可能性としては「しごと」においてビリ班となった児童がその「しごと」を嫌になる場合などがあるだろうが、これについても基本的には「民主主義的」観点からではなく「妬み」によるものでしかないし、その妬みを適切な実践に変えるような議論も本書では具体的に行っていない。確かに抽象的に言えばこの「妬み」も「否定」の力であり、それはそのまま「集団のちから」であるから理論的には実践への転換がありえるものの、本書においては「実態」のレベルにおいて、この道すじが全く議論されていないために、そのような転換の芽も摘んでしまうように思えてしまうのである。少なくとも本書における「しごと」の捉え方はそのような観点を排除するだけの素朴な議論しかしていない。結局本書が素朴な教育の実践現場しか想定していないために、「実態」のレベルを捉え損ねているのである。そのような「実態」のレベルを捉えることなしに、有益な実践は発展するように思えない。
 

 以上、本書と竹内常一の著書から集団主義教育の議論を捉えてみたが、総じて彼らが批判するような「個人主義」や「資本主義」が正当化されるだけの議論を行わないまま、集団主義教育を擁護しているという点は批判しなければならない点であろう。最も、このような集団主義教育自体が否定されるべき性質のものかと言われると必ずしも正しくない。「集団のちから」はそれ自体有効な主体形成の理論としての性格を持っているといってよい。問題なのは「問題を解決するのは集団のちからでしかない」という態度であり、そのような態度により排除されてしまう議論が存在することである。


 最後に本書を読むきっかけになった片岡徳雄編(1975=1998)のレビューで保留した集団主義教育批判との関連について述べておきたい。片岡編のレビューでは、特に片岡の捉える「集団主義教育」と全生研のいう「集団主義教育」が異なる可能性について言及していた。
 まず日本の集団主義教育の問題の根源をスターリン主義と断じていた点について。これについては本書及び竹内常一の著書で関連性が一切語られておらず、論理が飛躍していると言うべきだが、「問題を解決するのは集団のちからしかない」という態度などはそれを連想させたり、陰謀論的解釈としてそのように言いたくなるのはわからなくもない。しかし全生研の著書やその周辺からその関連性について立論できていない以上、飛躍と呼ぶしかない。
 また、集団主義教育が単一的価値観しか持っていないという点もやはり誤りである。これは班競争の性質を見れば明らかである。班競争はあくまで「集団のちから」を形成するための手段にすぎず、班競争の評価が単一的な評価価値であることはむしろその競争結果の固定化に繋がるため望ましいものとはいえない(cf.p115)。また、日直が独自の評価基準をもって点検を行うことが望ましいとされている点からも、単一的価値観ではなく、その場その場で評価基準が異なっていることが望ましいと考えられているのは明らかである(p162)。


※1 もっともこれを「悪い模倣」とみなしてよいのかという論点は存在する。というのも、ここでいう「悪い模倣」の発想というのは、捉え方によっては、ポール・ウィリスが肯定的に捉えた「野郎ども」と、従属的な「耳穴っ子」の二項対立図式と同じ問題を含んでいるからである。ウィリスはいわゆる「良い模倣」により育てられた「耳穴っ子」を無批判な人間と捉えた訳だが、必ずしも従属的な人間になるとは言い切れない、という論点と同じである。模倣論的に解釈するなら、むしろ主体は欲望を駆り立てられているのであり、ここでいう「良い」と「悪い」の違いは「位階の尊重の有無」であった。教師が見えない集団内では確かに「悪い模倣」が展開されているといえるが、教師が模倣の「媒体」として介在している状況があり、かつそこへ従属するような状況にあるのであれば、それはむしろ「良い模倣」でさえありうる。そして後述するように、集団主義教育の実践は教師による管理をベースにしている点において、「良い模倣」と呼んだ方が適切であるといえる。
 しかし、他方で体制批判を行う際には、ウィリスがそうであったように、「良い模倣」を固定的な、化石化したものとして捉えてしまっている。ここには二重の「良い模倣」像が存在し、別々のものとして語っていることがわかるが、これは後述するように、教育する側の論理と教育される側の論理を混同して語ってしまっている結果ではないかと思う。
 
※2 余談であるが、経験主義教育の批判とこの教科指導の科学・芸術性の強調というのは、60年代までの遠山啓の議論とも共通している部分がある(もっとも、遠山は科学と芸術を別のものと考えたが、全生研及び竹内は並列に同じ意味でしか語っていない)。遠山においても60年代まではこの科学性が一種の「確信」でしかなく、それが70年代になって遠山自身がそのことを疑いはじめたのではないか、という仮説を以前のレビューで提起した訳だが、仮にそのような見方が正しいのだとすれば、教科教育を生活指導と分別して議論している全生研の主張の正当性も失われることになるといえるかもしれない。

※3 本書p202のような議論についても、結局一般化してしまっているのが何よりの問題である。このような言い分からは「学習指導要領」と呼ばれるものは全て批判されるべきである、という結論しか見いだせない。ここで議論されるべきは、実際に学習指導要領で個別に取り上げられている内容について、その徳目主義的性質の問題の所在、非体系性を批判し、「そうでない」ような具体的な体系についての議論を述べ、改善の糸口を示すことではないのだろうか?

高橋勝・下山田裕彦編「子どもの〈暮らし〉の社会史」(1995)

今回は「子ども論」関連の著書を取り上げる。
 これまで私が見てきた子どもに対する「地域の教育力の弱体化」論というのは、そもそもいかなる意味で「教育力」が作用していたのか、実証的側面において乏しく、更にはそのような「地域の教育力」の存在そのものが見方によっては疑わしいものであるものがほとんどだった。これについては中教審答申などにおいても頻繁に取り上げられ自明の「常套句」になってからしまったことも原因なのではないかとも思うが、まずもってその弱体化論が想定している弱体化以前の状況(理想的状況)がいつ頃の話であるのか述べられておらず、一見すると過去を脚色し、事実を曲解したものになっている、ということである(※1)。

 そのような点を踏まえれば、本書はそれとは若干異なり、具体的な議論に踏み込んでいるといえる。戦後から高度経済成長期に差しかかるにあたり、それまで家族や地域で「共同生活者」として暮らしてきた子どもではなくなり、学校における「生徒」として囲い込まれ、生活が剥奪され、その結果として消費社会への従属者となったり(cf.p100)、虚構と現実の区別がつかない状況が発生する(p125)という批判がなされている。

 ここでしなければならない論点は、
1. 過去の子どもの<暮らし>に対する見解が妥当かどうか
2. 仮にそのような<暮らし>が成立していたのならば、いつ存在していたとみなされているのか
 という2点である。

 まず、2.について見ていきたい。本書の内容をまとめれば、そのような暮らしがはっきりあったと言えるのは「戦後直後」(p28)から1950年代中頃まで(cf.p76)と位置付けられるだろう。本書で大きなポイントになっているのは「高度経済成長」であり、1960年代にはすでに子どもの<暮らし>は失われているように描かれているといえる(cf.p76,p86)。
 もっとも、60年代の位置付け方については微妙な所もある。P114の指摘はまだ60年代はそのような<暮らし>が残存しえたと読む余地がない訳ではない。これは「落ちこぼれ」という言葉が(国会図書館のデータベース等を見る限り)70年代初頭に生まれ、70年代後半に一般に言説が流通したこと、また本書でいう非行・校内暴力問題も70年代中〜後半に社会問題化したものを指していると思われること(p86)から言えることだが、一般的に「高度経済成長」はオイルショックのあった1973年までの期間を指すものとみなされることや、p76、p86を素直に読めばやはり60年代はかなりの部分子どもの<暮らし>は失われたものと見るのが妥当ではなかろうかと思う。
 もっとも、このような喪失の見方に過剰な解釈があると言える部分もある。P122などの指摘は明らかに事実と異なったことを指摘し、ことさら1973年時点の子どもが「室内遊び」に集中していることを強調しようとする。これも事実の曲解以上に、子どもの遊び自体が家の中で行うことができる空間があったのかという点からも、「外で遊ぶことが健全である」という価値ありきの議論をしているように思う。


○「ガキ大将」をどう見るか
 「戦後直後」というのも40年代はまだ終戦後の混乱が大いにあっただろうとみれば、やはり1950年代の状況が子どもの<暮らし>が確保できていた時期と言うことに、本書からは矛盾がないように思える。では、それを踏まえ1.の論点を考えてみたい。
 今回は仲間集団の議論でなされる「ガキ大将」についてみてみたい。つまり、1950年代における「ガキ大将」が本書で言われるような見方で捉えられていたのかということである。結論から言えば、決してYESとは言えない。
 国会図書館で「ガキ大将」について書かれた当時の言説を読んでみると、まずよく見かけるのは「偉人」の伝記において年少時代に「ガキ大将」であったことを指摘するものである。これはかなり好意的に読んでいるものであり、あまりマイナスイメージはなく、「リーダー」としての振舞いが示されている。これについては、本書で示されるガキ大将のイメージとも矛盾しない。
 しかし、他方でこのガキ大将を問題視している内容のものも多い。それらは総じてガキ大将の「リーダー」としての性質について全否定まではしている訳ではない。しかし、その暴力性について特に批判の的となる。

「がき大将は、人間の本来持っている「権力への意志」「力への意志」の発現である力の原理を、他の子どもに強く働かせ、力で支配しようとする傾向が特に強い子である。また、小学校の子どもたちには、目的はどうでも、力関係で自然に結合する機会も多く、それによって結ばれた集団は、連帯性が強い。いわゆるギャンググループができ上る。このように、自然に作られる仲間の間では、友だちへの思いやりや利益や全体の幸福などを考える民主的指導者よりも、自分の優越性を誇示し、首領としての権威を振りまわし、弱者に対しては、力をもって屈服させることのできる暴君的・独裁的な指導者が生れる率が多い。
このように、自然にできる集団から生れる指導者は、「げんこつ権」を振りまわし、がき大将と呼ばれ、親分・親方・頭目・棟領・首領・顔役・ワンマン・大将さらに他の個所で述べているボスの子の意味にも通じる。また、女の子は、女王・あねごと呼ばれる。」(鈴木清他編「明治図書講座・問題をもつ子の指導法2 性格と行動」1957、p63)

「がき大将は、親や教師や地域社会の人たちにとっては、かんとくや指導上から欠点が目につきやすい。また、被害をうけた印象から判断しやすい。ところが、彼には、まず、指導力・統率力・仲間の信頼感など、長たりうる能力をもち、活動力・実行力・決断力・意志力・好奇心・探索的精神・独立の精神をも持っている。このような面は、学級や学校の集団、部落の集団では、じゅうぶん発揮できる機会がある。」(同上、p64)

 また、先述した「偉人」のガキ大将像の議論も関連するようなイメージ像について次のような指摘もされている。

「私たち大人はこのガキ大将について、二通りの考え方をする。
 一つは、見失われたヒロイズムの幻影を、おおかれすくなかれこの言葉に見いだす場合である。「子どもの時にはね……」と大人たちがままにならない現実から逃避をして、オールマイティであった「ガキ大将」の時代を考える時、今を忘れて「限りない期待」をこのガキ大将という言葉によせるのである。
 それが、ガキ大将という言葉にある種の期待を感じる大きな理由である。
 ところが、もう一つの場合、自分の子供たちが小学校に入る年頃になり、外で仲間と遊ぶようになると、現実の問題としてガキ大将が現われて来る。
 かあいげのない、憎々しげなガキ大将の傘下に、どんなにいじめられ、どんなばかばかしい無理な命令を下されても、子供たちは喜んで集つていき、時には崇拝すらしているように見えるのである。
 「あれが悪いばつかしに……」「なぜあんな子と遊ぶんだろう……」困つた奴だかわい気のない困り者、これもまた、大人のみたガキ大将の一面なのである。」(辰見敏夫「私の名はガキ大将」『カリキュラム』53号、1953、p70)


 以上のように、ガキ大将の議論は両価的な価値観が与えられていながら非民主的であるという点において、「指導」を行い、そのよい部分を取り出していこう、というのがガキ大将問題に対する「教育」側のアプローチであるといえる。もっとも、ここでいう「教育」側のアプローチというのは、本書で批判されていたような「学校の論理」による議論でしかなく、<暮らし>というアプローチからすれば正当化される、という見方もできるかもしれない。
 では、ガキ大将の問題が非民主的であるという以外にどう問題とされていたのか。


「もう一つの問題は、仲間における児童の性格形成の問題であつて、ガキ大将があまりにも「げんこつ権」を主張し、そのため、これに逆らうものを仲間はづれにするということになると、仲間はづれされた者は他の子供たちとは口をきいて貰えないことになる。この年令の子供たちの仲間に参加をしたいという要求は非常に強いものであるから、仲間はづれにされた子供は無論のこと、それを見ている子供たちも、ガキ大将の弾圧のもとにその人格に歪を生じて、不安な、おどおどした子供になつたり、ただ追従をするような卑屈な子供になつたりする。」(同上、p72)

 強いリーダーのもとに集団が成立する以上は、集団規範が働くと言ってよいが、その規範自体が正しいものかどうかとは別問題であるし、ここでいうように、そこから外れてしまうという問題もありえるだろう。もっといえば、集団は一つであるとは限らず、複数の集団(複数のガキ大将の集団)がありえる訳であり、両者の闘争に巻き込まれるという問題もありえるように思える。この点については少年非行などの分析を更に行う必要があろうが、少なくとも、本書で語られている「ガキ大将」の議論というのは、このような排除性、闘争性による悪影響というものについて無視され、規範性という良い側面だけを取り上げ、肯定しているという風に言えるだろう。

○<暮らし>の論理の問題とは?
 また、<暮らし>に密着していること自体が必ずしも望ましくなかったと本書で述べられていることには注目せねばならないだろう(p84)。本書は明らかに過去の<暮らし>に密着していた方が良かったと判断しているように読むほかないと思うが、どのような比較に基づいてそれが判断されているのかほとんどわからない。つまり、p84でいう「デメリット」と高度経済成長によってもたらされたとされる「デメリット」のどちらが問題なのかの検討が全く見えてこないのである。この比較が示されていないにも関わらず、子どもの<暮らし>の型を失ったことを問題にするならば、もはや水掛け論にしかならず、生産性がない議論なのである。この比較については本書をこえて検討していくほかない。差し当たり今後1950年代の「差別」や「貧困」に関する著書をレビューしていきながら、この点について検討をしていきたい。


※1 もしくは、(本書ももしかするとそうなのかもしれないが)現状の批判を行うことだけに満足してしまい、過去の「状況」とされるものについて無意味に取り上げているという状況があたりまえになってしまっている可能性もありうる。これは竹田青嗣のいうような「ポストモダニズム相対主義」の議論とも無関係ではないように思える。まずもって両者を比較するのであれば、どのような点について評価の対象としているのか、そしてそれが評価に値するという見方が妥当なのか、の議論は必要なのではないだろうか。そのような論点に乏しいからこそ、比較の観点を考慮しようとせずに「脚色」がなされるのではなかろうか。


(読書ノート)
p4-5「こうして、子どもは、親とともに共同して営む〈暮らし〉から徐々に排除されることで、幼稚園や学校などの子どもたちだけの制度化された空間にしだいに取り込まれるようになった。おとなと子どもが、それぞれ別世界に生きるようになったということ、それは、子どもにとっては〈暮らし〉そのものを見失うことを意味していた。……おとなが、ますます生産と機能の世界に囲い込まれていったとするならば、子どもは、ますます消費と「勉強」だけの世界に追い込まれていったのではないか。産業社会に登りつめる過程で、おとなも子どももともに、〈暮らし〉という言葉の含む人間生活の相互性や豊かな全体性を喪失してきたのではないだろうか。」
※ここでの排除の議論は、結局そのような生活現実をどう評価するのか、そして、将来的な視点から見ても同じように善であるといえるのかという論点に尽きる。また、排除と学校の取り込みの因果関係もこの指摘の通り定かとは限らず、逆の関係も当然あり得る。なお、ここでいう「生産と機能の世界に囲い込み」というのは、まさに人間性の喪失という言葉で言い換えられるものだろう。なお、子どもが労働から解放されたのではなく、排除されたとみるのは、「産業の重工業化と機械化」により、子どもの労働の場所がなくなったからだとする(p4)。また、〈暮らし〉は生活世界や日常性などの言葉に含意されるものだとし、まさに高度経済成長がその解体をしたとみる(p5)。

P6「戦後史の大きな流れの中で、子どもが、しだいに「共同生活者」としての体臭を失い、無機的で従順な「生徒」として、見えざる制度のなかに囲い込まれるようになった過程を、子どもの生活世界の側から、できるだけイメージ豊かに描き出してみたいと思う。それが、本書のねらいである。」
※この前提だと、やはり大きな変化は60年代に見ていることになる。つまり、50年代は聖域とみなされている。
P11「このころ(※高度経済成長期に突入する以前)は、子ども組や若者組、娘宿などの行政組織以前のインフォーマルな通過儀礼の集団が、まだ残存していた。」
※出典は宮本常一「家郷の訓」「忘れられた日本人」。合わせて「青年」というモラトリアムな存在もなく、通過儀礼を介した「一人前」の人間はすでにおとなであり、その自覚を強く抱いたという(p11-12)。

P16「子どもは、この時期から、経済成長を担うための「人的資源」としてとらえられ、学校を中心とした能力開発の世界に囲い込まれていく。つまり、子どもは「生活者」としてではなく、もっぱら「児童」や「生徒」として扱われるようになる。そして、この時期から、子どもの「教育」とは、「人的能力」や「無限の可能性」の「開発」であり、それは、学校において教師という専門家集団が担うものである、という観念が私たちの間にひろく浸透してゆくのである。子どもは、親や地域の人びとと共に暮らす「共同生活者」ではなくなり、教師という職業集団の前に並び立つ「未熟な学習者」、「生徒」に変わってゆく。」
※どれだけの議論を断片的に取り上げているのだろう。これは天皇崇拝を強要した戦中までの学校とどう違うのか?
P20「ハーバマスのこの指摘は、ドイツにおいてばかりでなく、むしろそれ以上に、「消費集団化」の著しい日本の家族にこそあてはまる。家族の機能が、医療、福祉、教育などさまざまに社会的に分化し、家族が他の組織体に依存する度合いが強まるにしたがって、そこに内包されていた全体的な人間形成の機能は、ますます衰弱化していかざるをえない。そして、ゆき着くところ、家庭は、性的な結合と休養という完全な「消費の場」になれ果てるのである。」
※出典は「公共性の構造転換」p211-212。さて、これの何が問題だというのか。

P28「こういった子どもの暮らしが一九四三年〜四五年の極端な戦時体制下にあって押しひしがれたにもかかわらず、それは敗戦を契機に戦争直後に復活した。全員とは言えなかったが、子どもは家庭生活に復帰し、地域の共同生活は活気をおび、戦前の遊びもまた少しずつ形を変えながらもとりもどされた。戦争によって文化社会が抑圧されたとはいえ、しかし人間らしい暮らしかたの根っこは残っていたのである。」
※「子どもたちは、しばしの時をみつけて、メンコやコマで遊び、原っぱで追いかけっこをし、川に笹舟を浮かべて歌声をあげた。」にかかる。

P72大正十五年の調査で女子がならたいものは偉い人に次ぎ、「先生」。
※東京都民生局の1949年の調査で比較対象されたものだが、出典不明。民生局調査は服部克己「児童の環境調査」(1950)から。
P76「五八年には子どもの身体的早熟すら指摘されるようになる。石炭産業から石油産業にきり替わってゆくなかで、炭鉱の子どもたちの置かれた状況が社会問題化されてゆく。また日常生活のなかに石油製品が浸透してゆき、子どもたちの日用品、遊ぶ道具やその素材も、木や竹、紙、ゴム、セルロイドに代わって既成の合成樹脂商品が増えていった。子どもたちの手作りの遊びが乏しくなってゆく一方、五七〜八年には、農山村にあった農繁休暇が廃止された。春や秋に学校は一週間ほど休みになって子どもたちは田植えや養蚕、その他の手伝いをして労働に参加してきたが、この廃止は子どもたちが生産や労働の場からきり離されていく変化を象徴している。」

P81「このように、子どもたちが生きていくうえで不可欠なものが収奪され、どうでもよいものが彼らに害を及ぼすまで過剰に供給されていくところに、〈暮らし〉の型を見失った。」
※馬場宏二の「教育危機の経済学」が参照されている。
P82「ところで、高度経済成長期の直前までは、農山漁村部の子どもたちは、地域の共同体のなかで日常的に生産労働の担い手として特定の役割を担っていた。そして、都市部の企業経営者や高所得労働者など一部の富裕な階層の子弟を除くと、都市部の子どもたちもまた、職能集団のなかで自営業者や労働者の子弟として家業や家事の手伝いを担っていた。そして、子どもたちが労働し、生活する拠点としての地域共同体という空間は、地縁や血縁で結ばれた多様な人間関係のネットワークから構成されており、そこには、人と人との具体的で濃密な関係からおのずと生まれる社交的感情と相互承認に満ちあふれていた。共同体に生まれた子どもは、ごく短い乳幼児期を過ぎるとすぐさま、この多様な人間関係の網の目のなかに投げ込まれ、その結び目の一つを構成することになった。」

P84「しかしながら、「一人前」の教育として表現される、共同体での子どもたちの労働や生活は、彼らにとってかならずしも恵まれた側面ばかりではなかった。むしろ現在の第三世界に生きる子どもたちを思わせるような悲惨な側面も少なくなかった。とりわけ、貧しい農山漁村部では、子どもたちは生活の大半を労働過程のうちに組み込まれ、大人並みの激しい労働を課せられていたり、日常の生活でも前近代的な偏見や差別と貧困に苦しめられていた。」
※あまり具体的な話がない?参照もなし。
P86「ただ、学校そのものを抜本的に産業的な生産様式へと適合させる契機となったのは、一九六二年、企業と国家の連携のもとに出された経済審議会の「人的能力開発政策」、いわゆる「人づくり計画」に求められる。……それ以後、教育目標・内容レベルにおいて地域と学校との乖離は急速に大きくなっていった。大量の“落ちこぼれ”が発生し、非行や校内暴力が多発したのはこの頃である。」
※後半の教育問題はいずれも70年代後半の議論であり、時期の認識が正しいかどうか微妙。

P91「しかもそれは、親の管理下にある家の手伝いやしつけから逃げ出していくところの「アジール」——権力や管理の及ばない自由な空間、または「無縁」場所——でもあった。従来より、親は子どもにきびしいしつけを行っていたが、それが可能であった理由は、子どもによって自由空間がしつけの心理的クッション、まさに「アジール」の機能を果たしてきたことに求められる。」
※この出典は松田道雄「わが生活わが思想」p16-17。
P92-93「しかも、注目すべきなのは、仲間集団内部での小さな子どもたちに対する配慮である。兄や姉にひき連れられて集団に加わった彼らは「みそっかす」とよばれて、例えば鬼ごっこでは鬼を免除されるとか、メンコで一回負けても札を取られないとかいうぐあいに特別な配慮と待遇を受けた。子どもたちがそうしたのは、弱者はいたわられるべきであるという博愛精神を大人たちから教えられたからではなく、むしろ、そうでもしなければ遊びが続けられないし、また面白くなかったからである。
さらに、この組織のなかで、ガキ大将の果たす役割は重要であった。ガキ大将になるためには、ただからだが大きく、腕力が強いだけでは不十分であり、それに加えて、集団をとりまとめていく能力、ケンカを処理する能力、小さな子どもをいたわる能力などが必要であった。……この仲間集団には、ガキ大将をはじめ、年長の子どもが含まれていることで、遊びにともなう事故から年少の子どもを守ることができたのである。」
※出典なし?

p94「ところが、地域社会の崩壊後、「柿の実ドロボウ」は、認められるどころか、場合によっては「非行」とみなされ、家庭や学校が持ち主から訴えられるというケースも出現した。「柿の実ドロボウ」が消失した時期は、いたるところで異年齢の子どもたちが群れて遊ぶ姿が見られなくなった時期とほぼ符合する。」
※出典はない。
P100「ところが、経済の高度成長のもと、社会全体の富裕化にともなって、子どもたちは物質的豊かさと大衆娯楽型情報を過剰なまでに与えられ、その結果、ローカルな子ども文化は、衰退していったのである。」
※この辺りの議論は斎藤次郎「子どもたちの現在」に準拠しているらしい。

P114「一九六〇年代の子どもたちにとって、家業を手伝ったり新聞配達をしたりという社会的労働は日常的な活動であり、当時までの子どもは、地域社会で重要な労働力として認められていた。ところが、七〇年代以降は社会的労働だけでなく家事さえもまったくしない子どもが全体の六割を占めるようになっていった。この頃から子どもたちは、「仕事のない生活」のなかで暮らしていくことになる。」
※統一感のない議論。
P122「表2は、一九七三年に大阪市阿倍野小学校の四年生一七〇名とその親一九一名を対象に行なわれた調査の結果であるが、父親も母親も小学生時代の遊びは戸外で行なうものが上位を占めている。……
他方、子どものよくやる遊びの大半は室内遊びであり、男子は、ゲーム、本読み(マンガを含む)、テレビ、模型遊び、女子は、トランプ、本読み、ゲーム、手芸などがそれに当たる。このような遊びに使う道具は、商品化された物ばかりであり、とくに、ゲーム、トランプ、プラモデルなどは、当時テレビのコマーシャルなどでさかんに宣伝されていた流行の玩具である。」
※p123に結果が示されているが、どう見ても子どもも外遊びの方が多数である。男子は野球関連だけで67%もいるし、女子も上位のゴムとび、なわとびだけで58%もある。ここには、室内遊びが行えるだけの環境が当時の家にあったのかどうかといった議論は無視されていないか?都市部であればそのような論点はありえるはずだが。当然、このような商品化されたものは「子どもの自由な発想をひき出す可能性が小さい」と断じる(p122-123)。なお、出典は藤本浩之輔「子どもの遊び空間」

p125「以上のような状況のなかで、子どもの長時間視聴が生まれたが、その結果、さまざまな問題が発生した。なかでも深刻な事態は、テレビに描かれた虚構と自分が生活している現実の場との区別がつかなくなることである。その結果、遊びの中でテレビ番組の真似をしたために、子どもが命を落とす例もある。」
p143「戸塚は、親や社会は変わらないとして無視し、子どもだけを隔離して徹底的に関わろうとする。竹井(※孝)は逆に、子どもを徹底的に突き放すことで子どもの自覚を促そうとしている。戸塚は子ども本人にだけ非行や家庭内暴力の付けを払わせようとしているようにみえる。竹井はどうか。竹井は家庭という器で、つまり夫婦や親子の関係のなかで、問題を考えている。しかし社会のついては、「親と子の愛情は社会のルールとは別のことであることを、子どもは体で覚えさせ」ることにとどまっている。
家庭内暴力や非行の責任はもちろん本人や家庭にもあるであろう。しかし、学歴社会と受験教育、きびしい選抜制度と競争社会、拝金主義、つまり、学校化された社会のひずみの犠牲者としての子ども、このような視点が戸塚にも竹井にも鮮明ではない。この視点を欠いたがゆえに、両社の教育は成功したとはいえない結果に終わったのだと考えられる。」
※システム批判の布石。「社会、もっといえば、学校化社会の病理の問題としては捉えられていなかった」が問題とされる(p144)

p177「教育とは、本来、目的ではなく、人間形成のための手段なのである。子どもはつくり出される客体ではなく、教育によって援助され、みずから個的人格をつくり出していく主体なのである。それゆえ、教育とはプロセスにほかならないのである。それが、今日の教育においては、このプロセスを非効率的なものとして捨て去っているのである。」
※しかし、これは全人性に向いているというよりも、個性の尊重に偏っている議論である。サマーヒルの算数がまったくできない子どもの許容(p185)がそれを根拠づける。

遠藤公嗣「日本の人事査定」(1999)

 本書はアメリカの人事制度と日本の人事査定制度の比較を試みながら、現在の日本の人事制度が戦前のアメリカの制度の影響を大いに受けたといえるものの、現在のアメリカの制度とは大きく異なること、また、小池和男青木昌彦により流布している人事制度理解の通説的見解が事実の検証に乏しいまま主張されていることについての批判を行っている。
 人事査定制度を主題としているものの、本書は私がこれまで議論していた日本の教育制度や、日本人論の議論にも非常に示唆的な論点を提示しているように思えた。

 その最たるものは、戦後の不当な査定問題の起源を、教員の査定差別の議論に結びつけている点である。企業の査定差別による訴訟は60年代以降の動きの中で見られるようになってきているが、50年代の特に愛媛県における教員の査定差別の問題に触れつつ、ここで議論された「組合労働者」及び「女性」の雇用者を査定差別するための系譜を、本書は描こうとしているのである。
 もっとも、その関連性については明確となっている訳ではない。なぜ教員の業界で査定差別問題が先立って見受けられるようになったのかという点については、本書で十分な検討を行っていない。私自身も愛媛を中心にした当時の教員査定の実態については色々と調べている所であるが、その範囲でわずかな仮説を提起するのであれば、次のようなものだろうか。日本の女性教員は戦前からひどく差別的な取り扱いがされてきていたのは女性問題を取り扱った文献では出てくるが、第二次大戦頃になると、義務教育段階の教員は、男性教員の割合が段々と減少し、終戦頃にはこの女性教員の方が多かったという統計がある(望月宗明「日本の婦人教師」1968,p45)。戦後愛媛で差別的待遇が問題となったのは、教員の人員整理の必要性から、特に人員が多いにも関わらず、評価が低かった女性に対して実質的な退職勧告を突きつける一環でなされたものと理解することができる。もちろん、ここには組合の力による反対の動きも影響力をもっていた。このような差別的処遇の必要性と、それへの抵抗勢力の存在というのが、先駆的に社会問題化へ繋がった要因と位置付けることは可能だろう。
 もちろん、この先駆的な差別的慣行は「公」の立場からなされたものであり、その手法を「私」側でも容易に利用することができたからこそ、企業でも行われるようになったという見方もできよう。ただ、この見方には根拠がなく、もう少し検証が必要になってくると思われる。50年代から不当な査定がなかった訳ではなく、あくまで私企業ではそれは問題化されるに至らなかっただけだった、とは簡単には言い難いからである。

 もう一点、小池和男の批判に関する議論について。なぜ小池がこのような曲解をしたのか、という問いに対して遠藤は不明としているが、私は(最近の読書傾向から)どうしても当時の日本人論の影響力を感じずにはいられなかった。小池は結局日本の雇用制度が優れていることを示すための議論をしていた訳だが、そこに何らかの「日本観」が先入観として介入したことによって、「アメリカ観」は具体的検証を欠いたされたまま議論されることになった(もしくは著しく軽視される結果になった)ことは、河合や千石の議論にも同じように見られた観点だったことからも、類推したくなる。小池がもし同じような過ちをしているのであれば、どのような「日本観」に基づいていたのかという論点は重要であるように思う。小池の著書も現在少し読み始めているので、また取り上げてみたい。


<読書ノート>
p11「(※労使関係論研究が労働組合による労働条件の規制に注目するあまり)査定制度を重視しなかったことについては、この時期の前2/3期が高度経済成長期であったことは重要であろう。研究関心の欠落が、高度経済成長期における実態としての経済と労使関係によって、いわば隠蔽されていたからである。企業の持続的拡大と毎年の春闘による賃金のベースアップは、昇進昇格と昇給における従業員間の処遇格差を目立たなくした。」
p18「小池(※1981)は査定制度が優れていて、従業員が高度な熟練を形成できたからこそ、日本企業は高生産性と好業績を上げることができたと示唆したのである。」
※もっともこれには独断と偏見、全くの憶測という条件を付している。しかし、小池(1986)からこれがあたかも実証された議論であるかのように扱われるようになったという(p19)。

P68「しかし1990年代の日本では、米国の人事査定制度について、著しく不正確な記述が一部の経済学者の間で通例とすらなっている。その極致の一つは青木昌彦・奥野正寛編(1996:133-134)であろう。そこでは、日本の制度の「客観的で公正な査定基準を作る努力」が強調された後に、「逆にアメリカなどでは綿密な評価基準はあまり作られておらず、人事面での決定は各上司に任される傾向が強い」とされる。」
※しかしアメリカの方がむしろ評価要素は客観的とする(p82)。それは情意的評価や、主観的な側面がある評価要素が用いられる傾向が強いことから示される(p86-87)。
P89米国では分布制限が少ないが、日本では多い

P102「小池が見た「査定の用紙」に「従業員の署名欄」があったとすれば、「ほとんどそういう表向きの文書はだれも見ない。結局は感じとか、主観でやるよりしょうがない。」という小池の認識は「お粗末」としか評価できない。」
P109「日本では、1957年の愛媛県教員の勤務評定をおそらく最初のケースとして、査定制度が差別の道具に意図的に使用されはじめた。日教組(1958:393)によれば、この最初のケースの被差別者は「婦人教師」と「組合活動家」が多かったが、女性と(左派)組合員はその後も査定制度による差別を受け続けたから、最初のケースで誰が主要な被差別者であったかの指摘は、示唆的である。」
※この議論は60年代以降の民間の査定差別に広く見られたことからも関連性を見出しうる(p110)。出典は日教組十年史。

P119「これらの特徴が、現代日本の査定制度の特徴に類似することは、明らかである。あらかじめ指摘しておけば、これらの特徴が戦前の日本に導入され、ほぼそのまま現代まで維持された結果が、現代日本の査定制度の特徴の一つとなったのである。」
※これらの特徴とは、査定が「生産労働者」を対象者としたこと(組合労働者の例外がないという意味?)、コミュニケーション手段という用途がない、主観的評価、正規分布への準拠、査定結果の通知がないこと、の5点である(p118-119)。これらの特徴はアメリカの戦後査定制度では弱まったが、日本では残存しているものであるといえる。
☆p159「勤務評定制度を雇用差別の道具として容易に使用できた理由は、日本の査定制度の特徴にあろう。日本の査定制度は、たとえば、評価要素の主観性が強いにもかかわらず、査定結果は被査定者に通知されず、したがって、査定結果の不満や苦情を処理する機関もなければ、法的な雇用差別救済制度も不十分であるという特徴がある。このような特徴の査定制度は、ひとたぶ査定者が差別意図をもつと、それを雇用差別の道具として使用することは、きわめて容易なのである。」

p217「この点は、米国大企業における学歴別雇入管理の意味と、日本大企業における学歴別雇入管理の意味が異なることを示す。日本大企業では、大学卒と高卒者は別々に雇入を管理する。……ところが米国大企業は、前述のように理解するから、高卒を必要学歴とする職務に大卒者がそのまま雇入されるのである。」
※これも暗に小池の批判である。Exemptの職務=大学卒と考えているから。
P275「日本の労働者が孤立した個として存在し、クラフトユニオンの伝統を欠いていたという指摘は、日本の労働者が、自分が所属する自立した集団内部で、自分たちの間の利害を調整し規律するルールを自主的に作った経験が乏しかったということと、ほぼ同義であると私は思う。もしそうであるとすれば、もたらされた第二次世界大戦後の状況の中で、日本の労働者は、一方では、労働組合を組織し使用者を相手に激しく要求の実現を迫ったとしても、他方では、労働者間の利害を調整し規律するルールを自主的に作ることは、その経験の乏しさから、容易なことではなかったはずである。」
※二村一夫(1984,1987)の出典あり。

P287「企業側は対立的なHUAGA労働組合を嫌悪し、1970年代にはいると、組合員にHUAGA労働組合を脱退するよう圧力をかけるようになった。その結果、1973年10月から、全社的に多数の組合員がHUAGA労働組合を脱退しはじめた。」
P305「実のところは、企業側が自覚しないで偏見を持つことは、企業側によって地労委の審問の場で証言されている。地労委の審問で、K支店の人事管理を担当する課長は「女性従業員に大きな期待はできない」と証言し、女性従業員の「査定分」総額が小さいこと、そして、女性従業員を係長に昇進させないことを、正当化したのである。」
P308「とするならば、彼ら(※小池、青木)が日本の査定制度の公正さを実証もなく主張し、日本の雇用差別事件を無視する理由は何なのだろうか。彼らの研究姿勢、研究方法、あるいは研究理論のどこかに欠陥があるのだろうか。私にはよくわからない。」

千石保「「普通の子」が壊れてゆく」(2000)

 今回は河合隼雄同様、日本人論を経由しながら「日本人の子ども」を論じているが、河合よりも正直な所「ひどい」論調となっている千石保の議論を読み解きたい。本書に対する問題点はかなりの部分読書ノートにもまとめているので、本書の要点と読書ノートの補足をしていきたい。

 まず注目せねばならないのは、千石の社会観である。P66に見られるように、日本は集団依存主義の社会であるという。これは日本では個人が主体性を確立すること(が十分で)なく「ポストモダン」期に差しかかっているという認識であると言ってよいのだろう。ただでさえ規範性が乏しいにも関わらず(p72)、ただただ逃走型の人間を志向する社会となってしまい、それは勝手気ままを奨励するだけなのである(p73)と考えられている。
 当然、ここには河合と同じ「個人主義」のない日本人論の前提が共有されている(cf.p72-73)。もっとも、河合の場合はこのことについて一方的に問題であるとは少なくとも「形式的」には主張していなかった。ところが、千石は明らかにこれを「悪」と断ずる形で「日本人の子ども」論を展開する。その極め付けがp59のような発言である。
 確かにこの「荒れ」が学級崩壊という意味ならば正しいかもしれない。学級崩壊が特段日本で問題となっている原因については別途議論せねばならない所だろうが、偏見を覚悟で私独自の見解を述べるならば、基本的には規範を維持する仕組みが制度上確保できていないことに依拠する部分も大きいのではないかと考える。これまでも教師論の議論(特に斎藤喜博)では繰り返し「教師がしっかりしなければならない」と述べられることで、非行などの問題に対しても学校が(家庭の協力も求めながら)解決しなければならないものと捉え、安易な児童・生徒の排除は教師として問題であるという認識が強かった。いじめの問題にしても、加害者保護の観点が強く、フランソワ・ベゴドーのレビューでみたフランスの学校のように、規範に反する生徒を安易に排除するという発想が、日本の(少なくとも公立学校では)極めて乏しいのがこれまでの状況なのではないのか?
 これは同時に警察との関係性についても同じことが言える。つまり、排除の論理に基づけば、刑法に触れる問題は警察にそのまま預けるのが妥当となるはずだが、何故か千石はp63で警察に安易に預けることは問題であり、むしろこれまでの日本と同じように規範意識に乏しい主体を問題にしているのである(p73-74)。つまり、ここでは「学級崩壊」単体が問題なのではなく、広義的な教育病理という「荒れ」を問題にしているのである。P59の「荒れ」はそのように解釈しなければならなくなるだろう。そして、その教育の理想型というのは、p194のような制服廃止運動といった形での規範の意識化なのである。
 しかし、刑法に触れる・触れないのレベルでアメリカよりもひどくなったというのはどう考えても無理がある。何よりアメリカの学校にはその場で逮捕をすることが可能な保安職員がいるケースも少なくないようである(cf.ゲイル・D・ピッチャー、スコット・ポランド「学校の危機介入」1992=2000、p106)。これはそのような問題が日常的に起こりうることを想定した対応であると言うしかないだろう。また、少年犯罪の件数をネットで調べても、アメリカの方が犯罪が少ないという資料を見出すのは難しい(少し調べたが私は見つけられなかった)。

○日本の子どもはアメリカよりも規範意識に乏しいのか?
 また、日本の子どもの方が規範意識が乏しいという指摘については、一般論として根拠に乏しいと言わなければならないように思うし、悪意のある意識操作まで行っている傾向が認められる。しかも、このことは、千石が関わった日本青少年研究所の調査結果から見出せる論点である。まずもって、「日米を比較すると全体的に日本の中学生の方が規範意識が強いことがうかがえるが、アルコールと公共物に対する態度に関しては、アメリカの学生の方が規範意識が強い。」(日本青少年研究所「中学生の生活調査」1993、p40)としている調査結果があるのである。
 千石は例えば保護者や教師への反抗について「個人の自由」でよいこと(p115)や、性規範に関連するものについても「個人の自由」でよい(p118)と答えている高校生が多いことを根拠に規範の乏しさを強調する傾向があると認められる。
 前者においては確かに規範欠如という意味合いでは正しいが、アメリカが殊更愛国心、そしてそれに関連する家庭の尊重を極めて強く打ち出していることの表れであることも無視できないだろう。どのような規範問題に力を入れているのかについては当然各国傾向があるだろうし、この事実だけでは規範論一般を語れないだろう。
 また、後者については、読書ノートで指摘した調査方法の問題の影響が大きく、日本青少年研究所で行った別の調査結果からは(「高校生の生活と意識に関する調査報告書」2004)、売春などについて、肯定的に捉えた意見がアメリカが多かったという結果が出ている。千石の指摘するp118の調査では、「してはならない」と「本人の自由でよい」の二択で回答していたが、2004年の調査ではこれらに加え、「悪いことではない」「よいこと」の4件法が採用されている。また、アメリカの調査票でも、「Up to the individual」という表現で統一された質問がされるようになった影響もあり、日本が「本人の自由」と回答する割合が比較的大きくても、アメリカは「してはならない」「してもよい」が両方多くなっているという結果となっている。これは千石のp72のような問題意識からすれば、アメリカについても規範性に乏しいという結論をだすほかないだろう。
 更に後者に関連して、日本人は「自己コントロールできない」という傾向を見出しているが(p117)、これも別の調査では日本は85%程、アメリカは90%程が「自分でコントロールできる」と答えている(「21世紀の夢に関する調査」1999)。この99年の調査結果に千石が触れていないのはなぜ説明がされていないのか疑問である。

 そもそも論をしてしまえば、意識調査によって、規範意識の差を問うこと自体が問題になりうるということを千石は全く考えていない。P91のような教師評価と教師の力量の同一視もそうであるが、意識調査はあくまで主観的な価値判断が含まれているのであり、それを客観的に比較することができるかどうかは別途考えられなければならない問題なのではないのか。これについては特に「学校の成績は上中下のどれか」という質問に如実に現れる。日本の中高生はこれに対して大きく外れた回答はしていないのだが、アメリカでは、「中の下」以下の成績であると答えた生徒が1.5%しかいないのである(「21世紀の夢に関する調査」日本ではこの割合が33%あった)。このような結果は日本青少年研究所の調査だけではなく、他の調査でも見られる傾向であるが、この違いの意味についてはもっと検討されてもいいのではないのか?もちろん、そもそもアメリカでは正規分布的な評価体制をとっていないため、「成績が悪い」という概念自体がないという可能性がある訳だが、それが教師や学校への評価に影響を与えている可能性、更には「悪い」という価値観に対して思考しないような、アメリカ人の「心性」が存在している可能性について検討が加えられてもよいのではないのか??千石の議論はそのような点に何一つ触れられることなく、極めて単純な「意識」調査の結果比較に基づいた「実態」の批判に終始しているのである。

 千石の主張には自分の都合の悪い内容については、実態を捉えることを回避してしまうような傾向が本書からどうしても見えてしまうのである。そしてそれは、自身の(日本青少年研究所の)調査の引用の選択にも影響しているのである。「結婚観」についても日米比較の前提がそもそもおかしいのではとノートで示唆しておいたが(p99-100)、これについても別の調査(日本青少年研究所「高校生と家族に関する調査」(1994))で独身時代を長く過ごしたいと考える日本の高校生は2割なのに対し、アメリカは6割であること(p29)など、私の疑念を裏付けるデータが千石の調査そのものから見出されているのに、その事実を無視してそれを家族規範の崩壊と結びつけてしまうのである。千石の本書での議論は結論ありきであり、データは都合よいものだけを引用しているのにすぎないという批判に反論の余地はないように思える(※1)。

<2023年1月3日追記>
※1 高橋征仁「規範意識は低下したのか」(海野道郎・片瀬一男『<失われた時代>の高校生の意識」2008,p59-92)では千石に直接言及がないものの、本書の中心的論拠となる「ポケベル等通信媒体調査」の解釈の問題について詳しく取り上げつつ、その要点を、
①特定の規範だけを恣意的に取り上げる
②発達的変化や文化的相違などを時代的変化と混同する
③規範の非同調を示す回答をそのまま規範意識の低さと解釈する
とまとめている(高橋2008,p61)。

(読書ノート)
p29「「家出」も普通のことでいきなり型になった。ひと昔前までは、家出はある決心のうえでの行動だった。」
p29-30「家出少年、少女の数は、統計上は減少している。けれども、親が「家出した」と訴えるケースが減少しているだけで、親のもとを離れ、家族にも所在がわからない子どもはむしろ増えている。つまり、子どもが家を離れることに親も子も異常を感じなくなり、家出が普通になったのだ。」
※他の内容でいいだけ実態調査を用いているのに、なぜこのことについては実態調査を用いていないのか。

P47日本青少年研究所「ポケベル等通信媒体調査」の結果
※本人の自由でよいという回答が米中と比べて圧倒的に大きい。また売春、性問題の質問自体はアメリカで禁止されたという(p46)「近代的自我の育っていない日本の子どもには、特に命令、禁止が必要だ」という(p48)
p59「ジャパン・アズ・ナンバーワンから四分の一世紀。どうやら学校の「荒れ」においても、日本はアメリカ並みになった。いや、もうアメリカと逆転しているのかもしれない。」
※これもなぜ実態調査を踏まえないのか。学校内に警察権を行使できる人間を置いているアメリカ並みという感覚が理解できない。

P63「こう考えてくると、子どもたちに理解させるべき問題が二つある。一つは、たとえば警察へ引き渡すことのような、「罪に対する懲罰」をはっきりさせることである。そして、なぜ罰せられるのかという論理的基盤を明示することだ。
二つ目は、「ババア」「殴るなら殴ってみろ」という傍若無人な言動は、「ルール違反」なのだとわからせることである。」
p66「(※千石を批判した)彼の言う「モダン」とは、自我が確立された自立した個人が存在する近代社会のことである。この批判は今でも当てはまる。日本では現象だけはポストモダンだが、本質は集団依存主義である。フランスのドゥルーズガタリがいうことは、日本のことではなく、もう少し自我のある人間たちの社会を前提にしているのかもしれない。」

p71「「学校限界論」はアメリカの教師のスタンダードな姿勢だ。限界の守り方は極端に忠実である。たとえば自分の生徒がスーパーで万引きしているのを見ても、教師は口を出さない。それは学校外でのこと、止めさせるのは親権を持つものの役割だからだ。うっかり言うと、親権侵害で当の親から訴えられかねない。極端ではあるが、子どもに対する責任のもち方は日本とはまるっきり異質だ。」
※出典は当然ない。
P72「日本青少年研究所の「ポケベル等通信媒体調査」によると、だいたい日本の子どもは、「悪いことか」「悪くないことか」はその人その人が決めることだと考えている。いわば善悪の相対化がみられるのだ。これは大変な問題である。
社会の規範では悪いものは悪い。軽い悪さでも悪は悪だ。しかし彼らは何が悪かを自分の欲求との接点で決めている。そして親も、「盗ってくれとばかりに店側が物を並べているじゃないか」「金さえあればいいんでしょう」と開き直ったりする、規範意識の低さをいわれる状況があるわけだ。」
※p47の話をしているとなると、少々言い過ぎでは。しかも親も??

P72-73「フランスやアメリカでは、犯罪を犯したら責任をしっかり取れという論理がある。たぶん、キリスト教の影響だろう。インディビジュアリズム(個人主義)には、悪いことをしたらツケはちゃんと払わねばならない、という価値意識がある。」
※結局この話が千石に刷り込まれているように見える。しかも、個人主義の特徴として悪いことの代償が刷り込まれているのであれば、なぜそれは欧米で機能しないのか、まったく説明できない。
P73「この主張(※スキゾ型人間の奨励)を日本人にそのまま当てはめるのは危険だ。自我意識を欠いた無責任の主体に向かって「逃走しよう」と呼びかけても、勝手気ままを奨励するだけになる。」

P73-74「しかしそこから出てきた教師の知恵は、子どもの人格部分まで全部引き受けないで、手に余ることは然るべき機関に任せる、ということだった。偏執蓄積型教育の問題点をずらしているのだ。が、蓄積型社会の本質は、わが国の教育システムの根幹においてしっかり守られていることも事実だ。」
P74「学習指導要領の達成目標削減が二〇〇二年から実現されようとしている。これには反論も多い。学力低下が問題だ、わが国の生産性が落ちる、大学教育が成り立たないといったもろもろの声がある。
だがこういう考え方こそ偏執蓄積型だ。思うに国民全部をエリートにする必要はない。職人になるのに算数は重要でないというドイツの考え方もあるし、足し算がやっとというアメリカ人が多いことも事実だ。みんな平等にする必要はない。逃走分散型のアメリカは世界一の国、豊かな国ではないか。」
ナショナルミニマムの議論が本書の出た後に先進国中で盛んに議論されていることを考えると、このような見方は事実誤認であり、それはエリート教育とは何ら関係のないものである。エリート教育はむしろそれの否定がされていることに問題視されるべき論点があるのでは?

P76-77「不登校児が全小学生中では〇・三%、中学生では二・三%という数字は世界的にみると少ないのかもしれない。アメリカの一〇%、二〇%という数字に比べると極めて低い数字だ。また、アメリカの中学では貧しさゆえに不登校する子どもが今でもかなり多いといわれる。
不登校をめぐる研究は、個人の病理だけでなく、クラスなど集団の病理や家庭の病理に向けられ、だんだん社会システムの病理として扱われるようになった。」
※これも出典無し。そして日本の不登校を「偏執蓄積型社会からの逃走」という、河合に似た議論を展開する。

P91「科目についての知識はアメリカの教師より高く、教科教育には適しているしすぐれている。学校教育は本来的には社会成員としての基礎を作ることにあるわけだから、この専門性は高く評価されるべきだろう。
しかし、「理解度に応じた教育」ではアメリカよりもはるかに劣る。ここに日本の画一教育の弊害が出ている。一人ひとりの子どもに基礎基本を教え込むのではなく、学習指導要領に定められた目標を達成する、という詰め込み主義教育がみられるのではないか。
このため、「生徒一人ひとりに強い関心をもつ」「生徒とうちとける」「個性を伸ばす」「やる気を出させる」という教育の大切な側面が欠落してしまう。一人ひとりの能力に応じて教育するのではなく、達成すべき目標がひとり歩きして詰め込み主義教育を形成している。」
※この結果はそもそも教師に対する価値観の影響を無視している。むしろそちらを問題視するならわかるが。また、科目に関する知識も、結局は日米ともに大多数は満足していない内容になっている。出典は日本青少年研究所「高校教育〜日米比較」(1993)また、この前提を容認すると、現在の日本の教師と60年代頃までの教師を比較すれば、昔の方が教師の指導力があり、今はなくなっているという評価になるが、それは本当に正しいのか?

P99「一九九三年、日本青少年研究所では「日米高校生ライフスタイル調査」を行ったが、それによると日本の高校生が偏執家庭から逃走したがっている意識が的確に示されている。
晩婚化の傾向は、アメリカと比べるとより明確になる。晩婚・少子は家族のもつ拘束性、子どもを中心とした豊かさの積み上げという偏執蓄積型家族からの逃走を意味している。」
※偏執蓄積型家族とは??それは日本にどう根付いていたと言うのか?
P99-100「特に重要なのは、「家族それぞれ自分のしたいことをする」に賛成した若者がアメリカでは四割なのに対し、日本は六割を超えることだろう。「子どもを持ちたくない」は八・三%の数ではあるが、「結婚するとしても三〇歳前後にしたい」という晩婚化への賛成は半数になろうとしている。事の本質は、結婚し子どもを持った家族になっても、「自分のしたいことをする」にが六割という数字にある。たとえ結婚し子どもを持っても、「自分のしたいこと」のため家族はバラバラでよいという意味だ。しかしバラバラに好きなことをするというのは、人間の集まりとしての家族とはいい難い。」
アメリカの結婚観がそもそも30歳前後に結婚しようかどうか考えているかどうかを無視して自己解釈してしまっている!!また、自分のしたいことも支持も、家族規範を尊重すべきとされるアメリカと相対的な比較をするなら、これが大きな差であるとみなす理由にならないように思える。

P102「これを見るとアメリカの家庭は日本の家庭とは大いに違っていることがわかる。日本の家庭は「父」を越える、というメッセージが強い。いうなれば偏執家庭である。
対して欧米の家族では、子どもは父と母の間に割って入り、母子一体とはならない。父と子どもの葛藤よりは、最初から個々の存在として自立すべき子どもを前提している。
日本の子どもにとって、家族は温かいというより、抑圧者として機能し、偏執的な追いつけ追い越せのプレッシャーをかけられている。」
※どうしてそうなる。むしろ無関心が問題にされたりしてないか?
P102-103「その悲劇(※1977-88年までの親殺しの事件3件を挙げている)は家族内で起きているのが最大の特色である。それは偏執人間を生み出す機能が家族にあったからにほかならない。
しかし家族の機能は批判されず、むしろ家族のしつけが批判されている。」

p106「こういった若い世代の親に育てられた小学生は、「がまんの心」「孤独に耐える心」が足りなくなっている可能性がある。また「人助けの心」「礼儀正しさ」「責任感」も乏しく育てられている可能性がある。もしかすると、小学生低学年の授業中の立ち歩き、おしゃべり、集中のなさなど、ここのところ問題となっている「荒れ」をこの世代の母親を代表する社会的意識が引き起こしているのかもしれない。しかし短絡的に若い世代の親を責めるわけにはいかない。その前に、背景にある消費社会の価値意識を問い、なぜ彼らがそのような価値観をもつに至ったかを考えなくてはならないだろう。」
※よく考えると欧米でもあり得る事象を全て日本的な親の無規範さという「実態」の原因とし、それを更にはシステム論的に消費社会の問題としている。ここにはすでに実態把握のレベルで飛躍しているのだが、どうしても千石にその自覚はない。欧米にも同じような実態があると思われるのにそれを無視し、更に結果としてそれは日本と異なるのかどうかという検証を排除している。そのような形で形成される日本論など意味がないのは明らかだと思うが。

P112「外国人が日本へ来るといろいろなことに驚くようだが、そのうちの一つが信号を待つ日本人だ。朝早くジョギングしたある外国人は、まったく見通しのよい場所で、赤信号が青信号に変わるまでじっと待っている日本人を見て驚いたという。多くの外国人が信号をじっと待っている日本人に驚いている。秩序を守るすぐれた民族なのか、盲目的な自立のない民族なのかわからないという。
赤信号をじっと待っているのは、単に権力に従っているだけと映るらしい。もともと、信号は安全のために存在する。安全のための道具だとすれば、安全が確認できれば、赤でも渡っていい理屈になる。」
※これも実証性に欠ける。相対的な議論として正しいかもしれないが、それを持って日本と欧米の価値観の違いが議論できるかどうかは別問題。しかもこれは規範遵守意識の問題に関連するはずなのに、それについても触れられない。赤信号は「進んではいけない」という禁止規範であり、これはアメリカでも同じはずである。であれば、これは個人の判断で善悪を決めているのと同じでは?なぜ日本は善悪の判断を個人で決めてしまっているなどと千石は言うのか。

P114「実はこの質問の仕方に隠れた仕掛けを作った。質問の選択肢を「してはならない」と「本人の自由でよい」の二通りとしたのだ。正確にいえば正しくない表現である。「してはならない」の反対は「してもよい」である。しかしこれまでの調査経験を踏まえて考えると、日本人は「してもよい」とは答えたがらない。……「本人の自由」という答えはいかにも日本的である。なぜなら自分の判断、自分の意見を言わないで逃げているからである。
アメリカの共同研究者たちと、「本人の自由」と「してはならない」という矛盾を英語でどうかいけつすべきか、という問題になった。アメリカでも同じ質問をして比較する計画だからである。アメリカ側の意見は、acceptableで、「してはならない」には、notを頭にかぶせることでどうか、ということだった。日本と非常に近い表現である。」
※この本人の自由でよいという答えは「そのままアメリカと比較するには問題がある」ことを認めてしまっている(p114)。しかも、「本人の自由」というのも、選択肢で言わせてしまえばそれは本人の意思の有無を問える性質のものではなくなるのに、ここでもアメリカの「実態」は無視される。

P115「もう一つは、親や教師の権威のなさだ。「両親や教師に反抗すること」について「本人の自由でよい」との答えが多い。これは伝統的な権威が大きく揺らいでいることを示唆している。学級崩壊や家庭崩壊を十分裏付ける数値といえよう。そして、これはとりもなおさず偏差値偏執社会からの逃走であるといえる。しかも「本人の自由」という名の無抵抗の逃走であり、赤信号を渡る自主性はない。」
P117「そういうなかで「自己コントロール」についての質問に、アメリカの若者よりかなり少ない回答が寄せられたのであった。この結果は、日本の高校生は耐える、がまんすることより解放をとったことを意味している。蓄積してきた知識や材を後生大事に背負いながら、それによって競争相手を出し抜こうと血眼になっている社会にあって、そこへ参加するための自己コントロールよりは、自分の欲望を解放し、自分に忠実になろうとしたのだろう。
自分をコントロールしないというのは、ここでいう偏執蓄積型人間でいることをやめて、逃走分散型人間になることを公言したともいえる。日本の若者は、アメリカの若者より社会からの逃走型が実に多いのである。」
※出典は日本青少年研究所「ライフスタイル調査」(1993)。「自分の欲望をコントロールする」という回答が日本は約六割なのに対し、アメリカは約九割五分であったという(p116)。しかし、公言は言い過ぎあろう。それであれば純粋な「本人の自由」回答に依存すればよい。

P118「「セックスは自分で決める」も「タバコをやめる」も、日本の子どもたちのなかでは賞讃の対象にはなっていない。この辺に自我意識というか個人主義における責任のあり方の違いがある。
日本の高校では、「セックスの自己決定」「タバコをやめる」より、他人と同じであること、援交仲間やタバコ仲間として親近感をもたれることが価値として機能している。」
※規範価値としてみるべきかどうかは議論の余地があるのでは。それを間接的に規定するような性質のものはあるのかもしれないが。
P124「考えることをしないのは、自我が貧しいからだ。アメリカの学校では、授業中質問が次々と続き、授業が先に進まないのは日常的だ。日本では考えられない光景だ。」
P125「同じ行為の繰り返しの上にため込み主義の社会が築かれていた。子どもたちはこういう社会から逃走しようとして、考えもなく、やせるためにスピードという覚せい剤を使い、ブランド品欲しさに援助交際をし、がまんや忍耐のない自由な世界で浮遊したくなったのである。」
※規範不適応ならアメリカの方が強いのでは?

P129「「今をエンジョイし、先のことは考えない」というのは、考えてみると歴史上かつてなかった現象である。将来のことを心配しなくてもなんとかなるという豊かさの心理が、思考を停止させ自我の貧弱さをあらわにしたのである。このような現象は一種のアノミー状態といえる。アノミーとは、これまでの社会規範が社会の変化によって動揺・弛緩・崩壊し、人間の欲求や社会的な行為の空白状態ということである。」
※しかしここでいうアノミーは二項対立的なアノミー論ではない。
P136-137日本青少年研究所「21世紀の夢に関する調査」(1999)の結果
※「人生の目標については、喪失感がより明確に表れている。」(p135)「進歩、向上に背き、社会への関心も極めて低い。」(p138)とされる。後者は「社会に貢献する」意欲がない結果というが、実際の結果比較は明示されていない。しかもp166の「大学生の職業に関する調査」結果を踏まえると、働く目的として「自分の生活」や「能力を生かす」といった項目が日中ともに多く、社会貢献に関する項目をみると両者に優劣は確認できない。

P138「これは明らかにアノミー社会、目標喪失社会を示唆している。もうみんな偏執蓄積型社会から逃走した結果、このアノミー社会に「まったり」身を委ねて、自力で抜け出そうとはない。本当に「生きる力」が求められているのである。」
P142「「TIME」にメッセージを寄せた外国人のなかには、日本のファッションを、日本の古い文化に対する「反抗」だと位置づけている記述もある。しかしそれは誤りだろう。カウンターカルチャーはもう少し理由があった。大学紛争に象徴されるヒッピーカルチャーは、内実の伴わない「権威」と称するものを拒否した。十年一日のごとく同じことを講義している大学教師に「ノー」を突きつけた。理由ある反抗だったのである。」
※時代錯誤的にヒッピーカルチャーと比較しようとすること自体がおかしいように思えるが。

P148「大沢真幸氏はここでいう「他者」は権威をもった者でなければならないし、この権威を「第三者の審級」という。次々に崩れる秩序を前にしたとき、権威ある他者の存在は極めて重要だ。具体的には「第三者の審級」は人間の欲望の「拘束」といえるだろう。しかし近代から現代へと進むにしたがい、欲望は解放につぐ解放で今やほぼ完全ともいえる解放状態となった。欲望の「拘束」は文明と文化の過剰な進化に伴って、溶けるようになくなった。」
※大澤の議論を持ち出すのは結構だが(ドゥルーズ=ガタリもそうだが)、それが日本でしか採用されないのかについて説明がつかない。一応ここでは「身体の比較社会学」が参照されている。

P152「偉くなることを拒否する若者が増えた。責任ばかり重くなって、自分の自由を失うというのである。」
※しかしこれも、単純に国際比較できるような問題ではない可能性もある。そもそも社会がブラックの傾向があるのに、そのような社会で偉くなりたいなどと思うのは健全だというのか?
P164「挑戦的でもなければ技術能力が高くもなく、ただ「おもしろい」「自分の才能が生かせる」仕事を望むのは、「甘えている」ということだ。そのいいかげんさには幼稚性を感じるが、このいい加減さこそ、積み重ねの偏執蓄積主義に対するはっきりした拒否であり、そこからの逃走の姿といえよう。」
※出典は日本青少年研究所「大学生の職業に関する調査」(1999)だが、何故かアメリカが対象となっておらず、日中比較をしている。しかも、中国の大学進学率は1999年ごろは10%に満たない状況でありエリートとの比較をしてしまっている。

P166-167「中国と比較してみると日本の姿がかなりはっきりと捉えられる。日本では「生活のため」にやむなく働くのであり、偏執蓄積型社会からの逃走が色濃く表れている。と同時に、中国と比較して「自我意識」が弱い。中国の大学生は自分の職業生活での目的意識がはっきりしており、慢然と「生活のため」という消極的姿勢はない。」
※この結果も優劣があるかどうか判断できるかどうか疑問。そもそも回答方法が異なるにもかかわらず安易に優劣をつけることを前提で比較したがる。しかも、中国の場合、何故か「無回答」が17%もあるが(日本は0.3%!)、この理由についてなんら述べられていない。これは解釈のしようによっては中国の学生の仕事への無関心を表す、といった解釈だってできるのである。もっとも、実際は質問方法に問題があった可能性が最も高い。

P168「つまり日本の大学生の「やる気」は、多分にお題目にすぎない。「おもしろい」「能力発揮」とは口先だけで内容がない。どうやって生き生きするかを見失っている社会で、ポスト構造主義と同じ袋小路にたたずんでいる。と同時に、日本の大学生には近代的な自我意識がないことも見せつけられた。
この情けない結果を前にして、われわれはポスト構造主義以後の新しい理念を立ち上げる必要がある。でないと、学校からも逃走し、この社会からも逃走して、どこへ行こうとしているのか目標がわからない若者たちは、不透明な社会に漂い続けるのみである。」
※ここでは先ほど中国の大学生を高評価するために用いていた「能力発揮」というワードを「口先だけ」などと断じている。そもそもアンケート自体が口先だけでしか判断しないものであるように思うが、そのような批判の仕方に意味はあるのか。思い込みが激しいと言わないでどう千石の態度を評価できるのか。
P169「しかし、その趣味が一つの能力となり、社会とがっちり結びついた。ほんの一つの例だが、自分の能力の発揮、個性を開発するのに、力を注ぎ頑張って、そして社会と結びつくのはすばらしいことではないか。その充実感を、逃走する若者にも知ってもらいたい。」
※こういうものの評価、量的調査をすべきなのでは??なぜたった一つの事例でこのような態度が優れているなどど断言してしまうのか。

P194「学校の規範から逃走しようとする若者現象が多く見られるようになった。上衣の胸元を少し開ける。ダボダボのズボンにする。髪に天然パーマといえる程度にパーマをかける。校門を出たとたんにルーズソックスにはき替える。こういった逃走児はだんだんと多くなった。生徒指導の先生の多くは服装の乱れは心の乱れにつながるという。非行はここから始まるというのである。
そのうち、制服廃止運動があちこちで起き始めた。生徒会のリーダーが積極的に働いたケースが多い。リーダーは生徒会の決議として制服廃止を決定し、これを職員室に持っていく。すんなり受け入れてくれる生徒指導教師はいない。長い長い話し合いという闘争が始まる。学校側からはいろいろな条件が出され、リーダーは持ち帰って生徒会に諮る。こういう経過は、結果的に生徒たちの「自由化後の責任」を明確にする仕掛けだったといえる。」
※まずもって、この制服廃止運動がいつ頃の話なのかがつかめない。校則廃止の動きはむしろ文部省が動かなければ大きな波及がされなかったものだったのでは?千石のいう解決策はほとんど妄言に近いのではとも読めてしまう。
P195「こうして条件つきではあったが、制服廃止運動は成功を収める。この成功の経過は偏執蓄積型社会からの逃走の許可という性質をもつ。運動に成功をもたらした経過は社会化への歩みでもあった。」

江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

 今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。
 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せねばならない。P111-112にて農耕文化的側面が日本の社会を「母性的」たらしめていることや、p147における「超越神」と「自然神」といった比較がなされているあたりが比較的明確に議論している部分といえるだろうが、河合が網羅的にその特徴を押さえて議論していたのとはほとんど対照的に、漠然とした形でその性質を述べているに過ぎない。したがって、私の解釈で議論をしなければならない。
 その私の解釈とは、基本的に阿部謹也の世間論において日本と対比された、キリスト教的な神との対峙に典型的な父性原理を見出すという発想である。「贈与慣行があった時代には人々は個人としての位置をもっていなかった。」(阿部「近代化と世間」p23)しかし、個人が神との対峙.により「世間」は「切断」され、そこから個人が解放されるというのが阿部の論旨であった。このような説明は江藤においても、「天」という表現などで「母性」的なものと区別をはかっていることから類似性が見出せる。もちろん、江藤は必ずしも抽象的な「神」との対峙が必要であると言っている訳ではない。それは本書で実際の母をなくす可能性を認識する、といった事件によってもありえるものとみなしている(cf.p223)。江藤も明らかに「絶対的他者」との対峙に個の現出を見出している。そして、それが恐らくは「父」と結びついているものと思われるのである。

 さて、ここまでであればさほど大きく河合の議論と異なるとまではいえないないだろう。そこで、注目してみたいのが、江藤のいう父性原理における「権威」というものである。河合はアメリカにおけるauthorityというのは拘束性とは別の考え方であることを強調しつつ、父性原理に基づく教育というのは、「押しつけ」ではないと強調する。

「日本では権威が権力と混同されていやがられるが、アメリカではauthorityは何かのことについて他から卓越した知識や技術を身につけていることで、すぐ連想するのは「信頼できる」ということである。ところが、日本であれば、「権威」というと連想するのは、「拘束される」ということではなかろうか。それによって自分の自由が奪われる。これはどうしてだろうか。
 ここにも、最初から個性をのばしてゆく西洋流の教育における権威と、易行型の日本の権威との差が出ている。易行型教育では、型は絶対である。それが絶対だという意味において、教師は個性ぬきの絶対的権威をもつことができる。それにしたがう者がその方法をまったく肯定している場合は問題がなく、すべて安泰である。しかし、それにしたがう者が、少しでも「個性」などということに目を向け出すとどうなるだろう。その場合の「権威」などというのは、個性の破壊者としか考えられないであろう。」(河合「臨床教育学入門」1995,p80-81)

「しかし、これを父性原理に基づく教育から見ると、まったくナンセンスである。個々の生徒の個性を尊重すべきであるし、「権威」をもちたい教師は、生徒に信頼をえるだけの知識と技術をそなえた個性ある人間として、成長するように努力しなくてはならない。教師は自分を鍛える努力をしなければならない。教師は自分を鍛える努力をしなくてはならない。これに比べると、「型」にはめる方は、自分の権威を安易に守り、生徒の方にそれを押しつける姿勢が目立つ、そこで、教師の「個性」を見極めたいと思う生徒たちから猛反撃をくらうことになる。」(同上、p81)
 この言い分に対しては、二重の意味で批判せねばならないだろう。まずもって、「アメリカの教育に押しつけがない」という言い分は、特に60-70年代にアメリカで議論されていた学校教育批判と噛み合わない。脱学校論の系譜もそれに該当するが、アメリカにおいても、学校教育は「押しつけ」の代名詞として批判の対象になっているという事実を完全に無視していることになる。

「いま教育は、人々の主体的な行動、生き方の敵対者になっている。すくなくとも、強制的で威圧的で、アメとムチの原理によって運営されている学校教育は、諸個人の主体性を完全に踏みにじっているのである。これまで人々が持っていた教育への幻想を否定し、主体的な生き方をするためには、何が必要かを探るのが、この本の目的である。」(ジョン・ホルト「21世紀の教育よこんにちは」1976=1980、p1)

 また、第二に、もっと広い意味で父性社会そのものが権威的な押しつけがないのかという点について。これについては大いに語弊を生むように思える。本書の議論においてはこの点についてほとんど論点となっていないようにもみえる。父性原理の社会においては、「絶対的他者」が機能し、p221に見られるように、そのような「絶対的他者=父」が罰する者として、主体の視線に現れることになる。問題はこれが河合が言うような「押しつけ」とどう関連しうるのかということである。
 これが押しつけでないと言うためには、それが文字通り「絶対的」なものとして機能していること、つまり、周囲の具体的他者から完全に離れた状況のもとで主体に働きかけるものである必要がある。そして、江藤の前提をもとにすれば、このような状況の前段において「怯えの現存、あるいは偏在」することが必要となるだろう。
 このことの詳しい状況については、江藤がアメリカに滞在していた時の体験記となっている「アメリカと私」を参照すると、見えてくる部分であると思う。少なくともアメリカへの移住民にとっては、アメリカ文化の受容(≒父性原理の社会の受容)は一種の強制に他ならないものであったと江藤は述べている。

「米国にやって来た移民は、まず英語の習得からはじめ、無限に自分をアングロ・サクソン化しようとする努力をつづける。そして「アメリカ」社会は、先に来たものが新参者をいじめるというかたちで作用する社会的圧力を通じて、絶えず「お前は本当に米国人になっているか」――つまりどれだけアングロ・サクソン化したか――と問いつづける。
 この間断ない忠誠調査によって、合衆国は「多をもって一となす」ことに成功し、「アメリカ」社会を統一する忠誠心のにかわをつくりあげた。つまりこの社会は間断なく模倣を強制する。そして組織化された模倣の奨励が「教育」というものだとすれば、つねに「教育」を強制する。したがって、この社会は、「よき米国市民」という優等生がたえず劣等生をむち打っている巨大な教室のようなものだともいえる。これほどダイナミックな国家と個人の関係はほとんど残酷といっていいであろう。この残酷さからのがれる道は、自分が優等生になる――つまりあらゆる意味で「成功」することしかない。
 なぜこれほどの強制力が必要か。いうまでもなくこの国を解体させてしまう分化力が、つねに強く同化力の裏側に作用しているからである。」(江藤「アメリカと私」1965=1991、p184-185)

 当然、このような社会に溶け込み、内なる絶対的他者を獲得した者であれば、このことを「圧力」などと感じることもなくなるのだろう。しかし、移住民も含めて、その社会に適応する過程においては、これは「圧力」に他ならないものであるといえる。社会への適応という課題を捉えるのであれば、江藤のような見方はむしろあたりまえであるといえる。
 これは、河合の父性原理・母性原理の考え方からみても同じであるはずである。それは日本のような母性社会における人間を「永遠の少年」(河合1976,p30)と表現していることからも明らかである。つまり、母性原理と父性原理は厳密な意味で二者択一の形式をとっているとは言い難い。むしろ生得的な意味では個々人が母系社会を好む傾向があるということを河合自身認めているのである。これは江藤のp185でみる立場と同じである。西洋の子どもは父性社会で生きるべく、それ相応の教育を受け、父性社会で生きていくための個性を獲得することを方向付けられている、ということになる。

 では、これは本当に「権威による押しつけ」ではないのか?私にはどうしてもこれは押しつけにしか見えない。結局これに適応できなかった弱者が逸脱行動をする、そしてそれは日本よりも大きい、という河合の立場からしてもそれは明らかであるように思う。確かにその圧力の性質は異なると言えるかもしれない。日本は平等性の押しつけとして、アメリカでは強い「個」が勝るという原理の押しつけによってなされているという見方はありえるのかもしれない。しかし、それはいずれも「押しつけ」であることに変わらず、日本の学校教育に限って「権威的押しつけ」がなされているとみなす河合の見方は誤りだと考えられるのである。


○日本の教育病理は日本独自のものなのか?
 このような問題点は、そのまま河合の提示した父性原理・母性原理の問題に関連してくる。河合は、日本の教育問題について、それを母性社会日本への父性原理の流入によるアノミー状態であると、その独自性を強調していた。しかし、これについても、実証性に極めて乏しく、むしろ検証なしに批判を行ってしまっている。
 確かにいじめにおける暴力性の問題などは日本が比較的非暴力的であると、国立教育政策研究所などが国際比較しているが、いじめの原因論として、河合のいう母性原理・父性原理が関連しているかどうかは別問題であり、実際の関連性があるかどうか微妙な所もある。また、暴力性をことさら河合が取り上げたいのであれば、それは父性原理と暴力性≒権威的押しつけを結びつける議論となってしまい、河合の論旨と矛盾してしまうのである。
 また、タテマエとホンネの議論もこれに付随して日本的特徴とみなされる訳だが、日本がアメリカと比べこの区別が強いという根拠も極めて乏しい。アメリカにおいても制度上表面化しているタテマエと、実際の個々人の行動がずれることは「人間の心と法」における国際比較調査からも遵法意識の議論などから垣間見れた部分であり、現在のアメリカの政治情勢を見ても、それが「タテマエとホンネの乖離」を示しているようにも見えてしまう。これも結局「父性原理・母性原理」という二項対立からは出てくる結論といい難い。

 また、不登校の問題に関していっても、「登校拒否」、さらには「スクールフォビア(学校恐怖症)」まで遡れば当初は欧米の考え方を取り入れながら議論されていたものであったという側面を認めねばならない。また、不登校の割合だけ見るならば、むしろアメリカの方が多いという論者もいる(千石保「普通の子が壊れてゆく」2000,p76)。議論はそこまで単純なものとはいえず、だからこそ「父性原理・母性原理」という立場から、いかなる差異が見出せるのかといった観点に基づく実証的議論が必要であるといえるのである。

 更に言えば、河合はこのようなアノミー問題を単純に欧米文化の受容の産物と捉えていた。それは日本において「父性原理」が欠落しているということから指摘されたことであった。しかし、江藤の議論というのはこれを否定しうる。江藤のいう「天」の発想というのは、明治期などにはそれが断片的にであれ日本に存在していたとしているし、むしろそのようなものの復活の流れを介して「父性原理」のアノミー問題が生じている可能性も同様に指摘できるのではないか?また、広い意味で父性原理が「絶対的他者」と関連付く問題であるとするならば、西欧文化を介さずとも、それに到達する可能性もまたあるのではないか、と考える方が自然であるように思う。河合の議論は日本と欧米の対比に固執しすぎているように見えるのである。
 河合のいう「父性原理」は個人主義という言い方で言い換えても語弊がなかったのに対し、江藤のいう「父性原理」は、ある意味で個人主義という表現に適さないという言い方も可能であろう。これについては、江藤の他の著書から見れば別の結論が出てきてしまうのかもしれない。しかし、本書のみに限れば、江藤のいう「父性原理」は、阿部謹也の議論などで用いてきた「純粋贈与」というのが必然化しているとは言い難い。「純粋贈与」とは厳密な意味で神との対峙がなされた場合に、厳密な意味で「個人主義」が機能する条件として見出しうる、返礼なき贈与であった。そして、この「純粋贈与」については、その成立した状態について、何度が私自身疑念を与えてきた。江藤の議論を断片的に読んだ限り、この「純粋贈与」の成立は明示されない。それは可能性の議論にとどまっている。
 しかし、河合のいう父性原理はそれとは異なり、この「純粋贈与」が成立した上での個人主義をすでに語ってしまっているのである。河合の議論の批判を厳密な意味で行うのであれば、この点にあるのではないかと考える。


○理念型の運用についてどう考えるか?
 もっとも、「理念型」の話に立ち返って物事を考えてみると、ある意味で、河合のような父性原理の性格付けというのは、理にかなっていると言えるのである。一見すれば、河合はこの「父性原理・母性原理」について価値中立であることを繰り返し明言しており、なおかつ、このような区分というのは「大雑把」なものであることを認めている。

「今回はあまり論じる機会はないが、他のアジアの国は日本よりももっと母性原理優位ではないかと思われる。日本は後にも述べるように父性原理をアジアの諸国よりは取り入れているところがある。と言っても、大まかな比較をする限り母性原理による社会と言っていいだろう。
もちろん、これはきわめて大雑把な比較である。そして、ある文化や社会がひとつの原理のみで成立するはずがないので、片方が優位の場合でも他の原理による補償が行われるように、うまく工夫されているのが実状である。ここで認識しておかねばならないのは、この二つの原理を論理的に矛盾しない一つの原理に統合することは不可能なことである。そして、この原理のどちらがよいなどということはできず、まさに一長一短である。」(河合「臨床教育学入門」1995,p63)

 この大雑把さというのは、理念型と実態との関連の議論でいうならば、それが十分位置付けできていない、という意味で用いられていると言ってよいかと思う。これ自体はその性質の整理という意味では、厳密さに欠けていようとも論じることに大きな問題はない(もちろん、誤配という領域においては問題になり続けるが)。
 しかし、これが何らかの批判や、改善を求める言説と結びつく場合は話が異なってくる場合がある。そのような批判等を行うために河合のような理念型の運用を行う場合、すでに理念型はその仮説的位置付けを超え、自明の理として性質付けられることになる。何故なら、そのような位置付けがなされない限り、現状の批判そのものが機能しなくなるからである。
 明らかに河合は日本の学校教育、そして母性原理社会であるとされる日本に対して批判的な立場から議論を行っている。この批判性は当然母性原理そのものの批判ではないが、現状改善の必然性を強く訴える論調である。そうすれば当然「大雑把」な分類をしていたはずの「母性原理・父性原理」は、その大雑把さを失う。そして、江藤においては議論されえた領域の議論が排除されてしまうのである。結局、河合は自らの態度に矛盾を抱えてしまっているという解釈をするほかなくなってしまう。
 このような矛盾的な態度というのは、河合の場合むしろタテマエ的に理念型を捉えてしまっていることに起因しているという印象を強く持ってしまう。「理念型は実態と一致しない」「理念型は善悪をそれ自体示さない」というのは理念型の大原則である訳だが、それを河合がタテマエとして確認しているだけなのではないのか、つまりそれは形式的に述べられているに過ぎず、その実質的な意味合いにまで吟味せずに述べてしまっているからこそ、矛盾した態度を取ってしまうのでないのか、という疑念をどうしてももってしまうのである。

 一応付言しておくが、江藤の議論もまた十分に客観的な実態に基づいて分析をおこなっている訳ではない。江藤のいうアメリカも断片的でしかない。しかし、たとえそれが「偏見」であるにせよ、江藤のような見方で「父性原理」を捉える余地は大いにある訳であり、その可能性の議論を否定した上で、河合の言うような二項対立的な「父性原理」は語られるべきであるということである。


<読書ノート>
p70「そして「父」である「国家」は、それ自体がヨーロッパという「父」に対して反抗し、独立したという「子」のイメイジを内包しており、カウボーイは容易に自分をこの「父」と一致させることができる。つまり彼は父性的な文化のなかで育てられた人間である。」
p72「もし息子が「父」のイメイジを自分に一致させようとすれば、それは「進歩」否定として社会心理上の制裁を受けなければならない。この社会で「進歩」がほとんど無条件にプラスの価値と考えられているのは、「進歩」が「西洋」=「近代」に対する接近の同義語だからである。もともと「父」を「恥じる」感覚の底に、「他人」の眼に対してという比較の衝動が潜んでいることはつけ加えるまでもない。ここでいう「他人」が西洋人であることはいうまでもないであろう。
注目すべきことは、この「進歩」の過程で社会が急激に崩壊して行くということである。いいかえれば、「父」によって代表されていた倫理的な社会が、次第に「母」と「子」の肉感的な結合に支えられた自然状態にとりかこまれて腐蝕して行く。」

p97「なぜならすでに述べたように、近代日本の社会で人は「他人」のためにも「自分」のためにも生きられないように存在しているからである。「他人」のために生きて「責任」をとったり「救おう」としたりすればかならず「とまどわ」なければならず、「自分」のためにもまた「他人」のためにも生きられず、そこに「社会化された私」などというものは成立しない。」
p111-112「エリクソンは、あらゆる女性的な不安のなかでもっとも根源的なものは、この「置き去りにされる」不安だといっている。それが女性が幼児期に経験する、もっとも深い性徴の自覚と結びついているからというのである。だが、それにしてもいったいなぜこの女性的な不安が、ほかならぬ昭和三十年代の日本人の心をあれほど強くとらえたのだろうか。
いうまでもなく、それはもともと日本の社会の根底をしめているのが女性的、あるいは母性的な農耕文化だったからにちがいない。それに加えて敗戦とそれにつづいた占領が「アメリカ」の代表とする近代産業社会と日本の農耕社会との落差を、誰の眼にも明らかなものとした。」
※模倣的なのもまた母性社会だったから、ということになる。

P146-147「近代日本の社会が、「父」のイメイジを稀弱化し、敗戦がさらに支配原理そのものを否定したことについても、前に触れてある。彼には「母」もなければ、「父」もない。ただ「家」だけがあり、その中を治める手がかりを俊介はどこにも見出せない。」
P147「それは作者が俊介と同様に、「母」の文化のなかで育って来た人だからにちがいない。つまり作者が「父」の背後にいる超越神よりは、「母」の背後にひそむ自然神に対して宗教感情を感じるような人だからにほかならない。」
P148漱石儒教の超越的・父性原理「天」の基軸を作品に内在させていた

P174「私は十六・七世紀の日本に在来のどんな強力な父性原理があったかよく知らない。しかしそのとき「天主教」は、主として母性原理によって成立していた日本の農耕社会に強力な父性原理を注入しようとした。それはいうまでもなく農耕社会に侵入してきた遊牧民族の原理である。この「天」の思想が、やがてもうひとつの「天」の思想である儒教と角逐して追われたのは自然である。」
P185「果して「父」を抹殺してしまった世界で、人は生きられたか。「父」への信頼を喪った者同士が、どうして結びつくことができたか。いったい父性原理の欠けた秩序がありえたか。……
……人が喪失した「母」の回復にのみ救済を見ようとするかぎり、回復されるのは幼少期の投射であって決して秩序でも社会でもあり得ない。なぜならあらゆる父性原理は、おそらく「喪失された幼年期」意識の上に、それが決して回復され得ないという断念の上に築かれるもののはずだからである。」

p221「しかし「彼」がなにに熱中していたとしても、おそらく彼は映画に出て来るイタリア移民の石工とはちがって、「自分を罰し」なければならないようなことをしているとは感じていなかったにちがいない。つまり「彼」には、「罰する」ことのできる「父」の視線を感じとる感覚が欠けていたからである。」
p223「だが妻の自殺未遂に直面させられたとき、「彼」のなかでは「母」とともにこの素朴存在論の世界全体が崩壊する。そのとき「彼」ははじめて「個人」というものになり、その前で妻は不可解な「他者」というものになった。この「他者」は眼の前にいながら、同時に無限の彼方にいて、触れあうことができない。」
p224「ここで『夕べの雲』の主人公が、「天に対して全身をさらしている」と感じているのは、注目に値する。「母」が崩壊したときはじめて「天」が、つまり「罰する者」としての「父」が求められているからである。この「天」は、いうまでもなくあの怯えの現存、または偏在を前提としなければ出現し得ない。」

p245-246「彼の内にある「母」が崩壊していったように、彼の周囲の「自然」破壊され、一切は「もうこの世には無いもの」のように見える。大浦は実はそういう、「幻」の世界に向って立っている「治者」なら、彼はあたかも世界が実在するかのように、そして秩序がそこに実現されるかのように、しかもそのいずれをも少しも保障されずに生きているのではないであろうか。
これはいうまでもなくきわめて意志的な生きかたである。大浦にこういう生きかたを選ばせているのは、あの怯えにほかならない。彼はその怯えを内に隠して、あたかも「天」によってその権威に支えられた「父」であるかのように生活している。しかしこの沈着な家長は、いつどこからこの「父」のイメイジをあたえられたのだろうか。ここにはおそらく『夕べの雲』の核心に触れる秘密が隠されている。現実の「天」は大浦を畏怖させるものであっても彼を権威づけるものではなく、「不寝番」を引きうける彼の孤独な努力を意味づける価値は、実はこの小説のどの部分にも出現しないのである。」

p254「アメリカと私」の説明…「敢えていえば、それは、人はこの国(アメリカ)では孤独であることが許されている、とでもいうような感覚である。これは個人主義などというイデオロギーとは何の関係もない感覚であり、況んや自由とか民主主義とかいうお題目とは、似ても似つかないような感覚である。むしろ、個人主義や自由や民主主義は、単にこの感覚を包んでいる風呂敷のようなものに過ぎず、実際にアメリカで生活していると、個人主義や自由や民主主義ではなくて、この感覚だけが骨身に沁みついて来るのである。」