マイクル・クライトン、酒井昭伸訳「ライジング・サン」(1992=1992)

 今回は今後の伏線の意味も含めつつ、「日本人論」の捉え方の事例として、マイクル・クライトンの小説を取り上げる。
 本書では至るところで「日本人」についての言及があったが、基本的に何らかの因果関係が説明されている部分を全てノートにまとめた上で、どのような形で日本人を説明しているかの分析を行ってみた。


 恐らく、本書で日本人の性質についての核心に触れているのはp372の部分であると言っていいだろう。しかし、ここでの記述は冒頭からすでに矛盾している。「農民」と「サムライ=武士」を同じものとして語っているという点である。しかし、ここでは主にムラ社会的な価値観に基づいて行動しているということは明らかであり、サムライは農民であるかのような捉えられ方をしている、という点をまず押さえておこう。
 そして、このムラ社会的な性質であることを基軸にして、更に3つの性質を大きく本書では捉えている。

1.「日本人は集団主義的である」
 P372でもすでに触れられているが、日本人は人と人の関係性について何よりも重要視しているとされる。これに関連する内容はかなり多い。このことが基本的に「因習でがんじがらめに」なることにつながる(p296)。言葉をあまり使わず、逆に「議論を避けようとする」(p22-23)。周りの空気に合わせなければならないため、「立場に応じて態度を変え」ることになる(p83)。細かなことに気を使うことになり、「慎重にことを進め」(p298)、「用意周到」になる(p104)。「カイゼン」主義(p276-277)も同じ理由といえる。これが「ものごとにしかるべき関心をはらう」ことにも繋がる(p69)。しかし反面「意思決定システムが前例に基づくものであるため、前例のない状況に遭遇すると、どう対処していいのかわからなく」なり、「新しい状況に対しては、日本の組織は迅速な対応ができない」(p84)。
 これは組織論的にも語られる。「ケイレツ」企業への言及(p142-143)や閉鎖的な市場(p304-305)、政府の関わり(p380)などが該当するだろう。


2.「日本人は競争的である」
 1.と同じ位本書で強調されているのは、日本人が競争的であるという点である。これはp144-145に書かれているように、伝統的に「愛と戦争のためにはなにをやってもいい」という価値観があるものとして語られる(※1)。基本的に本書は日米貿易摩擦をメインに扱っており、日米間の経済競争を「戦争」という言葉で何度も表現している(p187-188,p190,p273,p529-530)。アメリカのルールに反したダンピング(p305-306)や特許のシステム(p273)といったものを取り上げている。
 本書において1.と2.のどちらがより影響力があるかはなんともいえない。単純な日本描写の数ならば1.の方が多いかと思うが、日本がアメリカとの経済競争に優位に立ち、本書における事件に大きな影響を与えている政治・警察・メディア等への「圧力」の存在は、組織論的な支えとしての1.よりも2.の論点からの方が説明できるだろう。

 しかし、ここで疑問になるのは、この「競争性」がどうにもムラ的価値観から導きだせるとは考えづらいという点である。閉鎖的なムラは闘争的だったのか。これはこれで議論の余地がある論点である訳だが、ここではムラが闘争的だったというよりかは、前述した「サムライ」のイメージから影響を強く受けていると考えるべきではなかろうかと思う。本書からは直接導き難いが、下記のような議論を踏まえれば、自然に競争性を理解できると思う。

日露戦争前後、それは日本が欧米の友好諸国、イギリスやアメリカその他に最も高い評価を受けていた時期であるが、その頃の日本人のイメージは、サムライであることと、西欧の模倣者であることの二つのあいだで揺れていた。日露戦争に従軍した欧米人記者が書いたその戦争における日本は、やはり、サムライの後身としての日本の姿と、新たに勃興した小さな帝国主義勢力というイメージとの二つがずれて重なっているようである。そして日本の側も、自ずと、日本というものを外に表現するとき、西欧と同じ国家制度と軍事力を持つという「共通性」を強調して振る舞うだけでなく、サムライの伝統を持つものとして、「高貴な野蛮人」という「固有性」を逆利用しているところがあった。」(船曳建夫『「日本人論」再考』2003,p220)

 帝国主義という表現こそ、まさにこの競争性を意味していると言っていいだろう。このような「競争的なサムライ」という発想は、第二次大戦前の話に留まらず、本書の出た90年代においても経済の競争という意味で残り続けたと言うことができそうである。

3.「日本人は差別主義者である」
 日本は無理解による差別があり(p395)、世界一のレイシストであることが強調される(p500)。これは人種差別に限らず、女性差別についても同じように語られているとみてよいだろう。P252ではこれを否定する描写もあるが、日本企業のオフィスの描写では女性の姿はないに等しいとされるように(p323)、その存在を暗示するような場面もある。
 P332では政府高官を引き合いに出しているが、日本政府や議会で発言された内容がアメリカでも報じられ、反日的態度を育てていた可能性は大いにある。この部分は恐らく本書が出た1992年にあった次のような事実に基づいていると思われる。

「一九九二年初め、バイ・アメリカンをスローガンにした、事実上の日本製品ボイコット運動が全米で吹き荒れた。きっかけをつくったのは、同年一月一九日の「アメリカの労働者の質は劣悪で、労働者の三割は文字が読めない」という桜内衆議院議長の発言である。さらに宮沢首相が「額に汗をして働くという倫理観が欠けているのではないかと思ってきた」(同年二月三日)と述べ、アメリカ人の反日感情の炎に油を注いだ。」(石朋次、柏木宏「アメリカのなかの日本企業」1994,p59)

 この差別についてもムラ的発想から直接導き出せるのか多少の疑問もある。確かに「村八分」的な発想から言えば、ウチとヨソを明確に区別し、ヨソ者には冷たくするということは考え方として自然であるようにも思える。しかし、これは明確なものとは言えない。それは結局集団主義における「集団」とは何を指すのか、によりウチとヨソの解釈が変わるということである。本書においてもこれは曖昧なニュアンスとして描いている節がある。スシ職人のヒロシの例(p497)がその典型であるし、「恩義」に関する議論(p45,p165)もまた、必ずしも固定された区分けがなされるとは限らないことを示すものであると思う。よって、1.の論点と並列して語ることは難しいように思える。


 1〜3の論点というのは、全く同じ要素として取り上げることはできないように思えるが、しかし無関係という訳ではなく、それぞれで容易に関係性を結ぶことも可能な要素であるといえる。だからこそ本書でそれをまとまった形で「日本人論」として表現することにあまり違和感がないということだと思う。
 以上のことを踏まえても、p372で議論されているムラ社会の言説というのは、共通項として機能しているかどうか疑問があり、むしろ「伝統的価値観」という議論に引っ張られている傾向が強いのではないかとも思えてくる。本書では語られていないが、これが飛躍し「価値観が古い=野蛮である」という見方もなされうるし、この野蛮さというのは「差別主義」という特徴とも極めて親和的であるといえるのである。

○本書にみる「アメリカ」へのものの見方
 本書で合わせて注目せねばならないのは、しばしば日本と対比的に語られるアメリカへの批判的な見方である。これは、D・W・プラースのレビューの時にも感じたことだが、日本人論を語ることが、アメリカ自身の内省を強く促すためにも用いられているということであり、本書もそれがかなり色濃く現われているといえる。
 いくつか興味深い論点を取り上げると、誰がクビになるか(誰が責任をとるのか)を問題視すること(p109)、個人主義への批判(p292-293)、団結心の欠落(p312)、働く意欲がないことへの批判(p270-271)、基幹産業の軽視(p294)といったものである。これらはほとんど日本がアメリカを対比して自己批判しているのとほとんど変わらないものであるように見える。日本人による日本批判を読解するにあたって、アメリカ人によるアメリカ批判を合わせて読んでみるというのも悪くはないように思う。最も、このレベルに留まるのであれば、水掛け論と変わらないため、何らかの具体的な(実証的な)比較をもって行う必要もあるように思うが。


※1 今回取り上げなかった論点だが、ここでいう「愛」というのは恐らくp166-167の性に対する態度に関連していると思われる。性差別の議論とは関連しそうな気もするが、本書ではこの点について触れられていない。


<読書ノート>
p22-23「「交渉をはじめたら、日本人が交渉をきらうことをわすれるな。彼らにとっては、対決色が強すぎる。向こうの社会は、できるだけ議論を避けようとするんだ」
「了解」
「身ぶりは控えめに。両手は脇にそろえておくこと。日本人はおおぶりな身ぶりに脅威を感じる。それから、ゆっくりとしゃべることだ。声は冷静かつおだやかに」」
p24「「師と弟子の関係、みたいなもんですかね?」
「ちょっとちがうな。日本におけるセンパイ=コウハイ関係は、それとは異なる性質を持つ。センパイというのはむしろ、よく気がつく親のようなものだ。センパイは全面的にコウハイの面倒を見て、そのやりすぎやあやまちを正すことが期待される」」
p28「九十階以上の建物じゃ、ガラス張りのエレベーターは禁止されてる。なのにこいつは九十七階建てーーLA一のノッポ・ビルだ。もっとも、このビル全体が特例のかたまりみたいなもんでな。こいつはたったの半年でおっ建っちまった。どうやったかわかるか? プレハブのユニットをナガサキから持ちこんで、ここで組みたてたんだとよ。アメリカの建設作業員をただのひとりも使わずにだぞ。労組も文句のいえない、特別の許可をとったらしい。その名目がいわゆる技術上の問題ってやつで、日本人作業員にしかできないことだからだそうだ。信じられるか、そんなこと?」
p38「「がっかりしましたよ、刑事さん。あなたがこれほど協力的でないとはね」
「協力的でない?」さすがのこのあたりで、わたしの忍耐も限度に近づいていた。」
p42「「イイカゲンニシロ! ソコヲドケ! 聞イテルノカ!」
すさまじい剣幕に、イシグロは身をすくませ、あとずさった。
コナーは上から押しかぶさるようにしてイシグロに顔を近づけ、怒声を飛ばしつづけた。
「ドケ! ドケ! ワカラナイノカ!」
それから、エレベーターのそばの日本人たちに向きなおり、猛々しく指をつきつけた。コナーの迫力に気圧されて、日本人たちは目をそらし、おどおどと煙草をふかしている。だが、それでも立ちさろうとはしない。」
p42-43「「このごたごたの原因はすべておまえにある。責任上、うちの者たちに手助けがいるときは、おまえに協力してもらうぞ。それから、死体を発見した人間と、最初に通報してきた人間、このふたりと話したい。死体が発見されて以来、このフロアにきた人間全員名前も必要だ。タナカのカメラのフィルムも持ってきてもらおう。オレハ本気ダ。これ以上操作妨害をするなら逮捕するぞ」
「しかし、上司に相談しないとーー」
「ナメルナヨ」コナーはぐっと顔を近づけて、「つべこべぬかすな、イシグロ・サン。さあ、とっとと出ていけ。おれたちに仕事をさせろ」」
p45「「下っぱを前面に立ててボスがうしろに控えているというのは、よく使われる手だ。そうすれば、ボスはなりゆきを自由に観察できる。わたしがきみに対してやっていたようにな、コウハイ」
「すると、イシグロのボスは一部始終を見ていた?」
「そうだ。そしてイシグロは、明らかに捜査をはじめさせるなとの命令を受けていた。こちらとしては捜査をはじめなくてはならないが、そのためにはイシグロが無能だから押しきられたわけではないことをボスに見せてやらなくてはならない。そこで、怒りの手のつけられないガイジンを演じてみせたのさ。これでイシグロにひとつ貸しができた。あとあとのためには、そのほうがいい。いつ彼の力がいるようになるかもしれないからな」」

p64「「そうだ。アメリカ人は国を切り売りすることに熱心だ。日本人のほうも驚いている。われわれが経済的自殺を試みているのではないのかとね。もちろん、それはあたっている」」
p68「「この会社が気にいっているようですね」
「そりゃあね。やっぱり、職が保証されているから。アメリカじゃあ、これはたいしたことですよ。日本人が黒人を見くだしてるのは知ってるけど、いつもちゃんとあつかってくれるし。」
p69「「——なにか問題が出てきたり、うまくいかないことが起きたときは、だれかに報告しさえすりゃあいい。すると、上司がやってくる。ここの上司はシステムのことを知ってるからーー仕組みを理解してるからーーいっしょに問題にとりくんで、解決する。ただちにね。ここでは問題は解決されるんです。そこがちがいなんだ。もういちどいいますよ。日本人はね、ものごとにしかるべき関心をはらうんです」」
p69「「忠誠心はだいじですからね」しきりにうなずきながら、コナー。
「日本人にとってはね」とフィリップスは答えた。「連中は会社のために情熱をかたむけることを期待してます。だから、わたしはいつも十五分から二十分早めに出勤して、十五分から二十分も遅く帰るようにしてるんです。日本人は余分な勤労奉仕を喜ぶからね。」」
p83「きみはイシグロを裏表のあるやつだと考える。だが、向こうはきみのことを単細胞だと考える。なぜなら、日本人にとって、つねに一定したふるまいをすることは不可能だからだ。日本人は相手の格に応じて別人になる。」
p83「「それならきみも、立場に応じて態度を変えていることになる。つまりそれは、だれもがやっていることなんだ。ただ、アメリカ人はどんなときも核となる自分があると信じているのに対して、日本人は立場こそがすべてを決定すると思っている。それだけのことさ」」
p84「「日本の組織というものは、危機にさいしての反応がじつに遅い。意思決定システムが前例に基づくものであるため、前例のない状況に遭遇すると、どう対処していいのかわからなくなってしまうんだ。ファックスの話を覚えてるだろう? あそことナカモトのトウキョウ本社のあいだでは、ひっきりなしにファックスが飛びかっていたにちがいない。たぶんいまも、はっきりした方針は打ちだされていないのではないかと思う。新しい状況に対しては、日本の組織は迅速な対応ができないんだ」」
p86「わたしたちは第二のガラス扉を通りぬけ、絨緞を敷いた廊下を歩いていった。廊下の両端には、小さな漆塗りのテーブルが一脚ずつ置いてある。インテリアは質素ではあるが、驚くほどエレガントだ。
「いかにも日本人らしいことだ」コナーはそういって、にやりと笑った。
エストウッドにある、うらぶれたチューダー様式まがいのアパートが? いかにも日本人らしい? どういうことだ? 左の部屋から、かすかにラップ・ミュージックが聞こえてきた。M・C・ハマーの最新ヒットだ。
「外見からは中身を判断できないという意味でだよ」と、コナーは説明した。」

p102「「かもしれん。しかし、日本人はアメリカの警察がずさんだと思っている。この手落ちは、そんな侮りの現れ表われかもしれない」
アメリカの警察はずさんじゃありませんよ」
コナーはかぶりをふった。
「日本の警察に比べればずさんなんだ。日本では、犯罪者は例外なく捕まる。重大犯罪での検挙率は九十九パーセントだ。だから日本の犯罪者には、その犯罪に手を染めた段階でいずれ捕まることがわかっている。ところがこの国では、検挙率は十七パーセントしかない。五件に一件にも満たないんだ。だから合衆国の犯罪者は、自分がたぶん捕まらないことを知っている。」
p103「「アメリカ人に彼をはっきり理解することはむずかしい」とコナーはいった。「なぜならアメリカでは、一定のミスはあたりまえと考えられるからだ。飛行機が遅れても驚かない。郵便が配達されなくても驚かない。洗濯機が壊れても驚かない。……
ところが、日本ではちがう。日本ではすべてが整然と動いているんだ。トウキョウ駅では、プラットフォームのマークされた場所に立ってさえいればいい。やってきた電車がとまると、目の前でドアが開く。電車は定刻どおりに運行している。カバンが行方不明になることもない。電車が遅れて乗り継ぎに失敗することもない。刻限は守られる。ものごとはすべて予定どおりに進む。日本人は教育程度が高く、用意周到で、志が高い。なんでもきちんとかたづける。時間が浪費されることはない。」
p104「彼らは用意周到だ。あらゆる緊急事態に対する備えをしていたと思っていい。その手配ぶりも手にとるようにわかる。会議テーブルにへばりついて、ありとあらいる可能性をしらみつぶしに検討していくんだ。火事になったらどうする? 地震が起きたらどうする? 爆弾を仕掛けたという脅迫があったら? 停電になったら? そんなふうにして、まず絶対に起こりそうもないことがらまで際限なく検討していく。ほとんど強迫観念のとりこのようだが、当日がきたときには、あらゆる可能性を想定しつくしているから、万全の態勢ができあがっている。準備ができていないというには、彼らにとっては非常にまずいことなんだ。」
p106「ナカモトはタイメンーー企業イメージに対する懸念を表明し、マスコミは報道を自粛した。信用したまえ、コウハイ。ここにはなんらかの圧力がかかっているんだ」
p109「日本人ならああゆうやりかたはしない。日本のことわざにいわく、〝罪を憎んで人を憎まず″。アメリカの組織では、だれの責任か、だれのクビが飛ぶのかが問題になる。日本の組織で問題になるのは、なにが起こったのか、それをどうやって解決するかだ。だれもなじられることはない。彼らのやり方のほうがすぐれている」

p125「日本人のことさ、あんたらになにができるってんだ? 連中、何歩もおれたちの先にいってるんだぜ。しかも大物どもをふところにとりこんじまってる。連中を懲らしめることなんて、もうできっこないんだ。あんたらふたりじゃまずむりだ。やつら、優秀すぎる」
p135「「どうしてこの局にはないんだい?」わたしはたずねた。
「この国では売ってないだけ。日本製の最先端のビデオ装置は、この国では手にはいらないの。はいってくるのは、三年から五年遅れ。まあ、向こうの特権ではあるけどね。連中のテクノロジーなんだから、どうしようとあっちの自由よ。」
p142-143「「この事件の構図全体が、だれかがあの電話から通報したかどうかにかかっていたからさ。これから考えるべきは、日本のどの企業がナカモトと角つきあわせているかだ」
「日本の企業?」
「そうだ。それは異なるケイレツに属する企業にちがいない」
「ケイレツ?」
「日本のビジネス構造は、彼らがケイレツと呼ぶ巨大組織の上に成立している。とくに巨大なのは六つのケイレツだ。たとえばミツビシ・グループは七百ものケイレツ企業を擁していて、これらは仕事上で共同し、財務面、意思決定、その他さまざまな面で、相互に関連を持つ。そんな巨大な構造は、アメリカには存在しえない。独占禁止法に違反するからさ。だが、これは日本ではあたりまえのことだ。われわれは企業が独立して存在するものと考えるが、日本流の考えではちがう。たとえば、IBMシティバンク、フォード、エクソン、こういった企業が提携し、ひそかに意思を疎通しあい、資金や研究成果を共有しあう。つまり、日本企業は独立していないーーつねに何百もの他企業と協力関係にあるということさ。そして競争関係にあるのは、他のケイレツとなんだよ。」
p144「「自分が競合企業に勤めていて、ナカモト内部の事情をさぐりたいとする。とろこが、それはできない。日本企業は重役を終身雇用するからだ。重役は自分がファミリーの一員だと感じる。だから、ファミリーを裏切ることはない。したがってナカモト・コーポレーションの内情は、外からはうかがい知りようがない。」
p144-145「「日本ではよく、ライバル企業の警備員を買収しようとする。日本人は名誉を重んずる民族だが、伝統的にそういう行為は許容されるんだ。つまり、愛と戦争のためにはなにをやってもいい。そして、日本人にとって、ビジネスは戦争にほかならない。可能であれば、買収も一策なのさ」」

p164-165「「わたしのダイロッカンやめろといっている」
このことばは聞いたことがある。直感という意味だ。日本人は直感を重視するという。」
p165「「わたしはエディのおかげで命拾いをしたといってもいい」
わたしたちは階段を降りきった。
「で、さっきそれを持ちだされた?」
「日本人はそんなことは絶対にしない。借りを思いだすのはこちらの役目だ」」
p166-167「「ああ、それはたいしたことじゃない。日本はフロイトキリスト教を全面的には受けいれなかったからな。性についてやましさを持ったり気はずかしさを覚えたりはしないんだよ。ホモも公認。変態セックスも問題なし。向こうではあたりまえのことなんだ。そういうものを好む人間がいる。だからそうする。べつに悪いことじゃないだろう。日本人にはなぜアメリカ人が露骨な性表現に辟易するのかが理解できない。逆に、われわれのセックスに対する考え方がすこし堅苦しすぎると思っている。それは一面の真理でもあるな」」
p167「ところが日本では、真夜中に公園にはいってベンチにすわっても、なにも起こらない。昼でも夜でも、まったく安全なんだ。……自分が安全だということは、社会全体が安全だということでもある。自由そのもの。これはじつにすばらしい気分だよ。しかしここでは、だれもが内に閉じこもる。ドアにロック。車にもロック。鍵だらけの日々を送ることは、監獄にいるのも同然だ。まともじゃない。心だって病んでしまう。だが、そんな状態がずいぶん長くつづくうちに、アメリカ人は安全であるという実感がどんなにすばらしいものであるかをわすれてしまったらしい。」

p187-188「この国は戦争状態にある。それをわかってる連中もいるし、敵に味方する連中もいる。第二次大戦のときとおんなじだ。ドイツに金をもらって、ナチのプロパガンダを吹きまくってたやつらがいただろう。ニューヨークの新聞は、アドルフ・ヒトラーのせりふかと思うような社説を載せた。戦争のときには必ずやそういうやつが出てくる。そしておまえは、まさしく敵の協力者なんだよ」
p188「「グレアムの叔父は、第二次大戦で日本軍の捕虜になったんだ。トウキョウに連れていかれて、それっきり行方不明になった。戦後、グレアムの父親は日本に飛んで、弟の安否をたずね歩いた。なにがあったのかについては、いろいろと不愉快な疑念もあったがね。日本に連行された少数のアメリカ軍人が、むごい医学実験で殺されたことはきみも知っているだろう。その肝臓を面白半分で部下に食わせたというようなうわさは、たくさんあった」
「いや、知りませんでした」」
p189「相手に好意をもってもらうために贈り物をするというのは、日本人にしてみれば本能のようなものだ。そしてそれは、われわれがやっていることと大差ない。アメリカ人だって、ボスを夕食に招いたりするだろう。善意は善意だ。ただし、昇進を控えて上司を招いたりはしない。招くなら、関係ができたばかりの時期、まだなんの利害関係もない時期にそうしておくべきだ。」
p190「まさにそのとおり。われわれは日本と戦争しているのさ。」
p193「日本では、なにかへまをしたときいちばん効果がある方法は、相手のもとへ出向いて、心底からすまないと思っていること、心から悔やんでいること、二度と同じ失敗はしないことを切々と訴えることだ。形式的なものだが、相手はいかに失敗から教訓を学んだかを感じいる。それがスイマセンーー際限ない謝罪だ。法廷の慈悲に身をゆだねることの日本版と思えばいい。それが慈悲を得るうえでの最良の方法と考えられているんだ。」

p210「あれは古典的な日本のやりかただった。何年か前、GEは世界一高性能の医療用スキャナーを開発したんだが、そのさい、日本市場にこの装置を売りこむため、子会社を作った。ヨコカワ・メディカルだ。しかもGEは日本式のビジネス展開を行なった。シェアを確保するため、競合各社よりコストを抑え、きめこまかいサービスとサポートを行ない、顧客の覚えをよくすることに努めたんだ。潜在購買者に航空券やトラベラーズ・チェックを配ったりしてね。われわれにいわせればこれは賄賂だが、日本では標準的な商慣習だ。ヨコカワはトウシバのような日本企業を抑えて、たちまち業界首位に躍り出た。日本企業はそれが気に食わず、アンフェアだと申したてた。そしてある日、当局がヨコカワの事務所を手入れして、賄賂の証拠を発見し、ヨコカワの社員を何人か逮捕した。ヨコカワの名前はスキャンダルにまみれた。それで日本でのGEのセールスがたいして落ちこんだわけじゃない。日本企業が賄賂を送っていることも問題じゃない。なんらかの理由で、やりだまにあがったのは外資系の企業だったーー問題なのはそちらのほうだ」」
p210-211「知ってのとおり、日本はいつも、日本市場は開かれているといっている。だが、そのむかし、日本人がアメリカの車を買うと、政府の調査を受けさせられる時期があった。だから、じきみなだれもアメリカ車を買わなくなった。政府は肩をすくめるだけだ。当局になにができよう。市場は開かれている。客が買わないのだからどうしようもないというわけさ。だが、そこには無数の障壁がある。輸入車は一台一台、ドックで検査されるが、これは排ガス規制基準に適合しているかどうかをチェックするためだ。外国の医薬品を検査するのは、日本の研究所の日本人だけ。かつては外国製のスキーも、日本の雪質はヨーロッパやアメリカより湿っているという理由で排斥されたことがある。それが外国に対する日本人のあつかいなんだ。自分たちがこの国で同じ仕打ちをされることを心配するからといって、驚くにあたらない」

p246「いまでは外国もトウキョウに牛肉を輸出できるようになった。向こうは牛肉がキロあたり二十ドルから二十二ドルもする。なのに日本では、だれもアメリカン・ビーフを買わない。アメリカ人が牛肉を輸出しても、ドックで腐るだけだ。ところが、牧場を日本に売れば、問題なく牛肉を輸出できる。なぜかというと、日本人は日本人の所有する牧場からなら牛肉を買うからだよ。日本人は日本人となら取引をするんだ。じっさい、モンタナ州ワイオミング州の牧場はあらかた身売りしちまった。……アメリカの牧場主だって馬鹿じゃない。状況はよく見えている。競争にならないことは一目瞭然だ。だから、売る」
p246「日本人は牧場経営のしかたを教えてくれる人間をほしがってる。しかも、従業員全員の給料もあがる。日本人はアメリカ人の感情に敏感だ。なにかと神経をつかう連中だからな」
p252「「外国人が日本企業でポストを確保することは可能です。もちろん、トップはむりですし、重役もむずかしいでしょう。しかし、それなりのポストにつくことはできます。日本企業において外国人の確保できるポストは重要なものであり、みなさんは尊敬されますし、立派な仕事をなしとげることもできます。外国人である以上、特殊な障害はいくつか乗り越えねばなりませんが、それは不可能事ではありません。自分の立場を知る。これさえ覚えていれば、みなさんは成功できるのです。」」
p252-253「「管理者たちが何度となくこういうのを、みなさんは耳にしたことがあるでしょう。〝日本の会社にはポストがないから、辞めるしかない″。あるいは、〝日本人はおれのいうことになど耳も貸さないし、おれのアイデアを通すチャンスもない、出世のチャンスもない″。こういう人は、日本人社会における外国人の役割を理解していないのです。それでは会社に融けこめず、出ていくしかない。しかしそれは、その人の考え方の問題です。日本企業はアメリカ人その他の外国人を受けいれるために、万全の用意を整えています。というよりも、むしろ積極的に受けいれたがっている。ですから、みなさんもちゃんと受けいれられることでしょうーー自分の立場をわきまえているかぎり」
ひとりの女性が手をあげた。「日本企業における女性差別はどうなります?」
「女性蔑視などありません」と講師は答えた。
「女は出世できないと聞いていかすが」
「そういう事実はありませんよ」
「それなら、あんなにたくさん訴訟が起きているのはなぜですか? スミトモ・バンクは、大がかりな反差別訴訟で和解したばかりですね。アメリカの日本企業の三分の一はアメリカ人雇用者から訴えられていると読んだことがありますが、その点はどうです?」
「それならちゃんと説明がつきます。外国企業が他国でビジネスをはじめるときには、その国の慣習ややりかたに慣れるまで、なにかとミスを犯しがちなものです。五〇年代から六〇年代にかけて、アメリカ企業がヨーロッパに進出し、多国籍企業になったときには、やはり進出先の各国でさまざまな困難に遭遇し、いろいろと訴訟を起こされました。ですから、アメリカにやってきた日本企業にも、適応するまでの時間が必要でしょう。それは辛抱してやらねばなりません」
ある男が笑った。「日本に対して辛抱しなくていいときなんてあったかね?「腹だたしげというよりは、無念そうな口ぶりだった。」

p265「日本人は新聞に対して強い影響力を持っている。日本企業からの広告収入だけじゃない。ワシントンからやつぎばやにくりだされる広報効果、ロビー活動、政治家や政治組織への献金、その全部の総合効果、プラス・アルファだ。それも、だんだん巧妙になりつつある。たとえば、ある記事を載せるかどうか、編集会議で検討しているとする。ふと気がつくと、だれも日本人を攻撃したがらない。……なにかを恐れているからだ。そのくせ、なにを恐れているかすらよくわかっていない。なんとなく、不安なだけなんだ」
報道の自由もこれまでか」
「おいおい。いまさら書生論をいってなんになる。事情はわかってるだろう。アメリカのマスコミは主要な意見しか報道しない。主要な意見とは勢力の強いグループの意見だ。その強い勢力を、いまは日本人が握っている。マスコミはいつもどおり、権力者の意見を報道するばかりさ。なんの不思議もない。」
p268-269「物理101のような講義には、いまどきのアメリカ人は興味を持たないんだ。もう何年もそんな状態がつづいている。産業界にも人の来てがなくってね。数学や工学の学位をとりに来米して、そのままアメリカ企業に就職するアジア人やインド人がいなかったら、いったいこの国はどうなってしまうことやら」
p269「外国の学生たちがどんどん国に帰りだすと、アメリカの研究施設は充分な学生を確保できなくなる。そうなると、新しいアメリカの技術を創造できない。単純なバランス・シートの問題だよ。技術者が足りないんだ。IBMのような大企業でさえ、研究開発に支障をきたしはじめている。」
p270「アメリカは技術者や科学者は不足しているかもしれないが、弁護士の量産では世界最先端だ。全世界の弁護士の半数はアメリカに集中しているんだからね。その意味を考えてみるといい」
p270「アメリカの人口は世界総人口の四パーセント。経済関係者の割合は十八パーセントだ。なのに、弁護士の数となると五十パーセントにものぼる。しかも毎年三万五千人が、ロー・スクールから続々と世に送りだされているんだよ。法曹関係だけが極端に生産性が高い。アメリカという国の焦点はそこにある。テレビ・ショーの半分は弁護士ものになってしまった。アメリカはいまや、弁護士の国なんだ。だれもかれもが訴訟を起こす。だれもかれも係争中。だれもかれもが法廷で争う。なんといっても、アメリカの七十五万人の弁護士には仕事があるんだからね。そのひとりひとりが、年に最低三十万ドルは稼ぎだそうと躍起になっている。ほかの国から見たら、およそ尋常じゃない」
p270「昨今では最優秀の若者でさえ、貧弱な教育しか受けていない。この国では最優秀の若者たちといえども、学力ランクは世界で十二位。アジアやヨーロッパの工業国の後塵を拝しているありさまだ。トップの学生でさえそうなんだよ。底辺となると、もっと悲惨だ。ハイスクールの卒業生の三分の一はバスの運行表が読めない。そもそも、字が読めないんだからね」
p270-271「しかも、わたしの見るかぎり、いまの若い者は怠惰だ。働こうという意欲がない。わたしは物理を教えている。物理学修士になるには何年もかかる。ところが、若い連中はチャーリー・シーンのような格好をして、二十八になる前に百万ドル貯めることしか考えていない。そんな巨額の金を手にいれる唯一の方法は、弁護士になるのでなければ、株をやることだ。」
p273「日本では、特許の取得は戦争のようなものでね。それこそ血まなこになって特許取得合戦をくりひろげている。しかもそれが、奇妙なシステムなんだ。日本で特許をとるには八年かかるが、申請して十八ヶ月後には出願内容が公開されてしまう。それ以後は、特許権などあってなきがごとしだ。もちろん、日本にはアメリカとの互恵的特許認可協約などない。それもまた、日本の競争力を高める手段のひとつといえる。」
p274「向こうにはわたしのアルゴリズムを使う権利があるわけじゃない。ところが、調べてみると、当のわたしにも自分のアルゴリズムを利用する権利がない。なぜなら、わたしの発明の応用法について、日本企業が特許を押さえてしまっていたからだ」
p276-277「どうして日本人にこんなものができて、アメリカ人にはできないのか知ってるかね? カイゼンしていくからさ。日本人は慎重に、辛抱強く、たえずこまかい改良を重ねていくんだ。年々、製品は少しずつ安くなっていく。アメリカ人はそんなふうには考えない。アメリカ人はいるも大いなる飛躍、大きな前進をさがしもとめる。……日本人は日がな一日、シングルヒットばかりを狙って、決してのんびりしようとはしない。」
☆p281「日本人は我慢してアメリカ人につきあわなければならないと思っている。連中にいわせれば、われわれは不器用でクズで、馬鹿で無能だからな。したがって日本人は、どうしても自己防衛に走りがちだ。だから、このテープが法的な証拠物件となる可能性がすこしでもあるのなら、きみのような野蛮な警察官には絶対にオリジナルをわたさんよ。」

p292-293「「ピーター。日本人を陰謀団のように思いこむのはやめたまえ。きみは日本を占領したいか? 日本を運営したいか? もちろん、ちがうだろう。理性のある国は他国を乗っとりたいなどとは決して思わない。ビジネスならオーケーだ。国交を持つのもいい。しかし、占領となると話はちがう。そんな責任を進んで負う国などはない。わずらわしいだけだ。酒飲みの叔父のたとえと同じでーーなにかをさせたいと思えば、集まって会議を開くしかない。それが最後の手段なんだ」
「日本人はそう見ているということですか?」
「彼らが見ているのは何千億ドルもの投下資金だよ、コウハイ。深刻なトラブルに見舞われている国に投資した資金だ。この国にはおかしな個人主義者がおおぜいいる。のべつまくなしにしゃべってばかりいて、なにかというと衝突し、しじゅう議論してばかりいる人間たち。教育程度も高くなく、世界のことをあまり知らず、情報源はてれびだけ。勤勉に働くわけでもなく、暴力とドラッグを容認し、それを退治しようという意志もない。日本人はそんな特殊な国に巨額の資金を投じた。そして、その投資にふさわしい見返りをもとめている。だから、アメリカ経済が崩壊しつつあるとはいえーーじきに日本とヨーロッパについで世界第三位になってしまうだろうがーーこの国を建てなおすことは重要課題だ。日本人がやろうとしているのは、まさにそれなんだ」」
p294「日本人にいわせれば、アメリカは土台のない国になってしまったからだ。われわれは基幹産業をおろそかにした。この国はもうモノを造っていない。モノを造っていれば、原材料に付加価値を与え、文字どおり富を創りだせる。しかしアメリカはそれをやめてしまった。いまのアメリカ人は金融操作だけで金を産んでいる。日本人から見れば、アメリカに追いつくのは理の当然だ。書類上の富は現実の富を反映してはいないんだから。」
p295「気になるのは、みなが同じ意見だったということだ。三人のビジネスマン全員がだぞ。もちろん日本人は、意見の不一致を外国人に見せようとしない。たとえこんな開発途上の農業国家のゴルフコースでプレイしているときでもだ。しかし、経験からいって、日本人がガイジンの前で意見の一致を見せるときには、裏になにか隠しごとをしている可能性がある」
p296「基本的に、日本人には何世紀にもわたって文化を共有したことに基づく共通理解があり、ことばなどなくても思いを伝えあえるのだという。アメリカでいえば、それは親と子との関係に近い。子供はしばしば、親の視線だけですべてを理解する。だが、日本人とちがって、アメリカ人にはことばなき意思疎通を普遍原則とするような基盤はない。いっぽうで日本人は、ひとりひとりが同じファミリーの一員のようなものであり、ことばなくして意志を伝えあうことができる。日本人にとっては、沈黙にもそれなりの意味があるのだ。
「べつにこれは、神秘的でも脅威でもない」とコナーはいった。「たいていの場合、日本人は規則と因習でかんじがらめになっているから、本音をいえないだけのことなんだ。そのため、相手の状況、立場、微妙なしぐさ、表明されない感情までを読みとることが、礼儀上でも体面を保つうえでも必要となる。おたがい、思うところはいっさい口にできないとおもっているんだから、それも当然だろう。考えを露骨に表わすことは不粋とされる。したがって意思は、ことば以外の形で伝えられなくてはならない」」
p297「彼らはこういった。『わたしたちは恩義をわすれないし、あなたはこれまでにいろいろと力になってくれた。できることならその恩を返したい。しかし、こんどの殺人事件は日本人の問題であり、腹のうちをすっかり明けるわけにはいかない。しかし、わたしたちの沈黙から、事件の水面下にある問題について、有用な結論を引きだせるかもそれない』。要約すれば、こういうことだ」
p297「イシグロがオリジナルをわたすはずがない。日本人は日本人以外を野蛮人だと思っている。文字どおり、そう思っているんだよ。臭くて粗野で馬鹿な野蛮人だ。日本人に生まれなかった不運は外国人のせいではないと思っているから、態度こそ丁重だがね。そう思っていることに変わりはない。」
p298「もうひとつ、コピーだと思った理由はーー日本人は大きな成功をおさめてはいるが、大胆ではないからだ。彼らはコツコツと、慎重にことを進めていく。冒険はいっさい冒したくないから、オリジナルをわたすはずがない。」

p303「アメリカ産業の斜陽ぶりは、議会も苦慮するほどになっていたんだ。この国はあまりにもたくさんの基幹産業を日本に奪われた。六〇年代には鉄鋼と造船、七〇年代にはテレビと半導体、八〇年代には工作機械。これらの産業は国防に欠かせないものばかりだった。そしてある朝目覚めてみると、アメリカは自国の保安に必要不可欠な部品を製造する能力をなくしてしまっていた。これらの補給は、いまやすべて日本に依存している。だからこそ、議会も心配しはじめたんだよ。」
p304-305「第二次大戦後、アメリカはテレビ製造で世界のトップに立った。ゼニス、RCA、GE、エマーソンといった二十七のアメリカ企業が、外国の同業者に対して確固たる技術的優位を確立していたんだ。じっさいアメリカ企業は、世界じゅうで成功を収めていたといえる。ところがここに、日本という例外があった。日本の閉鎖的な市場にはどうしても食いこめなかったんだ。日本政府がいうには、日本でモノを売りたければ、日本企業に技術を供与し、ライセンス生産させろという。やむなくアメリカ企業は、アメリカ政府からの圧力もあり、しぶしぶそれにしたがった。なぜ政府が圧力をかけたかといえば、日本をロシアに対する同盟国としておきたかったからさ。」
p305「「ガンだったのは、このライセンス生産というやつだ。日本がアメリカの技術を自分のものにする反面、こちらは輸出市場としての日本を失ったわけだからな。じきに日本は、安価な白黒テレビを造り、アメリカに輸出するようになる。こちらからは輸出できないのにだぞ。だろう? 一九七二年までには、アメリカ国内の白黒テレビの売上高は、六十パーセントまでが輸入品で占められていた。一九七六年には、これが百パーセントとなる。国内の白黒テレビ市場は、とうとう外国勢に奪われてしまったわけだ。アメリカの労働者は、もう白黒テレビは造っていない。その仕事は、アメリカから消えてしまったのさ。
べつにいいじゃないか、とアメリカ人はいう。アメリカ企業はカラーテレビの製造が主力となっていたからだ。だが、日本政府はカラーテレビ事業の育成に全力をそそいだ。……まったく同じことのくりかえしだ。一九八〇年には、まだカラーテレビを造っているアメリカ企業は三社だけとなっていた。一九八七年には、それがただの一社、ゼニスだけというありさまだ。」
「だけど日本製品は、優秀で安いじゃないか」とわたしはいった。
「たしかに優秀ではあるかもしれない。しかし、なぜ安いかといえば、アメリカの競争相手を駆逐するため、製造コスト以下の価格設定をしているからだよ。いわゆるダンピングというやつだな。これはアメリカの法でも国際法でも違法とされている」」
p305-306「なにしろダンピングは、日本の数多い違法な市場獲得技術のひとつだからな。ほかには価格の闇協定という手がある。十日会というんだったかな。日本の管理者たちは毎月十日にトウキョウのホテルに集まって、アメリカでの販売価格を決めていたそうだ。いくら抗議しても、会議はつづいた。それどころか、日本製品アメリカの流通ルートに乗せるために、なれあいの商慣習まで持ちこんだ。うわさでは、日本企業はシアーズのような流通大手に対して、何百万ドルもリベートを払ったそうだ。そうやって、膨大な数の消費者をペテンにかけていたわけだよ。そんなこんなで、連中は競争力をなくしたアメリカの産業をどんどんつぶしてきた。
もちろん、アメリカ企業も抗議はしたし、救済を訴えたりもしたさ。連邦裁判所で日本企業に対して起こされた訴訟は、ダンピング、詐欺行為、独禁法違反などについて、何十件にもおよぶ。ダンピングの訴訟なら一年以内に結審となるのがふつうだ。ところが、アメリカ政府はいっこうに救いの手をさしのべようとしない。しかも日本人は、相手の足を引っぱるのを得意とする。連中はアメリカのロビイストに何百万ドルも支払って、審理の進展を遅らせるんだ。十二年後、訴訟が法廷に持ちこまれるころには、市場での戦いはすでにおわっている。当然、そのあいだずっと、アメリカ企業は日本市場で応戦することもできない。」
p306「アメリカが手を貸してやらなかったら、むりだっただろうさ。アメリカ政府は日本をあまやかしていた。ちっぽけな新興国と見なしていた。そのいっぽうでアメリカの産業界も、政府の援助などはいらないと思われていた。アメリカにはいつもビジネスを否定するような空気があったからだ。だが、政府はいまだに気づいていないようだが、日本市場とアメリカ市場とは性質がちがう。」
p307「日本市場は閉鎖されているのに対して、アメリカ市場は大きく開かれている。同じ土俵に立っているんじゃない。それどころか、土俵でさえない。一方通行路だ。
その結果、この国のビジネス風土は敗北主義的なものになりはてていた。……アメリカ企業が日本の違法なビジネス慣行と戦うにあたって、合衆国政府は手を貸さない始末だ。……やがてアメリカ企業は、ろくにリサーチをしなくなる。いくら新技術で市場を開拓しようとしても、自国の政府がこんなに敵対的な行動をとるばかりでは、技術開発の意欲も失せようというもんじゃないか」
p308「つまり日本人は、戦略的にものを考えるということさ。連中は長期的な視野に立ってことを運び、いまから五十年後にどうなっているかを念頭にいれて計画を立てる。かたやアメリカの会社は、三カ月ごとに利益をあげてみせなければならない。さもないと、経営責任者やら重役やらは放りだされてしまう。対する日本人は、短期の利益などはあまり気にしない。連中がほしいのはシェアだ。連中にしてみれば、ビジネスは戦争みたいなものなんだよ。地歩を固め、競争相手を一掃し、市場を制覇する。この三十年間、連中がしてきたことは、まさにそれだ。」
p308-309「自由貿易なんていうものは、フェアな貿易なくしてはなんの意味もない。そして日本人には、フェアな貿易をする意志はまったくない。日本人がレーガンを好きなのにちゃんと理由がある。レーガンの在職期間中に、アメリカ市場で大きくシャアが広げられたからだ。自由貿易の名のもとに、レーガンが大股開きをしているあいだにな」
p309-310「……というわけで、アメリカの態度は非常に不合理であると考えられます。そもそも、日本企業はアメリカ人に職を提供しているのに対して、アメリカの企業は海外に生産拠点を移し、それといっしょに雇用機会も持ちさっているわけわけですから。われわれがなにを不満に思っているのか、これでは日本人にわかるわけがありません。」
p310「仕事をするためには日本に出入りしなくてはならないが、批判的な見解を示そうものなら、日本から締めだされてしまう。協力以外の道を封じられているんだ。そして日本人は、アメリカで特定の人間たちに耳うちしてまわる。日本を批判する者たちは信用に値しない、そういう輩のものの見方は〝時代遅れ″だーー。もっと悪質なのはーー批判者を人種差別主義者といいたてることだ。日本を批判する者はだれでもレイシストになってしまう。批判した学者たちには、たちまちのうちに講演依頼もコンサルタントの相談もこなくなる。日本を批判した同業者がそんな目にあったことを、連中は知っているんだ。だから、二度と同じあやまちは犯さない」
p312「ところが、アメリカの業界は団結しようとしない。身内で内紛をくりかえすばかりだ。そのあいだにも、日本は十日に一社の割合でアメリカのハイテク企業を買収しつつある。この六年はそうだった。要するにこの国は、骨ぬきにされつつあるんだ。なのに政府はなんの関心も示さない。」

p323「日本では、これみよがしの装飾はきらわれる。ふまじめだと思われるんだ。」
p323「待っているあいだ、わたしはデスクで働く社員たちのようすを眺めた。……女性の姿はないに等しい。
「日本ではーー」とコナーが説明した。「企業の業績が悪化すると、重役が真っ先に自分たちの給与をカットする。彼らは自分の会社の成功に責任を感じていて、自分の収入の多寡は会社の業績に応じるべきだと思っているんだ。」」
p325「アメリカが日本とちがいますからね。日本ではことのなりゆきの予想がつく。それに対して、この国ではつねに異なる意見を持ち、それを口にする人間がいます。」
p332「「日本人は世界でいちばん、人種差別的だということだ。」
「日本人が?」
「そうだ、事実、日本の政府高官の発言はーー」」
p340「みなさんも近年のわが国の凋落りを憂慮されておられることでしょう。アメリカはいまなお世界最強の軍事力を誇りますが、わが国の安寧は、軍事的のみならず、経済的な自衛能力にもかかっています。しかしながら、その経済力において、アメリカは衰退してしまった。どのくらい後退したのか? 過去二代の大統領の治世のあいだに、アメリカは世界最大の債権国から債務国に転落しました。いまや工業力は、世界の水準以下です。労働者は他国の労働者よりも教育水準が低い。投資家は短期的な利益しか念頭になく、産業界の将来に対する投資を阻害している。その結果、わが国の生活水準は急速に低下しつつあります。子供たちには、厳しい将来が待ち受けているのです」
p340「多くのアメリカ人が危惧している問題が、もうひとつあります。経済力の衰えにともないまったく新しいタイプの侵略に対する抵抗力が弱まってきているということです。この国が日本やヨーロッパの経済的植民地になることを心配するアメリカ人は、いまやかなり多い。とくに問題なのは、日本です。多くのアメリカ人は感じていますーー日本人がわが国の産業界を乗っとり、観光地を、さらには都市までも買い占めてしまうのではないかと」
p343-344「「うちの支持者は各年齢層で落ちこんでるんです。とくに五十五歳から上が顕著だ。いちばん有力な有権者層でですよ。省エネの問題にもろに直面するのは、この層なんです。彼らは生活水準の低下を望んでいません。省エネなんてごめんだ。アメリカの高齢者は、はっきりノーといってるんです」
「しかし、高齢者には子供も孫もいるだろう。その未来が気にならないはずはない」
「高齢者は子供のことなんか考えてやしません。ほら、ここにはっきり書いてある。高齢者は子供が自分たちの面倒をみてくれるとは思ってない。」」
p349「「リメンバー・パールハーバー、というわけですか」
「その問題もある」モートンはかぶりをふり、秘密を耳打ちする少年のように、声をひそめた。「議員のなかには、いまに日本へもう一度核爆弾を落とさずにはすまなくなる、という連中がいる。本気でそう思ってるんだ」」
p357「ローレンの地方検事局の健康保険は、出産が対象外となっていたのだ。それはわたしの保険も同じだった。ふたりとも結婚してから間がなくて、出産費用まで保険対象を広げる手続きが間にあわなかったためである。保険がきかないと、費用は八千ドルもかかる。」
p364「ゆうべのヤマは〝レイシスト″の偏見が生んだもんだときた。要するにおれは、ふたたび醜悪な頭をもたげたレイシズムの権化ってわけさ。まいったぜ。日本人てやつぁ中傷戦術の名手だ。身の毛がよだつほどにな」

p371「日本人は間接的な行動を得意とする。ものごとを進めるやりかたとして、それは彼らの本能ともいえるものだ。日本では、だれかに不満を持ったときも、決してその相手にダイレクトには文句をいわない。その友人、同僚、ボスなどに苦情を持ちこむんだ。そして、間接的に当人に苦情が伝わるようにする。……考えてみれば、これはとんでもなく効率の悪いやりかただ。エネルギーと時間と金をたくさんむだにするわけだからな。しかし、直接的対峙ができない以上——なにしろ日本人にとって、対峙はほぼ死に等しく、冷や汗やパニックをもたらすわけだからーーほかに選択の余地がない。日本人は巧妙に身をかわすことを得意とする。正面切っての対決というやつは、絶対にしない」
p372「「向こうは個人的な考えでそうしてるんじゃない。それが彼らのやりかたなんだ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。でっちあげを広めて人を破滅させるのがね」
「ある意味では、でっちあげともいえるな」」
☆p372「日本人の行動というやつは、農耕社会のムラ的価値観に基づいている。サムライや封建制度のことはきみもいろいろ耳にしているだろうが、根っこの部分では、日本人は農民なんだ。もしムラに住んでいてほかの村民に不快な思いをさせれば、当人は村にいられなくなる。そうなったら、死刑を宣告されたに等しい。ほかのムラみそんなトラブルメーカーを受けいれてはくれないからだ。つまりーー集団の不興を買えば、もはやその人間は死んだも同然となる。それが日本人のものの見方なんだ。
したがって、日本人は集団に対して極度に神経を使う。集団に融けこみ、うまくやっていくことを、日本人はなににも増して優先する。そのためには、目だってはいけない。冒険をしてもいけない。個人主義的にふるまってもいけない。そしてそれは、必ずしも真実にこだわる必要はないということでもある。日本人は真実になどあまり重きを置かない。真実は冷厳で抽象的に思えるんだ。要するに、犯罪を犯して非難される息子の母親のようなものだよ。彼女は真実になどほとんど目もくれない。むしろ息子のことを第一に気づかう。日本人もその点は変わらない。日本人にとって、だいじなのは人と人との関係だ。それこそはほんとうの真実にほかならない。事実関係は二の次なんだ」
p376「アメリカの大学の構造ーーとくに技術関連の学部に日本が深く食いこんでいることは知っているだろう。どこの大学でもそうだ。日本企業はMITに対して、教授職二十五人ぶんの研究費を寄付している。どの国よりもはるかに多い金額だ。なぜそんなことをするのか。あれこれと試したあげくに、日本人は知ったからだよーー自分たちにはアメリカ人ほどの創造性がないということをね。それでいて、革新的な技術はほしい。となれば、することはひとつだ。買うのさ」
p378「自国の研究開発機関を放棄することは、すべてを放棄するに等しい。そして一般的に、研究機関を意のままにするのは、資金援助をする者だ。日本が金をつぎこむならーーアメリカ政府や企業がそうしないというのならーーいずれアメリカの教育は日本が牛耳ることになる。すでに日本がアメリカの大学を十校も所有していることは知っているだろう。まるごとポンと買いとったんだ。その目的は、日本人の若者を教育すること。若い日本人をアメリカへ送りこむルートを、そうやって確保しているんだ」
p379「しかし日本人は、例によってもっと先を見ている。やがて状況がきびしくなることがわかっているんだ。遅かれ早かれ、揺りもどしがくることはまちがいない。いくら外交的な術策を弄しようともーーいまはちょうど取得期にあって、外交的にさかんに働きかけているわけだがーーいずれ通用しなくなるときがくる。なぜなら、支配されて喜ぶ国はないからだ。どんな国も支配されることをきらうーー経済的にも、軍事的にも。そして日本人は、いつの日かアメリカ人が目覚めると予想している」
p379「日本企業を買収しようとしても、それはできない。当の日本企業の社員たちは、会社を外国人に所有されることを恥と考える。それは不名誉なことなんだ。だから、決してうんとはいわない」
p379「理屈の上では、日本企業を買収することもできる。しかし、現実問題としては不可能だ。ある企業を買収しようと思えば、まずそのメインバンクに話を持っていかなくてはならない。そしてその了承を得る。買収を進めるためには、これは必要な手順だ。しかし銀行は、決して承知しない」
p380「「全体としては、日本に対する外国の投資はこの十年で半減している。日本市場の閉鎖性に耐えかねて、つぎつぎと外国企業が撤退しているんだ。排他性、いざこざ、共謀、市場操作、ダンゴウ。これはつまり、競争相手を閉めだすための秘密協約だな。それから、政府による規制の多さ。その場しのぎのごまかし。こういったものにうんざりして、みんな最後にはあきらめてしまう。文字どおり……あきらめてしまうんだ。アメリカ以外にもげんなりしている国は多い。ドイツ、イタリア、フランス。どの国も日本でビジネスをつづけることに嫌気がさしている。なぜなら、日本がなんといおうと、日本市場は閉鎖されているからだ。」

p395「日本にはね。みんな平等であるはずのあの国には、根拠のない差別がいろいろあるの。無理解がひどい差別を生んでるのよ」
p395-396「アメリカ人には、この国がどれだけすばらしいかわかっていない。自分たちがどれほどの自由を満喫しているかわかっていない。集団から排斥されたとき、日本で生きていくのがどれだけ過酷なことか、あなたたちは知らないでしょう。でも、わたしは身にしみて知ってるの。わたしのいいほうの手がなしとげる仕事で日本人が多少こまったところで、べつになんとも思いはしないわ」
p419「「日本のエイズがらみのジョーク、知ってる?」
「日本の?」
「ええ。ある大物政治家がね、二、三年前、日本に寄港したアメリカ海軍艦艇の水兵について、こんなジョークをいったの。『いまではアメリカは貧乏国だから、海軍の水兵には日本に上陸しても遊べないだろう。物価が高すぎてなにもできない。水兵にできることといえば、艦艇にとどまって、エイズをうつしあうことくらいだな』。これ、日本ではありふれたジョークよ」
「ほんとうにそんなことをいったのか?」
テレサはうなずいた。「わたしがアメリカ人ならね、こんなことをいわれようものなら、さっさと船を出航させて、おまえたちなんかくそくらえだ、自分の国防費は自分で払えといってやるわ。」」
p457「たしかに、アメリカに対する投資額を見るかぎり、イギリスとオランダが日本を上まわっているというのは事実だがね。アメリカが日本からの一方的な輸出攻勢にさらされているという現実は無視できまい。日本は産業界と政府が手を組んで、アメリカ経済の特定部分を計画的に狙い撃ちする。イギリスもオランダも、そんなまねはしない。これらの国々に基幹産業を奪われたことはないだろう。ところが日本には、多くを奪われている。」

p497「「ヒロシもほんとうは閉店したいだろう。たったふたりのガイジン客のために店をあけておいても、儲けにはならないからな。しかしわたしは、ちょくちょくここへくる。ヒロシはその関係を尊重している。儲けや好悪の次元とは関係ないんだ」
わたしたちは車を降りた。
「ここがアメリカ人には理解できないところなんだな」とコナーはつづけた。「なぜなら日本のシステムは、根本的に異質だからだ」
「しかし、みんなも理解しだしているようですよ」
わたしはケン・シュビックの価格操作に関する記事の話をした。
コナーは嘆息した。「日本人が不誠実だという見方は安直にすぎる。彼らは不誠実なんかじゃない。異なったルールにのっとって動いているだけなんだ。アメリカ人には、どうしてもそれがわからない」
「そいつはけっこうですがね。価格操作は違法ですよ」
アメリカではな。しかし日本では、あたりまえの慣行なんだ。覚えておきたまえ、コウハイ。日本人は根本的に異質だ。なれあい的な関係に基づいて、さまざまなことが決定される。それを端的に表わしているのがノムラの株不祥事さ。なれあいというと、アメリカ人はすぐにモラルスティックな反応をしてしまって、それがたんに異なるビジネスのやりかたでしかないということを理解しようとしないがね。結局、それだけのことなんだ」」
p500「日本に住んだ人間は、複雑な思いをいだいて帰ってくることが多い。いろいろな点で、日本人はすばらしい民族だ。勤勉で、知的で、ユーモアがあって。掛け値なしに誠実な人々だよ。ただ、世界一のレイシストでもある。だからこそ、自分たち以外はみなレイシストだといって批判するんだ。そういう偏見はたしかに強い。自分たちがそうだから、外国の人間もみなそうだと思いこんでいる。そんなこんなで、日本に住んでいるうちに……わたしはうんざりしてしまったんだ、いろいろなことのありようにね。夜に道路を歩いていると、向こうからきた女性たちはみな道の反対側へ渡っていく。地下鉄に乗ってすわっていると、最後まで残るのは必ずわたしの両側の席だ。飛行機に乗れば乗ったで、日本語ならわたしにわかるまいと思いこんだスチュワーデスが、ガイジンがとなりにすわってもいいかと日本人乗客にきく。そういう疎外感、ガイジンに対する微妙な優越感、陰でこそこそとささやかれるジョーク……。そんなあつかいをされることに、わたしはほとほと嫌気がさしてしまった。」

p519「あのときイシグロは、大きなプレッシャーのもとにあり、いまにもぷつんと糸が切れそうなほど緊張しきっていた。なんとかして上司の期待に応えなくてはならないと、そればかり考えていた。その重責でいまにもつぶれそうだったからーーふつうの日本人ならああゆう状況下ではとらない行動に走ってしまったんだ。」
p520「イシグロはあまりにも性急にことを運び、失敗した。木曜の夜の行動は独断的にすぎたといえる。会社はそれが気にいらなかった。あのままでも、イシグロはじきに日本に送り返されていただろう。そして残りの一生を、日本でマドギワにすわって過ごす。これは窓ぎわの席ということだ。企業の意思決定体系からはずされて、日がな一日、窓の外を眺めてくらすんだよ。それはある意味で、死刑宣告にも等しい」
p529-530(あとがき部分)「そして日本人は、新しいタイプの貿易方法を確立した。一方的な貿易、戦争のような貿易、競争相手を一掃してしまうことを意図した貿易、これである。アメリカは何十年ものあいだ、それを理解しそこねていた。そして、日本人はアメリカのやりかたをとるべきだといいつづけていた。だが、日本の反応は、しだいにこんな色を濃くしつつある。なぜ日本がやりかたを変えねばならないのか? 日本のやりかたは、アメリカが思っているよりもよいのではないか?事実それは、そのとおりなのだ。
これに対して、アメリカはどう反応するべきなのだろうか。日本が成功しているといって非難したり、もっとのんびりやるべきだと示唆するのはばかげていよう。日本人はこんなアメリカの反応を、だだをこねる子供のようだと考えている。まことにもっともだ。むしろこの場合、合衆国のほうこそが目を覚まし、日本をきちんと見すえ、現実的に対処すべきなのではあるまいか。」

p538(訳者解説部分)「そんな本書に対する米マスコミの評価は、どんなものだったのか。なかにはつねに真摯なメッセージを投げかけてきたクライトンをしてこのような本を書かせるにいたったアメリカの現状を憂う声もあるが、全体としては手厳しい評価が多いようだ。その一部を紹介するとーー
「巧妙に計算されたジャパン・バッシング小説。よきにつき悪しきにつけ、本書は物議をかもしつつ、広く読まれることだろう」(カーカス・レビュー)
「なぜ日本と経済戦争をしなくてはならないのか。それを切々と訴える本としては、本書はあまりにもエンターテイメント色が濃すぎるし、それにしては説教臭が鼻につく」(ニューヨーク・タイムズ)
「このところ、日本を邪悪視する書物が続々と刊行されているが、ここにその最新最悪の一冊が加わった」(ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー)
「またぞろジャパン・バッシングの波が高まっているおりにこんな本を出すとは、なんともタイミングのいいことだ。しかし、バランスのとれた視点ではなく、粗野な反日プロパガンダお手盛りすることで、クライトンはみずからの論点をだいなしにし、読者に偏向を押しつけた」(ニューズウィーク)」