小林正「日教組という名の十字架」(2001)

 今回は本書の主題とは少しずれるが、戦後直後の資料に言及している内容に関連して、2点程気になったことについて触れてみる。

1.「太平洋戦争史」や「新教育指針」の当時に影響力について
 恐らくは日本が独立していく50年代には徐々に忘れられていったものかと思われるが、これらの文書が出た当時、国民や教育関係者にどのような影響を与えたのかは非常に気になり、今後機会があれば調べてみたいと思った。特に「新教育指針」における極めて歪んだ日本人論に対する影響力については、どのように引用され、普及していったかが気になった。素朴に考えればそれなりに教師を中心にしてこの日本人論の枠組みは影響を与え、以降の日本人論の骨格形成の一助になったとも言えるかもしれない。
 国の機関といった公の見解が示された場合、その見解は自明のものとして正当化可能になってしまうという可能性については、80年代の「地域の教育力」の衰退という議論にもあるのではないのか、ということを素朴に感じているが、ここでの「日本人論」もまた後継の議論において自明の理としての正当性を与えるのに寄与した可能性があるのではないか、そうならばその正当化の過程を捉えることも重要ではないかと思った。

 また合わせて興味深いのは、ここで示される日本人論と「個人主義」の対比である。ここでの日本人批判は従属的であること、滅私的な主体への批判に加え、利己的な日本人であることも批判している点が注目すべき点である。ここで共通項として取り出せるのが「権威主義」への従属という点であり、まさに河合隼雄の「父性原理・母性原理」論において批判的に日本人を捉えるのに重要視された点であった。この点が海外と比較した場合において疑わしいものであることはすでに議論してきた所であるが、近いうちにまたこの点については整理をしてみたい。


2.日教組の「教師の倫理綱領」の解釈について
 現在でも10項目の綱領は機能しており、何度か見たことはあったが、解説まで含めてしっかり読んだのは初めてであったので新鮮であった。ネットにも1952年当初のものと、その後1961年に更新されたものが全文で掲載されていたので合わせて参照されたい。

1952年版:http://www.7key.jp/data/law/kyoushi_rinrikouryou.html
1961年版:http://www.7key.jp/data/law/kyoushi_rinrikouryou2.html

 52年版の解説文を読むと、明らかに反資本主義・反体制の立場を明確に謳い、初期日教組の性質を考える上でも非常に重要なものといえる。ただ、本綱領は明確な資本主義批判をしていても、直接社会主義共産主義を支持するという言い方をせず、あくまで「団結」の重要性を述べるなどするに留まっている。5項目の解説文において「レッド・パージ」について触れている部分があるが、あくまで政治思想の一つとして「共産主義」を捉えているに過ぎず、思想を排除しようとする体制側の姿勢を批判しているのに留まっている。
 しかし他方で、解説文なき10項目の綱領というのは、極めて漠然としたお題目でしかない印象がある。私自身が気になったのは、日教組の成員間において、この解説文というのがいかに扱われていたのか、という点であった。というのも、各項目だけを読んでも「体制批判」の文脈が読み取れないからである。また、解説文の分量についても両者が顕著な違いがあり、「体制批判」の色合いも52年版の方が明らかに強い印象である。この分量減少は「体制批判をする姿勢そのものの衰退」と見ることもできるかもしれないし、単純に「52年版は61年においてもまだ有効であるから、敢えて多くを語らなかった」とも読むことができる。この両文書の意味合いと、その流通による影響というのを、広い意味で捉えていく方法はないだろうか。これも機会があれば検討してみたい論点である。
 

(読書ノート)
p4「このうち、「教職追放指令」はすべての教職員を対象とする「教職適格審査」という前代未聞の規模で行われた。占領前期、審査総数のほぼ一パーセントにあたる五千二百余名が追放された。なお、この「審査」を前に十一万五千二百余名(審査総数の二〇パーセント)が自ら職を辞している。この問題は戦後教育界に大きな影響を及ぼした。」
p20「本文に立ち入る前に、この「訳者のことば」から、(※GHQ/CIE資料提供の)『太平洋戦争史』がいかなる目的で出版されたかを確かめたい。
一、「太平洋戦争」は日本軍閥が善意ある国民を欺瞞して起こしたものである。
二、「太平洋戦争史」は連合軍総司令部が論述したものである。
三、連合軍総司令部は日本国民と日本軍閥の間に立って、冷静な第三者としてこの問題に明快な解決を与えている。
四、全国民が熟読玩味すべき文献。」
※これに対して、連合国軍は第三者にはなり得ず、「軍閥と国民を対立させ、あたかもこの戦争がその両者によって戦われたかのごときフィクションを持ち込むことによって第三者を装った」「全国民にこの書を読ませることで過去の歴史との断絶をはかった」とみる(p21)。本書は1945-1946年に各新聞に掲載され、1946年に書籍化され、十万部刊行されたという(p18-19)。
P26「しかし、この本では、これが中国側の徹底抗戦のきっかけとなったとしているのは事実に反する。南京陥落以後、日支事変は武漢三鎮の制圧を経て膠着状態となった。戦中、中国側はこれを戦意高揚に取り上げなかったばかりか、国際連盟への提訴も行っていない。「南京大虐殺」は「広島・長崎」を正当化するために突如登場してきた事件である。」

P73文部省編「新教育指針」(1946)前編「新日本建設の根本問題」より…「指導者たちが過ちをおかしたのは、日本の国家の制度や社会の組織にいろいろの欠点があり、さらに日本人の物の考え方そのものに多くの弱点があるからである。国民全体がこの点を深く反省する必要がある。とくに教育者としてはこれをはっきり知っておかなくてはならない。」
P73-74「傍線部分のうち、指導者たちが過ちをおかしたのは、国家の制度、社会組織、日本人のものの考え方に弱点があるからとしている。これでは、ポツダム宣言によって軍国主義者や極端な国家主義者を排除しただけではダメということになり、国家全体が反省しなければならないということになった。まさに「一億総懺悔」である。」

P75指針における「日本人の欠点、弱点」について…「二、日本国民は人間性・人格・個性を十分に尊重しない
「これまでの日本国民には、このような人間性・人格・個性を尊重することが欠けていた。例えば封建時代において、将軍とそれに治められている藩主、藩主とそれに仕える家来としての武士、武士とその下にいる百姓町人、というように、上から下への関係が厳しく守られていた。……このような封建的な関係は近代の社会にも残っている。例えば役人と民衆、地主と小作人、資本家と労働者との関係が主人と召使のように考えられ、大多数の国民は召使と同様に人間性を抑え、歪められ、人格を軽んじられ、個性を無視されることが多いのである。」」
p76「三、日本国民は、批判的精神に乏しく権威に盲従しやすい
「上の者が権威をもって服従を強制し、下の者が批判の力を欠いて訳も分からずに従うならば、それは封建的悪徳となる。事実上、日本国民は長い間の封建制度に災いせられて、『長いものには巻かれろ』という屈従的態度に慣らされてきた。いわゆる『官尊民卑』の風がゆきわたり、役人は偉いもの、民衆は愚かなものと考えられるようになった……しかもそれは自由な意思による、心からの服従ではないので、裏面では政府を非難し、自分ひとりの利益を追い求める者が多い。このような態度があったればこと(※ママ)、無意味な戦争の起こることを防ぐことができず、また戦争が起こっても政府と国民との真の協力並びに国民全体の団結ができなかったのである。」」

p77「四、日本国民は合理的精神に乏しく科学的水準が低い
「批判的精神に欠け、権威に盲従しやすい国民にあっては、物事を道理に合わせて考える力、すなわち合理的精神に乏しく、神が国土や山川草木を生んだとか、大蛇の尾から剣が出たとか、神風が吹いて敵軍を滅ぼしたとかの神話や伝説があたかも歴史的事実であるかのように記されていたのに、生徒はそれを疑うことなく、その真相やその意味を究めようともしなかった。このようびして教育せられた国民は、竹槍をもって近代兵器に立ち向かおうとしたり、門の柱に爆弾よけの守り札を貼ったり、神風による最後の勝利を信じたりしたのである。また社会生活を合理化する力が乏しいために伝統的な、かつ根のない信仰に支えられた制度や慣習が残っている。いろいろな尺度が混用されたり、難しい漢字が使われたりするのも、同じ原因に基づく。」」
☆p79-80「五、日本国民はひとりよがりで、おおらかな態度が少ない
「封建的な心持ちを捨てきれぬ人は、自分より上の人に対しては、無批判的に盲従しながら、下の者に対しては、独りよがりの、威張った態度で臨むのが常である。そして独りよがりの人は自分と違った意見や信仰を受け入れるところの、おおらかな態度をもたない。……神道を信ずる人々の中にはキリスト教を国家に害のある宗教であるかのように非難する者もあった。
こうした独りよがりの態度は、やがて日本国民全体としての不当な優越感ともなった。天皇を現人神として他の国々の元首よりも優れたものと信じ、日本民族は神の生んだ特別な民族と考え、日本の国土は神の生んだものであるから、決して滅びないと誇ったのがこの国民の優越感である。そしてついには『八紘一宇』という美しい言葉のことに、日本の支配を他の諸国民の上にも及ぼそうとしたのである。」」
※この指摘は貴重。

P92「改正憲法と一体をなすものとして制定された教育基本法は、前文と各条項にわたって多くの問題点が指摘されている。
第一は、前掲の『太平洋戦争史』で強調された、旧体制の国家が善意の国民を欺瞞して戦争に導いたとする立場から、国家と国民という関係が前文及び各条項から完全に削除され、個人が全面に出ていることである。
第二は、日本の過去の歴史を否定し、伝統・文化についても意図的に削除されたことである。教育基本法最終草案の段階で「伝統を尊重し」が削られた経緯は語りぐさとなっている。伝統文化の継承なくして、その発展のみを期すなどあり得ないことは言うまでもない。
第三に、国家と民族を排除した教育基本法では、「よりよき日本人」の育成というわが国の教育理念としては成り立たない。……さらに、国家・民族とともに社会の構成単位としてに家族についての記述がない。「新教育指針」において封建的遺制としての家族関係の記述が否定的に述べられており、家族より個人重視の立場から排除されたと見なければならない。」
p97森戸文相1947年6月の日教組への反応…「新しい文化、新しい国民精神の建設をめざすルネッサンスを実現することこそ、教育者諸君のもっとも光輝ある任務である。私は日教組結成への喜びを贈り、健全な発展を祈っている。日教組が破壊的闘争という小児病的傾向を克服し、わが国の教育者と教育界のために真実な革新的進路を示すものと確信する。」

p104-105「戦後日本教育資料集成」から「教師の倫理綱領」に関する資料…「このため、宮原誠一東大助教授、勝田守一学習院大教授、柳田謙十郎元京大教授、周郷博お茶の水大教授の四氏を招き『教師の倫理』についての意見の交換を行った。その際つぎの要旨の意見が出された。
【宮原】労働と科学と平和ということを中心にして、人が人を搾取しない民主的な労働者の共同社会を建設しなければならない。そのためには科学的な手段がとられなければならないぢ、平和な社会が必要である。労働者のための共同社会の建設という本来の使命をはっきりさせなければいけない。
【勝田】教師は労働者であり、社会の最大多数をしめているのも労働者であるという基本的な考えがはっきり体認されなければならない。
【周郷】民主化のためにはどうしても平和な社会がまず保障されるべきであるという訴えも強くだすべきである。そして平和を求める日本の大衆の声が、保守的な陣営によって圧迫されている事実もだすべきである。
【柳田】現在の教師の倫理は、わが国の教育界の通念を破るものでなければならない。現実の課題をとく、役に立つものでなくてはならず、それは歴史の変化に応じて変わり、歴史そのものをつくりだす力をもっているものである。」
※ただし、教師の倫理綱領からは子どもが将来的な労働者になることに対してはどうするのかという観点からは何も述べられていない。

P107教師の倫理綱領を1952年の新潟大会で「行動綱領に準ずるものとして扱う」決定を行った際の三項目「教師は平和を守る」に対する解説…「中国とソ連の同盟条約は、すでに日本を危険仮想敵国としている。……『平和は人民の希求である』けれども、資本家にとっては、それは『もうからない』ということであり、まさしく、おそるべき『脅威である』というわけであろう。あるいはそうかもしれない。それが、資本主義社会構造がもっている宿命的なガンであろう。……われわれは、愛する祖国と青少年を、そのような戦争挑発者まかすことなく、人民の希求に従った平和なものに育て上げなければならない。そのためには、いまや勇敢な平和へのたたかい以外にとはない。」
※これに対し、「社会主義国家は平和勢力、との信仰にも似た信念で語る「平和」がいかに欺瞞に満ちたものであったか、これについて、日教組が何らかの総括を行ったという話は寡聞にして知らない。」と述べる(p108)。
P108六項「教師は正しい政治をもとめる」に対する解説文…「これまでの日本の教師は、政治的中立の美名のもとにながくその自由を奪われ、時の政治権力に奉仕させられてきた。……政治は一部の勢力に奉仕するものではなく、全人民のものであり、われわれの念願を平和のうちに達成する手段である。」
※これに対するコメントとして、「ここで解説は、念願を平和のうちに達成するためには、政治的中立ではダメで、政治的に「なんでもやる」という積極的な立場に団結しなければならないと述べている。平和的に社会主義革命を実現するには、教育基本法第八条二項は運動上障害ということである。こういう団体によって職場支配が行われている状態こそ「不当な支配」そのものではないか。」(p108-109)と述べる。
P109-110第十項の解説…「教師の歴史的任務は、団結を通じてのみこれを達成することができる。……全国のすべての教師がひとりびとりその任務を自覚することがのぞまれるが、ここで大切なことは、それらの教師が固く組織に団結することである。孤立は敗北に通ずることはすでに歴史においてそれを学んだ。『団結すれば勝ち、分裂すれば敗れる』ということも有名なことばである。……団結こそは教師の最高の倫理である。」
※ここには全生研的意味でのな団結は語られていない。ある意味で素朴な「団結」論である。

P114山口日記事件における取扱…「『ソ連とはどんな国か』……「ソ連」というのは「ソビエト社会主義共和国連邦」の中から二字をとったのです。「ソビエト」という意味は、「会議」ということで、いっさいの政治は、会議によってきめるということです。「社会主義」というには、労働者と農民の幸福を第一とする主義なのです。工場をもっている資本家が、安いお金で労働者を使って自分のふところをこやしたり、安い米のねだんにして農民を苦しめたりしている「資本主義」とは反対です。……アメリカや日本の「資本主義」と、どこがちがうか、どこがよいかしらべてみて下さい。」
※これは朝鮮戦争の議論にむすびついており、北朝鮮を「働く者の国」とし、人民はそれがよいとしていた述べ、南が北をせめたのが朝鮮戦争のはじまりと説く(p114)。
P127-128「教員組合運動や日教組を無条件に支持し、その政治活動を推進するタイプ」の教科書として、宮原誠一編「高校一般社会」実教出版を挙げる
※この話の出典は民主党教科書問題特別委員会の「うれうべき教科書の問題」。しかし、毎日新聞社説1955-10-10では、「一部分をとりあげて全体を偏向ときめつけたり、誤解や認識不足に基づいた議論が多く、その意味ではくだらない騒ぎを起こしたと言える。」と批判したという(p131)。

P136日教組十年史より…「かくて(※1948年)一〇月五月行われた全国四六都道府県、五大都市の教育委員選挙では、教職員組合推薦またはこれに近い民主団体推薦の候補者中、八〇名が当選し、北海道などの二四県では推薦立候補者のことごとくが当選した。福岡のごときは、二年委員と四年委員各二名、計四名が、北海道、千葉などの七県では、各三名が当選したのである。」
P138「その後、教育委員の選挙は昭和二十五年十一月、二十七年十月に実施された。公選制最後の選挙はわが国が独立を回復した直後であったが、都道府県と市町村の投票率の全国平均は五九・八%であった。この低投票率とともに、制度の趣旨からすれば問題とされたのは、九六二七町村、組合三三のうち、無投票の町村が四九一七、組合一六で、全町村の五割までが無投票だったことである。
こうした状況に加え、地方行政実務の立場から、一般行政と教育行政が分離されるため行政の総合的運営が困難になるとし、自治体首長へ責任を集中させるべきとの見解が地方六団体から提起された。」
※この投票率が低いかどうかは判断が難しいと思うが…

p145-146「しかし、教育基本法制定段階では、日本側が教育勅語の存在を念頭にCIEに折衝していたにもかかわらず、結果としては昭和二十三年、衆参両院において廃止及び失効確認の決議がなされ、教育勅語教育基本法という車の両輪のうち一方が否定されたため、本来、教育基本法に示さなければならなかった国民道義の基本が欠落することになった。」
教育基本法制定(1947年3月)の後に教育勅語の失効が確認されている(1948年6月)ことから見れば、基本法と両輪で考えられていた、という主張が正しいか不明瞭であり、それを立証できているものも提示されていない。
P154「教育勅語の成立経緯はいうまでもなく、幕藩体制から国民国家として統合される過程で作られたものであり、朝日(※新聞)が基本的な思想を問題にしているのは、教育勅語全否定の立場と捉えざるをえない。次に「軍人勅諭丸暗記の軍人がどうであったか、国民が一番よく知っている」というのは、どういうことか。「太平洋戦争史」が描く醜い日本軍人を指しているのであれば、時代を経ても名誉は守られなければならない。」
教育勅語でなければならない理由については何も示されていない。
P159「勤評闘争はこうした現場の二つの側面、すなわち教育の専門職集団としてのプライドと分会の組織防衛の立場によって闘われたといえる。従って各県段階の闘いも、ストライキによる実力行動でこの方針を阻止しようとする県と、教育論で話し合いで解決を図ろうとする県とに分かれた。世上「神奈川方式」と呼ばれたのは後者である。
この闘争の結果、多くの県で組織離脱者を出し、冒頭の文章にもあるように、多くの職場で校長・教頭が日教組を離脱した。教育現場は学校と分会、管理職と組合員という対立の構図が出来あがった。それまでの教育一家的な一枚岩の構造はなくなり、「校長組合」的な組合運動から、校長をも権力の末端として敵対視する運動へと日教組運動は変質していった。」

p166-167「都道府県教組は昭和四十年代から協定によって、これ(※給料を貰いながらの組合活動の実施)を既得権として今日まで行使してきた。組合にとって、勤務時間内に有給で組合活動を行うことが組織強化につながるとの認識であった。しかし、これは公務員関係の組合の場合の論理であって、民間労組の場合、このような理屈は通用しない。給与も労働時間も税金で賄われる公務員関係労組と、使用者である自治体当局との間に身内意識がはたらいて、こうした癒着が進行してきたものである。」
※この既得権について「東京では美濃部都政以来」と述べている。
P169「八〇年代、労働界では民間主導の労働団体の再編・統一の機運が高まった。これに日教組自治労など公務員関係労組も加わったナショナルセンターの構想が現実化する中で日教組組織内では統一推進に社会党系主流派とこれを右翼再編と批判する共産党系反主流派が激突し分裂状態となった。
平成元年、日教組は日本労働組合連合会に正式に加盟したが、これを契機に共産党系反主流派は全日本教職員組合協議会を結成して分裂した。」

p179川崎市の生徒人権手帳について…
「1飲酒・喫煙で処分されない権利、2学校に行かない権利(不登校の助長)、3集会・団結権、4内申書を見てその記録を訂正させる権利、5職員会議を傍聴する権利、6つまらない授業を拒否する権利、7妊娠、中絶、出産、結婚など如何なる事情によっても処分を受けない権利、
これらの権利を紹介して、児童・生徒を唆し、学校・学級を崩壊させようとしている。」
※1については法律違反であり、処分については「追加の処分を禁ずる」性質なのか、本書のいうような規律崩壊を意味しているのか読み取れない。また、本書として一貫していえるが、海外と比較して規範崩壊がどうなのか、規範順守がどうなのか、といった視点が欠落している。

P224天野貞祐「国民実践要領」(1951)より…「(2)自由
われわれは真自由な時間を人間であらねばならない。真に自由な人間とは、自己の人格の尊厳を自覚することによって自ら決断し自ら責任を負うことのできる人間である。
おのれをほしいままにする自由はかえっておのれを失う。おのれに打ちかち道に従う人にして初めて真に自由な人間である。」
p229同上。「(5)しつけ
家庭は最も身近な人間教育の場所である。
われわれが親あるいは子として、夫あるいは妻として、また兄弟姉妹として、それぞれの務めを愛と誠をもって果すことにより、一家の和楽と秩序が生じてくる。そうすることを通じて各自の人格はおのずから形成され、陶冶される。それゆえ家庭のしつけは健全な社会生活の基礎である。」
p230「(1)公徳心
人間は社会的動物である。人間は社会を作ることによってのみ生存することができる。社会生活をささえる力となるものは公徳心である。われわれは公徳心を養い、互に助け合って他に迷惑をおよぼさず、社会の規律を重んじなければならない。」
p230「(3)規律
社会生活が正しくまた楽しく営まれるためには、社会は規律を欠くことはできない。
個人が各自ほしいままにふるまい、社会の規律を乱すならば、社会を混乱におとしいれ、自他の生活をひとしく不安にする。」
p231「(6)世論
社会の健全な進展は正しい世論の力による。
われわれは独断に陥ることなく、世の人々の語るところにすなおに耳を傾けなければならない。しかし正しい世論は単なる附和雷同からは生まれない。われわれはそれぞれ自らの信ずるところに忠実であり、世の風潮に対してみだりに迎合しない節操ある精神と、軽々しく追随しない批判力をもつことが必要である。正しい世論は人々が和して同じないところに生まれ、世論の堕落は同じて和しないところに起る。」

p233「(1)国家
われわれはわれわれの国家のゆるぎなき存続を保ち、その犯すべからざる独立を護り、その清き繁栄高き文化の確立に寄与しなければならない。
人間は国家生活において、同一の土地に生まれ、同一のことばを語り、同一の血のつながりを形成し、同一の歴史と文化の伝統のうちに生きているものである。国家はわれわれの存在の母胎であり、倫理的文化的な生活共同体である。それゆえ、もし国家の自由と独立が犯されれば、われわれの自由と独立も失われ、われわれの文化もその基盤を失うこととならざるをえない。」
p233「(2)国家と個人
国家生活は個人が国家のためにつくし国家が個人のためにつくすところに成りたつ。ゆえに国家は個人の人格や幸福を軽んずべきではなく、個人は国家を愛する心を失ってはならない。
国家は個人が利益のために寄り集まってできた組織ではない。国家は個人のための手段とみなされてはならない。しかし国家は個人を没却した全体でもない。個人は国家のための手段とみなされてはならない。そこに国家と個人の倫理がある。」
※ある意味でこのような止揚状態の想定は、特に戦争が起きるときのような危機的状況をどう考えるかに全く寄与しないと断言してもよいのかもしれない。そのような状況下にあること自体が、止揚状態の失敗の上に成り立っているといえないか?それはお題目にしかならない。
P234「(6)愛国心
国家の盛衰興亡は国民における愛国心の有無にかかる。
われわれは祖先から国を伝え受けそれを手渡して行くものとして、国を危からしめない責任をもつ。国を愛する者は、その責任を満たして国を盛んならしめ、且つ世界人類に貢献するところ多き国家たらしめるものである。真の愛国心は人類愛と一致する。」

p257「専門職者としての矜持であり、父母の信頼もこうした姿勢に対するものだったように思う」とする「教育魂」という言葉
※意味合いについては特に触れられていない。