大久保正廣「混迷の学校教育」(2010)

 今回は、長らく現場教師も務めていた大久保の著書のレビューである。
 本書は戦後日本で展開されてきた規律や指導の言説について分析を行う中で、特に「管理主義」言説を展開する、全国生活指導研究協議会(全生研)を中心にした教育運動に欠落する視点を指摘しつつ、そのような言説の広がりが学校危機における対応について阻害要因となってきたのではないかという問題提起をしているといえる。
 つまり、教育運動の側からは(少なくとも名目的には)民主主義的な学校運営を行っていることが主眼におかれ、これを阻害しようとする国家の統制、行政からの干渉については常に批判を繰り返してきた。そして、それと同時に生徒一人ひとりへの教師の指導と集団づくりが目指され(cf.p117-118)、いわば教師個々の指導力と教師間の連携による学校づくりが目指されていた。しかし、この点の強調というのは、度が過ぎてしまえば、それが機能しなくなった場合の対処をどうするかという問題を野放しにしてしまう可能性がある。そして、いざという時に権力が介入する可能性を否定してしまったことの帰結の一例として、いじめ自殺の事例を取り上げている。

 学校現場における規律の問題は過去の旭丘中学事件などにおいても、先行研究で十分取り扱われていない規律の必要性を説く勢力の存在と、その勢力を民主主義をうたっていたはずの主流派が対話せずにその排除を行っていくことで見えにくくしているとも見ている(cf.p161,p80)。このような緊張関係の存在はこの管理の問題を単純に「権力者=国家」という枠組みで還元することの問題であるともいえるだろう。教師にとっても確かに勤評問題などによって、権力行使を受ける側として上位者の批判を行っていた訳であるが、必ずしも権力行使を認める勢力が上位者にある訳ではないことも忘れてはならない。「権力者/服従者」を二項対立的に読むことの問題を著者は指摘しているとも言えるだろう。

 フランソワ・ベゴドーのレビューの際にも少し指摘したが、フランスの生徒懲戒の制度は一見非常に民主的に見える反面、民主的な側面が完全に無視されつつ、問題行動を行う生徒も弁解もなく排除される可能性もある。大久保はいじめ自殺の事例であげたような、現場教員の手ではどうしようもない状況における外的な権力行使の用意する必要性を指摘したが、ベゴドーの事例からはごく簡単な授業進行の阻害が最悪退学処分に繋がってしまうのではないか、という危惧も感じてしまう。問題は何をもって学校危機ととらえるか、にあるともいえる。
いずれにせよ、学校危機時の権力行使の問題について、私も(「管理主義」言説のような日本の教育運動の影響力はさておいて)日本は後進であるという見方は支持したい。このためには、たとえ形骸化したとしても、「合意」に基づく権力行使が行えうる仕組みは作られていかなければならないのではないかと思う。


○若干の大久保の主張に対する疑義
 本書は非常に実証性にも富んでおり、基本的には重要な論点を提出しているように思うし、大久保の主張の大部分は支持できるというのが私の感想である。しかし、全体として議論を一元的にみてしまおうという視点の強さは否定できなかった。いくつか指摘しておきたい。

 まず一つは、「一般的な」管理主義言説に言及しようとする際の問題である。確かに大久保は教育運動の側から、そして政策者側からという形で校内暴力、いじめ問題をはじめとした教育問題への取り組み方の違いについての指摘、及び特に管理主義原因論日本教育学会やマスコミにまで広く広がっていることを指摘しているのは事実である。しかし、「いじめ自殺」について取り上げる際における、管理主義との関連性について、あまり実証的な観点から立証しているように見えない。つまり、管理主義言説の生成においては、高校紛争後の70年代中頃から、生徒の自治についても弱体化していることは確かに一定の妥当性があり(高校生の自治意識の変遷は大内文一他「高校生の戦後史」1983に詳しい)、70年代後半から大きく校内暴力の問題が発生してきた際に、その対応として校則強化などがされていったことも妥当と言ってよいだろう。しかし、84年頃から大きく問題とされるようになったいじめ問題については、むしろそれまでの形骸化した校則(管理主義)によって自律的な規範意識が弱体化し、それがいじめの原因となっているという語りが確かに先行研究でなされている(cf.森田、清水「新訂版 いじめ」1986=1994。本書については後日レビューを行う)。
 しかし、他方で「管理主義」という言葉はそれ自体で強権的な態度をとるような、学校現場にそのまま当てはめれば教師による権力行使がなされるような批判が教育運動の側からは含まれていたことを前提にしており、p270の指摘はこれをもとにしているといってよい。しかし実際のところ、「いじめ」をめぐる管理主義言説にそのような側面があったことを本書で示しているとは言い難い。確かに「校内暴力」の問題と「いじめ」の問題を同じように当てはめるような議論は森田・清水の文献でもないわけではない。しかし、それは管理主義との関連性において同一視しているわけではない。教育運動の立場からの管理主義言説は、教育学会のシンポジウム(p134-136)もそうだが、学校荒廃全体として、そしておそらくは校内暴力の議論における議論が念頭にあるようにも思える。そのコンテクストをそのまま個別問題であるいじめの議論にそのままあてはめるのは少々強引であり、実際の(特にマスコミにおける批判において)そのような見方が意義を持っていたのかは別途検討されてよいように思える。

 またもう一点無視できないのは、教育問題への対処における組織のあり方についてである。大久保は教育運動側がトップダウン型の組織を取ろうとすることに対して批判を行うことに対して問題視しているが、p277に顕著なように、教育運動側の組織論を必要以上に軽視している感が否めない。確かに教育運動側における「警察との連携」においては全生研にとって「特集が組まれていないか批判的である」(p117-118)とはいうものの、それが排除的だったかどうかと言われると、議論の余地が残るような語り方をしているように思えた(※1)。P244にあるように、これは一般論としての警察との連携にそのまま適用されるが、そのような教育運動側の態度に問題があったかどうかは本書のみからは評価しがたい。また、学校内部の組織についても、教育運動側はいわば横の連帯によって民主的な組織としては常に心がけていたはずである。旭丘事件の事例のような排除をあらかじめ想定していたというには飛躍しているだろう。大久保は特に欧米のような、民主的な協議に基づき、最終的な責任者である校長などのトップが判断をするような組織論の重要性を説くが(p316)、教育運動側の組織論がなぜ駄目なのかは明確に答えていない(※2)。その意味で欧米的な組織論を大前提に議論を展開してしまっているといえるのである(もっとも、この追随的な態度が必ずしも問題があるとは思わないが)。

(2016年1月31日追記)
※1 少し時代は古いが、1962年の著書で城丸章夫は警察との連携に対する問題をこのように捉えている。

「警察と協力することが悪いとか、警察は「人民の敵」だからそれに協力するのが悪いとかいう、そういうイデオロギーめいた政治論議から、情ながっているのではない。現代の教師としての根性がどこにあるのか。親としての根性がどこにあるのか。骨なしの、ぐにゃぐにゃ教師というものが情なく、あいた口がふさがらないのである。」 (城丸章夫「城丸章夫著作集 第5巻 集団主義と教科外活動」1962=1992、p205-206)
「警察に渡すということは、自分の教育の無力さ、教師としての無責任さを示すものにほかならないからだ。」(同上、p206)
「しかも、こういうことがもたらす政治的思想的効果は、恐るべきものがある。国民相互が警察権力の手先としてスパイしあうことの恐ろしさを、つい十数年前に国民が経験してきたばかりではないか。道徳の基準を警察権力の政治的判断に従属させることの恐ろしさを、いまのおとなたちは、身にしみるほど経験したことではないか。子どものことだからといって、これらのことが許されてよいはずがない。」 (同上、p207)

 ここでは警察との協力が肯定的に捉えられていないのは確かである。しかし、城丸の態度は非常にあいまいさをもって語られているように見える。また、戦時中の警察権力への忌避観も反映されている。この主張では明確に警察との連携を排除しているように一見みえないものの、現場レベルにおいては結局「教師や親が熱心に取り組め」以上の主張とは受け取れず、結局警察との連携は排除されてしまうようにも思える。
 このような主張が特に80年代にはどうされているのかは、引用できる箇所が見つかれば追記してみたい。

(2016年2月27日追記)
※2 本書でも参照されていたアメリカの学校における危機管理についての著書、ゲイル・D・ピッチャー、スコット・ポランド「学校の危機介入」(1992=2000)においては、危機介入チームのトップはその学区の「教育長」にあるとされるものの(p164)、「(※危機チームの全般的行動)プランは、学区の承認するものであり、学校職員全員、および保護者組織によって再検討されねばならない。プランの最終決定の前に、以上の組織から出た意見を重く受けとめて検討しなければならない。」(p166)と民主的なプロセスも多大に重要視しており、更には教師、カウンセラー、親などの役割について確認しつつ、チームとしての危機管理という側面を重視している。私自身は大久保の言うようなトップダウン型のマネジメントを必ずしもアメリカでも志向された考え方であるという見方はこの本から感じ取れなかった。


<読書ノート>
p26「この意味の訓育論者は、学習指導要領の三領域説に立った特設「道徳」中心の〈道徳教育〉をおおよそ次のような観点から批判する。①〈道徳教育〉は国家権力による民衆支配の手段である点で、天皇制や軍国主義体制維持のための戦前の道徳教育と連続的である。それに対し訓育は・(※ママ)民衆が自らの生活を改革していくための民衆のモラルの教育である。②〈道徳教育〉は個人に向けられた抽象的原則中心の道徳か、あるいは戦前のように家長支配的な古代ゲマインシャフト的倫理を教えようとしているが、訓育は民主化された共同体自治にもとづくゲマインシャフト的倫理の創造を中核とする。③〈道徳教育〉の方法は徳目主義、つまり言語主義的な教え込みであるのに対し、訓育は子ども自身が自らの生活のなかで自らの理解の論理に沿いながら道徳的価値を体得することをめざす。
 ところが、1960年頃を境に訓育論がソビエト東ドイツ集団主義的教育論との結合を強めるにつれて、この訓育の言説や実践はしばしば元来の自己の理念を欺くようになる。すなわち訓育は時として、①既存の労働運動や階級闘争をモデルとしつつ、表面に現れた単一的な権力の打倒を民衆の生活の改革と安易に同一視し、②抽象的規則中心の古典的啓蒙主義道徳=自然権的権利論に立脚しながら、規律正しく統制されて個人の差異性を抑圧する“自治的”集団の力を用いて、③子ども自身が自らを主体的・自発的に管理し規律・訓練を仕向けること、に顚落してしまった。」
※ここで本当に「安易な同一視」だったかどうかは疑問もある。松下良平の「教育思想辞典」2000、p230-233の内容。

p50「教育科学研究会は戦後史を振り返り、教育への権力統制に抗する教師を取り上げ、60年代の能力主義教育、70年代からの「落ちこぼれ」や非行問題、校内暴力、登校拒否、いじめの問題を概観し、校則や体罰による「管理主義」がいじめなどにつながる「能力主義」「管理主義」の原理を変革する実践の重要性を強調している。碓井は90年代初頭までの戦後生活指導の運動を時代背景とともに丁寧にまとめており、今日的問題状況を踏まえつつ教育実践における「自由と共同」の意義を唱えている。しかしながら、これらの研究は「規律」の問題に対してはほとんど触れておらず、全体的な戦後教育史の枠組みはここで検討の中心としている第2版の認識にほぼ重なるものである。」
※教育科学研究会は「現代教育科学入門」990、p42-50より。碓井岑夫論文は大畑編「生活指導実践から学ぶ19」1993より。
p52「校内暴力に関する研究では、80年ごろから多くの研究資料がある。しかし、こうした研究は80年から85年に集中しており、その生起のメカニズムについて説明したほとんどのパターンは「生徒自身」「家庭」「学校」「社会」の四領域からなる「総花的原因論」であり、またその他の理論的枠組みによるアプローチでは、統制理論のなかの抑止理論や緊張理論である。」
※「現代学校教育の社会学」の太田佳光論文の引用?

p75「まず「民主的主権者としての統治能力と自覚」であるが、初版においては民主主義の理念は前面には出ておらず、また集団づくりと生活指導の関係は初版においては「新しい生活指導の方向を学級集団づくりについてまとめた」と述べるように生活指導の下位概念として集団づくりという語を使用している。しかし、第2版では、民主主義の危機的な状況が批判され、能力主義軍国主義教育抗する民主主義教育としての集団づくりという姿勢が前面に出ており、初版よりはるかに当時の政治状況に言及したものになっている。」
※全生研「学級集団づくり入門」の初版(1963)と第2版(1971)の比較。
p78-79「(※全生研の態度は)政治的立場の違うものからみれば「政治の論理」の優先であり、きわめて政治主義的な理論であるといえる。その点は例えば「能力主義」の教育における「差別性」に教育問題の中核を見る視点や「軍国主義的教育政策」によって「特定の行動の型が、しつけ、体力づくり、儀式などを名として子どもたちに押しつけられている」といった学校問題の捉え方でも顕著にあらわれている。ここでは、現代日本の豊かさや都市化、情報化、核家族化、地域社会の変質などといった学校問題の背後にある大きな視点が希薄であり、あまりに政治問題として捉えすぎているのである。」
マルクス主義はこの態度こそ問題にする。政治問題としないと大久保のいう「大きな視点」の問題が解決できないと本気で(?)考えているからである。

p80「しかし、この実践は一方ではそうした革新的な政治的立場を前提とした「政治の論理」を優先するものであった。特に「民主勢力」としての教師集団として実践者及び実践者組織を捉える事は「規律」問題にとって致命的ともいえる問題点を含んでいた。また、それはともすれば多くの政治的立場の違う実践をも「適応主義」や「管理主義」として排除していく危険性や独善性を抱えていた。とりわけ「規律」問題と大きく関わる懲戒の問題に関して、「管理主義」との峻別に関する明確な論点は希薄だった。」
※ここにおいて、「「規律」問題と関わりの深い懲戒に関する問題は排除され、懲戒は「管理主義」と同一視されるという結果になりがちである。」(p79)とされる。

p101文部省「生徒指導の手引」1981年版の「社会環境改善に関する面の指導」より…「なお、学校教育としては、一般に社会環境そのものの改善よりも好ましくない社会環境から生徒を遠ざけるという努力が大事であろう。それには、家庭、PTA、地域の社会教育関係の団体などの協力を得ることが望ましい。」
p111竹内常一、校内暴力「現実の政治的ファシズムと結合し、下からのファシズムによる学校攻撃」とみており、校内暴力の根底が政治的問題と深く結びついているという認識に立つ

p115「つまり、単行本として校内暴力を特集した朝日新聞毎日新聞では、校内暴力の根幹には学校や教師の厳しい校則や体罰による「管理主義」がありそれに反発して校内暴力が引き起こされたとする「管理主義」言説の点で『生活指導』における教育運動の視点と重なっていたのである。」
p116-117文部省が研究依頼している「校内暴力の総合的研究」において、教師の問題は相互意思疎通の停滞、教職員の構成のアンバランスさからくる全体の指導力の弱体化、リーダーシップの欠如からくる方針の不一致、協力体制の不備とみる
p117「これらの分析の結果から次のようなことが明らかとなる。認識の面においては、教育運動の側では「能力主義プラス管理主義という非人間的な心理的暴力に対するやけっぱちの逃避的否定的な開き直りの反抗」であり「ファシズム的性格」に繋がる「死の教育学」によるものであるという「管理主義」言説を核とするものであったが、教育政策の側は、生徒・家庭・地域社会・学校の四つの領域においてそれぞれ生徒の自己中心性・自己顕示性や生き方の見通しの欠如、家庭の放任や過保護、崩壊などの問題、都市化による地域社会の教育力の低下、学校の指導体制の乱れなどを指摘した「総花的原因説」に立つ。
p117-118教育運動の側も家庭や地域との連携の模索はするが体罰、校則批判論と集団づくり論による「一人ひとりの子どもにかかわる」教師の指導のあり方とともに、指導体制の見直しが語られるが、警察との連携については特集資料でないか批判的である。

p123「これまで流布してきた言説のなかに70年代後半から問題になりだした校内暴力を管理主義的に押さえ込んだがために陰湿ないじめ行為が広がったというものがある。この「管理主義」原因説はいじめが大きな社会問題となった80年代半ばごろから、一般の新聞にも登場し、その頻度が増してくる。一方、こうした言説に対して学校の内側との大きなずれを指摘する論者もいる。」
※最初の文は尾木直樹「いじめ」(1995)、次の文は朝日新聞の特集「いじめが問うもの」(1985年7月)、最後の文は諏訪哲二「管理教育のすすめ」が引用される。

P126「(※日教組「日本の教育」において)この「管理主義」という語が初めて使われたのは、管見では62年の第12次教育研究集会の生活指導分科会報告書においてである。それによれば、「集団主義がこんにちの生活指導研究の到達水準であること。それが管理主義や便宜・適応主義の立場を乗りこえて、日本の社会的矛盾と人間疎外を克服する必然的立場でなければならない」として、「集団主義」の大きな意義について述べている文脈のなかにある。このときすでに生活指導における「管理主義」の問題性が指摘されていたのであるが、この文脈でいえば教師が生徒の思いを考慮せず恣意的に行為することを指している。つまり、戦後教育の政治的な対立を背景に、反民主主義的な戦中、戦前の国家主義的、軍国主義的な政治的・教育的理念への批判として使われている。」
※なお、管理という言葉自体はそれ以前から使われている。
P127「70年前後の高校紛争を通じて高校教育は揺れたが、それを過ぎると生徒会活動も下火となり、70年を過ぎたころになると、学校の生徒指導体制を新しい形の抑圧と捉え、生徒の問題行動の要因とする次のような言説が次第に登場する。「管理主義的な生徒指導、規律指導、そして生徒一人ひとりの個別の「カルテ」を細かく書きこむといったカウンセリング体制が強化され、生徒が個別にばらばらにされて、命の息吹を求めてあえぐような窒息状態にある。これは真新しい装いととった上からの管理である」。……これらは中等教育における「管理主義」と生徒の問題行動との因果関係を示唆する言説の登場である。」
日教組集会の1974年からの引用。最後の文は直接には高校において「多極化のもとでの職業高校では生徒が自分の将来に夢を持てずそれが非行につながっている」という引用をもとにしている。

P131「こうした傾向(※全生研「学級集団づくり入門」の第2版(1971)と新版(1991)の管理教育観の内容の変化、「第2版では「管理主義」を克服するための民主教育という政治的・教育的理念のもと具体的な実践においては自治活動を指向した集団づくりが課題であった」が新版では「そうした政治的・教育的理念の問題は背景に退き、さらに具体的な校則と体罰の問題となっていること」)はどこに起因しているのであろうか。それは、70年の半ば以降教育運動の政治的な弱体化や従来的な政治的闘争の沈静化とともに学校外部への視線が背景に退き、その一方で70年代前半以来顕著になってきた「中学生問題」が深刻化したことにあると思われる。ここでの新版の「中学生問題」への認識は、70年代前半以来「中学生」は「受験体制と管理体制を強化」して生徒たちを「規則を校内外にはりめぐらし、それに反するものに体罰を加えるようになった」というものである。」

P134-135「この討論会(※日本教育学会、83年のシンポジウム)では「管理主義」という語のあいまいさに対する疑念や質問は出ているが、それ以上の議論はなされていない。しかし、川合がフロアーからの質問に答え、「管理主義」とは「集団に成立する規則を管理する側のみでつくってそれを成員に対して一方的に押しつける点に特徴があり、それが今日の学校教育の荒廃をもたらしている一つの原因だ」と説き、ここにははっきりと背後にあった「管理主義」原因説が登場しているのである。二年前には多くの原因説があったが、この大会の学校問題のシンポジウムではこのころを境に大きく「管理主義」原因説が声高になってゆく。」
※81年のシンポジウムでも校内暴力の問題が取り上げられているが、「「管理主義」の問題は、詳しく記されていない竹内を除いてほとんど前面に出ていない。」という(p134)。
P136「こうして振り返ってみると80年代の大会のシンポジウムでは、学校荒廃問題に対して時には異論を含みつつ様々な要因分析は提出されていたのであるが、「管理主義」原因説がやはり学会においても日教組、全生研同様に最も支配的な言説だったのである。」

P161「このように、(※旭丘中学の事例において)教師の指導は生徒会指導部を中心とする主流派勢力が中心になりながらも、職員間の指導の大きな対立を生んでいたことは特筆すべきことがらである。民主主義を標榜した当の職員間に対話がなかったのである。この問題をどうみるかが、この実践の「規律」問題をみるうえでのひとつの大きな分かれ目であろうが、従来の研究においては軸足を主流派教師たちに置いているために論点としていない。」
P167-168「前述のように、先行研究によるこれまでの通説では、旭丘中学校実践の「規律」問題は、主流派教師たちに軸足をおきつつ民主主義的な自主性重視の実践として一定の評価をするか、そうでない場合でも時代の後進性とするものであった。しかし、以上四つの視点から内在的に分析してみると、こうした評価は教師の指導法の問題性や生徒の問題行動の実態、それを評価する保護者の教育観の対立を軽視したものといわねばならない。旭丘の主流派を形成した教師たちはしつけに否定的であり、HRや生徒会活動を活発化することにより生徒たちが内面化された「規律」を維持してゆくことを期待していた。しかしながらこうした方法は学校内外の共通理解を欠いたものであり、期待とは裏腹の生徒の問題行動につながる方向性をもった実戦だったのである。」

P176林友三郎の「追い込み」の方法として、「放課後にできるだけ学校に残し勉強を見てやりながら指導し、グループで行動しにくい状況をつくっていく方針をたてた。」
※どういう理由付けで残したのだろうか??
P181「長浜たちはニールなどの戦後民主教育思想によって、いわゆる「問題児」たちを「釣り上げ」「抱え込」むことで自然に学級集団は改善されるという漠然とした期待を抱いていた。長浜や林の二十四時間体制ともいえる情熱的指導の根底には、従来の教師と生徒との上下関係を重視した戦時の「管理主義」的指導を反省したこうしたもくろみが存在していた。しかし、あれほどの献身的な努力にもかかわらず、逆に学級集団が侵食されるという皮肉な教室の力学の前に、教師たちはたじろいだのだった。このように「問題児」丸ごと「抱え込」んだために逆に学級集団や学校が振り回され、集団の関係が非民主的な生徒集団になるという現象は看過できないものがある。」
※ここで釣り上げとは最初の居残り学習を指し、抱え込みとは24時間体制で付き合いをすることを指しているようである(p174)。

P192「当時の大西(※忠治)の考えでは『やまびこ学校』の無着のような実戦は「魅力的な、偉大な教師の人間像が壁のように私の前に立って、私を突き返してくるばかり」であり、「人間としての私の狭さ、魅力のなさ、いたらなさをカバーする以外に方法がなかった」ためこうした集団づくりの「技術」を問題とせざるを得なかったという。つまり、従来一般的だった個別指導と集団指導を中心とする指導に対して、無着ほどには「魅力的」でない教師としての自覚から核による新しい指導方式を試みたのである。」
P207「この実戦は、1960年から、65年頃にかけての実戦であり、急激な高校進学率の上昇がみられる時代である。大西の実戦において香川が英語の習熟度別の授業において火遊びで問題を起こした事件や宿題を班競争によって克服しようとする部分にその影がほの見えている。しかしながら、香川県という地域性もあってか直接的は歪みを感じさせるほどの強い受験の圧力は感じさせない。今日から比較してみても学校の病理現象少なく、生徒間の共同性を求める時代の理想主義的、進歩的雰囲気も伝わってくる。しかし周知のようにこの時期以後、この高校進学率上昇の問題はより深刻な様相を呈しつつ、都市化、情報化、私事化社会といった様々な問題を含んで教師たちの悩みは深くなるのである。」

P243「こうした管理的な指導力のない教師と非行グループとの力関係の逆転現象は、当時の中野富士見中問題状況を端的に示している。この時点でこの教師集団にとっできることは転校の勧めしかなく、残された道は、警察に訴えるしか手はなかった。しかし、それも自分たちでそうした訴えはできず、保護者の訴えに頼るしかなかったのだった。」
P244「実は、警察への要請はこの時点でも既に遅すぎたのである。しかし、学校はこうした校内暴力じみまわれていても、問題を関係機関に頼らず校内だけでどうにかして対処しようとしていた。当時のマスコミを中心とする社会的風潮からも、とりわけ警察などの外部機関への協力要請には躊躇があったに違いない。」
※ここで警察以外の外部機関を何か想定しているのだろうか??

P267「保護者の教育力の欠如とともにPTA副会長という役柄、こうした体制にある地域の事情も不可解であるが、こうした事柄が複合した所に、現代学校の持つ深刻な状況をみるしかない。ここにみる家庭と地域の教育力の欠如とは、今までにみてきたように常に学校問題に大きな暗い影を落とし、問題状況の改善を困難にしている。」
※これは、地域ボスの話とあまり変わらないのでは?地域ボスもまた、教育力あったとはみなさえない存在といえるだろう。この誤読は、現代学校の見方に関連しうる。
P270「このように見てくるといくつかのことが見えてくる。まず、この学校では鹿川君の死の以前から、いじめの原因として当時喧伝されていた管理教育とは逆の「規律」の崩壊現象が起こっていたということがわかる。」
※ここでの管理教育の議論との結びつきは、具体的にどのことを指すのかよくわからない。事件に関連した話か、それとは別でいじめ一般の議論の文脈との兼ね合いで言っているのかもよくわからない。先行研究は本書の最初に示しているが森田洋司、内藤朝雄、豊田充を挙げるが(p61)、森田の著書が全体的として管理主義原因論に寄っているとは思えないし、豊田は引用されるがそのような管理主義の文脈で位置付かない。「いじめに関する諸研究はさまざまであり、その原因や背景の説明のひとつに「管理主義教育」と結び付ける視点がある」とするが(p239)、特に参照される論文等はない。

P271-272「転校と警察への訴えへの勧め。教師たちや学校にできたのは、わずかにこれだけであった。しかし、当時の学校やそれをとりまく状況からみて、このことは学校や教師だけの問題では決してすませられないものがある。いじめという人権侵害への学校の無力さと警察など関係機関との連携の視点の欠如。この事件の持つ深刻な意味合いは、今ここで改めて再確認されるべきものがある。今日のアメリカやフランスの校内暴力の対策においては無論のこと、近代化された諸国においては校長を中心とする責任体制の組織化や関係機関との連携は基本的なマニュアルとなっている。遅きに失した感があるが、こうした学校教育を生みだした日本的な経緯と見直しこそが、今問われているのである。」

P277「・教育運動では、担任の視点が中心であり伝統的な学級担任の指導力を前提とし、生徒指導主事や管理職、関係機関との組織的な連携の視点は弱い。
・澤田や教育政策では、管理職を中心とした組織的な連携の視点がある。」
※教育運動側の解釈が少々荒くはないか?組織的連携の重要性の議論はしていると大久保も言っているではないか。組織がトップダウンかどうかの違いはもちろんあるが、トップダウンでない組織が組織的でないとでも言いたいのか??

P279藤田英典の引用…(佐伯、藤田、佐藤編「学ぶあう共同体」1996、p2-3)「しかし事実はどうであれ、それ以降、丸刈り、制服、校則、校門指導、体罰、軍隊的な集団指導などの諸慣行が、管理主義的教育の象徴として注目され、個性を抑圧する時代錯誤の慣行として告発されるようになり、かくして80年代以降、多くの学校でそうした慣行の見直しと改善が進められてきた。その意味で、校内暴力という尋常ならざる事態の出現を契機にして管理主義的な学校の在り方を問題視する〈まなざし〉が醸成され、その見直し・改善が進んだことは事実であり、そのこと自体は評価されてしかるべきである。しかし、だからといって、管理主義的な学校の在り方が校内暴力等の「荒廃」現象の原因だという見方が実証されたということでもなければ、両者の関係を因果論的に論じた学校批判が必ずしも正しかったということでもない。」
※しかし、この指摘が管理主義の原因論としてのいじめ問題の捉え方があったことの証拠にはならない。

P316「これらの諸外国の懲戒制度を検討してみると、いずれの国においても生徒の学習権と教師の教育権を守る懲戒の重視があり、義務教育においても停学はもちろん、場合によっては転校も含めた退学も視野にいれた制度となっていることが理解できる。また、特に短期間の停学については、手続きをおさえた校長の判断決定や懲戒行使も重視されており、状況に応じて機能している点で本研究で見られた日本の中学校の生徒指導のありかたとは大きく異なるものといえよう。」

P438-439「こうした言説をみてゆくと、天皇制やファシズム批判を含む反近代の視点は明確にしつつも、ここでの教師の規律に関する指導は外圧的なものは勿論、そうでない場合でさえも独自の権力論の視野から否定的、批判的であるのみであり、これからの学校の創造に向けたこれ以上の具体的実践的な展開は期待できない観がある。ここには紆余曲折を経ながらも学校における暴力と苦闘してきた実践との接点が、ほとんど欠けているのである。つまり、今日における哲学的省察のひとつの視点を借りるとすれば、これらは既成秩序としての学校をいかに解体するかが前提となった「事実学」であり、「相対主義的」な援用としかいいようのないものである。」
※ここでは芹沢「現代〈子ども〉暴力論」が批判の対象となっている。これを「80年代の現代思想における規律批判」の一例と位置付ける(p426)。
☆P439「これらの言説は、ファシズムとか戦争への批判をその論の基軸においている点で教育運動の言説に重なり、「国家的暴力装置」としての「警察」といった視線などこれまでの研究の中で論じてきた「管理主義」言説にも親和的である。しかしながら、教育運動が自治活動実践の苦闘の中であくまでもその深淵をどうにか手探りしつつ実践と理論を展開してきたという点において、これらの言説は教育運動の視線とも決定的な乖離を示しており、結果的に実践の深淵と協同性に迫る回路を高踏的に切断している。規律指導の実践と言説の場において、長い間相互理解と協同性に至る道が閉ざされてきた背景には、こうした「ポストモダン思想」の影響を強く受けた現代思想との絡みも無視できないものであったといえよう。」
※相互理解や協同性の議論は、海外の懲戒制度云々の話と関係がない。