阿部謹也「近代化と世間」(2006)

 今回は阿部謹也の世間論から、贈与について検討を行ってみたい。
 私が今回考察の対象にしたのは、本書と「「世間」論序説」(1999)、「学問と「世間」」(2001)、「ヨーロッパを見る視角」(2006)の4冊である。ベーシックな内容と思われる「「世間」とは何か」(1995)には当たっていないため、多少議論のズレがあるかもしれないが、「近代化と世間」は4冊の中では「世間」論について網羅的な記述があり、主張も一通り納得がいくものと思われたので、読書ノートを記載することとした。
 なお、今回は引用が多くなっていますが、特に著書名がないページ数記載については、「近代化と世間」の内容となります。


○西欧における「世間」をどう読むか?
 阿部も世間論を展開する中でこれまで議論してきた「贈与制度内贈与」のあり方を批判している。ただ、これまでの議論と異なるのは日本の状況にもそれを適合させ、「世間」という名でその批判をかなり広く展開している点である。
 これは、簡単に言ってしまえば日本においてはキリスト教圏で見られたような贈与慣行における「神」の介在のような「公的なもの」の介在が不在だったことから、人類学的な「世間」の贈与慣行が続いたとみている(「ヨーロッパを見る視角」p61)。

「しかしヨーロッパでは十一、二世紀に贈与慣行が転換されたために、二人の人間の関係に普遍的な尺度が入ることになったのです。つまり、二人の人間の「あげる」と「もらう」という関係の間に神が入ることになったのです。その関係には、死後の救済をかけた一人一人の霊魂がかけられていたわけですから、非常に大きな意味をもつことになります。」(「ヨーロッパを見る視角」p60)

 さて、ここでまず問題となるのが、「では、西欧では「世間」がなくなったのか?」という問題である。日本に「世間」の慣行があるらしいことは割としっかり述べているように思うが、西欧ではどうなのか?これについては4冊読んだ限りでは、「なくなった」という言い方は一切していない。強いていえば、このような形で語られるに留まる。

「ヨーロッパにおいては個人の誕生にまつわる諸関係によって、この「世間」の絆から解放されたところで個人、そして知識人が生まれ、そのことが決定的な意味をもったのである。学問のあり方に関してヨーロッパから学ぶところがあるとすれば、このこと以外にない。」(「学問と「世間」」p29)

 但し、阿部謹也に大きく影響を受けつつ、同じ世間論を展開する佐藤直樹にとっては、この「世間」が西欧にすでにないことは自明のこととなっている。

「意外に思われるかもしれないが、じつは日本にあるような「世間」は、現在の西欧には存在しない。ずっと昔にはあったのだが、ある時期になくなって社会とよばれるものに変わってしまったのだ。」(佐藤直樹「「世間」の現象学」2001、p10)

 もちろん、ここでいう「ずっと昔」とは、阿部と同じ12世紀頃を想定している。どの本かは忘れたが、阿部も世間論を展開する論者として佐藤直樹を挙げ、その議論に対してさしたる批判を加えず支持する立場を取っているという態度からすると、佐藤と同じように西欧には世間がないものと見なしている可能性がない訳ではないといえる。

 阿部がどう位置付けているはともかく、「世間」が西欧にはない、という認識は明らかな誤りである。
 そもそも十一・二世紀の転換点の解釈も議論の余地があるように思われる。まずもって神からの返礼の期待というのは明確にあるものと阿部はみなしている。だからこそ一般民衆は進んで教会に財を捧げたと述べる。
 しかし、このことはそれまでの贈与慣行に対する停止がいかに発生したのか、全く立証していない。まずもって返礼期待については残っており、高橋や矢野の議論で指摘していた返礼期待から離れるような議論を行っている訳ではない。返礼期待がある限りで、常にそれは「贈与制度」としての性質を維持しうる。また、ここで見返りを心の安泰、といった実利的な物々交換といったものから離れた精神的なものが返礼とみなされていることをもってこの交換の関係性から離れた、とみなす余地はあるかもしれない。しかし、この説明も実質的にゲルマン人が財宝を埋める習慣があったこととの違いがわからない。
 これに説得力を与えるためには、「神」という審級がそれまでの共同体をすべて超越した所に設定され、そのことで共同体間の制約をすべて取り除くことが可能になったとき初めて実現するようなものである。阿部の議論においては「贈与制度においては個の尊重がなされることはない。それは人格的な触れあいを必要としないからだ」(cf.p23-24)という議論の仕方に究極的な価値観がある。キリスト教がこのような聖性について寄与したことは、高橋の「ベタニアの塗油」の事例からもよくわかるだろう。しかしポイントになるのは、1,それが西欧社会に「全体化」した根拠となっているとは言い難く、更に2.この「人格的な触れあい」なるものが主観的な解釈しかできないものであり、それを客観視することは矛盾するため、「人格的な触れあい」をしていると思い込んでいても、常にそうでない状況となっている可能性がありえること、である。論理的な側面に注目しても、西欧に「世間」がない、という主張は成立するととても言えないだろう。

 また、実証的な側面をベースにこの批判を組み立てても同じである。西欧に「世間」が残り続けていることの根拠であればいくらでも提出できる。
1.これまで何度か取りあげていた「ロミオとジュリエット」においての教会の立ち位置は「領主」による法の立ち位置は基本的に領主に優勢があり、教会は残余的な価値導出しか見出せないだろうということ。このことから16世紀末には「世間」が残っていることを証明するものであること。
2.フッサールの「生活世界」の議論は、19世紀当時にまだ「世間」が残っていることを証明するものであること。
3.モースの指摘についても、20世紀前半にはまだ「世間」が残っていることを証明するものであること。モースは「社会学と人類学」(原書は1950年出版)の中で次のような指摘をしている。

「われわれの道徳は単に商業上のものだけではない。われわれの間には、いまなお、過去の習俗を支持する人びとや階層はあるし、また、われわれのほとんどすべての者は、すくばくとも、一年の中のある時期、あるいはある機会には、それらの習俗に服するのである。
 貰ってお返しをしないことは、貰った者をより低い地位に落とさせることであり、とりわけ、お返しの意思なくして貰った場合に、著しい。エマソンの綿密な論文「贈与と贈り物について」を想起してみても、われわれはゲルマン的な領域から一歩も出てはいない。喜捨は貰う者の気持をなお一層傷つけるから、われら一切の道義的努力は、裕福な《施行家》の名誉を傷つけるような非情な恩人ぶりを排除する方向に向けられる。」(マルセル・モース「社会学と人類学1」訳書1973、p371)

 おそらくここで述べられている「ゲルマン的」というのは阿部のいう「古ゲルマン人の世界の贈与慣行」と一致すると考えてよいと思う(p21)。モースに言わせても、阿部のいう「世間」に縛られた贈与慣行は20世紀に入っても「ゲルマン的な領域から一歩も出ていない」のである。阿部がいつのモースを参照してモースの評価をしていたのかはわからないが、少なくとも本書におけるモースとは違うことを述べていることがわかる。


○では、「世間」批判にはどのような意義が見出せるのだろうか?
 西欧に「世間」がない、という論点は阿部にはなかった可能性はあるが、それとは別に日本の「世間」批判に対しては明らかな主張を繰り返している。
 ここで問いたいのは、このような「世間」の性質を批判することと、先述した「西欧には「世間」などはない」といった主張との関連性である。「世間」の批判が直ちに阿部のいう意味での「個人」を標榜することには必ずしもならない訳だが、ではその違いを生む条件とは何か、という問題である。そして、阿部の議論はその観点から見た場合に、どう関連づいているかという問題である。

 阿部の議論で無視できないのは、決して阿部の議論が西欧の再現のような形で「世間」と対峙すべきとしている訳ではないことである。

「しかし言うまでもなく、日本においては西欧的個我を確立することはできないし、その必要もない。条件が全く異なるからである。では日本的個我をどこに見定めるべきかという問題が生じてくる。それは少なくとも過去から現在までの私たちの生活を規定してきた「世間」という概念を、自分との関係において、きちんと個々人が整理することから始めなければならないだろう。」(「「世間」論序説」、p6)
 少々気がかりにもなるが、阿部の議論は「日本をどうするべきか」という点について、プラグマティックな態度をとる。端的に言えばフッサールが「生活世界」について我々が自明のものとみなしていることをもっと考察すべきである、という態度であると言ってよいだろう(cf.p169)。

「〈生活世界〉は明証性の領域であるとフッサールは説く。しかし思想的構築物としての客観的世界も真理性を要求する限り、このような明証性に立ち帰ることによってのみ本当の真理性をもちうるのだとも言っている。フッサールは、これまでの学問は〈生活世界〉のもつ明証性に欠いている点で学として不十分なものだとみなしているのである。」(「学問と「世間」」、p80)

 しかし、他方で我々が「世間」に甘んじているのは、基本的に悪であることが自明であるかのような語りを阿部は多く行っている(cf.p187)。そして、決して阿部自身は明言しないものの、それがあたかも我々がそのような内省を行わなかったから、過去には失敗したのだ、といわんばかりの主張を展開している。

「「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。近代的システムのもとでは社会改革の思想が語られるが、他方で「なにも変わりはしない」という諦念が人々を支配しているのは、歴史的・伝統的システムのもとで変えられないものとしての「世間」が支配しているためである。
「世間」が日本人にとってもっている意味は以上で尽きるわけではない。「世間」は日本人にとってある意味で所与と考えられてきたから、「世間」を変えるという発想は全く見られなかった。」(「学問と「世間」」p111-112)

 ここでのポイントは、社会の現状の「変革」なるものとセットになった形で、「世間」が批判の対象とされている点である。これについては阿部は一貫した態度をとっていると思われる。これを単純に解釈すれば、「変革のための意志」と「世間からの脱却」はセットとなって語られてしまうことになる。しかしこれは正しくない。なぜなら、両者は対立する概念ではないからである。何故対立しないのか?「世間」と対立するのは、あくまで阿部の議論体系の中では「個人」である。しかし、「変革のための意志」を持つのが「個人」だとは言えないのである。「変革のための意志≒純粋模倣」は善悪の違いにコミットすることはない、というのは、これまでの私のレビューの中で議論してきた点だ。それは要するにその意志が「贈与制度内贈与」なのか「贈与」たりうるのか判断することはできないということを意味する。これを曲解することによって、佐藤直樹的な曲解を容易に生み出しかねない。
 もちろん、阿部がそのような曲解した議論に直結した議論をしているとは必ずしもいえない。これは西欧的「個人主義」が絶対的な価値でない、という主張でひとまず担保される。ただそれでもなお、「世間」からの脱却を試みない限り、日本の民主主義、人権尊重はありえないとし、それが必要であると説く(「「世間」論序説」、p178)。この態度をどう捉えるかはなかなか難しく、解釈一つで問題を生みうる。

 この点については次回に保留したいと思う。次回はウェーバーの議論から、いわゆる「理念型」をいかにとらえるか、という形で改めて議論したいと思う。


ダブル・バインドの過剰性と「過剰な愛着」の過剰性の違いは?——もしくは「現前性」について(前回の補足も含めて)
 この議論を考える上でポイントの一つになってきそうなのが、「現前性」という点であるように思う。ウェーバーも「理念型」と「現前性」については距離感を与えており、次回はその考察を行う訳だが、今回最後にこれまでの議論と絡めて、この「現前性」について少し考察する。
 また、前回のレビューにて、ダブル・バインドが一種の過剰をもたらすことを矢野の議論から説明したが、そもそもこの過剰性はジジェクが批判した「過剰な愛着」の話でなされる過剰性とどう異なるのか、合わせてみていきたい。というのも、この両者の違いは、この「現前性」と直接リンクしているからである。
 
 ジジェクは「厄介なる主体1」の第二章にて、ヘーゲルの解釈をラカン的にとらえる可能性について議論している。ここでは通説的なヘーゲル解釈について距離をとりつつ、その通説的な解釈にも一種の批判を与えながら議論している。
 ジジェクヘーゲルラテン語の学習を必要だとした意義について、次のように指摘している。

「このこと(※ヘーゲルラテン語の学習を必要だとしたこと)は単純に機械的に定められた反復教練、つまり意味のない規則に従う能力がのちに充実した意味のある自律的な精神の活動のための下地を創るとか、その教練はのちにより高度な活動のために、今は目に映らない<根拠>へ「止揚されて」還元されるなどといったことを意味しているのではない。決定的に重要な核心は、むしろ、このような根底から徹底しておこなわれる外化、言い換えれば実体として内在している精神の内容すべてを犠牲にすることなしには、主体はその<実体>のなかに埋め込まれたままで、自己へ向き合った純粋な否定として立ち現われることができないことにある——この意味のない形式としての教練について真に思弁的に見越すための意味は、ワタシの精神世界という「内なる」実体としての内容すべてを徹底的に放棄することにあり、まさしくそのような放棄を介してのみ、ワタシはもはや既成のものとして立ち塞がるいかなる秩序にも縛られることなく、また特定のいかなる生活世界にも足を絡めとられることのない、純粋な「ワタシ」と言明する主体として現れ出るのだ。」(スラヴォイ・ジジェク「厄介なる主体1」訳書2005、p182-183)

機械的に定められた訓練を<精神>の内容へと(ラカンの用語を用いれば、象徴のメカニズムを大文字の<意味作用>へと)完全に「止揚する」ことは、主体が<実体>のなかに完全に没入してしまうことに等しいだろう。機械的に定められた反復教練が、主体にたいし自己を規定するあらゆる実体的な内容から遠ざかるよう強要している限りにおいて、主体はしばしば、実体として存在する<意味>の総体のなかに、自身の悦楽に身を委ねながら没入しきることを放棄させられ、そのうえ純粋な否定である空虚と直面しなくてはならないのだ——ちょうどそれは、ヘーゲルが説く戦争の役割である。ヘーゲルは日常生活を安寧を崩壊させてしまう意味のない犠牲や破壊を含んでいるという、まさしくその性格ゆえに、戦争は必要とされていると考えていた。」(同上p183)」

 当然、ここでヘーゲルのいう「戦争」はその実体の空虚さを前提に議論しているのは留意すべき点である。ヘーゲルが課さんとするラテン語はいわば一つの<法>と解せるが、この<法>を真の意味で否定するとは、<法>があらゆる実体化(現前化)する可能性が否定される場合だ、と述べられている。逆に述べてしまえば、その<法>が何らかの意味で実体化したものであるととらえ続けている限り、その<法>を否定しようとしても、それは私自身がその<法>が含むある価値から離れることができないということである。これが「過剰な愛着」と呼ばれるものである(本書訳語では頑強な愛着)。

「しかし他方で、それよりもはるかに危険な「頑強な愛着」とは、みずからの倫理基準に病的に固執し続け、その基準の名のもとにあらゆる行為を罪として糾弾する、不活発な裁定者としての主体の「取り憑き」である。」(同上、p180)

「ここで中心となってくる問題とは、身体を否定することが否定を具体化すること、つまりリビドーによって突き動かされないように抑圧することが、まさしくその行為によってリビドーの充足を獲得することへ弁証法的な反転を遂げる可能性を秘めているという不気味さである。この問題の不可思議とは、マゾヒズムのもつそれではないだろうか。」(同上、p186)

 他方、この<法>を強要しつつ、同時にこの<法>から遠ざかるように強要する態度、これはまさにダブル・バインドの状況である。ただし、ジジェクの述べるダブル・バインドはその解決方法がすでに一意的に決定されている点で、一般的なダブル・バインドとは異なる。つまり、この矛盾したメッセージについては<法>から遠ざかる方へと方向付けされているということである。一般的なダブル・バインドは解決の方法によっては「過剰な愛着」と同様の過剰性を生み出す可能性もある。だからこそ、矢野の言うような「死」を介したダブル・バインドというのは、無限反復を要請してしまわざるをえなくなる(※1)。

 この「現前」をめぐる問題はある意味で阿部も引き継いでいる。それは「世間」という言葉の批判の際に自己の倫理的態度を内包した形で現われることになる。ただ、私自身はこの態度表明自体は「世間」の持つ意味が語りつくされた上でなされているならば何ら問題はないように思う。何故なら、阿部がどのような倫理的判断を用いようとも、ここで言えば「世間」のもつ意味を語り尽くしているのであれば、受け手にとってはどのようにでも受け取りうるからである。ただ、私自身は阿部の議論において、「世間」と反転的に現れている「個人」という論点について十分に語られていないように感じたのである。

 ただ、このようにジジェクを経由しながら議論していくと「個人」というものがどこまでも空虚な性質をもっているように見えてくる。キリスト教的な「個人」は聖性も付与された「かけがえのない個人」であるように語られる訳だが、「世間」論批判から展開される「個人」というのはまさに純粋な世間の否定の上にしかなりたたず、実体がないものなのではないか、と思えてくる。これは「世間」というものから離れること自体が極めて困難であるように思えてくるからもそう読めてしまう。阿部の著書で評価しうる点は、この「個人」の空虚さを(本人の意図はともかく)逆説的に提示してみせている点にあるように思った。

※1 ただジジェクは他方で<法>を全面的に受けいれる態度を取ろうにも<法>を全うすることがそもそも不可能であり、そのことが自動的に<法>を棚上げすることを含み入れてしまう、とも指摘しており(同上p202)、見方によっては「どのような状況でも、ダブル・バインドはそれを全うすればその<法>から離れる方向に一意的に解釈するしかない」とでも言いたいような主張も行っている。確かにこれは<法>の性質を考えれば間違いでないかもしれないが、ジジェクお得意の「超越的な客観視」がここには働いているように思う。通常ダブル・バインドはそのような一意性があるなどと議論されることはない。なぜなら、その<法>における何らかの価値を先取りした形で「実体化」してしまい、すでにそこに固執している状況もまた十分にありえるからである。グレゴリー・ベイトソンの「学習理論」もそのことを大前提にした議論である。そう考えると、やはりその<法>に対して遠ざかるよう強要する他者というのはどうしても必要になるように思える。



(読書ノート)
p21 「古ゲルマン人の世界でもさまざまな形で贈与慣行が広まっていた。アイスランド法諺には「贈与は常にその報償を求めている」「贈与には贈与をもって報いなければならない」などがある。九世紀末頃には贈与者は報償を受け取らない限り、いったん与えた自分の贈り物を取り戻すことが出来たのだが、一三世紀になると「何人も自分の贈り物を取り戻すことはできない」という反対の原則が現れた。つまり贈与者に対する報償が不十分であった場合でも、自分が贈与したものを取り戻せなくなってきたのである。」
p23 「いうまでもなく、ユダヤ社会にも贈与慣行があったから、キリスト教の教えはそれを打破し、死後の世界について新しい教えを伝えるために説かれたのである。
かつてゲルマン人たちには死者とともに財宝をも埋める慣習があったが、キリスト教の教えによってその財宝は修道院に蓄えられることになった。贈与に対する返礼は目に見えないもの、霊の救いに置かれている。一一世紀にはミサや祈祷が明らかに贈与に対する返礼とされている証拠がある。」
※ここで決して無視してはいけないのは、返礼を自明視している態度はそのまま引き継がれていること。

☆p23-24 「贈与慣行があった時代には人々は個人としての位置をもっていなかった。贈与する側とお返しをする側との間には何ら人格的な触れあいがなくても良かったからである。ポトラッチの場合によく解るのだが、贈与で相手を圧倒しようとする場合には相手は対等な人格ではあり得ず、贈与という行為によって贈与者に従属されてしまう。贈与慣行が支配的な社会においてはここの人格は対等な関係の中では成立せず、絶大な力をもつ贈与者が全体を支配することになった。
※平等と個人、についてどう読むべきか。また、この確立が平等思想の支えにより成り立つ、というある種の逆説的発想うえの着目も注目すべきところ。
☆p24 「ところがキリスト教の浸透によって贈与慣行が破られ、無性の贈与が可能となると、キリスト教による死生観と相まって埋蔵財宝が市場に流通するようになる。貨幣経済が展開するとかつてのようにものを気前よく分配するだけでは支配者として十分ではなくなるために、支配者は土地やものの流れを掌握しなければならなくなる。一一世紀にはヨーロッパで大開墾がはじまり、各地に都市が成立するのはこういった事情があったからである。」
※ここでの説明では贈与慣行は全く破られていないことを逆に明証していることがわかるだろう。神的な、絶対的な他者による、そのような他者への贈与行為はあくまでも救済という返礼ありきのものである。しいてそこに線引きするとすれば、身体的なものから精神的なものへの転換が確かに確認できるものの、では「無償の贈与」が返礼を求めない態度であるというには無理がある。それは潜勢的には返礼が実現しないものだが、実際のところは告白の形式を介して、実体化した救いがそこ見出されたのではないか?少なくとも、日本人の贈与慣行を非難できるレベルのものがキリスト教圏にあったとは言い難い。もっとも、贈与慣行がなくなったのが一一世紀でかつ無償贈与の波及がなされたのが一一世紀だというのも、そこに神の影響力が本当にあったのか疑わしくなる内容だが。

p83 「決定的だったのは、一三世紀にはどこの村にも協会が出来たという事実である。キリスト教会の出現は、人々の空間観念と時間観念にも決定的な転換をもたらしたのである。そしてこの転換がもたらされえた最終的な契機として、キリスト教による死生観の転換があったことはいうまでもない。村落共同体と都市共同体の成立によって、それまで家ごとに大宇宙と対峙していた人々は共同体単位で大宇宙と関わるようになった。」

p96 「しかし彼の呪術概念には問題点があり、そのまま採用するわけにはいかない。モース以後の研究者たちは例えばレヴィ=ストロースなどは欧米人の中にも贈与・互酬の慣行の痕跡があるといっている。この点についてはここでは問題として残しておきたい。いずれにしても「世間」の中には自分が行った行為に対して相手から何らかの返礼があることが期待されており、その期待は事実上義務化している。例えば、お中元やお歳暮、結婚の祝いや香典などである。
重要なのはその際の人間は人格としてそれらのやりとりをしているのではないという点である。贈与・互酬関係における人間とはその人が置かれている場を示している存在であって、人格ではないのである。そうした互酬関係と時間意識によって日本の世間はヨーロッパのような公共的な関係にはならず、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑似公共性の世界としているのである。」
※モースをまともに読んでないような印象の内容である。「どの本の」モースのことを言っているのかも不明である。

p96-97 「贈与の場合それは受け手の置かれている地位に送られるのであって、その地位から離れればその贈り物がこなくなっても仕方がないのである。贈り物の価値に変動がある場合も受け手の地位に対する送り手の評価が変動している場合なのであり、あくまでも人格ではなく、場の変化に過ぎないのである。しかし「世間」における贈答は現世を越えている場合もありあの世へ行った人に対する贈与も行われている。」
※死者への贈与の考え方自体は昔にもあったといえよう。しかし、よく考えれば、この死者への贈与と、キリストへの贈与の違いがよくわからない。見返りを求めない態度などはもちろん関係がない。しいていえば、超越的(かつ普遍的な!)他者への贈与行為であるという一点においてではないだろうか。それは「理論上」、その他者が実在していないことにおいて担保される論点である。一方で、死者は確かにいたはずの人間が死んだことを表す。しかし、このような見方も、キリストは確かに実在していたことから、この実在性についても論点となってない。でもそうだとするなら、この超越性なるものはどこからやってくるものなのか、それがキリスト教の独占がなされるような根拠などあるのだろうか。やはりこれはあくまで思慮なく「漠然と」想定した場合にのみ成り立つような視点であり、そこに意味を見出そうとすることほど愚かなことはないように思う。
 そして他方で、阿部の議論の厳密な検討が、「個人」なるものの欺瞞さを如実に表しているようにさえ思える。個人の成立は地位の固定化を否定せねば成り立たない。しかし、そのような個人観は、一種の欺瞞をそこに重ね合わせ、あるはずの地位を積極的に忘却し、あたかもそれがないような前提を設けない限り立ち現れてこない、という見方である。仮に阿部の論理が正しいとするなら、見出される結論は「西欧の個人の成立はキリスト教にある」ではなく、むしろ「個人は欺瞞の上に成り立っている」という事実である。
 フーコーの議論を個人主義に対する批判として読むことが可能だろうが、このような個人観ともリンクしているのではないかと思うことがある。フーコーのパレーシアの議論はむしろ非対称的な関係、地位の差異の存在、阿部の言う贈与・互酬関係を前提にしているように思える。しかし、その関係性はどこまでも人間的な配慮の上に成り立っている。そして実際のところ、「地位の違いがありながら、無償の贈与」が成立しているように思える。なぜなら、贈与される内容は「自己への配慮をせよ」であり、これに対する返礼は贈与者のもとに帰ることはないからである。

p98 日本の挨拶にみる、世間の束縛、欧米にそのような言葉がないことを根拠にした世間の不在
※もっともらしいが、実際の比較及び他の説明の可能性については検討してもよいのでは。
p102 「ところで「世間」にとって歴史はどのようなものなのだろうか。それはあらかじめ計算できるものではなく、突然襲いかかってくる台風や嵐のように受け身で体験する事件でしかなく、歴史敵事件に見舞われても、しばしの間耐え忍んでいれば通り過ぎてしまうものと感じられている。」
p102 「いわば「世間」には歴史がないのである。欧米のキリスト教徒は計り知れない時間の果てに最後の審判を期待しているから、それまでの時間を計ろうとしてきた。」
p103 「「世間」の中で生きている人は自分の中に聖なるものがあるとは思っていない。「人間は何よりも尊い」という言葉は人間の中に聖なるものがあるということを意味している。「世間」の中では個人は絶対的な位置をもっていない。」

p118 「しかも「世間」の中では合理的な思考方法はむしろ否定されがちであり、子供が親に抵抗すると「理屈をいうな」といって叱られたものである。この場合の理屈とは理性的な判断である場合が多く、大人は子供のそのような思考方法を頭から否定してしまうのである。こも「世間」は今でも死を穢れと見ており、病も同じである。もちろんすべての病が穢れと見られているわけではなく、治療しにくい病が穢れとされている。」
島宇宙多文化主義的な世界観を世間に感じる。
p119 「私たちは「世間」の中で生きている。しかしそれは関係の世界にほかならず、私たちの実質とはほとんど関係がない。「世間」の中にありながら、「世間」とは無縁に生きる道を探さなければならない。それは決して困難なことではない。出世間という言葉がある。これは誰もが一度は経験することである。この出世間を思いつつ暮らすこと、それこそが「世間」を相対化する道であろう。」
※「世間」という言葉に与えているコンテクストを考えてみると、「個人主義」の対義語として、贈与・互酬的なもの、日常性の自明さ、「他者への配慮がない」という意味での利己性。少なくとも4つの論点をあげていることがわかる。しかし、これらの概念の関係性についてはその都合列挙されるに過ぎず、関係性、力関係などが語られることがない。あたかもそれが同一の意味のものであるかのような語りを行っている。

p168 「「世間」の中で暮らしている人々はこうしてたいていの欲望を満たすことが一応はできたのです。十分に満たされないまでも、満たされるという期待を抱くことができたのです。このような「世間」の中で暮らしている人は「世間」に満足し、欲望の対象に自分を預けることができたのです。」
※「個性」を主張する必要性がなくなるという(p168)。ここでは満足感があったという側面もあるが、満足感は当然である(から不満があっても満足しつもりでいる)という意味も含まれている。実際の所両者の関係性はどうなのかはわからない。前者の傾向が強ければ、別に世間で生きる選択もありな気がするが。
p169 「ここで重要なのはこれらの神々の機能は呪術であってそれが「世間」を支えていることになる点です。「世間」のこのような性格をそのままにしてどのように近代化が進められたとしても、決して現状を変えることはないでしょう。」
※ここで安易に一種の超越性への希求とか、溶解体験を前提にしているような節がある。しかし、それと自明性を疑うことは一種の矛盾も含んでいる。「強い意味での」溶解体験の条件としてダブル・バインドが必要となるが、自明性を疑うことができるならば、そもそも矛盾しているダブル・バインドにも気付けるはずだからである。矛盾を超えるという意味での溶解体験はむしろその矛盾を意識することなく解決しようという点に意義があると考えられているのでは。それが「現場を変化する」ことになるのは、客観的に見た場合の結果論であり、主観で見れば矛盾を突き止めている訳ではないので、超越志向が起こす変化が「有意義な」ものになるとは限らない。世間にいれば確かにそのような変化さえ起こさない、という言い方は間違っていないかもしれないが。しかし、何の変化もないことを想定することも逆に違和感がある。

p180 「「世間」の現実の中で暮らしている者にとってはその内実を変えることは不可能にすら思えるかもしれません。しかしもし「世間」の内実が変えられないものであるならば、社会科学に何の意味があるのでしょうか。自分自身変えられないものに国や世界の未来を変えてゆくことなどできないでしょう。」
※ここで奇しくもヴェーバーが課題とした社会科学という言葉を持ち出している。変化の力なしに社会科学はありえないという前提は、ヴェーバーが批判を加えた考え方にほかならないのでは。
p188 天皇に関する事態変化しなければ真の国民主権国家に日本はならない。なぜなら世間を通して維持されてきたから。
p187 「「世間」は各地に生まれ、人々の生活の拠点となったが、その全体を捉えた支配者はいなかった。「世間」は各地の支配者たちと緊張関係を孕みながらも支配者と合体することはなかったからである。しかし明治以降新たに天皇を支配者とする国家形成されてから、都市把握するために「世間」という枠組みが重視されたのである。近代化された社会に対し昔ながらの組織を温存しているように見せながら、農村にいたるまで天皇を頂点に抱く「世間」という枠組みが形成されていった。」
※ちぐはぐだらけな主張が続く。このことと自明性を疑うことの違いが説明できない。天皇制が変われば世間から脱することができるのか?この主張に追随すれば、自明性を疑うことなく天皇制を変えることは可能である。では、その場合の世間はどうなっているだろう??言うまでもないが、世間は変わらない。強いて言えば、ここでの天皇制批判は根拠のない責任転嫁にしかみえない。天皇が支配者と言えないのは、対等性に欠けており、そのため天皇具体的な他者として特定できなかったからだ、とでも言うんだろう。ジラールスケープゴートの理論を使えば、キリストが全体的なスケープゴートをされることで、統一的な秩序形成に帰するのである。が、この全体性には、その実現可能性を考えると疑問符を付けねばならないのである。