ミシェル・フーコー「主体の解釈学」(2004)

 今回は改めてフーコーを読みます。前回のフーコーのレビューから一通り「知への意志」以後のフーコーの著作を読み返し、紆余曲折した結果、まず、コレージュ・ド・フランスの1981−1982年講義にあたる本書を取扱うことにしました。次はいつになるかわかりませんが、同じく1983−1984年講義の「真理の勇気」をレビューする予定です。
 今回の読書ノートは、必要な所だけ最低限、と思っていましたが、結局長くなってしまったので、先に考察をしてみたいと思います。

(考察)
○簡単なまとめ
 最後に記載されている解説についてもかなり気合の入った内容となっているが、末期フーコーの議論を考える上で本書が非常に重要な位置を占めていることについては異論がない。本書の後のコレージュ・ド・フランス講義では「パレーシア」の技法に集中的な焦点が当てられるもの、基本的な論点はすでに本書で揃っている印象があった。
 まず、フーコーがこの「パレーシア」「自己への配慮」といった議論を検討するに至った理由について考えなければならないだろう。
 「監獄の誕生」や「知への意思」の時期に一定の完成を見たフーコーの「統治」の概念はそれが不可避的なものとしてとらえられていた。しかし、その統治はフーコーは決して不自由さに繋がるものとはとらえてはいない。統治の中でも十分に自由に振る舞うことができる。このような実践がよく現れていたのがギリシア・ローマの時代だったのである。
 しかし他方でフーコーはこのような時代からも一定の距離を取ろうとしている。この時期の実践はアレントがポリスに見いだしたような実践を参照するような形では語られない。フーコーは自己の真理を語ることができるために「生の技法」という言葉で一定の型のようなものの形成を想定しているが、この型は万人に与えられるべきではなく、またそのように与えられるだけのものではないことを強調する。あくまでギリシア・ローマでの実践は例示にすぎず、もし我々自身の自由について考えるのであれば、これとは別の「生の技法」を身につける必要があるだろう、というのが前提にある。

「——近代における自己の実践とギリシャにおける自己の実践のあいだには、思うのですが、とてつもない相違があります。それらはお互いにまったく関わりがないのでしょうか。
——まったく関わりがないかどうかですって? ウイでもあり、ノンでもあります。厳密に哲学的な観点からは、古代ギリシャの道徳と現代の道徳は共通要素を一切もっていません。逆にこれらの道徳を、それらが規定し、通達し、忠告している事柄の側面から取り上げるならば、それらは驚くほど近いのです。その近接と差異とを現れさせ、それらの働き=仕組みを通じて、いかに古代道徳に与えられた同じ忠告が、現代道徳のスタイルのなかで異なった形で働きうるのかを示すことこそ重要なのです。」(「ミシェル・フーコー思考集成10」訳書2002、p205)

 ここでコレージュ・ド・フランスの最終年講義にあたる「真理の勇気」を中心にフーコーのこの古代の真理をめぐる議論を時代区分するとすれば、おそらく5つに分類できるだろう。(詳細については「真理の勇気」のレビューをする際に改めて述べたいと思う。)
1.神話の時代:これは恣意的に用いられているようにも思えるが、真理を語る上で「神」のみがその所有者であるとみなされる時代とされる。
2.政治的・民主的パレーシアの時代:アレントのいうポリスの時代である。ここでは市民同士の議論により、真理が形成されている。
3.ソクラテス的パレーシアの時代:本書でいうプラトン主義的モデルの時代とほぼ一致。政治的パレーシアから身を引く形で、倫理性が強調されるようになる。
4.キュニコス派のパレーシアの時代:本書でいうヘレニズムモデルの時代とほぼ一致。
5.キリスト教のパレーシアの時代:本書でいうキリスト教的モデルの時代と一致
 ここで、おさえておきたいのは、フーコーの関心・評価が最も高いのは、4の時期であるということである。それは、本書でも同じとみなしてよい。キュニコス派のパレーシアの時代においては、ソクラテス的パレーシアの問題点などについてもされたものとして、よりラディカルなパレーシアの議論を行なっている点で評価していると言えるでしょう。キリスト教の時代になると、自己への配慮の消失(自己犠牲)を生んだとして批判の対象となります。

ニーチェの議論との違い
 フーコーの議論からはニーチェの強者と弱者の権力観の議論に繋がるような印象が強いです。ここで参考になるのは、「自己への配慮」は、利己的にならないのか、という問いです。フーコーは明確にNOといい、そのような考え方になること自体が、キリスト教的倫理観の影響を受けているといいます。ここでの「自己への配慮」は他者の影響を無視することはできません。むしろ、他者との関係を前提にしなければ実践不可能なものであると考えられています(cf.p596)。自己が真理を語るためには備え(知)が必要となってきますが、その備えがないことに気付かせてくれるのはまさに他者だからだ、というのがフーコーの言い分です。例えば、パレーシアの実践を行う上で一種の「告白」を行うことになりますが、そこでの他者(師)との対話の中で私に何が足りないのか、の精査も同時になされることになります。その精査は真理が語られているかどうかという観点の下から行われるものです。
 ニーチェにおいても弱者の考え方は徳の万人への押しつけでした(「ニーチェ全集第11巻 権力への意思」訳書1962、p267)。弱者は徳を万人に要求することで、「生の形式」のものの価値を否定することになりました。これは、フーコーキリスト教は万人に同じような徳を要求するようになった、自己の真理について犠牲を強いるようになったという語りと一致します。ニーチェにおいては強者と弱者の対話のあり方は異なりましたが、フーコーギリシャ・ローマに見いだす対話のあり方は基本的に強者の論理に基づくものと言ってよいでしょう。

 では、フーコーニーチェの議論はどこが異なるか。これは端的に「フーコーは超人の到来を認めない」という点だと思います。フーコーにとっては超人は神と同義のものとして扱われています。そして、議論の随所において、この神への到達は不可能なものとして了解されています(cf.p294、p514)つまりこういうことです。自己が真理を語るためには、自己自身がパレーシアの実践を経た形で手に入れなければなりません。しかし、自己のみの真理で満足できるのは神しかいません。神は不可能性の比喩であるように思います。ニーチェは超人の到来を無理やりにでも歴史的な文脈にとらえようとして語りましたが、フーコーにはそのような態度がないのです。

フーコーの議論の矛盾
 ただ、フーコーの議論には矛盾がある印象が否めません。これは、本書でもオーディエンスからの質問でフーコーの議論がラカン的ではないか、という提起がされていることに端的に現れていると思えます(p219-222)。先述した自己の真理の問題がそもそもダブル・バインド的な態度をとっており、それがラカン的な「不可能なものへの志向」を内包していないか、というのが、ここでの質問の趣旨かと思うのです。
 フーコーはこの問いを正面から扱う気はないようです。彼の議論の課題は主体の実践の系譜学をとらえることであり、他意はないと。仮にその系譜学の描写に対してメタな問いかけをすることは可能であったとしても、私の意図とは関係のないことであり、私にそのような問いへの答えを求めるのはナンセンスであると、言っているように思います。つまり、ここで指摘しようとしているフーコーの議論の矛盾は実践を行なってきた先人たちの矛盾であり、私はそれを(フーコー自身の課した)パレーシアの形式をもってそのまま語るのみだ、そこに何らかの意味づけをする気はない、ということです。

 さて、フーコーの語る矛盾は具体的にどこに見出せるか、をまとめるなら、少なくとも3つ見いだせるように思います(それぞれの論点の議論は「真理の勇気」のレビューで改めて検討したいと思います)。

1.自己の実践と他者の対話の関係性。
 自己への配慮のための実践が他者なしですますことはできないという問題。先述した、ニーチェと異なる路線をとったことによる矛盾。言い換えれば、「真理は自己のものか、他者のものか?」の問いといえるだろうか。
 また、この議論に具体性を与えるとしたら、どのような形となりうるか。例えばそれは、「他者に耳を傾けること」→「自ら読んだり書いたりすること」→「告白を行うこと」という3者の循環関係として描かれるものといえるか(自己の実践と他者との関わりは弁証法的過程をとるのか)?それとも自己の実践と他者との関係は同じものととらえられているのか?
 また、フーコーの議論は、師と弟子という2者関係を機軸にしたものであり、キリスト教の議論の批判から見ても第三項の設定についてはむしろ否定的である。さしあたって真理はあくまで師にもとにあるべきであり、師が媒介者となり弟子が真理を語る唯一の者となる訳ではないのである(p460-461)。
 しかし、ここでジラールの議論を思い出しながらこの点を考察してみたい。フーコーの自己への配慮の議論の起点はその主体の無知にあったが、他者の必要性はのちに正誤・善悪の問題と結びついてきます(p151-152)そして、この転換は自己への配慮が青年・老年期にまで課題となってきたこととリンクしています。最初の課題は無知から知だった訳ですが、ここでは知の転換が強調されることとなります(p110)。もちろん、フーコーの評価によれば、無知の問題を問う時期よりも、この善悪を問う時期の方に重きが置かれています。
 これまでの自身が悪であったことは、自己への配慮の欠如を意味しています。これは、ジラールの言う「悪い模倣」に繋がるものではないでしょうか。悪い模倣もまた、自身が同一化していることへの自覚に欠け、自己が真理を語るという目線が欠落していた(他者の真理をただ模倣していた)ことを意味します。しかし、ジラールの論理から言えば、2者関係に留まる限り、悪い模倣を回避することはできないでしょう。なぜなら、ジラールの「よい模倣」とは、他者を介し、さらにそれを越えていくものとしての一種の秩序を身につけたときに達成されるものとされていたからです。もちろん、ここでいう「よい模倣」における秩序というのは、聖書に規定されているような秩序とは異なります。どこが異なるか?それが私自身にとっての秩序である意味で妥当するということです。
 したがって、フーコーの議論を2者関係で解決するものと考えることは矛盾をきたすことになります。2者関係に留まる限り、悪い模倣関係を否定することはできません。少々大胆かもしれませんが、フーコーのいうパレーシアの実践によって獲得されるものというのは、ジラールのいう「よい模倣」と同じもののように思えます。それは一定の秩序を持ち合わせたものと言えるでしょう。

2.自己への配慮と他者への配慮の違いについて
 自己への配慮には他者への配慮が内包されているのはわかるが、他者への配慮に自己への配慮が含まれているのかの疑問に端を発する。
 例えば、ソクラテスは自己への配慮をせよ言ったが、師としてのソクラテスは自己への配慮の実践を行う者(弟子?)と同じように自己への配慮をしていると果たして言えるのだろうか?
 ソクラテスは何故「自己への配慮をせよ」という他者への配慮を行ったのか。そこに対称性を見いだし、ソクラテス自身もまた「自己への配慮」を実践していくための条件として、そのような他者への配慮を行った、という言い方はフーコーの議論とマッチするか。それとも別の理由が見出せるか。
 これは、「告白」の道具性をヒントに考えてみたい。先述した「告白」の議論は、いかに私が無知であるのかの試験のための「告白」であったが、このような「告白」に霊性が伴わず、あくまで道具的なものとして機能できるのは何故だろうか。この両者の違いの一つは、それが自己の実践のための手段に位置づけられるかどうかである。もう一つは弟子の「告白」に「自己への配慮をせよ」という師の訴えが内包されているかどうかの問題があると思われる。
 前者についての議論は簡単で、道具的な運用は弟子の側が、その「告白」について、自らの「生の形式」に見合った形での語りができるかにかかっている。「告白」が自己目的化してしまったり、自分以外の他者に対して許しを得るという自己犠牲をベースにしたものであれば、そこに霊性が賦与されることが避けられないだろう。
 後者について。これは弟子よりも師の方に焦点が当てられる論点である。弟子は「告白」を通して、師に寛容を求めることになる。この寛容とは何だろう?それは何を基準に寛容とせねばならないのか。この寛容が「自己への配慮」を欠いたものである場合、そこで現れる寛容というのは、むしろニーチェのいう弱者的コミュニケーションしか生まないだろう。フーコーは例えば、これを追従の問題として扱ったりしている(p425−426)。だからこそ、師は弟子に対して常に「自己への配慮をせよ」と訴え続けなければならない。「自己への配慮」は、ここにおいて「告白」を道具的に扱うための条件となりうることとなる。もし、師の「自己へ配慮せよ」という訴えが弟子に届かないまま「告白」を行えば、師もまたそれに対してNOと言い続けて平行線をたどるしか、寛容に近づく方法がない。
 フーコーはこの「告白」の道具的作動条件にこだわりを持っているのではないだろうか?師は「自己への配慮をせよ」という他者への配慮を行わなければ、この「自己への配慮」の実践自体が崩壊してしまうだろう。このため、ソクラテスのような者が「自己への配慮をせよ」と言うことは、重要である。しかし、この非対称性を強調することでソクラテス自身が自己への配慮をしているのか、という問いを隠蔽してしまうことになりかねないのではないか。

3.政治と倫理の関係性。
 フーコーが「知への意思」以後に倫理性の問題へ移っていったこと自体にはさほど大きな争いはないだろう。問題はこの倫理性を強調しだした理由である。それは、とりわけ「法」を扱う政治とどう関連させて議論していけばよいものか。
 私自身は当初、政治と倫理の差異についてポジティブにとらえようとフーコーを読んでいた。確かにコレージュ・ド・フランスの講義録だけの問題としてこれを見れば、フーコーはことさら倫理の問題を強調し、政治の問題はほとんど扱わない。しかし、そうでないフーコーコレージュ・ド・フランス講義の外での活動をしていたフーコーの議論を含めれば、そうとは言えなさそうだ。これは、フーコーのいう「生の形式」の問題と、それが法的な承認を受けることの間にある問題である。思考集成からいくつか拾ってみよう。

 「じつを言えば、私がとりわけ欲したことは、政治に対して問いを投げかけることであり、市民権をもっていない問いを、政治の場において、歴史的かつ哲学的な糾問として出現させることでした。私が立てようとしている問いは、あらかじめ存在するこれこれの政治的構想によって規定されるものでも、きまった政治的企図の実現へと向かうものでもありません。」(ミシェル・フーコー思考集成10、p37−38)
 「私たちが試みなければいけないのは、個人が自然で基本的な人権を持っていることに価値を与えることよりもむしろ、関係に関する新しい法律、あらゆるタイプの関係を可能とし、関係が制度からの妨害、障害、抹消を受けて貧困化されないような法律を考え創造することなのです。」(ミシェル・フーコー思考集成9、p120)

 ここでは一方で基本的にこれまで政治的に意図されていなかった問題を取り上げていくことに対する重要性を指摘するフーコーがいる。「生の形式」との関連性で言えば、倫理的な領域において「生の形式」を形成し、政治の場に持ち込めるまでのものにする、ということを意味していると言えるだろう。本書p607の話もこの点と一致する。
 ただ他方で、既存の法律に対する変更を求めることも強調していると言えるのではないか。「関係」が妨害等を受けるのは何故か?これは基本的に法を根拠を求めることができる内容なのではないかと思う。この新しい法の創造というのは、既存の法の失効と同時に、新しい法を保障することを意味する。また、ここでいう「関係」とはニーチェのいう弱者的関係性も含めているのだろうか?さらに、その弱者的関係性を結ぶことを許すとすれば、それは強者的関係とどう関係付けられるのだろうか?ここでの一種の寛容は「法」という形で機能するものと考えられるだろうか。
 スラヴォイ・ジジェクは「厄介なる主体」等でこれに対して明確な批判を行っている。次回改めてジジェクを取り上げながら、この点をまず議論したい。

(読書ノート、メモは書いた時期がバラバラなので整合性ないかもしれません)
p10−11 「まず、自らのことを専心するよう他者を督励するというこの活動がソクラテスの活動であったわけですが、これは神によって彼に定められた場所を占めているに過ぎないこと。そもそもお聞きいただいたとおり、神々はアテナイ人たちを気づかうがゆえにソクラテスを遣わしたのであり、彼らが自分のことに専心するように督励するため、必要となればだれか別の者を遣わすでしょう。
 第二に、これは先ほど読んだ一節の最後のところに大変はっきりと現れていたことですが、ソクラテスが他人のことを気づかうのは、あきらかに彼が自分のことを気づかわず、この活動のために、一般に利益の上がる、有利な、好ましいとされている他の一連の活動をないがしろにしてのことであったということです。ソクラテスは他人のことに専心できるようにと自らの富やいくつかの市政上の地位をないがしろにし、政治的なキャリアをあきらめ、役職や地位を求めることもなかった。」
※ここでソクラテスは自分自身へ配慮することなく、他の者に向って自己を配慮せよという主体となって現れている。一方で、ソクラテスはパレーシアの主体でもあった。これは矛盾している。ソクラテスは自己への配慮をそもそもしていないが、パレーシアとは、自己の配慮がされている主体のことを指していたはずだからである。
 この矛盾をどう考えればいいか?ひとつは従属の対象を自己に内在する<他者>に向けるか、実際の他人(他者)に向けられるか、の違いである。だが、このような自己への配慮を行う主体の自己とは具体的にどのようなものといえよう??この部分だけを見ると空洞の主体であるように思えてならない。
p14 「第二に、<自己への配慮>はまた、注意の、視線の一定の形式でもあります。自己へ配慮するということは自身の視線を向き変え、それを外部から……「内部」へ、と言ってしまうところでしたが、この誤は脇に除けておいて、とりあえずたんに視線の方向を外部、他者、世界から「自己」へ向け変える必要がある、とだけ言っておきましょう。自己への配慮は、自分が考えていること、思考の中で起きていることに注意を向ける一定のやり方を含意しています。」
※敵対的な国家と個人の二項問題においては、まさに視線が外に向いている状態であったといえよう。フーコー自身、国家への欲望と我々の欲望との表裏関係について熟知していたし、その意味での外部に向いた視線の問題から離れることを強く意識していただろう、と言うことはできるだろう。

p37-38 「そうするかわりにそのそれぞれをとりあげてみれば、マルクス主義でも精神分析でも、主体の存在のなんたるかという問題と、そこから出てくる、真理に到達することで主体において変化しうるものは何かという問題、この二つの問題は霊性にまったく特徴的なものだと繰り返し申し上げますが、これらが二つの知の核心に見出されること、あるいはそれが言い過ぎならば、少なくともその出発点と到達点に見出されることはおわかりでしょう。……実際にはもちろん、これら知の二形式のうちいずれもこうした観点(※<自己への配慮>つまり真理への到達の条件としての霊性)を明晰かつ集中的に、とりたてて考察するということはしてきませんでした。ひとはこれらの知の形式に固有の霊性のそうしたさまざまな条件を、いくつかの社会的形式の内部に隠そうとしてきました。階級の措定、党の効果、グループへの帰属、学派への帰属、通過儀礼、分析家の養成といった考え方はまさに、真理への到達のために必要な主体の構成条件の問題を連想させるものですが、この問題は社会、組織という点から考えられており、霊性とその要請の存在という切り口で考えられてはいません。そしてこの「真理と主体」という問題を帰属の問題に移しかえ切り下げるには、真理と主体のあいだの関係の問題の忘却という犠牲を払わなくてはなりませんでした。つまりラカンフロイト以降ただひとり、精神分析の問題をまさに主体と真理のあいだの関係の問題にあらためて集約しようとしたひとであったのではないかということです。……それは、真実を語るために支払わなくてはならない対価の問題と、主体が自身について、真実を語ることができ、そして語ったということが主体に及ぼす効果の問題です。この問題をふたたび出現させることで、ラカン精神分析の内部に、霊性の最も一般的な姿であったあの<自己への配慮>をめぐる最古の伝統を、最古のといかけを、最古の不安を実際に再出現させたのだと私は考えます。もちろん問題は残りますし、私もこれを解決はできないでしょう。精神分析というかたちで、つまりいずれにしても認識の諸効果というかたちで、この主体の真理に対する関係という問題を想起することはできるのでしょうか。この問題は——とにかく霊性の、<自己への配慮>の観点から見た場合——そもそも認識といったかたちで想起されることはできないはずなのです。」
精神分析はこの真理—主体関係について理論的に一度も考えられなかったことが実証主義心理主義を招いた、とフーコーは指摘する(p39)。フーコーが批判するのは、精神分析の治療的側面であるように思う。無意識という領域はフーコーのニーズに答えられないのだろうか?

p55 「「自己へ配慮せよ」の問題、命法、指示が登場する文脈の第三の要素は——これもソクラテスの対話篇でおなじみのものですが——無知ということです。この無知とは、知っておくべき事柄を知らないということであると同時に、自己を知らないということ、そうした事柄を知らないことすら知らないということでもあります。」
p64 「heautonとは何か、自己とは何かを知らなくてはならない。したがってこれは、「自分がどのような種類の動物であるのか、自分の本性が何であるのか、自分が何からなるのか」ということではなく、「この関係とはどんなものなのか、この再帰代名詞heautonによって、何が指示されているのか、主体の側と客体の側で同じであるこの要素とは、いったい何なのか」ということなのです。君は自己に配慮しなくてはならない。配慮するのは君なのだが、君は君と同じもの、配慮する主体〔と同じもの〕である何かへ配慮する。それは対象としての君自身なのだ。」

☆p70 「最後、三番目に、アルキビアデスを追い回していた人たちは、アルキビアデス自身に配慮していたということができるのでしょうか。実際は、彼らの行動、彼らの振る舞いからあきらかです。彼らが配慮しているのはアルキビアデスではなく、ただたんに彼の身体、彼の身体の美しさにすぎません。なぜなら彼らは、アルキビアデスが年をとって無条件に望ましいものではなくなると、とたんに彼を捨てて顧みなくなったからです。アルキビアデス自身に配慮するということは、厳密にいうなら彼の身体ではなく、彼の魂に、つまり行動の主体であり、自分の身体、技能、能力を用いる者である限りでの魂に配慮することを意味するということになるでしょう。」
※p69での議論も、身体とは異なるものとして魂を導入している。
p70 「師を経由せずに自己へ配慮することはできません。師の存在なき自己への配慮はありえないのです。ただ師という立場を規定しているのは、彼が配慮しているものが、ほかならぬ導こうとする相手の行なう、自分自身にたいする配慮であるという点です。医者や一家の父とはことなって、彼は身体や財産に配慮するわけではありません。教師とは違って、導こうとする相手に技能や能力を教えようとするわけでもありません。言葉を話す話し方や、人に勝つ方法などを教えようとするわけではないのです。師とは、主体が自分について行なう配慮を配慮する者であり、弟子に対する愛のなかに、弟子が自分について行なう配慮を配慮する可能性を見いだす者のことです。」


P106−107 「されここでは反対に、すでに子供、息子や娘、大勢の家族を持った人々が、ある時あたかも自分の死すべき生を終えてしまったかのように感じて彼らのもとを立ち去り、自分の魂に配慮するようになります。ひとは人生の終わりに自分の魂に配慮するのであって、始まりにおいてではないのです。とにかく、成年期への移行ではなく成年期そのもの、そしてひょっとすると成年期から壮年期への移行こそが、いまや自己の配慮の重心、急所になるわけです。」
※何故か?一つは未来に対する姿勢の問題とも関連するか?死に近づくという問題。しかしフーコーはそう解釈していない。「魂の健康を手に入れるのに、若すぎることもなければ、年をとりすぎることもないからである。」(p102)「他方、老年の側では、哲学するということは若返るということです。つまり、時間を逆転させ、あるいは少なくとも時間から身を引き剥がすということであって、これは記憶の活動によって可能になります。」(p103)確かに成人期への移行に際しては課題があったが、壮年期に向けては特段そのような設定がない。
p108−109 「さて、こうして自己への配慮の中心が、思春期から離れて壮年期へ、あるいは壮年期の終わりへと定め直され、あるいはずらされたということ、このことはいくつかの帰結を導くことになります。そしてこの帰結が、私の考えでは重要になります。第一に、自己への配慮が成人の活動となって以降、その批判という機能が当然前面に、除々に前面に出てくることになります。自己の実践は、すくなくとも育成的であると同程度には矯正的な役割を持つようになるでしょう。更に言えば、自己の実践はしだいに、自己や自己の文化的世界、他人が送っている生活にたいする批判の活動になってゆきます。もちろん、これはなにも自己の実践の持つ役割が批判ということに尽きる、というのではありません。育成という要素は相変わらずまだ残っています。ただ、それは本質的な仕方で、批判の実践と結びついているのです。」

p109−110 「ただこの育成的側面は、矯正的側面と分離することは絶対にできません。そしてこの矯正的な側面こそが、私の考えによれば、次第に重要なものとなっていったのです。自己への配慮はもはや、アルキビアデスの場合がそうであったような、ただたんに無知という背景のもとで、自らをそれと知らぬ無知という背景のもとで必要になるものではなくなります。自己の実践は、過ちや悪い習慣、すでに成立し、しっかりと身に着いてしまっており、これを揺さぶることが必要な変形や依存を背景として要請されるようになります。育成・知であるよりははるかにいっそう矯正・解放であるようなもの。この軸においてこそ自己の実践は発達してゆきます。」
p112 「これが示しているのは、弁論術の教育が装飾の、見せかけの、誘惑の教育であるということです。問題なのは自己へ配慮することではなく、他人に気に入られることなのです。……君は自己へ配慮しなくてはならない。どうすればそうできるのだろうか。自己とは何だろうか。そして私たちがふたたび行き当たるのは、それは自分の魂に配慮するということであり、身体に配慮するということではないということです。」

p132 「この自己への配慮は、ヘレニズムおよびローマの文化のなかで、一種の普遍的な法と見なされることができたのでしょうか。
 もちろんまず指摘しておかなければならないのは、この普遍化がたとえ生じたとしても、たとえ普遍的な法のようにして「自己へ配慮せよ」ということが言われたとしても、これはもちろん、まったく虚構のものだろうということです。というのも、実際このような命令は、あきらかに非常に限られた数の人たちによってのみ実行に移されることができるからです。」
p139 「生まれ、あるいは身分といった理由で、ある人物がア・プリオリに資格をもたないということはないのです。しかし他方で、皆が原則として自己の実践を行なうことができるとしても、実際に自己へ配慮することができる人はごくわずかでしかないということもまた、まったく一般的な事実です。……自己へ配慮するという原則は、たしかにあらゆる場所で、あらゆる人にたいして繰り返されることができるでしょう。しかしそれを聞き入れ、理解して自己の実践を実行に移す人はいずれにしてもわずかです。そして聞かれること少なく、いずれにしても聞くすべを知っている者はほとんどいないであろうからこそ、それゆえにこそこの原則はあちこちで繰り返されなくてはならないのです。」
※しかし、限られた者だけが自己への配慮ができる、というのは、生をめぐる問題と不可分なのではなかろうか??

p151-152 「そしてソクラテス的な師弟関係で興味深いのは、ソクラテスの役割が、無知は実際には、自分が知っていることを知らないということ、したがってある程度まで、知は無知そのものから出て来ることができるということを示すという点にあるということです。しかしソクラテスの存在とソクラテスの問いかけの必要性は、この運動がやはり他者なしにはなされ得ないということを証明しています。
 私がいま分析しようとしているずっと後の時期、ヘレニズムおよびローマ時代や帝政初期の自己の実践においても、他者への関係はさきほど言及した古典期と同じく必要なものでしたが、もちろんそのかたちは違っています。この他者の必要性はまだ、相変わらずある程度までは無知という事実の上に基礎づけられています。しかしそれはとりわけ、前回お話ししたあの別の要素の上に基礎づけられているのです。これは、主体は無知であるというよりもむしろ不適切な教育を受けている、あるいは捻じ曲げられ、悪徳に染まり、悪い習慣に捉えられているということです。道徳的に正しい行動、道徳的に妥当な主体を特徴づけるのは、理性的な意思の関係である。……したがって主体が向かうべきは、その無知に置き換わるような知ではありません。個人が向かうべきは、その生存のいかなる時点でも彼が経験したことがなかったような主体という身分です。彼は非・主体に、自己の自己への関係の充溢よって規定されるような主体の身分を置き換えなくてはならない。……これを境にして、師はもはや記憶の師ではなくなります。それはもはや、他者が知らないことを知って彼にそのことを伝達する者ではなくなります。……これ以降、師は個人を主体として改革し、形成する操作媒体となります。師は個人が、その主体としての構成とのあいだに取り結ぶ関係の媒介者となります。」」
※他者がいるからこそ無知であることを理解できるため、フーコーは他者の重要性を説く。ただし、これは実在の他者である必然性はない。読書などを通しても同じ所へ到達することは可能であろう。また、その後の師の役割は「第三者の審級」と関係しているような気がしてならない。大澤の定義に忠実になれば第三者の審級はある主体になることを要求することを前提にすることになる。

p292 「第一に、キリスト教には、その霊性の主軸をなすものとして、この自己への回帰という主題の排除や拒否が見られると思われます。……自己を放棄しなければ、自己を救済することはできません。自己救済の追求が自己放棄をその根本的条件としているということ、このことが持つ両義性や困難についてはいずれ詳しく述べなければならないでしょう。」
p293 「自己は神に沈潜し、その同一性、個体性を喪失し、神との特権的かつ直接的な関係によって、自己という形式における主体性を喪失します。したがってキリスト教全体において、自己への回帰の主題は、キリスト教思想に敵対する主題であったというよりは、むしろそこで取り上げ直され、そこに組み込まれているものだったと言ってもよいでしょう。」
p293 自己への回帰の主題は16世紀以後繰り返し回帰する主題だったが、ヘレニズム・ローマ時代のように支配的なものとなることはなかった。
p293 「自己の美学や自己の倫理を構成したり再構成したりすることは可能なのか。それは何を代価として、どのような条件においてなのか。自己の倫理と自己の美学は、けっきょくのところ(ショーペンハウアーの場合のように)体系的な自己の拒否へと逆転してしまうのではないだろうか。」
p294 「いずれにせよ指摘しておきたいのは次のようなことです。「自己へ回帰すること」「自己を解放すること」「自己自身であること」「真率であること」などといった表現は私たちにもなじみ深いものですし、私たちの言説を貫き続けています。しかしこうした表現に与えられる意味、というよりはむしろ意味のほとんど完全な欠如について考えてみましょう。今日も使われているこうした表現のそれぞれに意味や思想が欠如していることを反省してみると、今日の私たちは、自己の倫理を参照することを強いられているのですが、それがいかなる内容をも与えることはできない。私は、こうした動きの中に、自己の倫理の再構成が不可能であると感じさせるような何かを見て取らなければならないのではないかと思っています。」
※ヘレニズム・ローマ時代においては、この不可能性が了解されていたのだろうか。そしてこのことは、自己へと配慮せよと言ったソクラテス自身の態度とどう関連するか。

p297−298 プラトン主義的図式における自己への配慮と自己の認識の関係には3つの重要な点がある…
�自己へ配慮しなければならないのは、無知だからである、無知だからこそそれに終止符を打たなければならないとわかる。
�自己を知れという命法が自己への配慮に覆いかぶさる。
�自己への配慮と自己の認識の接点にあるのが、想起であること…魂が自分の存在を発見するのは、自分が見たものを思い出すことによってである。
p298 一方で、キリスト教的モデルにおいては、自己を知ることと真理を知ることと自己への配慮の関係が循環的になっている。「天国で救われようと思うのなら、<聖書>に書かれていたり、<啓示>によって現れたりする真理を受け入れなければなりません。しかしこの真理を知るためには、心を浄化するような知というかたちで自分自身を気づかっていおかなければならない。反対に、こうした自分自身による自分自身の浄化的な知が可能になるためには、<聖書>や<啓示>の真理とすでに根源的な関係を持っていることが条件となっているのです。」
p299 「また、この二つのモデルが威光を放つ理由は次のような事実から簡単に説明できると思います。すなわち、まさにこの二つのモデル(釈義のモデルと想起のモデル)が、キリスト教の歴史の最初の数世紀のあいだ、たがいに対立していたということです。忘れてはなりませんが、プラトン主義的モデル——これは想起の主題つまり自己への配慮と自己を知ることの同一視の主題のまわりをめぐっていますが——は、キリスト教の境界において、つまりキリスト教の内部と外部において、ある驚くべき運動によって再び取り上げられたのです。その運動とは、グノーシス主義グノーシス派の運動のことです。」

p300 第三のモデル、ヘレニズムモデル…「この第三のモデルは、想起というかたちも釈義というかたちも取りません。プラトン主義的モデルと異なり、このモデルは自己への配慮と自己の認識とを同一視しません。また自己の認識を自己への配慮に吸収したりもしません。反対にこのモデルは、自己への配慮を強調したり特権視したりしようとし、少なくとも自己の認識の自立性を確保しようとしました。あとでお話しするように、自己の認識の場はごく狭く限られていたのです。第二に、キリスト教的モデルと異なり、このヘレニズム的モデルは自己の釈義や自己の放棄をめざそうとはまったくせず、反対に自己を到達すべき目標として立てようとしました。」
p301 「この三つのモデルは歴史的に入れ替わっていきました。第一と第三のモデルが、さきほど簡単に説明したような歴史的理由によって、私たち近代人の目に中間のモデルを覆い隠してしまっています。しかしこの中間のモデルすなわちヘレニズム的モデルは、自己の関係の自己目的化と自己への立ち返りを中心にしていますが、ある道徳の形成の場ではあったのです。キリスト教はこの道徳を受容し、受け継ぎ、取り込み、練り上げることによって、今日の私たちが誤って「キリスト教道徳」と呼んでしまうような何かを作り出したのです。」

p362 「このアルケーシス、自己の自己による、自己の自己に対する実践の根本原理には、法を創設する第一の審級があるのでしょうか。ところが、ギリシア・ヘレニズム・ローマ世界の修練(アルケーシス)は、けっして根本的には法への従属の結果ではないのです。こうした修練が誘発する厳しさ、自己放棄、禁止、厳格で細々とした規則などがどのような結果を持とうとも、それは法の従属への結果ではけっしてありません。……アルケーシスは実は真理の実践なのです。修練は主体を掟に従属させる手段のひとつではありません。それは主体を真理に結びつけるひとつの方法なのです。」
※法への距離を取ろうとしているのは確かだが、法そのものを否定しているわけでもない。どう解釈すべきか。
p363−364 「さて、私たちはごく自発的に、「主体はどうなっているのか、主体は自分自身をどうすべきか」という問いを、法との関係で〔提起する〕のが当たり前だと考えてしまっています。つまり、「主体はどの点において、どの程度に、どのような根拠に基づいて、どのような限界の中で法に従うべきなのか」という問いを立ててしまうわけですところが古代ギリシア・ヘレニズム・ローマ文明の自己陶冶においては、実践との関係における主体の問題は、法の問題とはまったく異なった問題につながっているように思われます。それは次のような問題です。「主体はどのようにしかるべき行動をすることができるのか。真を認識するばかりではなく、真を語り、実践し、行為するかぎりにおいて、主体はそれがあるべきようにあることはできるのか。」」
p364 「今日の私たちの主体性の装置は、主体の主体自身による認識という問題、主体の法への従属という問題に支配されてしまっているのです。こうした二つの問題のいずれも、古代の思想や文化においては根本的ではなく、存在してすらいませんでした。それは「知の霊性」「真理の実践と行使」だったのです。」

p378 ヘレニズム・ローマ期とキリスト教的な修練の違い…「第一に、この哲学者の修練、自己実践の修練における最終的で究極的な目標は、自己放棄ではありません。目的は自分自身を自分の生存の目標として立てること、それもできるだけ明示的かつ強力かつ連続的に立てることなのです。第二に、哲学者の修練とは犠牲や放棄を秩序立てることではない。自分自身の存在のある部分やある側面を犠牲にしたり放棄したりすることではないのです。反対に何か持っていないものを身につけること、本性上所有していない何かを身につけることなのです。……第三に、この哲学者の修練、自己の実践という修練の原則は、個人を法に従属させることではありません。それは個人を真理に結合させることなのです。真理への結合であって、法への従属ではありません。これこそが哲学者の修練のもっとも根本的な側面のひとつだと思われます。
※法への従属(法維持的暴力)は回避されるが、法形成の暴力については何も言わない。どのような意味で回避されるか。それが真理の実践と結びつくからである。真理の実践は一見神的暴力に属しているように思える。しかし、p132のような表明は一体何を意味するのか。これは単に普遍的な法そのものがなかった、それ以上の意味を与えることはできるか。普遍的な法なき時代においては、法形成的暴力は暴力的性質を帯びない。その意味で擬制的に神的暴力の行使となる。この点にのみ着眼すると、フーコーが神的暴力の議論をしている、と現代的に解釈するのは不可能だろう。
 自己犠牲が問題なのは、自己が真理を語る主体としての立場を放棄することを意味する、ということだろう。

p378−379 「哲学者の修練、ヘレニズム・ローマ期の自己の実践という修練の意味や機能は、真実の言説の主体化なのです。修練によって、私はみずから真実の言説を語ることができるようになります。私自身が真実の言説の言表主体となることができるのです。」
p380 真の主体化としての修練的実践……聴取、読み書き、語ること

☆p412−413 「教え導かれる者が、西欧の歴史の中で語る権利を持ったのは、自分自身について<真実を語る>という義務、すなわち告白の義務によってなのです。もちろん古代ギリシアやヘレニズムやローマの自己技法においても、これと似たような要素があるのではないか、回顧的な視点から見れば将来の「告白」の先取りと見なしうるよう要素を見いだすことができるのではないかとおっしゃる方もあるでしょう(またその実例もあるでしょう)。……しかしながら、こうした要素はすべて、厳密な意味での「告白」、霊的な意味での「告白」とは根本的に異なっているように思われます。導かれる者が真実を語ったり、友人に素直だったり、指導者に身をゆだねたり、自分がどんな状態にあるのかをすべて語ったりしなければならないという義務は、言ってみれば道具的な義務にすぎません。この場合、告白すること、それは神や裁判官の寛容を求めることです。……古代ではこうしたことはすべて道具的な意味合いを持っていました。告白のそうした要素は道具的なものであり、操作媒体となるようなものではありません。それ自体では霊的な価値を持たないのです。そしてこのことこそが当時の自己実践の最も特徴的な点だったと思われます。」
p413 「主体は真理の主体にならなければならない。主体は真実の言説に気づかわなくてはならない。主体は主体化をおこなわなければならず、それは与えられた真実の言説を聞くことから始まるのです。したがって、主体は真理の主体にならなければならず、みずから真実を語ることができなくてはならず、自分に対して真実を語らなければなりません。自分自身についての真理を語ることはまったく必要不可欠ではなかったのです。」
※弟子は師に寛容を求めるために「告白」を行ったという。これは、ある意味で弱者的な考え方が内包しているようにも思える。フーコーの議論からはこれに対しては師による自己への配慮をせよ、という言葉が効いている以上は、寛容は寛容のまま作用可能であろう。しかし、そうでなかった場合には機能不全になる。また、対話不可能となれば、平行線をたどったままとなる。師にとってのパレーシアが強調されるのは、このためである(p414)。しかし、この道具性はいつのまに弟子の手元にやってきたのか?これは、むしろ師が霊性を道具に切り替えたようにも読めるのである。つまり、告白が道具的なのは、ひとえに師のなせる業である。

p414 「ですから、ソクラテスの問答やストア派犬儒派の語録の無礼で鷹揚な問題提起がおこなっていることは、次のようなことなのです。……言うなれば主体を試練にかけること、真理を語る主体として試練にかけることであり、それによって主体は、真実の言説の主体化の過程や真実を語る能力がどれだけ進んでいるかを意識せざるをえなくなるのです。」
p414 「パレーシアとはけっきょくのところ、弟子の側の沈黙の義務に対する、師の側からの応答にほかなりません。弟子が言説の主体化をおこなうために沈黙しなければならないように、師はパレーシアの原理に従う言説を発しなければなりません。」

p424 「怒っている人は、他人に対して自分の権力を行使し、それを濫用できる立場にあり、またそうした権利を持っているとされています。……つまり怒りとは我を忘れることであり、自分を統制できなくなることです。いやもっと正確に言うならば、それは他者に対して至上権(=主権)や権力を及ぼしているとき、まさにそれゆえに自分自身に対する権力や絶対的支配権を行使できなくなってしまうことなのです。したがって怒りの問題は、自己の支配と他者の支配、自分自身の統治と他者の統治がまさに接続する地点に位置しています。」
p425−426 「追従の問題、その道徳的な問題は、怒りと正反対で補完的な問題になっています。そもそも追従とはなんでしょう。怒りというものが上の者が下の者に対しておこなう権力の濫用であるとするならば、追従のほうは、下の者がこの上の者の権力の過剰さを取り込み、その恩恵や好意を勝ち取ろうとする方法であることはおわかりでしょう。それでは下の者は何によって、どのように上の者の恩恵や好意を勝ち取ることができるのでしょうか。上の者の権力をどのように横領し、自分の得になるように利用することができるのでしょうか。それは下の者が持っている唯一の要素、唯一の道具、唯一の技術、すなわちロゴスによってです。彼は語るのです。語ることによってこそ、下の者はいわば上の者の過剰な権力に遡り、求めているものを手に入れることができるのです。ところがこのように上の者の優位性を利用することによって、下の者はその権力を強めてしまいます。というのも、追従者が上の者から求めているものを手に入れるのは、上の者は最も美しく、最も豊かで、最も強力だなどと思わせることによってだからです。実際よりも豊かで美しく強力だと思わせるのです。したがって、追従者は上の者に話しかけ、虚偽の言説をふっかけることによってその権力を横領します。……ですから追従者とは、ひとが自分自身の実際の姿に満足することを妨げてしまうような者のことです。上の者は、自分自身を適切な方法で気づかうことができなくなってしまう。」

☆p428 「自己嫌悪し、起こるかもしれない出来事をたえず心配する場合にも、また反対に自己を愛し、快楽に執着してしまう場合にも、自分自身だけと過ごすことはけっしてできません。なぜ自分自身だけと過ごすことができないかといえば、それは自分自身に対して完全で適当で十分な関係を持つことができないからです。このような関係を持つことができれば、何ものにも依存することはありません。不幸のおそれにも、まわりで出会ったり手に入れたりする快楽にも依存することはないのです。自己嫌悪や過剰な自己執着によって、自分自身だけと過ごすことができないという不十分さにこそ、追従者はつけこみ、追従の危険が生じるのです。この非孤独、すなわち自己と完全で適当で十分な関係を打ち立てることができない状態に、<他者>は介入し、いわばこの欠如を埋め、この不適合を言説で置き換え、言説で埋めてしまうのです。この場合言説とは、真理の言説ではありません。真理の言説は、自己に対して行使する支配権を打ち立て、それによって自己を閉じたり塞いだりしてくれるものです。」
※弁論術を支持しないフーコーとも関連する。ここでの真理とは何なのか?これは他者との関係性とはまた異質な性質を持っているように思われる。
☆p429 パレーシアとは反追従である!「パレーシアにおいて、ひとは語る人、すなわち他者に対して語る人であることはたしかです。しかし追従の場合とは違い、その人が他者に語るとき、他者は自律的で独立的で完全かつ十分な自己との関係を構成することができます。パレーシアの最終目的は、追従の場合のように、語りかけられる人を語る人に依存させることではないのです。パレーシアの目的、それは語りかけられる人が、あるときに他者の言説を必要としなくなってしまうような状況にいるようにすることなのです。どのようにして、そしてなぜ他者の言説が必要でなくなるのでしょう。それは他者の言説が真であったからにほかなりません。他者が真実の言説を与え、それを伝達するときにはじめて、語りかけられた人はそれを内化し、それを主体化することができ、他者との関係なしですますことができるのです。」
※自己への配慮というのは、自己に配慮可能とされる語りかけをも内包するということ?

p432 「たしかに弁論術はひとつのテクネーであり、真理に関係はする。しかしその真理は語る者によって知られる真理であり、語る者の言説に含まれるような言説ではない。……すなわち語る者が知っており、所有し、支配しているような真理に向けられてはいる。しかし語られた内容に関して、そして語られている人に関しては、真理に向けられてはいない。」
※弁論術においてはある種の真理が介在している。しかし、それは語る者によって独占されてしまうものであり、それが語られる者にまで伝達されることはないということ。
p435−436 「弁論術の本質的な役割は、他者に働きかけることです。つまり集会の決定を方向付けたり、方向転換させたりすること、また民衆を導いたり軍を指揮したりすることです。しかし弁論術が他者に働きかけることによって、最も大きな利益を得るのは語っているその人です。……もちろんパレーシアでも他者に働きかけることが問題になります。しかしそれは他者を支配するのではなく、むしろ他者を支配するのではなく、むしろ他者を指揮したり、なにかをするように仕向けたりするのです。他者に対する働きかけの根本的な目的は、他者が自分自身に対して、また自分自身の関係において、至上権(=主権)の関係を打ち立てることなのです。この絶対的な支配権こそが、賢い主体、徳のある主体、この世で到達できる最高の幸福に達する主体を特徴付けるものなのです。」

p440−441 「ギリシア・ローマ古代の自己実践の中ではじめて明示的に、告白の実践が生まれるのです。この告白の実践は儀式的・宗教的な実践とはまったく違うものです。儀式的・宗教的な実践とは、たとえば窃盗や軽罪や罪を犯したときに神殿に行き、石碑や供物を捧げるといったことです。〔それによって〕自分がしたことに罪があるとみずから認めるのです。ところが今お話ししている告白の実践はまったく違います。それは言語的で、明示的で、規則に基づいた発達した実践であり、弟子は師の真理のパレーシアに対して、ある種のパレーシア、すなわち心の開けによって応答しなければなりません。弟子は自分の魂を開き、他者とそれを通じ合わせます。こうして自分を救うために必要なことをすると同時に、他者に対しても拒否や排除や非難の態度ではなく、エウノイア(厚意)の態度を引き起こすことができるのです。」
※解釈が難しいが、重要な部分だと思われる。

p460-461 「このように師や指導者が真理の義務を担うかぎりにおいて、古代の「魂の教導」の関係は、教育的関係にひじょうに、あるいは比較的に近いものだったと言えましょう。というのも、教育において、師は真理を保持し、それを表明し、しかも彼が伝達する真実の言説に備わっている内的な規則にしたがって、しかるべき方法で表明するからです。真理と真理の義務は師の側にあるのです。……それにたいしてキリスト教においては、いくつかのきわめて重要な変容が起き、事態は大きく変わります。たとえば真理は魂を導く者に由来するのではなく、別の様態(<啓示><聖書><福音書>など)で与えられることなどが当然考えられるでしょう。そしてキリスト教タイプの魂の教導においては、良心を導く者はたしかにいくつかの規則に従わなくてはならず、その人にも責任や義務もあるのですが、根本的な価値、真理や「真理の語り」の本質的な価値を担っているのは、あくまで魂を導かれる人なのです。そして、魂を導いてもらうためには、真実の言説を自分自身に対してみずから言表すること、自分自身についての真実の言説をみずから言表することが必要なのです。……ギリシア・ローマの魂の教導はまだ教育に近いものでした。真理の言説を言表するのは師である、という一般的な構造になお従っていたのです。それにたいしてキリスト教は魂の教導と教育を分離し、教導される魂、導かれる魂にたいして、真理を語ることを要求します。導かれる魂だけがこの真理を語ることができ、それを保持するのです。そしてこの真理は、彼の存在様態を変容させるための操作の唯一の要素ではなく、基本的な要素のひとつであるにすぎません。」

p501 「古典主義の時代以来、問題はある種のtechne tou biou(生の技法、生存の技法)を規定することでした。そしてご記憶でしょうが、この<生の技法>という一般問題の内部で、「自己に専心せよ」という原則が立てられたのです。人間はテクネーという理性的で命令的なある種の分節を参照することなしではみずからの生を生きることはできない、人間のビオスすなわち生や生存はそのようなものなのです。……古典ギリシア文化において<生の技法>は、都市や法や宗教が生の組織化の領域で残してしまった空洞に書き込まれます。ギリシアにおいて人間の自由は、自分自身に実践するテクネーにおいてこそ、みずからを強制する手段を見いだすのです。都市や法や宗教ではなく、というよりそれらばかりではなく、自分自身の術においてです。したがって「自己に専心せよ」という原則や教えが立てられるのは、<生の技法>という一般形式の内部においてなのです。」
p502-503 「究極的には、次のように言うことができるでしょう。ひとは「自分の対して=自己に向かって(pour soi)」生きるのだと。ただしこのpourという語には、「自分のために生きる」という伝統的な表現における意味とはまったく異なった意味を与えなくてはなりません。ひとは自己の関係とともに(avec)生きる、ということであり、この自己への関係は生存の根本的な投企であり、すべての生存の技法を正当化し、基礎付け、支配すべき存在論的な支柱でもあります。」
※存在としての私と主体としての私との関係性、ということ??

p514 「彼(※エピクテトス)はそこでこう言っています。動物と人間の大きな違いは、動物は自分自身に専心する必要がないということだ。動物はみずからすべて備えているが、それは私たち人間によく奉仕するためである。私たちが、私たち自身に加えて、動物のことの面倒を見なければならなかったとしたら、どんなに厄介なことだろう、と。というわけで動物は、私たちに奉仕するため、自分の周りに必要なものをすべて持っているのです。それに対して人間は、自分自身に専心しなければならない生物です。それが人間の特徴なのです。なぜでしょう。それはゼウスの神が、さきほどお話しした<理性>を与えることによって、人間を自分自身の手にゆだめたからです。理性によって人間は、他のすべての能力の使用を決定できるのです。したがって私たちは神によって自分自身をゆだねられ、自分自身に専心しなければならないのです。
 そこで今度は動物から人間へではなく、人間からゼウスに話を移してみましょう。ゼウスとは何でしょう。それはたんに、自分自身に専心することしかしない存在のことです。それは純粋状態における<自己への配慮>です。つまり完全に循環し、何にも依存しないのです。これが神的な要素の特徴です。ゼウスとは何でしょう。ゼウスとは、自分自身に対して生きる存在です。」

p555 「epistrophe〔立ち返り〕という主題が典型的にプラトン的であることはたしかだ。しかし、魂が自分自身に振り返る運動は、それによって視線が「高み」に引き寄せられるような運動である。すなわち、神的な要素や本質、そして本質がそこで可視的なものになる場である天上界などに引き寄せられるのだ。〔それに対して〕セネカプルタルコスエピクテトスが勧める回帰は、いわばその場における回帰である。つまりこの回帰の目的や終着点は、自分自身のもとに身を落ち着けること、「自分自身のもとにおり」、そこにとどまることでしかない。自己への立ち返りの最終的目的は、自己自身への諸関係を打ち立てることなのだ。この関係は法的・政治的なモデルで考えることもある。つまり自己自身に対して支配権=主権を持っていること、自己自身に対して完全な支配権を及ぼすこと、完全に独立していること、完全に「自己のもの」となることが問題である。
p562−563 「——最後に、そうした出来事(※ほとんど起こり得なくても、生じうる最悪の未来の出来事)を現在のものとして思い浮かべることは、それが引き起こす苦悩や苦痛を先取りして生きるためではない。それが現実の災悪ではまったくなく、それについて私たちが持つ臆見だけがそれを本当の不幸だと思わせるのだ、とみずから納得するためなのである。
 以上からわかるように、この訓練は、現実の災悪という可能な未来に慣れるために、それを考察することになるのではなく、未来と災悪の両方を無効にすることにある。究極の現在性において、すでに与えられてしまっているものとして未来を思い描く、というかたちで未来を無効にすることにある。未来の災悪ももはや災悪とはみなさないことを訓練する、というかたちで災悪を無効にするのだ。」

p572(※以下、編集者フレデリック・グロの解説部分)「古典古代および古代末期における快楽との関係の歴史研究は、もはや国家が遂行する正常化という大きな企てや、世俗化した手先を証明したり告発したりするものとして組み立てられてはいない。フーコーは突如として宣言する。「私の研究の主題をかたちづくっているのは、権力ではなく主体なのです。」また次のようにも言う。「私は権力の理論家ではまったくありません。」
 この宣言を文字通りに受けとりすぎてもならないだろうが、態度は表明されている。フーコーは政治的なものを捨てて倫理的なものに向かうのではなく、自己への配慮を探求することによって統治性の研究を複雑化するのだ。倫理的なものや主体が政治的なものや権力と無縁のものとして思考されるべきだとは、まったく主張されていない。」
p575 「これ(※1982年度広義)は、計画され、考え直され、ついに出版されなかった書物、自己の技法のみを論じた書物の代替物のようなものである。ここでフーコーは生涯の最後に、自分の作品の概念的な成就を、その完成の原理のようなものを見いだしていたのだ。」

☆p587 「フーコーは長い間、主体が技術と支配の生産物としてしか考えてこなかった。その相対的な自立性、少なくとも自己の技法の還元不可能性を認めたのは、一九八〇年になってからにすぎない。相対的な自立性と言ったのは、誇張を避けるためである。フーコーは、それまで見過ごされてきた主体の生得的な自由を一九八〇年に「発見」したわけではない。正常化(=規範化)の社会的プロセスと同一化の疎外化的システムをフーコーが突如として顧みなくなり、純粋な自己構成という非歴史的なエーテルの中で自己自身を創造するような自由な主体を、汚れなき壮麗さで出現させた、ということを主張することはできないだろう。彼がサルトルに対して批判している点は、まさに歴史的に根を持たないような本来的な主体の自己創造を考えたことにある。ある限定された自己関係において主体を構成しているのは、歴史的に位置づけうる自己の技法であり、そしてこの自己の技法は、やはり歴史的に確定できる支配の技術と協調しているのである。そもそも支配としての個人は、支配の技術と自己の技術の交叉点にしか出現しない。それは主体化の過程が服従化の手続きに折り重なり、多かれ少なかれ重なり合いながら、歴史の流れに動かされて、二重化した襞なのである。」
フーコーは1981年講義の未刊の第一バージョンで、統治性を「個人の振る舞いを導く方法と個人が振る舞う方法が結びつくような接触面」と定義しているという(p612)。
p593−594 「「私には、古代ギリシア・ローマ全体が『深い誤謬』であったという気がしています。」この言葉の奇妙さを理解するためには、ギリシア・ローマの倫理におけるひとつのアポリアの結び目を、あるいは少なくとも出口のない道の見取り図を見いださなければならない。ごく図式的に言えば、次のように言えるだろう。たしかに古代ギリシアでは、生存の様式としての倫理の探求がある。それは道徳的規範性としてではなく、社会的なエリートに許された身分的な優位の肯定としてである。だから当時の性的な厳格さは、教養のある階級や高い地位にある貴族が、スノピズムや気取りを公然と示すための「流行」だったのだ、というわけである。……しかしこのように一般化されることによって、倫理は次第に普遍的な規範として課せられるようになる。……たとえば、倫理がある社会階層に閉じこめられて、その外的で軽蔑的な飾りにすぎないものではなくなったとき、それは普遍的に適用され、すべての人に義務であるような道徳として現れてくる。これが「古代哲学の不幸」なのだ。……自己と他者たちの能動的な支配とうギリシアの倫理についても、フーコーはおよそ驚嘆などしていない。ギリシアの倫理は社会的な優越性の諸基準、他者の軽蔑、非相互性、非対称性などに基づいている。「こうしたことに私は素直に言って嫌悪感を感じます。」なぜやがてフーコー犬儒派の思想の研究に取り組んだのか、その理由を理解するための少なくともヒントをここに見つけることができるだろう。あたかも、一方で古代ギリシアのエリート主義的で軽蔑的な道徳から離れるとともに、他方では、ストア派の内在的な厳格さの倫理もまた、同じように強制的な世俗的・共和制的な道徳へと不可避に堕落してしまうことをも恐れていたかのようである。」

p596 「自己への配慮が意味するものは、じつはナルシス的な探求、つまり自己の失われた真理の誘惑と歓喜にみちた探求などではなく、注意をとぎすました自己の緊張であり、何よりも表象の統制力を失わず、苦痛や快楽に心を満たされないように警戒しているようなものなのである。……じつは、快楽を感じまいとするきわめて深い注意が、警戒の強い内省に伴っているのである。自己への配慮のすきを窺っている危険は、ナルシス的な享楽ではなく、むしろ病的な心気症である。」
p597 「フーコーの関心は連続性を打ち立てることにある。すなわち、主体が自己を統御するために、もはや支配という社会的な図式を自己関係に持ち込むのではなく、みずからの情動に対する疑い深い警戒を実行しなければならないような経験が、いったいどのように打ち立てられるのかを示すことなのである。」
p598 「自己への配慮は、その原理の中に、<他者>までをも含むことになるのだ。というのも、ひとが自分自身へと戻ることができるためには、誤った教育に教え込まれたことを脱−学習する必要があるからだ。」
p607 「同性愛を正常化(=規範化)すること、同性愛的主体の真のアイデンティティの認知のために闘うこと、平等の権利の要求に固執すること、こうしたことはいわば制度の大きな網に捕らえられてしまうことだとフーコーには思える。彼によれば、真の抵抗は別のところにある。それは、同性愛的な新たな修練、新たな倫理、新たな生の様態を発明することなのだ。自己の諸実践は個人的でも共同体的でもなく、関係的で横断的なのだから。」

理解度:★★★★☆
私の好み:★★★☆
おすすめ度:★★★★☆