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森田洋司/清水賢二「新訂版 いじめ」(1986=1994)

今回は前回の大久保のレビューで引用されていた、森田・清水の「いじめ」を取り上げる。読んだのは新訂版であったが、最初の部分のみが追加されているようであるため、本旨については、1986年の時点での議論であるとみなしてよいだろう。 まず最初に簡単に本…

大久保正廣「混迷の学校教育」(2010)

今回は、長らく現場教師も務めていた大久保の著書のレビューである。 本書は戦後日本で展開されてきた規律や指導の言説について分析を行う中で、特に「管理主義」言説を展開する、全国生活指導研究協議会(全生研)を中心にした教育運動に欠落する視点を指摘…

坂本秀夫「校則裁判」(1993)

今回は前回予告していた中で、坂本秀夫の教育権論について検討する。取り上げたのは本書と「生徒懲戒の研究(1982)」「文部省の研究(共著、1992)」「増補新版 PTAの研究(1994)」「戦後民主主義と教育の再生(2007)」である。○「学校」と「家庭」の教育分業論…

広田照幸「日本人のしつけは衰退したか」(1999)

ウェーバーについて読み進めてはいますが、なかなかうまくまとまりません…。気分転換の意味も込めて、今回は教育関係の本と取りあげてみたいと思います。広田のこの著書については新書で手に入れやすいものですので、今回はノートを控えたいと思います。○本…

矢野智司「贈与と交換の教育学」(2008)

「自己変容による物語」でも矢野の贈与論は批判を行っていましたが、本書はそれよりもひどい方向に洗練された贈与論を展開しています。ひどい贈与論のテクストとしては典型的なものとして有効かと思ったので、今回取りあげました。(考察) ○ジラールに対す…

牧野篤「認められたい欲望と過剰な自分語り」(2011)

<考察> 今回はフーコーを批判するジジェクを読む前にジジェクのラカン解釈を改めて確認する意味で、牧野文献を読みます。読書ノートの注(※)で一通り違いを指摘していますが、こちらでは、要点をまとめていきたいと思います。本書を取り上げたのは、ある…

私立明星学園母親グループ「無着先生との12年戦争」(1983)

久しぶりにここに文章を書きます。表での活動が一段落したので、リハビリがてら印象が強かった本を先に記録として残しておこうと思います。 まず、この著書を執筆した無名の「母親(たち)」には感謝したいと思う。おそらくマスコミだったり、ルポライターだ…

矢野智司「自己変容という物語」(2000)

なかなかフーコーが読解できずにいたので、どんどん後回しになってしまいそうです… ニーチェの議論も関連した矢野の著書を今回は読みます。(読書ノート) p61 「純粋な贈与としての「教える」という行為は、学ぶ者の側の主体的な参入を必要とする賭けなので…

麻生武「身ぶりからことばへ」(1992)

今回は発達心理学の本を取りあげたいと思います。本書は著者自身の子どもの誕生後から1年間の観察記録を分析したものになっており、特に他の動物と人間との違いに注目した内容になっています。ノートは少なめ。(読書ノート) p10 「つまり、対象を指差した…