ベンジャミン・C・デューク「ジャパニーズ・スクール」(1986)

今回は、日本人論を意識している「外国人研究者から見た日本の教育」に関する著書を取り上げる。

 

〇「頑張り主義」と「競争」は両立するのか?

 まずもって本書において気になるのは、日本の教育において共有されていた「精神論」に対してかなり肯定的にとらえられ、アメリカの教育に取り入れなければならないという見方をしている点である(p30)。このような見方はむしろ日本では否定的にとらえられることが多いので違和感に近い印象を受けた。これまで私が読んできた言説の中で精神論的であることこそ、能力発揮において非効率であるということが繰り返し言われてきたからであろうと思う。

 また、この「精神論」は学校だけに限らず、あらゆる場所において子どもに影響を与えており、その原点を家庭に見出している(p272,p278)。本書は全体的にこのような「日本的特徴」というのは、日本の教育全体にわたり当然のごとく機能しているものとして考えているようだが、これは実証的な意味で正しいかどうかは疑問がある。例えば、これに関連して、本書では日本の集団主義的立ち振る舞い(役割)を学習する場として「班」を捉えているといえる(cf.p168)。しかし、実際のところはここまで型にはまった役割獲得を行っているとは言い難い。このような実践の典型であった全生研においては、実践に関する著書も多く出版しているが、そのような文献にあたっても、ここまでまともに「役割取得」に貢献するものとして班を捉えているものを探すことは難しいだろう。デュークのこのような議論においては、日本人論としてありがちな「理念」を「実態がそれ同様に機能している」と混同するバイアスがかかっているように思えてならない。

 

 他方で、本書では日本が丸暗記主義であり、創造性・個性を育てない教育を行っていることを批判している(p79,p92-93)。私がここで問題にしたいのは、このことと「精神論」の議論との関連性である。学歴に対する信仰と、結果として学歴獲得のための競争の必要性、それに伴う競争へ寄与する学力への偏りというのは、基本的に循環的な関連性を持っており、単純に「頑張り主義」と「丸暗記主義」は分断できないのではないのか、という点である。

 この分断可能性に対する回答としてこれまでも日本の受験競争批判でも繰り返されたのが、丸暗記主義の試験の改善であった。競争的試験は何も〇×クイズだけで行えるものではない。創造力を評価するような試験問題を作成することは可能であり、そのような試験内容に改めていくべきである、という議論は改善をめぐる議論の主たるものだったといえよう。

 ただ、この議論自体は本来極めてテクニカルな論点を抱えており、私の考察の能力を超えた所で議論せねばならないものである。一つ確実に言えるのは、日本の試験制度批判とその改善をめぐる言説において、基本的にこの議論をテクニカルに論じたものは極めてすくないか、影響力を持った言説の中では議論されていないであろうという点である。例えば一般論として日本の大学入試試験(共通一次センター試験)とSATなどのアメリカの試験を比べれば、SATは「創造的」な学力を問うていることが自明視されている。しかし、実際にいかなる意味でそう評価できるのか、実証的な視点から考察した議論というのは、少なくとも一般には流通していないように思う。より具体的に教科学習をめぐる議論を行っている研究の場であれば、この点についてこの論点についてとらえているものもあるかもしれないが、この確認作業については今後の課題としたい。

 

 また、仮にこの関係性がやはり循環的であるのだとすると、本書のような相対主義的な態度の取り方が適切なのかという問題も出てくるだろう。単純な見方をしてしまえば、デューク的な見方をもって「改善要求」を行ったのがネオリベ的教育政策であるのに対し、これまでレビューした藤田英典苅谷剛彦といった教育社会学者は、むしろこれまでの日本の仕組みを崩すことこそ更なる問題を生みかねないと危惧する立場にあったのである。本書は日本の丸暗記主義を批判する一方、臨教審の教育改革を視野にいれつつ、p79のような批判も合わせて行っている点で教育社会学的な議論に近い態度も行っている。

しかし、デューク的な改善言説で問題となるのは、「基準点」が定まっていないことである。つまり欧米が「どこまで」日本に学び、日本が「どこまで」欧米に学べばいいのか具体性がないという点が問題になるのである。まずもって、このような二重批判は、土居健郎のレビューで批判の対象とした「ダブル・バインド」そのものであり、この曖昧な語りによって、具体的な改善言説そのものも批判されかねない。より正確に言えば、土居がそうであったように、改善要求そのものを放棄していることにしかならない、と言うべきであろう。このようなダブル・バインドの問題を回避するためにも、この改善要求の議論というのは先述の「何が創造的なのか」という議論と合わせて、具体的なレベルで考察しなければならない論点なのである。

 

〇大学教育への批判の強さについて

 本書は基本的に日本の教育を過度に評価している傾向もあるが、他方で大学教育については「学ぶべきものがない」としている点(p109)は注目すべきである。エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(訳書1979)においても、基本的に日本礼賛をしている内容であるものの(※1)、数少ない例外として大学教育批判を挙げることができるだろう。

 

「日本の教育にも問題がないわけではない。大学は卒業資格を与えるが、学生の教育に身に入れる教授の数はあまり多くなく、学生の勉強ぶりも、大学受験前に比べるとずっと落ちるし、授業中の問題の掘り下げ方も甘く、普段は出席率も悪い。学生一人当たりの大学側の支出は不当に低く、研究室の悪い大学も多く、研究水準にも、その広がりにもばらつきが目立つ。日本の学生の書く論文は独創的なひらめきを示すよりも、どちらかといえば、数えられたことに忠実なものが多い。高校への入試があまりにも熾烈なために、学生の自由な思考は妨げられ、課外活動は限られ、社会性は身につかず、受験に失敗した場合には、精神的に落ち込む者もいる。

 アメリカ人は、日本の教育のこうした悪い面を取り入れる必要はない。しかし、日本人の学ぶことへの意欲、九年間にわたる平均して質の高い義務教育、教育テレビの広範囲な利用といった点では、学ぶべきことが大いにあると思う。」(ヴォーゲル訳書1979、p193-194)

 

 

 ヴォーゲルの批判と本書の批判の共通点の一つは、p112にあるように「大学生が勉強していない」点にある。今後取り上げる予定の西尾幹二も日本の教育について大きく変えるべきは、「大学」であると考え、初等・中等教育段階については、むしろ大学の教育の影響を強く受けるため、副次的なものとして捉えていた。ここではひとまず日本の教育が評価されている著書においても、大学教育について取り上げられれば終始批判が繰り返されていたことを押さえておきたい。

 

 

〇「面の平等」に対する考え方について

 苅谷剛彦のレビューの中で、苅谷が提起した「面の平等」という日本的思想・制度的枠組というのは、それ自体教育改革の対象として重視されてもよいのではないのか、という問題提起を行った。本書ではこの「面の平等」の一側面である「学級」や「班」という考え方について検討の対象とされている。

P164-165に指摘されるような形で日本とアメリカの教育は対比されており、なおかつ日本の班・学級活動の形態が「個々の児童の個性と創造性を抑えこんでしまう可能性」について本書でも否定的ではない(p175)。本書の立場から言えば、個性・創造性に寄与する教育を日本はもっと行うべきであることが基本的態度であることも踏まえれば、このような学級・班のあり方自体にメスを入れるべきであるという議論も、教育改革の議論としてあってよいように思える。

しかし、一方で本書の態度としては、p325にあるように「このような集団主義的実践の習慣は伝統であるから変えたがらない」と「意識的」に否定するだろうという推測を行っているが、この点は支持し難い。

これもまた今後の考察課題となる点だが、管見の限りでは、90年代から00年代にかけての日本の教育改革の議論において、このことを主眼においていた論調は、ほとんどなかったように思われることこそその根拠である。苅谷が面の平等を「意図せざる効果」として形成され、そしてその形態が教育改革をもってなお維持し続けているとみているように、このような日本的特徴は「改善」の対象として意識化されていないことこそ問われるべき論点ではなかろうかと思う。

 

※1 本書に関連した論点でいえば、デュークの指摘していた「創造性」に関する議論も、ヴォーゲルの場合、「個人の創造力」という形で限定的に解釈し批判するにとどまり、集団的な創造性というものはむしろ優れていることを前提にした議論をしている点なども、その一例だろう(cf.ヴォーゲル訳書1979、p276)。

 

 

<読書ノート>

P8「日本の画一的な教育のなかでは、ある特定年齢層の児童の一人ひとりが、日本中で一斉に、ある同じ日にまったく同じ学課をほとんど同じやり方で学んでいる。それと気づけば、いささか空恐ろしい思いがする。その結果、日本の児童は、それぞれが属している小さな集団、もしくは、日本という大きな集団について、みんな一様に、自分たちに特有な、ときには排他的な考え方を身につけて育ってくるのである。もっと広い世界的視野に立つ利益となると、なるほど口先では説いているものの、その実、人類という集団に欠かせない基本的な〝われわれ〟意識については、事実上ないがしろにされている。」

P9「ところが日本の教育制度は、世界の知的生活に積極的に参加できる日本人を、ほとんど生み出してはいない。実情に通じている者ならまず異口同音に、過去四十年間、日本の外国語教育は少しも改善を見なかった分野だと認めることだろう。これは、日本の最大の教育的欠陥を象徴するものといってもよく、きわめて深刻な経済的政治的危険をはらんでいる。」

ライシャワーの序文。

 

P30「日本人は、自分たちが世界の序列において、どのような歴史的な位置づけにあるかを、きわめて現実的に値ぶみし、その結果、なによりも頑張りが必要だ、という考え方が日本の学校を風靡する風潮となった。世界に後れをとっているという立場を逆手に取り、日本の学校は、なんとしても世界に追いつかねば、という切迫感を生徒たちに植えつけてきた。

そういう鼓舞激励こそ、われわれアメリカ人がいま必要とするものなのである。わが国の生徒全体に、切迫感を行き渡らせる必要がある。余裕たっぷり先頭を切っているという自己満足に溺れるのではなく、激しく追跡するという意欲を起こさせなければならない。」

※正しい自己認識をしていた方が正しいかのような言い方。

P31「米国が日本の歴史に学ぶ教訓とは、自己満足に代えて、決意と頑張りを発揮することである。」

 

P48-49「アメリカの学校では、たとえば、生徒たちに毎日午後の下校前、教室や廊下の床を清掃させることは珍しい。アメリカの児童はふつう、ただ机の周りの紙屑を拾ったり、机と椅子を整頓するだけですむ。日本の学校では、長い一日の授業の終わりに、四つんばいになって床を拭き掃除するものが、昔からのしきたりである。それには、校内を清潔に保つという目的のほかに、教育的な狙いもある。同時にまた、用務員の人件費の節約にもつながっている。」

P52「この教師の率直な意見が物語るのは、米国各地のかなり典型的な地域社会で、土地の住民の大半とは言わぬまでも、多くの市民が、学校の学習水準にはそれほどの関心を持ってはいない、という事実である。なるほど、アメリカのどこの社会にも、この問題を強く懸念している人たちがいることはいる。しかし、たいていの者は、読み書きや計算の学力のことよりも、おそらく、規律の乱れとか、麻薬の常用とか、アルコール中毒といった問題のほうを心配している。」

P54「こういう状況は、ふつうなら、日本の大都市地域で生徒非行のもってこいの温床になるはずである。ところが、麻薬、アルコール、性的不品行などが招く生徒の規律の乱れは。アメリカ都市部の多くの学校に比べれば、依然として非常に少ない。校内暴力に関するかぎり、日本人は、明らかにアメリカ人とは別の部類に属する。その点では、さいわいなことに、アメリカ人とは大違いである。

 にもかかわらず、日本の国民は、中学校で起こる非行問題に強い懸念を抱いている。言いかえれば、アメリカの学校に比べるなら取るに足らない状況でありながら、日本の社会は、生徒の無軌道行為が手に負えないものとならぬうちに、力を合わせて未然に手を打とうと決意している。これもまた、学校に対する社会の期待度が高いためである。」

 

P55「アメリカでは、生徒の無軌道行為を大目に見る学校が、あまりにも多すぎる。もし日本でそういうことがあれば、地方行政当局はたちまち責任を取らされるだろうし、中央政府も、糾弾の失面に立たされよう。

 一例をあげると、『わが国学校の無秩序』と題したアメリカ政府報告書によれば、近年アメリカでは、毎月、二八万二〇〇〇人の生徒が学校構内で身体的危害を被っているという。また、月に一〇〇〇人の教師が校内で襲われ、治療を要するほどの傷を負った。身の危険を感じた教師の数は、一二万五〇〇〇人に及ぶ。

 これに対し、日本の警察庁の報告によると、日本の学校で起きた校内暴力事件は、年間二一二五件で、そのうち教師に対する暴行事件は、半数に満たない。日本の校内暴力は、高校入試の受験勉強の厳しさを反映して、事件の九五・七パーセントまで中学校で起きている。」

P56-58「全米の大都市で、多数の学校が深刻な問題に直面している。たとえば、八三年にボストン地区の地方教育委員会が多数の高校を対象に実施した調査によると、教師の半数と四〇パーセント近い生徒が、一年の間になんらかの犯罪の犠牲となっている。ひとつの驚くべき新事実は、一〇人のうち三人の生徒が、学校に凶器を持ち込むと答えたことである。また、一〇人に四人の生徒は、校内でたぼたび身の危険を感じると答え、トイレや特定の廊下には、できるだけ立ち入らないことにしている。

 ニューヨーク地区の高校では、新学期が始まってわずか四ヵ月の間に、生徒から一〇〇〇個の凶器を没収したが、そのなかにはピストル七六丁が含まれていた。フィラデルフィアでは、校長から届け出のあった深刻な校内事件が、年間二四四九件に及んだが、うち三四八件は凶器所持にからむ事件だった。

 首都ワシントン近郊のプリンスジョージ郡の場合も、凶器の隠匿所持と麻薬の受け渡しにかかわった生徒を退学処分に付すことにしたところ、八四年から八五年にかけての学年度に一九六人が退学させられたが、うち一四三人は、銃器を含む凶器を隠し持ったためだった。こういう事態は、日本の校長にはおよそ想像もつかないことである。

 校長を対象にした調査によると、生徒の常習的欠席も、アメリカの学校の大問題である。大都市の学校では、日常の欠席率一五パーセントというのが珍しいことではなく、フィラデルフィアの欠席者数は、日に三万七〇〇〇人に上る。その数はシカゴで七万一〇〇〇人、ロサンゼルスで一〇万人、ニューヨークにいたっては一五万人に達している。これに比べ、東京、大阪、名古屋といった日本の大都市の生徒欠席数は微々たるものだが、それでも次第に関心を集めている。

 何回となくアメリカの高校を訪問するたびに、筆者は、学校に常勤常駐する警官が廊下を〝パトロール〟する姿を見かけた。ある学校では、二階の廊下で起きた襲撃事件をめぐる懲戒について、警官が副校長に〝証言〟しているのを小耳にはさんだ。〝学校警官〟は誰もがピストルをこれ見よがしにぶらさげていた。

 デトロイト市は、学校暴力事件の対応策として、五人一組の警官、数チームを事件続発の高校に派遣し、携帯用金属探知機を用いて、生徒が隠し持つ凶器をチェックした。その結果、凶器所持の疑いある生徒六〇〇人のうち三五人を逮捕し、一二の凶器を押収した。皮肉にも予算的な理由から、市は学校警備の警官数を、なんと二二八人から七〇人に減員した。すると、翌年には一二〇人の生徒が撃たれ、生徒から銃器六〇丁を押収する羽目となった。学校の無軌道問題に関しては、日本人はまことに〝うぶで無邪気(※babe in the woods)〟なのである。」

 

P58「日米を比較するため警視庁の報告を引用すると、日本では、一年間に高校生一三八人、中学生六七人が薬物使用で補導された。アメリカの同種の統計はいま手元にないが、薬物使用のかどで一年間に逮捕される中高校生の数は、大都市ひとつの例を取っても、日本全体の数倍に上ると推定して差し支えない。たとえば、『USニュース・アンド・ワールドリポート』(八三年一一月七日号)の報道によると、「年齢十二歳から十七歳までの若者のうち、推定二〇パーセントは不法薬物を常用している」という。」

P66「日本人は、挑戦することに生きがいを感じ、競争することで富み栄えている。挑戦されれば、敢然と受けて立つ。些細な事柄にも、挑戦の対象を見つけることができる。挑戦を受ければ、意欲を奮い立たせる。そういう国民で成り立つ国、先祖伝来の遺産を誇りとし、祖先が成し遂げた成果に誇りを持つ国は、逆境を挑戦に転じることにかけて、巧みな才能を身につけている。「追いつく」という目標を持つことで挑戦の意欲を奮い立たせ、「挑戦する」ことで、国を挙げての絶えざる前進と向上を続けてきた。

 われわれアメリカ人は、手強い競争者を相手にしている。なにしろ、競争を生きがいとし、先頭走者に追いすがろうと挑戦することで成功している相手である。日本人は、「追う者は、追われる者まさる」という古い警句を金科玉条として、大いに利を得てきた。競争場裡に身を投じたうえは、一心不乱である。妥協や手加減は一切ない。乗るかそるか、いちかばちかなのである。戦後の挑戦は、何よりもまず、産業競争として今日にいたった。その競争は、日本の社会に再生の活力を吹きこんできた。」

 

P74「日本の学校が授業上のなんらかの改革をもくろむなら、どんな方向を目指すにせよ、まず教師ひとり当たりの担任生徒数を大幅に引き下げないかぎり、成果は期待できない。そういう特異な意味で、日本はまず、学校規模について、アメリカとの数字の差に学ぶ必要がある。」

P76「しかし、あとの章でくわしく指摘するように、日本の授業は、生徒の創造性、革新性、独創性のひらめきを探り当てようとする努力に欠けている例が、あまりにも多い。日本の教師には、お膳立てした授業の枠からはみ出しかねない生徒の創造的な受け答え、想像力豊かな思考、独創的な発想をあえて認め、それを刺戟し奨励しようとする者が、あまりにも少なすぎる。

 生徒の間に創造性を培いたいと真剣な関心を示す教師は、決して少なくない。にもかかわらず、不幸なことに、そういう努力をしたくても、時間も機会もあまりに乏しいのである。もっぱら受験準備を目当てに、ぎっしり詰まった日常の授業計画に追われ、多数の生徒ではちきれそうな教室のなかでは、生徒の創造性や個性を伸ばしてやろうにも、教師の限りあるエネルギーを注ぎこむわけにはいかない、という単純なことに尽きる。

 日本の教師は、教え込むことと教え育てる(※instruction,education)ことの違いについて、もっとはっきりと認識する必要がある。教え込むとは、知識を植えつけることを意味する。教え育てる、つまり教育とは、単に知識を植えつけるだけにとどまらない。よくいわれる自主的な思考の育成、人格の陶冶、個性の形成といったものは、いずれも、きわめてとらえどころのない概念には違いないが、教育の本当の意味と切っても切れない一体のものである。」

 

P78「その点で決して思い違いをしてはならないのは、教職というものは、求められるところのきわめて大きい専門職だということである。どこの国であれ、ごく限られた少数者だけが、よくその任に耐え得るのである。」

P79「日本としては、折角の系統立った授業法をみすみす非系統化してしまうような〝改革〟に、手をつけるべきではない。そういうことをすれば、ごく普通の教える力しか備えていない平均的な教師には、卒業生の一人ひとりに必要な基礎学力水準を維持することができなくなり、先端技術時代に実りある生活を送るのに欠かせない、基本的要請に応えることも不可能となる。

 しかし、と同時に、日本の授業があまりにも丸暗記とテストばかりを重視し、生徒個人の創造性と感受性と想像力を抑えつけてしまいかねない点については、ほどほどに改める必要がある。これは、どこの国にとっても、はっきりと焦点を絞りこめずにいる微妙な問題である。しかし、日本はいまだかつて、この問題に本腰を入れて取り組んだことがない。」

 

P87「アメリカの教師が、明々白々な事実として認めているのは、読みの最下位グループに属する児童は、まだクラスの平均水準についていけるほど成熟していないということ、したがって、そういう児童には無理強いをすべきではない、という考え方である。成熟度が遅れている者に対しては、それなりに気を配る必要がある。したがって、生徒の間にある自然な個人差を、そのまま認めるわけである。」

※「日本人は、現代心理学の原理に基づくこうした考え方を頭から無視している。」(p87)

P90-91「アメリカでは、まずどんな地域社会でも、各学校に生徒の学習上の個別の相談、個別指導を担当する複数のカウンセラーを配置するのが当然のこととされ、またそのために、かなりの経費をかけている。これらのカウンセラーは、クラスの授業は担任しないことが多く、正規の授業を受け持つにしても、その分担はごく限られている。

 だからと言って、日本でも専門の訓練を受けた常勤のカウンセラーをひとりかふたり、すべての中学校と高校に配置すべきだ、と求めるわけではない。そういうことよりも、日本人がアメリカの取り組みに学ぶべきこととは、生徒の個別指導の基調をなしている基本理念についてなのである。

 その基本原則のひとつは、民主主義社会においては、勉強のできない生徒といえども、学校で何か価値あることを学ぶ権利を持っている、という考え方である。したがって、学校が本来持つ力の一部をさき、勉強のできない生徒に特別の指導を施し、生徒が学校と社会のなかで自分の居場所を見つけ出せるようにしてやることは、学校として、当然負うべき責任なのである。しかし、日本でこれまで当たりまえのようになっている多人数学級がそのままでは、こういう学校の責任を果たすことはきわめて困難などころか、ほとんど不可能に近い。」

 

P92-93「もっとも、日本がそのような事態(※高い学力水準目標できなくなること)を招くことがあろうとは思いもよらぬことで、その点は、まことにうらやましいかぎりである。しかし、それと正反対のことは、すでに現実のものとなっている。つまりは、高い学力水準を重視するあまり、個々の生徒の特性と個性を育て上げるという関心が、おろそかになっているのである。

 この問題全体の核心は、日本の教育の隅ずみまで影響を及ぼしている試験の役割と、関係するところが大きい。教育というものを、受験準備を唯一の目的として考えるかぎり、学級担任の教師が勉強のできない生徒を相手に、必要な個人指導をすることなど不可能である。」

P98-99「日本の高校は一種の混合型で、圧倒的多数を占める一般生徒に対しても、ヨーロッパの専門課程高校と同じような、少数秀才向けのカリキュラムを課している。その点で、さまざまな生徒の多様な必要に対応しようとしているアメリカの高校と比べると、日本の高校の実情は、柔軟性と多様性に欠けるところが大きい。……

 しかし、それには必然的な代償が伴っている。この高校制度のなかで、成績のあまりよくない生徒に、大きな心理的負担を負わせてきたという代償がこれである。一律に強制する現在の学習水準を和らげ、勉強があまりできない生徒に対応する、もっと多様なカリキュラムを用意しないかぎり、たとえアメリカのような事態を招くことはないにしてみ、いま一部の問題校に見られるような、校内規律の乱れが確実に増加することだろう。アメリカとはまったく裏腹に、要するに日本人は、勉強のできない生徒に対し、あまりにも多くの要求を課しているのである。それでは、反動が起こるのも避けがたい。

 日本の高校は、何よりもまず、教科課程をもっと大幅に多様化する必要がある。とくに数学の場合、秀才向きのコースと、それほど頭が切れない生徒に適したコースとは、分けることが大切である。

 秀才に対しては、もっと〝創造的数学〟に重きを置くべきである。つまり、特異な状況なり条件に対して、数学を応用するという学習である。あるいは、構想豊かな思考を文章で表現できるような〝創造的文章力〟を学習させるべきである。

 しかし、もっと大切なことは、あまり勉強ができない生徒にも必修として課している、きわめて抽象的な数学問題を、大幅に削減することである。そういう問題よりも、日常生活上の必要性を基準にした、もっと簡単な問題を数学カリキュラムの基本にすべきである。成績が上がらない生徒には、その必要に見合う特別コースを設け、高校卒業に最低限これだけは必要というカリキュラムを組むべきである。この改革もまた、多年の懸念でありながら、いまだに手つかずでしかない。」

※結局内容削減の議論になる。

 

P101「いまや、勤勉な日本の教師と生徒を、週末に学校から解放する時が来ている。学校の週休二日制実施は、現在の詰め込み教育偏重の風潮に政府が真剣な関心を持っていることを示す、ひとつの証拠となるだろう。」

P103-104「日本の学校で、試験に備え学習データ懸命な丸暗記を必要としていることは、高校と大学の入試であれ、あるいが学校の期末テストであれ、日本の試験が何目的としているかを示すものである。日本の試験の第一義的な目的は、生徒が莫大な量の知識の暗記力を備えているか否かをテストすることにあるようだ。そのような状況の下では、受験準備に執着するあまり、練習問題と反復学習と模擬テストの偏重を招き、予備校がはびこるのは避けがたい結果である。……

 試験の改革は、アメリカの大学進学適性試験(SAT)に見るように、単なる丸暗記力を試すのではなく、批判的、分析的思考力のテストに狙いを絞り、出題内容を改めることで実現できるだろう。そのためには、試験問題の大半とは言わぬまでも、かなりの部分について出題方針を見直し、単に事実の成否を問うような設問を避ける必要がある。

 むしろ、試験問題の中心部分は、数学と科学も含めて、それぞれの教科ごとに文章形式の設問で構成し、受験生の理解力を問うようなものにすべきである。受験生の論理的な思考力、結論を引き出す能力、推理力、分析力を試す解釈的、分析的な設問は、教科別のテストで文章形式の出題を基本にすれば、作成可能であろう。」

※既存の試験問題についての分析はないが…

 

P109「率直に言って、アメリカ人には、日本の大学に学ぶところがほとんどない。その代わり、日本人には、アメリカの大学に学ぶべきものが多々ある。したがって、日本はアメリカから何を学び得るかというテーマを扱うこの章こそ、大学問題を取り上げるにふさわしい。」

P112「日本の大学は、大改革を必要とする切実な問題を抱えている。何よりも残念なのは、そこに集まった学生が、きわめて学習水準の高い高校で、すぐれた成績を収めた者のなかから選り抜かれた学生だということである。なるほど、その大多数は、とくに入学前の一年かそこら、高校なり、予備校なりで試験準備に追いまくられた〝受験生〟として、文字どおり心身をすり減らしてしまったに違いない。だが、大学の数年間をろくに勉強もせず、漫然と過ごすことは、潜在的自己啓発能力のおびただしい浪費と言わざるを得ない。

 大学が、現実にそういう浪費の場と化していることは、否定のしようがない。」

P115「日本の教室もまた、この新しい役割に対応すべきである。生徒に対し、日本人として、世界秩序のなかで日本が果たすべき新しい役割を認識する必要である、と教えなければならない。単に他国の後に従うのではなく、リーダーらしく、開発者らしく、革新者らしく行動する必要があることを、教えなければならない。それはつまり、教室の授業も、もっと広い視野に立つ必要があることを意味する。

 日本人は、世の中の出来ごとに対し、もっと国際的な視野から考えなければならない。あらゆる分野にわたって、新しい独創的な発想を生むのは、日本人であるべきなのだ。次代を担う世代に対し、リーダーとしての信念を植えつける必要がある。

 同時にまた、リーダーがとかく独善的な自己満足に陥りがちなことを考えれば、リーダーにとって、歴史を学ぶことがいかに大切であるかを知らせなければならない。西側諸国をリードする米国が陥ったような自己満足は、なんとしても避けなければならない。」

※これはいかにもアメリカらしい発想ともいえるか。

 

P152-153「このことは、われわれアメリカ人が日本人にそっくり見習って、工場はもとより、学校制度までつくり変えるべきだ、ということを意味しているわけでは決してない。そんなことをすれば、いたずらに方向を踏み違え、不毛な結果になるのがオチだろう。日本学校そのものが、日本の社会的文化的な類型、何世紀も昔から続いてきた習慣と伝統を反映したものだからである。」

※日本人論と一体化した学校制度。

P164-165「一年生のときから始まって、ずっと続く組意識は、明らかに、その仲間うちに「われわれと彼ら」という強い感情を育てることになる。彼ら、つまりよそ者とは、ほかでもない、そのグループの部外者を指す。日本の子供たちは、遊んでいるときも「グループ外」の者と仲間うちとを区別するために、よく「仲間はずれ」という独特の言い回しをする。……

 日本の小学校の教室、つまり、組という組織の閉鎖的な性格は、アメリカのさまざまな地域社会に見られる一連の教育概念とは、すこぶる対照的である。アメリカの教育といえばすぐ頭に浮かぶものに、オープンクラスルームとか、壁のない教室、無学年制のクラス、あるいはチームティーチングなどがある。

 こういうアメリカ教育界の新制度は、どれも日本の教育とはなじまない。これらの二つの、まったく対極的な考え方は、ともに、それぞれ長所と短所を抱える日本社会の閉鎖性と、アメリカ社会の開放性を反映している。それだけでなく、両国産業の国際競争にも重要な役割を演じている。」

 

P167「たとえば、アメリカの小学校のたいていの教師は、自分の受け持ちクラスの二〇人から三〇人の生徒を、それぞれの読みの能力に応じて、幾つかのグループに振り分ける。そのうえで、教師は授業中、各グループの間を巡回しながら、できるだけ個人的に指示を与えるように努め、生徒がつかえずに読めるようになるにつれ、ひとつのグループから他のグループへと、配属替えをするのがふつうである。

 ところが、日本の教師は、読み方の授業で、四〇人なら四〇人の生徒全員に、同じ教科書を使わせ、全クラス同時に、同じ課を教える。」

P168「アメリカの小学校教師も、クラスを小グループに分けることはよくある。だが、そのグループ編成が、日本の班組織のように長続きすることはまれでしかない。通常、アメリカの小グループ分けは、前述したように、生徒の能力別に応じた読み方グループであるとか、社会科の研究課題に取り組む短期的な共同研究グループといったものである。これに対し日本の班は、明確な構成を持ち、かなり長期間にわたって、生徒の広範な活動分野にかかわる。

 各藩の活動は、まず、班長の選挙から始まる。リーダーの選出には、班のメンバー全員が平等の資格で参加する。やはり選挙で選ばれる組の学級委員はもちろんのこと、この班長はなかなかユニークなポストを占めていて、日本式リーダーシップの微妙なところを身につけなければならない。そういうリーダーシップは、多かれ少なかれ教師から教わるものだが、家庭内で補強されることも、ままある。

 リーダーとして選ばれたとはいっても、あまり出しゃばらない形で仲間をリードするよう、あらゆる努力を重ねる必要があることを、その子は早い時期に学ぶ。謙遜の美徳が尊重されるのが、日本社会だからである。また、リーダーになるとじきに、グループのなかであまり目立ちすぎてはならないことを知る。日本のことわざに言うとおり、「出る杭は打たれる」からである。」

※少なくとも全生研的は班長像とはあまりにかけ離れている。

 

P175「仲間のグループの影響というのは、どんな社会にあっても、若者の間には共通に見られる著しい特徴である。だが、日本の学校では、それはかなりの程度まで、班とクラスの影響という形をとる。それは好ましい感化を与えることもあれば、逆に、よからぬ影響を及ぼすこともある。日本の学校のクラスについて、あまり芳しくないとする内外の批判もある。クラスが個々の児童の個性と創造性を抑えこんでしまう可能性があるというのである。創造性にしろ個性にしろ、容易に測りがたい、とりとめのないものではある。しかし、あらゆる面から観察してみると、この非難もあながち否定できない。……

 しかし、仲間グループが児童の教育に大きな影響を与えるのは、欧米社会も変わらない。このことは記憶されてしかるべきである。ただ、日本の場合、仲間グループの影響は、部分的には組という形で教室のなかに組みこまれている。そのため児童は、アメリカの場合よりも一層じかに教師の影響を受けるようになる。」

P184-185「部でその名を高めるのは、かならずしも、公式の目的として掲げる活動分野で立派な結果をあげるからではない。それよりもむしと、部員が自分の所属する部にどれだけ献身するか、つまりは忠誠心の度合いのほうが密接にかかわってくる。

 日本人にとっては、仕事であれ、学校であれ、遊びであれ、集団に対し全面的に身を委ねるのでなければ、成功などおぼつかない。すすんで自らの運命を託すことが、何よりも求められるのである。」

 

P210「国全体として見ると、「ごくやさしい日常的な読みと、理解のテスト結果から、事実上の文盲と見なせるアメリカ人の成年者は、約二三〇〇万人」という恐るべき数に達している。

 この文盲という定義は、今日の社会で自立して生きていくのに、どうしても必要な求職申し込み書とか、運転免許試験の問題、新聞の求人広告、あるいは、薬の服用指示といったものさえ読み取る力がないということで、これでは〝充実した生活〟など思いもよらない。

米国国会図書館の報告によれば、アメリカの文盲の数は、減るどころか増加しつつあり、中途退学者と移民を含めて、年に二三〇万人ずつ増えているという。」

※日本におけるこの統計はない。

P218「百点法で採点した試験成績は、よく壁に貼り出され、生徒全員が見て比較検討することになる。テストの点は、教師のテスト成績簿にも丹念に記載され、通知表の成績評価を決定するのに使う。そればかりでなく、教師と父母の個人面接の際に、親が確かめることもできる。数多いテストを採点して成績を決め、その一覧表を作成することは、個々の国語教師にとって、時間と労力を要するきわめて重い負担である。にもかかわらず、その必要性に異議を唱える教師は、ほとんど見当たらない。」

 

P224「大学入試にかくも振り回され、数学や英語とともに、読み書きの教科を重視する学校制度にあっては、なんらかのゆがみを生じるのは避けがたい。日本の学校制度もまた、生徒全員の読み書きと数学の学力を、前例のないほどの高水準に引き上げようとするたゆみない努力のなかで、そういうゆがみに直面する機会が、ますます多くなっている。

 この副次的現象は、学校暴力事件の増加傾向のなかに、はっきり現われている。それは、アメリカの学校が体験する暴力事件とは、まったく様相を異にするが、それでも、現在の学校制度をあきたらないと考える批判者から、格好の例証として非難を浴びている。」

※この事実は決して否定されない。アメリカと比較してしまうと、これは随分無責任の発言にしか見えない。

P226「八三年のカリフォルニア州教育局の報告書によれば、「一日当たり二四人の教師が、主に生徒から暴行されている」という。また、「一日平均二一五人の若者が、公立学校の校庭で乱暴されている」という。だが、地元の『ロサンゼルス・タイムズ』紙ですら、カリフォルニア州内の学校暴力を満足にカバーできないほどであった。」

P226-227「たとえば、米国大統領に宛てた『教室の無秩序――教育の敵』と題する政府の報告書は、「米国内の学校施設の破壊がもたらす被害年額は、教科書のために国が支出する経費を上回る」と述べている。

 日本人にとって幸いなことに、この国では、そのような高い記録は思いもよらないところである。にもかかわらず、読み書き水準の場合と同じように、日本人は賢明にも、自分たちの教育上の問題を他国と比較することで、いたずらに小成に安んじたりはしない。それよりも、自ら国内的な比較基準を設け、そのような内部基準に照らして、学校の規律問題が世間の耳目を引くようになったわけである。東京とか大阪のような大都市圏の学校においてさえ、これまでしういう校内暴力問題にあまり直面した経験がないことも、その一因となっている。

 日本の中学校で、学校規律にかかわる事件が増えている裏には、いまひとつの要因がある。過去においては、あまり学業に身を入れない児童というのは、たいていが低所得階層の育ちで、十四、五歳で学業を終え、職に就いていた。

 昔の中学校は大学進学を目指す生徒を、中学校をその準備過程と考える生徒を相手に、教育を施してきた。そういう生徒は、十八歳になるまで中学校で勉学を続けようという、確たる目的を持っており、それほど学習に身の入らぬ者は、中途で退学していった。日本の中学校は、その昔は、要するに潜在的で問題児を相手にする必要がなかったのである。」

※物は言い様とはこのこと。

 

P229「言いかえるなら、日本人が校内暴力の主因として問題視しているようなことは、アメリカ人から見れば、取り組む対象としてはうらやましいかぎりに思えるのである。米国がいま躍起になっている青少年をむしばむ麻薬の流行、アルコール中毒、ふしだらな行為などがもたらす生徒の規律の乱れは、構内秩序の崩壊という重大問題は、日本人とすれば、いまだまともに直面した経験のないものばかりである。にもかかわらず、日本人は、校内暴力が手に負えない問題とならぬうちに、なんとかそれを根絶しようと、国をあげて取り組んでいる。」

P253「日本に昔から伝わる算盤とは、計算の過程を珠の動きで視覚的に示しながら、数を足し引きする計算道具で、児童の暗算感覚を磨くのに役立つ。その証拠に、大人も子供もたいていの日本人は、たとえ手元に算盤や計算機がない場合でも、まるで実際に算盤を操っているかのような指使いをしながら、たくさんの数の足し引きを暗算してしまう。」

※これはどこまで正しい話か??

 

P272「戦後、営々と国家の再建に励んだ逆境のなかで、終始この国の社会を支えてきた、やる気精神の最たるものは、あの「頑張れ!」「粘り抜け!」「あきらめるな!」という叫びが端的に表わしていると言えよう。日本人は、生まれてから死ぬまで、生涯、この頑張れ精神に取り囲まれ、励まされ、そしてやる気を振るい起こしている。

 頑張れの呼び掛けは、まず家庭で始まる。ついで学校が引きつぎ、児童が入学したその日から、教室で頑張り精神の大切さを教えこむ。これは、卒業の日まで変わることなく一貫する。頑張れの声が社会のあらゆる側面を巻きこんでしまう。仕事にも勉強にも、はては遊びやレジャーにさえついて回る。頑張りは、まさに「日本人であること」と一体不離のものなのである。」

P277-278「工業化社会のご多分にもれず、日本の産業界でも、あらゆる部門で非効率性が深刻な問題になっている。なかでも、会社のオフィス部門の非効率ぶりが悪評を買っている。最新のオフィス機器の生産にかけては、世界で一、二を争う国だというのに、皮肉にもオフィスオートメーションのすすみ方は遅れている。しかし、日本の産業界に見られる非効率性は、ふつうどのレベルを取ってみても、仕事に対する自己満足とか、無気力とか、あるいは、のらくらな態度とかのせいではない。

 日本の社会に見られる非効率性は、行動を起こす前に並外れた時間を費して、グループの総意の一致を取りつけようとすることからくる場合がある。あるいは、個人の自発的な創意を生かせば、ずっと能率よく運びそうなときに、グループがそれを抑えつけてしまうせいのこともある。個人があまり強烈なかたちで個性を発揮するような場合には、グループとして強い拘束を加えてしまう。

 しかし、ここで見落としてはならない大切なことは、そういう場合ですら、日本の典型的な労働者は、自分の能率を少しでも高めようと、身を挺して頑張っているということである。会社は、こういう労働者の献身のおかげで繁栄する。」

※肯定的に捉えればこうなるだろうが、根拠は?そしてこれを日本の怠惰と捉える日本人による日本人論についてどう考えれば良いのか??

 

P278「いったい日本の労働者は、強烈な頑張り意識をどこで身につけるのだろうか? それは文字どおり、生まれ落ちたときからのことである。

 両親は子育ての間じゅう、早く歩き方を習わせよう、箸の使い方、自転車の乗り方を教えよう、児童読み物を自分で読めるように仮名文字を覚えさせようと、子供を励ましては、頑張れ、頑張れを、しょっちゅう口にする。子供のほうも、テレビやラジオで昼夜を問わず、頑張りを見聞きする。両親同士でも大人の間の会話でも、頑張りが話題になるのを耳にして育つ。小学校に上がるころには、もうすっかり頑張り精神になじんでいる。

 入学すると、児童は初めてクラスの仲間と触れ合い、組織のなかの競争的な活動に加わる。頑張りがますます大切となり、卒業のその日まで、学校生活のすべてに頑張りが物を言う。」

P288「現在の日本の学校に見る、こうした教え方を示す端的な例は、筆者の息子の二年生用社会科の教科書のなかにもある。この教科書は、例によって文部省が検定し、この地域の小学校で使われているものだ。一年間を通じて中心となっているのは、「いろいろな仕事」というテーマである。

 奇妙なことに、尨大な数の児童が都市で暮らしている中産階級社会でありながら、この教科書には、ホワイトカラーのオフィス勤めのサラリーマンを取り上げた章がひとつもない。そういう仕事よりも、各章が力を入れているのは、やり遂げるのにどうしても頑張りと粘りが基本となる、きつい手作業労働の話なのである。」

※筆者の居住は三鷹(p214)。アメリカではどうなのか??

 

P297-298「この近代的工業国、超経済大国の基盤をなしているのは、このきわめて古い社会の昔からの伝統的価値観なのである。そして、現代日本を基盤から支えている不可欠な要素のひとつに、昔から受け継いできた持続的な頑張り精神がある。近代日本にとって何よりもさいわいなことに、欧米工業諸国の影響がこの国に及ぶ遥か昔から、「日本人であること」の基本的な特性として、頑張り精神が存在していた。

 農村から都市へ、農業国から工業国への急速な、しかも首尾よい移行は、古くからの価値体系が持続したおかげであった。そして、この価値体系を端的に示すものが、「頑張れ!」のひと声である。」

☆P325「しかし、学校制度の核心をなす、教室内の教師と生徒の関係にまつわる問題については、ごくわずかな改革にとどまる可能性が強い。伝統的な教え方は、明日の日本の教室でも、依然として支配的な役割を演じ続けるものと予想できる。日本の学校は、読み書きの基本を十分身につけた、能力が高く忠誠心旺盛な、対応力のある労働者を育てるように、政府とこの国の社会全般から期待されている。この伝統を変えるような〝改革〟は、どんなものであろうと、受け入れがたいことが実証されることになろう。

 したがって、特定の産業で二十一世紀に必要とされる専門的訓練の機会を提供するのは、個々の会社の責任である。訓練計画に利用できるかぎりの最新技術を盛りこむのは、企業の仕事であって、学校の責任ではない。日本の労働者がコンピューターと近代技術に取り組むのは、学校に非ずして、会社のなかでのことなのだ。」

※この議論において、本書の態度は両義的であるように見えてしまう。

 

P341「大学進学志望のアメリカの生徒は、入試の前後と受験中とを問わず、日本の大方の受験生が体験する入試の重圧とはまるで無縁である。そして、まさにその点こそ、アメリカの教育制度をかくもユニークなものにたらしめるゆえんなのである。」

※2020年現在のアメリカの状況は、ここでの状況とずいぶん異なるようだが。

P344「アメリカ人は、おそらく僅差ではあろうが、世界の先端技術をリードし続けることだろう。アメリカの秀才学生たちは、日本と違って、受験勉強の丸暗記ばかりに明け暮れすることのない環境のなかで、のびのびと大学進学に備えている。

 それこそ、アメリカの優秀校のユニークさなのである。アメリカが技術革新の最先端に立つ理由も、おそらくそこにあるだろう。」

諏訪哲二「学校の終わり」(1993)

 今回も前回に引き続き、「進歩的文化人」と「近代/欧米化」の議論との関連性について検討したい。諏訪も苅谷同様、進歩的な勢力に対し「欧米的な近代化」の主体であるとみなす議論を行っている。諏訪は高校教師として教鞭をふるっていたこともあり、現場感覚的なものも多分に含んだ論を展開しており、その主張の正しさについての検討は慎重になる必要があるが、少なくとも「戦後民主主義」という枠組みにおける進歩的勢力の言説は「欧米的近代化」だったというのはやはり無理がある。今回は、

 

  1. 何故諏訪はこの「勘違い」を行ったのか
  2. この「勘違い」によって進歩的言説から何を見失うのか

 

の2点について考えてみたい。

 

○前提としての「権力」観について

 

 まず、諏訪の議論を読み解く上で無視できないのは、日教組的、進歩的な戦後民主主義教育について意識的に批判を行っている点である。そしてその切り口は、これまで私が検討してきた「恵那の教育」の実践について小木曽尚寿ら教育正常化側が批判したような「無責任な教師」に対する批判であるといえる。この無責任性を諏訪は「権威性に対して無自覚であること」とほぼ同じように捉えている節がある。P39-40にあるように、そのような権威性の有効性は学園闘争によって終焉したかのようにも見ている。

 この見方が大きく反映されているのが、本書における小浜逸郎への批判的態度である。小浜の用いる「権力論」というのは、諏訪にとっては極めて無責任であるように映る。P127-128にあるように、「進歩的・民主的」教育論者は、教育病理を体制側の問題として還元し、教師自身はあたかも「中立者」であるように振る舞う、もしくはそうあるべきであることを大前提にする。しかし、このような態度は、学園闘争で突き付けられたはずの「権力者としての教師」の問題について何も答えようとしないものであった。諏訪は自戒の意味も込め、別の著書で次のように述べる。

 

「私たちは学園闘争によって教師たちに突きつけられた「教師は権力者である」「教師は生徒を一方的に抑圧している」「教師は知識の伝達を通じて生徒を従順な労働者にしている」という問題を、まともに受けとめようと考えていた。この先、教師をやりつづけるつもりなら、一生かかってもこの問題を解いていかねばならないと思った。それは、私の認識としては権力存在でない教師などありうるはずがないように思われたからでもある。つまり、教師の客観性そのものが権力存在であるということだ。」(諏訪「反動的!」1990,p256)

 

 諏訪の権力論は私も詳しくレビューしたミシェル・フーコーの権力論を採用していることもあり、極めて当たり前のことを言っているように私には思える。学校教育とは、既存の価値観を教える場である以上、その教える行為の中に「権力」が働かないはずがなく、そのような「権力」が働かない状態を志向すること自体がナンセンスである。むしろそのような志向を回避すること自体が無責任な教育の担い手であることを正当化しているのではないか、と諏訪は考えている節があるが、全くその通りであると感じる。一方で小浜の態度は「中立的態度」を徹底しようとすること、そのような態度が可能であることを前提にした教育論を展開する訳であるが、個々の教師は「公=中立的」ではなく、ある意味で「私」的立場から、言い換えれば教師と生徒の個々の関係性を超えることができない所から教育を行うほかないと諏訪は基本的に考えていると読める。

 

○近代的な「個」の思想とは何か?

 

 このような基本的態度は、近代的な「個」に対する懐疑をもってすれば自ずと導かれる結論である。諏訪は私も以前レビューした芹沢俊介「現代<子ども>暴力論」(1989)をとりあげ、「近代=個の尊重」の系譜に位置付く芹沢を批判している。この批判の切り口は私が芹沢の議論を「戦後民主主義の亡霊のようなもの」と形容した部分を批判したものとほぼ同じであると言ってよい(cf.p153)。しかし、このような言葉に与える意味については私と諏訪では大きな相違もある。私が以前提起したのは「子ども自身による教育自治」の理想(神話)が歪んだ形で現れたのが芹沢のような教育論であるいう点であったが、それ以上の意味を含むものではなかった。しかし諏訪は、これを「近代思想」の産物であり、なおかつ「欧米思想」の産物であると拡大解釈をしているのである。このような発想による語弊はいくつか考えられる。一つはすでに西尾幹二や縫田清二のレビューでみたように日本的な欧米思想の取り入れはそれと同じではなく、「理念」と「実態」の距離感がうまくとれていないまま導入されているために問題含みであるという見方がされるような場合もあるという点である。もう一つは竹内洋の「進歩的文化人」の議論で読み解いてきたように、芹沢の系譜にある戦後民主主義の思想というのが必ずしも欧米的ではなく、むしろその否定として展開されていったという点である。例えば、諏訪はp233のように「権力的ではない政府は存在しうる」というような言い方をもって戦後民主主義批判を行う。しかし、注意せねばならないのは、実際に「権力的ではない政府は存在しうる」という主張を行った進歩的文化人は皆無に近いのではないのか、という点である。諏訪はここで結論の先回りをし、二項図式をもって戦後民主主義を捉えようとしているのだが、このような態度をとること自体が「止揚」を前提としていた戦後民主主義の思想を捉え損ねることになるのである。

 

 これが如何に問題であるかを、諏訪がより近代思想としての「個」の批判を行っている著書「反動的!」(1990)の中から検討してみよう。まず、諏訪は現状が「個」をいかに守るようになったかについて、その事実と、いかに子どもが「社会化」されなくなったかを説明する。

 

「どこの学校でも、最近は生徒たちが学校の「やりかた」になかなか馴染まない。自分が納得しないことには従わなくていいという大衆社会状況的な価値観が定着しつつあるから、なかなか馴染もうと思わないのである。もっとも、これも進歩的ジャーナリズムの言葉に翻訳すると、教師が生徒を偏差値でおどしたり、管理、管理でしめあげているから、生徒たちが正義の反乱を起こしているのだ、ということになる。だが、いずれにしても、生徒たちが学校に順応しないようになったのは事実なのである。とくに高校では、ここ数年の生徒たちの変貌が著しい。教師と生徒の初発の関係すら成り立ちにくくなっている。」(諏訪「反動的!」1990,p30-31)

「彼らはまず、自己の「外」と「自己」との区別ができない。彼らの「自己」が、「外」からの規制と闘ってきた「自己」ではないからである。親はもちろん教師たちも、最近は生徒のエゴを「外」から叩かなくなった。だから彼らの「自己」は、つねにエゴの衝動としてしか存在していない。あるいは、「外」をエゴの外延上の世界としてしか捉えていないといおうか。

だから、彼らのルール違反にはまったく緊張感がない。何をやるにしろ、「自己」の決断というものは己の「外」の世界(人間関係や社会的規制など)とのかかわりにおいてなされるべきであるのに、最初から自己の「外」なる世界の認識を欠いているからである。

もともと、人間の自意識というのは、自分の「外」部の世界、そこにいる他の人間との差異性を意識するなかで形成されるものである。だが、戦後の社会風潮は、「子どもを枠に入れてはいけない」「その子の本来持っている個性をつぶさないように自由に育てるべきだ」という子育てを推賞してきた。そのために、日本文化の持つ伝統的な子育ての方法は時代遅れのものと考えられ、子どもは小さいころから「いい子、いい子」と可愛がられて育てられるようになった。もちろん、可愛がられて育つのは結構なことである。しかし、もの心がついて社会生活が広がるようになっても親が「外」的な規制を加えなくなった結果、子どもたちの多くが自分の「外」部と自分との距離をつかめなくなっていったのである。」(同上、p32-33)

 

 このような子どもばかりになってしまったのは何故なのか。この点諏訪は一方で割と当たり前の議論を行っており、家庭や地域といったものも含め、学校の教育力が低下したことの総体の結果として捉えているといえるだろう(※1)。

 

「つまり彼らは、赤ん坊のときから「個性」を尊重されてきたのであり、自分のいやなことは強いられなかったのであり、自分の利益を主張することは絶対に正しいと教え込まれ、エゴを肥大化させてきたのである。彼らとコミュニケートするためには、教師のことばが彼らの利益と交差しなければならなくなってしまったのである。」(同上、P144-145)

「自分の内面を絶対視して、「外」の価値観に正面から闘いを挑むようなことは、私たちが子どもの頃にはなかったことである。もちろん私たちも、自分の内面で「外」なる大人たちの論理と必死で闘ってはいたのだが、それをそのまま表に出そうとはしなかったように思う。私たちは、家庭でも地域でも学校でも、まず自分の「内面の正当性」を否定されながら育ったのである。

こういう環境は、もちろん「個性」を大事にするものではない。しかし、そういう苦しい環境のなかからしか、本物の「個性」は育たないのではないだろうか。

子どもであった頃の私たちは、何をしてもどこへ行っても大人の価値観に取り囲まれていたし、いつもそれに従わなければならなかった。私たちは自分一個の「個」を超える規範性を「外」から叩き込まれたのであり、そういうなかで自分の「内面の正当性」をどう生き延びさせるのかを必死に考えていたのである。これは、子どもの育ち方としては、ごくまっとうなものではなかったろうか。

叩かれることによって「個」は育つ。甘やかされて育つのではない。放っておかれ、何でも好き勝手なことをすることによって、「個性」が伸びるのではない。そういう「個」はエゴが肥大化しただけのものであり、叩かれるとすぐに崩れ落ちてしまうのである。」(同上、P146-147)

 

 もっと言ってしまえば、ありきたりな「構造」の問題として捉えている傾向もある(※1)。

「管理が厳しくなったのは、学校が変わったからでない。経済構造が変わり、地域社会が崩壊し、家庭の教育力が喪失し、子どもたちが野放図になり、自分を規制しなくなったからである。これらの社会的な変動の影響をモロに受けた子どもたちが学校に来るようになったからこそ、学校は生活上の規制を強化せざるをえなくなったのである。このようにして管理は肥大化し、管理主義にまで到達してしまった学校があちこちに生まれたのである。」(同上、P52-53)

 

 しかし他方で、諏訪の議論はことさら学校の問題を強調している傾向も認められる。

 

「戦後の教育のなかでも、日本を破滅に追い込んだ軍国主義教育への反省から、「個」を「集団」のなかに埋没させてはならないという考えが強く主張され続けてきた。教師たちの多くは、いまでも班という概念そのものが嫌いであり、生徒を集団として動かさなければならないときでも、「個」の群としての集団はつくるのだが、その内部に有機的なつながりがあるような集団は決してつくろうとしない。そして、集団をつくろうとしないことが進歩的なことであり、民主的なことであると考えている。

これほどさように、戦後教育というのは「集団」が嫌いである。ましてや班などというと、すぐに江戸時代の五人組制度の再来だといって怖気をふるうのだ。実際にはクラスとは集団にほかならず、何らかの班のようなものをつくらなければ、どのような民主的な教師でもクラスを運営することができないから、結局はつくらざるをえないのだが、不思議なことに彼らは、自分が班をつくったという意識を持ちたくないようなのである。」(p138-139)

「いうまでもなく、誰にとっても集団をつくり、集団のなかで共同の仕事をし、また集団をつくりかえていくちからは必要である。そして事実、学校のなかにもさまざまなレベルの生徒の集団がある。全校、学年、クラス、班、生徒会、委員会、部活動、クラブ活動など、「公」的な集団だけでもこれだけの種類があるし、生徒たちが「私」的につくりあげる集団を考えたら数えきれないほどである。ところが、日本の民主的な教師たちのおおくは、「集団」というものは必ず「個」を抑圧すると思っているから、まじめに「集団」のことを考えようとしないのである。

個性を尊重しなければならない教育の場では、人間を「集団」としてまとめて扱ってはいけないという考え方が、戦後民主主義神話のなかでまったくの正論となっている。」(同上、p222)

 

 もちろん、このような学校、教師の責任の強調というのは、諏訪の議論の大前提である、「責任ある教師」の実態から踏まえれば当然であり、この部分は差し引いて考えるべき点でもある。しかし、そうであるとしても、上記の引用については、「進歩的文化人」にカテゴライズされる教育学者の議論とは真逆のことを言っているようにしか見えない。これは「集団主義教育」の一つの典型であった旭丘中学事件について、教育学者が軒並み賞讃した点からも明らかである。旭丘中学での実践は明らかに「集団のちから」を重視したものであり、むしろ「個」の方が軽視されていたはずである。

 このように諏訪が議論を誤った背景要因としてはいくつかの可能性が考えられる。

  1. 戦後民主主義言説の中心であった教育学者といった「指導者層」と諏訪がみてきた「現場の教員」の考え方が乖離していたこと
  2. 諏訪がみてきた「高校」のフィールド自体が進歩的文化人の教育の議論の中心であった「小学校・中学校」からずれていること
  3. 80年代以降の「進歩的文化人」の系譜の議論が旭丘中学の時代とは異なる性質を持ち、「個」の思想に傾いたこと

 

 1については、例えば日教組の集会についての新聞報道でも、この手の執行部と現場教員の意見の喰い違いといったものはよく行われていたように思える(※3)。日教組の70年代の「時短方針」がなかなか具体的に効果を得られなかった原因の一つも、実際に教育に教師が関わることが減少すると代りとなる「教育の担い手」が実際には現れないため、現実問題としてやはり教師が包括的に教育に関わる必要性を感じた者が多かったこととも関係ないとはいえないように思う。確かに日教組自体の動きを執行部の思想のみで語るべきではないと思うが、しかし、「戦後民主主義」という括りで諏訪が語っていることからはやはりずれた論点である。

 

 2については、特に教師と生徒の「教育関係」に関して、過去のレビューで取り上げた矢野智司が「教育関係に入る」ことを自明視していたような状況というのは、小学校程度であればまだ百歩譲ってありとするにせよ、高校ではやはり成り立たないだろうというような見方はむしろ自然だろう。特に高校というのは、生徒と教師の個と個の対立を否応なく行わなければならないような状況があり、その意味で諏訪がこのことを強調することもわからなくもない。もっともこれも諏訪が「過去はまともな教育が行われていた」ことを前提としてしまっているために論点としてはずれている。

 

 最後に3についてである。これも過去のレビューでは遠山啓のような事例の存在が気がかりである。やはり70年代にはそれまでの進歩的な教育論というのが変化せざるを得ない事情があり、80年代にはその性質が変化してしまった可能性というのは否定できない。そもそも「止揚」のようなマルクス主義的発想がこの時期には明らかな衰退をみせたことを考えると、転換を行われた可能性は否定できない。しかし、これについてももう少し詳しく検証を行う必要がある論点であると思う。

 

 3のような可能性は結局、諏訪の議論が80年代頃からの教育の議論だけしか捉えておらず、それ以前の進歩的な教育学者の議論そのものを捉えていなかったということであるが、この可能性というのは極めて高いように思う。例えば、次のような「集団」の教育の必要性というのは、全生研が唱えていた集団主義教育の議論と何も相違がないのである。

 

「繰り返すが、生徒たちは相互につながりあう必然性を何も持たずに学校に入ってくる。学校やクラスは彼らが自分の意思でつくったものではない。だから、彼らがそこで生活していくうえで生活規範は教師が生活規範は教師が提示しなければならない。これが管理の必要性なのだ。生徒たちが納得しようがしまいが、望もうが望むまいが、この生活規範は押しつけられねばならない。

ただし、もう少し実践的に語れば、管理は絶対に必要だが、それにとどまるかぎり教育的ではないのである。管理は指導に転化していかねばならない。……管理だけで終わってしまえば、生徒たちは「従う者」「従わない者」「どっちでもいい者」に三分割されるだけで、たいして教育的な意味はないのである。そのとき大切なのは、学校側が一方的につくった生徒集団を生徒たちの自立的な集団につくりかえるように指導していくことなのである。」(同上、p225-226

「いずれにしても、どんなささいなことでも生徒自身の手で決定し、それを実行するというパターンが大事なのである。それを繰り返しているうちに、教師がつくった集団性ではなく、生徒たちがつくっている集団性がほのみえてくる。そういうなかで統制の問題が出てくるから、昨今問題になっているいじめの可能性も出てくるであろう。しかし、これはまた別のレベルで取り上げるべきことである。」(同上、p229)

 

 このような主張は全生研の著書をまともに読んでいればむしろできないはずのものである。全生研の集団主義教育は矛盾を抱えた形で「管理」を正当化していた。その「管理」というのは当たり前のように諏訪がいうような生徒による自治に転化するための「管理」でなければならなかったはずである。このような主張を躊躇なく行えるのは、全生研の議論の系譜に全く触れていなかったからである。そして、この全生研の「集団のちから」の議論というのは、旭丘中学の実践の中にも同一のものとして見出すことができたはずのものであり、やはり「進歩的」な教育の系譜に位置付いているものなのである。

 確かに近代的な「個」の思想というのは理念だけ見ると、欧米的な発想であるというのは間違いではない(※2)。しかし、理念だけでなく、実態、ないしは実際に展開されていた言説までみないとその性質を捉えることはできないのであり、この部分において諏訪は「進歩的」言説を捉え損ねたのである。そして、上記の「集団」教育の議論に見られるように、「進歩的」言説の系譜と全く同じ主張まで展開する結果となってしまうことにもなるのである。「進歩的」言説における「止揚」の発想は否定の産物であり、何かしらの肯定を行っているものではない。しかし諏訪はこの「止揚」の発想を理解しているようで理解しておらず、結果として本書p233のような肯定の言説と捉えてしまう。本書でp135やp173で見られた絶対的な「個」の前提にも同じことが言える。確かにこのような主張は正しいかもしれないが、実際の小浜や芹沢の議論というのはこのような主張にまで至っているのか疑問であり、むしろ徹底的な「否定」に留まっているだけなのではないかと思えなくもない。この見方の違いは極めて近いようで、全く異なる意味合いになる場合がある。それが諏訪のような場合であり、二項図式的に捉えてしまった結果、「止揚」の発想において主張されていた内容の半分しか理解できず、残りの半分の部分を諏訪自らが自覚しないまま「進歩的」な立場の者と同じ主張をしてしまう可能性があるのである。「進歩的」な教育学者の議論を捉え損ねる弊害というのはまさにここにあり、このような批判に留まっていては「進歩的」な立場の者に対する十分な批判にもならないだろうと思う(何故なら進歩的な立場の者が支持する議論しかしていないことになるのであるから)。

 

 

※1 諏訪自身が地域や家庭に教育力がなくなったと主張する(p86)のは、見方によっては彼の現場教師としての実感としてそう語っている可能性も否定できないが、やはり諏訪自身も「構造」を語る人間であるという意味ではそれほど実態を踏まえた議論ではなかった可能性もある。特に高校については進学率が急激に上昇し、「高校に入らなければならなくなった」層の増大、言ってしまえば「学校化」の影響も多大に受けており、単純な教育力の低下によって「言うことをきかなくなった高校生」が増えたのかどうかは議論すべき論点であるように思える。

 

※2 次のように指摘されるどこまでも具体的な位相を失った、抽象的なるものとしての「個」の議論は紛れもなく欧米的な思想のものである。しかし、実態は常にこのような抽象性から離れ、具体的な層に戻ろうとするのであり、その具体的な層さえも否定するところに「止揚」の発想があるのである。

 

「じゃんけんは一個と一個をまったく対等に扱うものであるから、「個」に組み込まれているさまざまな人間的要素を捨象するものである。つまり、人間という具体存在を抽象化してひとつの「個」にしてしまう。そこでは、ひとは完全にほかの人間と対面できる。だからじゃんけんをする際に成立するひととひとの関係は、完全に近代的なものである。」(諏訪「反動的!」1990,p119)

「じゃんけんの本質は行為者のさまざまな属性が捨象されることであり、それは近代市民社会の人間関係そのものである。現在の生徒たちのエゴ中心主義を私は村田のように肯定的には捉えていないし、ひとは他者を媒介にして自分を認識し、自分をつくっていくものだと考えている。そのためには、個性と個性とがぶつかりあう場をつくる必要があるのだ。

村田(※栄一)は、生徒は現在のあるがままの「個」の姿において、すでに価値あるものだと考えている。それはおそらく、村田が戦後民主主義者の習性として、個は個としての価値があり、個が個であることを超えて何らかの普遍性や正義を持ってしまったら、抑圧や戦争につながる危険性があると思い込んでいるからなのであろう。」(同上、p124-125)

 

(2020年8月30日追記)

※3 執行部と現場教師という軸では必ずしもないが、ベンジャミン・デューク「日本の戦闘的教師たち」(1973=1976)では、日教組の組織としての多層性を描いている。デュークによればこれは70年代の産物というよりも、ほぼ日教組設立当初からの固有の問題だったという見方をしているといえるだろう。

 

<読書ノート>

 

P39-40「六七年末から七〇年にかけて全国の大学と一部の高校に学園闘争の嵐が吹き荒れて、学校や教師の権威性はかなりの程度失墜した。もちろん、表面的には学校の秩序や教師の権威性、そして学校での生徒たちの生活がドラスティックに変わったわけではない。だが、根底のところで学校は大きく変質していった。

七〇年前後のさまざまな闘争の根拠は、戦後的な理念の輝かしさとは裏腹に、そうした理念の背後に現実に存在するたくさんの差別性、欺瞞性を告発することにあった。こうした告発はまさに戦後的な建前を教えるところであった学校を直撃したから、学校の権威が失墜しないわけにはいかなかった。

学校は裸にされはじめたのである。聖なるものとしての学校が、大衆の目に見える範囲に入ってきたのだ。そして、学校を支えてきた地域の共同性そのものが、とりわけ大都市周辺で最終的な解体過程に入っていく。テレビの全面的な生活への浸透が消費単位としての個人の自立をうながし、一種の擬似的な主体性を亢進させていく。地域の輝かしい文化センターであった学校の聖性は後退し、テレビの箱に取って代わられつつあった。」

※ある意味では正しいかもしれないが、それでもなお「欺瞞」を維持せんと学校という勢力は力を発揮し続けた、ともいえるのでは。

 

P42-43「このように私は、人間の全体性を否定して受験一点に収斂していくような高校教育は絶対に否定されなければならないと思っていた。そうした私の信念の基準になっていたのが、憲法教育基本法の理念を体現した理想的な人間の育成ということであった。このような思い込みはいまから考えれば一種の錯誤にほかならないが、とにかく受験中心の教育が「教育の荒廃」ということばに象徴される教育そのものの非人間化の元凶であり、何よりも受験体制は資本主義社会に適合した自分勝手な人間ばかり育てていると、私の目には映じていた。

ところが、七〇年代に入ってからの教育批判は、受験教育ばかりで人間教育をしていないという従来の理念的な批判から徐々に転じて、学校は管理ばかりしていて生徒の自由を尊重していない、偏差値で輪切りにして生徒の個性を大切にしていない、何よりもうちの子が大事にされていないというような、実体的な学校批判に変質していった。つまり、受験教育批判という理念的な「教育批判」がストレートで実体的な「学校批判」へと変わっていったのである。国を憂うる「教育の荒廃」論が、個人を圧殺する学校の管理体制への批判に転轍されていった、と言い換えてもいい。

では、こうした教育批判の変質はなぜ起こったのか。

六〇年代末の学園闘争では、大学へ行くことによって社会的上昇を図ることがエゴイズムだと批判され、大学の研究そのものが体制を支えていると攻撃され、大学の研究そのものが体制を支えていると攻撃され、そういう自分一個の利益を求める生き方が体制を維持し、そのことによってヴェトナム戦争にも加担しているのだとリゴリステックニ追及された。日々の豊かさや快楽を求める戦後社会の営みそのものが、東南アジア人民の収奪や抑圧につながっているのだとして、「自己否定」ということも主張された。

そして、これらの闘争の敗北のあとに残ったのは、さらなる物質生活の向上と社会的な連帯感の欠如、つまりシラケ現象と呼ばれた政治的社会的アパシーであった。個人の情念は家庭や身近な友人、あるいが自己の内面に向かうしかなくなり、「教育の荒廃」の内容規定も大きく変わって、個々人のその場での要求・欲望を絶対視する立場からの学校批判が中心になっていったのである。」

P44「戦後理念の良質かつ硬質の部分が皮剝ぎされてしまい、個人の私的利害一辺倒の時代に入っていく。戦後社会がもっていた共通の精神性が喪失し、社会批判の方向性を模索していたジャーナリズムは校内暴力に自らの政治的情念を反映させ、それを一種の政治的反乱のように位置づけて学校・教師に批判を浴びせた。さらに、当時日本に移入されつつあったポスト・モダンの言説を援用するかたちで、「管理社会」化による個人の自由の抑圧、学校での生徒管理の自己目的化、そのような非人間的な管理主義に対する反抗という認識パターンが固定化する。それ以来、学校での生徒管理は「管理教育」と命名され、個々人の自由や人権との関連でずっと批判にさらされてきた。

だが私たちは、管理はそれが外形的な規制にとどまるかぎり生徒たちの内面を傷つけることはあまりなく、校内暴力の引き金となることはあっても、本質的な原因ではないと考えてきた。私たち現場から見れば、中学生たちの校内暴力とは、大量消費社会化、大衆社会化が進む中で、生徒たち全員が能力や適性のあるなしにかかわらず横一列に並んで偏差値競争をせざるを得なくなった情況への、彼らの絶叫であった。」

※この認識、特にジャーナリズムや思想の影響については適切なのか、かなり疑問もある。社会学側からの議論としてはありえるが、例えばかつて管理教育は全生研が賞賛していたものであり、その推移は検討すべき。

 

P62「もともと学校という場は文部省の考えているとおりには動いていないし、文部省がこうしようと思ってもなかなか変わるところではない。……世の人たちは、教師が文部省や教育委員会にとことん管理されていて、無理矢理従わせられているかのようなイメージをもっているらしいが、現実はそんなものではない。

ついでにいうと、学校の内部も多くの場合、お上の意向がストレートに通るようにはできあがっていない。この点についてもイデオロギー的に偏向している人たちが、学校は教師も生徒も満足に息もできないほど管理された場であるという宣伝を繰り返しているので、間違ったイメージがもたれている。」

P64「では、こうしたコース制の設置が意味するものは何だろうか。

それは、ここにきて、圧倒的多数の高校教師が伝統的にもっていた普通科重視という旧制中学的な発想が急速に消失しつつあるということを示している。誤解を受けないようにあわてているのだが、昨今の高校の多様化は、企業側の要請を受けたうえでの政府・文部省による「労働力配分計画」とストレートにつながるものではない。誰もが大学受験をすることを想定した普通科が、生徒たちの実情に合わなくなってしまったのである。」

p86「家庭・地域の教育力が落ちた分、負担は当然、学校にかかってきた。基本的な生活習慣が身についていない子どもたちが陸続と学校にやってくるようになり、学校が知識の伝授以上に生活の指導にかかりっきりになった。下の方の高校にいたときの実感として、生活指導に比べれば、授業などちょろいものである。」

※前段と後段の説明が脈絡がないように思えるが。

 

P102-103「もともと日本的な集団主義は個性を尊重しないとよくいわれていてきた。私は果たしてそうか、という気がしてならない。なぜなら日本的な集団主義のもっている平等観は、ヒエラルキーを欠いたのっぺりとした平等ではないという気がするからだ。できる者はやり、できない者もそれなりにやって、それぞれがそれぞれのところを得ているというのが日本的な調和であろう。しかし、いま流行っている平等主義は、「みんな同じでなければならない」という傾きにおいて個別的な存在性を否定している。つまり、日本的なものではない。そして法的なレベルでの平等意識の現実への適用は、具体存在としての人間を窒息させようとしているのである。」

P105-106「だから、学校ではありとあらゆる会議がひっきりなしに開かれる。基本的なところで全体を確認しておいて、細部については係に任せるという発想がない。逆にいえば、提案者が「みなさんの意見は聞きましたよ」というフェイントをかけ、「私は別にえらい人間ではありません。ただみなさんの意見を聞いて仕事をさせてもらうだけでございます」という恭順の態度を示しさえすれば、たいていの家は通ってしまうのである。そこでは、その案が教育的かどうかなど一切関係がない。

また、これも高校の場合はかなり一般的なのだが、校務分掌の特定の仕事を三年以上やることは禁止されている。特定の仕事を特定のひとがやりつづけるのは何らかの弊害を生むというのが建前的な理由だろうが、本当の理由は違うようだ。それは、誰もが平等であり、みんな同じ態度に仕事ができるとする「共同妄想」にもとづいているのである。」

P107「こうした平等への志向が個人の「権利」の絶対的な擁護に行きつくことによって、学校社会における生徒と生徒の関係性や、教師同士のつながりの質が変容し、腐敗しつつある。

自己を守り、他者を引きずり下ろすことだけに専心するような人間によって構成された集団に未来などあるはずがない。「誰もがみな平等であるはずだ」という感覚が際限のないいじめを生み、教師集団から緊張感をなくして、学校という場を限りなく堕落させていっている。だが、このような人間的危機のありようのついては、誰からも警告が発せられていないのである。」

 

P113「戦後の学校言説の世界に大きな風穴を開けた嚆矢はやはり、一九八五年の小浜の『学校の現象学のために』であろう。私たち埼玉教育塾が八三年発行の『学校をしっかりつかむ』で、現場の教師という限界性を引きずりながら恐る恐る提起したレベルを、小浜は『学校の現象学のために』でいとも軽やかに突破してしまった。「あくまで教育を『のぞきこむ』のであって、教育の中に『はいってゆく』のではない」という小浜の知的スタンスと持続した思考を展開する冷徹な知性が切り開いた教育言説の新しい地平がそこにあった。

私(たち)は、目の前にいる生徒たちへある種の「原罪」の意識と、相手も同じひとであるという「畏れ」の気持をもっていない教師は共に語るに足らずと思っている。だからこそ、学校現象をドライにクールに眺めることができない。」

P113-114「たしかに、小浜のいう「『人を教え導く』というこの世界の根本義の拘束力からどうしてものがれられない」のかもしれない。ただ私には「『人を教え導く』というこの世界の根本義の拘束力」からみずから逃れることができていると信じ、あたかも事実をありのままに把握できていると思い込むこと自体がまた陥弊のように思われてならない。この点は小浜と私との基本姿勢の基本的な差異なのであるが、「『人を教え導く』というこの世界の根本義の拘束力」から離脱した世界もまた、別の謬見ないしは偏見に色濃く塗り込められた世界なのではないだろうか。」

 

P124-125「私は正直いって、小浜の称揚する現場教師の言説を読んでも「実践の構え」すら読みとれなかった。もちろん佐藤通雄の『学校はどうなるのか』で私の『反動的!』から何ヵ所か引用し、賛意を表してくれているのであるが、それらはすべて現状分析的な部分であり、教師と生徒の本質的な関係性などにはあまり興味がないらしく思われた。

いずれにしても、小浜にとって「観る者」の言説の価値は疑いようがないようである。それはお互いの傾向性の相違だからいいとしても、「どんな幻想にも支配されずに」などという美辞麗句で称揚されているのを見ると、果たしてそうかと思わざるを得ない。世の中にあまねく存在する固定観念や既成の常識の偏向性を超えゆく道は、それとが別個の幻想性や偏向性を身につけることだと私は思うからである。事実、小浜もみずからの幻想と偏向とで言説をかたちづくっている。「教師たるものかくあるべし」というタブーを超え出る道は、「教師たるものかくあるべしと思わざるべし」という当為を仮構することを通じて発見されるだろうと私は思う。

無念無想や空や無の境地に達し得る悟りをひらいた達人たちにとってならともかく、私たち凡人に「どんな幻想にも支配されずに」現実を眺め、ことば化することなどできるはずはない。そこでは「どんな幻想にも支配されずに」私は現実を眺めているのだという「幻想」が新たに獲得されているだけなのであり、現実の切り取り方、現実のことば化にはあくまでも当人の思想の党派性が貫かれるのである。」

現象学的な議論をするとまま出てくる論点であり、致命的に重要でもある。

P127-128「私がひっかかったのはもちろん、小浜が「個々の先生というのは、権力者じゃない」と述べたからである。学校において個々の教師が生徒に対して権力者でなければ、いったい誰が権力者なのだろうか。権力が校舎内の宙に浮いていたり、校門かなんかに内蔵されているのであろうか。

おそらく、小浜は悪いのは制度構造(システム)なのであり、教師はその中で動かされているだけなのであるから、個々の教師は悪くないし、ましてや、現在では実態として権力者などと呼べたものではないといいたかったのであろう。

だが、ここで「制度構造」を「教育政策」におきかえてみると、この構図は「進歩的・民主的」教育論者のそれとまったく同じなのである。いまでも「進歩的・民主的」教育論者は教育の諸悪の根源を体制側の教育政策に一元的に帰因させている。そして、教育や学校や教師は本来いいものであり、おかしくなっているのは政府・自民党・文部省のせいであるといいつのってきた。だが、現場の感覚からいわせてもらえば、教育政策も個々の教師がそれを体現しないかぎり現実的なちからとはならない。この事実を問題としないかぎり、制度や政策をいじってもどうにもならないという実感が私たちにはある。教育政策を現実化しているのは個々の教師であり、そしてもっとやっかいなことに、教育政策のすべてが間違っているわけでもない。」

※この前提は正しいという他ない。小浜はこれを暴力的なものに限定してしまっていることを諏訪は小浜を批判するが(p130-131)、これはむしろ「管理責任」のようなものと一体となって権力感を捉えているからこその言明である。

P128「図式的にいってしまえば、教育の問題点をモダニスト(「進歩的・民主的」教育論者)は「政策」のせいにし、ポスト・モダニストは「社会システム」に帰因させていて、構図としては同じだと思わざるを得なかった。」

 

P135「私たちのまわりには共同体の規制やヨーロッパ中世のキリスト教の抑圧に対抗して仮構された「近代的自我」なるものへの信仰が根強い。仮構されたものが実体として捉えられているといったらいいか。とりわけ、マスコミの論調や教師たちの考えの中で、近代的自我の確立を絶対的な目標とする発想は絶対的である。そして、小浜の論を写していて改めて確認したことだが、小浜の頭の中にも同じような感覚ないしは発想があるように思える。後述するが、小浜は「自我の確立」というイメージを「鮮明な言葉」と位置づけているからである。

一方、私は個の意識というものをつねに集団による規制、共同体的な意識の統合作用との相関関係において捉えている。絶対的な個の意識など実体としてあり得ようはずがない。個の意識は家族、地域社会、学校、企業、国家というような共同性による統合作用と対抗的に形成されるものだと考えている。生徒の変容の最大の要因は地域の共同性が解体し、地域(親)からのサポートによって成り立っていた伝統的な教師の権威が崩れたことにある。ということは、教師の権威性によって自己表出を阻まれていた個体の意識(自我)が突出しはじめたということでもあるのだ。」

※教師に対する近代感はなぜ個人主義化するのか?「教育現場では一般的に「自我の確立」なるものは人間形成上最終的な目標として考えられている。」とする(p136)。

P148「「子どもは本来すばらしい力をもっている。それをおとなたちがあれこれといじるからネジ曲がるのだ」とする捉え方は、戦後民主主義教育神話の再現でしかない。芹沢は、「子どもは自分の意志で生まれてくることを選んだわけではない」と書く。私だったら「子どもは」ではなく「ひとは」と書くところである。つまり、芹沢にとって子どもは疑うべくもない「価値ある実体」なのである。おそらくこれは、大事に育てられたであろう氏の幼少自体の懐かしい思い出のせいなのであろうけれど。」

P153「ひとが一人前になっていく過程は、「外部」から人為的にちからを加えることによって成り立つはずである。このちからの加えは、やり方の良い悪いの差はあろうけれど、類としての人間にとっては本質的なものだといってよかろう。ひとが社会的動物である以上、生まれてきた子どもの「内部」のみにすべての可能性が含まれているなどということはあり得ない。」

P153「イノセンスという仮説をたてることによって芹沢が提示した「子ども存在」問題性なるものは、新たな装いをもった「子ども神話」「戦後民主主義教育神話」の復活である。芹沢の子ども論は、子ども論は、子どもたちの「欲望の充足」ということを最大の課題にしているからである。」

 

P159「私が芹沢を戦後民主主義的だと断定するゆえんは、氏の頭の中に「親と子」「おとなと子ども」をパラドックスとして捉える視点がないからである。ルソーは人間に対する歴史的に形成された幻想を相対化するために、「自然人」を仮構したといわれる。すなわち、ルソーの「発見した」子どもとは実体的なものではなく、方法的な概念なのである。

それに対して芹沢の「子ども」はどうかというと、最初は方法的な概念として使用しているような気もするのだが、最終的には、「この錯覚にもとづいて、おとなは子どもに社会の約束を教えようとする。それは同時に、子どもが自らを選びなおすという課題を遂行する機会を奪い、封じ込める」と述べ、おとなの世代の行為を具体的に糾弾することによって、「子ども」存在を実体として固定してしまったのである。

「おとなは教え込み、子どもは選びとる」――これは厳然たるパラドックスである。このパラドックス戦後民主主義とその裏返しであるポスト・モダニストの亜流は現在まで一貫して理解せずに来ている。いわく、管理するから自主性が育たない、自由にすれば個性が伸長する、と。」

P162「こうした芹沢の「子ども論」の根底にはつねにポスト・モダン的な「社会システム」批判の意図が潜んでいることは明らかなのだが、私に解されないのは、それでいて芹沢の言説が「近代」の論理を決して超えていないことである。いや、かえって「近代」の論理にだらしなくよりかかっているといえようか。」

※これは厳密に芹沢が「社会システム」原因論にコミットしているわけではないからだろう。

 

P173「芹沢には、個体に対して何らの強制的なちからの働かない生活空間が、どこかに実体的にあるべきという想定が根底にあるのであろう。あるいは、いまは人間が自由に生きることのできない「時代」であるという先入観念に規制されているのであろうか。芹沢の子どもに対する叙述を読むと、いまの子どもたちはまるで呼吸もできないほどの不自由で非人間的な空間に押し込められているかのような印象さえ受ける。」

※これは言い換えれば「解決が現実的に不可能である」ことが「可能である」かのように語っているということ。

P174「政治批判、社会システム批判の行きつくところは、「個人の自由の尊重」や「人権」の完全な徹底にほかならない。ポスト・モダンを装う戦後民主主義者たちはいかなる意味でも権力や権威や特権を認めることができない。つねにいかなる局面においても、ひととひととは対等であり、平等であることを主張する。共同社会が歴史的に形成してきたさまざまなひととひととの「関係性」は、そこでは一顧だにされないのである。」

※この発想は諏訪のオリジナル??ただ、これが特に積極的な意味での「個性の尊重」に直結するわけではやはりないのでは。

P174-175「これ(※教師が権力を背負っていること)は歴史の強いてきたことであり、教師たちが選択してきた立場性ではない。教育は一定の「文化の型」を子どもたちに強いるものであり、子どもたちの望まない「知」でさえ押しつけることを本質としている。このことが容認できなければ、学校や教育そのものを否定すべきなのである。」

フーコーも参照しながら権力観について示す。

P176「教師と生徒との戦争は、広い意味での「文化」の領域で展開される。だが、それは「文化」の領域で抽象的に行われる戦争ではない。生身の人間である教師が、多数の生身の子どもたちに「文化の型」を押しつけることを基本としている。そこに何らかの障壁を設けなければ、壮絶なエゴとエゴとの闘争になってしまう。

つまり、教師と生徒とは本質的に「戦争状態」にあるから、「殺し合い」のデスマッチにならないように、教師の側に一方的に権力性が確保されているのである。もちろん、このようなことは「法」的にはまったく表現されていない。したがって、法律上の正当性を教師がもっているわけではない。「法」とは別に、学校そのものの伝統的なシステムが、教師に優位性を与えているのである。

このことは近代合理主義者にはまったく理解できないらしく、芹沢も「教師と生徒が共に守れるような規則のみを校則とすべきである」と主張している。だが、世の中というものが「法」だけで解析できると考える方がおかしいのである。「文化」というものは事実上「法」を超えているのであり、「法」はすべてをカバーしているふりをしているだけなのだ。」

※もっとも、このような状態が「法」整備の欠如であり、適切な教育権力関係を構築するための「法」への志向も、「伝統的なシステム」が否定される中では必要なのではないのか。

 

P202「小沢(※有作)の頭の中にはおそらく疎外論かなんかがデンと鎮座していて、その俗流化された一般認識である「おとなは汚いが、子どもは純粋である」がそこから流れ出てきているのであろう。こういう感覚はあんがいと教育関係者に根強く、抑圧しないで自然に育てれば子どもはみずから育つものだという俗信をつくりだしている。そしてこの俗信は、戦前の軍国主義教育で子どもを不自然に育てたという反省と結びついて真実味を帯びている。」

P203「だが小沢にとっては、「子ども」はそれ自体ですでに価値がある完成品のようである。たしかに学校へ入れば「子ども性」は日々潰されざるを得ない。学校はありのままの子ども性を許容するわけにはいかない。そして学校が子どもを生徒にしていかねばならないのは、学校や教師の支配欲から出ているのではなく、子どもを生徒にしなくては市民にすることができないからである。」

P210-211「子どもたちがいじめを止めないのはそれが面白いからであり、いじめがどういうことなのか理解していないからであり、自分とは関係ないからである。

だいたい、いじめが「不正、不当」であると分からせるためには、ことばのレベルでも行動のレベルでも、かなり生徒たちに教え込まなければ無理である。教え込んでも無理な点は残るだろう。だが、そういうことを教え込むためには、まず子どもたちに抑え込まなければならないのである。

W氏に反論すれば、私は逆に「抑え込まれたことのない子ども」に「不当、不正と戦う」などという意識が育つはずがないと思うのである。抑え込まれることによって子どもは、自分の主観ではどうにもならない他者の眼差しを認識し、自分の自由の範囲を限定していく。つまり、自分の主観と世界のまわりの他社の世界とを分離・識別していく。それができていない子どもに、「不当」とか「不正」といった客観的な価値の世界が分かるはずがないのである。」

※W氏は、押さえ込みなしで「不当、不正と戦う」ことができることを前提にしているという(p210)。

 

P216「教育関係が成り立つためには、生徒が自分を「学ぶ者」と限定してくれなければならない。教師に対して、ひととひととして張り合われたのでは、教育は不可能である。だからこそ、生徒の自我の衝動をある程度抑えるための規範性が学校には必要なのだ。髪の長さの制限は、学校においては教育関係を成立させるために「本質的に無意味なこと」ではないのである。」

※校則問題に対する見解。

P223「「一人ひとりの実情に即応した指導」などといかにも教育的で格好よさそうなことをいっているが、教師にとってはまず、一人ひとりの生徒の実情を読み取ることが至難の業である。教師は並の能力をもった普通の人間であることが多く、伝説的な聖徳太子のような芸当などできるわけがない。教師はそれぞれの人間性と観察力の幅の大小によって、自分の認識レベルに合わせて生徒を切り取れるだけなのである。」

※もしくはそれ相応の教育訓練がセットであるべき、というべきか。しかし、そのような議論は存在したか?

P228「「教育の自由」などという理念は、教師の個々人の内面の自由にすりかえられ、要するに、自分の考えることは正しいというわがままな居直りに転化してしまっている。おそらく、「学習指導要領」のような公的な規準・規制がなくなれば、客観性をまったく失った百鬼夜行的な状況になるだろう。

思想的・精神的な立脚点がなくなるということは、判断の規準は個々の教師のそれぞれの内部にあるだけだということだから、コンセンサスというものがきわめて成り立ちにくい。それでもまだ管理職の権威あるところは、管理職の考え方や方向性が座標軸になり得るから、それをめぐっての論戦が成立しよう。だが、ディベートするうえでのそうした基準や土台のないところでは、ただ学校そのものの自然史体系にいぎたなくよりかかって、私的な感情を吐き散らすだけである。」

P233「戦後民主主義は「権力的でない政府は存在しうる」という理念をもたらした。しかしこれは完全に形容矛盾なのだ。なぜそうなのかを説明すれば次のようになる。そもそも「権力的でない」ということはどういうことであろうか。簡単に言えば、これは人々にたいして強制力を振るわないということである。しかし、何らかの強制力なしには、社会に安定した秩序が生じることなどありえない。「話し合い」による説得が成功するためには、まず「話し合い」による説得が成功するためには、まず「話し合い」が成立しなければならない。したがって、そもそも話し合いに応じようとしない者にたいしては、いくら話し合おうとしても無駄なのである。最終的には、秩序は強制によって守るしかないのである。」

※これもある意味飛躍でしかない。正確には「止揚の発想がおかしい」ということである。

P234-235「これまで述べてきたあれもこれも、教育の原基や人間の本質などが不分明である中で、すべてがそれぞれの善意と思いつきで「教育」を語ってきたことから生じている問題ではある。ヨーロッパ近代の夢としての個人の確立や個性の重視のみが、それらをとりまく社会的・歴史的状況を無視して絶対視されているかぎりは、教育の原基や教育の論理は決して明確になっていかないに違いない。」

 

「進歩的文化人」とは何なのか―竹内洋「革新幻想の戦後史」再訪

 前回のレビューで苅谷の指摘した「進歩的知識人」というのは一体どのようなものを想定しているのか、竹内洋が「革新幻想の戦後史」などで述べていた「進歩的文化人」とは違うのではないのか、と指摘した。今回はこの「進歩的文化人」を「革新幻想の戦後史」の再読などを通して、その性質を考察したい。

 結論としてはやはり苅谷のこの進歩的知識人なる表現は、竹内のいう進歩的文化人とは異なる意味合い、かつ歴史的には誤った意味合いで語られていると考えるべきだと思われる。竹内洋のいう「進歩的文化人」は福田恆存の議論にもかなり影響を受けているようなのでそちらも参照すべきかと思うが、まだそちらは十分に検討できていない。ただ、私が竹内の議論を読み取った内容からは、これまでの「進歩的文化人」という議論は次のような3つの関連した要素を含んだものであったように思える。

 

(1)脱政治的であること

 

 まず押さえるべきことして、進歩的文化人という言葉自体が、タテマエとしては特定の政党(思想)に与せずにいる立場にいる者であることを意味していた点がある。

 

「「知識人」という用語も「文化人」と同じく、「知識階級」という言葉の左翼臭を脱臭した中立語として使用されるようになったのだろうと考えられる。「知識人」のほうは、「文化人」とちがって、インテリゲンチャの訳語である知識階級に近いから、文化人と知識階級の間をとった用語である。左翼臭がもっとも強いのが「知識階級」、もっとも弱いのが「文化人」、中間が「知識人」だったことになる。」(竹内洋「革新幻想の戦後史」2011,p263-264)

「丸山は反体制気分に傾きやすい青年や知識人に、共産党共産主義に代わるもう一つの「進歩」と社会変革の可能性を鮮やかに示した。丸山晩年の言葉を借りれば、「本当の社会主義」を含んだ民主主義である。多くの読者は、共産主義を信奉したり、共産党員にならなくとも、政治的に進歩的であり、良心的たりうる保証を、西欧的な学識と教養にあふれた東大教授と岩波書店から受け取ることができた。あるいは、共産主義共産党以上に、真に進歩的であり、良心的であるという自信と誇りを手にすることも可能だった。」(同上、p319、水谷三公丸山真男――ある時代の肖像」からの引用)

 

 一方で、福田恆存の定義には、これがあくまでタテマエに過ぎず、「日本が共産主義体制になる事を好まない人でも、結果としてはさうなる事に、少なくともさうなる可能性を助長する様な事に手を貸してゐる」人であるという位置づけがなされていた(竹内2011,p492)。これは、私が以前「『親方日の丸』の研究」の記事で、(竹内も含め、一般的に「進歩的文化人」と認められている)矢川徳光を取りあげた際に、自らの主張する「総合技術教育」と共産主義教育が実質的に同じものであることを認めていることにも同じ事情を認めることができる(cf.技術教育研究会「総合技術教育と現代日本の民主教育」1974,p120)。

 これと同様に、谷沢永一などは、進歩的文化人的言説のルーツを大塚久雄に求め、彼の言説が「本音」を述べようとしないことについて、次のように指摘している。

 

大塚久雄における言論活動を瞭然と特徴づける第一の志向はこうです。

 つまり、どんなことがあってもけっして本音を吐かないほのめかしを主とする朧ろ語法の活用です。自分の心底おくふかくにしまいこんである正味の考えを、あからさまな定言命題のはっきりした用語をもって表現する直面の言立てを慎重に避けます。社会主義者であり共産主義者である内実は、仲間同士の頷きあいと目配せによる交流の場合にのみ、気は許して多少は露呈しますが、そういう正直な無礼講の機会はあまり多くなかったようです。

 一般世間に顔出しするときには紳士的な居住いを正し、社会主義者であり共産主義者である厳ついご面相を露呈しないために、近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣裳をこれ見よがしにまといます。日本を社会主義化しようなんて無作法な直接話法をもって突出したりせず、社会構造の発展段階について考えてみよう、という風な思い入れの姿勢をとります。」(谷沢永一「悪魔の思想」1996、p292)

 

 このこと自体も、日教組などの組織の状況などを考えると部分的に当てはまるかのような印象も感じられる、という意味では苅谷の想定していることも、この側面からは間違っていないように思える。他方で、このようなタテマエにホンネがあるかについて、全ての進歩的文化人と呼ばれた者達に対して妥当するかどうかは微妙である。例えば、松下圭一を仮に「進歩的文化人」であると認めるのであれば、彼は明らかにこのようなタテマエとホンネの論理を持ち合わせてはいない。彼の場合はむしろ「否定的な価値=封建的(権威的)な日本の否定」ありきになり、それ以外の肯定的価値観について無頓着でいるという表現の方が正しいように思える。だからこそいともたやすく新自由主義的価値観との共犯関係を持つことになったのである。

 

(2)価値のある「進歩的なるもの」を提示すること

 

「実際、一九四九年に書かれた「岩波新書の再出発に際して」には、「封建的文化のくびきを投げすてるとともに、日本の進歩的文化遺産を蘇らせて国民的誇りを取りもどすこと」とある。左派知識人やシンパによって「進歩的文化」は目指すべき文化だった。」(竹内2011、p266)

 

 先述のように、進歩的文化人が批判を行っていたのは封建的なものであった訳であり、その意味で一見「新しい」ものを提示しそれを目指すための立場に立つのが進歩的文化人であった。しかし、ここでいう「進歩的」であることは、少なくとも苅谷が述べたような「西欧的な価値観」と同義であったかと問えば、ほぼ間違いであると言う他ない。

 俗流の日本人論に立てば、松下がそうであったように、「封建的な日本」について批判をし、近代的価値観としての自治(主体性)を求めることが革新的であったかのように思える。しかし、進歩的文化人と呼ばれている論者が参照していたのは、ソ連や中国であった場合も多く、「共産主義社会主義」が近代的であったのかという疑問が出てくる。少なくともこれまで私のレビューで繰り返してきた日本人論的な「近代=欧米的価値観」とは異なるものを志向していたものであったといえるだろう。

 最近読んだもので言えば、例えば教育史の分野で知られる中野光のこの語り口は、進歩的文化人が取った「近代」への懐疑について、適切に言い当てているのではないかと思える。

 

「歴史における「近代」は果たして人間を幸福にしたのだろうか。公教育制度というものが成立し、すべての子どもが学校教育をうけるという事実がつくり出されたのはたしかに「近代」においてであった。それは封建社会における身分的差別や抑圧から人間を解放し、新しい資本主義的社会に生きるにふさわしい能力をつける「自由」を与えた。そして、万人が科学的知識や技術を身につけたとき、人間の社会はかぎりなく進歩・発展していくことができるにちがいない、との希望さえいだかせた。……人間の無限の発達可能性にも信頼をよせたのだった。しかし、現実はどうだったのか。

十九世紀の後半、近代化の波がせきをきって押しよせた日本は、形のうえでは近代的公教育制度をつくりあげていったが、そこでの教育は、コメニウスやコンドルセが期待したものとは全くちがったものであった。公教育はひとりひとりの人間の発達可能性を追求したのではなく、天皇を主権者とする軍事強国の「臣民」形成に奉仕させられた。そのような政策に抗し、臣民形成の基本路線に修正を加えようとする運動や実践が展開されはしたものの、結果的にはファッシズム的権力によって弾圧され、侵略戦争はすべての国民を動員していったのであった。だから、「近代」への懐疑は、まずそれが人類を破滅に導きかねない戦争を否定する思想、価値観、そして行動を発展させないかぎり、ぬぐい去るわけにはいかない。」(中野光編「講座日本の学力1 教育の現代史」1979、p428)

「戦後の日本国憲法教育基本法は教育を通して実現する価値を「平和」に求めたかぎり「近代」概念を改めてかがやかしいものにした、といってよかった。戦後教育改革は、しばしば教育における「封建的なもの」の払拭=近代化ととらえられたことは戦後史を自覚的に生きてきた人々の知るところである。しかし、そのような立場に立つだけでは歴史的真実の全体は見えなかった。だいいち「近代」は多くのヨーロッパ諸国民やアメリカ人にとっては歴史の夜明けだったかもしれないが、植民地住民および本国の労農階級にとってはぎゃくに新しい闇の時代到来だったのだ。戦後の日本人の多くは「近代」の表面のかがやかしさに眼をうばわれて、いわばその裏側をみることができなかった。たとえば、朝鮮認識のたちおくれなどはその具体的な証拠である。アメリカ軍政下にある沖縄への関心が深まったのもやっと戦後数十年たった一九六〇年代であったことなどは、近代化=進歩ととらえる人間がいかにめしいたものであるかを物語る、といえよう。」(同上、p429)

「いったい「近代」教育はいつ、どのようにして、荒廃ないし危機をうみ出してしまったのだろうか。今日、私たちは、そのような根源的な問いを発しなければなるまい。だから、私たちは明治以降の教育のあしどりを決して「近代化」の一直線としてたどるわけにはいかなかったのだ。本巻をあえて「教育の現代史」としたのも教育史における「近代」をいま改めて疑い、そこにおける継承・発展すべき遺産を見定めると同時に、否定・克服の対象とすべき課題をあきらかにしたかったからである。だから、ここで「近代」と区別された「現代」という概念には、「近代」がうみ出した矛盾を止揚し、新しい歴史の時代を創り出さねばならない主体的な願いがこめられていたわけだった。教育における「現代」を日本の子どもと青年にとって真に生きがいのあるものにしていくためには、そのような立場からの研究を、現実的課題とかかわらせながら推しすすめていかねばならない。」(同上、p430)

 

 まず、この引用で確認できるのは、西欧的な意味での「近代」観というのが批判の対象となっていること、またその「近代」観というのが、戦前、明治以降の日本の歴史からみた場合の「近代」化について言っていることである。またここで厄介なのは、「進歩的」であること自体もまた批判の対象にされているということである。この場合、中野が「進歩的文化人」の立場からこの批判を行っているのかと問えば、NOと答えるほかないだろう。

 他方で中野は「現代」という名をもって「近代」を超克しようとする試みの重要性についても言及する(※1)。この態度について、欧米的ではない別の「近代」を目指す試みであると評するのは容易であろう。そもそもこのような「現代」への止揚が不可能であれば、「近代」が存在し続けるだけであり、ある「近代」が別の「近代」にとって代わるだけの話だからである。合わせて、このような漠然とした「現代」への言及というのは単に具体的な志向がないという評価ができるようにも思える。竹内は進歩的文化人が自身の批判に対して自覚的になれないことを指摘していたが(竹内2011,p317-318)、これも本質的にはここで「近代の超克」の態度をとっていることに起因していると言うべきだろう。「進歩的」という意味合いは、進歩的文化人が超克を目指すにあたり批判を行うことで、その意味をくみかえてしまうのだが、その事実を認めない、もしくは「何も志向していない」が故に、「何らかの志向をしている」という批判が無視されるということが原因なのではないのか、と思われるのである。

 

 更に、この「進歩的なるもの」を考える上で無視できないのは、「進歩的」であることそのもののイメージであった点である。

 

「「革新」はイデオロギー以前に進歩的だとかハイカラだとかスマートであるというイメージの魅力により支持されることが多かった。いまでは考えにくいことだが、一九六〇年代前半までの革新支持の空気はそのようなものだった。この大衆モダニズムと革新支持の親和関係は、若い世代や高学歴インテリにとくに見られたもので、年長世代や自営業などの伝統的職業従事者には、モダニズムと逆の伝統主義が根強かったことについても前節でふれてきた。根強い伝統主義を背景にして、大衆モダニズムは新鮮な対抗思想たりえたとも言える。」(竹内2011, P493)

 

 このような「大衆モダニズム」について、安易に日本人論的な「近代」と同一視されるべきではないし、これを同一視してしまうこと自体が、「進歩的文化人」の性質そのものの見落としになりかねない。例えば谷沢永一も終始進歩的文化人をほぼ「反日的日本人」という言葉と同義で議論している(cf.谷沢1996,p17)。これは当然進歩的文化人がえてして「止揚」の発想に立っていたから、現状を基本的に批判するという意味では正しい。しかし、それが全てであったかどうかは別途実証的に議論すべきである。むしろ竹内の引用のとおり「日本の進歩的文化遺産を蘇らせて国民的誇りを取りもどすこと」といった表現によっても「進歩的であること」が解されていたのであれば、それはむしろ真の意味で「日本的」でさえありえるかもしれない。ここでもやはり安直な日本人論に還元して「進歩的文化人」の議論を行うことはその性質の捉え損ねになるように思える。

 

(3)「大衆」理論の先導役であったこと

 

 竹内は、福田の引用も行いつつ、「大衆に応える」発言を行うような存在について進歩的文化人を捉える。

 

「帰り道、そんなことを思い浮かべながら、いま進歩的文化人はどこにいるのか、と考えてみた。そう、進歩的文化人の後裔はキャスターやワイドショーのコメンテーターではないか……。福田恆存は「平和論の進め方についての疑問」のなかで「文化人」をこう定義していた。「意見をきかれる資格ありと見なされてゐる人種であり、また当の本人もいつのまにか何事につけてもつねに意見を用意してゐて、問はれるままに、ときには問はれぬうちに、うかうかといい気になつてそれを口にする人種」。」(竹内2011、p305)

「いや内容の質の悪さよりももっとたちが悪いところがある。そもそもなにを言うかの定見をもって臨んでいるようには思われない。こう言えば、視聴者という下流大衆が納得するだろうとか、受けるだろうとか、空気を読んでコメントを言うことにある。こうしたコードこそコメンテーター文化人の最大の問題であろう。ところがそうしたコードにもとづくコメントが逆流して下流大衆の世論=空気にお墨付きを与え、あるいは、範型となって下流大衆世論が再生産されるのである。」(同上、p306)

 

 これもある意味で納得いく点である。「進歩的文化人―学者先生戦前戦後言質集」という著書があるように、進歩的文化人と呼ばれた者の多くは、戦中では熱心に日本の戦争を肯定し、翼賛体制の支持者でもあった。このことについて長浜功は全くそのような真逆の思想の転向について「反省」などしないまま、更にはそれを隠蔽し行われたことについて非難したのであった(「教育の戦争責任」1979)。

 このような「大衆受け」のよい理論を展開することは、「体制批判」という批判的言説とも相性がよい。結局自らの肯定的価値観について特に言及せずとも、そのような「大衆受け」の理論は展開可能だからである。もっとも、その理論が理論として成立しているのかは議論せねばならない所であるが。

 ただ、他方で竹内はこのような「大衆受け」について、文字通り「大衆=一般的な者」と捉えてしまったことで、大衆を捉え損ねていると、過去の竹内のレビューで私は批判したのも事実である。つまり、私自身はここでいう「大衆=一般的な者」という図式はあまり正しいとは考えていない。但し、それは一定の勢力、一種の「権力」を行使することが可能な程度には「大衆」を表現できるレベルのものではあるとはいえるだろう。まさにこのような「大衆」観と関連していたのがしばしば過度に一般化されてしまう「社会問題」、特に教育について言えば「教育病理」という枠組みでもあった。

 

 さて、以上のような「進歩的文化人」の性質を押さえた上で苅谷の指摘した議論を考えると、「進歩的文化人」が提示しているように見える「個性」というのはある意味で歪んだものであり、むしろ、「進歩」という言葉に示されていたのは、「民主主義」という言葉で説明されるべきものであったように思う。そして、そのような「民主主義」観について考えた場合、松下圭一については、典型的な「進歩的文化人」の位置付けであったといえるのではないのか、という見方が更に強まる。松下が革新勢力から手を引いたのは、特に政治的な意味においてであり、それは同時に「文化人」としての位置付けを強めるものでさえあったといえる。そして「民主主義」に与えていた意味合いというのは、極めて歪んだ形で示されたいたがゆえに、晩年の言説においてその矛盾を「民衆」や「理論家」に責任転嫁するかのように展開していったのではないのか、という見方ができる。もっとも、このような松下を進歩的文化人の系譜に位置付けたとして、それが連続的な思想のもとにあったのかはやはり疑問が残り、今後の検討課題として残る。

 

 一方でこのような進歩的文化人の系譜が苅谷の議論における「個性」重視の教育改革の動きと無関係であったとも言い難い。ではこれはどのように結びついていると考えるべきなのか。これも松下の議論に関連させてしまえば、過去の松下の「理論」の達成のために棚上げにされた形で示されることとなる民衆の「成熟」をもって、積極的に個々人に働きかける(教育する)ことが回避されたような形での個の尊重はありえたかもしれない。しかし、これが「個性」重視とは程遠く、また子どもに対しては松下もやはり歪んだ形で「教育」されるべきものとして位置付いていた。言い換えれば消極的には「個性」に関連したが、積極的には「個性」に加担していなかったのである。

 とすれば、次に考えられるのは、むしろ体制側が進歩的文化人的な意味での消極的な「個性」を拾い上げる形で、更にはそのレトリックを活用する形で、結果的に革新勢力の批判を封じ込める形で「個性」について強調した可能性である。もっともこの見方は擬制的である可能性は高く、実際の教育改革は、「個性」を否定しようとした日本的な「教育病理問題」に対する処方箋を唱えていたのであり、むしろこの「教育病理問題」における体制と革新側の認識の一致が大きな意味を持っていたように思える。この「教育病理」の言説がいかに語られていたのかというのは、今後もう少し丁寧に考察してみたいと思う。

 

(2020年8月29日追記)

※1 このような「現代」と「近代」の対比は中野光だけでなく、持田栄一も行っているのがわかったので紹介しておく。

 「近代」における「家庭教育中心主義」の底流には、すでにのべたように人間存在と教育を本来、私的個人的なものとしてとらえる思想とともに、「家庭」をもって、社会の矛盾から隔離された「自由の砦」だとする考え方がみられる。しかし、そのような「近代」における家庭観は全くのフィクションであり、「家庭」は「自由の砦」どころか、現実には、労働力の再生産を担う社会機構の一環として現存している。……

 「現代」における教育改革とかかわって家庭教育のあり方を問いかえそうとするとき、われわれは、現在、家庭教育が以上のような現実から出発し、そこにおける疎外を恢復することに焦点をおかなければならない。このような観点に立って、「現代」における家庭教育のあり方を眺めた場合、それを「共同化」し「集団化」していくことが必須の課題となる。「家庭教育」が重要であることは、今日においても異なるところはないが、それを親個人が私的にかかえこんでいたのではことはすすまない。子どもが、もともと社会的存在であってみれば、かれ等の家庭における教育のあり方も、共通の「ひろば」――社会共同の場においてたかめられるべきであろう。(持田栄一編「教育変革への視座」1973、p80‐81)

 ここで近代についての評価が土居健郎と一致していることにも注目すべきだろう。ただ土居の場合はその解決策について何ら提示がなかった訳だが、持田の場合は、やはり「共同化」「集団化」という形で個である状態を止揚しようとしているのである。いくら少なく見積もっても70年代においては、進歩的文化人と呼びうる論者の議論というのが明らかに「個の思想」を追求していたとは言い難く、むしろその否定にはじまっているのである。

 

苅谷剛彦「教育と平等」(2009)

 前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育社会学の分野から、苅谷剛彦を取り上げる。本書は「大衆教育社会のゆくえ」(1995)に続き、戦後の日本の教育における「平等」観の形成について、主に知識社会学的なアプローチから読みといたものである。

 ただ、前著との大きな違いは、本書における「面の平等」と呼ばれる平等観というのは、十分に「相対化」できているという印象を感じる点である。確かに前著においてもこの「相対化」がなかったわけではない。日本と欧米の教育観について、その視点は少なからず存在している。しかし、これまで私が考察してきた「日本人論」的なアプローチからすると、前著における「相対化」というのは、どうしても既存の日本人論の枠組みから十分離れたものとは言い難かった。例えば、<差別>といった言葉の日本と欧米における言語的な意味合いの比較(苅谷1995,p168)や、それに伴う日本の能力別学級編成について考え方への言及(同上,p181)というのは、出典や論拠となるデータが示されていない漠然とした、言ってしまえば「主観的」な比較の域を出ているとは言い難かったように見える。これは仮に裏付けがあろうとなかろうと、俗流の「日本人論」というのはこのような漠然とした議論の積み重ねの上にあることを考えれば、このような論述を避け、実際にどのように行われているか/語られていたのかといった比較のもとでなされなければ、既存の「日本人論」の枠組みから抜け出ることはできないのである。

 しかし、本書においては、この点にも十分配慮がいきわたっていると言えるだろう。一つは、日本の「面の平等」を検討することに先立ち、本書第2章でアメリカにおける「資源配分のテクノロジー」の検討を行った点にある。つまり、教育費をいかなる方法で配分するかの考え方について、アメリカの場合は20世紀に入ってから個性尊重を謳う進歩主義教育運動に平行するかのように教育費配分の考え方として個々の児童(生徒)に教える時間数をベースとした算定方法を行うようになった。これに対し日本の戦後の教育費の考え方というのは、児童・生徒単位ではなく「学級」単位での算定を行うものとして整備されていった。この「学級」を単位とした考え方に「面の平等」の成果の一つが現われていると本書は主張する。もう一つは、この「面の平等」という言葉を敢えて本書で独自に定義したことに含まれる多義的な意味合いについてである。まずもって、この言葉は通常よく使う「個の平等」という言葉に対して、その見えづらさも含めた平等観を示すために用いた言葉であること、そして、それが必ずしも「個」に着眼した平等観ではなかったことを示したものであるといえるだろう。そして、日本人論との関連でより重要なのは、p12-13にあるように「面の平等」というものは「文化論的回答」ではないということである。この意味合いというのは、すでにレビューしたダニエル・フットの言うような制度論的な影響を多分に含んだ擬制的なものだと言うことができるだろう。確かに「面の平等」という考え方において日本人論的な文化的な考え方の影響を受けていない訳ではない。これはp133で参照される文部省の政策担当者の政策意図にも、つまり「生徒時間に基づく算定方法は日本に馴染まない」という言い方にも現われている点である。しかし、無視すべきでないのは、この「学級」をベースにした考え方というのが、制度整備を行った当時の厳しい財政事情のもとで、既存の学校・学級をベースに考えざるを得なかった事情も含め作られたことである(p128)。ここには明らかに文化論的説明だけでは今の「面の平等」の制度設計がなされなかったことを意味するものである。

 本書における「面の平等」は、この教員配置(教育費)の考え方に加え、広域人事の考え方も例として挙げている。つまり、都道府県単位の教員人事異動の活性化も「面の平等」の一側面であると本書はみる。そして、このことの遠因として苅谷は学力テストの影響をみる。へき地をはじめとした学力格差というのは、へき地に対する教育資源の重点的配分(p172-173)だけでなく、教員間の人事異動も多く行うことで、農村で「何となく」教育活動を行う教員の固定化を防ぐような制度運用にも影響を与えたとみている。

 

○「面の平等」についてどう考えればよいか?―その評価について

 

 本書が捉えた「面の平等」というのは、ほとんど「思わざる結果」であったと苅谷はみる(cf.p177)。つまり、このような考え方というのは、決して明確に意識化されないまま、日本の教育資源配分の議論に影響を与え続けていたものと苅谷はみている。P176では中教審答申などで「個性の尊重」「学習の個人化」に向かう方向性が何度と出たが、「面の平等」の考え方に基づき展開していたものはこの「個」に重きを置く枠組みから逃れることができたと述べる。これは「面の平等」が「無意識的」な政策であったため生き残れたともいえるだろう。

 しかし、この状況は決して楽観できない。苅谷自身もP267で、2004年から導入された「総額裁量制」が「面の平等」の考え方を変える可能性について言及しているが、特に80年代以降、初等教育予算総額の伸びが停滞し(cf.p152)、「40人学級」の考え方が固定化し「35人学級」が達成されなくなったことの一因は、この「面の平等」に対する間接的な攻撃であったことを無視できないだろう。特に財務省財政制度等審議会)がこの「総額裁量制」導入の説明にあたり、「児童一人あたりの予算」がOECD諸国の中では決して下位に位置していないこと、それを根拠に教育資源投入の「量的拡大」に対して否定的な論調を強調していることは無視できない(cf.https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/report/zaiseia160517/zaiseia160517a.htm#hajime4)。つまり、「面の平等」を体現する現行の資源配分の制度とは別の論理から、別の制度提言を行うなどをすることを通じて、「個の平等」を強調する「児童一人あたり」という考え方が制度全体に与える影響を無視できないということである。この検証は別途行われなければならないものと思うが、私自身は本書が語るようなニュアンスよりはかなり悲観的に現状の「面の平等」の衰退の可能性を考えている(※1)。

 またもう一点「面の平等」の関連で気になるのは、教育改革の議論における「平等」をめぐる議論においては、この「面の平等」の側面は無視されていると苅谷が指摘することである。この面の平等は思想として取り出す場合、「均質的な空間と均質的な時間の創出を通じて、「平等」な資源配分の基盤とみな」すものである(p241)。より具体的には、柳治男の「<学級>の歴史学」(2005)を参照しながら、学級という集団単位が教育実践や教育活動において「自明視された空間」として位置づけられていた(p254)。

 しかし、このような「面の平等」の文化的側面(=日本人論的側面)というのは90年~00年代の教育改革をめぐる議論において、具体的に焦点化されていたかどうかは疑問である。むしろそれは苅谷の言うように、「結果の平等」という均一的な学校批判として捉えられ、それが学校選択など、市場原理に任せた教育制度への転換といった論調に傾いていた(p262)。この改革側の主張も元は「日本的なもの」の是正にあったはずだが、改革側の目線から、「面の平等」に対する改善要求という可能性も、本書による「意識化」を介してあってもよいのではないのかと素朴に思う。つまり、このような空間的均一性は「学級」に対する捉え方の問題であり、この学級に対する考え方を根本的に改善することが、日本的な問題の解決になりえる可能性になるのではないのか、という見方がありえるということである。このことについては、また今後別のレビューで取り上げたいと思う。

 

○革新勢力と教育改革の関係性についてどう考えるか?

 

 最後に、本書p271の言及について考えたい。画一的な教育批判、多様性や個性を尊重する教育というのは、戦後からの系譜である「進歩的知識人」の考え方と同じであるとする点である。私自身、この主張にはかなり違和感をもった。まずこの「進歩的知識人」というのは、竹内洋のレビューでも検討した「進歩的文化人」と同じものだとして考えよう。おそらく苅谷も竹内の「革新幻想の戦後史」などを念頭においた主張だったのではないかと思う。

 確かにこの「進歩的知識人」について、松下圭一をさすものであるなら正しいというしかない。すでに松下の言説については精査したところだが、松下の主張はネオリベ言説と奇妙な共犯関係をもち、ネオリベ言説を強化することに一役買っていたのは確かである。 

 しかし他方で私自身、松下圭一の位置付けというのはかなりイレギュラーなものだったのではないのかと考えている。松下自身は早い段階で(70年代に)革新勢力には見切りをつけ、ある意味独自路線の下で言説を展開した人物だと感じているからである。その意味で俗に言う「進歩的文化人」とは別の勢力の者だとも思うのである。竹内の議論からは確かに苅谷の言うのと似た結論(つまり、革新勢力の「エゴイズム」が衰退要因となったように、個の強調がなされていたという見方)は導けるが、私は竹内のこの主張にまず懐疑的であるし、苅谷も独自にこの問題について見解を持っているかは本書から読み取れないのであった。ただ、この点は「教育改革」について読み解く上では非常に重要な論点になりうる部分であると感じる。今後この点については検証していきたいと思う。

 

※1 本書は「大衆教育社会のゆくえ」と合わせて三部作にするという構想があるようだが(p286)、3作目はこのような「大衆教育社会の衰退」の局面について検証するような内容になるのではなかろうかと予想している。いずれにせよ3作目の内容には期待したい所である。

 

<読書ノート>

P10-11「一つは、なぜ、日本の教育論議が、二分法的・二項対立的な図式にはまりやすいのかという問題への解答である。詰め込み教育「対」ゆとり教育の論争や、中央集権「対」地方分権の議論、あるいは教育の国家統制「対」教育の国民権の論争を思い出すまでもなく、私たちが教育を論じるスタイルの典型として、「白か黒か」をめぐる議論がある。……どうしてそうなってしまうのかの分析を行なっていくのだが、本書を通じて副次的に明らかになることの一つは、こうした教育の論じ方の限界がなぜ生じたのかという問題である。」

P12「(※戦後の教育に含まれる両価性に)目が届かなくなる理由は、まさに神話にとらわれていて、「歴史を自然に移行させ」てしまっているからなのだが、そうなるまでの「歴史」を明らかにすることで、私たちは安易な二分方的発想が、なぜかくも教育論議を通じて繰り返されてきたのかを理解することができるようになるだろう。」

※藤田の文明論的ストーリーと同じ。

P12-13「こうした問題群に対して、本書では「個の平等」に対し「面の平等」という形で実現されていく戦後日本の平等のあり方・でき方を提示する。個と面という二分法を用いると、すぐさま、日本的な集団主義を思い浮かべ、そうした視点からのありきたりの答えが用意されると思われるかもしれない。しかし、本書が試みるのは、そのようによくある文化論的な解答ではない。その違いを際立たせるために少しだけ議論を先取りして言えば、個人間の差異を前提にした「個の平等」を求めながらも、結果的にはそうはならなかった歴史的な制約に目を向けるのである。」

 

P40-42「このように見ると、教育の標準化を進めた背景が明らかとなる。たしかに日教組が批判したように、そこには五五年体制のもとでの政治的対立の影響がなかったわけではない。しかし、こうした調査を通して明らかとなった教育の実態を目の前に置いたとき、はたして「白黒」はそれほどはっきりしていたと言えるのか。少なくともこうした調査が教育の実態をある程度反映していたと見るかぎり、「教育の機会均等の趣旨の実現のためにも、適切なへき地教育振興策の必要を痛感せられる」と指摘した報告書が、どれだけ「民主教育」からに逸脱や反動であったのか。この問題は、それほど自明なことではない。」

※「「白と黒」、「天と地」ほどの差異があると見なされた二つの指導要領の考え方の違いは、なるほど、戦後教育史の通説にしたがえば、鋭い対立をあらわにしたものだった。そして、五八年改訂の動きに対しては、「逆コース」、国家統制の強化、「新教育」から詰め込み教育への転換といわれ、否定的な評価が主流だった。」(p28)

P50「このように、政治における五五年体制の成立以前、左右対立の時代以前の段階では、教育の実態だけに限ってみれば、教育環境の劣悪さや、そのもとで理想主義的なアメリカ流の「新しい教育方法」を実施することの困難さの認識の点で、日教組も文部省も選ぶところはなかった。しかも、いずれの陣営も、経済力の差と結びついた教育条件の差異が学力の格差を生み出している重要な原因であるという問題設定においては共通していた。言い換えれば、教育条件の不整備という文脈の上に、教育課程や教育方法の問題点を位置づけてみると、両者の間には、一九五八年の学習指導要領の改訂時に見られたような大きな問題認識の差異はなかったのである。」

 

p81 「このように、州政府による教育補助を通じて、地域間の教育格差の是正を教育財政の配分によって行なう主張が二〇世紀初頭のアメリカに登場する。これらの主張はたんに政治的な意思表明として説かれたわけではなかった。戦後の日本でしばしば見られた、「あるべき教育」の理想を語りそこから現実を批判する「教育論」とは異なり、教育財政の実態を調査した上で、望ましい教育財政の在り方を主張するというスタンスが採られていた。」

p100 「州政府や連邦政府による補助を通じた教育費の平等化の議論が盛んになっていったにもかかわらず、アメリカには、その実現を拒む大きな力が働いてもいたからである。政府による教育の統制を忌避する地方自治の伝統である。」

※ある意味で戦後の国庫負担問題も同じような地方自治観を共有しているともいえないだろうか??

P102「州政府による教育への統制を嫌うという価値を上位におけば、公教育の費用負担は地域に任されたままである。その結果、著しい教育費の格差が生じ、それが教育の不平等をもたらす。統制の忌避=自由を優先させることで、平等が犠牲になる結果を招来するのは、教育費を誰が負担するのかという問題が、すぐれて価値選択の問題と結びついているからである。」

 

P134-135「さらにいえば、これは鶏と卵の関係に似て、どちらが先にあったか明確にいえないところだが、日本の場合には、「等量、等質の教育の提供」をもって「教育機会の均等」と見なす。一定の教育機会均等観がそこに反映していたという見方もできる。これは、第二章で見たアメリカの算定方式にならえば、個別学習を可能にする「生徒時間」の考え方と必ずしも同じものとはいえない。アメリカの算定方式にならえば、個別学習を可能にする「生徒時間」の考え方を背景においているから、極端に言えば、「非等量、非等質の教育の提供」こそが、それぞれ個々の生徒のニーズに応じて「教育の機会均等」を実現するための「財政的裏付け」=教員数の算出方法≒教育の人件費の算出方法となりうるのである。

アメリカでは「出席生徒数や教員の実員数といった単位から生徒時間へ」コストの考え方が変化した(p91)。これは「学習の個人化」の流れを汲んだものであった。

P126-127「しかし、他の先進国では、この当時も現在も、生徒時間のようなユニットコストをもとに算出された生徒一人あたりの費用を計算し、生徒数に応じて教育費を配分する仕組みが取られている。学級定員の上限を決め、そこからコストを計算する日本のやり方は例外的なのである。」

P127「「パーヘッドの世界」と「標準法の世界」とは、平等の考え方の根本において、大きく異なる原理に立つ。一方は「個人」を単位に資源配分の平等を考える原理に立ち、他方は、学級や地域といった集団的・空間的な集合体を単位に資源配分の平等を考える(=「面の平等」)。」

※ただし、この思想は「厳しい財政事情のもとで、現状追認的に、今ある学校数、学級数の数を考慮に入れて」教育費を算定した結果であったという(p128)。他方で、「わが国のように、学級を固定化し、しかも、同学年編成でなければならないという考え方にたつ限り、このような(※生徒時間に基づく)教員算定方法は馴染まない」と言う言明が当時の文部省の佐藤三樹太郎によりされている(p133)。

 

P152義務教育費の伸びについて経年比較

※一人当たりの教育費は増加しているが、全体は80年頃をピークに減少。

P156−157 「このことは、一九六五年以後、財政力の弱い県ほど、小学生一人あたりの教育費支出がしだいに増えていくという関係に転じ、しかもその傾向は強まっていったことを意味する。平たく言えば、財政力の弱い貧しい地域ほど、小学生の教育により多くのお金をかけるという、ある意味「累進的な」関係が強化されていったということである。」

P176-177「中央教育審議会の各種答申や学習指導要領の度重なる改訂を通じて、教育における個性の尊重や学習の個人化に向かう方向性が何度となく出されても、教育資源の配分の仕組み自体は、過去からの慣性から逃れることはなかった。しかも、こうした仕組みを暗黙裡に残したからこそ、大きな資源配分の構造を枠づけている慣性にしたがっていけば、逆進的な教育資源の配分の仕組みを、累進的な仕組みへと、スムーズに変えていくことができたのである。」

※しかし、これは正しいようで正しくない。結局改善されていたはずの「一学級あたりの定員」の減がストップしているからである。そしてその抑制の論理の一つとして財務省の主張そのものとなっているからである。

 

P214「いや、別の見方をすれば、教育の標準化が着々と進められていた時代を背景におけば、このような悉皆による全国学力調査を実施すること自体が、教育の標準化をもう一段推し進める教育施策だったということもできる。全国一斉学力調査が提供する学力の全国平均という尺度を与えられ、テストの得点と関連すると考えられた教育条件のいくつかが数量化になじむ形で提示される。これら標準化された基準を参照点にして、「教育条件」の改善や「学力の向上を図る」施策が、それぞれの地域や学校で始まることになるからである。」

P215-216「ここに示されているように、日教組に代表される反対派は、文部省が掲げた全国学力調査の目的(※学習指導の改善や、教育条件整備の資料とすること)は、調査の真のねらいを示したものではないと見ていた。本当のねらいは、「経済政策上の労働力配置のための、生徒のふるい分けの資料」にすることだというのである。」

※「学力テスト反対派の主張も、教育条件の改善が必要なことは認めていたが、それはこうした調査によらずとも可能になると見ていた。」(p216)

P220「日教組もまた、「文部省は整備改善の仕事をなまけている」と見ていたのであり、その改善を、教育の標準化を通じて行なうこと自体には、六〇、七〇年代を通じて学力テスト反対論ほどの激しい反対意見や反対運動があったわけではない。露骨にテスト得点の向上だけを目指すような教育に対してはともかく、それぞれの地域で、「教育条件」の改善や授業改善を通じて「学力の向上を図る」ことに反対論が唱えられたわけではないのである。

その結果、表面的には激しい対立や衝突があったにもかかわらず、その底流では、国=文部省が直接手を下さなくとも、教育の標準化のための枠組みと財源さえ準備すれば、それぞれの地域がそれぞれの範域内で面の平等を求めて行動するようになる環境をつくり出すことにつながった。前章でみた広域人事への取り組みはその一例である。」

※いくつか事例を示しつつ、「一九六〇年代を通じてそれぞれの県で、人事交流や広域人事の仕組みが整えられていった」とする(p198)。

 

P235「同じ指標と二〇〇七年の学力テストの平均正答率との相関関係を示したのが、表5-8である。先ほどの一九六二年の結果とは大きな違いが見られる。県の財政力や一人あたり県民所得と、テストの正答率との間には、ほとんど優位な相関関係が見られない。財政面や経済面で見た県の豊かさと学力テストとの関係がほとんど消えているのである。それに対し、生活保護世帯の比率は、〇七年でも同様に、負の相関関係を示している。つまり、県全体の豊かさと学力との関係はほとんどなくなったのだが、貧しい世帯比率の高い県ほどテストの得点が低くなるという傾向は四十数年を隔てて残っているのである。」

P239「標準法の世界が誕生したからといって、それですぐに教育条件の均質化が達成されたわけではない。教育費の配分が、累進劇な構造へと変わるのは、小学校の場合でも一九六五年以後であった。広域人事の仕組みが取り入れられるのも、六〇年代に入ってからである。」

※この累進的な構造というのは、一学級あたりの児童数の改善や複式学級に対する改善、加配職員の考え方の見直しなどの影響があると見ている(p170、具体的内容はp172-173)。

 

P248−249 「共通の尺度をあてはめることによって明らかとなる「劣悪な教育条件」を取り出す場合、あくまでも是正の対象となるのは、個人を取り巻く「面」としての教育条件であり、個人そのものへの介入ではなかった。言い換えれば、「面の平等」とは、個人の差異を際立たせないようにしつつ、あるいは、差異が表面化した場合でも極力それを前提とした「異なる処遇」を避けつつ、間接的に「劣悪な教育条件」のもとにある不利な個人を救済するという手段であった。」

P256「ただし、ここであまり村落共同体とのアナロジーを強調しすぎると、日本文化論的な説明に陥ってしまう。むしろ私たちが目を向けるべきは、すでに第二章や第四章で明らかにした、戦前期の日本の教育の貧弱なほどのインフラストラクチャーである。」

※苅谷の立場は安易に文化論によりかかるよりは、後発効果的な、「遅れて始まった「近代」に根ざした教育の伝統」とみる立場(p257)。

p261—262 「こうした標準化の試みは、「機会の平等」をめざす政策であった。本書が明らかにしてきたのは、まさにこの点である。しかし、処遇の均質化にまでそれが及び、画一的な教育をもたらしたことで、それは「(行き過ぎた)結果の平等」と誤読された。それゆえ、「結果の平等」を是正し、「機会の平等」を実現するためには、学校選択など、市場原理に任せた教育制度に転換しなければならないといった主張を生み出すに至った。その実、言葉の正しい意味での教育の結果の不平等は不問にされたまま、戦後日本の教育が機会の平等として推し進めてきた制度を大きく変えることが、「機会の平等」の実現だと誤解されたのである。」

 

P271「しかも、こうした教育批判は、自立した個人の形成を長年望んできた戦後知識人の願望とも共鳴するものであった。戦後日本において、教育界を含む「進歩的知識人」の多くは、日本社会の後進性や前近代性を憂い、西欧的な近代社会へと変えるためには、自立した個人の形成が必要だと考えた。それゆえ、教育の議論においても、自立した個人を育てることに価値が置かれた。それを反転したのが、教育への国家統制批判であり、画一教育批判であった。」

※一見この主張は、安易なネオリベ批判言説を踏まえると妥当ではないかのようにも見える。そのような言説はむしろ進歩的文化人にも批判的であったように思えるからだ。しかし、松下圭一のようなアクターの存在を想定した場合、確かに俗流ネオリベ勢力と、ここでいう「進歩的文化人」の類の論者の主張は共犯関係にある。「とりわけ、戦後の進歩的知識人にとって、日本の「後進性」や「前近代性」(さらにいえば、「敗戦」と窮乏化)というトラウマがあった。それらを背景に置くことによって、「近代」をつくり上げることへの憧れが、個人主義の礼賛を後押しした。」(p272)

P279「「個の抑圧」というネガティブな部分の見えやすさゆえに、日本社会論や日本人論でお定まりの批判的言説が、教育に振り向けられる。そうしてこの〈システム〉を変えようとする議論がたびたび登場することになるのだが、その批判が、因果関係の究明において、どれだけ正しい認識に立っているかはほとんど問われない。そこでターゲットとなる個性にしても、創造性にしても、個の自立にしても、分権化された教育にしても、同様である。」

 

角田忠信「日本人の脳」(1978)

 今回は、日本人論の関連で、角田の著書を取り上げる。

 角田の日本人論というのは、恐らくは「最強」の部類だと思われる。通常、日本人論として認められるものというのは、それが「一般的な日本人」について妥当であるかどうかの検証というのが難しく、それ自体がしばしば争点となった。例えば、土居の「甘え」の議論についても、縫田のレビューでも捉えた「歴史性」の証明という観点から、つまり土居のいうような辞書的な意味での「甘え」の用法について、一般的な日本人にどこまで浸透しているのかという点については(その用法が使い古され、日常的に「意味」が与えられているようには使われていない可能性があるといった)議論の余地があった。

 しかし、角田の主張というのは、日本語を用いる者(正確には日本人そのものではなく、日本語に幼少期から精通している者を基本的に指す)は文字通り「全て」当てはまるものだというものである。もし、角田の議論が正しいとするならば、これほどまともな「日本人論」はないと言ってもよいだろう。

 

 さて、角田の理論というのは、いつもの「理念型α、β(類的理念型と歴史的個性体としての理念型、羽入のレビュー参照)」の枠組みで言うと、

 

・理念型α:母音・自然音における認知の左脳の優位が日本人独特のものであること(脳科学認知心理学的問題)

・理念型β:その認知が日本人の創造性に結びつく(国民性論の問題)

 

 の二種類に分けて考えることができる。角田が実際に示しているのは理念型αのレベルの議論にすぎないのであるが、理念型βについても、「飛躍」していることを認めつつも、どうも確信じみたような語り口で日本人論と結びつけて指摘している(p86-87)。

 

 

〇ツノダテストの特徴と問題について

 

 しかし、角田の議論には多く問題があるようである。これは理念型αの議論と理念型βの議論から指摘できる。先に、理念型αに関連する問題について八田武志「「左脳・右脳神話」の誤解を解く」(2013)を足がかりに検討していきたい。八田は80年代に角田の議論の追証実験を行った者としても知られる。

 まず、押さえなければならないのは、角田が理念型αで示した内容について、独自の方法で立証したことである(ここでは「ツノダテスト」と呼ぶ)。ツノダテストは次の方法によりなされた(cf.角田1978、p52-53)。

 

 最初に被験者に対し、右耳から小さな音(母音、子音、バイオリンの音、こおろぎの鳴き声といったものが使われた)を一定の間隔で流す。その後、今度は左耳から右耳の音より大きな音を、しかしそれを遅らせて音を鳴らす。被験者は両方の耳からずれた音を聞くことになるが、最初の小さい音に合わせて規則正しくスイッチを押すよう命じられている。大きな音の方はその音量を次第に大きくしていき、大きな音の干渉のため「スイッチを押す間隔が不規則になった」時点で一度実験は終了となる。

 今度はそれを逆に、左耳の音に合わせて規則正しくボタンを押し、遅れた音が入ってくる右耳の音を大きくして不規則になったタイミングで実験を終了する。

 左右の耳で行った場合で実験終了時の音のデシベル数には差が出てくるが、基本的により大きなデシベル数まで規則的にボタンが叩けた場合、そちらの耳がよりその音に対して「敏感」であったことを示す。

 日本語人の場合、母音と子音の聞き取りは同じ右耳(=左脳)で優位になり、自然音も右耳、楽器の音は左耳(=右脳)で優位になる一方で、非日本語人の場合は子音と楽器の音は日本語人と同じ結果であるものの、母音と自然音は共に左耳優位になるというのが角田実験の結果である(※1)。

 

 八田のツノダテストへの批判として注目すべきは次の2点である。まず一つ目はこの実験の追証不可能性であった。学問的にはこちらの理由でツノダテストは「科学性研究とはならない」という指摘もあったとする(八田2013、p157)。

 特に不明なのは、「スイッチを押す間隔が不規則になった」ことへの定義の問題である。八田の著書からは角田と同じ方法で実験した内容に対する明確な反証が確認できなかった(※2)が、恣意的な操作が許される状況の下で追証を行うことができていないことでその正しさが示されていないということが言われているようである(※3)。この点については、角田のその後の態度の取り方からみても、妥当な批判であると思われる。

 

 八田の言うもう一つの批判は、角田がこの実験の方法を独自のものとして行ったことに理由がない点である。八田によれば、認知心理学の実験において類似の内容を検証する際に行われていたのは両耳分離聴テストと呼ばれるものであった。これについては角田も「キムラ法」として著書で紹介しているが、「実験条件の精度の低いこと、合成手法の不完全さからその結果は十分な信頼性を有していないと癇癪している」としている(p63)。また、別の著書では「キムラの両耳分離聴テストは、言語応答(口頭・筆記)による方法をとっているために、母音以外の言語要素が同時に含まれる。そのために、実験条件によって言語半球が支配的になる」と反証している(角田「ヒトの聴覚系にみられる左右差について」久保田競ら編『感覚と行動の神経機構』1976、p223)。

 この主張の正しさは両耳分離聴テストの内容を説明する必要がある。八田の実験の説明がわかりやすいだろう。

 

「片方の耳からは六桁の数系列を女性が読み上げる声。それと対にして、反対の耳からは「犬の鳴き声」「小鳥の声」「虫の音」「自動車の通る道路騒音」「白色雑音(多くの周波数が混じっている音で『シャー』と聞こえる)」を学生に聞かせるというやり方である。学生には両方の耳に等しく注意を配分するように頼んでおいて、数系列の正答率をペアにした条件ごとに比較している。」(八田2013、p154)

「結果は、右耳から数系列が聞こえる条件は「犬の鳴き声」をペアにしたときも、「小鳥の声」でも「虫の音」でも左耳よりも優れていた。日本人では「犬の鳴き声」「小鳥の声」「虫の音」は左脳で処理されるために、右耳からの数系列の聞き取りが英国人よりも劣るという傾向は決して見られなかった。論文では、環境音の対提示条件における数系列の聞き取りに日本人でも英国人でも違いはないと結論づけてある。」(同上、p154-155)

 

 八田はこの結果について、「自然音が有意な耳から聞き取りを行った方がもう片方の耳での数系列の点数が高くなる(聞き取りにおいて聞き取りづらいノイズがない方が点数がよい)」ことを前提にしていることを、まず押さえておきたい。

 

 さて、この説明で議論せねばならない問題がある。それは「環境音」をどう考えるかではなく、「数系列」をどう考えるのか、という問題である。この実験法を用いた場合、両耳から異なる音を聞くことになるが、それぞれの音が左右どちらの脳に「聞き取りやすい/聞き取りにくい」の性質があるかによって、影響が出てくる可能性があると考えた方が自然である。端的に言えば八田は「数系列」の音の聞き取りにおける脳への影響を無視しているのである。

 基本的に左脳(=右耳)は言語を聞き取る上で有意であることは角田とその他の一般的な研究は一致している。問題は音節としての母音と子音の認識の違いであり、子音は左脳有意であるものの、母音は右脳有意とするのが、角田理論、これが明確でないか、左脳有意とするのが一般の理論である。

 ここで問題となるのは、「数系列」は言語・単節母音・単節子音のうちどれになるのだろうか、という点である。というのも、「数系列」の聞き取り自体が、他方の耳で何を聴こうが有意脳側で聞いたほうが好成績になる可能性を否定できないからである(※5)。

 八田の言うような前提を支持するためには、次のような条件が必要になってくる。左耳で数系列を聴き、右耳で環境音を聞いた場合、右耳ではよく環境音が聞こえてくる。このことが左耳での数系列の聞き取りにも好影響を与え、実験結果も左耳の方がよくなる、という条件である。しかし、この条件を提示するのであればもう一つ考えなければならないのは、数系列自体の聞き取りやすさにおける左右の耳(脳)のバイアスである。

 

 むしろ注目したいのは八田の実験で「日本人学生の成績水準の方が絶対値では勝っていた」と述べている点(八田2013、p154)である。この事実も角田理論の都合のよい方へ解釈することが可能である。まず、右耳(が数系列の場合)の結果については、「数系列」が単節の音に近いものだとすると、母音・子音共に右耳有意であるため、日本人においては右耳の方が聞き取りやすい、という解釈を行うことも可能であるからである。また左耳(が数系列の場合)の結果についても、右耳で聞こえている自然音において、それを左脳で処理する傾向のある日本人は「ノイズが少ない」分、非日本人よりも聞き取りやすくなる、という見方が可能である(もっとも、この結果は道路騒音・白色雑音では差がでないという結論にはなるが)。

 

 この実験から角田理論を立証するには、日本人の場合自然音(環境音)と言語(非日本人の場合は子音のみ)が別の脳(=耳、非日本人の場合は)から受容されることを前提にして、自然音に該当する「虫の音」などは両方の有意に良くなる(もしくは悪くなる)結果になるだろうということだが、八田の実験ではそのような結果を見出せなかった。この実験内容を見る限り、角田側から批判できるとすれば、「「数系列」が母音と子音を両方含んでいるため、十分に認知の違いを確認できない」ということになるだろう。これには一理あるように私には思える。また、このテストでは左右どちらの耳も等しく聞くことが求められるものの、これも被験者の主観の影響を無視することがかなり難しく、個人差がかなり出る印象も受ける。少なくとも、八田が言うような「両耳分離聴テストに問題がないのに、なぜ(※独自の実験手法を)開発しようとしたのか了解しにくい」(八田2013,p147)という主張が成り立つのかは素人目には判断できない。

 更に、八田は両耳分離法テストでは母音は「右脳有意であるという報告が一貫して行われてきた」としているが(八田2013、p143)、角田の参照する(もちろんキムラ法=両耳分離法を用いた)ハスキンス研究所の実験結果によれば、その傾向は一貫していないとする(角田1978、p57)。これについては、角田はそれぞれの結果の出典をほぼ明示しており、八田の分がかなり悪い。このような結果の一貫しない点についても、角田は自身の実験法にノイズが少ないことを理由に優位性を主張している嫌いがある。このような事情からも、少なくとも角田があえて別の方法でこの問題を実証しようとしたことには理由があると私には見える。

 

 以上の議論から指摘できることは、少なくとも八田(2013)の著書から行われる理念型αの批判というのは、ツノダテストの結果そのものというよりも、別の方法による議論の方が強いことになる。PETスキャンを用いた実験においてツノダテストの結果とは異なる結果が導き出されたなどという指摘や(p156)、出所のわからないシンポジウムの場において角田が「(※「スイッチを押す間隔が不規則になった」という定義について)博士課程クラスの基礎がある人なら僕のところで半年くらい習えば判断が可能です」という発言したことなどを紹介するが(p152)、決定的な研究結果を引用できていないのは確かである。

 

〇サピア・ウォーフの仮説、もしくは言語相対論からみた角田理論の問題について

 

 さて、次に理念型βから考えた場合の批判についてみていく。これについては、江村裕文「サピア=ウォーフの仮説について――文化その3―」(法政大学国際文化学部「異文化」第8巻2007、p25-53、URL: https://hosei.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=83&item_id=2989&item_no=1)の内容を参照したい。これらの議論には「強い仮説」と「弱い仮説」があり、前者は「言語決定論」というべきような、言語そのものが思考や文化を決定づけるものであるとみなす。

 例えば、土居の「甘え」の議論もこの議論に位置付くように思えるが、すでにレビューしたように、言語相対論的な影響についてはそれほど明快に議論がされているといい難かった(もっとも、土居自身は「強い仮説」を支持していたと言えるだろう)。

 一方でこの角田の議論は明らかに「強い仮説」の立場にある(江村2007,p34)。彼のいう日本人は全てが同じ脳の傾向を持っていることを前提にしているからである(※4)。

 ただ、問題なのは、角田がこの議論を基本的には日本語に限定している点である。まじめに言語学的なアプローチをする場合は少々偏り過ぎており、一般論として言語相対論が成り立たないとしても、日本語の特殊性まだは十分に考察できていないからだ、と反論されそうである。

 そして再度注意せねばならないのは、角田の実験によっては、理念型βに関わる部分の実証は何一つなされていないということである。このため、角田自身は日本人の脳と同じ傾向を持つ者として、ポリネシア語族について指摘しているものの、「ポリネシア語族の人々が日本人と同じような文化傾向をもつのか」について全く検討しないのである。少なくとも言語決定論的なアプローチを行なえば当然検証しなければならない論点であるはずなのに、「ユニークな日本人」の描写に満足してしまったからか、この点については深入りしないのである。

 角田が理念型βとの関連で議論をするときは、すべて日本人論は「なんとなく」我々に受容されていることを前提にし、それを自らの実験結果と無理やり結び付け、その「なんとなく」の証明材料であると強調するのである。理念型βの証明は何も角田の実験によってのみ導き出せる類のものでは決してなく、それに類する実験等によっても議論されねばならない点である。そして、それらの検証は何一つ示さないまま、角田は日本人の特徴を自らの実験と結びつけてしまっているのである。基本的にこの点について角田の議論は「論外」と呼ぶしかないだろう。

 

 しかし、ここでこれまで私が検討している「日本人論」の議論においてとても無視できない点がある。本書が30万部を売り上げるベストセラーであったのもそうであるが(八田2013、p186)、マスメディアには「純正な科学研究」とさえ評価されていたことや(江村2007,p34)、著名な湯川秀樹らによる肯定的な評価がされていたことである(江村2007,p39)。これは端的に言えばマスコミの「疑う力」の欠如や「「手短に結論だけ」を珍重する特性」の問題(八田2013、p187)が原因であったといえるのだろう。少なくとも、本書が出版された時期における「日本人論」の受容のされ方というのは、極めて疑うことを知らずになされていったこと、このような態度はその後の90年代以降の日本人論的語りの受容にも影響があったということになるのではなかろうか。

 

〇近年の「角田理論再評価」の誤解について

 

 最後に一部界隈で「角田理論の再評価」として取り上げられている、角田晃一らによる“Near-infrared-spectroscopic study on processing of sounds in the brain; a comparison between native and non-native speakers of Japanese”(Acta Oto-Laryngologica 136(6),2016:p568–574, URL:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4898151/

)にも少し触れておきたい。特に本論文が「角田理論」が当初持っていたサピア=ウォーフの「強い仮説」の態度からすると大きく異なる結論を導いていることについては押さえておかねばならないだろう。

 

 まず、大前提としてこの実験で用いられたNIRSという医療機器は、前頭葉のヘモグロビン量の増減により、脳の働きをみるものである。このため、角田理論で強調されていた左脳・右脳の議論とは直ちに結びつかない。Tsunoda et al.(2016)では、この点に配慮し、左脳・右脳ではなくlanguage brainとmusic brainという言い方を行い、2つの脳の使われ方の違いとして説明をまず行っている。

 この実験は、言語(日本の言語)と音楽(西欧の音楽)を聴く時の脳の働き(=NIRSによる測定値)のどちらの傾向が、虫の音を聴くときの傾向で似ているかというのを実験したのである。結果は、言語を聞くとヘモグロビン量は多くなり(language brainの受容パターン)、音楽を聞くと、NIRSによるヘモグロビン量が減る(music brainの受容パターン)ということは共通であったが、虫の音色に関しては日本人と非日本人で傾向が異なる結果となった、というのが本論の趣旨である。

 

 この結果自体は興味深い指摘であると思われる。もっとも暗黙の前提としているNIRSによる観測結果として「虫の音色を聴く際と言語を聴く場合とで同じパターンでヘモグロビン量が変化したということは、言語と同じ仕組みで脳も働いた」というのが正しいのか、といった点は追試等が必要であるように思える。

 

 しかし、Tsunoda et al.(2016)は例外がかなり多く存在している点にも注目せねばならない。まず奇妙なのは被験者選択においてである。被験者候補70人のうちから「顔や脳の手術を行った等の基準」により、過半数の37名を調査対象から外している点である。なぜこれほど対象外とした者が多くなったのかが気になる(そもそものサンプルが相当偏っている可能性が危惧される)。また、特に「角田理論」との関連で重要なのは、「日本人被験者20名のうち16名が虫の音をlanguage brainで受容し、4名がmusic brainで受容したこと」「非日本人被験者13名のうち、5名がlanguage brainで受容し、8名がmusic brainで受容したこと」という実験結果そのものである。これが「角田理論」に基づくのであれば、基本的には「日本人被験者20名全員が虫の音をlanguage brainで受容し、非日本人被験者13名全員が虫の音をmusic brainで受容した」とならなければおかしいのである。

 このことについて日本人の例外4人のうち2人は「豊富な外国経験がある」と例外処理の説明を行っているものの、非日本人側にも5名も例外がいたことに対する説明は特段触れられていない。少なくともTsunoda et al.(2016)は、「角田理論」にあったような絶対的な日本人論ではなく、相対的な日本人論(弱い仮説)にシフトしないと説明がつかないし、いわゆる「角田理論」を追証した研究として紹介するには、様々な誤解を生むことになるだろう。

 

※1 角田の場合、脳の反応の仕方が左右逆のパターンを結果を示す被験者パターンがいることを示している。つまり、通常左脳の機能を右脳が果たす反面、右脳の機能を左脳が果たすような者が一定数いることを指摘している。このような者を「逆転正常型」と呼んでいるが、議論の簡略化のため、以後の「右耳・左耳有意」の議論では「逆転正常型」のケースは取り扱わないことを前提としたい。

 

※2 直接的なのは、1990年の日本心理学会のシンポジウムで、実際にデータ収集する角田の助手の発言で、角田の方法では有意差を示すことができなったというものがあるが(八田2013,p190)、それ以外の内容では角田実験の批判は別の方法論により否定されているにすぎない。八田が行った検証実験(Hatta and Diamond,1981)も、後述する両耳分離聴テストによるものである。

 但し、角田実験の批判として頻出されるUyehara and Cooper"Hemispheric differences for verbal and non-verbal stimuli in Japanese- and English-speaking subjects assessed by Tsunoda's method."(1980)という論文では(原文を読めていないがhttps://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0093934X80900656の要旨を見る限り)、角田実験の追試として行っているようであり、有意な差は存在しないという結論となっている。

 

※3この点については直近に出ている「日本語人の脳」(2016)においても何ら言及がなされておらず、実験方法の恣意性の問題については特に修正を加えないまま角田はその後も同じ実験を続けていたことになる。

 しかもこの点については、むしろ他の実験者が追試した際にその実験方法自体に問題があるかのように指摘している傾向が強い。八田の著書においても「数年間厳密に外国語の使用を禁じる、情動刺激や薬物使用を取り除くという条件統制」をしないと正しい結果が出ないと主張したとされるが(八田2013、p156)、更に不可解なのは、実験時に「被験者の両足うらは常に床に設置する必要があること」を主張した点だろう(角田2016、p315)。このような条件配慮をしていなかったことが追試で行われなかったことについてそれを方法論的欠陥だと明言しているが(角田2016,p24)、まずもって、この批判は最初の批判の焦点である「スイッチを押す間隔が不規則になった」には何一つ回答を与えず、この批判点に対する改善も見られなかったことは注目しなければならない。また、「両足うらをつけること」についても、その方法論的妥当性については他者に委ねたいと思うが、私が読む限りは「日本人の脳」の特徴と関連性があるとはとても思えず、ただツノダテストにおける「誤差の発生(角田理論に反する結果の発生)」に対する説明のために持ち出したものにしか読み取れなかった。

 

※4角田の実験においても「例外」と呼べる者がいなかった訳ではないが、例えば、例外とされた日本人を「病的偏移型」と名付け、「正常者のうちに数%の頻度でみられる、無自覚性の脳微損傷が疑われる興味ある例」 (p74)とする態度がそもそも適切な見方なのか、私には理解し難い。これも※3で述べたような例外処理の苦肉の説明であるように見えてきてしまう。

 

(2020年6月17日追記)

※5 本文以下の記載については誤りであると考えられるため訂正したい。というのも、ここで争点としようとした「数系列」というのは、「言語」として扱うべきであり、「単独母音」や「単独子音」の範疇には入りえないと断言できるからである。本書p84などに記載があるが、「単独母音」「単独子音」というのは1/20秒~1/13秒という極めて短い時間に出される音であり「言語という認識がもてない」レベルのものとされる。言語認識がもてる音声は角田も日本人と非日本人で脳の違いの相違を認めておらず、「数系列」においてもそれを聴くことで日本人・非日本人で差が出ない。

 したがって、ツノダテストはキムラ法と別の方法として行う理由が乏しいという八田の批判も正しいことになる。

<読書ノート>

P85-86「複合音の認知機構の差を直ちに日本人と西欧人との精神構造の差に結びつけるのは甚だ飛躍した考えと受け取られるかも知れない。しかし感性的な音が無意識のうちに論理・知的な言語半球にとりこまれて音認識をする日本人と、無意識のうちに言語半球から閉め出されて音認識をする西欧人の感覚は明らかに異質のものであり、この差が精神構造にも影響を与える可能性は充分に考慮する価値があると考える。

日本では認識過程をロゴスとパトスに分けるという考え方は、西欧文化に接する迄は遂に生じなかったし、また現在に至っても哲学・論理学は日本人一般には定着していないように思う。日本人にみられる脳の受容機構の特質は、日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばしば義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。西欧人は日本人に較べて論理的であり、感性よりも論理を重んじる態度や自然と対決する姿勢は脳の受容機構のパターンによって説明できそうである。西欧語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではなかろうか? 明治以来の日本の急速な近代化や戦後の物理・工学における輝かしい貢献に比べて、人間を対象とした科学が育ち難い背景にはこのような日本人の精神構造が大きく影響しているように思える。」

P88「さて、我々日本人は学校及び社会を通じて意図的に西欧文化の吸収に勤めており、その生活様式も著しく西欧化され、文明の余慶を受けていることでは西欧諸国に遜色はない。

しかしながら日本人の意識構造は甚だ画一的であり、かつ極めて異質なものであることは、屢々外国人や日本を離れた日本人によって指摘されているところである。私は日本人の画一性は同一言語で統一されていることに由来し、また日本語母音が有意語であるという特異性が西欧人とは異質な自然音の認知機構と感覚をもたらし、自然に恵まれた日本の風土と相俟って独特な精神構造を作りあげたものと考えたい。」

 

P110「日本人の精神構造や美意識を特徴づける「わび」「さび」などで表わされる情緒性や感覚が、脳の言語音、感性音また自然音処理機構の特性として捕え得るものであるならば、日本の伝統音楽は日本人の美意識に適合した形に作られて発達してきたものに違いないし、現代の日本人もまた日本の伝統的な音楽の感覚を身につけている筈である。」

P139「ところで、非言語脳で処理される音は西洋楽器の音、それから純音、雑音などのいわゆる物そのもの、マテリアルのようなものになってしまうのですね。だから、日本人の脳は「心」と「物」というふうな形に分かれるのだろうと思います。

西洋人の場合には、自分の感性も含めた自然界全体と、理性的なものとを峻別している。ですから彼らは言葉を受けもつ左半球の方を主体的に働かせて、自然界の音・虫の声を雑音と同様右半球で処理するわけですからこれらを客体化できるわけです。」

 

P292「日本語の母音の優位性が極めて特殊なものであることはこれまで説明してきたが、日本の近隣諸国に日本語型と同型の言語はないものであろうか? ヨーロッパ系の人々と西欧語圏で生育した日系二・三世は日本語と全く異なった母音の優位性を示すことが知られている。その後、朝鮮語、中国語(広東、台湾)、東南アジアの一部の人々についても優位性を測定する機会があったが、彼らは西欧語パターンを示していて、母音の優位性という観点からみると日本語とは全く異質の言語と考えられた。日本とは文化的に深い関係にあり、言語学的にもアルタイ語系として最も近いといわれる朝鮮語が完全な西欧語型を示すことがわかったことから、日本より北方の言語については日本語型を見出すことの可能性が稀薄であると考えられた。

ポリネシア語の母音の音韻構造が日本語に酷似していることから、以前から検査をする機会をねらっていたが仲々果たせないでいた。」

 

P360-361「創造性の研究というと、日本では多くの外国の著者の引用・紹介・まとめが主な作業となることが多いが、こういう文献を莵集するという作業そのものが既に創造性を無視していることになるから、せいかく、且つ客観的な研究状況の紹介や批判になり得ても、著者の主体性が失われてしまう。しかも現代のように情報過多の時代には、世界中の膨大な研究論文を読破してまとめるということが、既に個人の能力では不可能な作業となってしまった。情報の過多は情報の欠乏にも通じるのである。

さて日本人が過去に行なった創造活動の最も活発であった時期は、日本及び日本人が、周辺諸国と隔絶して、文化の交流が絶たれ、日本人が模倣という精神活動から一時全くつき放された時期、すなわち十七世紀から十九世紀にかけての鎖国時代ではなかったろうか。現代日本の伝統とされている主として芸術の面の大部分は、実は、徳川時代のこのゆるやかな醸酵期間に形成されたものであったといわれる。明治以後の日本及び日本人は、短い第二次大戦中を除いては欧米の影響をまともに受けてきたが、この一世紀以上の間に日本人の頭脳で創造し得た文化の所産となると甚だ乏しいのに愕然とする。我々、日本人はこの一世紀の間に、あるときは過去の日本の土着のあらゆる文化を否定してまでも西洋の文明を受け入れてきた。そして現在の自然・人文科学の領域において、学習に費やされる知識の源泉は、殆どが西欧由来の文化や技術であり、我々はこの西欧化・近代化を進める上の理想像としては、西欧人の理性になり切って自然や事物を考えるという観点に立つことを画いてきたのである。

しかしこのような観点に立ち得たとすれば、それは完全に西欧人の窓枠で物を考えるということにほかならない。他の文化圏を観察し、自然を認識する窓枠は日本人である限り、日本的窓枠から抜け出て西欧の窓枠に組み変えることででき難いのではなかろうか? そしてこのような借りものの窓枠で自然認識を続ける限り、日本人の頭脳で考えた日本的独創というものは決して生れてこないのではなかろうか?」

※一種の日本人論批判。

 

P364-365「心の病気を扱かう精神科領域での日本的独創といわれる森田学説のような神経症理論は西欧的思考法からは生れ難い特徴をもっているし、最近では土居氏の甘え理論は日本人の本質に迫った研究であるが、著者のあげた日本的窓枠とも暗合している。この甘え理論の着想は、患者との面接で、彼らがどういう言葉で自分の状態を訴えるかに注目し、またそれをどう記載することが日本語として正確かという点に心を砕いたことから生れたという。日本の医者が従来行なってきた、病状を限られたドイツ語で記載し、表現できぬものは切り棄てるという、西欧の教科書をモデル化して、日本人の診療に当てはめるという態度は病態を正しく認識する方法ではない。土居氏の着想は日本語で記載し、日本語で物を考えることを徹底して続ける過程からはじめて生れたのである。」

 

P375「創造活動にとって大切なのは、右の非言語脳の働きを妨げないことにあるから、我々が読書・討議・計算・講義をきくなどの左脳の活動をしているときに、論理過程を通して良い発想法が生れるものではない。読書にしても一気に読み切るというよりは、新しい知識を得たときに、一旦本を離れて、両脳を働かせて本の内容以上に考えを発展させるということを教えられなくてもやることが習慣になっている人がいる。こういう時に、言葉の左脳の働きから、両脳の働きにスイッチ機構がすぐに戻る脳を持った人は創造のための機会を多くつかむことができることになる。」

P378「日本人は古くから心を重んじてきたが、現代は心を忘れて物に関心が向けられている時代である。逆に、西欧人は理性中心の態度を反省して、東洋の思想に目を向けはじめている。この東洋の思想というのも実は、日本人の脳のメカニズムのうちに、日本人の文化の窓枠として、日本語が続く限り、宿命として、仕組まれているのである。

西欧文明の危機が叫ばれているが、それは西欧人の窓枠を通しては、新しい時代に即した創造が生れ得ない苦悩の表明ではあるまいか。数ある文明国のなかで、異質の、しかもまだ充分に創造性の発揮されていない文化の窓枠をもつのは、実は日本以外にはないのである。……

筆者は日本人が、日本人の窓枠の異質性にめざめて、借りものでない自分の頭で考え抜くときにはじめて日本人の独創性が発揮され、その所産は世界の文化に貢献できる可能性のあることを信じたい。」

 

黒崎勲「教育の政治経済学」(2000)

 今回から新しいテーマで継続的にレビューを行いたい。私自身が丁度学生時代に研究対象としていた分野にも関連するが、90年代から00年代の教育改革をめぐる議論を読み解いていく。

 その中で特に注目していきたいのは、教員組織の自律性、『改善』の意志を持った「専門性」をめぐる議論と、80年代以降、『改善』の要求を強調するようになった「日本人論」というのがどのようにこの改革をめぐる議論に位置づけられていたのか、という点である。両者の共通点である『改善』の視点と密接に関わる形で、教育改革をめぐる議論においても、まさに何を『改善』するのかという点が争われたものといえると思う。これまで「専門性」と「日本人論」の文脈について考察してきたことも踏まえ検討してみたいと感じたので、しばらく取り上げてみることにした。

 

 この『改善』の議論を読み解く上でまず押さえておきたいのは、

  1. 実態(教育の現状)をどう捉えているのか
  2. その実態の何が問題か
  3. その問題を改善するためにどのような方法により解決するのか

 という、3つの問いのセットである。これを『改善言説の枠組み』と呼びたい(以下、『枠組み』と呼ぶ)。この枠組みが十分に焦点化されているかというのがまずもって重要であり、この三つのどれかが欠けると、その改善言説は有効性を欠いたり、虚構を語っているのと同じになりかねない。基本的に教育改革をめぐる議論の検討においては、この視点からどう語られているかを検証していくことにしたい。

 

 

 初回は黒崎勲を取り上げる。黒崎は世識書房の「教育学年報」上で藤田秀典と「学校選択制度」を中心にした論争を行ったことで知られているが、論争から出てくる論点は当時の教育改革をめぐる議論の導入としてはそれなりに適切であると言えるだろう。

 

 

○黒崎と藤田の『改善言説の枠組み』について

 

 まず、本書の黒崎の議論からわかるのは、『枠組み』(1)に関して、行政改革委員会のような、政府系の組織における現状認識をほぼ全面的に追随しているということである。このような議論はすでに中野雅至のレビューでみた「公務員バッシング」言説のような中央省庁批判・つまり「統制的」な政策を行ってきた文部省への批判や、「学校で学ぶことは役に立たない」といった議論に見られる官僚制批判の文脈を大きく依存していたといえる。黒崎が学校選択制度をはじめとした議論で「学校の自律性」を強調するのは、このような官僚制への批判として、p105のような前提に立っているからであり、「国=上からの」教育政策の硬直性が認められると考えるからこそ、「学校単位=下からの」教育政策が重要であると殊更強調したのである。更に「専門的官僚制と職業的教育者による教育行財政制度の独占についての弊害」(p93)、「専門職の独善と学校の閉鎖性」(p137)といった主張などからも、当時の行財政改革の言説で語られていた『枠組み』(1)の問題意識と基本的に区別できない立場に黒崎はあると言ってよいだろう。更に教育の専門性批判の文脈から、国民の教育権論への批判意識も相当強く、p151-152のような見方もこの『改善』に対し正当性がある根拠とみているのである。

 

 この「専門性」をめぐる国民の教育権論への批判などは私自身も「恵那の教育」の議論で実証的に示そうとしている通り問題含みなのは確かである。更に、黒崎は堀尾輝久のような国民の教育権論者を批判するのと同様に、p147にあるように藤田の議論においても具体的な『改善』に関する議論に乏しいことを批判している。しかし、ここでは藤田の言い分も聞かねばならない。これまで「日本人論」の議論の曖昧さの中でも議論してきたように(※1)、教育改革の原動力であるネオリベ勢力における日本人論をベースにした改善言説というのも正しいのかどうかという議論は当然ありえるように思える。この事実を極端に歪めて議論していたのが千石保であったが、千石は「教育病理」問題について特に飛躍した解釈を行った結果、事実を歪め日本の教育について改善を行うべきであるかのような主張を行った(千石保のレビュー参照)。これはネオリベ言説が支持した「日本人論」においても同じ前提を共有しており、多かれ少なかれ、議論の飛躍を行っている場合も多いことを示唆する。そして、黒崎もこの前提を追随しているため、藤田はこの観点をまさに批判している傾向が認められるのである(※2)。

 藤田の議論は前提として「日本の教育は(少なくともネオリベ勢力が言う程には)悪くない」し、むしろ事実誤認に基づいた改善を行おうとしている点で害悪であるというのが学校選択制批判においても主要な見方である。だからこそ、藤田はしばしば海外の教育改革の動向と日本の動向を比較し、日本の動向はその動きと反対であるかのような状況を批判する(cf.藤田「市民社会と教育」2000,p5~7)。なぜなら、日本はむしろ世界から注目された教育を行ってきたからであり、その模範となってきた方策を海外が倣っているものとみているからである。

 

 さて、藤田は学校選択制についてどうみているか。藤田の著書「教育改革」(1997)では冒頭で学校選択制をめぐって「うわさ」が必要以上の影響を与え、それが学校の「共同性」を不必要に破壊することを強く非難している(cf.藤田1997,pi~vi)。学校の教育においては信頼関係、共同性により「よい教育」がなされるものだという前提があり、「学校選択制」はその基盤を突き崩す要素しかもたず、保護者を学校教育への参加者ではなく、消費者にしてしまう。また、教員や学校に対する評価も根本的に黒崎とは相違しており、基本的に否定的ではない(少なくとも、ネオリベ言説が言うような問題はないということを確信している)。黒崎は藤田の議論に対し「改善策がない」ことを非難しているものの(p147)、これはある意味で『枠組み』の(2)が問題に値しないという認識であることから藤田が(3)の視点に(少なくとも相対的に)乏しくなっているのは当然なのである。藤田と黒崎の議論の相違において最も顕著なのは、この『枠組み』の(特に(1)の)ズレにあるといってよい。

 正直な所、この『枠組み』の(1)の論点に限れば、黒崎の方が説明に乏しいと言うべきではないかと思う。確かに両者の議論は「社会問題」に振り回されすぎていると言わねばならないほど、実態把握の議論に乏しい。特に黒崎はこの議論を「一般大衆」が『改善』を望んでいることを根拠に『改善』を要求する。このこと自体も検討しなければならないがそれほど誤りであるとは言い難い(※3)。しかし、これは『枠組み』との関連で言えば、著しく妥当性を欠いている。恐らく藤田もこのような黒崎のスタンス自体承服しかねるという理由でも、黒崎の批判に執拗にならざるをえないと言えるだろう。

 しかし、他方で黒崎が藤田批判の焦点としている『改善』への視点の欠落という点も無視することはできない。藤田の『改善』に対する視点というのは今後のレビューの課題とするが、藤田自身も過去の日本の教育全てが正しいと考えている訳ではない。しかし、何を問題をし、何を改善すればよいと考えているのかよくわからないという黒崎の言い分はそれなりに正しいように思える。藤田は恐らくは「国民の教育権論」の一派であるとは言い難く、それなりに擁護の余地もあるように思えるが、やはり『改善』に対する視点について「国民の教育権論」と同様のレベルではないといえる程の議論を行っているとは言い難いのではなかろうか。

 

○守られるべき「共同性」とは一体何なのか?

 

 学校選択制をめぐる議論の焦点の一つとして教育における「共同性」が挙げられる訳だが、これをどう考えればよいのかは黒崎がこの「共同性」について空想的に過ぎると言っている(cf.黒崎「教育行政学」1999,p49)点からも検討せねばならない点である。

 この点について、藤田の論点は2つあるように思える。一つは、素朴な「地域性」についてである。

 

「この<面>としての生活圏が重要なのは、それこそがリアルな日常生活の基盤だからである。親子であれ、仲間であれ、顔見知りの人であれ、あるいは見知らぬ人であれ、多様な他者と出会い、さまざまの関係を築き上げ、その関係のなかで喜んだり悲しんだり、思い悩んだり葛藤したり、反目・対立したり、協力し合ったりしながら生きていく、その基盤である。好きか嫌いか、好みに合うかどうかに関わりなく、対面的で包括的・多面的な関係に組み込んでいく、その基盤である。」(藤田2000、p15)

 

 そして、このことを根拠に藤田はもう一つの論点である「共生のための受容」を強調する。

「確かに現行の通学区域制の下では、学校・教師を選ぶ自由は正当な理由がないかぎり認められないことになっている。それは紛れもない事実である。しかし、この<選ぶ自由がない>という事実と、<生まれた家庭、生まれた階層、生まれた国は選べない>という事実の、どちらを優先するのかということは、私たちの社会がいま突き付けられている実に重い問題である。前者の事実を重視して、そのなかで前者の事実に起因する問題や不満の解決を図るのか、これは私たちの良識と英知が問われ試されている重大な問題である。」(藤田2000、p11)

 「この「共生」という価値は“選ぶ”という行為によってではなくて、“受け入れる”という行為、“関わる”という行為によって実現されるものである」(藤田1997、pviii)であるために、ここでは「選択をさせない」ことを強いることの価値を支持するのである。

 

 しかし、まず「地域性」の議論に限っていえば、なぜすでに「選択制」が実現している私立学校に対して「学校選択」を非難しないのかが理解できない。藤田の理屈であれば、私立学校もまた排除されるべきものであり、いくらそれを尊重するとしても、一定の地域の限定を定める主張はされてよいのではないのだろうか。少なくとも、私立中学校の選択をさせる場合においても、次のような主張は全く同じ論理になるはずである。

 

「どの中学に行くかを選ぶことができるということは、裏返していえば、どの中学に行くかを選ばなければならないということである。選択の自由があるということは、一般論としては好ましいことに思われるかもしれないが、小学生がどの中学が自分にとって好ましいかを判断することは、けっして容易なことではない。学校の選択は、お菓子やおもちゃを買う場合とは、わけが違う。……

 この選択が重要なものであればあるほど、そこに内包される問題も重要なものになる。まず、そのような重要な選択を小学生が自分の判断でできるとは考えにくい。むろん、できる子どももいるであろうが、たいていの子どもは親の好みや判断に左右されることになろう。そうなると、教育機関の階層差が中学段階から具体化することになる。現に私立や国立の小中学校で見られるような親の経済力の差や文化的好みの差が、公立中学校でも起こることになる。」(藤田1997、p85)

 

 しかし藤田が行った膨大な学校選択制度批判の議論においては、管見の限りこの論点について全く触れようとしない。正直な所何か私立学校と癒着関係があるのではないかと疑ってしまう位、棚に上げてしまっている。黒崎も指摘するように、「公立学校不信」と呼ばれる現象の一つは、小尾乕雄のレビューでもみたように学力上位層の私立学校への逃避というもので語られたり、また私立に通う保護者の不満が語られることで可視化されてきたはずである。にも関わらず、なぜ藤田は公立学校の選択に限りコテンパンに批判し、私立学校の選択は無視してしまうのだろう?

 この理由については、学生時代の私にはどうしても不可解であったが、「新自由主義的教育批判」という文脈でこれは考えるべきことなのだろうと思う。藤田の具体的な教育政策批判の一つに「週休二日制」の導入が挙げられる。この導入は藤田が「文明論的議論」と呼ぶ日本人論的文脈の影響を受けたものとして捉えていた(藤田1997,p138)。さて、ここで「文明論的」とは何を指すのか。藤田は「文明論的」と「文化論的」という用法を分け、次のように説明する。

 

「学校週五日制の導入をはじめ昨今の改革動向とその支持論は、文明論的ストーリーに与している。しかも、異常に述べたように文明論的ストーリーには種々の疑問があるにもかかわらず、いまやそれが自明視され規範化され始めている。なぜなら、文明論的解釈は変化の方向を理念化し、改革の意図と結果を等置してしまうからである。また、文明論的ストーリーのまえでは、文化論的ストーリーは保守的なものと見なされがちだからである。しかし重要なことは、文化論的ストーリーと文明論的ストーリーとの交点で諸改案の功罪を検討し、適切な改革を進めることである。そして、その際、学校教育の改革、とくに学校週五日制や公立中高一貫制といった制度改革は、一方で教育の効率性・生産性や公平性・平等性に関わる問題であり、もう一方で、青少年の生活と成長をどのように枠づけ、編成するかに関わる問題だということを忘れてはならない。それは、青少年の生活と成長に対して社会がどのように責任をひき受けるかという問題なのである。」(藤田1997,p152-153)

 

 一言でまとめれば、文明論的ストーリーおいては、「文明としてのイエ社会」で言う「単系的発展論」、つまりあるべき「近代」の型は一つであり、それ(欧米)に追随することこそ正しいと捉える文化論の視点を想定している。一方で「文化論的」という表現は文化相対主義的な見方でその優劣にこだわらない態度を指しているといえる。結局、週休二日制の議論を始め、学校選択制など、藤田が批判を行う教育改革における政策というのは明らかに「教育」の外部から語られている議論であり、それは教育の内部から問題意識が与えられることのないまま『改善』を要求されているものと位置付けているのである。確かに週休二日制に限れば、外的な影響がかなり強かったと言え、正しいということもできる。

 しかし、学校選択制については少々事情が異なる。学校選択制の遠因となっているといえる「私立中学校の選択」と相対的な公立学校の学校不信の動きというのは、学校選択制のかなり以前からあったものだし、下手をすると小尾通達の出た60年代末まで遡ることのできる議論である可能性を否定できない。つまり、この議論というのは「新自由主義的政策」とは別の文脈から問題が出てきている可能性があるし、この不信感というのは極めて全うな「教育内部」からの訴えであるということもできるのではないのだろうか(※4)。

 

 更に、藤田の主張をみていると、学校選択制を導入しないことで守るべき「地域性」というのは、「共生」の文脈でいえばむしろ無視してさえよいと言えるようにも見える。藤田は結局学校内にいる者の多様性を何よりも強調しているため、「地域性」という文脈は必ずしも必要ないのである。むしろ素朴に教育の支持基盤の一つとして、「地域」を強調しているにすぎないのであり、学校選択はその支持者(信頼)を失うことにしかならないという観点から批判していると言えるように思う。

 藤田のいう「受容」という視点は、一見「共生」という観点からいえば一理あるように聞こえるかもしれない。しかしそれは必ずしも「共生」に関する「受容」に留まるとは限らないし、藤田の議論の趣旨からはどうも多くの意味が含まれているように聞こえてならない。つまり、「多少の不満」のようなものもそれが学校運営に参加する活力になる『可能性』になるから強要しろ、とでも言いたいような雰囲気を感じることもある。しかし、翻ってこのような可能性を実現するためには、現状の学校教育がこのような『可能性』に開かれているのか、教育専門家による官僚制下においては、そのような『可能性』に閉じており、生産的な議論になりえないのではないのか、という素朴な疑問も提出しなければならないだろう。例えば、都内の私立進学率の高さは学力問題に限らず、より広い意味で「地域の公立小学校に安心して託すことのできる状況にない」ことが理由にあると捉えていること(黒崎「教育行政学」1999、p115)はそこまでずれた発想とは言い難い。この「安心して託すことのできない」状況は90年代後半当時で少なく見積っても20年近く続いていたはずである。にも関わらずそれが改善できないのは何故か、教育の専門家はそのことに対し本気で考えてきたのかと言われると、国民の教育権論がそうであったように、具体的な政策の議論を、特にその制度的な改変に関する議論を怠ってきたからではないのか、と言われても仕方がないように思える。特に標準化にこだわり続ける態度からはこのような問題解決を積極的に行う姿勢が乏しくなるのではないのかということが、黒崎の問題意識の主たるものなのであり、これについても、「ネオリベ言説を追随しすぎている」といくら言ってみても、一定の正当性が認められるように私には思えてしまうのである。

 

○「学校選択制度」はそれ単独で語ることができるのか?―「自治体行政」の着目について

 

 学校選択制度の弊害というのは黒崎も承知の上で、二つの議論があることを強調する(p96-97)。黒崎の議論は「改善」ありきであり、「創造的、革新的実験のチャンスの保障」を行うのであれば、学校選択制度はなくてはならないとみることで、その弊害の議論とは分けて考えるべきだとする。標準化に向かわない(官僚化を否定する)教育実践はその自律性に加えp112で指摘されるようなリスクや、平たく言えば「好みの問題」といった議論も生まざるを得ない。そのような教育における「好みの問題」のレベルの議論はむしろ学校選択制度でないと行えないのではないのか、と黒崎は考えている。逆にそのような枠組みがなければ、公立学校では標準的な取り組みしか行うことができず、「独創性」ははじめから否定されなければならないからである。

 このような視点からも、黒崎は暗に学校選択制度はそれ単体として機能するものではなく、その理念や複数の制度的枠組みを前提にし、その枠組みの一つとして学校選択制度は「担保されなければならないもの」として位置付けている節もあるといえる。

 しかし、藤田の場合、管見の限り、「新自由主義的政策」の一環として学校選択制度を位置づけるものの、黒崎の視点とは明らかに異なり、これを一つの独立した制度であると前提し、これを批判する態度が一貫していた。そこには複合的な制度としての一つである学校選択制度という視点には極めて乏しい状況にあった。

 これに関連して藤田の議論の問題は、この「学校選択制度」は無条件に批判されるべき性質のものであるため、その現場での運用がいかに行われていたのかという視点も欠き、この制度が「改善」に寄与した形で個々の自治体で運用されているのかという視点も全否定したことであった。正直な所、このような態度の取り方こそ「改善」のための可能性を閉ざす類の「官僚化」の産物であるようにさえ私には思える。「学校選択制度」のデメリットをどのように活用し、「改善」を促すのかといった生産的な問いをあらかじめ否定しまうため、実際にこれを運用していた自治体に対する評価さえまともにしなかったということである。藤田も学校選択制度を支持するかしないかというのは支持すべき価値観の程度問題であると言う(cf.藤田1997,p3)。しかしこの価値観というのは、行政の複合的な政策の如何で教育全体としてはある程度その重きなどをコントロールできる可能性もある。例えば、学校選択制度批判の主たるものの一つである「序列化(入学者数の減)」などについては、そのような支持されない学校は『改善』の必要性があるという理由で、「力のある校長」を入れたり、相応の教育的なリソースを導入するといった人事的・財政的政策を行うことは公立学校の平等性確保という意味では正当性が確保される見方であり、そのような対応を通じて公立学校全体の底上げをすることは可能なのではないのか。しかし藤田にはこのような目線はなく、学校選択制度の是非について先回りして批判をしてしまう。これも結局藤田が批判する「外からの(ないし上からの)」教育改革のアクターの動きからしか政策を評価せず、実際の制度改革の主体となりうる「内からの(ないし下からの)」アクターとしての自治体への視点の欠落があるのではなかろうか?この「内からの」という視点は、学校現場との関係性で言えば自治体の位置付けは微妙なものとなるという点からも、役割について軽視しているように見えてしまうのである。

 

 逆に言えば、このような自治体に対する「評価」なしに何故これまでの教育に対してまでどうこう言うことができるのか、という疑問さえ出てくる。教育実践の「地域性」の重視、現場の重視などを行いたいのであれば、『改善の分析枠組み』は自ずとケース事例に注目されねばならなくなるはずなのだが、それさえも行わないこと、そしてそのような議論が正当化されている教育の言説そのものに疑義を提出することさえできてしまうのではないだろうか?これが如何にして可能となるのか、藤田がどう考えていたのか(もしくは考えていなかったのか)については、今後、藤田の議論を読み解きながら検討していきたい。

 

 

 

※1 もっともこの曖昧さの議論は、80年代以降の「改善言説」を主とした日本人論の検証としてではなく、それ以前の日本人論固有の問題として捉えてきたところであるため、ある意味80年代以降の言説の正当性についてはまだ私自身も検証を行っている訳ではない。ただし、そのような語弊の多さというのは、80年代以降の議論においてもそれなりに有効であるように思えるし、そうであれば『枠組み』の(1)や(2)についてどのように語られ、それが正しいと言えるのか、という検証は行われてしかるべきだろう。

 

※2 例えば、中高一貫校の導入の是非について藤田が批判をする際、「西欧諸国では中等教育が六年制で行われているからといって、日本でもそうしようというのは「隣の芝生はよく見える」というたぐいの印象論のレベルで教育改革を進めようとするものであり、無責任もはなはだしいといわざるをえない。」といった言い方がされる(藤田「教育改革」1997、p86-87)。ここでは、端的に『改善』の必要性について「安直すぎる発想」というニュアンスが強く含まれている。これは、「改革の気分」という言い方をする次のような指摘からも言える。

 

「この「改革の気分」はゆがんでいないだろうか。こうした「問題」のとらえ方に問題はないのだろうか。そこで提案され、進められている改革や対策は本当に「問題状況」を改善することになるのだろうか。

 これまで見てきたように、改革推進論を支配している問題のとらえ方はきわめて一面的であり、進められようとしている改革や対策には矛盾が多く、種々の重大な問題が見過ごされており、さらには、この「改革の気分」は全体主義的な傾向をもち始めている。右に列挙した問題が重要で、なんらかの対応が必要だということはいうまでもないが、改革至上主義的な時代の気分とそのなかで提案され進められている主要な改革は、日本の教育社会と学校のあり方を根本的に変えていく可能性、しかも見方によっては、極めて好ましくない方向に変えていく可能性をやどしている。」(藤田1997、p173-174)

 

※3 例えば児美川考一郎「新自由主義と教育改革」(2000)で指摘されているように、各種メディアで世論調査が行われる中で、「学校不信」(読売新聞社「学校教育に関する意識調査」1998年4月実施)や「学校選択制の支持」(毎日新聞社、1998年12月20日世論調査)というのは、国民の意志として表明されている(児美川2000,p78-81)。

 

(2020年9月1日追記)

※4 例えば、藤田武志は1950年代の東京における私立、国立中学への入学、及び学区域を越えた「越境入学」が相当数あったことからすでに中学校が「選ばれる」ことのまなざしが一定の圧力として機能していたことを示唆している(藤田武志「受験体制の生成に関する社会学的考察」藤田英典ら編『教育学年報7 ジェンダーと教育』1999、p497-524)。これもまた、「ネオリベ勢力」とは関係のない形での学校選択を支持した系譜の一つとして位置付けることも可能だろう。

 

<読書ノート>

P10「日本において現在進行中の教育改革は、一九六〇年代以降四半世紀にわたって確立、定着してきた教育改革政策の構造を著しく変容させるものとなっている。このような構造的な変容を遂げつつある時代の教育理論の役割は、そのような教育改革の動向を観察し、評価することに留まらず、これにかかわるさまざまな関係者のそれぞれの目的意識的な実践の可能性を拡大するために、主体的、能動的にこれに関与するところにあろう。いいかえれば、教育を単に現象として対象化するというよりも、目的意識的な営みとして教育に接近するところに教育学理論本来の特性があるというのは、本書の方法的態度である。」

P13「こうして一九七一年中教審答申に集大成された教育改革政策の構図は、教育を経済的要請に即応させるものであり、国家的な長期教育計画として、国家の機関が、すなわち文部行政が教育改革を実施するという特徴を備えるものとなった。現在進行中の分権化と選択を基調とする新しい教育改革政策は、こうした従来の教育改革の構図を否定するものである。この教育改革政策の構図を根本的に変容させたのは臨時教育審議会の改革提言であり、第一四期中教審における審議経過報告であった。」

※「臨時教育審議会における教育の自由化の提言は、教育は市場における公正な競争原理を通してのみ、高度な知識と技術が集約され多様化された社会を特徴づけられる二一世紀の情報化社会に適応した活性化された姿に保たれうると主張し、教育改革を国家的長期計画として実行することを否定するものであった。」(p13)。また、46答申では「また、この教育の改革と拡充整備は国家的に巨大な資源を必要とするが、わが国の今後における社会の経済発展の見通しを考慮すれば、けっして実現困難なものではなく、それを実行できるかどうかは、もっぱら政府の決意と努力のいかんにかかっている」と述べられた(p13)。

 

P16「たしかに、わが国の新しい教育政策においても、競争の価値が強調され、学校教育の活動をビジネス界の用語によって説明し、正当化するという傾向は強固で、明瞭なものである。しかし、教育を商品化し、市場経済の論理によって教育制度の運営を語るという新しい教育政策の動向は、わが国の教育をこと改めて経済的目的に従属させるものではない。逆に、学校教育を社会的要請に応ずるとの観点から多様化し、経済的人材需要に適応させてきた従来の教育政策からの転換の基調として、分権化と選択の理念が語られているということも、確かなことなのである。すでに述べたように第一四期中教審答申が、経済的に非効率になっても教育的な意味で効率的であることを述べて、それまでの教育政策を反省してみせたことの意義は小さいものではない。」

※この議論は常に「意図せざる効果」をめぐる議論でもあり(※体制批判言説はある意味「意図した効果」を全否定し語られないことへの強調の繰り返しである)、政策提言だけでなく、エビデンスもないとその「期待される(予想される)効果」の議論はできないはず。ある意味でそれが示せていないことが黒崎の弱い点。

P20ジェフ・ウィッティ(1998)の引用…「特定の類型のコモンエデュケーションを選好する社会民主主義的アプローチはすでに正統性を失っており、増大する専門性と社会的多様性に応える方途を発見する必要がある。しかしながら、左派は、我々がこれまで研究者として、社会的不平等を再生産し、正当化してきたと批判の対象とした教育とは根本的に異なるような公教育の概念を発展させる努力をほとんどしていない。」

※これに対し「わが国の教育改革論議においても同質の問題点を見いだすことができるといえよう。」と述べる(p20)。

 

P37ハイエクの引用…「(個人主義に対する通常の誤解のうちでも一番馬鹿げた)誤解は、個人主義は社会の中に存在することによってその全体の本質と性格が定められている人間から出発するものではなく、孤立した個人、または自足的な個人の存在を前提にしている(もしくは、このような想定に議論の基礎を置いている)という確信のことである。」

※「ハイエク全集3 個人主義と経済秩序」p8-9。

 

P92「教育の民営化については、資本による利潤追求の試みであると理解するステレオタイプがある。……藤田は、市場経済における商品の流通・交換に働く原理を選択の理念と名付け、選択が民主主義社会における基本理念であることを承認するが、しかし、こと学校については、「教育政策が公論の対象として論じられ選択される公共の場を提供し、もう一方で、公共の営みとしての教育実践が展開する公共の場、教育実践に直接・間接にかかわる人びとが出会い、相互交流する場」でなくてはならないというのである。ここにはいわゆる市場原理が資本主義経済の論理を体現するものであり、資本による私的利潤の追求に対しては社会の公共性を擁護するための対抗原理を必要とするという藤田の資本主義社会についての理解が存在している。」

☆P93「堀尾の議論にも藤田の議論にも、共通して市場経済あるいは市場原理を資本主義経済の実質と観念し、現代的人権としての教育を受ける権利の保障は市場原理を否定する制度を不可避的に媒介にしなければならないという「確信」が存在する。教育に対する公共的な関心からの規制を緩和し、あるいは廃止しようとする教育の民営化政策は現代的人権としての教育を受ける権利に逆行するものということになる。しかし、そこには現代社会における教育を受ける権利を保障する公教育制度が内包する専門的官僚制と職業的教育者による教育行財政制度の独占についての弊害を批判し、これに対して改革を試みる能動的なアプローチを見いだすことは出来ない。」

 

P93-94「しかし、(※人権の理念が市場の等価交換関係の一般化に対応する歴史的な観念であるという)マルクスの定式にも別の問題が存在している。人権概念の概念的土台となる市場の等価交換関係が資本主義経済の実質と重なるとする定式からは、人権概念は資本主義社会の支配関係を覆い隠すイデオロギーに過ぎないとの結論が導きだされることになるからである。」

※「堀尾輝久は人権概念を純粋培養型資本主義に照応する社会思想と規定した」(p94)ものの、結局は「人権としての教育と市場原理による教育の民営化はメダルの両面なのであり、これを相互に対立させ、人権としての教育の価値理念によって教育の民営化に対抗することは、観念上の希求としては理解できても、論理的には混乱以外の何ものでもない」(p93)。要するに市場主義批判のために擁護する人権概念はそもそも市場主義(の源泉である資本主義)の産物でしかない、ということである。この見方もある意味では正しいという他ないが、他方で決定的な議論と言い難い。結局は「よい教育」に寄与できるのはどちらかなのかに基本的に還元される問題であり、それは理念としてバラバラな堀尾、藤田的な理解による人権擁護でも一応問題はないからである。

民主主義的な価値観により、「皆で決めなければならない」の支配を受けている可能性も高い。この意味では、「よい教育」云々のレベルでもともと議論を行なっていないこと自体が問題とも読めるか。

 

☆p96-97「こうして学校選択の自由を強調する議論は、二つに分かれることになる。学校選択の推進論の中のこの二つの論拠の違いについて、十分に注意が必要である。「保護者の意向、選択、評価を通じて」学校教育活動の多様性と適切性を確保するという前者の考え方は、教育制度にいわゆる市場原理を導入すれば、自由な競争によって学校は自ずと改革されるという信念に立っている。しかし、これは、あまりに単純な議論であり、起こりうる弊害についての慎重な考察に欠けている。公立高校においては現に「学校が選ばれる」制度になっているが、実際には、学校は序列化され、生徒が学校に選別されているのであり、その弊害は様々に語られているところである。

 ウィッティが指摘するように、単純な市場原理による学校選択制度は「混乱」をもたらすだけのものであり、あるいは「持てるもの」と「持たざるもの」との格差を広げる結果をもたらすとの批判、あるいは、公共精神を衰退させるとの批判もまた広く行き渡ったものである。市場原理を万能視する学校選択についての提言には、専門家の深い経験と理論に媒介されなければ到底成功は覚束ない教育活動の営みの実際的な過程に対する十分な考察がない。

 これに対して、後者の学校選択の意義の提唱は、公立学校制度の伝統的規範に縛られて公立学校の改革を妨げている教育行政の官僚化を打破し、個々の学校の改革の努力を導きだすためには、学校選択制度が必要であると説くものである。公立学校制度に創造的、革新的実験のチャンスを保障するために学校選択制度の必要を提唱する論者は、単純な市場原理の導入という乱暴な理念によるのではなく、学校をめぐる意思決定過程に「抑制と均衡の原理」を導入して、学校を教育行政の官僚主義からも、専門家の専門職主義によふ閉鎖性からも解放させ、教職員、教育行政当局、親、子ども、地域コミュニティの市民といったさまざまな関係者の力と働きを再結合する場として学校を再構築することを目指しているのである。学校選択制度の導入は、意欲あふれる教職員に対して「公立学校であるから」といって現状改革を妨げられることのない状況をつくりだす。他方で、学校選択制度が存在すること、そして現に選択による実験的な学校が存在するという事態は、教育行政の当局者および学校関係者に問題を抱えたまま現状を放置することを許さない環境をつくりあげるのである。」

 

P100「教育の民営化は公教育の解体ではない。もともとアルチュセールの国家イデオロギー装置についての研究に従えば、公私の区分は再生産の営みにとっては本質的な意義をもたない。その国家およびイデオロギー論の核心は、私的な機関もまた、公的な機関とならんで、社会の再生産の営みを担い、国家イデオロギー装置としての機能を果たすという点にあったからである。」

P100「教育の民営化を理念とする新しい教育政策の動向は、ハイエクの政治経済学に強い影響を受けるものであったとされる。しかし、すでに検討したように、ハイエクの社会理論には公教育の縮小=解体などと把握される以上の、近代社会の本質的理解にかかわる重要な問題提起があった。そこでは、人間理性を積極的に限界づけることによって、近代合理性の内面的抑圧から人間の自由を回復させる自覚的な志向が含まれていた。これに対して、現在進行しつつある教育の民営化政策の動向には、こうした積極的な理論的考察を見いだすことができない。それはハイエクの政治経済学に刺激を受けるものとの通説的理解にも拘わらず、ハイエクの社会理論および道徳理論の有する本質的、発展的側面を自覚的な課題として追求しようとするものではないのである。」

 

P105「行政改革地方自治が最大の政治課題として党派を超えた議題となっているのは、国家および地方公共団体の行政活動の適切性と効率性が疑われ、そのことを通して法的規制あるいは行政指導の正統性が根本的に問われるところにまで、日本の社会諸制度が行き詰まっているとの状況認識を背景としている。膨大な財政赤字の累積という事態一つとっても、そうした認識が架空のものでないことは明らかである。こうした事態に対処し得ず、既存の制度と手続にのみ安住するかに見える政治およぶ行政に対する国民の目もこれまでになく厳しいものとなっている。

こうした文脈において見るとき、教育行政についてもまた、規制緩和が叫ばれるのは当然のことである。」

P107「筆者はさきに規制緩和小委員会で意見を述べる機会があった。その場で看取し得た委員および事務局スタッフの準備と議論から推測するならば、筆者がこれまで自覚的に追求しようとしてきたような、市場原理の単純な適用による教育へのインパクトについての神話と公立学校における独創的な実験を可能にするための仕組としての学校選択を区別しようとするなどといった感覚は、規制緩和小委員会の問題発想のなかには存在していないようであった。「論点公開」の後で催された懇談会において同委員会の立場を代表して大宅映子座長が述べた発言に端的に見られるように、そこにあるものは、ほとんど市場のもつ反官僚制の機能への信念といったものによって支配されているようにみえる。」

行政改革委員会規制緩和小委員会を指す。96年の動き。この見方はあくまで委員会の態度に過ぎず、官僚制が問題であることが事実であるかどうかは別問題である。

 

P108-109「ところで、学校選択についての擁護論とは別に、規制緩和小委員会のヒヤリングの席でも話題となったのは、学校選択の理念はいいとして、はたして日本の学校教育の中に選択が問題となるほどの多様性を生み出すことが可能かどうかという点についての悲観論であった。……これらの議論は、たしかにいかにも「現実的な」ものである。しかし、これらの議論はいずれも学校選択制度を、市場原理=自由競争によって自動的に教育改革のメカニズムが動きだすという類のものと理解しているといえよう。そのうえで、自由競争は一元的な偏差値序列に必然的に帰結し、また学校選択論のいうような市場原理の前提は、画一性に慣れて来た日本の学校制度においては準備できないだろうという趣旨からのものであろう。繰り返し述べることだが、そのような、市場原理によって自動的に教育改革のメカニズムが動きだすなどという主張は、到底教育改革の実際的な理論として受け入れることはできないということは、スティーブン・ボールあるいは学校選択に反対する多くの論者とともに、筆者もまた、そう考えている。しかし、そのことは学校選択制度の理論的意義を否定するという結論に行き着くものではない。

 学校選択制度はそのような市場原理による自動的な教育改革のメカニズムを信奉するものではなく、別の根拠をもって、教育改革についての別の理論的見地から、主張されるべきものなのであり、筆者の学校選択の意義の提唱はそのようないわゆる市場原理の学校制度への単純な適用とはまったく違った教育改革問題に対するアプローチによるものなのである。すでに述べたことだが、学校選択制度の主張を二つの類型に分け、市場原理の単純な適用を原理とするものと抑制と均衡を原理とするものにわけるというのが、筆者の学校選択制度についての理論的整理の結論である。それは公立学校制度を民営化することを最終目標とする学校選択制度と、公立学校制度の再建と活性化のための必須の道具と位置付ける学校選択制度との対比であるといってもよいものである。」

 

P111「しかし、学校選択制度は機能するために前提となるこれらの教育専門家あるいは親と生徒は、もとより多いに越したことはないが、ほんの少数でもよいのである。むしろ、少数の、真に意欲的で創造的な公立学校改革の努力を、公立学校制度の枠組みの中で保障し、その実験的な試みの意義と限界、成果と問題点を広く、実際の学校教育活動の実践を通して検証することとそ、学校選択制度を必要とする最大の理由なのである。それにしても、こうした先進的な教育専門家、親、生徒などの存在を前提にすることは非現実的な想定なのであろうか。筆者は、日本の教育界の現状認識として、これを非現実的とは考えない。さらに、もし、こうした想定を非現実的に想定するならば、そもそも教育を改革するということ自体が非現実的なことになるのではないかと疑わざるをえないのである。」

※果たしてこの検証はできているのか?

P112「各学校が魅力的な学校づくりを保障する条件として通学区制度の維持が主張される場合、そうした学校づくりの試みは専門家の独創的な努力によるものとなろう。しかし、専門家の独創が独走に終わらないとはいえないし、実験がリスクを負うものであることも否定できない。仮に専門家が独走するほどであれば、通学区制度はそのリスクを強制的に子どもに負わせることになる。」

 

P137「しかし、選択は、親の教育への期待、評価を形に表わすことを可能にし、親に正統化されない教育活動には存在の根拠がないということを示すものである。誰に対しても平等で最善の教育は専門家の手によって初めて可能であるとする伝統的な公立学校の規範が、専門職の独善と学校の閉鎖性をもたらしているとすれば、親の選択の自由が、学校を解放し、専門家教職員の責任を直接に問いかけるインパクトをもつことになるのは明らかである。」

学校評価の議論として捉えるべき。

P138-139「学校選択制度に対して、公立学校制度がはたしてきた地域社会を形成する機能が失われるとする批判がある。……

 しかし、現実の通学区制度は学校とコミュニティを密接に関連させているとはいえない。生徒の人間的な成長がコミュニティのなかで実現し、教育がコミュニティを形成する重要な機能をはたすということは、むしろスモールスクール運動が強調するものであった。……すでに言及したように、コミュニティと学校をいきいきと関係づけるときに初めて、学校が生徒の教育に成功するものであり、せまい個人主義を乗り越えることができるというのがニュービジョンの設立の精神に他ならなかった。スモールスクールの運動が批判し、選択制度が改革しようとするものは、こうしたコミュニティの必要に応答せず、責任を果たそうとしない現行の公立学校制度の官僚制についてである。」

 

P145-147「藤田が問題視するのは、一貫して「市場原理がもつ教育意識『改革』の危険性」である。「学校選択は親や生徒の学校、教師に対する期待と信頼の質を変え、さらには地域の学校が保持していた共同性の質を変え、さらには、地域の学校が保持していた共同性の質を変えていく可能性がある」。この可能性が危険だというのである。その危険性に対する関心の大きさが、藤田に、「公立離れが公立学校の危険なのではない。公立離れは、公立学校の危機の表れでしかに。危機は公立離れを引き起こしている親や子どもの期待と構えの変質にある」とまでいわせているのである。

 ところで、この表現にはどこかしら妙なところがある。あえて藤田がこのような言い回しにこだわるのは、公立学校の活動の実態とは別のところで、いわば公立学校に対しては外在的に、親や子どもの教育に対する期待と構えの変質があり、それが公立学校離れという形で公立学校への反応として表れているにすぎないとでもいいたいのであろう。しかし、ではこうした期待と構えの変質とは何によって引き起こされているのだろうか。藤田理論によれば、それこそが「教育の市場化」意識の醸成であるというのであろう。そして、そうであればこそ、現在の危機の原因を公立学校の側の行為あるいは体制のなかに求め、選択などの新たな原理によって公立学校制度を再構築するなどという発想は、かえって「教育の市場化」意識の醸成の強化につながるというのであろう。他方、学校選択を公立学校制度の改革の理念とするという筆者の現状認識は、もとより「教育の市場化」意識の覚醒による教育改革に期待するというものではない。その強調点は、繰り返すまでもないだろうが、公立学校の否定的な現状が「教育の市場化」意識の醸成の原因のひとつにもなっているとするものである。さらに「教育の市場化」意識に対する最大の歯止めは、公立学校の「活性化」によって公立学校への信頼を高めることであるとも主張するものである。

 要約してみれば、藤田がいいたいのは、公立学校制度の枠組みとは別のところで外在的に生じている教育の市場化が親や子どもの「期待と構え」の変質を引き起こしているということであろう。そして公立学校の危機の構造がそのようなものである以上、学校選択は公立学校の危機を進行させるものではあっても、これを改革するための根拠にはなりえないということであろう。これに対して筆者が提起するのは、教育の市場化が危機を引き起こしているとして、公立学校の危機は公立学校の現実から内在的に生じているものであり、学校選択の原理を排除する現行公立学校制度は、むしろ逆にその市場化の促進の契機ともなっているという分析であり、学校選択の原理を排除する現行公立学校制度は、むしろ逆にその市場化の促進の契機ともなっているという分析であり、さらに公立学校の再生のプロセスにとって、学校選択の原理の採用が不可避的なものであるという制度論上の展望なのである。

 ここに公立学校離れという問題をめぐって、筆者と藤田の間には大きな現状認識の相違があることは明らかである。かりに藤田の立論がこのようなものであるとすれば、藤田にはまず自らの現状把握にしたがった公立学校の危機とその克服についてのストレートな分析を求めたほうが賢明というものであろう。」

※この議論はもっと煮詰めてもよい。つまり、問題認識の相違はどちらに分があったのか、という見方による議論である。そして、安易なネオリベ批判言説は、基本的にこの外在説を支持し、それを当たり前とみる立場にある。

 

P147「論点を明確にするためにさらに指摘するならば、藤田の議論においては、公立学校制度に対して、どのような問題の把握と改革の展望をもとうとしているのかという点が不明瞭なのである。筆者の議論を「学校がうまくいくための条件、組織としての学校の特質についての捉え方が一面的」であると批判する藤田論文において、では多面的、複合的な学校改革の筋道はどのように提示されているのだろうか。たよえば藤田論文は「教師の自覚や対応の改善、向上は必ずしも学校選択といった制度的変更を必要とするものではない」という。では、何が教師の自覚や向上を促すというのであろうか。」

※これも改善要求ありきだが、改善要求自体が不要という議論はありえる。

P148「民衆統制と専門的統制の関係を論じて、「後者が前者に良質の教育サービスを提供することであり、前者は後者に適切な期待と支持を与え、適切な参加をしていくことである」というだけなのはなんとしたことであろうか。この程度の提言なら、なにも教育社会学界を代表する論者にいまさら期待するようなものはないというのが筆者の実感である。これは、筆者がつとに批判の対象としてきた、国民の教育権論に特有の、教育専門家の教育の自由と親の教育権との間の予定調和的関係という前提と同一の類のものである。」

 

P149「藤田論文は筆者の議論に対して、「どうも黒崎氏は制度的枠組みが変われば教師の自覚と対応も変わると考えているらしい」との批判をもらしている。先に筆者の議論に対して「学校がうまくいくための条件、組織としての学校の特質についての捉え方が一面的」だとする論述も、この点をめぐるものだろう。しかし、この部分こそ、筆者と藤田の最大の争点であることを藤田は自覚して論じたのであろうか。制度として教育問題を対象化し、制度の運営と改革を通して教育の営みに関わろうとするのが教育行政学の存在理由であるというのが筆者の立脚点である。筆者は「制度的枠組みが変われば教師の自覚と対応も変わる」と「一面的」に考えているのではなく、教師の自覚と対応を変えるために有効性をもつ制度的枠組みのあり方を究明するところに教育行政学の存在理由があるとの立場に立って、その具体的な内容を「自覚的に」究明しようとしているのである。」

P151-152「国民の教育権論が、親の教育権(あるい場合には住民の教育権までも)を名目的には主張しながら、実態としては専門家の自由の確保のための理論に止まるとするのは年来の筆者の評価である。それは親の教育権を単に教師の教育権を導き出す媒介としてのみ把握するという理論構成上の矮小化を伴っている。さらに住民の教育権への言及においては、それが地方自治制度に置き換えられ、さらには国家統制からの防御機能のみが注目され、この結果、ここでも教師の教育の自由の確保がそのまま住民の教育権の保障であるかのように立論されてきた。このような理論的限界に対する認識と批判は、教育権の理論にあきたらないものの間でとみに強く意識されるようになってきている。」

※黒崎は具体例として、中野区の準公選制における「教育行政参加」と「学校参加」の区別をめぐる議論を挙げる。堀尾はこの議論のなかで両者が明確に区別されなければならないとするが、それは「教育専門家の自由を確保するために教育と教育行政の区別を説く内的事項外的事項区分論と教育の民衆統制の機関としての公選制教育委員会制度との間の理念的葛藤を回避するため」のものであるとみる(p153)。このような主張からは当然公選制の趣旨はどちらの意味も含まれて然るべきだという反論が出てくるし、実際そのような批判が出されたが(p154、宇田川宏編「教育委員を住民の手で」1991、p41-42参照)、この批判は理解されないと指摘する。

 

P190「臨教審の教育政策提言の骨格は、自由な競争が導き出すダイナミズムによって教育を活性化しようというものであった。これに対して、第一四期中教審は受験競争の弊害を正面に見据えて、我が国の教育における競争が教育の質を大きく損なうほどのものになっていることを強調するものであった。臨教審が推賞した中高一貫校あるいは私立学校の意義についても、第一四期中教審は、いずれも競争を加熱する主たる要因の一つとして、これを否定的にとらえている。」

P198「こうした一九九七年中教審答申の改革提言には、学校教育を家庭の選好の問題と捉え、学校間の競争がおのずと学校教育の質を改善するという主張がある。そこでは、公教育の質と量について整備を図ることは国家的な責務であるとする、かつての中教審教育改革論が基礎とした課題意識は、論議の表面からまったく姿を消しているのである。」

 

P206「しかし、今日、多くの人々が教育の荒廃を実感する場合、そこで想起されるものは、こうした国家権力の政策の結果についてではない。今日、学校が問題視されるとき、そこで語られるのは、例えば不登校であり、いじめであり、学校内の暴力であり、学級崩壊といった問題である。これらは、国家権力の政策の結果、あるいは権力統制によって専門職の自律性が損なわれていることから発した事態として感じられているのではない。むしろ、こうした問題は、学校の「失敗」、つまり専門家教職員の「失敗」であり、専門家教職員の自律性の無限定の強調は、こうした「失敗」に対する批判から身を守る学校の閉鎖性を意味するのであり、専門職の自律性は、最悪の場合には、学校を無責任な場所に放置することになるのではないかという危惧が、学校関係者を除けば、多くの人々の間に生まれていると言っても、あながち過言とはいえないだろう。」

※しかし、教育権論者はそうは考えない。教育問題は政策の失敗とみる。しかし、黒崎は「これを教育政策の直接の結果、あるいは教育の権力統制の結果とすることには相当の無理がある」という理由で退けようとするが(p207)、教育だけが独立した政策を担っていないことも含めれば、トータルな資本主義体制の政策として教育病理が発生するという見方は簡単に否定できないように思える。黒崎もこの点の批判におけるエビデンスが乏しい。要するに水掛け論の域を出ていないということ。

P207「すでにこれまでの論述によって明らかだと思うが、今日、教育改革のキーワードとして学校の自律性が強調されるのは、これまでの教育行政批判の理論が主張してきたような専門家教職員の自律性への信頼と尊重を説くためではない。むしろ逆に、それは、専門家教職員の自律性が実際には学校の閉鎖性に帰結していることを批判し、さらに学校をめぐる問題が教職員の専門家としての職務遂行における責任として、これを厳しく問うというものに他ならない。こうしたことは、学校の自律性を強調する教育改革の具体的プランが、学校管理責任の明確化であり、校長の役割の強調であることに、明瞭に現れている。」

 

P242地方教育行政の在り方に関する調査研究協力者会議の1997年9月公表の「論点整理」の引用…「主要国の中で学校理事会や協議会のようなものを有していないのは日本だけである。住民参加ということが大きな行政課題となっている今日、学校についても保護者、地域住民などの参加について検討すべきではないか。」

※この切り口から官僚制の問題の議論をする余地はある。

縫田清二「ユートピアの思想」(2000)

 今回は日本人論の関連で、縫田のユートピア論を取り上げる。特に今後取り上げる予定の西尾幹二の議論とも関連するため、特に「理想」と「実態」に対する見方についてを中心に検討したい。

 

○「大衆としての日本人」と「代表としての日本人」について(または日本人論の絶対性/相対性について)

 

 板倉章のレビューでも触れたが、日本人論をはじめ国民性の議論を語るにあたって前提としなければならないのは、その国民性の説明というのが「大衆(一般人)」について指しているのか、それとも「代表(為政者や影響力を持った人・集団)」どちらに重点を置いた説明をしているのか、という点である。これまでもレビューしてきた素朴な日本人論というのは、社会問題に関連することなども典型的な例だが、基本的に「代表」と思われるものを取りあげ、それがあたかも「大衆」を説明できるかのように語っていることに大きな問題があると指摘してきた。当然ここには「代表」性も満たしていないような場合もある。つまり、ここでいう代表とは「『日本』という性質を説明するのに十分である(影響がある)と認められる人物に関する議論」ということである。板倉章のレビューで取り上げたヴィルヘルム二世もまた、影響力を持ったという意味で代表的ドイツ人たりえたということである。

 しかし、この影響力を持った人物がそのまま大衆の性質そのものを代表する訳ではない。これは様々な理由が考えられるが、今後の議論をする上で押さえておきたいのは、そのような「代表」が一定の集団である場合であり、そのような集団が「国」との関連で決定的な影響力をもつような場合である。極端な話をすれば、非民主的な社会においては、このズレを致命的に持っているものと捉えることもできる。大衆と一部の集団が決定的に乖離してよいことを許している状態であり、これが国民性を実質的に定めていることになってしまうこと、そしてそこに大衆が関わっていないことを意味するからである。

 

 余談になるが、合わせてこれまでの日本人論のレビューでその国民性について「絶対的」なものとして取り上げられる場合と「相対的」なものとして取り上げられる場合があることを議論してきた。杉本・マオアのレビューでは特に欧米人による日本人論にこの傾向があると指摘されていた点である。つまり、「絶対的」なものとして取り上げられる場合は、全ての日本人があたかも同質であるかのように取り上げられ、「相対的」であるときは、程度の問題として取り上げられることになる。「絶対的」である場合は「大衆」「代表」どちらも基本的に区別することはないが、「相対的」である場合は、両者を分けて考えることも可能である、という整理ができるだろう。

 

 それでは、本書はこの「大衆」と「代表」の視点から見た場合、どちらの日本人論を語っているといえるのか?一見すると、どちらとも読み取れるかのように思われる。正直な所、「代表」の視点から見れば本書の主張もかなりの部分妥当である可能性があるようにも見えてくるわけだが、「大衆」ベースで考えてしまうと、どうしても違和感を持ってしまう。それは特に本書が一貫して国民性を「歴史的」に、過去の思想体系を捉え、その影響を確実に受けている存在として現在の日本人を規定していることに起因しているように思える。

 

○本書における「歴史性」の過大評価について―「教育」という観点の必要性

 

 この「歴史性」という着眼点は、新堀通也のレビューで考察したものであった。新堀のレビューでは特に「日本語」の用法や法などの「制度」を想定していたが、過去に成立した言語や制度というのは、その用法や制度意図までを現在に至るまでそのまま引き継いでいるとは限らないこと、その意味で「現在」の視点に立った考察を行わない限り、そのようなものを根拠にした「日本人論」は成立し難いということを指摘した。土居健郎の「甘え」の用法もまさにこれに該当する。

 本書では特にこれを「万葉集」「古事記」といった古典にまで遡り、そこで語られている内容がそのまま国民性を説明するかのように捉えていること、また、ほとんどノートには記載していないが、西洋における「ユートピア」思想について、トマス・モアやラブレー、ルソーなどから捉え、そのような思想の体系の存在を根拠にして、西欧人の「ユートピア」志向について説明を行っている訳である。

 結局本書では「日本」「西欧」どちらにおいてもこの「歴史性」から見た国民性論は成立するものという前提に立っている。しかし仮に実態において国民性に差異があったとしても、片方しか成立していない可能性もあり得ることについては何ら検討していないのである。日本人論においては、千石保西尾幹二などがそうであったように、「日本の思想はそれ自体として脆弱であり、歴史的連続性に欠ける、そのこと自体が問題である」という立場から論ずる者もあるし、本書の論述などと比べてしまうと、むしろそちらの方が理に適っているという見方さえできる。もちろん可能性としては逆に日本だけで「歴史性」が成り立つこともありえる。結局このような「歴史性」の議論に対して違和感を持つのは、少なくとも私に限れば、その歴史について何一つ理解していない人間がそのような歴史を引き継いでいる訳がないという、歴史の断絶に対する見方に起因する。結局、そのような歴史を学び、引き継いでいない状況においては、歴史は「消滅」することもあり得るのであるが、そのことを全く縫田は考慮しないのである。これはp187の語り口がいかにもこじつけに見える(「思考の原点」なるものは存在しなければならないという確信がある)点にも見いだせる。現在の日本人が「古事記」の内容について一定程度の理解でもしている者はどれくらいいると言えるのだろう?このような古典をむりやり引っ張り出してきたところで、「日本の思考」を説明できるとはとても思えないし、場合によってはこのような態度の取り方が過去への制約を助長させ、創造的な観点から阻害要因になりうることも自覚せねばならない。

 

 このような議論を踏まえた場合、日本人論における教育学や教育社会学が重要性をもってくるように思える。結局、この「歴史性」というのは、その「歴史性」に如何に我々が束縛されているのかという問いを無視できないためであり、それはそのような「歴史性」が「(意図的・無意図的であるかをを問わない)教育」を通じてどのように継承されているのか、という検証なしには語れないということにもなってくるからである。「日本人論と教育」というテーマは、これまではむしろ新堀や西尾のように「国民性(日本人論)の要素がいかに教育制度に影響を与えてきたか」という観点から語られるのが主であった。しかし、ここで検討されるべきなのは、「影響を与えうる国民性がいかに「教育」を通じて継承されているのか」といった問いの立て方である。そして、特に「思想」との兼ね合いで言えば西尾も指摘する「宗教」と「教育」とのつながりというのも重要な検討課題になってくるだろう。

 

○「ユートピア」の思想について―「実態」と「理想」のズレについて国民性は見いだせるのか?

 

 本書で指摘される日本人の「ユートピア」観というのは、西尾幹二の議論にも関連しているといえる。それは、「理想」というものについて、日本人はあまりにも実現可能なものであるかのように捉える傾向があるという指摘(西尾「西尾幹二全集 第一巻」2012,p187)との関連においてである。本書においても、日本の憲法に関する内容について、日本人はそれを絵空事であるかのように捉えることに対し否定しており、それは紛れもない現実であるという指摘があるが(p43)、この両者が結びつくものであるなら、基本的に縫田のユートピア論を西尾の議論同じ枠組みで捉えることが可能となる。

 確かに実態としてこのような議論を裏付ける議論もありえる。例えば日本人のアンケート調査における回答の趣向として語られる論点にそれを見出しうる。国際比較のアンケート調査においてはバイアスの一つともなりうるが、日本人の回答傾向が「どちらともいえない」に偏り、「はい」や「いいえ」という二項図式の極を志向しないという議論は実証的に示されているようである(例えば、林知己夫、鈴木達三「社会調査と数量化」1986,p68、p73)。このような日本人の特性について「何故」を問う場合、少なくとも西尾の議論においては部分的な回答が与えることができる。西尾は西欧人が「理念」に対し一種の耐性があり、それが実現不可能なものであることを了解しながらも、受容する能力があるものと捉えていた。この指摘をアンケート調査のバイアスと関連付けるのであれば、「理念」として提出される「はい」「いいえ」という極端な回答の要求は、西欧人にとってはそれが極端であるものと了解されながらも、それを受容することで「二項図式」的な回答を行うという説明に読み替えることができるということになる(※1)。一応林・鈴木が指摘している日本人との比較対象はアメリカ人であり、西尾はヨーロッパ人を指すものの、同じ理屈が成り立っているものとして見れば、そのような指摘も可能となる。

 しかし、この説明が成り立つとなると、日本人の「理念」の受容に対する考え方にも配慮が必要となる。結局日本人は「理念」を「理念」として割り切ることができないからこそ、中間的回答を行っていることになる。要は「一概には言えない」ことを、素直に述べることができる国民性があるからこそ、「どちらともいえない」と述べるということになるはずである。これが「大衆としての日本人論」として正しいものだとすると、縫田の説明は少しおかしくなる。縫田はむしろ「理念」と「実態」を区別できていないのが日本人であるという趣旨でユートピア論を展開していたが、むしろ大衆は「理念」と「実態」をしっかり割り切っているからこそ、中間的回答をしていることになるからである。

 

 少し話を戻すと、縫田はユートピア思想をアンリ・ベルクソンの流動的なエネルギーの議論と結びつけ説明する。西欧のユートピアの議論において体系づけられた思想は構想力(p13)を生みだし、自然の改変していく批判的な能力を生みだすものと捉えていた。しかし、日本人は自然と調和的な文化の歴史を持っていることから、このようなユートピア思想を持ちえず、「風刺的もしく、否定的要素が希薄な則物願望的段階」「孤独の自覚の不在」(p187)「「絶対」(=死)を意味すると言った極限状況にまで追いつめられていない」(p22-23)といった状況になっているのだという。この「極限状況に追い込まれていない」ような状況というのは、西尾も宗教思想との関連で説明していた部分である。ただ、「日本人が即物的」「欧米人が即物的ではない」という二項図式が直ちに成り立つのかどうかはそれほど明確ではない。特に「代表としての日本人論」としては存立の可能性があっても、「大衆としての日本人論」にはなりえないように思える。例えば縫田の議論も進歩的文化人のような存在を念頭に入れれば、ある程度妥当しているように思えるし、それは「社会問題」のフレームにおいても妥当するかのような議論は想定できる。しかしそれらは決して対比されるべき「西欧・欧米」という枠組みから実証的比較によって導き出された議論ではないのである。

 そして、このような日本人論の議論が安直な善悪の議論、もしくは成長の有無の議論と結びつけられやすく、本書もこの典型であるようにどうしても思える。結局「日本人は未熟である」という漠然とした言説を支持すること、それを実証しようともせずにあたかも成立しているかのように振る舞うことに加担することは、日本人論においてままある暴論であるが、本書もやはり「代表性」が認められるだけの立証を行っていない。本書の与える視点は興味深いものの、この正しさは別途検証しなければならないだろう。

 

※1 但し、林・鈴木(1986)では、このような差異の発生が日本語固有の問題にも起因するものとみている点には留意する必要がある。これは日本語を使う外国人にアンケート調査を行った場合、やはり二項図式的な回答を示さない傾向が認められるからである。しかし、言語に頼らないような回答方式により聞き取り調査を行った場合には、やはり日本人の方が二項図式的ではない、中間的回答を示す傾向も認められている。もっとも、この「日本語の問題」と「国民性の問題」については、どちらがよりアンケート結果の偏りに影響を与えているのかまでは明確に検証されていない。

 

<読書ノート>

P13「日本においてもユートピアと呼ばれている思考形態があるにはありますが、前に申しましたように、意識のエネルギーの発露という視覚から検討しますならば、日本のユートピアと呼ばれているものは、これら東西の典型的ユートピアに見られるような構想力にまでは達しておらず、その大部分が風刺的もしくは、否定的要素が希薄な即物願望的段階のものであると私は考えます。

 広義な概念で、同じイースタンのなかでも、例えばインドあるいは中国などのユートピアの本質には、非常にウェスタン的な、私なりに抽出したいくつかの要素というものを備えた、きわめて典型的な型で出てくるユートピアがあります。

 ただ日本だけが、どうもユートピアに関しては何か特別にその本質が定着していなかったような印象を持たざるを得ません。

 それでは日本には独自な「ユートピア」思想があったのか否かという疑問は、それ自体がきわめて根源的な方法論を含む大問題ですし、そのこと自体がひとつの重要な研究課題になり得るほどの大きな意味をもっております。いま、ここでは、それを論ずることが目的ではありませんから触れませんが、端的に申して、日本には厳密な意味での「ユートピア」思想の発想はほとんどなかったと見ることが妥当であるように私には思われます。あるいは、少なくとも日本の精神的風土において、「ユートピア」思想はほとんど定着したことがなかったと申した方が適切であるかもしれません。これに関連して、丸山正男氏が、だいぶ以前の『朝日ジャーナル』の座談会でつぎのように語っておられるのは、私にとってはきわめて印象深く記憶に残っております。すなわち、「日本は明治から今日まで理想というものが、ユートピアという形ではなくて、いつも地上のどこかの国としてあったと思うのです。時代によって、または階級や集団によってちがいますが、ある場合には、イギリスが理想であり、ある場合にはアメリカが理想であり、またプロシャ軍国主義が理想であり、ソビエトが理想だった時代もあった。……」

※これをどう評価するかだが、丸山真男に依拠する程度では足りないだろう。また、日本にはユートピアが必要だったのか、という問いもまたせねばならないだろう。また、「結局日本にはユートピア思想の伝統がない」と宣言するのも丸山である(朝日ジャーナル1959年8・9号「現代はいかなる時代か」が出典)。

P19「そこでユートピアの特質の第一は、人間による自然の変容ということになります。あるがままの自然の状態や自然のままの風景などは、たとい、それがどのように神話的・誘惑的で美しくともユートピアにはなり得ません。ユートピアは、まず批判的精神に裏付けされた人間の構想力から出発して常に周囲の自然に挑戦し、自然を人間にとってよりよきものにするために変化させてゆくような徹底的に人工的な性格のものであります。」

 

P20-21「日本では古代から近代に至るまで、自然をむしろ率直に受容して、「花鳥風月」という言葉に象徴されるように、自然の美を精神の高さと一致させて、その次元で高度な精神性を維持し、すぐれた芸術性を発揮してきました。日本人のこのような自然観はどこにその原因があるのでしょうか? むろんその解明は大問題に違いありませんが、ユートピアとの関係で、その根本的な一点だけに着目しますならば、日本人の思考の原点には、自然と人間とのきびしい対立関係を規定するユダヤキリスト教的な聖書というようなものがなく、そのかわり、日本人の精神的風土の伝統はほとんど和歌の精神によって伝えられているということが重要な一点として指摘され得ることだと思われます。

 つまり、西欧的思考の原点にあるべき原罪という意識、すなわち原始的自然状態からの人間の分離・独立(=自由)という根元的な孤独の自覚は、少なくとも日本人の伝統的な思考の原点にはありません。」

※日本文化を極度に具体化しすぎでは?

P21「日本人の精神の故郷はむしろ『万葉集』の方に集約化しているとみることの方が妥当であるように思われます。なぜなら、この和歌の伝統は、それ以前の時代から今日に至るまで連綿として天皇系や貴族社会を通じて庶民一般においてさへ、最も格調の高い精神生活の表明として持続されてきているからであります。」

※明らかに大衆を視野に入れている。しかし、「そんな故郷はいらない」という人に対し、この言明は何を意味するのか。これを「最も格調の高い精神生活」だと断じるのは誰か?

 

P22-23「つまり、ひとつの大きな革命的な時期に現われるユートピアの特色は、あくまでも現実に社会に密着しておりますから、それだけに実際の改革案という色彩が強くなり、その分だけ雄大な構想力はしぼんでしまいます。ということは、革命の時代というものは、現実の社会行動によってある種の改革が可能だという確信に基づいているからであり、たとい現実の社会の「壁」を強く意識したからといっても、自らの現実批判がたちまちその人の「絶対」(=死)を意味するといった極限状況にまでは追い詰められていないことを意味しております。しかも、こういうユートピアの基本的性格というものは西欧も東洋も区別はありません。……逆に、両者の相違が明白になるのは、最も追いつめられた意識が、「生」を志向する場合、もはや両者それぞれの思考の原点に立ち戻らざるを得ない場合だけであります。」

※「つまりユートピアというものが、仮に「生」のエネルギーであるとすれば、この場合の「生」というものは、けっして「善」だけを志向するものではなくて、「悪」というものをも含めての「生」なのであります。」(p19)というが、仮にこのような議論が日本的問題と見る可能性がありえるなら、まさに「善悪」に対する態度の取り方、その固定観念に見いだすことも不可能ではないか。しかしこれも日本の専売特許には思えない。

P26「ところで、少なくとも日本の精神的風土のなかでは、自由意志の問題がそれほど深刻に追究されたことはありませんし、そのことは日本人の孤独感の性質が、人間としての根元的なものから出てくるのではなしに、きわめて即物的もしくは生活次元的なものであるがゆえに、そこから出てくる「生」の意識のエネルギーも、生活次元的な理想のなかに解消されてしまう場合が多いことを意味しているように思われます。日本の大部分のユートピアが諷刺的段階にとどまるか政治小説の類に終ってしまうのはそのためだろうと思われます。

 ただ、あまりに生活次元的なことだけにその「生」の志向が拡大する場合には、非常に危険な方向をたどる可能性も大いにあり得ることなのであります。つまり、現実の社会生活の改善を究極の目標とし、人間の存在的価値の全体的把握を無視したような疑似ユートピアは、結局のところ強烈なる有効性の追求というところへ「生」の意識が凝集してしまうのであります。そして近代の世界史が教えるとおり、本能生活的次元における有効性のあくなき追求はまさしくファシズムやナチズムのような決定論主義に趣く可能性を常に内包しているものと考えなければなりますまい。とくに本来的なユートピア思想の定着していない日本の風土のなかにおける各種共同体には、いつの場合にもこの危険が伴っております。それは、日本の場合、「農本主義」というものと密接に関連しやすいからであります。」

※例えば、最後の日本の特殊性なども、ほとんど違いを説明する根拠がない。

 

P28-29「それはともかく、このように同じ東洋的思考のなかでも、インドや中国には古くから幾何学的シンメトリーの概念が定着しており、この部分では西欧的ユートピアと東洋的ユートピアとの間には大きな差異はありませんが、東洋的ユートピアのなかでも、日本の伝統的な思考のなかには、幾何学的であるよりも、絵画的な意味での調和を重視する傾向がはるかに強いように思われます。これも日本の美しい自然と、それに対する日本人の受容的な自然観に由来するのでありましょうし、日本のすぐれた絵画芸術はこういう思考方法に支えられているところが大きいと思われるのであります。しかし、その反面、そういう思考形態は、情緒的になることが多く、日本に典型的なユートピア思想(批判精神を基調とする)の定着することを妨げる結果にもなっていると申せましょう。

 ただ、私のこれまでのユートピアを素材とする多少の分析結果からだけでも申せますことは、「生」の意識の原形質なるものが、ちょうど生理的にみた人間の原形質の場合と同じように、決してひとつふたつの要素には集約できないということであります。つまり、個々には異質な根元的要素が「関係」的に結合してこそはじめて正常な人間の「生」の意識が生きたエネルギーとして発現し得るのであり、そのパターンを社会的な構図として把握しますのならば、ユートピア成立の根源にはかならずや共同体的志向が内在的エネルギーとして存在しているということだけは明言し得るように思われます。」

 

P43「私は、ある会合の席で、憲法は一つのユートピアであろうという意味のことを言ったらたいへん叱られたことがある……。どうも、この人たちの受けとめるユートピアというのは、絵空事という侮辱的な意味においてであるらしい。ユートピアとは、そんなに頼りのないものなのだろうか? この現世で戦争を放棄し、戦力を保持しないと明言することは、私には、どう考えてもユートピアとしか思えない。だからこそ、そこを強烈なエネルギーを見出すのだ。なぜなら、前回にも規定したとおり、ユートピアとは、人間が「生」を志向する意識のエネルギーそのものにほかならないからである。その意味で、私は憲法に関する限り、「はじめにユートピアありき」と思っている。そして、それが明文化された憲法はあくまで「現実」のものと考えている。ここではユートピアと「現実」の間は断絶はなく、両者は一直線のものとして結びつく。」

P62-63「人間の肉体から出発するという思想は、つまり、人間は生れながらにして男性であるか女性であるかのいずれかであり、お互いがすでに片割れ的な存在である以上、そのいずれか一方だけをもってしても「人間」を考えることはできないという相対的な考え方が基本になっているからである。こういうところから、一般にユートピア思想では人間創造の母体である女性の地位の重要視が非常に強調されている。女性の解放がなければ男性の解放もあり得ないし、男性の解放がなければ女性の解放もあり得ないからである。

 このようにユートピア思想の中心は、人間社会に関する一切のものに相互に矛盾する「個」の限界の自覚を強調し、この矛盾の明確な認識から「人類意識」という人間性の究極にあるべき雄大な統一場が設定されているのである。」

 

P187「これに反して、日本の思考の原点にはそのような自然と人間とのきびしい対立関係はない。というより、『聖書』のかわりに日本人の精神的風土の伝統になっているものは和歌の精神であろう。つまり西欧的思考の原点にあるべき「原罪」という意識――言いかえるならば、原始的自然状態からの人間の分離という根元的な「孤独の自覚」は、すくなくとも日本人の伝統的な思考の原点にはない。

 日本人の思考の原点ということになれば、どうしても、まず何等かの古典に拠らざるを得ないし、まず問題になるのが『古事記』であろう。多くの日本人は漠然とこれを「神話」と呼んでいるようである。」

※このように思考の原点を古典に求めようとした際に違和感が出てくる。「日本では古代から近代に至るまで、自然と対立するのではなしに、むしろ自然を率直に受容して、「花鳥風月」という言葉に象徴されるように、自然の美を精神の高さと一致させて、その次元で高度な精神性を維持し、すぐれた芸術性を発揮してきた。」(p186)とも言うが、日本の近代史を考える上で、このような古典思想があたえた影響は限定的でありうるのではないか?このような古典へのこだわりは逆に実態を正しくない方向に縛り付けることになってはいないか??そもそも古事記とは何か理解している日本人はどれほどいるのだろう?

 

☆P193「だが、いずれにせよ、日本の精神的風土のなかでは、そもそも「自由意志」の問題がそれほどまでに深刻に追究されたことはない。そこに、同じオリエントにありながら、日本にはユートピア思想が定着しない根本原因があるように思われる。つまり、日本人の孤独感の性質が、自然ときびしく対立する人間としての根元的なものから出てくるのではなしに、きわめて生活次元的なものであるがゆえに、そこから出てくる「生」の意識のエネルギーも、結局は生活次元的な「理想」のなかに解消されてしまう場合が非常に多いことを意味する。だが、ユートピアが「自由意志」を前提としてのみ成立し得るものであるとすれば、それはむしろ「理想主義」なるものの諸前提の全面的否定の上にのみ成立が可能なのである。なぜなら、「自由意志」の母胎たるべき真の自我とは、それ自体がけっして「理想」というような一定の理性目的の体系ではあり得ないからである。

 それはともかく、日本の大部分のユートピアが諷刺的段階でとどまるか、政治小説の類になってしまうのはそのためと思われる。つまり、それはユートピア(どこにもないところ)ではなくて、何等かの「理想像」なのである。したがって、その場合には、地上のどこかに理想国があって、あとは、それに追いつけ、追い越せという型で発想され、結局は地上のどこかの国の「理想化」に終ってしまうのである。」

※重要なのは、歴史の存在ではなく、その受容がいかに行われているのか、行われうるかという議論である。それは極めて教育社会学ないし教育学的な問いである。

 

P278「キブツに限らず、世界各国に存在するこの種の共同社会は、学問的に「ユートピア共同体」と総称する。といって、これらの共同社会が「地上の天国」だという意味ではない。それはこういう意味である。――人間は本来その本質において全的存在であるにもかかわらず、現代社会の人間は、好むと好まざるとにかかわらず疎外されている。全的存在たる人間は、財産や権力や機械や制度や固定観念……など、いかなるもののドレイにもならないことを意味する。それにもかかわらず、現代社会の人間は、これらもろもろの偶像崇拝者たることを余儀なくされ、そのことのために本来の全的人間は疎外されている。それならばこそ現代社会は、全的人間にとっての非現実であり、非人間性にとっての現実である。「ユートピア共同体」というときのユートピアとは、まさにこの意味の「非現実」を意味するものにほかならず、この非人間的な「現実」のなかで、全的人間を志向して生活していること自体が「ユートピア」なのである。このように、学問上で使用される場合の「ユートピア」ということばの意味を明確にしておかないと概念の混乱や奇妙な誤解が発生する。」

 

P332-333「ここではっきり認識しておかなければならないことは、キブツのメンバーは、町の労働者と同じく、すべて「ヒスタドルート」(イスラエル労働総同盟)の組合員であるということである。したがって、もし日本にもキブツと同じような組織を作ろうというのであれば、相互のキブツは、たとえば「日本キブツ連合」といった横のつながりのある組織を作るとともに、その組織は労働組合に加入し、各メンバーは当然に組合員としての権利と義務をもつ必要がある。少なくともイスラエルキブツは、そのような近代的労働関係の上に成立しているのである。

 このように、日本の各種共同社会が、いつの場合にも横の「連合」組織をもちえず、また、労働組合の方でも、これらに接近しえない根本的原因は、日本では、協同組合というものが、本来的な意味で正常に発達していないからである。」

P335「イスラエルキブツは、原則として夫婦単位の家庭をもち、親子はそれぞれ独立的に生活する。「個」の確立という近代化過程の最も端的な表現である。ところで、その近代化の問題であるが、別の意味で、欧米社会のように、市民の生活基盤になんらかの人類的な精神的共属関係をもたない日本の場合には、「共同体」という概念ほどやっかいなものはない。キブツの共同体の存在は日本の近代化過程とどのような意味で照応するであろうか?

 日本で「共同体」ということばが多くの人々に与える印象は、せいぜい農村の前近代的なエゴイスティックな連帯感や、一党一派の党派的な閥意識、滅私奉公の全体主義的傾向といったものであろう。いや、近代のドイツ社会でも、その近代化のおくれはあのナチス的な「運命共同体の理念を作りあげてしまった。それだけに、現代の日本では、一般に、「共同体」という概念はすべて封建的・前近代的なものであり、近代社会ではむしろ、この共同体から個人が脱出し、独立的な存在になることであると考えられている。むろん、そのこと自体は正しい。」

※勝手に大衆の考えを述べている!