大塚久雄の「近代」観に関する試論 その2

 大塚のレビューについては続けないつもりでいたものの、せめて著作集の内容くらいは触れておこうと思い、著作集10巻以降の内容も踏まえ、改めて大塚久雄の「近代」観について考察を行ってみる。

 前回、深草論文において大塚の議論の転換を70年代に見出せるという内容を紹介したが、改めてその転換について着目しながら大塚の思想についてどのように捉えるべきか検討したい。

 

 まず、このような転換についての議論は深草論文に限らないという話からまず森政稔の指摘を引用しよう。この引用では、大塚に限らずヴェーバー論者全体の傾向として転換について次のように指摘している。

 

「それに対して、一九六〇年代から目立ってきた解釈は、ヴェーバーのなかに近代批判のモメントを見出そうとする点で特徴的である。たしかに『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾での「精神なき専門人」となる「最後の人間」のニーチェからの引用はよく知られていた。しかし、従来このようなウェーバーの悲観は、近代市民が堕落した大衆に当てはまるものであり、ウェーバーのメッセージは近代の原点に戻ることにあるというように読まれた。すなわち近代自体の価値を問題化するには及ばなかったのである。

 ニューレフト時代のウェーバー研究が、「近代主義ウェーバー」像に替えたものは、現代の「意味喪失状況」と格闘するウェーバーの姿だった(折原1969)。当時「鉄の檻」などと呼ばれた官僚制の冷たい規律に耐える現代人の運命をもたらしたのは近代の精神であって、近代と現代とが対立しているというよりも、現代を生み出した近代の精神そのもののなかに問題と責任がある。カルヴィニズムは労働の意味を問うことを「禁欲」し、隣人愛を神への忠誠を競う容赦のない競争に変えたのであり、近代主義的解釈が評価するような内面性が尊重されたのではない。このような近代への疑いこそ、ウェーバー自身の研究動機を支える契機だったのだ、とニューレフト時代のウェーバー研究者たちは指摘した。そして、さらにウェーバー近代主義者というよりむしろ、近代の限界を先駆的に捉えた点で、ニーチェにつながる思想家だと解釈替えされることがこの後は多くなった(山之内1997)。」(森政稔「戦後「社会科学」の思想」2020、p198-199)

 

 ここで押さえるべきは転換というのが60年代あったというのと、その転換が「近代志向から近代への懐疑」への転換として語られているという点を押さえておきたい。私自身の見解を述べれば、後者については大塚における転換についても同じであると考える。一方、前者に関しては70年代(※1)に転換があったと考える。ヴェーバー研究者がそうであったように、大塚についても近代の捉え方、そしてヴェーバー解釈が変化したと考えている。

 

〇「精神のない専門人」「化石的機械化」といった言説の転換について

 このことを実証するにあたり、まずヴェーバーの言説の中でもよく語られる「精神のない専門人」「化石的機械化」といった、センセーショナルな言葉を大塚がどう捉えたか比較してみたい。これらの内容について触れた5つの論文の引用し、それらの内容を見比べてみたい。最初の論文ほど古い記述である。

 

 ① 「マックス・ヴェーバーにおける資本主義の「精神」」(1964-65、元論文は1943-46)

「このようにして「資本主義の精神」は、近代に独自な経済体制としての資本主義――産業資本主義――の機構の成立を力づよく促進した。しかし、それは、ヴェーバーによれば、そうした資本主義の機構の確立とともに消失していく。というのは、確立された鉄のごとき機構自体が、みずから、諸個人に禁欲的生活を強制するのであって、その維持のための禁欲的「倫理」の支柱などもはや必要としなくなったからである。そして、「職業義務」の思想は、かつての「資本主義の精神」の単なる残滓として、そうした外枠にはめこまれたわれわれの生活の中を、ただ経廻りあるいている。このように記したのち、ヴェーバーは、本稿でわれわれが問題とした論文を、次のような印象的な言葉でもって結ぶのである。「将来この外枠の中に住むものが誰であるのか、そして、この巨大な発展がおわるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか、それとも――そのどちらでもないなら――一種異常な尊大さをもって粉飾された機械的化石化がおこるのか、それはまだ誰にもわからない。云々」と。ヴェーバーの叙述のうち、主要な筋はたしかにここで終わってしまう。しかし、ただ一言だけ筆者の感想を追加することを許されるならば、ヴェーバーがすでに六〇年前に予測していた資本主義の機械的化石化の状態を突きぬけて、思想家によって指し示された新しい道が現実の経済的利害状況のうちにみごとに定着するならば、そのばあいには、「資本主義の精神」のうちに含まれていた「生産倫理」がふたたび目を覚まし、新たな装いのもとに、歴史の進歩の方向に沿って、人々の上に強烈な作用をおよぼすことになるのではあるまいか。また、そうあるべきであろう。」(「大塚久雄著作集第八巻」1969,p99-100)

 ② 「フランクリンと「資本主義の精神」」(1956)

「それでは、ヴェーバーは現在における「資本主義の精神」の亜流的末裔たちをいったいどう見ているのか。批判は舌端火を吐くほど痛烈である。彼はいう。預言者がおこって新しい道を指し示すこともなく、しかもそこに一種の病的な自己陶酔をもって粉飾された化石的機械化がおこるとすれば、次の語が真となるだろう。――「精神のない専門人、心情のない享楽人。これら無のものは、かつて達せられたことのない人間性の段階にまですでに登りつめた、と自惚れるのだ」と。読者たちは、こんどは、このフランクリンならぬ、ヴェーバーの論理をどう考えられるだろうか。」(同上、p128) 

 ③ 「忘れえぬ断章」(1962)

「――「精神のない専門人」。それぞれ専門化された特殊な仕事に従事しつつ、しかも自分の仕事が人類にとって、全体の運命にとって、どのような意味をもつかを全く知らず、また知ろうとする内的な要求ももたない人々、また「心情のない享楽人」。感覚的な刺戟を慰安としてやたらに追い求めながら、それが真の楽しさとして彼らの内面に到達することがないような、そうした美しさ、楽しさへの内的な感受性をどこかに置き忘れた人々。こうした「人間」の内面はからっぽであり、端的にいえば「無」である。しかも彼らはみずから、その生活がおそろしく充実しているように錯覚し、人間として歴史上かつてみないほどの高みにまで到達したというような、尊大な自惚れにおちいるのだ、と。

 私はいつもこの一節を読むごとに、その激しさに慄然とし、その鋭さにむしろなにがしかの抵抗をさえ感じる。なぜというに、いまから六〇年もまえに記されたこの一節が、あまりにも如実に第二次世界大戦後の世相を表現しているように思われるのである。精神を失って独走しようとする科学、販売のためにはモラルの頽廃をさえ意に介さぬ経済戦略、消費ブーム、スピード狂、数字のロマンティシズムなど、要するに豊富の中の堕落!

 私は、ヴェーバーのこうした「預言」の中に、事後的にあまりにも多くのものを読みこみすぎているかも知れない。が、それはともかく、このごろ盛んに使われる大衆社会現象という語の意味するところをと、ヴェーバーの述べているところと、どこまで相覆い、またどこで食いちがうのか、その道の専門の方々に、ぜひ御教示を乞いたいと思う。」(同上、p131)

 ④ 「もう一つの貧しさについて」(1978、元講演は1973)

「その「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の末尾に近いあたりで、ヴェーバーはこういう意味のことを述べております。――この「資本主義の精神」は近代の資本主義文化を作りだした。が、それが到りつくであろう究極のところでは、いったいどういう現象が現われてくることになるだろうか。もしも預言による歴史の大きな方向転換がなく、大規模な復古運動も見られないままで推移していくとしたらーーという留保をつけた上でのことですがーーそこに最後に現われてくるのはこういう人々だろう。すなわち、「精神のない専門人、心情のない享楽人」がそれで、この人々は自分の内面がまったくのNichts、からっぽでありながら、しかも、自分では人間精神の最高段階にまで登りつめたなどと自惚れるようになる……だとすれば、近代の資本主義文化が行きつく果てには、「心の貧しさ」が大量的に作り出され、人々のあいだに広がっていくことになるだろう、そういうふうに、七十年もまえの今世紀の初めに彼はすでに予言していたということになります。」(「大塚久雄著作集第十三巻」1986、p68)

 

「このようにして、ヴェーバーは、近代の資本主義文化の行きつくところ社会全体の経営化、あるいは管理社会化が現われてき、その結果として、民衆のあいだには「精神のない専門人、心情のない享楽人」、そうした内面的窮乏ともいうべき様相が社会的規模において広がってくるにちがいない、と考えた。」(同上、p71)

 

⑤「社会科学における人間」(1977,元講演は1976-1977)

ヴェーバーの言っていること(※精神のない専門人、心情のない享楽人)は、いまになって見れば、まだまだ抽象的であり、やや的外れなところもありそうな気がします。しかし、いくら偉い人でも、神ならぬ身が七〇年も後のことについて具体的な、しかも、正確なイメージを作り上げるというようなことは、もちろん不可能でしょう。だから、抽象的なのは止むを得ませんが、しかし、抽象的であるにせよ、こういう予告をすでに与えていたということはまことに驚くべきことです。というのは、わが国だけについて見てさえも、一九六〇年以後あの高度経済成長期の激しい動きのなかで、社会的規模における精神的貧困の蔓延がついに問題となってきているからです。」(「大塚久雄著作集第十二巻」1986、p130) 

 

 さて、これら引用をあえて分けるのであれば、①、②と③、④と⑤の3種類に分けるべきであると思う(※6)。

 最初の引用は一応60年代のものであるようだが、元論文は40年代のものであり、主張が過激、かつ「近代の人間的基礎」のような強い近代志向が存在していることが明らかである。大塚が敢えて付け加えた「機械的化石化」のあとの話については、当時の大塚にとっては適切な「資本主義の精神」を身につけていれば当然語ることに正統性があるとの確信のもと書かれているに違いない。重要なのは近代原理として析出した「資本主義の精神」というのは、機械的化石化とはなどとは異なるエートスであり、それを克服する原理として提示されている点である。

 次に②と③であるが、若干の含みをもった言い方となっている。ヴェーバーは確かに預言者的に痛烈に現状を批判しているように思える。そして大塚はその判断を各々の読者・専門家に判断を仰ぎたいとする。しかし一方で大塚自身はこの預言に対し「その鋭さにむしろなにがしかの抵抗をさえ感じる」と意見している。これは①のような問題意識を60年代においてはまだ強く意識していたと感じていたと考えるのが自然である。現状批判と理想形としての資本主義の精神は別物だという前提にあるからである。

 最後に④と⑤である。これも一見すると②や③と同じような含みはある。しかしその含みはかつての「ヴェーバーの主張は、事実に反する『可能性』がありえる」というスタンスではなく、むしろそれは正しい預言であるものの、若干の不十分さとして語られているといえる。同時に強調されているのは、その当時の時代状況があまりにもヴェーバーの言っていることと一致していることについてである。これが前回も指摘した「資本主義の精神」と連続した形で現在が語られる、一元的近代観と容易に結びついた大塚の言説につながっているといえる。そして、このヴェーバー言説に対抗することがあたりまえであった40年代の大塚の姿は見当たらないと読める。

 

〇70年代の「禁欲」、ないし「合理主義」の否定について

 もう一点、大塚の言説で注目せねばならないのは「禁欲」及び「合理主義」に対する価値観についての変化である。前回も指摘したように、「資本主義の精神」を大塚が擁護することの本質はその「禁欲」という性質にあり、なおかつそれは否定の否定としてなされる「止揚」によって発揮させられるべきであることを、40年代にはあからさまに強調していた。これも60年代まではやはり同じ認識を持ち、「禁欲」であることについての重要性を説いていた。

 

「ところで、戦後はどうか。いわゆり百八十度の転換によって俄かに神聖視されはじめた「自由」の思想は、伝統主義的な旧体制の束縛から民衆を解放したという一面の正しさにもかかわらず、このばあい、あたかもルネサンス思想と同じように、伝統主義的束縛とともに禁欲一般を断罪し、湯水とともに赤子を流しきった嫌いがないではない。私は終戦直後このことを強く感じていたのだが、その感じはいまでは強まるばかりである。そこへいわゆる経済の高度成長とともに、レジャーとか、バカンスとかのよび声に支えられて、シニカルで反禁欲的な享楽的消費の高揚が出現した。ただ、保守の側では伝統主義への郷愁に支えられてある種の禁欲を復興しようとする動きがみられなくはないし、また新興宗教のなかにも別種の、これはかなり強烈な禁欲運動の前進がみられるほかは、保守の側でも、革新の側でも、右でも、左でも、いまや禁欲はいたるところ、いちじるしく姿をひそめるにいたったという感じが強い。こうした現状は、おそらく大衆社会現象とひろくよばれているものなのであろう。

 さて、私はおそれるのだが、こうした人間的状況のもとで、もしある種の反時代的な非合理的な社会的内実を目ざす禁欲運動――日本では宗教的外装を伴ってくる可能性がある――が出現したとするならば、ばあいによっては、それは、無人の野をゆく勢で伸びひろがる可能性もあることは明らかだ、といわねばならない。そこで、こうした動きに対して対応する態度をとろうとするのならば、そしてまた、現在のこうした人間的状況が自由を禁欲一般と抽象的に対立させた思想動向の帰結だとするならば、いまや自由をふたたび禁欲にむすびつけるような思想的立場こそ、今日もっとも緊要なものといえるのではあるまいか。」(「著作集第八巻」1969、p577、論文は1963年のもの)

 

 70年代に入っても「資本主義の精神」の重要性については、伝統主義との対比において、その「合理性」を評価し続けている。

 

「ところで、このような伝統主義とちがって、イギリスやアメリカ合衆国で労働者たちの行動様式を内面から支え、歴史上合理的経営の一般的成立を促すという作用方向をもったエートスを、ヴェーバーはひとまず「合理主義」とよびます。合理主義のばあいには、顔を将来に向けて行動の基準を探し求める。顔は伝統主義のように過去の方を向いてはいない。いつでも将来になんらかの理想をもち、その理想に照らして行動の目標を設定する。そして、それを達成するためには何をなすべきか、というふうに考える。そのために良ければ伝統的なものでも採用するでしょうし、そのために良くなければそうした伝統的なものはどしどし捨てさるでしょう。こういうのが、簡単にいってしまえば、合理的なエートスで、ヴェーバーの表現をかりると、思考の集中能力と冷静な克己心、労働を義務とするひたむきな態度、しかもしばしばそれと結びついて、賃金の額を勘定する経済的合理主義という姿をとって現われている、ということになるわけです。」(「著作集第十一巻」p299、論文は1972年のもの)

 

 また、同時に「低開発国」に限った話をしているものの、現在においても「資本主義の精神」の重要性があることについて、1972年の段階ではまだ強調されていた。

 

「が、とにかく、低開発国問題を考える場合にヴェーバーのこの論文が重要な示唆をあたえるという考え方に私が大賛成であり、またアイゼンシュタット教授の見解を高く評価する、そうしたことの意味もお分かりいただけたかと思います。同時にまた、ヴェーバー論文をいっそう正確に理解するための努力はまだまだ続けられねばならぬ、と私が考えることの意味もお分かりいただけたかと思います。「資本主義の精神」の持主は企業家ないし資本家だけだとか、「資本主義の精神」は営利慾ないしは「最大限の利潤を追求しようとする志向」だとか、ヴェーバーがそんなふうに考えていたというような誤解をきっぱり捨ててしまわないかぎり、低開発国問題にとってヴェーバー論文は真に有用なものとはなりえないのではないか。」(「著作集十二巻」p205、論文は1972年のもの)

 

 しかし、このような態度は70年代に入り大塚の主張には積極的に見いだせなくなってくる。次の論文は1972年に国際基督教大学のチァペルアワーにおける講演をもとにしたもので、「科学」という言葉の説明に注目する。「科学」という言葉自体がかつての大塚の言説とはあまり関連性を見いだせない言葉であることにも注目したいが、やはり重要なのは「科学」の語られ方である。

 

「それでは、科学はどうして最近にいたってそうしたマイナスの面をつぎつぎに露呈することになってきたのでしょうか。考えてみると、その由って来るところはやはり科学の営み自体の根本的な性質のなかにひそんでいるように思われます。」(「著作集第十三巻」1986、p52、元論文は1979年で1972年の講演を書き改めたもの)

 

 さて、ここでいう科学の営みの根本的な性質とは何か。これを大塚はやはりヴェーバーの「資本主義の精神」とほとんど同じ論法で語る。

 

「それでは、歴史上こうした「世界の呪術からの解放」の過程を推しすすめていった原動力は、いったい、どこから来たのでしょうか。科学そのものの中から来たのでしょうか。もう少し言いかえてみますと、科学者を内面から支えているそうした根本的な態度(エートス)は、そもそもはじめから科学の営みそのものの中にはらまれていたものなのでしょうか。もし、そのように楽観的に考えることができるとしますと、この幾年かこのかた喧しく論じられてきている「科学の倫理」――その中にはもちろん社会科学のばあいも含めるべきだと私は思いますーーといったことは何の意味をもち、また、何の必要があってそうしたことを改めて論じなければならないのでしょうか。」(同上、p49-50)

 

 確かに、ここではそのエートスの問題を「資本主義の精神」という言葉を用いて大塚は語っていない。しかし、「近代の人間的基礎」においては「世界の呪術からの解放」が強く協調された形で民主主義的原理として「資本主義の精神」と同じエートスを取り出し、生産性の議論とも重ねながら議論していたことを考えると、この「科学」の言説も全く同じように語られているようにしか私には思えないのである。

 そして、更に注目したのは、先述した合理主義の議論に関連して、「形式合理性」の議論を強調して語っている点である。

 

「ところで、そういう文化状況(※精神的に一面の沙漠と化してしまった、バベルの塔の混乱のような文化状況)から科学は人々を救い出すことができるでしょうか。もう諸君もある程度気づいてきているように、まあ不可能というほかはないと思います。その理由としては、さしあたって、こういうことがあります。科学――もちろん社会科学を含めて――は、正確には、経験科学と言われるように、その関心の対象を現世内のことがらだけに限ります。宗教が関心を示す彼岸のことがらなどには目もくれないでしょう。そのうえ、すでに話したように、こういう根本的な性質があります。科学は形式合理的な思考によって対象をつかもうとする。つまり、対象の帯びているさまざまな価値や意味にはまったく興味を示さず、むしろそれを惜しげもなく切り捨て、あるいは括弧に入れた上で、そうしたいわばまる裸かにされた対象を数理的にとらえようとします。」(同上、p54-55)

 

 ここでは、「形式合理的」という言葉を用いて、現状の問題を語っているが、そこで語られる近代観は極めて一元的である。先述した1972年の論文(「著作集第十一巻」p299の引用)では、未だ「合理主義」というざっくりした分類の中にとどまっていた表現であったものと考えられる。言い換えれば、「合理主義」という言葉については、かつては大塚にとって肯定的価値観の典型であったものであった訳だが、これを「形式合理性」の議論として整理し直し、否定的価値観の強い論調で批判を加えているのである(※2)。これは控えめに言っても「後だしジャンケン」の状況であり、なぜそれまで大塚がこの議論を展開しなかったのか、ということは強く問われなければならないだろう。

 また、合わせて注目すべきは、この時期の大塚の言説で時折みかけるこの「バベルの塔」という言葉で、この言葉は「「甘え」と社会科学」(1976)でも登場した「合法性のぐるぐる回り」という表現と同じ意味であると考えて問題ないだろう。大塚にとってそれは「不可能なもの」である以上に、「不毛なもの」のメタファーという意味合いが強い。繰り返すが、かつての大塚はこのようなものを決して「不毛なもの」と考えてはいなかった。「資本主義の精神」というのは、そのような「不毛なもの」さえも転換させうるようなエートスであり、その意義を強調していたのであった。

 

〇なぜ大塚は「資本主義の精神」を捨てたのか?

 さて、この大塚の議論の転換の理由についてはやはり検討しなければならないだろう。いくつか仮説を挙げてみたい。

 

仮説1:「禁欲」の言説が支配の原理に絡めとられてしまうから

 特に大塚が強調していた「禁欲」原理については、すでに戦中の事例で明らかなように、容易に支配の原理に(為政者にとって都合のいい内容として)絡めとられかねないものである。大塚がこのことを強く自覚し、自らの主張をひっこめた可能性はありえるが、これは少なくとも主たる理由とは言えない。大塚の議論の転換は70年代に入ってからのものだが、このような意識は以前から大塚が持っていたものと考えられるからである。先に引用した1963年の論考では、「保守の側では伝統主義への郷愁に支えられてある種の禁欲を復興しようとする動きがみられなくはないし、また新興宗教のなかにも別種の、これはかなり強烈な禁欲運動の前進がみられる」と語っていたように(「著作集第八巻」p577)、恣意的にこの「禁欲」原理が語られることに対してはかつてから問題視していたのである。

 

仮説2:「生産性の向上」という原理そのものへの疑問

 大塚における「資本主義の精神」において顕著であったのは「生産性」との結びつきであった。つまり、それが営利慾に留まらず合理的な生産性の向上に寄与するエートスであったことが欧米の資本主義発展にとって決定的であったという歴史観を大塚は持っており、その高い生産性の達成のため、このエートスの獲得を日本人にも要求したのであった。

 しかし、70年代になって近代固有の問題としてさかんに語られるようになった環境問題、南北問題といったものはこの「生産性」原理に真っ向から対立するのではないのか、という議論が、少なくとも俗流の近代批判にはあったと言ってよい。大塚もそのような態度をとっていたも不思議ではない、という見方をした場合でに出てくる仮説である。

 ただ、この批判自体が「形式合理的」になった近代の帰結であって、それは近代の必然的帰結ではなく、「資本主義の精神」に立ち返るという選択肢も決してない訳ではないように思える。特にこの「資本主義の精神」は隣人愛(もっとも、これは戦中の滅私的な思想の延長上にあるものにすぎないという風にも読むことができるのだが)に根ざしたものであることを70年代後半の大塚は強調しており、そのような態度から、平等な生産性の向上、富の分配といったものも「合理的選択」として提示できたのではないのかと思う。特に大塚の場合、環境問題に対する言及をほとんど見かけず、南北問題への言及が中心であるため、なおのことその可能性には開かれているのではないかとも思う(※7)。

 しかし、実際の大塚の選択肢は「合理性の徹底」ではなく、「宗教への回帰」であった。これはすでに「「甘え」と社会科学」でも漠然とした内容で語られていたが、別の論考では次のように宗教性の必要について強調される。

「しかし、こうした非合理主義は、さきに言ったレジャーのばあいと同じように、一時の麻酔的な気ばらしのほかは、結局無効果に終わるのではないかと思います。いや、それどころか、長い歴史的道程のなかで科学が確実なものにしてきた「世界の呪術からの解放」の巨大な成果を、逆に掘り崩していくということになるでしょう。現代文化のバベル的混乱を救うといった仕事は、われわれはどうしても、それを宗教らしい宗教に期待するより他はない。私はそう考えます。ただしそれは、そうした宗教が自己のいままでの足跡を十分に反省する、といったことを前提しておりますけれども。」(「著作集第十三巻」、p57)

「究極の価値から切りはなされ、意味を喪失してしまったこの世界の諸現象に再び豊かな意味をあて、現代文化のバベルの塔のような混乱から人々を救いだす、そうした大事業のために、キリスト教はいま、近代科学の力の限界をのりこえて、乗り出すべき時が来ているのではないでしょうか。キリスト教はその実績からみて、十分にその底力をもっていると信じるからです。ただ、キリスト教以外の諸宗教についてはいまはその点に関して何事も申さないことにしておきます。というのは、そういう諸宗教の信仰に主体的に参入するような体験を私はまったくもっていないからです。が、しかし、お互いに敬意をもって同じ目的のために協力すべきであろうと思っております。」(同上、p57) 

 

仮説3:「止揚」の存在そのものの否定

 もっとも上記の議論に合わせて押さえておかねばならないのは、大塚が期待する「宗教性」においても、ほとんどそれが極めて困難、ないし先述の引用の通り「不可能」なこととして捉えられていることである。このような態度も大塚自身の考え方の中では重大な変更であるといえる。かつての大塚は戦中に顕著であったように、「止揚」にこそ価値を見出していた。それは「資本主義の精神」を支える「禁欲」というエートスの中に当然のごとく含まれていないといけない価値観であった。しかし、このような止揚の発想というもの自体が「不可能」なものであることと同義であると70年代に入り大塚が「正しく(私にとっては、という留保を一応つけておくが)」認識した可能性は大いにありえると思う。思うに止揚の発想はマルクス主義的な論者においても基本的態度の一つとして共通した認識があったわけであるが、70年代はこの「止揚」の発想を解体させるような認識が一般的な意味でなされていった時期であると思う。大塚もこの例外に漏れずその認識を行い、「止揚」の発想に支えられていた「資本主義の精神」の重要性を語らなくなったという可能性が極めて高いと私には思えるのである。

 

〇大塚の近代観は本当に「一元的」なのか?

 この試論の最後に、この問いにはある程度答えておかねばならないだろう。70年代後半の大塚の近代観は極めて一元的であり、「資本主義の精神」のエートスに支えられた多様な近代の発展の可能性すら否定してしまうものであったということをこれまで確認してきた。ただし、大塚自身が決して一元的であることを認めていたわけではなく、大塚の言説自体がそのようにしか読めなくなった、という意味合いにおいてそのように私がみなしてきたものであった。

 このような「一元化」の理由は、明らかに多元性を確保する理由付けとなっていたはずの「資本主義の精神」の重要性を大塚自身が捨ててしまったことに起因することが大きいのは確かであるが、だからといって「一元化」の可能性に閉ざされる筋合いは私はないと考える。そもそも大塚の議論においてこれが一元化してしまったのは、近代の帰結というのが一元的にしか、つまり「精神のない専門人」の世界、ないし「世界の意味喪失」(著作集第十三巻、p26)が不可避的であるとしか強調しなかったことに由来するが、そもそも「当時の先進国社会が文化的に(無という意味で)同一的であったのか」という問いを改めて考えれば、NOと呼びうるエビデンスは山のようにある。その典型は私が過去に検討した70年代後半の日本における「競争と選抜」の言説において、その日本的経営論の中であまりにも豊富に語られていた「日本的文化」に根ざした議論の中に見出すことができる。結局大塚は私の言い方であれば「社会問題に毒された」論者の一人に過ぎず、実態を冷静に捉えることに欠けていた、という批判は十分に成立するように思う。特に、彼の主張が「文化の『無』」にあったこと、そして合理性の徹底化を非難する態度にあった点に対しては、そもそも当時の諸先進国で本当にそこまで徹底していた、という疑問として提起できるだろう(※3)。結局、大塚はヴェーバーの議論を借り、イギリスやアメリカにおける「資本主義の精神」に支えられた議論を逆さにして、当然のごとくその発想(エートスそのものではなく、合理的な態度)がヨーロッパ先進国、ないし日本にも波及したものと考えたが、その波及の度合いというのは、全く大塚の中で検討されているものではなく、むしろ教条主義的な立場からこれを示しているにすぎないのである(※4)。

 

 確かに大塚は表向きには多元的な発展の可能性は当然ありうるものと考えていたはずである。しかし、そのような近代の可能性についての議論については棚に上げてしまい、ある意味でヴェーバー研究者としての態度に固執してしまったことで、ヴェーバーからしか「近代」をみることができなかったから、多元的な近代の実態を擁護する立場、ないしは語れる立場になかった、というのは、最上級の大塚の擁護理由となるだろう。しかし、そのような立場にしかいられないのであれば、研究者として立場を弁える態度をもってよかったのではなかろうか。大塚自身の影響力を考えれば、そう言わざるを得ないように思う。例えば、「著作集十三巻」で「形式合理性の強調」「宗教への期待」という語りがなされたのは、チャペルアワーでの講演という、半ば宗教的な意味でも私的領域と呼びうる場における大塚の語りをその場のもので終わらせるのであればまだよかったのかもしれない。しかし大塚は自らの著作集の中に堂々とそれを提示し後世に問う態度を表明した時点で、これについても擁護できない。そのような態度はこれに限らず、40年代言説の反復を60年代にも繰り返すことによる大塚の議論の全体的な混乱(「人間の近代的基礎」であった「近代の啓蒙」と、60年代の「近代の啓蒙」の否定という自己矛盾)にも言えるものである(※5)。

 

 

※1 もし厳密な意味での区別を行うのであれば、管見の限りでは1972年において転換していたと考えられる。今回引用した文献において、1972年については、転換前後の言説が混在しているが、それ以前、以後についてはそのような混在が確認できなかった。

 

※2 別の論文では、次のように形式合理性の批判を行っている。もっともここで語られる解決策についても、かつての「資本主義の精神」との議論とは結びつけて議論している訳ではない。

「近代合理主義を批判する人々が問題としているのは、実は、この独走する、「鉄の檻」と化した形式合理性の文化、そうした姿における合理主義に他ならない。さきにも言ったことだが、それに対して抽象的に非合理主義一般を対立させ、ただ拒否的な態度に終始するだけではとうてい根本的な批判とはなりえないだろう。そうではなくて、新しい、別種の実質合理性の原理――それは形式合理性の立場からすれば非合理性の原理と見えるだろうーーを対立させ、それによって、形式合理性文化の根底的な非合理性を白日の下に曝すことこそが必要なのではなかろうか。」(「著作集第十二巻」p414、論文は1976年のもの)

 

※3 ただし、このような視点が70年代に蔓延していた点について軽視されるべき論点ではない。日本人論的なコンテクストで言えば、70年代という時期に限れば、普遍的な文化の否定性と特殊日本的な状況が並行的に語られる時代であったし、土居健郎のような態度はそれらを矛盾しながらもミックスしたものであったからである。このような並行的議論の意味合いについては更に深く考察されねばならないだろうし、今後もレビューとして進めていきたい。

                            

※4 もっとも、大塚自身はほぼ間違いなく「私は資本主義の精神の重要性を捨てた訳ではない。それはやはり歴史的な意味で重要なものであったし、今なおその重要性は消えない」と反論したことだろう。ヴェーバーが語った「資本主義の精神」の重要性は、それが正しいものと証明したい一心からそのような態度をとる、という訳ではないだろうが、ある意味で70年代における大塚の言説は決して一元的価値観によるものとは言い難い。それは「宗教による救い」に求める態度においてもそれが「キリスト教」以外によってなされることを否定するものではないことなどからそう言えるだろう。

 しかし、問題なのは大塚このような用語をする際に想定される「絶対性」(「資本主義の精神」は重要であるという問題)の議論ではなく、「相対性」(「資本主義の精神」は現在においてどのような影響を与えているか)の観点からの議論なのである。大塚は「資本主義の精神」の価値の擁護をする以上に、確固とした歴史観をもって現在の社会(先進国全般)に批判を加える中で、多元的発展観の関する可能性を一元的なものとして還元(=相対的なものとして無意味化)してしまっていることが問題なのである。

 

※5 だめ押しでもう一点この大塚がとった相対的な「単一的発展観」に関する問題を挙げておこう。前回も大塚は所々で自身の主張を擁護し、自らの主張は欧米に見られる「単一的発展観」の押し付けではないことを強調してきた。しかしこの70年代に入ってからの態度変更というのは、この「単一的発展観」の押し付けを行っているという批判をかえって強化する結果になってしまったと見るべきである。引用についても反復の意味も込めて取り上げておこう。

 

「ところが、それを批判するさいの価値基準を多くの人々は、われわれが近代のヨーロッパ、たとえばイギリス、フランス、そしてアメリカ合衆国なんかの近代社会の状態を典型と考え、そして日本の中にあるそういうものと違った点を洗いざらしにし、それを取り出してきて断罪した、ヨーロッパ文化を典型と考えて日本文化を批判した、というふうに取ったわけです。そんなことを言っているのではなかったのですが、そう取られました。もう少し具体的に申しますと、そうした批判はマルクス主義の歴史家、あるいは思想家の側からでてきたのでした。……それに対して、私なんかはこう考えていたのです。たしかに資本主義経済は発達しており、ある意味で近代と言わねばならない面も含んでいる。そういう面が確かに明治以後の日本文化の中にあるにしても、日本文化全体をとってみると、はたして第二次大戦終了直後のまだ農地改革の行なわれていないころ、それはまるごと近代化していたと言えるかどうか。あるいは、資本主義経済は発達していても、近代社会といいますか、このごろよく使われる語ですと、市民社会という面からみますと、私にはどうしても日本文化、日本の社会は、ヨーロッパのような意味での資本主義文化、あるいは市民社会になっていたとはとうてい考えられなかった。……ともかく、われわれにはこれからなすべき事柄がまだ多く残っている。それをわれわれは課題としての近代化と考えたわけです。」(「著作集第十一巻」1986、p111、論文は1968年のもの)

 ここで大塚批判の論者はヨーロッパ(正しくはイギリス・アメリカ)の近代が理想と考え、日本文化を批判したと考えたとある。これ自体は「近代の人間的基礎」を見れば明らかに正しいものであることを前回確認した。もっとも、これに若干の擁護を行いうるのが、「資本主義の精神」というエートスの必要性を強調をあくまで大塚は行ったのであって、欧米文化そのものを模倣せよとした訳ではないから、そこから発生する近代化の型というのは多様でありうることを許容していたということこそ本旨だ、という主張もまた正しい。結局ここで論点がズレる可能性は2つある。一つは①日本文化の批判を行ったかどうか、もう一つは②欧米化を大塚は強要したかどうか、である。①については大塚が「近代の人間的基礎」において批判を行っていたと解釈するしかない。しかし、②については、その強要の性質については争う余地があるということであった。

 ところが、70年代の大塚の主張は②の主張さえその争いを無に帰してしまうのである。「資本主義の精神」を捨てた大塚は単一的発展観を前提にして現状を批判してしまった。本来であればこの批判にこそ多様性を与えなければならなかったにも関わらず、大塚はそれを資本主義社会における先進国の共通の問題の帰結とみなしてしまったのである。ここに更に大塚の議論を混乱させる要素が生まれてしまったのであった。

 

(2021年3月10日追記)

※6 もう一箇所、「精神のない専門人」に関する引用を行った論文が著作集にあったので紹介したい。「大塚久雄著作集 第九巻」(1969)所収の「現代における社会科学の展望」(1967)の内容である。プロ倫の該当部分を引用の上、次のように続ける。

 

「いうまでもなく、これは一九〇四、五年頃、つまり資本主義の精神の生き生きとした息吹の残存が、なおあちこちに強く感じられていたときに記された言葉です。こうしたヴェーバーの言葉は現在いうところの大衆社会現象をすでに半世紀もまえに予見していたと言えないこともありますまい。が、それはともかくとして、私がここで問題にしたいのは、こういうことなのです。——近代の資本主義文化のつくりあげた「専門化」の傾向は、それが極まるところ、ついに精神の抜けおちた「専門人」を生みだしていることになる。……もちろん、そこには、預言者が現われてきて世界史に大きな方向転換の道を指し示すことがなければ、という限定がついていますけれども、ともかく、ここでは、ヴェーバーは「専門人」と「専門化」の将来に対して、暗い疑惑を投げかけて、その限界を歴史的に画し切ろうとしているのです。そうした厳しい姿勢がうかがわれるわけです。」(「大塚久雄著作集 第九巻」1969、p181)

 

 この引用について大塚は「専門としての職業人」における専門性の議論と対照的であると指摘し、専門人に対する明るい見通しと暗い見通しの格差の議論を考察する。これがほとんどこの論文の中心となる。そこで大塚はこの「専門性」について、「理論的専門化」と「実践的専門化」という言葉を区別し、この「精神のない専門人」の議論は「実践的専門化」のなれのはてだとする(同上、p187)。「実践的専門化」とは一言でいえば「生活の現実のなかで人々に解決を迫ってくるようなある具体的な問題をとり上」げ、「それをいかに解決するかという課題を設定」するものである(同上、p184)。一方、「理論的専門化」とは「文化的諸領域のそれぞれに成立する独自な法則を純粋に理論的につかまえて、その独自な法則をそれぞれについて一般的な形に定式化していこうとする営みがある」とする(同上、p184)。その上で、このプロ倫の引用について次のように整理する。

 

「経済学のばあいなら、経済のことがら自体にはなんらの顧慮もあたえないで、ただ、すでにできあがっている理論体系をもってき、それを理論的にまちがいないものへと整理していくというような、よくない意味での神学みたいな仕事だけをやっていましたら、社会科学はいっこうに進歩しないだろう。それどころか、そういうことばかりやっていると、そもそもことがらそれ自体をよく知らないために、いつしか、すべての現象が理論から演繹されて出てくるかのように思い誤る、そういう倒錯した学問になってしまうだろう。ヴェーバーふうにいえば、まさしく精神のない専門人ですね。そういうのではなくて、ある具体的な課題を現実のなかからとりだして、問題を設定し、それを解決しようという角度から学問的にアプロウチする。そういう実践的専門家の方向に立っている研究と、直接あるいは間接に関連を保ちながら、そこから生じてくる必要をいわば牽引力として、理論的研究の方向に専門化していく。理論研究は、まさしく、こうしたやり方によってのみ進歩してきた、これが現在までの歴史的事実だ、とヴェーバーは主張いているのです。そう言ってよいだろうと思います。(同上、p190)

 

 ここでの大塚の「精神のない専門人」の言説は統一感がないように見える。P187の部分においては、どちらかといえば「目先の問題にだけこだわる」者についてこの言葉を用い、p190の部分においては、「理論が万能である」ことを奢る者に対してこの言葉を用いている。実際、大塚は「二つの専門化がたがいに離ればなれになって、「精神のない」ものと化するような可能性を見てとったときに、「専門化」の将来に暗い見通しをもったのだ」と結論付けている(同上、p190)。

 70年代の大塚の言説と比較した場合に、ここで何よりも重要なのは、大塚はかの「資本主義の精神」のエートスの議論の重要性を失っていない、言い換えれば「生産性」原理を否定していないという点である。むしろ、このような注釈を細かく加えることで「近代」原理としての専門性について必死に擁護する態度が60年代までの大塚にははっきり見てとれる。ところが、70年代にはこのような擁護はほとんど影を潜め、むしろヴェーバーの言う通り「預言者の到来」の方に期待するかのような大塚の態度の方が前面に出てくるのである。

 

(2021年3月12日追記)

※7 実際、1948年の論文「宗教改革と近代社会」において大塚は次のように禁欲的プロテスタンティズムの性質を説明する。

 

「第二に、「良心」的人間類型の創造は、さきに指摘した「魔術からの解放」によって、民衆に、人間的な権威や伝統をいささかも恐れることなく批判的でありうる「合理性」を賦与した。そして、それは民衆のうちに、一方において近代的徳性の女王である「公平」の精神を生みおとすとともに、他方において合理的な思惟能力を、科学精神の温床を深くも培ったのである。……ただ禁欲的プロテスタンティズムは、右のように勤労民衆のうちに合理的思惟能力を造り出すことによって、科学を民衆のための民衆のもの、したがって社会全体の共有財産にまで高め、その結果として近代におけるあの顕著な科学の進展のための精神的推進力ともなったのである。」(「大塚久雄著作集 第八巻」1969,p417)

 

 ここには、生産力の向上というものについて、一部の人間に独占させるのではなく、広く大衆に広めることもまた、禁欲的プロテスタンティズムエートスであったことが示される。なぜこのような原理が南北問題の解決策の可能性として大塚は暗に否定してしまったのだろうか。大塚の弁明からは宗教的価値観があまりにも多様であり、このような「合理性」を与えるエートスが介在する余地が残っていないという読み方も不可能ではない。しかし、そのような解釈が正しいのかという疑問符も与えられるべきではななかろうか。何より大塚の態度は「南」だけでなく、「北」の問題に対してもこの原理を適用することを放棄したのであるから。