「『親方日の丸』の研究」―新堀通也レビュー補論

 今回は前回の補論として、新堀が使っていた「親方日の丸」の言説の妥当性検証の一環で、一般に流布していた「親方日の丸」言説を少し分析してみた。
 今回確認したのは読売新聞・朝日新聞の記事データベースから、新堀の著書が書かれる直前である1986年頃までの新聞記事と、国会図書館デジタルコレクションにおける雑誌記事の内容である。


○公営事業体・自治体と「親方日の丸」言説
 まず、国鉄を中心にした国が出資していた事業体への批判である。国鉄赤字経営をはじめた60年代からそれを批判する形で頻出するようになった「親方日の丸」言説であるが、国鉄に限らず、日本航空やNHKなど、同じく経営の問題が露呈したものに対して、批判的言説を行う一貫で「親方日の丸」が用いられている。このような用法が大部分を占める(※1)。

「最後に、浅井委員が宮本氏に「日航製の重役は天下り役人が大勢いる。そんな体質が〝日の丸商法″を生んだ。あなたは十六億円もの血税を無為に使ったこと認めるか」といったのに対し、宮本氏はこれを認め「申しわけない。反省している」と頭をたれ、声を低くしてわびていた。」(1970年12月11日読売夕刊「〝親方日の丸″YS−11の商法」)

「志賀氏は、こうした巨大化の一途をたどるNHKについてこう説明する。……電波の割り当ても含めてこれ以上マンモス化させるのは危険だ。といっていまの郵政省ではできないだろう――とNHKの国営機関的な〝頭越し外交″の強さを指摘する。
確かに小野NHK副会長は元郵政事務次官、同氏を含め三人の元郵政官僚がNHK天下りしている現状では郵政省の〝弱み″も大きい。」(1972年3月18日読売夕刊「親方日の丸NHK赤字論争」)

 上記の記事では、特に官僚の天下りの問題もセットで議論されているものの、これは公営事業体の経営が悪いことの理由として語られる理由の一つに過ぎない。これは例えば民間との比較という形で述べられていることもある。

「深刻な不況下にあって、民間企業がぎりぎりの経営合理化、経費節約に血のでるような努力を重ねている時である。「親方日の丸」の意識を役所、公社、公団などから一掃しなければならない時代であることをとくに強調したい。」(1975年12月12日朝日朝刊社説)

「四十九年度は、たまたま、日本経済が戦後はじめて、マイナス成長に落ち込んだ年であり、民間企業では、血のにじむような合理化努力が強いられていた。そういう状況下で、役所やそれに準じた機関が、依然として、高度成長期の惰性になれ、親方日の丸的な運営を続けているのは、到底許されることではない。」(1975年12月13日読売朝刊社説)

 両方共に1974年度の会計監査院の会計監査結果を受けた記事であるが、民間では「合理的」な運営を行うことを前提にし、そのような努力を怠る者として公営企業体や自治体という組織を位置づけ批判していることが、はっきり見える。
また、上記の引用にも見られるが、公営企業体だけでなく、政府や自治体に対する批判言説の中で「親方日の丸」体質が批判されることも一定数存在する。

「いまの計画だと、半官半民的な機関をつくってそこに発行を委託し、これを政府が全部買いあげて官庁や市町村、公民館、学校に無料配布するというが、これでは公務員相手のPRだけに終わりそうだ。費用は国民の血税でまかなわれるわけだが、一般国民の目にふれない新聞では、なんのための発行かわけがわからぬ。
 いつか総評が「新週刊」なる雑誌を出した。組織の力でベスト・セラーにすると息まいたが、結果は総スカンをくった。あげくの果てが、五億円近い借金を背負い、いまだに屋台骨をゆずる材料になっている。日ごろの〝親方日の丸″的発想が、大衆の意思の甘くみた誤算であった。こんどの場合(※政府による週刊新聞の発行)も「親方日の丸新聞」として、同じ懸念が多分にある。」(1968年4月19日読売夕刊)

「ところで選挙の粛正、浄化が叫ばれるたびに選挙の「公営」強化論が出るが、今度の選挙で、一体国はどのくらい候補者にサービスしているかをしらべてみた。……
こんな不まじめな候補者はもはや税金泥棒だ。国民もたまにはタックスぺイヤーとして、税金の行方というアングルから選挙をみつめてみると、関心がわくかもしれない。〝親方日の丸″の感覚は古い。自治省も「選挙公営」ときれいごとばかりいわないで〝ケチな根性″からの選挙PRを考えてもよいのではないか。」(1968年6月28日読売夕刊)

「職員の協力を得て行財政改革を推進し、成果をあげている自治体にとっては迷惑な話である。まじめに働く職員も多いが、たとえ一部であっても、〝親方日の丸″的な意識の上にあぐらをかく市町村がある限り、自治体不信の声はなくならないだろう。」(1984年7月6日読売朝刊社説)

「民間企業は、二千万、三千万円もの退職金はとても支払えないから、早くから手をうち、組合も協力してきた。これが労使とも〝親方日の丸″の役所と違うところだ。
自治体側は、先見性、経営努力などの面で、民間に大きく立ち遅れていることを反省すべきだ。それが地方行革の出発であることを改めて強調しておく。」(1985年4月8日読売朝刊社説)

 ここの記事においても組織のムダ、贅沢な待遇、そして取り組みへの意欲の弱さというのが批判される形で用いられていることがわかる。
 しかし、先述したような「民間との比較」が明確に示される形で批判がされている場合というのがはっきりしていないというのも特徴的なことといえるかもしれない。これは恐らく話の起点が赤字経営や非効率を理由とする事故といったものをむしろ想定し、それの理由を議論する中で用いられているからだと言えるかもしれない。見方を変えて述べれば、政府や自治体という組織自体は民間企業のような組織と比較されるにせよ、厳密に言えば「民間の代替が不可能」と呼ぶべき性質の組織であるから、明確な比較対象たりえないのである。

 このように責任論としての「親方日の丸」批判は、時に焦点がボケており、本当にその問題の所在が正当に述べられているのか微妙なものとして、語られていることがある。たとえば、次のような議論である。

「しかしこの事故についての第三者の批判にも奇異なものが目についた。たとえば五反田駅の寝すごし事故に関してある人は、駅には目ざまし時計すら備えつけられていなかったと批判していた。しかし定められた時期に起きて駅の入り口の扉をあけるのは、勤務するものの責任ではないか。……第三者までが親方日の丸式の考え方をしているというのは、一体どうしたことなのであろう。こうした風潮が国鉄を毒しているのではないか。」
(1968年10月7日読売夕刊、浦松佐美太郎の論)

 ここでは、最初国鉄の責任問題を問うていたのだが、それが転じて国鉄批判を行う者も論点がおかしく、その前提に「親方日の丸」的発想があること、責任の議論のベースはむしろ個々人のレベルにあるのではないかという見方で批判を行っている。
 また、民間企業ではなく官公庁に就職する若者に対して「親方日の丸」的体質があるとして批判するような議論も存在する。

「「不景気の年は、お役人志願が多くなる」という相関関係は、以前からあった。景気が悪くなると、民間が採用を手控えることや、学生が不安定さをきらって〝親方日の丸″の官公庁へ走るからだ。……
この底流はなにか。……横浜市役所が今春採用した三百六十四人を対象にアンケート調査したところ、民間に比べた地方公務員の魅力は「職場の安定性」「老後の保障」「ノルマに追われない」のパーセントが高い。……もう〝お上″という権力意識や使命感は、地方公務員にかぎっては残っていないのだろう。
……ノンビリズムのお役人ばかりになっては、納税者がたまらない。人材は、じっくり吟味してほしい。」(1974年6月22日読売朝刊)

「こうした今年の〝事情″に加えて、就職戦線の明暗と関係なしに、公務員や先生志願の学生がふくらんできた。いうなら若者たちの〝親方日の丸志向″である。」(1976年7月11日読売朝刊)

 ここでのポイントはやはり「責任」が若者に付与されている点である。しかし、もともと不景気である所から発した議論においてこのような「責任論」を唱えることが適切なのかと言われると、少々疑問もあるし、このような傾向を非難すべきであるのかというのも考慮の余地のあることなのではないのか。いわば「親方日の丸」という言葉は「殺し文句」の如く作用し、無制限的に責任を付与することを正当化している言葉ではなかろうかとさえ思えてくるのである。このような態度の延長戦上に、新堀の義務教育段階の公立学校も「親方日の丸」であるとして批判する態度があるのではないかと思ってしまうのである。


○学校と「親方日の丸」言説
 さて、新堀が対象にしていた「学校」は実際どのように「親方日の丸」と結びついていたのか。すでに述べたように、「親方日の丸」は基本的には行政組織を批判対象としていた。確かに教育の分野も行政の要素が含まれるが、やはり別の分野であり、自治体の議論の中にも学校教員が見えてくるのはほとんどない。
 しかし、教育分野における「親方日の丸」言説は全くない訳ではなかった。まずは国立大学批判を行う際に見られたものが挙げられる。

「大学法をめぐって文部省と国大協の意見が平行線をたどっているが、私は奥田学長のいう「大学自身に原動力がある」という主張には同意しがたい。奥田学長は、おそらく紛争終結のタイム・リミットを考えに入れていないのではないか。同時に、紛争が収拾のメドもつかず混乱しているのは、国立大当局者の考え方に一番大きな原因があると思う。
今日の国立大当局者の考え方は親方日の丸的で、自らの力で紛争を解決しなければ難破してしまう私立大のような緊迫感もない。学園の中に経済的合理性を持ち込むのは当を得ないかもしれないが、国民の血税でまかなわれている以上、全く無視していいものではあるまい。」(1969年8月13日読売朝刊、読者投稿)

ただ、これは読者の声欄に寄せられたもので、正面切って新聞記事で取り上げられた訳ではないことは押さえておくべきだろう。またこの論点は、雑誌においても同様の趣旨のものが確認できた。

「私学で学び、私学の教員をズッと続けてきているわたくしは、学会などで東大教師をみかけるが、「おれは東大の教授なんだ」といわんばかりの尊大で、トッツキにくい権威主義的な体臭を強く感じさせられ、偏向的な思想傾向のみならず人格的偏向に対しても軽蔑の念をいだかざるを余儀なくせしめられている。
この権威主義は、東京帝国大学以来の伝統と官僚主義機構によってのみならず、地方国立大学や私学に職を奉じている東大出身教員による教祖視や、戦後最大の権力者であるマスコミや出版社の一部偏向分子との権力追求と商業ベースによる結託などによっても支えられている。」
「これに反して、東大の場合、授業料に値しないものを授業料と称し、尨大な国家予算の下に、私学に比してはるかに高い公務員給与にもとづいた多数の教員・助手・技術員・職員を擁し、しかも教員は担当授業時間数はきわめて少なく研究講義準備の時間に非常に恵まれている。学生指導の時間も、その気になれば、私学よりも相当時間がある筈だ。学生もあらゆる面でまことに恵まれた環境にある。
そこで、今度のような紛争がおこり、長期にわたってなお解決しえないということは、常識では考えられない。権力批判を呼号しながら、その実は東大総グルミで「親方日の丸」、すなわち前述のような国家権力と国家予算の上に安住したジキル・ハイド的な姿が、東大の真相であるといえよう。まさに繁栄の中での亡国の相である。とくにいけないのは、教員——とりわけ〝進歩的″教員——であるといいたい。」(大谷恵教「〝親方日の丸・東大″どこへ行く」政策研究フォーラム編「改革者」105号1968,p11-13)

 いずれのケースについても私立大学と国立大学(特に東京大学)の大学紛争の対応が比較され、東京大学の対応の遅さが批判されている。やはり組織的な問題・責任論として語られている。
 次に高校における議論であるが、これも投書で公立高校の批判の議論として用いられているものがあった。

「まず非行をなくすためには、落ちこぼれをなくさなくてはならない。そのためにはわかる授業を、能力別指導を、教師集団のあり方をーというように、手さぐりの教育を執拗に追いつめ、最後まで生徒にくいついていった真摯な態度には、なんといっても頭のさがるところである。
いわゆる〝親方日の丸″式な官立校の学校では夢にも考えられない学校教育の考え方である。こうした考え方が、官公立の学校教育にも取り入れられない限り、明治以来の立身出世主義の教育を脱皮することはできないと思う。」(1978年8月9日読売朝刊、元教員読者投稿、私立学校「篠ノ井旭高校」との対比として)

 大学のケースと同様に、私立学校を比較対象として、公立高校の(恐らくはエリート主義的性質を)批判しているものである。ちょうどこの時期が「落ちこぼれ」言説のピークであり、その流れに乗った形で、「親方日の丸」と合わせて用いられているケースであるといえるだろう。
 そして、義務教育に関する「親方日の丸」言説は、何と文部大臣とのインタビューの中に見出すことができた。

「(※松永光)文相 義務教育についても、しかり。公立の教師より、塾の先生の方が教え方がうまくて熱意がある、というのは、嘆かわしいことですよ。なぜそうなるかというと、結局、親方日の丸だから。教育を受ける側、つまり父母が、公立学校の教育を評価の対象として、学校がその評価に耐えられる努力をする――そういう刺激を与えるためだと考えると、((※義務教育の)自由化論は)意味のある発言だと思う。」(1985年7月6日、読売朝刊、臨教審第一次答申に対する文部相インタビュー)

 まずこの議論は臨教審答申との関連で述べられていること、そして比較対象が私立学校ではなく塾に向けられているという点は注目すべき点だろう。85年の記事であるため、すでに新堀の影響を受けた言説である可能性もあるが、かなり新堀と近い形での文脈を含んだ内容であるように思える。
 しかし、基本的な傾向は何一つ変わらない。比較の対象として素朴に「民間」を想定しながら、公は動きが悪い、効率が悪いということを批判し改善を要求するという言説として用いられていることがわかった。


○日本人論は「他者」を想定しているのか?
 ここまで「親方日の丸」の議論を追ってきて、一つはっきりしていることは、この言説自体は「日本人論」のカテゴリーには入っているとは全く読み取れないという点である。
 実際の所、この議論は組織論に対する批判であり、日本人論としてカテゴライズされていると言ってよいであろう「護送船団方式」とも呼ばれた経営論にも密接に結び付きそうな話であったが、私が読んだ限りの記事では(※2)見つけることができなかった。これは、端的に「親方日の丸」という言葉が想定しているのが「海外」ではなく、はっきりと「民間」側にあったからである。
 ところが、新堀は「親方日の丸」言説をタテマエ・ホンネの話で説明してしまっており、「特に公立は」という表現でその性質を説明しているのである(新堀1987=1996,p226-227)。これは明らかに既存の「親方日の丸」言説を逸脱したものであり、日本人論と結びつけて説明してしまっている点なのである。

 このような論法を展開することで結局仮想されていた「民間」というのがかなりボケてしまい、かといって明確に「海外」との対比を行っているのかどうかさえよくわからない(比較の説明をしていない)。もともと「親方日の丸」言説はこのような対象がボケてしまうという性質を持ち合わせていたものだったとは言えるが、新堀はそれを更に「日本人論」と結びつけたことで不明瞭にしてしまうことに一役買ってしまっているのである。

 結果として、無限定的にこの「親方日の丸」言説が新堀の著書の中では用いられることとなっているのである。確かにそれは批判言説であるのだが、比較対象となるものがほとんど存在しないといえる状況にある。このような状況で困るのは、結局これを改善したい場合にも、何をもって改善されたのか説明することさえできなくなることである。このような批判論法には議論を行う価値が存在しないのである。次回、杉本・マオアの「日本人は『日本的』か」(1982)をレビューする予定だが、このような態度の取り方は日本人論に頻出する傾向であるらしい(杉本・マオア1982:p181-182など)。

 しかし、ここで更に一つ問わねばならないことがある。それは「日本人は〜である」という時、直ちにアメリカ・欧米といった「他者」を想定していると言えるのかどうか、という問いである。杉本・マオアもそうであったが、日本人論を批判する著書においては、ほとんどこれが自明のごとく「他者」を想定したものであると断言しているのである。
 「親方日の丸」言説を分析してみてわかったことは、この言説が「民営」を想定しがちであったにも関わらず、そのような「他者」を想定することなく単に公的なものを批判し、その改善を強く要求するために用いられていることもあるという点であった。そして、その際のキーワードは「責任問題」であった。
 つまり、このような責任問題を問われる場面においては、そのこと自体が目的となり、比較想定されうる「他者」というのはいないものとみなしても、十分言説として機能しているという点を確認できたのではないかと思う。

 しかし、厄介なのは、このような言説は確かに「他者」なしに言説として機能するものの、実際に「他者」の存在について問われた時にそれを否定するのが難しいという点である。
 一例として、「資本主義の批判」というのも有効だろう。確かに「資本主義の批判=共産主義の支持」とはならないということは、特にドゥルーズ=ガタリやポール・ウィリスの議論をレビューしていた際の内容を読めば明らかであるように思える。しかし、批判の仕方によっては、これを否定することが難しくなるというのも事実なのである。

 例えば、教育の議論の関連で言えば、「総合技術教育」という議論にそれを見出すことができそうである。総合技術教育は、ソ連の教育方式とされ労働実践等で独自のものであるが、そこから学べる点があるとして理論・実践の考察がされていたものである。

「「ところで、われわれは、わが国における一九七〇年代の総合技術教育に対する関心の高まりが、ソビエトにおける一九六七年の労働教育の新教授細目の直接的反映としてではなく、一九六六年の中央教育審議会答申「後期中等教育の拡充整備について」を起点とする中教審路線の差別・選別の教育政策に対する民主主義的教育要求すなわち「すべての青少年が主権者として平和的、民主的な社会を形成し健康で文化的な生活をいとなむのに必要な能力——自然や社会についての科学的知識の基本、技術の基本、文化的諸分野の基礎的諸要素を身につけ、健全な身体を発達させる」ことをねがう国民の教育要求を実現していく民主主義的教育運動に役立たせるというよう現実的な実践課題からきていることに注目しなければならないと思います。
総合技術教育の課題は、社会主義体制でなければ十分には果しえないといってよいでしょうが、独占資本主義の段階にあるわが国の政治体制のなかでは、それへの一歩の試みも全く不可能であると割切ってしまうのも間違いであると考えています。いまわれわれは総合技術教育の思想を学び、社会主義国における総合技術教育の実際を学ぶとともに、独占資本主義のわが国の政治体制のなかで、その一歩をどう現実化するかという非常にむつかしい問題に直面しています。」(技術教育研究会「総合技術教育と現代日本の民主教育」1974,p10)

 ここでは素朴に社会主義国とは異なった形で「総合技術教育」の実践は可能であるという見方がなされている。しかし、本書において「総合技術教育は共産主義を目指すものでしかないのではないのか?」という問いが立てられた際、矢川徳光は次のように答えている。

「それらを私は総合技術教育といっていいのか、総合技術教育主義といっていいのか、ロシア語をそのまま便法的に使わしてもらいますとポリテフニズムといったようなことがらとしてとらえてみたい。そうするとそれは共産主義教育全般のことがらと同じでないかということになりますが、私は同じように思います。そうすると概念がどこでそういうふうにこんがらがってきたのかということを追求しなければいけないわけなんで、私の理解のしかたの概念がどこでそうこんがらがってきたのか、その出どころはどこにあるのかということをもっと追求しなければならないと思っています。それはマルクスが提唱したような時期のことがらといま、私たちが生活している状況とは少しちがって技術の発展、社会生活の複雑化、低福祉の諸問題、こういうものが加わってきている中で教育を考える場合に、広い意味での全一的システムとして総合技術教育を考える。これを、別のことばでいえば私も共産主義教育というものとまったく同じようなものなのか、どこでちょっとだけズレるのか、わからないけれども、重なって考えられるというふうになってくるわけです。」(技術教育研究会「総合技術教育と現代日本の民主教育」1974,p120)

 恐らく、ここで議論されているものも「親方日の丸」と同じような点なのではないかと思ってしまう。独占資本は非難されるべき対象であり、その改善が必要であることが求められているという状況においてそれが言えるだろう。しかし、その改善としてここで持ち出される「総合技術教育」の到達点いうのはどこなのだろうか?それを問うた際に矢川は共産主義教育全般のことを為すことによってしか解決しないだろう、とここで解釈したのではないかと私は思うのである。

 日本人論や資本主義批判という論点においては、このような状況に出くわすことが以外とある印象である。この一見矛盾した論点について、結果として「日本人論を『他者』なしに議論することは問題」と見るのか、それともこのような論法が正当であり、正当性を与える条件をどのように設定できるのか、レビューの折に検討していきたい。


※1 但し、今回は国鉄の批判における記事は記録しなかったので、引用も割愛している。

※2 ※1と同様、今回は国鉄の記事については読んでいない状況にあり、それ以外の用法で用いられていた記事を分析した。その限りでは日本人論との結びつきはあるとはとても言えなかった。