新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

 本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育論に溶け込んでいる本もあまりないと思う(もっとも、最近になってこのような読み方をするようになったからかもしれないが)。
 新堀の本書の態度について一言で述べれば「社会問題に毒された著書」とでもいうべきだろう。このような著書であるからこそ、新堀自身がどのような観点から問題を捉えているのかを分析してみることは意義のあることだと思い、今回レビュー対象とした。
 なお、頁数は新装版にあたる1996年のものとなるが、基本的にバラバラの論文によって構成された著書であり、全て80年代までのものが掲載されている。また、読書ノートについて分量オーバーのため別途掲載とする。


○「社会問題」を捉え損ねるとはいかなる意味なのか?
 新堀の考察を行う前に、まず『「社会問題」を捉え損ねる』とはいかなる意味を持って呼ぶことができるかについて考えてみたい。「日本人論」もまた「社会問題」の一つと位置付けることが可能であるため、合わせて検討していくことになるが、『「社会問題」を捉え損ねる』とは、「問題となっている事実と異なる解釈を行っている」場合に対してそう呼ぶことにする。例えば、社会問題の議論は特に社会病理を取り扱うことになるが、このような病理はごく一部の人や現象にしか当てはまらないにも関わらず、「普遍性」をもって語ろうとすること、つまり過剰解釈を行うことなどは、この『「社会問題」を捉え損ねる』ことに該当する。

 具体的に『「社会問題」を捉え損ねる』場合についてパターン分けをしてみた場合、次のような分け方が可能であるように思う。

1.現われている事実自体への誤認・所在の不明慮さ
2.因果関係について、関連性自体が認められない
3.「代表性」を満たしていない
4.「歴史性」を満たしていない

 まず1.についてだが、ここでいう社会問題を論じる者の「事実誤認」そのものについては厄介な論点もあるため今回は取り上げない。一方、「事実の所在の不明慮さ」とは、問題とされていることの出典がいつ・どこで示されたものなのかという点について示されていない場合を指すが、本書においてもほぼ一貫してその事実がどこで議論されたのか示されていないのである。
 これはまずもって「学術書」と呼ばれるものと「一般人向けの本」の違いとして指摘されうるものである。明示されない理由についてはやはり議論がわかりにくく(煩雑に)なるからであろうか。しかし、基本的にはこのような出典がない場合の「社会問題」の記述は読者が「ああ、あれのことか」と読者の経験に結びつきやすくなるように語られていると言ってよい。その結びやすさこそ『わかりやすさ』である。
 しかし、このような『わかりやすさ』を優先させることで実際の事実の誤認を行う場合や、2.に関連して因果関係を無視した議論を行うといったことが起きやすくなる。また、3.の代表性も侵食した議論を展開することになる。これについては後程例を挙げる。
 日本人による日本人論にはこの手の出典の不明慮さが特に目立つことを杉本良夫とロス・マオアが指摘している(「日本人は「日本的」か」1982)。杉本らは中根千枝(1967)、土居健郎(1971)、ヴォーゲル(1979)、ライシャワー(1979)の4冊の著名な日本人論を分析し、「四著に提示された命題の大部分は、証拠やデータによって裏づけられることなく書き並べられている。このことは、因果関係や相関関係を示す理論的命題に関して、特に顕著である。」(杉本・マオア1982;p161)とする。実際に数字を示し、過半数の命題についてそれがないと述べている。また、実際に論証される場合においても、日本人二者の論述においては実例があってないというべきような「自分の権威に依存した主張」として述べられていることも一定数あるという(同上:p162)(※1)。「権威に依存した主張」というのは、いかにも学者特権とでもいうべき議論の簡略化だろうが、こと日本人論が絡むとなると、これがほとんど根拠なしの結果になることも多いのではなかろうかと思う。


 次に2.についてである。これはすでに羽入辰郎のレビューでヴェーバーを取り上げた際に議論し理念型の話が大きく関わる。「類的理念型」としての理念型αと「歴史的個性体」としての理念型βの議論において押さえておくべきは、因果関係を説明する理念型βというのは、2つの理念型αの検証と理念型βの検証、3点の検証を要するという点である。これは状況をかなりシンプルにした例であるが、実際の運用については、更に考慮しなければいけない点がある。
 まずもって大前提にあるのは理念型の運用そのものを変更しないということ、言い換えれば「言葉の定義の操作」を行わないことが必要になってくる。ここには言説を語る者の中で概念がズレる場合もあるし、言説を語る者とその言説を解釈する者のズレというのも当然ありえる。「日本人論」というカテゴリーの仕方はそもそもとしてこのような前提のズレが当たり前のように生じてしまっているのである。
 これはすでに片岡徳雄のレビューで「集団主義」を勝手に定義付けていたり、岩本由輝の「共同体」という言葉の議論の中で問題提起してきた点である。本書において例を挙げれば「親方日の丸」という言葉の議論が該当するだろう。親方日の丸は国鉄といった官製企業や大学についても議論された言葉のようだが(※2)、新堀の場合はそれを公立の義務教育段階の学校にまで広げて議論を行っている。確かに「親方日の丸」論は広く公への批判に展開しやすいような点があったといえるかもしれないが、「公的なものは全て悪」といった論点に波及しかねない点で問題であるようにも思える。実際新堀の場合、p6やp227のような「親方日の丸」の使い方は、一見「日本人論」には整合性がとれても一般的な「親方日の丸」の定義と整合性がとれているかかなり怪しい。新堀のオリジナルの用法と見みる方が正しいように思える(この点については後日検証を行う)。

 また、理念型βの議論を行うにあたり、因果関係を連鎖的にとらえるような場合には、複数の理念型βから別の理念型β´を語るような場合もありえるだろう。このような場合には、検証すべき内容というのは3つに留まらないことになる。「日本人論」においては、この観点を飛ばしてしまい、結論を明白なものとして語るという性質が強い。この検証を飛ばす作業は1.の論点の軽視を生んでいることにも繋がる。
 

次に3.の代表性についてである。この最たる例は統計学において適切なサンプルを十分な数だけ集めた場合に一般的な性質について言及されうる、というものであるが、日本人論においては単に「制度」や「言語」においてそう規定されているからそれが大多数の総意である、と結論付けられることが多い。これはすでに坂本秀夫が海外と比較する際に「海外の制度のみに注目して日本の実態を批判する」という論法を採用していたことをレビューで批判した点である。これは「制度」に依拠した日本の批判である。
 ここでは「言語」の面について少しふれておきたい。言語の問題を考える上で極めて貴重なデータがあるので紹介する。

「ポイントカードはお持ちでないですか?って聞かれて持っていないとき、みなさんどう答えていますか?」
引用元:https://twitter.com/Keita_Saiki_/status/779267011385753600 佐伯恵太氏のツイートから

 この文については、日本語の文法的では当然「はい」と答えることが正しいとされている。しかし、実際ここで行ったアンケートの回答では「はい」と答えるのは64%にすぎないのである(n=238)。私自身もそうであるが、やはり「はい」という答え方自体に違和感を感じ、「いいえ」と答えている人が少なからずいるのである。
 日本人論においては、文法が全てであることを前提に議論されることが全てといってよく、この場合は「はい」というのが日本の文化であり、「いいえ」と答えるのがアメリカの文化であるとされる。しかし、実際にはそこまで明確な二分法的な違いが存在しないのである。結局言語も生ものであり、「文法」通りに一義的に解釈される訳でもなく、「大多数が間違える日本語」という形で紹介されるようなマイノリティの正しい言語もあり得るのである。
 結局これも日本人論において陥りがちな、「日本的性質が語られること=日本人の大多数はそのルールに従う」という暗黙のルールを採用している結果起きる捻れである。実際は一部の「権威」「強者」によって言語のルールも含めた「制度」が定められる可能性も大いにあるにもかかわらず、そして社会問題に引き付ければごく一部の問題を大きく語っているだけであるにもかかわらず、それが大多数の日本人に共通のものとして語ってしまうのである。そして、これも1.の論点に繋がり、検証作業がなされていないか、出典が曖昧にされることで一目正しいのかは判断できないのが「普通のこと」となってしまっているのである。


 最後に4.の「歴史性」と呼んだものである。これもなかなか厄介な問題点である。
 仮に日本人にある性質があることを見出し、それに根拠があるとしても、その根拠は「いつ」見いだされたかによってすでに「今」の観点からは根拠にならない状態がありえることがある、というのがこの「歴史性」の問題である。
 すでに述べた「言語」の話についてもこれはありえる。言語自体が共通項となるものを繰り返し用いることで言語として流通される性質を持っているため、その言葉が「今」とマッチしていない可能性もあるし、古い文献等に依拠したものについても、その性質が今も同じことがいえるのかは確実な保証がない。
 日本人論を語る際に拗れるのは、このことを逆手に読んで「今」の日本人はそうでなかったが、「過去」の日本人はそうであったという論法として語られることがある点である。例えば、「日本人は集団主義的である」という論一つにしても、現在までそれが有効であるかのように語る場合もありえれば、「昔は集団主義的であったが、イエの概念が崩壊し徐々にそうではなくなってきた」と語られる場合が(多数派ではないにせよ)存在する。
 更に言えば、この「現在」と「過去」の議論はやはり比較であり、それぞれの根拠が必要になるのであるが、やはり1.の論点に戻って根拠が欠けている場合がほとんどである。どちらかといえばほとんどが「過去」の観点において根拠に乏しい状態にあるといえる。これは社会問題を語る場合においても全く同じで、論点として強調されるのは「現在」の問題にあるため、「過去」の部分は軽視されながらも強力な比較対象として語られてしまうのである。
 そして合わせて指摘しておきたいのは過去の議論における賛美の態度である。この点については新堀においてもp173で「失われたものに対する郷愁念は、特に古い時代に育ったおとなに大きい」と批判を加えている所であるが、新堀自身もその域を出ているとは全く思えない、という奇妙さがある。

 師範学校に対する見方を例にとろう。P245では確かに「師範教育が視野の狭い閉鎖的な教師を作った」が、他方で「教育一筋、使命感、責任感、教育愛に燃えた教師が減った」と嘆き、「師範教育を貫いたのはまさにそうした教育者的な精神であった」とする。この2つの価値をどう評価するか、まさにこの点が致命的に重要な論点なのである。正直な所、新堀がこの点についてどう考えているのか測りかねる。しかし、素直に文面を読み取ってしまうと、この2つの価値は別のものであって、「師範教育の(よい)精神」というのは独立したものとして掬い出せるかの如く語っているのである。このような態度は日本人論においても、社会問題においても、過去を評価しようとする人間に共通して見られる観点である。
 しかし、果たしてこの2つの価値は分化可能なのだろうか?この点については実際何も示されていないし、いかに悪い価値の部分を取り除くのか(取り除くことができるのか)について何も語られていないのである。これが更に悪くなると、両価性そのものが忘却される可能性だってあるのである。高橋・下山田編のレビューで私が「ガキ大将」について触れたのも、まさにガキ大将の「両価性」が無視され良い面だけしか語られていない状況に対する批判なのであった。
 他の著書から師範学校における寮生活の話を少し引用しておく。


師範学校令に盛りこまれた「順良、信愛、厳重」の“三気質”育成のために、正規の学科としての兵式体操と生活訓練の場としての寄宿舎教育が重視された。寄宿舎には下士官出身の舎監を配する師範学校も生まれ、舎内では、下級生は上級生にたいして絶対の服従を強いられ、物品の管理場所までが定められるというように、陸軍の内務班に模した規律訓練が実施された。この寄宿舎の訓育が、さきの服務義務制とあいまって、いわゆる「師範タイプ」といわれる気質をもつ卒業生を教育界に送りだす大きな要素となった。」(仲新監修「日本近代教育史」1973,p100)

 このような寄宿舎生活での実態については、斎藤喜博も自身の経験から述べている。

「こういう「級会」は、一年生とか二年生というように学年単位に全体が呼び出され、そのなかで四年生ににらまれたものが氏名をあげていわれたのだが、それとは別に特定のものが一人ずつ呼び出されてリンチを受けることもあった。これもいつも夜なかに行なわれ、四年生のなかの少数のものがやっていた。
その晩になると、四年生が目的の人間の室にいって呼び起こし、オルガンの練習室へつれていった。まっくらなオルガン練習室の入口までいくと、そこに待ちかまえていた一人が、いきなり柔道で坂の間の上にたたきつけた。そしてみんながそのめぐりへ集まり、その人間の悪いところを指摘し怒号した。そして皮のスリッパだの皮のバンドなどでめった打ちをしたのだった。こういうリンチを受けるのはいつもきまった人間が多かったが、リンチを受けたあとは、何日も動くこともできないものが多かった。」(「斎藤喜博全集 第12巻」1971、p93-94)

 「教師の視野が狭い」というのは本書でも批判されている点である。これも他の職業についている者とどう違うのか考える必要が一方ではあるが、このような寄宿舎における「制約」はまさしくわざわざその視野を広げる可能性を閉じているものであり、そのことで「順良、信愛、厳重」の気質育成がなされていたと解釈されているのである。これら2つの価値は密接に関わっているものとして位置付けられているのだ。しかし、新堀はこの片面を半ばわざと削り落とし、良いところだけしか見ようとしないのである。そしてそれが達成可能なものなのか検証もせずに達成できるもの(正確には過去には達成できていたもの)として賛美しているのである。


○新堀の「見方」とは?―「無限の可能性」の解釈のされ方について
 さて、本書を「社会問題に毒された著書」と呼んだ訳だが、具体的にどのようにして「社会問題」について捉えているか分析してみた所、いくつかの傾向がわかった。
 まず、「社会問題」とされている事実自体について「全面的に肯定している」ことがわかった。言いかえてしまえれば、この事実とされていることについては「検証」が全くされていない。世間で流れている社会問題自体は事実であると言っている。合わせて拡大解釈されている「事実」についても事実と認定している。
 そして他方で事実ではなく「価値観」については賛成・反対両方の態度を取っている。反対の立場をとっているものとして、「無限の可能性」言説に対しては、p40で子どもの性善説に見る見方が強く現われたため出てきた俗論であり問題であると述べている。ちょっとここで「無限の可能性」言説について、これまで私が読んできた本でいかに語られてきたのかをみてみたい。

 まず、この言説自体が教育業界で広まった大きなファクターとして斎藤喜博を挙げることは間違いではないと思われる。

「教育とは、それとは別に、無限の可能性を子どものなかから引き出すことに本質がある。どの子どもが、持っている力を、十分に伸ばし発展させるとともに、子どものなかにないものをもつくり出させ、引き出してやることこそが、教育における本質的な作業である。」(斎藤喜博斎藤喜博全集 第4巻」1969、p269)
1970年代に出された教育の解説本といえる著書においても、このように「無限の可能性」が語られている。

「すぐれた実践は、そういう既成の観念を実践のなかでうちこわし、○男や×子についての見方を修正し、それを通して子どもというものの見方をつくり直していくものである。しかし、それ自体が次の実践に対しては既成観念であり、また新しい実践のなかで修正をせまられる。その無限の連続が教育実践なのだとさえいえる。……
それは、子どもの可能性を無限に見出していくことになる。子どもの能力の限界性はだれにでもよくみえるものなのだ。無限の可能性を一般論ではなく、具体的な子どもに即して発見し続けることこそが、教育実践のキーポイントである。」(中内敏夫・堀尾輝久・吉田章宏編「現代教育学の基礎知識(1)」1976、p85)
斎藤喜博も、子どもは無限の可能性をもっているものであり、それを文化遺産である教材を使って無限に引き出し拡大するところに教師の仕事がある、という見解をうちだしている。」(同上、p209)

 ここでの議論を読めば、単純に「子ども性善説」を肯定しているかのように語っているようにも思える。しかし、実際の「無限の可能性」言説はそう単純な議論によって成り立っているとはいい難い。社会問題の議論においてはよく出てくるのであるが、社会問題の批判的議論の一環として「子ども性善説」が語られていると読み取れる場合も少なくないのである。引用しよう(※3)。


「(※発足当時)白黒であったとはいえ、それまでは映画館に行かなければ映画がみられなかったのに、家のなかで茶の間でみれるようになりました。子どもがテレビの前にはりついてしまったのです。そしてマンガも多く出まわりました。テレビやマンガをみることでほとんどの時間をすごしてしまい、外でかけまわったり、友だちをたくさんつくって集団であそぶことがなくなってしまいました。学校から帰ってきても同じクラスの子どもとしかあそばないのです。このような状況のなかでは、子どもたちは夢をもてなくなるのではないか、無限に可能性を秘めた子どもたちに与えられるものがすべて規格品で、子どもたちが受身だけになってしまうのではないか、そんな不安がいっぱいでした。」(青木妙伊子「文化 人間を創る」1983,p15-16)

「そして今日の子どもたちの非行です。退廃です。子どもたち自身が人の生命を、いえ自分自身の生命をもなんと安手に考えていることでしょう。そんな事実を日々目撃しないですごすわけにはいかないほどに事態は深刻です。
人間にとって何よりも大切なのは人間です。この地上において、無限の可能性をつくり出すもの、それが人間です。だからこそ、子どもたちのその精神を含めた豊かな発達こそは人類の財産だと考えるのです。」(高比良正司「夢中を生きるー子ども劇場と歩んで28年—」1994,p260)

 高比良の著書は抽象的な記述となっているが、2冊とも共通して語られるのは現在の「疎外」された環境であり、その中で子どもは「無限の可能性」を否定されてしまっているという論調となっている点である。単純な肯定を行っている訳ではなく、否定に支えられた肯定なのである。これは子どもに言及されないが、ほとんど同じものと見なしてよい「遊び」に対する観点でも同じような見方がされることがある。

「もちろん遊びは個々の問題であって、余暇時間をどうして過ごそうかという問題は、誰も介入できない部分である。しかし、供与者側としては、対策であれば、その場の遊びはあそぶがわの自由であることはいうまでもなく、管理となればそれはもう前にも述べたように遊ばされているのであって、本来無限の可能性を持った余暇活動にはなりえないのである。」(佐野豪「余暇時代の生涯教育」1979,p84)

 一方で、新堀と同じように子どもの無限の可能性について、それが都合よく語られているに過ぎないという立場から議論しているものとして、レビューも行った高橋・下山田の指摘がある。

「子どもは、この時期から、経済成長を担うための「人的資源」としてとらえられ、学校を中心とした能力開発の世界に囲い込まれていく。つまり、子どもは「生活者」としてではなく、もっぱら「児童」や「生徒」として扱われるようになる。そして、この時期から、子どもの「教育」とは、「人的能力」や「無限の可能性」の「開発」であり、それは、学校において教師という専門家集団が担うものである、という観念が私たちの間にひろく浸透してゆくのである。子どもは、親や地域の人びとと共に暮らす「共同生活者」ではなくなり、教師という職業集団の前に並び立つ「未熟な学習者」、「生徒」に変わってゆく。」(高橋勝・下山田裕彦編「子どもの〈暮らし〉の社会史」1995,p16)

 最後に、日高六郎が述べている部分であるが、これは本人の意図とは違うように解釈する意図での引用をする。ここでは子どもの無限の可能性について素朴に語っているように思えるが、見方を変えてしまうと、「熱心」な教師たちの手によって「子どもの無限の可能性」という言説自体がとても魅力的なものであり、そのような教師のやる気を引き出すという目的で言説が用いられうるということ、子どもの無限の可能性が目的ではなく手段となってしまっているのではないかと読み取れるものである。

「子どもたちのなかにひそむ無限の可能性、子どもたちが胸にいだくゆたかな願望。子どもたちが胸にいだくゆたかな願望。子どもたちのことを語ることがたのしく、そのことで時間を忘れる教師が教研活動の中心であったし、またいまでも中心であると思う。子どもをめぐる問題を、いまここですべて書きならべることはできない。それはあまりに豊富すぎる。」(日高六郎・山住正己解説「歴史と教育の創造 日教組教育研究集会記念講演集」1972,p15)

 さて、結局私がここで問いたいのは「社会問題の捉え損ね」の2番目の議論で語った、因果関係の議論である。新堀はp54-56で特に強調されているように、子どもの無限の可能性の言説は、「大人が悪い」という世間一般の価値観の裏返しとして現れているという論理でこれを捉えていた。しかし、このような子どもの無限の可能性の言説は、私が参照した文献からは全く見いだせていない。引用されたものから「責任」問題を引き出すのであれば、おそらく「環境」であったり「教育制度」にあったはずである。そして、子どもはそれらから制約を受けているからこそ「無限の可能性」を否定されている、という論理で無限の可能性言説が語られているのである。新堀の言うような大人の性悪説的価値観の反対のまなざしとして子ども性善説を唱えている訳ではない。
 ここで新堀の犯している誤りとは因果関係の飛躍である。確かに「環境」も「教育制度」も大人が作りだしたという主張は事実と呼ぶほかない。しかし、大人『全体』の責任として語られる訳では決してないのである。そう思っているのは新堀の個人的解釈にすぎないのである。いわずもがなそこに検証プロセスもない。
 しかし私が恐ろしいと思うのは、新堀の主張は一見とてももっともらしく見えてしまっている点なのである。部分的には「社会問題」の事実が正しいという所から因果関係まで事実であるかのように見えてしまうというのは、社会問題を語るにせよ、日本人論を語るにせよ共通して犯してしまっている問題点である。ここでは根拠のない解釈が積み重なりそれが一人歩きを始めているのである。そして新堀は確実にそのプロセスに加担してしまっているのである。これこそが最初に述べた『わかりやすさ』の弊害なのである。


○新堀の「見方」とは?―社会問題に対する捻れた視点について 新堀が無限の可能性の議論において採用していたのは「子ども=性善説」「大人=性悪説」という二項図式に対する批判であった。結局世間がそのような認識のもとで議論を行っていることに対して矛盾していたり、結局大人が無責任な態度をとっているとしか言えないという形で批判を行っていたのである。
 しかし、すでに「懐古主義」を批判しているのにも関わらず、新堀が懐古的なのではないかという論点と同じように、ここでも「二項対立図式」を批判しているにも関わらず、新堀は二項図式にあまりにもこだわっているとしかいえない。これは本書における肯定的な価値観について見てみればすぐわかる。結局これは「懐古主義」と同じ視点になるのだが、本書で述べられている二項図式を捉えてみると、次のようなものがある。

・「今や教師に対しては「外」から遠慮会釈なく非難、攻撃、批判が浴びせられるようになった」(p14)
→「かつて教師は信頼と尊敬のまとであった。」(p14)

・「学校がテストや成績で子どもをしめつけ」る(p43-44)、「今日の子どもに落ちこぼれ、非行、いじめ、学校ぎらい、勉強ぎらいなど多くの病理現象が生まれている」(p95-96)
→「かつて子どもにとって学校は、年少労働から解放してくれるところ、好学心を満たしてくれるところ、世の中で活躍するための実力を与えてくれるところ」(p162-163)「「学校とは本来、明るく活力に満ちた場であるはずのものである。」(p230)

・「けんかやがき大将といった子どもの世界に特有な現象が最近、めっきり見られなくなった。」(p167) 「地域社会や近隣社会での子ども同士のけんかもなくなった。」(p168-169)
→「かつて路地裏や野原は子どものけんかの舞台、がき大将の活躍の場だった」(p168-169)

・「経済的なゆとりの増大とうらはらに、精神的なゆとりが失われた。」(p173)
→「人びとがかつてもっていた人情、勤勉、自己犠牲、責任感」(p173)

 このような「現在」と「過去」の対比を行う論法自体が常套句になってしまっていたこと自体が「過去」の議論が正しいかどうかという検証プロセスを無視させてしまったのではないのかという疑念が晴れないが、ここでは全て二分法的に物事を解釈しようとする新堀の見方が強く現われている。そして「かつて」の観点は恐らく根拠がないし、正しいとも言い難い点を十分に持っていることは読書ノートのコメントにも残しておいた。

 しかし他方で同時に二分法に懐疑的な新堀の姿も散見されるのである。
 例えばp95以降の「遊び」に対する見方についてである。環境が悪化したとしてもそれがそのまま子どもの「自主性」を阻害すると決めつけるべきではない。子どもには自ら環境に働きかける力を持っているとされ、まさに世間での「解釈」が批判の対象になっている。
 しかし、この点について、実際どうすればよいのか、という観点になると、「恵まれた環境に気づかずこれに感謝し、これを活用しない教育にも問題がある」(p99)と述べる程度である。この見方は環境が悪化しているという社会問題で語られる事実について否定はしないし、かつてはむしろ恵まれた環境があったと考えるが、それでも「最悪」ではないだろう、という相対的な解釈を行う形で擁護を行っている。そしてここで子どもの「主体」の問題が重要であるとするのである(p98)

 また、更に論点がぼけて語られるのがp187のような記述である。これもまた世間が「犠牲的精神、公共心、服従心が欠けていると嘆く」ことに対する批判である。この部分だけだと論点がぼけるが、それに続いて過去の「立身出世主義・エリート主義」を取り出し、「向上心・野心」などを評価する。

 そして更に二分法的解釈への批判に対する再批判の観点というのがp155に出てきていることも無視できない。ここでは「いじめとけんか」の二分法を行うことに対して世間が批判するのに対して再批判として「教師や教育研究者」の態度を批判しているのである。


○新堀の「見方」とは?―精神論への帰着
 このように社会問題で議論されている点について、捻れた観点で批判を行うような場合があるが、その際に決まって返答されるのが「子どもの意欲」と「責任論」を通じた議論である。

 この点について、前者の観点はp190-193やp200における議論へと帰着する。ここで語られているのは「大人の心の教育」「内省」「個への着眼」である。共通して言えることは、一つは「生きた」教育が欠落しているということと、もう一つは「根性を養おうとする視点が足りない」という点である。過去の教育への賛美をしている新堀の見方には、どうしても精神論的解釈が根強く、「ハードな生涯学習」(cf.p122-124)や「弱者擁護」への批判(p69)が極めて色濃く現われている。これは「豊かな社会が貧弱な心を生む」という社会問題論の視点をそのまま採用している影響がまずあり、根拠に乏しい過去の教育の賛美がそれを支えて現われる。しかし、この問題点はすでに述べた通りで、ここでの過去の賛美には見落とされている論点が存在すると考えるべきなのである。

 また後者の「責任論」についても新堀はかなり強い立場から語っている。本書の主題である「見て見ぬふり」というのもこの責任論が中心的論点であることを示している。そして、この責任論から教師の「専門性」について強く必要性を述べる場面もある(cf.p64-65)。しかし、これは千石保のレビューで述べたのとほぼ同じ問題点を持っている。千石は日本人論的に学校教育を批判する際、「学校での対応」という可能性でしか教育を語ろうとせず、それが「他の機関からの助力を求めることも甘え」であるかのような語りをしていた。しかし、ここでいう教育の「専門性」とは間違いなく無尽蔵に役割が拡大するものであり、そもそも「専門性」という言葉で語ってしまってよいものかも疑問である。私などはこの「教育の専門性」という言葉で教師をスケープゴートしているようにさえ思える。この専門性という言葉はこのような論法以外では、教育労働運動の議論において語られることもあるが、どちらの場合においても具体的にその定義付けがされることがなく、「専門性」を語っているようで何も語っていない状況になっている。むしろ必要なのは広田照幸のレビューを端に議論してきた「教育の担い手の力関係」の議論の中から、その役割のあり方を考えていることではなかろうかと思う。


○「空気」のような日本人論について

 「見て見ぬふり」という言葉の用法は当然新堀のオリジナルであり、日本人論と結びつけた体で語っている。しかし、この無責任体制は「タテマエとホンネ」論に依拠するところが大きく、これが支持できるかどうかは極めて怪しい。これはそのままそのような無責任体制が日本人論的なのかという点にそのまま結びつく。
 本書全体はバラバラの論考を集めたものに過ぎず、基本的には「日本人論」というカテゴリーで語ることには違和感がある。むしろ「社会問題」を語る教育論と解釈すべきであろう。しかし問題なのは、本書の書き下ろしである冒頭部分において明確に「日本人論」との結びつきを明記してしまっている点である。このために本書全体がかなりふわふわした感じで日本人論を語っているように見えてくる内容となってしまっているのである。
 しかし、新堀自身がふわふわしたものと捉えていたかどうかは怪しい。むしろこのような論述自体が「自然」なものとして、「日本人論」というカテゴリーでも問題ないというある程度の確信をもって本書を出版している可能性が高い。本書に「教育風土シリーズ」というシリーズ名をつけているのがまさに証拠である。
 私自身、15年近く教育関連の著書を読み続けていたにも関わらず、本書を読んでみた感想として教育論において「日本人論」がここまで容易に介入しているものなのかと驚いてしまったのであるが、新堀の価値観を肯定的に捉えるのであれば、「空気」のように日本人論が語られることが教育論においても認められているかもしれないと考えると少々恐ろしくさえ思えた。当然今後このような観点からも教育論を考察しなければならないだろう。


※1 この事実をもってして直ちに「日本の学者は根拠なく議論を行う」という結論に至るのも同じく「悪い日本人論」の論法をそのまま受けてしまっている結論でしかない。ここには、邦訳本が学術書を邦訳したものであるから、という留保は付けられるかもしれない。しかし、日本で著名な日本人論が「一般人向けの本」から生まれてきていることを否定することは難しい事実として捉えることができるだろうし、所在の不明慮さはそのような論の性質から当然生まれてくるということはできるだろう。

※2 私の読んだ本の中では、次のような形で親方日の丸が語られていた。基本的に「責任」の問題や効率が悪いといった観点が「私営」のものと比較されながら議論される所に特徴がある。

「さてこのように高く評価される公企業も、現実にはプロローグで述べたように、全く国民からは冷たい目でしか見られていないのである。「親方日の丸」とかあるいは能率が悪いとか、あるいは天下りが多いとか、といったように、公企業に対しては人びとの反対は非常に強いものがある。そして経営者も公企業といったものは、経済発展の活力を失わせるものであると主張する人が多いようである。」(加藤寛「日本の公社・公団 “親方日の丸”の再検討」1970、p141)

「このように、公共企業体は政治の影響を受けやすい経営形態です。したがって、お客さまへの貢献や収支改善以前に、国会対策が経営上の最重要事項となってしまい、労使ともに国会対策に精力を傾けるようになりました。言いかえれば、国会の決議さえあれば赤字をいくら出しても、資金の不足分は国が貸してくれるということになり、経営難のみならず労働組合にも、親方日の丸意識を植え付けることになりました。」(石井・上山編「自治体DNA革命」2001、p100)

※3 完全に余談となるが、新堀自身も本書以外の所で「無限」という言葉を使っている。しかしここではむしろ「教育」という行為の完了が不可能なものとして、その行為は無限に繰り返しする必要があるものとして用いている。「無限全身的形成作用」というのは部分的に「無限の可能性」とも重なるが、確かに別物といえば別物である。

「教育者は価値の実現が人間にとって無限の課題であることを知っている。教育が無限の全身的形成作用であることを知っている。価値の実現、人格の形成に終りがないことを知っている。この無限の課題の前に於いては教育者と被教育者とのいささかの水準差の如き、殆んど無に等しいことが知られている以上、教育者が尊大になり得ることはないのである。従って教育愛は根柢に於いては価値の実現ということに関係するが故にエロス的、価値愛的な性格を有すると共に、非選択的であり、ナツハアイナンダー的とトポロギーの上に成立し、万人が本質的に平等であることを認めるという点に於いてはアガペー的、宗教愛的であり、而も価値可能性の意識という一点を除けば価値の前に教育者と被教育者とが同一の水準にたっているという点に於いてはフィリア的、人格愛的である。教育愛は実に之等三愛の総合形態として理解されねばならぬ。」(新堀通也「教育愛の構造」1971,p181)