片岡徳雄編「教育名著選集1 集団主義教育の批判」(1975=1998)

○本書の時代的な位置付けについて
 本書は、全生研を中心にした集団主義教育の批判を「研究を通して」行ったものとしては「最初でしかも唯一のものとなった」ものとされる(pii)。この認識があながち間違えた認識といえないのかもしれない。特にいくつかの実証的見地に基づく分析という意味では、ある種の徹底した批判を展開しているといえる。
 これまでの教育関係のレビューの中では、この70年代は一つのキーとして位置付けてきた。教育問題、社会問題の認識の転換点として、より正しくは転換していくための10年間というような位置付けとみてきたが、ある意味でその転換がはっきりしていないものの一つが、本書でも議論されている集団主義教育のような動きだろう。
 とりわけ「学力」という側面でみれば、70年代初頭からの「落ちこぼれ」言説は、確実に教育の議論へのインパクトを与えてきたように思われる反面、学校の規範自体は、70年前後までの大学紛争、高校紛争の後退後、むしろ強化されてきたように見える。このことは大久保のレビューの際にも取り上げたが、佐藤秀夫は以下のように指摘する。

「一九六0年代の安保闘争と大学闘争の波が過ぎ去ったのち、強化された学校管理体制のもとで、いったんは学校から消え去ったはずの「先輩•後輩」関係がまたぞろ復活しはじめ、やがてそれはかつてたどったコースとほぼ同様に、理不尽な形態をとるまでに「成長」しているという。その実態の紹介や分析は、私のよくするところではない。ただし、それが、学校の管理が強められたところ、教員の生徒行動に対する過度の統制化が志向されているところで、「成長」していることを見落としてはならないだろう。」(佐藤秀夫「教育の文化史2 学校の文化」2005、p147-148)

 では、集団主義的教育観についてはどうだったか?本書の位置付けからすれば、マイノリティの位置付けであり、「聖域侵犯」とみなされる圧力が強かったと指摘されている反面(pii)、特の社会学系の「若者論」においては、とりわけ消費主義の議論を介しながら、青少年の個の多様性を尊重するような動きの方に傾いているかのような議論も散見される。例えば、小此木啓吾は次のように述べている。

「さらにもうひとつ、豊かな社会の中での若者が、商品の消費者=購買者として大きな比重を占め、オトナ社会の側が、彼らの存在権をさまざまな形で尊重し、その自己主張に拍車をかける動向をあげねばならない。……まだ現実に何ものも労働•生産しないで、受けとり、消費することに専念してよい「心理社会的な猶予」そのものが、情報化•消費社会の特性と期せずして一致したわけであるが、まさにその動向によってモラトリアム心理は大規模に商業化され、彼らは社会の大切なお客さまになった。」(小此木啓吾モラトリアム人間の時代」1978、p23)

 このような動向、集団主義的な議論と対立するような、個の重視を前提にしているといえる。私自身も十分にこの手の主張を拾えている訳ではないが、このような若者観は70年代以降に見られるようになったのではないかと思う。もっとも、議論のフィールド自体は異なっていることから、このような若者論の影響を集団主義教育の議論が受けることは決して多くなかったと思われる。ある意味で本書はそのような対立する要素としての個の重要視を背景にもちながら、直接集団主義教育を批判しようとしたものと言ってもよいのではなかろうかと思う。

○本書の集団主義教育批判は、集団主義教育を捉えていると言えるのか?
 さて、実際にこの集団主義教育批判については、どのようになされていたか。本書では「実践の実態に基づいた批判」もなされるものの、基本的には日本の集団主義教育の「理論」そのものの欠陥を述べていることに注目せねばならない。特に片岡がこの理論的批判の中心に立つ訳だが、これについては批判が妥当なのか判断し難い部分もあった。
というのも、もとの集団主義の理論について誤認ととれる部分がまず多く見受けられた。例えば、片岡は、竹内常一らの用いる用語について、竹内の論理からではなく、勝手に自分の解釈によってその言葉を定義し直し、その再定義した語義の対する批判を展開しているようにみえる部分がいくつかある(p44,p44-45,p52)。また、日本の集団主義教育の問題の根源を「スターリン主義まで遡る」(p52)としているのは、明らかに日本における集団主義教育の議論のコンテクストを無視しているようにさえ見えなくもない。実際、これは別の論者によっては対立的に語られているし(p122)、「スターリン主義」の議論が日本に当てはまるように見えない論述もされる(cf.p113)。もっとも、これは「理論」のレベルではなく、「理論の実践」においてスターリン主義と同じような態度を取ってしまうという議論の余地はありえるだろう(cf.p142-143)。
 もう一つ例を挙げると、本書における集団主義教育の評価は一元的であると断言されている(p169-170)。しかし、これは、全生研の著書における下記のような記述と矛盾する。

「この年、もっとも苦労したのは、学級の競争で勝ったり負けたりすることが、教師の指導性への評価としてつながることだった。だから、ひとつひとつの行事や日常的活動の中で、できるかぎり優勝するクラスを分散させることを、考えたり、優勝クラスのケチのつけかたを総括のしかたのなかで教えるなど苦労したことのひとつだった。」(中村勝彦「中学校における全校集団つくり」1972、p181、全生研常任委員会編「全校集団つくりのすじみち」p149-255)

ここでは、明らかに勝ち負けの固定化を防ぐために、能力の多元化を図るための方策が検討・実施されている。必ずしも一元的評価に基づいた実践を全生研サイドで実施していたとはいえない根拠の一つといえよう。
もっとも、この実践が必ずしも理論的な意味で、全生研のマジョリティとして認められる実践かどうかとは言えない。また、実践レベルで「スターリン主義」と同じような方向をとってしまう可能性についても、全生研の「集団主義教育」がいかに受容され、いかに実践に結びつきえたか、という問題と密接に関わってくる。この受容のされ方については、基本的に「全生研」のベーシックな著書を拾う中でしか見いだせないだろう。この点については改めてレビューの場を設けたいと思う。

○「弁証法」への批判の厄介さについて
 小川太郎のレビューなどでも見てきたが、集団主義教育の議論は「弁証法」を採用しているといえる。目指すべきは「否定の否定」にあるということになるが(資本主義によるアトム化=分断化への抵抗としての集団の意思の発現という否定、そしてその過程を通じた個の確立というもう一つの否定)、ある意味で第一の「否定」段階を想定した批判、つまり、ただ単に「集団主義がまず大事だ」という議論をしていることに対して批判をすることは、その理論の批判として十分に妥当とは言えない。この批判が妥当するためには、「否定の否定」が論理的に不可能か、実証的に不可能(と言えるレベルにある)かを示すことが求められる。
 本書からの竹内らの引用からは、例えば「人間存在として集団的であることが本来的である」という言い方(p48)などには、これ以外の可能性を「認めない」ことが現われているように思うが、「単一性」(p49)を志向していることを根拠に個人の「多様性」を認めていないと断じるのは、「弁証法」的議論を無視した、不毛な批判であるといえる。
 
 一方で、実証的なレベルの批判に目を向けると、「集団主義の形成の初期に非難等に基づく統制によっては集団の団結が図れない」といった指摘(p216)は、集団主義批判に示唆的な見方を与えているが、極めて断片的であり、理論の批判として妥当とはいえない。また、学習意欲に関する議論(p197)については、結局、集団主義教育の目指すものと、そうでない教育の目指すものの目的の問題を棚上げにしており、これのみを根拠に集団主義教育を批判するのはむしろ不適切である。
 全体的な印象として、本書でなされる集団主義教育批判は、理論を批判するには極めて不十分か、的外れな主張に終始している感が否めなかった。ただ他方でこれまでこのような集団主義の実践に対する懐疑があり、それをうまく理論化できずとも議論しようとしたことと、その背景について更に考察していくことは決して無意味ではないだろう。


<読書ノート>
pii「すなわち、日本の教育界において一九六〇年以降、ソ連のマカレンコ学ぶ集団主義教育は、生徒指導や学級経営(集団づくり)の実践方法を席巻する勢いにあった。この教育方法に潜む極端と偏向については、つとに疑いを抱く人はいたのだが、真向からしかも研究を通して批判・否定したのは、本書が最初でしかも唯一のものになった。」
※97年の片岡の発言。「とはいえ、本書が出版された前後は(いかにも厳しかった)という思いがよぎる。この研究結果が、いや設定した仮説そのものが、教育の学会や実践界からは「聖域侵犯」見なされた。だから、時には私自身がその重圧に苦しみ、不安に陥ることさえあった。他の共同研究者のそれぞれにも、これと似た苦労は多かったと思う。」(pii)

p14「集団主義教育では、班の連帯責任を強調する。宿題を忘れてくる生徒、遅刻をする生徒、さらには成績の悪い生徒、みんなこれらはその班の責任とされる。こうして、教室の後ろに「漢字テストの班平均点」「忘れもの班別回数」といったグラフや表をはり、班競争をあおる。これに、点検・ペナルティ主義が加わるので、休けい時間や清掃時間などに他班の友だちに向かって「マイナス○○点」といいあうようにもなる。
また、こういう教室でよい班長とされるのは、相手をたたき、自己弁護のできる、論争力と有弁力をもった子どもである。
また、点検・追求・批判・班競争の連結する学級では、過度の不安と危機感が溢れ、そのため教育的な本質を見失うことにもなる。」
※広島の中学校教諭の報告の引用。

P18本書を通しての仮説として…「A 社会主義ファシズムとは、その人間観や経済機構においては大いに異なる。しかし、集団主義における「集団への一体感」と「集団全体の優越性」の強調は、「全体への奉仕における個人の否定」という思想や行動を生む危険——スターリン主義的傾向——はないか。つまり、個人主義教育を否定しそれとの対極に自己をおく集団主義教育は、全体主義を通じ、個人の主体性や自主性を見失いはしないか――自主性の否定と全体主義の萌芽。」
※少なくともこれは、主体性が備わっていない子どもに対する指導の中で致命的に生じうる問題であるように思える。
P19「B 集団規律とそれへの服従を強調することは、そのことによって自由ははじめて保障されるという論が用意されているとはいえ、個人の自由や逸脱が制限されはしないか。このような画一的な規律の下では、個人および集団全体の創造性は衰弱しないか――自由と創造の減退。」

P27「じじつ日本教員組合の教育研究集会に「仲間づくり」「仲間意識」というコトバがはじめて生み出されたのは、その第四次教研長野集会(一九五五年すなわち昭和三〇年)の「生活指導」部会である、とされている。」
※確かに終戦前に仲間という言葉が学校教育内の言葉として用いられていたことは、国会図書館デジタルコレクションからも明確には見えないようである。

P41竹内「生活指導の理論」(1972)p442の引用…「また、子どもがこのような集団のちからを学ぶ全過程は「子どもたちによる民主的集団の政治的、教育的なちからの認識と実践の問題をふくんでいる。……だからある意味では、それはきわめてすぐれた政治的訓練としての性格をもっている。」」
P43「もっとも、ここにいう「宣伝」と「扇動」は、マルクス主義においては教育活動の一部と考えられている。すなわち、マルクス・レーニン主義の理論的内容を少数者(専門家)に伝えるのが「宣伝」であり、大衆を相手に具体的な例にもとづいて理論の一部を大衆に理解せしめるのが「扇動」である、とされている。もしも全生研の集団づくりで重視される「宣伝」と「扇動」がこのようなマルクス主義的な意味をもつものだとしたら、先きのような論評は的はずれである。しかし、「他の班にケチをつけ、自分の班のことを宣伝する」という用法における「宣伝」は、どうみてもマルクス主義的なそれではない。」
※このような、の意味合いがわかりづらく、これは理論と実態の比較にも見えるが。果たして全生研の実践は理論として他者にケチをつけることを訴えていたのか?

P44「さて、全生研の集団づくりを通して学ぶべき政治的技能が、もしも以上のような大衆社会状況下のコミュニケーション形式だったとしたら、およそ次のような疑問が率直なところ生まれはしないか。すなわち、現在の日本の社会状況を大衆社会とみることはともかく、だからといって、大衆社会のコミュニケーション形式を習得・駆使することだけに力点をおき、面接集団における対話的コミュニケーション形式の習得・駆使の政治的意義を軽んじることは、けっきょく、大衆操作の技術を重んじるファシズムの政治的手法の強調につながる危険性をもっている。そもそも、全生研が試みようとする集団づくりの場としての班や学級や学校は、どうみても大衆社会ではない。……班や学級といった面接集団を大衆社会状況に故意にみたてる「指導法」からは、それが政治的指導であろうと教育的指導であろうと、民主主義の推進にとってとまどいと混乱が生まれるだけだろう。しかし、全生研の政治主義的傾向のいっそう根本的な誤りは、教育と政治の混同ないしは同一視、という次の問題である。」
※このような大衆動員を促進するコミュニケーションを推し進めていたという解釈は、全生研の理論との関連でいえば暴論にしかならないのでは?ここでの論法は、竹内「生活指導の理論」における宣伝と扇動の重視に基づき、これを大衆と結びつけるのは片岡解釈でしかない。「宣伝とは、ある思想・判断・感情・関心を人々の間に広め、意識的、無意識的に人々の行動に一定の傾斜と行動を創り出すことであり、扇動とは、組織化されていない大衆へ扇情的にうったえ行動化する方法である。」と片岡が勝手な定義を行い、それを勝手にコーンハウザーの理論と結びつけているのでしかない。竹内の理論はここで大衆論として前提とされるであろう「一面的な、非対称的な(エリートから非エリートへ)」関係に基づくものといってしまってよいのだろうか?竹内の著書を読まずとも、想定しづらい前提である。おそらく竹内は双方向性・対称性を前提にしているはずであり、理論の批判としては全く話が噛み合わないのである。いわゆる一人相撲を片岡はしてしまっている。

P44「先きの引用からも明らかなように、全生研の集団組織論においては、政治的なちからと教育的なちからは同義語であり、政治的な説得や屈服教育的な変容とは同一次元と考えられているようである。たしかに、現代は政治の時代であり、教育も含めてすべての社会現象は政治的色彩を濃くしている。しかし、政治の行動原理や人間像は教育のそれと異なるところにあると考えなければ、政治からの教育の独自性はなく、現代を覆う政治主義の教育による克服も不可能になる。」
※この同一視は理論的認識として正しい。もちろん、この手の批判には、そのまま社会の変化のための働きかけは政治空間においてしかありえず、そのような政治性を教えない方が問題であるという再批判がついてまわる。
P44-45「そもそも政治と教育とはどのような相違をもつか。一般に政治とは、権力獲得の闘争であり、権力を分配し権力を左右しようとする努力でありそしてここにいう権力とは、価値剥奪という脅しによる拘束と価値賦与を約束する誘導とを実質とした強制的な影響である。これに対して、教育とは、極端な誘導からもまた極端な抑制からもともに自由で、選択の許された一つの影響である、とされる。だから、大沢(※正道)が先きに指摘したように政治革命にかかわる政治的コミュニケーションは、相手を敵とみたて、利用しあう道具の関係において、演説し、シュプレヒコールを交しあうコミュニケーションである。そしてそれはそのまま、全生研の「討議づくり」に典型的に示された、外向きで騒擾で他者批判的で強制的なスタイルに通じる。しかし、教育的コミュニケーションは、これとは逆に、「相手を抹殺するのではなく、相手のなかに自分をみつけ、自分のなかに相手を」みつける「対話」としてあり、内向きで鎮静で自己批判的な選択的なスタイルをとるであろう。」
※ここでの権力論はミルズ、ウェーバー、ラズウェルとカプランの参照に基づくが、結局ここでも竹内が考える政治観を無視しているという意味で一人相撲をしていると言わねばならない。また合わせて、これらの参照が実際の日本の政治状況の適合しているのかどうかも別途議論の余地があるものである。

p49「さて、以上の引用からもわかるように、集団主義教育ははたして、個人の個性や自由、さらに多様な価値観の追求を許す民主主義、を保障するものかどうか。個人主義教育が、集団という全体の立場や、個人と集団との相互関係、を見落としている全体的な一元主義である。」
※前提としてここでの引用とは大西、竹内、全生研の複数の著書を引用する。片岡はここで「個人の自主性や個性の伸長に反対するものでない」(p47)、「各人の思想形成の自由と多様な思想、信条の存在を保障するものである」(p48)とするが、集団主義教育の実践は「人間本来の存在は、孤独・孤立ではなく、集団的あり方として示される」(p48)、民主的集団が「単一性」といったものを志向していること(p49)を根拠に、矛盾、むしろ集団性に寄っていると解釈している。個人主義を否定し(p47)、私事性を許していない以上(p49)「どのように個人の個性発展が可能か。」(p49)と問い、日教組という民主的団体として生まれた全生研であっても「免罪符を与えることはできない」とする(p52)。全生研的にはこれは弁証法的発想を否定した、表面的な批判に過ぎないと映るのではないか?個人主義の否定とは利己主義の否定と同じ意味で捉えているし、単一性とは、複数性を強調する立場からの批判としては決まり切った強引な批判であり(結局これは民主主義的合意がとれないという価値判断にしかならない)、ほとんど意味を持たない。片岡はあたかも論理的に全生研の議論は集団主義全体主義の発想であるとみるしかないと結論づけているが、これは曲解であろう(もっとも、人間本来の存在論を言及してしまっている点は問題であり、これをもって集団主義により個が排除されることは明言できるかもしれないが)。結局片岡のような発想も、弁証法的発想自体が否定されるようになった時代背景からの議論の一つであるように私には思える。

P52「この問題性の根源はどこにあるか。おそらくは、日本の「集団主義的教育」の淵源としてのマカレンコの「集団主義教育」そのものにありはしないか。もっといえば、その問題性は、このマカレンコ理論を支えた当時のスターリン主義にまで遡りはしないか。」
※これは大西忠治が提案した「班・核・討議づくり」が「マカレンコの集団主義の考えから出発し」ていることが明言されていることを根にもつ(p27)。しかし、マカレンコの議論がそのまま通じるのか(=ソ連の国家としての性質を踏まえた上での機能をそのまま日本の集団主義教育の実践効果の結論として同じものとみてしまってよいのか)は疑問もある。片岡徳雄「日本の集団主義教育の分析」p26-57

p75「保育集団は、なによりもまず明るく楽しく参加できる集団でなくてはならぬ。そこでの楽しい活動を通して、結果として子どもの心に堆積し定着していくものがモラルであり行動型式であろう。これは、行動結果に順位をつけて班競争をさせたり、たがいに批判にはしる活動では形成されない。結果よりはむしろ過程を重視する、相手の欠陥、失敗、不得意に眼を注ぐよりは、むしろその長所、成功、得意をつないで全体を高める、そのような活動のなかで形成される集団こそ、大事にしたい。」
p76「どのような社会も、イデオロギーにかかわらず、多元的価値観並存の方向に動き、より高度の社会統制がもとめられていることは一般に認められている。そこに生きる人間は、なによりもその自律性を大切にせねばならぬとされる。この状況にあって、子どもに、他者(集団)志向的、権威志向的な構えを誘発する方法は避けねばならないであろう。」
※共通点は確かに多いといえようが、リースマンのいうような消費主義的な人間を集団主義が作っているとは考えづらい…欲望の取り扱われ方が大きく違うように思える。他人志向型の教育は恐らく他者との潰し合いをここで批判されるようには露骨にしないであろう。そもそも、ロシアを起源とした集団主義アメリカ発祥の他人志向型の関連性は別途考察の必要がある内容ではないか。

P91-92「つまり、マカレンコは教師を、子どもたちの生活要求を組織する組織者とみなし、その役割遂行のために、「受け入れる立場での指導性」は強調する。だが、その逆の教師への子どもたちの要求の面については、かれの教育論ではほとんど語られていないのである。かれの弁証法は、教師と子ども、集団と個人、の要求の相互対立の発展としてのそれではない。したがって、そこにが、教師の教育的要求の指導過程と子ども自身の学習要求の充足過程との弁証法的合一としての集団化はみられないのである。」
※これはマカレンコに限らず教育の議論一般に捉えられがちな見方ではないか。結局子どもの発達にのみ弁証法を適応するという発想は関係としての教師と子どもという目線は隠蔽されがちになる。

P106-107「だから、政治の論理からの「型」の強制による教育は、本来的な意味での教育の論理とは相容れない。前者は、一定の「型」に向けて人間を動かすことポイントを置いている。しかし後者は、教育活動の結果が外部に実現されることに無関心ではないが、その事を決定的な要素とみなさない。力点はむしろ、「被教育者の可動性」を見守るところにある。被教育者が、必要に応じて動きはじめるための態度や方法の育成が焦点となる。この点が、政治の論理と教育の論理とが真向うから対立する、その結節点である。
こうして、政治の論理による教育は、現実に人間を統制し動かすことにある以上、組織化の原理を優先し、組織人の育成に力点をおく。政治の目的にそって画一的に動く人間の集団を期待するという意味で、それは「集団主義的」である。これに対して、教育の論理からする教育は、結果の帰着点をあくまでも個人におく。つまり、価値の獲得・創造を個々の多様性にゆだねるという意味で、それは「個人主義的」である。」
p108「教育への政治優先的態度を取る限り、つまり、どのような政治体制においても不断にそれに挑戦する自由で創造的な人間が存在しない限り、それは政治的体制の自己発展の死を意味するからである。体制の内部矛盾を見極めそれを克服するについての、いわば止揚能力としての個性豊かな創造的、逸脱的人間が、常にどんな場合にも必要である。それは、一つの型を要求する「集団主義的」政治運動の枠外にある、「個人主義的」な人間実存の有無の問題である。政治体制の両極化がすすむ現代であればあるだけ、この政治を超えた人間づくりによる政治への逆説的な貢献が、いっそう望まれることになりはしないか。」
※ここでいう弁証法については、全生研的な弁証法とどう違うのか、説明できるとは言い難い。

P109「提出される疑問の第二は、日本の集団主義的教育が、日本の現体制のなかでもつ意味である。いうまでもなく、日本の集団主義教育論は、ソ連のマカレンコの集団主義教育論とパラレルな関係にある。」
※いうまでもなく、のレベルの問題とはとても思えないが…少なくとも、小川太郎はこれを否定的に捉えていたではないか。
P109「事実、論者達の主張にも、現体制のもとでの個人主義的教育の破綻を救うものとしての、集団主義教育の構想がうかがえる。しかし、教育の論理を核としないで、政治の論理中心のこの教育論が、はたして現体制の矛盾をのりこえる人間を育成することにつながるかどうか。」
※このような問いの立て方は水掛け論しか生まない。結局これは理論ではなく、実践とのズレの問題としてしか立ち上がらないような問いかけだからである。もちろん、理論そのものの否定としてなら、成立の余地はあるが、本書は基本的に日本の集団主義の理論そのものを否定する立論をしている。

P113「だが、(※スターリン主義産業化体制における)この巨大機械は、一方では経済成長をもたらしながら、同時に他方では、人間から主体性や自由を奪うシステムでもあった。資本主義的搾取の形態にかわって、官僚特権階層による連帯搾取が現われ、党機構の人間による党指令の実行の監視、新聞の検閲、著作物の公刊、翻訳禁止、密告制度、投獄、労働キャンプ等の過酷な強制を通して労働者の搾取が労働の賛美へと転化していった。」
※さて、このような体制は日本に同じように当てはまるとでも言うのか??ここでの問題はスターリンの「独裁」に問題があるとも読むことができるが…
p115「スターリン主義体制下の教育理論として、集団主義教育は、これにどのような解答を与えているか。つまり、主体性や自由のない、厳重に閉ざされた巨大機械の支配する社会において、教育は、創造性と個性との関連で、いかなる対応を示しているか。」
※ここで実践の議論が問題とされはじめる。

P115「(※R.R.ロジャースらの)研究は、ソヴィエトの子どもたちが、清潔、秩序、よいマナーなどの表面的な性質を重視している点を指摘する。だが他方では、真実を語ること、知的探求をすることについては、他の国の子どもほど重視していない、と述べている。」
※出典はブロンフェンブレンナー「二つの世界の子どもたち」(1971)
p116「この「つくられてつくるもの」としての人間は、未来に向かって不断に形成し発展する、永遠に開かれた存在といわねばならぬ。だから、マルクス主義における「集団と個」関係も、同様の視角から理解されねばならない。だが、マカレンコの集団主義教育論においては、両者のこの弁証法的な関係は弱い。あくまでも、革命的、政治的集団が優位におかれ、「政治的に成長し労働者階級の忠実な一員に、コムソモールに、ボルシェヴィキになる」ことが強調される。この意味では、マルクス主義の矮小であり、スターリン主義的ドグマ化といえはしないか。」
※繰り返すが、マカレンコの批判がそのまま日本の集団主義批判にはならない。

P120-121「さて、このような体制と教育の現状に対する批判的立場から、独自の論理を主張しているのが、日本の集団主義教育論である。マカレンコの教育論に範をとりつつ、「ちからとしての集団の育成」目指すこの教育論は、民主主義と個性教育の教育の形骸化した現実に対するアンチテーゼである。」
P122「こうして、マカレンコの教育論がスターリン体制とオーバーラップしていたのとは別の意味で、日本の集団主義教育は、体制と政治と深く対決する鮮烈な意義をもっているといえるだろう。いいかえれば、マカレンコの教育論は、スターリン体制を教育において支えるという意味において、体制的教育論であった。これとは逆に、日本の集団主義教育は、日本のブルジョア民主主義体制に、教育の次元で対決するという意味において、反体制的にかかわっているのである。
だが、問題意識が現状批判にあり、目標が民主的人格の形成や個性・主体性の伸張にあるということと、論理の筋道が目標に向かって生鵠を得ているかどうか、はまた別の次元の問題である。」

p124「第二の批判は、この教育論に特徴的に見られる、全体的一元主義と関連する。すなわち「全集団成員の決定にたいする自主的服従という組織的条件、集団的利益と個人的利益とを統一させる能力という主体的条件」を確立させるため、満場一致制が強調される。この「満場一致制を教えるということは、集団が多数者による少数者の支配を容認する組織的関係を強化」するためである、という。ここには大きな疑問が残る。
というのは現体制において不断の民主化が要請されるのは、ここでいう少数者の私的利害、立場の主張であり、少数者の要求の実現への努力だからである。」
※民主主義の議論が不毛な理由を突き詰めれば、結局この点に行き着く。しかし、この後者の引用(竹内1972、p416-417)の文脈が気になる。これが少数のエリート支配という文脈を持っている可能性があるように見える。ここでは「揚げ足をとる」ような批判しかしていないので、正当性があるように見えるだけである。
P128「スターリン主義とマカレンコ理論との対応がそうであったように、日本の集団主義教育は、反体制政治の論理と対応することにより、体制の未来に対する閉塞性を内にもたざるをえないというべきである。だから、教育は、政治に対して一定の独自性を保ちつつ、みずからの論理の追求に生命を賭けねばならない。すなわち、憲法・教基法体制下において、人間形成としてのあくなき自由と個性の追求をはかる。現体制において教育が政治や体制に最も熾烈に挑戦するのは、ただこの一点においてである。」
※結局マカレンコの議論はここで言うようなアナロジー的見方しかとれない。そしてここでの危惧については、弁証法的解釈に基づけば問題が解消しうるものである。もっとも、全生研がこの時期政治志向を強めたのは事実だろう。住岡英毅「集団主義教育の体制的考察」p104-132

p142-143「社会主義革命後の教育理論として生れ発展したマカレンコ理論に範をもとめつつ、日本において独自な集団づくり理論として今日まで生成した「日本の集団主義的教育」論者の意図と目的は、すぐれて民主主義社会と民主主義的人間の形成にある。それは、断じて、ファシズム的人間の形成をめざしてはいない。むしろ、日本の教育論として最も前衛的な民主主義理論である、という自負さえあるといえよう。
にもかかわらず、その理論と実践のいわば無意図的ないしは日常的現実においては、皮肉にも、権威主義的人格あるいはファシズム的風土あるいは反民主主義的な集団、がつくられつつあるのではないか。」
※これは実践レベルの批判。
P169-170「こうした単純な競争からテストの平均点競争にいたるまで、「学級集団はその内部に集団にとって値打ちのあるあらゆる競争を組織」していく。競争によって「すぐれた班が賞讃され、そうでない班は非難される」のである。このように、ある基準から各班を一面的に評価していく。ここに班競争の特徴の一つがある。
ところで、このように一面的に評価していく集団では、評価基準が一つしかないのであるから、その基準からみて救われない班が生じざるをえない。つまり「ビリ班」とか「ボロ班」とか「ガラクタ班」とかいった汚名をきせられ、非難される班が生じざるをえない、ということである。」
※しかし、なぜここで競争の種類の多元化についての可能性を考えないのか。もちろん、そのような評価方法を「多元的な評価」と呼んでいるが(p170)、なぜかこれは「集団主義教育」の手法と認めようとしない。
P172「ところで問題は、先にもふれたように、集団主義教育では「一面的な評価」のみを強調した班競争が主張され、実践されている。」

P197「以上の実験の結果を大雑把に要約してみよう。まず第一に明らかになった点は、多面的な評価集団の方が一面的な評価集団よりも学習への意欲を高める傾向にある、ということである。……第二に、一面的な評価集団では、班間の格差が大きいことである。つまり、学習意欲の高い班もあるが、極端にやる気を失った班も生じるということである。そしてその格差を生ぜしめているのが、いうまでもなく一面的な評価のしかたにある。」
※「各班特色主義によってはじめてすべての子どもの学習意欲を高めうるであろう。」(p198)
p205「以上二つの「学級集団づくり」の過程であらわれる集団の状況は、集団雰囲気という点からみると、許容的でもなければ支持的でもない。むしろ、その反対の極とみられる批判・追求・否定・拒否が表現されている。集団主義教育の集団づくりには、このような段階がかならずその初期において経過されることは、他の多くの実践家の著書からもみとめられる事実である。」

p206-207「したがって、いつかは、このような質の低い集団構造は消えて協同と連帯の支配する段階へ発展するといわれている。しかし、一部の学習者は、すでに大西の著書から引用したように、初期の時点で学校や学級をいやがり、つらい気持になっている。
学習集団は、他のあらゆる課題遂行集団がそうであるように、ある程度の厳しさをもった緊張は必要である。そうでなければ、学習内容についての、質の高い集団思考は生起しないであろうし、深い認識を獲得することはできないであろう。しかしながら、学習集団形成の段階によって、その厳しさは違っていなければならないであろう。パーソンズらは、集団過程の初期の段階では、むしろ、許容・支持といったタイプの統制によって、パーソナリティを解放する。そして、十分パーソナリティを解放された状態で、相互作用の拒否・状況の操作というタイプの厳しい社会統制を導入することを理論化している。集団主義教育の実践過程においては、この順序が、逆になっているように思われる。集団形成過程の初期の段階で、拒否・否定などの社会統制が導入され、学習者が防衛的になることは、小・中学校の学習集団形成の方法として妥当であろうか。」
※そもそもパーソンズの議論は学校教育を前提にした議論と言えるのか?ここでのパーソンズの話は青井和夫の議論をもとにしているように見える。そしてこの後に高旗正人は「アクションリサーチ」をしたというが、ただ承認か拒否かの判断の集団凝集度への影響を見ただけである。段階による対応の話など何一つ検証していないにもかかわらず、「集団形成の初期に、集団において作用する統制のタイプとして、批難、追求よりも肯定、承認が妥当である」(p216)と結論付ける。もちろん、ここでの集団凝集度とは、単純な集団の団結のみに向けられ、そこに介する規律性などは全く見ていない。

P246「一般に集団主義教育では、このような激しい討議は最も特徴的に見られる。それは、「事あげしない」日本の精神風土の改良をめざしている点で、積極的な意義をみっているといえる。しかし、この「理非を明らかにする」ことに明け暮れる論争的態度の推進には、他面、大きな損失をともなうのではないか。その損失とは、集団の創造性である。……そこには、正しさをあくまで主張して討議することはあっても、正しさを求めて協議することはないようにみえる。」

P344-345「つまり、企業別組合では、経営者に対立する側面よりも、経営者と協調して企業をもりたてる側面の方が強く現われがちである。これは、一般的には、労働組合と経営との癒着といわれる現象である。」
P345-346「こうして企業と組合の以上のような関係から、次節でも述べ、先きにもみた非公共性の問題がクローズアップされてくる。例えば、それは組合の公害問題に対する取り組み方にも例証されるであろう。組合は積極的に公害問題に取り組んできたとはいい難いのが現状であろう。この問題に対する組合の消極的な態度は、企業の盛衰がそのまま労働者の生活にはねかえると考えられていること、被害者に補償を支払ったり、公害防止装置に金をかければ、労働者の賃金にひびくと受けとられていること、公害を発生させているのは企業だから労働者がそのことで責任を感じる必要はないと考えていること、等に求められるであろう。だが、最も重要なことは、「基本的な市民権よりも、企業にたいする忠誠心が先行する精神状況の下では、かりに被害が発生していても、公害問題は表面化しない」ことである。」
※そして「なるほど、企業への忠誠心の高揚は戦後も経済成長をもたらした主要な要因の一つであった。だが、今日では、企業の社会的責任の問題が、公害や買い占めや企業ぐるみ選挙等の問題によって、企業内外から問われ始めている」という否定に繋げている(p346)。なお、本論ではこのような課題を元にした日本の学校教育に求める点としての「個性的・創造的な集団の育成」とされる(p351)。一応学校でなされる誤った集団主義教育の反映、といった問題提起はしていない。南本長穂「企業と集団主義」p331-354

P386最初のクヴツァ(小型キブツ)が成立したのは1910年