「理念型」の考察―羽入辰郎「学問とは何か」を中心に―その1

 今回はずっと保留してきたヴェーバーの「理念型」についての考察を行っていきたい。それにあたり、羽入辰郎の文献と、その批判を行っている折原浩の議論を中心に検討しながら行いたいと思う(※1)。今回は考察が長くなったため、ノートは省略する。また、内容が1日で収まらないため、2日に分けて投稿する。

 まず、両者の論争について簡単にまとめると、羽入辰郎が2002年に出した「マックス・ヴェーバーの犯罪」において、特にヴェーバーを「詐欺師」という評価を行ったことに対し、ヴェーバー研究者として著名である折原浩が何度かにわたり批判を行い、羽入が再度2008年に折原の批判を含めた著書「学問とは何か」を出版し、表面上は一段落した論争である。私個人の評価は後述もするが、羽入については折原が述べるのと同様にヴェーバー批判の論点が的外れであり、折原については羽入の批判を妥当に行っている部分と飛躍した議論、過度なヴェーバー擁護のために執拗に羽入の議論を排除しようとしている点において否定的である。


○羽入の議論の批判その1…羽入論文第3章について
 羽入の指摘するヴェーバーを「詐欺師」と呼ぶに値する「悪意」について二点議論していく(※2)。まずは第3章の関連する部分である。羽入論文の終章におけるまとめから引用する。

「⑵さらにヴェーバーは、フランクリンにとっては貨幣の獲得は個人の幸福・利益といったものを一切超越した非合理的なものとして立ち現れている、と主張したが、『自伝』においてフランクリンが「箴言」二二・二九を引用した直後の言葉を――この言葉をヴェーバーは確実に読んでいたはずである――故意に無視せぬ限り、この主張は成り立たない。〝私は勤勉を富と名声を得る手段と考え、それに励まされていた″とフランクリンは述べていたのである。」(羽入2002:268)

 これは、ヴェーバーが理念型として提出する「資本主義の精神」がフランクリンの引用に始まっていることを前提に述べているものである。この引用では、「思慮深さ・正直さ」を持つことで「信用」を獲得し、そこに貨幣的価値があることが述べられている(cf.倫理、p40−42)。しかし、この「精神」には、「功利主義的」な、私的な金儲けを認め、むしろそのような「信用」獲得は外面的なふるまいだけで十分であると読める部分があることも事実であることをヴェーバー自身認めている(cf.倫理、p46-47)。この両者の問題を考える上でヴェーバーが持ち出すのが、フランクリンの倫理は「個々人の『幸福』や『利益』に対立して、ともかく、全く超越的な、また非合理なものとして立ち現われている。」(倫理、p48)というものである。
 しかし羽入はこのような「非合理性・超越性」などフランクリンは持ち合わせていないことを立証しようとする。ヴェーバーはこの「非合理性・超越性」について3点挙げているため(cf.倫理、p47-48)。羽入はそれぞれを検討する。羽入のまとめを引用する。

「一つは、「自伝における正に何といっても珍しいまでの正直さで現れているようなフランクリン自身の性格が……ここにはやはりエゴイスティックな処世訓の粉飾以外の他の何らかのものが存在していることを示している」ということである。
 今一つは、「徳が『有益である』という考えが自分に浮かんだという事実そのものを、そのことを通じて自分を徳へと導かんと欲し給うた神の啓示に帰している」ということであり、このことがやはり一つ目の論拠と同様に「ここにはやはり純粋にエゴイスティックな処世訓の粉飾以外の他の何らかのものが存在しているということを示している」とヴェーバーは言う。
 最後の三つ目、フランクリンにとって「この倫理の『最高善』」であるところの「金を儲けること」は「純粋に自己目的と考えられて」おり、「個々人の『幸福』や『利益』に対しては」「とにかく超越したもの、およそ非合理的なものとして立ち現れている」ということであった。」(羽入2002:143-144)

 このうち1つ目の根拠は実証的がなく、根拠として認められない(羽入も「学問的には議論できない」と述べている)。このため、羽入論文の第3章では、他の2点についての批判がなされる。

 まず、「神の啓示」の議論について。まずもって羽入はこの内容に当てはまる記述が『自伝』のどこにもないと述べる(羽入2002:145)。ここで羽入は『自伝』における、フランクリンの「回心体験」にあたる部分を取り出し、それが神と関連性のないものであることを繰り返し主張するに留まる(cf.羽入2002:167-168、羽入2008:321)。これは折原が批判するようにフランクリンが「回心体験(神を信仰する劇的な体験)」をした上で「神の述べることに従う」に至った記述に限定しているにすぎず(cf.折原2005b、p245-246)、「啓示」とはもっとシンプルに「神の述べたことに基づいて」と解し、それに基づき徳の実践が有益であると述べている部分を探せば十分である。そしてそれは根拠を示した直後、倫理論文のp48に引用される聖書の句「あなたはそのわざ(Beruf)を巧みな人を見るか、そのような人は王の前に立つ」からも把握できる。もちろん、羽入、折原の議論の中から、このような引用などをもってフランクリンが自身の道徳を語ることは多く見受けられる。
 
 もう一つの「フランクリンの倫理の他者からみた場合の非合理性」について。こちらについても羽入は該当する記述が『自伝』のどこにもないと述べる(羽入2002:177)。次に直接な言及がない以上、ヴェーバーの倫理論文からその非合理性とみなせるヒントとなる部分を探し、それを倫理論文p48で述べられている「職業義務の思想」だとみなし、聖書からの引用文「あなたはそのわざに巧みな人を見るか、そのような人は王の前に立つ」自体には非合理性が認められないため、自伝でこの文言が用いられている前後の文脈からそれを判断しようとする(羽入2002:177-181)。そして該当すると思われる部分(「仕事における勤勉さは相変わらずたゆみないものであった」(松本/西川訳「フランクリン自伝」訳書1987、p132))について指摘した上で、その部分は合わせて「私は勤勉を富と名声を得る手段と考え、それに励まされていた」という記述もされている部分であり、それは「一般的な」動機に支えられた、合理的な思考にも十分読める部分であると指摘している(羽入2002:185)。
 まずもって指摘すべきは羽入のこの部分の「発見」はヴェーバーの議論の推測にすぎず、下手をすれば妄言にしかならない取り扱い方である。しかし、事象が「ない」ことを証明することは非常に厄介であり、このように最も類似の内容について批判を加えるというやり方が最も妥当であるといって差し支えないだろう。
 しかし、折原は『自伝』中に非合理性を語っている部分があると述べ、引用している(松本/西川訳「フランクリン自伝」訳書1987、p131。羽入が引用した部分の直前である)

「ところが、なんと贅沢というものは、倹約を主義にしてはいても、いつしか家庭に入り込んで、次第にひろがっていくものなのだ。ある朝食事に呼ばれて行ってみると、磁器の茶碗に銀のスプーンがついているではないか。これは、妻が私に相談せずに買ったもので、しかもこのために二三シリングという大金をはたいたのである。これについて妻は、自分の夫も隣近所と同様、銀のスプーンと磁器の茶碗を使うだけの値打ちがあるから、ということ以外には、言訳も弁解もないのであった。これが金銀の食器と磁器が私の家に登場した最初であるが、その後、年とともに身上のよくなるにつれ、だんだんと数を増し、ついには価値数百ポンドに達するまでにもなった。」(折原2005b:307)

 折原はこれを一般人的な贅沢意識に捕らわれてしまった妻と、徹底した倹約主義の目線をもつフランクリン自身との対比からある意味で常識離れしている意味で「非合理性」を説明しているといえる。もっとも、この部分は確かに厳密には(「全く超越した」とまでいえるような)内容ではないかもしれないが、フランクリンと一般人の合理性の違いについて言及されている部分とみなすのは誤りといえないだろう(もっとも、前後の文脈次第ではこの読みも変わる可能性があるが)。むしろ問題は羽入の2008年の著書において、他の部分については散々批判しておきながらこの引用について全くコメントを加えていない点にあるといえる。この部分について当然「非合理的」とまでいえないと主張する形であるにせよ、応答義務があったはずである。

 以上のことから、非合理性をめぐる議論については批判の余地が残されているものの、ヴェーバーの主張は許容できる範囲ではないかと私は考える。もっとも、この許容の問題については後述する「妥当性」問題の考え方次第では問題になるが、少なくともヴェーバー自身の問題としては大きな批判を加える必要はないだろう。


○理念型について、その1
 羽入の第四章の議論の批判に入る前にヴェーバーのいう「理念型」に関していくつか先にまとめておきたい。以後、必要に応じてこの「理念型」の性質をまとめていくが、まず3つの性質を確認しておく。

〔1〕理念型が「極」の概念であること。
「思考によって構成されるこの像(※理想像)は、歴史的生活の特定の関係と事象とを結びつけ、考えられる連関の、それ自体として矛盾のない宇宙〔コスモス〕をつくりあげる。内容上、この構成像は、実在の特定の要素を、思考の上で高めてえられる、ひとつのユートピアの性格を帯びている。経験的に与えられた生活事実にたいする、この構成上の関係は、もっぱらつぎの点である。すなわち、その構成像において抽象的に提示されている種類の、つまり「市場」に依存する事象の連関が、実在のなかでなんらかの程度まではたらいている、と確定または推定されるばあい、われわれは、その連関の特性を、ひとつの理念型に照らし、効果的な仕方で具体的・直観的に把握できるように描き出し、理解させることができる、という点である。この可能性は、〔そうした特性を〕探り出すためにも、また叙述するにあたっても、有用なだけでなく、じっさい不可欠でさえある。」(客観性、p111-112)
 これについては、羽入、折原共に共有していると認められる。

〔2〕理念型の形成過程において、複数の要素を取り入れることで、社会現象の理解をより妥当にすることが想定されていること
「こうした(※「都市経済」という)理念型が獲得されるのは、ひとつの、あるいは二、三の観点を一面的に高め、その観点に適合する、ここには多く、かしこには少ないと、ところによってはまったくない、というように、分散して存在している夥しい個々の現象を、それ自体として統一されたひとつの思想増に結合することによってである。この思想像は、概念的に純粋的な姿では、現実のどこかに経験的に見いだされるようなものではけっしてない。それは、ひとつのユートピアである。そして、歴史的な研究には、個々のばあいごとに、現実が、どの程度この理想像に近いか、または遠いか、つまり、ある特定の都市における諸事情の経済的性格が、どの程度まで、この概念上の意味で「都市経済的」であるといえるのか、を確定する課題が生ずる。」(客観性、p113)
「そのさい、叙述しようとする連関が広汎にわたればわたるほど、また〔叙述の前提となる〕文化意義が多面的であればあるほど、そうした連関を、ひとつの概念‐思想体系に総括し、組み上げる叙述は、ますます理念型の性格に近づき、この種の概念ひとつですますことは、ますますできなくなり、したがって、たえず開示されてくる有意義性の新しい側面を、そのつど新たな理念型構成することによって意識にもたらそうとする試みが、ますます当然のこととして、また不可避なこととして、繰り返されることになる。(客観性、P128-129)

 これについても折原は基本的に「第一要素、第二要素」という表現をして「資本主義の精神」について理念型が形成されていくという議論をしており、羽入もこのような分け方自体を批判することは全くない。よって共有事項といえる。

「もとより、当初の第一次的〈理念型〉が、それだけで、この仮説そのものをなすわけではない。そこから示唆された方向に、問題の先行要件を探り出し、それにかんする第二次的〈理念型〉を構成し、第一次〈理念型〉と第二次〈理念型〉との関連を、やはり思考の上で〈理念型〉的に想定して初めて、仮説が構成されるわけである。」(客観性、p272、折原の解説部分からの引用)
「理念型というのは歴史上存在する実体なのではなく、逆に、これを用いて測るための物差し[=スケール]に過ぎないのである。どの部分が現実に合わぬかを調べるためのスケールなのである。例えば、次のようなこともあり得るであろう。当初はフォーク・ソングだけを対象にしていたはずが、資料を検索してゆくうちに、六〇年代初期のフォーク・ソングがかなりの政治的メッセージを含んだものであったことを発見し、学生運動との連関も視野に入れないと当時のフォーク・ソング・ブームを正確に把握することは出来ないと途中で気づくこともあり得るのである。この場合、フォーク・ソング・ブームだけに焦点を当てて構成された「第一要素」理念型は、初期のフォーク・ソング・ブームに政治性が含まれていたことを発見するための道具だったのであり、その理念型と現実とが合わない部分を発見することが出来た、ということで理念型としての役割を果たし終えたのである。この場合、学生運動という新たな視点を加えた「第二要素」理念型を再度構成し直し、より現実へと近づけてゆくことになる。」(羽入2008、p268)

〔3〕理念型が実際の現象と結びついている必要性はないこと
 これは、〔1〕の議論と関係する内容だが、理念型が歴史的な実在と一致している必要性などなく、論理的に、もしくは経験的な内容からそれが「極」としての性質をもっていることが要件となってくる。

「理念型は、ひとつの思想像であって、この思想像は、そのまま歴史的実在であるのでもなければ、まして「本来の」実在であるわけでもなく、いわんや実在が類例として編入されるべき、ひとつの図式として役立つものでもない。理念型はむしろ、純然たる理想像の極限概念であることに意義のあるものであり、われわれは、この極限概念を規準として、実在を測定し、比較し、よってもって、実在の経験的内容のうち、特定の意義ある構成部分を、明瞭に浮き彫りにするのである。」(客観性、p119)

 ただ、これについては解説をする折原もヴェーバーの理念型の実在性については食い違った言い方をしていると指摘する(客観性、p273−274)。つまり、理念型は一方で「論理的に無矛盾」であることが要求される一方で、その理念型はわれわれの法則的知識に照らして「適合的」であることも要求されているとする。前者は理念型としての妥当性、仮に複数の理念型を用いるような場合における諸理念型間の違いが論理的に異なることに重きが置かれ実際の現象のことは関係しない中で、むしろ「適合性」はその実際の現象などとの関係からの妥当性を想定しているということである。
 これは理念型の運用からすれば、「論理的であること」の方が棄却されるべき性質である。何故なら、ヴェーバーは倫理論文における「資本主義の精神」の説明の中でこの精神を取り上げる意義について、ある者には合理的なものであっても、別のものにとっては非合理であるような、「合理性の多様性」にあるとみており(倫理、p49−50)、ここでの場合のように「合理性」について理念型を想定した場合、当然のごとくある合理性の究極的形態としての理念型が「論理的であること」と相反する可能性も十分あるからである。「無矛盾性」という基準を理念型に求めた時点で、「価値判断」によって無矛盾でない可能性について排除することとなり、学問的にも問題といえる。このため、折原も解説において、のちのマイヤー論文やカテゴリー論文では「論理上整合的な<理念型>は<理念型構成のひとつのばあいにすぎ>ず、<経験上「純粋な」型にまで昇華した事実も<理念型>を構成する」(客観性、p274)と説明するようなまとまり方をしていったのだと思われる(※3)。

 折原は当然この前提を承認しているが、羽入についてはあたかもこれが理解できていないかのような語りを第4章関連で展開することになる。


○羽入の議論の批判その2…羽入論文第4章について
 第4章における羽入のヴェーバー批判は以下のように要約されている。
「(3)ヴェーバーは、「資本主義の精神」を〝すでに宗教的基盤が死滅したもの″として構成する必要があったため、その理念型構成のための素材としてフランクリンの二つの文章を引用するに際し、フランクリンによる宗教的なものへの言及部分を、それも予定説の神への言及部分を、読者には内緒で、前もって削除した上で引用していた。」(羽入2002;269)

 ここでは、「資本主義の精神」における宗教性の問題が取り上げられる。ヴェーバーは宗教性が「資本主義の精神」に「全くない」と述べているにも関わらず、フランクリンの文章をしっかり読むとそのような欠落が確認できないため、ヴェーバーはフランクリンを曲解していると見ている。
 さて、まず確認しておきたいのは、羽入にとっての「削除」とは、理念型形成にあたって、その概念に関連しうる文章の「すべて」から「削除」された状態を指すことである。

「筆者がヴェーバーに対して論難しているのは次のただ一点にしか過ぎない。ヴェーバーはフランクリンの文章の全文を引用すべきだったのである。引用した上で、ここでの予定説の神への言及は、フランクリン自身の信仰から考えて、安全上の配慮であったに過ぎないと判断される。と記してフランクリン資料を用いれば良かったのである。」(羽入2008:433)

 したがって、ここでいう「削除」というのは、例えば引用において、引用元の部分の中間部分を「削除」した上でその前後のみを引用する、といった性質のものでは当然ない。あくまでもフランクリンの「若き職人への助言」において、引用された部分とは他の部分について「削除」しているという意味である。羽入の主張は、宗教的に関連する部分すべての引用を行うべきということである。
 また、ここでいう「内緒で」という表現も理解に苦しむ。そもそもヴェーバーがここで理念型を形成していく上で用いた引用部分は、実在性を否定するべき性質である「理念型」と対比した中でも、特にそれに近い部分を選んで引用しており、その意味で、フランクリンの文章の中でも「宗教的なものとの直接的な関係をまったく失っている」(倫理、p40)部分を引用する必要があった。理念型の性質〔3〕を踏まえれば、理念型自体は実際の言明などにそもそも裏付けされている必要性などなく、ここでは読者の理念型への理解を促進させるための導入に過ぎない。したがって、このような形で用いられる引用に対してそもそも「内緒」という発想自体がありえない。

 ここでわざわざ羽入が「内緒で」などという言い方をしている含みを他に考える可能性があるとすれば、結局ヴェーバーはあたかもフランクリンを「資本主義の精神」の持ち主であると表現している場合にのみ妥当しうるだろう。当然最初の二引用ではそれは意味を持たない。これが妥当しうるのは、この後第1章第2節第7段落において、フランクリンの文章が「全著作に一貫して見られる、彼の道徳のまさしくアルファであり、オメガとなっているのだ。」(倫理、p48)という言明との関連においてである。後述するが、折原はこの部分の存在自体を否定している。
 まずもって、この感情論的な「内緒で」について批判をするならば、「資本主義の精神」のもつ非宗教性をフランクリンが持ち合わせていると解釈しようとする読者は羽入を除いてそうそういないだろう。すでに倫理論文p48の時点で、聖書の引用も行いながら、資本主義の精神が「一定の宗教的観念と密接な関連を示している」とヴェーバーは「明言」しているからである。このようなコンテクストから言ってもヴェーバーは「内緒」になど全くしていないのである。
 
 結局羽入がこの論点を批判したがるのは、「因果」なるものに対する考え方の欠落によるものではなかろうか。通常このような欠落をすることは考えづらいのだが、「理念型」の運用に固執する羽入の目からは因果の発想が抜け落ちているようにしか見えない。そもそも羽入は、本書の意義について、「資本主義の精神」は非宗教的性質を持っていなくては理念型として成立しないことを根拠について、次のような主張をしている。

「フランクリンの場合における「『資本主義の精神』と名付けられたあの心情の本質的要素」に「宗教的基礎付け」が欠如していることは、ここでは論理的要請ですらある。なぜなら、もしそうでなかったとしたならば、その場合『倫理』論文とは、“同じもの”が“同じもの”からどのようにして由来したのかを論証したに過ぎない単なる同語反復論文となってしまい、学問的論文としての『倫理』論文の意味は全く失われてしまったであろうからである。」(羽入2002:208)
「すなわち、“宗教的基礎付けを今では全く欠いてしまった今日の職業禁欲”〔=「資本主義の精神」〕がいかにして“そうした宗教的基礎付けをかつて有していた禁欲”〔=「プロテスタンティズムの倫理」〕から生まれたのかということを探究しようと努める限りにおいてのみ論文としての意味を持つ」(羽入2002:208)

 おそらく、この主張は羽入自身が自らの議論を確信させるための一つの根拠としているだろうと思うが、折原からの直接の批判はない。もっとも折原はこの関係性については、「宗教的なものとの間接的な関係」を示していると主張している(折原2005b:343)しかし、私が考えるには両者共に正しい主張がされていない。折原の場合は、何をもって「直接」か「間接」なのかについて議論されていない。これも後述するが、折原は「資本主義の精神」の理念型の第三要素に「職業観(beruf)」概念を含めている(折原2005a:105-106)ものの、これは「神の啓示」に基づくものであり、その意味では「資本主義の精神」は「宗教的なものと直接的に関係している」と解釈するほかないように見えてくる。

 これは結局「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の「関係性」という仮説的な理念型と「資本主義の精神」という純粋な物差しとしての性質しかもたない理念型との区別ができていないことから生じる矛盾である。そもそも羽入のように「資本主義の精神」という理念型に固執してしまえば、宗教的要素をわずかであれ含まざるを得ない「プロテスタンティズムの倫理」との関係性を問うこと自体が不毛であり、羽入のいうように極めて操作的な発想であるともみなされかねない。もちろん、この「関係性」というのを「天職性(beruf)」という媒介により繋ぐことによって、矛盾を解除するという方法もあるかもしれないが、少なくともフランクリンの議論からは、それが明確な形で、すなわちberuf概念を無宗教的なものとして導出すること自体が不可能であるように思われる。そもそもberuf概念が無宗教的なものとして(もしくは、折原のいうように「宗教的なものと間接的に関与している」ものとして)存立可能な概念なのかどうかということ自体は、大いに議論されねばならない問題である。これについてヴェーバーは少なくとも、すでに倫理論文のp48でbeurfを「後段で詳しい説明があるように、この原語は職業という意味と神から与えられた使命という意味とを含んでいる」と説明し、その後にも宗教的性質を持っているとしか読めない以下のような説明がなされているのである。

「つまり、この「天職」という概念の中にはプロテスタントの教派の中心的教義が表出されているのであって、それはほかならぬ、カトリックのようにキリスト教の道徳誡を》praecepta《「命令」と》consilia《「勧告」とに分けることを否認し、また、修道士的禁欲を世俗内的道徳よりも高く考えたりするのでなく、神によろこばれる生活を営むための手段はただ一つ、各人の生活上の地位から生じる世俗内的義務の遂行であって、これこそ神から与えられた「召命」》beruf《にほかならぬ、と考えるというものだった。」(倫理、p109-110)

 ところで、ここでヴェーバーに立ち返り、客観性論文などを読んでみると理念型について、この「関係性」を示す理念型と、純粋な物差しとして用いられる理念型の二種類があることがつかめるように思う。折原自身の解説によって、以下のような説明がされている。

「「理念型」には、このほかに「類的理念型」がある。「歴史的個性体」のように特定の歴史的対象を狙うのではなく、もろもろの対象の「類的」属性をやはり一面的に抽出し、多くのばあい対概念にまで尖鋭化/極限化しておいて、現実の事例が両対極間のどのあたりにあるか、を測定するスケールとして用いられる。」(折原2005a:218
「さて、文化科学は、ある個性的事象連関が、そうした<理念型>構成により、その特性において<明瞭に把握され、理解され、叙述され>たならば、つぎには、それが、歴史的に<なぜ、かくなって他とはならなかったか>を説明する、いいかえれば、当の特性を、同じく<理念型>として把握されるべき、なんらかの先行要件としての個性的事象連関に<因果帰属>する、という課題に移行する。そのさい、(2)結果に見立てられる、当初の第一次的個性的事象連関を<理念型>は、その特性が鋭く明瞭に把握されていることにより、どのあたりに、それと関連する先行与件を探していればよいかを示唆する。つまり、因果帰属にかんする仮説の定立に方向を指示する。もとより、当初の第一次的<理念型>が、それだけで、この仮説そのものをなすわけではない。そこから示唆された方向に、問題の先行与件を探り出し、それにかんする第二次的<理念型>を構成し、第一次<理念型>と第二次<理念型>との関連を、やはり思考の上で<理念型>的に想定して初めて、仮説が構成されるわけである。」(客観性、p271-272、折原の解説部分)
 
 これについて、ヴェーバーはこのように説明している。

「ところで、歴史叙述ならびに具体的な歴史的概念の構成要素としてたえず見いだされる類概念も、当然のことながら、そうした叙述や概念にとって概念上本質的な特定の要素を抽出し、〔思考のうえで〕高めることにより、理念型として構成することができる。……そして、個性的な理念型はいずれも、類的で、理念型として構成された概念要素から合成される。」(客観性、p135)
 これらから、理念型には以下のような性質があることが確認できる。

〔4〕理念型には「類的理念型」と「歴史的個性体としての理念型」の二つが想定されること、また、
〔5〕「仮説」は「類的理念型」によってのみでは形成されず、「歴史的個性体」の性質をもつ理念型によってはじめて想定可能なものとなる。

 という形で「類的理念型(以下、理念型αと呼びたい)」と「歴史的個性体としての理念型(以下、理念型βと呼ぶ)」の関係性を指摘できる。
 ここでの確認が羽入の議論を考える上では重要になってくる。つまり、言い換えれば理念型βはそれ自体2つの理念型αを自ずと含んでいるということであり、その両者の因果関係自体が理念型を形成していることが見えてくるだろう。さて、折原はヴェーバーの「資本主義の精神」につき構成が目指されている「理念型」がそもそも「歴史的個性体」であることを強調する(折原2005b:230)。

「すなわち、われわれのとらえ方からすれば本質的なものとしてわれわれに見えてくる、そうしたものだけが、資本主義の「精神」の唯一可能な理解であるわけでもなければ、またそうでなければならぬ必要もない。このことは、方法上、現実の事象を抽象的な類概念に当てはめていくことではなしに、むしろつねに、またどうしても、特殊個体的な色彩をもつ具体的な発生的関連という姿にまとめ上げて行かねばならぬ、そのような「歴史的概念構成」というものの本質に根ざしているのだ。」(倫理、p39)

 ここではむしろ「資本主義の精神」を考える上で重要なのは、その精神を支える歴史的な要因であり、それこそまさに「プロテスタンティズムの倫理」と密接に関わるものだとみなしているのは確かである。しかし、である。そもそも理念型βは必然的に理念型αの要素でもある以上、次のことに目を向けねばならないだろう。

〔6〕理念型βの「検証」作業において、それが「妥当でない」とする場合には、「2つの理念型αそれぞれに対する妥当性」及び「因果関係の妥当性」の3つの妥当性が問われていること

 すると、やはり理念型βの検証といえども、羽入の行ったような理念型αへの検証自体が否定される筋合いは全くない。もちろん、理念型の性質〔3〕にあるように、この理念型はフランクリンの議論とは関係なく成立可能であるということも不可能ではない。そして、「資本主義の精神」などというものが実際の「資本主義」と呼ばれているものを指示しない限りにおいては、その運用は極めて自由であるともいえる。しかし、この議論を、例えば「欧米の」「資本主義の精神」である、などと議論する場合には、当然その妥当性を検討することは否定されない。問題はあくまで、その「検討」作業そのものの妥当性の問題となるだろう(この妥当性については後述する)。
 折原の論調は結局羽入がここで理念型αの議論によってヴェーバーの否定を行うこと自体が、その後のヴェーバーの仕事、その理念型βに基づく比較宗教社会学的分析についての否定を、その理念型βの妥当性を無視して批判していることへの批判と読めるだろう。

「羽入はむしろ、ヴェーバー・テーゼの「歴史的妥当性」問題にはいっさい関心がないと宣言し、もっぱらヴェーバーの知的誠実性を疑い、「ヴェーバーは詐欺師である」との全称判断をくだして、かれの「人と作品」をまるごと葬ろうとする。かりに羽入書の主張が百パーセント正しいとすると、ヴェーバー研究者は、「詐欺」の片棒を担ぎ、ヴェーバーの「欺瞞」を世に広めて害毒を流してきた「犯罪加担者」ということにならざるをえない。
 この意味で羽入書は、いうなればヴェーバー研究者に対する「自殺要求」である。」(折原2005b:29)

「こうした主張にもとづいて、筆者は、A「包括者」としての現実にかかわる概念構成の理念型的・価値関係的な被制約性を自覚せず、そうした制約にしたがうかぎりにおける価値観点の自由な選択にも無頓着で、ばあいによってはそうした自由な選択と展開の可能性に「立ちはだかり」「足を引っ張る」ばかりの論者と、逆にBこの「自由な展開の可能性」にいわば独善的に収斂し、その「自由」を「楯にとって」「責任はとらず」、理念型的概念の「経験的妥当性」も否認し、討議・論争をとおしての相互「検証」も受け付けようとしない、といった論者との、双方にたいして、二正面作戦を展開していかなければならない、と考えている。」(折原2005a:95-96、なお、同書p226で羽入は典型的なAの立場であるとされる。)

 この解釈はある意味で拡大解釈である嫌いがある。前者の引用も羽入がもし純粋にヴェーバーの知的誠実性についてのみ問うていたような場合は、このような解釈は議論を先取りしすぎているともいえる。そして後者の引用による批判はいわば議論における「自由」との兼ね合いで先行的に「歴史的個性体としての理念型」の(大義をもっている)議論を「類的理念型の検証」(細かな概念の確認作業)によって否定することがよくない、として批判しているようにも読める。しかし、それは結局その「歴史的個性体」によって「何が語られたのか」という議論とセットになっているものであるから、「類的理念型」に妥当しない、という事実からもそれが導ける可能性は当然ありうるため、そのこと自体は否定されるべきでないだろう(もちろん羽入はそれに失敗しているし、後述するが折原も「歴史的個性体」の議論が優れていることの検証は行っていると評価できない。)。
 しかし残念ながら羽入の知的誠実性は徹底しておらず、後述するようにそもそもヴェーバー批判自体が妥当しない代わりに、ヴェーバー研究者批判が妥当であるという論法を展開してしまっている「学問とは何か」における折原批判がその典型的な例といえる。なぜ、「学問とは何か」の冒頭1ページ目からヴェーバーの議論とは関係のない折原の大学紛争の頃の話を持ち出すのか。これはただの印象操作であるという解釈をする他はない。

○二文書解釈をどう位置づけるか?
 さて、以上の「含み」を持たせた上で、フランクリンの「二文書」の引用と、第1章第2節第7段落における人物フランクリンの議論における理念型形成の関係をどう位置づけるべきか議論する。

 羽入の回答は、両者をセットでとらえることが妥当であるとみなしたか、ごくごく単純に折原が言うように一度「非宗教性」として定義する際に用いたフランクリンの引用を、理念型の例示とみなさず、フランクリンの思想に一貫したものとしての妥当性を検証したかのどちらかである。
 これに対して折原は以下のように二文書の説明を行う。

「羽入のこの臆断にたいして、筆者はこう反論する。まず、ヴェーバーは、「フランクリンからの『二文書抜粋』は、そのかぎりでは『宗教的なものとの直接的な関係』は確かに含まず、その意味の『予断』は確かに入らない、恰好の『暫定的例示』資料である、と同時に、そこには(キリスト教文化圏におけるたいていの言説には内包させている)『宗教的なものとの間接的な関係』が言外に示唆され、それこそ『ピュウリタリズムないしカルヴィニズムの思想的残存物』に相当するから、(『資本主義の精神』という「堺目に位置している」)『思想的残存物』の中身をまず確認し、概念的に規定し、これを起点として、(宗教的背景としての)『ピューリタリズム(※ママ)ないしカルヴィニズム』そのものの、しかるべき特徴的要素に遡行を開始することができる」(折原2005b:342−343)
 ひとまず、二引用における「資本主義の精神」と第七段落における「資本主義の精神」を以下のように整理する。
A.前者は「類的理念型」としての理念型を示しているにすぎず、後者はberuf概念を持ち出すことによって「歴史的個性体」としての理念型の形成作業をまさにはじめた部分である(折原はこれを「資本主義の精神」の理念型の第三要素と位置付けた)とみなすことができる。
B.両者の検証作業における妥当性は、必然的に異なる基準が採用されるとみなしてよい。

さて、問題はBについてであるが、以下の点を理念型の性質として付け加えたい。

〔7〕理念型間の因果について語る「歴史的個性体」の議論においては、厳密な理念型のルールに乗っ取って運用すること自体が、理念型のあり方に反しうる。したがって、それはその「妥当性」について配慮しつつ、その社会現象が「類的理念型」としてあてはまらずとも、一定程度の「妥当性」が認められれば、「連関」の存在を認める議論が行われることが差し支えないと解釈すべきである。

 これは理念型の性質を考えれば当然の結果である。そもそも(類的な)理念型はそれ自体論理的・純粋なものであり、他の理念型の要素と同値関係を結ぶことはありえない。すなわち理念型AとBの因果関係を考えるにしても、それが本質的には別物とみなせる以上、それが必然的な因果とみなすことはできない。「Aが真なら、Bは真」という関係は、条件によってはそもそも成り立たない可能性がありうるということである。これは一見ユートピアとしての性質を踏まえれば当たり前にことのように思えるが、実は、このような理念型の想定が理念型としてそもそも妥当なのかどうかという問題を内包してしまっているのである。
 つまり、「類的理念型」としての要素については、それがどのようなものであっても論理的に「極」として妥当でありうる。しかし、因果関係の正しさについては経験的な妥当性を経なければ因果の「極」があるなどとはいえないのである。そもそも「歴史的個性体」としての「理念型」という言い方自体がそれを物語っている。歴史はそもそも経験的なものの存在を想定してしまっているものなのである。
 しかし、このような違いがあるからといって、理念型でないとして、「歴史的個性体」の議論を行うことの否定にはならないだろう。結局それは目的との兼ね合いによって、妥当でありうるということである。そして、このことから、「類的理念型」よりも「歴史的個性体」としての理念型の運用が、より緩やかでもよいという議論が成立しうるのである。

 折原の議論は、結局羽入にとっては何も答えていないようにしか見えないが、羽入が「類的理念型」にこだわるから、という折原の言い分はその半分しか説明できていない。問題は折原が明らかに理念型βが理念型αより優れているものと断じている点である。いや、正確にはヴェーバーの言い分としては理念型βに価値を置いていることは確かなのであるが、折原の場合、これを拡大解釈して理念型βが「絶対優位」であるから、理念型αについては倫理論文において検討を加える必要がないかのような議論を展開してしまっているのである。これは理念型の性質〔6〕からすれば矛盾でしかなく、この矛盾の説明している限りにおいて、羽入の批判も妥当してくるのである。

 確かにヴェーバーは「理念型的概念構成の目的は、いかなるばあいにも、類的なものをではなく、反対に、文化現象の特性を、鋭く意識させることにあるからである。」(客観性、p137)とし、「歴史的個性体」の検討こそが目的であると述べている。しかし、このこともまた、「歴史的個性体」(理念型β)の検証に、類的理念型(理念型α)を行ってはいけないだとか、理念型βの方が優れているといった価値判断の根拠にはならないのである。この指摘は理念型αというのが、純粋な「極」概念であるから、それのみで理念型βのような因果を語ることがないため、文化現象の解明には、理念型βに依拠せねばならないと言っているだけであると読むべきであろう。


○学術的な議論の条件、「排除の条件」とは?
 さて、理念型αと理念型βの議論を考えていった場合には、必ずしもヴェーバー自身の議論だけでは解決しない領域にぶつからざるをえない。そもそもヴェーバーは理念型αとβがいかに関連付くかについての議論を、特にそれが関連付かないのはどういう状況においてか、より正確には、理念型αとβの妥当性が批判され、理念型に修正を加えなければならないのはどういう状況においてか、という観点から明確に行っている訳ではないだろう。しかし、仮にこの検討を行っていたとしても、それに対する反論の可能性、及びその妥当性の基準をめぐる議論は不可避であるように思う。
 見落とされやすい論点かと思うが、「客観性」論文はそもそも社会学雑誌「アルヒーフ」の論文の取り扱い方に言及されるなかで「理念型」を「研究者集団」による議論にたえうるもの、そのような場に現れているということが一つのポイントと位置づいている点に注意が必要である。

「この雑誌は、科学的な議論の基盤に立とうとする者なら、なんぴとをも寄稿者の範囲から除外はしない。それは、「抗弁」・答弁・再抗弁……が延々と繰り広げられる競技場ではありえないが、その誌面で、およそ考えられるかぎり峻烈な実質的—科学的批判にさらされることから、寄稿者であれ、編集者であれ、なんぴとをも庇護はしはしない。それに耐えられない人、自分自身とは異なる理想のために奮闘している人とは科学的認識のためにも協働したくないという立場の人は、この雑誌から遠ざかってほしい。」(客観性、P49)

 そして、このような場における理念型をどう取り扱うのか、を問う場合に必要な観点として理念型をめぐる議論が「排除」されない状況にあるのではないかと私は考える。議論が排除される時こそ主張された理念型の妥当性はそのものとして確立したものであるかの様相を呈するからである。
 
「すでに見たとおり、経験的または社会的な文化科学の領域で、かぎりなく豊かな出来事のなかから、われわれにとって本質的なものを有意味に認識する可能性は、それぞれ固有に特殊化された性格の観点をたえず使用することと結びついている。」(客観性、P158)
「そして、われわれはすべて、われわれ自身の生存の意味が根ざすと見ている究極かつ最高の価値理念の超経験的な妥当を、なんらかの形で心のなかに信じているが、この信仰は、経験的実在がそのもとに意義を獲得する、具体的な諸観点のたえざる変遷を排除せず、かえってその変遷を内包している。すなわち、生活は、その非合理的な現実性において、また、可能なその意義の豊かさにおいて、汲み尽されることなく、価値関係の具体的な形成は、つねに流動的であり、人間文化の幽遠な未来に向けて、たえず変遷を遂げる運命にある。」(客観性、P159)

 これを理念型の性質に加えておこう。
〔8〕現実は(特に未来の出来事まで含めるならば)限りなく豊かなものとしてみるべきであることから、基本的に理念型自体も常に他の視点が妥当しうる意味でその妥当性は再考される可能性を持ち合わせている。

 とすれば、基本的には理念型が現実にあてはまるという意味で「確定している」状況こそが不自然であり、その妥当性を検討に付しうるような状況を抑制(排除)することから、理念型が妥当しているように見えるという解釈が妥当するのである。
 では、どのような場合においてこの排除が成立しうるのか。具体的に考えると、3つほど見出せる。

1.まず、何よりも強調されているのは、「理念型」の運用において、それを政治的発言(価値判断)として述べないという点にある。これはより具体的には理念型を用いて現状に対する何らかの「改善」を述べることである。ヴェーバーの議論においては「意欲する人間」という言葉でもしばしば語られるものである。このことが科学(学問)のなしうることとされないのは、その意思表示をすること自体がすでにそれ以外の価値について排除を行ってしまうからである。

「ところで、この秤量自体に決着をつけること〔目的を採って犠牲を甘受するか、それとも、目的を断念して犠牲を避けるか、どちらかを選択すること〕は、もとより、もはや科学のよくなしうる任務ではなく、意欲する人間の課題である。そこでは、意欲する人間が、自分の良心と自分の個人的な世界観とにしたがって、問題となっている諸価値を評価し、選択するものである。」(客観性、P39−40)
「経験科学は、なんぴとにも、なにをなすべきかを教えることはできず、ただ、かれがなにをなしうるか、また――事情によっては――なにを意欲しているか、を教えられるにすぎない。」(客観性、p35)

2.次に、他者から提示されてきた「理念型」の議論に対して、その議論自体を黙殺することも当然排除である。これはヴェーバーがアルヒーフの編集者側に与えている要求である。その主張が「議論の価値のある」ものであるにも関わらず、その価値を認めず、論文等に対し価値判断をもって学会誌等に掲載しない場合が考えられる。一般化すれば、優れた議論を認知しておきながら、世に広めようとすることなく、自らの価値に固執することも、理念型運用において問題となりうる。ただ、これについては、問題かどうか判断が難しい部分もある。その主張が「世」に出る可能性ということ自体は、現在ではある意味で万人に開かれているという見方も可能であるからである。

3.最後に、2も関係するが、他者の主張の論旨を捻じ曲げ、的外れな解釈を行う、またはそれを前提に批判を行うこともまた問題といえる。これについては、「理念型」のような議論の場合、その「理念型」の全体像をしっかり主張する側が呈示し、明確化・単純化を試みることによってあまり問題となれなくなりうる。しかしヴェーバーもおそらくそうだが、何をもって「理念型」が完成したのか、つまり特徴を浮き彫りにするような要素の抽出は多重にありえるが、それが具体的にどのような組み合わせによるのかはっきりしないような場合は、とても容易に誤読できてしまう。もちろんこの誤読の問題は厳密に解決できるといえないが、主張者側の語り方によっても解決の可能性が見出せる論点であるともいえる。


ヴェーバーの倫理論文における「歴史的個性体」の確認作業について…第1章第2節第7段落の議論を中心に

 さて、先述したように、折原は羽入のいう人物フランクリンが「資本主義の精神」という理念型への適合検証自体に対して否定的に考えている。ここには、ヴェーバーの意図がそこにあり、歴史的個性体には大義があるという論法を展開している。

「ところが、羽入が「精神」の理念型がすでに構成されたとみる第五段落では、まだこの核心が欠けており、「歴史的個性体」概念の構成は、まだ途上にある、というほかない。
 それにもかかわらず、羽入は、歴史的現実の複雑/多様性に照らして紆余曲折に富む「個々の構成要素からの漸次組み立て」の行程を、「第一歩」のところで恣意的に切断し、「倫理性」(「第一要素」)を実体化して、同じく(羽入によって)実体化された「功利的傾向」(「第二要素」)と、「あれか、これか」の形式論理的・二者択一的対立関係に組み入れてしまう。そうすることによって、ヴェーバーはそれ以降の理念型構成を「断念」すべきであったのに、「固執」を正当化する「資料操作」によって読者を「欺いた」と称し、ヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」に仕立てようとする。」(折原2005b:231)

 まず、直ちにこの引用で批判せねばならないのは、「理念型構成の断念」などという話を羽入は一切していないことである。ということは、見方によっては折原が理念型βになりえていない理念型について検証作業を加えること自体が否定されるべきであると言っているという解釈もそう外れてはいないだろう。
 さて、折原のいう「資本主義の精神」の要素についてもう少し詳しい引用にあたってみよう。

「しかし、われわれとしてはここでひとまず、第一章第二節冒頭から第七段落までの叙述内容を要約し、「精神」の概念を定式化しておくことにしよう。「精神」の特徴として取り出された三要素を振り返って、それらの関連を見ると、第一特徴(第〔1〕要素の理念型)においては「最高善」と見られた「貨幣増殖」が、じつは第三特徴(第〔3〕要素の理念型)の「職業倫理観」にリンクされ、「職業における有能さ」を表示する結果/指標という「意味」を帯びるかぎりで「善」たりうるものであった。したがって、「貨幣増殖」が「職業義務観」との癒着関係から切り離されると、それだけ「究極価値」「自己目的」と錯視されて、「最高善」にのし上がる。さらに「職業義務観」による手段系列への掣肘/歯止めも弱まる――「価値合理性」が薄れる――と、(いまや「最高善」にのし上がった)「貨幣増殖」を「至上目的」とする「目的合理性」が、「価値合理性」にとって代わり、その掣肘を脱して「一人歩き」を始め、唯一の価値規準として思考/行為を律するようにもなる。この方向で、第〔2〕理念型では「萌芽」として捉えられた「転移」傾向がいきつく先は、「純然たる功利主義」である。このようにして、三つの個性的要素理念型が個性的に関連づけられ、「ワンセットをなす要素理念型複合」に総合され、「歴史的個性体」としての「精神」概念が構成されている。これによって事態は、第二/第三特徴が相互掣肘によって均衡を保つかぎりで存立する第一特徴として、互いに相反する両方向性の緊張を孕む矛盾的統一/連関として、動態的に把握された。(折原2005a:108-109)

 このような三つの理念型の関連性についての説明については、大いに批判的な議論の余地があるようにも思うが、今回はそこを問題としない。むしろ、押さえるべきは、折原がこのように理念型の関連性も踏まえた上で「歴史的個性体」としての理念型が形成されるものだと説き、結局このような関連性を見ようとしない羽入の議論に批判を加えていることである。
 しかし、よく考えると、そのような批判の仕方自体が論点のすり替えである。羽入の問いかけは何故ヴェーバーが理念型の第一要素に含まれていると思われる「完全な非宗教性」の検証を行わなかったのか、であったはずである。別に第一要素(貨幣増殖の倫理化)か第二要素(功利的傾向)かの話をしていた訳では全くないのである。

 折原の指摘する通り、この7段落目において初めて「資本主義の精神」が歴史的個性体としての理念型が形成されていくのは確かだが、折原はヴェーバーの「暫定的な例示」という言葉を過大に扱い、「人物フランクリン」の研究を行うことを否定してしまっている。

「したがって、ヴェーバーの叙述は、羽入が自分の主観的印象に頼って無概念のまま決めてかかっているように、第六段落までは理念型構成であったが、ここでの適用による「フランクリン研究に」に転じ、人物研究にとって最重要な『自伝』に向かったため、初めて「厄介」な「功利的傾向」に直面してうろたえ、「すでに構成されている当初の理念型に固執」して「功利的傾向」の「棄却を焦った」というような代物ではなく、前段と同一の例示素材から(「歴史的個体性」として)「精神」の理念型を構成する、その第一ステップから第二ステップへ、当の第二要素の定式化へと、予告どおり整然と進んでいるだけである。」(折原2005b:233)

 これに対する羽入の反論は単純に理念型の検証をして何が悪いのか、という点に執着しており、その意味でヴェーバーのテキストを用いた議論はしていない。しかし、私自身は第七段落についてヴェーバーが、理念型形成の作業過程にありながらも、同時にそれが(折原のいう第三要素の理念型)が、「フランクリン研究」という性質も持ち合わせた状況で主張していたと考える。少なくとも、私には以下の第七段落の最後の文章が、それを認めているようにしか読めない。そして、そのことを踏まえれば折原は先述した排除の原理の3.に該当する方法で、羽入の主張を「排除」しているもののとみなすことができるだろう。

「貨幣の獲得は――それが合法的に行われるかぎり――近代の経済組織の中では、職業(Beruf)〔後段で詳しい説明があるように、この原語は職業という意味と神から与えられた使命という意味とを含んでいる〕における有能さの結果であり、現われなのであって、こうした有能さこそが、もう容易にわかるように、フランクリンの前掲の文章だけではなく全著作に一貫して見られる、彼の道徳のアルファであり、オメガとなっているのだ。」(倫理、p48)

 「資本主義の精神」は理念型として非宗教性であることが明言されていること、にもかかわらず「資本主義の精神」はやはり宗教性の影響を無視できないこと、この一見矛盾する状況について私は折原のような言い方ではなく、理念型の性質〔7〕から理解すべきであると主張したい。このことはむしろ、安易に理念型と我々が観察した実際のケースと混同しないためにも適した解釈であるように思う。そして、あくまで最初のフランクリンの二引用における非宗教性の説明が、第7段落では宗教性が大いに語られていることをよく説明できるように思う。
 ただし羽入にはこのことが、ただヴェーバーが操作的な発想でダブル・スタンダードを語っているようにしか見えていないようである。

「フランクリンの道徳的訓戒の傾向を否定する際には、フランクリンは「神の啓示」に関する宗教的言及を行っている、だから功利的とは言い切れない、ということを論拠としてヴェーバーを持ち出すため、それを批判するためには、それは宗教的言表ではない、と羽入の側では批判せざるを得なくなるのである。他方、「資本主義の精神」の理念を作る際には、今度はヴェーバーはフランクリンが「予定説の神」に言及している部分を勝手に削除しているため、羽入の側では、フランクリンは宗教的言及を行っている、と批判せざるを得なくなるのである。羽入の側が論理矛盾を起こしているわけではなく、ヴェーバーの側からその時々に都合の良いダブル・スタンダードを使い分けているのである。」(羽入2008:446−447)

 ここでは、ヴェーバーが述べていた理念型の「論理性性質」から言えば、理念型として妥当でないともいえるだろうが、理念型の性質〔3〕ですでに述べたように、論理性はむしろ「人間の行為」について捉える上では阻害要因にも大いになりえるものである。羽入は論理的にこの宗教性の議論を処理しようとしているが、それはそもそもの理念型のあり方に反する発想であるといえるだろう。これはやはり後述する「妥当性問題」によって議論しなくてはならない内容である。

 この部分に限らず、ヴェーバーは倫理論文において、「世界宗教の経済倫理」シリーズに先立ち、理念型βの妥当性について、「検証」とまではいかないにしても、確認行為としてその妥当性に考察を加えているといえる。

「本書では、「資本主義の精神」という概念を、このような独自の意味合いで使うようにしようと思う。また、その場合、資本主義が近代資本主義であることは言うまでもない。なぜなら、本書で論じようとしているものはもっぱらこの西ヨーロッパおよびアメリカの資本主義だということは、問題の立て方に照らしても自明なことだからだ。「資本主義」は中国にも、インドにも、バビロンにも、また古代にも中世にも存在した。しかし、後に見るように、そうした「資本主義」にはいま述べたような独自のエートスが欠けていたのだ。」(倫理、p45)

 さて、ここでいう「後で見るように」とはどこで見ているのか。ここで述べられたものが全ては入っていないものの、いくつか対比が見られる。

「中国の官人や、古代ローマの貴族、近代では農場地主たちの貧慾は比較に絶したものだ。また、ナポリの馬車屋や船乗り、それに同様の仕事に従っているアジアの人々、いや、南ヨーロッパアジア諸国の職人たちの金銭欲は、誰でも経験した人は知っているように、イギリスの同様な人々に比べて遥かに徹底的だし、ことに厚顔だ。市民的資本主義の発達が「立ち遅れ」ている――西洋における発展を尺度で計ってのことだが――そうした国々では、営利にさいして利己的に振舞う、その絶対的な厚かましさが至るところに見られるというのが、まさしくその独自な特徴だったのだ。」(倫理、p53−54)
「全体として人生そのもののとらわれない尊重という傾向を示している古代ユダヤ教の基調は、ピュウリタリズムの独自な特性とはもちろん遠くかけ離れたものだった。また――この点を看過してはならないが――中世および近代におけるユダヤ教の経済倫理も、ピュウリタリズムに対比するとき、資本主義的エートスの発展における両者の位置づけに決定的な意味をもつ諸特徴についてみると、両者は遠くかけ離れたものだった。ユダヤ教は政治あるいは投機を指向する「冒険商人」的資本主義の側に立つものであって、そのエートスは、一言にしていえば、賤民(パーリア)的資本主義のそれだったのに対して、ピュウリタニズムの担うエートスは、合理的・市民的な経営と、労働の合理的組織のそれだった。ピュウリタニズムはユダヤ教の倫理から、そうした枠に適合するものだけを採り入れたのだ。」(倫理、p320)

 もちろん、ここでの議論もある意味で暫定的なものに過ぎず、その真価は「世界宗教の経済倫理」で議論されているといってよいが、だからといって羽入が批判するように「理念型」の形成を完了し、その妥当性の検討を行うことについては何ら問題はないのである(羽入2008:271)。むしろ問うべきはその「検証」なるものを行った場合に、その「理念型」がいかなる意味で妥当でないかとみるかである。
 このような検証作業において注意せねばならないのは、その検証があくまで理念型としての妥当性のみを行っているものであって、そこに内包する価値観が正しいことを示している訳ではないことについて、慎重に語らなければならない点である。これは、ヴェーバーがマイヤーを批判する際に再三述べていたことである。つまり、因果を語る理念型(「文化意義」を取り出した理念型)の取り扱いについては、「どれほど「独自の価値」を持っているかの問題と、その文化が歴史的にどれほど「影響力」を持っているかの問題とは、何の関係もない」ことを念頭に入れなければならないのである(ヴェーバー祇園寺信彦・祇園寺則夫訳「歴史学の方法」1906=1998、p102)。ヴェーバーは「資本主義の精神」の「影響力」については決して否定しておらず、ある意味で多様な資本主義が淘汰されて現在の資本主義が有力なものとなったという見方をとり、それを実証している。しかし、それは「価値の有無」とは関係なく、切り離さなければならないものであるとここで述べていることになる。
 もっともここで厄介なのは、必ずしもそれを判断するのがウェーバー自身でなく、読者にもその余地があることである。いわばこの主張が矛盾することがないようにヴェーバー自身も議論しているように記述していかなければならない。例えば、p366で価値判断として明言された上で語られる「アメリカ的」な「精神のない専門人、心情のない享楽人」の問題と、「フランクリン」の議論はしっかりと分断されていなければならない。フランクリンはアメリカ人であり、多くの場合「自伝」はアメリカの基本精神を示したものとしても読まれる。であれば、フランクリンと価値判断的に語られた「アメリカ」は一繋がりのものとして解釈すべきではないか、という見方が素朴に行えてしまう。本書におけるフランクリンの引用は、アメリカに限らず、「西ヨーロッパおよびアメリカの資本主義」(倫理、p45)という形で括られ、多様な資本主義から、欧米におけるそれを検討しようとする意図から検討されている。確かに価値判断として語られたアメリカもフランクリンの議論と同じく「宗教性を一切失った」点で共通しているのだが、そこには「資本主義の精神」としての禁欲を失ってしまった過程が確かに描かれている。

「禁欲が世俗を改造し、世俗の内部で成果をあげようと試みているうちに、世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ。今日では、禁欲の精神は――最終的にか否か、誰が知ろう――この鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎に立って以来、この支柱をもう必要としない。禁欲ははからずも後継した啓蒙主義の薔薇色の雰囲気でさえ、今日ではまったく失せ果てたらしく、「天職義務」の思想はかつての宗教的信仰の亡霊として、われわれの生活の中を徘徊している。」(倫理、p365)

 この主張には若干の詭弁も存在する(後述する)が、このような禁欲精神の消失により「アメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向がある」とされる(倫理、p366)。ここにはやはり「宗教性」については「ない」ものと捉えられている。しかし、すでに述べたように、厳密には人物フランクリンの議論は1章2節7段落の部分では「無宗教性」の理念型の極にあることを立証したものとは言えなかった。「無宗教性」はあくまで最初の2引用によって理念型αとしての「資本主義の精神」の理念型を提示し、7段落ではさらに性質を付加することで理念型βとして議論を始めるが、そこでは「無宗教性」という観点はむしろ残っているとみるべきだと思う。
 しかし、こう解釈すると別の問題が現れる。そうするとフランクリンは「プロテスタンティズムの倫理」の影響を受けていたのかどうかという問題である。羽入の解釈によれはむしろこれが正しいことを示すことになる。しかし、折原によれば、フランクリンは「カルヴィニズムの予定説」の神を想定している訳ではないとして、羽入を批判する。そして倫理論文訳者の大塚久雄は「ピュウリタニズムないしカルヴィニズムの思想的残存物がいっぱいつまって」いるとする(倫理、p386)。羽入と折原の間ではヴェーバーのとらえるフランクリンを超えて、原典であるフランクリンの「自伝」をもとにした論争をしている訳だが(※2)、倫理論文を読む限りは少なくともヴェーバー自身の解釈が、大塚の理解に一致しているといえるだろう。

「さて、カルヴァン派プロテスタンティズムの禁欲とカトリック修道院生活の合理的形態とに共通して見られるあの倫理的生活態度の組織化は、純粋に外面的なことがらについてみても、「厳格な」ピュウリタン信徒がたえず恩恵の地位にあるか否かみずからを審査した方式のうちに、明瞭に現われている。罪と誘惑、そして恩恵による進歩のあとを継続的にあるいはまた表にして記入する信仰日記は、イエズス会派によって始められた近代カトリックの敬虔感情にも、また改革派教会のもっとも熱心な教徒のそれにも共通して見られるものだった。しかし、カトリックではそうした信仰日記が懺悔の聴聞を欠けるところなく行うためとか、あるいは「霊魂の司牧者」が信徒、多くは女性の信徒を教導するための手段と用いたのに反して、改革派のキリスト者たちはそれを用いて、自分で「自分の脈搏をみた」のだった。著明な道徳神学者たちについてはすべてそうした事実が伝えられているが、ベンジャミン・フランクリンが自分の一つ一つの徳性における進歩について統計的な形でおこなった記帳も、その古典的事例の一つとなるだろう。」(倫理、p213−214)

 まさにここでいう「改革派のキリスト者たち」とは、カトリックとは異なる「カルヴァン派、もしくはピュウリタン信徒」を指しているのであって、その「古典的事例の一つ」としてフランクリンをあげていることから、大塚の解釈は適切であると言うしかない。このことから、ヴェーバー自身がフランクリンの事例を通じて「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」の関連性を考察している可能性に何ら矛盾が生じてこないのである。
 更に、折原が指摘しているようなフランクリンの「神」についての把握は、ヴェーバーの議論の批判そのものへと転化しうると言えるだろう。

「そもそもヴェーバーがフランクリンを引き合いに出したのは、その神観を主題とし、「カルヴィニズムの予定説の神」に遡り、「その思想的残存物」として説明するためではなかった。フランクリンの「神」自体が、ヴェーバー「宗教社会学」の理論的枠組みのなかでは、「カルヴィニズムの予定説の神」よりも後退した、ありふれた「勧善懲悪神」で、ヴェーバーにとってはさほど――全体の構成を組み換え、叙述を複雑にし、基本ラインの鮮明度を落としてまで、冒頭で取り上げなければならないほどの――価値関係的な特性をそなえていない。それは、なんどもいうように、別にフランクリン(という一人物の本質的価値)を貶価するからではなく、ヴェーバーの研究主題が、実存的/生活史的にも、学問上も、あくまで「(近代市民的)職業倫理観/エートス」にあるからである。」(折原2005b:372)

 このような言明からも、折原はどうにも理念型について厳密な理解ができていないのではないか、という疑義を提出したくなってくる。折原は「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」の関連性において、「宗教性」という論点は、「間接的な影響」を与えたものと解していた。ここでは明らかに折原は、その宗教的な影響力について避けたいものとみなしていた可能性は大いにありえる。
しかし、宗教性があるものからないものへの因果を説明する上でそれを現実にあてはめてみれば、矛盾が生じるのはむしろあたりまえの状況である。折原は「資本主義の精神」における理念型αと理念型βの区別をつけないまま語ってしまっているために、この宗教性の関連性について語られる場合には、「都合よく」理念型αの議論に立ち返ることで、非宗教性を語ろうとしているように見えなくもないのである。このような都合よさは「ユートピア」としての理念型像の悪用として当然あり得る議論である。


○折原の議論の問題について
 これまで見てきたように、折原の議論は確かに大枠においては正しいといえるが、羽入が再批判本において、折原を痛烈に批判したことはある意味で正しいことも指摘しておかなければならないだろう。折原は羽入がヴェーバーを詐欺師と呼ぶことに個人的な反感を覚えているのは確かだが、それと同じような反感を買うような議論をしてしまっているのである。

 まずもって、理念型における「完了説」なる言葉は、理念型の性質〔8〕に当てはめれば、基本的に意味をなさない言葉である。もちろん、著者が「論文」という形式をもって理念型の議論を行う以上、一定の「完了」の地点は設定されなければならないことが求められるが、その論文が他者の批判等の可能性を受ける以上、それを完了などと論じることに意味がなくなるのである。むしろ、羽入を批判するときに用いられる「完了説」は、折原が理念型βを擁護するためのレトリックの一つでしかないようにさえ思える。

「「それがはたして『歴史的個体性なのか』などと折原は大真面目に書いているが、こんな初歩的段階での理念型が「歴史的個体」段階になどまだ達していないことなど、多少ともヴェーバーの方法論をかじったことのある人間にとっては当たり前のことであろう。さらに奇妙なのは「羽入の『完了説』」という言い方である。折原は筆者が前者で、理念型構成はこの段階で「完了」したのであると主張しているとでも思っているのであろうか。筆者は前者でそんなことは一言も書いてはいない。」(羽入2008:274)。
「或る限定された資料から、「第一要素」理念型をいったん組み立ててしまい、次に資料の範囲をさらに広げて「第二要素」理念型を形作り、さらには資料の範囲を一層広げて「第三要素」理念型を形作る、こうして一歩一歩「歴史的個性体」へと近づいてゆく、その途中部分の理念型構成の妥当性を問うてはなぜいけないのであろうか。なぜそれが「恣意的切断」になるのであろうか。理念型構成というものが「歴史的現実の複雑/多様性に照らして『個々の構成要素から漸次組み立て』」ていく「紆余曲折に富む」「行程」であるとするならば、その組み立ての第一要素と第二要素のところで検証してみて何が悪いのであろうか。どの段階で検証しようと構わないはずである。それをやるな、と言うのであれば、学問における痴呆老人によるファシズムとしか言いようがない。」(羽入2008:279)

 ここでの羽入の指摘は、あまりにも理念型に忠実なために、むしろヴェーバーのいう「資本主義の精神」の理念型形成の実態からはかけ離れている感もある(しかしこのような言い方は折原にも同じように認められるので、強く批判はできない。たとえば折原2005a:71の「二正面作戦」の話など、ここでの羽入の理念型形成観の見方と酷似している)。しかし、実際羽入が行っているのは「完了」の態度であるとはとても言えず、本気で折原が「完了」の立場を羽入がとっていると見ているのであれば即ち、「理念型の形成」と「理念型の完了に伴う検証作業」は二項対立的なものであると考えているということになり、先述した「倫理」論文においてヴェーバーが行っていた確認作業さえ黙殺している可能性も見出せるだろう。

 また、別の問題点として羽入の「倫理」論文以後のヴェーバーの著書に「世界宗教の経済倫理」対する評価をあたかも否定的に取り扱っているかのような批判の仕方をしている点がある。

「ところが羽入は、「倫理」以降の展開を「逃走」(二七三)と断じ、「世界宗教」を「広漠たる世界」(二七二)「大風呂敷」(二七三)と決めつけて、「倫理」との方向的/内容的関係を問わない。こうした「倫理」への自己閉塞――あるいは「倫理」への「逃走」――ともいうべき短見に囚われて、羽入自身いかに多くを失っているか、ことによると羽入書に惑わされる若い読者にも失わせることになるか、気がつかないのであろう。」(折原2003:95)

 これは羽入も当然「倫理論文以後の内容はそもそも検討の対象としていない」再批判しているが、これはその通りである。言ってみれば羽入の余計な装飾語に対して折原が過剰に反応しており、あたかも「羽入はヴェーバー以後の著作についても否定的である」という印象操作を加えてしまっている内容である。しかし、羽入のここでの論旨は、むしろ「仮に『倫理』論文以後のヴェーバーがいくら正しい主張をしていたとしても、『倫理』論文における悪意を持った資料操作を行った事実がなくなるわけではない」という評価の仕方をしているにすぎない。一応引用しておく。

「『倫理』論文の立論というものが、孤立するならば自ずと崩れていってしまう危うい性質のものであったことを彼は知っていたのであろうか。その答えはわれわれにはもはや分からない。いずれにせよ彼はすでに、『倫理』論文の世界を離れ、『世界諸宗教の経済倫理』の広漠たる世界へと旅立ってしまった。
 ただし、彼がどこへ逃れようと、彼が『世界諸宗教の経済倫理』などという大風呂敷をどこへ向かってどう広げようと、彼の書いた『倫理』論文そのものはそのままに残り続ける。
 論文とは事実の記載の定着であり、彼が犯した犯行現場をそのままに凍結保存してしまう。」(羽入2002:272−273)

 折原が羽入に対して述べた「文章を正確に読むことが、学問研究の基本」(折原2005b:337)という言葉をそっくりそのまま返すべき部分だろう。羽入はここで丁寧に『倫理』論文をその後の『世界宗教の経済倫理』とは明確に区別した上で、『倫理』論文でそのまま完結する論点が存在することを本気で信じているから、このような語りになるのである。ここでの問題はそれを独立して取り扱うことが適切ではないという部分のみであったはずである。そのことのみを批判すればこの部分もすべて解決するはずなのに、何故か折原は都合よく羽入を解釈し、的外れな批判までもしてしまうのである。羽入―折原論争が非常にやっかいなのは、折原の議論が的外れになってしまっている部分にも起因しているのである。