ミシェル・フーコー「真理の勇気」(2009=2012)

 随分と時間がかかってしまいましたが、今回はフーコーのレビューです。1984年の2〜3月のコレージュ・ド・フランスの講義内容となっていますが、フーコー自身が84年6月に亡くなっているため、「最終講義」という位置付けがされる本となります。
 以前行った、この前年度の講義にあたる「主体の解釈学」のレビューで、パレーシアの時代別分類(正確には形態別分類だが)を行い、その中でキュニコス派のパレーシアに評価を与えていると指摘しました。これは半分以上正しいですが、読み返すと、p428に部分にあるようにキュニコス派の議論が中心であるといわれている訳ではなかったことをまず訂正しておきます(※もっとも、この部分はコレージュ・ド・フランスでの講義で語られなかった草稿の内容だが)。フーコーにはもう一つの「境界」であるソクラテスのパレーシアの議論もまた、重要な真理の形成様式の一つとみなされている。ここではまず、この両者の違いがどこにあるのかを検討します。


○「ソクラテスのパレーシア」と「キュニコス派のパレーシア」の違いは何か?
 本書の両派(ソクラテス派、キュニコス派)の違いとして目立つのは、「前者が変化を求めないこと、後者は変化を追い求めること」という違いです。ソクラテスのパレーシアにおいては、p278にみられるような真の生のためのパレーシアの実践が問題とされますが、ここでは変化のないような、揺るぎなさが重要となっています。一方、キュニコス派のパレーシアはp306ー307、p310にあるように、「パラカッテイン・ト・ノミスマ」の原理として、「キュニコス主義の経験と実践の核心に現れている」のである(p307)。
 確かに概念の違いとしては明確に両者が異なっているという見方も可能でしょう。しかし、この論点、この違いについては、私はあまり重要でないと考えています。というのも、この「変化する、変化しない」という論点は、そもそも我々の主体性に語る時にしばしば用いられる論点ですが(例えば、私のレビューで言えば、ウィリス「ハマータウンの野郎ども」の「耳穴っ子」と「野郎ども」の違いもそうでしたが)、「時間の経過」という論点を取り入れた途端に簡単に概念的な差異が消滅し、その違いを「目的」として位置付けてみたところで、あまり意味のない状況となると思われるからです。

 まず、ソクラテスのパレーシアについて。ソクラテスのパレーシアにおいてこの「変化しない」ことが強調されるのは、自らの生の実践にいかに専心できたかに論点が置かれていたからで(cf.p285)、これがある意味で「私自身の生=一性の生」への志向を意味していたからととりあえずは言えます。
 他方で、キュニコス派におけるパレーシアの実践はそこに他者の生が介在することが強調されています。もちろん、それは自らの生の実践の中でなされますが、他者の生が介在する、という矛盾をきたしかねない方法でなされることになります。それは、自らが自らの生に専心し、それを他者に示すことによってそれを現前させます。一般的(※1)に「他者との出会い」というのは、私が見知らぬ他者に接することを通してなされるものだと考えられているように思いますが、キュニコス派の実践は全く逆の方法で「他者との出会い」を行っているものと解釈することができます。むしろ私こそが「他者」なのであり、その私が他の者にパレーシアのゲームを行う過程のなかで、その自らの他性を確認していくようなプロセスを通して、「他者との出会い」を果たす、という方法をとっていると考えてよいと思います(cf.p396)。このような方法がp381にあるように、人間の普遍性への配慮を行うための実践の一環ととらえられています。

 ソクラテスのパレーシア、キュニコス派のパレーシアの実践を行う意味はどのように見出せるか、それを整理するならこうなるでしょう。ソクラテスのパレーシア実践は「他の者」にとっては自己が無知であることを知ることになることで、「私」にとってはそれを通じて「自己への配慮」を行うことを妨害しようとする他者を排除でき、その実践に専念できることにあります(※2)。自分にとっても、他人にとっても主軸は自分自身にあり、自分がいかにパレーシアを実践できるかは、自己にどれだけ配慮できるかにかかっています。
 他方でキュニコス派のパレーシア実践は「他の者」にとっては自分とは異なる「別の生」の自覚を伴い、「私」はそれを通じて別の生の世界、倫理的普遍性をもつ世界の実現に寄与することになるということになります。ここでは、私は自己の生の形式の実践を行うことはもちろんのことですが、自らが「別の生」である可能性を提示しつつ、その提示を通じて私ではない他者も提示してみせるのである。
 このように、キュニコス派は「別の生/他者」を介在することで変化を行っているし、まさにそのような態度からソクラテスのパレーシアにはない点を批判しているといえるでしょう。しかし、ソクラテス的パレーシアの実践もまた変化を伴わないとは言い難い。P180の「ラケス」の引用も他者との対話を通じて自らの言明の矛盾に気付き、自らへの更なる専心のため生涯にわたって学び続けること、これは紛れもなく変化を伴うものです。フーコーの前提に基づけば、一性に向かうことと、変化をするということは理論的に考えて矛盾しないはずのものです。

「変化」という切り口で十分な説明できないとすれば、どこが違うか。これは結局フーコーも度々対比で用いる「他界」と「別の生」の違いになってくるでしょう。ここで別の生とは「私自身の生の変化」であると簡単にわかります。では、「他界」をどう理解すればよいか。ソクラテスのパレーシアにとってそれは、p311ー312に見られるように、(自らの)魂への専心を通じての真理の世界を指しました。他方で「別の生」はあらゆる他の生の形式との関係性を通じたものとして位置づいています。ここでこの両者を極端化するなら、前者は理念的なものとして、そして後者は具体的な他者の存在を介しているというように見ることもできるでしょう。

しかし、フーコーの議論のなかでは、これとは別に、その実践的な取り組みを見ていくと、この具体的な他者の存在が逆転するように見えてきます。ソクラテスの引用が対話に焦点が当てられている一方で、キュニコス派の実践は「皆の脈をとる」(p380)ようなものであっても、そこには個人としての実践倫理が強調されているように見える点です。
 この逆転現象は必ずしも必然性がないといえるかもしれませんが、さしあたりその正当性を与えるとすれば、キュニコス派において自らの最低限度の生のための変化というのは、自らをより貧しくするための変化であり、貧しい生活様式への変化がそのまま成果であるとみることが可能であったからかもしれせん。目的達成に寄することができているのかどうかという問いは、どちらの場合も「他者」が必要であるようにも私は思います。私のみで真理に到達することができるかもしれないが、それは他者によるテストを経た上でのものであっても、本当に真なのであれば、問題がないはずです。
 また、パレーシアの実践として、つつみ隠さず語る(実践する)こと、主体としての振る舞いが問題となっていること、そして他者との対峙の必要性というのは、ソクラテスのパレーシアの場合はp106、p91で見られるように、自己を忘却させるような可能性を他者がもっていること、だからこそ、「自己への配慮をせよ」という他者とのパレーシアのゲームの実践が、紛れもなく私自身の実践にとっても重要性をもっているという意味で正当化されます。この両者は結局パースペクティヴの違いに過ぎないように思います。フーコー自身は厳密に言えば、キュニコス派の取り組みのみでも、ソクラテスの取り組みのみでも、十分ではないことを指摘します。前者は、魂への到達を手助けする具体的他者の必要性によって、後者は他者との関係性を踏まえた欺瞞に陥る可能性を取り除くために。ただ、どちらもとるという選択をすることは、必ずしも個別の選択をとることが問題であるとも断言できないことも確かではないかと思います。フーコーは2つの真理形態(「他界」「別の生」)があることを強調し、「どちらか一方」のみが必要であるとする態度を放棄しているのは確かです(p428,429)。個別の選択をとらないのは何故なのか、フーコーは十分な説明をしていませんが、ひとまず、フーコーの立場は最終的に、ソクラテスのパレーシア、キュニコス派のパレーシアのどちらかを選んだ訳ではないことをしっかり押さえておきましょう。


フーコーキリスト教のパレーシア批判と個人主義批判?
 フーコーの議論においてキリスト教に対する批判があることは「主体の解釈学」においても言及しましたが、キリスト教のパレーシアが「他界」と「別の生」の関係性の変化としてとらえていることがまず重要になります。p404やp420に見られるような形而上学的な態度の放棄(つまり、魂への専心という議論が、当然あり得るものとみなされること)と、「自己への配慮」という発想の放棄(これは「純粋模倣」のへの志向、自己を滅することによって、他者(神)との一体化を目指すこと)を生むことになったとフーコーは見ています。このあたりの主張は「純粋模倣」を否定したジジェクの態度に似ているともいえます。もっとも、ジジェクは論理的に純粋模倣がありえないとみなす嫌いがありますが、フーコーは倫理的要請として、純粋模倣を認めるべきではない、という立場に立っているとも読めそうですが。

 フーコー自身は、明らかにキリスト教的なパレーシアの実践を否定的に捉えています。もっともこれも「性の歴史1」でみた「告白」の形式に対する態度の曖昧さともリンクしえます。「告白」の儀式はキリスト教の影響も受けつつも多様な分野に拡散し、その統一性も解体されたと指摘されます(「性の歴史1」p44)。フーコー自身はこの告白の様式をある程度肯定的にとらえていましたが、恐らくは「自己への配慮」を離れていこうとする告白の特徴に対しては否定的であり続けたと思います。それは、恐らくは「主体の解釈学」のp292,p293にあるように、キリスト教においては「自己の救済」のためには神への沈潜が必要であり、それは「自己の放棄」を伴う必要もありましたが、そのような霊性への意識がその後の「告白」の中にも少なからず存在しているとみなしていたからかと思います。そしてここにキリスト教以前に存立しえた告白の儀式の系譜、パレーシアも議論を捉える意義の一つがあるように思います。ソクラテスのパレーシアにおいてはその「告白」があくまで「自己への配慮」の道具的な側面として(目的ではなく手段として)用いられていたからです(「主体の解釈学」p412-413)。
 またもう一点無視できないのは、フーコーキリスト教的な個人主義に対して、否定的に捉えており、その考え方も同時に反映されていたのではないか、という観点です。少なくとも、本講義においてはフーコーキリスト教への批判的主張は、「主体の解釈学」で少し触れていたとはいえ(フーコー自身もそれを認めてますが)矢継ぎ早です。もしフーコーが翌年度にコレージュ・ド・フランスの講義を持つことがあったなら、このあたりの議論を実証的に追う作業をしていたことでしょう(cf.p399-400)。
 個人主義についての議論は、阿部謹也のレビューでも行いましたが、その際には「個人」が「世間」との関係性から、「神」へと対峙することによって、「世間」が解除されるものとして考えられていました。ここで個人主義は「個人の尊厳」の問題と結びつく。「世間」という関係性の否定を超えた所にある、肯定的な個の尊重という問題である。阿部自身はこの論点について、「当然」この否定と肯定は結びつくものと捉えている嫌いがある。おそらくフーコーも前者の否定性については概ね同意することだろう(cf.p381)。しかし、それはむしろ厳密な否定を介することがない形で、「神」と「個人=私」の関係性の絶対化により、排除されるものという方がより正確だろう。そして更に、フーコーにおいて「神」への対峙という議論はそもそも否定がされる。「神」との対峙にそもそも「勇気」は存在しておらず、「神」への従者としてその関係性は「垂直軸」の上に位置付けられます(p411)。ただし一見阿部の論理では「神」は実在しないものであることが前提となっているため、ここでいうような垂直な関係、という言い方がいわゆる上下関係を意味するかどうか議論の余地があるようにも思えます。しかし、そもそも「神」との関係性において「私」に優勢に立つことがないだろうということは正しいようにも思います。「信仰」という前提がそれを保証していると思われるからです。このような関係性の問題が(肯定的に言えば)「個人の尊厳」の問題の阻害要因となりうる、ということになるでしょう。
 フーコーにとっては、このように形成されるキリスト教個人主義が問題であることは、過去の研究の蓄積からはっきり捉えていた意識であるように思います。また、阿部謹也のような形で擁護されるキリスト教個人主義の語りについても批判的な見方をしていたのではないかと思います。その個人主義は現在の関係性を規定する要因であり続けている。だからこそ、それとは異なる関係性について考える際、キリスト教以前の関係性をめぐる議論を、「個人主義」の賭け金となる「個の尊重」を含みこんだものを探究していく必要性に強くかられたのだと思います。それが本書でも捉えてきたパレーシアの実践であったのだろうと思います。


○「キリスト教のパレーシア」はいかに問題とされうるか?
 ところで、キリスト教のパレーシアで起こっている「他界」と「別の生」の関係性の変化とは何なのか。もう少し明快にまとめておきましょう。
 これにはまず「他界」と「別の生」の性質を改めて捉え返す必要があるかと思います。まずもって「他界」については、形而上学的な魂(プシュケー)に向かうものとして、そこに介する真理に向かう実践としてパレーシアが位置付きます(p202)。他方で、「別の生」については、自らを絶えず変化させるという実践の中で、形而上学的な議論において隠蔽されがちな存在論的な問題を取り上げ、そこにもやはり真理の一形態があることを示します(p300)。極端な言い換えをしてしまうと、「不可能な世界」に向かうための実践は私たちが「実在している」という意味での「生」の問題を忘却してしまうのではないか、という哲学思想を、キュニコス派のパレーシアの実践の中に見出しているということです。しかし、そう見ると、一見私たちが存在していることは自明のことであって、その目線から物事を考えていくのは当然なのではないのかという疑問も出てきます。
 しかし、この疑問の立て方はキュニコス主義的パレーシアの解釈としては正しいとは言えないと思います。これはp398あたりを解釈すると、むしろポイントは「存在の変化」にあるということであり、単純な「存在」を、静的な存在として問うている訳ではないと思います。静的に見える状態を想定することはできますが、キュニコス派のパレーシアの実践においては、あくまでそれは一時的な状態、変化の前段階に過ぎず、それを静的なものとして捉えることが正しくないということです。

 これに対して、キリスト教のパレーシアはこれを固定化するものとして捉えてしまっていること、まさにこの点をフーコーは批判していると言えるでしょう。P404あたりの言及、及びp38のキリスト教が「未来」を語るものとして捉えていることが典型的ですが、キリスト教のパレーシア、救済を伴うパレーシアの実践は「他界」の現前を可能であるものと信じさせ、それを確定した「未来」として語ります。その未来に向かって、現在の私を位置付けようとする試みがそこにあるということです。このような見方は「他界」が形而上学的な領域に留まるソクラテスのパレーシアにおいても、目標に具体的をもたず絶えず倫理的普遍的を求めつつ変化していくキュニコス派のパレーシアにおいてもありえない見方ではあります。
 このような見方をするとジジェクの「大義を忘れるな」で取り上げた「真のジジェクラカン的主体」論とソクラテスキュニコス派のパレーシア実践は同じ不確定性に身を投じていることがわかります。一点異なるのは、ジジェク的な賭けは特定の問題に対してなされる単発的なものであるように思えますが、フーコーの指摘するパレーシアの実践には際限がありません。

 しかし、そうすると、このような際限のなさ自体が矛盾である、と指摘してしまうこともある意味で容易なのではないかという問い方も可能ではないでしょうか?そのような実践が「無意味」であるというのが簡単であるという意味です。そして、キリスト教のパレーシア実践を語る上で恐らく無視できないのが、「大衆化」という切り口です。フーコーが繰り返すように、「自己への配慮」の実践は常に一種の試練、もっと言えば苦行を伴うものと捉えられていました。そのような苦行から離れ、その実践を容易にするために、キリスト教のパレーシア実践はフーコーの言うような形態をとったのではないか、と指摘するのは、フーコー自身が民主制のパレーシアの議論をする際(p46-47、p55)の問題意識を援用することによっても、とても容易に示せてしまうように思えます。ただし、この転換に必然性がないということも押さえておく必要があるでしょう。

 今回はここまでにします。別の機会にこれまで取り残したフーコー関連の議論を本書の見解も交えてまとめたいと思います。

※1 ここでの「一般的」というのは、キリスト教的な発想を内包したものであることを想定していますし、フーコー自身にも同じ問題意識があったのではないかという印象を強く感じます。

(2016年5月3日追記)
※2 一応ここでは私と他者それぞれに分けたパレーシアの実践の意味について指摘したが、フーコー自身はあくまで自己の実践の方に重きを置いているとみてよいと思われる。別の著書では、キュニコス派とされるディオゲネスの実践について以下のような語られ方がなされている。

「このようにアレクサンドロスディオゲネスとの攻撃的な対話のうちで、二種類の権力、すなわち政治の権力と真理の権力の闘いが行われていると言えるでしょう。この闘いでは、パレーシアステースは絶えざる危険をひきうけ、これに直面しています。ディオゲネスは会話の最初から最後まで、自分をアレクサンドロスの権力のもとに晒すのです。そしてこの権力とのパレーシアの闘いがもたらす主な効果は、相手に新しい真理を開示すること、あるいは相手に新しい次元の自己認識を与えることではありません。相手にこのパレーシアの闘いを内面化させることが目的なのです。心のうちで自分の欠陥と闘い続けること、ディオゲネスと向き合って対話していたときと同じように、自分と向き合って対話できるようにすることが、この対話の目的なのです。」(「真理とディスクール パレーシア講義」2001=2002、p197-198)


(読書ノート)
p6-7 「古代道徳の全体、ギリシアとローマの文化全体において、「自分自身に関して真なることを語らなければならない」という原則がいかに大きな重要性をもっていたかということは、容易に確認できます。古代文化におけるその原則の重要性を裏付け例証するもの〔として〕、諸々の実践を挙げることができます。非常に頻繁かつ恒常的に絶えず推奨されていたそれらの実践のなかには、〔たとえば〕ピュタゴラス派やストア派において命じられていた良心の吟味があります。……また、文通、道徳的で霊的な手紙の交換のようないくつかの実践を挙げることができます。……さらに、やはり「自己自身に関して真なることを語らなければならない」という原則を例証するもの〔として〕、おそらくはそれほど知られずそれほどその痕跡を残していない他の諸実践を挙げることもできます。たとえば、自分自身に関する覚書、日記のようなものを書いて、自分の経験や読書について瞑想や考察を行うことや、目覚めたときに〔自分の〕夢を自分自身に語ることが推奨されていたのでした。」
※これはいずれも他者を必要としている実践としてフーコーはみている(p8)。
p8「すなわち、キリスト教を待つまでもなく、つまり、十三世紀初頭における告解の制度化を待つまでもなく、また、ローマ教会による司牧権力の組織化とその確立を待つまでもなく、自己自身に関して真なることを語る実践は、それに耳を傾ける他者の現前、語るように命じつつ自らも語る他者の現前を拠り所とし、それに助けを求めてきたのだ、と。自己自身に関する〈真なることを語ること〉は、古代文化において(したがってキリスト教よりもはるか以前に)、複数での活動、他の人々と共に行う活動であったということ、そしてさらに正確に言えば、それは、一人の他者と共に行う活動、二人で行う実践であったということです。そして、自己自身に関する〈真なることを語ること〉の実践のなかに現前するこの他者、そこに必然的に現前するこの他者こそが、私の関心を惹き、私を捕らえたのでした。」

☆p12「もともとは政治的実践および民主制の問題化にその根を下ろし、次いで個人の倫理や道徳的主体の構成の圏域へと向きを変えるパレーシアという概念、政治に根を下ろし道徳へと向きを変えるこの概念とともに、非常に図式的な言い方をするなら――そしてそれゆえに、私はこの概念に関心を抱いてそこに立ち止まったのであり、今なおそこに立ち止まっているのですが――主体と真理に関する問いを、自己と他者の統治と呼びうるようなものの実践の観点から提起する可能性が得られるのです。……パレーシアという概念を検討することによって、真理陳述の諸様式に関する分析、統治性の諸技術に関する研究、そして自己の実践の諸形式の標定が、一緒に結び合わされるように思われます。真理陳述の諸様式、統治性の諸技術、自己の諸実践を連接させること、これこそ、結局のところ私が常に試みてきたことなのです。」
※標定(目標の設定)が結び合わされるとは、「互いに他に還元されることもなく、互いに他を吸収してしまうこともないけれど、互いの関係がそれぞれにとって構成的であるようなそれら三つの要素」、「真理、権力、主体」(p13)をめぐる関係性を捉えることといえるか。

p14-15 悪い用法のパレーシアが好き勝手に語ることであることに対し、良いパレーシアとは…「そのとき、パレーシアは、真理を、それを暗号化したり覆い隠したりすることになるかもしれぬ隠蔽や留保を行わずに語ること、意味のない決まり文句や弁論的美辞麗句なしに語ることを意味します。「すべてを語ること」とは、そのとき、何も隠さずに真理を語ること、いかなるものによっても隠し立てせずに真理を語ることになるのです。」
p15-16 これに加えた2つの追加的条件…「必要なのは、語る者の個人的意見が真理によって構成されるだけではありません。それに加えて、語る者は、その真理を不承不承語る〔のではなく〕、それを自分が考えていることとして語る必要があります。……しかしそれでもまだ十分ではありません。……みなさんも覚えていらっしゃるとおり——私は昨年このことをかなり強調しておきました——パレーシアがあるためには、主体が、自分の意見、自分の考え、自分の信念として表明する真理を〔語る際に〕、ある種のリスクを冒す必要があります。パレーシアであるためには、真理を語る際に、相手に不愉快な思いをさせたり、相手をいらだたせたり、相手を怒らせたり、極端な暴力へと至ることもあるいくつかの行いを相手の側に引き起こしたりするリスクを開き、それを設定して、それに立ち向かうことが必要なのです。したがってそれは、暴力のリスクを冒す真理です。」

p18「したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。」
※これはパレーシア的ゲームとも呼ばれる。「真であるとして受け取る勇気」という表現は少々奇妙であるが。
p19 「したがってパレーシアは、語る者と彼が語る内容とのあいだに強力で必然的で構成的な絆を打ち立てますが、しかし、語る者と語りかけられる者との絆については、これをリスクのかたちで開きます。というのも、結局のところ、語りかけられる者は常に、語られる内容を受け取らないこともできるからです。彼は、それを不愉快に〔感じる〕かもしれないし、それを拒絶したり、しまいには自分に真理を語った者を処罰したり、その者に対して復讐したりするかもしれないということです。弁論術は、語る者と語られる内容とのあいだの絆を必要とせず、語られる内容とそれが差し向けられる者とのあいだの拘束的な絆、権力の絆の設定を目指します。これに対し、パレーシアは逆に、語る者と彼が語る内容とのあいだの強力で構成的な絆を必要とし、語る者と彼が語りかける相手とのあいだの絆が断ち切られる可能性を、真理の効果そのものによって、真理の不愉快さの効果によって開くのです。」

p25「彼(※ソクラテス)は、人間たちを呼び止め、彼らの袖をつかんで、彼らに質問しに行くというこの任務を、神から授かったのです。そして彼はこの任務を放棄したりしないでしょう。死に脅かされても、彼は自らの任務を最後まで、息が尽き果てるまで全うするでしょう。賢者が、沈黙を保ち、自分への質問に対してつましく、できるだけ少なく答えるのに対し、パレーシアステースの方は、際限なく、絶え間なく、耐え難いやり方で呼び止める者です。」
p33「技術における〈真なることを語ること〉の場合、教育が知の延命を保証するのに対し、パレーシアは、それを実践する者を死の危険に晒すということ。技術者と教師の〈真なることを語ること〉が、結合するもの、結びつけるものであるのに対し、パレーシアステースの〈真なることを語ること〉は、反感、争い、憎しみ、死のリスクを冒すものであるということです。」
※ここでいう「結合」は、「教える者は逆に、自分自身と、自分の話に耳を傾ける一人ないし複数の相手とのあいだにひとつの絆を結んだり、あるいはいずれにしてもそうした絆を結ぼうと希望したり欲望したりすることがあります。」(p32)と述べる時の絆に相当する。

p35ソクラテスは神からパレーシアステースとしての使命を授けられた
p37「私が思うに、ギリシア文化以来、真なることを語る主体は四つの可能な形態をとります。それが、預言者、賢者、技術者、パレーシアステースという形態です。」
p38「これに対し、中世キリスト教においては、それとは別のタイプの統合が見られるように私には思われます。それはすなわち、預言の方式とパレーシアの方式との統合です。未来について真理を語ること。そして、人間たちに対し、彼らがいかなる者であるのかについて真なることを語ること。これら二つの〔方式〕が、いくつかの〔タイプ〕の言説において、さらにはいくつかの制度においても、非常に特異なやり方で接近させられたのでした。」
p40「そして最後にパレーシアの方式については言えば、私が思うに、(近代において)それはそのものとしては消え去ってしまい、もはや、他の三つの方式のうちの一つに接ぎ木され、それを支えとしてしか見いだされることはありません。まず、革命的言説は、それが既存の社会に対する批判というかたちをとるとき、パレーシア的言説の役割を果たします。次に、哲学的言説は、人間の有限性に関する分析および反省として、そして知にかかわることであれ人間の有限性の限界をはみ出るかもしれないすべてのことに対する批判として、パレーシアの役割を少々果たします。そして最後に、科学的言説について言えば、それが先入観や既存の知や支配的制度や現在の振る舞い方に対する批判として展開されるとき――そして科学的言説はその発達そのものにおいてそれをなさないわけにはいきません――それは確かにパレーシア的役割を果たすのです。」
※この発言についてフーコーは「仮説とすら言えないような一貫性のない発言です」(p39)という留保を持って語っている。

p46「民主的都市国家としてその諸制度を誇りに思っていたアテナイは、語る権利、発言して真なることを語る権利と、その〈真なることを語ること〉の勇気を受け入れる可能性とが、他の場所よりも見事に実現されている都市国家であると自負していました。問い直されるのは、民主制一般のそうした自負、〔特に〕アテナイの民主制のそうした自負です。いわば価値が反転してしまい、民主制は逆に、パレーシア(〈真なることを語ること〉、自分の意見を述べる権利、他の人々の意見に逆らう勇気)が次第に不可能になっていく場所として、あるいはいずれにせよ次第に危険なものになっていく場所として現れるのです。」
※これは坂本秀夫の論理がそのままパレーシアの可能性を立証しているように思う。いわば価値の先取りが他の価値の排除に結びついているということ。これは民主制が悪いというよりも、その運用の問題といえる。
p46ー47「民主制において、パレーシアとは、一人ひとりが自分の意見を語り、自分の個人的な意思に適うことを語り、自分の関心ないし自分の情念を満足させることを語る気ままさのことです。したがって、民主制は、パレーシアが特権であると同時に義務であるようなものとして行使される場所ではありません。」

p52 「民主制における真なる言説の無力さは、もちろん、真なる言説に帰すべきものでも、言説が真であるという事実に帰すべきものでもありません。その無力さは、民主制の構造そのものに帰すべきものなのです。ではなぜ、民主制は、真なる言説と偽なる言説との分割を可能にしないのでしょうか。それは、民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができないからです。」
p55「しかし、多数派である以上、彼らは優れた人々であることもできない。なぜなら、優れた人々とは定義上、稀少な人々のことであるからだ。したがって多数派の人々は、多数派である以上、優れた人々ではなく、優れた人々ではない以上、劣悪な人々である。とすると、劣悪な人々である彼らが追求するのは、誰のためによいことだろうか。それは、都市国家における劣悪な人々のためによいことである。ところで、都市国家における劣悪な人々のために悪いこと、それは、都市国家にとって悪いことでもある。ここから(※アテナイの国制と呼ばれるテクストの)〔著者は〕次のように結論づけます。そのような都市国家においては、万人に対し、したがって劣悪な人々に対して、発言が許されなければならない、と。」
※これをやや詭弁的な論法としても、興味深く重要なものとフーコーはみる(p55ー56)。
p57-58 「別の言い方をするなら、都市国家が存在しうるため、救われうるためには、都市国家にはなにがしかの真理が必要であるということです。しかし、語る主体のあいだに差異を設けないことによって定義される政治的領野のなかでは、真理は語られえません。真理が語られうるのは、一つの分割のもとにしてしるしづけられ組織された政治的領野においてのみです。すなわち、真理が語られうるためには、多数派と少数派の分割でもあり、よき人々と悪しき人々、優れた人々と劣悪な人々との倫理的分割でもあるような、一つの分割が不可欠であるということです。それゆえに、<真なることを語ること>は、民主的なゲームにおいては自らの場を持ちえません。民主制は、<真なることを語ること>がそこから出発することによってのみ可能となるような倫理的分割を認めることも、それに場を与えることもできないからです。」

☆p75ー76「先ほどの問いは、民主制はなぜ、〈真なることを語ること〉の出現にとってかくも困難でかくも不確かでかくも危険な場所なのだろうか、というものでした。その本質的な理由、いわばその構造上の理由は、すでに見たとおりです。すなわちそれは、民主制の政治領野においては倫理的差異化に場を与えることができない、という理由でした。
 これに対し、君主に対する関係がパレーシアの場所でありうるのはいったいなぜでしょうか。定義上、君主が行使する権力は、無制限のもの、しばしば無法のものであり、したがってあらゆる暴力を振るうことのできるものであるというのに、それがパレーシアの場所でありうるのは――これまで民主制に関して見いだされたものと対称的で逆の理由です――、個人の魂として首長の魂(一人の個人のプシュケー)が、それ自体、倫理的差異化の可能性を持つものであるからです。つまり、道徳的形成および道徳的練り上げのおかげで、倫理的差異化が導入され、価値づけられ、具体化され、諸効果を産出できるようになるということであり、そのおかげで君主は、一方では真理に耳を傾けることができるようになり、他方では、その結果として、自分の権力を制限する術を学ぶようになるということです。〈真なることを語ること〉が、首長や君主や王との関係のうちに自らの場を持ちうるとすれば、それはただ――乱暴でおおざっぱな言い方をするなら――、彼らが一つの魂を持つからであり、その魂を説得したり教育したりすることが可能だからであり、真なる言説によって魂にエートスを教え込み、それによってその魂が真理に耳を傾けてその真理に従って自らを導きうるようにすることが可能だからなのです。」
※パレーシアの場に一つの法が必要。だが、パレーシアの場において法がどう変化するかについて直接言及はない、という解釈でいいのか?しかし、これを逆手にとると、一種の権力関係がなければならない、と言っているように読めなくもない。もしくは、パレーシアという領域自体が存在しないのは、倫理的領域がまさに法的領域、制度としての政治的領域に取って代わってしまったからではないか、ともいえないか?であれば、パレーシアは一応倫理的領域に完結するものと位置付く、といってよいかもしれない。しかし、それを現代に復活させるという問題は、この法的領域において、致命的な問題を孕むのではないか。
なお、「政治的ないし制度的言説」(p82)という言葉に見られるように、フーコーにとっても政治と制度は近いものと位置づいていると言ってよいだろう。

p79-80 「民主制のケースにおいて、パレーシアが受け入れられることも開かれることもなく、たとえパレーシアを用いる勇気を持つ者がいたとしてもその者は敬われるよりもむしろ除去されていたのは、まさしく、民主制の構造が、倫理的差異化を認めてそれに場を与えることを許さなかったからでした。民主制において真理が場を持たず、真理に対して耳が傾けられえないのは、民主制においてはエートスのための場が不在であるからです。反対に、〔専制的〕統治のケースにおいてパレーシアが可能であり有用であるのは、民主のエートスが君主による原則であり母型であるからです。」
p80「パレーシアが差し向けられるこの相手、パレーシアがその諸効果を得るこの領域、それが、個人のプシュケー(魂)です。強調すべき第一の点、それは、したがって、パレーシアの本質的な相関物が、ポリスからプシュケーへと移行するということです。」

p89「ソクラテスは、真なることを語る勇気を持つ者、真なることを語るために死のリスクを受け入れる者ですが、しかし、アイロニカルな問いかけのゲームのなかで魂を試練にかけることによってそれを行う者なのです。」
p91「しかし、彼らは非常に巧妙に語るので、彼らは私に対し、ほとんど「私がいかなる者であるのかを忘れる」に至らしめほどである。彼らによって、私はほとんど私自身についての記憶を失ってしまったのだと。」
p100 「ソクラテスに対してそうした勧告を向ける声、というよりもむしろ、政治の形態において語る可能性から彼を引き離すあの声は、政治的な<真なることを語ること>に向き合うものとして、もう一つ別の<真なることを語ること>、つまり哲学の<真なることを語ること>の創設をしるしづけるのです。」
ソクラテスが政治的な場で語らなかったのは、彼に勇気がなかったからではない。彼がその言明によって死んでしまえば、「彼は、他の人々および自分自身に対して、貴重で有用であるためにある種の関係を打ち立てることができなかった」だろうから(p99)。ソクラテスが政治から離れたのは、他者への配慮の問題をそこに内包し始めたから、といってもよいだろう。自己への配慮から他者への配慮へ。ところで、有用な関係とは何なのか??

p106 「その使命の目標、それはもちろん、他の人々の対して休みなく気を配ること、あたかも自分が彼らの父親もしくは彼らの兄であるかのように彼らに専心することです。しかしそれは何を得るためでしょうか。それは、彼らを、その財産や評判や名誉や責務ではなく、彼ら自身に専心するように仕向けるため、つまり、彼らを、彼ら自身の思慮、真理、彼ら自身の魂に専心するよう仕向けるためです。」
p111「したがって、ソクラテスは、『弁明』のテクストのなかで、結局のところ二つのことをやっていることがおわかりいただけるでしょう。それを要約すると次のようになります。第一に、自分自身の〈真なることを語ること〉を、自分の周りで出会うことのできる〈真なることを語ること〉の他の三つの大きな〔方式〕(預言、知恵、教育)から区別すること。そして第二に、すでにみなさんにご説明したとおり、そのような形態の真理陳述、パレーシアにおいては、勇気が必要であると示すことです。」
※しかしこれを単純化すると、それら三つの要素の否定によって、パレーシアの領域が成り立つこと、いや、否定なくしてパレーシアが成り立たない可能性である。

p157 「通常見いだされるもの、そして西欧的反省の最も大きな表面を占めてきたもの、それは、主体の純粋さないし主体の純化の問題というかたちでの、真理をめぐる倫理の問題です。」
p157−158 「しかし、浄化は〔真理をめぐる倫理の〕一つの側面でしかありません。そこには、もう一つ別の側面があって、それが、真理の勇気という側面です。すなわち、真理に到達するために、いかなるタイプの決意、いかなるタイプの意思、いかなるタイプの犠牲さらには闘いに身を投じることができるだろうか、というわけです。」

p181 「確かに、ここでも依然として自己について説明することが要求されています。しかし実際には、全く別のことが問題になっているのであり、この後の展開が我々にそれをはっきりと示してくれます。……彼に対して求められるのは、自分自身について説明すること、つまり、彼自身とロゴス(理)とのあいだにどのような関係があるのかを示すことです。あなたとロゴスはどうなっているのか。あなたはあなた自身に関して理を、ロゴスを示すことができるのか。問題は、力量でもなければ技術でもなく、教師でも作品でもありません。では何が問題なのでしょうか。問題は——テクストは少し後でそれを語っています——人が生きるやり方なのです。」
p181ー182「では『ラケス』において、自分自身について説明しなければならない、と言われるとき、この自己自身とは誰のことでしょうか。……それは、魂ではなく、人の生きるやり方(あなたは今をどのように生きており、過去の生をどのように生きたのか)です。生存というこの領域、生存のやり方、生のトポスというこの領域こそが、ソクラテスの言説とパレーシアが行使される領野を構成することになるのです。したがってそれは、技術的教育におけるような合理性の鎖でもなければ、魂の存在論的存在様式でもありません。それは、生のスタイルであり、生き方であり、生に与えられる形式そのものなのです。」
p182 「そうではなくて、ここで問題になっているのは、試金石と呼ばれるものに自分の生を委ねること、つまり、生存のなかでなされたよき行いと悪しき行いとの区別を可能にする自分の生を委ねることです。」

☆p183 「というのも、技術的力量が、生のなかでいったん獲得されてしまえば後はそれを組織しそれをかたちにするための原則のようなものとして一生涯にわたって身を委ねざるをえない何かであるからです。したがってここで構成され、定義されるのは、おわかりいただけるとおり、パレーシアのある種の実践であり、一人の教師から彼が教育する人々への技術的知の伝達からは今や大きくかけ離れてしまった真理陳述のある種の様式です。この真理陳述においては、ソクラテスとのあいだにある種の関係が設立すること、生存の全体にわたる生の試練とその吟味を支えるある種の関係を設立することが問題となるのです。」

p188 「パレーシア的ゲームを受け入れたラケスとニキアスに対し、彼らが自分たちの生き方を説明できるかどうかを知ろうとして問いかけながら、ソクラテスはもちろん、次のように質問します。勇気とは何か。実際に勇気ある人々であるあなた方は、あなた方自身の行動様式、あなた方自身の生き方について説明することができるだろうか、と。そしてまずラケスが、次いでニキアスが、これに答えようと努力しますが、二人とも失敗に終わります。」
※この失敗は、場合によってはニーチェ的な「NO」が入るのだろう…
p188ー189「しかし、提起された問題を自分たちで解決できなかったことについて彼らが確認するまさにそのとき、対話は失敗とその確認だけで終わるのではありません。私が思うに、テクストの末尾そのものに現れる対話のなかで何かが起こったのであり、そしてそれによって、議論を通じて出会った障害、勇気とは何かを定義しようとする努力のなかで出会った障害すべてのなかに、決定的な袋小路を見ることが妨げられます。」
※その対話が導く先には三つの結論、およびその重ね合わせがあるという(p189)
p188-189 対話は失敗とその確認だけでは終わらない…それにより実際に何が起こったか、そして対話が導く先に何があったかは3つの結論の中に、それら3つの結論の重ね合わせの中に発見せねばならない。
※この3つの結論は若干わかりづらいが、「ソクラテスの話相手が自ら引くこと」「我々を専心させるソクラテスに教えを請うべきだとすること」「ソクラテスもまた教師を求め、自分と若者たちを同時に気を配ること」の3つか。
p190 「結局のところ、ニキアスやラケスと同様に私(※ソクラテス)もまた勇気を定義することができなかった以上、私は本当に他の人々に専心することのできる者ではない。そして、全員が失敗したわけだから、私たちはこれから一人の教師を探さねばなるまい。そして、と彼は付け加えていいます。そのために出費を控えたり、学び直すのを恥ずかしがったりしてはならない、と。」

☆p191 「ソクラテスが他の人々と同じ立場にあるのは明らかです。真の教師は学校教師ではなくロゴスである以上、ソクラテスは、他の人々と同様、その教師の教えに耳を傾けなければなりません。そして彼は、自分自身に専心し、それと同時に他の人々に専心しなければなりません。とはいえ、おわかりいただけるとおり、彼は当然ながら特権的な立場にあります。……したがって、ソクラテスが教師の役割を拒絶する、とは、彼が、自分の生徒たちに教えを伝達できる者としてのテクネーの教師の役割を拒絶する、という意味です。彼は、教師のそうした立場に身を置こうと望まないということであり、この観点において彼は、他の人々と正確に同じ立場にあります。」
ジラール的な悪。

☆P200「そしてこのように、身体と存在論的に区別される存在論的に区別される現実としての自己が、自分自身を熟視する可能性およびその倫理的義務を持つプシュケーという形態のことで創設されることによって、<真なることを語ること>の一つの様式がもたらされます。すなわち、そうした自己の創設によって、魂をそれ自身の存在様式およびそれ自身の世界へと連れ戻すことをその役割、その目的とするような、真理陳述の一つの様式がもたらされるということです。ソクラテスのこの真理陳述、自己への配慮という繰り返し現れる共通の根本的テーマから出発して『アルキビアデス』のなかで展開されているこの真理陳述は、後に形而上学の言説の場となるものを指し示し、ある程度までそれを限定しています。そうした場において、形而上学の言説は、人間に対し、その存在について事情はどうであるか、人間の存在のその存在論的基礎〔から〕倫理および行動の諸規則にかかわるものとして何が生じるのかということを語らねばならなくなるのです。」
p202「『アルキビアデス』と『ラケス』を突き合わせることによって、ここに見られるのは、西欧哲学を通じてソクラテス的真理陳述の発達が辿る二つの大きな道筋の出発点です。ディドナイ・ロゴン(自己自身を説明すること)という基本的かつ根本的な共通のテーマから出発して、〔第一の〕道筋は魂の存在へと向かい、もう一つの道筋は生存の諸形式へと向かいます。一方は魂の形而上学へ、他方は生存のスタイル論へと向かうということです。……「魂の存在」と「生存のスタイル」とのあいだのこうした二元性のなかに、西欧哲学にとって重要な何かがしるしづけられているように、私には思われるのです。」
p203「主体性の歴史のこちらの側面全体はもちろん、長いあいだ、形而上学の歴史、プシュケーの歴史などと呼びうるものによって覆い隠され、支配されてきました。つまり、生を一つの美学的形式の対象として構成するものとしての主体性に関する歴史研究が、魂の存在論が創設され打ち立てられたやり方に関する歴史研究によって覆い隠されてきたということです。」
※魂の存在論の問題を純粋模倣の問題と読み替えることは可能か??

p216 「『アルキビアデス』のうちに見いだされたソクラテスの手続きの全体は、自己自身への配慮から出発して、ラディカルに分離される魂の存在そのものがいったいどのようなものであるかを定義しようとしていました。これに対し、キュニコス主義には、生そのものを還元するためのそれとは逆の操作があります。つまりそこには、生を生自身へと還元しようとする操作、生が真理においてそうであるものへ、キュニコス主義的生の身振りそのもののなかで明るみに出されるものへと、生を還元しようとする操作があるということです。」
☆p227「キュニコス主義は常に、一種の個人主義、一種の自己の肯定として提示されているということがあります。……〔しかし〕、キュニコス主義についての分析を個人主義というテーマを軸にして行うとき、〔その〕根本的な次元のうちの一つであると私には思われるものを取り逃してしまうおそれが生じます。つまり、生存の諸形式と真理の表明とを関係づけるという問題、キュニコス主義の核心にあるこの問題が、見逃されてしまうおそれが生じます。」

p278 「ロゴス・アレーテース(※真理の理性)、それは、第一に、そこでは何一つ隠蔽されていないような語り方です。それは第二に、そこでは偽なるものや臆見や外見が真なるものに混じりあうことのないような語り方です。それは〔第三に〕、まっすぐな言説、諸規則や法に合致している言説のことです。そして最後に、アレーテース・ロゴスとは、同一にとどまり、変化せず、堕落や変質もなく、打ち負かされることも覆されることも反駁されることも決してないような言説のことです。」
※真理(アレーテイア)には、このような4つの性質があったとフーコーは述べる。
p285「最後に、プラトンにおけるビオス•アレーテース、アレーティノス•ビオスという表現の第四の意味、第四の価値について。それはすなわち、真の生は、混乱、変化、堕落、転落を免れる生であり、自らの存在の同一性のなかで変容なしに自らを維持する生であるということです。そして、生の生自身に対するそうした同一性は、生に対し、変質をもたらすあらゆる要素免れさせ、自由と幸福とを保証します。」
※この同一性の問題は、問題含みである。

☆P300「すなわち、<存在>の問題が確かに、西欧哲学によって忘却されたものであり、その忘却によって形而上学が可能になったものであるとすれば、おそらく哲学的生の問題もやはり、忘却されたわけではないとしても、絶えずなおざりにされてきたのだ、と。哲学的生の問題は、哲学、哲学的実践、哲学的言説に対し、それらが科学的モデルに準拠するようになるにつれて絶えず余分なものとして現れてきました。……
 こうした見地から言って、古代哲学の特殊な形象であるばかりでなく西欧の歴史全体を通じて繰り返し現れる態度でもあるキュニコス主義は、スキャンダルという形態〔のもとで〕、有無を言わせず哲学的生の問題を提起します。……以上が、私がキュニコス主義に関心を抱く理由であり、私がキュニコス主義によって標定を試みたいと考えているところです。」
※「西欧哲学」というカテゴリーを用いてここで断定を避けるような口調になっているのは、おそらくソクラテス的パレーシアの議論の系譜も西欧哲学に位置づくことを念頭に入れてのことだろう。
p303「しかし、かくも一般的でかくもありふれたものであるこれら四つの原則、ソクラテスストア派あるいはエピクロス派のうちにさえ見いだされるこれらの原則に、キュニコス派は第五の原則をつけくわえました。最初の四つの原則とは非常に異なっており、キュニコス派に特有のものであり、特徴的なものであるその原則とは、私が前回の講義の最後に述べた原則のことです。それはすなわち、「パラカッテイン•ト•ノミスマ」(貨幣の価値を変質させ、変化させること)が必要であるという原則です。」
※四つの原則とは、「哲学は、生への準備であること」「自己自身への専心を含むこと」「生存のため有用なことのみを研究すること」「自らの生を自分が述べている方針に合致させること」(p301ー303)。そしてこの原則は「キュニコス派の最も根本的で最も特徴的な原則であるとさえみなされている」という(p305)。

☆p311ー312「配慮すべきこの「私」、この「自己」とはいったい何か。『アルキビアデス』のなかで出会ったのはこうした問いであり、ここから対話は、専心すべきは魂であり、熟視すべきは魂である、ということの発見へと導かれたのでした。では、自分自身を熟視する魂の鏡のうちに何が発見されたのでしょうか。そこに発見されたのは、真理の純粋な世界、真理の世界であり熱望すべき世界であるものとしての別の世界でした。そしてその限りにおいて、『アルキビアデス』は、自己の配慮から出発しつつ、魂および魂による魂自身の熟視を通じて、他界の原則を確かに創設したのであり、西欧形而上学の起源をしるしづけたのです。
他方、やはりその自己への配慮から出発しながらも、今度はもはや『アルキビアデス』ではなく、『ラケス』をその出発点としつつ、自己への配慮は、私が専心すべき存在とはその現実およびその真理においていったい何であるか、という問いではなく、その配慮とはいかなるものであるべきか、自己に配慮すると称する生はいかなるものであるべきか、という問いへと導きます。そしてそこから出発して始まるのは、他界の動きではありません。そうではなくて、ここに始まるのは、自己に配慮する生の形式、自分自身が真理においていかなるものでありうるかということに配慮する生の形式が、他のあらゆる生の形式との関係においていったいどのようなものでなければならないかということについての問いかけなのです。」
p313「グノーシス主義の運動およびキリスト教においては、別の生、断絶した生、修徳の生、〔通常の〕生存と共通の尺度を持たない生を、他界に接近するための条件として思考しようという試みがなされたのでした。……他界へと至るために同じ生を送ること。これが、プロテスタンティズムの標語です。そしてそのとき以来、キリスト教は近代的なものとなったのです。」
※「自己への配慮」がある意味で「生」から離れることによって「他界」に接近する方法をとったということか。

p322「このように誇大化されたキュニコス派の哲学的生は、非―隠蔽という一般的テーマを展開しながらも、それを取り決めにもとづいた原則のすべてから解放します。その結果、哲学的生は、他のあらゆる形式の生とはラディカルに別の生として現れるのです。」
p325「これに対し、キュニコス主義的貧しさはもちろん、物質的で身体的な実際の貧しさです。キュニコス主義的貧しさ、それは、現実的な貧しさであり、能動的な貧しさであり、際限のない貧しさです。」
p326「自分は余分なもののすべてから自由なのだと考えてそこで立ち止まることをしない、という意味です。自分は余計なもののすべてから自由なのだと考えてそこで立ち止まる代わりに、キュニコス主義的貧しさは、常にさらなる簡素化が可能ではないかと探し求めます。」

☆p331「そのゲームのなかでキュニコス派は、最も不名誉な役割を演じるまさにそのときに、自らの模倣と自らの優越を価値づけます。キュニコス主義の傲慢は、そうした試練を拠り所とするということ、キュニコス派は、そうした屈従の試練を通じて、自らの主権、自らの統御を確立するということであり、これに対し、キリスト教の屈従、というよりもキリスト教の謙遜の方は、自己自身の放棄なのです。」
ジジェクの法の従属に対する態度によく似ている。もっとも、ここでのキュニコス派キリスト教の関係は「はるかによく練り上げ」た議論が必要だとフーコーは言う(p331)。
p334「(※キュニコス派において)動物性はポジティヴな価値を担い、行動様式のモデルとなります。つまりそれは、動物がなしで済ますことのできるものを人間存在が欲求してはならないという考えにもとづく物質的モデルとなるということです。」

p340 「裸の生、物乞いする生、獣的な生。あるいは、慎みを欠いた生、簡素化された生、動物の生。こうしたすべてが、キュニコス派とともに、古代哲学の限界に出現します。ある意味でそれは、古代哲学が思考するのに慣れていたものの最も近くに出現する、とも言えます。なぜなら、それらすべてのテーマは、結局のところ、古代哲学にとってかなりありふれたいくつかの原則の継続および拡大適用にすぎないからです。キュニコス主義は結局、全くありきたりのいくつかのテーマが収束する地点として現れます。そしてそれと同時に、恥知らずの生、不名誉な生、動物的な生といった、別の生のそうした形象は、古代哲学、古代思想、古代倫理、古代文化の全体にとって、受け入れるのが最も困難なものでもあります。キュニコス主義は、したがって、哲学が自分自身に対してつくる渋面のようなものであり、哲学者がそこに自分を見ながら自分を認めるのを拒否するよう導かれる鏡のようなものなのです。以上が、私が明らかにしようと試みたとおり、キュニコス主義的生の逆説です。キュニコス主義的生は、真の生の成就ですが、しかし、ラディカルに別の生の要請としての真の生の成就なのです。」

p374 エピクテトスキュニコス的生を企てたい者に語る…「まず、君個人にかかわることについては、今の君のやり方で行動するのをやめ、神も人間も非難しないようにしなければならない。君は、自分の欲望を完全に捨て去り、君に依存するもののみを避けるよう努め、怒りも妬みも哀れみも抱かないようにしなければならない。」
p376「キュニコス派は、その真理におけるキュニコス主義的生の試練のなかで、つまり、隠蔽されざる生、依存なき生、善と悪との分割をやり直したり壊したりする生の試練のなかで、いわば自分一人で自分をキュニコス派と認めるのです。」
p380「では、キュニコス派はなぜ結婚してはならないのか。それは、自分の夫婦生活に専心しなければならなくなったとしたら、息子の湯浴みのために湯を沸かしたり、身ごもった妻に毛織物を与えたり、養父に仕えたり、家族全員に生活の糧を与えたりすることが必要となるであろうからだ。ところで、キュニコス派が「自分の気を散らすかもしれぬすべてのものから自由なままに」とどまる必要があるということ、これは明らかなことである。キュニコス派は、「全面的に神に仕え、人々に加わりながら私的に義務につなぎ止められないように」する必要がある、と。そしてキュニコス派はこのとき、その惨めさ、その窮乏、その家や祖国の欠如を、彼が授かったポジティヴな使命をポジティヴなやり方で実行できるための条件そのものとする者として現れます。あらゆるものから自由であり自分のあらゆる感情の動きから自由であるキュニコス派は、このとき、人間の眠りに気を配る普遍的な夜警のような者として現れるのです。普遍的な夜警として、キュニコス派は、他のすべての人々、結婚しているすべての人々、子を持つすべての人々に気を配らなければならない。キュニコス派は、誰が妻を大事にしており誰がそうしていないかを観察しなければならず、「その人々のあいだにもめ事が起こっているのか、どの家が平穏を享受しておりどの家がそれを享受していないのか」を見なければならない。キュニコス派は「医師のように巡回し、皆の脈をとる」必要があるのだ、というわけです。」
キュニコス派と他者の違いについては、どう考えるべきなのだろうか…??
p381「キュニコス派は、人間一般に仕える者であり、倫理的普遍性に仕える者なのです。そしてその人物が、家族の絆、祖国の絆、市民の政治的責任の絆のようなあらゆる個別的な絆からの離脱を要求され、そこから実際に逃れるとすれば、それは、倫理的普遍性にかかわる大いなる任務を果たすことができるようになるために他なりません。その倫理的普遍性とは、一つの集団の政治的普遍性のことではなく、あらゆる人間の普遍性のことです。」

p391 「この一節のなかで、エピクテトスは次のように語ります。キュニコス派は過度の惨めさ、過度の汚さ、過度の醜さを避けねばならないだろう。なぜなら、真理は、人を惹きつけるべきもの、人を納得させるために役立つべきものであるからだ。真理がそのように人を説得するものでなければならないのに対し、汚さ、醜さ、下劣さは、人を押し返すものである。キュニコス派は、いわば、その身体の簡素化においてのみならずその清潔さにおいて、人を惹きつける真理の可視的な形象のようなものでなければならないのだ、と。」
※ミメーシスにおける美とも関連するか。
p393 「自己の測定であると同時に、自己に対する警戒であること。自己に対する警戒であること。自分自身の能力の見積もりであると同時に、自らの表象の流れへの絶え間のない視線であること。これが、キュニコス派のあるべき姿です。」
※結局「真理の理性」における3つの原則が、最後の1つの原則と矛盾する関係があるということ、もしくは緊張関係があるということ。
p394「キュニコス派は、したがって、他の人々が何に配慮しているのかを知るためにその人々に配慮しつつ、それと同時にそしてまさにそれによって、自分自身に配慮する者なのです。」
p396 「ところで、みなさんも覚えていらっしゃるとおり、キュニコス主義の原則はまさしく、真の生は別の生である、というものです。……真の生がありうるのは、別の生としてのみであるということ。そしてこの別の生の観点から、普通の人々の普通の生が、真の生とは全く別のものとして明るみに出されることになります。」
p397 「キュニコス主義的真理陳述は、したがって、キュニコス主義的生を送っていないすべての人間に対し、本当の生存へつながる生存形式へと立ち返るよう勧告することをその任務とします。別の生存、つまり道を誤っている生存ではなく、同じ生存、つまり真理に忠実な生存が目指されるのです。」

☆p398「そしてキュニコス主義的生を特徴づけるそうした真理の実践は、ただ単に、世界がその真理においていかなるものであるかを語りそれを示すことのみを目標にしているのではありません。そうした真理の実践には、さらなる目標、しかもその最終的な目標があります。その目標とはすなわち、世界が自らの真の姿に到達するためには、人が自己に対して持つ関係における完全な変化と変質が不可欠である、と示すことです。そして、こうした自己の自己への回帰、こうした自己への配慮のなかにこそ、キュニコス主義によって約束されたあの別の世界への移行の原理が見出せるのです。」
p399-400「私はおそらく来年――まだ何も決め手おらずにどうなるかわからないので請け合うことはできませんが――このテーマについての探究を少々継続することになるでしょう。私はおそらく、生きる技法について、生の形式としての哲学について、真理との関係における修練=修徳主義についての歴史研究を、まさしく古代哲学以後の時代、キリスト教の時代に関して続けることになるでしょう。」
p401「食事を減らし、自分が食べるもの、自分が飲むものを減らして、最小の対価と最小の依存によって最大限の快楽を与える最低限の食べ物と飲み物に限定すること、これが結局、キュニコス主義において追求されていたことでした。これに対し、キリスト教徒とともに、それとはやはり異なる何かが現れます。そこには、限界を追求しなければならないという同じ考えがありますが、しかしその限界は、最大限の快楽と最小限の手段との均衡地点にあるのでは全くありません。そこでは逆に、あらゆるものが制限され、食べ物も飲み物も決してそれ自体いかなる形態の快楽も引き起こさないものとされるでしょう。したがって、一つの連続性と、ある種の極端化があるということです。」
※一つの連続性、ある種の極端化はキリスト教キュニコス派の関係性を指す。

☆p404「キリスト教修徳主義は、もちろんさらなる検討が必要ないくつかの歴史的プロセスを通じて、プラトン形而上学を、歴史的かつ批判的な世界の見方および経験とつなぎ合わせるに至ったのです。」
キュニコス派が強調していた変化、「実際の」別の生の問題が、プラトン的な形而上的な、「理念的な」他界への到達の問題と結びついたのではないか、といいたいのではなかろうか。
p404 「真の生としての別の生という原則が、この世における他者への服従と、もう一つの生における他界への到達とに結びつけられるということ。プラトン的な要素と、文字通りキリスト教的ないしユダヤキリスト教的なもう一つの別の要素とが互いに結びつけられるということ。このことこそが、キュニコス主義的修練主義に二つの大きな屈折をもたらし、そのキュニコス主義的形態からキリスト教的形態への移行をもたらすことになるのです。」
※別の生が自己との関係であるというよりかは別の世界として結びつく。

p411 「したがって、こう言ってよければ、パレーシアが位置づけられるのはもはや、個人と他の人々との関係、勇気を持つ者と間違いを犯している人々との関係という〔水平〕軸の上ではありません。パレーシアは、以後、神との関係という垂直軸の上に位置づけられます。」
p412 「したがって、おわかりいただけるとおり、パレーシアはもはや、勇気と危険を伴う<真なることを語ること>、間違いを犯している人々に対する大胆さを備える者の<真なることを語ること>では全くありません。ここでのパレーシアとは、心と魂が神のもとへと自らを高めつつ、神を把握し、いわば神から利益を得て、神の浄福の原理を感じ取るように至るような動きのことであり、それをもたらす心の開示のことです。」
※他者から神への昇華。
p414「それはもはや、間違いを犯している他の人々を前にした孤独な人間の勇気ではありません。そうではなくて、それは神のもとへともたらされる人間の至福、浄福です。そして神は、神へと向かう人間のその動きに対し、自らの全善ないし自らの権能を表現し表明することによって答えるのです。」

☆p419「おわかりいただけるとおり、パレーシアという語は、それが殉教に至るまで表明されうる真理の勇気である限りにおいて、他の人々との関係においてポジティヴな価値を持つものとして現れています。ただしこの真理の勇気は、神との信頼関係のうちにそれを定着させ根付かせない限り持ちえないものです。つまり、神の最も近くに我々を置く信頼関係、少なくともある程度まで人間のその創造主との本来の向かい合いを思い出させるような一種の向かい合いのなかに我々を置く信頼関係が必要とされるということです。」
※この辺りに、フーコーの、キリスト教に端を発したであろう個人主義への批判がはっきりと見て取れるように思える。
p420「こうした構造の発達と同時に、神との関係は服従によって媒介されることで初めて可能になるというテーマは、その条件かつその結果として、次のような考えをもたらすことになります。それはすなわち、個人は、自己自身によって救いに値するように生きることができないという考え、個人は、その本来の生存を特徴づけるものとされていた神との差し向かい、神との向かい合いを、自分自身では再び見いだすことができないという考えです。」
※結果的に、「人間が救いに値するように生きることができるのは、自分を放棄し、服従の一般的原則を実行に移すことによってのみであろう」という発想に至るという仮説を唱える(p421)。
p421「信頼としてのパレーシアは、神への畏敬の原則に対して無縁のものです。それは、世界および世界の事物から遠ざかろうとする感情、必要とその感情に対立します。パレーシアは、今や自分自身に注がねばならない厳しい視線とは両立しないものとして姿を現すのです。」

p423 「以上がパレーシアの特徴です。すなわち、神を恐れぬこと(※死のことも、罰のことも考えない)、自己に対して不信を抱かぬこと(※自己への配慮の欠如)、世界に対して不信を抱かぬこと(※他の人々のただなかで生き、人々が行うことや語ることを受け入れる習慣)です。パレーシアとは、傲慢な信頼のことなのです。」
p424 のちのキリスト教的経験の2つの核・軸…「これは、真理との関係が、神との向かい合いというかたちで、そして、神の愛の発露に答える人間の信頼というかたちで打ち立てられるような極のことです。このパレーシア的な極は、キリスト教の大いなる神秘主義的伝統の起源にあったものであると私には思われます。」
p425 「反パレーシア的な極、パレーシアならざる極、修得主義的な極のそうした発達とともに、以後、真理の認識と自己の真理とのあいだの諸関係をめぐる問題は、真理本位の生存であると同時に自己についての真理を認識できる生存でもあるような別の生存の完全なる形態をもはやとりえないでしょう。以後、自己認識は、魂の浄化のための、したがって、ついに神との信頼関係に達することができるようになるための、根本的な諸条件のうちの一つとなり、さらには前提条件とさえなるでしょう。自己に関してそうした真理の解読を実践しておくという前提条件を満たさない限り、真の生に到達することはないだろう、というわけです。」

p427「そしてその実践が目的とするのは、一つのエートスを構成すること、つまり、ある種の合理的な諸原則に合致し、非依存として理解された自由の行使を基礎づけるような、存在の仕方、振る舞い方、行動の仕方を構成することである。」
p428「このような言い方をすることによって、確かに私は、キュニコス主義に対し、古代倫理における本質的な位置を与え、少なくともある観点から見れば周縁的で境界的なものにとどまるキュニコス主義を、絶対的な中心的形象としているように見えるだろう。
 しかし実際には、キュニコス主義によって私はただ、自己への配慮と真理の勇気にかかわるテーマがそのあいだで繰り広げられる二つの境界のうちの一つを探索したいと思ったにすぎない。」
p429「しかし、最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。」
※ここにおける他者の役割は本質的といえるのか?