久徳重盛「母原病」(1979)

 今回は前回に続き、広田文献で予告した久徳重盛を取りあげます。
 私の手に取った本は1981年10月で55刷のものですが、当時のベストセラーになった本でもあります。本書の主張がそのまま受け入れられたというには、非常に極端な内容も含んでおりますが、反響は大きく、その意味で当時の社会状況を一定程度説明し、かつそれなりの影響力を持った著書とみるのは大きな問題とならないでしょう。


(読書ノート)
p2ー3「さらに私の心を暗くするのは、文明時代の不健康児が生まれる原因のほぼ一00%が、親が子どもに、幼児期から心も体もたくましく育てることができなかったことにあるということです。」
p3「文明時代の子どもの病気、不健康、異常というのは、重症ぜんそくや自殺、家庭内暴力といった極端な例ばかりではありません。軽い程度の甘えやぐず、カゼをひきやすいなども、すべてそうなのです。いずれも親の育て方のまずさに原因があるわけで、私の心が病むのもそこにあります。」

p5「医学的にいえば、それは母原病であり、親の育て方に原因があるということはすでにわかっています。ところが、それにもかかわらず、子どもの間にふえた病気や非行・自殺などについて、医者だけでなく、教育者も心理学者も社会学者も、ほとんどその理由をつかむことができずに、「理由のない病気o異常」などといっているのが、わが国の現状なのです。」

p20「ところが文明病は、育て方や育つ環境が異常になったために心と体のたくましさがなくなり、心身の機能失調をきたすとか、人間性にひずみを生じるなど、一個の人間全体の病気なのです。」

p33「そして、母原病を治すには、病原体である母親をまず指導しなければならないことも理解していただけたと思います。お母さんの育児態度が正しい方向に変われば、子どもの病気もみごとに完治します。」
p33ー34「親が育児に自信がなく、不安で、わが子を病弱な子だと信じ込んでいるとします。そして主治医の休診日に「今日、もしも子どもが発病したらどうしよう」と不安になると、生後数ヶ月の赤ちゃんでも親の不安を敏感にキャッチして発熱することがしばしばあります。これなどは母原病の最も単純なタイプだといえますが、ほとんどの場合は医者にカゼと誤診され、症状をますます悪化させることになります。」
※親の育児不安は模倣されることが母原病の典型的要因と見ている。これが仮に正しいとしても、文明病とみなすのは明らかな誤り。

p34「これまでの私の臨床経験からいって、現代の子どもの異常の六0%はその母親の育児が原因となった病気や異常、つまり母原病で、伝染病などが原因のものは四0%にすぎません。したがって、現代では、何か子どもに異常や病気があらわれたら、一度は親自身が原因ではないかと疑ってみる必要すらあるのです。」
※p2ー3の記述と矛盾?
p38「このように、自律神経が狂ったためにかかるカゼを、私は「文明カゼ」と呼んでいます。最近やウィルスの感染症のカゼとはまったく種類が違うので注意していただきたいのです。というのは、文明カゼは母原病で、母親の育児方法ぬこそ原因があるので、いくら薬を飲んでも治らないからです。最近の子どものカゼのうち約七0%が文明カゼだということを考えると、母親の育児の方法がいかにまずいか、母親の育児本能がいかに壊されてきているかを思わずにはおれません。」
※すべてに共通するが、久徳の言うことが本当かどうかは、統計学的な証明を受ける必要がある。彼のいう%は全て主観。

p45「母乳の出方が近年著しく低下しているのも、わが国が高度文明化社会に変質したための、そのあおりだと考えられます。社会構造が、母乳の出にくいような形態に移行したのです。つまり、母乳が出なくなってしまったのも、お母さんたちの「文明病」といえるのです。母親自身の育児本能を無意識のうちに阻害する要因が社会的な規模でふえてきているといってよいでしょう。」
p49「このころまでに、子どもの脳に初期体験として「なつかしい母親」という意識を焼きつけることが大切です。この「刷り込み」がうまくできていない場合、後年になってから母原病の素地がつくられることになります。
p50「したがって、この時期に親以外の人が養育し、母子関係がうすれてしまうのは、0歳児のときと同様に極めて危険です。母子関係が極端にうすれると、子どもは自閉症になったり親から平気で離れてしまったりします。」
p53「樹木でも各段階によって水のやり方や剪定の方法が異なるように、親も子どもの成長段階に適した対応を要求されるわけです。その点さえうまくいけば、母原病などという病気は、恐れるに足りないといえましょう。」

p62「このようにいうと、お母さんの責任だけが問われるかのように思われるかもしれません。ところがそのお母さんにしても、文明の進歩や教育、家庭のあり方が変わったことの影響を強く受けており、ある意味ではその犠牲者だともいえるわけです。母原病の病巣は、お母さんよりもっと大きなもののなかにあるのです。」
※…と述べるにも関わらず、対策を親にしか求めるべきとしない態度は、もはや親のみが問題であると言っていることと何ら変わらないだろう。明らかな自己矛盾。

p62ー63「私は子どもの文明病、とりわけ気管支ぜんそくなどの研究を通じ、わが国が、なぜわずか二0〜三0年という短い年数の間に、これほど急速に、しかも同じように母親の育児が下手になってしまったのかという問題に取り組んできました。このような傾向があるからには、親や家庭をダメにしてしまう「目に見えない力」がどこかに働いたと考えられます。」
※この原因を高度経済成長に見出している(p63)。

p63ー64経済的に貧しい社会では父権主義となり、豊かな社会になると母権主義となる
※節約から浪費、団結から反抗・反発、地域社会の絆が弱くなり、大家族制度が崩壊するという(p64)。この見方はにわか社会学者をさらに極端にした印象。もしかして、意識の問題に還元しているから、社会自体が問題とされないのか?

p68母原病は、文明病のひとつ
p73小児ぜんそくは、二0年前に比べ四倍近く増え、文明病の代表のようにいわれる
p75「ですから、ぜんそくは「心の病」といえる一面をもっています。子どもの心の病ーーそれは、多くはお母さんの誤った育児の積み重ねによりますので、「母原病」の一つでもあるのです。実際に、私の診たぜんそくの子で、重症の子ほど母原病の傾向が強かったと言い切れます。」

p87「世の中が便利になる。すると、親の育児を行う脳の調子が乱れてくる。そして、母原病の子どもが多くなる。これが、文明の進歩したわが国の図式なのです。」
p105ー106「親が人間的に未熟で、自己中心的で、本人が病原体なのに、自分は悪くなくて、悪いのはまわりの人だと思い込んでいる親ほど始末の悪いものはありません。……このような傾向の強い親ほど病原体としては悪性で、子どもの母原病は治りにくくなるものなのです。」
※ここには巧みに70年代で確立した親批判が反映されている。

p129「近ごろのお母さんは、母親としても成熟していない人が多いせいか、思い通りにわが子が食べてくれないと、食べろ、食べろとガミガミいったり、カッとしてわが子をたたくような人も珍しくありません。」
p145「H子さんの足の痛みの原因は、彼女の体の病気によるのではなくて、心の病気、特に親子関係のひずみなどにあると考えてよいのです。」
p161「おそらく、S君の下痢の初期に、はじめての下痢で心配したお母さんが神経質になりすぎ、それを敏感に感じとったS君また下痢をするという悪循環が生じたと思われます。」

p188「また家庭というものは、しっかりした働き者の父親と、やさしい母親がいてはじめて成り立つこと、子どもはいつも両親に温かく見守られてはじめて正常に育つことを、ここでもう一度理解し直すことが大切です。」
※p187ー188でリスト化した「精神的崩壊家庭」には父母関係の問題が扱われるが、この部分を強調すれば育児の原因は母だけでなく、父との関係性に見出す考え方も当然あり得る。

p199「また、イスラエルキブツでの集団保育は、母子分離に非常に細かな配慮を払っています。例えば、母親が仕事の途中で、子どもに母乳を飲ませるために保育室に行くなどして、たえずスキンシップを欠かさないようなシステムをとっています。わが国の保育所のように母子を完全に分けることはしていないのです。」
p200「昔のわが国では、母親が子どもをおぶって家事をしたものです。それによって母子の一体感が強められ、母親の動きにつれて子どもが動くために、子どもが生き生きした感覚を身につけることができました。近ごろの母親はあまり好まないようですが、「おんぶ」というのはわが国独特の方法で、近年になって欧米でも注目されはじめているほどです。」
p203「育児下手の手長ザルの「上手な育児法」を、育児下手な日本ザルがまねをしても、それほど役に立つはずがないのです。つまり、『スポック博士の育児書』は、もともと日本人の体質に合わない育児書であったといえます。」


(考察)
 久徳の議論で注目したいのは、「母原病」の「責任の与え方」にある。まず、本書の受容のされ方をいくつか紹介しておこう。木村栄の1980年の著書では以下のような語られ方をしている。

「娘の喘息が「母原病」なら、その原因は私の共働き生活にあったとのべた。だが、それでは、娘の心身の健康を損なったのは厳密な意味での「母原病」ではなく、共働きが子どもにとって有害だという古典的な主張で括られる事例の一つでしかない。しかし、専業主婦になったためにでてきた別の苛立ちが、息子を「母原病」にしたということを考え合わせると、「母原病」の原因は共働きとか専業主婦といった生活形態にあるのではなく、それぞれの生活に根ざす母親としての私の精神状態の中に、母と子の自然なかかわりを歪めるものがあったのではないかというふうに考えられる。」(木村栄「母性をひらく」1980、p32)
「母子心中という形で子殺しをする育児ノイローゼママと、子を家庭内暴力という「母原病」にしてしまう教育ママとは、いわば、子への過度の執着と画一的な価値観に裏づけられた子育ての責任とで張り合わされた、同じ母性の歪みを共有しているわけである。
 そう考えれば、「母原病」を生みだす母親の状況とは、まさしく、育児ノイローゼ型母子心中を生みだす専業主婦のありようの中にあるといえるのではないだろうか。」(同上、p60)

 このような読まれ方は比較的久徳の議論に近いと思われるし、良心的な読まれ方でもあると思われる。本書では随所で母親の育児問題とその責任を指摘し、なおかつ、「母の意識」によってこの問題に取り組まなければならないことを指摘している。
 そして、もっと端的に言ってしまえば、以下のような語り方で説明がされることになるだろう。

「にもかかわらず日本の世論は、母性賛美・母親育児を重視しています。母親が原因で生じる病気ということで「母原病」などという言葉が一時流行したことがありました。」(石垣恵美子「イスラエルの保育論争」1997、p55)

 ここでは、母親への「積極的な」責任をコミットさせる本であったという評価がされている。「母親責任論」のみに着目した場合、このような解釈が容易に想定されるのもわかる。
 しかし、本書を素直に読めば、このような解釈はある意味で間違っているといえるだろう。少なくとも本書の執筆段階で「積極的な」母親責任を付与するための議論をしているようには思えない。p45やp62の記述、そしてp68ではっきりと「母原病は文明病のひとつである」と示しているように、むしろ問題の根源には社会変動による影響があると位置付けていることがわかる。また、p188にあるように、母親だけが問題であるという見方をとっているとも言い難い。

 このため、むしろ問題は、本書が何故「母親の責任」という軸のみが残る形で読まれるようになったか、にあると考える。そして、私自身はこの問い自体が、広田の議論の中でみてきた社会病理問題において、「家庭の教育力の低下」論へと一種の収束が行われる一因であり得ると思うのである。

○社会構造そのものへの改善の不問化について
 この「社会構造」への問いはマルクス主義的アプローチをとる論者にとっては階層論としてしっかり位置付けられていた議論であったが、広田の議論で述べたように80年代には衰退傾向を見せることになったといえる。この背景について考えてみると互いに関連しあう3つの要因を想定できると思う。

1. 社会制度による解決の可能性が閉ざされることの影響。
 70年代後半から勢いを見せはじめた福祉国家縮小論は、ある意味でまずもって「縮小ありき」になっており、制度により保障されていたものについて代替可能なものは社会制度からの代替される力は働きうることを否定することができない。実際、木村栄が適切に捉えるように、「「母原病」が生じた原因は、間接的には、世の中が文明化し、都市化がすすみ、子どもの育つ環境が“自然さ”をなくしてしまったことであり、直接的には、間違った親子関係をつづけてきたことによって、子どもの心身のたくましさが失われたため」(「母性をひらく」p11)という関係性であり、家族関係は「直接原因」であると捉えられる。しかし、間接要因である社会変動自体は、社会制度でもって働きかけない限りは影響力をもちえない。そして、その制度枠組みの設定自体を放棄しようという動きが進めば、当然「責任論」が問われる場合に家族へと集中することになるだろう。

2.社会病理の改善(社会変動への対応)を実際にどう行っていくのか?
 先述した社会制度への働きかけにおいても、個人に責任を置いた上でのその個人の変革の必要性を説く場合でも、その個人(主体)の行為を伴う必要があるという点では共通している。このため、精神論的に「何とかせねばならない」というような形で主体に働きかける場合には、それがどちらの方向で語られているかが確定できなくなる。そして、久徳は「臨床医学者」であることからその問題はまずもって主体そのものに向かう。このため、この部分だけ取り上げてしまえば、簡単に「個人の責任論」に収束してしまう。これについてはそのような責任論への転嫁を回避したければ、「社会制度への働きかけ」という意識にも目を向けなくてはならないだろう。

3.社会病理とその影響を受ける個人との関係をどう見るか?
 しかし、久徳の議論は、p33の「母親指導による解決」やp53のような「子どもの発達段階を理解した上での育児実践による解決」といった「解決法」の提出に終始している感は否めない。しかも母親指導も、結局は「現状起きてしまったわが子の病理状態の解消」にのみ向いており、その背景要因について改善する必要はないのか、という疑問も生む。
 これは社会病理の捉え方がある意味でダブル・スタンダードになっていることが要因であるといえる。「現場」のレベルでは問題が解決されればそれでおしまいである、と久徳は恐らく考えている。しかし、その問題を起こしている背景をなんとかしないと、その問題発生のしやすさは変わらないのではないか、という発想がここにはない。
 これは解釈の問題ですが、おそらくそのような「外的」要因というのは、家族自身がしっかりしていれば問題ないという「精神論」的解決を久徳は考えているように思う。これはある意味でもっともではあるが、端的に社会病理そのものの背景に取り組まないのは何故なのかに答えられないし、「家族責任論」の強化にも一役買っている語り方であるように思えてならないのである。

 このような「精神論」的解決は、「豊かな社会」論においてはいとも簡単に家族責任論、自己責任論に繋がることでしょう。当時の福祉国家批判論者として著名だった香山健一を引用しよう。

「われわれはすでに、租税負担率や公共サービスなどという主として経済問題とのかかわりあいのなかで、自立精神の衰弱や依存心の増大についての指摘を行なってきましたが、実は、自立精神の衰弱や依存心の増大をもたらす悪循環のメカニズムは産業文明そのもののなかでもっと広い広がりをもって存在しているらしいのです。」(香山健一「英国病の教訓」1978、p57)

 社会の変化(福祉の充実)による病理(非自立化と依存の増大)という論じられ方は久徳と共通しているが、ここでも制度の改善か、善き主体化かが問われていることがわかる。そして、香山の議論ではそもそも制度に依拠すること自体が問題とされており、主体化の要求と、制度に依拠することの禁止(制度の廃止)は一体のものとして語られていることがわかる。久徳の場合はこのような制度依存による家庭の教育力の弱体化という切り口は存在しないが、このような議論にも容易に回収されてしまうような語り方をしていると言うことはできるだろう。

 このように、一方で社会変動による病理が強化されることについては、この問題の議論の中で意識されている一方で、主体の働きかけにその議論が集中してしまうことは、必ずしも一方的に「母親が悪い」といった責任付与とは一致しない。しかし、それが一致してしまうのは、その議論の解釈の中で、制度なり社会への働きかけの方向というのが見出せなくなり(ないし、そのような見方がないと誤読され)、それがいわゆる母親責任論として位置付いてしまい、久徳の議論はまさにその典型なのではないかと思うのである。

 余談となるが、ここで議論していることの問題は責任が個人に集中してしまうことにあるというよりも、むしろその集中化によって問題の所在が隠蔽されてしまうこと、そして「主体化」の要求にあたっていかなる意味で正当化されているのかについて不明確となることの方がむしろ問題であるように思う。他者との関係性によっては責任を負わせること自体に問題があるとは言い難い。制度による保障ではなく、その代替として個人に責任を負わせるだけの(これはしばしばその個人ではない者が制度による保障を受ける恩恵を受けることと結びつくだろう)正当性があればよいであろう。必要となってくるのは、そのような責任付与の理由を語ることではないかと思う。

○「父原病」における態度変更…家族責任論の収束へ?
 久徳は本書の後に「父原病」(1997、もとの内容は1994に出版)という著書を世に出している。「母原病」においては、母原病が文明病に回収されており、その意味で「文明病」をどう考えるのか、その対応について議論の余地が残っていた。しかし、本書でその「文明病」の原因を「父親たち」に求め(久徳1997、p27)、企業戦士に成り下がった父親をみる子どもは「自分がどんな大人になればよいかわからなくなる」と問題視する(久徳1997、p96)。このような男性の労働一辺倒な状況も疎外論的な語りの余地を60〜70年代になら持ち得ていただろうし、そのような疎外論的な発想から久徳が問題語っている印象もゼロとはいえない。しかし、本書においては、それ以上に「父親」に対する批判が強く、基本的には「父親」にその責任が収束しているといえるように思う。

「子どもや家族、家庭に問題が起こり、親の努力で解決しなければならない時、それに対応する能力も、粘っこくピンチをのりこえる持久力もない、あるいは家族が協力する態勢をつくることもできない父親が多くなったのは、高度成長以来の日本の大きな特徴といえます。
 ピンチになった時、母親まかせにするのは明らかに誤りです。情況を的確に判断し、粘っこく努力して危機をのりこえる、その最高責任者は父親であるべきなのです。」(久徳1997、p197)

 唯一、「制度」に関連した語りをしているのは、このような責任を持った育児ができない家庭の子どもに対する「親代わり」の制度化だろう(久徳1997、p185,p193)。ただし、これも「母原病」での捉え方と同じような、「病理となりうる要因」について取り除こうとする議論がなされることはない。私などは病理に対して根本的な解決を考えないことが不思議でしょうがないが、やはり「現場」で解決できればそれでよいようである。そして父親が責任をもって家庭を守らなければならないという大前提は揺るがないのである。結果として、「父原病」においては、責任の所在が全て親になるという論法が完成したのである。

 何故久徳が「母原病」では議論が全くされることのなかった「父原病」なるものを後に持ち出してきたかはわからないが、私などはこれもまた疎外論の本旨であった「個人としての生き方がそもそも社会によって疎外されている」という見方の忘却として映ってしまう。もちろん、この忘却の変遷はもっと丁寧に分析せねばならない(そして何より、そのような議論を起こす原因となっている社会病理の議論のあり方そのものを丁寧に追わねばならない)点であるが、そのような動きが、特に70年代後半から出現している気がしてならないのである。