作田啓一「個人主義の運命」(1981)

 今回は、以前レビューした阿部謹也の「世間論」にみる個人観と本書の個人主義の議論を比較してみます。

<読書ノート>
p24 ジラール、欲望の現象学p9で内的媒介と外的媒介の距離について触れる
※「願望可能圏」という言い方をするが、これは心理的な問題。
p26 「外的媒介者に準拠している主体は、一般にこの準拠の事実をだれにも隠そうとはしませんー時としては、これを自慢することもあるくらいです。これに対して、内的媒介者の欲求を模倣する主体は、模倣しようとしている意図を自慢するどころか、それを隠そうとします。」

p80-81 「中世の社会においては、単独の個人という観念がまだ存在していなかったのと同様に、中央に集中された権力という観念もまだはっきりしていませんでした。この両者のあいだにさまざまの中間集団が拡がっていて、これらが人間のあらゆる生活領域にわたる行動や意識を統制していました。その意味で中間集団も最も現実的な力をもっていたのです。のちに述べるように、近代化の歴史とは、この中世的な集団生活の足かせから、個人と国家の両方がみずからをしだいに解き放してゆく過程なのです。」
※「中世の社会」という言葉が語義矛盾しないかどうか…?
p82 13、14世紀のイギリス中部、南部の平野部では、耕作地が個人所有によって分割されていなかった
※まだ個人の議論が出てこなかったとみる

p83-84 「最後に教会について。教区はそれ自体が一つの目に見えるコミュニティであり、この媒介によって普遍的な義務と信仰の体系が共同態の原理と結びつきました。しかし同時にまた、教会は、共同態的性格をもつ他のさまざまの中間集団に対してその連帯を補強する機能をももっていました。すなわち集団におけるメンバーシップ、地位、さらに成員の集団への忠誠に関していろいろの義務があり、これらは法律や慣習によって規定されていましたが、教会はその義務を聖化する機能をもっていたと言えます。」
p84 中世の中間集団の共同態としての自立性はほぼ16世紀から衰える
p86 「こうしてプロテスタントの神学においては、キリスト教の基本的な要素として次の三つだけが残されました。すなわち単独の個人、万能で遠くにいる神、髪の恩寵。他のすべての制度的、儀礼的な側面はカトリックによる宗教の腐敗への通路とみなされ、改革者たちによって抹殺されました。」
※近代資本主義の発展の過程の中にも共同態的な協働および相互扶助精神の衰退と個人の解放がみられるという(p87)。プロ倫的な話か。

p93-94 「集団の成員としての人間ではなく、普遍主義的に定義された個人としての人間のイメージが、どうして形成されてきたか。その歴史的背景についての以上の記述は、もちろん十分なものとは言えません。しかしこの問題に深入りすると、本書の主題から逸脱してしまうので、個人主義という思想そのものの検討に移ることにしましょう。」
※この問いを検討することを放棄してしまうことに、このあとの議論のおかしさが混ざってくる根拠がある。それは端的に「大衆」の捉え方の問題として現れる。

p103 「理性の個人主義と個性の個人主義は、先に述べておいた中世の全体主義(※ホーリズムとルビ打ち)とどのように対立するでしょうか。
ホーリズムとは集団の秩序に第一義的な重要性を認める立場です。中世の中間集団の成員は集団の秩序維持の強い要請に同調することを求められました。同調とは具体的には与えられた役割の遂行とその遂行過程を規定する規範の遵守とを意味します。個人主義は、その同調が個人の立場と著しく矛盾する場合に、個人の立場に優先権を与えます。この優先権は二つの根拠によって主張されます。すなわち理性あるいは個性。」
※しかし、キリスト教にこの側面の存在があることを作田自身否定していないということは、やはり中性にもこの側面があるということを否定することにはならないという主張も可能ではないか。それでは、ここでの主義とはいかに定義付られるのだろう。
p108 「結論を先取りすれば、二十世紀においては理性や個性に代わり、媒介者の介在なしに生じる要求に、あるいは他者をモデルにすることで刺激される欲望に価値を個人主義の新しい形態があらわれてきます。」
※ここでの個人主義の新しい形態の出現と、その社会的認知の関係性について、作田がまともに考えることはない。

☆p116 「欲望の模倣が意識されるにつれて、自律的であることの自信は失われてゆきます。そして欲望が模倣されうるひとがひとたび明らかになれば、単に消費に関してだけではなく、生活のさまざまの項目に関しても、欲望が模倣されていたことがよくわかるようになります。社会的地位への欲望の模倣は、その代表的な事例であると言えるでしょう。その場合の媒介者は、すでに地位を享受している人物であるかもしれないし、その地位に主体よりも一歩近づいている人物であるかもしれません。
 要するに、欲望の模倣は広く拡がっている社会現象であって、その事実に人々が気づいた時、人々はみずからの自律への自信を失います。この自信の喪失は、理性と個性の個人主義に対する打撃となります。」
※自分で何を語っているのかよくわかっていない典型であることがよくわかる記述。個人主義の言説の変遷としては確かに正しいかもしれないが、その変遷がまま我々の心性を説明してくれると考えると大間違いであり、大衆化の意味を考えればこれがそのまま主張できるはずがない。これが正しいとすれば文字通り過去に理性的な個人たり得た人間(これは「大衆」などではない!)が自律性を失った場合においてである。しかしそれこそおそらくそのような自虐的言説の賜物なのではないか。思うに社会学者こそ社会なるものをあまりにも漠然ととらえるがためにそれを曲解する者である、と言っても差し支えないのでは。
p117-118 「さて、二十世紀においては、理性、個性、自律の諸価値が低下しましたが、それではこの世紀においては、個人主義は完全に力を失ってしまったのでしょうか。そうではありません。この世紀においては、上述の三つの価値に代わって、欲求という価値が新しく登場してきました。欲求は、理性、個性、自律の三者に比べると、神聖さの点で劣りはしますが、しかしやはりいくらかの聖性を帯びています。その聖性すなわち価値のゆえに、二十世紀の個人主義としての欲求の個人主義について語ることができるのです。」

p195 「しかし、右の観点からジラールの理論を検討すると、一つの難点が見いだされます。それは、外的媒介者と内的媒介者との違いの一つを、両者が主体に対してもつ心理的距離の違いにあると考えた点です。しかし両者の違いはただ一つ、外的媒介者は願望をもたず、内的媒介者は願望をもつので、内的媒介者の場合に限り、その可能圏が主体のそれと重なりうる、という点だけにあります。」
ジラールの議論をこのように読める可能性は確かにある。確かにキリストに抗することはないからだ。しかし、人物が対象で無い場合はルール遵守の上で超える可能性が残されているのではないか。そもそも願望がないなら、模倣自体行わない、という選択肢もあり得るわけで、外的媒介として成立させる根拠に乏しくなってしまう。これは簡単に言って「取り合う」ゲームのみが欲望論で語られるわけでなく、それはしばしば「取り合う」ように見えてしまう内的媒介のゲームとして語られてしまう問題も大きいように思う。


<考察>
 今回は個人主義がテーマですが、阿部謹也自身は「個人主義」という言葉をあまり用いてはいないように思います。まずもって「世間論」という位置付けの中で個人を語ること、また「個人主義」という言葉が非常に多様であり、語弊も多くなることも考慮しているのかもしれません。ただ、個人に対する考え方というのは随所に出てきます。例えば、「世間」の中では個人は絶対的な位置を持っていない」(阿部「近代化と世間」p103)というような語られ方です。
 阿部のいう世間から解放された個人観は「尊重された個人」というものを底にとらえていた。世間においては個人を「個人」としてみることはなく、「人格的な触れあい」といったものを必要とせず、何らかの地位(社会的な立場)が介在し、贈与/反対贈与が慣習として機能する。

 一方で作田的な個人主義観はむしろ社会学の通説的な位置付けなのではないかと思う。つまり「近代≒資本主義≒個人主義」という見方である。この類似関係は例えば人権をめぐる問題(近代×個人主義)や欲望する主体の問題(資本主義×個人主義)など、切り口も多面的かつ結論めいたものが多分に異なりうるものとして語られてきたみてよいと思う。

 まず両者の共通点をみると、個人主義の定義が基本的に同じであることが一つある。本書のp103にあるように、「個人主義は、(※集団への)同調が個人の立場と著しく矛盾する場合に、個人の立場に優先権を与えます。」と述べており、作田の場合も「世間」との関連でいえば、個人が尊重されることがありません。 もう一点、この個人主義の興隆におけてキリスト教の影響が重要であることを阿部同様に作田も認めています。

 では両者の相違点について見てみると、まず、現在の日本の状況の分析が真逆の見解となっています。作田においては、すでに個人主義が日本に浸透していることを自明としていますが、阿部においてはそれがまったく達成できていないものとして「世間」という言葉でそれを説明しています。
 次に、キリスト教の影響についても語り方が異なります。阿部はキリスト教が大衆に普及した12世紀頃をもって世間からの解放を述べましたが、作田によれば、カトリックによる大衆普及においてても中間集団というのは十分に存在し、その中で当然贈与/反対贈与がなされ、個人主義が根付いていなかったと述べています。ただし、キリスト教においてもともと個人主義的な発想がなかったという考え方はしておらず、それはプロテスタントの波及によって強調されてきたとみています(p86)。

 もう一点、上記2点の差異を生んでいると思われる根本的な違いとして、作田の個人主義のとらえ方が相対主義的になっていることが阿部との比較ではっきり見えてきます。作田の主張は一見すると個人主義の発生を近代に見出しているようでいて、先述したようにやはりキリスト教の中に個人主義の要素があることを認めているのである。そうすると、中世においては、そのような要素というのは相対的に強調されていなかったのであり、逆に近代になってからそのような要素がやはり相対的に強調されるようになったということである。
 ここで注意すべきなのはそのような相対的な指標というのは、あくまである時期と比べてそのような傾向がある、という程度のものであるに過ぎず、全くもってそれが現前しているかどうかの指標とは異なるということである。
 とりわけ本書後半における個人主義観というのは、「理性」という言葉を用いながら、それとは別の「欲求」に基づく個人主義の時代となったと述べます(p117-118)。これだけならば単純に言説の転換のみが現われることになりますが、p116のような主張は明らかに過去における「個人主義」の対象と20世紀における「個人主義」の対象を同一視することを前提としており、まさに「我々」の性質の変化として「個人主義」という言葉が用いられています。ここには「個人主義」という言葉が当為概念を多分に含んでいた可能性と、ごく少数の人間に対して当てはまったものとして指示された言葉であった可能性の検討の両方が排除されています。阿部的な立場で個人観をみるならば、いまだかつて日本においては「理性的な主体」など現れていないとも読むことができます。しかし、作田にとってはそのような存在が自明のもの、「現前」したものとして前提にしていることがわかります。
 もっといえば、作田は個人主義がいかなるものなのかの分析に徹し、それがなぜ波及したのかについての説明を放棄しています(p93-94)。これは分析手法としては悪くないと思います。しかし、結局ここで「何故」を問わない姿勢というのが、作田の語る「個人主義」なるものが果たして言説上のものでしかないのか、もしくは何らかの実態を反映したのかという問題について棚上げすると共に、作田自身が実態のあることを前提にした「個人主義」を語ってしまうことで、それを曲解してしまう可能性に開かれるのである。

 私自身は「個人主義」の発生を阿部のように12世紀頃にみるか、近代に入ってからのものとみるのか、という点についてはどちらも正しいとみれると思いますし、矛盾はしないと思います。両者の個人主義に対する微妙な見方の違いが異なる説明を生んでいるにすぎないと考えます。
 ただ、何をもって個人主義の普及を説明するのかを問えば、どちらも異なると読めると思います。阿部は12世紀にはこれが普及したとしましたが、それには疑問も多分に含まれていました。これはその個人主義の発想について絶対的な立場を取っている嫌いがあったからこそ批判を加えたものでした。他方、作田については近代化とセットで個人主義が語られました。ある意味、このような作田の見方は、作田に限らず、広く社会学で受け入れられている考え方であるといえる。しかし、そうであるなら、例えば消費社会論的な「欲望する主体」を「理性的主体」と対比する議論というのをもし作田のように実態としての主体の変遷として捉えるのだとすれば、同じ矛盾を抱える可能性があるということである。
 もう一歩、拡大した解釈を行うなら、このような曲解は思うに大衆の可視化を切っても切れない関係にあるのではないかと考える。多様な主体の現前によってそれが理想的な主体観を曲解していく可能性はありえるだろう、ということである。私自身の最近の興味はこの部分の問題を、この大衆化が進んだであろう60年代から70年代の文脈にそって捉えていくことにあります。今後そのようなレビューも増やしていけたらと思います。