私立明星学園母親グループ「無着先生との12年戦争」(1983)

 久しぶりにここに文章を書きます。表での活動が一段落したので、リハビリがてら印象が強かった本を先に記録として残しておこうと思います。

 まず、この著書を執筆した無名の「母親(たち)」には感謝したいと思う。おそらくマスコミだったり、ルポライターだったりしたら、ここまで価値中立的な立場から書くことはまずないだろう。なにより著者自身が子どもにとって望ましい教育とは何かについて、まじめに問いたいという姿勢や、また当時の文脈では「教育者を追いだした利己的な親たち」という批判がされる可能性についても十分に配慮しながら書いていることがよくわかる内容だった。節操のない位内部資料についても開示をしているし、明星学園的にも大丈夫なのかと思ったりしますが、これも恐らくは「よい教育」についての姿勢の表われなんじゃないか、と思いました。

 本書は戦後の教育を代表する教員の一人であり、現在に至るまでたびたび模範的な教育者として語られてきた無着成恭について批判するものである。批判といっても、驚く位ソフトな批判の仕方を展開し、事実による裏づけも行いながら(古い新聞記事の引用までしながら!)行っている。多分、当事者だったという強みもあり、将来に至っても本書以上の無着批判の本が出ることは無いように思う。

 無着は、戦後「山びこ学校」での教員生活のあと、一度大学に戻り改めて「勉強のし直し」を行い、その後、永らくこの明星学園(小・中等部)にて教鞭をとっていた。本書は特に70年代後半から無着が退職する83年までの一連の事件についての記述を中心に彼と校長の問題について議論する。
・点数による序列を否定した結果、生徒の学力が低下し、高等部への内部進学組と外部進学組の格差が著しくなった
・内部進学で高等部に進んだA君の退学問題と小・中等部の無責任な対応
・小・中等部の校長が勝手に新しい私立高校を作ろうとしたこと
 などいくつかの問題を取りあげながら、いかに保護者が無着など学校側へと不信感を高めていったのかが描かれている。

 とりわけ焦点となるのは、まず「無責任さ」にある。無着らの目指す「のびのび教育」は真の教育を目指したものらしい。子どものための教育ならばそれでもよいが、どう見ても子どもは学習態度が落ち、基礎学力は低下しているようにしか見えない(p23)。しかも、無着らはそれを理論武装して正当化する。しまいには彼らが正しいと思う知識だけを身につけることが良いという、テストで選別してはいけない、という批判に矛盾ながら別の選別を始めている(p44)。

「点数のない教育、いわゆる「のびのび教育」を唯一絶対のものとして、これに少しでも批判的な見方をする人がいると、理想をはばむものとしてたちまち断罪してしまうとしたら、それはもう“教育”ではなく、“信仰”ではないかとさえ思えてくるのです。」(p4)

 著者はここで正当化される「教育理論」について批判的に見ており、その無責任さから「人さらい」のような見方さえしている。これは親に対して囲い込みをしようとする校長の態度に対しても語られる。

「だいたい明星学園小・中学校では、“頭がいい”とか“よくできる”というのは、まったくほめ言葉にならないのです。たとえどんなボンクラであっても、いわゆる“学力”でははかれないすばらしい個性を秘めているはず、という遠藤先生(※校長)の主張には、お母さんたちの胸がキュンとなる美しい響きがありました。きっといつか学校が、その“すばらしさ”を引き出してくれると期待しても、それは甘すぎると責めるわけにはいかないでしょう。」(p65)

 校長はこの「囲い込み」に長けていた、と指摘する。校長たちを支持するPTA層も一定層おり、これがPTA間でも一時対立関係ができることにも繋がっていたようである。
 また、無着の自己否定性に対しても無責任さが指摘されている。彼は一度「山びこ学校」での教育を否定しているが、親達はそれに対しての不安感がとても強かったようである。無着が学校をやめた理由が「自分の教育理念と合わなくなったから」という点からも、親たちは「捨てられた感」を少なからず感じていたようである。

○当時の時代背景から見る本書の位置付け
 1983年という時期は丁度臨教審のはじまる一年前になりますが、校内暴力問題等が騒がれ、学校の問題が大きく問われていた時期といっていいでしょう。当時問題とされていたのは、臨教審答申などからも見られるような一元的・競争主義的教育からの脱却にあり、また「学校の改善が問題なのではなく、学校そのものが問題である」といった主張も多く見られる時期でした。
 無着たちの実践もまさにこのような動きの延長線上にあり、脱序列的な方針で理想的な教育を実現しようとしていたという見方もできます。にもかかわらず、保護者から批判を加えられたとなると、一見して競争主義的な教育のあり方に加担しているようにも見えてしまいますが、そのような対立軸で考えるべきではないような当事者性というのを本書から見ることができます。何より競争主義的な立場に立っているという見方は必ずしも正しくないかもしれません。本書では特に「基礎学力さえない」(p62に高校進学の内部生と外部生のテスト点数比較が示されていますが、外部生平均が6割近いに対し、内部生は2割5分程度の点数しかとれていない)、「英語を勉強するなら高校に進んでやれ」とさえ言った校長に対する批判(p170)などに象徴されるように、大学進学といっても、別に一流校などを目指す訳ではなく、人並みの進学をあくまで望んでいるにすぎないようです。そして、保護者たちは、このような実践を他校の先生が模倣しようとすることに対しても危惧を強く感じています。おそらく、本書は、そのような脱序列的な志向を持つ教育への動向に対する危惧も表明していると言えます。

 また、教育法学などの議論を読み解けば、70年代から80年代は親の教育権が強化されていった時期と言われます。本書における母親たちもまたそのような親の意見を学校に反映させるアクターとしての立場は明確に見られます。しかし、問題の一つはこのような問題の噴出の背景として、無着らの教育活動の展開が他者の意見の排除を伴い、その傾向が強くなっていたことも指摘されています。

「「たしか何年か前(昭和五十二年ごろ)までは、先生と親との間でいろんなことがいえたの。何をいっても大丈夫だったの。この学校では。それがどうして、このごろはいえなくなっちゃったのかしら」
何年か前というのは、だいたい遠藤先生が“点数のない教育”に踏み切られたころです。遠山理論(※遠山啓、校長が教育の理論として支持をしていた教育者)をおし進めるために、反対の立場をとる教師たちを力で押さえ込み、まるで恐怖政治のような状況をつくり出して、当時の職員室はなんとも暗いものだったと述懐される先生も。」(p94-95)

 理想的な教育実践についてこだわりを持っている教育者、というのは恐らく決して過去には少なくなかったのではないか、と私は考えています。例えば最近金沢嘉一の「ある小学校長の回想」(1967)を読みましたが、ここでも決して意志を曲げない教師像が見えてきます。一見すれば競争的な教育に対する反対と理想的な教育の主張をしており、聞こえはとてもいいですが、親たちの希望などには耳を傾けているようには思えません。そして、更に厄介なことには、この手の教師は「民主主義」を基軸にし、見た目上は、子どもに対しても意見を聞き入れ、それを生かすような教育を行っているように思えます。しかし、本書でも全く同じように指摘されますが、それは一面的なものにすぎず、別の所で行っているのは意見の排除でしかないことになっています。

 このような理想の教育像を念仏のように聞くものの、その態度は支離滅裂としており、そのような「教育理論」自体にうんざりしている母親達の主張が多くなされることになります。「理論」というもの自体にこのような受容がなされるのは残念な気がしますが、母親たちの「うんざり感」を読むといたしかたないとしか思えないです。
 おそらく、教育に対する批判的な視線が強くなりがちだった本書の時代背景において、無着らの実践はその批判に共鳴し、よりラディカルな教育実践に繋がっていったのでしょう。しかし、そのような実践は、現に子どもを持ち、子どもの将来に対して責任を持たざるを得ない母親達にとっては、不安感しかもつことのできない実践だったのでしょう。
 このような状況にどう対処したらいいのか。シンプルな回答は「親の意見に耳を傾ける」というようなことになるのでしょうが、この解自体はそれのみを主張することで、本書で議論しているようなナイーヴな教育の実態まで隠蔽してしまう可能性もあります。教員の専門性自体はその際にどう考えればいいのか、なぜ無着らの実践と親達の意見はこうまでも噛み合わなくなってしまったのか、といった問いもまた放棄されるべきではないように思います。

 一つはっきりしていることは、教員であることに無責任な態度で責任があるような行動に出るべきではないこと、責任を引き受けようとするなら、無責任であるように見えてしまう可能性へ配慮しながら、なぜそのような実践が必要なのか説明することが必要でしょう。残念ながら無着はそのような態度を取ることはありません。なぜなら、本書で指摘されていたような明星学園の負の問題に対して、彼が学園をやめたあとに言及することはないようだったからです。「無着成恭の昭和教育論」(1989)あたりは私もこのことに言及しているか確認してみましたが、残念ながら言及はなかったし、やめる頃の議論もかなり薄いことから、あえて語ろうとしないようにさえ思えました。本書自体が出版当時にほとんど反響がなかったのではないかと思われますが、無着自体がそのことに対して応答することがなかったからこそ、本書は注目されなかったのだろうし、無着実践の神話は続くことになったのだろうと感じています。そのような神話には本書を読んで内省してみる必要があるのではないでしょうか。

(追記10月25日)
 佐野眞一「遠い「山びこ」」(1992)を読みました。山びこ学校の卒業生全員のその後を徹底的に追ったという意味ですごい一冊であるように思います。
 ただ、本書には端的に「教育とはいかなるものであるのか」という問いに対してはあえて距離をとっているような節もあり、「12年戦争」で取りあげていたような子どもになされる教育はいかにあるべきかを問うようなことはありませんでした。
 無着の実践に対する批判は一定程度の記述があり、レビューで述べた議論もおそらく矛盾するようなことはないでしょう。ただし、「遠い「山びこ」」では「マスコミに消費された無着」という視点があり、この点が母親たちが無着へ感じていた不信感を多少説明できるかもしれません。しかし、その不信感が不当であるという根拠もなく、やはり一種の無責任さの上に無着の実践が成り立っていたと見ることについては一定の正しさがあるとみてよいと思います。

 佐野が無着に直接聞いたと思われる「明星学園をやめた理由」についても記載がありました。

明星学園とたたかって敗れたわけではありません。点数主義との対決に敗れたんです。あるいは、国家そのものとなった学校教育とたたかって敗れたんです。」(p355)

 ここでの告白も結局具体的な現場での実践の問題ではなく、包括的な管理主義的教育体制に敗れたといういい方をして、それが学校から離れる理由となった、としています。悪く言えば、ここにはもはや明星学園でなまの子どもを教えているという感覚が全くなかったんじゃないか、とさえ思えるような感じがします。