リチャード・ローティ「アメリカ 未完のプロジェクト」(1998=2000)

 ローティの著書は「偶然性・アイロニー・連帯」を1・2度読んだことがありましたが、いまいち何を言いたいのかわからず、ローティ自体もよくわからない著者の部類に入れていました。今回この本を手に取ったのは、気まぐれで渡辺幹雄「リチャード・ローティポストモダンの魔術師」(1999)を読んだ時に、本書でアメリカの左翼思想の分析をしているとの記述があったからでした。

(読書ノート)
p31 「晩年、デューイは「哲学的命題によって形式的に民主主義に対する信仰を手短に述べ」ようとした。その命題は次のようなものであった。民主主義は「経験がいずれかの時点で外部の支配の何らかの形式に、つまり経験のプロセスの外に存在すると言われている何らかの『権威』に従属しなければならないという観念に基づ」くことのない、道徳的・社会的信仰の唯一の形式である。」
p40 「マルクスは、私たちが単に空想的社会改良家であるよりも、むしろ科学的社会改良家であるべきだ——私たちは自分の時代の歴史的出来事をもっと大きな理論の中で解釈すべきである——と考えていた。デューイはそうは考えなかった。これらの歴史的出来事は、その結果が予測不可能な社会的実験の実験記録と見なされるべきであると、デューイは考えていた。」
p41 「残りの講義で、わたしはベトナム戦争以前に存在したデューイ的、プラグマティズム的、行動的<左翼>と、それに代わって現われてきた傍観者的<左翼>を対照するつもりである。あの悲惨なベトナム戦争の結果、私たちの国は完成できないのではないか——あのベトナム戦争は決して許されないだけでなく、私たちが罪の内に生まれた救いようのない国民であることを示したのではないか——と考える世代のアメリカ人が出現した。この疑念はなかなか消え去らない。それが消え去らないかぎり、そして<アメリカ左翼>が国家に対する誇りを持てないままでいるかぎり、アメリカには政治<左翼>はなく、文化<左翼>だけしか存在しないことになるだろう。」
※この罪悪感は、まさにフロイト的なものである。

P58-59 「上からのイニシアティブと下からのイニシアティブは、互いに補強し合っているけれども、底辺にいる人々は危険を冒して行動し、鞭打たれ、あらゆる大きな犠牲を払い、時には殺害されることもあった。しかし、そういう人々の英雄的行為は、暇と教養があり、比較的危険にさらされることのない人々がその闘争に加わらなかったら、実りあるものとはならなかったであろう。スト破りに雇われる暴力団や制裁を加える暴徒によって打たれ死んだ人々は、安全な生活を保障された人々が手を貸さなかったなら、無駄に死んでいったことになったかもしれない。
 このような援助は英雄的行為ではなかったが、不可欠なものだった。ルースの編集する雑誌のジャーナリストたちは、一九三七年、ストライキ中の<全米自動車労働組合>をたたきのめしている州兵の写真を『ライフ』誌に掲載したのであるが、それほど危険を冒していたわけではなかった。一九六一年にブル・コナーの犬や電流が通っている牛追い棒にカメラの焦点を合わせていたテレビ・リポーターも、それほど危険を冒していたわけではなかった。しかし、彼らがそこにいなかったならば、そして安全な生活を保障された多くの豊かなアメリカ人がそれらの映像に反応しなかったならば、フォードに対する<全米自動車労働者組合>のストライキも、アラバマ中に広がった<フリーダム・ライド>も実りのないものだっただろう。当局が無分別な暴力と呼んでいるものが実際には英雄的な市民的抵抗であることを、誰かが有権者に知らせなければならないのである。」
※しかしこのような左翼の姿勢は、知識を否定しながら、知識を強要しているではないか。彼らが知識を否定するのは、希望のためというよりか、自己の実現のためだ。

P84 「この文化<左翼>は、法律ではなく体制が変らなければならないと考えている。改良主義はあまり旗色がよくない。自由主義政治の語彙そのものが明らかにされねばならない曖昧な諸前提に汚染されているので、<左翼>の最初になすべきことは、孔子が述べているように、名を正すことであければならない。<六〇年代の人々>が「現在のアメリカの社会体制を正しく名づけること」と述べていたことに係わることが、法律の改正に優先するのである。
 「現在のアメリカの社会体制」は「後期資本主義」と同一視される時もあるが、大学の文化<左翼>は、市場経済に代わるものがどういうものであるのか、あまり考えていない。また政治的自由と中央集権化した経済的意思決定を結合する方法についても、あまり考えていない。またこの文化<左翼>は、アメリカ国民に対する課税が少なすぎるかどうか、アメリカがどれくらい福祉国家になることができるのか、アメリカ合衆国が<北アメリ自由貿易協定>から手を引くべきかどうか、そういった問題の論議にあまり時間をかけていない。<右翼>が社会主義の失敗を宣言し、資本主義は唯一の選択肢であると宣言する時、この文化<左翼>はほとんど何も答えられない。」
p86 「<旧左翼>の上からのイニシアティブが、貧困と失業によって、またリチャード・セネットが「隠された階級侮辱」と述べているものによって辱められた人々を援助しようとしていたのに対して、<六〇年代>後の左翼の上からのイニシアティブは、経済的事情とは異なる理由で辱められている人々を援助するようになった。」
※もし本来左翼が貧困を動因としていたのであれば、それは格差の問題を語ることになる。しかし、絶対的貧困相対的貧困の問題が一致しなくなった状況においては、この格差の語りに亀裂が走ることになる。結局、左翼は上層なり、知識なりに対するダブルバインドの態度をとる。

P98−99 デューイは個人主義共同体主義の二分法を批判する。それが例外なく、特殊な状況を支配する一般概念の論理を採用するからである。そこから個々の集団論理を取り出すのには無理があるとする。
P103−104 「だが、これらの反形而上学的、反デカルト主義的哲学者たちが疑似宗教的な形式のパトスを提出するかぎり、彼らは、私的生活の領域に追放されるべきであり、政治的考察への案内人と解されてはならないともわたしは主張してきた。エマニエル・レヴィナスが考え出し、デリダが——デリダ自身が不可能性、予見不可能性、表象不可能性をたびたび発見しているように——展開する「無限の責任」という観念は、私的完全性を個人的に追求する場合には有益かもしれない。しかし、公的責任の問題に取りかかる場合には、無限なものや表象不可能なものは有害なだけである。これらの言葉で責任ということを考えることは、罪の意識と同じように、実際の政治体制には躓きの石となる。デリダのように、意味の不可能性、あるいは正義の不可能性を強調することは、ゴシック化の——超自然的な力で対処できないので、民主政治を無力と見なそうとする——誘惑である。」

(考察)
 百数十ページの分量少なめの本ではありますが、ローティが「プラグマティスト」と呼ばれる理由、そして彼がデューイを支持する理由がとてもよくわかった一冊でした。

 ローティが批判を加えるのは、ベトナム戦争後に現れた「文化左翼」に対してであり、彼らが法律よりも体制を変えようとしている点にある(p84)。このような態度の取り方は多文化主義の強調に現われ、文化的マイノリティの活動を文化左翼は行う。しかし、それは後期資本主義に何も言おうとはしないのである(p84)。
 このような文化左翼の態度は、デューイズム的な実験性はなく、むしろ一般概念の論理を採用してしまっていると言えるだろう(cf.p98−99)。その理由をローティはベトナム戦争以後のアメリカ人の思想の中に「アメリカがベトナム戦争を引き起こした悪であり、希望の国アメリカは完成しないのではないのか」という自制的考え方が挿入されたこととみている(p41)。
 ローティのこの語りの中には、フロイトの原父の殺害の話を意識したのではないのかという印象を受けなくもない。まさにアメリカという<父>が<法>へと転じて、アメリカ人を制約するようになった、と言っているように思えるのである。

 確かにローティのこの説明は面白くはあるが、私はプラグマティズムを支持しないし、この説明にあまり魅力も感じない。私がプラグマティズムについて知ったのは、大学1年の時にデューイの「民主主義と教育」のレポートを書いた時だったが、その時からプラグマティズムはつまらない、という印象を持っていた。ローティのこの著書で感じた印象もその時と同じであった。ポイントは「経験」についての考え方である。

プラグマティズムと「経験」
 p31にあるような民主主義観がデューイの信仰するものであり、同時にローティの支持する考え方である訳だが、ここに内在する経験の考え方はそう単純ではない。
 デューイ的民主主義は、文脈依存しない経験(ジジェクの時に議論した<出来事>)を基軸に社会を考える訳であるが、これは同時に経験の文脈依存性自体も否定することを意味する。他方で<旧左翼>が取った手法とは、上からのイニシアティブと下からのイニシアティブをうまく合致させることで、貧困や労働の問題を社会へ広く拡散させることであった(p58−59)。もしこのような<旧左翼>のやり方をプラグマティズム的実践として評価すると、その情報を受ける大衆というのは、「その情報だけを頼りに自らの行動原理に結びつけろ」という主張支持になりかねない。プラグマティズムは大衆の思考の「理論化」を禁じることで、与えられたものだけを頼りにするよう動員されることにならないだろうか?私がデューイの「民主主義と教育」を読んだ印象としても、同じような疑念があったのである。

○「忘却」の議論との関連から…ステファヌ・ナドーの議論の続き
 結局、ローティのプラグマティズムを「忘却」の観点から考えれば、ノスタルジーなものを動員することにしかならないのではなかろうかと思う。
 しかし、これには反論があるだろう。そもそもプラグマティズムは過去については何らタッチすることはなく、一からものごとを実験的に積み上げていくことである、と。これは一見、「全面的な忘却」とみなせる部分であり、それ自体はメランコリーな領域にあるものだったはずだ。
 だが、ナドーの議論で確認したメランコリーには「痛みを伴う忘却」があったのである。ナドーはメランコリーと喪を比較しこれを説明する(ナドー、2006=2010、p188)。なぜ痛みを伴う必要があるのか?実は、デューイの前提からではこのような痛みそのものは不要のものであると考えられる。この前提のズレは、ジジェクの議論で行った<出来事>というのが、文脈依存性を脱することが決してできない、というものである。ナドーはこの前提を共有する立場に立っていることがわかる。ナドーにとっては完全な忘却を行うためにはその忘却という一種の死を受け入れ、幽霊に変えてしまわないようにする必要があるのである(ナドー、2006=2010、p190)。この幽霊の比喩はデリダの言う幽霊の用法に等しいと言ってよい。ナドーの議論によれば、いくら忘却を志向したとしても、この幽霊が現れる可能性が常に開けている。これもまた阻止するよう志向せねばならないのである。デューイの議論はこの話を無視している。
 ローティの議論に結び付ければ、アメリカという<父>が殺害されたという事実が突き付けられているのであれば、その事実を前提とせずにはメランコリー的な忘却は成り立たないのである。その上でこの<父>=<法>の存在を不要のものとして葬る必要性が出てくるのである。

 話が脱線するが、これまでの議論から、このメランコリー的忘却は個人レベルでそれを確立させる必要性はないだろうということを確認できるかと思う。私自身、ナドーのレビューの地点ではこのメランコリーの実践の具体性を捉えることはできていなかった。それは、このメランコリーの実践を個人で完結するものととらえていたためであった。つまり、個々が痛みを伴う記憶の積極的な忘却作業を行うことをすること自体矛盾しており、私自身の記憶を消すことは実際にはできないと考えていたからだった。しかし、この考え方は修正した方がいいだろう。
 つまりこういうことである。確かに矛盾した状態のまま記憶の積極的忘却を行う者は必要である。その者の行動は「語らない」ということから始まるだろう。何を語らないかは個々が殺すべき記憶の取捨選択の上に成り立つ。しかし、基本的には<法>形成を回避するための議論であるため、この「語らない」態度はその<法>形成の原因となったものについて語らないということである。そして、この態度は一種の非対称性を肯定することになる。そこでは「民主主義的」的な知の共有は否定される可能性さえある。この「語らない」態度はこの非対称性を前提にして成り立つ。このため、個人レベルで「語らない」態度をとることで、原因自体を消去するにせよ、この非対称性の許容と痛みを伴う積極的忘却の意義については共有され続ける必要があるだろう。おそらく、この辺が、ナドーの議論を前提にした場合の具体案といえる(注1)。
 一方、ドゥルーズデリダも<法>形成の回避を目指す訳だが、このような方法はとらない(この意味でも、やはりナドーはドゥルーズの解釈からずれている)。彼らの場合は「幽霊」を封じ込めるようなことはしない。むしろ幽霊を無限増殖させようとするのである。ノスタルジーに陥る状態というのは、ある忘却を経たあと、その忘却された部分が別のものに脚色され、再び記憶に組み込まれ、その組み込まれた記憶というのが、支配的な立場にとって都合のよい修正がされている点に問題があったのであった。このため、ドゥルーズデリダは、幽霊、つまり意味づけの可能性そのものを自己目的化させ、解釈を無限増殖させようとする。このような態度をとることでも、確かにノスタルジーの態度が取られることはなくなる。もちろんその危険性にはいつも隣り合わせになる可能性はあるが。

○「ベトナム戦争後のアメリカ」の別の解釈枠組み…絶対的貧困相対的貧困
 さて、話を戻すと、アメリカで文化左翼なるものが登場し、旧左翼的な枠組みが崩壊したのは何故か、この問題について別の解釈を提示したい。それが絶対的貧困相対的貧困という考え方と時代の変化である。
 旧来型の左翼は「格差」を問題視する。労働者と資本家はそれ自体が格差である。そして労働者は過酷な労働を強いられ、貧しい生活をかつては行っていた。ここにおいて、絶対的貧困相対的貧困は同じ問題として扱うことは可能である。どちらの貧困も「正の相関」を持っていると言ってよい。
 しかし、後期資本主義の時代においては(先進国においては)どうだろうか。格差問題が語られることは相変わらずであるが、それはもはや相対的貧困の問題に留まりはしないか。絶対的貧困を語る自体はすでに終わった、そんな論調さえないか?最近読んだ本で、スーザン・ジョージの「これは誰の危機なのか、未来は誰のものか」(2010=2011)があったが、この本はこの2つの貧困観の捻れがとてもよく現れているように思った。スーザンは旧来型の左翼的な語りを維持した議論を展開しているように思う。基本的な問題点は格差問題にあり、「相対的貧困」を強調するものの、所々で「絶対的貧困」の問題にも触れる。しかし、この両者の強調が誰に向けられているのか(どこの国に向けられているのか)はよくわからない。結果的に有効なのは、技術の革新についていけなくなった層が排除されるようになる、という議論だが(cf.スーザン・ジョージ、2010=2011、p78)、これも「絶対的貧困」の問題に対しては中途半端な態度の取り方をしている。
 要するに、相対的貧困の議論を徹底するあまり、絶対的貧困の評価を適切に行っているとはいえない、ということである。後期資本主義の時代において生が一定程度確保されると、「絶対的貧困」と「相対的貧困」は正の相関をとらなくなってくるのである。ローティの議論も同じ問題を持っているのではないだろうか。文化左翼が文化的なマイノリティへとシフトしていったのは、単純に貧困問題を「絶対的貧困」の問題として一元化できなくなった問題と関連させることはできないだろうか?
 これについては、ローティのいう「ベトナム戦争以後の悪いアメリカの思想への介入」を実証的に反論させたい所だが、あまり真面目な根拠は用意されていなかった。この見方からはローティの主張が大分分の悪い印象がある。

 まあ、私自身、これがローティの主張そのものだと考えているという態度を取っている訳でもないですが、やはりプラグマティズムには賛同できそうにありません。プラグマティックな行動自体には賛成ですが。

理解度:★★★★
私の好み:★★☆
おすすめ度:★★★☆

(1/25 追記)
(注1) あまりよく説明できてないため補足。<出来事>(事件)はある名前で呼ばれる訳だが、そこにはもちろんその事件の内容も含まれている。ここで言いたいのは、内容から名へ、名からその名の消滅へ、というプロセス自体が個人で完結するのではなく、複数の個人が時代の進むにつれ除々に実質的に忘却されていく流れとして説明できる。
 ところで、この<法>とは全ての<法>に対して言っているのか、そうでないのか。D/Gは少なくとも、このような<法>、我々を制約するような要素を常にその制約から解放される可能性をもつようにすべきだと考えているようである(cf.「アンチ・オイディプス河出文庫版上巻、p313、p317−318)。これはつまり、何かしらの禁止を与えるような事件についての語りについて沈黙するということを意味する。