西田慎「ドイツ・エコロジー政党の誕生」(2009)

 今回はこれまでの路線から脱線して、ゆるくいきたいと思います。最近本を読み込んで書いているので、このままだとなかなか更新できなくなりそうなので…。読書ノートも付けないで、読んでて思ったことなどだけ書く回をシリーズ化できればと思います。

 さて、今回読んだのはドイツの緑の党の歴史が題材のものです。類似の本は数冊あり、いくつかは読んでみましたが、本書は特に緑の党に関わった人物の思想に焦点をあてながら、その変遷を追っています。いわゆる68年世代の政党というのが強く意識されており、日本の68年世代との比較も試みています。

 新左翼の勢力が1975年のドイツの反原発運動の成功に共鳴し、エコロジー化した結果(p73)、緑の党となる。当初は左翼の中でもかなり幅のある人々が集まっていたが、分裂などを繰り返し、最終的には社会民主党との連携を望む穏健派が残る形で連立政権の与党としての地位を獲得するに至る。

 本書で注目したいのは、やはり日本との比較の部分になるだろう。ドイツでは最終的に68年世代は緑の党の活動などに「合流」する流れがあったというが、日本ではそのような合流がなかったのだという。

「一方日本では、私生活に回帰していった流れは、大半がそのまま企業戦士となって、体制に順応した。ドイツのように、独自の左翼のサブカルチャー・ミリューが形成されることもなかった。新左翼に向かった流れは、ひたすら内ゲバと分裂を繰り返し、一部は成田空港反対闘争にも関与していくものの、そこからエコロジーと左翼の連合が成立することもなかった。結局、「六八年」以後ばらばらになった流れは、それを再び束ねようとする政治勢力も現われないまま、雲散霧消していったのである。」(p222−223)

 日本が環境問題に対して疎かったというのは少々考えづらい。時期的には68年よりも前になるが、公害病などの裁判が各地で起こり、工業化への脅威というものは感じていたのではないかと思う。何故このような運動と日本の68年世代が結びつかなかったのか、が私の関心の一つ。

 また、本書にも挙げられた日本の68年世代が合流しなかったのは何故か、がもう一つの関心ある問題。そもそもドイツの68年世代が本当に合流したのかは本書でも駆け足のため定かとは言い難いのだが、もしそれを前提にして話すのであれば、この違いはどこにあるのか。
 本書の雰囲気から仮説を妄想するしかない訳ですが、あえて考えるのであれば、一つ考えられるのはドイツにおける68年世代と日本における68年世代の60年代当初の社会運動における「団結」と「抵抗」の温度は異なっていることだろうか。本書でも記述されているが、ドイツの運動においては、反戦争が、上の世代への反抗であった訳だが、日本以上に全面的な反抗だったように読める。日本においてはもう少し連帯の余地があった感じだが、ドイツでは相対的にその雰囲気がなかったのではないだろうか、と読める。このような強い抵抗から、60年代当時から当時強い団結力があったのではないかと思う。
 もう一つの可能性は、「合流時」の国の情勢だろうか。とても陳腐な言い方になるが、合流当時の日本が、合流する必要がない程度に豊かになっていた、という見方である。
 もう少し本質的に歴史的な思想を考察するという方法もあるだろうけど、何らかの差異が両国の温度差の違いになった、というのは確かな気がするし、この点について考察している本があれば、また読んでみたいと思う。

理解度:★★★☆
私の好み:★★★★☆
おすすめ度:★★★★