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上原善広「差別と教育と私」(2014)

今回は上原の著書を介して「八鹿高校事件」について取り上げたい。上原の著書自体は八鹿高校事件に限らず、部落差別に関わるテーマを実際に自らが取材した上で考察している内容で、「当事者」としての視点がなければ行えないであろう内容も取り扱っており、…

藤田英典「市民社会と教育」(2000)

以前黒崎勲のレビューで藤田英典の議論に触れたが、今回はその続きである。本書と黒崎「学校選択と学校参加」(1994)を中心に検討していくが、この両書を読んでみていわゆる学校選択制をめぐる「藤田-黒崎論争」の見方も少し変わった所があった点があったた…

夏堀睦「創造性と学校」(2005)

今回は前々回デュークのレビューで取り上げた「創造性」の議論に関連して、夏堀の著書を取り上げる。 まず、本書が異色の書であることを押さえておきたい。それは「①ネオリベの立場から書かれた②実証的な著書」という点である。①②それぞれの立場から書かれた…

ベンジャミン・C・デューク「ジャパニーズ・スクール」(1986)

今回は、日本人論を意識している「外国人研究者から見た日本の教育」に関する著書を取り上げる。 〇「頑張り主義」と「競争」は両立するのか? まずもって本書において気になるのは、日本の教育において共有されていた「精神論」に対してかなり肯定的にとら…

諏訪哲二「学校の終わり」(1993)

今回も前回に引き続き、「進歩的文化人」と「近代/欧米化」の議論との関連性について検討したい。諏訪も苅谷同様、進歩的な勢力に対し「欧米的な近代化」の主体であるとみなす議論を行っている。諏訪は高校教師として教鞭をふるっていたこともあり、現場感…

苅谷剛彦「教育と平等」(2009)

前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育社会学の分野から、苅谷剛彦を取り上げる。本書は「大衆教育社会のゆくえ」(1995)に続き、戦後の日本の教育における「平等」観の形成について、主に知識社会…

黒崎勲「教育の政治経済学」(2000)

今回から新しいテーマで継続的にレビューを行いたい。私自身が丁度学生時代に研究対象としていた分野にも関連するが、90年代から00年代の教育改革をめぐる議論を読み解いていく。 その中で特に注目していきたいのは、教員組織の自律性、『改善』の意志を持っ…

小木曽尚寿「先生、授業の手を抜かないで」(1980)

今回は「恵那の教育」についての検討を行いたい。本書は「坂本地区教育懇談会」の代表である著者が地元中津川の地方新聞「恵陽新聞」(現在は廃刊)に長期連載を行った文章を中心に収録されているようである。本書には1985年に出た続編もあるものの、どちら…

勝野尚行編「教育実践と教育行政」(1972)

本書は、以前レビューした榊編(1980)と同様、名古屋大学の教育学部の関係者により書かれたものである。 前回、榊編でレビューした際に学校教育をめぐる議論においてなされる「専門性」について少し検討したが、本書はまさにその点を詳しく論じていたため、…

榊達雄編「教育「正常化」政策と教育運動」(1980)

本書は70年代後半を中心にした、岐阜県における教育正常化運動に対する批判を行っている本である。今回本書を取り上げたのは、過去にレビューした無着成恭が在籍していた明星学園中学の教育論争と同じ基軸で、本書で支持される「恵那の教育」批判を行う動…

斎藤喜博「第二期斎藤喜博全集 第1巻」(1983)

今回は以前レビューしていた斎藤喜博を再度取り上げる。本書でメインになっているのは「授業論」であり、斎藤自身これまでそのような「授業論」が存在しなかったことを憂い、そのような「教授」に関する議論がもっと教師に読まれる必要性を感じて書いた内容…

ポール・グッドマン、片岡徳雄監訳「不就学のすすめ」(1964=1979)

本書は「脱学校論」のはしりとも言われている著書であり、すでに議論している「アメリカの個人主義」について安直な議論を行う論に対する反論として、今回取り上げた。 河合隼雄は、日本の教育において「権威」というものが人を拘束するものとなっており、ア…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その2

<読書ノート> p鄱-鄴「(※教育風土シリーズ発刊の目的の)第二は日本文化論など日本研究への寄与である。今日、日本の国際的地位の高まりから、諸外国では日本への関心が拡まり日本研究が盛んになっているし、国内では日本社会論、日本文化論、日本人論が流…

新堀通也「「見て見ぬふり」の研究」(1987=1996) その1

本書は「社会問題」を扱っている本であるが、同時に「日本人論」にも依拠している本である。私自身、教育の分野における日本人論の介入について考えるようになったのはここ1・2年程の話であるが、ある意味でここまで日本人論が自然に社会問題、そして教育…

石原慎太郎「スパルタ教育」(1969)

本書は当時のベストセラー(70万部とも言われる)となった石原慎太郎の著書である。教育書と読むか、育児書と読むかは微妙であるが、教育書であれば、日本で最も売れた教育書の一つ、といっても言いかもしれない。100のテーマをそれぞれ2ページでまとめ…

小林正「日教組という名の十字架」(2001)

今回は本書の主題とは少しずれるが、戦後直後の資料に言及している内容に関連して、2点程気になったことについて触れてみる。1.「太平洋戦争史」や「新教育指針」の当時に影響力について 恐らくは日本が独立していく50年代には徐々に忘れられていったもの…

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その2

<読書ノート> p21「しかし、能力と能力を担っている人格とを、それほど容易に区別できるものではない。能力を選別し差別することは、人格を選別し差別することにならざるをえない。こんにちの大企業の労務管理は、この点を意識的に利用して、能力の名にお…

全生研常任委員会「学級集団づくり入門 第二版」(1972)その1

今回は片岡徳雄のレビューの際に宿題としていた、全生研のベーシックな著書を読みときながら、「集団主義教育」についての考察を行っていきたい。 本書に加えて、全生研の主要な論者の一人である竹内常一「生活指導の理論」(1969)も合わせて読んだ。こちらの…

河合隼雄「河合隼雄著作集7 子どもと教育」(1995)

今回は、河合隼雄の「父性原理・母性原理」について考察するにあたり、その特徴をまとめてみたい。河合の著書は「母性社会日本の病理」(1976)をはじめ、教育にも関連する数冊を読んだが、これらの本からまとめると、6点にまとめることができるだろう。1…

加藤美帆「不登校のポリティクス」(2012)

本書は、学校ぎらい・登校拒否・不登校といった学校に通わない子どもをめぐる議論の変遷を追う中で、そこに内在する政治性について述べた本、のようである。 私は以前松下圭一のレビューの中で、一般的な「ネオリベ批判」の言説に対して、否定的に捉えている…

本多二朗「共通一次試験を追って」(1980)

今回は前回少し予告していた、大学入試制度の議論を取り上げてみる。 本書は、一新聞記者による共通一次試験制度への移行に伴う様々な動きについての報告である。私が本書を読んだのは大学院時代であったが、大学院時代に読んだ本の中でも読んでおいてよかっ…

小尾乕雄「教育の新しい姿勢」(1967)

今回は、「地域子ども学校と地域子ども組織」のレビューで少し取り上げた小尾の著書を取り上げる。本書は小尾乕雄自身が東京都教育長時代に書いたものとして、当時の競争的試験制度是正通達であった「小尾通達」の背景を押さえるのには重要な内容であるよう…

松下圭一「社会教育の終焉」(1986)

本書は、タイトルの通り「社会教育は時代にそぐわず、滅ぶべきである」と宣言する一冊である。しかし、ノートでも述べた通り、固定観念をもって「社会教育」の領域をとらえる中で、「公民館」までもそのような「社会教育」の観念にしか縛られないものと思い…

片岡徳雄編「教育名著選集1 集団主義教育の批判」(1975=1998)

○本書の時代的な位置付けについて 本書は、全生研を中心にした集団主義教育の批判を「研究を通して」行ったものとしては「最初でしかも唯一のものとなった」ものとされる(pii)。この認識があながち間違えた認識といえないのかもしれない。特にいくつかの実…

斎藤喜博「斎藤喜博全集 別巻2」(1971)

今回は50〜60年代において校長としての教育実践を行い、影響力のあった斎藤喜博を取り上げてみる。私自身読んだのは60年代後半から70年代初頭にかけて行われた対談集である本書と刊行10年足らずで5万部は売り上げていたという(「斎藤喜博全集 第4巻」1969,…

全生研常任委員会編「地域子ども学校と地域子ども組織」(1978)

本書は、全国生活指導研究協議会(全生研)が、1968年から取り組んでいった「ひまわり学校」の実践について書かれたものである。 これまで広田や遠山のレビューで、70年代以降学校サイドからの「教育の担い手」としての役割の撤退の傾向があるのではないのか…

小川太郎「教育と陶冶の理論」(1963)

今回は比較的古い文献を読んだ訳だが、これまで読んできた「社会問題」との関連性、その歴史的な議論における位置づけについてはなかなか捉えづらい内容のものであった。一方で「支配的な教育」という形で右寄りの議論の批判を行うものの、他方で日教組的な…

OECD教育調査団「日本の教育政策」(1976)

本書は1971年に発表されたOECDによる報告書の内容の一部を翻訳したものである。 報告書が出された当時から、この報告書はかなり頻繁に教育をめぐる議論で参照されてきている印象があり、恐らくは一定の影響力を持った内容とみなしてよいのではなかろうかと思…

遠山啓「数学と社会の教育」(1971)

今回は再度遠山啓の文献をレビューしつつ、前回の遠山の議論の補足を行っていきたい。本書もまたバラバラの論文集という形態をとっており、前回の「遠山啓エッセンス」と重複しているものもある。また、論文の初出はほとんどが1968年以後の内容となっており…

芹沢俊介「現代〈子ども〉暴力論 増補版」(1989=1997)

今回は大久保のレビューでもとりあげられていた芹沢の著書である。本書は新版、増補版と2度構成の変更を行っているが、基本的な部分については1989年の出版の時点で確定した内容であったとみてよいだろう。内容に対する批判については読書ノートに多くコメ…