2016

高橋勝・下山田裕彦編「子どもの〈暮らし〉の社会史」(1995)

今回は「子ども論」関連の著書を取り上げる。 これまで私が見てきた子どもに対する「地域の教育力の弱体化」論というのは、そもそもいかなる意味で「教育力」が作用していたのか、実証的側面において乏しく、更にはそのような「地域の教育力」の存在そのもの…

遠藤公嗣「日本の人事査定」(1999)

本書はアメリカの人事制度と日本の人事査定制度の比較を試みながら、現在の日本の人事制度が戦前のアメリカの制度の影響を大いに受けたといえるものの、現在のアメリカの制度とは大きく異なること、また、小池和男や青木昌彦により流布している人事制度理解…

千石保「「普通の子」が壊れてゆく」(2000)

今回は河合隼雄同様、日本人論を経由しながら「日本人の子ども」を論じているが、河合よりも正直な所「ひどい」論調となっている千石保の議論を読み解きたい。本書に対する問題点はかなりの部分読書ノートにもまとめているので、本書の要点と読書ノートの補…

江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せね…

河合隼雄「河合隼雄著作集7 子どもと教育」(1995)

今回は、河合隼雄の「父性原理・母性原理」について考察するにあたり、その特徴をまとめてみたい。河合の著書は「母性社会日本の病理」(1976)をはじめ、教育にも関連する数冊を読んだが、これらの本からまとめると、6点にまとめることができるだろう。1…

河合隼雄・加藤雅信編「人間の心と法」(2003)

今回はいわゆる「日本人論」関連のレビューをしていきたい。 本書は川島武宣的な日本(東洋)/西洋の対比として用いられていた法意識の議論(p39)に対して、二種類の大規模な海外比較の調査の結果を用いつつ、その検証も含めた法意識の分析を行っている。本…

加藤美帆「不登校のポリティクス」(2012)

本書は、学校ぎらい・登校拒否・不登校といった学校に通わない子どもをめぐる議論の変遷を追う中で、そこに内在する政治性について述べた本、のようである。 私は以前松下圭一のレビューの中で、一般的な「ネオリベ批判」の言説に対して、否定的に捉えている…

竹内洋「革新幻想の戦後史」(2011)

本書は、進歩的文化人を中心にした「革新」の思想周辺の戦後の変遷を追ったものである。 全体としては多分に実証的な議論に基づいており、「進歩的文化人」の異端さを浮き彫りにするのに一役買っているといえるだろう。以前、大久保のレビューで紹介した「旭…

松下圭一「シビル・ミニマムの思想」(1971)

今回は、「社会教育の終焉」をレビューした際に出てきた議論をもう少し踏み込んで考察してみる。これにあたり、松下の議論を本書とこの直後に出ている「都市政策を考える」(1971、以下、松下1971bとする)、岩波講座「現代都市政策5」に収録されている「シビ…

小尾乕雄「教育の新しい姿勢」(1967)

今回は、「地域子ども学校と地域子ども組織」のレビューで少し取り上げた小尾の著書を取り上げる。本書は小尾乕雄自身が東京都教育長時代に書いたものとして、当時の競争的試験制度是正通達であった「小尾通達」の背景を押さえるのには重要な内容であるよう…

タルコット・パーソンズ、武田良三監訳「社会構造とパーソナリティ」(1964=1973)

前回、父母の役割について意図せずとも、その役割の再生産過程に加担してしまうとみなさねばならないケースについて少し検討した。今回はパーソンズの著書を確認しながらもう少し踏み込んだ議論をしてみたい。本書はパーソンズの論文集という形式をとってお…

山村賢明「日本人と母」(1971)

本書は日本人の「母のコンセプションズ」、つまり個々人の具体的な母親を越えた、一定の社会の一般的な母親像を捉えようとした研究成果を示したものである。 本書において特筆すべきはその分析方法だろう。テレビドラマ「おかあさん」の台本及びモニターアン…

松下圭一「社会教育の終焉」(1986)

本書は、タイトルの通り「社会教育は時代にそぐわず、滅ぶべきである」と宣言する一冊である。しかし、ノートでも述べた通り、固定観念をもって「社会教育」の領域をとらえる中で、「公民館」までもそのような「社会教育」の観念にしか縛られないものと思い…