2014

ミシェル・フーコー「フーコーコレクション5 性・真理」(2006)

今回は永らくレビューを続けてきたフーコーの議論について一区切りをつけたい。本書はフーコーの単行本以外での掲載論文・インタビュー等について時系列でまとめた「ミシェル・フーコー思考集成」(全10巻)をテーマ別に6巻に再構成したものの5巻目にあた…

遠山啓の教育論ーその歴史的変遷から—

今回は予告していた遠山啓の議論を検討していく。広田のレビューにおいては、70年代の教師側からの教育の役割を縮小するような議論の例として取り上げることを予告しておいたが、これについては最後に取り上げたい。むしろ、今回は遠山の議論をできるだけそ…

坂本秀夫「校則裁判」(1993)

今回は前回予告していた中で、坂本秀夫の教育権論について検討する。取り上げたのは本書と「生徒懲戒の研究(1982)」「文部省の研究(共著、1992)」「増補新版 PTAの研究(1994)」「戦後民主主義と教育の再生(2007)」である。○「学校」と「家庭」の教育分業論…

作田啓一「個人主義の運命」(1981)

今回は、以前レビューした阿部謹也の「世間論」にみる個人観と本書の個人主義の議論を比較してみます。<読書ノート> p24 ジラール、欲望の現象学p9で内的媒介と外的媒介の距離について触れる ※「願望可能圏」という言い方をするが、これは心理的な問題。 p…

デイヴィッド・リースマン、加藤秀悛訳「孤独な群衆」(1950=2013)

今回はウェーバーの理念型の考察の前にリースマンの理念型論について検討しておきたい。リースマンも基本的にウェーバーと同じような文脈で理念型について語っているように思います。 参照した訳書は最近みすず書房より出たものになります。<読書ノート、上…

ジャック・デリダ「他者の言語」(1989)

次のレビューはウェーバーにしようと思っていたのですが、思っていた以上に理解が進まず、結局デリダを先に取りあげることにしました。デリダについてはこれまでも簡単に触れるような機会はありましたが、今回本書と「法の力」(訳書1999)、「精神分析の抵…

阿部謹也「近代化と世間」(2006)

今回は阿部謹也の世間論から、贈与について検討を行ってみたい。 私が今回考察の対象にしたのは、本書と「「世間」論序説」(1999)、「学問と「世間」」(2001)、「ヨーロッパを見る視角」(2006)の4冊である。ベーシックな内容と思われる「「世間」とは何か」…

矢野智司「贈与と交換の教育学」(2008)

「自己変容による物語」でも矢野の贈与論は批判を行っていましたが、本書はそれよりもひどい方向に洗練された贈与論を展開しています。ひどい贈与論のテクストとしては典型的なものとして有効かと思ったので、今回取りあげました。(考察) ○ジラールに対す…

牧野篤「認められたい欲望と過剰な自分語り」(2011)

<考察> 今回はフーコーを批判するジジェクを読む前にジジェクのラカン解釈を改めて確認する意味で、牧野文献を読みます。読書ノートの注(※)で一通り違いを指摘していますが、こちらでは、要点をまとめていきたいと思います。本書を取り上げたのは、ある…