2013
前々回の教育改革をテーマにしたレビューで黒崎と藤田の論争を取り上げたが、今回は藤田と同じ教育社会学の分野から、苅谷剛彦を取り上げる。本書は「大衆教育社会のゆくえ」(1995)に続き、戦後の日本の教育における「平等」観の形成について、主に知識社会…
随分と時間がかかってしまいましたが、今回はフーコーのレビューです。1984年の2〜3月のコレージュ・ド・フランスの講義内容となっていますが、フーコー自身が84年6月に亡くなっているため、「最終講義」という位置付けがされる本となります。 以前行った…
<考察> 今回はジジェクの議論をまとめてみたい。 ジジェクの主体論は基本的に「大文字の<他者>」に依拠しようとする主体と、そのような主体に対する「幻想」を走査しようとする主体(これをラカン的主体とここでは呼びたい)の2つが対比されながら展開…
久しぶりにここに文章を書きます。表での活動が一段落したので、リハビリがてら印象が強かった本を先に記録として残しておこうと思います。 まず、この著書を執筆した無名の「母親(たち)」には感謝したいと思う。おそらくマスコミだったり、ルポライターだ…
今回は改めてフーコーを読みます。前回のフーコーのレビューから一通り「知への意志」以後のフーコーの著作を読み返し、紆余曲折した結果、まず、コレージュ・ド・フランスの1981−1982年講義にあたる本書を取扱うことにしました。次はいつになるかわかりませ…
前回大澤が引用していたベンヤミンをレビューしておきたいと思います。訳は晶文社の著作集(1969)からのものです。(読書ノート) p10 「自然法は、目的の正しさによって手段を「正当化」しようとし、実定法は、手段の適法性によって目的の正しさを「保証」…
なかなかフーコーが読解できずにいたので、どんどん後回しになってしまいそうです… ニーチェの議論も関連した矢野の著書を今回は読みます。(読書ノート) p61 「純粋な贈与としての「教える」という行為は、学ぶ者の側の主体的な参入を必要とする賭けなので…
今回はニーチェを読みます。訳書は理想社版のニーチェ全集から、11巻と12巻を取りあげます。(読書ノート、上巻) p22 「ニヒリズムとは何を意味するのか? ——至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答…