あ行

マックス・ヴェーバー「政治論集1・2」(訳書1982)

今回はこれまで検討してきた『ヴェーバーの動機問題』に関連して、政治論集における近代観を簡単に整理していきたい。合わせて、ヴェーバーが本書で語る「官僚制」の性質についても取り上げつつ、その性格の特徴等も押さえておきたいと思う。 本書においても…

上原善広「差別と教育と私」(2014)

今回は上原の著書を介して「八鹿高校事件」について取り上げたい。上原の著書自体は八鹿高校事件に限らず、部落差別に関わるテーマを実際に自らが取材した上で考察している内容で、「当事者」としての視点がなければ行えないであろう内容も取り扱っており、…

大塚久雄の「近代」観に関する試論 その2

大塚のレビューについては続けないつもりでいたものの、せめて著作集の内容くらいは触れておこうと思い、著作集10巻以降の内容も踏まえ、改めて大塚久雄の「近代」観について考察を行ってみる。 前回、深草論文において大塚の議論の転換を70年代に見出せると…

大塚久雄の「近代」観に関する試論

今回は大塚久雄の読解から、言説としての「近代」に対する見方について理解を深めていきたい。これまで行っていた進歩的文化人の議論においても谷沢永一(1996)をもってそのルーツであるとされ、中野敏男(1999)をもって市民社会論者の理論的系譜の祖とみなさ…

小木曽尚寿「先生、授業の手を抜かないで」(1980)

今回は「恵那の教育」についての検討を行いたい。本書は「坂本地区教育懇談会」の代表である著者が地元中津川の地方新聞「恵陽新聞」(現在は廃刊)に長期連載を行った文章を中心に収録されているようである。本書には1985年に出た続編もあるものの、どちら…

板倉章「黄禍論と日本人」(2013)

今回は、西尾のレビューで取り上げた「黄禍論」についての本である。 本書は19世紀から20世紀にかけて、中国人・日本人の海外への進出について、特に「人の多さ」をもって支配されるのではないのか、という議論にはじまる「黄禍論」について、諷刺画を中心に…

E.F.ボーゲル「日本の新中間階級」(1963=1968)

本書は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著書でも知られるエズラ・ヴォーゲルの60年代の著書で、日本のM町におけるフィールドワークをもとにした研究書である。特に日本の新中間階級の家族の状況に密着した研究として、とても貴重であり、特に家族生活…

岩本由輝「柳田國男の共同体論」(1978)

今回は共同体論関連のレビューである。本書で批判を行う共同体論というのは、祭事やより素朴な連帯意識による「共同体」が形成されるべきである、という主張を行うものである。今回はこの主張を岩本の価値観に合わせて「似非共同体論」と仮称して議論してい…

石原慎太郎「スパルタ教育」(1969)

本書は当時のベストセラー(70万部とも言われる)となった石原慎太郎の著書である。教育書と読むか、育児書と読むかは微妙であるが、教育書であれば、日本で最も売れた教育書の一つ、といっても言いかもしれない。100のテーマをそれぞれ2ページでまとめ…

遠藤公嗣「日本の人事査定」(1999)

本書はアメリカの人事制度と日本の人事査定制度の比較を試みながら、現在の日本の人事制度が戦前のアメリカの制度の影響を大いに受けたといえるものの、現在のアメリカの制度とは大きく異なること、また、小池和男や青木昌彦により流布している人事制度理解…

江藤淳「成熟と喪失」(1967=1993)

今回は前回見てきた河合隼雄の「父性原理・母性原理」と江藤淳の「父性原理・母性原理」を比較しつつ、河合の議論を検討していく。 ただし、本書を読む限り、江藤の「父」「母」の議論について、必ずしも明確な定義付けをしている訳ではないことにも言及せね…

小尾乕雄「教育の新しい姿勢」(1967)

今回は、「地域子ども学校と地域子ども組織」のレビューで少し取り上げた小尾の著書を取り上げる。本書は小尾乕雄自身が東京都教育長時代に書いたものとして、当時の競争的試験制度是正通達であった「小尾通達」の背景を押さえるのには重要な内容であるよう…

小川太郎「教育と陶冶の理論」(1963)

今回は比較的古い文献を読んだ訳だが、これまで読んできた「社会問題」との関連性、その歴史的な議論における位置づけについてはなかなか捉えづらい内容のものであった。一方で「支配的な教育」という形で右寄りの議論の批判を行うものの、他方で日教組的な…

OECD教育調査団「日本の教育政策」(1976)

本書は1971年に発表されたOECDによる報告書の内容の一部を翻訳したものである。 報告書が出された当時から、この報告書はかなり頻繁に教育をめぐる議論で参照されてきている印象があり、恐らくは一定の影響力を持った内容とみなしてよいのではなかろうかと思…

大久保正廣「混迷の学校教育」(2010)

今回は、長らく現場教師も務めていた大久保の著書のレビューである。 本書は戦後日本で展開されてきた規律や指導の言説について分析を行う中で、特に「管理主義」言説を展開する、全国生活指導研究協議会(全生研)を中心にした教育運動に欠落する視点を指摘…

阿部謹也「近代化と世間」(2006)

今回は阿部謹也の世間論から、贈与について検討を行ってみたい。 私が今回考察の対象にしたのは、本書と「「世間」論序説」(1999)、「学問と「世間」」(2001)、「ヨーロッパを見る視角」(2006)の4冊である。ベーシックな内容と思われる「「世間」とは何か」…

大澤真幸「不可能性の時代」(2008)

今回は大澤真幸です。3年前に一度読んで、最近読み返したのですが、思う所が多かったのでレビューしてみます。(読書ノート) p29 「理想」としてのアメリカ p77 「要するに、村上の『羊をめぐる冒険』は、三島から直接にバトンを受け取るように小説を書き…

麻生武「身ぶりからことばへ」(1992)

今回は発達心理学の本を取りあげたいと思います。本書は著者自身の子どもの誕生後から1年間の観察記録を分析したものになっており、特に他の動物と人間との違いに注目した内容になっています。ノートは少なめ。(読書ノート) p10 「つまり、対象を指差した…

ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」(1977=1996)

今回は、ジラール「地下室の批評家」で言及した、ウィリスの本を扱います。ページ数はちくま学芸文庫の訳書のものです。(読書ノート) p31 「ジョウイ ……教師はおれたちを処分できる。教師はおれたちよりもえらいんだ。やつらにはおれたちよりもでかい組織…

ハンナ・アレント「人間の条件」(1958=1994)

東先生がアレントに言及していたので、昔に戻ってアレントを読み返します。 当時もまた新自由主義の話に関心はありました。ただ、問いの立て方は異なっており、「現代において、公共空間をいかに確保することが可能か」というものでした。訳書はちくま学芸文…

東浩紀「情報環境論集 東浩紀コレクションS」(2007)

前回に続いて、「統治」における規律訓練型権力・環境管理型権力の性質をとらえる一環で読んだ一冊です。「文学環境論集」などでも、この点が議論されています。が、今回改めて読み返してみてピックアップした点というのは、かなり今現在の関心に結びつけて…